2007年08月24日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
昨晩から、12年前から親しくしているクリスチャンファミリー自宅に泊まりに来ていました。夜中まで、昔話にも花が咲き、楽しい交わりの時を持ちました。

しかし今日は、一日お子さんを妻が預かり、ご夫妻の協議離婚のプロセスに付き合いました。法的手続きに始まり、家をどうするか、免許の更新も御伴しました。

それは、もし自分が一番辛い時に友達がそうやって付き合ってくれたらうれしいからです。

イエスさまは、「自分がしてもらってうれしいことを、人にもせよ」と教えられました。これは、本当に素晴らしい教えです。

友達がそのように、どんな時にも味方であってくれたらうれしいものです。友達とはそのようなものです。

友達は、どんな時にも味方であり、受け入れるものです。ちょっと距離がある人には起こるようなことも、「しょーがねーなー」で済んでしまうものです。

しかし、友達には優しくするのに、ともすると、クリスチャンの兄弟姉妹には冷たい対応をしてしまうことがあります。そして、身から出た錆で苦しんでいる時には、「あいつはもうちょっと苦しんだ方がいいんだ」とか、「主の訓練」だとか言って、暖かい対応をしないとしたら、兄弟だけど友達ではないという関係なのでしょうか?

私はそういう寒々としたものを感じて、寂しい思いをしたことが何度もあります。

クリスチャンの夫婦が目の前で離婚をする時、クリスチャンかくあるべきと言って裁き、ごたくを並べるのではなく、そこに至るまでに感じた二人の痛み、後悔、罪責感、苦しみを感じて心を動かすことができたら、少なくてもそれは愛だと思います。



しかし、低俗なものを含まないような藍はどんな愛でしょうか? 困っている人を見て、お腹がすいている人を見て、言葉をかけるだけが愛でしょうか? 失敗し、挫折し、倒れている人を見て、聖書の言葉で裁き、正しさを語るのが愛でしょうか?

今日の題は離婚ですが、それは、今日、目の前で離婚せざろう得なかった友達を見たからですが、私たちは、少なくても、愛そうと願うクリスチャンであるならば、友達になろうとする心を持ちたいものです。

そんな人は、困った時、絶望の淵にいる時、問題に直面した時、主の助けがあり、また、友の助けが与えられるものだと思います。そんな時、あー、「友達っていいもんだ」、「クリスチャンになれて良かった」、と思うものだと思います。

あなたの身近な人に、そんな友になってあげられたら素敵ですね。夫婦がお互いにそうなれたら離婚は起き得ないと思います。となり人は、夫婦・親子からです。

祝福を祈ります。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年08月24日 22時11分30秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: