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携帯に納められた二枚の画像は、訳あって暫く行けなかった場所へ再び訪れた時のもの。十年一昔と言うだけあって、其処はすっかり様変わりしていた。そして絶対に忘れる事は無いだろうと思えたあの日の体験も鮮烈な印象は薄れながら、過去の記憶の一部として今は残されていた。こうなる記憶の曖昧さをなんとなく予感できた。この先どれ位か見等も付かないほど続いていく自分の毎日がこの体験を習性化させてしまうであろう予感を。だから…私はそうなった時の為にと、あの頃の見たまま、感じたままを書いて残した。遡ること12年…希少価値の食材(野草)が採れる場所として地元でも知る人ぞ知るこの砂浜で、私はミステリアスな出来事に遭遇する事になった。これは私の潜在意識がそうさせたものなのか…分からない確かに「見た」という事実だけを作り上げたそれは実体のあったものなのかどうか…今でも分からない。あの当時、今のように携帯電話が身近なものであったならすぐにパッシャと写真を撮る事も思いついたかもしれないが残念ながら12年前、まだピッチも出回っていた頃の携帯は持っていたとしても、機能は充実しておらず、何かあった時すぐに取り出す感覚で使用してはいなかったように覚えている。いや、出来たとしてもあの時の私の混乱した真っ白な頭では携帯さへ思いつくことは出来なかっただろう。結局、何も…何も確かめることが出来ない状況に流されてしまった。かつて、すぐ海に面していた目の前には堤防が出来、それだけで『あれ』はこの辺だったよね?と思うものの距離感が鈍っている。だけど…今回も不思議。確かこの辺と思う位置に、まるで目印のようにポールが立てかけられていた。 正確な位置ではないかもしれないが、もしかしたらこの目印も天のお導きかも知れない…此処で良し、としよう。ずっと気になりながら、理由あって行き出せずにいたこの場所で弔いの為、持参してきたお線香を焚き、手を合わせた。雨が降ってるわけでもないのに、途中、何度も何度も消える線香の火に、これまで天使だと例えてきた『あの子達』のピュアな息吹が少し変わってきていると感じた。お線香ぐらいで供養できるものではない、そう言われているようだった。無理も無い。私の悠長な対応がこんな長い時間を悪戯に過ぎ去る結果を作ってしまったのだ。今年で13回忌…仏教でいえば大事な法要の節目を迎える。 天使のSOS~つづくにほんブログ村
2013年09月27日
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一番書きたくて書けなかった事墓場まで持って行きたくは無いと考えていた事そこまで思いながらも、今日まで何も出来ずにいた事をブログ題材【死について、悔いについて】に乗っかって書いてみようかと言う気になった。それでも、この問題に向き合ってきた十数年という時間が私に『待った!』を掛けようとする。それは、時間によって培われた忍耐性なのか、慎重さなのか踏み出す事への恐怖なのか・・・いつもこうだ。狂わんばかりの吐き出したい思いを持ちながら、私は自分を制止するもう一人の自分に負けてきたのか、それとも救われてきたのかどっちだか分からなくなっている。負けているのは弱さゆえの心からで、救われているのは理性からだと思う。それでも、吐きださなかったら、将来、自分の死に直面する場面で後悔するんだろうな…という所だけは見えているという我侭な問題だ。自分を救えるのは自分自身でしかないことにも気が付いているというのに。私の行動力の欠如からと、読んでいる方にとってはイライラして来る方もいるだろうが・・・どっちに転んでも、どんな問題にもアンチな人や考えはいる。だから、吐き出してしまいたい…もしも、もしも、こんな問題に直面した時、貴方ならどうしますかと尋ねる為に。私の取った行動は何が間違っていたのか教えて欲しい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・このブログでも不思議体験集として幾つか紹介してますが私は過去に何度か不思議と思える出来事に遭遇している。だが、不思議な出来事は何かしら意味のあるものだったりする事が多い。12年前のある日…ある浜辺で私は『あるもの』を見た。それを天使のSOSだと受け止めたのは私の勝手な解釈かもしれないが、この出来事の背景も私には、覚えのあるものだった。それが発端となって一歩を踏み出してしまった私。墓場まで持って行きたくは無いこの話を、追々と語って行こうと思う。にほんブログ村
2013年09月07日
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