戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年07月14日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
 【毘沙門堂

  護法山と号する天台宗の門跡寺院で、春の枝垂(しだれ)桜と秋の紅葉が美しい
  山科の名刹として知られている。
  寺伝によれば、大宝3年(703)に上京区の相国寺の北に創建された出雲寺が
  起こりと伝えられ、延暦年間(782~805)に最澄(伝教大師)が自ら作った
  毘沙門天を安置したことから、毘沙門堂と呼ばれるようになったという。

  平安末期以降、度重なる戦乱で荒廃したが、天台宗の僧・天海とその遺志を継いだ
  弟子の公海により、江戸時代の寛文5年(1665)に現在地に再建された。
  その後、後西天皇の皇子・公弁法親王が入寺し、以来、皇族や摂関家の子弟が

  左奥の宸殿は後西天皇の旧殿を賜ったもので、狩野益信の筆による、見る角度に
  よって目や顔の向きが変わる「天井の龍」や、逆遠近法で描かれた「九老之図」などの
  襖絵が有名である。その奥には、晩翠園と名付けられた池泉回遊式庭園がある。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

ん~、ほとんど過去の記事で書いた内容だけどね。
過去の記事をおさらいしたい方はこちら↓。

「上野第二編(23)」 「叡山攻め(76)」 「輪王寺7」 「輪王寺13」 など。

少し前に別件で京都市内の地図を見ていたところ、

「出雲路ナントカ」となっているのに気がついた。
(阿弥陀寺のリンクを貼ろうとして、記事を公開してないことを思い出した)

阿弥陀寺なんかは相国寺の真東にあたるけど、相国寺より北の位置にも
「出雲路」を冠する地名があるので、出雲寺は賀茂川付近にあったのかもしれない。


それでは、極楽橋を渡って境内に入ります。


叡山4・毘沙門堂9


付近にあった境内図↓。


叡山4・毘沙門堂10・境内図


おお、門がいくつもあるぞ~。
さすが、格式ある寺は違うな。
あと、こんな標識もあった↓。


叡山4・毘沙門堂11


ここから山道を歩いていくのかな?
山道を歩いて蹴上まで2時間程度で着けるのか?
ホントに?

境内域に入ると、なにやらカラフルなのぼりが・・・


叡山4・毘沙門堂12


・・・なんかちょっと、想像してたのと雰囲気違うんだけど
上の写真の右手に白壁の塀が写ってますが、


叡山4・毘沙門堂13


ああ、うん、維持管理もホント大変だよな~
この塀には小さな門が付けられてるんだけど↓


叡山4・毘沙門堂15


門の前に出る道は通行止め↓。


叡山4・毘沙門堂14

一段上がると奥へも道が続いていてつい行きたくもなるけど、


叡山4・毘沙門堂16


ここはまず手前の階段を上がって中心部へ。


叡山4・毘沙門堂17


ああ、う~ん、なんだか・・・
参道をまっつぐ上がる手前の右手にはなにやら色々ある↓。


叡山4・毘沙門堂18


奥にある赤いお堂が地蔵堂で、ちょっとだけ立ち寄ってから参道へ復帰。


叡山4・毘沙門堂19


結構段数あるな
重い身体をどうにかマイ足で上まで運び上げると、そこが仁王門。


叡山4・毘沙門堂20


あ~あ~、なんだかずいぶんと庶民的になっちゃって・・・
格式のあるお寺なんだから、こんな風にしなくてもいいのに。
フツーの寺ではない歴史を知っているだけに、個人的には気に入らない。
が、人様の経営方針にケチをつけちゃいかんな。

仁王門ですから、もちろん両脇には仁王様がおわします。


叡山4・毘沙門堂21



叡山4・毘沙門堂23


ふむ、なかなか。
毘沙門堂のホームページによると、
この仁王様は寛文5年(1665)の造立だそうな。


叡山4・毘沙門堂24



叡山4・毘沙門堂25



叡山4・毘沙門堂26


朱がまぶしいぜ・・・
比較的近年の修繕ぽいな。
えっと、これも仁王門だったかな↓。


叡山4・毘沙門堂27



叡山4・毘沙門堂28



叡山4・毘沙門堂29


仁王門をくぐって中へ入ると、右手には手水舎とその奥は庫裏かな?


叡山4・毘沙門堂30

手水舎は華奢な細い柱と重そうな屋根のバランスがイマイチだけど、
妻のあたりは結構古そうに見える↓。


叡山4・毘沙門堂31


水盤に水を供給しているのはお決まりの


叡山4・毘沙門堂32


すごい形相だな
お口をずっと開けてると疲れませんか?
で、こちらが仁王門を入ったところの正面↓。


叡山4・毘沙門堂33


あいにく、工事中だったようで(2014年1月現在)。
仁王門と同じく朱のまぶしい唐門に近寄ってみると


叡山4・毘沙門堂34



叡山4・毘沙門堂35



叡山4・毘沙門堂36



叡山4・毘沙門堂37



叡山4・毘沙門堂38



叡山4・毘沙門堂39


日光と寛永寺に通ったわたくしには大変見慣れた系統の意匠が
あちこちにちりばめられていた。
しかも、飾りの中にはさりげなく葵が施されていたりして、
徳川将軍家の肝煎りで復興して繁栄した寺だという歴史を静かに物語っている。

宮萌え~で行ったのに、仁王門までがあまりに庶民的でイメージが違っていたので
正直テンションがかなり下がっていましたが、ここでまた復活しました。

しかも、遠目には組まれた足場や看板に埋没してて気が付かなかったけど、
唐門まで来てふと脇を見ると


叡山4・毘沙門堂40


あっ、銅灯篭!!
灯篭なんか誰も観ないと思ってか、上の写真の通り
あろうことかこの銅灯篭に看板なんかもたせかけちゃって大変ジャマですが
できる限り観察しました。


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最終更新日  2015年07月14日 22時52分16秒


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