戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2015年08月17日
XML
カテゴリ: 旅日記(近畿)

  居合わせた者たちで涙に袂を濡らさない者はいなかった。

  寛永寺にも宮の御宝塔を建てることになったようで、ようやく法要が終わると
  その供養が行われた。
  まことに、宮が長生きされることが世の助けともなるべきお方だったことは
  世の人にもよく知られたことなので、私がここでくだくだ言うことでもないだろう。

  聞くところによると、寛永寺では四七日(28日め)の法要に法華経の頓写(写経)が
  行われ、水原検校が平家物語を吟じ、導師は霊山院大僧正の恵寂が務めたが、
  宮の御在世中のことなどを表白で述べた時には皆涙で袂を絞ったという。

  五七日(35日め)には逮夜から当日にかけて法華八講が行われたが、同僚の坊官である
  吉川養盛がその日詠んだという御追善の歌が感慨深いので、ここに記しておこう。

   <五七日に当たる日に詠める>
よる昼とわかぬ涙の露のまに
            三十余りのいつかへにけむ


  六七日(42日め)の逮夜にも論議が行われ、西方浄土の阿弥陀仏は法身仏(絶対的な真理
  そのものの姿)なのか、応身仏(時に応じて様々な姿で現れる)なのかという議題だったと
  聞いて一首。

 四十余り八の誓の数をたに
            君か齢とおもふかなしさ


  そして私も御追善のための連歌を詠もうと思う。

    大明院准后一品親王は正徳6年3月の24日、山階へ発たれ、4月5日に毘沙門堂の
    御寺に入られた。6日に体調が悪くなられ、同じ月の17日に薨去された。
    千年も長生きしてほしいと常々神仏に祈り、このたびのご病気には特にあらゆる
    仏天に病気平癒の願かけなどをした甲斐もなく、にわかにこのようなことになって
    しまったので誰もがただ茫然として驚き嘆いたことは言うようもない。

    宮が寛永寺に住んでおられた間は、不思議なる御果報にて堂塔伽藍の建立や
    数多くの写経をなされ、比叡山飯室谷の安楽寺を律院と定めて僧を置かれた。
    また宮の御母君が眠る(百萬遍)知恩寺には永代の追善料を贈られ、さらに
    故母君に正三位の位を贈ることを奏上されて、天台宗のみならず人々にも
    恵みを与えられるという御徳行は世間の知るところである。

    まさに『心地観経』の一節にある「欲知過去因見其現在果」(過去の因縁を知ろうと
    欲するならば、現在の果報を見よ:浦井正明氏の訳より)の通りであるから、
    御自身の積善によって宮はすみやかに安養の浄土に至り、上品蓮台に住まわれることは
    疑いがない。

    去年の秋、山階にておん自らの墓所として塔を建てられ、死後はここに葬るようにとの
    仰せだったが、今こうして宮が薨去されたことを思えば、すでに十界一如の悟りを
    得ているお方だったので、生死をも自在に考えておられたのだろう。
    宮は本来いるべき浄土の都へお帰りになったのだと思いつつも、宮を失って悲しむ
    我らの心は一体いつの世のどんな時になったら嘆きを忘れられるのだろうか。

    せめてもの御追善にと連歌の百韻の初折(はつおり・しょおり:一巻の最初の一句)の
    面のうち6句に「南無阿弥陀ふ」の字を置いて書きつらねてはみたが、
    もともと私は愚かな上に、ましてこの頃では句を考えていても御在世中の宮の面影が
    思い出されて、悲しみだけが胸に満ち広がって涙に目はかすみ、筆の置きところも
    わからないぐらいなのでどうやって句を吟じようか。

    師匠に添削してもらおうかとも思ったが、魂が抜けてぼんやりした状態なので
    人と話すのも物憂い。だからこのままで私の思いを手むけにと宮の御霊前に捧げよう。
    飾り立てた言葉の誤りがあればそれは翻してただ宮の御菩提の善縁となさせ給えと
    三世(過去・現在・未来)の仏に申し奉るものである。

       なけゝ世は卯月のかけの雲隠
       むかしを忍ふやまほとゝきす
       あちきなし花橘の香は消て
       みきりの草そあめにしほるゝ
       たゝしはし休ふ旅の中やとり
       ふくと吹なりせきのあさ風

    限りない嘆きを込めて詠むのは実に悲しいことだ。筆の行くべき方さえもわきまえない
    ままに表の6句ばかりを写しておく。このほかにも、唐や大和の歌なども多く
    あるのだが、ここには書かない。

我もまたことのはくさの手向山
              明ぬ暮ぬと涙ながらに


    坊官の法印養盛がこの巻を開き見て、「老いの涙とは実にとどめ難いものだ」と言って
    一首詠んだ。

誠あることはの花の手むけこそ
              仏の国に雨とふるらめ


    そして私も一首詠む。

一とせもまた過やらてことのはの
              むかし語りと成そ悲き
     (終) 



こうして薗田秀延が操を立て・・・いへ、忠義を尽くした公弁法親王へ、
尽きない涙を手向けとした手記「手むけ山」は終わる。

正徳6年(1716)4月17日に亡くなった公弁法親王の後を追うように
7代将軍・家継も4月30日に薨去したため、同年6月22日には正徳から享保へ改元。
その2ヶ月後には8代将軍・吉宗が誕生する。
まるで宮の四十九日が明けると同時に一つの時代が終わったかのような流れとなる。

秀延はこの年の冬に40歳で引退する。
「手むけ山」に出てきた同僚の吉川養盛などは引き続き公寛法親王に仕えたようだけど、


手記の最後、連歌の前書きの部分ではとめどない悲しみをつづっているものの、
宮のお墓に直接お参りできたことで秀延の中では気持ちにひと区切り
ついたんじゃないかな、って気がする。

というのも、帰路では天気がいいからと矢橋から舟に乗ってみたり、
歌もちょっと洒落てきたりと気持ちに余裕が出てきたような印象があるのだ。
浦井正明氏も、悲しい言葉を連ねてはいても帰りは少し物見遊山的なところがあると
言っておられる。

吉川養盛については具体的なことはわかってないのかもしれないけど、
引退後に上洛したというから、宮のお墓へもお参りしてるんじゃないだろうか。

お別れはいつの世でも悲しいものだけど、
これだけ尽くせる主人に出会えたことは彼らにとって幸せなことだったろう。




「209」 で載せた写真と同じですが、これが道路っぱたから見える墓所の全景↓。


叡山4・毘沙門堂130


最初はここから望遠で撮ったりして奮闘していたのですが、
なんとか奥の墓の方まで見たくて玉垣沿いに歩いていったらば
上の写真の奥の方に写っている唐門の前に出られたので


ただ、ほとんど手当たり次第に写真をばんばん撮っていったので、
ちょっと墓の位置関係までは覚えてません。
ので、順不同になりますが判別できた墓を紹介していきます。

まずはこちらが墓所の正門にあたる唐門↓。


叡山4・毘沙門堂138


戸には大きな菊の御紋。
宮内庁からのお掃除隊はまんず脇の小さな門から入るんでしょうから、
この門は皇室などから正式な使者が来る時ぐらいしか開けられないのかもしれない。


叡山4・毘沙門堂140


叡山4・毘沙門堂141


叡山4・毘沙門堂142


で、こちらが門の正面付近にある公弁法親王のお墓↓。


叡山4・毘沙門堂145


叡山4・毘沙門堂143


叡山4・毘沙門堂144


前回の記事にあったような、秀延が見たそのままの墓石がそこにある。
輪王寺宮は漢文風の呼び方では「東叡大王」という仰々しい名称になることは
「上野第二編(19)」 でも紹介してますが、これは寿塔だから
公弁法親王おんみずからも「大王」という名称を使っていたらしいことがわかる。

手記で秀延は宮が自ら撰した文章を刻ませたものがあると書いてるけど、
脇に碑らしきものは見当たらない。
「大明大王塔」とある石は6面ぐらいの角材のようだけど、
「大明大王塔」の向かって左隣の面にはなにやら碑文らしきものが
うっすらと見えるので、これのことかもしれない。

寛永寺に建てられたという公弁法親王の塔はたぶん両大師にある
例のガードの固い墓所 内にあるんだろうけど、
秀延の手記からも公弁法親王の場合は寛永寺にあるのが供養塔で、
宮ご自身は間違いなくここに眠っておられる。

秀延の当時は墓所はここまで整備されてなかっただろうし、
秀延の立場としてはいちおう公寛法親王および寛永寺一山の名代でもあるから、
わたくしのように遠いところからではなく、墓石のすぐ近くで
宮が生きていた時と同じようにぶつぶつと語りかけていたのだろう。

男のロマンだなあ。(えっ、違う?)



にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年08月17日 23時24分39秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: