戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年08月06日
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カテゴリ: 江戸めぐり
回向院の入口の門扉には


南千住・回向院9


とあり、見上げると


南千住・回向院6


とある。
ほお、史跡か。
ここはピロティを抜けられるようになっていて、中へ進むと何やら碑があった。


南千住・回向院10


 【蘭学を生んだ解体の記念に


  見に来た。それまでにも解体を見た人はあったが、玄白等はオランダ語の解剖書
  ターヘル・アナトミアを持って来て、その図を実物とひきくらべ、その正確なのに
  おどろいた。その帰りみち3人は発憤してこの本を日本の医者のために訳そうと
  決心し、さっそくあくる日からとりかかった。そして苦心のすえ、ついに1774年・
  安永3年8月に、「解体新書」5巻をつくりあげた。

  これが西洋の学術書の本格的な翻訳のはじめでこれから蘭学がさかんになり、日本の
  近代文化がめばえるきっかけとなった。さきに1922年推進医会が観臓記念碑を
  本堂裏に建てたが、1945年2月25日戦災をうけたので、解体新書の絵とびらを
  かたどった浮彫青銅板だけをここへ移して、あらたに建てなおした。

  1959年 昭和34年3月4日第15回日本医学会総会の機会に
   日本医史学会

   日本医師会】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

南千住についてはさらっと行きたいところですが、
松陰先生の遺体の埋葬について少し調べてみたところ、
そこでも「腑分け」(ふわけ:解剖のこと)が出てきたので、

当然のことながらどんなものにも歴史があるもので、
ちょっとだけ学んだことを書き留めておこうかな。
コワい話じゃなくて医学の話だと思えばいいんだ。そうそう。
医学、いがく・・・


小伝馬町の牢屋敷から刑の執行のためにここ小塚原まで引き回されるあたりは、
鼠小僧 のところでも少しだけ書いてますが、松陰先生のように小伝馬町で刑を受けた方もいたし、
小塚原や鈴ヶ森などの処刑場へ連れていかれた方もいたと思われる。
石出猛史氏によると、身分の高い囚人以外は小伝馬町で刑が執行されて
遺体が小塚原に運ばれたというけど、小塚原でまったく刑が行われなかったという訳でも
ないようなんだよね。

刑にも色々ランクがあり、引き取りを許されるケースもあったようだけど
多くはそのまま「取り捨て」・・・つまり埋葬も許されず
簡単に土をかぶせた程度だったので、雨が降ったりすると簡単に遺体は露出し、
当時の主な刑死者の埋葬地ではかなりすごいことになっていたらしい。
要するに江戸期の江戸の刑場は仕置き場であり埋葬地で、
ために、ここ小塚原もかつては「骨ヶ原」と呼ばれていたそうな。
ただ、小塚原の場合は罪人だけじゃなく、江戸市中で斃れた牛馬なども
埋葬されたようなんだけど。

『江戸幕府による腑分の禁制』(石出猛史/千葉医学)によると、
日本の歴史の中では基本的に遺体に傷をつけたり損壊を与えるような行為は
タブーだったようで、実際に江戸期にそれが明文化されていたのかどうかは
見解の分かれるところのようだけど、現実的には腑分けは何度も行われていたようで、
杉田玄白らが立ち会ったのが本邦初ではないらしい。

医学的立場からも、江戸期に腑分けを特に認めてほしいといったような
嘆願があったようなんだけど、腑分けにはライバルがいた。
それが処刑人として有名な山田浅右衛門。

浅右衛門は遺体を使って刀の試し斬りもしていた。
幕府によって遺体の損壊を認められているケースを「御様御用」というそうで、

 【小伝馬町牢屋敷で行われた御様御用には、囚獄石出帯刀・腰物奉行・町奉行所の
  与力らも立ち合った。従って牢屋敷における様し斬りは、将軍家の刀剣の利鈍を
  試すために行われたものであった。山田浅右衛門は小塚原回向院裏手の仕置場でも
  様し斬りを行っている。この様し斬りは大名・旗本などからの依頼で行われたもので
  あろう。】
  (前掲論文より)

上つ方の依頼によって様斬(試し斬り)をすることは公認されており、

 【山田浅右衛門にとって様し斬りとは次のような意味をもっていた。(1)家業である
  剣術流派「据物斬」の維持存続と弟子の指導(2)刀剣類の鑑定(3)罪因の遺体から
  取り出した胆嚢を薬種(人胆丸)として独占販売すること。(2)(3)は浅右衛門の
  重要な収入源であった。そのため、浪人でありながら高禄の旗本並の生活振りで
  あったといわれている。】
  (前掲論文より)

