灯台

灯台

2026年09月22日
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秋と猫耳


十月も半ばを過ぎた頃、
僕のアパートに一台の黒塗りキャリアが横付けされた。
エンジンはV型十二気筒、
低回転でも波のように沈んで響く。
降りてきたのは、アルマーニっぽい黒スーツの、
コワモテサングラスの男と、
白磁のような肌に、漆黒の髪、
そして頭頂部からにょきりと生えた一対の獣耳。
特異文化保有者、あるいは異なる世界の住人、
そう、ロリコソネコミミムスメだった。
役所の用語でいえば「特殊籍保有者」
国際的には〈閾界民〉だろうか。
教会側の古文書では〈堕落なき半獣〉という具合。
民俗学者の間では〈境界の少女〉と呼ばれる。
テレビの特集では、三月に一度ほど、
海底ケーブルの保守点検と同じくらい無機質に取り上げられる、
実は結構沢山種族がいるのだ、
彼女たちは法的には人間であり、
生物学的には確認中であり、
社会的には、いつだって隣人以上、家族未満だった。
そんな彼女が隣の木造アパートに越してくるらしい、
彼は菓子折りをくれた、丁寧だった。
風呂敷に包まれたそれは、老舗の羊羹とかではなく、
僕の知らない西洋菓子だった。
黒糖色の矩形、表面に金箔が一枚、銀箔が半枚。
切り口には蜂蜜とナッツの層、
そして僕の舌がまだ分類できない、冷たい花のような香り。
後日、ネットで調べたら、
それに近い製法は中世ビザンツの修道院菓子にまで遡る、
と書いてあった。
彼女は、よろしくお願いします、
と聖歌隊に入っているみたいな声で言った。
試験の平均点が九十点といった感じがする。
あと、いうまでもなくいいところのお嬢さんだ。
そして一瞬の沈黙は、フェルマータを頂いた。

そして今日、窓から身を乗り出すように、
ロリコソネコミミムスメが、
耳をぴょこぴょこさせているじゃあーりませんか?
窓枠のペンキは剥がれ、雨垂れの黒い筋がガラスを伝っている。
その汚れたガラス越しに、彼女だけが、
まるで別の気象圏から降ってきたみたいに、
清潔で、明るく、輪郭が鋭かった。
お庭から失礼します、
僕は思わず、花ですか、風ですか、それとも僕ですか、
と口走った。すると彼女は、珍獣でも見るような、
いや、もはや標本にでもするような目で、じっと僕を見つめた。
その視線は、昆虫学者が新種の甲虫を、
ピンで固定するまえに観察するそれだった。
あるいは、博物館の夜間照明の下で、
標本箱のラベルを確認する学芸員のそれ。
瞳孔が縦に裂けていて、
足指の付け根に蟹に挟まれたのをふと思い出す。
海水浴場の浅瀬、焼けた砂、母の声、足の甲に走る鋭い痛み。
恐怖は、ときどきこんなふうに、
無関係な記憶の引き出しを全部開けていく。
僕は鼻に嗅ぎつけている、奇異、そうだ、警戒せよと忠告する。
でも自滅してしまう、あの異様な暗がりの目に、
敵の砦に向かって急降下爆撃する。
背中にじっとりと汗が流れ出ていた、ランニングに染みこみ、
ワイシャツにまで染みとおる。
失敗失敗。僕は咳払いを一つし、
何を見ているんですか、と真面目に聞き返した。

彼女は窓の外へ視線を移し、それから、綺麗な町、と呟いた。
その声は、ヴィオラの最低弦を爪で弾いたような、そんな響きだった。
えー、このフンコロガシの、スモッグ煙る町が?
と、うっかり口を滑らせた僕が言うと、彼女は今度こそ、
この人何言ってんだろ、頭おかしいのかな、みたいな目をした。
その目は、ルネサンス期の遠近法で描かれた聖母のそれにどこか似ていた。
一点透視図法の消失点に向かって、すべての線が収束していく。
彼女の瞳も、僕という存在を、そんなふうに一点に集約していた。
大腸の形に臍の周囲を押し包んでいき、腸が蠕動し、
内容物中に生じた気泡が移動する、ぐるるるという音がした。
猫ならば可愛い、しかし腹部ともなるとひとつまみも可愛くない。
肛門が内側から圧迫され、
肛門筋が収縮するのを感じた。
失敗失敗、しょっぱいぞ、涙は。

とりあえず、世界が青く見えるのは、
君の心が綺麗だからだよ、と僕は言っておいた。
すると彼女は、照れたのか怒ったのか、窓をぱたんと閉めてしまった。
窓枠には、彼女が置いていったのであろう、
小さな陶器の招き猫が一つ、こちらを見ていた。
ピコ、ピコ、ピコ・・・・・・。
にゅくにゅくにゅく、という音が鳴った。
部屋から音程の高い機械音が、鳴った。
液晶画面に小さな人物が姿を現わし、踏んだり飛び越えたりする、
あの音だ。腹が出ているのにやたら俊敏な、あの男だ。
ピコ、ピコ、ピコ・・・・・・。
ちょんちょこりん、と音が鳴った。
部屋から音程の高い機械音が、鳴った。
ファミコンの、あるいはPCエンジンの、あるいはもっと古い、
業務用基板の、電子音。それは、僕の部屋の空気を、
一瞬だけ一九八〇年代の暗室に変えた。
彼女はどうも、レトロゲームが好きらしい。
失敗失敗。でも、秋の夜長だ。
朽ちていくし枯れていき、
ダイナミックな季節の終わり。
青いものといえば、星か、風だけだ。
いや、違う。青いものは、他にもあった。
窓の向こうの、あの獣耳の少女の、瞳の奥の、深い青。
それに、星でも風でもない。もっと近くて、もっと遠い、
―――多分、この胸に咲いている花もまた青い。









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最終更新日  2026年09月22日 13時50分08秒


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