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フェイク990 = 2008.12.30急告 あの山崎正友が急死!敗訴続きの「裁判地獄」から遂に「無間地獄」へ裏切り、謀略、犯罪を繰り返し悲惨な末路 山崎正友が十二月二十九日午後四時半過ぎに急死した。この日午後、神奈川県厚木市愛名の自宅で倒れ、東海大学病院に緊急搬送されて救命救急センターで治療を受けたが、その甲斐もなく息を引き取った。享年七十二歳。遺体は変死者として扱われ、警察で検屍されたということである。 通夜・告別式などの日程は未定だが、年末年始の火葬場の都合などを考えると、直ぐに荼毘に付すことも出来ないようだ。仏法上でも、社会的にも空前絶後の極悪人にふさわしく、死後も象徴的な厳しい仏罰の醜態を晒すことになる。山崎は、これまで何度も死にかけたことはあるが、第一次宗門事件で陰謀の片棒を担いだ原島嵩が七月六日に全身から悪臭を放って死亡した(本紙九六二・九六五号を参照)後を追うように半年を経ずして無間地獄に堕ちたのである。 山崎はC型肝炎から肝硬変を患い、糖尿病を併発して腎不全になり、人工透析を続けていた。晩年は裁判地獄に陥って負け続け、今月二十五日にも北林芳典氏(報恩社社長)に訴えられていた件で、東京高裁において敗訴したばかりだ。 最近では痩せ細って首筋の肉も落ち、体力は衰えて、裁判所にも女房の運転する車で通っていたが、遂に悪運が尽きたのである。山崎の犯罪、悪事を挙げると巨額の詐欺罪、商法違反、手形法違反罪、富士宮市議の殺人依頼、創価学園の撹乱等々、枚挙に暇がないが、何と言っても代表的な犯行は実刑判決を受けた恐喝と恐喝未遂事件である。 昭和六十年三月二十六日、東京地裁刑事第三部の吉丸真裁判長は、山崎に対して「被告人を懲役三年に処する。未決勾留日数中一二〇日を右刑に参入する。訴訟費用は全部被告人の負担とする」との厳しい判決を言い渡した。この第一審判決から六年後の平成三年一月、最高裁の上告棄却の判決をもって山崎の刑が確定。二月二十五日に東京拘置所に収監されたのであった。出所後も悪逆の数々 山崎は平成五年四月二十七日、刑期満了まで半年を残して栃木県の黒羽刑務所を仮出所。山崎の悪逆非道ぶりは出所後も変わらず、自らの重罪を反省することはなく、正信会に面倒を見てもらいながら学会を逆恨みして陰険な謀略を繰り返した。また、身延派日蓮宗にも接近して「板御本尊に関して、もっと日蓮正宗を攻撃せよ」と煽っていた。 その後は正信会を裏切り、山崎自身が真っ先に相承を否定した日顕に摺り寄り、その日顕宗の中でも「クズの集まり」といわれている妙観講に入講。講頭の大草一男を利用して学会攻撃の策謀を続け、また、原島との「慧妙」紙上での連載対談では嘘八百を並べて、学会を誹謗中傷していた。 更には、ブラックジャーナリストの内藤国男(故)らと共謀して学会攻撃文書をバラ撒き、妙観講員には学会批判のビラを配布させ、信平狂言訴訟を仕組むなど、悪辣な行為を続けていた。 金と色に狂った山崎は、過去に食い物にした女性にも訴えられ、裁判では騙し取った金と慰謝料を払うよう命じられるなど追い詰められ、病身と生活苦で悲惨な厳罰の姿を晒していた。
Dec 30, 2008
「フェイク989」から2008.12.26顕正会の「女帝」がお払い箱に浅井昭衛に捧げ尽くした哀れな女の一生「還暦を過ぎ老眼鏡をかけた総合女子部長」が引退 顕正会の浅井昭衛の傍に長年にわたって寄り添っていた加藤礼子が、遂に総合女子部長を退いた。先月二十八日の十一月度総幹部会で大沼千恵美が総合女子部長に抜擢され、加藤は教学主任という閑職に回されたのである。教学主任とは教学試験の管理とか、教学冊子を刊行するということだ。 任命を受けた大沼本人は、喜んでいるというより、悲壮感を漂わせている感じである。大沼の美貌は顕正会女子部の中では評判で、浅井も殊の外、気に入っている様子であるが、加藤を信奉してきた部員達は悲しみ、女子部員の間では悲喜こもごもだという。 加藤は既に還暦を過ぎて、六十三歳になった。会員からは「老眼鏡をかけた女子部長」と揶揄されながらも「終身女子部長か?」とも称されてはいたが、今や、めっきり老け込み、歩く姿も「お婆さん」という風体である。お払い箱になった加藤は今、寂しさを噛みしめていることだろう。 東京・世田谷区立の小・中学校から同区内の都立高校へ進んだ加藤の成績は中の上。暗いイメージの生徒で余り目立たず、一人で物思いに耽っていることが多く、親友と言える人は殆どいなかった。 大学時代はピアノに凝り、顕正会では珍しくピアノが弾ける美人として評判になり、浅井の目にとまった。 昭和四十九年に女子部長になって以来、約三十五年もの間、顕正会の「女帝」で、事実上の同会ナンバー2として君臨し、浅井と共に強引な勧誘を煽動してきた。 そのため、勧誘に狂奔させられる会員は拉致・監禁、暴力事件を起こしては警察沙汰になり、これまで警視庁、神奈川・新潟・埼玉・熊本県警などが、さいたま市内の顕正会本部や地方会館等を家宅捜索した。同会の反社会的な活動はテレビや新聞で報道され、今では社会問題になっている。 加藤は会合では他の会員と同様、浅井に対して伏せ拝をしているが、二人だけの時の会話は対等らしい。 浅井の宿敵・妙観講の大草一男らによって浅井と加藤との親密な関係を物語る会話も盗聴されていたというから驚きだ。 二人の関係は平成十年夏、合宿研修を栃木県の鬼怒川温泉で開催した時にも見られた。浅井は二年前の平成八年に阿部日顕が豪遊した同じ高級温泉旅館の十二階にある一泊二十万円の特別貴賓室に宿泊した。女子部筋の情報によると、加藤だけが浅井の部屋に出入りしていたが、他の者は出入りできなかったという。 浅井は今月二日の女子部班長会で「女子部は顕正会の四者の中で最大の組織となった」と述べた後、加藤には簡単な慰労の言葉を贈っただけであった。 一方、大沼に対しては経歴や人柄にも触れ、長々と称賛した後で「総合女子部長という重責を担うに当たって、捨て身の決意にたっている」とベタ褒めだった。 顕正会は、のめり込んだ人間の人生を破壊する。昭和四十九年に創価学会本部を襲撃した当時の青年部長の村岡ら歴代男子部長などは、社会的にも傷を被り、相次いで去っていった。だが、残った加藤は、その身を浅井に捧げ尽くした。振り返れば、女の一生を棒に振っただけだ。哀れ!
Dec 29, 2008
2008年11月28日に行われた顕正会の総幹部会の席上、総合女子部長の交代が発表された。約30年にわたり、顕正会女子部のトップを務めてきた加藤礼子氏(顕正会理事)が女子部を引退。新たに大沼千恵美氏が総合女子部長に就任した。加藤礼子氏は昭和20年ごろの生まれ。女子部長には1974年1月に任命された(当時、顕正会は日蓮正宗大石寺に所属し「妙信講」といった)。それ以来、事実上、女子部のトップとして君臨してきた。顕正新聞(2008年12月15・25日合併号)によると、加藤氏から「女子部旗」が返還された際、会長の浅井昭衛氏は「長い間、まことにご苦労でした」と声をかけた。その旗を新任の大沼氏に手渡すと、会場からは拍手が5分余も鳴り止まなかったという。5分以上も拍手し続けるなど、クラシックのコンサートでアンコールを求めているわけじゃあるまいし、なんなんでしょうね。それにしても、顕正会には、婦人部という部もありますが、婦人部のトップである婦人部長よりも、女子部のトップであった総合女子部長のほうが年配だったというのも、かなりイビツな体質ですね。確かに顕正会では、未婚・既婚で婦人部か女子部を分けているわけでもなく、また年齢で分けているわけでもない。あくまでも、勧誘した際の紹介者がどっちに所属しているかという事をメインに判断されてきた。女子高生の婦人部員とかはみないものの、白髪の女子部員とかは、よく見かけるわけで、女子部と婦人部をわけることにどんな意味があるのか、顕正会の会員にも分からないでしょう。新任の大沼氏は昭和62年の入信(顕正会への入会)だという。顕正会へ入会できるのは16歳(高校生)以上だとすると、大沼氏は37歳以上でしょう。それでも、63歳ぐらいの加藤氏からは25歳近く若返ったことになる。大沼氏と同世代で、そのまま、枯れた青春を過ごした女子部員も多いことでしょう。顕正新聞(前出合併号)によると、第一女子部長に就任した高橋和子氏の抱負の見出しは先生は発足以来この「時」を凝視この「時」に使って頂ける有難さとなってます。なんだかキモイ集団のようです。
Dec 25, 2008
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