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ちょうど人を磔にするのによさそうな場所がある、深夜の橋の上。左右の縦の柱から、じゃらっと鎖を伸ばし、両腕の手首をつなぎ。徐々に、下へ降ろしていく。もちろん、うちの監修任せてるスタッフは馬鹿じゃないよ、大学で博士号とってる、降下速度は、群衆の生体反応データ(心拍数や瞳孔散大度)を、リアルタイムでフィードバックし、最適な恐怖の曲線を描くように調整されている。小柄で、負けた犬みたいなおどおどとした眼つきをしてるね、過去を、すっかりカモフラージュして、そいでギラギラと輝やかしながら眼の前の暗闇の中に浮き出す。夜。感情のない群衆が見ていて、テレビカメラが無感情な昆虫の複眼のように覗き込んでいる。あらゆる通信、交通機関の横溢している今の世の中の、しかも眼と鼻の間とも言うべき場所に、永劫の戦慄、恐怖の無間地獄への扉が豁然と開けている。システムのバグを放置しておくことなど、出来ない。咽喉の奥に引っ掛かった魚の骨は抜かずにはいられない、さ。コロシアムの殺戮ショー、パリの死体安置所の見世物という、そういう真実性を厘毫も疑っていない輩は、わんさか、いる。 、、、酔いざめのくさめをしようじゃないか。「皆様、こいつは人を殺したんです。つまり仇討ちだ。いま、モニターを眺めている彼の仇討ちだ。私達はその舞台を用意した、そして私達はそれゆえ、それを眺める義務がある」うすっぺらい奴等は本当に信じているのかも知れない。殺人者という虚像に上書きされ、真実が完全に消滅してしまう。きれいごとや、婉曲語法が何故なくならないのかと同じさ、チャンスを与えている? 裁量を考えている?違うね、人は知らず知らずのうちにリスクを回避しているのさ、責任を取るのが嫌なんだよ。ともあれそうした善意に見せかけた嘘八百の幸福感は、音楽で演出する、何事も儀式や建前が必要だ。でもそんなの、ほんの束の間の夢。一身に絡まる怪奇な因縁は、中々それぐらいのことでおしまいにはならない。周囲を渦巻きめぐっているであろう、幾多の現実的な危険さに対する常識を喚起よびおこして、尖鋭な同情の断面を作って働きかけ―――る・・。蛇の群れを孕んで産み落とす―――、メドゥーサの眼の中で・・・。「もうかれこれ、仇討ちも九九九回を迎え、ついに一千回目、それを記念して今回はこれを用意しました」そんで、足元にはプール、毒液のように苦々しく澄み渡った水面。そこへ活きのいい、牙がつやつやした、ホオジロザメを放流しておく。ホオジロザメって聞くとジョーズ思い出したり、孤高の一匹狼みたいなイメージがあるけど、実は人間と仲良くなるケースもある。この場合は、そうでもないけどね。トムって、さっき名付けた名前を連呼すると、最高のフレイヴァーになる。ちょっと飯を与えてないけど、虐待じゃないからね。そんな脳髄から蒸発してしまった過去の記憶は、もうとっくにシリウス星座あたりへ逃げ去って―――るさ・・。、、、にやり、とする。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて死んで行くところを静かに眺めたいのだ。そうして勝利の快感を味わいたいのだ。椅子取りゲーム、高等国民気取りで。骸骨みたいな顔が、生汗をポタポタと滴らしながらの、サディスティック・ラブ。歯が何回も生え変わるって知っているかい?嗅覚が非常に鋭く、わずかな血の匂いにも反応するって知ってるかい?看破するや否や、一種の猟奇趣味の満足。銃声がして、叫び声がする。家族の名前、昔飼っていたペットを叫んだかも知れない、システムのパスワード、さ。頭の中でピチンと何か割れた音。足に銃弾があたりその血がポトポトと流れていく。もちろんコトコト煮込んだポトフさ、最高のメインディッシュはこれから、拳銃なんていうヤクザやマフィアや反社でもやりそうなことは、野暮だ、殺したいならコンクリ詰め、街の隅の変わり果てた、山奥に埋めて土砂崩れと共に発見、それでいいはずだ、けど、ショーじゃない、そこに美学はない。空想を縦しいままにした、まわりくどい欺瞞、さ。“強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く、抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。”なんて文章があるね、これが法律制度の限界さ。長ったらしい文章が指し示すのはおそろしく無駄な時間だ、国家という強力な存在感があっても、たった一人の犯罪者のこめかみに、銃弾をめりこませることが出来ない。遺族は地獄さ。転輾し、呻吟し、発狂しかける。神も仏もいないのか、世紀末なのか。―――ひどい話だけど、そのまま眠らなければいけない、飯だって食わなければいい、そんなごちゃごちゃ抜かすならさっさと死ねばいい、一分一秒まで、世界には様々な見方が溢れている。群衆に「自分たちは正しいことをしている」と、再教育するためのプロパガンダ素材にはならないな。人を洗脳するには自分がどちら側につくべきかを、骨の髄まで徹底的に教え込まなくてはいけない。スポンサーが本当は何処の国なのか知ったら、国家転覆罪さえ成立してしまう。正義は法律ではないことを伝える時のように、もうフェイクニュースの時代じゃない、―――恐怖。“おまえらの文明が生んだ儀式”じわじわと万力で締め上げて、人が心底血の気が引いた時の表情をカメラは撮影する。不安は水の中のボールのように、何度も何度も浮かび上がって来るに違いない、何度も何度も飛び出して来ようとするに違いない。様々の毒々しい色をした劇しい臭気を発する、毛虫いも虫の奇怪な形。共感能力を失った社会の病理さ。それが絵であろうと、実物であろうと見境は無い。『記号』というもの。嘲る心が仮面の中で舌を出す、寛解と完治のあわい。白い眼を少しばかり見開いたと思うと、ガックリと仰向く。で? ゆっくりと下ろしていく、薄ぎたなくよごれた顔を充血させ、歯をを食いしばって、妄言だ。鼻梁の左右からぼろぼろ涙がこぼれ落ちてゆく。ビー玉数百個をいれたビニール袋の下部に、小さな亀裂を入れたようにね。そうしていると不思議だけど、煙が波とすれずれになびくように、そら、、、、へさきが見えて来たぜ。黒い液体をドクドクと吐き出しているそれ目掛けて、イルカショーだけじゃない、無慈悲なシステムの最終的な裁き、ジャンピング・ホオジロザメと遭遇したり―――する・・。人が死にます、そして死にたがりの人が食い入るように見つめて生きます、生きたがりの人も食い入るように見つめて生きます、―――そんな世界の掟。羊飼いの少年ダヴィデと巨人兵士ゴリアテの闘い?だとすれば、これは祝祭の処刑台。人間性への最後の執着を賭けてね。世界で何千年もかけて、残酷さも飼い慣らしたのさ。悪魔の舌は悪魔の食物でなければ満足は出来ないと知りながら、それでも人は痛みをまだ必要とする、わからないんだ、他人が痛いということを実感できないから。人に救いを求めることすらし得ないほど恐ろしいことがまくし上がって、人は初めて無能さを思い知る、他人への宗教を始められ―――る・・。野生、本能、支配・・・・・・。環状脳、集合知、生理的反応の共鳴・・・・・・。一方的で、そら、歯茎の薔薇色に混じってヘモグロビンが、血腥い、異様に不可解な犯罪事件を揉み消してゆく。深淵と、急潭の千変万化を極めた、ニュース原稿にしよう、裁判記録風にしよう、あるいは広告コピーにしよう、すればするほど、ディストピア的な社会の牙が見えて来る。“文明社会の最後の野生”だ・・・。
2025年11月15日

午前十一時の構図朝ごはんは、食べたような気がするし、 たぶん、うまかった。構図がズレている、焦点が合っていない。錆びた自転車のサドル、選挙ポスターの剥がれかけた壁、夕暮れの団地の廊下、コンビニのゴミ箱の影。この国の未来は、冷蔵庫の奥のマヨネーズ。投票所の鉛筆は、いつも芯が折れていて、駅前の歩道橋に落ちてるレシート、公園の公衆トイレの、曇った鏡を思い出す。自販機の下に落ちた、十円玉。それを拾う勇気が、なかっただけの午後。
2025年11月15日

が...... ......座標系に点を打つ。 錆びたヘアピン、 折れたイヤホンジャック、 誰かの涙のようなガラス片・・・・・・。 比喩的な温かさ、感情の余熱、記憶の中の体温、 消えない痕跡。名前──固有名詞、 アイデンティティの記号、呼びかけの対象、存在の証明・・、 「水溜まりに映った僕が笑って―――る・・」 とおのきながら、 なつかしくおもいだす、 (愛って何だったんだろう・・・) (世界って何だったんだろう・・・) 青糸の髪、 黒い針のような髪、 ・・・・・・・葡萄の房のようにゆらゆらと揺れながら、 (ながら、) (な が ら、) ついに無秩序な愛の蔭にして、 花弁に憩う蜜だけを求める媒介の虫。 ―――溶かして・・・・・・・。 これが―――metamorphoseさ・・・ ....雨の音が。 ...雨の音が。 思考の端を叩く。 骨伝導で頭蓋骨を伝わり、 内耳の前庭に微細な振動を与え、 平衡感覚をわずかに狂わせる。 「誰もいない・・・・・・」 が...... 氷砂糖のような涙も、 腐った牡蠣の汁になったような、 垢まじりのみみずの線をひいた涎になったような、 ―――ああ、空虚ってやつ。 ―――ああ、薔薇ってやつ。 (それがdecadenceってやつ―――さ。 、、、、 なんでだ・・・。 、、、 、、、、、、、、 、、、、、、、、、 魔法も、呪いのようなもの、そして月夜を感じた。 、、、、、、 、、、 そして精一杯、思った。 これが僕の御冬―――。 (ナレナイ...サムサ...ダレモイナイ...ヨルノジュウタクガイ... イツマデモアルイテイタ...ナンジカンモ...ナンジカンモ...... (ハヤクタドリツキタカッタ...ドコカ? ドコカニ... アタタカイバショ...ヒカリガアタルバショ...ニ... I can't always find what I'm looking for...... I can't always find what I'm looking for...... 「戦う勇気がないんだ」 ―――この暗闇の中で腐食する、絶望という薬液の中で、 苦々しく澄み渡る・・・。 「足掻く勇気がないんだ」 ―――ほんのちょっとだよ、後一歩だよ、 そうやって胸を震わせ、眼を閉じる・・・。 (進路選択には確率的ゆらぎと決定論的意図が共存する。 群衆の動きはセルオートマトンでモデル化できるが、 個々の心の動きは方程式に還元できない・・・・・・) ―――ヨワサ...ヨワサ...... はやくむかえにいきたいひとがいて、 でもそれは、もしかしたら、 もうひとりのぼくのため。 「シャボン玉という表面張力と内外圧力差みたいに、 割れてゆく―――」 が...... ね え、 ね え―――。 、、、、、、、、、、、 拍のない不規則なリズム、 、、、、、、、 アシンメトリー。 埋まった硬骨魚の化石を覗き込むような行為で、 エンコーディングを終えた紙屑のように、 終端速度で静かに落ちていく羽根・・・。 ―――ああ、孤独ってやつ。 ―――ああ、真理ってやつ。
2025年11月13日

2025年11月12日

たとえばどうだろう、奥さんは腰が痛いという、会社にもちらほらそんな人を聞く、YouTubeを覗けばストレッチの動画などがある、でも注意せよ、すべて色んな人の意見だ。お金があるなら百通りの腰を用意しよう、そして痛みの統計を取るんだよ。整骨院で治った、職業、年齢、生活、身長や体重や姿勢まで記して、何処までの症状が治るんだろうということを、徹底的に調べるのさ。僕は仕事柄重いものを持つ、(会社では腰痛があるから持つなって言われてる、対策もしてくれる、だけど、効率の問題もある、)僕はさ、腰が痛くなったらアンメルツを塗り、バンテリンの溶液を上から塗り、さらにその上から湿布で封印する。痺れるぜ。時には腰痛薬まで飲む。かぶれるし、刺激が苦手な人にはまず駄目だろうね、でも、本気で治したいってことは伝わるだろう、何度かこれで腰痛を治したよ、どんなもんだいって感じさ。馬鹿かってつきそうだけどね。でもお金のかけ方かも知れないだろう、時にはやり方かも知れない。やってみたらすべてよくなることもあるけど、悪影響を及ぼすこともある。あれは僕が前の工場で働いていた時だな、腰をやって、父親が飲んでた腰痛薬を呑んだことがある。確かに効いてたみたいだった。でも整骨院にも通ってたし、あれはいい先生でね、それから二件ほど整骨院いったけど、あの人はプロだといまでも思ってる。歯医者にもいるね、そういうのないって思う人もいるだろうけど、そういうのあるって分かってくれる人もいる。でもさ、本当のところ、何が効いたのかわからない。いいかい?毎日飲めば副作用もある。痛みは止まっても根本は治らない、これどんなことでも同じなんだけどさ、むしろ身体を蝕むかもしれない。だから安易に勧められないんだ。でも、効く人には本当に効くのかもしれない。この歯がゆさ、わかるか?話は少しズレるようだけど、もし君がさ、精神がおかしくなりそうって言うなら、いますぐシャワーを服着たまま浴びろよ、絶対にちょっと気分がよくなる。僕は年に数回やる、雨の日にだって傘をささずに出て行けよ、楽しいぜ。周囲のことをごちゃごちゃ考えていると、精神性の腰痛だって引き起こす、鬱病だって何だってそうさ、姿勢だって悪くなる、正直にならないと、本当の理由だって見えてこないのさ。痛みって生活の重さで、自分の形をしているとも思う、痛みは数値化され、たとえば処方する薬も、整骨院の施術もマニュアル化され、でも、誰も「何故痛むのか」は説明できない。痛みは、身体の中にできた小さな反乱だ。マニフェストみたいな美辞麗句に対する、堂々としたアンチテーゼみたいなものさ。そこにスピリチュアル詐欺師列伝が迷い込むこともある。気を付けろよ。人の弱みにつけこむんだ、金なんかなくたって生きていけんだからさ、神様なんかいなくたって、てめえが神様なら世界は神様いることになる、そういう発想法。神経という通信線が、沈黙の政府に抗議している。それでも僕等は、湿布という検閲で黙らせようとする。我慢のならない疲労なのか、そいつは。向上することはないか、我慢しなくてもよくなるような方法はないか?人間ってさ二足歩行しているから腰痛が生まれるんだ、これはみんなあんまり知らないことだけど、事実だよ。遠くは見える、そして腰が痛いんだ。だけど、二足歩行していても腰痛にならない人がいる、だから、グルコサミンとかコンドロイチンとか、ビタミンB群とか、ビタミンDとかって、めっちゃ効くんじゃないかって思う。僕はきっとそういう人いると思うんだ。そして一定数の効く人と、効かない人が生まれる。鍼治療が効く、整骨院に行くとすぐよくなる、でも、身体って自然に歪んでくるものなんじゃないの、ストレッチがいいかもって僕もやったよ、念入りにね、そうしたら身体ピキピキと軋んで悲鳴をあげたよ、もうね、自分が間違えていたことをあそこまで知った経験は、痛みなしには成立しねえぞっていうぐらいね。痛みはそういう類のものだよ、保証書みたいなもん。もう絶対にああいうことはやらないって決めたね、人それぞれ色んな向き合い方がある。整骨院と漢方薬の会社と整形外科クリニックが揃い踏みしてさ、あと、こういう時はいつも大学の研究メンバーが必要さ、それでみんなで百通りの腰について調べるんだ、薬を試し、施術を受け、運動をし、泣き笑いをしながら素敵な研究が生まれるよね。治れば市販薬だっていいのさ、整骨院でも、漢方薬でも、整形外科でも、ストレッチでもね、靴を履いて腰痛が治るのならそれでいいんだ、姿勢矯正が本当に有効なのか実証した人はいるんだろうか。いいんだよ、治れば、そしてそれを個人者の声とかに留めておくなよ、つまらないんだよ、人間が。つまんねえんだよ、考え方が。ねえ世界の約八人に一人が腰痛の影響を受けているってね、主な原因は、筋肉や関節の老化、姿勢の悪さ、長時間の座り仕事など、国籍にかかわらず共通しているんだ。つまりそういうプロジェクトができれば、世界中で有効活用されるってことなんだ、でも利益度外視でね、利益を優先すると途端に、どうしても忖度が生まれてきちゃうからね。ただ、現実的な課題もあるよね、百人規模の長期追跡研究には莫大な費用と時間がかかる。それはもう、べらぼうにね。ましてや、「効いた」の定義が難しい。痛みの主観性に客観性を何処まで取り入れられるか、だね。利益度外視だと研究資金の確保が困難だから、まず、やりたがらないのが普通だ。お金があるかどうかだけで、現実的なプロジェクトかどうかが決まっちゃうんだ。それに腰なんて複数の要因が絡むため、因果関係の特定が難しい。それでも、世界の八人に一人が苦しんでいるなら、この投資は十分に価値があり、あなたが立ち上がってもよいわけだ。ユーチューバーがアイディアを丸パクリしてもいいわけだ。とはいえ、一つの現実的なアプローチとして、患者参加型のデータベースだろうね。スマホアプリで日々の痛み、試した治療法、効果を記録し、匿名化したデータを集積する。AIで類似パターンを見つけ、「あなたと似た症状の人には、この方法が効果的でした」と提案する。利益は二の次で、オープンデータとして世界中で共有する。あと、莫大な研究費はいらないよ、アプリ開発とAI解析の費用で済む。数が増えていけばいくほど、より信憑性が生まれ、その都度、こまやかなケアを考えることが出来る。もう僕等の時代はガイドラインどころか、カーナビゲーションシステムを求めている。いいかい、みんな、そろそろ時代の変化に対して誠実な試みが必要だぜ。さてさて、百通りの腰があるわけじゃないか、いわずもがな、百通りの人生があんのよ。そのどれもが、ひとつの姿勢を探している。痛みとは、まだ見ぬ正しい姿勢への、遠い祈りさ。たまに風邪じゃねえ、コロナかインフルエンザかみたいな感じを受けて、会社を休むことがある、もうね、会社休む方がしんどいんだよ、電話かけるのめちゃくちゃ嫌だもん、電話をかけ終わったあとに、ひと仕事終えたみたいな気がするね。でさ、何か仮病みたいだから病院に行くわけだよ、しんどい身体ひきずってね、病院の待合室は、静かな礼拝堂さ。オルゴールが流れていてもう成仏してしまいそうな気がする、澄んでるのとは違う、異世界なんだ、ここは。誰もが小さな痛みを胸に、救いを待っている。医師の言葉は福音のようであり、処方箋はお守りさ。みんな何とか人間でいたいって顔をしながらさ、みんな今日も人間らしくいるらしいんだぜ。
2025年11月11日
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ブレイズEVスクーター 電動バイク 電動キックボード 原付バイク 電動スクーター 折りたたみ 電動自転車 バイク 公道 走行可能 ナンバー取得付 立ち乗りBLAZE EV SCOOTER五〇ccの原付バイクとは何だったのか。都市の片隅をすり抜ける音、新聞配達の朝、学生の通学路、そして庶民の足。それは単なる移動手段ではなく、戦後日本の都市生活を支えた小さな神話だった。高度経済成長期、オイルショック、バブル経済とその崩壊、失われた三十年、時代が移り変わる中で、この小さな鉄の馬は常に庶民の足であり続けた。姉がカブのバイクに乗って新聞配達をしていたのもあるが、カブの排気音は何となく分かる。免許を取り、遠乗りをした時の、原付バイクに跨っている時の開放感みたいに、きっと僕のように色んな思い出があるだろうと思う。だがその神話は、二〇二五年十一月をもって静かに終焉を迎える。新車としての五〇ccは、排ガス規制の壁を越えられず、制度の外へと押し出されることになった。この制度変更は、単なる技術的な更新ではない。それは、環境政策、産業構造、免許制度、そして都市生活の再設計を含む、静かな制度革命だ。一般論より陰謀論や政治的腐敗を信じたい人にとっては、あまり意味のない話かも知れないが、ちょっと聞いてく?五〇ccエンジンの排ガス浄化能力は、技術的に限界に達していた。排ガスを浄化するためには、触媒が一定の温度に達する必要がある。これは令和二年(二〇二〇年)排出ガス規制、通称「新環境基準」への対応不可能性だ。この規制は、平成十八年(二〇〇六年)排出ガス規制を、さらに強化したもので、一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)、窒素酸化物(NOx)の排出量に、極めて厳しい制限を課している。具体的な数値を見てみよう。CO(一酸化炭素):1.14 g/km以下(従来規制の約60%削減)HC(炭化水素):0.38 g/km以下(従来規制の約70%削減)NOx(窒素酸化物):0.07 g/km以下(従来規制の約50%削減)さらに重要なのが、「コールドスタート時の排出規制」だ。エンジン始動直後、触媒が活性温度(約三〇〇℃以上)に達するまでの間、未浄化の排ガスが大量に放出される。この「コールドスタート排出」が、実は総排出量の約八〇パーセントを占めるという研究結果がある。新規制は、このコールドスタート時の排出にも厳格な基準を設けた。ここに、五〇ccエンジンの致命的な問題がある。排ガス浄化の要となるのは、三元触媒(Three-Way Catalyst)だ。この触媒は、白金(Pt)、パラジウム(Pd)、ロジウム(Rh)といった貴金属を担持したセラミック製のハニカム構造体で、一酸化炭素を二酸化炭素に、炭化水素を水と二酸化炭素に、窒素酸化物を窒素に変換する。だが、この化学反応が効率的に進行するには、触媒温度が三〇〇℃以上、理想的には四〇〇℃以上である必要がある。五〇ccエンジンの問題は、排気量が小さすぎることだ。排気ガスの温度は、燃焼室から排出された直後は、約五〇〇〜七〇〇℃だが排気管を通る間に急速に冷却される。排気量四九ccのエンジンでは、排気ガスの総熱量が少ないため、触媒に到達する頃には二五〇℃程度まで下がってしまう。さらに悪いことに、原付バイクの典型的な使用パターンは、「短距離・頻繁停止」だ。新聞配達、郵便配達、近所への買い物。平均走行距離は一回あたり五km以下。エンジンをかけて、触媒がようやく温まり始めた頃に目的地に到着し、エンジンを切る。次に使う時にはまた冷えている。このコールドスタートの繰り返しが、五〇ccバイクの排ガス問題を深刻化させ、環境基準を満たす上で致命的な欠陥となった。一方、一二五ccクラスでは排気量が大きく、触媒がすぐに活性化するため、規制に対応しやすい。つまり、五〇ccは「小さすぎるがゆえに環境に優しくない」という逆説に陥ったのである。もちろん、イジメやすいところから規制して、取りやすい所から取っていくのが搾取の道なんだよね。そうなんだよ、アジア諸国でも規制が進んでいて、これ原付だけじゃなくて車やトラックもそうなんだよね。グローバル市場では一二五cc以上が主流で、日本の五〇ccはガラパゴス規格とされていたんだよね。なに? 揚げ足とってるって?まあ、もうちょっと聞いてく?世界の二輪市場を見渡すと、五〇ccは完全に少数派だ。アジア諸国、タイ、ベトナム、インドネシア、インドなんかでは、一〇〇cc〜一五〇ccクラスが主流。ホンダWave125(タイ)ヤマハExciter155(ベトナム)ホンダActiva125(インド)これらのモデルは、年間数百万台規模で販売される。ヨーロッパでは、A1免許(一二五cc以下)のカテゴリーが確立しており、ピアジオLiberty125、ベスパPrimavera125、プジョーDjango125といったスクーターが人気だ。アメリカでは、そもそも五〇cc以下のバイクはほとんど存在しない。州によって異なるが、多くの場合、一五〇cc以上でなければ公道走行が制限される。でもどうさ、一九五八年、ホンダがスーパーカブC100を発売する。排気量四九cc、価格は五万五千円。当時の大卒初任給(約一万三千円)の四ヶ月分。「そうだ、ニッポンをバイクで元気にしよう」というキャッチフレーズと共に、スーパーカブは爆発的に普及した。一九六〇年代、日本の原付バイク保有台数は、年間約一〇〇万台のペースで増加した。でもこの「成功」こそが、日本市場をガラパゴス化させる原因となった。国内市場が五〇ccで確立されたため、メーカーは海外展開においても五〇ccモデルを輸出しようとした。しかし、海外では受け入れられなかった。排気量が小さすぎて、坂道や高速道路で力不足だったからだ。結果として、日本メーカーは二つの生産ラインを維持することになった。国内向けの五〇ccラインと、海外向けの一〇〇〜一二五ccライン。これは、製造コストの増大を意味する。さらに問題を複雑にしたのが、日本独特の「原付の制限速度三〇km/h」規制だ。これは世界的に見ても異例の低速制限で、ヨーロッパでは五〇ccでも四五〜五〇km/hが一般的、一二五ccなら八〇〜九〇km/hが認められている。この三〇km/h制限が、日本の原付を「遅すぎて危険」な存在にしてしまった。一般道の流れは四〇〜五〇km/h。原付だけが三〇km/hで走ると、後続車に追い越されたり、煽られたりする。原付は邪魔という認識が広がり、原付ユーザー自身も制限速度を守らなくなった。警察の取り締まりは形骸化し、事実上の黙認状態が続いた。二〇〇五年、国土交通省と警察庁は、原付免許制度の見直しを検討する有識者会議を設置した。議論の焦点は、「原付免許で乗れる車両を一二五cc以下に拡大すべきか」という点だった。だが、結論は出なかった。自動車教習所業界の反発、免許制度の複雑化への懸念、そして何より、既得権益の調整が困難だったからだ。原付廃止は技術的な限界に加えて、経済的な問題も深刻だった。五〇ccバイクは価格が安く、利益率が低い。新環境規制に対応するためのコストが加わる。三元触媒の高性能化。貴金属使用量の増加。電子制御燃料噴射システム(EFI)の導入。ECU、各種センサー、インジェクター。排気管の断熱構造、二重管構造、断熱材の挿入。一説には規制対応コストは、一台あたり約八万〜十二万円と試算されている。一台あたりの価格は三〇〜五〇万円に跳ね上がる。本気でやったらみんな補助金を出せとか絶対に叫ぶよね、貧乏人なめるな、僕も言いたい。それにお金の話になるけどさ、五〇ccバイクの利益率は、せいぜい五〜八パーセントで、一台売っても、利益は一万円前後。一方、一二五ccなら利益率は十五〜二十パーセント、一台あたり五万円以上の利益が出る。そしてもちろん外国向けの生産ラインを維持できる。どちらに経営資源を投入すべきか、答えは明白だ。透かしてみると濁ったまだらや線のノイズになって浮かぶか?浮かばないよ、これは蜃気楼じゃない、日本の現実だからね。色んな意見があるよね。一二五ccバイクは、五〇ccとは全く別物だ。車重は約二十キロ重く、加速力も段違い。それを、学科試験だけで乗れるようにするのは危険だ。最低限、実技講習を義務付けるべきだとかね。実際、原付免許の取得に実技試験はない。学科試験(五十問、九〇%以上正答で合格)と、簡単な適性検査(視力、聴力、運動能力)だけだ。これで一二五ccバイクに乗れるようになれば、事故率が上昇する可能性は高い。政府は、こうした批判に対して、段階的な移行措置を用意した。二〇二六年四月から、新原付の販売を開始するが、当初は「新原付安全講習」の受講を推奨する。講習内容は、三時間程度の実技訓練で、低速バランス、ブレーキング、危険回避などを学ぶ。費用は約五千円。義務ではないが、講習修了者には保険料の割引が適用される。二〇二八年四月からは、講習を義務化する予定だ。ただし、既に原付免許を持っている人には、経過措置として義務免除期間を設ける。メーカー側も、新原付の開発を進めている。ホンダは「スーパーカブ110 リミテッド」ヤマハは「NMAX100」スズキは「アドレス110S」といったモデルを発表した。いずれも、既存の一二五ccモデルをベースに、出力制限とリミッター設定を施したものだ。価格は、約二十五万〜三十二万円。五〇ccの旧モデルより高いが、一二五ccのフルパワーモデルよりは安い。この価格設定が、市場に受け入れられるかは未知数だ。とはいえ、いわずもがな、それはもはや庶民の足ではない。まあ、原付がなくなった時代にとっては、その値段でも乗りたい愛好者が幅をきかせると思うけどね。クラシック・カーなんて不便そのものだけど、不便だから大切に乗っていくんだ、不思議だよね。で、メーカーにとって、五〇ccを規制対応させることは、採算割れの投資で、前述したようにグローバル市場でも五〇ccは主流ではない。世界では一二五cc以上が標準であり、日本の五〇ccはガラパゴス規格として孤立していた。こうした技術と経済の限界を前に、国とメーカーは全廃も選択肢にあった。だが、それでは困る人が出る。新聞配達、郵便、地方の高齢者、学生、彼等の生活は五〇ccに支えられている。前述したように、そこで採られたのが段階的な移行措置だ。新車の生産は終了するが、既存車はそのまま使用可能。さらに、原付免許で乗れる新カテゴリー「新原付」が創設される。これは、出力を四kW以下に制限した一二五cc以下のバイクで、環境基準を満たしつつ、庶民の足を守るための制度設計だ。この合意形成は、経産省、国交省、警察庁などの連携によって進められた。それは、環境政策と社会的影響のバランスを取る。静かな政治的判断だった。あるいは何処かで悪いことしてんじゃねえかっていうポイントだろう、金儲けできない清い世の中がよいなら首吊るしかねえんじゃねえかな。僕はロシアの女の子の動画を思い出すね、いま、物価がめちゃくちゃ上がっているって涙ながらに語るんだ、もう人生詰んだって言うんだ。いやいや、何もしなけれな生活すらできないってね。北朝鮮でもそうだろうし、貧困問題を抱える外国諸国なら当然普通の話だ。隙間風の寒気が敵みたいに白い牙を剥くけど、ね。とはいえ、その難易度を開発で乗り越えるのがプロじゃねえの、っていう無茶苦茶な意見もできるだろう。ボクシングやプロレス見ながら、下手糞が、死ねやって言うからね。ちょっとあの四角い檻の中でぶちのめされてこいやって話だよね。とはいえ、とはいえ、総販売台数は激減するだろうし、老人がその新原付に乗るのはハードルが高くないか、という向きもあるだろう。ねえもうちょっと、てめえには関係ない話を聞いてく?新聞配達業界全体で見ると、使用されている五〇ccバイクは約二十万台と推定される。すべてが新原付に置き換わるとすれば、約六百億円の市場が生まれる計算だ。だが、それは同時に、約六百億円の負担を配達業界に強いることでもある。補助金が出るというけどね、五〇パーセントでも重い負担だ。新聞業務に携わる人にとっては死活問題だ、多分相当数の店が潰れる。これをして、新原付に変わったらしいよで済ませている、世の中があるとしたら、なめているだろう。何で真面目に情報を調べて書かないかと言いたくなるだろう。原付バイクの廃止は、都市生活の風景を変える。音のない電動バイクが増え、ガソリンの匂いが消え、信号待ちのアイドリングが静寂に包まれる。だがその裏で、配達業者は車両の更新に迫られ、地方の高齢者は移動手段を失うかもしれない。新原付の車重は、約百十〜百二十キロ。五〇ccのカブが約九十六キロだから、約十五〜二十五キロ重い。高齢者にとって、この差は無視できない。立ちゴケのリスクも高まる。場合によってはたんなる交通事故ではなく死亡事故のリスクも高める。あなたがもし高齢者の父親や母親がいたら、「新原付まじさいこうだよね~www」って言えるだろうか、それならいいんだ、僕もいいと思うんだ、人が死んで素晴らしいな。買い物にも病院にも行けない。そうなってくると多分ね、電動バイクになるんだ。利点は多いよ。静粛性、低振動、メンテナンスフリー(エンジンオイル交換不要)そして低ランニングコスト。電気代は、ガソリン代の約十分の一だ。だが、課題もある。最大の問題は、航続距離だ。五〇ccガソリンバイクは、満タン(約四リットル)で約百五十キロ走行できる。一方、電動バイクは約四十〜六十キロ。新聞配達のように一日に数十キロ走る用途では、途中で充電が必要になる。充電インフラも未整備だ。電動車用の急速充電器は、主に自動車向けで、二輪車には対応していない場合が多い。家庭用コンセントでの充電は時間がかかり、業務用途には不便だ。バッテリーの劣化も懸念される。リチウムイオンバッテリーは、充放電を繰り返すと容量が減少する。一般的に、三年〜五年で約二十〜三十パーセント劣化すると言われている。バッテリー交換費用は、約十万〜十五万円。これは、ランニングコストを押し上げる。価格も、まだ高い。補助金(国の補助金は最大約七万円、自治体によっては追加補助あり)を、活用しても、実質負担は約二十万円前後。ガソリンの五〇ccと同等かやや高い程度だが、性能面での差(航続距離、充電時間)を考えると、割高感は否めない。僕はあの出川哲朗の番組がなんか見るのを嫌になった。あなたはそれを世の中って変だなあで済ませるのだろうか。そうかも知れない、和の国だなあって言って、外国人が褒めてくれるのを喜んでいればいいのだ。頭がおかしいからそんな意見になるのだろう。この制度の変更でたくさんの人が死ぬかも知れないんだからね、保険証で医者がどれぐらいガチギレしたのかも、あなたは知らないのかも知れない。人が死にますよって言ったんだ。ねえ出前配達の現場も、影響を受ける。街の蕎麦屋、中華料理店、寿司屋。多くの小規模飲食店が、五〇ccスクーターで出前配達を行っている。小さな声を政治にとかいうポスターがあったけれど、政治がいまだかつて小さな声を拾ったことなどあっただろうか?これは制度という冷たい一面である。万人に向けられたようでありながら個人の味方にはなってくれない。免許制度も見直しが進む。原付免許の存続は当面維持されるが、将来的には一本化や再編の可能性もある。これは、交通ルールの再設計とセットで進められる。つまり、五〇ccの廃止とはちょっと、「日本の原付バイクという文化の終焉」であり、新しい制度という名の環境規制と経済合理性だ。環境を守るために、誰かの生活が犠牲になる。技術が進化すれば、古いものが淘汰される。グローバル標準に合わせれば、ローカルな文化が失われる。耳をすませば、あの音が響く。タカタカタカタカ、単気筒エンジンの乾いた鼓動。ホンダ・スーパーカブ五〇の排気音だ。この音は、戦後日本の都市生活を支えた小さな神話の足音だ。
2025年11月11日

