戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年06月20日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
自転車で去りゆくお姉さんの背中を眺めながら歩いていくと、
そこらへんが本丸域の最南端。

東山御物展・江戸城・構成図2(色わけ)2
  (現地看板の縄張図を加工したもの)

赤丸で囲った箇所には、これがそびえる↓。


東山御物展・江戸城・富士見三重櫓

 【富士見櫓

  「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。
  今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は

  将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています。】
  (現地解説板より)

ふっ、品川の海・・・
江戸城から品川まではちょっと距離があるし、今は高層ビルが建ってるので
富士見櫓の最上層に登ったところで海を眺めるのはキビシかろう。
が、江戸期なら遮るようなものはほとんどないし、
今ほど埋立てられてはいなかったから確かに品川付近の海が見えたかもしれない。

しかし、それよりさらに時代を遡ってこの付近から
品川よりもっと近い海を見ていた江戸城主がいた。
それが太田道灌さんで、 「(1)」 で中城に静勝軒という屋敷が置かれたと


太田氏時代の江戸城は徳川江戸城より城域が狭く、
しかもまだ日比谷は入江だったので「海を眺める」どころの話じゃない。

もっとも、静勝軒のあった場所については本丸域の対局にある大奥跡付近だとする説もある。
ただ、もし塩見鮮一郎氏の推測の通り、2つの客館の「含雪斎」と「泊船亭」が
静勝軒と連結していたのだとしたら、「含雪」(富士見)と「泊船」(オーシャンビュー)の


ま、それはともかく、『江戸幕府大事典』によると富士見櫓の建設は慶長11年(1606)。
すぐ近くにあった数寄屋三重櫓が明暦の大火で焼失したらしいのに、
富士見櫓は難を逃れたのか、江戸期の修復は文化12年(1815)、嘉永元年(1848)で
さらに明治に入って1度修復されたのが、関東大震災で惜しくも倒壊したらしい。
現存する富士見櫓はその後の復元。

富士見櫓は「八方正面の櫓」とも言われる。
どこから見ても端正な姿が拝めるというのがその名の由来だそうだけど、
『落穂集』では大道寺重祐が若い頃、北条氏長が


技術だけで作れるもんじゃないさ。
第一に地形そのものの問題がある。次に地面取りのやり方による。
諸国に城は数多くあれども、八方正面の櫓なんてそうそうあるもんじゃない。
そういう櫓が江戸城にある。これは御当家が繁栄する印だろう。」


と語っていたのを聞いたことがあるとしている。
が、現在では色々と制限があるので、八方からの眺めを堪能することはできない。

富士見櫓は現在の江戸城で数少ない櫓だけど、中には入れない。
どころか、手前には柵があってあまり近寄ることもできない。
チッ!と思いながらぼんやりと櫓を眺めていると、


東山御物展・江戸城・富士見三重櫓2

ああ、鬼板んところにある紋、あれ菊だわ・・・
なるほど確かに復元だな。
で、破風に目をやると


東山御物展・江戸城・富士見三重櫓3


ほ~おおお、青海波(せいがいは)!
これは面白い。
ここの解説板には外側から見た富士見櫓の写真が載っていて、


東山御物展・江戸城・富士見三重櫓4


いつの撮影とは書いてないから復元前なのか後なのかわからないけど、
わざわざ白黒写真を載せてるあたり復元前のものなのかもしれない。
細部まではあまりはっきり見えないけど、妻板は青海波のようにも見える。

『鹿鳴館秘蔵写真帖』にも富士見櫓の写真はあるんだけどね、
こちらはもっと遠くからの撮影でちっちゃくしか写ってないので、
解説板の写真よりもっとわからない。
んが、遠景なだけに『鹿鳴館秘蔵写真帖』の方の写真には富士見櫓下の
本丸の高石垣もばっちり写っていて、それはそれは見事な眺め。

富士見櫓があるのは、蛤堀を挟んで皇居外苑に近い場所ではあるけど、
蛤堀に直接面してる訳ではないので、宮内庁の職員にでもならない限り、
『鹿鳴館秘蔵写真帖』にあるような見事な高石垣の眺望をゲットするのは
難しいかもしれない。
ま、少しは外苑からでも見えそうだけどな。
今度行ったらここも見てこよう。


さて、言葉だけでは何で外側から富士見櫓下の石垣が見えないのかわからないでしょうが、
現地はこういう構成になっております↓。


東山御物展・江戸城案内図-2(蛤堀付近)2
  (現地案内図より)


赤丸が富士見櫓で、ここはもう皇居のすぐ近くなのだ。
濃いグリーンの部分は宮内庁エリアで一般の立ち入りは禁止されている。
ので、富士見櫓脇の下埋門を通って宮内庁エリアに侵入することはおろか
本丸最南端の石垣付近まで行って下段の宮内庁エリアを見下ろすこともできない。

外苑から本丸を眺めた場合、蛤堀のさらに向こうに広がる宮内庁エリアが邪魔をして
本丸最南端の石垣はあまり見えないだろうと思った訳です。

上の絵図に描き込んだ青いラインは細い園路で、
たとえばこれは下埋門に通じるルートだと思うけど↓


東山御物展・江戸城・上埋門へ


途中何もないうえに(かつては上埋門があった)その奥は


東山御物展・江戸城・上埋門へ2


がっちり行き止まりざます。
せめて門の近くまで行かれればとも思ったけど、このルートには


東山御物展・江戸城・上埋門へ3


踏み入ることすらできないんざます。

今、この下の宮内庁エリアには「馬車課」とか「自動車班」なんかが
置かれてるようだけど、かつては金蔵などがあり、
『鹿鳴館秘蔵写真帖』の写真にはびっしりと建物が写っている。
ただし、明治の撮影なので屋根なんかはかなりボロボロになってるけど。


さてさて、今回はこれにて本丸を退出いたします。
通行禁止のルートを恨めしく眺めながら進むと
そこにあるのが中雀門(ちゅうじゃくもん)跡↓。


東山御物展・江戸城・中雀門


縄張図だとこうなります↓。

東山御物展・江戸城・構成図-2(正ルート)


ピンクのルートが上埋門から下埋門を抜けて金蔵などのある下段へ
本丸から直接出られる道で、これは現在通行禁止。
これから進むのが赤のルートで、これが正式な本丸への登城ルート。
つまり、ガイジン達も幕閣たちもこの道を通って御殿へ入っていった訳です。

日本の心臓部への最後の入口だから造りはとても厳重で複雑。
この門を入るとすぐ目の前に御殿の玄関があった。
乗輿のまま下乗橋の通行を許されていた御三家も、この門の手前で下乗したという。
臣下で唯一、乗輿のままこの門を通れたのが我らが輪王寺宮だと思うけど、
世間では輪王寺宮も門の手前で下乗したと言っている人もいるので、
(ちょっと考えにくいけど) 「乗物で御殿に横付け」 の特権は
時期によって変遷があったのかもしれない。

で、上の写真で門の周りにたむろしている人がちっこく見えるので
門の規模もおのずと想像がつくってもんですが、
「玄関前門」「書院門」「書院大門」などとも呼ばれた門の石垣へ近づいてみます。


東山御物展・江戸城・中雀門2


あら?


東山御物展・江戸城・中雀門3


おんやあ~?
反対側も↓。


東山御物展・江戸城・中雀門5


火災の痕跡がこんなにも・・・
これは文久3年(1863)に本丸御殿が火事になった時、
類焼したものなんだそうな。

しかし、写真をよく見ていただくとわかると思いますが、
門の内側の石垣、つまり本丸に面した側の石垣はところどころ赤くはなっているものの、
石材自体は破損はしていない。
表面の剥落がひどいのは通路に面した部分の石垣なので、
門扉が燃え上がったその熱でこの部分がひどく傷んでるんだろうな。

中雀門は明治以前に焼失しているのであいにく写真は残ってないけど、
『江戸三十六城門画帖』に絵が描かれていて、それによると渡櫓門だったらしい。

その重い門扉を支えた礎石もちゃんと残っている↓。


東山御物展・江戸城・中雀門6


その先↓。


東山御物展・江戸城・中雀門7


本丸を守る最後の砦なので、もちろん枡形。
江戸城天守の概略については 「(34)」 で紹介しましたが、
明暦の大火で家光の寛永天守が燃え落ちた後、
天守を再建するつもりでまずは天守台を修復した。
その時撤去された寛永天守の石垣の石がここに転用されたという話がある。

まあ、現存する天守台の石もあれだけ火災でダメージを受けてるんだから、
全部じゃなくて綺麗な石だけをここに持ってきたんだろうけど、
写真手前の石垣の上には多聞が載っており、その奥にちょっとだけ写ってる石垣の上には
書院ニ重櫓が載っていた。
『鹿鳴館秘蔵写真帖』には書院二重櫓の小ぶりな姿が残っているが、
『江戸幕府大事典』によると明治6年に撤去されたと考えられているとのこと。


石垣に沿って先へ進む。


東山御物展・江戸城・中雀門8



東山御物展・江戸城・中雀門9


これが虎口を抜け切るところの石垣の先端で、この上には書院出二重櫓があった。
似たような名前で紛らわしいですが、こちらには「出」が付いてます。
書院出二重櫓の方は四間×四間の小ぶりな櫓で、
【上下同大の重箱のような特殊な形式であった】(『江戸幕府大事典』より)ので
別名「重箱櫓」とも呼ばれるようなんだけど、『鹿鳴館秘蔵写真帖』の写真を見ると
すぐ近くにある書院二重櫓が通常の櫓のように上層が逓減されているのに対し、
「出」の方はホントに下層も上層も同じ幅で、ものすごくおかしな形をしている。
もし実物が残ってたら「えっ、これ櫓!?」って笑う人が多いんじゃないだろうか
(わたくしはソッコー笑いました)

「出」の方も明治6年の撤去と考えられているらしい。




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最終更新日  2016年06月20日 23時49分44秒


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