戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年05月30日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
さてお次はオランダ人のヘンドリック・ドゥーフ。

この方は 「(24)」 でも少しだけ顔を出してまして、
発音としてはたぶん「ドゥーフ」の方がより原語に近いんだろうけど、
わたくしは桂川家関連でこの方の存在を知って、
今泉みねにならって「ズーフ」の表記に慣れ親しんでいるため、
以後も「ズーフ」で通します。


ズーフが江戸に来たのは1806年、1810年、1814年の3回。
この頃は参府が4年に1回の割合に変わっていたのでね。

3回分を一括した形で書いている(『日本回想録』雄松堂出版)。

ので、全体的にアバウトな内容ではあるんだけど、前回
ケンペルの頃から儀式の基本的な内容は変わってないと書いてるにも関わらず
まだオランダ人の登城について書き続けるのは、
前のケンペル・ツュンベリーとは違ってズーフがカピタン(商館長)であるから。
この後でもう1人のカピタンを登場させますが、
色々な面でやっぱり「外野」的立場である商館付医師と主役であるカピタンでは違うのだ。
ま、主要な部分はケンペルとツュンベリーの記述だけで充分かと思うので、
あまり細かくは書きませんが。

でまず服装ですが、拝謁には決まった宮廷服が定められていたとズーフは言う。

商館長はビロード、医師と筆者頭は黒繻子のマントを着るが、我々はこれを城の奥に
  入るときに、はじめて身につける。商館長だけが、黒いビロードの袋にいれた刀を、
  後ろにつける特権を得ている。それ以外は、医師や筆者頭、その他の職員、船の士官も、
  日本では帯剣を許されない。彼らは剣と銃を、船の到着の後、直ちに手渡さなければ
  ならない。ツュンベリーが、「儀式には我々が帯剣することを求められる」と記して
  いるのは、間違っている。


とツュンベリーに対してツッコミを入れているが、
ツュンベリーの参府からズーフの初回の参府までの30年間で
オランダ人の帯剣の取扱が変更になったということでなければ、前回紹介した

そしてまた、儀式の日とそれにふさわしいように剣を帯び、普通の牧師のコートに
  よく似た極めてゆったりとした黒いコートを羽織った。


というツュンベリーの文章の「そしてまた」と「儀式の日」の間あたりには


して、登城したのは朝の6時。
下乗橋で乗物を下りて百人番所まで歩いていき、これまでと同じように
そこで本丸御殿の準備が整うのを待った。
番所では一番奥の部屋に通され、赤い小さな絨毯をかけたベンチを勧められて、
茶と煙草盆で接待を受け、長崎奉行や宗門改めが挨拶に来た。
番所組頭も挨拶に来たが、

ここでは、それぞれがその序列を守る必要があった。番所組頭は、私がもっとも名誉ある
  もっとも奥の部屋から、それにつづく表の間に行くように、と言った。彼は身分が低いため、
  奥の部屋に行くことが許されないのである。私の方からも、私に指示された最高の場所を
  離れるつもりはない、と断言した。組頭は私から畳二枚(だいたい2フィート)の
  ところまで近づいて、私に挨拶した。これについては私は自分の立場を堅く守った(日本では
  正当なことは、常に行わなければならない)。私は古くからの慣例を維持するよう、配慮
  した。寛大にもこれを一度逸脱すると、それを復活するのは、大変難しいことである。


別にズーフが底意地の悪い人という訳ではない。
交易のみが許されたオランダ東インド会社の社員という立場ではあっても、
カピタンはただの「支社長」じゃない。
幕府に対してオランダ一国の代表者であり、責任も名誉もある重い立場なのだ。

単に古くからの慣例を守ったというだけではなく、
日本国内の慣例を理解した上での行動であり、ケンペルやツュンベリーの著述を
先に読んだわたくしは、同行者である医師とカピタンとでは
こんなにも意識が違うものかと少なからず驚いた。

で、幕閣が御殿に揃うと一行も御殿に入るよう促される。
まずは玄関付近の控えの間に案内されるが、

ここで我々は脚を床につけて横座りした。足を見せることは、日本では無礼になるので、
  我々のマントで足を覆った。


ツュンベリーは「長く正座なんかできっかよ!」と足を投げ出し、
ズーフは失礼にあたるからと言ってはいるが、やってることは同じ
それで、

小憩の後、長崎奉行と外国人世話係は、私を拝謁の間に案内した。ここで私は先ず、
  要求されている儀式の練習をしなければならなかった。


「おおう、こ、これは『習礼』じゃないか・・・!!」

「習礼」(しゅうらい)とは、大事な儀式の前に行う予行演習のこと。
諸大名が江戸にいる時は定例の登城がある。
定例のおつとめ以外にも、たとえば若殿が成人して初めて将軍に拝謁し、
あらためて臣従を誓う儀式など、藩主には江戸城で果たさなければならない
重要なおつとめがある。

将軍のおわす江戸城にはさまざまな細かい「きまり」があり、
毎年年末にドラマになる、抜刀して傷害事件を起こした誰かさんのような行為は当然のこと、
ささいなミスでも場合によってはその代償は大きい。
たとえば『江戸城のトイレ、将軍のおまる』にはこんなエピソードが載っている。

 【小笠原伊予守忠徴が顔の吹出物に膏薬をつけて登城してしまいました。公方様に「御目障」
  になってはいかがかと、御坊主を通じ御目付に申しあげ、ご覧をいただき、念のため
  大目付にも御届をしておきました。】

各自がノーマルな、あるべき姿から無断で少しでもはみ出ると
後がヤバいってことでこんなことにまで気を遣ってたというんだけど、
いちばん大事なところで不測の事態が生じる可能性だってある。

