戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2016年11月05日
XML
カテゴリ: 江戸めぐり
都合により、ガイジンとの座談会を一旦中止して


これは約1年前の日帰りのお出かけで、寛永寺から法要への参加のお誘いを
いただいたので出かけていったものです。


<2015年11月28日(土)>はれ

せっかく柏のイナカから都内まで出かけていくのだから、
ついでにどっかへ寄りたい・・・
とはいえ、時間を有効に使うには寛永寺のあとでどこかへ行くよりも
法要の前に先に「ついで」を済ませてしまう方が都合がいい。

朝の早い時間ならまだ人も少ないしな。

どこへ行こうかと色々考えて調べたところ、
浅草寺が早い時間から開いていることを知った。

観光寺院て拝観時間は9時スタートってところが多いけど、
中にはかなり早い時間から拝観できるところもある。
以前TVで「京都の穴場」的な番組を観た時、清水寺のスタートが早いというのを
やっていて驚いたもんです。

浅草の浅草寺にはもちろん行ったことはあるけど、「ただ行った」だけなので、
仏教や建築に興味を持ってからあらためてあの有名なお寺を拝観したいと思ってた。
が、都内で手軽に楽しく参拝できる人気の浅草寺とくれば、
日本人のみならず世界中からやって来たガイジン達もわんさか集う。


「うわ~、行きたいけど無理!!」
と毎回思っていた。

でも朝早い時間なら仲見世も開いてないし、ゆえに昼間よりは人は少ないだろう・・・
この時期の浅草寺の拝観スタートは6:30で、寛永寺の法要は10時から。
法要の前には何か食べておきたいし、移動の時間を抜いても

仲見世での買い物は考えなくていいし(まだ店が開いてないから)、
そのぐらいの時間があればまあ何とかなるだろう。
ということで、寛永寺に行く前にちゃちゃっと浅草寺見学をこなすことにした。

わたくしが浅草寺に行きたかったのは、仏教や建築面のほかにもうひとつ理由がある。
この頃は「将軍たちの宝」を書き始めて間もない頃で、浅草についても少し触れたから。
( 「将軍たちの宝(7)」 あたり参照)

浅草といえば浅草寺のイメージが強すぎてあまり「歴史」を考えることはなかったけど、
塩見鮮一郎氏をして「江戸は浅草があってはじめて成立したといってもいいすぎではない」
と言わしめた歴史を感じたいと思ったのだ。


して、色々と準備をして朝早くに家を出た。
柏から浅草に行くには上野を回っていくか、もっと手前で京成に乗り換えるかの
2つのルートがある。
この日は久々に京成に乗って浅草へ出た。

着いたのは7時頃。
ここからはさすがにスカイツリーが近い。

浅草・駅前


古い人間のわたくしには、浅草駅前といえばスカイツリーよりも
金色のウンコの方がずっとおなじみなんだけど、
ここからはちょうど木のかげになってお尻の部分しか見えない

知らない方のために一応書いておきますと、スカイツリーの横に映っている
黄色いビルがアサヒビールの本社で、その横の低い建物の屋上に
デカい金のウンコがでーんと載っているのでございます。

ビール会社のオブジェだから、あのウンコはビールの泡を表現していると聞いてたんだけど、
あらためて調べてみるとビールの泡ではなく(もちろんウンコでもなく)
燃えさかる炎を表現したもので、アサヒビールの心の象徴なんだとか。
しかもデザインしたのはフランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏だと
いうんだからオドロキ・・・
色といい形といい、ウンコにしか見えないんだけど

え~、ウンコはともかく、浅草駅は大川(今は隅田川という)のすぐ近くにある。
両国のあたりも大川端は整備されてた し、浅草なら川沿いにベンチとかの
休憩スポットもあるだろうと思って、確認しに一旦大川に出てみた。

浅草寺を見終えたら寛永寺に行く前にどこかで腹ごしらえをしたいんだけど、
大川端に休憩できるようなところがあればパンか何かを買って
水辺で食事を摂ろうかと思ったのだ。
が、駅周辺ではあいにくいい場所は見当たらなかった。
ちょっと歩けば見つかったかもしれないけど、今日はそんなにのんびりしている
訳にもいかない。
仕方ない、大川を眺めながらのランチは諦めるしかないな・・・
それで、向きを変えて商店街を歩き出す。

浅草・駅前2


まだお店の開く時間じゃないので、さすがに人は少ない。
少し歩くと、前方でガイジンたちが写真を撮っていた。

浅草・浅草寺前


あ、ここのようだな。
浅草寺に行ったことがあるとは言ってもかなり以前のことで、
しかも数えるほどしか行ったことはない。
当然今とは全然視点も違うし、ゆえに「初めての経験」と何ら変わることはない。
それで、ガイジン達のところまで歩いていってみると、
浅草寺に行ったことのない人にもすっかりおなじみのあの門があった↓。

浅草・浅草寺


 【雷門(風雷神門)

  天慶5年(942)、平公雅(きんまさ)によって創建されたのが始まり。
  門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)」
  と呼ばれる。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を
  打つ雷神の姿は、お馴染みのものである。また、門の裏側には、向かって右に「金龍」、
  左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・
  天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。
  現在の門は、慶応元年(1865)の浅草田原町の大火で炎上した門に替わり、昭和35年
  に松下幸之助氏のご寄進により復興された。浅草寺参詣の入口にあたる「総門」として、
  また、東京・浅草の顔として全国的に有名。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

という訳で、パナソニックの松下氏による鉄筋コンクリート製の再建門。
古くはこの場所ではなく、もっと南の駒形にあった門で、
火災による焼失と再建を繰り返して慶応元年の焼失以降約100年再建されなかったのが、
昭和に入って新しい浅草寺の顔としてお目見えしたもの。
ウィキによると、「浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進したもの」なんだそうな。

雷門のシンボルがデカい「雷門」の赤ちょうちんだけど、
これも松下電器産業からの寄贈。
浅草寺の裏にある浅草神社の祭礼「三社祭」と、台風の時以外には畳まれないという
ツワモノのちょうちん。
ま、これが開いてないと雷門てカンジがしないしな。

しかし、10年に1度はこのちょうちんが姿を消す。
ちょうちんの張り替えの時には実物に代わってちょうちんの写真のシートが架けられるそうで、
2013年の張り替えの時には約2ヶ月シートが代役を務めたらしい。
その張り替えも松下が受け持つんだそうな。
重さが700kgもあるそうだから、張り替えも大変だろう。

雷門の焼失は江戸期の火災によるものだけど、その他にも
浅草周辺も確か東京大空襲とかの戦災にあってるし、
都内の寺院に再建の伽藍が多いのは致し方ない。
もちろん古建築が残ってればベストだけど、再建された建物でも面白いものはある。
湯島天神の蟇股群 なんか見応えあって写真撮りまくりだったしな~。

火災といえばわたくしの食いつきポイントですが、雷門の前の道は「浅草広小路」だそうな。
明暦の大火の後、各所に火除地としての広小路が作られたと 「本所Wデビュー(28)」 で
紹介しましたが、たぶん浅草の広小路もこの一連の流れの中で作られたんだと思う。

明暦の大火では浅草も 本郷から出た第一陣の火 によって被害が出ているけど、
浅草寺までは届かなかった。
保科正之が噂で聞いた浅草門付近の大勢の大火の犠牲者というのは、
浅草寺より南の浅草橋にある見附の門を閉め出された人達のことで、
罪人が脱獄したという誤報を受けて浅草門が閉じられてしまったので、
逃げ場を失った市民がそこで多く犠牲になったと言われている。

ちなみに両国・下谷(上野)・浅草の3つの広小路を「江戸三大広小路」とも呼ぶらしい。
でもそれぞれが回向院・寛永寺・浅草寺という大寺院の門前にあって賑わった場所なので、
繁華街という意味合いの「三大」だろうと思うんだけど。

では、広小路に面した風雷神像から紹介していきますか。
あみあみのフェンス越しなのであまり映りはよくないですが、
まずはこちらが向かって右側の風神様↓。

浅草・浅草寺2


浅草・浅草寺3


こちらが雷神様↓。

浅草・浅草寺5


風神と雷神の門だから「風雷神門」が正式名称なんだけど、
江戸時代から「雷門」と呼ばれていたらしい。

で、これが赤ちょうちんの下面で↓

浅草・浅草寺6


龍だ・・・
立体的な彫刻が迫力ある。

門をくぐって歩いている時、脇にこんなものがあるのが目に入った↓。

CIMG3547


おお~、デカい寄進をするとこうやって名前が残せるんだな。
そもそもわたくしがこの日寛永寺に招かれたのも、微々たる寄進のゆえだし。 

さて、門の裏側にも2体の像がある。
説明文の通りならば、向かって右側のこちらが「金龍」だろう↓。

浅草・浅草寺7


浅草・浅草寺8


おや、なんだか端正なお姿・・・
護法善神 としてはいいビジュアルだけど、なんでこれが龍?と思ったら、

浅草・浅草寺15


光背にで~んと龍が描かれていた。
それに、脇から見ると

浅草・浅草寺14


うしろの着物の裾からにゅきっと持ち上がっているものがシッポに見えなくもない。
(ホントに尻尾かは不明です)
そう思って見てみると、金龍が左手に持っているボールは龍の持つ宝珠なのかもしれない。

で、こちらが向かって左側の「天龍」↓。

浅草・浅草寺11


こちらは無表情の金龍と違って、武張ったスマイルがチャーミング↓。
光背に龍を背負っているのは金龍と同じ。

浅草・浅草寺13


金龍と天龍の像は開帳1350年を記念して彫刻家の平櫛田中氏が制作したものだそうな。

そもそも浅草寺の山号は「金龍山」。
寺伝によると、御本尊の観音様が現れた時、金龍が寺の周辺で舞うと
一夜にして千株もの松林が生じたという伝承がある。

現地でもらってきたチラシによると浅草寺には3つの寺舞(じまい)があるそうで、

CIMG8509


3つのうちの1つが「金龍の舞」。

CIMG8514
     (チラシより)

これだけ見ると中華街かおくんちかってカンジですが(笑)、
昭和33年の本堂再建を記念して始められたのがこの舞だそうで、
参詣の際にまずくぐる雷門から龍づくしは始まっております。


にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年11月05日 23時54分01秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: