戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年12月30日
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カテゴリ: 日光写真館
は~、やっと仕事納めじゃ・・・

少し前から風邪ぎみで体調が悪かったのですが、今日はかなり気分が悪くて
帰りに寄ったスーパーでヤマザキの2コ入り300円のショートケーキを見て

「今日は頑張ったから、ごほーびに
コレ買って帰ろうかな・・・」


と手に取ってから

「ちょっと待て!
ワタシの1年間のごほーびがコレか!?」


とチープな自分に苦笑いしました。
いや別に最初からケーキを食べたかった訳じゃないし、
このまま寝込んだら買い物にも行かれないかもしれないから
買っていこうかと思っただけで、1年間ケーキを我慢して最後の最後に
2コ300円のケーキにたどり着いた訳でもないしさ・・・


おとといからは 貞子 がうちに来てます。
しばらくは三姉妹でにぎやかですが、我が家の中では貞子はわたくしを
モーレツに愛しているので、仕事から帰ると愛情モロ出しの大歓迎で
デカい身体で迫ってくるのでキズだらけです


さて、前回は「叡山攻め」で学んだ仏教史をベースに
日光の歴史をざっとおさらいしましたが、歴バナついでにもうひとつ。

少し前にわたくしにとっては衝撃的な一文を読みまして、
どこでそれを読んだのか忘れたので先週の土日は手持ちの資料から
その箇所を一生懸命探しておりました。

結局お目当ては見つからなかったんだけど、

それは天海が「鎌倉以降途絶えていた皇族山主を復活させた」というもの。

こういう表現自体は世の中にゴロゴロあふれてるし、
特別目新しいものではありません。
寛永寺シリーズでは寛永寺の創建と輪王寺宮のスタートについて
あれこれ考えてきましたが、その頃のわたくしはこの平凡な文章を見ても


しかし、物事にはやはり段階があるのか、
寛永寺から日光を見ていた時は気がつかなかったものが
日光から寛永寺を見ている今、このありふれた表現が
チクッとわたくしの心に刺さりました。


天海や歴代輪王寺宮が複数の寺の山主を兼帯していたことについての疑問や
当時考えたことは 「上野第二編(56)」 にまとめてますが、
今この記事を読み返すといいところまで行っていたのに
なんで気付かなかったんだろ~!って我ながら歯がゆくなります。
まあ、しょうがないよな。
そういうことを積み重ねて今があるのだ。

寛永寺の呪縛を離れて日光をメインに考えてみる方が
案外素直にもろもろの事象が納得いくように思えてきたのですよ。
まずは輪王寺宮の誕生。

天海が日光の復興に着手した時、天海の拠点は喜多院だった。
衰微していた日光を復興させたことで、日光では天海を尊崇している。
で、当の天海は日光の伝統を尊重する形で復興させていき、
イエアス(の骨)を日光に遷座させた際も日光の慣習に倣うスタイルを取った。

これは、天海が実際に日光入りして山内の気骨やら歴史やら霊地の雰囲気を
肌で感じ取った結果だったんじゃないだろうか。
喜多院に拠点を置きながらも、天海は日光をかなり気に入ったんじゃないかと思った。

そして、そういう日光を昔の姿で再び繁栄させたかった・・・
輪王寺宮の誕生は、「平凡な文章」そのままに「鎌倉期の皇族山主の復活」
だったのかもしれない。
考えに考えた結果が実に平凡なものだったというのは
過去の記事でも何度か経験済のわたくしですので、別にへっちゃらです。
ただちょっとばかり拍子抜けではありますが

前に考えてたことと大して違わないじゃん?て思うかもしれませんが、
全然違うんですよ~!

前に考えていたのは、宮を迎える目的は他のところにあって
山主兼帯が鎌倉の皇族座主の例にならった、というもの。
今は鎌倉期の皇族座主を復活させることが目的そのもの、という考え。
目的と手段が完全に入れ替わっちゃうんです。

輪王寺宮は特殊な方で、単に「坊さんが2つの寺を兼務していた」ってレベルじゃない。
まあ、実際には 「三山管領宮」 だから3つの寺のトップでもあるんだけど、
やっぱり宮にとって重要なのは日光輪王寺と寛永寺。

宮についての記述は、寛永寺側からは「日光を兼帯した」という表現であり、
日光輪王寺側からは「寛永寺を兼帯した」という表現になる。
まあこれはある意味当然だよな。
どこの国だって、世界地図は自分の国が地図の中心にあるものなのだ。

宮についてはわたくしは寛永寺サイドから入っているので、
「寛永寺山主の『上野の宮様』が日光を兼帯していた」という感覚だったんだけど、
宮の誕生が「日光における皇族座主の復活」だったのであれば、
さて寛永寺と日光のどちらが宮の本拠というべきなのか・・・

