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アメリカのシアトルでご活躍中の菊池みどりさん(本当のハンドルネームはかなり長い)から連想思考バトンというものを受け継ぎましたので、引き継がせていただきました。実は回ってきたのは『イメージバトン』だったんですが、勝手に連想思考バトンに変更しました。以下は菊池さんからのコピペです。【バトンのルール】イメージでつながっている言葉(キーワード)の最後に自分のイメージを1つ新しく付け加えそれを新たに『3名様を指名』した上でお渡しする。らしいのですが、私はあえてバトンは1人に渡したいと思っています。(どうもねずみ講のイメージが....(爆))【ちなみに】《「海」》から始まって、現在は『アルフレッド・ヒッチコック監督』だそうです。【現在までの経緯】海→ブルー→サッカー日本代表チーム→ドイツ→ソーセージ→バーべキュー→かに→白砂→砂丘→海→太陽→ひまわり→たね→すいか→うめぼし→和歌山→みかん→あたしンち →猿山→赤ちゃん→フレンチブルドッグ→おばあちゃん→ボーリング→ハイタッチ→アメリカ→カジノ→ドラクエ!!! →スライム→キング→トランプ→マギー審司→ジュエリーマキ →後藤真希ちゃん→モーニング娘。→テレビ東京→旅→駅弁 →牛タン→カルビ→脂肪→カプサイシン→ナルリョライスンヨプ →金山知憲→ミラクルホームラン→逆転→旗→体育祭→うちあげ→飲ま飲まイエイ→一気のみ→ウコン→インド人→ガンジー →ゼンジー北京→バンジージャンプ→SHONENJUMP→ナルト→博多弁→和田勉→天然ボケ→浅田美代子→女系家族 →婿養子→カカァ天下→カイヤ→巨乳→叶姉妹→美香→サルサ→情熱→赤い薔薇→おちょう婦人→縦ロール→名古屋嬢→しゃちほこ→グランパス→リゾートホテル→無縁→ルーズソックス →なが~~~い→しっぽ→ポニーテール→少女→ロングヘアー →貞子→暗黒舞踏→デスマスク→ナポレオン→痛風→飽食→グルメ→TOKIOの城島 茂→茂子→あひる隊長→村長 →ヒゲ → サンタクロース→プレゼント→アクセサリー→キラキラ→雪(の結晶)→北海道→実習(先)→調理→パスタ→カルボナーラ→フォーク→食器→レストランバー →お酒→忘年会→鍋→やかん→カップ麺→熱湯3分→コマーシャル→居酒屋クーポン→半額→スーパー!→スーパーヒーロー→仮面ライダー→藤岡弘→知らなかった芸能人→効かなかった霊能師→ぎぼあいこ→肝試し→運試し→おみくじ→初詣→人ごみ→痴漢→夜の公園→満月→危険な夜→不倫→麒麟→渋い声→中尾あきら→長いマフラー→ピエロ→ピロシキ(食べ物)→アイスコーヒー→アルバイト→ビアガーデン→祝賀会→サイコ~!!→アルフレッド・ヒッチコック監督→( )******************ヒッチコック監督といえば、かなり昔見た恐怖映画『The Birds(邦題:鳥)』が印象深いのですが、そんなのはありふれてますので、昔の深夜番組で中村ゆうじ氏がバラエティーの1コーナーで『ヒッチコックニュース』というのをパロディーでやってたのを思い出しました。なので、『中村ゆうじ』に一度は決定したのですが、肝心の中村ゆうじ氏をご存の方がいらっしゃらないようなので、無難なところで、『サスペンス』にします。それで、バトンは引き続きチャフィーさんにお願いします。どうかよろしくお願いします。m(__)m人気blogランキングへ:とりあえずプチッとよろしくです
January 30, 2006
あるひとつの知っている事を思い出すのに、『イメージ』で思い出すか、あるいは『文章』で思い出すかで、右脳を使っている割合が変わってくる。理想は、そのあることを知った時に、文章で理解するよりも、イメージが残って理解するほうが望ましいと思う。ここで注意しなければならないのは、「通常は文章を読んでからイメージするのではないのか」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、『閃いて知ったこと』は文章からではなく、殆どがイメージの延長からということも知っておいていただきたい。では、「文章を読まないほうが右脳が働くのか?」という疑問も勿論浮上することにもなるかもしれないが、答えはYE------ d(゜∀゜)b ------S!! である。文字を読まないでイメージする方が、右脳は確実に働いているのである。世の中には、本を読んだり、外からの情報からしか知識が身に付かない人と、外部からの情報を必要としなくても、同様の知識を身に付けることができる人とが存在する。