2006年10月21日
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聖書には、『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。』と書かれています。

この箇所は、私たちと神との関係を指し示しています。

まず、私たちは枝ではないのです。これは、私たちは神ではない。ということを教えています。そして私たちは、その神と繋がっている枝なのです。

これを知っただけで、私たちの悩みや心配は半減するはずです。枝に必要な養分は、すべて本体である木から流れてきます。

聖書が教える罪とは、枝が木から切り離された状態を指します。ですから、神様と私たちが繋がれ、直結されることが大切なのです。

次に、私たちが、木に直結されている枝であるならば、すべての必要が流れて来るということです。これはすごいことです。私たちの霊と魂の祝福、現実的、経済的な祝福、健康の祝福が流れてきます。

『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』(第三ヨハネ1章1節)と書かれています。

例えば、枝が、何らかの理由で外傷を負ったとします。鳥が突付いたり、熊が引っかいたりして傷を負ったとしたら、本体の木から枝に樹液が流れて来て、その樹液が傷口に流れて来て、気が付けば治ってしまいます。

これは自然治癒と言われますが、私たちも神と直結しているならば、神のいやしの油注ぎが流れて来て、いやされ、健康が与えられます。



また、この聖書の箇所には、恐ろしいと思えることが書かれています。ヨハネの福音書15章2節『わたしの枝で実を結ばないものは、父がそれを取り除き・・・』とあります。

しかし、これは翻訳の間違いであるといわれています。これは、はさみでチョッキンしてしまうのではなく、持ち上げるという言葉です。実を結ばない枝は、太陽が当たらない場所に隠れているのでしょう。神は、その枝を持ち上げて、陽の当たるところに導かれるということです。これを知らないと、恐ろしいメッセージになってしまいます。

またもう一つ、2節の後半『実を結ぶものは、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます。』こちらの刈り込みは、剪定はさみでチョッキンするということです。何をチョッキンするのでしょうか? それは、栄養分を取ってしまう雑草等です。それは、私たちのエゴ、自我、古き罪性です。

これをチョッキンして頂く事で、もっと多くの実を結ぶようになるのです。

そうしたら、神の剪定はさみとは何でしょうか? それは、試練や問題、迫害や苦難です。これらの経験は、するどい剪定はさみとなって、一発で、スパッと余分なものを切り取ってくださいます。

ですから、すべてのことに感謝できるんですよね。よいことはよいので感謝ですし、つらいことも、そのつらさがよいことに変わりますので感謝なのです。

感謝な一日でありますように。また、イエス様と直結された一日でありますように、祝福を祈ります。





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最終更新日  2006年10月21日 08時18分34秒
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