戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年12月19日
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カテゴリ: 日光写真館
三仏堂の前あたりまで来ると、これがあります↓。


13輪王寺・三仏堂前


お線香立てて、バアちゃんたちが煙を頭とかにはたき込むやつ。
あれ?
この写真ではお釜のフタ、閉じてるなあ。
ここで煙焚かなかったっけか・・・

後ろに写ってるベンチは、記念撮影用のものです。
有名な観光地ですからね。
わたくしも小学校の修学旅行は日光でした。


修学旅行なども一時はかなり減ったのだろう。

輪王寺の紋の入ったこのお釜を支えるのは、3人の邪鬼。


13輪王寺・三仏堂前2



13輪王寺・三仏堂前3



13輪王寺・三仏堂前4



13輪王寺・三仏堂前5



お茶目な表情がかわいらしい。
邪鬼はどこでもふんどし姿なんだよね。
「高野山の名宝」展 でも、四天王に踏まれた邪鬼はそれぞれ
ふんどしまでしっかり作り込まれていて、もちろんわたくしは
きっちりふんどしも鑑賞してきました

この邪鬼たちは、日光輪王寺のホームページで
各堂宇の紹介のページも支えていますよ

立派なものだから結構古いのかと思ったら、
「昭和六十一年四月吉日」の銘がある。

それから、この灯篭も確か三仏堂の前あたりにあったやつだと思う↓。


13輪王寺・石燈籠


銘は読めません。

三仏堂前には、小さなお堂もある↓。
由来などはわかりませんが。


13輪王寺・出世子育地蔵尊



CIMG9011



13輪王寺・出世子育地蔵尊2



さて、それでは本堂へ向かいます。


CIMG9007



これまでのわたくしは石段を上がってそのままお堂の中へ直行してましたが、
去年は入口付近にも目を向けてみました。


13輪王寺・金剛桜


 【天然記念物 金剛桜

  黄芽、白花大輪の山桜で花香が強く、樹齢は約500年。地際より数本の支幹に分かれ、
  得意の樹形をなし、その基部の周囲は約5.7mに及ぶ。繖房状に3~4花を着け、
  花茎は円形で長さ約1.7cm。巾は約1.6cmで、花弁の縁は重なりあっている。
  明治年間、当寺門跡シン厚大僧正の諡号、金剛心院に因んで命名されたもの。昭和11年
  5月10日三好理学博士の調査により山桜の勝れた天然変種として国の天然記念物に
  指定された。(指定日 昭和11年12月16日)】
  (現地解説板より)

金剛桜の近くには、手水鉢↓。


13輪王寺・三仏堂前水盤


ここから内部に入ります。
三仏堂は工事期間中でも撮影禁止のため、内部の写真はありません。

去年は色々と内部のことについてメモっていて、
久々にメモ帳を読み返してみたのですが、字はきったないわ
走り書きだわで自分でも何を書いたかわからないものがある
でも、探してたものをようやく見つけた。

前回の最後に豊道先生の碑が出てきましたが、
「輪王寺5」 の現在の御本坊の門にあった書と
黒門の脇にあった「日光山輪王寺」の碑 、
あれは豊道先生のお手になる書だったようです。
あ~、これですっきりした

工事前までは入口を右に入って細い通路を奥へ進んだところでターンして
階段を降りていくとそこに三仏がおわす、という構造だったのですが、
工事期間中は色んなものが色んな場所へ移動していた。

前は入るとすぐ薄暗かったのが、今は入口から煌々と明るいしな。
去年はちょうど入ったばかりのところでお坊さんによる堂内の説明が始まっていて、

「ご一緒にどうぞ」

と強制参加させられた。
耳よりなお話も聞けるかもしれないけど、基本的な説明ってのはあまり変わらないし、
それよりも自分で自由に見たかったので、説明が始まってすぐに
後ろの天海像のところへ行ってツアーからフェードアウトした。

で、入ってすぐに道なりに左に折れると、そこが今の三仏のおわすところ。
去年は確かどなたもおられず、台座だけがありました。
今年はおひとりお戻りになってたな・・・
どなただったっけ?

ここでは3体のデカい仏像を祀り、三仏が本尊。
ゆえに三仏堂という。


現在の三仏エリアにはまず懸仏(かけぼとけ)があった。
これって確か、前はすごい高いところに懸けられていたもののような・・・
懸仏とは、その名の通り額のように壁に懸けられるタイプの仏像のようなものです。

懸仏について三仏堂の解説には、

 ・薬師如来=東照大権現
 ・阿弥陀如来=摩多羅神(日光山の守護神)
 ・釈迦如来=叡山の守護神

とあり、この3つをまとめて「東照三所権現」。

 【元和3年(1617)に東照大権現が日光山にお祀りされる際、古来日光山の
  信仰形態であった日光三所権現の在り様を踏襲して、天海大僧正により特別に
  祀られたものです。】
  (堂内解説より)

う~ん、イエアスの神号問題から始まり、日光への遷座、東照宮縁起の起草のほか、
日光の慣習との融合まで図ってたとはね。
恐ろしい82歳だ(笑)。
(家康の死から日光遷座までは 「上野第二編(44)」 以降をご覧ください)


関係ないですが、今、「摩多羅神」(またらしん)と書いてて

摩羅

と一瞬食いつきました(←やっぱりスケベジジイ)。
が、後世にはわたくしのような考え方をする人もいたらしいのですが、
日本において「まら」という言葉そのものはかなり古くから使われていたらしく、
摩多羅神と摩羅が関係あるというのは後世の俗説らしいです。

ちなみに、自分の記事で「摩羅」を検索したら「鳩摩羅什」も引っかかった
アハハ、確かにクマさんにも「摩羅」が含まれてるわ~!!
けどあれは「クマーラジーバ」の音写だから、これまた摩羅とは何の関係もありません。
(何の話だ)


東照三所権現の他にも「三仏」が祀られていて、
一般的に有名なのはこちらの方。
左から順に馬頭観音・阿弥陀如来・千手観音で「日光三社権現本地仏」という。

先日、神職や巫女さんによる神橋のすす払いがニュースになってましたが、
デカい方の三仏も毎年この時期はニュースでおなじみ。
なが~い笹みたいのを使ってすす払いする様子がTVに移りますが、
今は2体がご不在なので、あのおなじみの光景が見られるのは
三仏が皆様お帰りになってからとなるでしょう。

ということで、ダブルの三仏が祀られているお堂であります。


三仏堂の創建は平安時代。
円仁さんによって建てられたとの伝承があります。
徳川家光による寛永の大造替の際には、本堂もリニューアルの対象となっている。

もとは現在の場所にはなく、東照宮の西にある二荒山神社のあたりに
あったようです。
今の場所に本堂が移ったのは、明治12年。
これも神仏分離による「住み分け」で、
移動の可能な部分について「輪王寺」を一か所にまとめたようです。

移動のできなかったものには、家光の墓所である大猷院や
天海の墓所である慈眼堂などが含まれます。
他にも色々あるけどね。

ので、実際には現在でも「輪王寺」部分が山内に散らばってる訳で、
神仏分離以前の時代に思いを馳せる歴史ファンにとっては
なかなか都合がいいとも言えますね。


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最終更新日  2014年12月19日 23時56分21秒


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