戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年12月11日
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カテゴリ: 日光写真館
前回の本宮神社本殿の意匠の続きです。


本宮神社42


本宮神社43


本宮神社44


本宮神社47



本宮神社49



本宮神社50



本宮神社48



本殿は流造(ながれづくり)。

今は神仏分離によって世界遺産「日光の社寺」は二社一寺に分かれているけど、
もとは同じ釜のメシを食う仲間で「日光一山」だったからね。
現代に伝わるこの社殿も東照宮や輪王寺と同じ流れを汲む造りになってるのは
当然のことといえる。

本殿の脇には、奥へと続く参道がある↓。


本宮神社46


脇の参道から本殿の裏手を見たところ↓。


本宮神社52


真ん中に黒い扉がありますね。
本宮神社のご祭神は前回の解説版の通り味耜高彦根命(あじすぎたかひこねのみこと)で
この神様はオオクニヌシの子供さんらしいですが、二荒山神社の御神体は

で、本殿の裏の扉からはその御神体を拝めるようになってるんだそうな。

こーゆー造りは珍しいっていうんだけど、拝殿の裏には本殿へとつながる扉があるのは
当然だけど、本殿の裏にも扉があるのは確かに見たことないかもな。


さて、参道を奥まで進むとそこはもう本宮神社とは呼びません。

上の写真には三重塔が写ってますが、そこへ行く手前にまず見所があります。


本宮神社53


 【四本龍寺紫雲石(しほんりゅうじ しうんせき)

  ここから西南に少し離れた唯心院境内の礼拝石で、勝道上人が、ある日、礼拝を捧げた
  折、この石の辺りから紫の雲が立ちのぼり、男体山の方へたなびくのを見たということ
  から、紫雲石と呼ばれる。そしてこの地を四神守護の霊地として、四本龍寺を建てた
  という。現在は、観音堂、三重塔のみだが、日光発祥の地であり、奈良、平安時代の
  日光の中心地であった。】
  (現地解説板より)

紫の雲の件については、 「輪王寺1」 でも軽く紹介してますね。
唯心院は東参道の途中の近くにある子院で、解説の通りここからちょっと
西南に行った場所にある。

ぶっちゃけ山菅の蛇橋も紫雲石も伝承の域を出ないけど、
それでも勝道さんが最初に拠点を置いたのが神橋から山内に入った辺りの
エリアであることに変わりはない。
勝道さんが亡くなった後も、ここを中心として次第に奥地への開拓を進めていった
ということだろう。

ただ、一般的に日光を開いたのは勝道さんだとされるものの、
ウィキペディアにはこんな風に書いてある。

 【なお、社伝などでは上記のように勝道上人が開祖と説明されるが、実際には太郎山神社
  周辺で古代の祭祀の痕跡を示す遺跡が見つかっており、相当古くから聖地として信仰対象で
  あったことがわかっている。】

「叡山攻め」で大同元年までの歴史を追ってきた今なら、
勝道さんが到着した頃の日光はただの野生動物のすみかではなく、
すでに山内での先人の修行者がいただろうということはよく理解できる。
ちょうど最澄が山こもりを始めた時にすでに叡山には先人がいたというのと同じ。
だからと言って勝道さんの事績の価値が下がるという訳でもないけど。

んで、ここには大きめの岩がゴロゴロしてるのでどれが紫雲石じゃい?と
きょろきょろしちゃったけど、たぶんこれがそうだと思う↓。


本宮神社54


紫雲石の前におわすのがこちらの方々↓。


本宮神社55



本宮神社56


ハア、なんかなごむな~、ここ。
で、目前にそびえるのがこちら↓。


本宮神社57


 【四本龍寺三重塔(重要文化財)

  日光山24世座主弁覚が、将軍源実朝の供養のために仁治2年(1241)に東照宮境内
  付近に建立。その後この地に移された。貞享元年(1684)の大火で焼失、翌年再建
  されたのが現在の塔である。三間四方(約6メートル)。最下層の蛙股に十二支の彫刻が
  ある。隣接の不動明王と石の護摩壇は日光修験の峰修行の遺跡である。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

んもう、こんなとこに三重塔があったなんてマジで知らなかったんだけど~

日光と源家の関わりは、保元元年(1156)に頼朝の父・義朝が
下野守に任じられたあたりから始まるのかな。
その後、義朝の子供たちは日光に社領や神馬を奉納したりしている。

勝道さんの後は、その弟子でありいとこでもある教旻(きょうびん)が初代座主となり、
教旻の後は勝道さんの弟子たちが座主となり、時代が下ると優秀な僧の中から
座主となる者が生まれた。

そうして代を重ねること24代、これが弁覚さんでこの方は日光の復興に努めたほか、
鎌倉幕府内のゴタゴタである和田合戦にも参戦したというバラエティに富んだ経歴の持ち主。
ま、和田合戦の少し前の源平の合戦の時には、園城寺からの助っ人の僧たちが
縦横無尽の活躍をしてるからな。
( 「大津編(26)」 「(28)」 参照)
別に驚くにはあたらない。

え~、本ブログももう900話間近で色んな話が色んなところで絡んでくるので
わたくし自身もだいぶ把握しきれなくなってきてますが、
弁覚さんは過去の記事で何度か名前が出てきているのですよ。

弁覚さんはこの三重塔のほか、二荒山神社新宮なども造り、
そして光明院も建立した。
それまでは勝道さんの開いた四本龍寺をメインとしていたのが、
光明院ができてからはそこが中心となったんだそうな。

古地図を持ってないので当時の光明院の正確な場所は不明ですが、
「輪王寺4」 で光明院の稲荷社を紹介してますね。

日光に東照宮ができる前は東照宮・輪王寺付近に古い寺社があって
それを立ち退かせていい場所に東照宮を建てたというので、
稲荷社だけ昔のままの場所ってこともないのかもしれないけど、
たぶん現在の輪王寺付近にあったんじゃないかと思われる。

三重塔も東照宮境内付近にあったって解説に書いてあるもんね。
なら、三重塔も東照宮建立による立ち退きメンバーに入ってたのかもしれないな。

で、過去の光明院の記事は 「上野第二編(56)」 にもあります。
光明院に住む山主が源家ゆかりの勝長寿院を兼ね、さらにその山主は鎌倉に住んでいた
というエピソードです。

輪王寺宮のルーツはこの鎌倉期の山主兼帯にあるとにらんでいるわたくしにとっては、
弁覚さんのゆかりというだけでも色んな歴史が頭の中を駆け巡って
萌え~に価する場所でもあります。

勝道さんが遠い昔この場所にいて、鎌倉3代将軍・実朝のために弁覚さんが建てた
三重塔・・・
日光発祥の地でもあるし、歴代輪王寺宮が日光にお勤めに入山した際には
紫雲石とかを観に来たかもしれないよな。
あ~、相輪(そうりん)がきれいだ↓。


本宮神社58


三重塔の内部は非公開。
「上がるな」と書いてある石段の前にはなにかの跡がある↓。
灯篭でもここに建ってたかな?


本宮神社59



さてと、それじゃ解説にあった蟇股の十二支を観て回ろうかな。
弁覚さんの建立そのままじゃないのは残念ですが、
それゆえに東照宮と同じ系譜の江戸期の蟇股を拝むことができる。
正面から時計と反対回りに順々に写真を載せていきま~す。


本宮神社60


うし?
いや、ドット柄になってるから馬かな。


本宮神社61



これはヘビだよな。
どうやらここは「ね~うしとらう~たつみ~」の順番じゃないらしい。


本宮神社62


たつ・・・
「たつみ~うま」だから、私のまわり方が逆なのか?
まあいいや、ワシャこのまま進みたいんじゃ
(↑単にめんどくさいだけ)      


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最終更新日  2014年12月11日 23時24分25秒


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