2007年08月13日
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今この世の中に蔓延している一つの症状は利己主義です。自分にだけ執着し、自分に関心や注目を集めたいと考えます。

聖書は、このような状態を「曲がった邪悪な時代」と語ります。そして、その「曲がった邪悪な時代から救われなさい」と教えます。

一人の体の不自由な人が電車に乗って立っていますと、目の前に座った子どもが席を譲ろうと思って腰を浮かしますと、隣に座っていたお父さんが、「お前も疲れているのだから、余計なことはやめなさい。」と言ってやめさせました。

これは非常に恐ろしい教育だと思います。この子どもの心の中に、体の不自由な人を見て「かわいそう」に思って席を譲ってあげようという思いやりの心が湧いて来た時に、「余計なこと」という言葉で片付けられてしまいました。

この次同じような状況になった時にこの子の心には、「余計なことはよそう」と思って終わってしまうでしょう。

利己主義はこのようにして広まって行くのかも知れません。

利己主義は、さらに自分が自分の主人であると考えるようになります。

しかし、人は自分の主人になり得るでしょうか? 無理です。自分の誕生一つ取っても、自分の意思でこの世に生まれて来た人は一人もいません。そして、死ぬこともそうです。自殺は、自分で自分の死を定めることですから、自分の主人になり得ないのにそれをしてはいけません。

クリスチャンになると、イエス・キリストを主イエス・キリストと呼びます。それは、この方が私の主人であるということです。ということは、私は主人ではない、私は神ではないということです。神が創造者であり、人はこの方に造られた被造物なのです。



そして、神に従うことです。神は愛です。

ともすると、私たちは自分の正しさを主張します。人間関係の中で争いが起こるのは、お互いに正しさの主張をするからです。しかし、自分だけが正しいのではなく、相手にも正しさはあります。そして、相手も間違っているかも知れませんが、自分も間違っているかも知れません。

ここで、自分も間違っているかも知れないと思う心のゆとりが大切です。そして、神の前で間違いがあるとしたら、それは、自分の正しさの主張、義を立てるという心の姿勢です。イエス様は、「あなたが正しいと言い張る、罪がないと言い張るところに、あなたの罪がある」と教えられました。

そして、正しさではなく、愛を持たなければいけないのです。

もし全てが正しいか間違いで計られ、自己責任であるとしたら、あなたは罪のゆえに地獄に行かなければなりません。しかし神は、あなたをそのように見られたのではありません。あなたを、罪があるにも関わらず、キリストの十字架のゆえに赦され、愛されているのです。

神は愛です。愛で人を見、接し、生きて行くことが大切です。

今、世界は利己主義が満ちています。このまま歯止めがかからなければ、この世界は利己主義のために滅びてしまうかも知れません。

どうぞ、利己主義から愛に。それは、愛の神と共に歩む生き方です。そんな愛の中を共に歩んで参りましょう。

祝福を祈ります。





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最終更新日  2007年08月13日 10時05分50秒
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