2007年08月27日
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人はなぜかうわさ話が好きなものです。うわさ話をする時には、「あなただけよ」と言って話します。

しかし、あなただけのあなたにも、「あなただけよ」という人が数人います。そして、その数人にも数人の「あなただけよ」という人がいて、あっという間にうわさは広がってしまいます。

そして、数日中には、うわさの張本人の耳にまで入ることもあります。

その時、この張本人はどう感じるでしょうか? 裏切りを感じ、不快を感じ、ショックを感じるだろうと思います。そして、人間関係が壊れて行くのです。

人間関係を構築するのは、非常に時間がかかりますし、多くの労力もかかりますが、それに反して、人間関係を壊すのは一瞬でも出来ます。

うわさ話は、その張本人がいる前で行うならば何も問題は大きくなりません。しかし、うわさ話のひどいのは、そのうわさ話の対象者を被告人としますと、欠席裁判のようなものです。さらに、弁護人までいないのです。

イエス様は、「裁いてはいけません。裁かれないためです。」と教えられました。私たちは、イエス様の言葉にもっと心を留めたいものです。

多くのクリスチャンが、日曜日の礼拝や1/10献金を大切にし、盗みとか姦淫と言った罪には敏感に反応しますが、うわさ話は平気で行っています。

メールでうわさ話をしたり、会ってうわさ話をし、あちこちでうわさ話に花を咲かせています。



そして、いいうわさ話を一つ紹介します。それは、いない人の賞賛だけをすることです。いい部分をほめたたえ、花を咲かせるのです。こういうことができる人は人からも信用されるようになりますし、祝福されます。

しかし、悪口のうわさ話をする人は、その場では人気があり、その場ではイニシアチブを取ることができ、盛り上がるかもしれませんが、信頼はがた落ちです。なぜならば、「もしかしたらこの人は、私のことも影でこのように言っているのではないかしら」と思うものです。百害あって一利なしです。

うわさ話をやめるだけで、どれだけ人間関係が壊れなくてすむものでしょうか? そして、愛の人に近づくのです。

自分がうわさ話が好きな人は、それに気づかない場合もあります。そして、「それはうわさ話ではなく事実です」とか、「お祈りの課題です」と言った様な言い訳、大義名分は立てられるかもしれません。しかし、うわさ話はうわさ話であり、人を裁くことには変わりありません。

神さまは生きておられ、あなたの中に共におられます。うわさ話を、人に聞かせる前に自分自身の耳も聞きますが、あなたの中におられる神も聞いておられ、心を痛められていることを知ってください。なぜならば、神は、うわさ話をするその人をも愛しておられるからです。

口を、舌を制御することは自分には難しかったならば、今日から神さまにお祈りをして行きましょう。「神さま、私の口が罪を犯すことがないよう助けてください」と。

そして、うわさ話が好きなあなたに、人をほめるだけのうわさ話をお奨めします。

祝福を祈ります。





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最終更新日  2007年08月27日 09時26分23秒
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