戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年12月18日
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カテゴリ: 日光写真館
さて、ここからはちょっこし去年の分の写真も交えながら

「叡山攻め」に戻ると、当面日光写真館を再開しようという気は
なくなると思いますのでね。
境内の位置関係は 「輪王寺1」 をご参照ください。


まずは、黒門↓。
光線が強すぎてほとんどシルエットですが(笑)。


13輪王寺・黒門




  日光輪王寺の表門。通称、黒門。皇族を門主と仰ぐ門跡寺の格式を示す門。
  江戸時代のはじめ、家康公を日光にまつった天海大僧正が創建。やがて後水尾天皇皇子の
  守澄法親王宮が入山ののち、本坊の表御門となる。明治4年、本坊が焼失したとき、
  唯一焼け残った建物である。】
  (現地解説板より)

当時の御本坊は今の三仏堂のあたりにあったらしいんだけどね。
本坊が焼失した頃は神仏分離によって二社一寺に分離された時期でもあり、
「輪王寺」の称号も没収されていた頃でもあったから、
往時の華やかさに比べたら苦難の時代だよな。

お勤めのために日光入りした歴代輪王寺宮はこの御門を通っていったのだろう。
輪王寺宮の格式については 「上野第二編(21)」
大名による東照宮参詣、または代参の時にも、おそらく宮が日光にいてもいなくても
御本坊には寄ってご挨拶をしただろうから、多くの著名人がくぐった門ともいえるでしょう。


13輪王寺・黒門脇2


そして、門前にはこれがあります↓。


13輪王寺・黒門2



寛永寺にもよく似たものがあったでしょお~。( 「上野第二編(8)」 参照)

寛永寺の立て札の由来については 「上野第二編(12)」 で書きました。
後から知ったんだけど、あの立て札は金で塗られていたことから「金札」と
呼ばれていたそうで、日光のも金が残っているから
同じく金札と呼ばれていたかもしれません。
ここでは仮に日光のも「金札」としておきます。

寛永寺には「両大師堂」はあるけど、日光にはない。
天狗堂 の正式名称は「慈恵大師堂」だったそうだけど、
天海が死んで日光に葬られた際には、家光は天海専用の「慈眼堂」を建てたので、
寛永寺のように良源さんと天海をそろって祀るお堂は
日光にはなかったんじゃないかと思う。
だから、堂宇としての「両大師」を示す看板ではないだろう。
前々回の記事で紹介したように、現在の大護摩堂には2人はそろって
正面に祀られてはいるけどね。

それよりも、江戸期の寛永寺と日光輪王寺の関係の深さを考えれば、
日光の金札も寛永寺と同じ役割を果たしたと考えるのが自然だろうと思う。
良源さんも天海も、ともに江戸初期から日光で祀られていたんだからね。

誰か歴史ファンで日光の金札について書いてくれてる人いないかな~・・・
と思ってちょっとネットで調べてみましたが、そもそも金札の歴史を知らなければ
ぶっちゃけ金字で書かれているだけが取り柄の、何てことない立て札

ので、あいにく日光の金札の詳しいことはわかりませんでしたが、
寛永寺と同じと見てほぼ間違いないだろうと個人的には思います。
ただ、天海の命日の「宮のお練り」は日光ではなかったハズだけどね。
その時宮は江戸でお練りをしてたからね。

ほとんど注目されることのない金札ですが、
寛永寺と日光輪王寺のふか~いつながりを静かに物語る歴史の証人であります。

それでは、黒門の写真をどんどこ紹介しましょう。


13輪王寺・黒門3


今はだいぶ塗りもハゲてますが、この意匠を見るに
お色直しすれば 寛永寺の黒門 とよく似た感じになるかもしれないな。 


13輪王寺・黒門4



13輪王寺・黒門5


隅々まで見たがる物好きもいるんだから、重文にスコップなんか
立て掛けないで・・・


13輪王寺・黒門6



13輪王寺・黒門8



13輪王寺・黒門9



13輪王寺・黒門10



13輪王寺・黒門11



13輪王寺・黒門12



13輪王寺・黒門14



13輪王寺・黒門17



13輪王寺・黒門18



13輪王寺・黒門19


寛永寺の黒門と比べるといくぶんデコラティブだけど、
大きさや重厚感、風格は寛永寺に匹敵する立派なもの。
さすがは宮の御本坊を飾る表門といったところでしょう。
黒門以外の建物が焼失してしまったのが実に惜しまれます。

黒門を入った右脇には、こんなものが↓。


13輪王寺・黒門脇

手水舎の代わり?
まさかね

黒門を内側から見たところ↓。


CIMG9051



黒門を入った左手にはこの建物↓。


CIMG9060


今はこれは使われていません。
昔、拝観券でもここで扱ってたかな。
まあ近代に入ってからの建物だろうとは思うのですが、
細部の造りがちょっとビミョ~なんだよな・・・
あるいはそこそこ古い建物で、それを現代風にリフォームしたものかもしれない。

東照宮の方でも、観光客が見向きもしないような地味な建物が
実は古い歴史ある建物なんてのもありますのでね。
日光は油断できません

この建物の奥には石段があります↓。


13輪王寺・黒門前鐘楼3


ご覧の通り、今は通れません。
石段の上にあるのが、


13輪王寺・黒門前鐘楼


鐘楼です。

以前はこの上のエリアへは入れました。
鐘楼の奥に小さいトイレがあって、お護摩の時はいつもそこで用事を済ませていた、
わたくしの愛用の場所でした。

大護摩堂から三仏堂の表に回る近道でもあり、トイレの後は
三仏堂の脇の道を通り抜けていたので鐘楼前の石段は使った記憶がありませんが、
石段も以前は使えてたんじゃないかなあ・・・
いや、やっぱり通れなかったような気もしてきた。

ここのエリアが通行禁止になったのは、三仏堂の本格修理が始まってから。
このトイレが使えないと、三仏堂の反対側のトイレまで行かなきゃならないので
結構大変です。
工事が終わったら、また以前のようにトイレ使用と通り抜けが可能になることを切に願います。
工事終了まではまだあと何年もかかりますが。

とりあえず、懸魚だけ望遠で撮っておきました↓。


13輪王寺・黒門前鐘楼2


石段の脇にあるのがこちら↓。


CIMG9050


 【豊道先生顕彰碑

  先生、法名は慶中、天台宗の大僧正、東京牛込の行先寺住職に補任せらる。書道に精通し
  春海と号す。日本芸術院会員に推されその間、瑞雲書道会や日本書道連盟を設立、又、
  日中友好に貢献して郭沫若氏と親交あり文化功労者として顕彰さる。昭和45年僊化
   書禅院大僧正春海慶中大和尚を諡る。享年93才】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

大変大きな石碑で、文字も大きいのですが達筆すぎて読めませんです


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最終更新日  2014年12月19日 08時38分09秒


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