無数の高層ビルが、ガラスの肌に無数のLEDを纏い、都市の静脈のように脈打つ。君の声がノイズキャンセリングに紛れて消える、―――ニュアンスが潜んでいる、ね。ネオンは空を塗り替える絵筆、蒼じゃれの、紫と群青のグラデーションが、あをぐろく、ぬなって、雲の裏側まで染め上げていく。見ろよ、アフロディーテ、アトミック・レベルだろ、ビルの頂点から落ちる光の縫い目は、遠くの航路灯の軌跡と接続し、港へと下りてゆく。コンテナ船のブリッジに立つ灯の点滅まで、色は透過する。大西洋の輸送連鎖、スエズの渋滞、北海の風を巻き込んで、Neo-Osakaの夜は、―――越境する。交差点では、信号の赤がまるで心臓の鼓動のように点滅、意識の濡れた紙、いつかみたい、だ。脚もげそうな、関節も関節、リミッター解除して末端も末端―――へ・・、情報的エントロピーの中へダイヴ、前衛芸術みたいなファッションの、泥臭さと魅力と愛着を混ぜて、意識高い系の歩行者の群れが、リズムに合わせて流れる、金属的なコルセット、透明なレインケープ、発光するソール、もちろん、アフリカンビート、で。僕等の鼓動も、都市のテンポに同期し、まるで巨大なメトロノーム。網膜がWi-Fiに接続される、砂漠でローラースケートしている気分さ、巨大スクリーンがビルの壁面に広がり、燃えているWindows、広告と夢と欲望が混ざり合う、デジタル・メタファーの、―――鍵穴、さ。そこには、宇宙旅行のプロモーション、AI恋人のCM、そして明日を変える投資の文字が踊る。平面に圧縮された世界の見え方も、遠近の感覚を錯綜させる緩やかな勾配も、ね。ねえ僕は、ねえ僕は、眼球イラスト付きの卵を買いたいのさ、時代遅れだろ?ねえ君も、ねえ君も、大腸的味付けをされたソーセージを、買いたいのさ、時代遅れだね?笑顔でスマートグラスをかける人々の背後には、孤独が静かに潜んで、誰もが何かを演じ。誰もが何かを隠している、明け方の鴉が渡るような雫の石、さ。僕等は、都市の心臓部を貫く高速道路を走る。未確認飛行物体の進行形のような礫。アスファルトの上を滑るように、電動スニーカーが光を放ち、耳穴かっぽじって、個我意識の深層物語の副産物、空気のような建築、青鹿の牙のような軌跡を描く。風は人工気流と排気ガスの混合物で、鼻腔を刺激しながらも、どこか懐かしい。動物的な感覚へ駆けあがっていく、痛快さ。耳元では、ARナビが「次の分岐まで三.二秒」と囁き、僕等は圧倒的多産へ加速する。膨張せよ、地域共同体への郷愁。遺伝子編集された果物のサンプルみたいだ。圧縮せよ、便利さを追求する競争社会。もう宇宙戦艦ヤマトだって出来そうな、前触れ。都市の奥深くには、労働インフィラレイション、夜間物流の無機質なリレー、移民労働者が奏でる多言語の合唱がひそんでいる、ベトナム語、ポルトガル語、ウルドゥー語、関西弁が層になって響くアンダーグラウンド。未来は、フロントガラス越しに見える。ひゅんひゅんびゅんびゅん、汗と土みたいな、風。描けると思わなかった、見えると思わなかった、でもテクノロジーズが可能にしたんだ。誰にも奪えない輝きが、胸の奥で脈打っている。リルケにハイネもヴェルレーヌもいないが、夜は煮崩れて、細胞分裂しそうな進化の退化の感覚、ハードウェアの冷え、冷却ファンの音、サーバールームの湿った空気が世界を変えた。ランボーもホィットマンもボードレールもいないが、永遠に行方不明、さ。破れた映画のチケット、君が差し出した透明のビニール傘の水滴の配置も、グローバル・データベースにも、ブロックチェーンにもバックアップされていない、最高の畸形。それは、君と共有した記憶の断片。それは、誰にも見せたことのない、僕だけの光。緑色の手が欲しい、火星人みたいなね。そして、透明な電話を。相手の息遣いまで透けて見えるやつ。銀色の身体が欲しい、異次元人みたいなね。そして、身体中に、刺青を入れたい。ナノインクと導電性の繊維でできており、心拍に合わせて発光する予定さ。都市の喧騒を抜け、郊外の丘に辿り着き、電波塔の赤い点滅が、星座のように瞬く、遠方には港のクレーンがシルエットになり、そこから来たコンテナにはアフリカの織物、東欧の古い楽譜、南米の乾燥したコーヒー豆が詰まってるって、南の島みたいさ、ササニシキもヒトメボレも、結構この上ない花見の真っ盛り、―――ナスカの地上絵みたい、さ。君と並んで見上げた夜空は、どんな都市のイルミネーションよりも温ったい、人工衛星が軌道を描き、流星が軌跡を残す。会議のスライドは、倫理と効率を同時に語り、アカデミアと投資家の間でスライドショーが回る。世界を奪還せよ、それが僕等の時代の合言葉。世界をもう一度愛せよ、消化不良かもね、人間魚雷で実験済みかも、ね。それでもその一瞬に、「ここにいる意味」を見つけた気がした。薄っぺらい、ね。悩んでいないし、考えてない、でも命が最初に獲得した世界の背後に命の営みなどなかった、不条理そのものの光ファイバーと量子通信でつながって、心臓移植、脳味噌だって移植する。でも、君と僕をつないだのは、ただの偶然と、ひとつの視線。出逢えた奇跡を、両手で包み込むように抱きしめて、一人じゃ届かない場所へ、君となら飛べる気がした。都市の端、廃駅跡に設置されたインスタレーション。そこでは、こぼれた涙を光に変える装置が稼働していた。センサーは皮膚の塩分濃度、涙の速度、ホルモン反応をリアルタイムで読み取り、小さなプラズマディスプレイに虹色の信号を落とす。そうやって滅んでゆくんだって表現してる、黒い原油に波がどろりとうねるみたいにさ、猛毒の蛇に噛まれた人から生まれた血清みたいに、さ、もう一度って言ったんだ、もう一度って言ったんだよ、感情を読み取るセンサーが、君の頬を伝う雫を検知し、それを虹色のレーザーに変換して、空に放つ。底なしの虚ろへ、情報化された社会に対する漠然とした不安、割れた実の裂け目のような、入り口の見えなさ、病院や墓場や神社なぞへ行けば夢と同種の非日常的な時空があり、もう一つの人間の姿、僕等まだ冬枯れ、暗い空洞に墜落してゆく予感に怯え、忘れられた生と死の姿の肌触りが強くなる、この晩も、その次の晩も、ね。、それでも希望は、まだ消えていない。それは、誰かが残したメッセージアート。それは、君が僕に手渡した、折り紙。それは、僕等が描く未来線の軌跡。地下鉄の軋み、ドローンの羽音、広告の自動音声を連れて、ねえ僕は、ねえ僕は、午前三時のコンビニへ行きたいのさ、時代遅れだろ?ねえ君も、ねえ君も、午後五時の渋滞へ行きたいのさ、時代遅れだね?僕等は走る。都市の光を背負い、孤独を抱え、希望を灯しながら。このシティランは、助走でもないし、疾走ではない。それは、世界を越えて、心をつなぐ終わることのない旅路。さあ僕のシティランを始めようぜ、ヘルプなんかない、様々な形態で寄り添い合うホットラインさ。さあ君のシティランを始めようぜ、イエスもノーもない、右も左も圧迫し、緩衝地帯や空白を無理矢理生み出す、不毛な砂漠に草生えたどころか、草原も草原、準備はいいかい、二進法を超越した世界。ジャングルもジャングル、ああ、まだ誰にも染められていない、データと生命が混然一体となった有機的な集合、そしてこれが一番大事、すげえ大事、まだ誰にも収益化されていない、―――この、自由な庭を駆け抜けてゆけ。
2025年11月10日

朝、八時四十二分。アラームが鳴る三分前に目が覚める。洗面台の前。三面鏡に映る自分の顔を、正面、右斜め、左斜めと確認する。革のショルダーバッグは使い込まれ、角がわずかに擦れて鈍い艶を放っている。重低音に引き摺られながら、バスを降りた、その重さが、今日の行動への小さな決意。バッグを肩にかけた瞬間、その重みが、今日という一日の輪郭を、胸の奥に静かに刻みつける。暗く澱んだ底辺の風景じゃない、街のニュースは不穏な空気を具現化した、―――腐敗と陰謀の薫り。朝九時半のアスファルトは、まだ夜の湿気を微かに留め、レザーのパンプスから響く靴音は、ヒールの硬質なタップ音が一つ、そして間髪入れず、薄いソールの擦れる音が一つ。この二重奏が、軽やかに、しかし決然と、リズムを刻む。信号の電子音、新聞の束を積むトラックの油の匂い、歩道の隅に落ちた公孫樹の実の、かすかな甘腐れまで感じ取れる。それぞれの靴音、車輪の音、足音が、微妙に異なる周波数で重なり合い、想いのままに重ねた線がやがて形になる奇跡。それでも、もうどうでもいいやって投げやりになる、誰とも分かり合えない冬が―――もうすぐ・・。「(学校教育って何だったんだろう?)」と近頃考えている、十代ぐらいの子供を見るたびに。ショーウィンドウの硝子は、銀色の空の果て、向かいのビルのクリーム色の壁を映し込み、朝の鏡よりも三度明るい光を跳ね返している。そこに映る口角の上がり具合は、自宅の洗面台で確認した時よりも二ミリだけ高い。その僅かな差が、今日のわたし。ウィンドウの中には、マネキンが三体。見慣れぬ動物の・・・・・・静止状態的報告―――。白いシャツ、ベージュのパンツ、ブラウンのローファー。価格タグは見えないが、おそらく一着二万円前後。視線を少し下げると、硝子の表面に、自分の瞳が映っている。瞳孔が、周囲の明るさに反応して、収縮している。ふいと凝って、縮んで、じりじりとわたしの目蓋の先に寄って来る、疲労や、悲しみが淡い光の点になって飛び回る。硝子の壜の中に・・・、この世界を・・・何百個も詰め込んでいる・・・。通り沿いのカフェのテラス席。クロムメッキされた鉄脚椅子の冷たい感触を、ウールのコート越しに受け止める。注文したアイスカフェラテは、エスプレッソの濃い焦茶とミルクの純白が、グラスの底で渦巻き模様の境界線を作っている。ストローを差し込み、氷の角がカランと一度だけ鳴る。その小さな金属音が、騒がしい都市の音響の中に、一瞬の静寂を切り取る。そうしていると、人と人の間に飛び交う発芽するものが、妙に明るく、妙に悲しい笑いのように思えて―――きて・・。遠くへ行きたい、旅に出掛けたい、羽目を外したい、気分転換したい、実はどれも同じ言葉だったり―――して・・・。横断歩道の開始を告げる。白いペイントの上を渡る。行き交う人々の足取りを目でなぞる。速歩きのスーツの背中は、僅かに汗でシャツが貼りついている。ベビーカーのアルミフレームが、太陽を反射してチカッと鋭く光る。犬のリードは、飼い主の無意識の動きに合わせて、三センチの振幅で規則的に揺れている。そのすべてが、都市の微細な呼吸のリズム。街は巨大な生き物、黒青い、大うねりのある海のような世界の音が聞こえ―――。ふと、アクセサリーショップの前で足が止まる。ディスプレイの硝子越し、黒いベルベットの台座の上で、琥珀のピアスが、店内のスポットライトを内包し、蜂蜜色の火花のように光っている。太古の樹脂が封じ込めた時間の重みを、数千万年前を身一杯に映した虫の翅に触れる、この現代の照明の瞬間の輝きが、交錯する。すべてが昔のように汚れなく素朴に映ったら、人は天使のままでいられるだろうか・・・?吸い寄せられるように立ち止まり、反射する硝子越しに、自分の瞳の奥を覗き込む。日時計の文字盤みたいに消えてしまいそうなアクション、硝子に映る自分の瞳を覗き込んでふとしも思う、瞳の奥には、何が映っているのだろう。今日見たもの、今日感じたもの、今日出会ったもの。あるいは、まだ見ぬ未来。「今日は、見つめられるわたしになろうか、それとも、すべてを見通すわたしになろうか」鏡に映る自分に、言葉にしない問いを静かに投げかける。答えはなく、ただ、息を吸い込む音だけが胸の奥に溜まる、物を投げれば撥ね返されそうなほど固く澄んだ、自尊心。あちこちに咲き迸る秋の花のように、いつも平気でありた―――い・・。服屋の奥。木製ハンガーに吊るされたリネンのワンピースは、光を吸って微かに麻の匂いを放っている。シフォンのブラウスは、触れると指先から滑り落ちるような抵抗のなさがある。色とりどりの布が、店内の空調の微風を受けて、規則性のない波のように揺れている。微かにアロマオイル、ラベンダーとベルガモットの混合の香りが漂っている。香りは文明の隠された泉だ。試着室のカーテンの分厚いベルベットを引く音は、外界との接続を断ち切る、儀式的な静けさを伴う。袖を通すたび、背筋が一本の糸で引っ張られるような緊張感、あるいは肩の力が抜けるような解放感が、皮膚の最表面から伝わってくる。選ぶことは、単に服を選ぶことではない。それは、無限に存在する可能性の中から、たった一つの未来、たった一人のわたしを、今日この瞬間に決定する行為。腑に落ちてゆくような言葉がなくて、ほんの一瞬、自分が別の人格に、アップデートされる感覚が始まる―――。午後の陽射しが、ビルの西側の壁に斜め四十一度の影を落とし、待ち合わせの広場。彼女の姿を見つけ、思わず走り出す。「それ、すごく似合ってる!」という友人の声が、噴水の水音が砕けて弾ける、無数の小さな水滴の音に混ざって、耳朶をくすぐる。 好みが似ているという、根拠のない、しかし揺るぎない共通項が、今日この瞬間の喜びを一瞬で倍加させる。見つめる眼の優しさがどんな言葉より確かだね、厚ぼったい毛布のような灰色の息苦しさも、忘れさせてくれ―――る・・。行こうよ。何処へ。屋上?屋上!エスカレーターの金属のステップを、一分間で一階分ずつ昇り切った、ビルの屋上。魚の鱗をこそいだような空の感じとアドバルーン。強化硝子の手すり越しに見下ろす街並みは、まるで巨大な幾何学模様のキャンバス。歩いてきた道は、アスファルトの単調な灰色ではなく、光と影が織りなす色彩の軌跡に見える。一歩ずつ重ねた記憶の粒が、今、この高さから俯瞰することで、わたしだけの、誰にも書き換えられない物語の地図を描き出している。ショッピングバッグの厚い紙が、肩にかけたバッグの革と、歩くたびにカサリ、カサリと摩擦音を立てる。中には、リネンのワンピース、琥珀のピアス、そして言葉にできない、今日獲得した感情と微かな自信が詰まっている。言葉にできないものを拾い集めた透明な幸福が、色褪せないように希う、買ったもの以上のもの―――を・・、心と一緒に膨らませて持ち帰っていると信じていれば、どんな明日でも乗り越えてゆけるから。帰り道、駅までの坂道。太陽は、ビルの窓をすべてオレンジ色の炎に変えて反射し、世界のすべてを夕焼け色に染め上げる。「また来ようね」その言葉が、明日へ持ち越す小さな希望の光となり、靴音が再び、未来へ向かって軽やかに跳ねる。ほんの数秒の交信で、わたしの世界は輝きだした、きっと人はみんな孤独なサテライト、早くもっと大きな流れへ、きっとあなたもわたしと一緒だから。
2025年11月10日

大人気のブランドファッション店が閉店セールを行っていた。内情は一切明かされなかった。しかし確かなことは、三割引き、半額、驚きの八割引きなんていう、無料同然のものもあるらしい―――ということ。この噂は街を化巡り、パニック寸前の有象無象の群衆を生み出した。まるでゴキブリだ。格差社会の夜の溜息、音楽の調べ。しかしよい服なのである、着ているだけでインスタ映えできる。俺はこのブランドの元店員だった、値札に一つゼロが多いんじゃないかという価格帯から、いい服の生地を使っているのも知っている。着心地は、まるで資本主義の抱擁。もう福袋状態だ。そしていつもの高級品に対して、フクロウの眼をしているような冷ややかな輩はいない。すべてが叩き売りであり、ここにあるのは、百円ショップ化した神々の墓場だ。しかしちらほらいる、ユーチューバーの撮影動画。早く死ねばいいのに。無人の廃屋か何かだと思っているのか、ここは通路だ、公衆的面前だ。あと、邪魔だ。おっと、折り畳み椅子で攻撃された、いいぞ、もっとやれ。そんな奴はうなぎ責めにして不老不死にでもなってしまえ。おっと、そんな糞みたいな映画があったな。群衆の匿名性と排除の論理。そこのけそこのけ、店内へ入ると何度も名を知らぬばばあに、顔面を殴られ、蹴りを入れられ、こちらはプロレス技で応戦。シャーマンスープレックス。なんと、シャーマンスープレックス返しだと?たたものではない、猛者だ。神だ。ゴッドだ!しまいには、金属バットでどたまをカチ割ったりもした。そんなわけで、フルフェイスやプロテクターが飛ぶように売れた。昔そんな映画あったな、ザ・キャッチャー。頭悪いのかよ、でもね、それがB級の映画さ、それはそれでよい。しかしもう、愚連隊だよ、グレネードランチャーは関係ない。最低でも三十名は帰らぬ人になっただろう。資本主義に犠牲はつきものだ、ナムサン。ゴキブリには? バルサン。善意や優しさとかいう子犬とじゃれ合って暖炉の上でお昼寝する、というような世界名作劇場などのぞむべくもない。昔壊れたバイクをみてもらった大学近くのみじめったらしい店の、口のききかたがなってないアホがいたのでシバいておいた。そのまま、帰らぬ人になった。割れたヘルメットから、白い脳味噌が路面に散らばった。俺は、その上を踏んで歩いた。水曜日のダウンタウン観てそうなIQの低そうな奴だった。スニーカーの裏に、赤と白の絵の具がこびりついた。何だって戦争というおそろしい肉挽き機のような生存競争。でも仕方ないのだ、閉店セールの前ではそのようなことは些細なことだった。店内にアナウンスが流れた。「まもなく閉店です。みなさま長らくのご愛顧、誠にありがとうございました!あわせて、みなみなさま、本日は“生涯最後の買い物”にお越しいただき、誠にありがとうございます」といっているが、誰もそんなの聞いちゃいない。君が代ぐらい、聞いちゃいない。ファッションのスコールの後に晒される瓦礫。腕ちぎれてる、けどまだ服のタグ握ってる。献身的に群がるハイエナ。服に付く血の染みは勲章なのか、それとも刑罰なのか。しかし次の瞬間、あたりが真っ暗になり、店内の商品は定価に戻り、レジにいる人間はクレジットカードなどで支払わなければいけなくなった。金持ちは別に何も気にしなかった。聖者のように振舞って高等国民として、明日も拉致をしたり、車で轢いたりするのだろう。貧乏人は服を投げたりしたが、すぐに警備員に見つかり店内のダストシュートへ放り込まれ、地下の強制労働所へ送られた。彼等は皆、商品を買うことで服の所有者になったのではなく、服の生産者として、自分の命を、この資本主義という名の巨大なブランドに売り渡すという、生涯最後の契約を終えていたのだ。地下では、昨日のセールの残り物を縫い合わせ、新しい“限定モデル”を作らされていた。縫い合わせる服の一つ一つが、昨日の暴力と、失われた命の残骸だった。隣で作業している男の指は、爪が剥がれている。向かいの女は、片目が潰れている。これが暴力の代償なんだな、正義と敵という二元論の構図の行き着く先なんだろうな。みんな、昨日のセールで"勝ち残った"連中だ。そして今、針を持たされている。俺はその地下の強制労働所で、初日の作業に就いていた。運ばれてきた袋を開けると、そこには、自分がかつて着ていたブランドのTシャツが、血と泥にまみれて入っていた。「これは、俺がシャーマンスープレックスで引きちぎった服だ」そして、ふと顔を上げた先。 地下の壁には、次のセールの巨大なポスターが貼られていた。不意に鞘から抜かれて空に留まる刃のような戦慄が襲う。『あの興奮をもう一度! 伝説の閉店セール、第二弾!』巨大な殴りやすそうな笑顔のモデル。ぽきりと折ってしまいたくなるたけのこ山のような真っ白な歯。アッパーカットをお見舞い申し上げたくなります、整った顎。そして、最下部の小さな文字が光っていた。ハローワークの懐かしい場面を思い出す、全部嘘ばっかりなんだよな、軽作業っていう重労働、残業は十時間といいながら毎日。しかし、ひどいつけあわせの文章。〈スタッフ募集/経験不問/縫製できる方優遇〉そう書かれているポスターの右下には、小さく、小さく、虫眼鏡でも見えないぐらい小さく、企業名が印刷されていた。電通だった。俺は針を手に取った。隣の男が、小声で言った。「次のセールは、もっと盛り上がるらしいぜ」「・・・・・・知ってる」そして俺たちは、血まみれの服を縫い始めた。次の"生涯最後の買い物客"のために。
2025年11月10日

ある日、世界中の研究者たちが協力して、歴史上の三大美女を現代に蘇らせるプロジェクトを成功させた。クレオパトラ、楊貴妃、小野小町。人類の美の象徴達が、最新の科学と古代の遺伝子から再構築されたのだ。こんな無茶苦茶なことが罷り通るのは星座が投げ網を拡げるがごとく、美のむやみな信奉からきている。記者会見は世界中に中継された。会場には各国のメディアが詰めかけ、カメラのフラッシュが雨のように降り注いだ。司会者が高らかに宣言する。若干興奮気味で、さっき、ヤクを一発ぶちこんできた。これがないといけない、それはそうだ、後でテレビ局開催の集団セ ックスフェスティバルが開催されるからな。「では、歴史が証明する美の頂点、三大美女をご覧ください!」だが、カーテンが開いた瞬間、会場は静まり返った。そこに立っていた歴史上の美女三名の―――、あまりにもあまりっていうところの、おぞましさ。ピタッと、嘘のようにカメラのフラッシュが止まったクレオパトラは、エジプトの砂漠で日焼けしすぎたような褐色の肌に、濃すぎるアイライン。目元だけが異様に強調され、まるでロックバンドのボーカルのようだ。鼻は鷲鼻で、顎はしっかりしている。ワイルド系。彼女は流暢なラテン語とギリシャ語で何かを語り始めたが、誰も理解できなかった。伝説では、彼女の美しさは容姿ではなく知性と話術にあった。その伝説は、どうやら正しかったらしい。楊貴妃は唐のべらぼうに美味しい宮廷料理を食べすぎたのか、三人分の貫禄。豊満という言葉を超越した、圧倒的な存在感。ゾウという言葉を想い出す不思議。彼女が一歩踏み出すたびに、床が軋んだ。唐の時代、豊満な体型こそが富と美の象徴だった。痩せているのは貧しさの証であり、ふくよかさは最高の賛辞だったのだ。彼女は柔らかく微笑み、優雅に袖を翻した。その仕草だけは、確かに美しかった。小野小町は、和歌の才は健在だが、顔はまるで墨をこぼしたように曇っていた。平安時代の美の基準、細い目、引き目鉤鼻、おちょぼ口、白塗りの顔。現代の目には、まるで能面のような無表情に映る。古いゴム草履の裏のような顔。彼女は静かに一首詠んだ。「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」その声は透き通っていて解読を求める暗号めいた美を伝えていたが、誰も彼女を美しいとは言わなかった。「・・・・・・あれ? これフェイクドキュメンタリーか」報道陣は石を投げた、医師を食べた。「・・・・・・これが、三大美女・・・・・・芸人連れて来た前座か?」こんなのクレオパトラじゃないクレオキメラだ。「・・・・・・いや、でも、当時の美の基準って違うし・・・・・・、やはり美より、暴力、バキの漫画読もう」ジョジョの方がいいぜ。「・・・・・・いや、でも・・・・・いや・・・・・・」SNSは大荒れだった。『#三大美女再臨』『#時代錯誤』『#美のアップデートを』などのタグがトレンド入り。美とは何か、という哲学的議論が巻き起こる中、一匹の狸が、こっそりと人間に化けて街に降りた。その狸は、透き通るような陶器肌、シンメトリーな顔立ち、儚げな瞳、銀河鉄道999のメーテルを上位互換したような存在。そして何より、どこか懐かしい美しさをまとっていた。現代の美の基準―――大きな目、高い鼻、小さな顔、華奢な体。インスタグラムのフィルターを通したような、完璧な造形。だが、どこか人工的で、作り物めいている。狸は三大美女がいるので物見遊山に来たのだ。それでも人々は熱狂した。「彼女こそ、真の美女だ! マリリンモンローと地下鉄の風!」「いや、これはまさに現代の小町! 蝙蝠眉のローマの休日!」「クレオパトラも楊貴妃も霞む!」狸は妖し気に微笑んだ。実は狸はそもそもメスではなくオスだった。「人間って、ほんとに面白いわね」そう言って、見えない尻尾をふわりと揺らした。その夜、三大美女はそっと姿を消した。噂によると刑務所へ送り込まれたとかいうクチの悪いものもあるが、実際には南太平洋の小さな島――かつて富豪の別荘だった場所――で、のんびりと暮らしているらしい。島には白い砂浜と椰子の木、小さなコテージが三つ。クレオパトラは毎朝、海を眺めながら古代の巻物を読み、仮想通貨に興味を示しているらしい。楊貴妃は島で採れる果物を使って、宮廷料理を再現したり、現代の料理をアレンジしたバズレシピを作っているらしい。料理の才能があったのだ。小野小町は波の音を聞きながら、新しい和歌を詠み、覆面作家として小説を書き、歯に衣着せぬエッセイでとばしているらしい。彼女達は、誰にも美女と呼ばれることなく、ただ自分らしく生きている。そもそも、彼女達は自分達が一度も美女だと言ったことはなかった。勝手に言っているだけだ。それに、研究者達も心の何処かでは分かっていたが、それがクレオパトラ、楊貴妃、小野小町である証明など出来なかった。だが、誰も気づかなかった。狸だけが、今もインスタで"美のカリスマ"としてフォロワーを増やしている。そして、ある日。狸のアカウントに、一通のDMが届いた。差出人は『Cleopatra_VII』メッセージにはこう書かれていた。「あなたの"美"、とても面白いわね。でも、私達の時代には、もっと大切なものがあったの。知性、教養、そして―――生き延びる力。あなたが本当に美しいのか、時間が証明するでしょう。私達は、二〇〇〇年以上も語り継がれたのだから。――南の島より、愛を込めて」狸は画面を見つめ、少しだけ尻尾を垂らし、付随していたアカウントをフォローした。そして、次の投稿のために、また鏡の前でポーズをとった。突然何かがパッと輝き出し、その光を受けたすべてのものが、急に自分の存在を肯定されたような確信を抱き始める。しかしその瞬間、スマホのフラッシュがパッと輝き、その強烈な光に、狸の顔のシンメトリーな造形が、一瞬、完全に崩れたように見えた。いいねの数は、すでに一〇〇万を超えている。「そして、二〇〇〇年後、誰が語り継がれるか、人間はまた間違えるだろう」狸の独り言だった。光に焼かれ、一瞬で消え去る美しさこそが、現代の脆くて儚く危うい真の美。
2025年11月10日

毎晩、夢の中で僕は殺される。犯人の顔は、まだ見えない。ただ、確実に――距離が縮まっている。最初は丘の上。霧の向こう、樹々の影が溶け合う地平線の、さらに奥。シルエットだけが、こちらを向いていた。風は冷たく、草は湿り、僕の足元だけが大きな蜘蛛のように異様に明瞭だ。目覚めると、咽喉が渇いていた。様々な悲鳴が靴音に挟まっていた、氷と焔でよった縄のような僕がいた。次は隣の部屋。薄い壁の向こうで、呼吸の気配がする。規則正しく、機械的に。僕はベッドの端に座り、耳を澄ませた。ドアノブが、ほんの少しだけ回る音がした。白すぎる手、狂った鳥のような心臓。鍵はかけていた。目覚めると、鍵は開いていて、錆びた鉄釘が裏庭に落ちている。そして昨夜、枕元。目を閉じた瞬間、誰かの体温を感じた。吐息が頬をかすめる。鉄と土の匂い。僕は眼球だけを動かし、視界の端に「影」を捉えようとしたが、それは常に視界の外側にいた。紙風船のような弱い心臓が破裂しそうだ。やがて冷たい何かが首筋に触れ、そこで夢は途切れた。朝になると、隣人が笑って挨拶してくる。「おはようございます」彼の声は少し低く、湿っていた。咽喉の奥に何かが詰まっているような、そんな響き。世界に膜がかかり、無数の吸盤を持った触手が待ち構えていたように、わけもなく視線を逸らしたくなる。彼は昨日、心臓発作で亡くなったはずだった。午後三時、救急車のサイレンが鳴り響いた。僕は窓から見ていた。ストレッチャーに乗せられた彼の腕が、白いシーツからだらりと垂れ下がっていた。指先が地面に触れそうだった。スカートの裳裾のようだったカーテン。シーツの下で、微かに指が動いた気がした。誰も気づかないほどの、ほんの一瞬。夕方のニュースの時、彼の家の前に花束が置かれているのを見た。黄色い菊と白い百合。リボンが風に揺れていた。カメラが玄関を映した。ドアには黒いリース。アナウンサーの声は抑揚を欠いていた。それでも彼は立っている。目蓋が情念的な強迫観念に押しつぶされそうになり、僕はねじが外れたように表情が緩み始める。彼は湿った笑みを浮かべ、僕の顔をまじまじと見る。皮膚は少しくすんでいる。眼の下に影がある。だが、確かに生きている。呼吸をしている。瞬きをしている。彼の視線は、僕の額のあたりに注がれていた。瞳孔が、ほんの少し開きすぎているように見えた。「・・・・・・おはようございます」僕は返事をした。声が震えた。彼は何も言わず、ゆっくりと自分の家へ戻っていった。ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。鏡を見る。そこに映るのは、知らない部屋、知らない空気。壁紙の柄が違う。窓の外の風景が違う。光の入り方が違う。空気の密度が、温度が、湿度が、すべて違う。鏡の中の僕は、灰色のスーツを着ている。ネクタイは深紅。ポケットチーフが白く光っている。暗くみすぼらしい階段を降りる度に思う、見上げると巨大な青い鉢の形をした擂鉢状の視界ではないか、と。箱庭というあたりさわりのない日々に、洪水の夜が来る。僕はスーツを着て、隣人と握手している。手のひらに、生温い血の膜。握手は長い。彼の手は冷たくない。むしろ熱い。ぬるりとした液体が僕の指の間に滲み込んでくる。赤黒く、粘度が高い。僕達は微笑んでいる。迷子になった煙さながらの浮遊感。鏡の中の僕も、隣人も。歯を見せて、眼を細めて。だが瞳には何の光もない。被害者の表情をした、夜が来る。句読点を打つ隙を与えるような、眠るという行為が怖い。混沌の終末、カタストロフさながらカーテンを閉める。鍵を二重にかける。枕元にライトを置く。だが、そのすべてが無意味。夢の中では、鍵も光も意味を持たない。でも、眠らなければ鏡の中の僕がこちらに来る。足にまつわりつく刃物のような堅いスピード。苦肉の策で、鏡を布で覆った。だが、その布の向こうで何かが動いている気配がする。・・・・・・いや、動いているのは、布の“こちら側”かも知れない。硝子を叩く音。いや、叩いているのではない。爪で引っ掻いている。ゆっくりと、リズミカルに。僕は布を剥ぎ取った。そこには何もいない。ただ、鏡の表面に、細い線が一本、亀裂のように走っていた。夢の中で、隣人は僕を殺す。鏡の中の僕は、その瞬間を見て笑う。刃が入る瞬間、音はしない。肉が裂け、骨が軋み、血が溢れる。だが、すべてが無音だ。僕の口は開いているが、声は出ない。隣人の顔は無表情だ。ただ淡々と、機械的に、刃を引き抜き、また突き立てる。そして鏡の中の僕は、それを眺めている。まるで他人事だ、微笑を浮かべる寸前の表情をして、腕を組み、首を傾げ、興味深そうに観察している。時折、小さく頷く。評価しているのだ。殺しの技術を。刃の角度を。血の飛び方を。やがて僕は悟った。隣人の「死」は、僕が鏡の内側で犯した「未来の罪」だ、と。そして、夜ごと繰り返される殺害は、僕が辿るべき「過去の結末」なのだ、と。時間は円環している。原因と結果が逆転している。水分を失った岩肌の貝の群れのような場面の昇華、接続する、最終地点。僕が殺されるのは、僕が殺すからだ。僕が殺すのは、僕が殺されるからだ。隣人は既に死んでいる。だが、彼を殺したのは僕だ。鏡の中の僕だ。未来の僕だ。そして、その罪を贖うために、現実の僕は夜ごと殺される。眠らなければ、時間は止まり、眠れば、罪が完了する。僕は選択を迫られている。永遠に覚醒し続けるか。それとも、罪の円環を閉じるために眠るか。おいおい狂気だ、どんよりと曇った鬱のような脳内と、身体の節々に残る筋肉のしこり。だが、覚醒もまた苦痛だ。真珠貝の縞のようなパターンのノイズ、ざざ、と。鏡の中の僕が、徐々にこちらへ滲み出してくる。境界が曖昧になる。オレンジやレモンの切り口。やがて、どちらが「本物」なのか分からなくなる。今夜も、足音が一歩、近づく。時限爆弾式の廊下。カーペットの上を、ゆっくりと。一歩ごとに間隔が空く。計算されたリズム。恐怖を煮詰めるような、焦らすような歩み。僕は息を殺す。布団の中で身を縮める。だが、足音は確実に近づいてくる。玄関をノックする音がした。三回。規則正しく。丁寧に。まるで招待客のように。ドアの隙間から覗くのは、隣人の顔をした、僕自身。スーツ姿だ。深紅のネクタイ。白いポケットチーフ。だが、顔は僕だ。眼も、鼻も、口も。髪の分け方も、眉の形も。すべて僕だ。それは空気を断たれたままの砂時計そのもののアイデンティティ。だが、表情だけが違う。彼は――いや、"それ"は悪魔のように微笑んでいる。隣人と同じ、湿った笑みを。僕は瞳を閉じた。もう逃げられない。鍵を開けるしかない。あるいは、このまま眠るしかない。どちらを選んでも、結末は同じだ。刃が沈む。肋骨の間を滑り込むように。心臓の鼓動に合わせて、深く、深く。温かい液体が喉に逆流する。鉄の味。僕は倒れる。視界が傾く。天井が遠ざかる。音のない悲鳴の中で、鏡がゆっくりと曇る。縦横に引き裂いたように、呼吸が、血が、鏡の表面を覆っていく。耳の鳴るような痛苦を挟みながら、映像が歪む。僕の顔が、隣人の顔が、スーツ姿の"何か"が、すべて混ざり合って溶けていく。最後に見た。鏡の中の"僕"が血に濡れた手で隣人と握手しているのを。彼等は笑っている。満足そうに。契約が成立したかのように。刃を持つ手と、血に染まった手が、しっかりと結ばれている。力強く。何度も。祝福のように。それは祝福にも、契約にも見えた。朝、窓の外から声がする。「おはようございます」微笑む隣人。そして、同じ笑みを浮かべる僕。僕は玄関に立っている。スーツを着ている。ネクタイは深紅。ポケットチーフは白い。手のひらに、何かが染み付いている。洗っても落ちない感触。鏡の中では、誰も眠っていない。鏡の向こうで、もう一人の僕が立っていることもない。隣人と握手をすることも、永遠にない。僕は窓の外を見る。隣人が手を振っている。僕も手を振り返す。自然に。滑らかに。まるで何度も練習したかのように。そして扉を閉める。僕の部屋の鏡が、いつのまにか割れている。爪を引っ掻いて叫ぶ声が、その奥から聞こえて来る。耳を塞いでも、音は止まらない。音は、僕の内側に入ってきて、忘れられた傘の行方を、月曜日に消えた男のことを思い出させる。
2025年11月10日

彼のスマホは、何故か「好き」と打つと「寿司」と変換される。「君が寿司だよ」と送ってしまった夜、彼女から「じゃあ、私は君の醤油ね」と返事が来た。どういうことだと一瞬は頭を抱えた。だけど、恋愛の神経を魚介類で理解するというのはどうだろう、もっとおかしくなった、言っている意味が分からないって言われるぜ、でもね、海と恋の塩分濃度は、同じ。照れというのは可愛らしく、サーモンとかマグロとか、一見意味不明な単語も、心の願いを凝縮した脳の働きの上に費やされた。やがて、そういうやり取りの埋め合わせが来た。照れとは、サーモンの脂身のようなもので、脳の奥の冷凍庫で少しずつとけていく。彼は言葉の裏側で泳ぐ何かを感じていた。後日、意を決して、スマホの変換に間違いがないかを確認して彼は、改めて「好き」と打ってメッセージを送った。「今度はちゃんと『好き』って打てたよ。今日は会える?」彼女からの返信は、「うん。じゃあ、今夜は、愛を『握り』しめて来てね」終わらない、寿司遊び。まだまだ続くミーム。眠らないマグロ。死んだ魚の眼をしたような日々なのに、ほんのちょっとのユーモアが、上手いことを言ったような感じが恋愛ホルモンを運んでくる。誤変換は直っても、ふたりの“握り”は本物になった。人生を、最高の『あがり(お茶)』で締めくくれる運命に、『巻き』込んだのだ。そして寿司を食べに行こうと誘った初デートの日を一生忘れない、長い回転寿司レーンに座るイメトレも済ませた、だけど、そこにはサーモンの被り物をした変な女がいて、恋をした。そして真っ直ぐ彼の瞳を見て笑った。笑いの泡か、言葉の酸素か。でも、僕の肺は、もっと深い比喩を欲しがっていた。それは“ねじれ”かも知れない。それは“ズレ”かも知れない。その瞬間、世界のすべての誤変換が、正しい意味に変わった。
2025年11月10日

2025年11月10日

僕の瞳は景色じゃなくて、君の姿だけを映している、睫毛の檻に汚れた僕等の過去が、貧しくても光れ。〇.一ミリだって、風が来る前の花畑のときめき。知ってるよ、信じてるよ、心臓が止まる、これは引き算じゃない。誰も声をあげない空間で、忘れていた気持ちに出逢い、風が妖しく誘う。様々な悲鳴を靴音を響かせるたびに、踏みつけているような気がした、飛躍が好きだった、固定観念の枠を壊したかった、意外な補助線について考えた、バタフライエフェクトについて考えた、でも結局何一つわからなかったよ、君と会うまでは。世界で一番美しいような気がする、夜を観測中。まだ目配せをするつもりなのか、流れ星は、額と眉の間に蒼い飛沫を残して消える。ねえ、モノクロだった世界が、こんなにも色鮮やかになるなんて、また熱い一日になりそうだ、言い合って、言い尽くして、この揺れは僕等の小さな世界を運ぶ、ゆりかご、ダンス、口笛、まだ何かある?笑顔でもロマンティックなむず痒さでもいい、未来へ続く、拍手だ。生命が喘ぐ声。心をあらわす神経の、不安の続きの中で、鳥の羽根のように空から舞い降りて来るもの。まさか君がそんな顔するなんて、まさか胸がこんなに痛むなんて、気付きたくなかった、この気持ちの正体。知ってるよ、信じてるよ、幸せそうな顔と幸せな顔は、いくつもの頼りない、不甲斐ない、心もとない、ぼんやりと散らばっていた、地図が生み出した真実。それが僕の世界のすべて、僕のすべてだから、魔法の城がたとえ、ある日、荒れ果てた廃墟としてあらわれても、風よ、夜道を照らす月明かりよ、このつま先立ちの気持ちを連れて、薄暗い道を弾ませて。
2025年11月05日

心療内科に行ったんだ―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・いつか言ったように、消化性潰瘍、気管支喘息、狭心症、糖尿病、もう病気のてんこもりだよ、これで腰痛なんかもあってさ―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・〈独り言〉・青いシーツのシングルベッド(許可)・勉強机(許可)・本棚および大量の心理学と哲学に関する書籍(許可)・インターネットに接続されたパーソナルコンピュータ(インターネットへの接続は却下し、十分なストレージを持つコンピュータのみを提供した)・紙と筆記具(許可)・一人がけソファ2つと四角形のミニテーブル(許可)・チェスセット(許可)・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、久しぶりの外出でさ、なんか面白かったな。で、着いた場所が古い建物でさ、でも院長がすごい美人でさ、脳のなかの化学物質のバランスが崩れてるんだろうけど、すごくきれいな顔をしてるんだよな、・・・・・・・・・・・・・・・・・・化粧もしていて、余所行きの服もしていたぜ、白衣なんかじゃないんだ、四十代か五十代だろうけど、熟れどきっていうより、熟して崩れ落ちる前って感じ、本当にそのぎりぎり、・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈初期症状(発症直後)〉1. 常にターゲットについて思考するようになる。2. 必要がないにも関わらず、 ターゲットに接近やコミュニケーションを試みる。3. それに成功した場合、急激な心拍数の上昇、 発汗、顔面が赤みを帯びる等の生理不調を起こす。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈医療記録 No.2024-1103-A〉患者ID: ████████初診日: 2024年11月3日主訴: 多様な身体症状の訴え。消化器系、呼吸器系、循環器系、代謝系にわたる。現病歴: 患者は複数の身体疾患を列挙するが、既往歴に該当する治療記録は確認できず。所見:対人認知の著しい歪み現実検討能力の低下妄想的要素を含む語り性的な言及の頻発診断:精神病性障害の疑い。要継続観察。備考:患者は待合室で他の患者(高齢男性2名)に対し、不適切な発言を繰り返していた。看護師・寺前の報告によれば、「完全に自分の世界に入っている」状態。処方: ████████担当医: 村瀬・・・・・・・・・・・・・・・・・・なあ、話聞いてる?《記録: 音声検知・ノイズ混入》> "僕は、僕は、"> "先生、先生こそ――"> (ノイズで途切れる)・・・・・・・・・・・・・・・・・・先生、どうでしょう?そうだね、看護婦の寺前さん、こりゃ、もう自分の世界に入ってしまっていますね、発狂だね。これは大変特殊なケースで、治療が難しい。ご家族には内密にな。しかしなんだかなー、会社のパワハラだっけー、モラハラ?ああ、恐ろしいものだね、どうしてここまで病んでしまえるんだろう、魚の眼をして、へらへら笑って、これが人間だとは信じがたいね、これでも五体満足だとはね、生きた屍通り越して、生きた道化者だね―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈看護師・寺前の内的独白〉(でも本人、病気を並べてるけど、病気を一つもしたことないらしいね、これも妄想なんだろうね)まあ、美人の院長って言われるのは、悪い気はしないし、性的な眼で見られるのも、まー、悪くはないね。(ただまー、なんだかねー)村瀬先生は、いつもこういう患者さんに丁寧だ。私だったら、もう少し距離を取ってしまうかもしれない。待合室には、例の二人の高齢患者がいる。一人は元サラリーマン、もう一人は・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈独り言〉目的地に徒歩で向かう途中である。目的地に50回以上行ったことがある。目的地に向かうための道は事前に決まっており、毎回使用している道である。周囲10mに人物(自転車、車両などに搭乗している人物は除く)が存在しない。家から出発する時刻は決まっている。前回の出発と時刻が約1分ほどずれている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈古い診療日記(1993年7月12日)〉患者K・T、52歳、男性。大手商社勤務。過重労働による適応障害。「僕は、僕は、もうダメなんです」繰り返される自責の念。私は彼に何を処方すればいいのか。薬か。言葉か。それとも、休息か。私自身、最近眠れない。患者の苦しみが、夢に出てくる。ミイラ取りがミイラになる、と同僚が冗談で言っていた。 、、、、―――笑えない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・それで、そのジジーとババーが、すげーんだよ、ずっとなんか変な話をしてるんだよ、完璧ホラーだぜ、廃墟にさ、しんりょうないか、って、筆でかかれていてさ、もう書き殴りよ、書き殴り―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前にコンビニでさ、老人が勝手におにぎりの袋あけちゃって、食べるの見たことあるけど、ボケって、本当こわいよなー。でも、片方はずっと、僕僕、言ってるんだ、もう恐怖耐久レース、我慢大会だけど、断片きいてたら、会社のサラリーマンだったらしいんだな、そのヒヒとオラウータンまぜたようなジジー。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう片方のババーは、あ、これ、噂話できいたんだけどさ、元は心療内科医だったらしーぜ、でも、ミイラとりがミイラっていうの、気が付いたら患者と医者の区別がつかなくなって、ああいうありさまらしー。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈医療記録 No.1998-0304-K〉患者ID: K-████通院歴: 1993年〜1998年(5年間)診断: 適応障害 → うつ病 → 統合失調症(病状の進行)最終面談記録(1998年3月4日):患者K、本日の面談中、「僕は、僕は」という言葉を繰り返し、会話が成立しない。認知機能の著しい低下。家族の同意を得て、入院措置を検討。しかし、患者は、「先生、先生こそ大丈夫ですか」と私に問いかけてきた。私は何と答えればよかったのか。担当医: ████(記録者自身が後に患者として登録される)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・電車の話でさー、よく飛び込み自殺する駅があるっていうけど、それがまー、精神科医があるってところなんだけどさー、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも不思議でさー、いやー、いつも、近所のおばさんが、その廃墟に猫にエサあげてくるとかいっててさ、結構もりもり持ってくよなーと思ったんだけど、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人間の世話っていうのはどういうものなんだろーな、・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈匿名掲示板ログ(2024年11月2日 23:47)〉スレタイ: 【閲覧注意】マジでヤバいブログ見つけたwww187 名前:名無しさん 2024/11/02(土) 23:47:32.15なんだこの小説、糞気持ち悪いな、誰書いてるんだ、188 名前:名無しさん 2024/11/02(土) 23:51:08.42うわっ、このヤンキー、ジジーとババーを殺しやがった、189 名前:名無しさん 2024/11/02(土) 23:53:21.77うわっ、やめろやめろ、何、あたまのなかにゴキブリいれてるんだ、おいやめろって、190 名前:名無しさん 2024/11/02(土) 23:55:44.29人を殺して見たかったのだ、何で急に、のだ、とか言ってんだよ、頭悪いんじゃねえの、こいつ。馬鹿だろ、頭に蛆わいてんじゃねえの。191 名前:名無しさん 2024/11/02(土) 23:58:12.66そして、なるほど、ハハハ、こりゃ傑作だ、これを読んだ奴は呪われるってか、うわーやりやがった、赤文字で、後ろを見ろだって、ハハハ、馬鹿だ馬鹿だ、昔のホラーかよ、そんなことあるわきゃ―――192 名前:名無しさん 2024/11/03(日) 00:03:51.88おい、>>191が書き込んでから5分経つけど返信ないぞ193 名前:名無しさん 2024/11/03(日) 00:11:22.14まさかな…・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈救急搬送記録〉日時: 2024年11月3日 14:32場所: ████区████町 ████心療内科傷病者: 男性、推定30代傷病名: 刺創(背部、複数箇所)現場状況:通報者は近隣住民。「叫び声が聞こえた」とのこと。到着時、傷病者は意識あり。出血多量だが、バイタルサインは安定。傷病者の発言:「口を割らない」「しゃべったらころされる」搬送先: ████総合病院特記事項:傷病者は刺された状況について証言を拒否。「もうころされかけてる」「しぬところだった」と繰り返すのみ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈X タイムライン〉──────────────────────────────@local_news_bot【速報】████区の心療内科で刺傷事件。男性(30代)重傷。犯人不明。2024/11/03 15:42 | 1.2万 views──────────────────────────────@████_residentえ、あそこの心療内科?よく前通るんだけど…怖い2024/11/03 15:58 | 24 likes──────────────────────────────@conspiracy_hunter防犯カメラに映ってないって…これ絶対おかしいだろ2024/11/03 16:15 | 387 likes──────────────────────────────@psychiatric_nurse心療内科での事件、他人事じゃない。現場の緊張感、わかる人にはわかる。2024/11/03 16:42 | 1,203 likes──────────────────────────────@occult_maniaこれ、昨日のあのブログと関係あるんじゃ…2024/11/03 17:08 | 89 likes └ @skeptic_2024 また始まった 2024/11/03 17:15 | 12 likes──────────────────────────────@████_reporter【続報】被害者、犯人について証言拒否。「しゃべったらころされる」と繰り返す。精神的なショック?それとも…2024/11/03 18:21 | 3.4万 views〈新聞記事(地方版・2024年11月4日)〉心療内科で刺傷事件 男性重傷3日午後2時半ごろ、████区の心療内科クリニックで、来院していた男性(30代)が何者かに刺され、重傷を負った。男性は背中を複数回刺されており、████総合病院に搬送された。命に別状はないという。現場は住宅街の一角にある小さなクリニック。院長の村瀬医師(48)は、「患者さんのプライバシーに関わるため、詳細はお答えできない」としている。警察は傷害事件として捜査しているが、被害男性が状況説明を拒んでいるため、捜査は難航している。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈村瀬医師の私的メモ〉患者████は、自分が刺されたことを認識しているが、誰に刺されたのかを語ろうとしない。「しゃべったらころされる」彼は何を恐れているのか。それとも、彼の中では、すでに「ころされた」のか。私たちは、狂気と正気の境界をどこに引くのか。彼が見ている世界と、私が見ている世界は、同じなのか。かつて、私の患者だった老人が、こう言っていた。「先生、先生こそ大丈夫ですか」私は、大丈夫だったのだろうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈古い診療日記(1998年10月5日・最終記入)〉もう、誰が患者で、誰が医者なのか、わからない。Kさんは、今日も「僕は、僕は」と言っている。私も、心の中で「僕は、僕は」と繰り返している。近所のおばさんが、猫に餌をやりに来る。「先生、ちゃんと食べてますか?」私は笑って答える。「ええ、おかげさまで」廃墟のような、この診療所で。・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぐさりぐさり。ぐさりぐさりぐさり。ぐさりぐさり。ぐさりぐさりぐさり。(それは、文字に起こせば単純な擬音だが、実際には体内の何かを抉るような現場音だった。病院の外で聞かれたという叫び声、通報した近隣の住民の震えた声、救急の到着記録が冷たく数字を並べる)・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぴーぽーぴーぽー。ぴーぽーぴーぽー。ぴーぽーぴーぽー。ぴーぽーぴーぽー。(―――猫の足音、鍵の回る音)・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっこさん、意識あったろ、何て言ってたの、ふうん、口を割らないってか。じゃあ、両親とか、友達かなー。え? そんな感じじゃない、しゃべったらころされるって、そんな馬鹿な、もうころされかけてるじゃねーか、というか、あやうく、しぬところだったじゃねーか、何言ってんだそいつ、馬鹿か―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈警察調書(抜粋)〉被疑者: 不明被害者: ████(30代、男性)事件概要: 心療内科クリニックにおける刺傷事件捜査状況:被害者は一貫して犯人に関する証言を拒否。「しゃべったらころされる」との発言を繰り返すのみ。クリニックの防犯カメラには、被害者が一人で待合室にいる様子が映っており、他に人物は確認されていない。可能性:1、外部からの侵入者(カメラの死角)2、被害者の妄想または自傷行為3、その他捜査継続中。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈看護師・寺前の独白〉結局、誰が誰を刺したのか、わからないまま。あの患者さんは、今も「口を割らない」と言っている。村瀬先生は、最近ますます疲れた顔をしている。待合室の老人たちは、今日も来ている。一人は「僕は、僕は」と言い、もう一人は、黙って窓の外を見ている。私は、猫に餌をやる。廃墟のような、このクリニックで。人間の世話っていうのは、どういうものなんだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・〈████日報 2024年11月20日(水) 朝刊〉 ████心療内科、突然の閉鎖先日の刺傷事件があった████心療内科が19日、突然閉鎖された。入り口には「諸事情により休診」の張り紙のみ。村瀬院長とは連絡が取れない状況。 近隣住民によれば、「18日の夜、先生が大きな荷物を持って出ていくのを見た」という。 警察は、事件との関連を含め、村瀬院長の行方を捜している。 ※関連: 刺傷事件被害者も退院後、行方不明・・・・・・・・・・・・・・・・・・《記録: 音声検知・ノイズ混入》> "僕は、僕は、"> "先生、先生こそ――"> (ノイズで途切れる) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025年11月05日

南太平洋の紺碧が、地平線のはるか彼方まで広がり、波頭に白い泡を立てながら、風が塩の匂いを運んでくる。最も近い陸地まで、二千キロメートル以上。人間の視界からは、世界のすべてが水平線に溶けて消える。ここは、南太平洋に浮かぶチリ領の孤島、イースター島(ラパ・ヌイ島)ここにあるものといえば何か?モアイ像だ。約九〇〇体以上が点在し、オランダ人が復活祭の日に島を発見したことから命名し、亡くなった首長や先祖の魂が村を守ってくれるという信仰であり、ほとんどのモアイ像は海ではなく、村の方を向いて立っており、見守りの意味があり、そこには部族間の競争もそこはかとなくある、「我々の村には、こんなに立派なモアイがある」という、沈黙の誇示。あの厳めしい、彫りの深い顔。長い鼻、突き出た唇、強い眉、みんな大体同じだ。表情は読み取れない。怒っているようでもあり、何かを耐えているようでもあり、ただ黙って時間を見つめているようでもある。不思議なことに、どの像も似ている。いや、「似ている」のではない。「似せている」のだ。祖先の理想像を共有していたため、デザインが統一されているのだ。どうでもいいことに興味を持つってどうだろうとは思うけど、モアイ像の謎の一つに、「どうやってあの巨石を運んだのか?」というものがある。平均四〜五メートル、最大で一〇メートル以上、何世紀もの風雨に晒されて、角は丸みを帯び、表面には地衣類が薄く張り付き、重さは一〇〜八〇トンにもなる。人間が五十人、百人と集まっても、びくともしない質量だ。頭部は大きく、胴体まで彫られており、いくつかの像は、頭上に「プカオ」と呼ばれる赤い石の帽子を載せている。これは髪を結い上げた髷を表現したもので、赤いスコリア質の凝灰岩でできている。馬鹿みたいな話だけど、重さは十三トンにもなる。帽子だけで、である。もちろんこんな具合だから、村の力自慢がちょいと運んできてやるぜみたいなノリとか、はたまた神話時代の巨神兵がおりましてみたいな、胡散臭い話はなしとなると、もちろん、モアイ像を人間の手で運んだわけであるが、そこにはちょっと知恵を捻らなくてはいけなくなる。賢い人って昔にもいたんだなっていうのを察するのはいいことだ、過去を原始時代みたいに捉えている人も一定数いるだろうけど、そこにも学術ではない類の自然の知恵のようなものがあったのだ。さて、どうやって運んだかといえばだが、橇で寝かせて運んだ説や、人力で転がした説などが語られてきたけれど、二〇一二年に提唱された「直立させたモアイ像を人間が運んだ」という、いわゆる“歩かせた”説なんかもある。アメリカの研究チームが、物理学・3Dモデリング・実地実験を通して、この説を検証したところ、モアイ像は直立したまま、ロープを使って左右に揺らしながらジグザグに歩くように、運ばれていた可能性が高いことが分かってきた。運ぶなんてナンセンスだよ、昔その場所にあったんだよって思う人もいるだろう、面倒臭がりの僕なら絶対に言う、でもそれが権力や競争や信仰なんだよね。一人の人間は出来ないことも、複数の人間によってやり遂げられる、こういう蟻のプロセスこそがこの不思議な謎を生み出しているんだ。ちなみに殆どが凝灰岩という、火山から噴出された、火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石からできており、その石の多くは島南部のラノ・ララク火山の採石場から切り出されている。僕は昔は偉大だったとかいう論調に陥ったりはしないけど、考えてもみてよ、制作時期はおよそ七世紀から十七世紀頃特に十〜十六世紀に最も盛んに作られたと考えられている。島では金属器が使われていなかったため、石製の道具を使って彫刻が行われた。べらぼうに時間がかかるはずだし、おそらく専門の職人がいたはずだよ。想像してみてごらんよ、朝日が昇る前から岩肌に向かい合い、石を打ち続ける音が谷間に響いていた光景を。一日に削れるのは、わずか数センチメートルかもしれない。宇宙人がいたとかいうのは、なしでさ。一体の像を完成させるのに、何ヶ月、何年かかっただろうか。それとも専門の職人集団がいただろうか。技術は師から弟子へと受け継がれ、どの角度で石を打てば亀裂が走るか、どうすれば鼻筋を真っ直ぐに彫れるか、そうした知識が蓄積されていったろうか。職人の手は、いつも傷だらけだっただろうか。石の粉が目に入り、咽喉に張り付き、爪の間に黒く溜まったろうか。重たいものの下敷きになったような経験はあるかい?僕は一〇〇キロを超える重量物に指を挟んだことがある、全身に稲妻が走るような感じを覚え、その日は痛くてほとんど指を動かせず、それから、かれこれ二カ月ぐらいはずっと指に違和感を覚えていた。これはそういう世界だと思うよ。普通にそんなことあったら止めちゃうじゃん、面倒臭いしさ、痛い。でもそれは祖先への敬意であり、村の威信であり、自分たちの存在証明なん―――だ・・。あなたは考えないかも知れないけど、僕は考えるよ。沈黙の石像に、何思うことがあるだろう、でもそれは、人間が意味を刻みたがる生き物だからだ。求めよ、さすれば開かれん、とね。十七世紀に最初のヨーロッパ人がこの島に到着した時、他の陸地から数千キロも離れた、東西約二二キロ、南北約十一キロの、お世辞にもけして大きくない、フルマラソンだってコースを考えるのは大変かも知れない、この小さな島には、わずか数千人の住民しかいなかった。でも、最初はこう考えられた。聖書のバベルの塔の何とやらだね。かつては数万人規模の人口がいたのではないか、と。でも最近ではそれほど人が住んでいなかったというのが、主流の説となっている。それについては疑問の余地はあるだろうと思うけどね、でもそれを肯定していたのは、運搬するには非常に多くの人員や資材を必要とするからなんだけど、そうはいえども、像の損傷リスクが高いことが問題だったんだ。現代のクレーン車でも慎重な作業が必要な重量だ。それを、金属の道具もない、車輪の概念もない時代に、人力だけで、時には十数キロメートルも離れた目的地まで運んだ。見るっていうことは、見抜くっていうことでもある。これが科学的な眼であり、検証であり、状況を把握し、一つ一つを整理してゆくことなんだ。その中で登場したのが、モアイは直立させたまま左右に揺らして歩かせたのではないかという、いわゆる「歩かせた説」だ。ちなみにこのアイデアは、島に残る口承伝承にも見られ、ある古い歌では、祖先がモアイ像を歩かせて祭壇まで運んだと語られている。二十一世紀の科学者達は、この伝承を笑い飛ばさなかった。大真面目に考えてみるって大切だよ、先入観や偏見にまみれていると見えるものも見えなくなってしまう。この説を実験的に検証したのが、アメリカ、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の、考古学者カール・リポ氏と、アリゾナ大学のテリー・ハント氏によるチーム。彼等は二〇一二年、高さ約三メートル、重さ五トンのモアイ像のレプリカを使用し、三本のロープと十八人の作業員だけで、「歩かせる」ようにして像を前進させる実験を行った。「引け!」左のチームがロープを引く。像が左に傾く。「引け!」右のチームが引く。像が右に傾く。像は揺れた。左、右、左、右。振り子のように。そして、前に進んだ。一歩、また一歩。ジグザグに、まるで酔っ払いのように、しかし確実に。像は「歩いた」んだよ。とはいえ、鵜呑みにしちゃいけないよ。この実験はテレビ番組『NOVA』の撮影のために、短時間で行われたもので、理論的な裏付けや再現性、運搬条件の詳細などには限界があった。それでもこの「歩かせた説」は、モアイ運搬の新たな可能性として注目を集めた。でも本当に何キロメートルも運べるのか?研究は続いた。二〇一八年、リポ氏はさらに別の研究成果を論文に発表した。それは、モアイ像の頭上に見られる、「プカオ」と呼ばれる赤い石の帽子についてである。重さ一三トンにもなるこの石をどのように像の上に載せたのか?リポ氏は、こう考えた。プカオをロープで巻き付けながらスロープに沿って転がすようにして、像の頭部に配置したのではないか、と。さらに二〇一九年には、定量的な空間モデリングに基づいて、モアイ像の設置場所が淡水の入手しやすい地点と、一致していることを明らかにし、「祭壇の配置は水源との関係が深い」とする論文を、『PLOS One』誌に発表している。今回の研究では、「歩かせた説」が物理学的にも成立するかどうかを検証するため、像のサイズ・形・重心・必要な人数・移動速度などを数値化し、3Dモデリングを活用した予測モデルと実地実験を組み合わせて実施された。特に注目されたのは、島の古代道路沿いに残された、六十二体のモアイ像。研究チームは、島内の九六二体のモアイ像を対象に調査し、その中から「運搬中に倒れて放棄された」とみられるものを分析した。これらの「道のモアイ」は、基部が広く肩幅よりも下部が太い形状で、重心が低く安定していた。また全体に六〜十五度の前傾があり、左右に揺らした時に自然に前へと倒れ込みやすい構造だった。これにより、像の設計そのものが「歩かせて運ぶ」ことを、前提としていた可能性が浮かび上がってきたのだ。一方で、祭壇に立てられた像は肩幅が広く、基部が狭く、安定性に欠ける。こうした像は、運搬後に基部が削られ、前傾が修正されている形跡があり、設置時に調整されたと考えられている。また、道のモアイには、目をはめ込むためのくぼみ(眼窩)が、存在していないものが多く、最終工程に至っていない像だったことを示している。目は、祭壇に設置された後に初めて入れられる。像に魂が宿る瞬間だ。研究チームは、道のモアイの構造をもとに、重さ四.三五トンのレプリカを製作。像の寸法・質量分布・素材などを正確に再現し、歩かせた輸送実験を実施した。参加者は左右のロープに各四人、後方の制御ロープに十人の計一八人。最初は、リズムが合わない。像が左に傾きすぎて、倒れそうになる。後方のチームが慌ててロープを引き、バランスを取り戻す。「もう一度!」左チームが引く。像が傾く。右チームが引く。像が戻る。次第に、リズムが生まれてくる。左、右、左、右。振り子の原理。一度揺れ始めれば、少ない力で運動を維持できる。摩擦は最小限。像の底面が地面と接する面積は、揺れるたびに変わる。点接触に近い状態で、滑るように前進する。十分後、像は安定したリズムで「歩いて」いた。作業員たちの呼吸も、像の動きに同期する。左チームが息を吸う時、右チームは息を吐く。まるで一つの生き物のように。四十分後。像は百メートルを移動していた。この方法は振り子のような物理原理を活かし、摩擦を最小限に抑える。一旦揺れのリズムが整えば、少人数でも安定した歩行が可能になり、数週間で数キロを移動できる計算になる。理論的には可能だ。それに研究チームは、像だけでなく、モアイ像の運搬に使われた、道路の構造にも注目した。島内の道路は断面がわずかに凹んでおり、横倒しにした像を転がすには適さない形状だが、立てた状態で左右に揺らして進めるには安定性を保ちやすい構造だった。また、道路の平均勾配は二〜三パーセントと緩やかで、一部の急な斜面でもスロープと段階的な揺れで制御すれば、登りきることができたという。道そのものが歩かせた運搬に適した設計だった可能性が高いという。道そのものが、巨大な運搬装置だったのだ。ちなみに歩かせた説は、決してリポ氏が最初に提唱したものではない。一九八〇年代には、チェコの実験考古学者パベル・パベル氏が、ノルウェーの探検家トール・ヘイエルダールとともに、実地での実験を行っていた。当時は十六人と一人の指揮者でモアイ像を「すり足」のように動かす方法を試し、一定の移動には成功したが、摩擦が大きく、効率的な前進には至らなかった。使用した像も祭壇に設置するために改造された基部の狭いタイプで、歩かせるには不向きだった。つまり、正しい運搬用に設計された像を使っていなかったのだ。リポたちの研究が画期的だったのは、運搬途中で放棄された像の形状に注目し、その特徴を忠実に再現した点にある。前述したように、最初、学者たちはこう考えたんだ、「かつては何万人もいたに違いない。そうでなければ、これほど多くの像を作れるはずがない」と。バベルの塔の神話のように、ね。しかし、最近の研究では、島の人口は最盛期でも数千人程度だったという説が主流になっている。では、どうやって?答えは、効率化と組織化だ。百人で一ヶ月かかる作業を、十人が一年かけて行うこともできる。専門化された職人集団、計画的な資源配分、世代を超えた継続的な努力。蟻のプロセスだ。一人の人間にはできないことも、複数の人間が協力すれば達成できる。それが、この島の不思議な謎を生み出した正体だ。でも実用性だけで説明できないものがある。何故、これほどまでに巨大な像を作る必要があったのか?村を守るためなら、小さな像でも良かったはずだ。まあ日本人には大仏なんていう身近なものもあるわけだけどね。水源の近くに立てるなら、もっと効率的な方法があったはずだ。しかし人間は、意味を刻みたがる生き物だ。石に刻む。木に刻む。紙に刻む。デジタルデータに刻む。「僕等はここにいた」「僕等はこれを成し遂げた」「僕等の祖先は偉大だった」ちょっと馬鹿みたいな物言いかも知れない、だけどね、お金で動く以前の人類は何で動いていたんだろうと、君は少し考えを巡らせてみてもいいんじゃないかいモアイ像は、そうしたメッセージの塊だ。そうさ、部族間の競争もあっただろう。「隣の村よりも大きな像を」「もっと遠くから運んで見せよう」やっぱり馬鹿みたいだね。権力の誇示もあっただろう。「私にはこれだけの人員を動かす力がある」でもこれだけは忘れちゃいけないよ、同時に、純粋な信仰もあったんだ。祖先が見守ってくれている。亡くなった首長が、村を守ってくれている。石に刻まれた顔は、決して笑わない。決して泣かない。ただ黙って、村を見つめ続ける。時計の針を見ていないとちゃんと二十四時間あったのかだって、分からないような僕等にはピント外れかな、毎日が狂った時の中で生きていると、本当にしたいことやなすべきことの違いも、見抜けないのかも知れない。一七二二年、復活祭の日曜日。オランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンの艦隊が、朝靄の中からこの島を発見した。船乗りたちは甲板に立ち尽くした。島の海岸線に沿って、何百もの巨大な石像が並んでいたのだ。背を海に向け、村を見守るように立つ、巨石の番人たち。モアイ像。朝日が昇ると、石像の影が長く伸び、凝灰岩の表面が赤褐色に染まった。船乗りたちの誰もが、息を呑んだ―――かも知れない。何だか、へんてこなものがあるなと思ったかも知れない。いつの時代の文化も後世にとってはそう見える。その内側へ潜り込んで見ると、また別の景色が見えてくるものだ。
2025年11月04日

