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今回は脳のバランス思考を考える第3弾完結編ということで、強引にまとめてみたいと思います。(笑)前回の第2弾で理由を考えることが脳をバランスよく使うことになると述べたが、先日理由がわかるということは、こういうことではないだろうかと、いつもながらふとくだらないことを考えてしまった。昔から正しい姿勢は顎をひく事と誰かに教えられたような気がするが、なぜだろうと考えたら、それにはちゃんとした理由があった。顎をひくように心掛けて正面を見るには、どうしても背筋を伸ばさなければならないからという理由もあるのだ。別の角度から考えると、その人の体型に一番最適な姿勢というものも容易に発見できる。背中を反らせて、首もそのラインに沿って後ろに倒す。今度はその首だけを段々と前に倒して最後は顎を軽くひいてやる。そして、肩に力が入っている場合は、肩の力を抜く。理想はその際ヘソの下の辺り、いわゆる丹田に力を入れない程度に少し引っ込めるとベターである。そうすれば、自分の身体にとってフィジカル的な理由での最適な姿勢を知ることができるのである。兎に角人間という生き物は不思議なものである。脳はバランスよく使うものだと理解しておきながら、実際は脳はバランスよく使えないものだとどこかで思っている。あるいは自分は脳をバランスよく使ってないのではないかと思っている。なぜならば、『脳をバランスよく使おうとする中枢回路(神経)』は右脳に含まれているからではないだろうか。言い換えれば、脳の使い方を意識すること自体を不可能と思っているからである。それでは、『人間は左脳ばかり使ってあまり右脳を使っていない』と素直に認めるのも無理はないのではないだろうか。事実は思い込みからでも成立するのだ。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
February 24, 2006
前回の『脳のバランス思考を考えるVol.1』の続きですが、特にVol.1を読まないと内容がわからないということはありません。しかし、なるべくなら読んで下さい。(爆)ただし、私のコラムはほどんど自分で勝手に思考し、それらしく書いているだけで、学術的に証明されている事ではないので、ご了承願います。言い換えると、今の時点で誰にも証明できないことを勝手に思考実験してることも多々あるのです。『理由』を考えることが思考する事であり、また右脳と左脳をバランスよく使う事になる、と過去に何度か私のこのブログでご紹介している。以前ある人が私が『理由を考える事』が重要だと唱えたら、『言い訳はよくないのではないか』と言われた人がいた。言い訳を考えることと、理由を考えることとが全く異なるということは『火のなかの栗を前歯でカチ割る』(私の造語)ことほど明らかではないかと思う。(爆)ある物事の理由がわかったとする。その時点でその人はその理由がわかるまでのストーリー(連想)をシミュレートしたということになるので、右脳を使って理解したことになる。物理や数学の公式を記憶してそれを応用(適用)し、その公式に文章問題等のデータをあてはめて答えを導く。この脳内の論理的作業は紛れもなく左脳が司っている。言語もしかりである。決められた文法に状況に応じて単語を入れ替えて新たな文を構成する。また、我々現代人の殆どの人は左脳発想型の思考を行っており、左脳中心で物事を判断している場合が多い。かといっても、世間が騙され信じて疑わない『右脳を数パーセントしか使ってない』ということは決してない。むしろ、そう信じてしまうと、脳がそうなるのではないかとさえ最近強く思うのである。左脳発想型の思考に話を戻すと、つまり、一杯本を読み勉強し、外部の情報を吸収してから、右脳でその事実(?)をイメージし、集中して論理的思考を完成するしか真実を知る方法がない。だから、思想や宗教、本の内容や勉強の仕方にかなり影響される可能性や傾向がある。自分で考えないと外部の情報に影響されるのは必然である。自分の右脳を駆使してシミュレーションで知る理由と、左脳を駆使して外部の情報源を使って知るどちらが良いかということは一概には言えないのだが、やはり、結論は両方をバランス良く使って知ることが望ましいと思う。左脳で情報を集め、右脳で理解するのは現代社会人の主流である。但し、その外部情報が真実かどうかは左脳では判断できないだけだ。次回は『脳のバランス思考を考えるVol.3』で完結予定です。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
