戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年03月12日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
続いて、御目見得以下の奥女中。


(14)御広座敷(おひろざしき)

(7)の表使の下働きという立場で、
ものによっては御目見得以上の役職という説明もある。

広敷向と女性エリアを分ける出入口は2箇所あり、
(10)の御切手書の所で書いた「七ツ口」は長局への出入口で、
御殿向との境には「御錠口」という出入口があった。

広敷向から御錠口を入ってすぐの場所には「御広座敷」という部屋があり、
老中などの表役人が御年寄と対面したり、御年寄が女中に採用を言い渡したり
ということに使われた部屋のようだけど、そこに詰めて表使の指示を受けて


また、諸大名家の女使が来訪した時に御膳を整えたりした。


(15)御三之間(おさんのま)

御広座敷とどっちが立場が上なのかよくわからんのだけど、給料は御広敷と同じ。

この役職の守備範囲は広く、まず「三之間」という部屋以上の部屋の掃除。
御台ちゃまのお風呂のお湯を担いで運び、湯加減を整える。
火鉢や煙草盆などを小姓に渡す。
御年寄・御客応答・御中臈などの高級女中の用事をこなす。
(9)の御次とともに、イベント時には盛り上げ要員として活躍した。

役職としては御目見得以下だけど、旗本の娘が奉公に上がると
まず御三之間からスタートしたという。

御台ちゃまのスケジュールのところでは書きませんでしたが、
御台ちゃまがお目覚めになると各部屋にそのことが通達される。


「六ツ半どき(午前7時)お目覚め、


と言いながら触れ回ったんだそうな。

余談ですが、

「御台様、御病気御大切」

という知らせが大奥へアナウンスされると(御三之間が触れ回ったのかは不明)、
御台ちゃまはすでにこの世の人ではない。
通達から3日後に公式発表がなされ、『図説 大奥の世界』によると


  (きょくろく)と呼ばれる椅子に腰掛けさせて、将軍との水盃の式が行われる。
  その後、柩に遺骸を座らせ、腰から下は抹香、上には朱を詰めた。】

というから、埋葬前の遺骸の各始末は大体将軍様と同じってことだな
( 「上野第二編(53)」 参照)。
ただ、すでに硬直が始まっている遺骸をどうやって座らせたのかが
相変わらず気になるところだけど。
まあ、死の直後だったら脳からの指令がすべて失われてぐにゃりとして
とても座らせるどころではないとは思うけどね。

曲禄というのは、もとは貴人の座る椅子という意味だったそうなんだけど、
現在でも寺などで使われている。
寺で行われる各種の法要の際にも使われるし、禅宗などに多い高僧の等身大の木像が
腰掛けているのも曲禄。
御台ちゃまももちろん、 平川門 から出て将軍家菩提寺である寛永寺か増上寺で
葬儀が行われ、葬られる。


(16)御仲居(おなかい)

御膳所で献立にもとづいてすべての煮炊きを担当する。

ほかの役職の場合、必ずしも職務上必要とされる技能を採用時に求められた
という訳でもないようなんだけど、御仲居の採用にあたっては技能試験があったそうな。
わたくしが読んだところでは、手の平に乗せた豆腐を同じ大きさにそろえて切ったり、
大根の千切りをしたりといった試験科目があったんだという。

とはいっても、これも一種の儀式みたいなもんだったともいうので、
よほどのぶきっちょさんでなければ採用された後にOJTでウデを磨いていったのだろう。

料理担当らしく、「お鯛」「お蛸」というように
御仲居は魚にちなんだ愛称で呼ばれたというから面白い。


(17)火之番(ひのばん)

これも役名のまんまの役割で、昼夜を問わず大奥内をパトロールして火の用心に努める。

江戸城内では大小あわせてさまざまな規模の火事があり、火災による死者も出ている。
いかに豪華とはいえ、城内の御殿は木造平屋建てでしかも規模が大きいので、
一旦御殿から火が出れば大事になる。
ゆえに火の取り扱いには神経を使い、同じような役職は大奥だけでなく表向・中奥、
それから二の丸や西の丸といった各御殿にそれぞれ設置されていた。

大奥火之番の主な役職は火の取り締まりだが、希望すれば遊芸のお稽古をすることもできた。
芸が上達すれば、御次・御三之間と共に大奥内でのイベントに演者として参加する道もあった。

ところで、芸事といっても色々あるけど、少なくとも江戸後半の大奥では
初期の頃の武家風よりは公家風に転換していただろうから、
「女性のたしなみ」といわれて現代の私達が思い浮かべるお茶やお華、歌舞音曲のほか、
学識や儀礼作法などの教養も求められる。

たとえばお茶会が開かれる時は当番が各部屋に華を生けて回ったというし、
歌会や能・狂言も開かれた。
ここでいう能や狂言というのは、劇団を招いて大奥内で興業をさせたという意味ではなく、
奥女中による興業をさす。

身分の壁があるから、上から下まですべての女性役人が幅広い諸芸を求められた訳でもないけど、
旗本出身の女中であれば昇進するにはより高い各種教養を身につけることは必須だろう。
昇進に限度のある女中でも、芸術的センスがあってその方面で上達すれば
何もしないよりは昇進のチャンスがある。

あと、昇進に関わったかはわからないけど、大奥では武家らしく長刀の鍛錬も行われた。
広敷役人にも警固役という側面はあったけど、大奥の女性エリアへ入ることのできる
男性役人は限られていたし、入ることのできる男性役人もイベントの時だとか
一時的なものに限られていたので、女性警固団を作る必要があったのかもしれない。

なんでも、大奥内に道場が設けられて長刀のお稽古をしたらしいんだけど、
柄が長くて簡単に扱えるものでもなく、うっかりすると柄が着物の袖に入ってしまって
危ないので真剣そのもので練習に励んだという。
御三之間や火之番などが訓練したというから、
武芸の鍛錬に励んだのは御目見得以下の女中が中心だったのかもしれないな。


(18)御茶之間(おちゃのま)

御台ちゃまのお食事中に湯茶を整えて差し上げるお役。


(19)御使番(おつかいばん)

(7)の表使の下につき、広敷向との間にある御錠口の開閉を管理して
ヒトやモノの出入りを監視したほか、外部との取り次ぎを担当。


(20)御末(おすえ)

「御半下」(おはした)ともいう。
奥女中の最下級に位置し、あらゆる雑用をこなす。
代参のお伴もした。

御三家や御三卿の正室が大奥へ入る時も広敷向の玄関を使ったようで、
その時は御末が御広敷から御三之間まで駕籠を担いだ。
水汲みなどの下働きらしい仕事も職務に含まれていたので、
力のある者が選ばれたといい、毎日駕籠を担ぐ練習をしたんだそうな。


と、ここまでが御目見得以下の女中の職務内容で、
それぞれに違いはあっても「下女」と呼ぶのがふさわしいような役どころ。
でもここまでは女性役人なのだ。

下っぱであろうとも将軍様や御台ちゃまのお側近く仕えるのだから、
基本的には武家の娘が奉公に上がるというタテマエがあるものの、
町方の出身でも大奥で働くことはできた。
しかし、

「 奥女中募集!!

憧れの大奥で、貴女も働いてみませんか?
初心者歓迎、高級優遇いたします。
さらに、強運の持ち主なら将軍御生母という大昇進も可能
お問い合わせは江戸城広敷向事務局まで」


な~んてチラシが世間に出まわるハズもない。

自分から応募する場合、まずは「宿元」という身元保証人を立てて
コネを使って大奥へ入る。
宿元が御目見得以下の身分であれば、大奥での身分は御目見得以下にとどまる。

が、御目見得以上の女中を目指す抜け道があって、
御目見得以上の旗本などの養女になってコネを使えば、
御目見得以上の女中になることも可能だった。

もちろん、町民や農家の娘がタダで有力者の養女になれるハズもなく、
上を目指そうとするほどカネはかかる。
江戸も後期になって町方の経済力が強くなってくると、
礼金を目当てに旗本や御家人の方から養子縁組を持ちかけるケースもあったそうな。

養女にした娘が大奥で出世すれば、養父にも利益が還元される。
その最も有名な例が、最近人気ドラマ『大奥』で沢尻エリカが演じた
お美代の方(11代将軍・家斉の側室)で、この人はなんと日蓮宗僧侶・日啓の娘だった。

実の両親の元ではなく、町人に育てられたお美代はやがて美しく成長し、
中野清茂という小納戸役300俵取りの旗本の家に奉公に上がる。
お美代の才知に期待した中野清茂は、お美代を自分の養女として大奥へ上がらせる。
するとたちまち将軍のお手がついて側室となり、清茂は300石取りの小納戸頭へ昇進、
さらに300石を加増されてついには2000石の新番頭にまで昇り、
お美代のバックアップもあって将軍の信任を受け、絶大な権勢を誇った。

ついでに言うと、お美代の実父・日啓が住職を務める中山法華経寺の子院・智泉院は
将軍家御祈祷取扱という栄誉をゲットしている。

ま、そんな大チャンスをつかめるのはほんの一握りだったものの、
大奥で奉公すれば本人の華々しい経歴ともなるし、
退職して嫁に行く段にはそのステータスが有利な条件ともなる。

また、裕福な商家に生まれてお嬢様として育った娘には、
嫁入り前に貴人のもとで行儀見習いをさせ、
わがままいっぱいに育った性格に我慢することを覚えさせるという目的もあったともいう。

身分の低い者にとっては、大奥での大出世を目指すという見果てぬ夢よりも、
嫁入りに有利となる経歴を身につけるという現実的で堅実な目的を持って
大奥入りを目指したケースの方が多いのかもしれない。

なにしろ、女性役人の最下級である御末でさえ、
一歩城の外に出れば「御殿女中」。
町人や農民の娘が武家の家に奉公に上がるというだけでもハクが付いたのに、
将軍様や御台ちゃまのお側近く仕える江戸城大奥での勤務というのは、
当時のパンピーの女性にとっては最高のステータスとなって
本人や親兄弟も鼻高々だっただろう。

大奥へ奉公するルートとしてはまだ他にもありますが、
それはこの後で紹介します。



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最終更新日  2016年03月17日 22時49分03秒


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