西の空が茜色から深紅へと移ろう刻限、庭の隅に据えられたピザ窯が、まるで古代遺跡のように静謐な存在感を放っていた。高さ一メートル二十センチほどのドーム型の構造物は、父が三年前の初夏、一週間かけて自ら築き上げたものだ。イタリアへ留学していた経験からこのようなことを、思いついたらしい。表面を覆う耐火煉瓦は、一つ一つが微妙に色合いを異にしている。赤褐色のもの、灰色がかったもの、鉄分の多い部分が黒く変色したもの。それらが不規則なモザイクを形成し、長年の使用によって生じた煤の痕跡と相まって、独特の風合いを醸し出していた。煉瓦の表面には、指先で辿れば分かる微細な凹凸がある。粗い砂粒のような質感。それは、シャモット、既に焼成された粘土を砕いて混ぜ込んだものが生み出す、耐火性を高めるための工夫だった。ところどころに見られる髪の毛ほどの細いひび割れは、急激な加熱と冷却を繰り返すうちに刻まれた、火との対話の記録だ。窯の入口は、幅が四十センチ、高さが三十センチほどの半円形のアーチになっている。その奥には、厚さ五センチの耐火煉瓦で構成された炉床が広がり、中央には既に薪が組まれていた。ナラ、クヌギ、サクラ。それぞれ異なる燃焼特性を持つ薪を、父は計算して選んでいる。ナラは火持ちが良く安定した高温を保ち、サクラは香りがピザに移り、クヌギは火力が強い。こだわり派だが、ピザ以外はうんともすんとも言わない。母が怖いのだ。昔は美食家を気取っていたといつか打ち明けたことがある。父が、窯の脇に置かれた一斗缶から薪を取り出す音が、夕暮れの静寂に響く。カラン、カラン、という乾いた木の触れ合う音。それは、これから始まる儀式の前奏曲のようだ。「今日は風が東から吹いてる。煙突効果がよく効くぞ」父の声は、いつもより少し弾んでいた。週末のピザ焼きは、父にとって単なる料理ではなく、火と素材と時間を操る、一種の芸術行為なのだ。ある人は車に、アウトドア用品に、そして僕の父はピザ窯に。窯の傍らには、年季の入った道具たちが整然と並んでいた。アルミ製のピール、長さ一メートル二十センチの柄に、幅三十センチほどの薄い板がついた、ピザを窯に出し入れするための道具。その表面には、無数の小さな焦げ跡が付いている。デジタル温度計は、赤いLED表示で室温の二十二度を示していた。灰かき棒は鉄製で、先端が平らになっており、炉床に溜まった灰を掻き出すためのもの。火吹き竹は、父が竹林から切り出して自作したもので、節を抜いて磨き上げた、長さ八十センチほどの一本。そして、厚手の革製耐熱手袋は、使い込まれて表面が黒ずみ、ところどころ焦げて硬化している。父がチャッカマンで着火剤に火をつけると、オレンジ色の炎が立ち上がった。最初は小さく揺らめいていた炎が、次第に薪へと燃え移り、パチパチという爆ぜる音とともに勢いを増していく。煙が窯の入口から溢れ出し、煙突へと吸い込まれていく様子は、まるで生き物の呼吸のようだった。「見てごらん。最初は煙が白いだろう? これは水蒸気が多いんだ。薪が完全に乾燥していても、木材組織に含まれる水分が蒸発する。でも十五分もすれば、煙は透明になる。そうなったら、温度が上がってきた証拠だ」父の説明を聞きながら、僕は窯の前にしゃがみ込んだ。子供というのは火が好きなものだ。おうおう、燃えてやがるなと思う。熱気が顔を撫でる。最初はぬるい風のようだったそれが、時間とともに強さを増していく。五分後には、目を細めなければ窯の中を覗けないほどになった。デジタル温度計の数字が、みるみる上昇していく。百度、二〇〇度、三〇〇度。父が火吹き竹を取り、窯の入口に差し込んで、ゆっくりと息を吹き込む。フーッという音とともに、炎の色が黄色からオレンジ、そして白に近い色へと変化した。「酸素を送り込むと、燃焼効率が上がる。炎の色は温度を表しているんだ。赤は六〇〇度くらい、オレンジは八〇〇度、黄色は一〇〇〇度、白は一二〇〇度以上。今、窯の奥は一〇〇〇度を超えてる」四〇〇度を超えたあたりから、窯全体が熱を持ち始めた。煉瓦の表面に手をかざすと、触れなくても熱が伝わってくる。触ったら絶対火傷するって分かる。それは、耐火煉瓦が持つ蓄熱性、熱を吸収し、ゆっくりと放出する性質のおかげだ。「この煉瓦はね、アルミナとシリカを主成分にしているんだ」母が、タブレットを手に近づいてきた。はてさて、こういうシーン、何度も身に覚えがあるぞ。画面には、耐火物の組成を示す図表が表示されている。「アルミナは酸化アルミニウム、Al₂O₃。シリカは二酸化ケイ素、SiO₂。この二つの割合で、耐火度が決まるの。アルミナが多いほど、高温に耐えられる。うちの窯の煉瓦は、アルミナが四十パーセントくらいの、アルミナシリカ質耐火煉瓦。これで千四百度くらいまで耐えられる」耐火物とは、一言で言えば高温環境下で使用できる材料のことで、JIS R2001では、一五〇〇℃以上の定形耐火物及び最高使用温度が、八〇〇℃以上の不定形耐火物、耐火モルタル並びに耐火断熱れんが、と定義されている。鉄、セメント、ガラス、非鉄金属、石油化学製品など、現代社会を構成するあらゆる基幹素材は、その製造工程で必ず数百℃から二〇〇〇℃近くに達する、超高温に晒される。例えば、鉄の融点は約一,五三八℃。この溶けた鉄(溶鋼)や溶融ガラスなどを扱う溶解炉や容器が、その熱で溶けたり変形したら、産業は成り立たない。耐火物は、こうした過酷な高温環境から設備を保護し、製造プロセスの安定性と効率性を確保するために不可欠な、素材のための素材であり、現代工業の縁の下の力持ちとといえるらしい、って子供にどんな難しいことを話しているんだ、両親・・・!僕は煉瓦の表面をそっと指でなぞった。既に熱を帯び始めていて、ほんのり温かい。ざらりとした手触り。微細なひび割れ。焼成の際に生じた、不規則な模様。まるで、火の記憶が刻まれた年輪のようだった。「製造工程もね、興味深いのよ」母が、別の画面を開く。そこには、耐火煉瓦の製造過程を示す動画が流れていた。こういうのをいきなりチェックできるようにしとくというのも、天才的な万能鍵といえるのかも知れない。好きなんだね、本当。「まず、原料を混ぜ合わせる。粘土、シャモット、それに結合剤。それを型に入れて、高圧でプレスする。一平方センチあたり、数百キログラムの圧力をかけるの。そうすると、密度の高い、丈夫な煉瓦になる。その後、トンネル窯という長い窯で、一三〇〇度から一五〇〇度で二十四時間以上かけて焼成する」画面の中では、無数の煉瓦が、ゆっくりと動くコンベアに乗って、赤く光り輝く窯の中を進んでいく。「焼成後は、徐々に冷却する。急に冷やすと、ひびが入ってしまうから。三日くらいかけて、ゆっくりと常温に戻すの」温度計の表示が五〇〇度を超えた頃、父が再び薪をくべた。何だか職人みたいな渋い顔をしている。でもこれ絶対、母さんにいいところ見せようとしているな。気付いちゃうんだよね、息子は。いや、もしかしたら息子に父の背中はとかいう大事な使命に、燃えているのかも知れない。いい人なんだ、ただ、ちょっとイタリアのカッコいいおじさんに、惹かれているんじゃないかという気もするね。サクラの薪からは、甘い香りが立ち上る。煙は既にほとんど透明になっており、代わりに揺らめく陽炎のような熱気が、窯の入口から溢れ出していた。「耐火物には、大きく分けて二種類あるんだよ」父が灰かき棒で炉床の灰を掻き出しながら言った。耐火物の工場に勤めている父親は超ドヤ顔である。管理職らしい。七〇〇万は多いのか少ないのか。母親も実は耐火物の工場に勤めていたわけである。素敵な愛のエピソードだね、でも僕はもちろん野球選手になる。「一つは定形耐火物。これは、うちの窯に使ってるような、あらかじめ形が決まってる煉瓦やブロックのこと。もう一つは不定形耐火物。現場で流し込んで固めるタイプだ」「流し込むって、コンクリートみたいなこと?」「そう、よく知ってるね。キャスタブル耐火物っていうんだ。粉末状の耐火材料に水を加えて、型枠に流し込む。複雑な形状の炉にも対応できるし、施工が早い。でも、定形耐火物の方が、長持ちすることが多いんだ」母が補足する。そして耐火物の蘊蓄を聞かされている息子は、実は早くピザが食べたい。リップサービスって大切だよね。でもその奥底にかすかに疼く悲哀は何だろうね、父や母がこういう文化や教育とは違う、自分の仕事について語るというのは、愛なんじゃないかっていう気が僕にもするんだよね。それについては、はにかむしかない僕でも、言葉を遠慮するよ。「不定形耐火物には、他にも種類があるの。プラスチック耐火物は、粘土みたいに練って、叩いて形を作る。ラミング材は、粉を敷き詰めて突き固める。吹付け材は、高圧で壁面に吹き付ける。用途に応じて使い分けるのよ」タブレットの画面には、製鉄所の高炉の断面図が表示されていた。巨大な炉の内壁が、何層もの異なる耐火物で構成されている様子が、色分けして示されている。いつだったか、そのタブレットの画面で、近代的な耐火物技術は、十八世紀から十九世紀の産業革命期に欧米で大きく発展したと、母親に教えられた。十九世紀にけい石煉瓦、粘土煉瓦、マグネシア煉瓦など、現代の基礎となる耐火煉瓦が発明された、と。これらは、製鉄業の発展と工業炉の進化を可能にした。もう覚えちゃってるよ、ガチだからな、この人達。第二次世界大戦後、日本の鉄鋼業の発展とともに、耐火物技術も急速に進化した。特に一九七〇年代以降、省資源、省エネルギー、そして炉の長寿命化が大きなテーマとなり、高性能な不定形耐火物や機能性耐火物の開発が進んだ。一九七〇年代以降では、炭素を複合化した、マグカーボン煉瓦などが開発され、製鋼プロセスの革新を支えた。こんなの知っている―――小学生、あのさ、僕、小学五年生なんだぜ、こどもひみつ文庫かよって突っ込むよ。「これ、すごいね。何色も重なってる」「最も高温にさらされる部分には、マグネシアカーボン煉瓦。これは、酸化マグネシウムと炭素を主成分にしていて、千八百度以上に耐えられる。その外側には、アルミナシリカ煉瓦。さらに外側には、断熱性の高い軽量煉瓦。それぞれの特性を活かして、多層構造にしているの」僕は、目の前のピザ窯の煉瓦を改めて見つめた。シンプルな一層構造だが、それでも、火を封じ込め、熱を蓄えるという役割を、確実に果たしている。そして僕のお腹も非常にピザを蓄える役割を求めていた。この蘊蓄を乗り越えるとピザが美味しくなる。経験として僕は知っていた。まあ、付き合ってやるよ、面倒臭いけどね。温度計が七〇〇度に達した。炉床の煉瓦が、鈍く赤みを帯びてきた。父が満足そうに頷く。「あと十分くらいで、ピザが焼ける温度になる」その間、母が僕にタブレットを手渡した。「耐火物がどれだけ使われてるか、見てみる?」画面には、日本の耐火物生産量の推移を示すグラフが表示されていた。「二〇二三年の統計では、年間約一二〇万トンの耐火物が、生産されてるの。そのうち、七十五パーセント以上が、製鉄業で使われてる」「そんなに?」「鉄を作るには、一五〇〇度以上の高温が必要でしょ? 高炉で鉄鉱石を溶かし、転炉で炭素を取り除き、電気炉でスクラップを溶かす。どの工程でも、耐火物が炉を守ってるの。もし耐火物がなければ、炉はすぐに溶けてしまう」耐熱性、耐食性・耐侵食性、機械的強度、耐熱衝撃性、容積安定性、熱伝導性とかいう言葉を言いつつ、いつか分かるよと父親が言った。大丈夫さ、一生分からなくていいと僕は心の中で思った、でもトマトの皮のように中が透けて見える。照れ、さ。次の画面には、高炉の内部の写真が表示された。オレンジ色に輝く溶銑が流れ出る様子は、まるで火山の溶岩のようだった。「高炉の寿命は、内壁に使われる耐火物の寿命で決まるんだ」父が、火吹き竹を置いて説明に加わった。「高炉は一度火を入れたら、十年以上連続運転する。その間、耐火物は一五〇〇度を超える高温と、溶けた鉄や、腐食性のあるスラグ、鉄以外の不純物が溶けたものに、常にさらされている。だから、高品質な耐火物が必要なんだ」「壊れたらどうするの?」「定期的に補修するんだよ。不定形耐火物を吹き付けたり、傷んだ煉瓦を交換したり。でも、いずれは全体を取り替える、『改修』が必要になる。その時は、高炉を止めなければならない。数ヶ月から一年くらいかかることもある。だから、できるだけ長持ちする耐火物が求められるんだ」母が画面をスワイプして、次の写真を表示した。巨大な焼却炉の内部だ。「ごみ焼却炉でも、耐火物は重要な役割を果たしてるの。都市ごみを高温で燃やす時、八〇〇度から一〇〇〇度の熱が発生する。それに、ごみに含まれる塩分や、燃焼で生じる塩化水素ガスが、炉壁を腐食させる。だから、耐熱性だけでなく、耐食性も必要なの」次の画面には、特殊な耐火キャスタブルの説明があった。「焼却炉には、低セメント質のキャスタブルがよく使われる。セメントの量を減らすことで、高温での強度を保ちつつ、耐食性も向上させてるの」「セメント工場は?」僕が尋ねると、母はすぐに別の画面を開いた。「セメント工場には、ロータリーキルンという、回転する円筒形の焼成炉があるの。長さが百メートル以上、直径が五メートルくらいの巨大なもの。その中で、石灰石を一四〇〇度から一五〇〇度で焼いて、セメントクリンカーという中間製品を作る」画面には、ゆっくりと回転する巨大なキルンの映像が流れていた。内部は真っ赤に輝き、まるで巨大な火龍の体内のようだった。「キルンの内側には、アルカリに強い耐火煉瓦が使われてる。石灰石を焼く時、アルカリ性の物質が発生するから。それに、キルンは常に回転してるから、煉瓦には機械的な摩耗にも耐える強度が必要なの」「硝子工場は?」「硝子は、一五〇〇度前後で原料を溶かして作るの。溶融炉には、ジルコニアやアルミナを含む、高純度の耐火物が使われる。何故かというと、耐火物から不純物が溶け出すと、硝子に色がついたり、透明度が下がったりするから」画面には、溶けた硝子が流れる様子が映し出されていた。透明で粘性の高い液体が、ゆっくりと型に流し込まれていく。「硝子の品質は、耐火物の品質に直結するの。だから、硝子工場では、最高級の耐火物が使われることが多いわ」温度計が八〇〇度を超えた。父が耐熱手袋をはめ、ピールを手に取った。「さあ、そろそろピザを入れよう」待ってました、待ちくたびれたよ。舞台を終えた芸人のような僕は、へにゃっ、としたね。でも、何億年も樹脂に閉じ込められた昆虫なんだよ、それは。身動きできないような気持ち、あのね、それにはやっぱりそれなりの言葉がなくちゃいけない。お腹が減ったも、照れ、さ。キッチンから、母が二枚のピザ生地を持ってきた。一枚はマルゲリータ。トマトソース、モッツァレラチーズ、バジルのシンプルな組み合わせ。もう一枚は、生ハム、ルッコラ、パルミジャーノチーズを載せた、少し大人の味。父がピールの上に、小麦粉を薄く振りかける。「これで、生地がくっつかない」慎重に生地を載せ、入口から炉床へと滑り込ませる。生地が熱い煉瓦に触れた瞬間、ジュウッという音がした。美味しんぼとかいう漫画の場面をふと思い出した。「今、窯の中は、炉床が八〇〇度、天井が四〇〇度くらい。この温度差が、ピザを美味しく焼くコツなんだ。下からは強い火力で生地をパリッと焼き、上からの輻射熱でチーズを溶かす」僕は窯の入口から中を覗いた。生地の縁が、みるみる膨らんでいく。チーズが泡立ち始め、トマトソースの水分が蒸発して、香ばしい香りが立ち上る。「六十秒経ったら、回転させる」父がピールを差し込み、生地を百八十度回転させた。均一に焼くための技だ。さらに三十秒。縁がこんがりと焦げ目を帯び、所々に黒い斑点、レオパード模様と呼ばれる、理想的な焼き加減の印が現れた。「完成だ」父がピールでピザを取り出すと、湯気とともに、トマト、バジル、チーズの香りが夜風に溶けた。僕等は、庭のテーブルに座り、焼きたてのピザにかぶりついた。外はパリッ、中はもちっとした生地。これだよ。チーズの塩気とトマトの酸味、バジルの清涼感が口の中で混ざり合う。「美味しい!」「この窯を作る時、煉瓦選びにはずいぶん悩んだんだ」父がピザを頬張りながら言った。「耐火度、蓄熱性、価格、入手のしやすさ。いろんな要素を考慮して、結局、アルミナシリカ質のSK-32という、規格の煉瓦にした。SK-32は、耐火度が一六〇〇度。ピザ窯には十分な性能だ」「SKって?」と聞いたのは、あの長々とした下りはまったくいらないけれど、ピザ窯でピザを焼いて食べるという贅沢を知ってしまったからには、やはり僕もそれとなくそういう生活をしたいと思ったのだ。野球選手になるけどね。「ゼーゲルコーンの略。耐火度を測定する方法の一つで、三角錐の試験片を炉に入れて、先端が倒れる温度を測る。数字が大きいほど、高温に耐えられる」母が補足する。「耐火物の品質管理には、他にもいろんな試験があるの。圧縮強度、曲げ強度、熱膨張率、熱伝導率、耐摩耗性、耐食性。用途に応じて、必要な特性を満たしているか確認するの」「この窯も、定期的に点検してるんだよ」父が窯の表面を指差した。「煉瓦に大きなひびが入ってないか、欠けてる部分はないか、煙突は詰まってないか。特に、煉瓦同士を繋ぐ目地材は、劣化しやすいから注意が必要だ」「目地材?」「煉瓦と煉瓦の隙間を埋める材料。熱膨張の違いを吸収したり、気密性を保ったりする役割がある。うちでは、耐火モルタルを使ってる」二枚目のピザを焼いている間、僕は窯の周りをぐるりと歩いてみた。煙突の先端からは、わずかに透明な熱気が揺らめいている。窯の背面には、小さな点検口があり、内部の状態を確認できるようになっていた。二枚目のピザが焼き上がる頃には、空はすっかり暗くなり、星が瞬き始めていた。温度計の表示は、まだ七五〇度を示している。「窯が冷めるまで、あと二時間くらいかかる」父が薪の燃え残りを掻き出しながら言った。「耐火煉瓦の良いところは、熱を長く保つこと。一度温まれば、数時間は高温を維持できる。だから、ピザを何枚も連続で焼けるし、焼き芋やグラタンなんかも作れる」母がスマホで何かを検索していた。「耐火物の研究開発も、どんどん進んでるのよ。例えば、カーボンニュートラルに向けて、水素還元製鉄という新しい技術が注目されてる。これまでの製鉄は、石炭を使って鉄鉱石を還元してたけど、水素を使えば、CO₂が出ない」「それは凄いね」「でも、水素還元は、従来とは違う反応が起きるから、耐火物にも新しい特性が求められるの。例えば、水素雰囲気下での耐久性とか」画面には、次世代製鉄技術の概念図が表示されていた。「他にも、リサイクル技術も重要。使用済みの耐火物を回収して、再び原料として使う。資源の有効活用だけでなく、廃棄物を減らすことにもつながる」父が、最後の薪を窯から取り出し、金属製のバケツに入れた。「耐火物って、目立たない存在だけど、現代社会には欠かせないものなんだ。鉄を作り、硝子を作り、セメントを作り、エネルギーを生み出す。すべての基盤を支えている」僕は、再び窯の表面に手をかざした。まだ、強い熱が伝わってくる。この熱を生み出し、制御し、活用する技術。それは、人類が火を手に入れた太古の昔から、連綿と続く知恵の結晶だ。「火は、人間にとって、最も古い友達であり、最も恐ろしい敵でもある」父が、遠くを見るような目で言った。「だからこそ、火と安全に付き合う技術が、ずっと磨かれてきた。耐火物は、その最前線にあるんだ」夜風が、窯の周りを吹き抜ける。煉瓦の表面を撫で、わずかに残る熱を運んでいく。煙突からは、もう煙も熱気も出ていない。窯は、ゆっくりと眠りにつこうとしていた。僕等は、テーブルに座り、残ったピザを食べ、グラタンも食べ、焼き芋も食べながら、星空を見上げた。どこかで、製鉄所の高炉が、今も赤々と燃えている。焼却炉が、都市の営みを支えている。セメント工場のキルンが、回転を続けている。そのすべてを、耐火物が守っている。「いつか、製鉄所を見学してみたいな」僕が言うと、父と母が顔を見合わせて笑った。本当は見学なんてしたくないけど、二人どうしても行かせたいんだ、愛の結晶なんだね。出会いの場なんだね。それを茶化すなんて野暮っていうもんだ。「いいね。夏休みに行ってみようか」その夜、僕は耐火煉瓦の夢を見た。千度を超える炎の中で、赤く輝く煉瓦が、静かに、確固として、熱を受け止めている―――そしてピザ(?)それは、見えないところで働く、無数の守り手たちの姿だった。翌朝、庭に出ると、窯はすっかり冷めていた。表面に手を当てても、ほんのり温かい程度。昨夜の灼熱が嘘のようだ。父が、窯の点検をしていた。煉瓦の一つ一つを目で追い、指で叩いて音を確認する。「異常なし。まだまだ使えるな」僕も一緒に、煉瓦の表面を見つめた。昨日より、少し煤が増えたような気がする。それは、また一つ、火の記憶が刻まれた証だ。「この窯が、あと何年使えるかな」「ちゃんと手入れすれば、十年、二十年は大丈夫だよ。もしかしたら、君が大人になって、自分の子供とピザを焼く時も、まだ使えるかもしれない」その言葉を聞きながら、僕は少し不思議な気持ちになった。この窯が、世代を超えて受け継がれていく。火を囲み、食を分かち合う、人間の営みとともに、そして、もしかしたら僕の子供も、野球選手の父親が焼くピザを食べるのかもしれない、そしてお爺ちゃんやお祖母ちゃんになった両親が、やっぱりまた孫に向けてこんな話をするのかも知れない、と。耐火レンガ SK-32 JISサイズ 半平 半ペイ 薄い 230x114x30 BBQ ピザ釜 イエローブリック 黄色 積み 敷き 造園 煉瓦 耐火 れんが 耐火煉瓦 レンガ 耐熱 バーベキュー 窯 ガーデニング ハンペイ 壁タイル通販 タイルオンライン
2025年11月04日

満たされすぎた飽和状態が逆に空洞を作る・・。 午後三時の薄暗い客席。 官能的なフィクションではなく、 不安定な輪郭の、曖昧な境界線を持つ実験映画。 ゴダール、トリュフォー、 そしてシャンタル・アケルマンの長回し。 音を「噛む」ように聴くんだ。 歯を食いしばって。音符の一つ一つを、 まるで硬いパンを噛み砕くように。 「ギタリストの指が弦を押さえる音。 「ピックが弦を弾く瞬間の、あの微かな擦過音。 「アンプから出る、僅かなノイズ。 ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』のような、 生の視界に映し出される都市の断片。 (地下鉄のホーム、廃工場の屋上、擦り切れた革手袋・・・) 記号論的な議論に興奮する僕の、幸福な明晰さが、 それでいて低い体温のような冷静さに濡れてゆく。 多層的で、名前をつけられない。 恐怖? 果実が熟したような、 甘美というよりは芳醇な思索。 いや、それより複雑だ。 期待? 何に対して? 怒り? 誰に? 自分に? 世界に? 逸脱的で、 ノンリニア・イクスプラネーション 非線形的な説明。 叫びたいけど、叫べない。 壊したいけど、壊せない。 「もう駄目だね >>>カンジョウ ガ オオスギル 「もう駄目だね ・・・・・・鬱の底。 ・・・・・・不安の底。 ・・・・・・絶望の底。 生きるために働かなければならない屈辱。 愛されるために演技しなければならない屈辱。 認められるために自分を偽らなければならない屈辱。 助けを求めることさえできない屈辱。 弱さを見せられない屈辱。 ―――「普通」になれない屈辱。 『存在』することそのものへの、言葉にならない屈辱。 現実の輪郭が薄れていく。 僕はその薄れに飛び込みたいと思う。 だが飛び込むというより、 そっと膜を撫でてみたい・・・・・・。 シネマテークでタルコフスキーの特集がある)」 (「ミロシュ・フォアマンの、あの狂気と天才の二重奏 メタファー 隠喩。 人との距離の取り方。 近すぎると息ができない。 遠すぎると孤独で死にそうになる。 フランス・キュイジーヌ 仏蘭西料理の繊細さと、 インド・キュイジーヌ 印度料理の情熱的なスパイスを、 血が滴るような、内臓が見えるような、 隠されていないむき出しの生。 (駅の自動改札の余韻のように頭のうしろでこだまする―――んだ・・) ソラリスの海だって、 『惑星ソラリス』の記憶の具現化だって。 『去年マリエンバートで』のような誘いを感じる。 物があふれている世界で、僕の魂は餓えている。 こんな に・・・食い破りそうなほ ど・・。 こんな に・・・齧りついてしまいそうなほ ど・・ 。 (古いラジオのダイヤルに似ていて、回すと声が消え、 声の代わりに静寂のテクスチャーが流れ出す―――よ・・)
2025年11月03日

冬の国道、 午前三時四十二分。 気温はマイナス十二度。 バババ、 エンジンの回転数が急激に上昇する。 タコメーターの針が五〇〇〇rpmを指し、 レッドゾーンに迫る。 排気音が咆哮を上げる。 国道四百五十七号線。 この時期、地元の運送業者すら避ける魔の区間。 全長二十三キロメートルの山岳路。 最高のおもちゃだ。 過ちは、 肉を、 剥ぎ取っていかないこと・・・、 荒々しい眼つき、 内側に怒りと暴力。 善悪を超えた相手に、 極端な振幅でゆれ動いた。 迎合する・・。 ヘッドライトが照らし出す先には、 舞い散る雪が斜めの軌跡を描き、 道路の両脇には、 除雪作業で掻き出された雪が、 まるで万里の長城のように、 高さ二メートル超の壁を成す。 「手を掛けろ。」 やめてくれや、 やめてくれや、 ぶもお、 ぶもお、 パーセンテージは、 思考を拒む悲哀、 トヨタ・クラウン、一九九八年式。 走行距離は三十二万キロ。 運転席のシートは所々破れ、中のスポンジが露出。 ダッシュボードには無数の煙草の焼け跡。 フロントガラスの内側には、 長年の煙草の煙が作り出した茶色い膜。 エアコンから漂うのは、 カビと体臭と古い煙草が混ざり合った、 吐き気を催す臭気。 ・・運転席から、 ガツン! 誘導される抵抗、対象を、 カーソルを合わせる、袋小路へ、 瞳孔は極度に拡大し、 虹彩の茶色い部分はほとんど見えない。 交感神経系が完全に優位に立ち、 身体は闘争か逃走かの極限状態。 唾液腺からの分泌は極度に減少し、 口腔内は砂漠のように乾燥。 バムッ! バムッ! それでも、 車の助手席のドア! が、開く・・。 眼球の動きをコントロールする筋肉、 猛烈に吹きつける風の音が! そのスピーディな拠り所と姿勢、常識、 左腕が、 バリン、 叩きつける、ぎちぎちぎち、 冴え、刳りだされた、 窓、 ブアアアアア! クラクション鳴る、 暴力は純粋さにも似ている、 進化と発展に恐怖しながら! 男の顔のアップ、 お前の言うことは正しい。 両手首には、結束バンド、 口には、工業用ガムテープが三重。 粘着力は通常のものの一.五倍。 剥がそうとすれば、唇の皮膚ごと剥がれる。 顔面に拳を叩き込んだ瞬間、 鼻軟骨が砕ける独特の感触が手首まで伝わってきた。 鉄パイプを人間の頭に振り下ろした。 頭蓋骨が陥没する音は、 グシャッという生々しいもの 傷害致死で逮捕。服役七年。 債権回収、示談金の取り立て、 嫌がらせの実行、 誰もがやりたがらない汚れ仕事を請け負い、 報酬は一件五万から三十万。 「ひっ・・」 借金の総額は八百五十万円。 消費者金融三社、闇金二社からの借入。 返済を六ヶ月滞納した結果。 汗のような悲鳴、 気力を絞って上半身、 祈られた檣柱の重み、 跳ね返ってくる音や衝撃、 ガードレールに! ギギギ・・! 車体の左側が、 擦れる。 外側はすべて、 破壊!せん!とする!狂気! 思念が強烈な電流のように! カシュンカシュン、 カシュンカシュン、 パチンコ。競馬。 オンラインカジノ。 最初は小さな金額。 千円、五千円。 負けてもまた今度勝てばいい。 ギャンブル依存症は、静かに、 しかし確実に進行。 脳内のドーパミン報酬系の書き換え。 通常の喜びでは、もはや満足できなくなる。 より大きな賭け。 より高いリスク。より強い刺激。 脳内充血、 仰け反ったまま、 夜の風を横殴りに浴びる、 抛棄、汚らしい生活の断崖、 石器時代の脳髄、 運転席の男から、 蹴りが入る。 膀胱は限界まで充満し 尿意を我慢し続けることで、 胱壁の平滑筋は過度に伸展し、 痛みとも違う不快感が下腹部全体に広がり。 ズボンの股間部分には、 僅かに漏れ出した尿による湿った染み。 ウワアアアアアア! 人が、 人の首が宙を舞う! むしろより! 強烈な痛みであるはずの! ドサッ! 胴体が落ちる―――。 蹴落とした・・。 無茶苦茶な感情、 非協同者、非暴力の誓い、 統制は専制への後退! 『助けてください』 共感性の欠如。 良心の呵責の不在。 『家族がいるんです』 『もう二度としません』 反社会性パーソナリティ障害。 ―――無秩序の前で、 車がS字に出鱈目に停車する、 ガツ! 運転席から、 ふっ! はっ! カシュンカシュン、 カシュンカシュン、 走る、 衝動に火が点いた男、 報酬系回路、 腹側被蓋野から側坐核へと至る経路が、 過剰に活性化する・・。 疾走! ズ! ズッ! グワサアッツ! 抱き起す。 擦過傷、血まみれ、 ・・・・・・暴力が、 日常化した次元、 頭の回転は速く、 悪魔のような狡知に長けた、 魔物。 ―――頭の中は、混沌としていた、 断片的な思考が、まとまりなく駆け巡る。 保険金、遺族年金。 次は嫁、その次は娘。 どろどろに溶かされ、 型に流しこまれ、 人間っていうのは、 何処に行くんやろうな、 報復、陰謀、対立、侵蝕、 接触! 感電! この状況で生存できる確率は何パーセントか? 時速六〇キロで後退する車。 ブラックアイスバーン。視界不良。 カーブの多い山道。 五パーセント以下。 人間の脳は、統計よりも物語を好む。 確率よりも、具体的なイメージを求める。 また来る、 また殴られる、 今度こそ、殺される、 ボガッ! ボガッ! 殴る! 鼻血。歯が飛ぶ。 ガブッ、耳をひきちぎる、 無反応、無反応、 もうそいつ、息してないで。 血圧が急降下する。意識が遠のく。 視界が暗くなる。吐き気が込み上げる。 熱が下がり、やっと麻痺していた、 頭が回り始める、手・・。 ふはっ、はっ、はっつ、 なんやまだ生きとるやないけ、 藪の中に投げ捨てる。 理不尽な暴力、教養の否定に飛躍、 でも、力が、 すべてだ、 人類の歴史を振り返れば、 暴力の歴史。 戦争、征服、虐殺、略奪。 現代の国家は、すべて暴力によって築かれた。 アメリカ合衆国は、先住民を虐殺し、 奴隷を酷使して作られた。 平和なんか何処にもありゃしない。 大英帝国は、世界中を植民地化し、 搾取した。 国家の名のもとに、 一方的な正義と豊穣の名のもとに。 ソビエト連邦は、数千万の自国民を粛清。 胸も痛まないチェスボードの上。 文明とは、暴力を正当化するシステム。 国家は合法的暴力を独占する。 警察、軍隊、刑務所、 それらはすべて、暴力装置だ。 その暴力に法律という美名を冠して、 モルモットにそれと気付かせない悪夢の陥穽。 ―――弱い奴は、 捨てられる、疑わしさから、 一直線に! 極度の恐怖、痛み、寒冷、疲労、 国家間の戦争。企業間の競争。 個人間の争い。 脳圧が上昇する。頭痛、吐き気、意識混濁、 弱者は搾取、強者は君臨・・・、 白い霜、 雪に撓む木々、 カシュンカシュン、 カシュンカシュン。
2025年11月03日

―――時間とは視線のことであり、記憶のことである。 瞬きのたびに更新される、微細な死のアーカイブ。 観察者の眼球が対象を捉えた瞬間、 網膜上に結像した光学的情報は、既に過去となり、 記憶の地層へと沈降を始める。 視神経を伝う電気信号の速度でさえ、 現在と過去の境界を曖昧にする。 僕等が「今」と呼ぶものは、常に〇.一秒前の残像。 、、、、、、 位置について、―――考―――察・・・ フィルムが拡げられている。 展翅している―――。 磔にされている・・。 四隅を銀のピンで磔にされ、 湿度四パーセント、光度十二ルクス、 記憶の保存に最適化された環境―――で。 ゼラチン・シルバー・プリントの35ミリフィルム。 イルフォード社製のFP4 PLUSだ。 コダック社のトライ-Xではない。 粒子の細かさが違う。 シャドウ部の再現性が違う。 時間の磔刑。 記憶の磔刑。 連続していた時間が、今や個別のコマに分断され、 一枚一枚が独立した「瞬間」として晒されている。 二十四分の一秒ごとに切断された現実。 それぞれのコマの間には、 肉眼では見えないほどの隙間があり、 その隙間にこそ、失われた時間が存在している。 コマとコマの間で、世界は何を見たのか。 誰も知らない。 記録されなかった現実。 不可視の領域。 その左から十番目に、影が映っている。 その左から十二番目に、手が映っている。 十番目から二つ進んだコマ。 影のあったコマから、わずか十二分の一秒後。 映画であれば、ほとんど連続したフレームだ。 しかし静止画として切り出されたこの二つのコマの間には、 永劫とも思える断絶がある。 完全な黒ではない。 ということは、そこには階調がある。情報がある。 ディジタル化してヒストグラムを見れば、 シャドウ部にもわずかなディティールが残っている・・。 エクストラ、 エキストラ、、、 影の輪郭は曖昧だ。 まるで水彩画のように滲んでいる。 これは撮影時のボケではない。 被写体そのものが、輪郭を持たない存在だったのだ。 人間の影か。しかし人間の影にしては、形状が不定形すぎる。 まるで液体のように、固体のように、気体のように、 物質の三態を超越した、第四の状態の影。 二十一番目のコマには、窓がある。 しかし硝子が割れている。蜘蛛の巣状の罅。 放射状に広がる亀裂。 中心点がある。何かが、内側から、叩きつけられた跡。 二十四番目のコマには、階段がある。 螺旋階段だ。上に続いているのか、下に続いているのか、 フレームの切り取り方では判別できない。 手摺には埃が積もっている。 少なくとも数ヶ月は、誰も触っていない。 「(ここは何処なんだろう?)」 ...どんな夢を見ていたの? 二十八番目のコマには、時計がある。壁掛け時計。 針は止まっている。午前二時四十七分を指したまま。 あるいは午後二時四十七分か。 時計の文字盤には、製造元の名前が読める。 SEIKO。日本製だ。 しかし硝子面には血痕のような茶色い染みがある。 「(このフィルムはいつからあったんだろう?)」 ...それは幸せだった? 三十番目のコマには、鏡がある。 しかし鏡に何も映っていない。カメラも撮影者も映っていない。 物理法則に反している。 あるいは、鏡が映しているのは、 この世界ではない別の何かなのか。 その左から三十二番目に、 、、、、、、、、、、、、 、、、 この世のものとは思えない、女の顔。 皮膚の毛穴が見える。 数えられるほどの解像度だ。 粒子の一つ一つが、皮膚の質感を再現している。 しかし、その顔は、 生きているのか、死んでいるのか。 瞳孔が開いている。虹彩の色は判別できない。 モノクロ写真だからだ。しかし瞳の中に光がない。 キャッチライトがない。光を反射していない。 まるで深淵を覗き込んでいるような、底なしの黒。 唇は微かに開いている。 歯が見える。 前歯が一本欠けている。 左の犬歯だ。 暴力の痕跡か。 事故の痕跡か。 それとも先天的なものか。 頬骨が異様に高い。東欧系の骨格だ。 スラブ民族特有の顔立ち。 しかし肌の色調から判断すると、 アジア系の血も混じっているかもしれない。 混血の顔。境界の顔。どこにも属さない顔。 髪が顔にかかっている。 乱れている。艶がない。まるで海藻のように。 溺死体の髪のように。 水を含んで重くなった髪が、顔面に張り付いている。 そして表情。 表情と呼べるものがあるとすれば、 ―――それは無だ。 喜びでも悲しみでも怒りでも恐怖でもない。 感情の不在。人格の不在。まるで蝋人形のような。 しかし蝋人形よりも不気味な。 何故なら、この顔はかつて生きていたことが明白だからだ。 生の痕跡を残したまま、生から離脱している。 かたかたかたかた、 頭蓋骨が笑っているような、 訝しげな、音である。 それは、標本室の奥で回転する8mm映写機の音か、 あるいは、骨と骨が擦れ合う、 記憶の摩擦音かもしれない。 ―――花弁が女の足に変わってゆく・・。 ―――花弁が女の足に変わってゆく・・。
2025年11月03日

「あーちゃん、あたしね、間抜けなテロップ嫌いなんだよね、視聴者の頭も悪くなるよ。VTRを部分的に省略して、理由や説明もなく必要な情報だけ書いてさ、スーパーのチラシみたいで、ろくに言葉を聞いてない。そしてそこに(笑)の文字が出てくるの、なめてるよね」学校の放課後、今日の彼女は口の中にわさびを入れられたい(?)ハバネロかも知れない(?)不意にコロナウィルス全盛時代のハロウィンコスで、コロナウィルスや注射のコスをしていたのを思い出す。ズレてゆく、この顔面の痙攣(?)「まあ、色んな人がいるからね」「怖いよ、あーちゃん! ウォータースライダーで流しそうめんだよ、ジェットコースターで最前席から最後部席へ」「ふむ」「バレンタインに愛犬とのデートを楽しむ女性、最高だね、食パンにマーガリンをどれだけ塗ろうが文句を言われない世界線(?)そして魚屋さんではバレン鯛ンデー(?)そしてバレンタインに彼女いないからと九人で暴走行為、そして検挙されるまでがワンセット(?)はげしいんだね、熱いぜ、燃えるぜ、その、無理矢理感に、あたしの愛が悶えちまう(?)」、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、あの、日本語しゃべってもらってもいいですか?でもわたしは、天気予報で降水確率二〇パーセントについて考えた。この二〇パーセントがどっち寄りの二〇パーセントなのか・・・・・・。、、、、じゃない(?)「そのさ、三人寄れば文殊の知恵っていうけど、プラシーボ効果だよね、あーちゃん考えてみてよ、ピーターパンは六文字、そしてこの六文字を全部変えてみたらどうなりますか?」「・・・・・・マクドナルド」「あのね、あーちゃん、それは駄目だよ、あたしは許しても世界は許さない、マクドナルドホールディングスは、ゴールドカードを上げて下げて旗ふりしても、世間は、あたしは『えなりかずき』とかいうのを求めてるの」、、、、、、、、大喜利じゃねえよ(?)でもわたしは考えていた、みなとみらい線日本大通り駅から徒歩三分の位置、横浜税関、そしてマスコットキャラクター、カスタム君の等身大像―――を・・。大きいんだね、わんわん。ハハ、ハハハ・・・(?)ねえ、あーちゃん。ん? 何?話聞いてないよね?聞いてる聞いてる(?)「だからね、テレビの画面や音は劣悪だよね。字幕やテロップを多用して画面を汚して、芸人達のつまらない間の手や、笑い声を強調するんだ、あたし、ヒカキンの音を入れるのだって好きじゃないんだ、生で勝負しろよ、一番搾りだろ、キレ何処行ったよ、ビールって何だよ、こちらは缶コーヒーだよ、本当に、本当に、ふざけてるよね、ある日気が付いたら、冷蔵庫の中に卵が増えてるんだ、あれ、増えてる、次の日、もう一個増えてる、なにこれ、増えてる」、、、、、、、、、、、、、、、、お母さんがゆで卵作っていたんだよ(?)今日の彼女は口の中にグラブジャムンを入れられたい(?)もしかしたら、世界一苦いお茶かも知れない(?)、、、 、、、、、、、、、、あのね、思わず吐き出すんだよ。わたしはキッチンに付いている蛍光灯のスイッチを入れると、チカッチカッと点滅しながらゆっくり点く、あの夕方の感じを思い出していた(?)そうしていると、お母さんが、部屋を開けて、肉屋のちょっとあったかいコロッケを、お腹空いてるでしょ、もう少し待っててねってくれるんだ(?)、、、、コロッケ(?)体重計が小数点第二位まで表示できたら、君はやっぱり自分のこと、コロッケと言うのかな。(*あーちゃんが何故か、コロッケを体重計に載せようとしている件)「―――どうしたの?」、、、 、、、 、、、これが、これが、これが。「怒らずにいられるかってなもんで!あたしは言いたい、テレビで堂々と行われてきた、下ネタ、イジメや差別、内輪話や仲間内のバカ騒ぎ、製作の手の内がバレバレのもの、生きることの基本を粗末に扱うことがユーチューブに流れて、注意だよ、厳重注意だよ、警告だよ、もうそういう頭の悪いことを止めようよ」「―――言うね」そして何故か彼女は―――窓辺に置かれていた、フラフープを腰で回し始めた(?)、、、、、、 、、、、、、、、、、言っておくが、わたしは突っ込まない。ただ、それはきっと、ソーシャルディスタンスなんだな。(*あーちゃんが、ナチュラルチーズして、ナチュラルローソンしてナチュラルキッチンしている件)「今日のあたしは一味も二味も違うよ」、、、、、、、、、、、、フラフープ止めてから言え。お父さんが言ってた(←あーちゃん思い出す)今月営業ノルマきつくてさー、今年中に会社から独立しようと思ってんだよって、同窓会に行くとそんな会話が増えている、と。これを高校生風に直してみると(←あーちゃん直します)今月塾とクラブと習い事がきつくてさー、今年中に富士山のぼろうとか思ってんだよって・・・・・・。―――違うな(?)、、、、、、、 、、、、、それは違います、あーちゃん(?)「出演者がクイズや質問への答えなど話題の要点を語るシーンを、意図的に直前カットしたり伏字やモザイクにしたりして、視聴者の興味を喚起した状態にした上でCMに切り替える。これでザッピングを回避できる。だけど、もうそういうのも止めようよ、三流プロデューサーだからなの」今日の彼女は口の中に四川麻婆豆腐を入れられたい(?)あるいは、液体窒素で凍らせたバナナかも知れない(?)、、 、、、、、、、、、、、、、もう、何が入りたいのか分からない。そして今、彼女はCMに入った(?)「―――」、、、 、、、、、、黙った。完全に黙った。これが、CMか。でもフラフープをしながら、鞄から巨大な三角定規を取り出す(?)「日本スゴイ系番組もあるよね、外国人に日本を礼賛させる、低予算で視聴率が取れて、高齢者の承認欲求が満たされる。頭の悪い番組の基本の一つだね。だって、逆パターンで外国人観光客を排斥する、すぐ帰るためBPO案件になりにくく、ほぼリスクなしで視聴者の溜飲を下げる悪役に仕立てやすい点があるのを、一切説明しない。何をやってもいいっていうのが、腹立たしい」三角定規を突っ込むべきか。いや、突っ込まない。突っ込んだら負けだ。彼女はネットで注文して、お金も払った自転車が未だに届かないので、一カ月も―――問い合わせをしなかったので、したらと言ったら、すりゅ、と言った、そうしたら、あー本日発送予定ですねーと、完璧に忘れていたくせにまだそんな戯言をほざいている電話の相手に、そーでしたかーと言っていた。そうじゃねえ、そうじゃねえぞ、でも・・・・・・。、、 、、、、、、 、、、もう、何も驚かない。慣れた。「しつこくボールを追っかけてきた。キャプテン翼、キングカズ、長友、パス! パス! って口酸っぱく言ってきた。でもね、全然こねぇのパス、あのね、一日千秋という四字熟語は、時間が普段より長く感じられることで、すべての数は一に等しいので、実際に一日の間に、千秋過ぎていることがあるんだね、だから、十二日間あれば、一万年と二千年前から愛してると、称することができる」「できないよ」、、、、 、、、、ふつうに、ふつうに、―――言った(?)「そっか」彼女、フラフープを止める。巨大な三角定規を鞄にしまう。、、 、、、、いや、しまうま(?)違う、しまうな。、、、、 終わった。「じゃあ、帰ろっか」、 、、、え、帰るの?終わり?これで終わり?「うん、今日はこれで終わり」そして何も解決してない。窓の外を見ると、かもちゃんが空を飛んでいた、一万羽とおぼしき鳥を連れて、巨大な羽搏きの洪水を聞かせていた。
2025年11月03日

法廷は舞台。木槌は指揮棒。象牙の柄に刻まれた、旧法典の断章、沈黙が幕を引き、証言がアリアを歌う。ミニチュア・テアトルム微細な劇場は、ロンドン旧王立裁判所の建築様式を模した、十九世紀ゴシック・リヴァイヴァルの残響が、天井高七・二メートルの空間に反響する。法廷の外に待機する、被害者支援ボランティアのテント。正確には千葉県の防災備蓄倉庫から転用された、三メートル四方の簡易パーティション。アルミニウム合金製の骨組みに、難燃性ポリエステル布(防炎協会認定)が張られている。待機しているのは、心理カウンセラー資格を持つ五十代の女性、社会福祉士の二十代男性、そして元教師の七十代男性ボランティア。裁判員制度は三分の二もの人が、辞退をしている。令和四年度の統計で辞退率六十七・三パーセント。辞退理由の内訳。「仕事上の理由」四十二パーセント、「介護・育児」二十一パーセント、「精神的負担」十八パーセント、「その他」十九パーセント。その「その他」の中には、記載されない理由がある。ある辞退者の調書には、「夢に出てきそうで怖い」と書かれている。裁くことの意味なんて、砂漠の中のダイヤモンドを、見つけるほどのことなのかも知れない。裁くではなく、殺すならどうか。裁くではなく、刑務所へ除外する、臭い物に蓋をするではどうか。裁判長「静粛に。」 コンシャス・ポーズ判決を下す前の意識的な一時停止。その目蓋の裏には、タートベストゥマーンドス・エンシュプレヒェン構 成 要 件 的 符 合 の有無を巡る、法論理の冷たい演算が走っている。木槌が接触する台座はブラジル産ローズウッド、モース硬度四・五の材質が打撃の余韻を〇・七秒間持続させる。裁判員達は、記憶の断片を編む織姫、提供された情報に対する、コグニティブ・ロード認知的負荷。目撃者の声は、過去を召喚する呪文。六名の裁判員が黒革張りの椅子に座っている。椅子は一脚あたり十二万円、ドイツ製のエルゴノミクス・デザイン。しかし、どれだけ高価な椅子でも、人間の運命を決める重みを和らげることはできない。彼女の証言は、モーツァルトのレクイエム「ラクリモーサ」と、同じテンポ、ラルゲット(四分音符=五十)で、紡がれて―――いく。膝上には黒革のメモ帳、筆記具は支給された、無印のボールペン。書かれるのは、声の温度、まばたきの回数、沈黙の意味。欄外に小さく、「言葉にできません」と添えている。声紋は壁に吸収され、天井の集音マイクが震えながら記録する。証言台の横に設置された、モバイル・フォレンジック・ワークステーション法医学専門家の端末、に表示されたタイムライン。二十七インチ4Kモニター、解像度3840×2160ピクセルに展開される時間と空間の地図電子カルテ、通信履歴、銀行取引、交通ICカードの、利用履歴が、クロスリファレンスされ、時系列の穴を埋める。通信履歴。被告と被害者の間の携帯電話通話記録。電話会社から提出されたCSVファイルには、発信日時、通話時間、基地局情報が一行ずつ記録されている。録音機は、証言を食べる獣。一秒間に四万八千回、音声をサンプリングし、SDカードに書き込む。その腹の中で、嘘と真実が発酵する。声帯の振動数、息継ぎのタイミング、そして緊張によって生じる喉の微細な攣りが、嘘という揮発性有機化合物―――を。「異議あり!」 その一言が、空間の静電界を裂くメスとなる。原告側弁護士は、証言の伝聞証拠禁止の原則に抵触する箇所を、法廷記録の行数と単語数まで正確に指摘する。襟元には弁護士バッジ、直径二センチメートルの金色の円形章、中央にひまわりの図案。その瞬間、真実と、法廷で許容される、プロシージャル・トゥルース手続き的真実との境界が、極度に歪む。原告側弁護士は、ニスが剥げかかったブリーフケースが開く。その中には、刑事訴訟法の使い込まれた、ハードカバー版と、蛍光ペンで強調された判例集の束、そして、裁判長の視界の、僅かな死角で握りしめられている、抗不安薬のブリスターパック。弁護人は言う、「検察官の質問は誘導尋問です。証人に特定の回答を促す表現が含まれています」検察官は反論する、「誘導ではありません。事実関係の確認です」二人の法律家の間で、言葉の応酬が始まる。それは一種の言語格闘技、論理と修辞の刃を交える戦い。証拠品A-3:割れたガラスの破片現場の窓辺、午後二時の太陽光が反射していた。指紋は検出されず、ただし血痕が微量。これは三つの可能性を示唆する。一、犯人は手袋を着用していた。二、ガラスは外部から投げ込まれた物体で割れた。三、指紋が残らないほど表面が汚損していた。病院の血は「治療の対象」だが、法廷の血は「証拠」だ。ルミノール反応によって、血痕は直径〇・五ミリメートル以下の微小な点状、これは「ミスト状飛沫」と呼ばれ、強い衝撃により血液が霧状に飛散した際の特徴的パターンをあらわす。証拠品B-1:沈黙の録音テープ再生すると、「・・・・・・」という沈黙が四〇分間続く。その間、椅子の軋みと時計の秒針だけが記録されている。鋭い呼吸音、吸気、継続時間一・二秒。誰かが深く息を吸った音。音量から推測して、マイクから三十センチメートル以内。椅子の軋み。木製家具の摩擦音、周波数二百ヘルツ前後。音響データベースと照合した結果、「回転式オフィスチェアの軋み音」に、最も近似している。微かな衣擦れの音。布と布が擦れる摩擦音、継続時間〇・八秒。誰かが姿勢を変えた、あるいは立ち上がろうとした。録音停止の「プチッ」という音、デジタルノイズの断絶。この四十分間、二人の人間が同じ部屋にいた。それが音響分析から導かれる結論だ。一人は椅子に座っている(軋み音の主)、もう一人は立っている(衣擦れの位置が高い)しかし、誰も言葉を発しなかった。その間、椅子の軋みと時計の秒針だけが記録されている。この沈黙は何を意味するのか。脅迫か、服従か、それとも共犯関係の沈黙の契約か。人間の記憶は想起のたびに書き換えられる。神経科学者エリザベス・ロフタスの研究によれば、目撃証言の三十パーセントは後から挿入された「偽の記憶」だ。老人は言う、「確かに見ました、午後十一時四十分頃」しかし、彼の腕時計は事件当日、十二分進んでいた(事後調査で判明)つまり実際の時刻は午後十一時二十八分。この十二分の誤差が、被告のアリバイ成立に決定的な影響を与える可能性がある。証拠品C-7:被告の手紙、宛先不明—便箋は古いタイプライターで打たれ、「君へ」とだけ書かれていた。インクはフェードし、紙の端は涙の塩分で波打っていた。しかしタイプライターは英字用。つまり、ローマ字で"Kimi e"と打たれている。なぜひらがなや漢字ではないのか。なぜ現代的なパソコンやスマートフォンではないのか。それとも心理的な「君」がもはや存在しないのか。ナノメートル単位で振動する。人間の声帯が生み出す音波は、空気を媒質として伝播し、マイクの振動膜を叩く。その振動は電気信号に変換され、デジタルデータとしてハードディスクに刻まれる。保存形式はWAVファイル、非圧縮音声データ。一時間の録音で約六ギガバイト。この裁判の全録音データは、三日間の審理で合計四十二ギガバイトに達する。それらは国立公文書館に永久保存される予定だが、実際に再生されることはほとんどない。検察官は四十代前半の男性、検事歴十五年、これまで担当した刑事事件は百二十三件、有罪率九十八パーセント。彼の名刺には『東京地方検察庁 検事』とエンボス加工で浮き彫りにされている。「我々は主張する!」声は訓練された抑揚、手元の資料は色分けされたタブ付きファイル。赤タブ:「証拠関連」青タブ:「証人尋問」緑タブ:「法令条文」黄タブ:「判例」ピンクタブ:「弁護側主張への反論」各セクションには、さらにインデックスシールが貼られ、必要な情報に三秒以内にアクセスできるシステムが構築されている。これは彼が十五年かけて最適化した「戦闘マニュアル」だ。ページをめくる音が証言のリズムを乱す。法廷戦術の一つに「リズム破壊」がある。相手の証言や主張のリズムを物理的な音や動作で妨害し、思考を中断させる技術。被告は、椅子に縛られている。実際には拘束されていないが、背もたれの形状が、逃げ道を封じている。無菌状態の記憶を求めて、眼を閉じる、「被告人、立ってください」彼の服装は、私服——裁判では被告の服装は自由だが、多くの場合、弁護人が助言する。「清潔で地味な服を着てください。派手な色や個性的なデザインは避けて。裁判員に『常識的な人間』という印象を与えることが重要です」彼の脳内では、三ヶ月前の夜が再生されている。しかし、その記憶は「無菌」ではない。警察の取り調べで何度も繰り返された質問、弁護人との打ち合わせで整理された時系列、拘置所の独房で何百回も反芻した後悔——。それらが原初の記憶に、幾重にも上塗りされている。「被告人、立ってください」その声は、体内の重力を逆撫でする。裁判長の目蓋は、重力に逆らう秤。判決はまだ降りない。立ち上がった被告の背筋は、完全には伸びていない。肩が前に丸まり、顎がわずかに引かれている。これは服従の姿勢、動物行動学でいう、アピーズメント・ポスチャーに近い。そこが、ロンドン旧王立裁判所の建築様式、と、声帯の震え、が。パリの宮廷法廷の照明技術、と、唇の乾き、が。東京地裁の実務運用、と、語尾の揺れが、時空を歪ませる。刑事訴訟法では、裁判員裁判の評議は、非公開で行われる。裁判官三名と裁判員六名が、評議室に集まり、有罪か無罪か、有罪ならば量刑はどうするか、それらを多数決で決定する。傍聴席には、沈黙の観客たち。スマートフォンは電源を切られ、咳払いも許されない。傍聴席の少女が、ノートに描いた、「正義」の字は、左右逆だ。
2025年11月02日
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【レンタル】 綱引き綱 30m綱 紅白手旗セット綱引きとは何か。とても単純な問い掛けで、小学校時代や、祭りや、何かのイヴェントなどでそのことを、思い出した人もいるのではないだろうか。綱引きの開始前、参加者たちは綱の両端に整列する。靴底には滑り止めのゴム、手には軍手、膝にはサポーター。地面は土か、体育館の床か、あるいは神社の砂利道か。本気かよ? 本気である。一生懸命である、死に物狂いである。綱引きは民俗の中で生き続けた。日本では明治以降、学校教育の中に取り入れられ、運動会の定番種目となった。そこでは、勝敗よりも協力と団結、そして笑顔が重視される。綱引きは、競争であると同時に、共同体のリズムを合わせるための練習でもある。オーエスのかけ声はフランス語のイッセといわれ、それを命令形にし、オーをつけた、「オー・イッセ」が始まり。十五世紀以前の中世からこの掛け声を使っていたというので、信憑性はある。それを聞いた日本人が「オー・エス」と訛らせたというわけだ。それは江戸時代の長崎で、外国人から操舵法を教わった人が、この掛け声を使ったという。十九世紀後半の幕末の頃、海軍操練所で広まった、と。ここは日本の海軍の幹部を養成しようとした施設で、ここにはフランスの士官も指導に来ていた。また勝海舟は長崎海軍伝習所におり、軍艦操練教授方頭取という、校長先生のような役職を努めていたこともある。いきなりお前、何蘊蓄ぶっこんでんだと思う方もいるでしょう、なになに、これは序の口。綱引きとは何か。もちろん、この問いに対して、僕等はまず、「運動会の定番競技」というイメージを思い浮かべる。二つのチームが一本の綱を引き合い、相手を自陣に引き込んだ方が勝ち。単純明快なルール、力と力のぶつかり合い、そして観客の声援に包まれた熱狂。でも単純なものほどその根っこにあるものは深い、エベレストに登れるか、ピラミッドは作れるか、モアイ像は動かせるか、だ。そしてこの綱引きは一九〇〇年のパリ大会から、一九二〇年のアントワープ大会まで、陸上競技の一部として採用されていた。俄かには信じ難い光景ではあるけど、イギリス、スウェーデン、アメリカなどがメダルを争い、国家間の力の象徴としての綱引きが展開された。第四回のロンドン大会ではアメリカとイギリスが綱引きをめぐって、険悪な仲までになった。これは対戦時、スパイクシューズをはいていたイギリス側が圧勝し、これに不服を唱えたアメリカ側の抗議が認められず、両者はしばらく不仲な関係になった、と。平和の祭典で大人げないよとは思われるが、逆にそれだけ真剣ということだ。ドーピングなんて最たるものだ、そこまでして勝たなければいけないって普通の心理じゃない。しかし、競技参加者の身体の肥大化や、競技を統括する国際的な組織を持たなかったこと、ほかにもルールの統一の難しさや安全性の問題などもあったようだが、正式種目からは除外された。でも今はどうだ、YouTubeで綱引きコンテンツがバズったら、オリンピック復帰の可能性もあるんじゃないかと思う。ワールドゲームズで競技として存続し、国際綱引連盟(TWIF)が組織を持っているし、ルールも統一されている上、各国に競技団体がある、あとは、世論に訴えかける類の話題性と注目度、なんじゃないかと思いますけど、そこのところ、どうですか?とはいえ、綱引きがつまらない競技かというとそれは違う、見た目は力任せの競技に見えるかもしれないが、実際には極めて戦略的なスポーツである。国際綱引連盟(TWIF)が定める競技ルールでは、一チーム八人、体重制限あり、相手を四メートル引き込んだら勝利、という明確な基準がある。最後尾のアンカーは綱を肩にかけ、チーム全体のバランスを保つ要。開始の合図とともに、全員が一斉に力を込めるが、ただ引くだけでは勝てない。呼吸を合わせ、タイミングを見極め、重心を低く保ち、摩擦を最大化する。そこには、力の物理学と集団の協調性が融合した、見えない戦術の応酬がある。オリンピック競技に綱引きがないのが当たり前の世界にいるので、何の感慨も覚えない人もいるが、元は稲作や漁の豊凶を占う神事であり、これも縄文時代末期から続く由緒正しいことだ。秋田・大曲の大綱引、沖縄・与那原の大綱引、佐賀・呼子の大綱引など、全国各地で、五穀豊穣や豊漁を祈願する祭礼として綱が引かれる。勝敗は単なる娯楽ではなく、その年の吉凶を占う神託として受け止められてきた。綱は神の依代であり、引き合うことは神と人、あるいは天と地をつなぐ儀式だった。綱は、麻や藁、あるいは化繊で編まれた太い縄である。表面には無数の繊維が毛羽立ち、手のひらに触れると、ざらりとした抵抗を感じる。その抵抗は、単なる物理的なものではない。それは、過去に引かれた無数の手の記憶、汗、祈り、叫び、そして敗北の痕跡である。綱の太さは、地域によって異なる。沖縄の与那原では、直径一メートルを超える巨大な綱が、祭礼のために数ヶ月かけて編まれる。その綱は、神の依代であり、村の魂そのものだ。近畿地方から東日本にかけては一月十五日に、九州地方では八月十五日に綱引きをする。男組対女組、また雄綱対雌綱に分かれて対抗する。大体女組が勝つと豊作・豊漁だと考えられ、男組が勝つとまあロクなことがなかったという。こういう慣習は朝鮮半島、中国、ラオスなどにも見られ、韓国では一月十五日に、中国では広東州などで正月の満月の日に、ラオスでは春の種まきの頃に綱引きが行われていた。女性は出産と豊作が結びついた結果だが、不条理という概念を持ち込めばこれが、母親の偉大さとも結びついていたりするのだろうか。エジプトではおそらくピラミッド建設も背景に考えられるほど、ロープを結わえつけた石を力任せに引っ張って競い合うスタイルだった。インドでは豊作を占う棒引きと、雨ごいの綱引きがある。ニューギニアのとある地方は、誰かが旅に出ると残った村民が二手に分かれて綱引きをし、旅行者を代表する側が勝つとその度は無事だと思われていた。現代的な感覚で見ると何を馬鹿なことをいうわけだが、いやいやしかし、昔は旅に出るのも大変だし、残った方も大変だったのだ。旅行が一般的になった現代の感覚とは違う。カンボジアのアンコールワットのレリーフには、神々と阿修羅が大蛇を綱にして引き合う「乳海攪拌」の神話が描かれ、これは、宇宙の秩序を回復するための神話的綱引きであり、世界の再生をかけた儀式である。中国では、五〜六世紀の『荊楚歳時記』に、立春の儀式として綱引きが記録されている。韓国やミャンマーでも、地域の団結や死者の魂を送るための儀式として綱引きが行われてきた。イヌイットの文化では、耳に綱をかけて引き合うという独特な形式。これは単なる力比べではなく、痛みと耐久の共有を通じて、共同体の結束を確認する儀式である。ベネズエラのヤノマミ族では、木のつるを使って綱引きを行い、自然との一体感を表現する。綱引きは、単なるスポーツではない。それは、引き合うことそのものの象徴である。政治の世界では、対立する勢力のせめぎ合いを「綱引き」と表現する。恋愛や人間関係でも、互いに引き合い、譲り合い、時に引き裂かれる。綱引きは、力の均衡と崩壊のドラマを、最もシンプルな形で可視化する。また、綱は「つながり」の象徴でもある。一本の綱を握るという行為は、個人が共同体の一部として力を発揮することを意味する。「引く」「張る」「緩む」「切れる」「絡まる」などの動詞を自分の視点で掴んでみてごらんよ。始まるぜ。「位置について!」で、審判の声が響く。選手たちは綱を握った手のひらに縄のざらつきが食い込んでさ、藁と汗の匂いが鼻をつく。なんか懐かしいんだよね。で、半笑いして余裕ぶってた奴が、なんか急に真面目な顔しだすんだ。連帯責任の正体ってやつかね。足を肩幅に開いて、腰を落とし、背筋を伸ばす。ほらほら。アンカーは綱を肩にかけ、地面に沈み込むように構える。「よーい・・・・・・」空気が止まる。観客の声も、風も、鳥の鳴き声も、すべてが一瞬だけ静止する。「はじめ!」その瞬間、綱がギギッと軋む。縄の繊維が擦れ合い、ザザザッと音を立てる。靴が地面をゴリゴリッと削る。砂がバッと舞い上がる。息が漏れる。漫画みたいだ。声が上がる。劇画調なんだよ、君。「オーエス! オーエス!」掛け声が波のように押し寄せる。綱は左右に揺れ、跳ね、うねる。選手たちの顔は歪み、筋肉が浮き上がる。誰かの軍手がずれ、手のひらが赤くなる。誰かの靴が滑り、膝が地面に触れる。だが、誰も手を離さない。綱引きで「もー止めた」って離せない理由を、集団のフルボッコで考えてみるか、見えない圧力で捉えてみるか。「引く」「張る」「緩む」「切れる」「絡まる」などの動詞を自分の視点で掴んでみてごらんよ。人間関係・社会構造・歴史意識に照応させるそこには、孤独からの脱出、他者との同期、祈りの共有がある。綱を引くという行為は、自分の力を他者に預け、他者の力を信じることでもある。現代社会において、僕等はしばしば引き合うことを避ける。SNSでは共感よりも分断が可視化され、この言葉を想う時、自分の身体の奥に眠る記憶と、他者とのつながりの可能性を、もう一度、確かめることになる。綱を引くって、結局、誰かとつながるってことだ。で、君は今、誰と綱を引いてる?
2025年11月02日

一七時四二分、中央線快速、疎ましい新宿駅三番線ホーム、「ドアが締まります」、、、、、、、、、文明の冷たいテナー。感情回路を持たない巨大な機械のような、文明の冷たいアナウンスが、、、、、歯痒くて、金属質な残響を伴ってホーム全体へエスケープする、サーチ・ア・ストーリー。夕暮れ時特有の粒子を含んで、排気ガスの微細な炭素、駅構内の換気システムが吐き出す温められた空気、人々の顔は血の気を失ったように見え、弱肉強食の world慟哭と呻吟、慈悲と諦観が、ミッシング・ピース・ラリー、、、、、待ってる、誘惑だらけのトラップコード・タワーで。滑り止め加工が施された灰色の磁器質タイル。表面には無数の微細な傷、黒ずんだガムの跡、、、がね、誰かが落としたコーヒーの染み、プリーズなアテンションのHey crazy時間が層状に堆積した都市の皮膚。点字ブロックの黄色と欲望のウィークエンド・シャッフル。立ち位置は、七号車と八号車のちょうど境目。黄色い乗車位置マーカーの少し後ろ。、、、、、 、、、、憑かれるか、汚れるか?ここから三番線ホームの全景が見渡せる。、、、、、、、どうしたんなら、視野角約一二〇度。ストライキ中。中心視野には君がいる車両、周辺視野には流動する群衆へGod's Spot、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、もう一度もう一度身に受ける緩急の愛撫連れて。脳内では、視床下部が緊急信号。アドレナリン濃度の上昇。、、、これで、再起動不能。心拍数、安静時の七二bpmから一二〇bpmへと、アジャストメント・ハイ・・!、、、、、、、、、、、、、、マリアのまばゆきみあしかもね。ベージュのトレンチコート、八つのボタン、エポレット付き。裾の長さは膝上一五センチ。たぶんZARAかH&M。君が着ると、それはパリのマレ地区を歩くモデル。、、、、、、、、、、、、、、、、泣きたいほどの切なさのランウェイ。左肩にかけたトートバッグ、バッグの底には、本の角が作った四角い膨らみ。アートギャラリーのロゴが、消えかけの黒インクでかすかに読み取れた。それからスマホの画面を指先でなぞるその仕草。指の動きは、左上から右下へのスワイプ。SNSのタイムラインをスクロールしているのか。、、、、、、、、、、、、、都市の照明がリフレクション。キャハハという笑い声が、空気を震わせる。ベビーカーの車輪が軋む音、統べ、種子まかれ、焦点距離四.二メートル。デリケート・ディティール・ブレイクの後で、被写界深度、極端に浅い。君だけがシャープに、背景はすべてボケている。発車ベルが無情に流れはじめる。「ピピピピピ」犯行の時刻を刻む秒針のよう。Friday?あるいは、心電図のモニター音。フラットラインに向かって進む、鼓動が速くなる。僕の瞳孔が、その輪郭に磁石のように吸い寄せられ、ペリフェラル・ヴィジョンは暗く、色彩を失っていく。一風変わった得体の知れなさ I don’t know意識はトンネル・ヴィジョン状態、情報処理能力は君一点に集中したまんま、、、、、、、、、、、、、 、、、、火の花と頽折れたゴースト・フェイス。固体から液体へ。時計の針が、熱で曲がってしまったように、正確さを失っていく。、、、、めいめい、血が流れた。ダリの『記憶の固執』溶けた時計。シュルレアリスムの視覚言語。オーバーヒートで跳ねたラインへ、、、、とんと、ワン・モア・タイム。物理的時間と心理的時間の乖離。名前を叫びたい。うねるベースみたいに痺れる、メイビ―、メイビー。声帯の振動、共鳴腔の形成、調音点の設定。信号は運動皮質から喉頭筋へと伝わらない。でも声にならない。咽喉の奥が、言葉の形を拒絶。ファイナル・ムーヴみたいだってきめこまやかに、時々、髪をかき上げる癖。、、、、、、、 、、、、、、それでいいんだ、構わないんだ Lonely night右手の指先が、耳の後ろから髪をすくい上げる。セミロングの髪。髪をかき上げる仕草、その時の光の角度、背景のノイズ、すべてが。瞳は、カメラのシャッター、、、、、、、、すわりをつけて、網膜は、一億二〇〇〇万本の桿体細胞と、六〇〇万本の錐体細胞から成るイメージセンサー。視神経を通じて、視覚情報が後頭葉の視覚野へ伝達される、言って have, be, exist, keep, abound, fare幻のブルーローズ・・・。まばたき一つで、君が消えてしまいそうだから。お願い、お願い、一度でいいから。メトロノーム・ノイズ・アルファ。もうさ、懇願。内なる声。夢と現のぼろくそみたいな時間の中、フラッシュバック・センチメンタル・カラー、嫌だ、声にならない叫び。どうせなら最後の最後に、終わる前に、こっちを向いて、、、、何とか、メトロノーム・ノイズ・アルファ。プシューッと、ドアは容赦なく閉まった。空圧式ドアシステム。、、、、、、スッと引いた、空気が圧縮され、僕の世界と君の世界が完全に分かれた。熱狂的なアドリブ・セクションへ、耳傾けて、気密性。車両内の気圧と外部の気圧の差。ドアが閉まる瞬間、わずかな圧力変化が生じる。断末魔かもね。金属の摺動と硝子の冷たい接触で構成された断頭台。、、、、、、、、、、、僕と君の宇宙は分離した。鼓膜が、その圧力差を感知する。、、、びっと、物理的な境界線の確定。君は結局、顔をあげないまま butスマホの画面を見続けている。首はわずかに前傾したまま、、、、、、、いけずだって。肩のラインも変わらない。僕の存在は、君の意識に一度も登録されなかった、ノイズ・フェードアウト、、、、、ちらつく、一方向的な観察。非対称的な関係性。さよなら。僕の声なき恋心、エクスプレス・ラン、発話されることのない言葉へ、アクセル・アップ心の中だけで完結する感情。固体が液体になり、液体が気体になる。相転移。状態変化。時間という概念そのものが、蒸発してしまった。電車はゆっくりとステイルしていく。加速度、初速ゼロから徐々に。電車の質量、約三〇〇トン。慣性の法則。静止している物体は静止し続けようとし、動いている物体は動き続けようとする。、、、、、、、、、、、、、、、ひきちぎれた魂の生まれたまんま、でも今、ああ今、電車は動き出した。不可逆的な運動。ホームに立つ僕は、慣性系A。電車の中の君は、慣性系B。二つの慣性系は、相対的に運動している。漏れ出すオイルにイカれたプラグ。相対速度、時速約五キロメートルから加速して、やがて八〇キロメートルへ、フラッシュバック・センチメンタル・カラー、エアサスペンションの低いうなり、車輪とレールの摩擦のハーモニクス。、、、、、、、、、、、、、、、、あったかいもんがじわじわ広がって。バイバイ、バイバイ、好きだった人。未送信フォルダのメロドラマ、視界がぼやける、焦点が失われる。光と空気、口や身体、眼と温もりの雰囲気を媒介しながら、涙が、ついに瞼の縁を越えて、メロンソーダチックに、、、その、頬を伝い落ちる、ボヘミアンラプソディー、忘れる未来まで、テイク・ミイ・ゼアー。そして僕の中の君へと向かって記憶の減衰、ターンテーブルはないよ、時間という特効薬。バックビート、バックビート、エビングハウスの忘却曲線、夜行性なんだ、飽き飽きなんだ、フラッシュバック・センチメンタル・カラー。
2025年11月01日

夜が短い。 さくら色の、 くらがりの底。 (ラッタッタ、ウゥー、 d.o.o.r(が、) 頭の中では、泡が弾ける寸前の、 輪郭を持ってさ、 「「「ドアが閉まるぜ 言葉はまだ水面の下。 身動きも取れない。 プシューッ... ハッハッハ... 心細いなあ、時間ってやつは、 意地悪だね、 瞳を閉じれば、 しだれしだれて、 もうそこにいるのに、 ゆられゆられて、 ...ラルラララ、 呼びかける声が、まだ届かない。 僕はまだまだ。 に じ ん で ゆ く、、、 あんまり優しく言うもんじゃから、 その気になったって言いそうになるんじゃ 、、 から、 でも、まだまだ、がカメラのシャッター、 に近いさよなら僕の羊毛のような蒸気。 ―――未来まで。
2025年10月31日
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2025年10月31日

下手に慰められないのがありがたかった。優しすぎることばを聞いたら、僕はきっと素直になれなくて、突き放してしまったと思う―――。教室の窓枠は西日を辛うじて残し、微細な塵埃を黄金色に浮かび上がらせる。しかし、大半は既に青みがかった影の領土。古びた木造の床、チョークの粉の微かな匂い、そして窓外では運動部の掛け声が遠く谺する、この時間の遅延を感じさせる空気。誰かが忘れていった体操服の袋が、椅子の背にかけられたまま揺れていた。「あなた―――」情けないところを見られた。放課後の教室。そう思うと、波が襲った。新しくおそろしい、兇暴な、動物的な、抑鬱・・・。掃除後の雑巾の臭いと、汗のかすかな残香が混じり合いながら、誰もいない廊下の向こうで、世界全体が少しだけズレているように感じられる黄昏ゆく気配を感じながら、僕は椅子に沈み込むように膝を抱え・・・・・・。神の宝物庫にも似た餓えた時計の顔、―――蛇行 し て ゆ く 、夜の八重に咲く花たちの遅き香・・。そんなものが包んでくれるのを―――感じた・・。青紫色の鯨だ。時間は過ぎてゆくばかり。でも一歩も動きたくない、誰かに何かを言いたくもない・・・・・・。「大丈夫?」小さな心はデリケート。吸い込まれそうな、優しく夢見るような瞳に従う。少し横向きで柔かな髪は肩まで垂れていた。誰もいないはずの教室に、僕と彼女だけがいる。教室の後ろの壁にかかっている大きな丸時計。文字盤は黄ばんでいて、秒針だけが規則正しく刻まれている。機械的で冷徹で、容赦ない音。時間は誰も待たない。傷ついた者も、後悔している者も、立ち止まりたい者も、すべてを置き去りにして、時計の針は進んでいく。「手から血が出てる・・・・・・」そう言って、鞄の中からタオルを取り出して、拭いてくれた。その行為にどんな意味があるのかは、さっぱりわからなかったけれど、どこか間が抜けていて―――笑った・・・。ロジカルじゃない、と思いながら紙の凧だな、風船だ。吸い込まれそうな、優しく、しかしどこかドリーミーな光を宿した瞳が、僕を見つめる。、、、委員長。彼女の手は小さくて、柔らかくて、少し冷たい。指が細くて、爪は短く切り揃えられている。マニキュアはしていない。手のひらには、鉛筆を持つ癖でできた小さなタコがある。勉強熱心な証拠。暴力の勲章とくらぶべくもない、立派な人間の証明。制服のブレザーを着て、スカートの裾が膝下五センチのところで揺れている。校則を守る真面目な生徒の証。白いブラウスの襟元には、学級委員のバッジがついている。「煙草を吸いに―――屋上へ行ったら、一年生が三年生に三人がかりで恐喝されているのを、見たんだ。見た瞬間に、手が出てたな」暴力の記憶。殴った時の感触。相手の顔が歪む瞬間。骨と骨がぶつかる鈍い音。血の匂い。恐怖の表情。そしてそのすべてを包み込む、甘美な陶酔感とは真逆の拭いきれない孤独。学校は母親の子宮のように。まるで羊水のように、安全で、暖かくて、外界から遮断された空間だ。そこでは善悪も、正義も、法律も、社会規範も、何もかもが無効化される。ただ純粋な力の論理だけが存在する世界。「・・・・・・」屋上のドア。鉄製の重いドア。いつも施錠されているはずだが、今日は開いていた。管理が甘い。そこを抜けると、コンクリートの床と、腰の高さのフェンス。風が強い。制服が煽られる。そして一年生とおぼしき男子生徒。小柄で、ひょろひょろしていて、眼鏡をかけていて、いかにも気弱そうな外見。眼をつけられやすい。筋肉が足りない。制服は新しくて、まだ身体に馴染んでいない。そしてその周りに三人の三年生。ヤンキー風の外見。染めた髪、ピアス、腰パン。タバコの煙。そして財布を奪っている場面。「もちろん、勝った」コツン、と頭を軽く殴られた。いつものことだ。、、、、、、、、、、、、、不良ヤンキーを木魚にする女・・・。でもそんな軟弱野郎に負ける予定は一切入ってない。最初の一撃は、リーダー格の男の鳩尾に入れた。不意打ち。卑怯な手段。でも効果的。彼は呼吸を詰まらせて、膝をついた。正確にそこを狙われて立っていられるのはよほどの猛者だ。次の一人は、振り向きざまに顎を打った。パニックに陥った小者は狙いやすい。脳震盪を起こして、その場に倒れた。残る一人は、恐怖で動けなくなっていた。顔面の形が変わるまで、殴った。何発殴ったか覚えていない。五発か、十発か、もっとか。拳が痛くなるまで。相手の顔が腫れ上がるまで。血が飛び散るまで。骨が軋む音が聞こえるまで。顔面の形が変わるまで、殴った。馬鹿なことをした。次にこんな馬鹿なことをしてるのを見かけたら、てめえの家に追い込みかけんぞ、とか言った。怯えている一年生に財布を返してやり、困ったら頼ってこいと言った。もし自分でも駄目だと思ったら全力で逃げろと言った。などという―――正義のヒーローごっこに心酔できるほど、僕はそんなに僕のことが好きではない。自己嫌悪しながらそれでも平然としたふりを続ける。暴力性が嫌い、偽善が嫌い、優しさなんて概念自体が嫌い。たんにシバきたかっただけだ。これが真実。純粋な暴力衝動。理由なんてない。大義名分なんて後付けだ。ただ誰かを殴りたかった。痛めつけたかった。支配したかった。、、、、、、、、、、そうじゃないんだろう?分からなく―――なる。 アディクトごっこ遊びに陶酔できるわけじゃない、納得のいかない眼の前の奴等に、どんな言葉もうまい方法も考えつかず―――。「あなたって、本当に馬鹿ね」言われなくても、わかっている。一体その暴力にどんな意味があるのか、相手を力で屈服させる行為・・・。そこにいるのが手ごたえのない水母でも、いつか―――僕は人を殺すかも知れない。雷鳴、閃光、夜討ちの投げ松明・・・・・・・。脳裏に浮かぶイメージ。戦場。火薬の匂い。叫び声。死体。そして暴力の連鎖。―――『幼稚さ』『未熟さ』死にたがりの定位置。一歩向こう側は、魑魅魍魎の魔界。どんな大義名分を立てても、静かな悪魔の呼び声は、消えない。悲しみが沁みついている小さな町にまた雨が降り出す。居心地の悪い、呆けた沼のような―――時間。「でも、自分を大切にして」視線は優しく、知性の光を残している瞳は、こう言った。しっとりと濡れたような音声。陽だまりみたいに柔らかい暖かそうな躰、そして何気ない動作の一つ一つにまで、緊張して・・・・・・。本当は多分、僕のことが怖いんだ。彼女の手が微かに震えていたこと。僕に近づく時の一瞬の躊躇。視線を合わせる時の緊張。すべてが恐怖を示していた。でも、それと同じぐらい強く、人を見抜いてる。(怖かったら離れてもいいんだぞ、と言いそうになる・・)(僕は、いつも人を試しそうになる―――)ただひと色の暗黒な虚空にひそんだ、母性―――その眼の灰いろの影のなかに、母の持つような優しみを僕は知った。その声は蜜のように優しかった。アッシュ・グレイ・シャドウ。思うんだ。優しさというのが、『掴める』―――んじゃないかって・・・、手を伸ばしそうになる―――、『伸ばしたくなる』―――だって、夜が来る・・。「あなたの気持ち、わかるよ。道を塞いでいたら、その先にゆけない、困る人も出てくる。でも、自分の都合以外のことにも目を向ける優しさを。そして、気づかない人たちに、そっと気づかせてあげる賢明さを・・・・・・」理想論だ。綺麗事だ。でも彼女は本気でそんな美しい思想を信じている。暴力ではなく、言葉で。力ではなく、知恵で。もし俺がいま力任せに襲い掛かったらどうする、そんな言葉を口に出しそうになって―――止める。女を力でどうにかする男なんて最低だ。けれど世の中には五万と―――いる。でも力で対抗すればもっと大きな力が出て来るだけだ、出る釘は打たれる。静謐な修道院の説教―――だとしても、その姿勢を崩して平和な街は生まれてこない。文明が戦うんじゃない、人の心が戦うんだ。「・・・・・・」「なんて言うのは―――出しゃばりだよね」「・・・・・・そうだな」わけもわからず、イライラしている気持ちは、何を抱えて蹲っているんだろ―――う・・・。夏の燃える太陽に焼かれているような気がする、濃硫酸―――絶望の嘆きだ。僕はまた口ごもりたくなる・・・。光の分だけその闇は深い―――。「委員長はえらいよ、気難しい、得意科目暴力みたいな俺なんかの面倒を見てくれる・・」「得意科目暴力というなら格闘技しなさいよ」「そんな柄じゃない」でも、こうやっている時、彼女はまるでせせらぎをきかせる小川みたいに、とても美しいことがわかる。美しいのは―――容姿やスタイルではない・・。美しさを作っているのは―――その人の心・・。―――魂がそういうものにたわむれているのがわかる。「きっと―――恥ずかしい・・・、クラスの委員長に推薦されて困っていた時に、おいそんなのやらなくていいんじゃないかって、そう言ってくれ―――た・・・」こころなしか、彼女の頬が火照っているような気がする。フィジカルブロック物理的な障害なんか意にも介さず・・・・・・。あったな、と思う。そんなこと―――も・・。委員長選出の時間。誰も立候補しない気まずい沈黙。そして教師が彼女を指名した時、僕は思わず口を出した。「ぶっきらぼうでちょっと怖いけど、内から滲み出るような優しさだと思う。みんな、早く終われって思っていた。別にどうでもいいって思っていた。ただ―――ただ、ちょっとだけ、伝え方が下手なヒトなんだろうなって―――思う・・・」委員長の―――ナチュラルで、ピュアで、イノセントな、ポエムの時間・・・・・・。教室で擦れ違うだけだったヤンキーの、肩を持つ、不釣り合いなぐらい大きな顔をする理由がそれ。まるでルソーの提唱する『高貴な野蛮人』のような、純粋無垢さ、あるいは平和に酔いきった、とある作家の吐き気を催す文章。そのあまりの清らかさに、僕の中の道化師が、耐えられなくなってしまう―――ぜ。「ありがとう、そしていますぐわたしを抱いて、キスして、そして子供を産んで!」―――は?、、、、、ポカポカッ、と頭を殴られた。なんという、革命の情熱の間の微妙なるゆれうごき。木魚の新時代、木魚エイトビート、いや待て、これは青春の16ビート・・・・・・?「このヒトはしかし、き、き、き、きちんと話を聞いてくれません!」散々殴って来たあとに、そう言った。あと、上擦り過ぎてアイアイ思い出したぞ、とかは言わない方が身のためだ。、、、、、、、やれやれガール。僕が思う所、多分気はあるのだろ―――う。鈍感だけど、他人の心の機微がわかるような奴ではないが、―――そうだろうな、とは思う。(でも、恋なんて可哀想じゃないかなと思う―――)(かたや目指せ名門大学、将来は学者か研究者、かたや卒業すら危うい横道街道まっしぐら、人生ふらふらくさくさしそうな男・・・・・・)「委員長・・・冗談はともかく―――」手持無沙汰な手を合わせる。あらいぐま観音。ちなみにレッパ―パンダ観音とたぬき観音もいる。「ありがと・・・・・・」そう言うと、何だろうな、このドヤ顔みたいな笑顔は。もう本当にわたしいないと駄目だなあみたいなこの態度は。サーカスの猛獣の調教師にでもなったつもりなのかな。まあいいさ・・・。「タオルを貰ったお礼に、何かおごるよ」「そこ―――洗って返すところじゃないの?」「え、だって―――委員長の残り香がついたものを、どうして返せるでしょうか、これはもう犬のように、クンクンして、ペロペロしなくてはいけません、それからプレスして専用の額縁に入れて、絵画のように飾ります、ドヤー」 、、、 、、、―――言った。やった。、、、ぼばん、とばかりに、顔が真っ赤になったので、やっぱり、委員長は処 女だと思う。「嘘だよ、血がついて汚いから、捨てるしかないだろう。タオルぐらい、買って返すよ」「そ、そっ、そそそ、そだね」しかし、照れた委員長はどういう思考回路からか、とんでもないところへと足を踏み出された。 、、、、、、、、、「・・・・・・お風呂上りのタオルじゃないしね」
2025年10月31日

いまここで。またここで。金木犀の冷えた空気の中に残る、夏の名残。onの海...。ベンチに一人座れば、優しい香りが包んで肩の力も抜けていく。人込みの中で手を探して、夜の蛭、陥穽のごとき神経、触れた指先が熱くなる。君の体温を忘れた街で、君のことを知りたい合図。、、、、、、、、沈黙に浮き上がる、killer,killer...僕の息は、でくのぼうになりたかったのか。(配膳を運ぶロボットを見ている)自動車の光の縞模様が、生活という林檎に食い込んでゆく、虫のように思えても、無言のままで分かり合える、そんな瞬間、嬉しく―――なる・・。時は静かに流れて、更けて、もっと漕いで、夜はさらに魔法をかけるように傾いて、温もりが残る空間に、今日の幸せを感じる。rollの帰り道...。あの夏の花火、約束の光、君の横顔を照らす表情を、僕の胸に刻みつけた。小さい頃の将来の夢を、シールをゆっくり剥がすみたいに考えるのは、寒くなったから。tattooを隠さず笑う君と、昔の自分重ね、「同じでなくていいんだよ。」、、、、、、、誰でもよかった。知ってた。見抜いてた。でも誰かが呟いた言葉が、心の奥で何かが解け、涙が滲んでいた。風はたちまち力を抜いて、嘘のようにしずまりかえって、眠りから醒めて―――ゆく。紅葉が始まっている。(心臓を撃ち抜かれたような意識の空白)air,air...夕方の袖を揺らして、君と歩く星語りの道。駅前の屋台の灯りに照らされて、心が少し高鳴ってく。蟋蟀、鈴虫、そして風の音。公園の落ち葉を踏む靴音や、遠くの電車の音がやけに沁みる。帰り道には星が瞬いて、『今日はちょっと話せてよかった。』光が交わるその真ん中で、未来の欠片を見つけたい、二十四時間後でもいい、一分後でもいい、人生が動いてゆくその瞬間に、触れていたい。こんな淋しいピラミッド構造の街で、奇跡を目の当たりに見るよ。誰もかれもが。何もかもが。金木犀の風が吹く午後、日常に魔法をかけるように、小さな喜び集めながら、この場所にまた戻ってくるよ。、、、、、、、、、次の風を感じていた。なだらかな脳の表面に、知らないバイバーも、ユーチューバーも、ティックトッカーも、外国人も、同じ空の下にいる、もう一人の僕ががぼんやりと、立ちつくしている。「君も笑っている。」―――『よかった。』繋がりたい、温もりが欲しい、誰かと分かり合いたい。それを「甘い」「幼稚だ」と切り捨てる、大人の一人になることは正しいのか?いまここで。またここで。見つからないものが、見つかったらいいって、思ってた、樹液のようにめぐるもの、ポンプのように循環するもの、擦れ違う人が、いまは胸を内蔵のように、熱くさせ―――る・・。
2025年10月30日

俺は野良猫。ハーモニカの狂おしい溜息と似たような、この年齢はたぶん二歳。野良としては、もう中堅。名前はまだない。人間なんかと違って、小さな生き物にとって毎日がサバイバルだ。この街の片隅、廃材置き場の裏にあるブルーシートの隙間が、俺のコロニーだ。動物行動学者は野良猫の集団を、『TNRコロニー』なんて呼ぶらしいが、俺達にとっちゃ単純な話、寒さを凌ぎ、情報を交換し、無駄な喧嘩を避けるための拠点。枝先にかけて何度も裂けてゆく枝みたいなものだ。最初は助けてくれって鳴いていた猫も、次第にこみあげてくる腹立ちを抑えるようになる。他力本願なんかで世界がどうにかなるわけがない。神も仏もいない、そうだろう兄弟?「なあ、最近あの一人暮らしのおばあちゃん、見かけないな。もう十日も餌が出てこない」「亡くなったらしいよ」「マジかよ・・・・・・」俺たちにとって、人間は資源だ。共生ともいえる。餌をくれる人間、撫でてくれる人間、時には家に入れてくれる人間。それらをいくつキープしているかで生活が豊かになる。キャットフードをくれた、忘れない。ビーフジャーキーをくれた、忘れない。あの、おばあちゃんは毎朝七時きっかりに煮干しをくれた。手からいつも葱の臭いがした。農家なのか、自宅菜園なのか、葱好きななのかは知らん。猫の記憶力は犬より優れている。特に「いつ」「どこで」餌がもらえるかの時空間記憶に関しては。まあ、生活かかっていたら人間だって真剣になる、俺はおばあちゃんの足元で、咽喉を鳴らしながら細く「ミャア」と鳴いたものだ。成猫が子猫の鳴き声を真似る。これは人間の母性本能を刺激するための高度な擬態行動だ。それが、俺たちの「生存戦略」犬に育てられた猫はワンって吠えたりするらしいし、人間の言葉をオウムのように真似る猫もいるんだとか。まあそれってつまりは、愛のガソリン満タン状態ってことだよな。そうでなけりゃ、面倒臭くて猫の手だって取り上げたい。そして三度目の冬が近づいてきた。体温が下がるのが聞こえるほど静かな、冬。鼠も虫も姿を消し、ゴミ捨て場の残飯も凍てつく。俺達の体温は三十八〜三十九度。人間より二度も高いから、代謝も激しい。カロリーが足りなければ、すぐに命に関わる。コンビニやスーパーで買い物なんてお手軽感はそりゃないわな。コンクリートの上で丸くなっても、体温は容赦なく奪われ、その上、腹が減る。久しぶりにキャットフードが食べたい。あれは栄養学的に完璧な食べ物だ。蛋白質、脂質、タウリン、ビタミンA。野良猫が自力で揃えるのは不可能な栄養バランス。人間が作り出した、奇跡のような食べ物。「ブルーシートの下は暖かいな。できるならそこでずっといたいもんだ、狭い所に入っている幸せは何物にも代えがたい」だが、給食サービスは、ない。「見ろよ、あそこの飼い猫。床暖房ってやつかよ、ひゃあああああ、まじで体験してみてえよな」「しかも飼い猫と話した限りじゃ、人間は高い所から飛び降りるクッションなんだといっていたぞ」「でもやっぱり床暖房だよな、炬燵って何だろう、まだ見たことはない、まあいいや。でも、地面が暖かくなるんだって。魔法かよ」「冬になると夏が恋しくなるぜ、マジでな」ところで俺達は、人間の言葉をかなり理解できる。正確には音韻パターンと状況の関連づけだ。犬は人間の単語を二〇〇語以上理解すると言われるが、猫も負けちゃいない。特に都市部の野良猫は、生存のために人間の行動を読む能力が飛躍的に発達している。声のトーン、表情、仕草、それらを統合して意味を推測する。これが都市型野良猫の認知的適応だ。まあ、都会は都会で、大きな石を力いっぱい投げつけたり、知り合いが身体をつまみあげられ思いっきり身体を壁にぶつけられたとか、いっていたぜ、世の中まじで変な人間多いからな。心臓停まるよ。ボウガンとか、BB弾。まずてめえの身体で試せよな、マジでさ。頭おかしいからな。死ねばいいのにな。でも蟻踏み潰したぐらいで泣きそうな顔をする奴もいるよな、凄い奴なんか、蟻の巣穴を水攻めしたり、あの金持ちそうなおばさん、薬液ぶちこんでたぜ、マジで。と、ふわっとした優しい声が聞こえて来る。俺には分かるね、天使の一族。「かわいい猫だニャー」人間の女性が俺を見つけた。けれど、猫はニャーというと混乱するからね。俺はそこのところも推理するけどね、普通の野良猫はそれ聞いただけで、こいつ気持ち悪いなと思う。「ミャア」にじり寄る、生暖かい息。ネイルの除光液のような、林檎のような香りがする。俺はか細い声で鳴く。咽喉の使い方を微調整して、高周波数の音を出す。赤ちゃんの泣き声と同じ周波数帯。人間の脳は本能的に反応する。そうすると、たまらなくなったのだろう、そうだろうそうだろう、わさわさ撫でてくる。撫でられると気持ちがいい。特に顎の下をわしゃわしゃされると、脳内でオキシトシンが分泌される。これは人間も同じ。だから人間も猫を撫でると幸せを感じる、相利共生の関係だ。可愛けりゃ何でもありらしい、灯台みつけた迷い舟の、ふわもこ強化月間。媚を売る、研ぎ澄まされた針のように甘やかな世界へ誘う。それが、俺たちの生き方。猫だけど、ホスト。そしたら、この女、キャットフードをくれた。まいどあり~!分かってるなあ、と思う。ガツガツいかせてもらう。感謝。もうね、キャットフードのためなら二本足で立つね、レッサーパンダも顔負け。俺達は食べられる時に食べる。次にいつ餌にありつけるか分からないからね。フードファイターってわけじゃない、猫の胃袋は小さい。一度に大量に食べられない代わりに、一日に何度も少量ずつ食べる分食型の動物。それでも食べるね、必死だから。だから俺達は常に餌を探し続ける。「ごめんね、家では飼えないの」猫好きだけど家で飼えない人も結構いる。家族や本人が猫アレルギーなんていう人もいれば、猫嫌いがいるからという場合もある。まあ、餌くれるだけで感謝ってもんだろう、近頃じゃコンビニでも猫に餌あげるなって看板がある。つまりは死ねってことだよな。衛生上の問題がある、それはそうなんだろうよ。お前も這い蹲って、生きてみたらそりゃ分かるだろうよ。「またね」眼の中に溜まっている水分で、こいつ優しいんだろうなって思うよ。餌をもらったらそのままテクテクついていく猫もいる。もう、何が何でも飼ってもらおうとする奴もいる。もう、死に物狂いだよ。ここにいちゃ多分死ぬって思ったら、飼われたいアピールするさ。それで成功する奴もいるけど、困らせるのも本位じゃない。近くの狸に餌をあげるおばあさんの味噌汁ご飯にありつきながら、やっぱり世の中色々大変だよなと言い合う。こっちは飼われないし困るよ、あと、アライグマいるしって言う。鳥の奴だって雨の日には結構数死ぬって言ってた。弱い生き物は淘汰されるよりほかにないんだな、世の中、小さい生き物をいじめぬこうとしているからな。足掻くかどうかを決めているわけじゃない、腹が減っているからだ。都市部の野良猫の平均寿命は三〜五年。飼い猫が十五年以上生きるのと比べると、俺たちは圧倒的に短命だ。蝉だよな。もう、蜉蝣の親戚みたいなもんかもな。交通事故、感染症、低体温症、栄養失調、三割引き、半額のシール、そして縄張り争いによる怪我、死は日常に溶け込んでいる。誰かが貼ったレッテル。知り合いの狸が轢かれてるのを見ると、マジ、ブルーになるよな。明日は我が身だよ、くそったれ。さて、今日は週に一度の猫集会。「おいどうだ、元気か? こっちは昨日、野良犬に追いかけられて死にかけたぜ」「保健所どうなってんだよな、マジ困るよな、まあ、猫つかまえて去勢手術とかされるらしいぜ」正直、一生面倒見てくれるっていうんだったら、好きなようにしたらいいぜ、もうされるがままさって思う。「でも野良犬、アイツ、狂ってるからな。最近、あいつよく公園に出る。みんなも気をつけろ」「道路を渡る時は左右確認、この前、隣町の猫が轢かれてたぞ」猫は基本的に単独行動の動物だ。ライオンを除いて、猫科のほとんどは孤独を好む。でも都市では情報ネットワークが生存率を上げる。縄張りは雄で半径二〇〇〜五〇〇メートル、雌はその半分程度。俺たちは住処を拠点に、餌場、危険地帯、避難場所を脳内マップに刻み込んでいる。これが都市型野良猫の空間認知能力。GPSなんかなくても、俺達は自分の領域を完璧に把握している。雨が降ってきた。こんな時、俺は思い出すんだよね、猫なのにあんまり魚食べないわって。サザエさんの猫はそうなんだろう、漁師町出身なんだろう、でも俺等、肉食よ。魚の骨刺さったらマジ困るからな、涎を垂らして口を閉じない。ステーキハウスの前の残飯整理ならおまかせあれよ。「今日は大雨だな。こういう日は雨宿りできる場所でじっとしてるに限る」猫は水が嫌いだ。正確には、濡れた毛が体温を奪うのが嫌い。砂漠起源の動物だから、雨への適応が不十分なんだ。飼い犬が水遊び好きだって聞いたけど、あいつら、バケモンだよな。泥だらけになって飼い主に飛び掛かるらしいぜ、もう何かチャレンジャーだよな、バケモンの飼い主もバケモンさ。ああ、腹が減る。「この前、キャットフードをくれて、次に公園でカントリーマァムくれた女の子に、鼠をプレゼントしようかな」猫が獲物を持ってくるのは、狩りの練習を教えるため。あるいは、群れの仲間として認識している証拠。人間は俺達の社会的家族なんだ。あと、カントリーマァムは正義。風が強くなってきた。「やべえ、逃げなきゃ」離島めいた一瞬。突風に煽られた看板が俺の後ろ足を直撃した。馬鹿だ、ちょっと油断していた。「ぐっ―――痛ぇ・・・」朦朧とした意識の中で、できるだけ高い場所へ逃げた。猫は本能的に高所を目指す。地上の捕食者から逃れるための進化的適応。木登りが得意なのもそのためだ。「ここなら安全だろう。雨もしのげる」軒下の段ボール箱に身を潜める。少し眠ろう。目を覚ますと、人間の声が聞こえた。「猫がいる! 足を怪我してる―――可哀想」可哀想なんて言葉を聞くのは久しぶりだ。「本当だ。お母さん、この子、家で飼いたいな。とりあえずミルクと消毒液持ってくるわ」なんかどうも、助けてくれるらしい。あと、どうでもいいけど、床下暖房まじたまらん。ぬくぬくだな。俺は居座りたい、飼ってほしい。これが健忘症というやつなのだろうか、俺はもう死ぬ気で甘え倒してやろうと決めたね。「ねえもし飼えなくても、傷が治るまでは面倒見るから安心して」人間の少女が、俺を優しく撫でた。不意に、俺はこの瞬間のために生まれてきたような気がしたな。「あなたの名前は雨の日に見つけたから、レイニーね」それは都市の隙間で生きてきた俺にとって、初めての存在の証明だ。猫にとって名前は必要ない。俺達は匂いと声で個体を識別する。でも人間にとって、名前は特別な意味を持つ。名前をつけるということは、その存在を認識するということ。俺の、新しい生活が始まる。野良の俺が、誰かの家族になる。それは、都市で生きる猫にとって最大の幸運だ。毎日の食事、そして無茶苦茶嫌な病院と注射。医者が鬼か、仁王みたいな顔をしていた。でも、都市の片隅で、今日も名前のない猫達が生きていて、俺は幸運だったと分かる、俺の仲間たちはまだあそこにいる。ブルーシートの下で、身を寄せ合いながら、いま、どんな風に暮らしているんだろう?ダイヤモンドネックレス 40cm 10金 猫 ネックレス ハート 10k K10 イエローゴールド 4月 誕生石 ネコ ねこ アクセサリー レディース 誕生日プレゼント 女性用 金属アレルギー 安心 激安 結婚式 お呼ばれ 天然石 アクセサリー 即納
2025年10月30日

2025年10月29日

風が頬を撫でて、昨日とさよなら、今日とさよなら、また明日、その言葉が画面を青く変えてゆく、君の笑顔が、想像力を働かせない、胸の奥で高鳴る鼓動を隠せない気持ちで、あふれていく。何を信じればいい?卑屈を溶かすチョコレート、ガムを噛んだら消えてしまうって、本当?交わした視線の奥に、言葉より深い世界がある。何かがわたしを抱き締めた。手に届く高さにあるのかな、青い水底をよぎる魚群のような、運命のセンサー、何気ない仕草一つで、ちょろいな、心が揺れて止まらない。かすかに震える赤い糸。朝の占い気にして家を出る習慣、今日のラッキーアイテム握り締めて、君に会えるかな、それだけで書き手不在のインク壜なのに、一日が始まる前から決まっちゃう。君が好き。人生を無駄遣いするようなことが、溢れてる、でも当惑しながら心を乱す夜に触れ、異空間へ迷い込んでゆく森の中。会いたい。蛹みたいだ。魂はシーソーしている。越えられない壁がある。不協和音が、ある。怒りの刺もある。けれども美しい言葉がある。鼓動に撃たれたら、背景に同化してゆく。テレビの中のえらい人が叫んでる、SNSでは誰かの世界が流れて来る、息も出来ないくらいの情報の洪水で、自分の声が段々聞こえなくなる。微妙に泣きたい成分で出来ている、素朴で地味なわたし。流れ星が通ったあとに名付けるための、傍観者、わざとらしい共感、本当は何がしたい、どう思う?ノイズの海の中で、迷子になったわたしは、潤いが足りない、ポトス。心が張り裂けそうだ。あなただって悪魔なんだよ。道には並木が横たわってる、これは何の木だろう、クリアにしたい、もっと透明にしたい、優しい地図、心の椅子の中に座っている人のために、背中がなやましく汗を掻く。空を舞い降りる小鳥の群れが羨ましい、身動き出来ないままじっとりと濡れている、夕立のバス停。心の中で、おたまじゃくしの小節が移動してゆく、雨宿りをしていたわたしに、何かを呟く影のように、入ればって君の傘が伸びて、滑り込む五秒前。黙れ。見えない鳥がうるさく鳴いている。近い距離、聞こえる心臓の音、警報みたいに鳴り響く、恋はそっと忍び寄る影、気付けばすぐ傍にいて、街燈の優しい光に包まれてわたしの毎日を変えてゆく。次の日の雨上がりの道を歩きながら、傘を差しだす君の手に触れた瞬間、ああそうだね、夢見る準備は出来ている、星の絨毯と銀色の月。泳げるよ。頭蓋骨を貫通するかと思われる弾丸、溺れゆくアラームの音、ひびわれた皮の表面、脱皮せよって、一皮むけろよってうるさい、笑わないで、そのあたたかさが永遠を信じさせてくれるなんて、もう思わないから。それは手にいれなくちゃいけない幻だって、こんな気持ちを。夕暮れに染まる横顔に、切なさと幸せが重なって、やわらかくなる心臓の音、時が停まってほしいと願う、あなたがいる。
2025年10月28日
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楽天1位獲得 ヘッドホン 交換用 イヤーパッド 2枚セット トップブランドでも採用されている プロテインレザー製 高品質 高耐久 取り付け簡単 直径 45mm 50mm 55mm 60mm 65mm 70mm 75mm 80mm 85mm 90mm 100mm 105mm 110mm イヤークッション ヘッドフォンカバー 耳当て「コールセンタースタッフ」とは、電話でお客様と一対一でお話するという、コミュニケーション能力に自信がない者からすると、かなりハードルの高い仕事のように思える。電話を受けていて一番困るのは、滑舌悪すぎて何言ってるのか分からず、何度聞き返しても結局何言ってるか分からない人がいるということだ。病気や障害なのか、それとも極度の緊張症なのか分からない。コミュニケーションを取る気持ちはあっても、どうにもならず、かと言って分からないからと電話を切る訳にもいかない。そんなコールセンター業務。とはいえ、コールセンタースタッフの仕事は、「インバウンド」と「アウトバンド」の二種類に分けられる。インバウンドとは、お客様からかかってきた電話を受け取り、アウトバンドとは自分からお客様に電話をかける。また、インバウンドのコルセンバイトにも、大きく分けて三つ種類がある。ちなみに新人であるというのは割とすぐにバレる。数週間が勝負だ。初めての顧客対応で声が震えてしまい、スムーズに挨拶が言えなかったというのは誰にでもあることだ。そんな時はもうマニュアル人間になろう、経験を重ねることが最良の方法であり、ロールプレイやシミュレーションを通じて可能な限り、多くのシナリオを練習することも有効な手段だ。向き不向きというのはどんな仕事でもあるわけだが、(もちろん半年、一年やれば誰でもある程度は上手くなるが、)―――問題は心が折れるか、折れないかによる。辞めたくなったら、「それってあなたの感想ですよね?」って言ってやれ、きっとスッキリするぞ、人生は可能性に満ちている、ストレスしか溜まらない仕事だってそう思う人も一定数いるんだから。顧客との対話練習中にプレッシャーが原因でパニックを起こし、翌日には退職を申し出たという事例もある。バイト時代に最速記録で仕事を辞める人がいるという話題があるけど、いや、あなたの所ではなかったかも知れないけど、それはどちらかといえば冗談で済ませられる類だが、そちらの場合はガチだ。苦手だけど出来るはずだ、努力すれば何とかなるという認識のまま、すくすく成長できればいいのだけれど、その時の衝撃がきつくてこんな仕事したくないと思うこともある。そしてこのような出来事は、対岸の火事ではなく、大きな心の負担となり、”自分は大丈夫だろうか”という不安を、より一層増幅させることになる。まず、電話取り次ぎを専門にする「テレオペ」という仕事がある。お客様からかかってきた電話を取り、故障の問い合わせなら修理部門、物申したいと言う場合はご意見部門、お客様にはおかけ間違いでないか番号の確認を促すなど、お客様の御用に応じて、専門の部署に取り次ぐ仕事である。毎日何百件も電話がかかってくるような会社だと、適切な部署に繋ぐ取り次ぐという業務も重要になってくるのだ。しかし、専門的な話は専門部署に任せられるので、コルセンの中では比較的難易度が低い仕事と言える。またどんな仕事でもそうだけど、その業界、その会社なりのルールというものがある。「透明バッグ」という謎ルール、飲み物は「フタつき」のみ許可、休憩室での「愚痴交換会」たとえば話したいだけのお客様というのもいる反面、数分ならまだいいが、これが数十分続いたりもする。クレーマーもいるが、我等が関西弁よろしくきつい喋り方をする連中もいる。お客様の顔が見えない分態度が明るみに出て、大人でも中身は子供以下のような人々は大勢いるものだ。昔ならTwitter(現:金の亡者X)だが、いまはティックトックだ。薄っぺらい連中や、頭の悪い人間を若いうちに沢山見ておこう。二つ目に「カスタマーサポート」と呼ばれる、お客様の相談や問い合わせに答える仕事がある。テレオペに比べれば難しいように思えるが、受け答えはマニュアル化されているため、即興で答えを考えなければいけないという大喜利仕様ではない。コールセンターで業務を行う上で、最もプレッシャーを感じる瞬間の一つが「待ち呼」の増加だ。高い電話の需要とオペレーターの限られた数の間でのジレンマは、忙しい時間帯に顕著に現れる。そういう時はチームメンバーにサポートを求め、待ち呼の対応を効率化するしかない。なお、逆の立場にとっては忙しい時間なんて分からないし、何度かけても繋がらない絶望に、精神と時の部屋へ行くことになる。自動音声応答(IVR)の「迷宮」オペレーターが「毎回違う」違和感。「折り返し電話がこない」待つ時間。話は逆になるが、コールセンターではオペレーターの業績が、定量的に評価されることが一般的だが、「優しく、親身になって対応するオペレーターほど、成績が低い」という伝説がある。これは、そういったオペレーターが、一人一人の顧客との対話に多くの時間を割くため、対応できる通話数が少なくなるためだ。しかし、顧客からの信頼を勝ち得ることの重要性を説くオペレーターもいる。とはいえ、数値社会、時間あたりに何応対を捌いたかを計測している。通話以外の後処理などに使った時間、その比率も計測している。また、顧客満足度、顧客体験の品質をアンケートや電話の音声から、顧客の感情を分析するツールなどで計測している。世の中って変だなと思うことは本当に沢山あると思いますけれど、そんなことの一つ一つに真面目に考えない癖をつけようね。ウルトラバカ、はいおしまい、頑張ろうぜ。通話あたりの時間は長くなるものの、顧客からの高い満足度と、結果的に高い解決率を実現する人もいる。このことから、単純な通話数だけでなく、顧客満足度や解決率のような質的な成果も評価に含めるべきであるという、そんな議論もある。虫の喰うようにじりじり行き渡ってゆく酷寒の味だね。表面上だけで物事を分かったような気になっていると、取りこぼすものが存外多い。そもそも評価って一人の人間が単純に考えられるものじゃない、世の中には駄目でも馬鹿でも間抜けでも、その人がいるだけで成立している仕事だって五万とあるんだから。あのさ、僕にもどうしてなのか説明できないんだけど、コールセンターで使用されるヘッドセットのイヤーパッドは、長時間の使用に耐えるようデザインされているが、時折、謎の行方不明事件に見舞われる。あのね、神隠しってあるんだよね。妖精さんが、さっき、魔法の粉をまきながら、「あらこんなところにヘッドセットのイヤーパッドがあるわ」って持ってちゃうんだよね、何でかな、よくあるんだよね。最後に「テクニカルサポート」と呼ばれる、パソコンなどの操作方法や問題に答える仕事がある。こちらもマニュアルがあり、答えきれない場合は専門部署に回すことになるので、特別知識が必要というわけではない。クレーマーには沢山種類がいるが、怒鳴るタイプのクレームはむしろ笑えてくる人がいるが、ねちねちと一時間近く説教してくるタイプもいるという話がある。世の中結構頭のおかしな人が多いのだ。世の中にはもう精神耐性を身に着けるしかないという仕事がある。解決策に納得のいかない人には同調しよう。解決に至るまでに時間を無駄に感じる人には、一生懸命できるだけのことはやっているアピールをしよう。怒鳴る人にはむやみに謝らないこと、あまりにひどい場合は落ち着いてもらえるよう丁寧にお願いし、それでもだめなら会話継続は不可能なのでと丁寧に切ろう。頭のおかしな連中に呑み込まれないようにね、ヤクザだろうが何だろうが、警察呼んでね。無茶苦茶なことを言って来たり、対応が困難な場合は、クレーム対応をスーパーバイザー(SV)へエスカレーションすることがある。信頼できる上司がいれば頼ろう、無理なものは無理なんだから。いやいや、コールセンターのオペレーターとして働く多くの人が、経験するのが、保留音が頭から離れない現象ともいう。職業病だね。それに、そういうクレームの多い職業に就くと下手に出るし、相手に気を遣う癖も出来る。何があってもまずこちらから怒らせるような言い方はしないと思うものだ。世の中の馬鹿さ加減に対抗するにはあまりも馬鹿馬鹿しいことだけど、反面教師としよう。多くの屑やゴミのためにあなたまでそうなる必要はないよ。さて「アウトバンド」だが、こちらは会社が用意したリストを元に電話をかけ、お客様に新商品やサービスなどを勧める仕事である。もちろん勧める内容はマニュアル化されているが、ただ読み上げるだけではなく、お客様に興味を持っていただけるトークスキルが必要になってくる。受けに比べるとこちらはいわずもがな難易度が高いが、契約を取るとインセンティブが発生するところもあるようなので、営業力に自信がある者、営業力を身に着けたいという者はあえて選んでみてもいいかもしれない。全然関係ないけど、フィリピンを拠点とした、日本の特殊詐欺グループで捕まった人は、「海外でのコールセンターでの高収入の業務」「海外リゾートで高収入のバイト」という募集(主にSNS系での告知)に応募して、現地でパスポートを取り上げられ「逃げたら殺す」と脅されながら、軟禁状態で違法行為を強制されていた人達がかなりいたらしい。これは話が違うけど、犯罪行為に加担する場合もある。とはいえ、多言語対応のグローバル企業のコールセンターには、本当に高給のものもある。フィリピン、インド、マレーシアなど、欧米企業向けの英語対応、日本企業向けの日本語対応。IT企業のテクニカルサポート、専門知識が必要なため高給だ。フィリピンは世界最大のコールセンター大国だが、合法で、ちゃんとした企業も多い。よく調べるようにといってもやっぱり分からない時もあるだろう、怪しい求人を見つけたら、警察の相談窓口に通報。外務省の海外安全ホットライン、消費者センター、犯罪をしている連中がいる反面、犯罪に加担させられている、強制労働させられているという人もいるのだ。気を付けてね。
2025年10月28日

ベッドカバーを鷲掴んで裸身を仰け反り、 絶頂、収縮、締め付けの最高潮へと、 根を張る記憶。」 (焼け焦げたって (((いいんだ >>>“から”を閉じてゆけ。 “ウイルスのような魔法が解けない” ―――サイクロイドの軌跡。 (「深夜の公園でブランコを漕いでいたんだよ ///夢(は、) 弓なりの咽喉、両眼をカッと見開いて、 汗ばんだ額や首筋へ、髪が。 急降下、口へと舌を差し込まれ、洵涕の、 神経衰弱に一枚だけ黒が混じる。」 ((ただじっと待ってる (((暴れ終わるのを 〔閉じ込められた声が痛い 〕 「操り人形の切れた糸。 「総身へ一条の光が。 “触れて掴んで触って壊した” ―――シーリングファンの音がして。 淫らな唾液の糸を引きながら鳥肌が浮かんだ、 強迫観念とも言える宇宙転変、 ゲームボーイをやったら画面暗すぎて気持ち悪くなった、 閑さや岩にしみ入る蝉の声、 太腿の圧迫感、腰をブルブルと震わせ、 空中分解したプリズムで裁断され、 エアジョーダンでも履くつもり? このキスが終われば渡り鳥の―――影・・。」 (粗末なプロペラは壊れて (((繭に閉じ込められた眼 >>>“から”を閉じてゆけ。 “僕も同じ気持ちだよって笑った” ―――そしてもう二度と会わなかった。 (「東京の高円寺で阿波踊り見ている気がした ///夢(は、) 先程まで、ぐちゃぐちゃと官能的な、 狭穴のこわばりから、硝子体の中を浮遊する、 VTuberがドラゴンボールZのゲーム実況をしていた、 それが―――それで。 甘美な陶酔のうねりに似た奇妙なソプラノの、 おびただしい音させていたのに、 もう星のない夜は終わってしまった。」 ((きれぎれな言葉を吐いて (((快感から抗おうか 〔閉じ込められた声が痛い 〕 「馬が疾走し、疾走し、 「笑ってしまいそうさ、 “SHE それが” ―――僕等にひどい眠気をくれる。
2025年10月27日
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2025年10月27日

毎日ギリギリカツカツの生活をしているご同輩がいるわけだが、これも一歩間違えば同病相哀れむ、家族の誰かが病気になったりすれば生活費は雀の涙、家を買えばローン地獄、そして僕等は税金がなかったらという馬鹿なことを考える。だけど、そういう馬鹿な発想を笑ってはいけない、そこにはルサンチマンがあり、X(旧Twitter)に潜んでいる政治的な攻撃に加え、有名人を自殺に追い込んだりする。一歩間違えれば社会のストレスを生んでいるのは、大元を辿ればこういう税金じゃないかと思い当たることもあるだろう。拡大解釈と言ってはいけない、原始時代と現代とではストレスの度合いが違うはずだと仮定できる、だけど多分僕等はそんなに大きく異なる人生の過ごし方をしなかった。ならば、制度の方に問題があるのではないかと言いたくなる気持ちもある。とはいえ、税が政治家に無駄遣いされているというのは本当だが、官僚達が好き勝手に扱えることは問題だが、国内ではなく国外への政府開発援助はどうか、また、べらぼうに高い防衛費はどうか、ようは、透明性が必要だということは別として、一つ一つがそれなりにはちゃんと機能しているわけなのだ。何しろ税制度の改善は、経済学、政治学、倫理学が絡み合う難問で、専門家でも意見が分かれる領域だ。テレビを見ている人が「俺達の血税を!」的に、額にメロンしたくなる気持ち、あのね、僕分かりますよ。でもね、透明性の徹底を持ち出しても腐敗は起きるでしょう、ただ、第三者機関なり、より厳しい監視の目があれば、搾取している感はなくなるでしょう。表面上はね。累進性の再設計をしよう、格差をなくそう、そうすると、お金持ちは、大企業は外国へ移住します。せいせいしますよ、そして僕等の国はおしまいです。じゃあ、税をもっと実感できる仕組みを作ろうじゃないか、このあたりが適切というものでしょう。税金の一部を自分で使途を選べる指定税のような制度ですね。教育に使うか、医療に使うか、インフラに使うか、少しでも選択肢があれば、「取られている」感から「参加している」感に変わる可能性がある。でも、おそらく何も変わらないでしょうね。防衛費、ODA、公共事業、何が無駄で何が必要かは、価値観の問題だ。みんなそれぞれ、色んなことを考えてるんですよ、もちろん僕はあなたのそういう単純で馬鹿でどうしようもない気持ち、分かりますけどね。重要なのは「削減すべきだ」と叫ぶことなんかよりも、優先順位を民主的に議論できる場があるかどうかです。多分ないでしょうね。これがこの手の話の結論ですよ。もっと時間がかかりますよ。そしてもっともっと色んな手間がかかりますよ。さあいきましょう、皆様方、地獄へと出発進行しようじゃありませんか、腹巻に全財産を入れないと怖くて歩けない社会ですよ。税金がなくなったら教育、医療、福祉、インフラ、防衛、治安、文化支援などが一気に崩れる。あんまり具体的ではないように思えるかも知れない。だけれど、税金がなくなった瞬間に保険証はなくなり、病院は高い請求費を出すことになる。何しろ治療費は全額負担が原則となり、モグリの医者まで出て来るかも知れない。無論、道路、上下水道などの維持は困難になり、凸凹だらけになる。アメリカのように救急車にもお金を取るようになる。警察や消防署も学校も、民間サービスとなる。警察や消防署は、契約者のみがサービスを受けられるようになり、契約していなければ来ないかも知れない。教育は完全に私立化され、裕福な家庭の子どもだけが質の高い教育を受けられるようになる。市役所の様々な手続きにも様々なお金がかかってくるはずだ。もちろん、そういうのを無視してもよいというのなら、つまり子供達が困るのを見過ごしてもよいと考えるのならば、おそらくこの国家はもう駄目だろう。子供がすくすくと安心して成長できない国に未来は本当にない。それをしておそらく批評家はこう思うのではないか、「世界の終わりのような光景」と。そうなのだ、実際に世界が終わった時と税金がなくなる時は、よく似ている。こんな比喩の時につい持ち出したくなるのが、「外国人優遇政策」や「移民政策の加速」だが、(もちろんこれはまた別問題だが、)税金がなくなるというのは、もっとひどいことだ、最初は税金がなくなることでウェルカムムードになり、タックスヘイブンになるが、まともな人達はおそらく国家から逃亡するだろう。何故なら貧困層は無法地帯になり、格差の拡大はとうとう、暴力以外では覆ることのない素晴らしい社会になるだろう。税金がない社会では、富の再分配が行われないため、格差は急速に拡大する。富裕層は自らの資金で教育、医療、安全を確保し、さらに資産を増やしていく。出来レースだ。一方、貧困層は教育の機会を失い、健康を害し、犯罪に巻き込まれやすくなる。階級の移動は困難になり、社会は固定化されたヒエラルキーに支配される。前述したルサンチマンだが、このような社会では、貧困層が富裕層に対してそういう感情を抱き、暴動や犯罪が増加する可能性がある。治安の悪化は富裕層のさらなる防衛強化を招き、社会の分断は深まる。税金による再分配がなければ、社会的連帯は失われ、共感や協力の文化も衰退する。もちろん、そこで生きる人々は極限の自己責任を伴う。病気になっても、事故に遭っても、老いて働けなくなっても、誰も助けてはくれない。社会保障制度が消滅することで、個人は常にリスクと隣り合わせの生活を強いられる。このような社会では、保険や共済のような民間の助け合いが重要になるが、それも資金力のある者に限られる。貧困層は保険にすら加入できず、病気や失業が即座に生活破綻につながる。自己責任という言葉が、冷酷な現実として突き刺さる社会になる。確かにいらないものの筆頭かも知れない、博物館、美術館、図書館、音楽ホール、劇場などの公共施設は、税金によって維持されるが、富裕層向けの高額な会員制施設に変わるだろう。芸術家や研究者への助成金も消滅し、商業的に成功する者だけが活動を続けられる。あるいはよいパトロンを見つけることが成功の近道かも知れない。実験的な表現や社会的な批評を含む芸術は淘汰され、文化の多様性は失われる。あるいは、表面上は規制や監視が緩くなり、ビジネスや表現の自由が拡大する可能性もある。混沌は表現活動において最大のものだ。でなければ、手塚治虫は戦争漫画を描いていない。税金によって支えられていた公共の知と共有の美は、資本の論理に飲み込まれていく。税金が消え、国家が空洞化すると、統治の空白が生まれる。その空白を埋めるのは、武装した集団、思想に染まった共同体、資本に支配された企業国家。信じられるだろうか、税金がなくなっただけで巨大な新興宗教が生まれ、それは別名テロリスト組織であり、そいつは「正義」を名乗り、一切頼りにならないがお金持ちの見方の自営団は「安全」を名乗る。だがそのどちらも、かつての公共の倫理とは異なる論理で動いている。それは、終末の風景における新しい秩序の萌芽だ。でもそこから見えてくるのは、今ある制度の輪郭だ。けして不幸話じゃない、悲惨な未来のシミュレーションの一つでもない、税というものが、どれだけ日常的に見えないところで支えているか、それを逆照射するように浮かび上がらせる。そしてその時にきっと、ゾッとするような想像力で、まったく予想もしなかった別の切り口や抜け道が見えてくるものだ、星が遠く流れていくと思う、そして小さな声は夜のそよ風ほどしかない、だけど、僕等はきっともっとこの国や人々を、愛せる方法を見つけられるはずだ。
2025年10月26日

ピッドアイ・ムーブメント・スリープ、雨上がりのアスファルトの匂い、落とし穴のような暗闇の涼味。優しくて甘くてほんの少し、心が溶けそうで、思わずわたしは足を止める、灯りの中で談笑する人々の姿が見え。時折、車のエンジン音が遠ざかる。綺麗なはずの校舎なのに何故か、あの夏の日を思い出させ。季節はめぐり、卒業した、そして校舎も鉱物めいた鋭い輪郭を見せながら、色絵の具で盛り上がったパレットみたいに、無数の窓が思い思いに色を変える。―――波のうねりのように疲れも見せず、やっぱり君は走り去ってしまう。(消滅する地方ルール、都市伝説、固有名詞が行きかう場所、、、)タッタッタッタッタッ、何だとかない、不思議の国のアリスのうさぎ、ウサイン・ボルトやタイソン・ゲイでも、超えられない、露のしたたりや海面のさざ波タッタッタッタッタッ、何だとかない、ほんのちょっと、もう少しちょっと、いまはちょっとブルー。「ほしが...とおく...ながれていく...よ...」思い出すのは放課後の教室。(ねえ、)二人きりだった、奇跡だった、ご褒美だった、掃除の時間、ぎこちなく箒を掃いている、君の姿をいつのまにか眼で追っていたんだ、“魔法仕掛けの世界に這入って行く”ぐるぐるぐるぐる頭の中を、Ah,ah...あの日のフィルムが、捲っている、手際よくバーコードをスキャンし、ピッという電子音が小刻みに響けばいい。なにが機械化、なにがオートメーション化、痙攣し、身を焦がし、Oh,oh...焼き付いたまんま、リピートリピート、君の香気のもつれ、心地よい冷気、そよ風、胸の奥が時空に溶いて、もう他に何もいらなかったんだ。“ドルチェ&ガッバーナの香水とかいう、フレーズが出てきて不思議な気分だ”おい何笑ってんだよって、(ねえ、)はにかんだ表情と小さな声、真っ赤な耳を見ないふりをした、脳内ウィキペディアは淡い希望を照らし出す、高層建築の高いところでなびいている洗濯物、西陽に舞っていた小さな埃が、きらきらして、この恋は一生に一度かも知れないって、自覚してしまった。―――病める魂のような、青みを深めて透き通る玻璃色の大空。(赤ん坊の電球みたいな無垢な精神が起動し、日常の面倒ごとや卑屈な劣等感すら忘れ、知覚することのできない光と闇の連鎖に欺かれた世界、、、)おやつをもらったゴールデンレトリバーが、わざわざ自分の隠れ家へと持ち込んでゆっくりと食べるみたいに、そんな些細なことが好きだった、愛おしかった、快かった、愛していた。わたしは深く深く息を吸い込む、あの日の空気を独り占めしたくて、でもやっぱりわたしは成長しない、越えられない壁は、攀じ登るものじゃなくて、この壁の何処かにある(ある、)幻のように見えない(ない、)その扉へと差し込む鍵。ロマ/ンテ/ィッ/ク(ク、)だけど、セ/ン/チ/メ/ン/タ/ル(ル、)なんだ。ウッウッウンウーン、何だとかない、最高潮に楽曲に達したシンバル、胸の中のゴム毬は転げ回っているだけ、君のストーリーが無常の息吹に吹き飛ばされて、次の瞬間、恍惚の薔薇色になる、ウッウッウンウーン、何だとかない、結局もうやっぱ、それはもうやっぱ、いまはやばいぐらいのブルー。「せかいが...いまにも...しずんでしまう...よ...」思い出すのは放課後の教室。(ねえ、)二人きりだった、奇跡だった、ご褒美だった、でも木霊のようにぶつかりあって舞いさざめきあうのは、君への後悔、もう一人のわたしが愉快気に嗤っている。《ゆらめき、うそぶき、》(とどろき、うつろい、)―――ショート寸前の、ネバーランドの終着点は―――近く・・。《おぼろめく、せかい、》(ゆららめく、せかい、)―――卒業式のあの日、「また明日ね」って言うみたいに、「じゃあね」って言ったんだ。“魔法仕掛けの世界に這入って行く”ぐるぐるぐるぐる頭の中を、Ah,ah...沈黙さえ愛しい、手際よくバーコードをスキャンし、ピッという電子音が小刻みに響けばいい。パスタ、ポテチ、チョコレート、甘いカフェラテ。(誤魔化したって自分の気持ちに嘘はつけない、)周回軌道、空回り、上滑り、毎日の裏切りや悲しみでさえ、かえって、その甘美さを増して、Oh,oh...だからもっと膨らみは大きくなって、タイムマシン飛び込んで次元の狭間まで、君のいる希望の座標軸まで、リピートリピート、青い夢の中で、勿忘草の声、妖精の粉、胸の奥が時空に溶いて、まだ君の声が聞こえてくる。
2025年10月26日
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ヨネックス YONEX テニスボール ノンプレッシャー(30個入り) TB-NP30 『即日出荷』ひとつのボールが、机の端から落ちた。(ドロップ、)ノンノン、それはスリップ、それは、朝のコーヒーの香りをかすめ、(それはドリップ、こちらはスキップ、)おやおや湯気はスラローム、新聞の見出しを跳ね、“女性の総理大臣誕生”昨日の約束をくぐり抜ける、高原の夏の風、ボールは―――転がる。ボウリングのピンに見立てた、ペットボトルを整列御苦労、“ストライク・・・!”(ボンバー、)バスケットボールの即席ビリヤード台で、ナインボールにブレイクショット、いやいや違うな、ここで言う言葉はたった一つ、“ブレイクショッツ・・・!”(高速トレース、)軌道計算は不能さ、「機動警察パトレイバーは関係ないさ」ボールは―――転がる。本棚の隙間をすり抜け、湿気の海を横切る疾風、「それとも流れる雲の隙間に隠れた旅客機?」祖父の時計の針を一秒だけ止め、(クロック、)チクタク・・・チク・・・、と思ったでしょ、チッチー!違うんだなこれが、チッチキチー、“違うんだよ、それは”猫の瞬き〇.二秒に完全同期、カーテンの影を揺らす。(それは、ウェーブ、こちらはトリップ、)「盗んでルパン」「そうは問屋がおろさぬ銭形警部」ボールは―――転がる。ボールは坂道を跳ねながら、びゅんびゅん回避しながらドリフトし、(自転車に蹴飛ばされ、)バウンド、バウンド、スーパーバウンド!自転車「どけよ!」ボール「こっちが先!」“ミラクル・・・コンボ・・・!”「七色の独楽で虹を渡れよ、君は!」ガードレールでウォールライド決めて、トラックの上で停止し、(ストップ! ストップ!)スローモーション撮影のような、カタストロフィ的仕掛け装置、“トラックの荷台にイン・・・!”信号機のところですうっとボールは―――転がる。それから路上で作っていたパフォーマーのドミノの列、完成途上の三百枚をなぎ倒し、「一網打尽のけちょんけちょん」“華麗にアデュー・・・!”犬の鼻でバレーレシーブを決められ、そらきた、(アンビリバブル、)犬のセッター誕生、ナイストス!「近頃の犬は一味も二味も違う」「ティックトックのせいかな、芸達者」窓の中へと不法侵入し、ピアノの鍵盤を一音だけ鳴らし、(それはスナップ、こちらはコーラス、)「ド」の音だけポロン。誰かの溜息を拾って、ソロさ・・!階段の端で少しだけ迷い、「右? 左?」と迷い〇.五秒、悩むのがミクロ決死隊の宿命、それから、ボールは―――転がる。サランラップの上を橋渡りし、“あの、すみません、おにぎり作っています?”「最中も最中、真っただ中も真っただ中」(狂える象の背中、)電子レンジの上を跳ね、ヘイ!冷蔵庫の上を跳ね、ヘイヘイ!テーブルの上を跳ね、“つま弾かれた弦のごときサキソフォーン・・・!”「これがいい」「これが、これが、いい」それから裏庭へ飛び出し、(自由な世界へとダイヴ!)俺達に明日はない、立ち止まっちゃいけないんだ、そしてそれは死んでいる人間のすることだ、立っている猫の背中を跳ね、再び道路へ、ダイヴ・トゥ・フリーダム!ボールは―――転がる。風の通り道をなぞり、スイスイ。落ち葉の裏に隠れた手紙を捲り、“好きでした、ってどういうシチュー、ごった煮・・?”(プッシュ、)真っ黒いインクはあたかも穴だらけの鍋底でしたけど、青春が動いて女の子が立ち止まり、「この名前・・・・・・」ドンピシャ!忘れられた誕生日の記憶をくすぐる、“もう一つのシチュー、下らない四柱推命”(それはクロッカス、こちらはクロネコヤマツ、)頭の中がミソッカス、セブンイレブンノーミソキン、ボールは―――転がる。ウォータースライダー風の排水溝から、ザバーン、驚いた虫が「うわっ!」と飛び立って、その羽搏きでボールは再始動、ドラムセット乱入、太鼓は連打、(ダカダカダカ、)“祭りの夜は真夜中二時までうるさい説”ボールはリズムゲームのように飛び跳ねた、満点クリア、免許皆伝・・・!噴水の中へと入り射出されて、(チャージ完了! ヴう”ヴう”ヴう”と発射・・!)“すばぎゅこん”シャボン玉と一緒に舞い上がった、空へ、噴水スプラッシュ、シャボン玉ランデヴー、そしてこれが花の散るようなアラベスク、ボールは―――転がる。転がるたびに、世界が少しだけずれる。転がるたびに、世界の日常が書き換わる。転がるたびに、祈りがひとつ、目を覚ます。(クライマックス、)“スルー!”最後にボールは、君の足元で止まる。音を立てて動き出さない時はどうしたらいい?天の部品が壊れた時はどうしたらいい?君はそれを拾う。手のひらの温もりが、ボールに伝わる。(それはシリーズ、こちらはピラゴラスイッツ、)“蜂は光をもスティング・・!”そして、また転がす。光の中に漂う蝶も知らないで、世界は、また動き出す。
2025年10月26日
配信情報:THE MAGAZINE 楽曲紹介https://magazine.tunecore.co.jp/newrelease/493694/春が散る前に、君の記憶を包みたかった──。神八月皐月。の『ハルガスミ。』は、ユーチューブの広告の中で流れていた。僕はまたいつもの広告宣伝費払った類の、下手糞な歌を聴かされるのかと思っていた。殴ったろか、と思うこともある。ひどくなると、プレミアム入ったろか、となる。でも時々は何かいい感じの歌がさらさらっと流れる。おやっと思う。どうせ売れねえだろうなとか思いながら、何しろ米津マッキントッシュ。ああどうせ、誰も聴かねえんだろうなと思いながら。何しろyoasobiはなくそほじる。いやお前、僕に何を期待してんの、滅茶苦茶書くぜ。広告は万能じゃない。世界は何しろ不平等だ。あと、すみませんでした。でさ、ああ、フーッといま煙草ふかしてんだけどね、いいものがきちんと評価されているということは有り得ないし、ただ、それなりだ、そしてその理由を世界観とか、音楽性とか、ビジュアルとか、表現力に求めてみたって見当外れだ。いるんだ、理屈つけたがる奴。百年後でもいいや、読んでみるって考えてみろよ、こいつ絶対馬鹿だぜ。しかもそういう奴が、どこぞの音楽会社の社長だったりするんだ。うんこみたいな話だろ。音楽っていつも新しい表現が先行する。ホリエモンが言っていたんだよね。でもホリエモンが言わないようなことを書くけど、そもそも評価って全部後付けなんだ。何でもいいんだよ、それをローラー作戦、何かあたりゃいい的なライトノベル戦術とするかは別として、誰もその祈りに気づかなかった。視聴数は2,574回。はっきり言って歌はそんなに上手くないと思う、だけど五年後とか、十年後のスパンで考えたら、すごくいいような気もする。最初から出来上がっている出荷可能な人もいれば、それなりの時間経過を経て準備を整える人もいる。もちろん世の中というのはそういう風に見てはくれない。カラオケレベルかよって言う人もいる。僕も昔、兄と一緒に路上ライブをしていたことあるから、何となく分かるな、結局ね、雲のような暗闇が、ドアの形をしてぼうっと浮かんでいるようなもの、わかるかい?何だっていいってことさ。いちいち喋るな、口が腐る。十五歳ぐらいの時に小説の賞に僕は応募したことがある、右も左も分からない、文章とは何かも分からない、レトリックなんて言葉すら聞いたことがない、出来上がったものはもう何かよく分からない代物だった。きっと、初めて歌詞を書き、曲を作った彼等だって、中二病とか、黒歴史とか銘打ちたかったんじゃないか。彼女の声は中性的というか、イケボだ。歌いにくそうな感じが絶えずしていて、僕はそこがいい。色んな人がいて、色んな評価のポイントがある、もしかしたら流儀があり、ある種の合いの手みたいなものも、実はあるのかも知れない。僕には分からないけど、いいって思った人がいりゃそれは覆せないほど、確かにいいってことなんだ。自己肯定感を考慮したらしい最近の歌詞を読んでいると、正直吐き気がするけど、お前、自分のツラを鏡で見て、気持ち悪いって気付かないかって言いたい、自己肯定感は、色んなところに隠れている。潜伏しているといってもいい。外国人が見た日本のいいところ的なニュアンスの動画もそうだ、死ねばいいのにと言いたくなる。何度も言わせるなよ、鏡よ鏡、世界で一番馬鹿な人は誰?僕も歌の練習をしていて久しいから、彼女のそれが多分鼻にかかった咽喉声のようなものではないかと思う。でもそれは否定でも肯定でもない、それはきっと彼女が掴んだ自分の声なんだろうと思う。その曲は、都市の片隅に置かれた、桜の季節を通り過ぎた人のための歌だ。「青さの匂いがした」「青の輪郭」「青く滲んだ」「青い春」からかっている気満々だったら、Jポップって絶対に言う、だけど、青という言葉は、嗅覚で記憶を呼び起こす詩的装置だ。青って不思議な妖精の帯のような気がする。もし、あなたが春を忘れかけているなら、この曲を聴いてほしい。それは、君の記憶の襟足に触れる。声について褒めたわけだけれど、神八月皐月。の資質は、僕が思うに歌詞にある。ちょっと痛々しい歌詞だけど、僕はこういうセンスがすごく好きだ。これはのめりこんで、疲れる類の書き方をする人だ。信頼できる類いの書き方ができる人だと僕は思う。
2025年10月26日
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2025年10月26日

2025年10月25日

名画座で、椅子のスプリングが軋む音とともに終わった。黒澤明の『生きる』だったか、それともタルコフスキーの『ストーカー』だったか。記憶は既に曖昧で、ただスクリーンに映し出された最後のクレジットが、蛍光灯の白い光に溶けていく様だけが、網膜に焼き付いて―――いた。灰色を感じる映画のエンドロールの後、不意に電灯を消した部屋で僕は思った、壁のスイッチをパチンと下げる音が、静寂の中で妙に大きく響く。冷蔵庫のコンプレッサーが低い唸りを上げ、隣室からはテレビの音声が漏れてくる。ニュース番組らしい、アナウンサーの抑揚のない声が壁を透過して届く。こんな場所で薄目を開けながら、思った。翡翠が砕けたらここは美しくなるだろうか、と。畳の目に沿って緑色の粉末が散布され、蛍光灯の光を受けて燐光を放つだろうか。壁紙の染み、天井の亀裂、そういった貧しさの痕跡が、宝石の残骸によって覆い隠されるだろうか。波打ち際から、ざざ、と、鳴る波と、月明かりに照らされた、センティメントな砂浜。記憶の中の、あるいは想像上の、波打ち際。規則的に、しかし決して機械的ではない有機的なリズムで、鳴る波の音。一つの波が砂浜に到達するまでの時間は約七秒から十四秒、上の空で何度もはずみをつけて循環する、深呼吸。この世のすべてとは、このずっと奥、ずっと向こうの、闇が、連綿と、繋がっているということ。宇宙の大部分は闇で満たされ、ダークマターとダークエネルギーを合わせれば、宇宙の約95パーセントは未知の暗黒物質で構成されている。群青が眦を掠めて、ミッドナイトブルーが金魚鉢の中を泳いで、眼の裏の淵へ迷い込む。角膜、前房、水晶体、硝子体、そして網膜。ミッドナイトブルーは視神経を通り、後頭葉の第一次視覚野に到達し、さらに奥へ、記憶と感情を司る辺縁系へと迷い込んでいく。ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリン。シナプス間隙でのイオンチャネルの開閉、受容体への結合、再取り込み機構の抑制。すぐに慢性化中毒を作り出し、安定化は半永久化される。遺伝子から這い出した文化が、運命の怯えの上に構築され、世界はこまやかな皺をよせ、月夜の海をこぼれたミルクのように見せている。ミーム理論で言えば、文化は情報の遺伝子のように振る舞う。でも性的な不能に近い、全体的にダルダルな、一日。ハイデガーは「存在と時間」の中で、人間は「死への存在」であると述べた。死の必然性、そして死の時期の不確定性。この二つの事実が、人間に根源的な不安をもたらす。その不安の上に、文化という巨大な構造物が建設される。宗教は死後の世界を約束し、芸術は不死の幻想を提供し、科学は予測可能性という安心を与える。そして僕はどうだ、何様か? 筋緊張の低下、副交感神経の過剰優位、セロトニンとノルアドレナリンの不均衡。狭い空間の中で寂寥と追憶と破壊と創造に満ちた無秩序が、盲滅法に走り回っている、青の概念。地球儀の上や、グーグルマップや、どんな歴史の教科書とも違う、心の底から、耳や鼻や眼のくぼみの中で発酵した、それが、夢想ではないと、誰かが言い聞かせていた。静かだった。GPS衛星からの信号、三角測量、リアルタイムの位置情報。ストリートビューで見る街並みは確かに「現実」を映しているが、それは二次元の画像データ。それを三半規管の平衡感覚が、蝸牛の音響信号の変換が―――。年表、王朝の興亡、戦争と条約、産業革命と市民革命。しかしそれらは「大文字の歴史」であって、個人の経験ではない。それを嗅上皮の嗅細胞、約400種類の嗅覚受容体、分子構造の認識が―――。「これは現実だ」「いや、幻想だ」「いや、現実と幻想の境界は曖昧だ」——そういった声が頭の中で交錯する。君は優しくて傷つきやすいから、下唇を噛むこともあるだろう、家族の一員のように住居に入り込んだり、友達のなれ合いという名のもたれあいもできずに、君は今日も虚しさと向かい合う。でもそんな暖かさや優しさを持ちながら、君は大人になっていくんだろう。慢性的な孤独は、喫煙や肥満と同程度の健康リスクを持つけど、社会は時に、冷酷さや強靭さを要求する。労働市場での競争、経済的自立の圧力、社会規範への適応。わかったようなことを言われて肯くなよ、人生は長い、誰が本当に正しい人生の理解を示していたのか、もう一度ゆっくりと見抜いてみるといいのさ、傷ついてなお嫌がる眠りにしがみつき、もがきながらの格闘を繰り返す。誰も信じられないという人は見たことがないな、何か自分だけの答えを誰かから学んで生きていく。ボタンを一つかけ忘れたまま、波打ち際を歩いて行ける大人になれよ。ヴィクトール・フランクルが「夜と霧」で述べた、人間は意味を求める存在だ。意味が見出せない時、虚しさが訪れる。でもそれすらも感じない完璧な人間だったら、そもそも生きる意味がないことなんて、一秒でも見抜けそうだって思えて。僕等は誰でも完璧じゃない、小さな欠陥を持つ。しかしそれは致命的な失敗ではない。むしろ人間らしさの証。缶珈琲が冷めない内に、ここへおいで。夜は、一瞬で終わらない、こんな悲しいこと、死んでいる間は生まれてこないさ、時間の制約、機会の窓、今この瞬間の重要性。招待、呼びかけ、居場所の提供。死ぬって大脳と脳幹の不可逆的な機能停止、自発呼吸の消失、瞳孔反射の消失。死後、神経細胞は約3分で酸素不足により壊死し始める。皮を捲ったように赤味を帯びて来る、まだまだ僕等は咽喉を鳴らしている。その振幅がある範囲内で、好きだった人の名前も忘れ、スカートが風に揺れ、レイノルズ数、層流と乱流、揚力と抗力。ブラジャーも動詞として捉えるみたいにさ、胸を支える行為、身体を保持する動作、あるいはもっと抽象的に「何かを支える」という意味にしてさ、毎日を、違う角度で抱きしめなくちゃね。バタ足の練習などしながら、鯉みたいな顔をして煙草を飲んで、眼を瞑れば赤ん坊みたいな白紙に戻ることはないかな―――。僕の身体の何処かに、この世界と同じ大きさの穴が開いていて、そのひずみから胃袋だけの化け物が現れるのさ、ラカンの「欠如」の概念。主体は根源的な欠如によって構成され、その欠如を埋めようとする欲望が主体を駆動する。そして僕は僕を覗き込んだ、無意識からの表象、抑圧された欲望の具現化。フロイトのイド、原始的な衝動、快楽原則に従う無意識の領域。それが芯まで届く深淵というものだ、君にはわからないだろう、そこから君が出てきたんだよ。一緒にご飯を食べたり、一緒のお風呂に入ったり、一緒にお酒を飲んだり、一緒に夜の布団の中へと入ったり、顔の上に蠅を止めて、一歩踏み出せばぬかるみで前へ進めない、人生の困難、進展のない状況、停滞。そんなそんな、夜に。不安の振り子を、遊ばせよう、気分の変動、楽観と悲観の交代、感情の周期性。波紋を広げ、儚く幼稚な愛の在り処なぞを、考えてみたりもする。フィリア(友愛)エロース(性愛)アガペー(無償の愛)ストルゲー(家族愛)どんな博覧強記の人物でもIQ300の彼ですら、世界はほんの一部のほんの一面、心の中に大きな街が拡がっているのさ、壮大な物語が潜んでいるのさ、まだ君は気付いていないね、その風景の一つ一つを名付け、考え、行動に移すことで、すべては大きな枠組みの中のものになる、摂理になる、そのことを僕は説明したい、だけど、説明した瞬間に野暮ったくなるし、説教臭く聞こえるかも知れない。内的世界、心的表象の集合。神経ネットワーク、約860億個のニューロン、約100兆のシナプス結合。各ニューロンは平均7000個の他のニューロンと接続し、この複雑なネットワークが、思考、記憶、感情を生成する。複雑性、多様性、無数の交差点と路地。パリには約6000の通り、東京には約24万の道路がある。それぞれの通りに歴史があり、そこを歩く人々がいる。心の中も同様に複雑だ。記憶の街路、感情の広場、欲望の裏通り。体験から始まるリアルな痛みは君を成長させてくれる、麻薬とか、赤信号無視してノーヘルでバイクで全力で突っ込むとかさ、包丁を持って田舎の家を強盗するとか、詐欺電話で何百万円も巻き上げるとかしなければいいね、止められるかな、止められないよ、一つの問いに答えはワンセットだから、一つの妄想につきまとう夜の傷み。空想力を与えると同時に、客観的に掴む能力を育てる、人間の言葉が分かるって、生に対して拒まれる体験なしに、生まれてこないものだと思うから。役に立たないかもね、無駄な時間かもね、でもエネルギーはゼロにならない、そしてそんな日はもう、君にも訪れている、だろうから。推量、不確実性、しかしほぼ確信に近い。誰もが経験する普遍的な苦悩。成長の痛み、実存的危機、意味の喪失―――。とても悲しいかい、でも夜になる前に、もっと人生や、意味あることや価値のあること、大切なことを見出していこう、僕は思うんだ、それがふとした瞬間にどうでもいいと思え、どうしようもない重荷になることを、その悲しさが生きる痛みじゃないかって、僕は考えるんだ。無関心、ニヒリズム。カミュの「シーシュポスの神話」生き急がないで、ゆっくりと考えて、焦らないで導いてみるんだ、内なる声に従う。ソクラテスのダイモーン、それは良心であり、直観だ。本当に大切なことは指十本もないはずだから。ビルの向こう、水平線、工場地帯、世界は繋がって、接続されて、テールランプやヘッドライトの光る車道、経済活動、そして僕等はいつも何かを探っている、需要と供給、賃金の決定。失業率、インフレ率、金利。気が付けば、何を見ても夕暮れや夜になる、潜在的に、不可避的に、そして体験報告書的な自分が、この宇宙の無常と肩を寄せ合い、静かな呼吸、生命の最小限の営みという、同じ場所で、そっと息をしている。
2025年10月23日

