2007年01月08日
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私は、今から10数年に成人式を迎えました。今考えて見たら、随分子どもであったなーと感じます。

ある人は、男の人は26歳を越えてやっと大人の考えを持つようになると言いましたが、私の人生の節目は、その年頃でした。

26歳で結婚をし、二人でアメリカに留学しました。そこでは、ダブルのカルチャーショックがありました。

一つは、国際結婚だったので、家庭の中に二つの国の文化が存在するようになって、大きな葛藤を覚えました。それは、同じ国の人同士の結婚であったとしても、理想と現実とのギャップは大きいと言われますので尚更です。

また、その葛藤を抱えたまま、今度はアメリカに渡りましたので、ストレスとカルチャーショックに囲まれていました。

その上、英語が拙かったので、ESLの学びも並行しました。

憧れだったアメリカ留学は、大きな試練を経験しましたが、同時に、大きな成長をさせて頂いた時でもありました。

振り返ってみたら、神様が私に下さった一つ一つの訓練や恵みは、本当に時に適ったものであり、最善のものであったと感じます。

成人式の成人とは、「人に成る」と書きますが、20歳になったからと言って、特別に何が変わるということはないと思います。特に、男性の幼児性はまだしばらく続きます。それは、毎年の成人式での騒ぎを見ただけでも一目瞭然です。



そして、究極に言ってしまえば、この地上でどれくらいの業績を残し、成長できたと言っても、大したことはないとさえ感じます。

ジェラール・シャンドリーさんの有名な言葉に、「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。」という言葉がありますが、集めたものとは、私たちの実績や成功に当るのではないかと思います。そして、与えたものとは、キリストの姿に変えられた生き方だと思います。

キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と言われましたが、愛こそ与えることであり、愛こそ尊い生き方だと思います。

先日、韓国人の宣教師の集まりで、今年の総会長になられた牧師が、「勉強した人がいい人とは限らない。」と言いました。それは、勉強する人は、人のためではなく、通常自分のために勉強しますし、その人の人格とは全く関係ないという話をされましたが、その話しにも通じると思いますが、大切なのは、いかに人に仕え、キリストの心で牧師の働きをすることが重要かを話されたのだと思います。

成人式に想うことは、年を重ね、成人式を迎えることは素晴らしいことですが、それだけではなく、それにふさわしい中味、それは、究極にはキリストの姿、愛の人になることだと思います。

今の世の中、個人主義が蔓延し、自分を犠牲にして、人を愛するということの価値を伝え難いように感じますが、実際は、そんな人を世の中は待ち望んでいるのではないかと思います。

何か、立派な地位を得、立派な肩書きを得てから人は変わるのではなく、今この時から、そのような歩みをする人が、やがて立派な人となり、その生き方にふさわしい地位や肩書きも後からついてくるのではないでしょうか?

共に、キリストの生き方である愛に生かされていきたいですね。そう書く私に愛があると言っているのではありません。愛を目指し、愛の人になりたいと言う祈りを持って、愛の方向に共に歩んで行きたいと願いします。

そんな想いを込めて、私たちも20歳でなくても、自分の中で成人式を祝い、人と成る、そんな生き方を目指して参りましょう。

祝福がありますように。





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最終更新日  2007年01月08日 09時12分14秒
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