2012年08月15日
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私は十代の時に、海で沖まで流された経験があります。後で考えたら、とても無謀なことをしました。海が荒れはじめていたのに、浮き輪も持たずに、泳いでいました。気が付いたら、岸から遠いところまで流されていました。私の心の中は、黄色信号を通り越して、一気に赤信号になりました。ただ無心になって、ひたすら泳ぎ続けました。

当時の私は、泳ぎはうまくなかったですが、大好きでした。「好きこそ物の上手なれ!?」 そして、少し変わっていたと思いますが、速く泳ぐより、ゆっくり長く泳ぐことに関心がありました。色々と工夫をして、次第に長時間泳ぐ方法を体得しました。それは、顔を水面に付けない平泳ぎですが、体の力を抜くことで浮力を稼ぎ、無駄な力を使わないことで、長時間泳いでも疲れません。また、顔を上げているので苦しくなることがありません。

話は戻りますが、私は、焦らず、あきらめず、「必ず助かる!」と信じて、2時間位泳ぎ続けたと思います。やっとのことで岸にたどり着いた時には、生きた心地がしませんでした。当然かも知れませんが、海恐怖症になってしまいました。当時は、サーフィンとウィンドサーフィンの練習をしていましたが、それっきりマリンスポーツをやめてしまいました。20歳を過ぎて、小型船舶一級の免許を取得しましたが、クルーザーヨットみたいなものには乗りたいと思うことがありますが、未だに海は気が進みません。一種のトラウマのようです。

それ以来、海から遠ざかり、山に行くようになりました。実際、山も危険がたくさんありますが、安全第一で、春と秋は山の尾根をハイキングし、夏は登山をし、冬はスキーをするようになりました。

話は変わりますが、私の経験から、川や海で溺れてしまった時には、焦らず、あきらめず、必ず助かると信じて安心して下さい。また、体の力を抜いて下さい。そうすると、浮力が自然に出て来て、案外浮くことができるものです。仮に、ライフセイバーの人が救助に来てくれたとしても、焦ってもがくと、共に溺れてしまうものです。賢明なライフセイバーは、水に溺れた人が、気を失うことを待ってから救助するということを聞いたことがありますが、水難事故で亡くなってしまう人は、きっと焦って、もがいていて溺れてしまったのではないかと思います。もちろん、他に色々な理由があると思いますが、焦ることが、助かるもののも助からなくしてしまう可能性があります。

また、泳ぎに自信のない人が海や川で泳ごうと考えることは避けるべきだと思います。まずは、プールで練習し、特訓することが先です。水は怖いものです。注意深くあってほしいです。

ところで、信仰生活において、神さまに祈り、神さまに委ねることは、この水泳で体の余分な力を抜いて、水に身を任せる感覚と少し似ています。問題が起こって、焦って、「大変だ、大変だ、どうしよう!」と、慌てて問題の解決をしようとしてもたいていうまく行かないものです。事態はかえって悪い方向に進みます。そんな時、神の言葉である聖書の言葉を頼り、「どんな時にも大丈夫だよ!」と言われる神を信じ、もがくことをやめて、穏やかにすることです。そうすると、神さまが助けて下さり、やがて問題が解決するものです。

『「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」』(イザヤ30:15)







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最終更新日  2012年08月16日 07時36分32秒 コメントを書く


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