戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年06月13日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
石室からさらに進む。

広い江戸城の中では結構石垣も残っていて、
一般的にはお堀端とかわたくしがこれまでたどって来た場所の
派手な石垣が目を引くけど、こんなところにも地味に石垣は残っている↓。


東山御物展・江戸城・石室先


石垣はいいんだけど、フェンス張られてるな・・・
この先が少し小高い所に園路が付けられていて↓


東山御物展・江戸城・数寄屋多聞櫓へ


おっ、高いところを通るならわずかばかりでも旧紅葉山が見えるカモ?


東山御物展・江戸城・数寄屋多聞櫓へ2


わざわざ書く必要もないでしょうが、右手に組まれている石積みは
明らかに公園整備のために近代になってから組まれたものです。
この先にあるのが


東山御物展・江戸城・数寄屋多聞櫓


 【富士見多聞

  「多聞」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋
  とも呼ばれました。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことが
  できました。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万一に備えられていました。】
  (現地解説板より)

現地でもらえるリーフレットにも「富士見多聞」だと書かれているけど、
この付近に埋まってる石碑には


東山御物展・江戸城・数寄屋多聞櫓3


とある。
わたくしの手持ちの資料のどれにもこれは「御休息所前多聞櫓」とあって、
『江戸幕府大事典』にも富士見多聞なるものは載っていない。
ので、なぜ宮内庁サイドがこれを富士見多聞だとしているのかはわからないけど、
この先の右手は


東山御物展・江戸城・数寄屋多聞櫓4


だめだあ~、完全に見えね~
しかも、土塁の手前の低いフェンスには日米中韓の4カ国語で
「立入禁止」と書いてある。

ばかなわたくしは何も考えず、ただ江戸城址だというだけで
紅葉山を眺めるのを楽しみにしていたのですが、
よく考えれば立ち入り禁止なのは当たり前なのだ。

もちろん、土塁や石垣の保護、事故防止という面もあるだろう。
しかし、土塁の下を流れる蓮池濠を越えれば現在ではそこは
天皇陛下のおわす皇居なのだ。
誰もが気軽に眺められるワケがない。

ちなみに、現地で初めて気が付いたことがある。
お城ファンの方ならよくおわかりでしょうが、城址公園てのは
道があちこちに延びていて、事前に縄張図などを眺めていても
位置関係がよくわからないことがある。

今回、おもに現地でもらったリーフレットを手に歩いたけど、
現在地がよくわからなくなってすまほを取り出して位置を確認しようとした。
そしたら、城内ではGPSが役に立たなかった。



皇居内は情報を制限しておるのだな!!」


と初めて知る現実に少々コーフンしました。

ま、元々GPSなんて軍事用だからな。
わたくしが山をやっていた昔はすまほなんて便利なものはなく、
登山用のGPSを携帯して山歩きをしていましたが、
一般用にはまだまだわざと精度を落としていた時代だったので
GPSだけで歩くなんて危険なことは到底できず、
25,000分の1地図や登山地図などを併用しながら歩いたもんです。

それが、今じゃよほどの山奥じゃない限り、
かなりの精度で現在地と向きまでわかるようになったんだから、
当時のことを考えれば

「時代は変わったなあ~」

て年寄りくさいセリフの一つもこぼれてきます。

叡山の 飯室から横川へ向かう中尾坂 ではなかなか衛星が捕まえられないこともあったけど、
こんな都心のど真ん中でGPSが機能しないなんて、
わざとそうしているとしか思えない。

こうやって情報を制限してるところは今の日本ではそうないでしょう。
思いつくのは、自衛隊の基地内と原発施設ぐらいかな?
でもどっちも気軽に入れる場所じゃないし、事前予約も何もなしに
出入りできるのは皇居東御苑だろうな。
山奥や地下などの周囲の環境によるものではない
「GPS、使えね~」体験をしたい方は江戸城までお越しください


御休息所多聞の少し先の蓮池濠に面したところには、かつて数寄屋二重櫓があった。
御休息所多聞と数寄屋二重櫓の間には長い数寄屋多聞が建っていたが、
現在その付近はこんなで↓

