戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年03月14日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
ここまで、大奥を支え運営する女性役人について紹介してきました。

大奥の御殿女中を「役人」と表現して書く歴史ファンはあまりいないと思いますが、
大奥には役人以外の女性達も住んでいたので、あえてこういう表記をしています。
役人とそれ以外とはどういう意味か?

ここまで紹介してきた女中たちは、幕府に採用されて幕府から給料をもらっている。
だから役人。
幕府に採用されていない女性がなんで大奥に住んでいるのか・・・
それは、女中たちのプライベートな生活にあります。
奥配置

これまでのおさらいも兼ねますと、黄色の広敷向が男性役人の職場。

紫が御殿向で、「将軍」「御台」とあるところが
将軍様と御台ちゃまのそれぞれのお部屋。
御台ちゃまのお部屋を職場とする高級女中もいるけど、
身辺のお世話以外の大奥の運営に携わる女中たちの職場が
「御殿向」の文字の周辺あたりの部屋。
そして、ブルーの長局向が奥女中たちの生活空間。

長局に青のラインを入れてますが、これは大きな廊下で
これを通って長局にある自分の部屋から御殿向の各自の詰所まで「出勤」していた。
長局から右手に廊下が延びているのは、時代によっては4棟などという
長局が右の奥の方へずらっと並んでいたからです。


ランクの高い女中ほど御殿向に近い長局に住んでいたようです。

長局では、自炊。
その奥女中の生活を支える女中たちが長局に住んでおり、
「又者」とか「部屋方」などと呼ばれる。
歴史ファンには「陪臣」と言った方が理解が早いでしょうが、

自分の世話をさせていた訳です。

部屋方の雇い主は御殿女中で、職場は長局。
幕府に雇われている訳ではないので、部屋方は大奥の公的な場所である御殿向などへ
行くことはできない。


長局では御殿女中たちは個人個人の部屋を持てた訳ではなく、
ランクの高い御殿女中を除いては相部屋。
たとえば一番下の御末などは20畳ほどの部屋に3~5人が住んでいたそうな。

部屋方は御殿女中の使用人だから、主人の衣裳を整えたりご飯を作ったり
生活上のこまごまとした雑用をしたり。
長局での御殿女中の生活はそれぞれ独立していたので、
ゆえにご飯を自分達で用意する必要があった。
もちろん部屋方も住み込み。

一の側にある高級女中たちの住まいとなると他の女中との相部屋ではなく、
しかも1人部屋といってもワンルームではない。
御年寄クラスなら自分用のスペースとして6部屋、部屋方用に4部屋あり、
さらに炊事場・トイレ・物置などが付く。
御年寄ぐらいになると、部屋方は20人ほどもいたそうでね。
ちなみに、トイレは女主人と下女では別のものを使った。

長局は2階建てで、1階は御殿女中とその部屋方の部屋で、
2階には居候的身分の者が住む。
広くて結構なお住まいのようでもあるけど、2階での火の取扱は一切認められず、
暖房はもとより照明のためや線香などの火さえ使えなかったそうな。


2階に住む「居候的身分」ですが、これには色々いる。

前々回「世話親」が出てきましたが、部屋の女主人を世話親とする「世話子」は
世話親の部屋で一緒に住んでいたらしい。
世話子はおもに町人や農民などパンピーの娘が対象だったようなんだけど、
本来御目見得以下の女中にしかなれない身分でも、
「引き」の強い世話親の下で行儀見習いをしてモノになりそうであれば
御目見得以上の女中になることも可能だったそうな。
ただし、その場合はそれ相応のカネがいる。

それから、御殿女中が親類縁者の娘を預かって仕込む「部屋子」というのもいて、
まあ部屋の女主人の格によってひと固まりの集団の規模には
かなりバラつきがあっただろうけど、長局はもちろん女性だけのエリアなので
ここまでは女性。

が、1人の女主人を頂点とする小グループには実は男性も含まれていた。
それが「五菜」(ゴサイ)と呼ばれる下男で、
女性陣は好き勝手に大奥を出入りできないので、女性陣に代わって
外で買い物をしたり手紙を届けたりする役目だったらしい。

「(17)」 の給料のところで出てきた「五菜銀」はこのゴサイを雇うためのお手当で、
ゴサイを雇えるのは高級女中に限られるものの、御年寄なら3人、御中臈なら1人まで
雇うことができたという。

上の図で玄関の右に長局へ延びる廊下がありますが、ここの出入口が「七ツ口」で
ゴサイはそこまでは出入りできたんだそうな。


以上、役人系と部屋方系をざっと紹介してきましたが、
大奥にはもう一種類の人種が生息している。

よく「員外」と言われるので役人系と部屋方系のどちらに所属するのかわからないんだけど、
「御犬子供」(おいぬこども)と呼ばれる女性たちがいた。
これは雑役をこなす下女で、大奥の残り物を食べていたことから御犬なんて
名称が付いたとも言うんだけど、なぜ員外なのかといえば給料がないんだそうな。

だいたい15・6~20歳前半ぐらいまでの若い女性だったらしいが、
貴人の側近く仕える華やかな大奥で給金ナシの残飯処理係だなんて、
一体どういう身分の娘たちがどういうルートで大奥に就職してどう大奥を退職していくのか、
はなはだ興味深いところではある。


さてと、今度はカネの話をば。

女中の給料はランクによってだいぶ違ってはいたけど、
世間と比較すれば女性の収入としてはかなりいい方だったんじゃないかと思う。
『大奥のおきて』(由良弥生/阪急コミュニケーションズ)では、
武家の娘が大奥に上がる理由をこんな風に紹介している。

 【旗本や御家人の暮らし向きは、腕のいい大工より悪かったのです。腕のいい大工は
  月に二十日ほど働いて一両稼ぎ、長屋の家賃を払い、食べる、飲む、着る、遊ぶという
  けっこうな消費生活を送っています。
  旗本や御家人の娘たちは生活に不自由していました。贅沢に手の届くようなけっこうな
  生活はとてもできません。つまり、彼女たちが大奥奉公へ上がることが多かったのは、
  親元が貧乏だったからなのです。】

ふむ、一生奉公というタテマエはあっても、三食付きの住み込みで
通勤費がかかる訳でもないし、生活必需品もそれなりに幕府から支給してもらえる。
給金はまずまず手許に残って、ステータスも得られる。
そういう風に考えれば確かにおいしい職場かもしれないけど、
果たして本当にそうだったのか?

歴史家の安藤優一郎氏は、新書などの手頃なお値段と読みやすい文章で、
かつ史料にもとづく豊富な話題を提供してくれる方で、過去の記事では
江戸の勤番侍 や コエビ の話の時にお世話になりましたが、
今回大奥をイチから勉強するにあたって手に入れた数冊の本の中にも
氏の『江戸城・大奥の秘密』(文芸春秋)という1冊がございます。
その中から、大奥に勤めた2人の女性を紹介しましょう。


まずは多摩郡下師岡村の名主の娘・吉野みち。
みちは身分柄、御目見得以下の女中かもしくは部屋方だったようなんだけど、
大奥に勤務している間に実家へ数多くの手紙を送っているらしい。
そしてその多くが金を送ってくれという内容で

 【送金を求めるだけでなく、父親払いで物品を購入することも稀ではなかった。
  地元多摩郡で採れた農産物を送ってくれるよう頼んでもいる。うどん粉や黒豆を、
  実家からの品として上司や同僚に振る舞うわけだ。】
  (前掲書より)


もう1人は幕府の奥医師、桂川家の娘・てや。
奥医師についてはこの後で少し紹介しようと思っていますが、
収入に比べて格はかなり高く、そういう点では高家と似たようなもんだった。

御台所の記事 で、島津家から2人徳川将軍の嫁になった人がいると書きましたが、
桂川家は島津家に出入りしており、てやは11代家斉の正室・茂姫の時の
御年寄・花町からスカウトされて花町の部屋子からスタートし、
その翌年には御中臈となって花町のみならず茂姫からも可愛がられた。

が、スカウトされた当初はてやは気が進まなかったらしい。
花町は公家の出身だったようで、島津家出身の茂姫は一旦近衛家の養女となっているので、
そういう関係で花町が下向して御年寄となったようなんだけど、
桂川家は島津家からも扶持を受けていたので、花町からの熱いラブコールを
断り切れなかったと安藤氏は語る。

大奥に上がったてやが実家の父にあてて書いた手紙が残っているそうで、
その頃の桂川家の家計は大変に苦しく、そのうえ父の甫賢(ほけん)は
実入りのいい大名家への往診を好まず、欠勤も多かった。

吉野みちの実家は裕福だったようだけど、部屋方であれ給料はもらえるのだから
経済的に自立していたと言えそうなもんなのに、父親のツケで買い物をしたり
金やモノを送ってくれとせがんでいる。

結局のところ、大奥というのは女性の最高機関である訳だから、
大奥で生活する上で大変に金がかかったらしい。
役人の最下級である御末でさえ、衣裳代という名目の給金は出る。
しかし、女性たちが集う大奥では衣裳代だけでもかなりの金がかかり、
とても給金だけじゃやっていけない。
その上、同僚への贈り物だの、宿下がりから戻った時のおみやげだのの交際費がかかり、
寺への参詣が多かった奥女中は周囲と同じ金額のお布施を用意する必要もある。

これは男性でも似たようなもんで、奥医師は将軍の診察をするお役目だから、
その格に見合った服装なども必要になってくる。
ところが、桂川家では屋敷の修繕などで費用がかさみ、
当主の甫賢は高収入のアルバイトである大名家への往診もしたがらない。
ので家計は苦しいままで、登城するための立派な衣服も用意できない。
そこで甫賢は金策に走る必要があり、そのために奥医師の職務も休みがちになる。
でも金策のために休むなんて体面上言えない。

奥医師と大奥とはごく近しい関係にあったから、父がそんな勤務状況だと
てやまで同僚から色々言われて立場が苦しくなる。
それで、気に入らなくても往診をして家計を助けてくれるように、
そうすれば欠勤しなくても良くなるんだし・・・
という切々たる手紙を父に送っている。

てやは12歳で大奥に上がり、13歳で御中臈に昇進している。
年の割にかなりの高収入になる訳だけど、大奥での生活では結構な金がかかったから、
やはりてや自身の給料だけではやっていけなかったらしい。

吉野みちのように実家が裕福であれば、実家に頼ることもできる。
が、苦しい状況の桂川家にはそんな余裕はない。
そもそも、てやが大奥へ上がることをためらったのは
そうやって実家に頼って出費がかさむことを強く懸念したからだという。
つまりは

 【実家が裕福でなければ、江戸城にせよ、大名屋敷にせよ、奥奉公することなど
  到底できなかった。】
 (前掲書より)

と安藤氏は言う。

吉野みちは異常に見栄っ張りだったんじゃないの?という見方もできる。
でも出自からしてみちが下っぱだったとは言えるだろうし、
いくら金持ちでも分を越えた大盤振る舞いは逆に周囲の反感を買うだろう。
だから、わたくしも安藤氏のお説の方が妥当だと思うんだけどね。


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最終更新日  2016年03月14日 23時20分18秒


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