2012年08月16日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


人が生きて行くために必要なものは希望です。希望がなくなると明日が見えなくなり、生きて行くのがつらくなります。しかし、希望があれば大丈夫です。

希望を持つためにはどうしたらいいでしょうか。希望を持つためには、まず、希望の対極にある絶望を知る必要があります。絶望は、人類の先祖であるアダムとエバが悪魔に誘惑されて、神様から禁じられた木の実を食べる罪を犯した瞬間からはじまりました。

罪が人類に不幸をもたらし、絶望を与えました。人は絶望的な存在になってしまいました。夫婦や隣人との関係に、ねたみや憎しみ、争い、怒り、悪意が入り、互いに愛し合い、励まし合い、支え合いたいのに、ハリネズミのジレンマのような状態に陥ってしまいます。ハリネズミのジレンマとは、ハリネズミが互いに温め合おうとするのに、互いのハリが相手の体に刺さるので、近づきたいのに近づけないジレンマのことです。

また、人生には様々な苦しみが満ちています。体や心の病気。借金地獄。人間関係の不和。そして、人の最後は死です。人間は、とことん絶望的な存在です。しかし、絶望がわかってそれがどう希望につながって行くのでしょうか? そして、そんな私たちを救ってくれる人はいるのでしょうか?

多くの宗教があり、宗教は人間の努力やがんばりによって救いに到達しようとつとめます。あるいは、運命を受け入れ、あきらめることを教えます。それは、さながら底なし沼に落ちた人がいたとしたら、何とか自力でそこから抜け出す努力をするか、あるいは、底なし沼に落ちることを運命として受け入れてあきらめるかのどちらかの選択のようです。

しかし、底なし沼はたとえですが、底なし沼の中にまで入って来て下さり、救い上げて下さる方がいます。イエス・キリストが2012年前のクリスマスにこの地上に来て下さったのは、ちょうど、底なし沼にはまっている絶望的な私たちのところにまで神が人の姿を取って来て下さって、命をかけて救い出しに来て下さったのです。

キリストは、私たち人類の罪と不幸と死を十字架で全て背負って下さり、死んで墓に葬られ、三日目に復活されました。ここに完全な救いがあります。ここに、絶望を希望に変える力があります。ここに希望があるのです。

私たちが、希望を持って生きて行くならば、どのような状況にあったとしても幸福です。夜寝る時にも、明日の朝起きることが楽しみで仕方がありません。ですから、希望こそ人を生かす力です。



「あんなに優しくて、礼儀正しくて、感じのいい人だったのに・・・」と、人殺しをした人のことを知る人のインタビューを聞いたことがありますが、うわべはいい人のように人の目に映っても、その心には希望がなく、幸福な人生を生きていなかったのだと思います。

キリストの十字架と復活は、人類最大の敵である死を滅ぼしましたので、それ以下の敵、それ以下の試練、それ以下の患難がやって来ても、希望は決して失望に終わることがありません。なぜならば、希望はハッピーエンドを約束してくれるからです。

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げーー それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ書29章11節)と聖書に書かれています。

そんな力強い希望をあなたも持ちたいと思いませんか? 希望は、今あなたの目の前に差し出されています。希望は、キリストの十字架と復活を信じる心によって今あなたのものとすることができます。希望を持って毎日を幸福に生きて行きませんか? 素敵な週末をお過ごし下さい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年08月17日 08時03分19秒 コメント(1) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: