戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年12月27日
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カテゴリ: 日光写真館
お茶屋御殿の先を少し進むとすぐ池の南側に着く。



14輪王寺・逍遥園11


少し土が盛られて築山のようになっている・・・
が、木が元気に繁茂しているので、あんまり庭の造りそのものはよくわからない。
確かこの写真付近の奥の方には小さな滝もあったな。
滝の写真は撮らなかったけど、滝の周辺の石組はわずかに宮の時代の名残を
とどめているものらしい。

ここから北側を観た光景↓。


14輪王寺・逍遥園12


奥に写ってる白い高い建物が工事中の三仏堂。
右の木に隠れてわずかに見えているのが宝物殿で、左側の建物は紫雲閣。
紫雲閣の名は 勝道さん開山の伝承 から来ていると思われますが、
明治に入ってからの建物。

近代に入ってから、日光には著名人も多く訪れている。
明治9年には明治天皇が行幸。
神仏分離令によって全国で廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたことは有名ですが、
日光も大きな危機を迎えた。

山内の関係者はもとより、民間からも有志が立ちあがって
貴重な文化財を数多く有する日光山内の保存に努めた結果が

明治の始め頃は日光も混乱のさなかにあり、
とりあえず独立した東照宮と二荒山神社から仏的なものはおおむね排除され、
日光山全域の管理者であった僧たちはトップである輪王寺宮も失い、
「満願寺」の旧称へ改称させられた本坊へ寄り集まって生活していたらしいのが、
明治4年に本坊が焼失するという不運に見舞われる。


収入の道を断たれた「満願寺」にはすぐさま本坊を再建するだけの余裕はない。
おそらく、明治始め頃の日光山内は想像以上に荒れていたのだろう。

そういう時期に桂小五郎(木戸孝允)らを引き連れて明治天皇が日光に立ち寄り、
「旧観を失うなかれ」というお言葉を遺したというエピソードがある。


その3年後には、グラント将軍も日光を訪れたそうな。
ああ、あの世界一周旅行の時だな。
グラント将軍の日本での詳しいスケジュールはわからないけど、
上野で植樹 したあとに北上したのかな。
ウィキペディアによると、グラント将軍は米国大統領経験者のうちで
初めて来日した人なんだそうな。

そしてウィキのグラントさんのページにはこんな記述もある。

 【また日光東照宮を訪問した際には、天皇しか渡ることを許されなかった橋を特別に
  渡ることを許されたものの、これを恐れ多いと固辞したことで高い評価を受けることと
  なった。】

橋?
神橋のことか?
いやでも、あれも特別な橋ではあるけど勅使とかは渡ってたんだし、違うか。

なら東照宮内の渡り廊下かなにかかとも思ったけど、
そもそも日光東照宮を訪れた天皇は明治天皇が最初のはずだし、
「将軍専用の橋」の間違いじゃないのかなあ。
仮に将軍専用の橋があったにしても、輪王寺宮だけは渡れたんじゃないかとも思うけど。

ウィキの記述が正しいものだとすれば、
少なくとも明治以降の近代ルールだとは言えるだろう。

ま、そういう方々も鑑賞なさった名園だということです。


14輪王寺・逍遥園13



う~ん、ただ池に突き出てるだけのようにも見えるんだけど、
これが中島か?
他に島っぽいのは見当たらないんだよなあ・・・

わたくしが池の中の石、あるいは中島を探していた理由は
『宝ものがたり』の中の記述にあります。

 【この池の中に「験較べ石」があるといわれています。験較べとは山伏たちが
  法力を競いあう行事で、羽黒山では今も正月行事に行われています。兎の縫いぐるみを
  かぶった者を中にして左右の山伏が替わるがわるに祈りを込めると兎がいろいろな
  仕草をするというものです。大峯山でも似たような行事があり、こちらは蛙が出てきます。

