元・天津駐在員が送る中国ビジネス・エッセイ

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2008.12.30
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カテゴリ: 日本社会
今でも文武両道という言葉はよく使う。
江戸時代も、現代と同じく、文武両道を旨としていたようである。

中国では、文は文であり、武との混同はしない。
そこら辺が、日本と中国の違いであるような気がしている。

さて、江戸時代の文武と現代の文武は同じなのであろうか。

江戸時代、文というと、儒教で有ったようである。
つまり、道徳と考えてもいいかもしれない。
徳を積む、人間を修練する為の学習が文だったのではないだろうか。

今でも文といった場合、儒教的な感じを持つのは私だけであろうか。

では、現代の勉強とは、なんであるかというと。
英語、数学、国語、社会、歴史、理科という事になる。

同じ「文」とは言っているが、全く違ったものである。


さらに、武は、どうであろう。
江戸時代の武とは、剣道。
剣道といっても現代の剣道とは訳が違う。
最終目的は、敵を切ることである。
強盗や殺人犯のように、なにも持ってない相手をきるのではない。
相手も刀を持ち、訓練をしている人間を切るのである。
切るといっても、切られるかもしれないという不安がつきまとう。

現在の武といえば、スポーツである。

チーム精神を学ばせる。
といろいろ考えられる。

しかし、江戸時代とは重みが違う。


現在我々が受けている教育は、文ではなく、技といった方がしっくりくるように感じる。江戸時代の武士は、文で、徳というものをいつも考え続け、武で、死というものをいつも見つめ続けてきたのだろう。今更、我々は、そういう風にはなれそうもないが、せめて徳という事は、我々も考え続けた方がいいのではないだろうか。ならば、現代は、文武両道ではなく、
= 文技武三道 =






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Last updated  2008.12.30 07:58:30
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