2025年10月22日

2025年10月21日

グーグルマップで向かう。都市の片隅、古い倉庫を改装した、コンクリートと古木が調和した空間。照明は暖色系で、天井からはヒッコリーの薪が吊るされている。ランチの喧騒が去り、静寂が訪れる日曜日の午後。お目当てはスモーキーBBQベーコンチーズバーガー。バンズを両手で包むと、まず掌に伝わるのは軽い温度と、紙のトレー越しに染み始めた油の気配だ。軌道上の迷彩。指先でバンズを押すと、表面の薄い層がさくりと小さな音を立て、内側の綿毛のようなクッションが指に沈み込む。ひとたび持ち上げれば、焦げた小麦とバターの匂いがふわりと立ち上がり、その香りの縁取りにスモークの暗い線がひそむ。木の樹皮が燃えあがるような、奥行きのある香ばしさだ。口に運ぶ前から、視覚はもう準備を済ませている。ポテトで軽く腹を満たし、コーラで舌をリセットする。準備は整いすぎている。グリルで押し広げられたパティの端は、焦げ目が薄く網目を刻んで黒ずみ、表面にはマイラード反応が生んだ微細な結晶のような光沢が散る。生命の残滓。肉の断面は微かに赤みを帯び、内部からは蒸気が立ちのぼる。ベーコンは厚切りで、脂の縞模様が溶ける寸前で止まり、端はカリリと跳ねるように反り返っている。チェダーチーズは、熱の被膜をまとってとろりと崩れ落ち、ソースはその下で艶を放っている。一口め。歯が肉の表面を引っかくときの抵抗と、内部へ進んでからの急な解放感。電光石火だ。外側のカリッとした皮膜は口内で裏返り、内部の肉汁は瞬時に迸る。食欲が亡霊だらけの、ウィンチェスターミステリーハウスであることが悲しい。余韻のある旨味がややもすると呑み込まれてしまいそうになる。なるほどこれは聞いていたよりも危険なバーガーのようだ。オーケー、認めよう、ゾーンディフェンスできなかった、ニューワールドオーダー。それはまるで閉じられた小箱が急に開き、中に詰まっていた時間が一斉に溢れ出すような瞬間だ。これは綿密に計算されている。肉汁の熱が舌の上でわずかに甘みを与え、同時に塩味があたかも拍子を整えるかのように輪郭を引き締める。スモークは単に「香り」ではなく、肉の脂と化学的に結びつき、口腔内でゆっくりと層をつくる。焦げの渋み、薪の燃えた中にあるサトウキビのような甘さ、黒胡椒のほろ苦さ、それらが薄いヴェールのように互いを透かし合う。シャーロック・ホームズが、百四十種類の煙草の灰を見分けることができるという、話があったことを思い出すあれはもしかしたら見た目ではなく、匂いを嗅ぐという行為を含めているのかも知れない。推理とは警察犬に立候補することなのだ。誇張して言ってしまえば、病院の待合室とか、バスの停留所で、知らない人と向きあっているのと同じように、へんに気づまりで、足の裏がむず痒いような心地―――。恐れるな。じわじわ圧が強まる。玉ねぎのシャキシャキはリズムを刻む小さな鉄琴だ。冷たく湿った断面が、熱を帯びた肉の塊の重さを瞬時に軽やかにする。甘くて辛いピクルドオニオンの断片が、酸味の小さな合図を放ってソースの甘さと拮抗する。ベーコンはその中でパーカッションを務める。厚切りの肉の繊維が噛むたびに砕け、カリカリの音とともに燻製の油が舌を滑る。噛みしめると、ベーコンの塩味が肉の旨味を引き出し、さらにチーズが溶け込みながら角を丸めていく。芳醇な旨味が蟹味噌のようにこんなところに隠れている。この食事は安堵のための短い祭礼だ。忙しい日常の断面が一枚切り取られ、そこに豊かさと単純な快楽だけが残る。食べるという行為は、瞬間的に自己を肯定する儀式となる。ソースで汚れた指先を嗅ぐと子供時代の記憶が滲み出し、誰かと分け合った過去の夜の雑談や路上の笑い声が、肉の旨味に溶け込む。BBQソースは表面を薄く覆う色彩的な補色だ。甘さは濃い糖化物の要素を感じさせ、酸味は酢あるいはトマトの酸度が下支えしている。スモーク香と混じると、ソースは液体の絵画になり、味の層を一筆一筆塗り重ねる。チェダーチーズの脂肪分はソースのエッジを和らげ、舌の上ではじめて液状のバランスが完成する。口の中で起きる化学的な調和は、ジャズのセッションのようだ。ひとりひとりの楽器が即興で応答し、決められたスコアはないが全体の構成は崩れない。争点はしかし何をしたところで結局この羞恥は、消えてゆかないだろうということである。おぼろげから次第に鮮明になってゆく興奮、絶頂が、グレネードランチャーを投擲する。何を言っているのだということは出来る。だが、何を言っているのだということを肯定することで、開かれた感覚の世界へとシフトレバーを動かすことが出来る。単純な味など一つもない、完成されたものも未完成なものでさえも、心を傾ければそれは人生の一皿となる。バンズはほんのり甘く、噛むごとにその弱さが強度へと変換される。内層はしっとりと空気を含み、外層は軽くトーストされてあるため、具材の重みに対して驚くほどの耐性を見せる。だが時間とともに脂が染み出し、バンズは次第に柔らかさを失い、端が崩れてくる。その過程自体が一種の儀式だ。指がソースで汚れ、ナプキンを何度も折り返す。唇の端に付いたわずかなソースを舌で舐めると、もう一度食べたくなるから不思議だ。ハンバーガーは手で食べるものだという根拠は、単に合理的なこと以上に、感覚の完全性を回復する所作にある。不意にスターティングゲートに入るのを嫌がる、馬みたいな自分を想った。毎日特に何も考えないで食事をする人もいるだろう、こういう言い方には憐憫や同情、打算と嘲りが混じるかも知れない。自惚れ、酩酊、優越感、違う、僕等は時々本当について触れなければいけないような気がしている、安くてもいい、美味い棒だっていい、そんなに大袈裟な料理じゃなくていい、鯖の塩焼きでも、ぶり大根でも、けれど時々はそれがどういうものなのかを知ろうとする姿勢なしに、無感動に、済し崩し的に食事をしてしまうことから逃れよう。ダイエットの後の食事は美味しい。断食のあとではお粥でさえ美味しい。ところで脇役のポテトは、役割を超えた存在感を放つ。外は細かな気泡を抱えた薄い皮が柿の種のように割れ、内部は澱粉が糊化してふわりと糸を引く。このポテトは二度揚げの技法を思わせ、最初の低温で内部を均一に加熱し、最後の高温で外皮を瞬時にカリッと仕上げている。唐揚げなどにも有効な手法だ。塩は粗粒で振られ、棘のある結晶が噛みしめるたびに塩味の小波を放つ。絶妙な塩加減だ。コーラはそれ自体が清涼の短い小品だ。炭酸の泡が舌の毛を撫でると、甘味の輪郭が一拍置かれ、カラメルの深いほろ苦さと酸の微かな刺激が、肉の重さを中和する。冷気が喉を抜けるとき、鼻腔に残るスモークの余韻が一瞬揺らいで、また食べ進める欲望が湧く。パティに使われた牛は草地を渡る西部の飼育の記憶を持ち、燻しに用いられた木片は南部のヒッコリー、メスキート、リンゴの残り香を混ぜたブレンドかもしれない。BBQソースにはルイジアナのスモーキーさ、カリフォルニアのワインビネガーの酸、メキシコのチリの隠し味が垣間見える。時々は郊外のドライブスルーの後に高台でハンバーガーを食べたいこともある、人生とは何だ、世界とは何だ、答えのない問い掛けをする。僕等はまだ何も見つけていない、だから僕等はまだ何も答えられていない。目の前には冷えた瓶コーラ、横には注文伝票を留めた小さなクリップ、テーブルの隅に置かれた瓶入りのピクルスが口直しの約束をする。
2025年10月21日

2025年10月20日

みらみら、みらいの、ミラー越し、笑ってた(泣いていた)I'd like to dieなんて言っている言葉を、どうしたい? 句読点へスロー、It's also true for youどういたい?いつの間にか忘れていた、この目で見えるもの、斧、Oh...NO‼差し出した(重なった)強く握った(抱きしめた)交差する記念に撮ったフォトグラフ、不安を飲み込んで、キャトルミューティレーションのような、薄めた慈愛とその旨抑える挙動、shadow(station...)腕まくりしてこっちから噛ます野良犬のタロウ、(halation...)狂える期待とこの手を撫でる虚像。同じリズムで滑走する跳ね、跳ね、いてもたってもいられない、UNOしたい、ヨロヨロ、よろめく、夜のログイン、縋ってるチープな憧憬、ポッケにルーペつけたいメモリー、滲んだ扉、錆びたドアノブ、全部帳消しクエスチョンマーク、はぐれた迷子の御伽話、カーテンコールは来ない、Whatcha gonna do?86400秒足りないimpossibleソシャゲ課金で月200万、それでもプレイボール。ピコピコ、ピッチが、ズレたまま、蜘蛛を掴む様なモノガタリ、救いという釈迦、マクドへシャカシャカチキン、君の声だけ、正しくて、嘘くさい、キッチン。パッチワークの夢、縫い目が笑う、「好き」って言葉、バグってる、規制、罵声、余生な、未来、はなっから、ほらね、何処かの目的地、エラー音のリズムで、踊る、条件反射、有毒性、騒々しいほど誰かの言葉が耳障り、余計な心配、よしなに、魅惑の真髄、真空地帯のNO青春!世界だって敵に回せるよ I can do anything治療は難しい難病宣告残酷、君の既読が、世界の終わり。0と1の隙間で、息をして、曖昧、大概な、非表示。消さないで、汚さないで、酔いが夢じゃないと、ねえyou盟友、Whatcha gonna do?生命線見せて蓮の花開いて、デジタルの海に、溺れてる指先。文字化けした不完全な心で、ノイズまみれの、この気持ち。理性、知性、個性、ウザい、息苦しいこと甚だしい、思い違い常日頃、エンコードできない、流れる血も涙も息も絶え絶え身悶え、これってはっきり明確なラヴィ。三角。丸。四角。っていうところの資格。ヨロヨロ、ヨロイを脱いで、槍だって降ってこい、死角。しまいきれてない表情、ボカロの心臓、借りてみた、(禁止されております)アポロは甘い、あーだこーだと演じ合いメーデー、(条例により禁止されております)被害者面したモルモットのホリデー、偽善者、不審者、配信者、でもね、この声、ちょっとだけ、君に似てるから、返せない。1000円なんて微々たるもんっしょ、用なしのハートビート、歯医者、ハローワークインターネットサービス、Bat 煽ってないで、流れ着いた、いま、大海原でボートを漕ぎだす、かもよ。借り物の思考、やがては心に染み込んでくよ。セイレーンがこちらを見つめて、くる。くる。くる。I'd like to dieなんて言っている言葉を、どうしたい? 句読点へスロー、It's also true for youどういたい?合成された、感情も、重力の跡に誰か応えて部屋の隅、リアルより、リアルな電脳城、ヴァーチャルな、この痛みが、最高級のほめ殺し、ホメオスタシス、弱ったままじゃ止まれんのよ、急カーブ、赤信号、四肢をほうり出して、消えないまま、レンダリング。Whatcha gonna do?遅延する、この想いを、君のタイムラインに、投げ込んで、爆速会議、クラッシュしそうな、この世界で、唯一の真実は、君だけ、彩度も輝度も変わらんのよ。差し出した(重なった)強く握った(抱きしめた)
2025年10月20日

放課後の校舎裏、夏の終わり。君の笑顔が世界を照らす、オレンジ色の温もりのように、恋は不思議だね、墜落の夢への急速潜航、それとも不思議の国のアリスの兎の穴?鏡の回廊も、太陽に輝く美しい幾何学模様の植物も、神話の神々が戯れる泉水もない、何の変哲もない、有り触れた、右から左へ流れていくだけの暗渠みたいな毎日だけど、オレンジ色の粒子が宙を舞って 君以外全部、曖昧にブレた残像だ。心臓の音はもう、レート・オブ・コンコーダンス―――して。現在起きている現象の根源を過去に探り、未来に垂れこむ暗雲を予兆させるとしたって、したって、さ。「ねえ、アタックポイントの高い、その笑顔は違法だろ?」放課後のチャイム、下校時刻の、まだ空気に溶けきらないうちに、また明日のことを考えている。君は赤信号にアクセル全開で、踏み込むような明晰夢のごとき、陽キャであり、リア充であり、そして何故か僕の隣にいる恋人。君と会って、異なる目的や背景を持つ人々が、一つの力や目的に縛られず、それぞれの考えや価値観を交換するのを、何となく、信じられるようになったん―――だよ・・。走り幅跳びしたり・・・、障害物競走・・・しながらね・・・。夕焼けが 君の髪を金色に染めるたび、僕の胸の奥で 何かが跳ねる。心の奥で静かに灯る、(ああ、いいなあ・・・)小さな勇気が炎になる。(割れたピンポン玉のような、ぎくしゃくとしたリズムを、たまらないと思え―――て、さ、)風に舞う髪も、(手垢のついた言葉も、いいね、)煌めく光も、(ああ、陳腐すぎるその言葉も、いいね、)全部が君を輝かせてる。停電のおしらせとか、断水のおしらせみたいに、どうか、その存在を消そうとしないで。アブソリュート・ラブ、最高値更新!細胞の奥まで染み込む、サブリミナル・エフェクト?天変地異だって、呼吸しているものすべて巻き込んで、一緒に歩いて行けそうなん、だ。決意を秘めたようにゆっくり一歩ずつ、踏み出すラストシーンみたいにさ、行こうよ、異なる方向を向き、交差し、時に蛇行や後ろ向きになりながらも、道は続いて―――いく・・。メニューを開けば、優雅なタイポグラフィで並べられたコーヒーや紅茶の種類、デザートの写真が目に飛び込んでくるような時代。鞄の端に小さなストラップ、夏祭りで取った金魚の形。もう色褪せているのに、それを揺らして笑う君が、世界で一番新しい、―――楽園。それは多分、恋ってやつで、それはきっと、君の笑顔のせいだ。落ち葉がくるくると舞う午後、制服の袖が風を受けて、君の笑い声が 空に溶けていく、(Ah...異教的な器官による血液の奔騰...)まるで、世界が君に恋してるみたいだ。(Ah...青春の肉へ嬾い逸楽の揺蕩い...)「ねえ、明日も晴れるかな?」君がそう言うと、僕は空にお願いする。(何千という機関中で狙い撃ちされてもいいような、そんな気がしたんだ、、、)雲よ、どいてくれ。太陽よ、君を照らしてくれ。(世界中を敵に回して、君と僕以外さえいれば、それでいいような気がしたんだ、、、)西洋のファッションに欠かせなかったコルセットは、よくよく考えると変だよ、肩パッドや、中国の纏足ぐらいね、女性のウエストを細く締め上げる行為は、一体どこから生まれたんだろう?風がふっと頬を撫でて、絵を描いていく過程を楽しむモーションペイントのように、君の髪を連れていった。そして、ね。そして、ね。過ぎ去ってゆく時に、口を開く預言者。その瞬間、僕はようやく気付いたんだ。ああ、好きって、誰かの幸せを願うことなんだ。アブソリュート・ラブ、超新星爆発!細胞の奥まで染み込む、このリビドーのデフラグ。鼻で笑った陰謀論で、世界が明日終わるとしたって、ファー・イースト・リサーチ社の、徹底的な追及が求められるね、滅びの美学、線香花火一抹のさみしさじゃなくて、最高のハイタッチを決める、さ。莫大な計算量の物理シミュレーションでもしている世界だったら、フィラデルフィア実験みたいな、異次元の口が開くかも、そら、チェンジ・オブ・ディレクションへ・・・・・・。胸が熱くなって、空が眩しくて、何もかもが特別に見える。君がいるだけで、明日が楽しみで、どんな日だって、笑顔になれる気がするんだ。「ありがとう」って、「一緒にいられて幸せだよ」って、燃えるような情熱も、(AH...諧謔と洒落の無尽蔵の源泉...)穏やかな優しさも、(AH...匂いを感じる時に働く鼻の奥の神経細胞五〇〇万個...)全部ひっくるめて、これが恋・・・・・・。恥ずかしい気障な台詞を言いたい気がする、やめろ―――駄目だ、のたうち回る未来が確定する・・・やめろ・・・、でもゲシュタルト崩壊した・・・未来に君はいる・・・、スライム化現象・・。「世界は黄金色の麦穂の傾きの中にある」「え?」僕の未来を照らしてくれる。小さな光でも、僕には十分なんだ。手をつないだ瞬間、風が祝福してくれた気がした。ご都合主義だな、オッカムの剃刀って言ってくれ。世界はその瞬間をポケモンGOにしていた。制服の袖を通る風は優しい、蜜の味、歓喜、熟れてゆけ、こんな気持ちがいつまでも続くように、夜に駆ける、群青、たぶん、アイドル、怪物、あの夢をなぞって、メロディだ、メロディだ、メロディだ、(馬鹿な歌、間抜けな歌、)でもそれが必要だと思える根拠があって、きっとそれが僕等の感性だとすり替えられる、(おかしな歌、奇妙な歌、)僕は海の中に延びている突堤の先の、灯台を憶った。秘境駅の乗降客数をカウントするみたいに、何処にでもありそうな思春期を生きているわけだけど、大混乱スマッシュブラザーズみたいな会話しよう、よ。君の体温が、僕の世界をあたためてくれる。異常な軽やかさを感じているから君へと伸ばした腕は、裸の枝だ、錘だってない、でも生きてる気がする、君が笑うと、空が踊る、阿吽の呼吸と、メリハリ。喜怒哀楽に応じて百面相のように変わる表情。世界が踊る、夢のように、風のように、ああ、芳香性幻想が廻―――る・・、ソドムとゴモラでも、分裂症的愛憎でも、頽廃芸術でも、エルヴィラ写真館でも、黄昏時は複数の時空が複雑に交錯した空間表現、鮮やかな色彩の乱舞なん―――だ・・。僕はそれを青春という言葉に縮小し、宇宙という言葉にまで拡大できただろ―――う・・。
2025年10月19日

六等星とスプートニク木陰に佇む、淡い夏の終わり。 鉄柵の向こう、斜位相、揺れる夕焼けの色。 二人は何かを期待している表情を、しているのに気付く。吊るされた柄杓の音、鳥居、縁日、花火、サイトスペシフィックな感性を刺激され、日々そこに暮らす人々や動植物、美しい風景や力みなぎる祭事など、その生き生きとした一瞬一瞬が、集向系だけど、風に軋むたび、 二人の影は、一瞬ごとに深く重なり、いわさきちひろのような少女の俤がすっと垣間見え。息遣い、君の髪に落ちるたび、世界の輪郭が、「逃げていく」のだ、「ここ」にしかないのに、少しずつ壊れていく、解像度、束の間、泡沫、許された自由な内面世界の延長線上にある、僕と君の夏の終わり。制服の袖が触れ合う、そのわずかな熱。 見上げる瞳に映る、遠い未来の幻。 六等星とスプートニク。あと少し、あと一秒、時が止まればいいと、 唇にかけた言葉は、波にさらわれる砂。教科書の隅に書いていた落書きも、授業中に受信したメッセージも嘘みたいで。君の睫毛の影が、僕の唇を掠めた時、時間がふと、呼吸を止めた気がした。「好きだよ」言えないままでいる、この胸の痛みは、 初めて知った、迷宮での幻聴や、迷いの森での案内する声・・。願いは、空中で固まり、 重力さえも失って、宙に漂うだけ。 なんて虚しいんだ、胸が張り裂けそうなほど切ないんだ、やがて来る孤独を、抱きしめ合う、この瞬間、本当は誰より一番分かっているくせに。単細胞生物から軟体動物、そして脊椎動物哺乳類の人という進化の長い時間の最初の一幕。 ヘッドライトに照らされたクリーチャー達が、見上げている、見上げている、暮れなずむ蝉時雨を。藤棚の下で、君の手のぬくもりを数える、光は嘘をついて、永遠のふりをしている。涸れた井戸に石でも放り込むみたいに、そんなに単純じゃない。それは、膿んだ傷口のように燃えた。でも心の底に流れている言葉は知っていた、何の衒いもなく、他愛もなく投げられた言葉は、歳月のあまりの無常さを知ってい―――る。脳は風船と化して形而上の宙に浮かび・・。目蓋の裏の中の幻燈の人物を焦がした―――ろう・・、ああ、穏やかな、アルカイックスマイル・・・・・・。ああ、君の匂い、君の体温、君のすべてを、 焼き付けておかなければ、心臓が動かない。 やがて夜が来て、この光が消えても、 僕は、この胸のひび割れを、愛し続けるだろう。見たいという欲望はこの夜、時計の硝子面を鏡という静謐な奥底にする。人の心を知りたい、分かりたいっていうのは、透視したい、未来を読みたいっていうことなんだろう―――か、頬の濃淡のように筋肉がちらと動くのが分かる。鼻の尖端から唇へかけての横顔の曲線。「ありがとう」と君の唇が動くのを見ていた。ルノワールの“ムーラン・ド・ラ・ギャレット”を思い出す・・。舞踏る―――転轉る・・・。口許を細長くきりっと結んだあの形。優しさに戸惑う、森のうすぐらい湖のような形状・・・・・・。言えなかった「好き」も、寄り添った Sun and moon言ってしまった「さよなら」も、秘密の鍵 Hug and kiss失いたくない、と思う。忘れたくない、と思う。手放したくない、と思う。だけど、それを選ぶ権利が果たして僕にあるのだろうか、彼女は引っ越しをする、彼女には自分とは違う将来の夢がある、いま子供っぽい感傷で繋ぎ止めるのは、引き留めるのは、きっとお互いの負担になる、好きな人からきっと僕等は傷つけてゆくから。もうすぐ童話のタイトルみたいな雨が降るかも知れない、ペトリコールとゲオスミン、どうするのって聞いてほし―――い、“きみ”・・。どうするのって項垂れるしかな―――い、“きみ”・・。
2025年10月19日

ぼんやりと坂道を原付で走りながら、男性の出産についてふとしも考えていた。シュワルツェネッガーの映画の影響かも知れない、予告だけ見て映画は観なかった、何故かは分からない、でもその一瞬の映像が何故か心に残る。バベルの塔は否が応でも―――興奮する、いまは「彼女いるの? あごめん、彼氏かな?」と聞くような時代、しかし何だか変声期前の少年にでも、戻ったような気がし―――た・・。男性の出産、技術的には、いつかは可能になる。同性愛者の問題、少子化の問題というよりも、来るべきか、来てほしいか、というその時の価値観次第なのかも。スマホの画面に、『料理教室・手作り体験』の文字が踊るんだよね。子宮移植や人工子宮の研究は進んでいて、理論上は将来可能になる。とはいえ、医療リスク、社会制度の変更、文化的受容など、クリアすべき課題は山積みだ。どちらかというと、実現できる段階で足踏みする可能性は大いにある。ただ、その前提として、つまり背景として、そんなことを考えていて文明のレベルが発達、あるいは進化するにつれて、「結婚しなくてもいい社会」や、「出産しづらい社会」が生まれることを考えたからだ。エジプト第四王朝のクフ王が建造したと言われる、ギザの大ピラミッドで、電磁波のエネルギーが、三つの部屋に集中することが明らかになったという話を思い出した。夜の世界―――霊の世界・・・名伏し難い宇宙・・・・・・・・・。「命というのが簡単にもてあそばれている時代だ、だったら命というものを管理していく社会はどうなんだ?」経済的自立に必要な教育期間が延びれば出産年齢は上昇し、個人主義・自己実現の価値観によって結婚・出産の優先度は低下し、都市化・核家族化で子育て環境は悪化し、労働時間・キャリア形成で出産との両立は困難を極める。これは都市の病といえるものだ。あるいは人間が単純なプロセスから、複雑なプロセスに推移したのだということは考えられる。ならば、「男性の出産」「子供の出産」というのもいいんじゃねえのか、と馬鹿なことを考え始めたことによる。ああ、原付はそろそろ公園に通りかかるぜ、ピクニックシートの上で手作りのお弁当を広げる親子が素敵だね、いや僕も、ルサンチマンじゃないけど、子供を作っていたらどういう自分だったんだろう、という妄想を一度や二度は経験する、四十にもなるとね。文明の発展と生殖からの距離というのは、かなり的を射てる観察ではあるけれど、男性妊娠という選択肢の拡張、年齢による制約を外す、生物学的時計の書き換え。おいおい君はさ、妊娠するのを心霊スポットか何かと思っているのかい、妊娠は怖いわけじゃない、そしてこれは別に、肝試しとかいうわけじゃない、たんなる丑三つ時の、丑の刻参りというだけ、さ。十分怖いじゃないか。もちろん小学生でも中学生でも子供は生める、でも倫理的の完全に別次元の話だ。身体的リスクを伴うし、発達途中の身体への負担、心理的影響、同意能力の問題、児童保護の観点など、ある。一七八四年に、魔術師カリオストロが、リヨンにあらわれて秘密結社のロージュを開いたみたいなものだ。それは様々な記憶がジグソーパズルになってゆくという妄想をさせる・・。十代で子供産むっていうより、十代で性 行為をするというのが、僕にはちょっとお前いい加減過ぎやしないかと思っていた。人生を棒に振る、相手の時間を奪う、昔は堅物だったのさ、でもコンドームやピル飲めばいいんだよって思いながら、性 行為というのが結局たんなるスポーツ化したような、気持ち悪さもある。でもその気持ち悪さと向き合う、それが夜の歓楽街だよね、どうしてムフフなビデオは蔓延ったのか、夜の休憩所は充実したのか、本能や遺伝子っていうものが、生み出した螺旋構造だよ。またそもそも「生物学的に産めない」からではなく、「社会的・経済的・心理的に産みたくない/産めない」からだ。だから仮にそれが成立しても、男性同士でもどちらが産むかの押し付け合いになったり、子供は子供で教育・自己形成の時間がさらに奪われて、根本問題は悪化するかも知れない。斯くの如く赤い厳めしい、モルグ街から出てきたような不気味な鳥居を、臨場感たっぷりに潜ったら、長い石の階段を昇って、ねばねばする毒物のような境内、それから本殿へ。そうなってくると当たり前のことしか言えなくなるわけだ、「子育てと労働・教育の両立支援」をしよう、「経済的負担の軽減」をしよう、「多様な家族形態の受容」をしよう、「出産・育児を個人の犠牲じゃなく、社会全体で支える仕組み」にしよう。小学生だって分かる、そんな単純じゃねえんだよ、おとといきやがれ。「子育て支援は充実してきてるのに、何故少子化は止まらないのか」っていう矛盾はかなり大きな溝。みんな本当はわかっちゃってるんじゃないの、時代は変わったんだよ、価値観は変わったんだよ、もう幸せな家族のイメージは崩壊しているんだよ、そして子育てはゲームだってみんなわかってるんだよ、ガチャみたいな運要素、攻略法みたいな育児本、リセットできない人生ゲーム。もちろんみんなそうじゃない、みんなそうじゃないけどイメージは変えられないさ。児童手当の拡充、育児休業制度、保育園の無償化各種税制優遇など、これらは増えてる。これからもっと増えてゆくと予想される。ギャンブル国家の不思議な社会主義の名残。逆に、独身者、特に独身男性からすると、配偶者控除なし、扶養控除なし、児童手当なし各種手当なしという、税金と社会保険料だけはしっかり取られる、搾取構造になっていく。真綿で首にアナコンダしてゆく、じわじわ締め上げてゆく。だからってわけじゃないけど、僕はドラッグストアでカードを作りたくなかった、値段が変わるのも全然好きじゃなかった、こういうことをする限り、いつか何処かで破綻することを知っていたからだ。それは外国人労働者を安易に増やすことで、経済の低下を招くようなことだ。となりのトトロを観た後に、日本の原風景に感動するようなものかも知れない。田舎から都会に出てきて、夜でもみんな活動的、夜行性なんだ、オリジナルラブの人も歌っていた、それは関係ねえよ。でも結構好きだったんだ、なんだろうね、あのしゃがれ声。とはいえ、贅沢言うなよって向きはありつつ、支援が「ある」ことと「足りてる」ことは別の問題だ。保育園入れない(待機児童)育休取ると出世に響く(特に男性)時短勤務で収入減。教育費は右肩上がり(大学まで二〇〇〇万円超)学校の教室から見た夕方の廊下の闇が不意によぎる。振り返ると、ドラえもんのヒカリゴケみたいな、嘘寒い都市の夜景―――だ・・。「結婚しなくてもいい社会」や、「出産しづらい社会」は、価値観の多様化で、結婚しなくても幸せ、子供いなくても幸せ、ということだ。リスク回避志向、個人主義、という言い方をしてもいい。“ケロイドの部分”なんだ。“一生ふさがらない傷”なん、だ。息の合わないリズムや、雰囲気や匂いの侵蝕。透明な感覚で、四角く区切られていて、それはもう映画みたいなスクリーン―――で。「独身男性に真綿アナコンダしてる間に、誰も子供産まなくなって、結局みんな共倒れ」っていうディストピアが見えてくる。アコデセワ呪物市場、それともウィンチェスター・ミステリーハウスだろうか。ロールシャッハテストする。で、その先に「じゃあ技術で無理やり産める期間延ばすか」っていう、最初の僕の発想につながる。でもそれって、「産みたくない社会」を放置したまま、「産める身体」だけ増やそうとする倒錯だ。マリオカートをしながら身体を動かし、扇風機でワレワレハウチュウジンダとやる、夏の日の間延びした空気を思い出す・・。僕等は確かに少年や少女のまま、年齢を重ねる意味みたいなものを放棄し始めたのかも知れない、なんてね。
2025年10月18日

Layered Comfortこの秋、纏うのは"エモーショナル・レイヤリング"単なる気温調整のための機能服ではない。それは、内面のアフェクトと、都市のマクロコスモスが交錯する瞬間に生まれる、緻密なテクスチュアル・ナラティブ。わたしだけの戦闘服。Amazonで売ってる、シャボン玉が出るカメラが欲しい―――ね。風が、肌にそっと触れる瞬間。それは、シーズンの幕開け。偏西風の残滓が都会のヒートアイランド現象によって変質した、微細な冷気。首筋の産毛をわずかに揺らし、末梢神経に秋の到来を告げるシグナル。ヴィンテージライクなテラコッタカラーのカーディガンが、秋のシルエットをトレース。この色は、マンセル値でいうところの「黄赤」の彩度を極限まで落とした、フィレンツェの屋根を思わせる経年変化した煉瓦色。あなたは、“そういう人がいる”と、“この人もきっとそうだ”を接続しているにすぎない。UNIQLO Uのオーバーサイズニットを肩から落として、今季らしいリラクシングなムードを演出。まるでポンチョのように、無造作に肩から、アシンメトリーなドレープを描いて落ちている。これは、シム・デザインにおける「ノームコア」の系譜を汲みながら、あえてリラックスしたデコンストラクション的なムードを演出する。このレイヤリングの構造は、ポストモダン建築のファサードのように、機能性と美学を両立。眼を瞑ったら、熊が踊りましょうと言ってくるかも知れない。ハルキ・ムラカミの神話。足元は、機能主義を体現する北欧ブランド、COSのチャンキーソール・レースアップブーツ。そのバルキーなラバーソールは、都市生活における接地面積を最大化し、アーバン・アドベンチャーのエッジを効かせている。一歩踏み出すたびに、アスファルトの上に散乱したプラタナスの枯葉を踏み潰す、パリッ、カリッという音が、周囲の環境音、救急車のサイレンのドップラー効果や、エスプレッソマシンの蒸気音とセッションを始めること間違いなし、わたしだけのストリート・ミュージック・コンクレートを奏でる。分かっている、それがファッション雑誌の手口、マイナーなものでもアンダーグラウンドでも、ご都合主義的に結びつけるというしたたかさと、その奥にある行き過ぎた愛の膨張による蒸気機関車。ネックにはブリティッシュトラッドの文脈を再解釈した、ACNE STUDIOSの大判ラムウール・チェック柄マフラー。その大胆なタータンパターンは、一瞬の視覚的なノイズを挿入する。あえて片方を長く垂らし、もう一方をコンパクトに巻き込むというアシンメトリーな結び方は、不安定な均衡を保ち、見る者に構成主義的な緊張感を与える。下半身では、細かく精密に折り畳まれたポリエステル素材の、マイクロ・プリーツスカートが、ウォーキング・モーションの際に、風を切る音と、布が揺れる運動エネルギーに呼応して、ノスタルジックな視覚残像というビジュアルを紡ぎ出す。それは、時間が細かく畳まれた時間のプリーツのメタファーだ。クリスマスツリーの星にでもなったように、いい場所を見つけようよ、隠れ家的なカフェへお出掛けしよう、時間はあるよね、だってドキドキはプライスレス。上半身を覆う&Other Storiesのローゲージ・ケーブルニットの、立体的な編み目には、去年の秋の、特定の場所と特定の光の下でのエピソード記憶が潜在的に宿っている。手のひらが触れるそのアラン編みの凹凸は、触覚による記憶のレトリーバルを誘発する。サイドポケットには、無色透明のシアバターを主成分とする、お守り代わりのリップバーム。その匂いは、微かにサンダルウッドの香りを放ち、私のセルフ・コンフォートのための小道具。袖口から、意図的に長く出した指先。そこからこぼれるのは、まだヴァーバライズされるには繊細すぎる、未だ名前のない想いの温度。それは、手のひらの皮膚から放射される赤外線の微細な熱量として、街の冷たい空気の中に溶け出していく。近代的なストリートの、高層ビルディングのガラスファサードに映る私の像は、ミザンナビーメの原理で、現実よりも解像度の高い鏡像となっている。その像は、いつもより少しだけ、自分の人生というナラティブのフォーカルポイントにいる、主人公。首を傾げてよ、ガール、ガール、ガール、その仕草がどんな会話よりも深く感じられるから。この秋のコーディネートは、単なるファブリックの組み合わせじゃない。それは、エモーションという非物理的な層を、カーディガン、ニット、マフラー、スカートという、物理的なテクスチャの上に、ミルフィーユ構造のように、幾重にも重ねていく、現象学的実践。「今日」という一回性の支持体を甘く見るなよ、繊細な色彩と質感の階層で、スタイリングしていく哲学。あなたのオータムストーリー、そのプロット・ポイントは、もう始まっている。一生に一度しかないこの一瞬のクオリアを大切に。それは、自分自身という内部環境と、あなたと世界という外部環境の間で、絶え間なく巡る、フルボリュームオーケストラ。
2025年10月18日
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