  日光山の伝承はもっと厳しいもので石が用いられています。「日光の故実と伝説」に
  よると、修行から戻った山伏たちが心を合わせて必死で拝めばこの石がモクモクと
  持ち上がります。ただし一人でも真剣に修行しなかった者がいたら石は動かないのだそう
  です。もとは本堂の庭前にあったものを、逍遥園の中島に移したといいます。】 

これは厳しい。
石が相手ならまやかしは効かないもんね。

羽黒山の「うさぎのぬいぐるみ」がちょっと気になった。
ムサい顔したオッサンが着ぐるみ着こむのか?
どんなうさぴょんの着ぐるみなんだろう・・・

興味本位でネットで調べてみたところ、確かにうさぴょんだけど
さいわい中の人の顔は隠れている(笑)。
動画でちょっとだけ公開されていたのがあったので見てみたところ、
現在のは型が決まった「儀式」と化している模様。
まあ、これはしょうがないよな。

逍遥園の中の「験較べ石」は何の表示や解説がある訳でなし、
ここを訪れる観光客のほとんどには知られていない存在だけど、
長く日光に修験道が息づいてきたひそかな証でもある。


池の東端まで行くと、こんなのがあった↓。


14輪王寺・逍遥園14


へえ、修行道場だって。
輪王寺は観光の面では有名だけど、寺としての本質的な活動や生活というのは
表に出てくることはないので、もっと輪王寺のことを色々知りたいと思った。


14輪王寺・逍遥園15


↑これが池の東端で、ここから池の北側に回る。
前回の江戸期の山内図では省略しましたが、家慶訪問の頃には
この池からさらに東に水が引かれ、その先にある建物の出っ張り部分の坪庭のような場所で
小さな池を作っていたらしい。


14輪王寺・逍遥園16



14輪王寺・逍遥園17


この橋のすぐ先には


14輪王寺・逍遥園18


かつての橋か?


14輪王寺・逍遥園19


↑変わった形の灯篭だな・・・
ちょっと広島ふう。
夜になったらこの灯篭は3本の足で園内を歩き回ってるんじゃないだろうか(笑)。


以上で逍遥園は終わり。

寛永寺のことを書いてから、日光輪王寺の歴史そのものにも興味を持つようになって、
「叡山攻め」で興味の対象が広がってからはさらに輪王寺が面白くなった。

何も知らなくても見どころを沢山抱える山内は充分楽しめるけど、
輪王寺やその周辺に関する歴史を知ればもっと現地での散策が味わい深いものになる。
以前が何も知らなかっただけに、そのギャップがいと楽し。

時計を見ると、もう14:30になろうとするところ。
や~ば~い~。
予定の行程をすべてこなそうとすると、結構かかりそうなんだよな。
日の短い時期だから、残り1時間くらいにとどめておきたいんだけど・・・
と言っても、この次来るのがいつになるかはわからないので
せめて行けるところまでは行っておきたい。

仕方ないので、とりあえず三仏堂の脇にある綺麗なトイレで用を済ませてから
輪王寺のメインエリアを後にする。

日光といえば、東照宮。
が、わたくしは東照宮にはほとんど立ち寄ることはないけど、
家光の大猷院へは必ずと言っていいほど行く。

長年通う中で、時には年に2~3回来ることもあるので、
山内だけでも2~30回は来ているだろう。
だいぶ前には車で山の上に上がったあと山内に立ち寄って
大猷院だけ行ったこともある。

つまりは2~30回の訪問の中で大猷院に行かなかったのは
ホントの数えるほどの回数しかない。
5本の指には納まるだろう。

今回はお護摩を受けた分、行動できる時間も制限されて
その上この後の行程に時間がかかりそうなので大猷院は予定から外した。
ので、大猷院大好きのわたくしにしては異色の日光詣ででもある。
それもこれも、勝道さんという大きなテーマがあったればこそ・・・

※「史跡探勝路8」へ続きます。


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最終更新日  2014年12月27日 21時18分59秒


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