戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年01月17日
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カテゴリ: 日光写真館
参道はまだ奥へと続く。
が、正面のお堂にはさっきのカップルがいたので、
まず右手の方から見ることにした。

ここには小さな橋がある↓。


14史跡探勝路・滝尾神社36・無念橋


 【重要文化財 無念橋(むねんばし) 俗称 願い橋
  延宝五年八月教城院天佐掛替

  三本杉を通してご神体山の「女峯山」を遥拝するため、自分の身を清め俗界と縁を
  切ることを意味する橋であったが、いつの頃からか己の歳の歩数で渡ると女峯山頂上

  「願い橋」と呼ばれる。江戸時代までここは日光修験の中心地であったところから
  修験者(山伏)達の足腰のたんれんのため修行が原因でこうした伝承が生まれたので
  あろう。】
  (現地解説板より)

「無念」といわれると「残念無念」の無念かと思っちゃうけど、
ここのは「念が無い」の無念なのか。 
特別お願いもなかったのでずかずかと橋を渡り、奥へ進む。


14史跡探勝路・滝尾神社40


14史跡探勝路・滝尾神社38


 【享保十六辛亥年
  奉寄進石燈籠】 


鳥居の奥、玉垣の中に鎮座するのが


14史跡探勝路・滝尾神社37・三本杉


 【三本杉(神木)

  弘法大師が、この山で修行をした時に田心姫命が現われた場所と伝えられる。
  初代の杉は1699、1747、1749年と相次いで倒れ、現在の木は

  この神木の霊験を示す話があり、寛文7年(1667)鶏頭院山舜の下僕が、この
  神木を小さいと馬鹿にして、神罰を被ったという。】


 【御神木 滝尾三本杉

  古代より滝尾境内の最も神聖な処である。以前の三本杉は右側が元禄12年8月15日
  (1699年)、中央が延享4年8月27日(1747年)にいづれも静かに夜半
  突然に倒れたと古書に記されている。左側は寛延2年6月12日(1749年)夜半
  雨の中倒れたもので、手をつけづに今もそのまゝである。その時、改めて石玉垣を設け
  現在に至る。したがって、今の御神木は250~300年の樹齢である。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

現在の三本杉の前には確かに古木が横たわっているので、
一見荒れた場所のようにも見える。
ここでも「3」なんだな・・・

この時は近くにカップルがいたけど、
玉垣の奥に凛として立つ杉は神々しく、厳粛な空間。
完全に一人でいたらちょっとこわいぐらいかもしれない。

この頃にはカップルの姿は見えなくなっていたので、
彼らが陣取っていたお堂へ向かう。


14史跡探勝路・滝尾神社41・滝尾稲荷神社


 【滝尾稲荷神社

  弘仁11年(820)弘法大師が滝尾神社とともに、稲荷神社も創建。祭神は
  倉稲魂神(うがのみたまのかみ:稲荷大明神)。昭和41年9月に台風で流出したため、
  昭和43年に巴会により再建された。3月25日が例祭。5月25日の講社大祭には、
  多くの信者が集まる。昔、滝尾上人が朝のお供えを忘れると、稲荷の神が化けて出ては、
  催促したという伝説が残っている。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

お供えを忘れることなんてあるのか?
しかもこの書きっぷりだと、忘れたのは1度や2度じゃなさそうだしな

「お腹すいたよ~。
朝ごはん、ま~だ~?」


てか?

14史跡探勝路・滝尾神社42・滝尾稲荷神社



14史跡探勝路・滝尾神社43・滝尾稲荷神社



14史跡探勝路・滝尾神社48・滝尾稲荷神社



14史跡探勝路・滝尾神社44・滝尾稲荷神社



14史跡探勝路・滝尾神社45・滝尾稲荷神社


この頃、先行するカップルが脇の方から現われて参道を戻っていった。
稲荷神社から下の方を見ると


14史跡探勝路・滝尾神社49


ああ、あっちにも何かあるな・・・
神社から下へ降りていくと、こんなのがあった↓。


14史跡探勝路・滝尾神社52・酒の泉



14史跡探勝路・滝尾神社51・酒の泉


 【酒の泉

  本宮の清水(昭和24年の今市地震で消失)、薬師の霊水とともに日光の三霊水の
  一つ。弘法大師が、この泉の水を汲んで神に捧げたといわれている。この御供水
  (ごくうすい)には、酒の味があるといわれ、持ち帰って元水として酒を造ると、
  良酒ができるという。醸造家の崇敬が厚く、古くから栃木県内の酒造家たちで酒泉講が
  結成され、秋に祈る醸祭、春に報醸祭が行われる。現在は西神苑の「二荒霊泉」で
  行われる。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

今はご覧の通り玉垣に囲われているので、酒の味がするという霊水を
勝手に飲むことはできません。

この下には白糸の滝へと続く小川が流れており


14史跡探勝路・滝尾神社53


これを渡ると滝尾神社の8つのスポットをめでたくコンプリートです。


14史跡探勝路・滝尾神社54・子種石


「日光国立公園 観光とレジャー」のサイトによると、
滝尾神社の鳥居は重要文化財で棟数は「3」とある。

写真で確認できる境内の鳥居はお梶(♂)の「運試しの鳥居」と
三本杉の前の石鳥居、稲荷神社の朱の鳥居、酒の泉前の小さな鳥居、
それからここの2つの合計6棟。

お梶(♂)の鳥居は確実に「3」の中に入るけど、
残る2つはどれだろう・・・
まあ、造りと年代からいえば三本杉の前の大きな鳥居と
上の写真の奥の方にある石鳥居ってとこだろうか。

んでここは

 【子種石

  古くは、子種権現といわれた。子供が授かるように、また、安産でありますようにと、
  この霊石に祈れば霊験があるというので、今日でも参拝者が多い。】
  (現地解説板より)

開山堂脇の観音堂からここまで、歴史ある滝尾古道は
子授け・安産ロードでもあるようです。
ばぶう。


14史跡探勝路・滝尾神社56・子種石



14史跡探勝路・滝尾神社57・子種石



14史跡探勝路・滝尾神社58・子種石


この奥の方には近代の砂防工事で滝のようになってる場所があるけど、
そこまで行くには道らしい道はない。
ので、夕暮れも迫っていることだしここで引き返して
滝尾神社を終了とする。

参道を戻ると、お梶(♂)の鳥居には誰もいなかったので
表に回って運試しをしてみることにした。
え~と、何にしようかな・・・
人間ドックもそろそろ受けなきゃいけないし、年々問題の項目が増えていく上に
最近体調もかなり良くないので

「梶さま梶さま、どうか今度のドックで
悪いものが見つかりませんよーに」


とお願いごとを決めてから石を投げてみた。

一投め、全然届かない。
少し強めに投げてみても二投めも全然届かず。
三投めもかすりもしなかった。

・・・・・・・・。
まあ、しょうがない。
しかし、重文に石を投げつける行為ってのはいかがなもんかと
負け惜しみを言いながら神社を出る。

行きに石畳の道をそこそこ丁寧に見てきたから、
帰りは車道をガスガス歩こうと思って道に出ると、
そこにも小さな神社があった↓。


14史跡探勝路・滝尾高徳水神社


 【瀧尾高徳水神社由来

  この社は、奥吉野「奈良県吉野郡東吉野村」の水の宗社 丹生川上神社の御祭神罔象女神
  (みずはのめかみ)の御分霊を祀り、天照大神の姉君として水に関する一切の御神徳を
  授けられた神であります。この社は、ときの栃木県地寺 横川信夫氏により昭和52年
  11月26日県内藤原町高徳に創建されましたが、県道拡張のため平成10年6月27日
  この地に遷座され災害防止・開運の神としても崇敬されています。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

へええ~っ、丹生川上(にうかわかみ)の神!!
「叡山攻め」でずっと歴史を追ってきた中で、日照りの時には黒馬を、
長雨の時には白馬をしょっちゅう丹生川上の神へ奉納してきてたから
もういいかげん覚えちゃったよ。

ま、勧請自体はずいぶん最近のことだけどね。
日光にまで丹生川上神が進出してたことを初めて知って、
わたくしの意識がまた1300年昔の彼方へぐ~んと引き込まれました。


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最終更新日  2015年01月17日 21時31分57秒


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