戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年01月25日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
延暦寺会館脇の凍った雪道の危険なダンジョンを通過して
次に目指したのがこちら↓。


叡山1・蓮如堂


円仁廟からスタートしてここまでの道筋と現在地はこちら↓。


叡山1・東塔4-4



叡山1・蓮如堂2


 【蓮如堂

  蓮如堂は、浄土真宗第八祖蓮如上人が18歳のころ、ここで念仏の修行をしたと
  いわれ、貧困時代に信徒の弥七同行がお茶と、はったい粉を持って訪れ、修行姿の


  「本願は、たのめよ南無の一つ橋踏みはずしなば三途川底」

  と呼んで弥七を教化されたといわれます。堂内には蓮如上人在山時代の尊像と、
  本願寺第八世を継がれた頃の尊像が安置されております。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

法然の次は蓮如(れんにょ)さんです。
蓮如さんもほかのゆかりの地で書きますので、ここでは関係することだけ。

よく知られているように、浄土真宗の祖とされる親鸞は
公然と妻帯し、その子孫たちも同じくその血を伝えた。
性欲は人間の本能とはいえ、いちおう女犯戒というのがあるし、
女を囲う僧侶はいてもあくまでタテマエは「キヨラカな身」だった。
それを堂々とオッケーとしたのが親鸞で、教義的に妻帯可とした唯一の宗派。


父・存如が正妻を迎えた際に母はいずこかへ去ったという。
蓮如が5歳の時だった。

親鸞の死後、一時は真宗はかなり衰えたようで、
蓮如のジイちゃんの頃には青蓮院(天台宗)の末寺となっていたそうな。

むか~し、吉川英治あたりの親鸞の小説を読んだ時、

「青蓮院の君」として出てきてたよな。
慈円は親鸞やその師・法然を庇護したとされるので、真宗との関係も深いらしい。

永享3年(1431)、蓮如16歳の時青蓮院で得度し、中納言広橋兼郷の猶子となる。
同じ年、親鸞足跡を尋ねて比叡山に登った。
そしてここ東塔の地で21歳まで5年間を過ごしたという。

「貧困時代」と解説にあるけど、存如の長男として生まれながら、
幼い頃に実母が去り継母に育てられたこと、実家の本願寺自体が
苦しい状況にあったことが関係しているのかもしれない。

本来出家というのは俗世での縁をすべて断ち切って修行に励むというものだったが、
時代が下るにつれ貴族の子弟なども多く仏界に入り、
「第二の世俗」とも言うべき状態になる。
『沙石集』を著した無住などに代表されるようないわゆる「遁世僧」は、
一旦出家して「第一の世俗」を抜け出たあとでさらに「第二の世俗」の
官僧の世界からも抜け出した僧侶のことを指す。

『今昔物語集』には高貴な女性が叡山のナントカって僧に帰依して
仏前にお供えする金品やら僧侶の衣食住を世話したって記述もある一方で、
「比叡山の貧しい僧侶がうんたら」って話もあるから、
出家した身といえど世俗からの援助などによって
実際の修行生活にも差が出ていたものと思われる。

我が子に跡を継がせたいという母の思いはいつの時代も同じことで、
正妻の子でなかった蓮如は一時は本願寺を継げないカモ、という場面があった。
ので、実家からの援助も期待できなかったのかもな、と思った。

信者からの差し入れの はったい粉 をぐるぐる混ぜながら
ここでひもじく修行したのか~。
このエピソードから、蓮如は「麦粉上人」と呼ばれたそうな。

本願寺大躍進のきっかけを作り「中興の祖」とされる蓮如さんだけど、
精力的だったのは布教だけではなく、5人の夫人に27人の子をもうけた。
弥七の差し入れに蓮如は涙を流して喜んで食べたというので、
のちの精力的な活動を支えた一端がはったい粉だったのかと想像して
ちょっと口元がゆるむ


比叡山十六谷のうち、東塔は東西南北の谷と無動寺谷の計5つの谷に分けられ、
根本中堂・文殊楼などのもっとも観光客で賑わうメインエリアの裏手にあたる
この場所は「北谷」という。
天海の僧坊 があったのは南谷。
北谷は主要堂宇のすぐ近くにあるというのに、観光客にはほとんど会わなかった。


叡山1・蓮如堂3



叡山1・蓮如堂4


扁額の上にある蟇股↓。


叡山1・蓮如堂5


正面に向唐破風を付けたお堂はなかなか立派な造りだけど、
北谷での蓮如の修行は竹の柱にムシロの壁のお堂という
実に簡素どころじゃないものだというので、今ある蓮如堂は近世以降の建築だろう。
正面の戸にはガラスが入っているので、後世の修築か、近代の建築なのかもしれない。