February 18, 2006
脳の役割をまた一つ発見したような気がした。今回の一連のライブドアに関わる事件の真相を知らない人、あるいは事件の真相どころか、名前だけは聞いたことはあっても、『ホリエモン』や『ライブドア』という存在自体を知らないので右脳で正確にイメージできず、ドラえもんの親戚みたいなのが四次元ポケットから出す錬金術さながらの新手のアイテムのようなもの(ある意味正解であるが)だと思っていた人などが、「ライブドアのホリエモン(堀江氏)は悪い人」と誰かに聞いたり、TVで見たとする。理解しづらいと思うが、要はIT関係に全く興味もなく、ライブドアが何をやっている会社かも知らず、ドコデモドアとの区別もつかないような人が、この事件の報道だけを耳にした場合ということである。今、その人の左脳では『ホリエモンという人がいてその人が悪い事をして、捕まった。だからホリエモンは悪い人。』というデータが流れている。当然ながら、このデータは外部から左脳に入った情報であるが、実は世間でも、またその人の脳内でも、事実かどうかはまだわからない。一方その時右脳は何をしているかというと、実は理由(根拠)を探しているのだ。つまり、『なぜそういう事実が成り立つのか』という理由や根拠のようなものを一生懸命探しているのではないだろうか。この場合は『なぜ彼らが捕まったのか』、あるいは『本当に彼らは悪い事をしたのか』という理由や疑問のようなものである。これは、詳しい特集記事を読んで理解したり、知識をつけることとは少し異なる。(この差がわかる人は脳をバランス良くつかっているといえる)言い換えれば、右脳をあまり働かさない人は、更なる新たな外部情報が入るまでは、いつまで経っても理由が見つからない。見つからないということは、探しに行かないということになるので、興味やモチベーションも右脳の領域だと考える。ということは、左脳だけを使っている人は、その理由(根拠)を知る事が難しいので、真実を知る事が必然的に困難になる。全く違う例をあげると、何才かになれば、「1+1=2」になるということは左脳で習ったり、理解する。これは、完全に外部からの情報である。しかし、右脳はなぜ『1+1=2』になるのかという理由を求めるのかもしれない。余談であるが、この命題は昔、某有名国立大学の2次試験で出されたこともあると記憶している。いわゆる、数式は左脳で理解するが、その理由は右脳で理解するということである。真の理解とは左脳で理解するばかりでなく、一度は右脳で考察しなければ、永遠に理解もできないし、説明もつかないと考えられる。(残念ながら私の右脳もこの理由はどうでもいいので求めないが)また、子供に交通ルールの最も重要な事のひとつである信号について教える時は、「赤は止まれ、青は進め」と教えるが、そう習った子供は、このことを教えられた当初は左脳で理解するはずである。そして、月日が経つにつれ、段々と右脳でその理由を知る(理解する)ことになる。実は子供は右脳で理解しないと理解して行動しないと私は思う。例えば、子供に『なぜ赤信号では止まらなければならないのか』聞かれたとしよう。あなたならどう答えるだろうか?まさか理由を聞かれているのに、『それが交通ルールだから、ルールは守るものなんだよ』等と答えて、子供が理解すると思ってはないであろう。その理由はいたって簡単である。『(交差点において)どっちか止まらないと、ぶつかるから順番で止まるんだよ』と教えてやれば、なぜ『青でなく赤が止まれ』なのかは特に重要ではないが、カラーと人間の関係から必然的に決まったことを子供は右脳で理解してくれるに違いない。こんな事を書きながら、右脳で発想した事を上手く左脳で文章にできない自分に少々情けなく思っている。(爆)次回『脳のバランス思考を考えるVol.2』に続く。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
February 15, 2006
タイトルを読まれた方の中には、「あれっ、日本も西洋医学だよ」と思われた方もいらっしゃるかもしれないが、実は日本と西洋では、根本的な医学(身体)に対する考え方が違うのではないかと私は思っている。例を挙げれば限がないが、先ず日本では、医者にかかる理由として、殆どの人が、即効性があると信じられている注射を打ってもらったり、薬を処方してもらう為に行く。医者や病院と製薬会社との癒着に近い関係などもあるが、そもそも客である患者がそう望むのであるから、医者もそうせざるを得ないのだろう。西洋、少なくともここニュージーランド(NZ)の場合は意外にもできるだけ薬に頼らず、自然治癒力で治させるようにする場合が多いのだ。勿論、医療保険者が民間の企業で、その加入が任意ということもあり、薬も処方箋をドクターに書いてもらい最寄の薬局で購入するシステムなので、患者の為には余分な薬は処方しない。また、西洋では治療中や手術後の『痛み』に対して、日本に比べるとかなり過剰なケアがなされている。日本では通常、術後の鎮痛剤の分量は医者が処方する。しかし、ここNZでは、予めベッドの横に設置された、大量の鎮痛剤が入っている点滴を、患者の体内に注入できるようにボタンがついている。それを患者自らの判断で、いつでも何回でも押していいのである。もし、痛みを我慢していたり、余り痛みを感じなくて、ボタンを押していなかったとしても、巡回に来た看護師が『我慢してはだめ』などとわけがわからない事を言われ、勝手に押して退室していくこともあるのだ。また、入院日数もベッド数の不足という理由が多少はあるかもしれないが、日本に比べてかなり短い。入院中の食事にも余り制限はないようだ。そして、驚くべき事に、手術直後でも動けるようになれば、直ちにシャワーを浴びるように言われる。寝たきり老人の回復法と同様に、人間の身体は動かせば回復が早いということなのである。ちなみに、帝王切開で出産した場合、入院は4泊か5泊くらいで、シャワーは翌日に浴びさせられる。また、打身や筋肉痛で医者にかかると、通常シップ薬は処方しない。その代わりにスーパーマーケットでも販売している痛み止めを処方するのだ。私は最初、『(´‐` ;)ソ・・ソンナァバカな』と思っていたが、よくよく考えると、かなり理にかなった処置及び処方なのだ。つまり、痛みを感じるとは、従来その部分が傷ついていたり、異常があることを脳に知らせ、脳が治癒させる為の処置を各機関に命令する為のものでもある。しかしながら、痛みが継続すると、かえっていつまでも脳が身体に異常をきたしていると認識するので、治癒するどころか、その痛みの部分における本来の機能を停止するように脳が命令するのではないかと思うのだ。具体的な例を挙げると、筋肉痛や、捻挫、肩こりなどは続けば続くほど、その部分を動かす事をしなくなる。その結果、悪循環で治癒が遅延するのだ。以前私は、患部の痛みや苦しみに耐えることが治癒に早く結びつくと思っていたが、実は全く逆だったことに近年気づいたのである。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 10, 2006
前回の『脳が要求していること』からの続きです。これを読まれる方は先にこちらを読まれたほうがわかりやすいと思います。前回は脳が要求しないことをすると、寿命が短くなるという話をした。今回はなぜそうなるのかを考察していきたい。一言で言うなら、脳内に矛盾が生じるからである。脳内に矛盾とは、精神的な矛盾だけではない。肉体的にも脳と身体の間に矛盾が生じると、過度なストレスが生じる事にもなる。 殆どのストレスの原因はこの脳内矛盾が大きく影響しているのだ。ストレスが増えると、当然血管が細くなり、老廃物も溜まり、血管が詰まりやすくなるらしい。 そうなると、成人病といわれる病状が発生する確率が高くなる。成人病とは医学的にはどう定義付けられるかは知らないが、免疫系が問題で起こる病症ではないのではないかと私は思っている。だから、成人病は免疫力が高まっていても、一度発病すると、リカバリーに時間がかかるのではないだろうか。言い換えれば、成人病とは積み重ねの病気なのである。癌などは、諸説があるが、私は成人病とは逆で免疫系の強弱にかなり影響される性質だと思う。免疫系の強弱とはいっても、弱いと癌になりやすいかというと、そうとは限らない。免疫系が異常に強過ぎたり、弱すぎたり、たまにコントロールが利かなかったりしても、癌細胞生産の原因になるのではないかと考えている。では、成人病に話を戻そう。成人病とは、単に糖尿病や肝臓、心臓だけの病気ではなく、いろんなケースがなるのではないだろうか。その成人病から逃れるにはどうすればいいかというと、「脳が要求しないことはしてはいけない」更に、「脳が要求することをやればいい」のである。ところが、必ずしも本当は嫌だけどやらなければならいことが、脳が要求することとは限らない。では、どうすればいいのかというと、嫌と思うのであれば、やはりやってはいけない。やりたい事だけをやるのである。やりたくない事はご法度なのだ。(笑)脳が要求(欲求)することだけをするのだから、仮にあることをしたくないのに、しなければならない場合でも、そんなことはどうでもいい、やりたい事をやればいいのだ。これは、理想でもきれいごとでもない。やりたい事以外のことをやると、脳内矛盾が生じると説いているだけなのである。例えば、寝る事が脳が要求することだとしたら、寝ればよい。しかし、寝ないで、脳が要求しないことをやると当然脳内矛盾が発生する。だから「あることをしたくない」というマイナスの思考と観点は捨てていただきたい。そうすれば、何かが変わるかもしれない。そのやらなければならない事を、やりたい事に変える思考は十分に可能(可脳)なのだ。その為には、常に自分が、自分の脳が何を要求(欲求)いているのかということを知ることが重要ではないだろうか。今回は、少し説明不足なので、後日また詳しくまとめてみたいと思います。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 5, 2006
脳が要求(欲求)しているとは、考えようによっては当たり前の事だが、3欲を含め生きてゆく為に必要なことではないかと私は思っている。しかしながら、この意味の中には「では、脳が要求しないことはしてはいけないのか」と言うような疑問も含まれるのだが、答えは、YE------ d(゜∀゜)b ------S!! である。基本的に脳が要求しないことは、決してしてはいけないのである。これは本能や理性との関係とはまた違う話であるが、これを続けていると、寿命を短くすることになる。次回は、ではなぜ寿命を短くするのかについてご説明します。 人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 4, 2006
強く思ったり、イメージするとそれが現実になるといわれるが、それがなぜそうなるのかという説明を誰にでもわかるように考察してみた。例えば、あなたが絶対に悪い事が起こるとか、事故を起こしたり、事故にあう状況ばかりを四六時中(歯を磨いているときも、トイレにいるときも、車を運転している時も、電車やバスに乗っている時も)イメージしたり、考えてばかりいると、「いつか本当に事故を起こすのではないか」等と思わないだろうか?ここで、もし「いや、自分は決して思わない」という人がいらっしゃったとしても、その人は脳のどこかでこう思ってはいないだろうか。「何を思っても、自分は絶対に大丈夫だ。事故なんて起こすわけがない」と。要はそう思っている思考の方が、「事故を起こす」という思考より強いだけの話なのである。また言い換えれば、イメージした通りになろうと脳と身体が準備を始めようとしているのだ。だから、ついついマイナスな思考や言動になるのは、皆思った通りになるとわかっていながら、もっとマイナスな状況になりたいからという思考の結果なのであることもわすれてはならない。それでも「世の中思い通りになるわけがない」と思っている方は『そう』思っているのだから、思い通りにならなくて当たり前なのである。そういう人は比較的受け入れやすいマイナスのイメージのほうから体感してみてはどうでしょう?(ただし本当にやると、そうなりますから注意してくださいね。責任は持ちませんよ) 想いと、その結果は一体なのである。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 1, 2006
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