戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年05月20日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
康保3年(966)に良源さんが54歳で天台座主に就任した時、
源信は24歳。
その翌年、六月会に 広学竪義者1名の設置が朝廷から認められる 。
さらにその翌年(968)から横川で広学竪義者となるための
勉強のシステムが組まれた。

応和の宗論のあとから横川の良源さんの住房では四季に講会が行われており、
春は花厳(華厳)経、夏は涅槃経、秋は法華経、冬は大集経を講するというもので、
この四季講会のうち春と秋に竪義が加えられるようになったが、

まず四季講会を6~7年務める必要があるという実に厳しいものだった。

上記リンク先でも書いたように、東塔と西塔では横川のような練習の場を設けたという
記録がないようなので、晴れの竪義者となる意欲のある者にとっては
厳しくとも横川のシステムは魅力的だっただろう。
「絶倫」とも評された横川のヌシのもと、我こそはと思う僧たちが集まって研鑽を積み、
叡山の教学面でも復興の機運が訪れていた。

そういう中、源信が六月会での広学竪義を務めたのが天延元年(973)、
31歳の時だった。
横川で竪義のシステムが生まれてから5年。

 【いわば、良源の定めたコースを忠実に歩いてきたわけで、その間にはたして勧学会に

  ありえないことではないと思うものの、現在のところでは決め手がないというより
  他はない。】
  (「源信の生涯と思想」川崎庸之/『日本の名著4 源信』より)

鴨長明の『発心集』には源信が空也を訪ねたという記載があるそうでね。
まあ念仏ブームの噂なんかは源信も色々耳にはしていただろうけど、

それまでは必死こいて勉強している期間だったろうとは思うけどね。

その5年後、36歳の時に現在知られている中で初の著作となるものを書いている。
これは『因明論疏四相違略註釈』というものだそうで、

 【因明とは論理の学問をいい、中でも「四相違」というのは一種の矛盾論で、「論議決択」
  の場には欠くことのできないものである。だから、この時期の学僧は、競ってその
  研究に従事したもので、(中略)因明の研究は、ある意味でいわば、一つの時代の
  流行でもあったわけである。】
  (前掲書より)

で法相宗の碩学なんかも因明研究の著述を残しているんだそうな。


11世紀後半から12世紀初めに生きた大江匡房は一条天皇の時代の
各ジャンルの傑物を挙げて「天下の一物」と評しているそうなんだけど、
仏教界は4つのカテゴリーに分類してそれぞれの「一物」を計15人挙げている。

4つのカテゴリーは有験(うげん)・真言・能説・学徳でこのうち「学徳」のトップに
挙げられているのが源信。
四哲のひとり、檀那流の覚運も「学徳の一物」に入ってます。
ちなみに、15人の宗派の内訳は真言が3人、法相が1人で残りはすべて天台。
のちの虎関師錬(こかんしれん:臨済の僧)は

台嶺の教法は此時を盛となす

とも評したそうで、15人のうち11人までが天台僧だというのは
実にすごいことだと思います。
具体的には

 有験・・・真言1、天台2
 真言・・・真言1、天台1
 能説・・・真言1、法相1、天台2
 学徳・・・天台6

となっているので、学徳においては天台の独壇場。
まあこれも、良源さんの施策が功を奏したとも言えるワケでしょうな。

この他にも、天台や他宗には名僧と言われる方達もいたけど、
ひとまずこの15人は名実ともにエリート中のエリートとも言えるでしょう。
中でも、学徳トップの源信は師の路線の中で知識を深めていった秀才。
因明研究の著述も、そういう源信の学徳を物語るものと思われます。

のち、長和2年(1014)72歳の時に源信が書いた願文によると、
それまでの生涯での成果は

 念仏・・・20俱胝(くてい)遍
 大乗経・・55,500巻(「法華経」8千、「阿弥陀経」1万、「般若経」3千余等)
 大呪・・・100万遍(「千手呪」70万、「尊勝呪」30万)

この他に「弥陀」「不動」「仏眼」などの呪を少々唱えたという。

「俱胝」とは聞き慣れない語ですが、インドの数の単位で1000万だそうな。
つまり1000万×20で2億
ただ、『三省堂 大辞林』には【漢訳仏典はしばしば億と訳す】ともあるので、
源信が自己申告した念仏の回数は20億だったのかもしれない。

実に驚異的な数ですが、まだ話が念仏までたどり着いていないので、
ここでは読んだ大乗経の数を紹介したかっただけです。
これらの合間に書いたものが数部数十巻あると自分で言っているので、
勉強熱心な学僧だったようです。


さて、因明研究の著述と同じ年、源信は播磨へお出かけしたそうな。
旅の目的は書写山にいる性空(しょうくう)聖人を訪ねるというもの。
性空さんは良源さんの弟子だったが、その後日向や筑前で修行したといい、
名声の誉れ高い聖だった。

性空さんは別のところでまた顔を出すかもしれませんが、それは今は置いといて
この性空詣での旅には連れがいた。
まずは村上天皇の子である具平(ともひら)親王。
それから天台僧。
ほか数人がいて、慶滋保胤(前回参照)もこのメンバーの1人だった。

源信と保胤が初めて会ったのかがいつかはわからない。
ただ、少なくとも天元元年(978)には顔見知りになってはいた。
具平親王はウィキペディアには【一条朝における文壇の中心人物】とあり、
保胤に師事していたともある。

具平親王は

」

てなことを言っておられるんだけど、たまたま播磨へのお出かけで一緒になったのではなく
具平親王の言う通りなのであれば、保胤と源信の出会いはこれより遡る可能性もある。


天元4年(981)源信39歳の時、第2の著作となる『阿弥陀仏白毫観法』を著す。
鎌倉新仏教以後に生まれたわたくしたちは、念仏といえば

なんまいだ~(南無阿弥陀仏)

と唱えることだと考える人がほとんどだと思いますが、これは「称名念仏」というタイプのもの。
そもそも念仏とは「仏を念ずる」もので、ウィキペディアの解説が比較的わかりやすいと
思うので引用しますと

 【「仏」とは、この場合「仏身」、「仏名」の意味がある。「仏」を「仏身」とみる場合、
  具体的な仏の相好(そうごう)とか仏像とかとみる時と、仏の本質的な実相の理をあらわす
  法身(ほっしん)とみる時とでは、「念」の意味もおのずから変わってくる。法身を念ずる
  場合は、それは「理を観ずる」のだから、念は憶念、思念、心念などの意味である。
  具体的な仏や仏の相好にむかえば、それは生身や像身の色相(すがたかたち)を観ずること
  であるから、念は観念の意味が強い。仏を仏名とみれば、名は称えよぶものであるから、
  念は称念の意味とみるべきである。】

「理を観ずる」というのが「観想念仏」と呼ばれるもので、
ひらたく言うと頭の中で仏の姿を思い描くことをいう。

わたくしは『阿弥陀仏白毫観法』は読んでませんが、のちの著述から類推するに、
観想念仏、それも初歩的な作法についてのハウツー本だろうと思われます。

ちょっとここまでの流れを並べておきましょうか。

  応和3年(963:21歳)応和の宗論・空也の経供養。
  康保元年(964:22歳)勧学会始まる。
  康保3年(966:24歳)良源、天台座主。六月会に広学竪義を置く勅許が下りる。
  天延元年(973:31歳)源信、広学竪義を務める。
  天元元年(978:36歳)『因明論疏四相違略注釈』を著述。書写山に性空を訪ねる。
  天元4年(981:39歳)『阿弥陀仏白毫観法』を著す。

源信36歳の時まではエリート学僧にふさわしい経歴となっている。
『因明論疏四相違略注釈』は同門の僧の勧めによって書いたとされるものの、
自発的な著述でなかったにせよ高い学識がなければ因明研究の本なんて
書けないでしょうから、ここまではまあ順当に「学徳」を積んできたと言えるだろう。
それが、因明研究の著述からわずか3年後には観想念仏という
かなりカラーの違う本を書いている。

もちろん念仏が低レベルだなんて言う訳じゃないんですが、
論議決択に必須の内容と極楽往生のためのノウハウを述べた本の内容が
かなりかけ離れた内容であることは誰しもわかるでしょう。

言ってみればこの頃を境に源信は鮮やかな転身を遂げたワケで、
この劇的な変わり方が大変興味深いと思ったので
ここまで源信の経歴を紹介してきました。

源信だけじゃなく、のちの浄土教の巨人・法然房源空も
実は相当な知識の持ち主だった。
教義を究めるような秀才たちがひたすら弥陀の慈悲を願う浄土信者に転向したことは、
実に興味深い・・・

源信について言えば、空也や勧学会、そして保胤が大なり小なりの影響を与えたと思われる。
まあ空也や勧学会が源信と直接の接点を持ったかはわからないけど、
間接的な影響があった可能性は充分にあると思うし、
保胤とは遅くとも36歳までには面識があった。

それから、叡山浄土教の存在。
実は良源さんにも浄土関係の著述があると言われ、
それが本当に良源さんの著述なのかわたくしは意見を保留にしているのですが、
良源さんが直接書いたものではなかったにせよ、良源さんの在世中にそういう著述が
生まれていたことは事実で、源信以外にも叡山の中で
浄土ブームが起こりつつある時期だったということはできるだろう。

そういう世間の流れと源信の転向が、恵心僧都源信の名を広く長く世に知らしめることになった
あの大作へとつながっていくのです。


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最終更新日  2015年05月20日 22時55分32秒


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