さてこの蓮如堂、戸には「ご自由にお入りになってご参拝下さい」とある。
ので、どっこいしょと座り込んで登山靴を脱いでから戸に手をかけようとしたら、


叡山1・蓮如堂6



めんどくさいのを我慢して山靴脱いだのに!
そりゃないべ~・・・


くうっ、仕方ねえ。
戸にはくもってるガラスとくもってないガラスの2種類が入っていたので、
くもってないガラスから中を覗く。
撮影禁止とは書いてなかったので、ガラス越しに写真を撮らせてもらった。


叡山1・蓮如堂8


ふう、とりあえず中が見られたからいいか・・・
また座り込んで登山靴を履いてから蓮如堂を出ると、
真ん前にはこんな碑があった↓。


叡山1・蓮如堂9


うん?これ法然堂のことだよな・・・
なんでこんな場所に?

しかしよく見ると、文字の上にはうっすらと方角を示す手の絵が描かれている。
あ、法然堂へはあっちへ行きなさいって意味か。
現代風の解説版に加え、山内のいたるところにはこうした碑がある。
ぱっと見、碑のあるところがその旧跡なのかとも思ってしまうので、
ちょっと注意が必要だな、と思った。


蓮如堂から道なりに奥へ進む。
この先はカーブになっていて、カーブの先の道路脇の斜面の雪には
てんてんと動物の踏み跡がついているので↓


叡山1・虚空蔵尾本願堂跡5



これはかなり小さい動物だよな、とアニマルトラッキングしてたら、
斜面の下の遠いところに何かあるのが目に入った。


叡山1・虚空蔵尾本願堂跡4-2


なんか、石碑みたいのが建ってる?
ぐい~んとカメラをズームしてみると、


叡山1・虚空蔵尾本願堂跡3



叡山1・虚空蔵尾本願堂跡2


「本願堂旧跡」・・・
あっ、あれ、最澄が最初に庵を建てたって場所じゃ・・・

石碑には一部読めない箇所もあるけど、

 【伝教大師初入山●●
  虚空蔵尾 本願堂旧跡】

とある。
虚空蔵尾(こくぞうお)なら間違いない、
あそこが叡山におけるすべてのスタート地点だ。

この場所は観光案内図には載ってません。
大体の位置はこんなとこです↓。


叡山1・東塔4-5


喜んでるピンクの人間がわたくしで、蓮如堂からカーブを曲がった先の場所から
見下ろす形になります。
道路にも本願堂跡を示す看板などはないので、知らなければ見落とす可能性大です。
わたくしもはっきりと本願堂跡の場所をつかんでいた訳ではなかったので、
これはラッキーでした。

この石碑は平成21年秋、天台座主の揮毫によるものらしい。
石碑自体は新しいものだけど、周囲には基壇のようなものがあるし、
こちらに面して入口のような跡もある。
そしてその正面に灯篭が一本立っていることから、
最澄が当初草庵を結んだ時の遺構ではないにせよ、
ある程度の時期まではあそこに立派なお堂が建っていたものと思われる。

とりあえず手持ちの資料では、元禄16年(1703)に他の堂宇とあわせて
大がかりな修理が行われたということまでしかわからない。

本尊は薬師如来。
初代座主となる義真も本願堂で修行をしたという。

あ~、あそこまで行けないもんかなあ。

周囲を見回しても下へ通じる道はないし、
ここから直行するにはガードレールを乗り越えて
うっすら雪の積もった急な斜面を下りなければならない。
それはさすがにちょっとな・・・

それにしても、現在の東塔のメインである場所より一段下がった
東谷や北谷へ庵を構えてもよさそうに思えるのに、
さらに下がったあんな場所にまず落ち着いたのか。

ちょっと意外にも思えたけど、『叡山大師伝』には
松の下・岩の上に坐しセミの声を聞き読経を響かせ、石を部屋とし草を堂とした、
てな様子が書かれているので、草庵といっても最初はごく簡素なものだったろうから
雨風をしのぐには高い露出した場所よりくぼんだ場所の方が都合良かったのかも
しれないな、とも思った。
あの裏手には小さな沢もあるしね。

でも元々水っぽい場所のようだし、大雨でも降ったら水びたしになってたカモ・・・


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最終更新日  2015年01月25日 22時42分59秒


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