滞在期間でいうなら、寛永寺で過ごす方が圧倒的に長い。
将軍の日光社参のスケジュールを見ると、江戸城を出て4日目には
日光に到着しているので、宮の行程もこのぐらいの日数だろう。
日光へは年3回出張し、 「日光御鏡頂戴」 のスケジュールから考えると、
往復の日数を含めて1回に約1ヶ月の出張。
年間では約3ヶ月といったところかな。

けれど、「上野第二編(56)」で紹介した櫛田良道氏の
寛永寺と日光輪王寺はその機能が分かれていたという説は妥当だと思うので、
僧侶としての宮の仕事は年3ヶ月の日光滞在期間に集約される。
一方の寛永寺では「輪王寺宮家」の当主としての側面におもな存在価値があった。

そう考えると、「輪王寺宮」としては日光がメインだったとも言える。
ただ、寛永寺にも将軍の霊廟があったし、将軍の葬儀の導師を務めるという
重要なお役目もあったから、江戸では僧侶としての活動がなかった訳ではないけどね。
もちろん。

でも江戸と日光の「輪王寺」は菩提寺と祈祷寺という2つの側面を持っていたんだし、
歴代将軍の中で神になったのはイエアスだけ。
霊廟の管理だけだったら増上寺と同じレベルになっちゃうけど、
輪王寺宮には東照大権現に国家鎮護を祈るという特殊な任務があった。
ので、3ヶ月という短い期間であろうとも、やはり日光輪王寺での活動が
宮が宮たる存在のあかしだったと言えるかもしれない。


日光をメインに見ることでするりと重荷が取れたように感じた面は他にもあります。
それは、寛永寺の造りや周辺。

寛永寺が叡山のコピーだったというのもこれまた「平凡な文章」ですが、
これまでずっとわたくしはそれについて疑問を持ってきました。
けど、これも日光に「先例」があったんだよね~。
てか、日光にそういう例があったから寛永寺が叡山のコピーってのは
いかがなもんかと思っていたのですが。

それについては 「上野第二編(52)」 でも軽く触れてますが、
「にない堂」がその先例です。
三山のにない堂を古い順に並べてみましょう。


CIMG0250



CIMG9072



上野・東都名所上野東叡山全図(初代広重)3


最初が叡山。
次が日光輪王寺で最後が寛永寺。
輪王寺のは全体が写ってませんが、左側の渡り廊下が2つのお堂をつないでます。
まあ、日光のは渡り廊下部分が地面に付いてるので「になって」はいないんだけど、
スタイルは同じ。

日光のにない堂は三仏堂とともに円仁さんによる建立だとされます。
常行堂と法華堂という同じサイズ・造りのお堂を2つ並べて廊下でつなぐのは
ウィキペディアには「天台宗特有」とあるけど、輪王寺のホームページでは
「この形式は大変珍しい」とあり、わたくしが知っているのは三山にあるだけ。
尾張義直寄進による寛永寺の立派なにない堂は残念ながら焼失してしまったので、
現存しているのは叡山と日光だけ。
日光のにない堂は輪王寺サイドでは叡山の模倣だとしている。

つまり、叡山のコピーの前例が寛永寺以前にすでに日光にあった訳です。
日光の常行堂は江戸期の再建で、天海が日光の復興に着手した時点で
当初のにない堂が残っていたのかはわからないけど、
たぶんあったんじゃないのかな。

天海が日光に入った時にはすでに叡山の復興にも着手していたので、
日光に円仁さんの先例があるのを見て

「これ、いいかも」

ってよりスケールのデカいコピーに走っただけかもしれない、
という風にも考えました。

寛永寺シリーズを書いている時に初めて日光との関わりを知って
「寛永寺を知るには寛永寺だけを学んでもダメなんだ」と実感したものの、
相変わらず記事を書きながら考えてるので、自分の立ち位置を変えるには
やっぱり実際に記事を書いていかないと別の視点は得られないようです。
ので、「叡山攻め」に戻ったらまた新たな考えが生まれるかもしれません。

寛永寺シリーズを読んでない方は「なんで日光の記事で関係ない寺の話をするんだ」と
思うかもしれませんが、天海がスケールのデカいことをやってくれちゃったもんで、
これはもうしょうがありませぬ。

でも日光を知るにも寛永寺と叡山の知識はどうしたって必要なので、
日光を知りたいと思う方は「上野第二編」あたりもご覧になって下さいね。
叡山の記事はこれから書きます



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最終更新日  2014年12月30日 23時24分23秒


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