2007年09月03日
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恵みというのは、必ず前提があります。それは、受けるにふさわしくない者に与えられた一方的なよきものです。ただ単に、神から与えられた一方的なよきものではないのです。受けるにふさわしくないという前提があるのです。

しかし、いつの間にか恵みが報酬にすりかえられてしまいます。聖めの教理、いやしの伝道者、信仰的な手柄があった時に、気がつけば、たゆまない努力と功績と特出すべき何かがあったからそうなった、と、言葉では出さなくてもそう思いがちです。

しかし、どんなよいものがあったとしても、それは、ふさわしくないにも関わらず、神が与えて下さった一方的なよいものなのです。これを報酬にしてしまうということは、つまり、報酬とは、その働きにふさわしくという、ふさわしい存在に与えられるよきものです。よい例が、会社の給料です。

しかし、神の恵みの中には、何一つ、報酬という要素が入り込む余地はありません。ですから、努力をすることができ、よいことをする力や能力も、ふさわしくない者に与えられた一方的なよきものです。

キリスト教は、1から10まで、すべて恵みを教える宗教です。この恵みがわかってこそ聖書が理解できますし、この恵みがわかってこそ、人は変えられ成長できるのです。

また、神の恵みで赦されているとわかるので、人に対して寛容になれるし、愛の人に変えられていくのです。

また、どんなものも、生かされていることも、当たり前ではなく、ふさわしくない者に与えられた神さまからのよきものだとわかったら感謝ができます。

恵みを忘れると不満が出ます。それは報酬になっているからです。「神を信じているに、なぜこんな不幸なことが起こるのか?」「こんなにやっているのになぜわるいことばっかり起こるのか?」こういうのは全て、報酬という考えから出てきます。

今日あなたの中に、報酬、すなわち、自分はふさわしいから神から何かを頂いている、神から何かをしてもらって当然という考え方がありましたら、悔い改めましょう。どこにも当たり前はないのです。全てが神の慈悲深さゆえであり、神の愛、神の恵みゆえなのです。



私たちも、そんなビックリ仰天する神の恵みを感じていたいものです。
♪驚くばかりの 恵みなりき この身の汚れを 知れる我に♪

祝福を祈ります。





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最終更新日  2007年09月03日 08時20分32秒
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