同書によると、大広間で拝謁した大名が平伏した時、
腰に差していた刀の鐺(こじり:柄と反対側の先っぽ)が障子に当たって破ってしまったり、
烏帽子が落ちてしまったり、前の人の長袴を踏んだりしてしまうことなんかも
結構あったそうで、そういう不調法を極力起こさせないために
あらかじめ練習をしておくんだそうな。
その手順はざっと

 1、諸席内の当人と有志(親類の大名、その席の古参の大名)に御坊主衆を加え、私的に
   目立たない場所で大筋を打ちあわせする。
 2、私的に諸席内で、誰々は奏者番、誰々は御目付と役割を決め、当人と坊主衆を加えて
   別席で練習する。
 3、御目付より「寄せ」(集合)の声がかかり、奏者番・坊主衆が出て、本番の定刻より
   早めに実習をおこなう。
  (前掲書より)

というものだそうで、時には大名の屋敷に招いて拝謁RPGを行ったりもしたそうな。

こういう地道な練習を繰り返して初めて、限られた時間内でのスムーズな儀式進行が可能になる。
何か目立つ失敗でもして、儀式の進行の妨げにでもなれば、
本人はもとより、責任者である御目付などの責任問題にもなる。
カピタンの拝謁の場合は、

もし途中でつまってしまったら、奉行がこれを償わなければならないからである。

とズーフは言っている。

カピタンがらみで重大なトラブルがあった場合、
長崎奉行が何らかの責任を取っている例は実際にある。
ズーフの時にはある人は更迭され、ある人は切腹した。 
ズーフは長崎奉行と外国人世話係に呼ばれて一緒に習礼を行ったようだから、
ズーフの言う通り、カピタンの拝謁にはこれらの人が直接の責任を負うのだろう。

習礼を終えて一旦控えの間に戻ったあと、長崎奉行と大通詞とともに大広間へ向かう。
大通詞は途中で待機し、長崎奉行とズーフの2人だけが拝謁の間に入る。

献上品は私の左側に並べられていた。ここに将軍すなわち皇帝がいたが、その服装は、
  その家臣のものと、何のちがいもなかった。老中の一人が「オランダカピタン」と呼び、
  私の拝謁を披露すると、私はこの国の諸侯と同様に、拝礼した。私より数フィート
  後ろにいた長崎奉行は、ここで私のマントを引っ張って、拝謁が終わった合図をした。
  すべての儀式は、長くても一分以内だった。


たった1分のためにわざわざ長崎から遠路はるばるやって来て、
奉行たち相手に予行演習までやった上に、黒い ザリガニ に徹しなければならない。
カピタンも大変だな~と思うものの、意外にもズーフは

(前略)多くの人が、オランダ人を非難し、オランダ人が日本の習慣と礼儀に従うのは、
  自己卑下であると考えている。私はこれが何故卑屈であるのかわからない。我々が日本人に
  たいして守る礼儀は、彼らが互いに守っている礼儀であり、彼らの大官に対して、日本人
  自身が示している尊敬以上のものを、要求されているわけではない。彼らの国の習慣は、
  そのようなものであり、世界のどこに到着しようとも、そこで行われている習慣と礼儀に、
  一致しなければならず、さもなければ、そこから立ち去らなければならない。友好を求めて
  きた国に、訪問者の習慣と一致しなければならないと、要求できないことは確かである。
  私の考えでは、そこの人々が互いに守っているもの以上ではない、習慣や礼儀に従うことは、
  少しも卑下ではなく、義務である。


と言っている。
「習慣と礼儀」の中には、おそらくザリガニの儀式も含まれるだろう。

まあ確かに、そう言われればカピタンの拝謁は諸大名の拝謁と変わるところがない。
ケンペルの時のように、第2幕でいろいろやらされた訳でもないので、
ズーフには気を悪くするほどのことでもなかったのかもしれない。

ただ、これは長い期間を日本で過ごし、日本のシステムと慣習を知り尽くした
ズーフだからこその見解という可能性は多分にある。
して、その彼が見た本丸御殿は

豪華なものは何ひとつなく、広間には家具もなかった。すべての広間には引き戸があり、
  日本式に金紙をはり、絵が描かれ、これを開けるために金色の引手がついていた。
  これがこの広大で空の宮殿の唯一のぜいたくだった。広間と建物全体の大きさ、そこを
  支配している陰鬱、これ程多数の人々の間の、考えられないほどの静寂、これらすべては
  豊かに飾り立てられた宮殿を超えて、身震いするような敬意を抱かせた。

日本でもっとも権威と格式のある江戸城本丸御殿をつかまえて、
「豪華なものは何ひとつない」と・・・

先日の伊勢志摩サミットは無事に終わってようございましたが、
各国首脳が伊勢神宮に参拝するシーンをTVで観ていた時、母親は

「伊勢神宮は素晴らしいって、きっとみんな言うわよ」

とコーフンしていた。
しかしわたくしは、

「日本人だからそう思うけど、ガイジンはどうかな~。
価値観違うからな~」


と思った。
というのも、ケンペルは入口ばかり立派で、そのずっと奥にある社殿が
あまりに簡素であっさりしたものである神社を評して

「大山鳴動して鼠一匹」

と言っているのを知っていたからだった。

実際の本丸御殿は木目の美しい立派な木材をふんだんに使い、
ふすまには障壁画、大広間の格天井にはきらびやかな絵が描かれて
充分豪華だったハズだけど、調度品で部屋を飾り立てる西欧とはあまりに違うので、
こういう評価になったのだろう。
ガイジンの素直な感想は、価値観が違うと見方もこれだけ変わるのかという点で面白い。


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最終更新日  2016年06月04日 11時47分17秒


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