戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年08月04日
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カテゴリ: 江戸めぐり
こちらが本堂↓・・・になるのかな?

そちらの中には入ってないけど、たぶんホールのようになってるんじゃなかろうか。
法事とかならお隣の方でやりそうだけどね。


入谷・眞源寺25



入谷・眞源寺26



入谷・眞源寺28



入谷・眞源寺30



入谷・眞源寺32



入谷・眞源寺33


賽銭箱は鶴かと思いきや、


入谷・眞源寺34



変わった紋だな・・・
これ何だろ?
パイナップル?カブ?(笑)


入谷・眞源寺35


中からは読経の声が聞こえてくる。
一通り写真を撮り終えた頃、読経が止んだのでガラス越しに中を覗いてみたけど、
あまりよく見えなかった。

デカい提灯の脇に2つ鰐口が下がってますが、
わたくしがこのお堂の脇にいた頃、若めの姉ちゃんがお参りに来た。


カン!カン!

と左右の鰐口をそれぞれ連打して一心になむなむしてた。
ええ、両方叩くのがここの作法かえ?

向かって右側の海老紅梁(えびこうりょう)は


入谷・眞源寺36


これだけだと、なんかすげえなってだけでよく構造がわからなかった。



入谷・眞源寺37


ん、紅梁にまたがってる?
で外側に回ってみると


入谷・眞源寺40


ああ、なるほど。
紅梁に巻きつくデザインになってるのか。
あまりにダイナミックすぎてぱっと見わからなかったわ。
このテの紅梁はわたくしは見たことないな。


入谷・眞源寺39


ここまで写真を撮ってからお参り。
もちろんわたくしは1つの鰐口だけを叩きました。
フツーは2つ鳴らさんじゃろ・・・

お堂の脇には自販機のおみくじがあったので、100円投入。
「吉」だけど、内容はすこぶるよかった。
ただしそれは前半だけで、

 【しかれども信心よわくして法謗のさまたげあらばみなむなしかるべし。
  その時くやむとも甲斐有べからず。】

・・・・・・・・・
「信心よわく」はいいとして、フツーおみくじで
「法謗のさまたげ」なんて言葉出すか?
まあわたくしもシロートなもので好き勝手書いてますよ。
時には大乗を誹謗してるような表現もあるかもしれませんよ。
でも、わたくし自身は誹謗してるつもりはないし、
故意に何かをおとしめようとかの悪意を持って書いてる訳じゃありません。

それどころか、仏教史は面白いし、特に原始仏教的部分については
充分現代にも通用する内容だと思うので、わたくしと同じブッチーの方々にも
それなりにわかりやすく紹介してるつもりなんだけどな・・・

意外なおみくじの内容に少々憮然としながら本堂に背を向けると、
そこにあるのがこれ↓。


入谷・眞源寺42-2



入谷・眞源寺41


あ、賽銭箱と同じ紋だ・・・
野菜っぽいけど、手持ちの家紋の本などを見てもこれに似たのはなかった。
カブとも大根ともちょっと違うみたいだしな。

さて、眞源寺はこれで終わり。
もうもうもう~のもうそ(猛暑)なので、もうムリ~。
寛永寺は今回パス!!
もろもろのお礼参りをしたかったんだけど、
軟弱なわたくしを許して、良源さん

今さら取り返してもしょうがないけど、上野に戻ったらいちおう遺失物預かり所へ行って
わたくしの失せ物がないか聞いてみるつもりだったし、
恒例の上野みやげ、 マミーズ・アン・スリールのパイ も買うつもりだったけど、
もうこれ以上このクソ暑い中を歩きたくない。

もう12時少し前で、都内の史跡めぐりでも食糧持参で歩くわたくしですので
今回もドーナツなどを持ってきてはいましたが、このクソ暑い中
公園などで食べる気にもならん
お腹もすいてきたので、とっとと入谷駅へ退散する。

地下鉄日比谷線はその昔わたくしが通勤に使ってた路線で、
このまま上野とは反対方向の北千住まで行けば常磐線に乗り換えられる。
ので、北千住からまっつぐ帰るつもりで日比谷線に乗り込んだものの、
三ノ輪を過ぎて

次はあ~、南千住~

の車内アナウンスが入って、はたと思いとどまった。
南千住からでも常磐線に乗り換えできるじゃん・・・
南千住なら駅からすぐのところにアレがあるじゃん・・・
と考えて、入谷から2つめの南千住で降りた。

もうね、クソ暑い中を歩くのがイヤで寛永寺をパスしたというのに
南千住なんかで降りちゃって、魔が差したとしか思えませんね。
だって、これから行こうとしているのは「新春はケージョーから」を書いた後に
やっぱり行くのはやめようと思った場所なんですから。

南千住を電車で通る機会のある方は最後のお目当てがどこか
すぐにわかるでしょうが、日比谷線からJRの駅に向かう途中の道の向かいに
早速お目当てが見えた↓。


南千住・回向院



南千住・回向院2


遠目にもすぐそれとわかる、デカい葵の紋。
ここは


南千住・回向院4


 【回向院

  回向院は、寛文7年(1667)、本所回向院の住職弟誉義観(ていよぎかん)が、
  行路病死者や刑死者の供養のために開いた寺で、当時は常行堂と称していた。
  安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら多くの志士たちが
  葬られている。明和8年(1771)蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが、
  小塚原で刑死者の解剖に立ち合った。後に『解体新書』を翻訳し、日本医学史上に
  大きな功績を残したことを記念して、大正11年に観臓記念碑が建立された。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

はいはい、この付近は有名な小塚原(こづかっぱら)の刑場だったんですよ。
ただ、電車から見えるので線路沿いにこれがあるのは知っていたけど、
事前の下調べなどはせずにまったくの思いつきでここへ来たので、
本所の回向院 の兄弟分だとは知らなかった。

寛文7年なら、本所の回向院ができてからまだ10年だな。
その頃には実質的な本所回向院の住職・ 信誉上人貞存 から代替わりしていたのだろうか。

回向院のすぐ近くには日比谷線が通っている↓。
この少し先で電車は地下へ入っていくのだ。


南千住・回向院5


回向院の前には史跡めぐりの案内板があって、それを見ると
わたくしが行こうとしているのは回向院の中にあるんじゃないみたいだけど、
せっかくだから寄ってみることにする。

それにしても、橋本左内や松陰先生の墓がここにあるなんて知らなかったぞ。
小伝馬町のあの「穴」 に首を落とされてからこちらに移されたのか?
『お~い!竜馬』(原作:武田鉄矢、作画:小山ゆう)だと確か
高杉ら門弟が遺体を引き取りに来て、高杉が遺体にかぶせられたむしろをめくると
お首がなかったので

「首はどうした!首は!!」

とかって叫んで皆で雨の中大泣きしてたけどな・・・
「穴」のリンク先でも書いてますが、橋本左内・頼三樹三郎とも
小伝馬町で亡くなられてます。
思いがけず墓参りをすることになろうとはね・・・

回向院の入口にはお地蔵様が立つ↓。


南千住・回向院8


現地には何も書いてなかったのでフツーのお地蔵様かと思ったら、
昭和38年に下谷で誘拐・殺害された吉展ちゃんを供養するために
建立されたお地蔵様なんだそうな。

ああ、やっぱ回向院だ・・・



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最終更新日  2015年08月04日 23時49分16秒


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