熊の胆のう・・・いや胆汁かな、がいまだに現代の中国で漢方薬になるからとして
生きたまま胆汁を取り出している行為を動物虐待だといってうんたら、って番組を
以前アニマルプラネットか何かで観たことあるけど、こっちは人間の胆のうか
象のフンの丸薬 とどちらか選べと言われたらどっちがいい?(笑)


杉田玄白らが立ちあった腑分けが本邦初でないのなら、
なぜ彼等は功績を称えられるのか?
これは杉田ら以前の腑分けとは違っていたからなんだそうな。

そもそも杉田ら以前の腑分けの具体的な記録はほとんど残っていないらしく、
なんで残されなかったのか明確な理由はわかっていないようだけど、
それ以前に腑分けに立ちあっていたのは幕府の医師だった。

でもその医師たちが直接解剖を行ったのではなく、
実際に解剖行為をしていたのは当時「えた・非人」と呼ばれていた人たち。
手慣れた彼等は身体を開きながら「これは○○、これの名前はわからない」てな風に
立ちあいの医師たちに説明をしていったらしい。

ただ、当然医学的見地から腑分けに参加していたにも関わらず、
幕府の医師たちはただおとなしく聞いていただけで質問などはしなかったそうな。
疑問がなくて質問しなかった訳じゃないようなんですよ。
彼らの教科書は中国の医学書だったので、実際の人体と彼らが学んできた医学書とは
違う箇所もあり、



なんて思いながらも、質問はしなかったらしいのだ。
あるいはその立場上、できなかったのかもしれないけど。

杉田らの時も、自分達で直接解剖をした訳ではなく、解剖のプロにお任せした。
なんでも、非人の虎松という人が解剖にたけているとのことで
虎松に腑分けを依頼していたのが、当日虎松が具合が悪くなったので
90歳にもなる虎松のジイ様が腕前を披露したのだという。

ここまでは幕府の医師たちと同じだけど、杉田らは西洋の医学書の
ターヘル・アナトミアを持っていた。

若狭小浜藩の医師であった杉田玄白はオランダ語の勉強はしなかったそうなんだけど、
小塚原で一緒に腑分けに立ちあった中川淳庵からターヘル・アナトミアを見せられて
その内容に驚き、高額な本のため藩にお金を出してもらって
ターヘル・アナトミアを手に入れた。
前野良沢も同じ本を手に入れていた。

杉田らが参加した腑分けより20年ほど前には
京都で山脇東洋という人が腑分けについて紹介しており(ただし、山脇東洋の腑分けが
本邦初でもない)、東洋医学と西洋医学のどちらが正しいのかを
見極めたいと考える者たちが増えていた頃だったのかもしれない。

さて、腑分けに立ちあった者たちはおのおのの所持する本と逐一見比べながら
ターヘル・アナトミアの記述の正しさを自分の目で確認し、
また解剖人に質問なども浴びせたという。

「こんな風に質問したのは、あなたたちが初めてですよ~」

と解剖人は言ったそうな。

ウィキペディアの杉田玄白のページには『解体新書』の複製の写真が載っていて、
そこには骨格の詳細な絵が描かれている。
腑分けって骨まで切り刻んでいくのか?と思ったら、やはり腑分けは臓腑までで、
一連の見分が終わったあとで

「じゃあ、ついでに骨も見ていくか~」

ってことでそこらに転がっていた骨を観察してから帰ったらしい。

それで

「これは後世のためにぜひとも翻訳しなきゃならん!」

と気負って翻訳に取りかかったそうなんだけど、
まあ言葉もロクに知らないし、訳に困るような場面もあったりして
色々大変だったらしい。
それでも、「神経」や「軟骨」などという新しい語を生み出しつつ、
正確な翻訳に務めたそうで、これ以後蘭学が盛んになったという。


ちなみに、杉田らに人体の内部を見せたのは「青茶婆」(あおちゃばばあ)と
呼ばれていた女性の囚人で、これは養育費を目当てに子供を引き取っては
殺していたという極悪人だそうな。

前掲論文によると試し斬りに用いられる遺体には制限があって、
「士分、社人、僧徒、婦人、剃髪ノモノ、及ビ悪瘡ヲ患フル者、非人ノ類ノ如キハ、
其用ニ供セズ」と決められていたそうなんだけど、青茶婆は老女。

 【医師からの強い要望によったものか、あるいは様し斬りの対象から除外されて
  いたために、腑分に供されたものであろうか。】
  (前掲論文より)

また、同じ石出猛史氏の『江戸の腑分と小塚原の仕置場』によると、
江戸にいくつかあった刑場のうち、腑分けが行われたのは
ここ小塚原と小伝馬町の牢屋敷だけだという。



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最終更新日  2015年08月06日 23時43分28秒


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