東山御物展・江戸城・松之大廊下跡2


土塁とわずかな石組が残るのみ。
『鹿鳴館秘蔵写真帖』の写真に姿をとどめる数寄屋多聞は壮観ともいえる長さで、
多聞へ上がる雁木も付けられている。

数寄屋多聞の創建および撤去の時期についてはわかっていないらしいが、
数寄屋多聞が接続する数寄屋二重櫓と同時期のものだとすれば、
慶長11年(1606)頃から明治6~11年頃までの間、
本丸に存在していたのだろうと『江戸幕府大事典』は語る。

今は多聞も二重櫓もないけど、それでもこの付近には多くの観光客が足を止める。
なぜって

東山御物展・江戸城・松之大廊下跡


という場所だからで、例の事件で知名度が異様に高い廊下が園地の中に延びていたのだ。
いちおう解説板の文章も紹介しましょうかね。

 【松の大廊下跡

  赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への
  刃傷事件(1701:元禄14年)のあったところです。廊下に沿った襖戸に松と千鳥が
  描かれていたのが名前の由来といわれます。江戸城中で2番目に長い廊下で、畳敷きの
  立派なものでした。】

この付近では、史跡めぐりツアーと思われる一団とバッティングした。

東山御物展・江戸城・つあ~


自分で何も準備せず考えることもせずお手軽に見られるあーゆーツアーは、
人によってはラクでいいものかもしれないけど、
自分で歩きながら何かを見つけたり想像したりするのが楽しいわたくしからすると、
人に連れられて歩いて何が楽しいんだろうと思う。

ま、時には耳寄りな話なんかも聞けたりするのかもしれないけど、
少し距離を置きながら彼らの様子を見るともなしに見ていると、
引率者に連れられて話を聞いてるだけなので、園地の中に地味に残っている
土塁や石積みに目を留める人はいない。
せっかく天下の江戸城に来ているのに、もったいないことよ・・・
まあそれでも、わたくしが木々の間に見える地味な遺物にカメラを向けているのを見て
少しそういうものに目を留め始める人もぱらぱらと見受けられたけど。

松のお廊下を過ぎると、数寄屋二重櫓の石垣が残っている↓。


東山御物展・江戸城・数寄屋三重櫓石垣


東山御物展・江戸城・数寄屋三重櫓石垣2


『鹿鳴館秘蔵写真帖』には数寄屋二重櫓も写っている。
すでに撮影時点で本丸御殿はなく、御殿跡は悲しいほどの完全な更地となっているが、
遮るものがない分、御殿跡越しにでも数寄屋二重櫓の全景がはっきりと確認できる。
その姿は、多少漆喰が剥げているような部分もあるものの実に端正な二重櫓。

ただ、当初は三重櫓だったのが 明暦の大火 ののち、
二重櫓として再建されたという。
てことは、数寄屋三重櫓も大火で罹災したってことだな。

数寄屋櫓に火が移る頃には将軍・家綱は西の丸(現・皇居)に動座していただろうから、
蓮池濠沿いに立つ数寄屋櫓の炎上の様子は西の丸からもよく見えただろう。
堀越しの眼前に広がる惨状を、家綱はじめ智恵伊豆や阿部忠秋さん、保科正之ら幕閣は
どんな思いで見つめていたのだろうか・・・

だからね、やっぱり 阿部忠秋邸火元説 は絶対ガセと思うんだよね。
家綱が江戸城を出たって、自分だけは絶対ここに残る!!って頑張った忠秋さんだもの、
あとからでも自分ちから出火したなんて知ったら、腹を切ってるよ(←しつこい)。


さて、園路に従っててろてろ歩いてたら、自転車に乗ったお姉さんに抜かされた。


東山御物展・江戸城・ぱとろ~る


おっ、おまわりさんだ。
婦警さんもおるのか。
この日、城内では結構な数のパトロールに出会った。
車や徒歩、そして自転車を使いながら毎日毎日警備にいそしんでおるのだろう。



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最終更新日  2016年06月13日 23時21分53秒


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