戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年02月23日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
浄土院の参拝者用入口にある解説↓。

 【宗祖伝教大師ノ創建ニシテ御自作ノ阿弥陀佛ヲ安置ス故ニ浄土院ト称ス
  弘仁十三年六月四日大師入滅ノ後御遺骸ヲ此処ニ葬リ廟堂ヲ建立ス萬治
  四年徳川家光公之ヲ改造セラル】

元亀の法難で堂宇などはすべて織田軍に焼かれ、
「唯一残った建物」というのが山内にある。
けど、浄土院まで焼くかなあ。

ただ、家光の時代に新しい廟堂が建てられたという部分は事実なんだろう。
もちろん、天海が建て直したってことだろうけど。




叡山2・東塔・浄土院4


おおお~、砂の部分にはきれいに筋目が付けられ、
むろん落ち葉もゴミも落ちてない。
門をくぐった直後から感じる清浄な空気に加え、
心をこめて「地獄」の掃除に取り組む侍真さんのことを考えて
身が引き締まる思いがする。

わたくしが入った時には誰もいなくて、
写真の右端に一部写っている噴水のようなものだけが
ちゃぷちゃぷ水音をたてている。

その水音でさえ別の世界の音のような、
音は聞こえているのに完全な静寂の中にいるような、


塀沿いの細い道をたどってまずは正門へ向かう。


叡山2・東塔・浄土院5



叡山2・東塔・浄土院6



叡山2・東塔・浄土院7



叡山2・東塔・浄土院8



叡山2・東塔・浄土院9



叡山2・東塔・浄土院10



叡山2・東塔・浄土院11



叡山2・東塔・浄土院12



叡山2・東塔・浄土院13


素木の美しさに見とれながら振り返ると、そこが拝殿へ向かう四半敷の参道↓。


叡山2・東塔・浄土院14



叡山2・東塔・浄土院15


ほっ、日本建築というのはなぜにこんなに美しいのだろう・・・


叡山2・東塔・浄土院17



叡山2・東塔・浄土院18



叡山2・東塔・浄土院19


輪宝紋、輪宝紋・・・ 
正面の扉にも。


叡山2・東塔・浄土院23



叡山2・東塔・浄土院24



叡山2・東塔・浄土院26



叡山2・東塔・浄土院25


大棟にも↓。


叡山2・東塔・浄土院36


扉の上↓。


叡山2・東塔・浄土院20



叡山2・東塔・浄土院21



嬉々として写真を撮りまくっていると、人の気配がした。
振り向くとカメラを持ったガイジンの姉ちゃんが立っていた。
ので彼女に道を譲ってお堂の周辺を先に撮ることにした。

お堂の前には銅灯篭がある↓。


叡山2・東塔・浄土院27


浄土院はさすがの貫録だけど、門からここまでのトータルのバランスを考えると、
ここにこーゆー灯篭があるのはちょっとそぐわない気がする。
しかも銅灯篭でこの造り・・・
寛永寺(上野東照宮を含む)でさんざんこのテの灯篭を見てきたので、
誰にでもこんな灯篭が造れるものじゃないってことは、灯篭オタクのわたくしにはわかる。

これってもしや・・・と敷石から出ないように注意しながら灯篭を覗き込むと、


叡山2・東塔・浄土院28



叡山2・東塔・浄土院29



叡山2・東塔・浄土院30


やっぱり!!
タダ者じゃないというわたくしの読みは当たった。
ちょっと待ってよ、これ誰の奉納だ!?

「掃除地獄」において敷石から外れて全方位から観察する訳にはいかないんだけど、
幸いこの灯篭は参道から見える部分に奉納者の銘があった。 
右から

 【明王院住持兼功徳院尚志
  東叡山執職 建×
  見明院住持権住心院●●】

東叡山・・・やっぱり寛永寺だああ~!!
●は難しい漢字で字そのものがわからないもの。
「兼」も難しい漢字で推測しただけですが、前後の銘から考えて
たぶん「兼」で合ってると思います。
で、×は写真が切れてて写ってない部分。
おそらく「建立」とあるんじゃないかと思いますが、
たとえば天海は家光をスポンサーにして山内の堂宇を復興させたし、
輪王寺宮の関連で江戸期に徳川家から灯篭が奉納されたとしても不思議はない。

でも、ここにある銘は輪王寺宮のものじゃない。
輪王寺宮が誕生する以前の寛永寺住職の天海・公海でもない。
「執職」とあるから必ずしも寛永寺のトップとも言い切れないけど、
もし輪王寺宮がおわす時代だったら宮の名前を刻んでしかるべきだろう。
ので、確実に江戸期の奉納じゃない。

だけど、笠には葵の紋が付いてるぞ・・・
それに、明治以降の寛永寺にこれだけのものを奉納する余力があったのか?
ちょっとここで、イヤな想像が頭をかすめた。

葵の紋が付いてるからといって、葵紋入りの灯篭のすべてが
徳川家、あるいは松平家からの奉納という訳じゃない。
上野東照宮にある数々の大名家からの奉納の灯篭にも
葵の紋が付いてるものがあった。

そして、当初あった銘にプラスして新しい銘を刻んだと思われる灯篭も
天海の毛髪塔 にあった。

ここから、どこぞの大名家からの奉納銅灯篭の銘を消して
寛永寺の名を新たに刻んでここに寄進したんじゃないかという
世知辛い推測が浮かんだ。
銅灯篭は御三家も寄進しているけど、笠の一部分に共通する特徴がある。
ここのはその特徴と合致していないので、御三家よりは大名家の寄進の灯篭に
近いタイプだという気がする。

こんなこと書いたら寛永寺サイドから名誉棄損だ!と怒られちゃうかもしれないけど、
これまであちこちの灯篭を観察してきたシロートの素朴な妄想です。
実際は寛永寺が奮発して新しく造ったものかもしれないし、
全方位から観察できた訳でもないので、ホントのところはわかりません。


この記事を書いた数日前、ちょっと近場でお出かけをしてきました。
寺へも行ったもので、つい習慣で灯篭観察もしてきたのですが、
あっ、あれすごい!あれはタダ者じゃない!!と思って銘を見たら、
なんと寛永寺から放出された灯篭でした。

寛永寺だけじゃありません。
増上寺のもありました。
そんな情報は事前につかんでいなかっただけに、これはオドロキでした。

わたくしの灯篭観察の出発点は寛永寺だったがために、
日光や叡山のような歴史ある寺にある灯篭がシンプルだったのが意外でしたが、
寛永寺でさんざんお殿様たちからの灯篭を見ているうち、
そういうハイクラスの灯篭を見分けられる目が養われたようです。
あ、ここでいう日光は霊廟部分を除いた日光って意味ね。

もうね、ホントに格が違うんですよ。
いかにも金かけてるな~ってカンジで

先日見つけた放出灯篭はどれも石造りでしたが、
遠目から見てもすぐにわかりました。

まして、銅灯篭ともなればどんだけ金をかけてるかわかったもんじゃない。
そういう最高級品を、しかも明治期以降の寛永寺が葵の紋を付けて造るってのは
ちょっとわたくしには考えられない。
だから、浄土院の銅灯篭も「寄進」という形で放出されたものなんじゃないかな~って
想像をしてみました。

もし本当に大名灯篭からの転用品であれば貴重な寛永寺の遺物ってことになるけど、
だとしたら銘を抹殺された大名はどちらのお殿様だったのだろう・・・


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最終更新日  2015年02月23日 22時15分49秒


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