簡単にいうとこういうことだ。以前、あるTV番組で、グラビア系のアイドルのような人がこんなことを言っていた。「私はレストランでバイトをした時に、食器洗い専門の人にコップの洗い方を習ったので、口紅とかも落とす事ができますよ。」と自慢していたのだ。どんな特別な洗い方かと思ったら、なんのことはない、コップの口の部分に沿って洗剤がついたスポンジを回すだけの事である。普通は、少し考えれば、というか考えなくてもその発想は常識に近いと思ったのであるが、その人は考えなかった為に、外からの情報により、知識をつけたことになるのだなと、勝手に解釈した。ここで、今、『本を読んだり、外からの情報を取り入れる事が無駄といっているのか!』と思われた人がいらっしゃるかもしれないが、その人は残念ながら、考えないで知識を本や外からの情報のみで吸収している人なのかもしれない。勿論、本を読んだり、情報を得ることは無駄ではない。私は本を読まないほうがいいとか、時間とお金の無駄だとは一言も言っていない。右脳と左脳をバランスよく使うには、本を読んだり、外からの情報を取り入れるほうが、圧倒的にバランスが取れるはずなのである。だから、本は読んだり、情報を取り入れるほうが良いに決まっている。ただ、どうせ読んだり取り入れるのなら、本を読む目的等を、今もっている最大限の知識を使って、その本などの内容について自分自身どう考えるかということを、読む前にイメージして、その自分の考えを確かめる一つの手段にしたいものである。そうすれば、読んだり、理解するスピードが速くなり、要点も容易につかめるはずだ。知識はメディアから吸収するのではなくて、メディアを文字通り媒体として、自分のイメージの一部として吸収したほうが、知識として脳に蓄積されやすいかもしれないのだ。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
January 26, 2006
あることを発見したり(気づいたり、閃いたり)することは、その発見した人や対象者によって、全く重要度が異なるものである。世間では普通に当たり前のことかもしれないのであるが、それでも気づかないことは山ほどある。私も、自分ではただ当たり前だと思っていたことについて、改めて何かを発見することがよくある。(どうでもいい発見ばかりであるがw)あの20世紀最高の天才物理学者とも言われているアインシュタインも、相対性理論を閃いてから、世界的に更に有名になったが、その偉大な相対性理論も、我々の脳では当たり前と思っていた事を理論的に説明したに過ぎない。つまり、厳密に表現すると、なぜそれが当たり前と思うのかという理由は、当時他の人にはどうでも良かったか、あるいはかなり専門的な物理学に興味がなければ、そんなこと考えようとしなかっただけのことである。ただ、アインシュタインにとっては、かなり重要だったということである。余談であるが、アルバート・アインシュタインがノーベル賞をとったのは、当時相対性理論が彼の論文から世界中に発表されていたにもかかわらず、『光電効果の法則の発見及び他の物理研究の成果』という名目で受賞した。そうなのだ、ノーベル賞の審査委員からの観点でも、当時の政治的な部分を除けば、結果的には相対性理論の発見はあまり重要ではなく、少なくとも、ノーベル賞受賞には値しなかったということになるのだ。ちなみに、ノーベル賞の定義なるものは、『人類に大きな利用価値をもたらすような、新たな発見に対して授与する』なので、そういう理由にもなるが、逆に考えると、「いま利用価値がないものを発見することが良いことなのか」という疑問も生まれる。(笑)だから、他人には全く興味がない発見でも、自分には物凄く重要な発見があってもいいのではないだろうか、と考えたのだ。私が生まれてから現在までの、自分にとっての最大の発見は、なんといっても、脳や身体を含めた自分という存在にとって、それらの各部、各機能が肉体的にも精神的にも過度のストレスを受け、各限界を超える事を経験すると、自分を傷つける、ということを知ったことである。この様に書けば、もっともらしいように思えるが、実際は超基本的なことなのだ。要は、生まれた瞬間から、誰でも最初に自分の脳が発見する、自分自身にとって一番重要なこと、と思うのである。「これは本能で、誰もが認識することだよ」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、そうなのだ、これはある意味本能なのかもしれない。だが良く考えていただきたい、近年、とはいってもおそらく数千年くらい前から、本来人間が持っている(いた)本能が部分的に失われているという事実も忘れてはならない。ということは、私が考えた、一見、本来人間にとっての当たり前のことが、意外にも当たり前でなく、わかり分かり難くなっていることもあるのだ。この発見に一番関連が深い例が、『癌細胞ができる前に脳が何を知った(認識した)か、脳内で何が起こっていたか』ということ、である。癌細胞はご存知の通り、自分の細胞が傷ついて再生する際、そのDNAが突然変異を起こし、ミスコピーされたときに発生(発症)するものである。特殊な例を除いては、外部から侵入してきたヴァイルスでもバクテリアでもない、自分自身が生み出しているのだ。人間が普段生活していく中で、心理的に自己嫌悪や自己欺瞞(ぎまん)に陥ると、自分を保護する為のセキュリティーが自動で解除される。心理学でいう自傷行為などはその典型で、癌を作り出すプロセスとなんら変わりはないのだ。当たり前のはずの発見がこんな事まで飛躍してイメージさせる。世の中には、当たり前の事に様々な発見事項が隠されているのだ。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
January 21, 2006
今日は私の誕生日、1月18日である。気のせいかも知れないが、私は18という数字にはかなり縁があるようだ。というより、私の父方の家系に18という数字にゆかりがありそうなのだ。先ず、家系に18日生まれの人が確率的にはありえないくらい多い。次に、父方の叔母が献身的に供養していて、私も地元にいた時には、年に必ず何回か足を運んだ、神様だか仏様が丁度18人である。余談になるが、とはいってもこの話自体が余談のようなものだが(爆)、父方の家系は次男が次男を作る。どういう意味かというと、長男は2人またはそれ以上の娘を産出し、次男は2人の男の子を産出している。だから、うちの長男が生まれて1年と経たなかった頃に帰省した際、周囲からは、必ず次男が生まれるといわれた。当時は2人目をつくる気も全くなかったが、案の定2人目も男の子であった。だから、代々次男の子孫が名前を受け継いでいる。ところが困った事に、その次男が私と私の父親を筆頭に愚弟なのだから家が繁栄しなかったのも不思議ではない。(苦笑)また、数年前に嫁が博物館行き(こんなの博物館にはないが)くらいの超巨大子宮筋腫摘出の手術をしたのも数年前の1月18日で、そして偶然にも今日、私の母が大腸のポリープの摘出手術を受けた。実は本当は手術は先週のはずであったが、当日、病院からベッドが空いてないので入院を延期してほしい、という連絡があって今日になったらしい。幸い、摘出前までは悪性の疑いが強かったが、良性だったようなので一安心ではある。などというようなこともあり、毎週この18という数字が入ったロッテリー(ロトナンバーズ)をかなりの数買っているのだが、当たるわけがない。(爆)人気blogランキングへ:プチップチッとお願いします
January 18, 2006
先日、日本にいる友人の女性が、メールでやり取りをした際に、面白い事を書いてきた。 彼女曰く、日本語は口先だけで発音するからなんだか力の入らない感じで、婉曲表現が多い。だから遠慮がちで身体全体で伝えようという意思がなくポジティブでない言語に感じる。 それに対し英語を話す時は、口先だけではなく他の身体の部分の筋肉も使わないとうまく発音できない。また、テンションを高くし、抑揚を明確にしないと調子が出ない。そうするためには、はっきり自分の意思や意見がないと筋肉も動かないから言葉に出せないので、英語はとても自己主張のはっきりした言語だと思う。というのである。また、その後こういう内容で付け加えていた。英語という言語は独特のリズムがあり、すごく説得力があり、強気かつ陽気な感じである。日本語がもごもごした遠慮がちな子供だとしたら、英語が陽気で意見のはっきりした大人ってイメージで、日本人は『どうしようどうしよう』って、和になって話し合っているうちに気が滅入っていくが、英語圏の人は『こうしてみよう、どうにかなるから』って明るいイメージだ。確かに、英語圏の人でもネガティブな人いて例外は多々あるが、私はこれを読んでなるほど、と思った。英語は世界中の言語の中でも、最も合理的な言語に属する。その最も合理的な言語を操るネイティブスピーカー達の間で、昔から身体全体を使ってのボディーランゲージが発達した理由も頷けるような気がする。また、英語は日本語に比べて使用する周波数領域が高い。高周波を脳に聴かせるということは、脳がα波を発生する手助けもする。余談であるが、モーツァルトなどのクラシック音楽も脳にα波を発生させることが認められており、モーツァルトを聴くと英語の上達につながる事も今では常識となりつつある。人間の左脳にある言語中枢は約7歳くらい(私は年齢制限はないと思っているが)で一応一通り完成するといわれている。人間は生まれてからある年齢までは、世界の全ての言語に適応できるように脳のニューロンを構成しているが、成長する過程で、不要と判断される周波数領域は雑音として処理されるようにニューロンを簡素化し再構築しているらしい。だから、我々日本人が英語や他の言語を習得するには、外国人と比べ、多少苦労を強いられるのかもしれない。高い周波数の音域を発声するには、できるだけ腹部や肺の筋肉など身体全体を使わなければならいとしたら、以前のコラム『脳のパターン認識』でご紹介した脳細胞あるいはそれらのDNAがONになるということにもなるかもしれない。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
January 16, 2006
私は自分で独自に考えたストレッチを実行しているが、ストレッチに脳を集中しながら行うと様々なことを発見することがしばしばある。掌には無数のツボのようなものが存在する。この手をいっぱいに広げる運動は簡単なようで意外にも難しい。例えばこの掌と各指の間隔を何も触れないで自力で思いっきり広げようとした場合、身体全体の感覚を無視し、掌や指だけの感覚を優先してしまうと、痛いとか筋肉の張りなどを感じ、『もうこれ以上は無理だよ、そろそろ限界だ』という感覚が脳を支配する。なので、掌が本来可動可能のポジションまで十分に広がらず、筋肉や骨の違和感や不快感まで感じてしまう。それに対し、掌や指だけでなく身体全体に集中し、各部を動かしながら掌や指が一番広がるポイントを見つけてやると、実に気持ち良く掌や指が広がり、それまで使っていなかった筋肉や感覚を実感できる。そこで、身体に運動をさせる運動神経や感覚神経の伝達経路について自身で感じながら考えてみた。 実際には医学書や専門書を読めば、詳しく載っているのかもしれないが、今回は医学的な観点は余り参考にしない。脳から身体につながる神経経路は一本だけで、命令と感覚のデータが常に双方向に流れているのか、あるいは二本の神経経路で逆方向にそれぞれ命令と感覚のデータが流れているのかということを考えてみた。実際はどうなのかわからないが、物理的には神経経路は一本だけで構成されていると考えたほうが辻褄があうようだ。もしそうだとすると、筋肉を使っての運動を継続するということは、脳からの命令と感覚のデータが超高速で行き来するということになる。ただし、この超高速の処理は必ずしも命令と感覚認識を交互に繰り返す必要はない。つまり、脳からの『感覚情報を取り込め』という命令が下されてから初めて感覚情報を取り込むのである。我々の身体は脳内の処理の仕方しだいで、命令をメインにするか、あるいは感覚をメインにするか決めているのだ。この脳からの命令と感覚のどちらを優先的に発信及び処理するかで、運動神経の良し悪しにも関わってくるのではないだろうか。また、脳が感覚を認識するのも、筋肉に命令を下すのも常に脳から伝達信号のようなものが発生しているのではないだろうか。もっとわかりやすく言うと、神経が通っているからといって、脳が『今あそこの神経はどうなってるの?』って見に行かなければ、感覚というものは正確に伝わらないのではないだろうか。だから、スポーツや格闘技の試合中の負傷や怪我、あるいは交通事故を起こしたり負傷した直後は、血や負傷箇所を見るまでは痛みなどを余り感じないことがあるという現象も納得できるかもしれない。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
January 12, 2006
突然であるが、『好き』という事はどういうことかを考えてみた。『好き』ということは、その好きなモノ、事、人等を考えると、自分にとってプラスになるということになる。このプラスになるというのは、元気が出てきたり、ドーパミンが脳内に分泌されたりという意味で、必ずしも打算的な思考でのプラスではない。また好きなものは、身体的にも良い影響も与えてくれるものだ。なので、私が思考するところによると、タバコや酒も決して悪いばかりではないということである。何でも度が過ぎると決して身体にとって良いことではないと思うが、適量や適度な頻度であれば、むしろ身体に良いということだ。では逆からも考えてみよう。つまり『嫌い』についてはどうだろうか、ということである。そう、嫌いをなくせば、世の中にはなんとも思わないものと、好きなものしか残らない。以前ご紹介したコラム『「嫌い」は存在させない』でも述べさせていただいたが、『嫌い』や『苦手』思考をなくせば、ハッピー度は指数関数的に増加してもおかしくはない。しかしながら、普通はこれがなかなかできないらしいのである。バランスを考えると好きなものがあれば、当然嫌いなものがあって然るべきだと考えるのが、人間の思考である。しかし、バランス絶対思考だと、人は幸福と感じた分だけ不幸と感じることになってしまう。気持ちいいと感じた分だけ、不快な感覚や痛い感覚を脳が待ち受けていることにもなる。それが人生であると信じている人には何も言う気にはなれないが、それが本当なら、世の中に不公平という言葉は消滅してもおかしくないはずだ。普通の人がそう考えてしまう理由の一つとしては、快感を得た後には必ずその感覚を和らげるセロトニン等の物質が脳内に分泌されるということも関係しているのだろう。ここで、話を『好き』の原点に戻そう。あるモノ、事、人等を『好き』という感情はどうやってクリエイトされたものなのだろう。そのことを考えたり、実行している時に快楽や幸福感、充実感などが高まったから、好きになったのか、あるいはそれらが理由もなく好きになったが、好きと思うと快楽や幸福感を得られるのか。私はきっかけは必ず前者の方であり、一瞬でも何らかのプラスを与えてくれたから好きになったのであると思うが、その好き度を増したり、快感をたくさん得るには、後者の好きだからより快楽や幸福感が高まる思考ルートも使用すべきなのだ。ちなみに、「好きに理由はない」とか「理由もなく好きになった」などと聞くが、理由もなく好きになったのではなくて、好きになる前は嫌いかなんとも思っていなかっただけで、好きになる理由は必ずある。『好き』なもの(事または人)という一つの定義づけは、それを考えたり、実行すると自分が元気になるものなのである必要がある。だから、人間は全てを好きにはなれないのかもしれない、とも思うのである。人気blogランキングへ:少しでもなるほどと思われたら、プチッとお願いします
January 6, 2006
前回の『脳のハードウェアVol.1』で触れさせていただいた二つのうちのもう一つ目めは、人間の脳や身体の制御に近づくようなハードウェアを考えた構成ということである。つまり、脳の構造を把握する為、脳の機能をコンピュータに代替えさせた場合の一例を示し、自分の脳をコントロールし易くするという考え方である。私が考えた基本的な構成はメインのCPUが2つある。それも、超大容量のレジスタやキャッシュメモリを備えているということが大前提である。いわゆる右脳と左脳に値するものが各一つずつあるのだ。またここで重要な事は、右脳と左脳の役割はソフトウェアが決めているので、ハードウェアの範疇ではないということだ。普通なら一般的には、『心』のようなものがあると思われている、感情等を司る前頭葉部にあたるところにもメインのCPUを設置することが望ましいのかもしれないが、私はあえて左右の脳それぞれを独立させる事にした。またそうする事により、人間本来の能力が発揮できるのだと思っている。また、小脳で司っている各種器官と運動系にもプロセッサーを設置したい。そして、五感に相当する各種センサーの処理にアルゴリズム解析の為の専用のプロセッサーを設置し、メインのCPUの負担を効率良く軽減させる事ができるのだ。余り関係ないことであるがセンサーの配線はパラレルではなくてシリアルに設置し、シンプルにしたいものである。ハード、ソフト両方の割り込みポートに当たる部分をかなり備えていなければならない。『割り込み』とはこの場合、緊急事態や火事場の馬鹿力を出す状況、または反射的な行動をとらなければならない場合という意味を含んでいる。各CPUやプロセッサーはそれぞれ短期のデータ保持、長期のデータ保持、永久データ保持の3段階の記憶装置が接続されている。しかしながら、各プロセッサーが処理する前の生データをメインのCPUにそのまま持っていていって処理しても良いが、処理効率はかなり悪くなる。ということは、ソフトウェアーでどう効率よくCPUに考えさせたり、記憶させたりするかが重要になり、またそれらの違いが個性や能力というものの差になっているのだ。人気blogランキングへ:お時間割いて読んで頂き有難うございます、ついでにプチッと応援よろしくお願いします
January 3, 2006
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