与え続けること と 工夫すること

与え続けること と 工夫すること

2008.01.28
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カテゴリ: 本、雑誌から。




家内工業は企業による量産時代となる。

そこで、こうした量産体制で流れ作業の機械と一体化して働く人材作りが求められ、

公教育としての学校教育体制が作られた。

学校教育の表面のカリキュラムは、文字や算数などを教えるために作られているが、

実は、隠されたカリキュラムがある。

それは第一に、時間厳守。工場を操作する時間を守る必要があるから。

第二は、上司の命令に絶対服従のこと。これは量産体制の工場では人は組織の一部となって
働かされるので、命令に素直なことが求められるから。


行う忍耐力が求められるから。

やはり、学校教育とは、人を組織の一部に組み込むための人づくりをする部品工場だった。




日本では、現在のような公教育が制度化されて、百年そこそこである。

この制度は時の政府が日本より進んでいる西欧文明諸国の学校教育制度を取り入れることで

諸外国からの遅れをとりもどし、富国強兵政策を推進するために、文盲率を減らし、

国民の知識向上に役立てようとするものだった。







今から、175年ほど前に起きた産業革命のころ。

一握りの特権層の子供ではなく、平民の子供達を大量に教育し、コントロールしなければ
ならなかった。

産業革命以前の時期に、子供が成長するのに必要とされたスキルとは全く無縁の、

行動様式や初歩的技能の教え込むために、「教育」が動員された。



これをやりきるには二つのことをしなければならない。

一つは子供の自由な精神を破壊することです。

一箇所にじっと座っていたい、並んでいたい、言われたとおりのことをいつもしていたい
と思い込ませなければなりません。

かけっこするなど、もう許されません。もはや、自由はない。



ただただ厳しい規律を受け入れていればいい。誰もが同じ事をいつも必ずしている。

適応しなければ、罰せられる。

二つ目は、子供達にある特殊なスキルを教え込むこと。

読み、書き、計算。この特殊なスキル。

子供達は読むことを覚えなければならない。指示を読めるようにならなければならないから。

書くことも教え込まねばならない。文書作りできるようにならないといけない。

算数を教えこまねばならない。そうすれば産業経済が求める標準的帳簿つけが出来るようになる。

それは産業革命以前の人間の生存、あるいは人生とは無縁のもの。


この変容は実に素晴らしいものだった。


1800年当時、強制教育は世界のどこにも存在しなかった。

それ以前の数百年と全く同じ状態でした。

それがわずか百年後の1900年になるとあらゆる先進国が強制教育を制度化していた。

それほどの短期間にこどもたちはみな「教授」に従属しなければならなくなってしまった。

突如として、教師や学者が社会にとって重要な人物になった。

私達は今日においてもなお、子供達の意思をくじいている。

子供をロボット化し、機械のように扱い、頼まれもしない、必要でもないカリキュラムを

どんどん積み上げている。

それもこれも、175年前に起きた産業革命によるもの。



1800年当時に、戻れたら・・・アンスクーリング!





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Last updated  2008.01.28 22:15:15
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