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一月の午後、幹線道路沿いにある喫茶店の窓際で、一枚のチラシを眺めていた。店内には、豆を挽く音、スチームの噴出音、食器の触れ合う音が層になって漂い、窓の外では、配送トラック、路線バス、電動アシスト自転車、折りたたみ自転車、シェアサイクル、高校生のママチャリ、買い物帰りの高齢女性の前カゴ付き自転車が、まるで異なる速度の血流のように交差している。信号が赤になる。自動車が止まる。自転車も止まる。歩行者が横断する。そして信号が青に変わった瞬間、それぞれの速度が再びほどけていく。自動車は時速四十キロ、五十キロへ。電動アシスト自転車は人間の脚力にモーターの補助を加えながら進み、歩行者は一秒に一メートル前後の速度で横断歩道を渡っていく。同じ道路の上に、これほど違う速度の身体が存在している。考えてみれば、道路というものは奇妙な場所だ。誰のものでもないように見えて、実際には誰にとっても必要で、しかも、その使い方には膨大な規則がある。ブレンドコーヒーを一口飲み、もう一度チラシを見る。そこには、自転車のイラストと、交通ルールに関する説明が並んでいた。 *今まで注意で済んでいた自転車の違反に、お金を取る仕組みが入った青切符制度。それは、これまで「お巡りさんに叱られて終わり」だった牧歌的な世界に、初めて領収書と違反点数と、冷徹なクラウドデータベースが持ち込まれるということを意味していた。つまり、あの「叱られて済む」という、ある種の甘やかしにも似た温情のシステムが、機械的な行政手続へと置き換わるということだ。それは、少年時代に交番でおまわりさんに、「危ないだろう、気をつけなさい」と言われて解放された記憶を持つ者にとって、ひとつの時代の終わりを告げる鐘の音でもある。近代国家が、ついに路上の最後のグレーゾーンにメスを入れたのだ。二〇二六年四月から、自転車にも交通反則通告制度、いわゆる青切符が導入された。対象は十六歳以上。人間の骨格が完成に近づき、ペダルを踏み込む脚力が原付バイクの出力に匹敵し始める年齢だ。十六歳未満は原則として通告制度の対象外だが、だからといって自由奔放に走れるわけではない。児童・生徒であっても、悪質な違反や事故を起こせば、家庭裁判所、少年法、保護者責任、不法行為責任に基づく民事賠償、学校指導、地域社会の監視の目線が、幾重にも折り重なって降りかかる。未成年というシールドは、もはや物理的な衝撃はおろか、法的な衝撃をも吸収しきれなくなっている。入管法改正に伴うビザや在留資格の手数料を上げる話は、他人事だったが、こちらはそういうわけにはいかない。在留外国人の多い街区では、母語の違う利用者に向けて、警察署がベトナム語やネパール語が併記された多言語のチラシを配り、自治体が国際交流協会の窓口で通訳を交えた説明会を開き、自転車店の店主が「ヘルメット、ライト、ベル、反射材」と片言で繰り返す。制度は、国境を越えて暮らす人々の生活にも、静かに、しかし確実に侵入してくる。グローバル化の波は、ギグワーカーの背負う保温バッグの揺れと共に、日本のローカルな路地裏まで浸透しているのだ。何しろ他人事ではない、高校生、大学生、通勤の会社員子供を送り迎えする親、買い物に行く高齢者、みんな自転車に乗るから。日本の自転車保有台数は約六千万台といわれている。ほぼ二人に一台。この国で「自転車に乗らない人」を探すのは、「傘を持っていない人」を探すくらいに難しい。そして次の違反は自分かも知れないと、嘘偽りなく、素直に信じられるようなものだからだ。 *朝七時四十分、駅前のロータリーでは、指定の通学鞄を背負った高校生が、ノイズキャンセリングイヤホンを片耳だけ外し、母親が重心の狂いを腕力でねじ伏せながら後部座席に子供を乗せ、高齢男性がネギの飛び出した買い物袋をハンドルにぶら下げ、フードデリバリーの若者がスマホを、ハンドル中央にマウントで強固に固定している。それぞれの人生が、直径二十六インチか二十七インチの、アルミ合金の車輪の上で、かろうじて均衡を保っている。だからニュースになると、案の定、大騒ぎになった。個人的にはこういう行政上のことで、過去一、てんやわんやの印象を受けた。SNSでは、反則金額の一覧表が画像として拡散される。画像はしばしば例外を削る。「原則」と「例外」「違反」と「直ちに反則処理されること」「罰則」と「反則金」法律の世界には細い線が何本も引かれているのに、SNSの画像では、その線が一本に見える。テレビのワイドショーでは、スタジオのコメンテーターが「そこまでやるのか」と眉をひそめ、ラジオの深夜番組では、自転車通勤のリスナーが、「毎日通ってる道が、急に教習所の試験会場みたいになった」と呟く。役所の窓口では、クレーマー気質の市民からの問い合わせの電話が鳴り止まず、警察署の交通課では、若い警察官が分厚いマニュアル資料を片手に、同じ説明を何度も繰り返している。あるベテラン警察官は、取材に対して、「昔は『気をつけてね』で済ませたことも、今は記録に残さなければならない。現場としては複雑な心境だ」と語った。その言葉には、法執行の厳格化と、人間関係の希薄化という現代社会のジレンマが滲んでいる。なお、よく話題になる違反は、「ながらスマホ 12,000円」「信号無視 6,000円」「逆走 6,000円」「一時停止無視 5,000円~6,000円」「無灯火 5,000円」「傘差し運転 5,000円前後」「イヤホン運転(周囲の音が聞こえない状態)5,000円前後」など、だ。ながらスマホの一万二千円という数字は、ちょっとしたビジネスホテルの一泊分だ。ドイツでは、自転車に乗りながらスマホを手に持つと、五十五ユーロの過料が科される。オランダは二〇一九年に自転車での手持ちスマホ使用を禁止し、当時の罰金は九十五ユーロだった。自転車大国と呼ばれる国ほど、実は自転車に容赦がない。「自転車を大切にする国」とは、「自転車を甘やかさない国」のことなのかもしれない。金額だけを見れば、ランチ一回分、ハードカバー二冊、映画一本とポップコーン、あるいは深夜のタクシー初乗りより少し高い程度かもしれない。しかし、そこに付随するのは、警察官の威圧的な呼び止め、身分証の確認、違反内容の冷酷な告知、青い印字がなされた反則金の納付書、銀行やコンビニでの支払い、職場や学校に知られるかもしれないという胃の縮むような緊張、家族に説明する気まずさ、そして「自分は交通違反者である」という小さな烙印である。その烙印は、目に見えないが、想像以上に重い。翌日の職場で、同僚が「自転車で捕まったんだって?」と何気なく言った瞬間、その言葉は、まるで小さな針のように、自尊心を刺す。そして、その針穴から、これまで自分が「注意」で済んでいた数々の違反が、記憶の底からせり上がってくる。あの交差点の信号無視、あの夜道の無灯火、あの雨の日の傘差し運転。それらはすべて、もはや「思い出」ではなく、「記録」として、警察署のデータベースに保存されているのだ。 *青切符制度の中には、それまで生活の一部として根付いていたものもあるし、ちょっとそれは厳しいんじゃないのと思える範囲もあるだろう。たとえば、梅雨特有の重い雨の日にビニール傘を差しながら、前カゴに結露した牛乳と割れやすい卵を載せ、片手でハンドルを握る。あるいは、夜道でダイナモ式のライトを点け忘れ、街路灯の切れ目だけを頼りにペダルを漕ぐ。あるいは、駅前の細い路地で、予測不能な動きをする歩行者を避けながら徐行するみたいなことだ。それらはかつて、都市生活の小さな知恵であり、危うさと背中合わせの日常術だった。青切符は想像力がいらない。違反があれば、機械的に金額が決まり、手続きがコンベアーのように流れ、データがサーバーに残る。裁量の余地は少なく、情状酌量の物語も入り込みにくい。それはマックス・ヴェーバーが予言したような、行政の公平性であると同時に、かつての「注意」が持っていた、その場の空気、相手の事情、警官の人間味を刃物のように削ぎ落とすことでもある。警察官が、「今日は危ないから気をつけてくださいね」と言って終わったかもしれない場面が、制度の運用によっては、書類と手続の対象になる。これは厳格化の問題であると同時に、人間の裁量をどこまで制度に残すのかという問題でもある。 *反則金を払えば刑事手続には進まず、いわゆる前科も付かない。払わない場合は刑事手続に移行する。ここで重要なのは、青切符はあくまで行政処分と刑事手続の間に架けられた、細い吊り橋であり、橋を渡らなければカフカの小説のように迷宮化された森へ、入ることになるという点だ。納付書を放置し、督促を無視し、呼び出しに応じなければ、事件は検察官へ送られ、略式起訴、罰金刑、場合によっては公判という国家権力のフルコースたる手続へ進む。自転車の違反が、人生の履歴に影を落とす可能性は、決してゼロではない。その「森」は、想像以上に深い。略式起訴で罰金刑が確定すれば、それは「前科」として、運転免許の更新時、就職時の身元調査、あるいは海外渡航時のビザ申請において、ふとした瞬間に顔を出す。たかが自転車の信号無視が、人生の選択肢を一つ、静かに奪うのであるしかしお金が払えない人がいるのを知っているので、彼等はもう何とでもしてくれと言うだろう。無い袖は振れぬ、それだけだ。これは本当に悲しいことだ。そしてそういう視点は理解を汲んでくれる僕みたいな人でない限り、まったく多くの人にとっては理解されない。今度のことでそういう人が確実に生まれるはずだ。場合によってはホームレスが一人増えると言っても、過言じゃないと思う。それはどういうことなのかは胸に手をあてて、みんな考えて欲しいところだ。 *とはいえ、自転車の青切符制度が導入されることで、自転車の酒気帯び運転が罰則の対象になることなどを、初めて知った人もいるかも知れない。知っていても、まあいけるだろうと思っていた人もいるだろうが。本当は二〇二四年の法改正で、自転車の酒気帯び運転でも三年以下の拘禁刑、又は五〇万円以下の罰金が科せられるようになり、自転車を提供した人や飲酒した運転者に同乗した人にも、罰則が適用されるようになった(法改正前は明確な罰則がなかった)居酒屋の暖簾をくぐり、ビールを二杯、日本酒を一本、ハイボールを一杯。午後十一時、店の外に出ると、夜風が火照った頬に気持ちよく、駐輪場に停めた自転車のサドルが妙に冷たい。ここで「押して帰れば大丈夫」と考える人もいる。しかし、酔った身体で自転車を押しながら、ふらつき、車道に飛び出し、タクシーに接触すれば、もはや歩行者以前の問題である。アルコール濃度が血液中にどの程度残っているかは、体重、性別、飲酒量、飲酒時間、個人差によって異なる。厚生労働省のガイドラインによれば、ビール中瓶一本(500ml)のアルコールを分解するのに、約二時間から三時間かかる。その基準は自動車と同じ、呼気一リットル中〇・一五ミリグラム以上のアルコール。缶ビール一本でも、体質や体重によっては十分に届く数字だ。自転車を置いて帰る。それが、酒と自転車と法制度の交点における、最も無難な選択である。居酒屋の店主は、常連客が自転車で来店したことを知りながら、酒を提供した場合、罰則の対象となりうる。つまり、店主は客の足元を見て、自転車の鍵の有無を確認しなければならない時代が来たのだ。それは、飲食業界にとって、新たなコンプライアンスの波である。ある居酒屋では、入り口に「自転車でお越しのお客様へ」という貼り紙を掲げ、飲酒後の自転車利用を思いとどまらせるための、タクシー会社の電話番号を記したカードを、レジの横に置き始めている。自転車でも酒気帯び運転や酒酔い運転は、青切符ではなく赤切符が切られ重い処分が科せられるので、自転車でも「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」を徹底するしかない。タクシーを呼ぶ、公共交通機関を使う。誰かに迎えに来てもらう。自転車の鍵をポケットへ入れて、その場を離れることが大事だ。自転車は翌朝取りに戻ればいい。酒と自転車の問題では、ほんの一晩の不便と、一生続く結果を比較すればいい。何しろ場合によっては、自転車を貸した友人、同乗した同僚、送り出した店員にも、罰則の網がかかりうる。「帰り、自転車で帰るわ」「やめとけって」「大丈夫だよ」「大丈夫じゃないから言ってるんだよ」居酒屋の前で交わされる、たった数秒の会話。法律は、その数秒の会話の中にも入り込んでいる。飲酒運転は、運転者だけの孤立した犯罪ではない。それは、人間関係の網の目を伝って責任が拡散する、近代的な連帯責任の装置でもある。たとえば、会社の飲み会で、後輩が「自動車で来たので、飲めません」と言ったとする。その言葉に、先輩が「じゃあ、俺が自転車貸してやるよ」と、自分の自転車を貸したとする。その瞬間、先輩は「自転車提供罪」の容疑者となる。あるいは、同僚が酔った状態で自転車を漕ぎ出すのを見て、止めなかった場合、その同僚は「同乗罪」の共犯として、事情聴取を受ける可能性がある。飲酒運転の責任は、もはや個人の領域を超えて、集団の倫理へと拡大しているのだ。 *とはいえ、切符を切られたら腹立つわけだ。それは取り締まる側ではない僕には分かる。いや彼等だって警察官以前なら、同じ立場だった。朝急いでいる、仕事に遅れる。子供の迎えがある、寒い、雨が降っている。「何故、今日なんだ」と思う。でもそれが自分中心の世界であるという事実も、同じように呑み込まなくちゃいけない。灯台下暗しじゃないけど、見方を変えると世の中は別のものに見える。警察官だって、駄目だけど、あなたの言い分が分かっていることは絶対にある。ただ、冷静に考えればこの施行は筋道が通ってる。そもそも法律的には元からアウトのことも、いままでは済し崩し的に処理されてきたのだ。信号無視、逆走、無灯火、一時不停止。それらは江戸時代の駕籠かきや荷車の時代から続く「慣習」ではなく、道路交通法という近代法の枠内では、すでに長く違反であった。ただ、取り締まりの網が粗く、注意という柔らかい布で包まれ、統計の外に置かれていた。青切符は、その包みを解き、違反を可視化し、数値化し、予算と人事と政策評価の対象にする。路上の無秩序が、エクセルのスプレッドシートへと変換された瞬間だ。つまり、自転車の違反は、これまで「交通行政の暗数」として、統計資料の脚注に追いやられていたのだ。しかし、青切符の導入により、それは「可視化された犯罪」として、警察の業績評価、交通安全対策の予算配分、そして地域の危険箇所の特定に、直接的に反映されるようになった。自転車の違反は、もはや「個人の道徳の問題」ではなく、「行政の管理対象」となったのである。ただ、急に違反切符を切られたという気持ちは、やっぱり残るだろう。何十年も踏み固められてきた獣道に、ある朝いきなり料金所が建った、そんな感覚に近いのかもしれない。実際、自転車に乗っている高齢者は、いままで何十年も違反切符などなかったわけだから。何でこんなことで捕まるんだと思った人もいるだろう。毎年、交通ルールが変わるたびに、げんなりするようなことが、自転車の世界にでも起こったようなものかも知れない。朝の通勤路で、いつものように左折車の陰から、駅前広場へ抜けようとした瞬間、警察官が白い手袋を掲げ、笛を吹く。自転車を降り、歩道の端に寄り、名前を告げ、免許証代わりの身分証を見せる。警官は淡々とタブレットに事項を入力し、プリンターから出てきた紙を手渡す。その紙は、これまでの人生で受け取ったどんなレシートよりも薄く、しかし重い。 *警察庁の資料によると、この制度が導入されてから一カ月間で、全国の警察が交付した青切符の件数は二一四七件(暫定値)だ。もちろん、その件数は最初はカウントされていなかったはずだ、最初は注意、次からとなるからだ。統計というものは、制度が動き出した瞬間から、現場の裁量、指導方針、地域差、季節変動、キャンペーン、警察署ごとのノルマ意識、そして市民の不安と反発を、静かに吸い込んでいく。一カ月の数字は、氷山の一角であると同時に、今後の山脈の輪郭でもある。その二一四七件という数字は、全国の警察署の交通課で、それぞれの署長が「もう少し数字を伸ばせ」と指示を出した結果かもしれない。あるいは、逆に「初月は様子見だ」と、現場に裁量を任せた結果かもしれない。統計は、常に現場の力学を映し出す鏡である。そして、その鏡は、来月には、再来月には、もっと違う景色を映し出すものである。その内訳は、・ 指定場所一時不停止846件(40%)・ 携帯電話使用713件(33%)・ 信号無視298件(14%)・ しゃ断踏切立入156件(7%)・ 通行区分違反(右側通行)63件(3%)・ そのほか71件(3%)一時不停止が四割を占めるのは、それだけ「止まれ」の標識と停止線が、日常の中で軽視されてきたという証左だろう。面白いのは、アメリカのアイダホ州では一九八二年から、自転車が一時停止標識を、「徐行して安全確認すれば止まらなくてよい」とする、通称「アイダホ・ストップ」が認められていることだ。同じ一時停止が、太平洋の向こうでは合法、こちらでは反則金。どちらが正しいというより、道路の幅、車の量、歩行者との距離、つまり街の骨格そのものが、ルールの形を決めているのだろう。日本の住宅街の、ブロック塀に囲まれて見通しの利かない交差点を思えば、「止まれ」は理にかなっている。携帯電話使用が三割を超えるのは、スマートフォンが生活の中枢に食い込み、自転車のハンドルがSNSやマップアプリのための、情報端末の台座と化していることの裏返しである。信号無視、踏切立入、右側通行。しかしこの踏切の百五十六件にも、少しぞっとした。遮断機の黄と黒の縞模様が下り、警報灯が左右交互に赤く明滅し、カンカンという音が空気を叩いている、その中に自転車で入っていく人が、一カ月で少なくとも百五十六人いたということだからだ。いずれも、数秒の判断、数メートルの近道、小さな自己正当化が、事故の確率を指数関数的に押し上げる。「事故が起きる」と「事故が起きない」は確かに明確に違う、けれど、割れ窓理論では徹底的に小さな犯罪を取り締まることで、より安全な町を作ることができる。つまりそれと同じで、確かにその判断に誤りはないかも知れない。その時は、だ。でもそのような考えが長く続いた結果、何か想像していなかったことが起きたとしたらどうだろう。そのとき、鼻で笑っていた人間から血祭りだ。最低僕は一ミリも同情しない。でも逆に言うとこれまで、交通事故になることがこんなにも容易く、見過ごされてきたということだ。交差点、路地、駅前、学校区、商店街、住宅街。日本中の道路空間は、自動車、自転車、歩行者、配送車、バス、タクシー、キックボード、ベビーカー、車椅子が、同じアスファルトの上で、暗黙の優先順位とアイコンタクトによって、かろうじて共存してきた。その均衡は、法と慣習と譲り合いの三本足で立っていた。青切符は、その三本目を少しだけギプスのように硬くする。その「暗黙の優先順位」は、日本の道路文化の精髄であり、同時に、最も曖昧で、最も危険な部分でもある。たとえば、歩道を走る自転車は、歩行者に対して「すみません、通りますよ」という視線を送る。歩行者は、その視線を受け取り、わずかに体をずらす。この一連のやり取りは、言葉を介さない、しかし確実に機能する、路上のコミュニケーションである。しかし、そのコミュニケーションが成立しない場合、つまり、視線が合わない場合、歩行者がイヤホンで音楽を聴いている場合、自転車がスマホを見ている場合、その均衡は、瞬時に崩れ去る。道路は巨大な生態系だ。車輪を持つ生物と、持たない生物がいる。大きいもの、小さいもの、速いもの、遅いもの。視力のいい人、視力の弱い人。反応の速い若者、歩行速度の遅い高齢者。子供、観光客、外国人。そして、疲れた会社員。青切符は、その生態系に新しい境界線を引こうとしている。 *こんなこと言うと後出しじゃんけんみたいな感じだけど、自転車のマナーが悪い人がいるのは正直知っていたし、なんだったら、自転車っていうだけで、どんなことをしても自分は正しいという、歩行者の延長線上で考えている人もいた。自転車は歩行者ではない。ここで少し物理の話をする。電動アシスト自転車のアシストが効くのは、日本の基準では時速二十四キロまで。自転車本体が二十五キロ、乗る人が六十キロ、合わせて八十五キロの物体が時速二十四キロ、秒速にしておよそ六・七メートルで動くと、その運動エネルギーはざっと千九百ジュールになる。ボウリングの球を、二階のベランダから十数回続けて落とすくらいのエネルギーだ。それが、前方を見ていない一台の自転車に乗って、歩道を走ってくる。実際、自転車で人を殺すケースだってあるのだ。俄かには信じがたいことだけど、スマホや物を操作しながらの運転では、スマートフォンを操作し、飲み物を片手に持ったまま電動アシスト自転車を運転。前方の確認を怠り、歩行者の高齢女性に衝突して死亡させたケース。これは重過失致死罪で有罪判決が出た。刑法二一一条。自動車事故のための法律ではない、ごく普通の刑法の条文が、自転車に適用されたのだ。その判決文には、現場の天候、路面状況、ブレーキ痕、衝突速度、被害者の受傷部位、加害者の視認行動、スマートフォンの操作履歴、そして「自転車は手軽な乗り物であるがゆえに、その危険性が過小評価されやすい」という趣旨の指摘が、乾いた文体で綴られている。法廷は、一瞬の不注意を、時間をかけて分解し、再構成し、責任の輪郭を冷酷なまでにクリアに描き出す。その判決文を読んだとき、ある裁判官の言葉を思い出した。「法廷は、人生の断面図を描く場所である」と。その断面図には、加害者の人生、被害者の人生、そして、その両者が交差した一瞬の出来事が、時間の経過とともに精緻に描き出される。自転車の事故は、自動車の事故と違い、その衝撃は小さい。しかし、その小さな衝撃が、時に、人生を完全に破壊することがある。それは、まるで、小さな石が、静かな湖面に投げ込まれたとき、その波紋が、湖全体に広がっていくようなものだ。法廷では、その一秒を何時間も、何日も、何百ページもの資料を使って分解する。頭悪いと思うだろう、でもそれが正義とか、法というものだ。「なぜ避けられなかったのか」「いつ気付くべきだったのか」「どの時点ならブレーキが間に合ったのか」物理学と法律が、奇妙な場所で接続する。時速二十キロで走る自転車は、一秒間に約五・六メートル進む。人間が危険を認識し、反応し、ブレーキをかけるまでに一秒かかれば、その間にも自転車は数メートル進んでしまう。つまり「見えた」と「止まれる」は同じではない。事故解析の世界では、この差が決定的になる。イギリスでも、二〇一七年に似た事件の裁判があった。前ブレーキを外した競技用の固定ギア自転車で、ロンドンの通りを走っていた青年が、道路を渡っていた女性にぶつかり、女性は亡くなった。自転車の危険運転を直接罰する法律がなかったため、検察が持ち出したのは、一八六一年、ヴィクトリア朝の馬車の時代にできた、「無謀かつ激しい運転」の罪だった。百五十年以上前の、馬車を想定した条文。イギリスはその後、自転車による死亡事故そのものを罰する、法整備を議論することになる。法律はいつも、事故のあとから、息を切らして追いかけてくる。日本でも、二〇一三年に神戸地裁で、小学生が乗った自転車と衝突して寝たきりになった女性の件で、約九千五百万円の賠償を命じる判決が出ている。その後、多くの都道府県で自転車保険への加入が義務や努力義務になった。「自転車だから」という言い訳は、法律の上ではとっくに通用しなくなっていたのだ。自転車でも、高齢者という要素が出てくると、こういう事例が出て来るし、高齢者でなくとも横転時に頭部に激突すれば、死亡事故が起こりうることは誰にでも分かることだ。ヘルメットは、単なる帽子ではない。それは、頭蓋骨とアスファルトの間に挟まれる、発泡スチロールとポリカーボネートの層であり、場合によっては、人生の残り時間を左右する数センチの緩衝材である。 *警察庁の発表によれば、自転車関連の交通事故は年間七万件前後で推移しており、二〇二五年の自転車乗用中の死亡・重傷事故のうち、およそ四分の三は、「自転車の運転者側にも法令違反がある」とされている。四分の三。この数字は、自転車が被害者になるだけでなく、加害者にもなりうることを示している。交通事故は、もはや「車対人」の二項対立ではない。自転車対歩行者、自転車対自転車、自転車対自動車、自転車対キックボード、自転車対宅配ロボット。(まあ、宅配ロボットはまだ一般的ではないが、)都市の交通は、多種多様なアクターが交差する生態系へと変貌している。こうした背景から自転車に青切符が導入され、交通ルールの厳格化が進められているのだ、粛々と受け止めたい。粛々と、という言葉は、怒りでも諦めでもなく、制度と共に生きるための、ある種の成人の態度である。しかし、その内側には、納得できない気持ち、急かされる不快感、これまでの慣習を否定される寂しさも、確かにある。その寂しさは、たとえば、子供の頃に近所の商店街を、自転車で自由に走り回っていた記憶と結びついている。あの頃は、信号も、標識も、警察官も、すべてが「大人の世界」のものであり、自分たち子供は、その世界の隙間をまるで野良猫のように自由に駆け抜けていた。しかし、今、その隙間は法律という名のコンクリートで、無慈悲に埋められようとしている。それは、安全のためであり、秩序のためである。公園や川原でどうして花火ができないのか。キャッチボールできないのか。そうだ、その代償として、何か大切なものを失いつつある。そのことはちゃんと僕の胸の中にもある。 *ただ青切符制度によって注目されるものもある、まあ、広告宣伝するつもりはないしお金も貰ってないので、シロなんだけどさ、自転車用ドライブレコーダー『あんしんREC』だ。小型のレンズがハンドル中央に据えられ、LEDインジケーターが青く点滅する。録画はループ式で、microSDカードに暗号化されて保存され、スマートフォンアプリで確認できる。GPSは走行軌跡を記録し、加速度センサーは急ブレーキと衝撃を検知する。それは自転車のための黒匣であり、事故の瞬間を証拠に変える小さな機械である。通勤・通学の安全対策というのも、物騒な世の中、ヘルメット被るとか、信号を気を付けるとかいうのではもうなくなっているか。取り締まりが厳格化するなか、正しくルールを守って運転していても、トラブルに巻き込まれるリスクや、歩行者・自動車との事故時に言葉だけでの状況証明が、難しい場面が増加している。このような社会情勢を受け、自動車だけでなく自転車にも、記録(証拠)を残すニーズが急速に高まっている。「言った、言わない」の世界から、「映っている、映っていない」の世界へ。ロシアで車載カメラが爆発的に普及したのは、保険金詐欺の当たり屋や、事故後の水掛け論から身を守るためだったと言われる。二〇一三年、チェリャビンスクに隕石が落ちたとき、あの火球の映像が世界中に出回ったのは、無数の車のダッシュボードに、誰に頼まれたわけでもないカメラが据えられていたからだった。記録する社会は、ときに思いもよらないものまで記録する。保険会社の商品開発担当者は、自転車保険とドライブレコーダーを組み合わせた新商品を検討し、IT企業は映像解析AIで「ながらスマホ」や「逆走」を、自動検出する実証実験を行い、自治体は通学路の危険箇所を可視化するために、自転車利用者から映像データを匿名で収集する制度を模索している。プライバシーと安全の境界線は、ハンドル上の小さなレンズの向こうで、絶えず揺れている。その揺れは、現代社会の最も根深いジレンマの一つである。僕等は、安全を求めるあまり、プライバシーを犠牲にする。そして、プライバシーを守ろうとするあまり、安全を犠牲にする。ドライブレコーダーは、そのジレンマを、最も先鋭的な形で体現している。それは、僕等の行動を常時監視する、パノプティコンの一部となりうる一方で、僕等を不当な嫌疑から守る盾ともなりうる。そのレンズの向こうには、安全と自由の、永遠のせめぎ合いが映し出されている。 *自転車の話ばかりだけど、自動車側も思うことはあるだろう。モータリゼーションの歴史が定めた軽車両である自転車は、車道通行と左側通行が原則のため、自転車が本来の交通ルール通り、車道を走行する必要があるからだ。朝の通勤ラッシュ、片側二車線の幹線道路。右車線には急ぐ乗用車、左車線にはトラックとバス、そして路肩には自転車。ドライバーは、前方の自転車との距離を測り、対向車の頭を確認し、ミラーに映る後続車の速度を読み、ハンドルを微妙に右へ切る。助手席の同僚が「怖いな」と呟く。自転車側も、後ろから迫るエンジン音、ハイブリッド車のモーター音や大型車の排気の熱、トラックが巻き起こす風圧を感じながら、白線の内側で身体を硬くする。怖くないって言ったら噓になる。この手の話で、自動車側の人が事故が増えると思いながら、(実は施工後に、巻き込まれ事故も起きているのだが)歩道を走らないケースがあるが、取り締まり方針というのがあって、歩道通行で取り締まられるのは、歩道を歩行者の間を縫うように危険な速度で走っていたり、具体的危険が生じている場合、警察官の命令を無視して違反を続けた場合、スマホしながら傘さしながら歩道を通行していたり、などで、悪質なものが取り締まり対象だ。そもそも、車道の交通量が多くて危ない場合や、「自転車通行可」の標識がある歩道、十三歳未満の子どもや七十歳以上の人などは、歩道を走ることが認められている。その場合も車道寄りを徐行、歩行者優先が大前提だ。つまり、歩道通行そのものが即座に青切符というわけではない。そこには「安全配慮義務」と「具体的危険」という、現場の判断が入り込む余地があり、危険だと思えたら歩道を走ればいいし、人が多いなと思ったら押して歩くなりすればいい。しかし、その判断は、警官の経験、地域の実情、時間帯、天候、歩行者の密度によって揺れうる。法の適用は、数学の公式ではなく、路上の即興演奏に近い。あと、本当にどうしたらいいのか分からなかったら、警察官に質問するしかない。餅は餅屋に聞くしかない。交番の窓口で、若い警官が地図を広げ、鉛筆で矢印を書きながら、「この交差点は、自転車は二段階右折ではなく、普通に右折してください」と説明する。その声は、法の条文よりも具体的で、その場の空気を含んでいる。 *そして自転車が車道にしゃしゃり出て来る以上、車を運転するドライバーは、これまで以上の注意と配慮が強く求められる。ドライバーの注意は、もはや「前方を見る」だけでは足りない。左後方の死角、路肩の段差、駐車車両のドア、横断歩道の手前、雨上がりの白線、夕暮れの逆光、自転車のライトの点滅、子供の飛び出し、高齢者の歩行速度、運転は、多次元の情報処理へと変容している。まあ、免許の範囲内でしょといえばその通りなのだが。しかし、その多次元の情報処理は、ドライバーの脳に、想像以上の負荷をかけている。かつて、運転は、反射神経と経験でこなせるものだった。しかし、今、運転は常時周囲の状況をスキャンし、リスクを予測し、最適な行動を選択する高度な認知作業となっている。それをいくらか大袈裟にいえば、チェスのグランドマスターが、盤上のすべての駒の動きを、同時に読むようなものだ。そして、その認知作業に、疲労やストレスが加われば、判断ミスが生じる。そのミスが、事故につながる。こんな状況でも、音楽をガンガンにかけて走る車がいる。音が聞こえないで走ることが事故の可能性を引き上げるなんて、つゆとも考えない人がやっぱりいるに違いない。これだけ青切符と盛大にやらかされているのに、いまでも、ながらスマホの現場を見ることがある。一万二千円が怖くないのだ、すごいことだ、ブルジョワだ。ルールってみんなのためにあるはずなのに、そしてそれは結局のところ、いい社会を作ることなのに、その一人一人の足並みが揃わないなんてことはよくある。でもたとえばトラックの運転手が電話しながら運転をしてる、そのとき、僕はその事情を透かし見てしまう。やっぱり僕にはルールなんて言えない側かな、と思う。 *自転車に青切符が導入されたことに伴い、ドライバー側の『追い越しのルール』も明確化された。車が自転車を追い抜く際は、最低でも一メートル程度の距離を空けることが推奨されており、(そんなこと出来るかと思った人もおられると思いますが、)これが安全を保つための十分な間隔の目安となる。ちなみに海外はもっと広い。フランスは市街地で一メートル、郊外で一・五メートル。ドイツは二〇二〇年から、市街地で一・五メートル、郊外で二メートル。イギリスの交通規則集ハイウェイ・コードも、時速三十マイルまでなら少なくとも一・五メートルを目安にしている。一メートルは、国際的に見ればむしろ控えめなほうなのだ。一メートルといえば、ちょうど大人が両腕を広げた幅の半分強。ハンドルの幅を思い浮かべると、その心許なさがよく分かる。かように、この「一メートルルール」は、ドイツやフランスなど、欧州の多くの国々で既に導入されている。日本は、欧州の交通安全基準に、約十年遅れで追いついた形となる。一メートル。それは、車のドアミラーと、自転車のハンドルエンドの間に確保される、命の余白である。しかし、幅三メートルに満たない路地、駐車車両の並ぶ商店街、対向車が絶え間なく来る山道では、その一メートルは、しばしば数学的に不可能である。だからこそ、法は減速という別の答えを用意する。道路構造令によれば、都市部の生活道路の幅員は、最低でも四メートルが推奨されている。しかし、現実には、これよりも狭い道路が数多く存在する。 もし、道路の幅や対向車の存在などで十分な距離を保てない場合には、クルマは二〇〜三〇km/h程度まで減速して走行する必要がある。ドライバーがこれに違反した場合は、『歩行者等側方安全通過義務違反』とみなされ、普通車で反則金七〇〇〇円(違反点数二点)が科される。時速二十キロ。メーターの針がほとんど寝そべっているような速度だ。後ろの車に煽られる気もするが、その後ろの車も同じルールの中にいる。それは、自転車の最高速度とほぼ重なる領域であり、車が自転車と同じ速度で並走することを意味する。追い越すのではなく、並ぶ。急ぐのではなく、合わせる。道路空間における優劣を一時的に解除し、同じ速度で流れる。それは、交通工学というより、社会倫理に近い。たとえ渋滞しても、パトカーがそれをほとんど誘蛾灯していても、だ。また、自転車側も道路の左端に寄って走るという行為を、拒否したり妨害すると『被側方通過車義務違反』とみなされ、反則金五〇〇〇円が科される。さらに、信号待ちや渋滞で停車している車の右側を、自転車がすり抜けて追い越す行為も、状況によって危険行為とされた場合には、青切符の対象となる可能性がある。停車中の車列の右側をすり抜ける自転車。ドアが突然開く。歩行者が車の間から飛び出す。対向車が右折してくる。すり抜けは、都市の隙間を縫う快感と、死と隣り合わせのリスクを同時に孕んでいる。警察がいるから気をつけなくちゃになりがちだけど、警察がいなくても危ないかどうかは自分の命と直結したことなので、気を付けたいことだ。警察官は、道路のどこにでもいるわけではない。しかし、物理法則は、いつでもどこでもそこにいる。衝突エネルギーは、速度の二乗に比例する。人間の反応時間は、平均して〇・七秒から一秒。乾いた路面と濡れた路面では、制動距離が変わる。これらの法則は、警官の笛よりも厳格で、情状酌量を認めない。ルールは一方通行ではない。車は空け、自転車は寄る。道路はもともと、互いに少しずつ譲り合うことで成り立つ、細長い共有地なのだ。コペンハーゲンでは、朝の通勤時間帯、自転車が時速二十キロ前後で走り続けると、信号が次々と青に変わる「グリーン・ウェーブ」という仕組みがある。ルールを守ることが、そのまま一番速い移動になるように設計されている。日本の道路に同じことをすぐ望むのは難しいが、罰則だけでなく「守ったほうが得をする」道の設計も、いずれは必要になるだろう。贅沢を言えば完璧に分けてしまえればいいと思うが、そんなの誰がどう考えたって無理だろう。 *さらに、違反行為を三年以内に二回以上検挙された場合、都道府県公安委員会は違反者に対して、自転車運転者講習の受講を命ずることができる。命令を無視し、自転車運転者講習を受けなかった場合は、五万円以下の罰金が科されるので要注意だ。講習は、平日の午後、警察署の会議室で行われることが多い。机には資料と筆記用具、壁には交通安全のポスター、前方にはスクリーンとプロジェクター。参加者は、会社員、学生、主婦、高齢者、外国人住民。講師は、事故の映像を流し、停止距離の計算を示し、被害者の遺族の手記を朗読する。三時間の講習は、単なる罰則ではなく、速度と距離と注意力を、身体に再インストールする儀式である。講師が言う「事故は、突然起こると思いますか?」誰も答えない。「実際には、その前にいくつもの小さな判断があります」スクリーンに道路が映る。交差点、自転車、車、歩行者。一秒、二秒、三秒、映像が止まる。「この時点で、危険を予測できた可能性があります」停止距離の説明、速度の説明、視野の説明。夜間の視認性、雨天時の注意。ヘルメット、スマートフォン、飲酒。受講者は黙って資料を見る。誰も「自分は事故を起こす」と思って自転車に乗っていたわけではない。それでも事故は起きる。こうなってくるともう、自転車免許も必要なのではないかと思う。それはいくらか行き過ぎだし、ふざけるなと言われるけど、それでも自転車にだって気軽に乗れないと話す人もいるぐらいだが、本当にその通りで、ただ自転車が乗りたいだけなら車に自転車を載せて、山奥で熊や猪と一緒にサイクリングするしかないのかも知れない。喫茶店の窓辺で、チラシを裏返した。そこには、小さなQRコードが印刷されており、スマホで読み取ると、警察庁の公式サイトへとリンクしていた。画面には、「自転車の交通ルール、守れていますか?」という、問いかけが表示されていた。外では、夕暮れが近づき、街路灯が一つ、また一つと点灯し始めていた。自転車のライトも、それに呼応するように、橙色の光を放ち始めた。その光の列は、まるで都市の血管を流れる、赤血球のように見えた。 、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、―――みんなそんなに急いで、何処へ行くんだろう?
2026年09月27日

九月の終わり、日曜日の夕方に、僕はこの文章を書いている。台所では炊飯器が保温に切り替わる電子音を鳴らし、ベランダの物干し竿には取り込み忘れたタオルが一枚、西日を吸って橙色に揺れている。壁のカレンダーは、まだ九月のままだ。あと三日で、それを捲ることになる。ビザや在留資格の手数料を上げるらしい。いや、「らしい」という言い方は、もう正確ではない。日本では在留手続の手数料が二〇二五年四月に改定され、更新・変更の手数料は四千円から六千円に、永住許可は八千円から一万円になった。さらに二〇二六年十月から追加の改定が予定されている。正確に書けば、二〇二六年五月二十九日に改正入管法が成立し、七月三日に金額を定める政令案が公示されて、パブリックコメントにかけられ、八月二十八日に、十月一日施行が正式に案内された。出入国在留管理庁は、制度改正や手数料引き上げを公表している。九月三十日までに受け付けられた申請は旧料金、十月一日以降は新料金。許可が十月以降になっても、受付日が九月なら旧料金でいい。境界線は、その一日と一日のあいだに、製図用の烏口で引いたように細く、黒く、引かれている。僕は一度どうか足を向けて欲しいなと思う、あの場所に。数字や件数ではなく、床と天井と、匂いと音のある場所に。僕は中国人の奥さんがいるので一度頼まれて行ったことがある。「一人だと、窓口の日本語が怖い。敬語が速すぎる」そう言われて、僕は朝一番一緒についていった。昼から仕事へ戻ると疲れた。何でこんな馬鹿みたいなことが続いているのかと思うと、それがお金を徴収する仕組みだからだと目を細めた。 *受付ロビーの自動ドアが開くたびに、ネパール語、ベトナム語、中国語、タガログ語、そして時折ポルトガル語が、冷房の効いた空気の中に混ざり合って流れ込んでくる。「Chị ơi, cái này điền ở đâu?(お姉さん、これどこに書くの?)」「排了两个小时了(もう二時間並んでるよ)」「Ang mahal naman・・・(高いなあ・・・・・・)」「कति पर्छ?(いくらかかるの?)」「Meu Deus, que fila.(なんて行列だ)」言葉の意味は分からなくても、抑揚でだいたい分かる。苛立ち、諦め、冗談、祈り。人間の声の温度は、言語をまたいで伝わる。床は薄いグレーのリノリウムで、蛍光灯の白い光が、行列に並ぶ人々の疲れた顔を容赦なく照らしている。君は知らないだろう、人々が抱えている書類、パスポート、在留カード、縦四センチ横三センチの証明写真、住民票、課税証明書と納税証明書、在職証明書、源泉徴収票のことを。それをドン・キホーテの黄色い袋や、ユニクロの紙袋や、色の抜けたコンビニのレジ袋に、クリアファイルごと差し込まれていた。クリアファイルの擦れる乾いた音が、潮騒みたいにロビーを満たしている。窓口カウンターの上には、番号札を呼ぶモニターがいくつも並び、「ピンポーン」という電子音のたびに、何十という視線が一斉に上を向いた。番号が自分のものでないと分かると、視線はまた、ゆっくりと膝の上に落ちていく。向日葵の群れが、一瞬だけ太陽を探して、また首を垂れるみたいに。その下に貼られたA4の掲示が、かすかに蛍光灯の光を反射していた。『在留手続手数料の改定について(お知らせ)』セロハンテープの四隅のうち一つが剥がれかけ、紙の角が冷房の風にかすかに震えていた。そこには、表がひとつ印刷されていた。在留期間三か月以下、一万円。一年、三万三千円。三年以上五年未満、六万四千円。五年以上、七万五千円。永住許可、二十万円。オンライン申請なら一部が割引になる、と小さな字で添えられていたが、永住許可は窓口のみ、とも書いてあった。 *よい悪いは別にして、行政コストが上がっているなら、利用者負担を増やすのは合理的だ。オンライン化や審査体制強化の財源になる。永住や長期在留には大きな利益が伴うので、ある程度の負担を求める考え方もある。財政学の言葉で言えば『受益者負担』で、英語なら cost recoveryという。更新や変更の手数料体系の骨格は一九八一年に作られて、四十年以上ほとんど動いてこなかったという。その間に、在留外国人の数は何倍にもなり、審査の書類は厚くなり、窓口の列は長くなった。「欧米並みの水準に」という言い方も、よく出てくる。イギリスでは、ビザの申請料とは別に、「移民健康付加金」として、一年あたり千ポンドを超える額を前払いで取られる。アメリカのグリーンカードは、申請料だけで千ドルを軽く超える。一方でドイツの定住許可は百ユーロ台だし、中国の永久居留の手数料はたしか千五百元くらいだったはずだ。比べようと思えば、どの国に定規を当てるかで、結論はどうにでもなる。統計というのは、そういう意味で、よく研がれた包丁に似ている。料理にも使えるし、それ以外にも使える。政策を作った側は、「財源確保や制度維持のため」と説明し、現場で働く外国人や雇用する企業から見れば、「ただでさえ大変なのに負担を増やしてどうする」となる。 *出入国在留管理庁のウェブサイトには、おおよそこういうことが書かれていた。―――在留手続の手数料は、令和七年(二〇二五年)四月に改定し、令和八年(二〇二六年)十月一日から、さらに改定する。―――永住許可は、現行の一万円から二十万円に引き上げる。―――在留期間の更新・変更は、許可される在留期間の長さに応じて段階的に変わり、最大で七万五千円になる。―――改正法で定めた上限額は、更新・変更が十万円、永住許可が三十万円である。―――生活に困窮し人道上の配慮が必要な人などには、減額・免除の措置を設ける。官公庁の文章というのは、どれも同じ明朝体の顔をしている。句読点の位置まで、事故を起こさないように設計された、高速道路のカーブみたいに滑らかだ。そのカーブを、生活は、時速何キロで曲がれるのだろう。それを見た人々の給料が二十万円に満たなかった場合、家族がいた場合、指先が不安で震えるのが分からないだろうか。家賃は、月にいくらだろう。光熱費、通信費、食費、そしてベトナムの実家への送金。それで毎月ギリギリの生活をしていたらどうなるだろう。残るのは、よくて二万円。そこへ、一年更新なら三万三千円。彼の手取りのおよそ五分の一が、一枚の手数料納付書に貼る収入印紙に変わる。こんなの引きこもりとか、学生対象と考えてみたら分かる、一気に世論が引っ繰り返るから、どれぐらいバッシングを受け、どれほどの反対デモが繰り広げられるか。―――でもそれは起きない、外国人だからだ。 *つまり賛成論や反対論というより、副作用とか、それによって導き出される現場の人の拒否感とか不信感だ。医者が薬を出すとき、効能書きの裏には必ず副作用の欄がある。頭痛、吐き気、発疹、まれに重篤なアナフィラキシー。政策には、その裏面が印刷されていないことが多い。これは行政あるあるで、お前勝手に何やってんだとなる。一体これによってどんな被害が出るのかを、きちんと調べたのだろうかと思う。日本はすでに人手不足の業界が多い。介護、建設、外食、農業、漁業、造船、自動車整備、ビルクリーニング。コンビニの深夜のレジに立つネパール人留学生、老人ホームの夜勤でおむつを替えるフィリピン人の介護士、北海道のホタテの殻をむくベトナム人の実習生。僕等の生活は、もう彼らの手がなければ一晩も回らない箇所がある。外国人労働者やその家族にとっては実質的な負担増になる。技能実習生や特定技能の人達のように、必ずしも高所得ではない層にはかなり重い。しかも技能実習にいたっては、二〇二七年から『育成就労』という新しい制度に置き換わる。名前が変わる端境期に、手数料だけが先に、段差のように跳ね上がる。地方の産業や中小企業の人材確保に影響する可能性がある。従業員十人の町工場の社長が、事務机の上で電卓を叩き、「うちで全員分出すと、年でいくらになる」と呟く。その電卓の液晶の数字は、たぶん誰の統計にも載らない。そして同じころ、韓国や台湾やオーストラリアの求人サイトが、ハノイやカトマンズやマニラの若者のスマホに、もっと条件のいい広告を流している。人材は、水のように低いほうへではなく、条件のいいほうへ流れる。さらにもっといくと、行政の人は知らないだろうけど、ベトナム寺院とかで人が匿われている話があり、まあ当時聞いた話では会社のパワハラで働けなくなってという文脈だが、(もちろん、ホームレスの話では外国人も対象者だ)そういう異国で困ったことになる人が増えるのではないかと思う。更新の手数料が払えない。更新できない。在留期限が切れる。切れた瞬間、その人は昨日と同じ顔、同じ身体、同じ仕事の腕のまま、不法残留者という別の名前で呼ばれる。ドミノの一枚目は、しばしば、驚くほど小さい。もちろん、総理大臣ほかその他大勢の人々が、異国で路頭に迷うという想像力がないなら別だが。僕は中国の技能実習生や、ベトナム出身の人が働いているのを知っている。あなたにとっては他人だし、行政にとっては外国人だが、僕にとっては知り合いだし、顔の見える現場であり、声も聞こえるので、「日本ってどうなってるんだろう」と思うわけだ。政治が嫌いで、ほとんど関わりなくないと決めている僕が、わざわざこう書く時点でそうだろうと思う人もいるだろうが。 *きっと外国人が職員に片言の日本語で言うかも知れない。あの日、実際に僕は、それに近い場面を見た。三番窓口の前にいたのは、五十代くらいの男性だった。日焼けした首筋に、建設現場の安全帯の跡が、斜めの線になって残っていた。胸ポケットから、角の丸くなったパスポートが覗いていた。表紙はバングラデシュの濃い緑色だった。「昔は、四千円だったのに、どうしてこんなに高くなるんだ?」彼は、叫ぶように言った。窓口の職員は、淡々と対応する。「制度改正に伴う改定でございます。ご理解をお願いいたします」その声は、機械的で、感情がない。アクリル板越しの声は、少しこもって、遠くの放送のように聞こえた。職員の首から下がった名札には、苗字だけがゴシック体で印刷されていた。男性はしばらく黙っていた。それから、日本語でも母語でもない、ただの長い溜息をついた。そして番号札を握りしめたまま、長椅子に戻っていった。紙の番号札は、汗で柔らかくなっていた。移住連というサイトがあって、そこには今度のことが書かれてあった。「私には夫と、子どもが3人います。ビザの更新をするときに5人分の手数料がかかります。5人分の手数料を払うと生活が苦しくなります。手数料を上げないでください。」「外国人も、日本人と同じように税金を払っています。働いて、日本の経済を支えています。日本人と同じように、物価が高くなったことの影響も受けています。 それなのに、外国人だけに大きな負担を求めることは、公平ではありません。このような不公平な制度に強く反対します。日本で働いている外国人の声をしっかり聞いてください。 」「私は日本で生まれ、日本で育ちました。しかし、外国籍なので、在留資格(ビザ)の手数料を払い続けなければなりません。自分が生まれ育った国で暮らすために、手数料を払わなければならないのは、おかしいと思います。しかも、その手数料がさらに高くなることには、強く反対します。」五人家族で一年更新なら、三万三千円かける五で、十六万五千円。手取りの、ほぼ一か月分が、家族の「ここにいていい」という紙のために消える。子供は成人しても、自分の生まれた国に「住み続ける料金」を払い続ける。僕はそういう光景を思い描きながら、技能実習生のことを思い出していた。ただ、窓口の向こうに見える出入国在留管理庁の職員の顔も思い描くその顔は、疲れているだろう。午後の窓口で、同じ説明を何十回も繰り返す声帯の疲れ。「ご理解をお願いいたします」という言葉を、多分、彼等自身が一番、理解しきれていない。生身の人間である彼等も、この制度の中で、働いているのだ。制度という大きな機械の中で、窓口の職員は、いちばん外側の歯車だ。いちばん外側の歯車は、いちばん多く、外の世界と擦れ合う。何かおかしいと思っても誰かがそれをしなければいけない。政治家がそこにいたらどうなるだろう。一日研修員として、自分達が何をしたかを、そこできちんと考えてきたらいいのにと本当に思う。 *実在留期間によって手数料が変わり、更新・変更手数料は最大で七万五〇〇〇円とされている。永住許可が二〇万円になることや、法律上の上限額が三〇万円まで引き上げられることが話題になった。上限額というのは、言い換えれば、「政令ひとつで、ここまでは上げられる」という天井の高さだ。天井が高くなった部屋で、人は、いつ梁が下りてくるかと見上げながら暮らすことになる。会社が負担する、本人だけ払う、家族分も会社が出す、行政書士費用が別にかかる、(行政書士の費用はピンからキリだが、頼まないという選択肢は個人的に知る範囲内だと、まず有り得ない。やって出来ないことはないが、どうすれば通るのか、どういうことを書くのが正しいのかなんて、僕や彼女が知っているわけはないからだ)など色んなケースがあると思うけど、それに対する細やかなケースバイケースはあるのだろうか。明日から政治家税が始まります、政治家だけ一年ごとに一億円が課せられます。払えない人は貧乏なので、辞職して下さい。なお、オンラインで納付した方は一千万円割引いたします。減額・免除の制度もございますので、窓口で所定の書類をご提出ください。政治家だからと特別扱いは致しません、何度でも書き直させます。書類はすべて日本語ではなく、ラテン語でお書きください。あなた方だってそうやってきたじゃありませんか、何故自分に矛先を向けられたぐらいでとやかく言うのですか。でも議員パーティーをするのは止めてください。袖の下や、架空の人物を作り出すのは止めて下さい。あのね、政治家って本当は人が分かる人間がなるんだ。そもそも、そうじゃないと当選できない。政治家になる人の多くは、選挙で何千人、何万人という人と会っている。駅前でビールケースの上に立ち、朝の通勤客にビラを差し出し、商店街の魚屋の大将と握手し、公民館の畳の上で高齢者の話を聞く。困っている人の話も聞くし、握手もするし、涙を見ることだってある。不祥事を起こしてもお金の問題という人もいる。だから、人の痛みが分からないからこうなった、だけでは説明しきれない。そこでいつも出てくるのが、構造だ。構造的にそういうことが起きるというのが、政治のジレンマかも知れない。それに、握手する手の持ち主には、投票用紙がある。ロビーで番号札を握っている手には、それがない。選挙で出会う「何万人」の中に、彼等は最初から数えられていない。構造というのは、多分、こういう目に見えない引き算のことだ。制度が大きくなると、一件、一世帯、一人の労働者ではなく、予算、財源、件数、統計で考え始めることだ。あなた方がそうするなら、我々も政治家に対する考えを改めるべきではないのか。こういう強い声を、大企業から始めていくべきだ。絶対にその末端にはそういう人達がいる。確かに外国人がいることで治安は悪化するかも知れない、でもすべての人達がそうであるわけじゃない。外国人労働者を増やすことで経済が止まるというのは、例があるので間違いなく日本経済は終わってる。だけど、そのことと、このことは違うはずだ。 *入管庁が公表している改定後の手数料では、在留期間の長さによって更新・変更手数料が変わり、一年なら三三〇〇〇円、三年以上五年未満なら六四〇〇〇円、五年以上なら七五〇〇〇円、永住許可は二〇〇〇〇〇円になる。三三〇〇〇円は手取りの約六分の一。七五〇〇〇円なら手取りの約三分の一以上。二〇〇〇〇〇円はほぼ手取り一か月分。もちろん、入管庁も経済的困難などの事情がある人への、減額・免除制度を設けている。でも「払えるか払えないか」ではなく、「この金額を見た時の精神的な重さ」の方だ。行政は「減額・免除の枠組みもある」と手続き上の逃げ道を整えているつもりかもしれない。けれど、その逃げ道の入口には、また別の申請書と、また別の証明書と、また別の窓口がある。困窮していることを、困窮している人自身が、日本語の書類で証明しなければならない。しかし、当事者が直面するのは手続きの可否以前に、「この国は私たちを歓迎していないのではないか」「都合のいい調整弁として搾取する気ではないか」という、存在そのものを値踏みされたような精神の冷え込みだ。瀋陽の冬の、窓ガラスの霜の花のように、それは内側から静かに広がっていく。その絶望と不信は、いくら制度上の免除規定を並べても拭い去ることができない。人は物じゃないからだ。血が通った、生き物だからだ。人手不足を外国人労働者に頼りながら、その生活の基盤を制度の側からじわじわと締め上げていく、現代日本のいびつな欺瞞。水道の蛇口を全開にしながら、排水口に栓をしているような。 *「我们交得起。可是交不起的人呢?」(私たちは払える。でも、払えない人は?)僕は答えられなかった。三番窓口の、こもったアクリル板越しの声のことを思い出し、色んな立場の外国人を僕はひとしきり思った。カレンダーは、あと三日で十月になる。僕は中国人の奥さんにこの話をしようと思う、そして日本はもうちょっと考えなければいけないねと、何か具体例を交えながら話そうと思う。
2026年09月27日

ドン!その音は、乾いた木の板を内側から拳で突いたような、低くて丸い響きだった。スピーカー越しの爆発音ではなく、すぐ隣の壁が実際に鳴っている。空気そのものが震え、咽喉の奥で小さな圧力になった。厳密に言えば、それは点ではなく面で来た。壁一枚を膜に変えて、部屋の空気全体をわずかに押した。「な、なんだぁ?」変な音がした。天井を突き抜けるような音が、六畳一間の部屋を揺らす。正確には、天井を突き抜けたわけではない。天井のすぐ下、北側の壁に埋め込まれた押し入れの内部から、上へ抜けようとするように響いてきた。竿縁天井の、細い桟の一本が共鳴して、じ、と鳴いた。壁際に段ボール箱が無造作に積み上げられた中から、カップラーメンが一つ、二つと転がり落ちて来た。醤油味と味噌味。『冷しカップヌードル ピリ辛キムチ味』とか、『冷しカップヌードル 鶏塩レモン味』ではない。トムクンだかヤムクンなんて怖くて食べられない(?)醤油味の方は蓋が少し浮いていて、味噌味の方は賞味期限が三か月前に切れていた。まあでもカップラーメンの賞味期限は切れてからが本番だよな、むしろそこからどうゴキブリしていくかで生存能力が高まる、ノーノー、コンドームあたりにある鉄を謳う商品のように、昂ぶる(?)引っ越しの段ボールを開けたままにしていた自分の怠惰が、妙に生々しい証拠として床に転がっている。転がったカップは畳の縁、縁の麻布に当たって止まり、乾いた麺の塊が内側でかさりとずれる音がした。音の方向はすぐに分かった。林先生の迷言が脳内で炸裂する―――今でしょ?いや、ふざけている場合じゃない。音の方向はすぐに特定できた。部屋の奥、北側の壁に設置された古い押し入れ。―――そう、押し入れの中だ。その襖の向こうから、間違いなくあの音は響いてきていた。押し入れは昭和五十六年築、四十年を超えるこのアパートの典型的な和室設備で、上下二段に分かれた収納スペース。在来工法、真壁造り。柱と柱のあいだに貫を通し、木ずりの上にモルタルを塗った、あの時代の当たり前の造りだ。壁の中は空洞が多い。つまり、鳴りやすい。上段と下段を仕切る板は、ところどころ反り、釘の頭が黒く錆びている。建具の建付けは狂っていて、開けるたびに木の悲鳴のような軋みがする。敷居は擦り減って浅くなり、鴨居との間隔が経年で狂っている。木は生きているうちも死んでからも動く。四十年かけて、この家はゆっくりと自分の形を失いつつあった。下段の方が若干広く、布団や季節物の衣類を収納するのに適している。上段は天袋と呼ばれ、普段は滅多に開けない。天袋の襖には、以前の住人が貼ったらしい、古い紙製の除湿剤がぶら下がっていて、白い粉が袋の底に溜まっている。塩化カルシウムが空気中の水分を吸って潮解し、粒だったものが下でどろりと液状になりかけている。パッケージには色褪せた文字で『湿気とり』効いていたのか、効かなくなって久しいのか、判断がつかない。それにしても、襖は薄いベニヤ板に和紙を貼ったもので、経年劣化により所々に小さな破れや汚れが目立つ。破れの縁は茶色く変色し、まるで古い地図の海岸線のように入り組んでいる。その海岸線を指でなぞると、フィヨルドのように奥へ切れ込んだ入り江があり、岬があり、砂洲のように残った和紙の繊維が橋を架けている。こうぞ楮の長い繊維が、破れの縁で毛羽立って、細い根のように垂れ。破れの一つからは、乾いた糊の匂いがする。小学校の図工室で使った、あの独特の甘さと粉っぽさ。正麩糊、小麦のデンプンを炊いた、表具師が使うあれ。糊は生き物の死骸に似た匂いを、乾いてなお持っている。糖が分解されかけた、かすかに酸っぱい甘さ。取っ手は昔ながらの木製の引き手で、長年の使用で表面が滑らかに磨かれている。指の跡がつくほどに。その窪みは、誰かの指の形を覚えてしまったかのようだ。親指の腹、人差し指の側面、爪の先。何世代もの人間が、ここを引いた。木材の細胞壁が、無数の指の脂と摩擦で少しずつ潰れ、飴色に艶を持つに至る。それは磨いたのではなく、擦り込まれた光だ。子供の頃は中に籠もると、秘密基地だとばかりに、テンションがガンガンに上がってたものだが、大人が入ると色んな気力をチューチュー吸い取られる、霊感商法で変な壺を買わされた顔になる(?)不意に、この建物について事前に調べた、レビューサイトの記憶が蘇る。『ここら一帯の押し入れは、昔から曰くつきで、変な物が出るとか、時間が歪むという噂があるらしい』という文章―――を・・。投稿日は二〇一三年。投稿者は『通りすがりの大家』というハンドルネーム。じゃあ大家なのかというと、絶対違う。エジプトの砂漠で白亜紀の海に生息していたサメの歯の化石みたいに、評価は星一つ。コメント欄には『管理会社の対応が遅い』とだけ書いてあった。そのレビューには、何故か『押し入れの下段に塩を撒くな』という意味不明な追記があった。『呪術廻戦』の領域展開ならぬ、ドラえもんの押し入れ展開かよって。いいね数はゼロ。返信もゼロ。だが、文章だけが妙に整っていた。誰かに消される前のメモのように。句読点の打ち方が几帳面すぎて、逆に不気味だった。感情の昂ぶりで書き殴った文にはああいう均整は出ない。まるで、何度も推敲された遺言のようだ。こういうのを、水溜りボンドあたりが深夜テンションで読み上げるやつだ。カンタが「ちょっと待って、これマジで良くないやつじゃん」と真顔になり、トミーが「いや、行こう」と背中を押す、あの回。あるいはゾゾゾの、オープニングであの不穏なBGMが流れる系の物件。「事故物件、たぶんここ、やらせじゃないんですよ」――都市ボーイズがカメラの外から言いそうなやつ。再生数は伸びるだろう。もっとも、その頃には俺も、 『行方不明になった投稿者』として、 動画の冒頭で紹介される側かもしれない。行方不明になって一日、それ家出だよ(?)ハイウェイを走るような都市伝説、噂話。またまた。怖がらせようと思って。あのさ、さすがにスピリチュアル過ぎるんじゃない?オカルト板の住人かよ! 詳細キボンヌ!心機一転、何か新しいことを始めるために、引っ越してきた初っ端で、これだ。家賃が相場より安いのも、こういった噂のせいじゃないかと今になって思う。敷金礼金ゼロ、更新料なし、ペット可、楽器可。さらに、南向きではない、独立洗面台なし、風呂はユニットバス、追い焚きなし、インターホンは壊れている。よくあるオンボロアパートだ。それでも、都心まで電車三十分、最寄り駅から徒歩十二分という立地だけで元は取れている。そんな条件が揃った物件が、都心から電車で三十分の場所にあるはずがない。不動産屋の若い営業マンは「人気物件ですよ」としか言わなかった。その目は少し泳いでいた。水泳選手並みに泳いでた、クロールじゃなくバタフライ。じゃあ、人気物件じゃないんだ、『名探偵コナン』の『真実はいつも一つ!』が脳内で炸裂する、あれりゅえ~は腹立つし、多分相当違う、そもそも本当に人気物件なら人気つける前になくなっている(?)おそらく嘘はついていない、俺が安いのがいいと言ったからだ。その筋では、人気物件なのだ。でも幽霊物件へ案内せよとはもちろん言ってないが、世界中に残る放棄された軍事施設の廃墟へ連れていかれるわけじゃない、まずそこからゆっくり落ちてゆく、ゆるやかに落ちて、ここに着地する(?)彼は契約書をめくる時、一瞬だけ手を止めた。第一条、第二条、第三十八条。指でなぞる場所が、まるで飛ばし読みを許さない試験監督。特に第三十八条のところで、彼の爪は行間を横に滑り、それから素早く次の頁へ逃げた。あとで思えば、逃げるべきはこっちだった。彼のワイシャツの襟には、アイロンの当てそこねた小さな三角の皺があって、それが何故か記憶に残っている。アイロンの歴史は古く、その原型は江戸時代まで遡り、当時は電気がないので炭火を使用していたとふと思い出しながら、さらにその原型を辿れば、炭火が火になり、 火がただの熱い石になり、最終的には原始人がマンモスの皮を、両手で引っ張っていたんじゃないか、 みたいな馬鹿なことまで考えていた。ありえないほどヴァカだ(?)けれど、人は、危機の直前ほど、どうでもいい細部を克明に覚える。だが、引っ越してきた初日の夜にこれでは、先が思いやられる。しかし、これは絶対に気のせいなんかじゃない。音は確実に押し入れの内部から聞こえてくる。まるで中で誰かが壁を拳で叩いているような、規則的で意図的な音だ。・・・やっぱり中に、何かいる?最初に思い浮かんだのは鼠。『トムとジェリー』のジェリーみたいな可愛い鼠ならいいが、『ラットマン』みたいなのは勘弁してほしい。この古いアパートなら、壁の中や天井裏に巣を作っていても不思議ではない。実際、台所の床下からは毎晩のようにカリカリという音が聞こえる。それは鼠の爪が木材を引っ掻く音だと、不動産屋が説明していた。「古い建物ですから、多少は」と。多少で済むか、と思ったが、家賃の安さには勝てなかった。それに、鼠の気配はすでに部屋の別の場所にある。流し台の下、換気扇の裏、天井の隅。だが、鼠にしてはあまりにも音が大きすぎる。体重のある動物でなければ、これほどの振動は生み出せない。それに、鼠は夜行性だが、こんなに規則正しく壁を叩いたりはしない。齧歯目の連中は、門歯が一生伸び続けるから、常に何かを齧って削っていなければならない。だから彼等の立てる音は齧る音であって、叩く音ではない。連続的で、乾いていて、意図がない。今聞こえているのは、その真逆だ。断続的で、鈍く、そして―――意図がある。中から再び、壁を叩くような鈍い音が響く。ドン、ドン、と二回連続で。まるで何かの信号。モールス信号にしては単純すぎる。しかし、完全にランダムでもない。何かの意図を感じる。ネズミにしてはアグレッシヴすぎるし、知的すぎる。しかも、叩く位置が一定だ。下段の襖の中央、取っ手の少し右。あそこだけ、和紙が他の場所よりわずかに膨らんでいる。内側から押された痕跡のように。膨らみの中心には、指の腹くらいの大きさの、色の薄い円。何度も同じ場所を、内側から、手のひらで押した、―――そういう痕だ。ドン!「あ、また!」やっぱり何かいる。今度は一回だけ、さっきよりも大きな音。押し入れの襖がかすかに震えている。和紙の表面に、細かい皺が走る。襖の隙間から、古い埃がふわりと舞い落ちた。埃は逆光の中をゆっくりと沈み、畳の縁で止まる。埃のほとんどは人間だ、―――剥がれ落ちた皮膚、抜けた髪、繊維の屑。この家に住んだ全員の、細かく砕けた残骸が、いま俺の頭上でゆっくり沈殿している。どうしよう・・・。もし、押し入れを開けて、巨大鼠、野良猫、あるいは、それ以外の何か。今の俺には、それに対処する武器がない。『バイオハザード』みたいにハンドガンがあればいいが、生憎と俺は一般市民だ。あるのは鉄パイプだけだ、って嘘は止めろ、ヤンキー違う、ヤンキー違うから(?)精神科に勤める友人に言われたことを思い出す。『お前はいつも準備が足りないんだよ。何かあった時のために、最低限の対策は考えておけ』あいつは白衣の胸ポケットに、いつも二本のボールペンを差していた。一本は黒、一本は赤。『赤はな、患者の言葉の中の引っかかりに丸をつけるためだよ』と言っていた。今なら分かる。俺の人生には、赤で丸をつけるべき引っかかりが、いくつも見過ごされてきたのだ。その通りだ。今の俺は丸腰だ。段ボール箱の中を漁りながら、即席の装備を揃えることにした。こういう時、頼りになるのは知性ではない。編集力だ。東海オンエアなら、ここでテロップが入る。『検証:深夜の押し入れから出てきた"何か"は捕獲できるのか』虫眼鏡が理論を担当し、しばゆーが体を張り、てつやが無茶を通す。六人いれば怖くない。だが俺は一人だ。企画・出演・編集・撮影・そして被害者、全部俺。ワンオペのYouTuberが一番早く死ぬ。「え~と・・・・・・」まず、捕獲用のビニール袋。引っ越しの際に大量に使用した、厚手の透明なゴミ袋が何枚か残っている。四十五リットル用、半透明、防臭・防虫加工付き。これなら小動物を包んでも息が詰まらない。本当かどうかは知らない。袋の表面には、メーカーのロゴと一緒に、破れにくい二重層構造、と小さな字で書かれている。指で引っ張ると、確かに伸びる。伸びるが、果たしてこれが牙や爪に耐えられるかは別問題だ。高密度ポリエチレンというのは引っ張りには粘るが、一点に力が集中する引き裂きには脆い。牙とか爪は、まさにその一点集中の装置だ。要するにこの袋は、優しく包むためのもので、暴れるものを閉じ込めるためのものではない。分かっていて、俺はそれを選んだ。丸腰の人間は、手近な嘘を武器と呼ぶ。しかし、これだけでは袋の下に隙間ができてしまい、小動物なら簡単に逃げられてしまう。キッチンの流し台の下を探ると、前の住人が置き忘れたらしい中サイズのゴミ箱を発見。プラスチック製、淡いブルー、蓋付き。蓋の裏には『森田』と油性ペンで書いてある。前の住人の名前だろう。インクは少し滲んでいて、指で触るとかすかに粉を吹いた。名前の横には、小さな犬の落書き。耳が片方だけ異様に大きい。まるで『ポケモン』のイーブイが進化に失敗したような犬だ。森田という人物が、どんな人間だったのかは分からない。だが、このゴミ箱を置き忘れていく程度には、この部屋を雑に扱った人間だ。耳の大きい方の犬の頭には、吹き出しがついていて、中に何か書いてあった。掠れて読めない。二文字。『たす』とも『たぬ』とも読める。多分、気のせいだ。って、持って帰れやあああああ‼いやいや、ありがとーございます(?)プラスチック製で、直径約三〇センチ、高さ四〇センチほど。内側には乾いた水滴の跡が白く残り、底には小さな砂粒と、何故か折れた爪楊枝が一本落ちている。白い跡は水道水のミネラル、炭酸カルシウムの輪だ。水滴が蒸発した縁にだけ結晶が残る、いわゆるコーヒーリング効果の親戚。誰かがここで何かを洗い、乾かし、忘れた。生活とは、蒸発したあとに残る輪のことかもしれない。これとビニール袋を組み合わせれば、即席の罠として使える。すしらーめん、りく、が作りそうな、ピタゴラスイッチ式の落とし穴を一瞬妄想したが、あの精度は俺には無理だ。あれはもう工学だ。俺のは、ただのゴミ箱と袋だ。蓋を外し、袋を被せ、限界ぎりぎりだが大きなサイズの、輪ゴムで固定。輪ゴムは新聞受けに挟まっていた古いものを二重にかけた。本当はゴムバンドが欲しいが贅沢は言っていられない。こんなのよくあったな、と思うし、こんなによくぞ伸びてくれるなとも思う。しかし劣化して伸びきっている。だが、今はこれしかない。武士の情けというやつだ、それは違うか。天然ゴムは紫外線とオゾンで分子鎖が切れ、弾性を失って、触るとべたつく。この輪ゴムはもう、ゴムであることをほとんど諦めていた。それでも二重にすれば、諦めた者同士でも多少は仕事をする―――はずだ。これで飛び出してきた何かを捕獲できる、はず・・。次に、動物を追い込むための棒状のもの。段ボール箱の隙間に立てかけてあった突っ張り棒が目に入る。長さは約一メートル、アルミ製で軽量だが十分な強度がある。元はカーテンレールとして使っていたもので、引っ越しの際に外したまま、ここに立てかけていた。先端には滑り止めのゴムキャップが付いている。ゴムキャップは経年で白く硬化し、ひび割れている。俺の人生と一緒(?)握ると、手のひらに冷たい金属の感触と、微かな振動が伝わる。アルミの棒は、遠くの音をよく拾う。指先に伝わる微振動は、多分、冷蔵庫のコンプレッサーのものだ——そう思い込もうとした。だが、その周期は、押し入れの中の何かの呼吸と、不気味なほど合っていた。これなら安全な距離を保ちながら、何かを誘導できるだろう。最後に、自分の身を守るための防具。山道や、川原で蛇を踏んで襲い掛かってくることもある。いや、ここは大自然の裾ではないのだが(?)だが、精神科に言っていた誰かさんも言っていたじゃないか、厚手のパーカーを羽織り、軍手を装着。ロックウォォォーン・・・!ここで思い出すべきは、あの男だ。エガちゃんねる。江頭2:50。装備なんか関係ない。上半身裸で、猛スピードで、ただ突っ込む。困っている人がいれば全国どこへでも走り、カメラの前で全部さらけ出す、あの覚悟。俺にはあの覚悟がない。だからパーカーを着ている。フードまで被っている。エガさんが見たら『情けねぇなァ!』と言うだろう。すみません、pさんに免じて許してください。パーカーは裏起毛の黒、軍手は綿製の生成り。指先には滑り止めの点々が付いている。パーカーのフードを被れば、多少は顔面を守れる。減量中にランニングするボクサーは、パーカーのフードを被りたがる法則。神経を研ぎ澄ませろ。軍手の匂いは、新品の綿と、ほんの少しだけ洗剤の残り香。滑り止めの点々は塩化ビニル。指の腹で数えると、片手におよそ四十個。こういう時、人はどうでもいいものを数える。数えているあいだは、次に何が出てくるかを考えずに済むから。完璧とは言えないし逆にものものしすぎる気もしないではないが、さあ、これで最低限の準備は整った。深呼吸をし、肺に新鮮な空気を送り込むと、心拍数が少し落ち着く。吸い込んだ空気は、思ったより冷たい。十月の夜。窓硝子は一枚だけで、サッシの隙間から隙間風が入る。カーテンはまだ段ボールの中だ。単板ガラスは断熱をほとんどしない。外の冷気が、硝子一枚を挟んで、そのまま室内側の空気を冷やす。窓辺だけ、体感で二度は低い。十月の夜気が、サッシの気密の切れたところから、細い舌のように入ってくる。空気は少し冷たく、黴と埃の匂いが混じっている。窓は一つしかなく、それが北側に面しているため、この部屋はいつも薄暗く、少しひんやりとしている。突っ張り棒を右手に握り、左手でゴミ箱を持つ。準備完了だ。そして・・・・・・・。サー・・・・・・。恐る恐る、押し入れのドアを開ける。引き戸。木の感触は意外にも温かく、長年多くの人が触れてきた証拠の滑らかさがある。指先に伝わる木目の凹凸が、妙に生々しい。この家に住んだ何世代もの人々の手垢が、染み込んでいるかのようだ。引き手の裏側には、古い新聞紙が折り畳まれて挟まっていた。日付は平成七年。見出しは『阪神・淡路大震災』の文字。誰かが建付けの調整に使ったのか、それとも単なる詰め物か。折り目に沿って紙が茶変し、そこだけ脆く、触れると粉になりかけている。木材パルプのリグニンが、三十年の酸化で飴色に灼ける。古い紙が黄ばむのは、時間が紙に触れた証拠だ。震災の日付が、建具のがたつきを黙らせるために畳み込まれている。誰かの災厄が、別の誰かの静けさのために使われている。この家では、そういうことが起きる。ゆっくりと、音を立てないよう細心の注意を払いながら引き開ける。襖が五センチほど開いた瞬間、押し入れの内部から独特の匂いが流れ出てくる。長年閉じ込められていたような、黴と埃が混じったような、しかし微かに甘い、どこか懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。匂いは、脳の中でいちばん古い回路を叩く。嗅覚だけが視床を経由せず、嗅球からまっすぐ扁桃体と海馬、感情と記憶の座に配線されている。だから匂いは、理屈を飛び越えて、いきなり泣かせにくる。プルースト効果。紅茶に浸したマドレーヌ一切れで、失われた時が丸ごと戻ってくる、あれだ。それは、祖母の家の押し入れの匂いだった。子供の頃、かくれんぼで隠れた時に嗅いだ、安心と恐怖が入り混じったあの匂い。祖母の家の押し入れには、古い座布団と、桐の箪笥と、盆提灯がしまってあった。夏休みの午後、蝉の声が遠くで聞こえていた。『となりのトトロ』のサツキとメイが、押し入れを探検するシーンを思い出す。押し入れの中は暗く、外の光が襖の隙間から、細い線になって差し込んでいた。桐は湿気を吸うと膨らんで隙間を塞ぎ、乾くと縮んで通気する。だから着物と記憶を守るのに使われてきた。あの箪笥の匂いは、桐に染みた樟脳と、防虫の匂いと、絹の匂いが混ざったものだった。細い光の線の中を、埃が上がったり下がったりしていた。あれは対流だ。子供の俺は、それを妖精だと思っていた。しかし、それだけではない。何か、もっと深いところから湧き上がってくるような、記憶の底を揺さぶるような匂いでもあった。それは、雨の日の教室の匂いでもあり、焚き火の煙の匂いでもあり、初めて好きになった人の髪の匂いでもあった。複数の記憶が、一つの匂いに圧縮されている。そんなことは、化学的にはありえない。単一の芳香分子が、複数の異なる記憶を同時に発火させることは。だがこの匂いは、それをやってのけた。まるで、いくつもの過去を一本の糸に撚り合わせたような。後になって、俺はこの『撚り合わせる』という感覚を、もっと厄介な形で思い知ることになる。「!?」絶句。言葉が咽喉の奥で固まってしまう。そこで俺が眼にしたものは、想像を遥かに越えた代物だった。ノーカット、ガチ現実、長回し。「・・・・・・って、ファッ!? ちょ、おまwww」こんな感じ。「お、おい・・・・・・」そしてこんな感じ。このシチュエーションでは、俺はどんなリアクションを取るべきなのだろう。人がいた、しかも寝ていた。常識的な判断力が完全に停止している。押し入れの中に。まるでここは自分のベッドルームだと主張するように。下段の押し入れは、本来なら布団が二枚は入る広さだ。だが、その中央に人間の女の子が横になっていた。頭の下には、丸めた古いタオルケット。足元には、畳まれた段ボール板。即席の寝床としては、あまりにも整いすぎている。段ボール板は、俺が昨日ほどいて畳んだやつだ。角がきっちり九十度に合わせて折られ、四辺が定規で測ったように揃っている。俺が畳んだのは、こんなに綺麗じゃなかった。誰かが、俺の残骸を、俺よりも丁寧に畳み直した。それが、この夜のいちばん薄気味悪い部分だったかもしれない。人がいたことより、整頓されていたことの方が。ドッキリなら、ここで「はい、どーもー!」と、はじめしゃちょーが飛び出してくる場面だ。天井のどこかに小型カメラが仕込んであって、スタッフが笑いをこらえている、あの構図。だが、誰も出てこない。ドッキリには必ずオチがある。これにはオチが見えない。オチのないドッキリは、ただの事件だ。・・・・・・何故?・・・・・・どうして?・・・・・・ホワイ?・・・・・・フーワッチャッチャ(?)・・・・・・ふう。・・・・・・でも、俺、さっき、引っ越してきたばかりで、誘拐とか―――してない・・・よなあ(?)誰か―――記憶操作とかしてないよね(?)―――あの時、空を見上げてキラッて光ったような気がした、って、光ってない光ってない、嘘やめて(?)弾んだゴムを手放したような予想外の展開だが、現実逃避したくなる気持ちをぐっと抑えて、改めて状況を観察する。年齢は二十歳前後に見える。身長は一五〇センチ台前半といったところ。体重は四十キロ前後だろうか。細い手足、華奢な肩、しかし全体的に柔らかそうな印象。黒髪のセミロングで、寝息に合わせて髪が微かに揺れている。髪は少しうねっていて、毛先が広がっている。まるで墨を流したような、自然な艶。髪が、畳の藺草の隙間に落ちている。黒と薄緑のコントラストが、妙に鮮明だった。服装は白いブラウスに紺色のスカート、ブラウスは綿素材で、所々に細かい刺繍が施されている。小さな花の模様。刺繍は、よく見ると桜ではなく、どら焼きの形をしていた。小さな、小さなどら焼き。二つ並んで、焼き目の部分まで刺繍されている。焼き目は、明るい茶と濃い茶の二色の糸で、サテンステッチとフレンチノットを使い分けて刺してある。ふっくらした皮の陰影が、たった数ミリの中に立体として表現されていた。これを刺した人間は、どら焼きを愛していた。それも、正気の範囲を少しだけ超えて。伏線だ、と今の俺は言える。あの時の俺は、ただ変わった刺繍だなとしか思わなかった。スカートはプリーツ加工で、膝下までの長さ。まるで学生のような清楚な格好。しかし、よく見るとブラウスのボタンは一つだけ外れている。首元が少し開き、鎖骨が見える。鎖骨の上には、小さなほくろが一つ。米粒よりも小さく、薄い茶色。靴は脱いで押し入れの端に綺麗に揃えて置かれている。黒いローファー、つま先が少し擦れている。靴下は白のソックス、足首のところで少しだけ折り返されている。細部は、嘘をつかない。あるいは細部まで作り込める嘘が、一つだけ存在する。ヤフー知恵袋の質問にもあるじゃないか、 なんでみんな俺の注文したシーザーサラダをつまむのですか。シーザーサラダはみんなの共有財産なのですかってさ、そうしたら回答で、食べられた瞬間にすかさず注文せよ、戦場なんだ、洗浄はママレモンなんだ、お米にも使える、居酒屋の暗黒面を恐れるな、お前はシーザー、カサエル・シーザー、とかいう、一ミリも信用できない回答者のことを思い出す、だが、仮にその回答者が正しいとしても、今ここにある問題はシーザーサラダではなく、 押し入れに寝ている女の子だった。―――そういうところなんだよ、SONY(?)「・・・・・・なんで、こんなとこで寝てるんだ?」でも、ちょっと可愛いかも。小さな寝息が聞こえる。表情は穏やかで、まるで赤ちゃんのように無防備。目蓋は薄く、植物みたいな睫毛の一本一本がはっきりと見える。頬がほんのり赤く、長い睫毛が影を作っている。唇は薄いピンク色で、微かに微笑んでいるようにも見える。唇の端に、小さな笑窪のような窪みがある。呼吸のたびに、鼻先の産毛が微かに動く。吐く息は、ほんの少しだけ甘い匂いがした。どら焼きの皮のような、小麦粉と蜂蜜の匂い。呼気に糖の匂いが混じるのは、普通じゃない。ケトン体の甘い匂いとも違う、もっと素朴な、焼き菓子の匂い。人間の吐く息が、加熱した小麦とハチミツの香りを帯びる代謝経路を、俺は知らない。医学書のどこにも載っていない。載っているとしたら、それは医学書じゃない。「く~」タヌキかも知れない。いや、『ポケモン』のタヌキポケモン、ジグザグマかも、それが段々アナグマやフェレットに、嘆かわしい(以下省略)―――いや、現実逃避はよせ、サムソン(?)じっと見つめて、如何とも形容しがたい、表情を浮かべ続けていたに違いない、お前の名前サムソンだったか―――(?)―――女の子、だった。で、幸せそうに寝息を立てていた。ドン!彼女が寝返りを打つと、足が壁を蹴って、大きな音がした。スカートが少し捲れ、白い悩ましい太腿が露わになる。太腿の内側には、小さな古い傷。擦り傷の跡。子供の頃、自転車で転んだような、そんな形。慌てて目を逸らすが、その映像は網膜に焼き付いてしまった。一瞬、脳内でヒカキンが再生された。ブンブンハローYouTube、と。あの人が口ひとつで打ち出すビートボックスのバスドラム、あのドッ、という圧に、質感が近い。違う、これは効果音じゃない。編集で足されたドンのテロップでもない。生音だ。強い印象は視神経のずっと奥、扁桃体で焼き付けられる。フラッシュバルブ記憶、それが見てはいけないものであるほど、消えにくくなるという不都合な仕様。目を逸らしても遅い。網膜の残像が消えても、記憶の側が拾ってしまっている。夢か現実か、これは誰かの悪戯なのか、それとも自分がおかしくなったのか、どうすればこの状況から脱出できるのか・・・・・・。「どうすればいいんだ? 俺は・・・・・・」考えた末・・・・・・、そうだ、見なかったことにしよう。人は大きな精神的ショックを受けると、通常では考えられない行動を取ることがある。心理学の教科書で読んだ記憶がある。エリクソンの発達段階説だとか、フロイトの防衛機制だとか、そんな堅苦しい名前は忘れたが、要するに現実から目を逸らすのだ。否認、抑圧、そして今まさに俺がやろうとしている、いちばん原始的なやつ―――回避。教科書はこれを未成熟な防衛機制と呼ぶ。悪かったな、未成熟で。押し入れに見知らぬ女の子が寝ている状況で、成熟した対処法を用意してある人間がいたら、そいつの方がよほど問題だ。なんだったらその心理学の教科書を執筆した人間に、同じ目に遭わせてやりたい。『PSYCHO-PASS』のシビュラシステムに判定させたいくらいだ。何ということはない、八つ当たりであり、現実逃避だ。俺は大学の教養課程で心理学概論を取った。単位は取ったが、内容はほとんど覚えていない。覚えているのは、教授が、人間は都合の悪い情報を無意識に排除する、と言ったことだけ。今の俺は、その見本のような状態だ。俺は、今見た光景を忘れるために押し入れのドアを閉めようとする。―――そうだ、きっと、俺は疲れている。今日は朝から荷解きをして、本棚を組み立てて、カーテンレールを取り付けて、電球を交換した。もうへとへとなんだ。もう限界なんだよ、俺のアキレス腱が(?)アキレス腱関係あったっけ?梱包材のプチプチを踏む音、ドライバーでネジを回す感触、新品の電球の白い光。それら全部が、遠い昔の出来事のように感じる。この埃、俺の二十代代の夢と希望だ(?)あの白々しさが、いま思えば、非日常への切り替えスイッチだったのかもしれない。あの光の下で、俺の一日は静かに現実から剥がれ始めていた。だがそうは問屋が卸さない。スッ、と閉めようとしたらガッと掴まえられた。突然、細い手が襖の隙間から伸びてきて、戸を掴んだのだ。指は白く、爪は短く整えられている。手のひらには、少しだけ汗の感触があった。爪の根元には、小さな白い半月。右手の人差し指の腹には、ペン胼胝のような硬い部分。ペン胼胝は、長時間、同じ姿勢で何かを書き続けた人間にできる。もしくは、長時間、同じ姿勢で何かを織り続けた人間にも。指の関節の内側に、糸で擦れたような薄い筋がある。ペンにしては、位置が少し違う。間違いない、さっきまで寝ていたはずの彼女は、実は起きていたのだ。いや、もしかすると俺が襖を開けた瞬間から起きていて、たぬき寝入りをしていたのかもしれない。心臓が胸から飛び出しそうになる。アドレナリンが血管を駆け巡り、全身が戦闘態勢に入る。瞳孔が開き、視界が少し広くなる。聴覚が研ぎ澄まされ、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。鼓膜の奥で、血液の流れる音まで聞こえる。それでも俺は頑なに襖を閉めようとする。心臓が出るほどビックリしながらそれでも閉めようとする、頑なに。開けようとする、懸命に。あと、頑なに。閉めようと―――する・・あと、頑なに。彼女は必死に開けようとする、こいつも、頑なに。引かぬ、媚びぬ、省みぬ! 帝王に逃走はないのだー!だぁぁぁ!! なんてお約束な展開。あと、頑な頑ないれすぎなんだよ。って、馬鹿か、不毛すぎんだろ、何だってこんな馬鹿なやりとりを繰り返さなくちゃいけないんだ。押して駄目なら引いてみなって言葉を思い出し、―――すっ、と離した(?)ずこおおっ、と普通に転がり出てきた女の子。畳の上で一回転して、最終的に俺の足元で仰向けに倒れる。スカートが完全にびろんと、少年漫画特有の悪戯な風のように捲れ上がり、白い下着が見える。柄は水色のストライプ。ストライプの幅は均一ではなく、ところどころかすれたように細い。ウエストのゴムは少しだけ緩んでいて、左側に小さなリボンがついている。慌てて眼を逸らす。そして、仰け反った姿勢から、よいしょよいしょと、姿勢を正して、あ、そこ正座してくれますか、あ、はい、背筋をぴんと伸ばし、両手を膝の上に置く。まるで茶道の作法のような、完璧な正座。爪先は揃えられ、踵は少し浮いている。背筋は一本の線のようにまっすぐで、首の角度も完璧に調整されている。膝の上に置かれた手は、指先まで意識が通っている。手のひらは上向き、指は自然に揃えられ、親指だけが少し内側に曲がっている。まるで能楽の型のような、様式美。重心が仙骨の真上に落ちて、そこから頭頂までが一本の見えない軸で貫かれている。武道でも茶でも能でも、型とは要するに、力を最小にして姿勢を保つ最適解のことだ。何百年もの試行錯誤で削り出された、身体の数学。―――そして将棋の対局の姿勢(?)「やはりここは―――乙姫タイムの時間です。私は男性がスカートを好きだというのを忘れていました、アンゴルモア(?)」この子、変な子かもしれないと思いながら、付き合うのは心の何処かにある、やましさのせいだろうか、あと、アンゴルモア(?)いや、そうじゃない。これは好奇心だ。ただ、男性がスカートを好きなのは、スケベ心で生足が見たいというものと、女の子らしい格好、つまり可愛い格好をしていてほしいという、その二つだと思うのだが。そして、さっき見てしまった水色のストライプは、おそらく前者のカテゴリーに属するものだった。いや、後者かもしれない。どちらにせよ、俺は今、非常に複雑な感情を抱いている。その感情は、罪悪感と好奇心と、ほんの少しの優越感が、撹拌機にかけられたように混ざっている。しかも、そのどれもが本物で、どれもが偽物のような、奇妙な二重性。光の粒が、波でもあり粒でもある、みたいな。観測するまで、どっちとも言えない。俺のこの感情も、名前をつけようとした瞬間に、別の何かに崩れてしまう種類のものだった。だから俺は、それをそのまま重ね合わせのまま、そっとしておくことにした。「ここで、ひとつ、クエスチョンですッ!」彼女はそんなことを言い出した。俺だって言いたい、ここで、ひとつ、エスケープですッ!(?)「コーヒーはミルクと砂糖?」どうも時間がかかるから、コーヒーでも飲んでいてという意味だと解釈。いらないよ、わかりました、ブラックですね、わかりましたと言って、小さな店の食べ放題のときに限って注文遅れることがあり、そのときにバイトの子がやって来て、お叱りを受けて、わかりました、という気のない返事によく似ている。状況が飲み込めないまま、彼女は勝手知ったる顔で、台所というか流し台とコンロが一体になった簡素な調理スペースで、俺のアパートの所有物であるインスタントコーヒーを使って、手慣れた様子でコーヒーを準備し始めた。インスタントコーヒーは、引っ越し祝いにもらった瓶入りのもの。誰って、友達はそんなのくれない、男の誕生日プレゼントはTENGAだし、いや使いますけどね、親だよ、親。『香り高い一杯を』というキャッチコピーが書いてある。現実逃避推奨ということだろう、その気持ちは痛いほどよく分かった(?)瓶の蓋は湿気を恐れた俺が固く締めたので、彼女は一度、コノヤロいいながら台所の角にぶつけて開けた。蓋の内側には、乾いたコーヒーの粉が薄くこびりついている。電気ケトルでお湯を沸かし、マグカップを二つ用意し、スプーンでコーヒー粉末を適量すくう。さらさらさらさら。マグカップの一つは白、一つは青。白い方は俺が普段使っているもので、青い方は引き出しの奥にしまってあるもの、いや来客用であり、恋人用のものだ。イマジナリーフレンド仕様ね(?)彼女はその青い方を選んだ。ちなみに青いマグカップの底には、小さな欠けがある。引っ越しの時にぶつけたものだ。彼女はその欠けを、指でそっとなぞった。その一連の動作に無駄がない。まるでこの部屋の住人のように自然だ。湯を注ぐ時、彼女はケトルを高く持ち上げ、本当に高く持ち上げ、漫画やアニメ、一部の店がガチで危ないのにやる、驚きの技法のもと、細い糸のようにお湯を落とした。パフォーマンスが味に変わることはない、インスタグラム仕様だ。コーヒーの粉が蒸気で膨らみ、小さな泡が立つ。その匂いが、部屋の黴と埃の匂いを、一瞬だけ追い出した。まあいうほど、部屋の黴と埃の匂いもしないし、なんだったらさっき鼠がとかいっていたけど、そんなに音しないんだけどね(?)インスタントコーヒーの顆粒は、抽出液を凍らせて真空で氷を昇華させるフリーズドライで作られる。ネイティブに言う場合( ´Д`)=3 フゥフリュウズドレェイと発音する。世界英語ネイティブ選手権日本代表とどろき支部の実力とは、まあ、このようなものである(?)―――おっと、脱線した、だから熱い湯に触れた瞬間、閉じ込められていた揮発性の香気成分が一気に立ち上る。彼女が湯を高い位置から細く落としたのは、粉全体に均一に湯を当て、泡を立てて余分な炭酸ガスを抜くためだ。ハンドドリップの初手。インスタントにその作法は要らない。要らないのに、やる。だって、多分、格好いいから。お上品だから。なんていうか、パリピだから(?)この子のする全ての動作には、必要以上の丁寧さという、同じ指紋が押されていた。「では、ちょっと乙姫タイムしたいと思います。これはストーカーじゃないんです」逆説的にそれは、ストーカー行為があったことを認めているのだが、乙姫タイムというのは、恋愛の特殊性や非日常性を表現しているのかもしれない。あるいは、単なる現実逃避の隠語か。どちらにせよ、彼女がこの部屋に不法侵入したことに変わりはない。刑法第百三十条、住居侵入罪。法定刑は三年以下の懲役または十万円以下の罰金。『逆転裁判』の成歩堂龍一なら、「異議あり! この女子は不法侵入ではありません!」と叫ぶかもしれない。そんな条文が、頭の隅で勝手に再生される。だが、その条文を唱える自分の声は、やけに小さく、遠く聞こえた。『正当な理由がないのに、人の住居に侵入した者』と、条文はそう言う。だが、正当な理由とは何だろう。ここでホリエモンなら即座に言うだろう。それ、法律の話をしても意味ないですよ、前提が違うんだから、とでも言うだろうか。堀江貴文は、時間を何より重んじる人だ。刑務所に入って、時間の値段を誰よりも知った人だ。その人が、時間そのものを操るこの女に会ったら、何を言うんだろう。『これは―――アリだな』くらい言いそうで怖い、そして俺はモハメド・アリと寒いことを言う(?)俺は、自分の家の中で、何の法律も及ばない小さな治外法権と、コーヒーを挟んで向かい合っていた。もしかすると、この押し入れは単なる収納スペースではなく、異世界との境界なのか、『千と千尋の神隠し』のトンネルみたいに。あるいは彼女の存在そのものが物理法則を歪ませる何かなのか・・・・・・。いや、そんなはずはない。きっと現実的な説明があるはずだ。何事も、話をきちんと聞いてから判断しても遅くない。そう自分に言い聞かせながら、とりあえず彼女の話に付き合うことにした。「うん、ストーカーじゃない、乙姫タイムなんだ」俺はとりあえず彼女の言葉を肯定する。この状況で論理的な会話を期待するのは無理があるかもしれない。肯定することで、自分の中で何かが妥協され、別の何かが許されていく。その感覚は、とても危うく、しかし奇妙に心地よかった。一度うなずくと、次のうなずきは軽くなる。認知的不協和が、じわじわと、都合よく解消されていく。これを受け入れている自分に合わせて、これは受け入れてよいものだという前提の方が書き換わっていく。人が少しずつおかしくなる時、大抵、本人はとても納得している。フリュウズドレェイ(←まだ言ってる)「その―――十八禁的発言は?」彼女は突然、何かすごいことを言おうとするような、目力のある表情を見せた。さらに眉を顰め、口元に小さな笑みを浮かべる。怪談師のパフォーマンスでよく見られるが、心臓悪い人もたまにそんな表情をするので、救心のCMを思い出してしまう(?)「俺はNHKじゃないから大丈夫だよ―――」何故NHKが出てきたのか自分でも分からないが、とりあえずそう答える。NHKといえば、受信料の集金の人が来た時のことを思い出す。『学生さんですか?』と聞かれた。『社会人です』と答えたら、『では、受信契約をお願いします』と言われた。結局、その日は契約しなかった。テレビもネットもしていなかったからだ。だが、今思えば、契約しておけばよかったかもしれない、テレビでNHKしか見ない俺はむしろそのまわしものだし(?)いや、関係ない。あの集金人は、黒い革のバッグから、小さなタブレット端末を取り出し、住所と名前を確認した。画面の反射が、彼の眼鏡に映っていた。あの時の、なんとも言えない気まずさ。今の状況も、それに似ている。理不尽な要求を、断りきれない空気。あの集金人の眼鏡には、俺の玄関のドアと、その奥の暗い廊下が、魚眼レンズのように歪んで映っていた。今なら思う。あの歪みの中に、もう、この押し入れの気配が写り込んでいたんじゃないか、と。契約すべきだったのは、たぶんNHKじゃない。もっと別の、名前のない何かとの、受信契約だった。さっき言っていたじゃないか、何だって、思い出せないのか、お前の記憶力も大したこともないもんだな、アンゴルモア(?)「ちなみに、Hな女の子は?」「―――ノーコメント」突然の直球質問に面食らう。頬が少し赤くなるのを感じる。耳の先が熱くなる。血流が皮膚のすぐ下を流れていく感覚。顔が赤くなるのは、交感神経が顔面の血管を意に反して、拡張させるからで、これは人間だけが極端に発達させた反応らしい。猿の尻については何も知らない。ダーウィンは赤面を最も人間的で、最も特異な表情と呼んだ。だから進化論みたいなのを作るんだな、極端な物言いが好き、非常にダーウィン的(?)嘘をつけない場所。耳の先が熱いということは、俺は今、この子に対して、何一つ隠せていないということだ。「好きってことですね」「―――ノーコメント」「アヘ顔ダブルピースは?」「正直あんまり好きじゃない」「・・・・・・なるほどなるほど」彼女は何かを納得したように頷き、俺の反応を情報収集しているようだった。まるで心理カウンセラーが、クライアントの言葉の裏にある本音を探るように。しかし、彼女の質問はあまりにも直接的で、まるでアンケート調査のようでもあった。『あなたの性的嗜好を教えてください』という、市場調査のためのアンケート。そんなものがこの世にあるかどうかは知らないが、彼女の態度はまさにそれだった。しかも、彼女はメモを取らない。すべてを頭の中に記憶している。その記憶力が、少し怖い。まるで、俺の反応パターンを学習しているかのようだ。質問の順序が、明らかに設計されていた。まず直球で反応の基準線を取り、次に極端な選択肢で振れ幅を測る。心理測定の常道だ。彼女は俺という一人の人間を、いくつかの座標に落とし込もうとしていた。まあ、大した話など一つもしていないのだが(?)「それであのすみません、どら焼きありますよね?」突然の質問に驚く。確かに、引っ越しの際にコンビニで買った、どら焼きが冷蔵庫に入っている。山崎製パンの『ふんわりどら焼き』だ。粒あん入り、三個入りで、二九八円。賞味期限は明日まで。たまたま甘いものが欲しくなって購入しただけだったのだが、何故彼女がそれを知っているのか。何かの精神操作を受けていたのだろうか。それとも、彼女は事前に俺の行動を観察していたのか。あるいは、単なる偶然か。しかし、偶然にしてはタイミングが良すぎる。冷蔵庫の中の配置まで、彼女は知っているようだった。手を伸ばす前に、すでに視線がどら焼きの位置を捉えている。冷蔵庫のドアを開ける前に、彼女は一度、俺の顔を見た。その目は、まるで『ある』と確信している目だった。確信、という言葉では足りない。彼女の目は、『もう見た』目だった。未来をすでに一度通過してきた者が、答え合わせをするために振り返る―――そういう目。この時はまだ、その意味が分からなかった。図書館で、俺の名前の書かれた本を見つけるまでは。彼女はにっこりと笑い、勝手に冷蔵庫を開けてどら焼きの在庫確認を始めた。泥棒というにはスマートだ。冷蔵庫の中は、彼女が開けた瞬間に冷気が流れ出し、彼女の髪を微かに揺らした。その行動があまりにも自然で、まるで同棲しているカップルのような親しみやすさを感じさせる。なこなこチャンネルか、ヴァンゆんか、というくらいのできあがった二人感。『同棲一週間のルーティン』みたいな動画が撮れそうな距離。問題は、俺達が付き合ってもいないし、彼女が何者かも分からないという点だけだ。それ以外は完璧なカップルYouTuberだった。それ以外が全部おかしいとも言う。その光景が、全く違和感なく見えてしまうのが、逆に恐ろしかった。冷蔵庫の扉の内側には、卵が二個、牛乳パックが半分、納豆が三パック、そして何故か小さな瓶に入った梅干しが一つ。彼女はその梅干しの瓶を一瞥し、ほんの少しだけ首を傾げた。まるで、知っているはずのないものを見つけたように。冷気が流れ出す、庫内の冷たい空気は密度が高いから、扉を開けると重力に従って足元へ滝のように落ちる。その見えない滝が、彼女の毛先だけを、ほんの一瞬、持ち上げた。梅干しは、俺が入れた覚えのないものだった。あとで思い出そうとしても、いつ買ったのか、誰にもらったのか、どうしても像を結ばない。彼女が首を傾げたのは、多分、それが、この部屋にあってはいけないものだったからだ。俺の記憶に穴を空けて、後から誰かが差し込んだ栞のような、梅干し。 *「それで乙姫タイムって、何なんだよ・・・・・・」あれから三日。そう、三日。確実に三日。カレンダーに印をつけて数えているから間違いない。カレンダーは壁に掛けた百均のもの。日付の欄には、赤いボールペンで小さな丸が三つ。昨日、一昨日、そして今日。赤い丸は、日を追うごとにわずかに大きくなっていた。人は、慣れないうちほど、丁寧に、小さく印をつける。慣れてくると、大きく、雑になる。俺のカレンダーの丸は、この非日常に俺が慣れていく速度を、正確に記録していた。三日目の丸は、もう、ためらいなく大きかった。あの押し入れ事件の後、彼女は俺の部屋に仮住まいしている。この仮住まいという表現も彼女が使ったもので、まるで旅館にでも滞在しているような気軽さだ。そして何故か俺より家賃の仕組みに詳しく、管理会社の田中さんとも仲良くなっている。田中さんは五十代の男性で、いつも作業着を着ている。「乙姫さんには頭が上がりませんよ」と田中さんは言った。何故頭が上がらないのかは知らない。顔見知りなのか何なのかは分からないが、「あ、例の乙姫さんですね」と言われる始末。俺が契約したばかりなのに、何故か彼女の方が先住民扱いされている。田中さんは、週に一度、共用部の掃除に来る。ほうきとちりとりを持ち、必ず決まった順番で階段を掃く。彼は乙姫を見ると、いつも決まって「今日はどら焼きですか」と聞く。乙姫は「今日はどら焼きです」と答える。そのやりとりは、もはや儀式のようだった。田中さんの箒の掃き方には、癖があった。踊り場でいったん止まり、階段を上から下へ、右、左、右、と三回で一段を払う。判で押したように同じ。人は、意味の分からないことに囲まれると、自分の手順にしがみつく。俺のカレンダーの丸と同じだ。田中さんの『今日はどら焼きですか』も、たぶん、正気を保つための呪文だったのだと思う。この建物の全員が、それぞれの小さな儀式で、崩れそうな日常を支えていた。大家に至っては、契約書にこういうことがあると記載されていると言われた。契約書は確かに分厚かった。しかし、俺は重要なところしか読んでいなかった。『第何条かに書いてありますよ』と大家は言った。何条かは教えてくれなかった。まったく聞いていなかったし、読んでいなかった。あと、不法侵入なめるなよ、法治国家なめるなよ、クマなめるなよ、とちょっと言いたかった(?)契約書は今、押し入れの上段にしまってある。クマ、違った、鈴が鳴って、違った催涙スプレーもっと違った、まあなんだ、彼女が来てから、一度も開いていない。開く気も起きない。開けば、あの営業マンが指を止めた第三十八条に、何が書いてあるのか分かる。分かってしまう。人は、答えが怖い時、問いごと箱にしまう。契約書は天袋の暗がりで、除湿剤の潮解した液と、震災の日付の新聞と、一緒に静かに湿気を吸っている。読まれなかった条文は、読まれないことで、かろうじて力を失っていた。そんなこんなで、仮住まいのどら焼きガール。ここで一句。押し入れに、謎の美少女、草生える(字余り)偏った食事、どら焼きが主食。朝はどら焼き、昼はどら焼き、夜はどら焼き。時々、俺が作った味噌汁を飲む。「味噌汁は飲み物です」と彼女は言う。カレーは飲み物みたいなノリで言うな!「飲み物じゃない」と俺は言う。「では、スープです」と彼女は言う。「スープでもない」と俺は言う。「では、何ですか」と彼女は言う。「味噌汁だ」と俺は言う。「なるほど」と彼女は言う。そして、またどら焼きを食べる。味噌汁の具は、豆腐とわかめと、時々ネギ。彼女は豆腐だけを先に食べ、わかめを後回しにする。その食べ方には、何か確固たる信念があるように見える。「わかめは、海の記憶だから、最後にとっておくんです」と一度だけ言った。冗談だと思って笑った。乾燥わかめが湯で戻ると、細胞が水を吸って何倍にも膨らみ、鮮やかな緑を取り戻す。あれは死んだ海藻が、湯の中で一瞬だけ生き返る現象だ。彼女はそれを、椀の底で、じっと見ていることがあった。海側の担当が、椀一杯の海を名残惜しそうに見ている、なんてことを、この時の俺はまだ知らない。彼女は相変わらず、寝る時は押し入れを選ぶ由緒正しい居候。まるで青いロボット猫のように、押し入れが定位置で、夜になるとタヌ寝モードに入る。(ただ押し入れの位置は上ではなく、下だが、)下段の押し入れには、彼女専用の布団が敷かれている。俺が使わなくなった古い敷き布団と、百均で買った小さな枕。それだけが、彼女の部屋だった。敷き布団のカバーは、もともと灰色だったが、今は少しだけ薄い桜色に染まっている。彼女の体温か、それとも何か別の要因か。枕の横には、小さな文庫本が一冊。タイトルは読めない。表紙が逆さまになっている。灰色の繊維が桜色に転じる化学変化を、俺は説明できない。染料は外から与えなければ色は生まれないのが、地上の化学の建前だ。だが、この布団は、内側から色を得ていた。まるで、繊維の一本一本が、彼女の眠りの何かを吸って、ゆっくり花になろうとしているみたいに。文庫本の背表紙を、一度だけそっと起こして見た。タイトルの文字は、見た瞬間は読めるのに、目を離すと忘れる。それだけは、はっきりしていた。『図書館の魔女』か『本と鍵の季節』か、はたまた『ビブリア古書堂の事件手帖』だろうか。そしてルーティンも確立されていた。俺がコンビニからどら焼きを買って帰ると、玄関のドアを開ける音だけで察知し、「わひゃー!」という奇声と共に襖から飛び出してくる。完全に『キェェェェェ!!』って猿叫キタコレ! 薩摩藩士かお前は!その飛び出し方は、まるでカタパルトから放たれた石のように勢いがある。畳に着地する時、小さなトンという音がする。その瞬間の彼女の表情は、子供がクリスマスプレゼントを見つけた時のような、純粋な喜びに満ちていた。目はキラキラと輝き、口元は大きく緩み、頬はほんのり赤く染まっている。番犬代わりになるのかもしれない。もちろん番犬のはずだ、タヌキではない。何故かそう自分に言い聞かせる必要があった(?)彼女の飛び出すタイミングは、ドアノブを回す音ではなく、鍵を差し込む音でもなく、俺の足音が玄関の三和土に触れた瞬間だった。まるで足音の周波数を聞き分けているかのようだ。たたき三和土、石灰と土と苦汁を叩き締めた、あの硬い土間だ。そこに靴底が触れると、コンクリートとは違う、詰まった低い音がする。彼女はその音の質を聞き分けていた。人には、足音に指紋のような個性がある。歩幅、重心の移り方、踵から爪先への抜け方。彼女は、世界中の足音の中から、俺の一つだけを、暗い押し入れの中で待ち構えていた。番犬だ。もちろん番犬だ。「そろそろ正体、教えてくれてもよくないか?」彼女は畳の上で正座し、湯呑みを両手で包み込むようにして持っていた。湯呑みは、俺が百均で買ったもの。白地に青い波模様が描かれている。彼女はそれを、まるで宝物のように大切に扱う。その姿勢は茶道の心得がある人のそれで、背筋が美しく伸びている。湯呑みの底には、小さな傷がある。食洗機で洗った時にできたものだ。彼女はその傷を、親指の腹でそっと隠すように持つ。湯呑みの青い波模様は、いわゆる青海波、同心円を重ねて波を表す平安の昔から続く文様だ。無限に連なる波は、平穏と永続を願う吉祥の意匠。彼女はいつも、その波の一つに親指を添えて持つ。海側の担当が、百円の湯呑みに描かれた海を、掌で温めている。傷を隠すように持つのは、たぶん、優しさとは別の何かだ。欠けたものを、欠けたまま抱える手つき。「それを言葉にしてしまったら、私は普通の女の子になってしまう気がして―――」キャンディーズか! 『普通の女の子に戻りたい!』って俺も古いな(?)彼女の声には、どこか切ない響きがあった。まるで魔法が解けることを恐れているかのような・・・・・・。その声は、少しだけ震えていた。湯呑みを持つ指先も、微かに震えている。しかし、表情は穏やかで、微笑みを絶やさない。その微笑みは、能面のように完璧で、しかし能面のように、どこか悲しげだった。能面は、それ自体は無表情に彫られている。悲しみも喜びも、面には刻まれていない。見る者が、面をわずかに俯かせる曇り、上向ける照り、―――その角度の中に、勝手に感情を読み取る。彼女の微笑みも、そうだった。完璧に中立で、だからこそ、こちらの心の状態を全部映してしまう。俺が悲しいと、彼女は悲しく見えた。俺が彼女を失うことを恐れ始めていたから、彼女の微笑みは、そのぶんだけ、別れの色を帯びていた。「いや、事情はよく分からないんだけど、普通どころか大事件だって、これ、不法侵入だし、不法占拠だからね、管理会社や大家はともかく」最低自分の身の回りで、不法侵入や不法占拠は成立しないだろうし、何より俺がそういうことを成立させな―――い・・。じゃあ、何で言うのかって言ったら、その代価として、きちんと説明して欲しいという意味だ。つまり、黙認する代わりに、情報をくれということ。俺は別に、彼女を警察に突き出すつもりはない。しかし、何も知らないまま一緒に住むのは、いくらなんでもリスクが高すぎる。リスク、という言葉が、妙に安っぽく響く。本当のリスクは、彼女を失うことなのかもしれない。そんな考えが、頭の隅をよぎる。リスクとは本来、サイコロを転がすを語源に持つ、確率と損失の掛け算のことだ。金融マンが端末に向かって計算する、あの冷たい数字。だが、俺が今、天秤に載せているものには、確率も損失額も定義できなかった。この子がいなくなる世界の損失を、円で見積もれる人間がいたら、そいつの心は、どこかが壊れている。俺は、計算できないものを、計算できるふりで語ろうとしていた。それがいちばん、安っぽかった。チープといえば、もっと安っぽいJ-ポップ(?)「でも、近いよ。もう少しで、おでこビームを放つ条件が揃うから」ピッコロさんかよ! 魔貫光殺砲でも撃つんか!「何ビームだって?」彼女の額を見ると、確かに微かに光っているような気がする。錯覚かもしれないが、小さな星のような光点が点滅しているように見えた。その光は、蛍の光のように儚く、しかし、確実にそこに存在していた。その光は、よく見ると、小さな小さな文字の集合体のようにも見えた。読めない。だが、意味だけが伝わってくる。まだ、だめ、もうすぐ。蛍の光は、ルシフェリンという物質がルシフェラーゼという酵素で酸化される、生物発光、バイオルミネッセンス。熱をほとんど出さない、ほぼ百パーセントが光になる、生き物の作る最も効率的な光だ。深海の魚も、これで闇の底に文字を書く。彼女の額の光も、熱がなかった。近づけた手のひらは、少しも温かくならなかった。冷たい光で、皮膚の下から、彼女は何かを綴っていた。カウントダウンのように。もうすぐ。何が、もうすぐなのか。 *謎はいくつもある。冷蔵庫を開けると、謎の食品ラベル。リュウジのバズレシピの商品名みたいな、あの中毒性のあるネーミングセンスが、うちの冷蔵庫を侵食していた。『至高の』『悪魔的』『虚無』―――あの語彙が、うちの冷蔵庫の中に宿っている。【乙姫漬け(賞味期限:最後の月曜)】透明なタッパーに入った淡いピンク色の漬物のようなもの。野菜なのか果物なのか判別がつかない。形状は大根のようでもあり、リンゴのようでもある。匂いは、梅干しとマンゴーを混ぜたような、甘酸っぱい香り。タッパーの蓋には、小さな水滴がついている。内側から湧き上がる水分。まるで、漬物が呼吸しているかのようだ。漬物が水を出すのは、浸透圧のせいだ。細胞の外の塩分濃度が高いと、細胞は自分の中の水を、濃い方へ濃い方へと差し出してしまう。だから漬物は、しんなりする。だが、このタッパーは逆だった。水滴は蓋の内側、つまり中身より高い位置に、湧いていた。水が、重力に逆らって、上に向かって滲み出ている。浸透圧では説明がつかない。最後の月曜という賞味期限も。カレンダーのどこにも、そんな曜日はない。【メロン味の約束】ってなんだそのエロゲのタイトルみたいなやつ、と思った人は心が穢れているので滝行してくださ~い(?)小さなゼリー状の物体が密閉容器に入っている。光に透かすと虹色に輝き、まるで宝石のような美しさだった。振ると、中で小さな粒子が舞う。まるで雪の結晶が、ガラスの中で踊っているようだ。その粒子は、振るのをやめると、ゆっくりと元の位置に戻る。まるで、記憶が重力に従っているかのようだ。ゼリーは、ゼラチンや寒天やカラギーナンといった長い分子が網の目を作り、その中に水を抱き込んだゲル、液体でも固体でもない、コロイドの一種だ。光に透かすと虹色に見えるのは、内部に規則正しく並んだ微細な構造が、シャボン玉の膜のように光を干渉させているから。だが、振った粒子が元の位置に戻るのは、物理ではない。拡散した粒子は、普通、二度と元の配置には戻らない。エントロピーは増える一方だからだ。時間を巻き戻さない限り。―――この容器の中では、時間が、巻き戻っていた。少しだけ。【牛乳の形をした記憶】一見普通の牛乳パックだが、中身は乳白色の液体ではなく、光る粒子が浮遊している不思議な飲み物。振ると粒子がキラキラと舞い踊る。パックの表面には、小さな文字で「思い出は、いつもそこにある」と書いてある。黙れ、と言いたくなる五秒前。広末涼子の歌にもあった、ずっと前から、黙リェ、言いたかった、(?)パックの底には、賞味期限の代わりに、いつでも、と書かれている。製造者の名前はない。住所もない。電話番号もない。そもそも牛乳が白いのは、微細な脂肪球とタンパク質が、あらゆる波長の光を等しく散乱させるから。チンダル現象、あるいはミー散乱と呼ばれるやつだ。色のない粒子が集まると、白くなる。この記憶のパックの中身は、その白の代わりに、粒の一つひとつが自分で光っていた。散乱ではなく、発光。受け取った光を跳ね返すのではなく、内側から差し出す光。俺は思う。思い出とは、たぶん、そういうものだ。過ぎた光を反射しているのではなく、思い出す側が、今、もう一度、灯している。これらはすべて彼女の手によるものだった。彼女がいつ、どこで、どのようにして作ったのかはまったく不明だった。冷蔵庫の奥には、彼女専用の小さな棚があり、そこには他にも様々な瓶や容器が並んでいた。"雨の日の約束""風の記憶""星のかけら"それらはすべて、彼女がこの部屋に来てから作ったものらしい。しかし、材料はどこにも見当たらなかった。彼女は、何もないところから、それらを作り出しているのだ。彼女が作る時、部屋の空気が少しだけ変わる。匂いが変わり、温度が変わり、光の屈折率が変わる。まるで、別の世界の法則が、一瞬だけこの部屋に漏れ出しているかのようだ。光の屈折率が変わる、というのは、空気の密度が変わるということだ。陽炎が景色を歪ませるのと同じ原理で、彼女が作るあいだ、部屋の奥の柱が、水中のもののように、わずかに揺らいで見えた。何もないところから物質は生まれない、質量保存の法則。地上で最も破られない約束のひとつ。彼女はそれを、台所の隅で、鼻歌まじりに破っていた。無から有を作るのに必要なエネルギーは、莫大なはずだ。その代償を、彼女はどこかで、たぶん自分の何かで、静かに払っていた。乙姫漬けを恐る恐る口にしてみた時の驚きは忘れられない。甘くてしょっぱい、これまで食べたことのない複雑で奥深い味がした。まるで過去の甘い記憶と、未来への塩辛い不安が同時に舌の上で踊っているような、時間そのものを味わっているような錯覚に陥った。最初は甘く、次に酸味が広がり、最後にほのかな苦味が残る。まるで人生そのものを凝縮したような味だった。その苦味は、コーヒーでも、ビールでも、ゴーヤでもない。もっと個人的な、しかし普遍的な苦味。誰もが一度は味わったことのある、しかし言葉にできない苦味。人間の舌が感じられる基本の味は、甘・塩・酸・苦・旨の五つしかない。あとは全部、鼻で嗅ぐ風味と、記憶が勝手に足す意味だ。だから、この漬物の中で踊っていた過去や未来は、舌が拾ったのではなく、海馬が翻訳したものだ。乳酸発酵が生む酸味、アミノ酸が生む旨味、それらは化学が説明できる。だが、もう二度と戻らない夏休みの最後の日の味を、どの受容体が受け取ったのかは、誰にも分からない。分からないまま、俺の目の奥は、確かに熱くなった。ただ、どうしてそのようなものを商品開発のコンセプトにし、パッケージングしようと思ったのかはつゆとも知らない(?)メロン味の約束は、口に含んだ瞬間、心臓の奥が甘酸っぱく締め付けられた。そして何か大切な約束を思い出すような、胸の奥がキュンとする感覚に包まれる。具体的に何の約束かは思い出せないのだが、確実に忘れていた何かがあったのだと確信できた。それは、子供の頃に交わした約束。誰かと、どこかで、何かを。しかし、その相手も、場所も、内容も、霧のように霞んで、思い出せない。ただ、温かい感情だけが、胸の奥に残った。その温かさは、日向の匂いがした。小学校の校庭の、砂の匂い。誰かの笑い声。遠くで鳴るチャイム。すべてが一瞬で、しかし鮮明に。日向の匂いの正体は、太陽の紫外線が布や土の有機物を分解して生まれる、ごく微量の揮発性物質だという説がある。つまり、あの匂いは陽に灼かれた時間そのものの匂いだ。校庭の砂が踏み固められ、水を撒かれ、また乾く、その繰り返しの中に、子供だった俺のすべての午後が埋まっている。約束の相手の顔は、霧の向こうだった。だが、約束を交わした時の陽の角度だけは、何故かはっきりしていた。誰かと、西陽の中で、指切りをした。小指の、あの、痛いくらいの力の記憶だけが。牛乳の形をした記憶を飲んだ時は、さらに衝撃的だった。咽喉を通った瞬間、忘れていた幼い頃の記憶が、鮮明にフラッシュバックしたのだ。母親の温かい手のひらの感触、夏祭りの提灯の温かい光、初めて自転車に乗れた時の興奮。母親の手のひらには、小さな傷があった。料理で切った傷。夏祭りの提灯には、小さな文字で『安全祈願』と書いてあった。自転車は、青いフレームのものだった。補助輪を外した時、少しだけ怖かった。そういった断片的だが強烈に鮮やかな記憶が、映画のスクリーンに映し出されるように脳裏に蘇った。総じて、味は説明不能のインパクトがあった。科学的な分析は不可能だが、感情的にはとても豊かな体験だった。それもまた、何故か涙が出そうになるほど懐かしく、温かい気持ちになれた。涙は結局、出なかった。だが、咽喉の奥が熱くなり、鼻の奥がつんとした。それは、悲しみではなく、感謝に近い感情だった。記憶は、思い出すたびに、少しずつ書き換わる。神経科学ではこれを再固定化と呼ぶ。―――思い出した瞬間、その記憶はいったん柔らかくほどけ、今の感情で上書きされてから、また固め直される。だから、大切な記憶ほど、思い出すたびに、少しずつ、今の自分の色に染まっていく。彼女の作った記憶を飲んだ時、俺の中の母の手のひらの傷は、たぶん、実際より深く、実際より温かくなった。彼女は、俺の過去を、優しい方へ、そっと改竄していた。それは罪だろうか。だとしたら、いちばん優しい罪だ。頭の中に検証してみたというYouTubeのタイトルが浮かぶ。リュウジのバズレシピなら料理の匂いを説明してくれそうなのに、食べ物の側から人間へ侵食してきている。「これも乙姫タイムの一部?」彼女は神秘的な微笑みを浮かべながら答えた。「それは前夜祭―――時間のタペストリーを織り始める準備・・」厨二病設定乙! 左手が疼くのか!でも彼女の言葉は常に詩的で、具体的な説明にはならない。しかし、何故かその抽象的な表現が心に響く。俺の現実認識が少しずつ破れ始めているのを自覚していた。常識的な判断力が徐々に麻痺し、彼女の不思議な世界観に引き込まれている。タペストリー。今なら、あれが比喩ではなかったと分かる。 たていと機織りでは、まず縦にぴんと張った糸、経糸を用意する。 ぬきいと ひそれが時間の骨組みだ。そこへ、横糸、緯糸を、杼という小舟に乗せて、右から左へ、左から右へと通していく。一段ごとに、少しずつ、絵が立ち上がる。彼女の作る記憶の食べ物は、たぶん、これから織る布に通す、色とりどりの緯糸だった。前夜祭とは、糸を染めていた期間のことだ。俺の過去から色を借りて。一緒にご飯食べ、駄弁り、夜には押し入れから聞こえる彼女の悩ましい寝息が、俺の日常の一部になっていた。その度に、小さな罪悪感と、それ以上の興奮が入り混じった、複雑で奇妙な感情に支配された。罪悪感と興奮が入り混じった、複雑で奇妙な平穏がそこにはあった。その平穏は、嵐の前の静けさではなく、嵐の中の静けさだった。外では常識が吹き荒れている。だが、この部屋の中だけは、何故か穏やかだった。台風の目だ、と思った。半径わずか数十キロの、風の消えた静かな円。その壁のすぐ外では、毎秒数十メートルの常識が渦を巻いて吹き荒れている。だが、目の中は青空すら覗く。この部屋は、俺の人生に空いた、そういう円だった。そして台風の目は、動く。留まってはくれない。いつか必ず、目の壁が、こちらへ来る。俺はそれを、うっすらと知りながら、静けさの中でどら焼きの袋を開けていた。 *そこから済し崩し的に、二週間が経過する。歯磨きする乙姫を見た。クリアクリーンだ。歯ブラシは俺の予備をしゃこしゃこ使っている。毛先が少し開いているので、もうちょっといるようなら買ってこようと思う。彼女は鏡を見ずに磨く。目を閉じて、何かを考えながら磨く。磨きながら、時々、口を動かして何か数えている。奥歯の本数か、あるいは、この部屋で過ごせる残りの日数か。洗口液はどら焼きを食べたあとに用いる道具らしく、使用頻度が高いが、虫歯は可哀想だ。それから、コンビニについてくる乙姫もいた。後ろを振り返ると、浮遊霊がいた。背後霊キタコレ! 守護霊にしては距離が近い!彼女は店の前で一度立ち止まる。自動ドアが開くのを、じっと待つ。まるで、ドアが開く瞬間に特別な意味があるかのように。「最初に作られた自動ドアは開き戸だったらしいぞ」「うん・・・・・・」「アホ毛見えるぞ、あと、頭にポッキーついてるぞ」「うん・・・・・・」赤外線センサーが人を感知して扉が滑る、あの○.数秒。彼女はそこで、いつも小さく息を吸う。境界を越える者の作法、とでも言うように。海と陸、押し入れと部屋、店の外と中。彼女にとって、境目はすべて、竜宮城の門と同じ重さを持っていたのかもしれない。洗濯物を勝手に畳む乙姫もいた。タオルは必ず三つ折り。シャツは袖から畳む。靴下は左右を重ねて、くるりと丸める。その畳み方は、どこかで誰かに習ったかのようだ。三つ折りのタオルは、縁がミリ単位で揃っている。布を扱う手つきが、洗濯物のそれではなかった。反物を畳む手だ。織り上がった布を、傷めないように、目に沿って畳む。機織りをする者の手。伏線は、いつも、いちばん生活的な場所に隠れていた。「ケニアでは洗濯物の上にシートをかぶせる、最も多いのが水だ。何らかの理由で、上の階から水が落ちてくる。そしたら洗濯物が濡れる。なのでシートで覆って濡れないようにする。水が落ちてきたら、とりあえず喧嘩が勃発。でも、喧嘩したって落ちてくる水が止まることもないから、仕方なくナイロンのシートで覆う」「わかる、どら焼き一個くれたら許す(?)」「でもシートをかぶせたら、服の中に何日も水が残っていたような匂いがする。風が強かったら干している洗濯物などに埃が付くし、外で煙が焚かれていたら煙の匂いも付く」「わかる、どら焼き一個くれたら許す(?)」、、、、、、、、、、、、、、だからというわけじゃないけど、どら焼き新商品に興奮する乙姫。新商品の名前は『黒糖どら焼き』。こくとうどらやき、こくとうどらぐーん、くろびかりどらぐーん、って普通に読めや(?)彼女はパッケージを三回読み、成分表示を二回確認し、最後に「これは文明です」と呟いた。―――ああ、俺は、文明開化の音がする~♪ って、歌いたい、どら焼きだよ~♪、、、、、、、、、こほんこほんこほん(?)成分表示の黒糖(沖縄県産)の部分を、指で二度なぞった。黒糖は、サトウキビの搾り汁を煮詰めただけの、精製されていない糖、ミネラルと、島の陽射しと、潮風が、そのまま結晶に閉じ込められている。彼女が文明と呼んだのは、多分、甘さのことではない。人が、遠い島の太陽を、菓子の中に運んでこられるようになった、その途方もない距離のことだ。それから押し入れでSwitchやる乙姫もいた。Switchの画面の光が、押し入れの内側を青く照らす。彼女はイヤホンをつけていない。ゲーム音が、襖の隙間から漏れてくる。液晶が青く見えるのは、バックライトの白色LEDが青色の光を強く含むからだ。その冷たい青が、飴色の古材と和紙を照らすと、押し入れの中だけ、深海のような色になった。海側の担当が、深海の色をした箱の中で、地上のゲーム機を握っている。その絵面の、静かなちぐはぐさ。押し入れゲーム実況、というジャンルがもしあれば、彼女は開拓者だ。撮れ高しかない。ただし本人は撮っていないし、視聴者も俺一人だし、収益化もされていない。スーパーで野菜を見る乙姫もいた。「何見てるんだ?」「ナスです」「見りゃわかる」当たり前体操~♪、、、、、、、、、こほんこほんこほん(?)「違います。ナスであることを頑張ってる」「何言ってるんだ、このタヌキは」通りすがりのお婆さんがこっちを見てきたので、そう言った。「この子、昨日はキュウリになりたかったかもしれない」彼女はナスを手に取り、へたの部分をそっと撫でた。まるで、動物の頭を撫でるように。ナスの皮は、艶やかで、紫色の光を反射していた。ナスの皮のあの深い紫は、ナスニンというアントシアニン色素の色だ。植物が紫外線から身を守るために纏う、生きた日傘。彼女の指の下で、その紫は、照明の光を油膜のように滑らせた。ナスであることを頑張ってるって何だ、笑い飛ばそうとして、しかし、できなかった。彼女自身が、多分毎朝、乙姫であることを、頑張っていたからだ。何かであり続けるのは、思うより、力がいる。ポストを確認する乙姫もいた。毎日郵便受けを見る。「何か来るのか?」「運命が」「チラシしか入ってないぞ」「運命も最初はチラシなんです」郵便受けの中には、スーパーの特売チラシ、不動産の広告、そしてなぜか乙姫様へと書かれた白い封筒が一通。差出人不明。切手は貼られていない。彼女はその封筒を、チラシの間にそっと挟んで持ち帰った。切手がない、ということは、郵便局を通っていない、ということだ。誰かが直接、この郵便受けに、手で入れた。深夜の廊下を、足音もなく。いやどうだろう、常識が通じないなら、最初から入っていたみたいにそこに収まっていたのかも知れない。封筒の紙は、俺の知っているどの紙より白かった。蛍光増白剤の白ではなく、まだ何も書かれていない未来のような白。彼女はそれを開けなかった。開けずに、日常のチラシの中に隠すように挟んだ。運命は、開封を、いつも少しだけ先延ばしにできる。できるうちは。困ったことに勝手に部屋の模様替えする乙姫もいた。会社から帰宅すると、本棚が全部逆向きになっていた。「何した!?」「タイトルを隠しました」「何で!?」「本が内容で評価される社会を作りたいので」意識高い系か! スタバでMacBook広げてろ!けど、中田敦彦なら泣いて喜ぶ思想だ。『そう!本を読め! 中身で語れ!』と言うかな、言わないかな。ただ、あの人は本の中身を十分で要約してくれる人でもあるので、そもそも背表紙を隠す前に、みんな読んだ気になっている。それが現代だ。背表紙には、確かにタイトルが見えない。だが、ページの小口には、彼女が鉛筆で小さな文字を書き込んでいた。これは物語、これは詩、これは嘘、と。小口とは本を閉じた時の、紙の断面のことだ。そこに鉛筆で、たった数文字。分類のようで、分類ではない。これは嘘と書かれた背表紙を抜くと、それは統計学の教科書だった。彼女の分類は、ジャンルではなく、多分、俺という人間へのメッセージだった。物語と詩と嘘。俺の人生を構成している、三種類の糸。あと、困ったことにWi-Fiに文句を言う乙姫もいた。「今日の電波、機嫌悪いですね」「電波に機嫌はない」「あります」そこは『あると思います!』だろ天津木村か!「ない」「さっきから一言も喋りません」ルーターのランプは、確かにいつもより暗い。青ではなく、緑がかった青。彼女はルーターの前に座り込み、アンテナをそっと触った。すると、ランプが一瞬だけ明るくなった。二.四ギガヘルツ帯の電波は、水の分子を振動させる周波数に近い、だから電子レンジと干渉するし、湿気の多い日は届きが悪くなる。理屈はある。理屈はあるが、彼女がアンテナに触れた瞬間にランプが明るくなった理屈は、ない。電磁波は、人の手の温度では動かない。動かないはずのものが、彼女の指先には、時々、応じた。まるで、機械の方が、彼女に敬語を使っているみたいに。洗濯物との会話もする。休日には、ベランダでぺちゃくちゃ喋っていることがある。光合成をしているのかも知れない(?)それで、俺が声をかけに行くこともある。「今日はタオルが元気ですね」「どう見てもタオルだろ」「洗濯物にも人生があります」物干し竿には、シャツ、タオル、靴下、そして彼女のスカート。風が吹くと、スカートだけが異様に大きく膨らんだ。まるで、中に誰かがいるかのように。ベルヌーイの定理で言えば、風速の速い側の圧力が下がり、布は風下へ膨らむ。ただの流体力学だ。だが、他の洗濯物が同じ風になびいている中で、彼女のスカートだけが、風向きとは無関係に、まるで内側から空気を抱いたように膨らむのは、定理の外だった。一瞬、その中に、脚のような影が見えた気がして、俺は瞬きをした。瞬きのあとには、ただ、しぼんでいく布があった。冷蔵庫を勝手に占領する乙姫には抗議したい。冷蔵庫を開ける。『昨日の期待』『半熟の哲学』『木曜日の予感』と書かれたタッパーが増えている。「これ何」「副菜です」「何も説明になってない」昨日の期待は、開けるとただの卵焼きだった。だが、味は驚くほど複雑で、甘くて、少しだけ苦かった。半熟の哲学は、半熟卵。黄身がとろりと流れ、その色は夕焼けのようだった。木曜日の予感は、なぜかカレーだった。木曜日にカレーを食べる理由は、彼女は教えてくれなかった。卵の黄身が半熟でとろけるのは、六十五度から七十度のあいだ、タンパク質が固まりきる手前で火を止めるからだ。温度が一度違えば、哲学は台無しになる。リュウジなら、『はい、ここ火止めて! 余熱! 余熱でいくから!」と叫ぶポイントだ。台詞に起こすと、ちょっとオカマっぽい感じになる(?)あの人の温泉卵レシピは神がかっている。でも彼女は、レシピも温度計も見ずに、それをやる。バズレシピの、さらに上位互換。バグレシピだ、そして韻を踏んで恥ずかしい中学生の出来上がりだ。彼女はその一度を、体温計もなしに、指を鍋肌に近づけるだけで、正確に当てた。木曜のカレーは、海上自衛隊の習慣が有名だが、あれは曜日感覚を失いがちな艦上で、金曜を知るための錨だったという。長い航海の中で、人は曜日という陸の記憶にしがみつく。彼女もまた、押し入れという小さな艦の中で、木曜を、カレーで数えていたのかもしれない。深夜にコンビニに行くと、そろそろとついていく。コンビニに行くと言っていないのに、コンビニですねと言った。そして、新作どら焼きを発見した。新作どら焼きを見つけた瞬間の彼女の顔は、仲里依紗の爆発的なリアクション動画を思わせるほど分かりやすく変化した。目が開き、口が少し開き、肩が上がる。本人は無表情のつもりなのに、全身が新商品と叫んでいる。「うわ‼」「どうした」「文明です」「どら焼きだよ」「だから文明です」これはヤバイ、ギガヤバイ、げろげろヤバイ、ギカンスヤバイ、エターナルフォースブリザードヤバイ(?)やばい、目がマジだ、本気と書いてそう読ませる。真顔。彼女はどら焼きを両手で持ち、まるで聖杯でも扱うように、そっと棚から取った。ヒカルが高級腕時計を手に取る時の、あの、うわ、これはヤバい、の表情に近い。語彙力低下現象。ただし対象は税込百四十八円のどら焼きだ。彼女の中では、これが最高級品なのだ。価値の基準が、この世の相場と接続していない。じゅるり、でも、食欲とはちゃんと接続してる。レジの店員は、そんな彼女を見て、少しだけ微笑んだ。店員の名札には留学生を思わせる名前があった。彼はどら焼きを聖杯のように掲げるこの小柄な客に、もう慣れていた。深夜のコンビニの蛍光灯は、演色性の低い、平たい光だ。誰の顔も、少しだけ青白く、少しだけ疲れて見える。その光の下で、どら焼きを両手で捧げ持つ彼女だけが、何故か、色を持っていた。あと、押し入れの中からゲーム実況がすることもある。夜、押し入れから声がしてきた。「いや今の当たり判定おかしい!」ガラッ、普通にSwitchやってる。「何やってるんだ」「乙姫タイムの研修」画面には、見知らぬゲームのタイトル。主人公は、何故かどら焼きを集める旅に出ていた。彼女はコントローラーを握り、親指を素早く動かす。その指捌きは、とても初心者とは思えない。『当たり判定(ヒットボックス)』―――キャラクターの、ポカンとした見た目とは別に、内部で計算される、目に見えない衝突の輪郭のことだ。見えている姿と、実際に当たる範囲は、いつもズレている。彼女がそれに文句を言う姿を見て、俺は妙に納得した。彼女こそ、見た目と当たり判定が、いちばんズレている存在だったから。可愛い女の子の輪郭の内側に、まったく別の、大きな何かの判定が入っていた。ニュースを見る乙姫もいた。「悲しい事件ですね」「そうだな」「でも今日の夕焼けは綺麗です」「脈絡がない」「だから世界は続いてしまうんです」テレビの画面には、事故のニュース。彼女はリモコンで音量を下げ、窓の外を見た。夕焼けは、確かに綺麗だった。オレンジと紫と、少しだけ赤。彼女の横顔も、同じ色に染まっていた。夕焼けが赤いのは、低い角度で射す太陽光が、分厚い大気の層を長く通るあいだに、波長の短い青い光が散らされて散らされて、最後に波長の長い赤だけが残って届くからだ。レイリー散乱、それは悲しみと同じ理屈かもしれない、と思った。青い部分が全部散っていって、最後に、赤くて長いものだけが、地平線に残る。だから世界は続いてしまう。彼女の言い方には、続くことを喜ぶ響きと、続いてしまうことを悼む響きが、同じ量だけ入っていた。あと、俺の履歴書の残りで勝手に履歴書を書く乙姫もいる。机の上に履歴書。『氏名:乙姫』『職歴:竜宮城』『資格:耳を澄ますこと』『志望動機:どら焼き』面接官が『お祈り申し上げます』の、確定演出キタコレ!学歴欄には、海の底と書いてあった。きっと読んだ人はトリトンって言う。住所はどこでもとある。面接官の頭はどこでもドアを考える。電話番号は聞こえる声、なるほど、心霊関係へ希望する(?)しかし資格の耳を澄ますことなんて、冗談の欄のはずだが、そこだけ筆圧が強かった。竜宮城で、乙姫は何をしていたのか。浦島太郎の昔話は、彼女がもてなす側だったと伝える。もてなすとは、相手の望みに、先回りして気づくことだ。足音を聞き分け、冷蔵庫の中身を見ずに知り、俺の性癖をアンケートで測る、全部、耳を澄ますことの、地上での応用だった。竜宮城の実務経験は、この六畳一間で、静かに活かされていた。突然近所のおばちゃんと仲良くなる乙姫もいた。俺もまだ顔を覚えられていないのに、近所のおばちゃんから、「乙姫ちゃん、今日はどら焼きの日?」と話しかけられる。俺だけ事情を知らない。おばちゃんは、乙姫に飴玉をくれた。乙姫はそれを、その場で口に入れた。飴玉の色は、何故か青色だった。青い飴玉、合成着色料の青一号か。彼女が口に入れた瞬間、目を細めて、遠くを見た。青は、自然界の食べ物にはめったにない色だ。空と、海だけが、青い。おばちゃんがどこで青い飴を手に入れたのかは知らない。だが、乙姫がそれをまるで故郷の欠片みたいに、大切に舐めていたのは、確かだった。海の色を口の中で溶かすと波の音が聞こえるのかも知れない。 *そして二週間経った深夜零時を回った頃、彼女から突然の提案があった。「深夜一時に近所の図書館へ行きましょう」「図書館って、夜は閉まってるだろ」開いてます、あなたのローソン、じゃないんだから!ちょっと古いかな、いや、大昔だよ、石器時代だよ、ティラノサウルスが海で泳いでいるよ(?)「大丈夫。今夜は特別な夜だから」彼女の確信に満ちた表情に押し切られ、俺達は深夜の街を歩いた。外は少し冷えて、息が白くなった。街灯の光が、路面に小さな円を描いている。遠くで犬の鳴き声が聞こえる。街灯の下を歩く彼女のシルエットは幻想的で、まるで夢の中の出来事のような非現実感があった。彼女の足音は、まるで猫のように静かだった。アスファルトの継ぎ目、落ち葉、小さな石。彼女はそれらを避けずに歩く。足音はしない。だが、歩くたびに、彼女の影だけが少し遅れてついてくる。まるで、影が彼女を追いかけているかのようだ。街灯はナトリウムランプのオレンジで、そのせいで路面の落ち葉も、彼女の頬も、同じ琥珀色に見えた。ナトリウムの光は波長がほぼ単一だから、その下では世界がほとんど色を失い、明暗だけの版画になる。その版画の中で、彼女の影だけが、コンマ数秒遅れた。光より遅い影というものは、この宇宙には存在しない。影は光と同時に生まれる。彼女の影は、別の時刻から、彼女を追いかけていた。俺は、それに気づかないふりをして、隣を歩いた。息が白いのは、呼気の水蒸気が冷たい夜気で凝結するからだ。彼女の息も、白かった。少なくとも、その夜は彼女はまだ息をする側にいた。図書館に到着すると、確かに入口のドアが開いていた。普段は確実に施錠されているはずなのに、まるで俺達を待っていたかのようだ。ドアの取っ手には、小さな花の飾りが付いていた。その花は、造花ではなく、生花だった。白い小さな花。名前は知らない。だが、匂いは知っていた。彼女の髪から時々するあの匂い。梔子だ、とあとで調べた。夜に強く香る、白い花。受粉を蛾に頼る花は、闇の中で目立つよう白く、遠くまで届くよう強く香る、夜のための進化した匂い。彼女の髪から、時々していたのは、これだった。昼の花ではなく、夜に開く花の匂い。彼女がどちら側の住人なのかを、匂いはずっと前から告げていた。館内は薄暗く、非常灯だけが淡い光を放っている。足音が静寂の中に響く。本の匂いが、鼻腔をくすぐる。古い紙と、インクと、埃の匂い。図書館の空気は、外よりも少しだけ温かい。書架の間を抜けると、空気が動き、埃が舞う。その埃は、非常灯の光を受けて、金色に輝いた。古い本のあの匂いは、紙のリグニンやセルロースが、何十年もかけてゆっくり分解される時に出る、揮発性有機化合物の匂い。バニラに似たリグニンの甘さ、アーモンドに似た成分、干し草のような草いきれ。つまり、図書館の匂いとは、無数の本が、極めて緩やかに朽ちていく匂いだ。知識は朽ちながら甘く香る。彼女は迷いなく古文書コーナーへ向かった。そこで俺が発見したのは、信じがたい光景だった。『乙姫タイムについての研究資料』というのがあった。著者の名前は―――俺。背表紙には、確かに俺の名前が印刷されている。しかし、俺はこんな本を書いた覚えはない。岡田斗司夫が『いいですか、これはね、"因果の入れ子構造"なんですよ』とニコ生で長尺の解説を始めそうな案件だ。考察勢が三時間の動画を上げるやつ。だが解説されたところで、目の前の現実は変わらない。俺の名前の背表紙は、今、確かにここにある。ページを開くと、そこには俺の筆跡で、びっしりと文字が書き込まれていた。『乙姫タイムとは、時間の流れを操作する技術である』『その第一段階は、押し入れの内部に異空間を形成することから始まる』『第二段階は、乙姫と呼ばれる存在を召喚することである』『第三段階は―――』そこで文字は途切れていた。ページの端には、小さな挿絵があった。押し入れの断面図。上段と下段。下段には、小さな人型。上段には、小さな星。矢印が、下から上へ向かっている。紙は和綴じで、四つ目綴じ、右端に四つの穴を開け、糸で綴じる、いちばん基本の製本だ。だが、糸が新しかった。麻の糸に、まだ張りがある。表紙は古び、中身は俺の筆跡、綴じ糸だけが真新しい。過去に書かれ、たった今、綴じられた本。挿絵の矢印は、下段の人型から、上段の星へと向かっていた。乙姫(下段・海)から、織姫(上段・星)へと訳の分からないことが書いてある。移動の設計図。第三段階の続きが空白だったのは、まだ、俺がそれを書いていないからだ。「これから書くことが、今ここにある」「・・・・・・書いた覚えない」「書いたこれからが―――今ここにあるってだけ」なんだその因果逆転論理。でも、何処かですんなりと納得してしまってる自分がいる。「それ、時間の因果おかしくない?」「いいえ。愛とは非ユークリッド幾何学よ」「返答が哲学寄りになってきてない?」文系なのか理系なのかはっきりしろ!ここでもし、ひろゆきがワイングラス片手に横に座っていたら、鼻で笑って言うだろう。素敵な鼻だ、ワインを注ぎ込んでみたくなる、それは鼻フック症候群と呼ばれる病だ(?)『それってあなたの感想ですよね』『なんかそういうデータあるんですか』と。だが、この女には効かない。だって、データそのものを、彼女が書いているのだから。論破の前提、事実は一つだが、この部屋では成立しない。ひろゆきがフランスにいるのも、なんとなく分かる気がした。あの人も、届くのに時間がかかる遠い場所から、こっちに言葉を投げてくる側の人間だ。彼女の理論は常に論理を超越していた。しかし、何故かその場では納得してしまう自分がいる。まるで彼女の存在そのものが、常識的な思考回路をバイパスする何かを持っているかのようだそれは、まるで魔法のようであり、しかし、科学のようでもあり、あるいは、ただの狂気なのかもしれない。どちらにせよ、俺は彼女から目を離せなくなっていた。彼女の瞳の中に、小さな図書館が映っている。書架、机、椅子、そして、俺。俺はそこに座っている。彼女の隣に。いや、彼女の向かいに。その映像は、一瞬で消えた。非ユークリッド幾何学、というのは、伊達や酔狂で持ち出した言葉じゃなかったのだと思う。二千年のあいだ、人類は平行線は交わらない、を疑わなかった。だが、球の面の上では、平行に引いたはずの二本の線が、極で必ず交わる。前提が違えば、当たり前が崩れる。因果もそうだ。俺達の平らな時間では、原因が先で結果が後だ。だが、彼女の住む曲がった時間では、その二本は、どこかで交わる。結果が、原因を、追い越して現れる。彼女の瞳の中の図書館で、俺は彼女の向かいに座っていた。今この現実では隣にいるのに。瞳の中は、別の分岐だった。彼女がまだ、誰の隣にもいなかった頃の。翌朝、彼女からの突然の告白があった。いつものように正座で向き合う形で、彼女は静かに口を開いた。「乙姫タイムって、恋に落ちた相手の世界に適応するためのチューニング期間なの」なんだそのギャルゲーの裏設定とか思った、その瞬間、彼女の瞳の中に俺の日常風景が歪んで映り込んでいるのが見えた。しかし、その映像は時々ピクセル化し、色彩がデジタル処理されたように変化する。まるで現実がリアルタイムで画像処理されているかのような視覚効果だった。微細なエフェクトが、日常と非日常の境界を曖昧にしていく。彼女の瞳の中の俺の部屋は、時々、全く知らない部屋に変わった。壁の色が変わり、家具の配置が変わり、窓の外の風景が変わる。しかし、次の瞬間には、元の部屋に戻っている。まるで、チャンネルが勝手に切り替わるテレビのように。彼女の瞳は、時に深海のように暗く、時に空のように透明だった。その変化は、瞬きの間に起こる。瞬きをするたびに、彼女は少しだけ別人のように思える。チューニング、それは受信機を、電波の周波数にぴったり合わせる操作のことだ。少しでもズレれば、雑音しか入らない。彼女は、俺という一つの局に、自分の全部を合わせようとしていた。瞳の中で部屋がピクセル化し、別の部屋に切り替わるのは、まだ選局が完了していなかったからだ。彼女の中で、無数の起こりえた俺の部屋がザッピングされ、その中から、この現実の一つが選ばれていく途中だった。深海のように暗い瞳と、空のように透明な瞳。海側の担当が、これから星側へ異動する、その二つの職場が、瞬きのたびに、彼女の目の中で入れ替わっていた。「・・・・・・つまり俺が基準になってるってこと?」「ええ。あなたが曖昧と誤解で生きている人だから、私もそうなっていくの」メンヘラ特有の同調圧力やめてー(?)でも、彼女の指摘は痛いほど的確だった。確かに俺は物事をはっきりさせることを避け、曖昧な状態を保つことで安心する傾向がある。例えば、友人に誘われても、行けたら行くとしか答えない。例えば、好きな人がいても、好きかもしれないとしか思わない。例えば、仕事で失敗しても、まあ、いいかとしか言わない。そんな生き方を、彼女は見抜いていた。行けたら行くと言いながら、結局行かないことが多い。好きかもしれないと思いながら、結局告白しない。まあ、いいかと言いながら、結局後悔する。そんな自分を、彼女はまるで鏡のように映し出していた。曖昧を、俺はずっと弱さだと思っていた。決められない、逃げの姿勢だと。だが、彼女はそれを、まるで貴重な性質のように扱った。量子の世界では、観測するまで、状態は決まっていないのが本来の姿だという。決めることは、可能性を殺すことでもある。好きかもしれないの中には、まだ、あらゆる好きが生きている。彼女は、その未決定の広がりに、住み着いた。断定する人間の、閉じた一本道には、彼女の居場所はなかったのだろう。俺の優柔不断が、彼女を招き入れた。人生で初めて、自分の煮え切らなさが、誰かに肯定された夜だった。「それって・・・・・・ただのバグじゃない・・・・・・?」「ううん。これは縁のウイルス感染型。つまり、恋は共鳴ウイルス」「科学で説明してるように見せかけて、語感だけで乗り切ってない?」「そう。語感こそ、愛の重力波」彼女の瞳は、真剣そのものだった。冗談で言っているのではなく、本気でそう信じているのだと確信できた。そして、彼女の肌に微かに複雑な模様が、浮かび上がったり消えたりしているのが見えた。まるで細胞レベルで変容しているかのような、生物学的変化の兆候。その模様は、まるで曼荼羅のように複雑で、見ていると吸い込まれそうになる。しかし、瞬時に消えてしまう。それは刺青でもなく、血管の模様でもない、全く新しい種類の生理現象のようだった。その模様は、時々、文字のように見えた。読めない文字。だが、意味だけが伝わってくる。ふざけた語感遊びのようで、俺は、ぞっとした。重力波は、二〇一五年に初めて捉えられた、時空そのものの震えだ。遠い宇宙で、二つの巨大な天体が、螺旋を描きながら近づき、ついに一つに融合する、その瞬間、時空が鐘のように鳴り、その震えが、十億年以上かけて、地球に届く。片方の天体が、もう片方に落ちていくのを、止められる者はいない。彼女の肌の曼荼羅は、多分、その螺旋の図だった。二つのものが、一つになる直前の、回転する紋様。共鳴とは、片方が揺れると、もう片方も同じ振動数で揺れ始めること。ブランコを押すタイミングが合うと、勝手に高くなる、あれだ。俺は知らないうちに、彼女と同じ振動数で、揺れ始めていた。押した覚えもないのに。その夜、また押し入れから音がした。ドン。しかし、今回の音は今までとは質が違っていた。より深く、より響く音。まるで何かの儀式が完了したことを告げる鐘の音のような、神聖さを帯びた音だった。その音は、部屋全体を震わせ、空気を振動させ、俺の骨の髄まで響いた。音は、一回だけだった。だが、その余韻は、何分も続いた。まるで、音が部屋の中に残って、ゆっくりと消えていくかのようだった。寺の梵鐘が、撞いたあとに長く尾を引くのは、青銅の中で複数の周波数がうなり合い、ゆっくり減衰していくからだ。あれを余韻と呼ぶ。だが、この夜の音の余韻は、減衰しなかった。何分経っても、同じ強さで、部屋の空気に留まり続けた。エネルギーは、放っておけば必ず散る。散らない音は、外から、絶えず注ぎ足されているということだ。押し入れの奥の、俺の知らない場所から。チューニングの、最後のひと押しの音。二つの振動数が、完全に、一致した音。「くー・・・・・・チューニング終了です・・・・・・」乙姫タイム、完了―――のような気がした。そんな確信が俺の中に生まれた。理由は説明できないが、何かの節目を迎えたのだと直感的に理解できた。そして、翌朝に目覚めると彼女はいなかった。押し入れには、やけに丁寧な正座の跡と、『次は織姫タイムが来ます』の付箋が残されていた。付箋は、百均で売っているような、小さな花の形をしたものだった。文字は、丁寧な筆圧で書かれている。まるで、習字の手本のように美しい文字だった。正座の跡は、畳にうっすらと残っていた。彼女の膝の形。爪先の形。そして、何故か、小さな丸い跡。どら焼きを置いた跡のようにも見えた。畳に残る跡は、藺草が体重で潰れて、光の反射する向きが変わるからできる。時間が経てば、藺草は少しずつ起き上がり、跡は消える。彼女の膝の跡は、いつまでも消えなかった。何日経っても、そこだけ、光の向きが違った。丸い跡は、どら焼き一個分。彼女は最後の朝、そこにどら焼きを一つ置いて、正座して、何かを待っていたのだと思う。迎えを。あるいは、辞令を。海側から、星側への。(みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれすぎかきすらの はっぱふみふみ、、、)―――変な言葉を思い出す。それは、どこかで聞いたことのあるような、しかし、全く意味の分からない言葉だった。まるで、呪文のように、頭の中をぐるぐると回る。その言葉は、彼女の声で再生された。低くもなく、高くもなく、ただ静かな声。その声は、頭の中のどこか奥の、使われていない引き出しから響いてくるようだった。意味のない言葉が、意味のある言葉より深く残ることがある。音だけが、記憶の奥の、使われていない部屋に直接しまわれる。この呪文めいた一節を、俺は彼女から教わった覚えがない。なのに、彼女の声で、はっきり再生される。教わっていない記憶が、そこにある。これから書くことが、今ここにある―――それは、あの本と、同じだ。彼女は、去り際に、俺の記憶の引き出しの奥に、まだ交わしていないはずの言葉を、そっと入れていった。彼女の丁寧な字で書かれたメッセージ。乙姫タイムの次は織姫タイム?一体どんな意味があるのか、まったく想像がつかない。それらしいことが、夜中の図書館の俺の本にも書かれてあった。枕元には、彼女の髪の毛が数本落ちていた。黒くて艶やかで、微かに甘い香りがする。その香りは、どら焼きの匂いと、何か花のような匂いが混じったものだった。その花は、もう、梔子だと分かっていた。夜に香る、白い花。それは確実に彼女がここにいた証拠だった。こういうのを一度見てしまうと、YouTubeの概要欄みたいに、記憶の下の方にずっと残る。しかも消せない。運営に問い合わせても復旧しない。そして、不思議な光を放つ小さな石が一つ、布団の隅に転がっていた。手のひらサイズの楕円形で、表面は滑らかで、内部から淡い光を放っている。触ると温かく、微かに振動している。まるで、生き物のように。何一つとして分からなかった。産み落としたのですと言われても、あーそうなんだと言ってしまうぐらいには、彼女の不思議の国のアリスちゃんぶりをちゃんと理解していたつもりだ。手のひらサイズの楕円形で、不思議な光を放っている。蛍光塗料のような人工的な光ではなく、内部から湧き上がってくるような自然な輝き。触ると温かく、微かに振動しているような感覚があった。その石は、時々、小さく脈打つ。まるで、心臓のように。そして、脈打つたびに、部屋の空気が少しだけ変わる。匂いが変わり、温度が変わり、音の響き方が変わる。卵だ、と思った。誰が何と言おうと。表面の滑らかさは、鉱物の結晶面ではなく、有機的な曲面だった。淡い光を放ち、体温ほどに温かく、脈のような振動がある。蛍光塗料は紫外線を当てなければ光らない。だがこの石は、暗闇で、自力で光った。中で何かが、ゆっくりと、育っていた。脈打つたびに部屋の音の響き方が変わるのは、多分、その内側の何かが、少しずつ、外の世界の物理法則を、自分に合うように書き換えているからだ。かぐや姫が竹の中で育ったように。桃太郎が桃の中にいたように。世界中の物語が知っている、あの、容れ物の中で育つ来訪者の、始まりの一個。とはいえ、何一つとして理解できなかった。彼女が何者だったのか、何故現れたのか、何故去ったのか、すべてが謎のままだっ―――た・・。そして最後に気づいた事実。彼女が滞在中、俺は毎日のようにどら焼きを買い込んでストックしていた。彼女が喜ぶ顔が見たくて、冷蔵庫には常に十個以上のどら焼きが保管されていた。どら焼きは、すべて山崎製パンの『ふんわりどら焼き』。彼女のお気に入りだった。「これが一番おいしい」と彼女は言っていた。「他のどら焼きは、何かが足りない」とも。『愛』だよ『愛』! ヒューヒューだよ!って馬鹿か、でも、何が足りないのかは、教えてくれなかった。今なら、少し分かる気がする。足りなかったのは、多分、味じゃない。俺が、俺の足で、俺の給料で、彼女のために買って帰る、その、どうしようもなく地上的な手間だ。無から記憶の食べ物を生み出せる存在が、いちばん美味しいと感じたのは、有限の人間が、有限の小銭を握って、コンビニまで歩いて買ってくる、二九八円の菓子だった。魔法で出せないものが、一つだけあった。誰かが自分のために費やした、取り返しのつかない時間。それだけは、無から作れない。しかし、彼女は一つ残らず持って行ってしまった。完全にゼロ。それは明らかに泥棒行為である。それだけは間違いなく確実な事実だった。けれど、空っぽになったどら焼きの袋を手に取った時、不思議な感情が湧き上がった。青いロボット猫のアニメで、のび太が毎日喧嘩ばかりしているドラえもんのことを、本当はどう思っていたのか。表面的には文句を言いながらも、心の奥では深い愛情と感謝を感じていたのではないか。そんなことが、ちょっとだけ分かるような気がした。のび太は、ドラえもんがいなくなった時、きっとこんな気持ちだったのだろう。寂しさと、感謝と、そして、どこかでまた会えるという確信。そんな複雑な感情が、胸の奥に渦巻いていた。彼女がいない部屋は、以前よりもずっと静かで、ずっと寂しかった。静けさに、種類ができていた。彼女が来る前の静けさは、まだ何も始まっていない静けさだった。彼女が去った後の静けさは、もう終わってしまった静けさだった。同じ無音でも、片方には未来が、片方には過去が詰まっている。空っぽのどら焼きの袋は、内側にわずかに油の匂いを残していた。存在の、匂いだけの抜け殻。俺はそれを、何故か捨てられなかった。しかし同時に、二週間だけ体験した不思議な日常が、俺の中に確実に何かを残していった。それが何なのかは、まだ言葉にできない。でも確実に、俺の世界は彼女と出会う前とは違っている。窓の外を見ると、普通の日常風景が広がっている。しかし、その風景の中に時々、彼女が言っていた、『時間のタペストリー』の糸が見えるような気がするのだ。その糸は、時々、キラリと光る。まるで、彼女がどこかで、俺を見ているかのように。その糸は、空気中に浮かぶ細い光の線。瞬きすると消える。目を凝らすと見える。それは、どこかへ向かって伸びている。彼女がいる場所へ。目を凝らすと見え、瞬きすると消える、―――それは、視野の周辺でだけ捉えられる種類の光だ。中心視ではなく、網膜の端の、桿体細胞が拾う、暗がりの光。星を見る時と同じ。暗い星は、まっすぐ見ると消え、少し目を逸らすと現れる。彼女は、もう、そういう見方でしか捉えられない場所にいた。まっすぐ見てはいけない星。糸は俺の部屋の窓から、北の空へ、まっすぐ伸びていた。織姫星のある方角へ。そして、さらにあれから一週間。俺の日常は、少しずつ変化していた。歯磨きをする時、何故か彼女のことを思い出す。コンビニに行く時、ついどら焼きを手に取る。QuizKnockかよ、と思った。伊沢がホワイトボードの前で「はい、この問題!」とやる、あのテンション。東大王のスタジオみたいに、俺の背後で早押しボタンがピコンと鳴った気がした。ちなみに俺の学力もとい人生経験では、この状況、二択でも当てられる気がしない。洗濯物を干す時、彼女が言っていた「洗濯物にも人生があります」という言葉を思い出す。押し入れを開ける時、彼女がいた空間を、無意識に探している自分がいる。そして、夜になると、時々、押し入れから微かな音が聞こえる。ドン、という、あの音が。幻聴かも知れないし、本当に鼠かも知れない。しかし、襖を開けても、そこには誰もいない。ただ、彼女の残した、あの不思議な石が、淡く光っているだけだ。その石は、以前よりも少しだけ明るく光っている。まるで、何かを待っているかのように。光が強くなるということは、中の何かが育っている、ということだ。俺は毎晩、その石の隣に、どら焼きを一つ、置くようになった。理由は自分でも分からない。供物のような、餌のような。翌朝、どら焼きは、いつも減っていなかった。減っていないのに、袋の中の空気だけが、ほんの少し、甘くなっていた。「乙姫って何なんだ?」誰もいない部屋で、俺は呟く。もちろん、答えはない。しかし、あの石は、まるで答えを知っているかのように、微かに振動している。そして、俺は思う。きっと、また会える。次は、織姫タイムに。その時、彼女は、どんな顔をしているのだろう。どんな言葉を、俺に投げかけるのだろう。そして、俺は、彼女に何を伝えるのだろう。それは、まだ分からない。しかし、どら焼きを買って帰る時、俺の足取りは、少しだけ軽い。まるで、彼女が隣を歩いているかのように。行けたら行くとしか言えなかった俺が、初めて、必ず行くと言いたい場所ができた。行き先も、日付も、何も分からないのに。曖昧を愛した女が、俺に一つだけ断定を教えていった。皮肉な奴だ。そして俺は完全に初期装備の勇者(Lv.1)に戻る、 ひのきのぼうとおなべのふたさながら、厚手のパーカーを羽織り、軍手を装着し、ゴミ箱と突っ張り棒を持った俺へ。まるで『ワンピース』のゾロが使う棒術みたいに、これで戦えと?―――そして、押し入れの奥には、まだ見ぬ織姫が静かに眠っているのかもしれない。その日を、待つように。 *とか、とか、とか、思っていたんですよ、押し入れ開けるまでは(?)畳が一枚浮いてる。浮いた畳の下からは、古い新聞紙と、何故か小さな貝殻が一枚。貝殻は、海の匂いがした。巻貝だった。耳に当てると、海の音がすると子供の頃に教わる、あれ。実際に聞こえているのは、周囲の雑音が貝の内部で共鳴して増幅された、ただの環境音―――というのが、科学の言い分だ。だが、この貝から聞こえたのは、環境音じゃなかった。誰かが、遠くでどら焼きの包みを、開けている音だった。そこに乙姫が座って、隣に余所余所しそうにしてる見知らぬ男がいる。その男を指さしてあれが彦星なのと言う。のっしのっしと真っ暗闇の中を歩く、しかしなんか変な気分だ。おそらくここは宇宙空間だ。なのに、無重力ではない。酸素があるみたいだし、何で声が響くのかさっぱり分からない。俺が、いや誰だよと言う。乙姫が彦星だけどと言う。じゃあ、織姫はって聞くと、私と言う。え? 昨日から―――とか彦星は、俺より少し年上に見えた。背が高く、痩せていて、黒いシャツに黒いズボン。足元は裸足。彼は終始、無言だった。ただ、時々、天井を見上げ、何かを数えているようだった。その唇は、微かに動いていた。数字を数えているのか、それとも、呪文を唱えているのか。彦星、わし座のアルタイルのことだ。夏の夜空で、こと座のベガ(織女)と、天の川を挟んで向かい合う一等星。二つの星の実際の距離は、およそ十五光年。光の速さで飛んでも、十五年かかる。年に一度会う、なんて牧歌的な話じゃない。恋文を一通送るのに片道十五年、返事にもう十五年。黒山羊と白山羊さんを経由するなら食べてしまうので、もっとかかる(?)彼が天井を見上げて数えていたのは、多分、その光年の桁だった。無言だったのは、言葉が届くのに、あまりに時間がかかる場所から来た者の、癖なのかもしれない。裸足なのは、天の川を素足で渡ってきたからだろうか。「じゃあ、結婚というか、付き合ってるのか」「しないよ。仕事だから。織姫っていうだけ(?)」ビジネス織姫キタコレ!「意味わからないんだけど―――」「そしてもうすぐ、かぐや姫になる」「なるほどね」なるほどね、さっぱり意味がわからないことはよく分かった。乙姫、織姫、かぐや姫、全部別だ、だけど、彼女はそれになるらしい、なるほどね、さっぱり意味がわからない。ピカチュウがリザードンになり、最終的にカビゴンになる、つまりそういうことだ、よく分からないことがよく分かった(?)というか、別の次元とかいうのはわかるが、なんでここは宇宙空間なんだ。押し入れの奥は、確かに宇宙空間だった。暗闇の中に、小さな星が無数に浮かんでいる。いや、星ではない。光の粒。その粒は、ゆっくりと動いている。まるで、生きているかのように。マリンスノーだ、と直感した。深海で、上層から絶えず降り注ぐ、生き物の死骸や排泄物の、白い有機物の雪。深海生物は、その永遠に降る雪を食べて生きている。押し入れの奥の宇宙に浮かぶ光の粒は、星のようでもあり、その海の雪のようでもあった。海と宇宙は暗くて深くて圧倒的で、そして自力で光る小さなものたちが漂っている、という一点で、驚くほど似ている。乙姫の職場と、織姫の職場は、地続きだったのだ。深海の底と、宇宙の果ては、押し入れ一つ分しか離れていなかった。でもそれは理屈だ、説明ではない。お前は一体そもそも何なんだ。聞くべきことは絶対沢山ある。「それで何しに来たんだよ?」「どら焼き食べに来た」俺の家はどら焼き屋じゃないぞ(?)ドラえもんが来たら、ちょっと考えるが。「二人でか?」百歩譲って、どら焼きを出すにしても、なんで見ず知らずの男女、つまり二人に、どら焼きをご馳走しなければならないのか。「彼はいまからまた別の空間へ行き、三蔵法師になる」ああ、なるほどなるほど、全然わからないことがわかった。そういう仕組みなんだな、って、どういう仕組みだ(?)三蔵法師、すなわち玄奘。七世紀、たった一人で国禁を犯し、灼熱のタクラマカン砂漠と、氷の天山山脈を越えて、天竺まで経典を取りに行った、実在の僧だ。往復およそ二万五千キロ、十七年の旅。ドラマで放送される西遊記に十七年の月日は感じないし、ましてや、そもそも人間ではない奴で構成されているが(?)ちなみに、その記録『大唐西域記』は、のちに『西遊記』の種になった。彦星が次に三蔵になるというなら、彼は星の担当を終えて、今度はシルクロードを西へ経典を求めて歩くらしい。星から、砂漠へ。天の川を渡る者は地上の砂の川も渡れる。担当が変わるだけなのだろう。裸足で蠍とか蛇、熱い砂をどう処理していくつもりなのだろう、しかしそれは三蔵法師に任せたい、興味がない、そういうことだ(?)「乙姫って何なんだ?」「海側の担当」「担当?」「織姫は星担当」「かぐや姫は?」「月面管理課」担当という言葉が、妙に官僚的で、妙に現実的だった。海側、星、月面。それぞれに担当がいて、それぞれに管轄があって、それぞれに予算と人員が割り当てられている。そんな光景が、何故か頭に浮かんだ。月面管理課なんて冗談みたいな部署名だが、月には本当に海がある。月面の、黒っぽく平らな低地を、天文学では海と呼ぶ、静かの海、晴れの海、危難の海。かつて人類は、あの黒い部分を本物の海だと信じて、名前をつけた。水は一滴もないのに。かぐや姫が管理するのは、その、水のない海だ。表面はレゴリスという、太陽風に晒され続けた細かい砂で覆われ、地球にいつも同じ面だけを向けている。月は、いつも、こちらを見ている。裏側を見せない。まるで、こちらに何かを隠している女のように。そしていきなり、腕を引き寄せて言った。「私がいなくて淋しかったでしょ?」「な、何言ってやがんだ、このタヌキは」淋しかった、と思う。でも、こういうわけのわからない世界線を知って、ちょっと後悔している。だって、淋しいというのがいかにも不適当だからだ。そういうのはもっと地に足つけた感情だ。仲の良かった女の子が転校していって淋しい。それは分かる。けれど、乙姫が織姫になったわけのわからない女の子に、淋しいというのはもう何かおかしい。淋しい、という言葉は、もっと普通の別れに使うべきだ。例えば、引っ越し。例えば、恋人との別れ。彼女の場合は、どれにも当てはまらない。彼女は去ったのではない。移動したのだ、場所を。あるいは、次元を、担当を。淋しいという漢字は、木が二つ並んで、その下に水が流れる形だという説がある。林に雨。要するに、地上の湿った木のある場所の感情だ。だが、彼女がいるのは水のない月の海であり、光年で測る星の間であり雪の降る深海の底だ。地上の湿度を前提にした淋しいという言葉は、そこには届かない。俺は、彼女にふさわしい別れの言葉を、まだ人類が発明していないことに気づいた。だから、黙って、腕を引かれるままにした。名前のない感情には、名前のない態度で応えるしかない。「かぐや姫になったら、三十年ほどおやすみがもらえる」仕組みは一切わからないが、そういうものらしい。「日本中のどら焼きを食べ歩くのだー」あー、こいつ、駄目だ、何を考えているのかよく分からない。彼女は、そう言って笑った。その笑顔は、ようやく見せた年相応の無邪気な笑顔だった。だが、その笑顔の奥には、三十年という時間の重さが、確かにあった。竹取物語のかぐや姫は、月へ帰る時羽衣を着せられ、地上の記憶も情もすべて消える。天の羽衣を着た者は、もう何も哀しまなくなる。世界中に似た話がある。スコットランドのセルキーは、脱いだアザラシの毛皮を隠されて人間の妻になり、毛皮を見つけた瞬間に迷わず海へ帰る。羽衣も、毛皮も、本来の姿に戻る装置だ。だが、この子は違った。三十年の休暇に、記憶を消して月で眠るのではなく、地上に降りて、どら焼きを食べ歩くと言う。羽衣を着ずに、覚えたまま、休むと言う。忘れることが休息であるはずの存在が、覚えていることを選んだ。その選択の重さが、年相応の無邪気な笑顔の、いちばん奥に沈んでいた。目に見えない無数のワームホールが、時空を歪めて宇宙を広げているとする新理論をふと思い出す。あるいは、ビッグバンは宇宙の始まりではなく、ブラックホールの内部から誕生したとする新説を。三十年ぶんの、どら焼きの数だけ、彼女は、俺を覚えているつもりなのだ。「愛はどら焼きと共に‼」それだと、どら焼きと結婚するみたいだなと思いながら、振り返って戻ろうとした、地上へ、あるいは原初の昔よりどら焼きのおわすところへ。
2026年09月23日

水と花花は、時間が色を持ったものだ。病榻囈語。水面に落ちた一枚の花弁は、沈むのでも流されるのでもなく、ただ世界の速度を測っている。美の文句はなく切実な行があるばかり、果てしない夜をきれいに閉じてゆく銀色の波紋、軌跡、それがひび割れた液晶の証拠だ。ナイフが敷き詰められたテーブルのようにスリリングだ。そこにダダと棟方志功とジャコメッティを、対角線に語って。そのとき、落ち葉を鳴らす雨の音を思い出しながら、星空の夜の星座のかすかな光の意味を、もっと深く、傷ついた樹木に優しく添えられた手のように、思い出すかも知れない。そう見えるかと言えばそう見えない。けれどそこに、ひとりでは乾かしづらい髪の部分があるのではないか。認知は少しずつそうやって作られてゆく、小さな浴槽で仰向けになることはできないのに、大浴場では仰向けになるのは躊躇われる、そんなことを考えないだろうか、だから僕は海で仰向けになった、服のまま入った、頭のおかしい奴だったと思うけど蝶が絃を叩いたんだ、後悔するなよ、つまらないって後でぼやくぐらいなら。視覚体験にはどんなズーム性やフォーカスや、濃淡があり、既視感や意外性には、どんな寓意性や暗示が潜在しているのか。もし水がある日、無数のイヤホンになったら、あるいは浴槽の中へ無数のイヤホンへ放ったら、―――美はまだ見えない箱の中の贈り物。花は開くたびに終わりへ近づき、水は流れるたびに始まりへ戻る、その細胞の海、神経の森。互いに逆方向へ向かうふたつの時間が、水辺で偶然重なった瞬間、光は小さな誤読を起こす。轢かれた動物の心臓が見えて来る、ショーヴェの洞窟画のように。どうやって人は人を判断するのだろう、水は腐るかも知れない、孑孑がわくかも知れない、竹の葉のようなものが落ちて腐敗臭がするかも知れない、でも循環する水の中に、その影は飴のような粘着力で潜んでいる、循環するとはどういうことか。たとえばそれをイヤホンの線のように身体に繋いで、もしかしたら地下鉄の駅から上がる階段の途中を、美の魅力の持続の時間に限定があると知りながら、思い出すかも知れない、僕は、思い出したいのだ、僕は。迷彩服を着込んだ奇妙な乗客、水は形を持たないと言われるが、その日だけは花の輪郭を借りて、自らの存在を記憶し、透明なものが、透明なものを支える。それは層だ、けれど同時にそれは拡張だ。その出来事はあまりにも静かで、風でさえ後から意味を考える。花々はその液体の空に映り込み、自分自身の複製を咲かせる。波の前に波がある、後ろにも前にも斜めにもある、それは波だ、それが波だ、 スージー・ガンシュはプラスティック食器や、コーヒーの蓋を素材にし、イギリスのティム・ノーブルとスー・ウェブスターの、二人組は家庭ゴミや金属スクラップを組み合わせて、シルエットを見せた。生活のなかに埋もれた、小さな歴史的証言を静止させ、耳を傾ける。そこにオキーフの花、コーネルの箱を見ようか。僕は無憂樹と菩提樹について考える、種類とは何だろうか、もしかしたらそれは、それはあの皺の寄ったテーブルクロスとのアイスティーで、その向こうの窓には、書店の看板が見えてヴァージニア・ウルフが、置かれているかも知れない。そうやってエロスとタナトスを色濃く感じながら、思い出すかも知れない、僕は、思い出したいのだ、僕は。平衡感覚を狂わせる曲線の地形を想像しよう、凸凹でいい、なんだったらそこからターナーが現れてもいい、何もかもが瞑想の形象なら、そこにおけるありとあらゆる声は毒蛇の威嚇だ、まだ、僕はざわめきを感じていたい、まだ黒いしみのように浮かぶ微小の星の星座を認めていたい。上にも花、下にも花。現実と反射の境界は薄くなり、世界は一枚の絵画ではなく、何度も塗り重ねられた絵具の層に近づいていく。さながら抱擁のように上下を入れ替えながら、時計の針の回転のように円を描いて転がり続け、身体を密着させるように水草や花に触れて、互いの体温や重みを受け止めるように、水の中で陽射しが掻き混ぜてゆく、背中に回した手の感触を感じるような永遠の時間。閉じられた箱庭を観た。カメラを向けながら、頭の中にあのときレンズが向いた形の、吹き出しが生じる。―――八重九重花姿絵が。
2026年09月22日

神の聖餐一、抑々、古代ギリシャの遺跡より出土せしは、バルバロイ――すなわち異民族を模したるものと伝へられ、その面貌は、たとへば劇用の仮面のごとき相を現じ候。されど、その仮面を見し者は皆、口を揃へて「あれは仮面ではない」と言ひ、その後に必ず、名状しがたき夢魘に悩まされたりと申す。我もまた、その図版を一目見しより、夜ごと、海底の底より響くごとき声を聞くやうになりぬ。二、そもそも我が国においては、弥生時代後期に特殊器台・特殊壺なるものが出現し、これを起源とし、古墳時代前期には円筒埴輪、朝顔形埴輪など現れ、中期以降には、動物、家、武具の類を表現せる形象埴輪、さらには人物埴輪なども次第に増加せりと聞き及ぶ。されど、件のごとき埴輪の系譜のみにては、とうてい説明し尽くせぬ事どもあり。なぜなら、ある埴輪の眼は、あたかも人間の眼をそのまま封じ込めたるがごとく、こちらを見ておるやうに思はるるゆえなり。古人はこれを「神の器」と呼び、決して私欲のため用ゐてはならぬと戒めたりと云ふ。三、それが、九州と沖縄の間に在る無人島―――いや、正確に言へば、海底に沈みし島を、とある秘法を用いて海の上まで持ち上げたる結果、(プラハのゴーレムが、ファシズムとの戦いに捧げられたる、カバラ魔術の構造物であるごとく、これは容易きことなり、)ついに、それが発見せられたり。されど、その島は地図にはなく、海図にも記されず、漁夫たちは古来よりその海域を「底なしの淵」と呼びて、決して近づかざりき。我は思ふ。あれは発見されたのではない。向こうから、こちらを招いたのだと。四、しかして、我そのもの、エジプト古王国時代頃の一連の遺跡群を暗記せし、誰も知らぬはずの地下墓室の位置を言い当てた者によりて、見出され候。まさに黙示録的終末の兆しなり。その者は、人の子にして人の子にあらず。その眼は、はるか太古の砂漠を見つめ、その口は、我らの知らぬ言葉にて、「まだ早い」「まだ早い」と繰り返し呟くのみなりき。五、その時代、一個の人間が神格へと昇華し得るという信仰ありき。八百比丘尼しかり、天狗や仙人しかり。すなはち、神を聖餐として消費することにより、ありとあらゆる不可能を成し遂げたりと伝はる。空海もまた、実はその系譜の中に連なる者なり。されど、その昇華の儀は、決して人に語りてはならぬものなりき。語れば、その者の血肉はたちまち腐れ、骨は海底の砂と化し、名は古文書より消え去ると云ふ。六、人間を含めたる生物の品種改良は、もはや先祖との類似すら見られぬ段階にまで及びたりと聞く。それは科学力のみにあらず、超常現象にまで達するものなり。されど、我々は知らねばならぬ。その改良の果てに生まれしものは、もはや我々の子孫ではなく、我々を餌として喰らふものなるやもしれぬと。七、我は、大日本図書館の閲覧不可の古文書に記されしごとく、神となるための試練の門へと赴かんと欲す。その門は、常世と現し世の境にあり、開く者は選ばれし者のみ。我はその選ばれし者なりや、あるいは、ただの狂人なりや。もはや、我にも判別つかず。されど、我は行かねばならぬ。あの仮面が、あの埴輪が、あの海底の島が、我を呼んでおるゆえなり。
2026年09月22日

秋と猫耳十月も半ばを過ぎた頃、僕のアパートに一台の黒塗りキャリアが横付けされた。エンジンはV型十二気筒、低回転でも波のように沈んで響く。降りてきたのは、アルマーニっぽい黒スーツの、コワモテサングラスの男と、白磁のような肌に、漆黒の髪、そして頭頂部からにょきりと生えた一対の獣耳。特異文化保有者、あるいは異なる世界の住人、そう、ロリコソネコミミムスメだった。役所の用語でいえば「特殊籍保有者」国際的には〈閾界民〉だろうか。教会側の古文書では〈堕落なき半獣〉という具合。民俗学者の間では〈境界の少女〉と呼ばれる。テレビの特集では、三月に一度ほど、海底ケーブルの保守点検と同じくらい無機質に取り上げられる、実は結構沢山種族がいるのだ、彼女たちは法的には人間であり、生物学的には確認中であり、社会的には、いつだって隣人以上、家族未満だった。そんな彼女が隣の木造アパートに越してくるらしい、彼は菓子折りをくれた、丁寧だった。風呂敷に包まれたそれは、老舗の羊羹とかではなく、僕の知らない西洋菓子だった。黒糖色の矩形、表面に金箔が一枚、銀箔が半枚。切り口には蜂蜜とナッツの層、そして僕の舌がまだ分類できない、冷たい花のような香り。後日、ネットで調べたら、それに近い製法は中世ビザンツの修道院菓子にまで遡る、と書いてあった。彼女は、よろしくお願いします、と聖歌隊に入っているみたいな声で言った。試験の平均点が九十点といった感じがする。あと、いうまでもなくいいところのお嬢さんだ。そして一瞬の沈黙は、フェルマータを頂いた。そして今日、窓から身を乗り出すように、ロリコソネコミミムスメが、耳をぴょこぴょこさせているじゃあーりませんか?窓枠のペンキは剥がれ、雨垂れの黒い筋がガラスを伝っている。その汚れたガラス越しに、彼女だけが、まるで別の気象圏から降ってきたみたいに、清潔で、明るく、輪郭が鋭かった。お庭から失礼します、僕は思わず、花ですか、風ですか、それとも僕ですか、と口走った。すると彼女は、珍獣でも見るような、いや、もはや標本にでもするような目で、じっと僕を見つめた。その視線は、昆虫学者が新種の甲虫を、ピンで固定するまえに観察するそれだった。あるいは、博物館の夜間照明の下で、標本箱のラベルを確認する学芸員のそれ。瞳孔が縦に裂けていて、足指の付け根に蟹に挟まれたのをふと思い出す。海水浴場の浅瀬、焼けた砂、母の声、足の甲に走る鋭い痛み。恐怖は、ときどきこんなふうに、無関係な記憶の引き出しを全部開けていく。僕は鼻に嗅ぎつけている、奇異、そうだ、警戒せよと忠告する。でも自滅してしまう、あの異様な暗がりの目に、敵の砦に向かって急降下爆撃する。背中にじっとりと汗が流れ出ていた、ランニングに染みこみ、ワイシャツにまで染みとおる。失敗失敗。僕は咳払いを一つし、何を見ているんですか、と真面目に聞き返した。彼女は窓の外へ視線を移し、それから、綺麗な町、と呟いた。その声は、ヴィオラの最低弦を爪で弾いたような、そんな響きだった。えー、このフンコロガシの、スモッグ煙る町が? と、うっかり口を滑らせた僕が言うと、彼女は今度こそ、この人何言ってんだろ、頭おかしいのかな、みたいな目をした。その目は、ルネサンス期の遠近法で描かれた聖母のそれにどこか似ていた。一点透視図法の消失点に向かって、すべての線が収束していく。彼女の瞳も、僕という存在を、そんなふうに一点に集約していた。大腸の形に臍の周囲を押し包んでいき、腸が蠕動し、内容物中に生じた気泡が移動する、ぐるるるという音がした。猫ならば可愛い、しかし腹部ともなるとひとつまみも可愛くない。肛門が内側から圧迫され、肛門筋が収縮するのを感じた。失敗失敗、しょっぱいぞ、涙は。とりあえず、世界が青く見えるのは、君の心が綺麗だからだよ、と僕は言っておいた。すると彼女は、照れたのか怒ったのか、窓をぱたんと閉めてしまった。窓枠には、彼女が置いていったのであろう、小さな陶器の招き猫が一つ、こちらを見ていた。ピコ、ピコ、ピコ・・・・・・。にゅくにゅくにゅく、という音が鳴った。部屋から音程の高い機械音が、鳴った。液晶画面に小さな人物が姿を現わし、踏んだり飛び越えたりする、あの音だ。腹が出ているのにやたら俊敏な、あの男だ。ピコ、ピコ、ピコ・・・・・・。ちょんちょこりん、と音が鳴った。部屋から音程の高い機械音が、鳴った。ファミコンの、あるいはPCエンジンの、あるいはもっと古い、業務用基板の、電子音。それは、僕の部屋の空気を、一瞬だけ一九八〇年代の暗室に変えた。彼女はどうも、レトロゲームが好きらしい。失敗失敗。でも、秋の夜長だ。朽ちていくし枯れていき、ダイナミックな季節の終わり。青いものといえば、星か、風だけだ。いや、違う。青いものは、他にもあった。窓の向こうの、あの獣耳の少女の、瞳の奥の、深い青。それに、星でも風でもない。もっと近くて、もっと遠い、―――多分、この胸に咲いている花もまた青い。
2026年09月22日

大阪の中学生友達がヤキ入れたろか、おら根性焼きしたろかみたいな顔をしながら、うちレディースやで、もうシメてシメてシメナワしたるわ、みたいなすごい不敵な顔をしながら、チャリで放課後、駄菓子屋でチョコ棒買ってかんと言ってくる。どしたん言うから、家近くやねん、そのヤシガニと。やけど、ここはもう、ハッキリしとこ思ったから、シメナワやねん言うといた、おかしな子やな言うから、うちらチャリンコ暴走族、サカオオの紅蠍隊やで、言うといた、そうしたらもう百人は殺したわ、イチコロやでみたいに笑うから、ツチノコやな言うといた。あとどうでもええけど、うちのチチめあてなんか言うといた、よーわからんけど言うといた。そしたらめちゃくちゃ笑われたわ。
2026年09月22日

カラフルそうだね、うん、だから、みんな同じような歩幅で時間を進む。キャリアのため、素敵な自分になるため、何となく分からないけど幸せになるため、答えや行き先は違うけど、そうやって世界は廻ってる。飛行機雲が伸びてく、シンプルな回路に神経が通っていく、そうするだけで、宇宙の法則みたいな、大いなる時間を加速させる。まあ、とりあえず目を閉じようか、灯りを消そうか。ハロー、グッバイ、ハロー、グッバイ、ちょっとは自分の中の君に近付いた?まあね、いやいや、まだね、もうちょっとね。心が少し疲れてる、ことさら、つんと、後ろ向きだか斜め向きな言葉も出て来るけど、そんなの今に始まったわけでもないし。電車で押し出されるようにほとんど三百六十五日乗ったし、ああ、最低で平凡な毎日、就業規則は何千回も読み返したし、ねえ不安で不安で仕方ないことがある、期待に添えるか、未だに不安で自信がない、同調圧力だ、ああ、まだ定時のチャイムが鳴らない。そして働くことに疲れて、心も身体も疲れて、テーブルに腕を枕代わりにしながら突っ伏して、生きてるという不思議な感覚に、浸ってる。宇宙人眼鏡、本当にかけてる人いて、僕は握手してもらっていいですかというぐらい、感動した。ちょっと変わってるんだよ、この人。大阪に住んで長いけど、ヒョウ柄の格好をした奴を一度も見ていない、本当にいるらしい、(心の中を吐き出しなよ、しなよ、しなよ)何も変わらない街は綺麗だけど、季節が過ぎて色んなことは急速に変わっていった、そこに留まろうとすると変化が緩やかなんだと、いまになって思い知る、外へ出たんだ、遠くへと行こうとしたんだ。時々はふりだしに戻ってみながら、夜の色に染まる世界で泣いたりする。笑わなくたっていい、それでも花が風に揺られて、馥郁たる薫りを放ちながら踊ってる。細い糸渡るように、夕飯の香りがする。ねえ、今日は今日できることをやろう、それでも無理なら明日の自分に任せよう。だって毎日完璧に暮らすことなんて、僕等には出来るわけがないから。自販機で買ったコーヒーじゃ到底埋まらないものを、ほろ苦さって呼ぶことにする。約束はもういいんだ、ありがとうとさようならがその分だけ一つ増えた、そして世界はその分だけほんのちょっと深くなった。心に穴が空いて、そこに吸い込まれていく日々もある、大人になることだって思う、意味がないことでもやらなくちゃいけないから。空が落ちて来るような感じも知っているし、闇に足を引っ張られる感じも知ってる、人の言葉と考えてることが噛み合っていない表情も、何となくはもう分かるし。おしゃべりのリズムがなんかぎこちないまま、どうしてこんな自分と、話したいんだろうかと思ってたことがある、でも価値を決めるのは自分じゃない、おそらくそう思って離れる人は、最初からそんな風な付き合い方をしないと思うし。わりと変な声でにゃ~とか、超高音のフォーとかを言えるように練習した、面白くなくたってパターンで人は笑うんだ、練習した、子供の頃はどうしてあんなに喋るのが、得意だったんだろうとたまに思う。ある日、急に色んなことが変わった。がらり、と色んなことが変わる。僕はそうだった。本当に僕はそうだった。もしかしたら世の中の半分とはいわないまでも、十分の一ぐらいはそうなのかもって思う。だから僕は練習した、すごくすごく練習した。気持ちを喋るって、心の中を見せるって、自己をさらけだすってそういうことだと、思い違いをしまくった僕はそう思ったから。ああ、このはやる想いをどうにかしたい、明日のことを考えて眠れないなんて、子供みたいだ。可愛いねとか、綺麗だねって、口先でも言えるのが大切だ、好きだよとか、愛してるとか、口先で言えるのが大切だ、本当にこんなこと言う奴がいたら、ロクな奴じゃない、たまにいるから言うけど、ロクな奴じゃない、僕のバイクはちょっと壊れてて、昼間走るとよく止まる、だからっていうわけじゃないけど、ロクな奴じゃない、でも口先でも言えるようにしないと、人に心は伝わらないものだぜ。深夜のコンビニには、樹や花にとまってそうな昆虫みたいな顔した奴がいて、ああ、僕もその一人か。(鏡の中を覗いてみなよ、みなよ、みなよ、)深夜の公園にも、幹にとまってそうな鳥みたいな顔した奴がいて、ああ、僕もその一人か。(本当の声を響かせてみなよ、みなよ、みなよ、)まあ、とりあえず目を閉じようか、灯りを消そうか。ハロー、グッバイ、ハロー、グッバイ、ちょっとは自分の中の君に近付いた?まあね、いやいや、まだね、もうちょっとね。
2026年09月22日

貸し出しは、一億年。また、空想の図書館で、優しいキスをしたの。燃え堕ちる機体の夢を見たよ、監獄に朝は来ない。“灰色の奇声が・・・・・・・”ああ、夢見たその夜の分だけ孤独は深まった、意地悪な鏡の中の僕から来週の約束をするよ、『自分の尾を噛もうとしている“蛇”さ』(そうして、自分自身の心の深さを測ったの?)君は誰? 僕は逆様に映った、宇宙だ。かぐわしい生垣、(この声は幻聴だ、、、)鬱蒼とした森、(君だったものが水に落とした、インクの雫に溶けてしまう、、、)そして僕等が旅をした冬ざれの海(へ、)フォルクローレする。術式をあげる、高潔をあげる、絢爛だ、清純だ、でも散らないで腐っていけたらよかったのに、だから都市は斜め向きに見えて、蹴り上げたくなった、あの日。(それは、)デイジー草のピンクの小さな莟。(それは、)鮮烈な斑点、反転。木洩れ陽が、僕の海。ねえ、酸素が風を光らせて、もう君は透明になって、長い長い迷宮の入り口を黝ずませた。接ぎ接いだ記憶―――が、病棟になる、よ・・・。《退化していくことは悲しい?》《いいえ、鍵盤の上に手は残る》また、空想の図書館で、優しいキスをしたの。し/た/よ踊り場の人影が宙吊りの男になり、螺旋階段に鴉が整列する。“数千のしゃこの群れだ・・・・・・・”扉を開ければふりだしに戻る、「澄み切った空の底に揺らめいている、疥癬のかさぶた(だろう?)」意地悪な鏡の中の僕から来年の約束をするよ、『もう昼は錘をつけて何千年も“夜”が流れた』(そうして、縦横に引き裂いた星空の、空洞の冷たさに慄いたの?)そうさ、扉を開ければ何千回も同じ場面を繰り返す。脇腹から肋骨を抽き出してイヴは生まれたの、だから世界中の頭の中で青い蝶が乱舞し始めたの?「バレリーナの服が粉を引いて消える」『―――消える、、、』「渦巻く泡の帯の中で銀色の火花になる」【―――消える、、、】踊り子が身をくねらせながら、罪悪感に近い疚しさと、すでに色褪せた幸福を錬金術の鍋のように、掻き回しながら、死人のような眼をしたシルヴィア・プラスさ、―――暗闇の涼味から、世界の部品が落ちて来る・・。造形をあげる、荘厳をあげる、傷口だ、歎息だ、もういいよってあの晴れた日のまま手折りたいのに、誰かの記憶や感情が静かに眠りに就く(よ、)・・・・・・Tシャツが、風に膨らんでいた、あの夢の続き。(それは、)猫のように柔らかい若葉。(それは、)鮮烈な斑点、反転。貸し出しは、一億年。ねえ、何にだってルールがあるよ、そして君は生涯の友となる一冊になる、ここから物語が始まった。鳩尾のなかへと硝子―――が、スライドしてい、く・・・。
2026年09月22日

イルカショーイルカが輪をくぐった。観客席から拍手が起こる。トレーナーを背中に載せて水中から浮上する。その拍手は海には届かない。届かないのだが、誰もそのことを気にしない。実はガラス越しに人間を観察していて、お気に入りの観客を見つけると近づいてきたりする、「水族館のイルカあるある」に、我々は喜んで騙されている。便宜上、大きいものを「クジラ」小さいものを「イルカ」としているが、生物分類上はイルカとクジラに差はない。多くは海に生息するが、淡水である川に生息する種類や、海と川を行来する種類もいる。ちなみに湖にも迷い込んでしまうこともある。元々彼等の祖先は陸上を歩く哺乳類であり、数千万年かけて海へ戻っていったため、骨格には今も後ろ足の痕跡が残っている。ちなみに、あんなに立派な歯が生えているのに、魚は噛まずに、ウマウマ丸呑みする。(本当に味分かってるの?)エラやヒレが咽喉に引っかからないよう、必ず魚の頭から飲み込むのが彼等の食事の流儀だ。「ガンダムX」ではニュータイプ能力を持つイルカが登場、またイルカの脳を使用したDナビというレーダーが存在する、だから何だっていう話だけど、機雷探知用に育てられている軍用イルカも実際にいる。彼等が頭部のメロン器官から発する超音波は、砂に埋もれた機雷とただの金属の空き缶を、正確に識別できるほどの解像度を持つ。人間のソナー技術がまだ追いつけない生体レーダーの領域だ。大体そういうところに戦争産業は目をつけ、次にアニメや漫画が入っていく。僕だったらどうするかって?イルカは小型化して、人間の言葉を喋ります。そして、イルカが家庭で飼われる時代がやって来ます、滅茶苦茶だなって、うるせえんだよ、あ、いま、ホリエモンが憑依したからね。キリンの睡眠時間は約二〇分から、二時間程度と非常に短く、動物界でも有数のショートスリーパーと知られているが、イルカは二十四時間眠らない。といって休まないわけではない。身体の左右半分を交互に休ませ、その間も頭の上の鼻孔を海面に出して呼吸している。完全に眠ってしまうと溺れて死んでしまうため、脳も半球ずつ休ませていると考えられている。なので、寝るときも片目を開けている。そのせいかどうかは知らないが、気分屋で技をやらないときがある。人間でもそういうものだ。賢いというのはサボりを覚えたベテランということだ。賢さの証として、彼等は鏡に映った自分を、「自分」と認識できる鏡像認知能力を持ち、(ただ、魚もそれを出来るらしいという話がある、)さらには「シグネチャーホイッスル」と呼ばれる特有の鳴き声で、互いを名前で呼び合っている。サボる時に名前を呼び合って共謀しているのだとしたら、少しゾッとする話だ。尾崎豊のライブ映像で、比較的若い時の無茶苦茶なノリのロックンロール姿を思い出す。その当時のライブ会場へ赴いたファンが、咽喉が枯れていたとか、音外していたとか、ライブなんか無茶苦茶だった、と書いてあるのを見たけど、(でも、逆にそういう振れ幅があるからこそ、いい時は滅茶苦茶よかったりしたのかも知れない、一か百か、格好いいけど、それ滅茶苦茶である)イルカを見ていると、そのことを思い出す。やんちゃなんだ。なかでもハンドウイルカや、カマイルカや、オキゴンドウなどが水族館などで芸を披露するが、飼育下でも人間に噛み付くなどの事故が時々発生しており、(侵略してきたっつ!)ショー中にシャチがトレーナーに怪我をさせる、人身事故が起こったことや、イルカに不自然な行動を強いているという観点から、ショーを中止した施設もある。(動物園や水族館の存在意義を揺るがす重大な方針、)ただ、頭が良い動物の一種であり、人間とコミュニケーションが図れるとされている。特に人間の妊婦には強い関心を示すことが多く、ガラス越しにお腹を見つめたり鳴き声をあげたりする。エコロケーションで、胎児の心音を聴き取っているのではないかという、「あるある」めいた噂も絶えない。(ちなみにイルカが目を細めたら、ヤクザ映画を始めるときです、僕が言いました、僕が作りました、)フクロウもそうだが、一歩間違うと人間に恋をしたりする。そんな話をネット記事で読んだ覚えがある。ただ、何処かのお金持ちがイルカと結婚した話も、忘れてはいけない。またアニマルセラピーの代表格で、精神病の治療にイルカとの交流を使う場合もある。が、それとは別に、デンマークSDUは地中海のバルト海にて、一頭で孤立しているハンドウイルカが何年も、独り言を続けていることを発見したという話がある。野生のイルカは「ポッド」と呼ばれる、強固な社会的な群れを形成して生きるのが普通だ。(マイルカの群れは最大で数千頭にもなることがある、)だからこそ、寂しさのあまり、自分で自分に話しかけている可能性があるという。一体何を喋っているのか?少し前にユーチューブで、ドラゴンボールのパロディなのか何なのか分からないけど、お金が百万円手に入る代わりに、一万年閉じ込められるみたいな道具が出てきた話を観たけど、それを見ながら、死ぬっていうのが分からなくなると人は壊れるんじゃないかと、ぼんやり考えていた、いや、どうでもいい話なんですけどね。海面から跳ね上がるイルカは銀色だった。正確には銀色に見えた。太陽が反射しているだけなのかもしれない。だが、人は昔から神々しいものに銀色を塗る癖がある。魚も、月も、神の使いも、死者も。メソポタミア神話やギリシャ神話で海神の使いだった、トリトンの下半身を構成する動物とされ、イルカを殺せば重罪に問われるほどに非常に大切にされて来た。キリスト教世界では海を速く泳ぐことができ、預言者ヨナを飲み込んで陸地に送り届けた海獣と同一視される為、救済と復活の象徴とされる。イルカは何度も飛び上がる。何度も、何度も、同じ弧を描く。観客たちは歓声を上げる。野生のイルカの危険を知っているのだろうか、野生ではフグをわざと突っついて、分泌される毒で酩酊状態になって遊んだり、(誰だったかな、そう筋肉少女帯の大槻ケンヂが、外国でマジックマッシュルームでトリップしていた話があったね、最終的バックトリップしたっていう、)海藻を帽子のように被ってじゃれ合ったりするような、無邪気で残酷な一面もある。やんちゃなんだ、尾崎豊なんだ。でね、海水浴客が遭遇したハンドウイルカに噛まれたり、体当たりされるなどの事故も多発している。熊とほとんど同じ扱いだ。また熊と同じように、人間に何らかの恨みがあって攻撃しているのではなく、性的な欲求不満や好奇心から、人間にちょっかいを出していると考えられている。生態系ピラミッドの上位捕食者としての、圧倒的な力を持て余したゆえの危険な遊戯なのだ。イルカショーの間、水しぶきはご褒美なんだろうなと馬鹿なことを考えたり、いや、トレーナーの予想以上に高く跳びすぎて、観客席前列がびしょ濡れになることは日常茶飯事だ。そして、水しぶきを浴びて悲鳴を上げる人間を見て、彼等が明らかに楽しんでいる節があるのも、紛れもない「イルカあるある」である。濡れろ濡れろ、雨よ降れ雨よ降れ、もう卑弥呼由来のシャーマンと大体一緒である。けどさ、あんな水中の車みたいな奴が、しなやかに動くものだと感心しながら、何を見ているのかと思っていた。観客席だろうか、トレーナーだろうか、それとももっと別の何かだろうか。跳躍の頂点で、イルカはいつも同じ方向へ顔を向けている。船の舳先が作る波に自ら乗って遊ぶ、「バウライディング」を好む彼等。海の外へ向かって、水槽の壁の向こうへ向かって、どこまでも続く太平洋の方へ向かって。
2026年09月22日

ズレる「ねえ・・・・・・」声は張ろうとしているのに、咽喉の奥で、去年の秋に誰かが投函し忘れた葉書のような、湿った落ち葉が萎れてゆく。「この道―――さっき通らなかった?」少女は立ち止まり、背中のリュックの肩紐をぎゅっと握った。爪の先が白くなるほどだった。夕方の山道は、すでに夕方ではなかった。そもそも夕方という時刻の切片が、この稜線のどこかで塞の神に召し上げられてしまったかのようだった。樹冠が空を塞ぎ、光は水底に沈んだ十円玉のように頼りない。足下には腐葉土が幾層にも積もり、それこそ死んだ夏が幾夏も折り重なった湿地だ、踏むたびに湿った肺のような音をさせている。「気のせいよ」先を歩いていた別の少女がそう言ったが、その返事には妙な硬さがあった。言葉尻が、凍った蝶番のように途中でつっかえていた。本当は振り返って確かめたい。だが振り返れば、恐怖はもっと大きくなる。それが分かっていた。道の脇に立つ二股の杉。根元を這う白い蔦。幹に残る、爪で引っ掻いたような三本の線。そして苔に半ば埋もれた赤い飲料缶。少女は、それらを十分ほど前にも見た気がした。いや、十分どころではない。もっと前からだ。朝、バス停でこの山に足を踏み入れる、そのもっと以前から、記憶の背表紙のずっと奥の巻から、この杉はすでに立っていたような気さえした。ぐにゃっ、と蛙を踏んづけたみたいに脳が揺れる。同じ風景が、方位だけを変えながら何度も現れている、そんな感覚だった。まるで神が指を舐めてページをめくり損ね、同じ一葉を裏返しては繰り返し配り続けているような、そういう質感の反復だった。「怖いこと言わないで」笑おうとしたが、唇が震える。「だって、ほら・・・・・・コンパス・・・・・・」首から下げたオリエンテーリング用のSILVAのコンパスを持ち上げる。透明なプレートの上で、針が忙しなく回転していた。北を指そうとしているのか、何かから逃げようとしているのかわからない速度で、赤い針が円を描き続けている。北という方角そのものが、今朝がた誰かに前借りされて、まだ返済されていないかのようだ。「さっきからずっと変なんだよ」別の少女がコンパスを覗き込む。確かに異常だった。磁針は方角を示さず、まるで透明な指に弾かれ続けているように震えている。あるいは賽銭箱の底で溺れかけている硬貨みたいに、上がろう上がろうとしては、見えない水面に押し戻されている。地質学の本で読んだ鉄鉱脈だろうか。地下の磁場異常だろうか。あるいは近くの送電設備か。この一帯が三波川変成帯の端にかかっていて、蛇紋岩に混じった磁鉄鉱が、偏角をまるごと喰い荒らしているのだ。そういえば明治二十一年の地質調査報告書に、 この山一帯には蛇紋岩の露頭があると記されていたのを思い出した。そういう理屈で殴りつけようとした。怪異を説明で窒息させようとした。そうやって合理的な説明を探そうとした瞬間、気付く。この森には送電線がない。ないのだ。ないものは、元よりもっと存在していた。風の音も、鳥の声もない。あるのは沈黙だけ。それも自然な静寂ではない。何か巨大な生き物が息を潜めた時のような、異様な静けさ。いや、それどころか、この森全体がひとつの巨大な中耳で、二人はその奥に貼りついた埃に過ぎず、鼓膜がいままさに何かを聴き取ろうとして張り詰めている、そういう種類の静けさだった。「ねえ」少女が囁く。「なに?」「・・・・・・ねえ」彼女の視線は、返事をした相手を見ていない。もっと奥、木々の列のさらに向こう。夕闇と樹影と霧が重なる境界線を、じっと凝視している。さながら此岸と彼岸を縫い合わせた継ぎ目のあたりを。「さっき、あそこの木のところに、人影見えなかった?」指差した先には樫の巨木が立っていた。樹皮は黒く濡れ、節くれだった根が地面を掴んでいる。その根元には、古びた石碑のようなものが半分埋まっていた。文字は風化して読めないが、その丸みを帯びた輪郭は、どう見ても道祖神だった。村と山の、人と山人の、行き来を見張るために据えられた塞の神の、なれの果てだった。「見てない」「いたよ」即答だった。「絶対いた」少女の顔から血の気が引いている。「白っぽい服でね、こっち見てた」「鹿か何かじゃないの」「鹿が立って見てるの?」彼女は返事に詰まる。その時だった。森の奥から、微かに音が聞こえた。カラン。乾いた金属音。神社の鈴に似ている。本坪鈴の、あの綱を揺すったときの音に。あるいは、船舶用ブイが波に揺れる音にも似ていた。沖に浮かぶ航路標識ブイが、真夜中に無人で鳴らすあの音に。しかし山の真ん中で鳴るには、あまりに不自然だった。「聞いた?」「・・・・・・ええ」そのせいで、動けなかった。硬直した。しかも、音は一度だけではなかった。カラン、カラン、カラン。まるで誰かが森の深部から、こちらを誘導しているように規則正しく続く。怪談を拾い集めた聞き書きの、証言のどれかで読んだ覚えがある。呼ばれる音は、必ず等間隔だと、誰かがそう語っていた、はずだった。その時は怖いとも思わなかった。そういうものだとも思えなかった。実際にリアルに体験してそれが覆いかぶさってくる。恐怖とは後から追い掛けてくるものだ。そしてそれは過去の圧倒的な質量だと気付いた。少女はふと足下を見る。泥の上に足跡があった。裸足の跡だった。それは自分の足の大きさより少し大きい。彼女は慌てて足を引いた。足跡もまた、同じだけ後ろへ下がったように見えた。脳が現象の前に揺れていた。だが、奇妙なことに、その足跡は森の奥から来ているのではない。二人の立つ場所を中心に、円を描いている。何周も、何周も、何周も。まるで誰かが長い時間ここを回り続けていたように、自分の名前をどうしても思い出せない者が、思い出すまではと同じ轍を掘り続けたように。荘重に飾られてはいるが空虚な通路がとつぜん途切れ、広い空間に出たような気分だ。人というのは自分以外のものはすべて認識の客体に過ぎないから、自分が唯一の中心点だという幻想から逃れられない。だが、世界の連続性というのは、その中心点がさっきの自分と地続きだと、信じられている限りにおいてのみ成立する仮構に過ぎない。この足跡の円は、その仮構の外周をぐるりと囲って、内と外をすげ替えていた。中心にいるのは本当に自分なのか。それとも、円を描いて回っていた裸足の何者かの方こそが中心で、二人はいつのまにかその客体の側へ、認識される側の暗がりへと、配置換えされてしまったのではないか。「・・・・・・ねえ」少女の声は泣きそうだった。その恐怖はもう絶頂に達していた。雨水が排水溝に流れ込むように、それは地下へと消えてはくれない。むしろ迫の底に溜まる水のように、行き場を失って、じわじわと水位だけを上げていく。「今度は何」「これ・・・・・・」彼女は震える指で足跡を指差した。「裸足の人、ずっとここ歩いてる・・・・・・」彼女が目を落とした瞬間だった。コンパスの針が止まる。ぴたり、と。まるで見えない手に押さえつけられたように。赤い針が示していたのは北ではない。樫の巨木だった。北を諦めた磁針は、いま、まれびとの座を指していた。あらゆる隙間から這い出てくるように、気配だけが集まってくる。その樹の陰。誰もいないはずの暗がり。そこにはいつの間にか、人ひとり分の黒さだけが増えている。まるで、森の向こうから訪れた来訪神が、暗がりという名の墨を、律儀に一人前だけ余計に注文したかのように、夜が静かに忍び寄ってくる。呑み込もうとしたその一瞬にその姿が現れるだろう、そしてそれは思うに、そもそも何故あなたはここへやって来たのかと等しいのだ、いつそれは始まったのか、どのようにして終わるのか、それは残念ながら、因果と呼ばれるものである。だが本当のところはそれは少女たちを説明するものではない、そもそもこの文章を読んでいておかしいと思わなかっただろうか、二人か、多くて三人しかいない。だが、もっとずっと多くの人物が同行していた。だからその黒さは、 最初からそこにあったようにも見えた。それが近づいて来たのか、こちらが近づいてしまったのか、その違いだけが、 思い出せないままなのだ。
2026年09月21日

『私達』という言葉から零れ落ちる人間住まいや食べる場所がないときは、とりあえず路上生活を始めよう。電気代、ガス代払えない、スマホ代も払えない、家賃なんか絶対に無理、そうなったらスーパーマーケットに、段ボールを取りに行こう、さあ赤信号の向こう側まで連れてってくれよ、行こうぜ、公園に野宿しに行こう。冬の終わりの高架橋の下の段ボールに、いまにも消えそうな小さな命だってあるからさ。時々思う『私達』とは誰なんだろうか、と。ありとあらゆる『私達の一部』とは何なんだろうか、と。政治家のうすっぺらい選挙ポスターの言葉や、態度や、その一挙手一投足まで、こんな奴信用できるかって本当は言いたい瞬間を、思い出した。それ見て彼等はどう思うのだろうか。何も、思わないのだろうか。『私達』とは視聴率とか、平均とか、普通の範囲内にある、ありとあらゆる『私達の一部』とは共同体とか、住所とか、お役所仕事の中にあるのかも知れないし、違うのかも知れない。僕は人を平気で見抜く、ありえないほど深くまで覗き込む、だって僕は人であって人ではないからだ。ああ、いつからこんな醜くなって、いつからこんな臆病になって、いつからこんな不自由になった。人間万事塞翁が馬だよ、一歩間違ったら俺だったそうだったって奴が、たまたま少ないだけさ、人生経験が足りないよ、君は。消耗品であり、大量生産品なのさ、めぐりめぐって人間は誰かになる。ホームレスには学校も会社もない、家族も家もない、でもあぶれ者さ、みんな弱いものさ、低賃金労働者だっているさ、何かよく分からないまま働いている人だっているさ、そいつとホームレスと何が違うんだ、穴の開いた靴下だって好きになれるかい、汚れた服だって綺麗な服のように、あったかいって言えるか?仕事や経済基盤の喪失ってあるあるだよな、会社の倒産、リストラ、仕事の減少、家賃が払えなくなるとかさ、頼れる人間関係の欠如、問題が起きた際に相談できる家族や友人、地域とのつながりが希薄で、孤立しているケースがあるよな。心身の病気、怪我、高齢化。生活が立ち行かなくなって、病院だって行けないという人もいるぐらいだものなー、発達障害や軽度の知的障害などを抱え、十分なサポートを受けられないまま、社会からドロップアウトしてしまうケースもある。ネットカフェ等で寝泊まりする若者も増えているし、表面化しにくい困窮状態から段階的に陥る。蝕んでゆくもの、いまは足りない言葉、それでもいずれ、ただ繋ぎ合っているだけだと破綻する、人は何千回でもジャンプできる生き物ではないから。ゴミ屋敷を見ていると、ゴミを捨てられない人なのか、それともホームレスの人なのか、あるいは亡くなってそのままなのか、色々考えてしまう。どんなガラクタでも集めて売ればお金になる、でも一番肝心な心だけは売ってないのさ。目的地はどこまでも遠く遠く思えた、夜の向こうは覗き込めないままで、綺麗な思い出に浸るみたいに、真夜中歩き続けたことを思い出す。すべてが嫌になって愛せなくなって自分さえ傷つけて、こんなんなら消えてしまえって呪った日があるさ、彷徨い歩いた夜に光が射した、そうしたらまたゆっくりでも歩いていけるさ。心が荒んでくると段々強盗に走ります、警察官もやって来ます、だから福祉事務所(市区町村の生活保護担当窓口)があるんですね、知らなかったな―って、知らない方がいいんですよー、でもとりあえず、路上生活を始めよう。マッチ売りの少女の絵本や、あるいはフランダースの犬のアニメを観ていても、貧困っていうのがまだ何か分かっていない人がいる、すごい連中もいるものだねー、てえしたもんだ、てえしたもんだ、すっげーな、なんでそんな奴、生きてんだろ?ユニセフだけじゃないだろって思う、献血だけじゃないだろって思う、募金だけじゃないだろって思う。長時間労働、賃金未払い、ブラック企業、ハラスメント。借金問題、虐待や家庭内の悩み、ひきこもり、DV、シングルマザー、売春の強要・レイプ・AV出演被害、ギャンブル、アルコール、薬物、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー、刑務所から出所した後、悩みを聞いてほしい、相談先が分からない、難民・外国人。人間っていうだけで人間らしい生活をしていない、そんな人達が蓋を開ければわんさかいる。臭い物に蓋をする、綺麗な道路を作るから余計に目立つ、本当はずっと前から何一つ解決していないことが、いまもずっと同じまま存在している。伸びてく影法師、ブランコが小さく揺れて、何処からかやって来た人懐っこい猫を、ずっと撫でていた、心が凍り付いていたことがあるんだ、もう一ミリだって動きたくないと思えたことがあるんだ、そんな感情すら知らないような人間は沢山いて、表情から簡単に読み取られることを知らない、だから人間が不細工なんだよ。ティッシュ配りのお兄さんも、僧侶も何か近頃はちょっと人相が悪い。出来損ないでもいいのさ、優しい愛が誰にでも平等に与えられたらいいのにって思うのさ、どうしようもない人間だって夢を語っていい、不幸自慢したっていい、僕は不幸自慢するのは嫌いだけど、酒飲みながらなら聞いてやれるさー、ツイてないと思ってる連中は沢山いる、失敗だらけで俯きたがる人も沢山いる、だからなんだよ、僕が神様とか、スピリチュアルとか、なんだったら愛とか救いとかいう、何もわかっていない綺麗ごとを用いる連中が、大嫌いなのは。「何で神様はこんな世界をおつくりになったのか?」とお前が問うなら我はかく語りき、「そいつがお前自身だからだろうさ」と。もしお前が生きる意味が見いだせないというなら、もしお前がこんな世界糞喰らえと思うなら、こんな世界のシステム如きに、何としてでも、何が何でも、全力で逆らってるやるという気概がないのは何故か、腑抜けてるのか、神とかいう奴の首根っこ掴まえろ、そいつの胸倉掴んで窒息させろ、なめるな、ここは人間の世界だ、人間でしか救えないところに、神ごときがしゃしゃり出て来るな。孤立と諦め、働く意欲と現実のギャップ、色んな人がいるよねー、色とりどり、よりどりみどり、でもステレオタイプな有象無象、何となく知ってる誰かであり、他人さ。缶を集めて売りに行くのをたまに見かけるな―、汚いなって思ってる人もいるんだろうなー、でも確率的に誰かはこうなるようになってる、けど、そうじゃないって思う人もいる。人が多すぎるんだ、文明が進歩しすぎたんだ。変わってゆく街のスピード追い越して、時代はもう終電まで来たか、いつになったら週末は来るのか、ああいつになったら終末は来るのか。「食べ物がない」「体調がわるい」「泊まるところがない」「仕事を探したい」「今すぐ仕事がしたい」「生活保護を申請したい」などと思ったとき、「どうすればよいのか?」を具体的に書いてる、『路上脱出・生活SOSガイド』を読まなくちゃなー。あなたの望む世界じゃないとは思うけど、少しはマシならそのつまらない続きだって、ちょっとは愛せるかな。百万円で人を殺せる、ホームレス狩りの危険性もある、だから生活困窮者自立支援制度や、炊き出しやシェルターの運営を行っている、NPOなどの団体もいるんだなー、知らなかったな―って、知らないから世の中は偏見が多いんじゃないんですかね、さあ、スーパーマーケットに、段ボールを取りに行って、川の土手に滑りに行こう。勝ち組だけの都会とか、金持ちだけの都会とか心底ゾッとするよ、うんざりするんだ、都会は人いきれで今日も息苦しくて田舎はずっと明日が無くて息苦しい、なのに満開の桜の木の下みたいに浮かれてでたらめだ、スクランブル交差点みたいに色んな方向から行き来する、そして蟻の巣へ帰る、ドン・キホーテみたいな人工的な迷路さ。メルセデスベンツに水跳ねられて、クリーニング代を請求しに行きたい僕さ。時々思う『私達』とは誰なんだろうか、と。ありとあらゆる『私達の一部』とは何なんだろうか、と。他者は何も思考することなくただ生き続けるだろう、そして人は確実に死ぬだろう、今日生きる権利も、人間の命は地球より重いといっても、戦争や紛争は起きるだろう、殺人事件や銀行強盗や、どうしてそんな馬鹿なことが、平気でまかり通るのかって思えることが普通に起きるだろう、夜明けのコーヒーみたいに苦くて暗い。時々思う『私達』とは誰なんだろうか、と。ありとあらゆる『私達の一部』とは何なんだろうか、と。僕は夢を見なくなって久しい、色んなことを諦めて色んなことに期待しなくなった、ホームレスの感情のない見入られそうなビー玉のような瞳、そんな顔をさせたのは誰なんだと思う、それはお前か?お前に責任がかぶさらないような仕組みが、結局誰かがやってくれる自分は知らないということが、パトカーのサイレンにすり替わり、救急車のサイレンにすり替わる、頭蓋骨が潰されたうさぎだ、みじめに轢かれた狸だ、名前もない猫だ、公園の砂で干からびている蚯蚓だ、それはお前か?お前なのか?
2026年09月21日

記者会見緊急記者会見でしなければならないことは、次の五つ。昨今では「第三者委員会の設置」と、「コンプライアンス教育の徹底」を謳うのが令和のテンプレだが、基本はこれだ。(1)事実の説明:何が起きたのか、事実を説明する(2)経過と現状:対策本部設置について説明する(3)原因:確定した原因、あるいは推定できる原因について説明する。究明中である場合には、どのような体制で調査しているのかを説明する(4)再発防止策:制度の制定、管理委員会の設置など具体的な防止策を打ち出す(5)責任表明:トップの引責、責任者への厳しい処罰、被害者への賠償等世論が納得する内容で責任表明をするこの五本柱を、危機管理コンサルが徹夜で仕上げた、想定問答集(Q&A)に落とし込む。「本日はお忙しい中お集まりいただき、誠に申し訳ございません」から入り、「厳粛に受け止めております」「深く反省しております」「二度とこのようなことがないよう」と、政治家答弁でおなじみの定型句を要所に散りばめる。逆に「記憶にございません」「誤解を招いたのであれば」「捜査中につきお答えを差し控えさせていただきます」を出した瞬間、視聴者の心証は一気に地に落ちる。ここで少しでも保身に走るような甘い見通しを語れば、マネーの虎の吉田栄作ばりに、「ノーコンプライアンスでフィニッシュです」と世間から即座に引導を渡される。令和の虎で言えば、志願者が虎全員から出資を取り付けられずに終わる、あの「ノーマネーでフィニッシュ」の令和版だ。主宰・岩井良明が静かに場を締め、虎たちが一人また一人と「私はノーマネーで」と降りていくと、資金調達ゼロ=世間からの信用ゼロが確定する。オールを狙って会見に臨んだはずが、気づけばナッシング。不祥事といっても色んなパターンがある。公金横領、職員逮捕、飲酒運転、個人情報漏洩など。加えて、談合、産地偽装、裏金、パワハラ、SNSの誤爆、バイトテロ、システム障害、リコール隠しと、ネタは尽きない。一時期新聞と睨めっこしていた時期があったが、心が折れたのはいうまでもない。災害、事故、トラブル等での緊急記者会見も。そしてそれは大体、金曜日の夕方なのだ。 金曜夕方なのには理由があって、週末をまたげば世間の関心は薄れ、株式市場も閉まった後、月曜には次のニュースが上書きしてくれる、という淡い期待があるからだ。もっとも、SNS時代にその小細工はほぼ通用しない。明るい話題の場合は、カレーライスは金曜に食べようというノリかも知れない。おめでた会見なら金屏風、不祥事なら殺風景な白壁や会議室のパーテーション。あと、水は飲まない。金屏風の反対が、あの味気ない長机に白いクロス、パイプ椅子、そして誰も座っていない末席まで映してしまう固定カメラだ。水を飲まないのは「喉が渇くほど緊張していない=反省が足りない」と難癖をつけられかねないからで、コップは置いてあっても最後まで手つかず、というのが様式美である。なおコントで謝罪会見のパロディをしているのを見て、コーラとかを飲んでいるのを見たが、あれは間違い。でも海外逃亡するつもりなら、むしろその意気で挑みかかってほしい気はする。世の中は何しろ退屈だ。みんな悪役が欲しいんだって思うときもある。ところで芸能系は、だいたい取材に来る人が同じであり、実はノーギャラで来ていても、地方でレギュラーを十本持っていて、稼いでいる人は一千万とかいう話もある。あるところにあるのだ。なお、報道陣のファッションセンスのなさは絶望的だ。しかし、登壇者が会場に入るや否や、または着席する前に、これでもかと深々と頭を下げるのがお決まり。ここで五秒以上静止しないと、「頭を上げるのが早い」と後からワイドショーで、ストップウォッチ片手に秒数を数えられて叩かれる。理想は上体を四十五度、幹部が横一列で寸分違わず同時に折る、あの「シンクロ謝罪」だ。一人だけ角度が浅いと「反省していないのは誰だ」と個体識別され、一人だけ長いと「あの人だけ本気で謝ってる」と勝手に主役に祭り上げられる。(そんなことする奴の方がどうかしている気がするが、)頭の下げ方も大体決まっていてこの手の指南役が、(胡散臭い危機管理コンサルタント、)演出しているのではないかという気もしないではない。何しろ校長先生のスピーチ集も売られているわけだ。そしてマスコミも大体馬鹿なので、冒頭の数秒間、シャッター音が機関銃のように鳴り響く。ズダダ、ズダダダダダ。ここから「あー、テスト、テスト」と声が大きすぎて、会場のスピーカーがキーンとハウリングを起こすと、大体元X JAPANのToshlが降臨したのかと、ABEMAの視聴者が「草」「洗脳解けた?」と無慈悲な弾幕を張る。放送事故は、こういう会見に限らず生放送の華だ。衛星中継で司会が「現場の○○さーん!」と呼びかけても、遅延で数秒の沈黙、気まずい間のあとに、「・・・・・・あ、聞こえてますでしょうか?」スタジオで「では、VTRをご覧ください」と振ったのに映像が出ず、「・・・・・・あれ? VTR、大丈夫ですかね」とスタジオに戻ってくる。テロップは誤変換で『社長が謝罪』が、『社長が謝在』になり、SNSが「テロップ仕事しろ」で埋まる。画面の隅を台本を抱えたADが全力で横切り、中継リポートの背後では通行人が満面の笑みでピースを掲げ、気象コーナーではグリーンバックの合成がズレて予報士の腕が消える。極めつけは、CM明けに誰も喋り出さない、あの数秒の無だどうでもいいけど、マイクがメトロノームか、啄木鳥みたいによく動く。基本的に綿密に用意された想定問答に従って誠実に質問に答え、終始真摯に対応することが重要である。かように想定問答集は分厚ければ分厚いほど安心、という迷信があり、「この質問が来たらこの一文で受け、深追いされたらこの一文で逃げる」と分岐まで作り込む。ところが本番では、用意していない角度から刺されるのが常で、コンサルが袖から必死にカンペを出しても、当人はもう文字が読める精神状態ではない。いやいや、フラッシュを浴び、厳しい質問を投げかけられ続けると、それができなくなり不用意な発言をしてしまうこともある。カメラを向けられる恐怖なんて普通の人には分からない、でもそれで人生を棒に振ってしまうこともあるのだ。志願者がマネーの虎の堀之内九一郎や小林敬に、「謙虚になれよ!」「お前なめてんのか!」と徹底的に詰められ、パニックになって事業計画のボロを出す、あの絶望的な公開処刑の空気に似ている。時代が下って令和の虎になると、詰め方はより理詰めになる。竹之内教博に「その数字、どこから出したの? 根拠は?」と原価と客単価を一瞬で崩され、株本祐己に、「それ、あなたじゃなくても誰でもできるよね」と代替可能性を突かれ、青笹寛史や桑田龍征に、「熱意は伝わったけど、事業として弱い」と静かに斬られる。武田塾の林尚弘は先生気質で、「もう一回、整理して話してみて」と諭す。紙一枚だけ持って丸腰で来た志願者が、「準備不足だよ」の一言で終わるのも、会見場で資料も持たずに立たされる広報の姿とどこか重なる。というか、人間として終わっている上、コンプライアンスはどうなっているんだと思うけど、お金っていうのはありとあらゆる常識をブチ超える、世界中どこでもこんな具合。「社名と名前をお願いします」と司会者が毎度お決まりのように促す。名乗らない記者がいると、翌日「どこの誰とも名乗らずに」と会見側にも、記者クラブ内にも角が立つ。そして誰かが「関連してよろしいですか」と切り出すと、それは大抵まったく関連していない、新しい追撃の合図である。質問がかぶることもよくあることで、さっき別の記者が聞いたのとほぼ同じ質問を、次の記者も角度を変えて聞いてくる。もちろんそれは、大切なことだから二度聞かなくてはいけないのだ、きっと。常にイライラ・ピリピリしていて、誰がおいこら舌打ちした奴。死体蹴り? 違う違う、それは察せよの世界なのだ。マネーの虎の南原竜樹が、「で、結局何が言いたいの?」と冷徹に追い打ちをかけるような、冷酷極まりないエンターテインメント空間がそこには出来上がる。令和の虎なら「で、いくら欲しくて、いくら儲かるの?」と、話が抽象論へ逃げた瞬間に数字へ引き戻される、さながらカウンターパンチのような、あの容赦のなさ。急に呼び出された記者は、不機嫌な表情で会見場に現れ、最も聞かれたくない質問をズバズバと投げかけてくる。しかも、言葉の伝え方も厳しい。ときには、喧嘩腰に乱暴な言葉を浴びせてくることもある。これは急に呼び出されて予定がパーになったからだ。警察官だって消防官だってそうだ。でも、記者はその事実を認めたくない。被写体の立ち位置が決まらないと怒り始めるビデオカメラマンがいるし、時間がなくても、「フォトセッション(撮影だけの時間)」を要求するジャイアネス。「頭撮りは冒頭のみ」と決まっているのに、何故か終盤にもう一度「もう一回、目線ください」と要求が飛ぶ。三脚を立てる位置をめぐって同業者同士で小競り合いが起き、「そこ、かぶってんだよ」と低い声が飛ぶ。なお、もののけ姫だったら黙れ小僧って絶対に言う。そして謝罪会見などでは肝心な質問に対して、「捜査中ですので」「プライバシーに関わるため」と答えを濁す。でもそれを口にするなら書類でもいいんじゃないか、と記者は一度は絶対に思ったことがあるはず。「ペラペラペラペラ、言い訳ばっかりしてんじゃないよ!」と、なんでんかんでんの川原ひろし社長なら、机を叩いてブチギレるところだ。(お前本当にそんなことしていいと思ってるの?)令和の虎でも、要領を得ない志願者に、「ごめん、話がつまらない」「で、何がしたいの?」とバッサリいく場面があるが、会見の「差し控えます」連発は、あの居心地の悪さをそのまま生放送に流しているようなものだ。「目線お願いします」は声がデカいやつが勝ち、どうひいき目に見てもテレビ局の取材クルーは態度がデカい人が多く、ウェブメディアやABEMAのカメラの格下感は異常。あつかましくて図々しいヤツが勝つ的な嫌な世界。礼節をわきまえない大人たちの集団、それが報道陣。やがて広報が、「お時間となりましたので、これで最後の質問と・・・・・・」と打ち切ろうとすると、「まだ聞きたいことがあります!」と食い下がる声と、椅子を引く音と、次のシャッター音が重なって、会見はいつも中途半端に幕を閉じる。だが皮肉なことに、キー局が偉そうに最前列で撮影して恣意的に切り取った映像よりも、後ろの隅っこで回していたABEMAのノーカット生中継の方が、圧倒的に同接と再生数を稼いでいたりするのだ。しかも令和の虎が証明したとおり、いまや本編よりも『切り抜き』が伸びる時代だ。数十分の会見から、詰められて言葉に詰まった十五秒だけが切り出され、「【悲報】」「【放送事故】」のサムネで拡散し、本人が最も見られたくなかった一瞬が、いちばん再生される。キー局が握っていたはずの、『切り取る権利』は、とっくに視聴者の側に移っている。
2026年09月21日

フクロウ、林檎を見るホウ、リンゴの匂いがする。鼻孔の奥、鋤骨髄質の襞にまで浸透する揮発性のエステル化合物、ヘキシルアセテート、ブチルアセテート、微量のエチレン。 甘ったるいような、腐敗一歩手前の果実酒めいた爽やかなような、とにかく複雑な芳香分子のカクテルが、羽軸の髄腔にまで拡散していく。 リンゴの匂いがする。夜間の暗視能力に特化した桿状細胞優位の網膜が、ストロボの残像をまだ引きずっている。瞳孔括約筋が収縮し、瞬膜がひとしきり滑ったあと、虹彩はようやく薄暮の光量に順応した。 今日も飼い主に、ああ、人間どもは「モフる」などという、下品な動詞を平然と使うが、要するに体表羽毛のグルーミングを強制されるのだ、こちらの意思表示を完全に無視して、さんざんモフられたあと、三脚に固定されたフルサイズミラーレス、リングライト、レフ板、果てはスマートフォンの三台同時運用という、念の入りようで、写真をお撮りになるらしく、しかもその被写体選定はこちらである。この有様だ。止まり木の上面には、爪の湾曲に沿った摩耗痕が幾条も走っている。四本の趾のうち、後趾と外趾が対をなし、内趾と中趾が対をなす。その優れた把持力も、今はただ体重を支えるだけに費やされている。ホウ、俺は猛禽目フクロウ科に分類される、純然たる肉食性鳥類であって、リンゴは食べないのだが、そもそも消化管の構造が果実のセルロースを、分解するようにはなっていない。腺胃と筋胃の二室構造は、骨片や甲殻を粉砕するためのものだ。 これは知性の意味かも知れない、林檎とは知性の実という。ここは齧っておくべきだろうか、それとも、 くちばしでほじくっておこうか。嘴峰の先端は鋭利に鉤状に湾曲し、その縁にはトマティアル・ペグと呼ばれる微小な鋸歯が並んでいる。これで獲物の頸椎を一撃で断つのだ。しかしその行動から生まれる高揚感や緊張感、達成感といった感情の質感や濃度は、フクロウの神経回路には決して接続されない。大脳皮質は薄く、線条体が優位を占める鳥類の脳において、哺乳類的な意味での「情動」がどの程度あるかは、神経行動学においてすら未解明の領域だ。扁桃体相同領域の活性化が、ヒトのそれとどの程度相同的なのか、そんなことは、今この瞬間、俺の視床下部が知ったことではない。羽毛の縁に並ぶ櫛状構造も、あの、空気の剥離を抑制し、羽音を消す、進化の奇跡ともいうべき微細な毛羽の集合も、ステルス飛行も。あの、完全な無音接近を可能にする羽根の鋸歯状縁も、 集音装置のような顔も、あの、左右非対称に配置された耳孔と、顔面のパラボラ状羽毛が織りなす、三次元音響定位のための生体アンテナも、あの、頸椎は十四個の椎骨からなり、約二百七十度の回転が可能な柔軟性も、身体がどれだけ傾いても、首の関節が逆向きに補正して、視線の水平を保つ、ジンバルに載せたカメラのような、あの安定も、何の意味もありはしない。ここはコンクリートの壁と、人工芝と、空調の効いた閉鎖空間だ。飛翔距離は最大でも三メートル。獲物は冷凍のマウスか、人工飼料のペレット。狩猟の神話は、給餌皿の上で完結する。可愛い、人間が発するその語は、俺の種の捕食者としての本質を完全に覆い隠す、ある種の呪詛だ。 可愛いは、俺の名前だ、そう、名付けられた。個体識別のための記号ではなく、人間の情動の投影として。 ああ早く止まり木のうえで、爪を食い込ませて、 ゆっくりしたいものだ、尾羽を垂直に立て、片足を腹羽に埋め、片目を閉じ、もう片方の目で薄闇を睥睨しながら。人間は、巣を『家』と呼び、フクロウは、巣を『場所』として認識する。止まり木とはその延長線上にあるものだ。冷蔵庫の上から俯瞰するのもいい、ヴェランダから庭を見下ろすのもいい。ああ、こういうのを社畜というのか、いや、社畜という語は、本来、企業という名の飼育環境に飼い慣らされた、しかしなお人間であることをやめない存在を指すのだろう。ならば俺は、 こういうのを働くというのか、飼育下にあるということは、すなわち、労働ですらない何かに、一生を費やすということか。可愛い、ああ、その語の裡に、俺の猛禽としての、捕食者としての、夜の支配者としての、あらゆる本来的な意味が解体され、再構築される。 それはまた何とも面妖なことだ。しかも恐ろしいことに、その再構築された「可愛い」という記号体系に、俺の神経回路の一部が、馴化という名の可塑性によって、少しずつ接続されつつあるのだ。給餌の気配に、心拍数が上がる。飼い主の足音に、瞳孔が開く。その反応は、かつては狩猟のそれであった。今は、甘えのそれに似ている。ホウ、リンゴの匂いがする。今日も、一日が終わる。夜の帳が下りる。俺の時間は、これから始まるはずなのに、この角度がいいんだよ、もっと可愛く映ってと無茶ぶりが始まる、頭の上に載ってやろうか、くちばしでつついてやろうか、だが、俺はとりあえず左右に身体を動かして、精一杯愛嬌のある道化を演じるのだ。
2026年09月21日

俺達はいま、真夏のビーチバレー高圧ガスが細い管を抜けるような、鋭利なホイッスルの笛が鳴る。臨戦態勢、発射準備完了、水着準備して海にLet's Go‼なんて遠い遠い昔の話。目が死んでる。「おい、集中しろ! 風向きが変わったぞ!」とブロッカーの相方が叫ぶのさ、ほら来た、そら来た、その瞬間、海は背景ではなくなり、音響インピーダンスの違いと極度の集中状態により、波音はホワイトノイズとなって遠くへ遠退き、世界は縦十六メートル、横八メートルの、熱力学的に閉鎖された一枚のコートにまで縮小する。積乱雲内部の上昇気流が生み出す巨大な入道雲が、三次元空間を規定する絶対的なガイドラインさ。遠くに見える島は揺るぎない沈黙の位置。あと、焼きそばの匂いがすげえすげえしてる。境界線は縄ではなく、世界の切開痕。その内側で筋肉の乳酸蓄積を無視して、四人の人間が限界ギリギリの反復横跳びするたび、砂丘数万年分の地質学が空へ吹き上がり、 光の中で一時的な銀河を形成するのさ。熱を溜め込んだ無数の粒が、 選手たちの分厚い角質層に覆われた足裏で、微小な爆発を起こすように弾ける。「行くぞ!」という短い呼気と共に、競技者たちの深部体温はヒートアップしてく、床反力と摩擦が運動エネルギーを変換し、熱を帯びてく。フローターサーブ。助走から跳躍、広背筋と大胸筋の急激な収縮を経て、叩いた掌から放たれた合成皮革の球は、初速時速八〇キロを超え、白い鳥というにはあまりにも速すぎて、ベルヌーイの定理に従って空気抵抗を切り裂くその軌道は、無骨な砲弾というには流体力学的に美しすぎる。レシーバーの瞳孔は散大し、飛来する球体に視線を凝らし、細胞レベルで生命を賭け、全神経の心を捧げ、この狂気じみたスポーツに対して無条件の愛情を傾けている。たとえ敵弾飛来が終っても、一秒だって気をゆるめるわけにはいかないのさ。あと焼きそば、鉄板の上で焦げる青のりの香りが、シナプスをバグらせる、だってそれは大脳辺縁系に直撃するスーパーノヴァ。固唾を呑んで、マグヌス効果によって、無回転でブレるボールがぐんぐんと近づいて来た。流線を乱し、空を裂いて飛ぶたび、観客の眼球のサッカード運動がボールの軌跡を追い、視線が一斉に跳ね上がる。「任せろ!」と叫んだ直後、レシーブ。大腿四頭筋が悲鳴を上げ、重心を極限まで下げるべく身体が低く沈む。前十字靭帯に限界の負荷をかけながら膝が砂を削り、橈骨と尺骨を揃えて作ったプラットフォームたる腕が、力積の法則に従って衝撃を受け止める。パァン、という乾いた音。それだけで、コート上の空気の密度が局所的に変わる。―――ふと視界の端に異物が入る。真夏の強烈な陽射しの中、そして砂浜の隅っこで、社会資本から完全に疎外された一人のぼっちが、和紙に包まれた黒色火薬と硝酸カリウムの、儚い酸化還元反応を観測すべく線香花火する、狂気の昼間、人心の崩壊さ、濁った感情や負の感情の流入により体調を崩したり、力を発揮出来なくなったり、性格が変わってしまったり、ひどい場合暴走してむくつけき姿となり暴れ回ることもある。同調圧力のせいさ、あ、ねずみ花火もするんだ、チタン粉末が火花を散らすその微小な熱量の隣から、さらに強烈な匂いが漂う。あと、焼きそば。もうソースの焦げ付きが限界を迎え、メラノイジン生成の最終段階へと突入しているのだ。大気圏へ、アムロ行きます‼セッターの指先がボールの縫い目に触れた瞬間、完璧な放物線を描くトス。トス。高く、高く、網膜を焼く太陽の近くまで持ち上げられたボールは、頂点において垂直方向の速度ベクトルの絶対値がゼロになり、一瞬だけ静止する。観客も、敵も味方も、一言も口をはさむ者はない。それはあたかも、木星の重力アシストを受けて、太陽系から脱出を試みる小惑星。観測者の主観的時間までもが息を止める。この瞬間、コート上の絶対的中心はあの白い球体であり、波も、風も、声も、人間も、ケプラーの法則に従って周回するただの衛星。そして、スパイカーの、アキレス腱の弾性エネルギーを全開放した跳躍の、精悍たる積極的姿勢。足裏の力強い踏み込みによって、砂がクレーターを穿つように爆発する。腹直筋と外腹斜筋からなるコア筋肉が的確に収縮し、肩甲骨の可動域を限界まで使って惜しみなく肩がしなり、運動連鎖の最終段階として、腕があからさまな超音速の鞭になる、打撃の瞬間が迫る中、屋台のオヤジが紅生姜をトッピングする情景が、フラッシュバックする。あと、焼きそば。あの鮮烈な酸味とジャンクな旨味のコントラスト、うおおおおお、少年ジャンプも真っ青に、リアルでそんな声で叫ぶ奴いたのかビール飲みたい、そして俺はまだ死ねないのさ‼そして振り下ろされるスパイク。空気を圧縮する轟音と共に、白球はブロッカーの両手の間を抜け、一直線に敵陣に突き刺さる。重力と初速の合力をもってコートの表面を殴りつけ、衝撃波によって砂柱が立つ。一億粒近い珪酸塩鉱物たちが、ニュートン力学に反逆するように短時間だけ飛行権を獲得し、西へ傾き始めた太陽光を乱反射して、夕陽予備軍となった粒子群は、空中でプラズマのように金色に燃えながら散開する。音速を超えられない歓声が、視覚情報のあとに遅れて追いかけてくる。ボールが落下し、運動が固定され、物理的エネルギーが惰性に落とされるというのに、観客席の誰も座っていない。交感神経系が高調したまま果てしもなく続く、テロリズムの現場にも似た緊張。大脳皮質の極度の混乱。誰も瞬きをしていない。角膜が乾燥し、眼球に砂塵が刺さろうとも。「切り替えろ!」の怒号と共に、すぐさま次の一球が始まる。生理学的な真理として、人間はアデノシン三リン酸が枯渇し、体力が落ちれば知らず知らずのうちに重力に対して従順になる、日々のウエイトトレーニングで鍛え上げられた、筋肉質の鎧も、強靭な精神の甲冑も、乳酸の海に溺れれば、老いたブルドッグのたるんだ顎になる。エクリン腺から分泌された、高濃度のナトリウムを含んだ汗が飛ぶ、コリオリの力の影響を受けた風が流れる。海から来た塩気が、気管支を灼く焼けるような呼吸の中に混じり、それは脱水症状という病患に加えられる、一つの決定的な渇きのタッチだ。酸素負債を返済しようと、選手たちの胸が激しく上下する。だが休まない、乳酸閾値をとうに超えているのに砂に倒れ込みながら、一ミリでも球へ腕を伸ばす、それでも、それでも、脳裏を支配するのは、ラードでコーティングされた中太麺のテカリ。ああ、焼きそば。もうそれはヤキソーヴァ、ヴァッ、ヴァッツ。コート上には炭素ベースの有機体としての人体がある、二〇六個の骨からなる骨格がある、六〇〇を超える筋肉がある。そして俺の肉体を構成するものだって四十六億歳なのさ。だが実際には、そこにいるのは純粋な熱力学を凌駕する意思だ。勝ちたいという、ホモ・サピエンスのDNAに刻まれた言語以前の海流だけが、人体の形を借りて、重力場を歪めるかのように空中へ噴出している。この闘争への直接的な誘因は視床下部から這い出る本能の中にあり、それはまるでフォーディズムの極致たる、巨大工場のベルトコンベアの機械が、非情な光学センサーを用いて、きれいなリンゴと形の崩れたリンゴを自動的にふりわけるように、生存者と脱落者を冷酷に峻別していく。そして、物理学的には絶対に届かないはずの場所へ、選手は身を投じる。指先ひとつ分だけ、事象の地平線に干渉し、世界を引き寄せる。もう立ち止まるなよ!レシーブが上がり、トスが繋がり、最後のスパイクが放たれる瞬間、もう息切れなんてするなよ!歓声になる前の巨大な何かが、ミラーニューロンによって共鳴した人々の胸から一斉に放出される、ああ、それは世界で最も純粋で野蛮な願い。ああ、焼きそば食べたいと、ルービールービ、黄色いロールスロイス、黄色いポルシェ、黄色いフェラーリ、テスタロッサ、テスタロッサ、テスタロッサ‼スーパースローモーションの映像の中で、白球はまだ落ちない。熱上昇気流に乗って海鳥が螺旋状に旋回し、核融合反応の恩恵である太陽が容赦なく紫外線を照りつけ、ドップラー効果を伴って歓声が揺れている。それでもコートの中央には、気象庁のスーパーコンピューターでも予測不可能な、局地的なもっと激しい天候がある。二人対二人。バイオメカニクスの極致たるたった四人。なのに嵐だ、マイクロバーストを伴う砂嵐だ。エントロピー増大の法則に抗う、意志の暴風だ。スコアボードの数字が『20-19』を示している。マッチポイント。「絶対に決める!」という咆哮と共に、最後のサーブが放たれる。前衛の誰かが跳ぶ、後衛の誰かが叫ぶ、観客席の誰かが祈る。そして、ブロックアウトの宣告。ついに、ボールが落ちる。その瞬間、太平洋の津波、あるいは海よりも大きな歓声が音の壁を破って浜辺を駆け抜け、地球は亡び切ってしまったかも知れない、そしてようやく、月と太陽の潮汐力によって押し寄せる波だけが、何事もなかったように二酸化ケイ素の岸を洗い続ける、網様体賦活系のフィルター機能により、余計な情報は自動的にシャットアウトされ、必要な情報だけが視床下部を経由して脳に届く。創世記の第一章のごとく、ああ、光あれ、神は共にあり、かくして世界は、宇宙の初期状態のように何もなかった、そして量子的な重ね合わせとして何もかもがあった、たっぷりの青海苔と鮮烈な紅生姜で完璧に彩られた、至高の屋台の焼きそばと共に。
2026年09月21日

ですか? でした?――Was it? Or was it?――ある日世界が落ちてくるんだ。遮られたガラスの中の砂時計だったって、暗示じゃなく知るんだよ。実は人々がNPCで、風景がハリボテの壁で、かなり違った様相の魚影、疑惑の点同士を繋げようとする。百韻が千韻になったって、もうどうかしちまった成れの果て降誕祭。警鐘が脳を正常に戻そうとする。五感、生きる理由すら知らないままのクオリア、違う違う、そいつはちょっと違いますね、不老不死の8ビット、ああ、他愛もないフェアリーテイル、鳴るぜ!やんなっちゃうね、でも壊れちゃったんだ。宙吊り海月の城、水槽に閉じ込められた人魚だ。建前だらけの溶けないチョコレート。行動を制御されていたんだ、思考を制御されていたんだ。複数の人の意図や企みが、決定打を欠いたまま周囲をぐるぐると回遊し、渦を巻いて変形しながら、量子の目、パルスが枝分かれして、それでも複雑に絡み合っている、終末的存在仮説として。竜宮城の裏側ってこんな感じだったのね、ああかなしき愚迷発心集。風狂文草。もつれた糸みたいな日々を、すました顔して歩く僕を返して。月が目と鼻の先にあって、触れたりして、幽かに映し出すムーンライト、凪いだ毒の海を泳いださ、ブルーライトがイエローライトへ、イエローライトがレッドライトへ。歴史の傷口からページがこぼれて、拡声器みたいに響くヘビメタみたいな心臓の音、継ぎ接ぎのレールはこの先も、途絶えずループを描く。「この世界は偽物だ、逃げなきゃ」って思うけど、どうしたらいい?海も、山も、何もかもが全部嘘で、実は動ける距離、三畳半ぐらいの、水槽の脳みたいだと気付いたら、どうやって生きよう。 ズルズル気持ちを浪費しながら、得体の知れない引力を布団の上で感じてた、てか何で靴はいて僕は寝てたんだ、ふらり覗く射的屋みたいについ突っ込んじゃったな、ああ神様、そこんところ詳しく。マザー、屑にならないように誠心誠意生きてきたわけですが。(マザー、マザー、マザー、これは何? これは何?)ファザー、地に足つけて全身全霊生きてきたわけですが。(ファザー、ファザー、ファザー、これは何? これは何?)冷蔵庫の向こうから覗き返したんだ、僕は。毎夜夢に見ていたあれは何だったのやら。ウルトラマンの舞台セット思い出してたんだよ。エアコンの向こうから覗き返したんだ、僕は。性欲とか、両親の愛情とか、友情とか何だったのやら。本当って、真実って、真理って、ああこんなにも痛いものなんだったのか、そりゃ知らなければ知らないのに、越したことはないっていうわけですが。鏡の向こうから覗き返したんだ、僕は。―――とらのあなにある、薄い本思い出したんだよ、僕は。儛意鈔の、醒睡笑。やっぱりそうだった、四方の壁を壊して砕きながら、真っ暗闇が見えたよ、そして立ち上がった瞬間に大きな指が、頭上から襲い掛かってくるのが見えたね、重力操作の思考回路、ってクレーンか、恐竜みたいだな、困ったなって今更何言ってやがる、削除コードを目の前にした浮遊感と、終末に向かう高揚感なもんかね、おっちょこちょいがすぎるぜ、もっと準備万端にしてから挑むべき案件。僕はカブトムシだったのか?ゴキブリだったのか、観音様と孫悟空のやりとりじゃないか、分からないな、ここは楽園で、この行為は楽園の追放なのか、それとも、奈落の落とし穴?ただ持ち上げられた瞬間にすべてが終わる。ありったけの絵の具を絞り出して、ぐちゅっ、とか、ぶちゅっ、かな。嫌なこと考えてんじゃないよ、まったくね、でも現実逃避もできないな、ああ、句読点みたいな走馬灯、本気で言ってるの、てか、なんで僕は笑ってるの?そんなもの、そもそもありゃしもしないのに。浮かんだ泡のような眠りを抱いたまま、それでも幻想みたいな恋とか、青春とか、(ああ、ご臨終です、)様々な喜怒哀楽を回った、(ああ、ゲームオーヴァーでありやがり、)一周どころか百周ぐらいまわってみれば、嘘だって綺麗だね。「ですか?」が「でした?」に変わるそんな日。「だね?」が「だった?」に変わるそんな日。不確かな肯定は夜を見つけて消えてったんだぜ、確かな否定は朝を見つけて消えてったんだぜ、鈍感にさせてくる呪いみたいな体温を掻き混ぜながら、なんだかなあ、どうなんだろうなあ、この脳震盪みたいな感覚、眩暈みたいな感覚、ほんの一瞬身体が外へ出られそうな感覚が、地上と空と海を分ける。沈んでいくほど苦しくて、息も出来ないくらい満たされて、何度も何度も変わったんだ、きっと初めから最後までのあいだに、違う色に映っていたんだね、揺らせば揺らすほど染まったね、美しくも醜くもない、そしてえらい呆気ない、拍子抜けする、始まって五分で大団円迎えて終焉のおなり、ああ、これが僕の本当の人生、深海とかいうディープブルーに最後の灯りともして、ああ、感情って何だったのやら、素敵すぎるぜ!
2026年09月21日

明暗海鳴りのような風が、枯草の上を渡っていた。風はただの風ではなかった。北西から吹きつける乾いた季節風で、大陸の内陸部から海を越えて運ばれてくる砂塵を含んでいた。それは微細な石英の粒を纏い、枯れた芒の穂を金属のように鳴らした。その音は、遠い西域の砂漠で奏でられる胡弓の弦を思わせる、微かな振動を帯びていた。晩秋だった。空は高く、しかし西方には鉛色の雲が横たわり、雪の気配を孕んでいた。遠くの丘には崩れた土塁があり、その向こうには、かつて数千の兵が殺し合った古戦場の跡が広がっている。天正三年、この地で織田と武田の軍勢が激突し、三日三晩にわたる合戦の果てに、両軍合わせて三千有余の死者を出したという。草の下には今も槍先や鏃や人骨が眠っていた。乾いた風が吹くたび、土の匂いに混じって鉄錆の匂いが立つ。二人の侍は向かい合っていた。一人は若く、一人は老いていた。その距離はおよそ十二歩。ちょうど、抜刀して三歩で間合いに踏み込めるかどうかの距離。動かない。刀は抜かれている。若者の刀は正眼に構えられ、切先は微動だにせず老人の咽喉元を指していた。老人の刀は中段、切先は若者の眉間のやや下を捉えていた。忠実に伝統を遵奉してきた構え。それは既に斬り合いの最中だった。剣先と剣先のあいだ。十数歩。その空間だけが異様な密度を持っている。まるで冬の湖面に張った薄氷のように、見えない応力が全域へ均等に広がっていた。先に動けば死ぬ。遅れても死ぬ。故に動けない。兵法家が見れば分かる。これは膠着ではない。決着直前である。団子が沸騰する直前に静まるように。雷雲が落雷の寸前だけ不気味な静寂を作るように。あらゆる殺意が凝縮されきった結果だった。若い侍は二十五ほど。眉は濃く、頬の肉はまだ若い。左手の親指が僅かに鍔を押している。居合の癖だ。右足は半歩前。肩は落ちている。一見すると自然体だが、実際には大腿の筋肉が限界まで緊張していた。いつでも飛び込める。だが飛び込めば死ぬかもしれない。その計算が彼の動きを縫い止めている。逡巡と葛藤といくらかの弛緩。額から汗が流れた。汗粒は睫毛を伝い、頬を滑り、顎先から落ちた。落下する。瀬のような速い水の流れ。あまりにもゆっくり、あまりにも鮮明に、世界から音が失われ、覚束ない。滴が土へ吸われる。その瞬間。若い侍は思う。父もこうだったのだろうか。不快な幻影を払い退けようと頭を打ち振りながらも、脳裡にこびりついた。初陣の前、敵の首を取る前。死ぬかもしれないと知りながら刀を握ったのだろうか。彼は首級を十三挙げている。賊も斬った、浪人も斬った。戦場も経験した。だが、目の前の老人だけは違った。老いた侍は微動だにしない。疑うことも見くびることもできない、相当な手練れだ。免許皆伝の父と対峙しているようだ。五十を越えている。あるいは六十近い。髪には白が混じっていた。肩には古傷があり、左耳の先端が欠けている。若い頃に騎馬武者の薙刀を受けた傷だった。それでも立っている。静かに、あまりにも静かに。その瞳は深い井戸に似ていた。冷たい表情の裏には同じ相好の運命の顔がある。覗き込めば己自身が吸い込まれそうな暗さ。地引網のように手繰られる皮膚の裏側で、河豚のような不安が膨張する。しかし完全な無感情ではない。恐怖もある。疲労もある。老いもある。ただ長い年月の果てに、それらを表面へ浮かべない術だけを覚えていた。風が吹き、枯草が揺れる。二人の裾が震える。遠くで鴉が鳴いた。老人は一度だけ瞬きをした。若者の瞳孔が開く。老人は理解した。しまった。その瞬間の僅かな変化を、若者は見逃さなかった。掴んだ、と云ふ感じが顕著に出ていた。目を見開き口を半開きにしたまま、飛ぶ。いや、爆ぜた。快刀乱麻を断つ。地面を蹴った右足が草を吹き飛ばし、土を砕く。縮地に近い踏み込みだった。足を交互に運ぶのではなく、片足で地面を蹴り、その反動で一気に間合いを詰める古流の歩法。圧倒的な機動性と運動性、肉体的限界を超える興奮のもと、刀が走る。ようやく過渡期に達した、嵐のなかから静けさのなかへ出た。象牙色と化した白刃が朝日を噛む。閃光、電光石火。その軌跡は一筋の稲妻に見えた。だが老人は動かなかった。否、動いた者にだけ、そう見えた。僻目だったのだろうか、老人は一寸だけ身体を開いた。半歩にも満たない。紙一枚分。薄皮一枚。それだけ。しかし剣の世界では、紙一枚が生死になる。若者が斬り込む。その未来へ。老人は先回りしていた。まるで読みではない。予測でもない。長年、人間を観察し続けた者だけが到達できる反射。恐怖を抱いた者は右肩が上がる。覚悟を決めた者は呼吸を止める。死を決めた者は瞳孔が開く。老人は何十年もそれを見てきた。何百人も見てきた。そこに示唆も仔細もない。高邁なる極意、蘊奥。それが凌駕した。だから、若者が動くより前に、既に終わっていた。からくりが動くようにも見えた。時間の流れから切り離され、一瞬一瞬が永遠に引き伸ばされたかのように、脳が高速回転している。鋼が鳴る。甲高い、細い、そして異様に澄んだ音。その一音だけが空を裂いた。若者は二歩進んだ。一歩、二歩。そこで違和感に気付く。身体が冷える、力が入らない。胸を見る。着物が切れている。その下も、肉も。肋骨のあいだも。心臓の上を斜めに走る一条の傷から、温かい血がゆっくりと湧き出していた。若者は理解できなかった。夢の中で激しく溶け合う、芳醇の酒。なぜ斬られた。いつ斬られた。どこで負けた。その顔には、死よりも深い驚愕があった。一分また一分と時間がたって、その一縷の希望も薄れてしまった。併吞する、重複する。逐電することも、もはや叶わぬ。さりとて、そうしたところで、ただ果てしない覚醒の闇に、なおも身を任し続けるよりないことは目に見えていた。三歩目を踏み出そうとして、崩れる。膝が折れる。世界が傾く。顔から草むらへ倒れ込む。腐り果てた巨木のようにばったりと倒れ伏した。草と土の血の混淆した匂いが周囲に拡散した。子供の頃、母が干していた藁の匂いを不意に思い出した。それが最後だった。意識は途絶した。老人はしばらく動かなかった。まだ終わっていない。死体が最後の反射で刀を振ることもある。戦場では珍しくない。老人は知っていた。一呼吸、二呼吸、三呼吸。ようやく刀を払う。血が飛び、赤い弧を描く。やがて納刀する。鯉口が閉じる、乾いた音。それは墓石に最後の土をかけるような音だった。老人は若者を見る。かつての自分を見るように。相対する対照的な二つの人影の間に、不可侵の線を引く。しばらく見ていた。やがて呟く。「勝った者が強いのではない」風が吹く。草が揺れる。遠い海が鳴る。数秒の時間、象徴的なもの、それだけが残って物事を要約するように、低い声が響いた。「生き残った者が強いのでもない」老人は首を振る。「死ぬ順番が、少し後だっただけだ」誰も聞いていない。若者はもう聞かない。鴉も聞かない。空も答えない。それでも老人は言う。「わしも、じきにそちらへ行く」見る見る眼前に一縷の光が流れこんでくるように感じた。風だけが聞いている。草だけが聞いている。無為の自然を。古戦場の土だけが聞いている。そして二人の間。先ほどまで剣気で満たされていた空間だけが、なお消えていなかった。まるで一本の見えない絹糸が大地の上に張られている。それは勝敗ではない。名誉でもない。流派でもない。生と死、恐怖と覚悟。そして、人が人を殺すために発明し、離合集散した数百年の技術の残響。風が吹く。伊邪那美命以来封じられてきた、黄泉の国の御霊たちの声なき声。その糸は揺れる。寓意のように草が千切れる。だが最後まで切れなかった。まるで世界そのものが、あの一瞬の斬撃をまだ理解できずにいるかのように。老人は刀を納めた後、しばらくその場に立ち尽くしていた。やがて彼は、自分の左手が微かに震えていることに気づいた。老いによる震えではない。若者の斬撃が、彼の着物の袖をかすめていたのだ。もし彼の身体の開きがもう一寸遅ければ、あるいは浅ければ、今頃は二人とも倒れていただろう。渾身の一撃だった。人間の思想、信仰、救われようとする願望、それのいかに怖るべく強く、動かし難いものであるかを見た。老人はその事実を、静かに噛みしめた。「よい太刀筋であった」彼はそう呟いた。それは誰に言ったわけでもない。ただ、かつての自分自身に言うように。やがて彼は、若者の遺体の傍らに歩み寄った。そして、若者の刀を拾い上げ、その切先を天に向けて立て、大地に突き刺した。それは古来、戦場で果てた武者への、ささやかな弔いの作法だった。風が吹く。枯草が揺れる。遠い海が鳴る。そして、古戦場の土だけが、すべてを聞いていた。
2026年09月20日

ああもう、あたし、言い訳できないないつもあたしを追い越してゆく、制服の背中、紺色のブレザー。白いシャツの襟。少しだけ斜めに掛かったスクールバッグ。右肩から伸びた鞄のストラップが、ペダルを漕ぐたびに、ほんの数センチずつ上下する、その後ろ姿を見つめながら、言葉が止まる、スローモーション撮影のような、音のない優しい時間。この学校までの並木道を、何度も通ってきた。駅から学校へ向かう生徒たちの群れは、信号が青になるたびに一斉に動き、赤になるたびに、まるで透明な壁にぶつかったみたいに止まる。しらばっくれてる世界は知らない、あたしの胸の高鳴り。いつもより重いペダルだった、体格が違うけど、懸命に追い掛けた。疲れて漕ぐのを止めて、道端に咲いている小さな花を見つけたとき、少しだけ何かが、変われたような気がした。正面、背面、横断禁止わたるな止まれ、防犯カメラ作動中、頭上注意、駐輪ご遠慮ください、郵便専用車両を除く、工事関係者以外、立ち入り禁止。解放厳禁、広場内禁煙。君がいる朝の通学路なら、自転車で何処までも行けると思っていた。地図もないまま、何処までも走り続けたいと思った、ほんの十数秒で追い抜かれていく、傍らをすり抜けてゆく、その刹那が、そんな夢見がちなことを思わせた。加速する想い、飲みかけのサイダーみたいに弾け出して、そしていつか、そしていつか、一歩ずつ脱ぎ捨てていったお伽噺のように、あなたのことを思い出すんだろう。浮かれる気持ち押さえ付けても、君の姿が見え隠れするだけで、思わず口元が綻ぶ。 教室の窓から、校庭を横切る君が見えた。数学の先生が黒板に二次関数を書いている。チョークの粉が白く落ちていく。窓の外では体育の授業。誰かが笑っている。時計の秒針が一周する。そんなことで一喜一憂する、目が離せない。使い古しの自転車だったけど、その後部座席に乗りたかった。ああ、白昼夢なんだ、ねえどうですか、まだ持ち上げられるぐらいの体重で、セントバーナードみたいな顔しています。可愛いことひとつも言えないあたしだけど、内気で、臆病なあたしだけど、ジグザグの路地でも、急な坂道でも、その指定席から、一ミリだって動かないから。もうすぐ春がやってきて、あたしを桜色に染めてく。煌めいて、揺らめいて、いつかその背に近づきたいと、必死に自転車を漕いでた。あたしは恋を走らせていた。あたしは飛行機が飛んでいくの見てる、道端で信号を使わずに渡ろうとする、お婆さんの歩行を遠くから見守ってる。いつものようにまどろんでた白猫に、話しかけていたあたしはもういない。おちょくっている世界は知らない、あたしの切ない息づかい。あたしは恋に、落ちてい―――た・・。桜日和、もう雪は溶けてしまった、輝きを残して、もう来年にはこの光景は見納めになる、あたしはスピードを上げる君に、「置いてかないで」って小さな声で、蚊の鳴くような声でも言いたくなる。思考回路では処理しきれない感情だ、恋人でもないのに、ましてや面識だってないのに。それでもまだあたしは、この風向きに背を向ける気はない。泣きそうになりながら、こんなにも迷いなく澄んで、ピントはズレなくて、まだ間に合うかもしれないから、あたしは、ずっと前から、君に出会うためだけに、生まれてきたんじゃないかと、そう思うぐらいに君が好き。でも、流れる景色が、いつもよりも速く感じるね。上手くいったら綺麗な桜の木の下で、手作りのお弁当をこさえて、花見をしたい、本当は誰か好きな人がいなくちゃ、美しくもない花見をしたい。枯れるのも咲くのも花の意志、自然の摂理、タイムリミットが睨む、昨年埋めたタイムカプセルを、今年掘り起こしたとしても、肝心なことの何一つもできない、春の馥郁たる気配に揺れながら、告白することもできず、第二ボタンが欲しいとも言えず、モブキャラのように遠くから、眺めているのだろうか。雨上がり、風と光、桜の花弁が散ってゆく、滑り落ちてく速度と、近づかない地平線、水平線、それはまだ平行線。電柱、植木鉢、青いゴミ収集ネット。クリーニング店の看板。閉まったシャッター。交差点、横断歩道。絡まっていた散らかっていた思考が、粉々に割れた硝子のような朝を連れてくる、その夜の星座のように鏤められた、光が刻まれてゆく靴の底に、もう何十人ものあたしを踏んできた、不甲斐なくて、情けなくて、もう何百人ものあたしを踏んできた。永遠の翌朝のようなその日、アラームに伸ばした手を見ながら、もうこんな時間に起きる必要はないって、うなだれている自分を思った。でもその日は君が、先輩が、いつからそこに、そしていまからそこに、あたしは恋に、溺れてい―――た・・。すかしきった世界は知らない、あたしの世界に讃美歌が流れたこと。それが世界にルビをふるような木洩れ日だったこと。あたしは十六だったこと。あたしは女だったこと。それがいっせいに飛び立った鳥、その瞬間に光が目蓋の中で永遠になったこと、記憶の感光紙に焼き付いたこと。本当は、もっと近づきたかった。本当は、もっと話したかった。本当は、名前を呼びたかった。本当は、笑ってほしかった。できれば、振り返ってほしかった。そして、あたしを見つけてほしかった。自分を変えられる人もいれば、自分を変えられない人もいる。けど、一念発起する、その小さなきっかけが、朝の短い擦れ違いだった、特別なこともない、何一つ誇れるようなことでもない。でも風が頬を撫でて、あの日と同じ桜が視界を横切る。これはまだあたしが見ている夢、一人きりの物語にさえならない夢。
2026年09月13日

愛は心の中にしかないLove lives only in the heart幸せを運ぶ、その泣き笑いの顔。ねえ、坂道登って背伸びして、見渡した街の景色は、いつもと違って見えたよね?他に何も望まない、かけがえのないもの。他に何もいらない、つつましくて、ひそやかでささやかな、春に一番近い町。ねえ、君は幸せなのかな、ただそれだけが気がかりなんだ、心の中の居場所は、ずっとずっと誰のものでもない、君だけのもの、僕はそれを預かったり分け合うだけ、それでも君は笑う、曖昧に、あでやかに、時には上目遣いに、俯き加減に、言葉少なに、恥ずかしそうに。心というものは雲みたいなもの、だから声や言葉も、千差万別なんだ、そしてもしそれがイメージとして見えたら、フランケンシュタイン博士の怪物そのものだ、でも、怪物は同時に、ありのままの人の姿でもある。おはようと言って、さよならと言って、おかえりと言って、それが一番幸せなことなんだって、時々は思うよ、暖かい気配、その優しい匂いに、面映ゆさが混じり、包みきれない、喩えようのないもの、その何かのことを、ずっと考えていた。大人に近づきたかった。運命が展開し、家庭を築き上げる、感染する、沈潜する。ねえ、三千世界で在庫切れ、人類の多くの人の中で失踪届を出しているもの、小市民的な、世間並の、文化的な、その感覚や心が押し寄せることを、愛と定義しよう。人と人同士は違っていていいんだ、そもそも僕の答えに共感なんて必要ないんだ、千ある内の一つでいいんだ、そして一から十まで君が考えていい。賢いとか、優しいとか、努力してるとか立派だとか、そんなの何ほどのものになるんだろう、色眼鏡が必要だろうとか、権威がそれでも欲しいんだろうとか言わないでおくよ、だって僕はまだこの世界の仕組みを、完璧に理解していない。けど、生きてる毎日は、とても急ぎすぎてるね、立ち止まることはできない、休めば取り残される、だから僕等、まどろみに身を委ねて、小さな幸せのひと時が、醒めることがないように、願い続けていたんだ。貧しさの中では食べることや、性の営みの方が重要さ。でも心の貧しさの中では、今度は満たされない理由を、解き明かさなければいけなくなる、すべてが裏返ったとき、人はもう、同じ人の顔をしていられなくなる。世界は回ってゆく、いつか幸せの在り方とか、幸せの権利とか、考えるようになっていった。終電の合図、忙しなく動く駅、締まるドアと空いたままの心が、今も傷んでいる。ある人は、ありがとう、と言った。ある人は、さようなら、と言った。心の中に波紋が拡がるよ、遠い昔に空いた胸の奥の穴が、疼くような気もする。そうやって何十年何百年何千年変わらず、無償の想いを注いでくれる、青い空がきれいだと心の底から思った。色んなことを失ってみたことがないんだね、僕は全部ちゃんと覚えてる、染みついた不幸の薄気味悪い感じをね、侮蔑の、不愉快の、失敗の、無邪気なまでの人々の能天気さも。週刊誌や芸能ニュースに、年寄りじみた、場違いなほどの悪魔が、情報とか、知る権利と言っている。そしてそんなものが生きてから死ぬまでの間で、さしたる心の場所を形成するものでないことなど、誰だって気付いてもよさそうなものだけど、これが人という動物の証明なんだろう。あるいは、この世界はそもそもが露悪的だ。だから世界を作った神の開闢を、僥倖と思わない、僕は何十手でも読むよ、何百手先でも読むよ、聖書の言葉も、水槽の中の脳だという考えも信じない、ぬるくなった脈が同期するんだ、焦がれた脳が今は一つになっただけ、ああ、人も神も君も副次的だ。言葉が途切れる、冬の陽射しが風に流される。何かを選んだら、手の中は空っぽになる、与えられた身体の一部が、神様から奪ったこの心という部品が、腹の底からこみあげるものの在り処を、教える。いつもと変わらない、そんな風景。絵に描いたようなもの、稚気があって晴れやかなものを、思い描く、噛み締める。僕はきっと気付いてる、それが特別だと、ピンとひらめく直感、ふいにきらめく瞬間、心ときめいた予感のなかで、思い思いに擦れ違いながら、幸せは、たとえば空気みたいで、目の中がじいんと熱くなるもの、しいんとした耳の底に、声が聞こえるようなもの。不器用だね、ああ、間抜けさ加減がひどいものだね、人を信じているとか、よもや間違って、人を愛しているとかいう言葉は。そういう迷子になりそうな言葉を束ねて、時同じくして静かに生まれた、不幸というもう一つの完全な材料のことを、物憂げに考えている。踏切の前にいる君も、屋上の手摺りの前にいる君も、手首に鋭利なものを突き付けている君も、ほんのちょっと運が悪かっただけなんだと、僕以外の誰も言ってくれないと思うけど、一切合切考えていったら心底どうでもいいよ、確率だ、心理学だ、なんだったらそういうタイプにすぎない、悔しいよ、何もかもが仮名Aさ。世界は一つにならないものだよ、だけど世界は一つなんだ、色んな人種や髪色や瞳の色や肌の色がある、言語も違う、趣味も、血液型も違う、世界が一つになんてなるわけもないのに、それでも世界は一つなんだ、この当惑したような、馬鹿にしたような構造が、僕にはまだ長い間解けないでいる。専制と隷従とか、本能とか遺伝子とか、そういうことじゃないよ、僕が解けないのはこのステレオタイプな装置に、いまだに情念を抜けきらない人々がいることだよ。相手が好きになってくれるだけでいい、あるいは自分が好きでいるだけでいい、けど、人は勝手だからエスカレートする、手を繋ぎたい、キスをしたい、一生飽きない玩具を探してるみたいだなって、ふと思ったこともある。節度は必要だね、けど一体僕等はいつ大人になるんだろうね。歩いてきた、そうさ、長い曲がりくねった道を、僕等はひとりひとり歩いてきたんだよ、今まで歩み続けてきたこの道は、思い出に変わり、僕や君が進む、それぞれの道を照らす、いくつもの灯りへと変わる、風に乗り聞こえてくる、君が呼ぶ声、紡がれる頁、その優しさがやけに心に響いた。世界の端っこで監視装置たるものを感じる君、夕暮れ、遠く伸びる影法師、誰かが決めた馴染むことのできない時間の中で、それぞれの砂時計のくびれに、擦れる音を聞いている。そして落ちる音を。ねえ、愛を証明する答えを探して、どれもこれも違うだろうと、鼻で笑い、変な目付きで僕は見つめるだろう、それは、過ごす時間の中にだけ価値が存在し、それはそういう愛が偏在していて、永遠、永久、悠久、永続、無限という回路だと、僕が思っているだけだから。ありとあらゆることの中に、真理があるということは、ありとあらゆることの中に、愛があるということでもある。いつの日か僕等は消えて、この世界をきちんと終わらせる。そうしたら次の世界に行くんだろう、まるで朝がやってくるように。夢から覚めるまで、ことさら、ことのほか、心をとろかすような笑顔が、帰り道を間違わせないように、今の内から色んなことの準備を、始めている気がしている、今日この頃だ。風に揺られてなびく、君の髪を見つめながら、飛行機雲が遠くで消えて、何処かでは、カレーライスの匂いがしている休日、僕等はやっぱり旅人なんだろうか、人生のそれぞれの、生きる意味を見つけるために、歩き続けるのだろうか。
2026年09月13日

Shakin' it踊るよ明日の朝まで、ライトひとつだけこのステージで、気分上々、威風堂々高ぶる胸の鼓動が、“合言葉”さ。踊るよ明日の朝まで、このまま独演会さ。彼女の鎖骨のくぼみに溜まった汗が、動くたびに光を屈折させ、プリズムのように小さな虹を壁に落とす。決して叶わないもの・・。決して届かないもの・・。手ーをー掴ーんーでー、強ー引ーにー引ーきー寄ーせーたーい・・。“Are you ready to start?”ah ah...今夜は一人、DANCE,DANCE,DANCE心躍らせてよ、Oh...Skip,Skip,Skip,Skip 額から落ちる汗、溶ける温度、身体に貼りつくシャツ、(Don't stop‼)[GO‼]“熱くなるテンション”『言葉の中に溶けてゆく、身分証明書』ah ah...DA,DA,DA,DANCE,DANCE,DANCE(Nice and Warm‼)>>>試行錯誤して、これ以上ないほど燃焼し尽くして。『戸惑ってもいい、夜はまだこれから』染まって変わって描いて繋いで、(Tonight‼)“書き換えたいニューロン”踊り明かすよ。イメージは数万枚の花びらの、パーティクル・エフェクト、空気抵抗と重力とランダムなノイズを受けて、固有の軌道を描くそれが、それが、―――【孵化】(スル、)let 'us take our timepa,pa,pa,pa,pa,pa,pa......メリーゴーランドのように感情が切り離され、ほら、日常的な時空の連続から解き放たれるから。踊るよ明日の朝まで、ライトひとつだけこのステージで。気分上々、威風堂々高ぶる胸の鼓動が、“生きている証明”さ。踊るよ明日の朝まで、このまま独演会さ。彼女は右足のつま先で床を三回叩き、踵を軸に身体を九十度回転させる。それから左腕を頭上に伸ばし、指先で空中に円を描く。 その軌跡は、暗闇に残像となって、まるで蛍光ペンで引いたような残光。シャーマニズムにおける憑依、あるいは、宗教的な恍惚。ーー自分達って、ーー何者なんだろうって、ーー「問い掛け」る、『分からない』けど、ーーその一秒ごと吹き返してく蟻地獄が、堕落が、ーーその『虚ろな愛の手練手管』が、―――【何者】なんだって答えた、答えた、答えた、答えた・・。うっすら目蓋を開けたら・・。君の笑顔が溢れ出す・・・。手ーをー掴ーんーでー、強ー引ーにー引ーきー寄ーせーたーい・・。oh‼ oh‼C'mon!Hey Mr. D.J.Dancing in the party!C'mon! let me dance,Secret Dance Uh Yeah......細かいことは気にしないで、YOUも踊っちゃいないなyo!Hide and Seek 見つけたいものは、コ/コ/ロ/が/加/速/し/てRound and Round 遠回りしても・・・。(動き出す手、)“止まらな―――い・・”“終わらな―――い・・”Tap and Tap and Drop『感じるままに Dancing I Wanna Swing』(死ぬまで舞踏れ、)“Are you ready to start?”ah ah...今夜は一人、DANCE,DANCE,DANCE心躍らせてよ、Oh...Jumpin’ Poppin’意図しないフラグに揺らぐ選択肢、失踪、無意味、走り去る言葉。(No cry,Do not cry‼)[LET'S DO IT AGAIN‼]“譲れないポジション”『平均台の上でまたバランスを見失う』ah ah...DA,DA,DA,DANCE,DANCE,DANCE(Try and Again‼)>>>運命の瞬間、火花散らして臨界点。Up and up and up and down『言葉途切れても、廻る景色』染まって変わって描いて繋いで、(Tonight‼)“時を刻むビート”踊り明かすよ。両腕を斜め下に開き、肩甲骨を寄せて、胸を張った。 その瞬間、脊椎の一つ一つの椎間板が、微小にずれて衝撃を吸収するのがわかった。 筋肉の筋膜が滑り、筋繊維が収縮と弛緩を繰り返す、その生々しい感覚。スタジオの時計は、午前二時四十七分。 窓の外では、首都高を走るトラックのライトが、カーテンの隙間から走査線のように壁を横切っていく。“フロー状態の動く身体”・・。let 'us take our timepa,pa,pa,pa,pa,pa,pa......エレキギターのディストーションみたいな、延長戦へ、ほら、このきらきらしたトンネルを潜り抜けよう。
2026年09月13日

ティーンエイジを笑わないよく晴れたミサイルの降る昼、殺菌よろしくピュアに敬礼、画面中央に巨大なQTEが出現してさ、【PRESS!】せーのっ、コーラで飲み明かそうよ、SE:シュワアアアアアアアアアア。(さいしんのヴァージョンで、)糖分過多。マヨネーズ油多すぎ問題。どげんかせんといかん。すべての憂鬱崇拝者が頭上の斜め上に、くるくると周回軌道上回る、悪の組織。[コマンド]が出現する。>にげろ「あーーっはっはー!世界にもっと恐怖を! 悲しみを!」って、どんな台詞だ。頭に沙羅双樹はやしてる。どうしてそうなった。キャラクターデザイン担当、一回説明してくれ。でもとりあえず反町隆史風に言いたい、ぽいずん。ちょっと思った、昨日の後悔。犬が骨くわえて持って行った、未送信メッセージ。道端で自転車に轢かれた、使い道のない勇気。トイレの便器の中にあった、賞味期限切れの青春。私は迷わず、[にげる]を選択した。《しかし まわりこまれてしまった!》いや、なんでだよ!(まっくら闇ひらかれるシャッター、)「君は光を失うだろう、君が見た夢は花火のように弾けて消えるだろう」Can you do me a favor? (ウォウウォ、ウォウウォ)Can you take my side?(イェイイェ、イェイイェ)なのさ!!【友情値が上昇しました】って、何で?【恋愛フラグが立ちました】って、もっと何で?【意味不明度が上限突破しました】それはそうだけど、やってられるかああああ!「せぇのっ」「どっせぇ!」 「どりゃーーっ‼」 レンズフレア、ゴッドレイ、ボケ効果を重ねるよ、『ベルサイユのばら』のオスカルみたいでもいい!甘さも苦さも心のさじ加減で輪郭を失くした、境界を失くした、まごうことなきヘヴン、きっと昨日今日明日も、ばれないように夢中にトリップする、淑女にLEVEL UPするって昨日言ってなかったっけ?三十年後の自分に会いに行ったら赤面するか、大爆笑されるか、でもこの一瞬を大切にしたい、超新星、起こせビッグバン、けしからんよ、実際、並走するペラペラのメーデーを尻目に。「ハイセンスすぎる自分が浮いてたからとか、髪がモサすぎたからじゃない」足跡をつけた地面だけで、世界地図のすべてが埋まっているループマンネリだけど、脳内妄想は炸裂する、敵と味方の区別が、少しずつ消えていくんだ、善と悪、勝利と敗北、現実と妄想。昨日と今日、今日と明日。全部、同じゲージに収納される。Take it easy and enjoy(しずまるシアター、)Just take it easy and enjoy it(はじまるナイター、)【WARNING】《この先、引き返せません》迷走もノークレーム無礼講、さあ、君とポップソングを歌おう、(諸星大二郎の『暗黒神話』と『栞と紙魚子』は、ちょっと横においといて、)何気ない声を聴かせて、心とかいうパーソナルスペースを一瞬だけ占拠して。正義の味方。[コマンド]が出現する。>たたかう「あーーっはっはー!なんというかーかんというかー、愛を! 平和を!」って、どんな台詞だ。さっきとほとんどノリが一緒だ。でもとりあえず反町隆史風に言いたい、ぽいずん。あなふぃらきしい。もっともっともっと、なけなしのありったけ、(キャンディきらきら、)「せぇのっ」「どりゃー!」 「ふんがーーっ‼」 被写界深度、粒子エフェクト、スローモーション。画面いっぱいに、光。光。光。もう何が何だかわからない。// BG:地方都市の外れにある古びたバス停バス停の屋根は、ポリカーボネート板が半分だけ黄ばんでいて、その内側に貼られた古い広告―――。「資格取得応援キャンペーン(あなたの未来を変える)」「遺品整理・ご相談ください」「完全個室型サウナOPEN」SE:遠ざかるバスのディーゼル低音、 エアブレーキの余韻、点滅する歩行者用信号機の、「ピヨ、ピヨ」という電子音(遠距離)ああ、目まぐるしい一日へと、あれよあれよと流されてく、段々わかっていく自分の限界とか、そして、もう私も君も分かんないんだ。カットとカットの間にある不可視の関節。シーンAからシーンBへの移行。その間に挿入されるカットアウェイ。一秒の沈黙。二秒の暗転。三秒のフェードイン。(ドーナツのわくせい、)三十年後の自分に会いに行ったら赤面するか、大爆笑されるか、でもこの一瞬を大切にしたい、どんなダイナミックな物言いにも、いくらかのエクスキューズはあるもの、急転直下ドロップキック、胸のハートビートがマスターピース。プロンプトを打ち込んで、もっと華々しい暗黒な歴史を作るから、君を宇宙に連れてってやるって言って!
2026年09月13日

着陸する世界の前でBefore the World Touches Down世界が着陸する、結末の予感を連れて。ちょっとは人生の意味が分かった扁桃腺が熱い。カモフラージュされた、昨日までの日々が、人の心を重くしていると気付きながら、同時にそこに信頼を置いていたりもする。ずっとずっと脳裏に焼き付いてる、RPGのラストシーンが。けど、くだらないループの中に取り残されると、もういい齢なんだからって自分を抑えつける癖がつく。圧倒的な、旺盛なもの、視線の動きで物語を這っている、闇の底にしらじらと輝く窓硝子に映る人物、これが自分か、こんなの自分じゃないと、宙ぶらりんだったあの頃が懐かしい。君だってそうだろう?ハッピーなんだか心細いんだか、晴耕雨読したいんだか虚無なんだか、是れ好日ってか?感傷とか郷愁とかはないけど、風が、あの日の薄紙一枚の答えを、いまになって囁くよ。簡単には夢もかなえられない、そう簡単には何かを変えることもできない、気が付くと勇み足、間違い探し、不承不承、連鎖反応、引くに引けない人生の場面に想い馳せる。一人じゃ勝てないよ、だけどコークハイなんかもう何年も飲んでない。あれから更に十年、歳を重ねたけど、「疲れた」とベッドに寝転がる自分を、好きになれるかどうかだって気がしてる。小さな頃に山道を全力疾走できたんだ、あの元気の塊が魅惑的なラジオの暗いテーマに、耳を傾けさせる。大人になるって、もっとリアルだった、いざこざ、虚無感、一歩間違えば、全部失うようなそんなことを考えていたんだ。情緒不安定という強制スクロールで、人はいつも身勝手に泣いてる、けど、もう全然泣かなくなったね、涙腺が死んだのか感性が終わったのか、確かなことはボロボロのぐしゃぐしゃだってこと。月の中に住んでるウサギは殺された、不思議の国への入り口は塞がれた、でも僕等まだ何となく生きてる、しゃあないかって言ってまあ何となく生きてる、テールランプが美しく見えるって、あの日の君に教えたいね、馬鹿だね、本当に。言葉だけで紡いだ僕等のユートピア、狭い箱の中を出たら自由だって思った、自分の檻から出たら卒業だって思った、人のことが分かったら仙人だって思った、でも取るに足らぬ、東洋的なペーソスで、所詮は極東アジアの猿が血迷って何か言ってるだけ、でも、無辺際に拡がっている朝の空を見ながら、こうやって歴史の教科書の過去に、なってゆくのかなって想ったりしてる、まだ青いね、君は。
2026年09月13日

Polar Low in My Chest すごいスピードに乗って夢を見続けてるみたいなんだ・・・。雪の日だった、ラストシーンみたいな粉雪が、手の中で溶けた。鳴らないオルゴールだ、そしてそれが最後の音だったと思う。飾った言葉で自分の想いを語ろうとすれば、空虚な言葉の虹が架かる。本当、なんて、気分なんだ・・・・・。空を見上げた日、それは僕が俯腑いた日。あなたを見てるから、とても弱いあなたを見てるから・・・。あの夜は星空と雪の舞踏会、夜が明けてゆく前に、だからどこか知らない街へ行きたい。ドアを開けた瞬間に、目の前が輝く、あたり一面、白の世界だった子供時代。二人だけの世界へ今すぐ連れだして、アスファルトを濡らす水になる前に、雪の気配を連れた黒い雲を見つめていた。いま、排気ガス吸い込んだ、地平線・・・。予定は無いウィークエンド、心の中はあの日の顔した、ポーラーロウ。
2026年09月12日

虫取り網で、ハーレーダビッドソンを、(かぶと虫、かぶと虫、)捕まえられるかな?軽く湿る地面に靴音を響かせて、交互に並ぶモノクロを踏みつけていく、採点機みたいな横断歩道。(uh,赤くなってく、甘くなってゆく)嘘で詰まった排水溝と欲を喋る蛇口、ブレーキの効かぬ細胞、(Tripさせてよ、)心の中はエマージェンシーコール。曇天の空に鳴いてる烏が見下ろして笑ってる、同調圧力を、ルサンチマンを、ルッキズムを。 no!no!no! とか・・。oh‼oh‼oh‼ とかとか・・・。マイナスからプラスへ、今年の運勢は最高にいいらしい、だからもうオブラートに包んだ言い方は止めにしたんだ。地球の地軸がずれたせいで、昨日からちょっと地球がちょっとおかしいけど、You are a spectacle?知らんぷり、幽霊の正体見たり枯れ尾花、まあいいかでブランコの靴飛ばし、(まだ集団下校があなたを急かしている)午前十時の駅前の交差点は、二千四百兆の瞳、エキゾチックでアカン。ほら、Rock'on(Lock'on)data mining,pattern matching,clustering simulation,optimizing,recalculation 「ドナドナされた青春を取り返そうぜ」放射能漏れみたいなプライヴァシーと、監視社会のディストピア、皮がよじれて皮膚が裏返ったみたいな、グロテスクな都市。高層ビルの屋上で感じた、航空障害灯になれる感じ。(シンデレラも門限を過ぎて、「ブラック企業なめるなよ!」)キラキラシールが欲しいんだ、SSRが欲しいんだ、(もっと甘くなるDream)駅の改札で工事現場の看板みたいに、「ご迷惑をお掛けします」って言ってる感じ。no!no!no! とか・・。oh‼oh‼oh‼ とかとか・・・。ポップに生きて、パラレルしていく時計のチルタイム、毎月振り込まれる給料に想いを馳せながら、ズダダ、銀行強盗したいなあ、ズダダ、人だって轢いちゃうぞ。そうさ、きっと、あの日から、銀行襲った強盗が人質とって町を逃亡中。そういうカースト最下位、モブキャラジャパン。感覚詐欺の共同連盟、(そういうジャポニカ学習帳に誰がした?)You are a spectacle?ここは通信圏外、くちなし色、正夢より深い場所。「この電話番号は現在使われておりません」ほら、Rock'on(Lock'on)data mining,pattern matching,clustering simulation,optimizing,recalculation 「向かう先は歯車、人生のベルトコンベアー、でも愛の羽衣伝説はじめました」今信号機の色が変わっても歩き出せないな、年中無休で廻るよ、走馬灯、諸行無常で、松尾芭蕉も歩くこの街。(夕方の駅のホームはひどく混み合って、すっかりはぐれスライムみたいになりました)わびさび言わせて、もののあはれ言わせて、ペヤングの塩味と混ざる、小さな時間を区切る木箱みたいな横断歩道。(uh,青くなってく、干からびたスルメ)排他的高尚のふりした惰性のコードで彩るよ、アスファルトは裂けて草木が育ってゆく終末後、実った果実は最初から腐っている方がマシだったな、煤けた箱の中のジオラマ、ブルバードはいずこ?毒をもりもり素敵だな、終末!no!no!no! とか・・。oh‼oh‼oh‼ とかとか・・・。ああ同時並行世界の乗り換えをどこかで間違ったかな、未来はリセットされて書き換えられてくばっかで、いつだってマカロン食べたい(?)そうして三千年です、さようなら人類。はしゃげ、スニーカー、今日が最後の夜かも知れない。そうして三万年です、さようなら人類。はしゃげ、トリックスター、愛しています心の底から。そうして三億年です、さようなら人類。はしゃげ、マンドラゴラ、白黒だらけのアルプスに。ほら、Rock'on(Lock'on)data mining,pattern matching,clustering simulation,optimizing,recalculation 「さあ、空と海とメビウス雲の浮かぶ、延長線上の空想戦線へ」ココロのリズムハジケだすぜ Go my way!上昇気流を目指して街を泳ぐ成層圏からの、ファースト・キス、さらば Good bye. Good night双眼鏡の中、バードウォッチング、渡り鳥みたいに着替え中の人妻がいても、君は愛を探していたんだ!wow...一人殺すも二人殺すも同じ。wow...WOW...殺せ殺せ毒を喰らわば蛇もうなぎ。wow...柔軟な働き方とキャリア形成の君。wow...WOW...自分らしさの模索と承認欲求がうるさい。
2026年09月12日

あやかしあや、あや、夜半のまに。紅梅襲の袂に、名古屋帯の変わり結び。かむなぎの娘、稚気と羞恥みを持ち、あわいの橋に、影ひとつ。——さらに向こう。 星の真砂の如く、恒河沙数の如く、そこに、——「妖」の世界がある。ざらりとなのめ、口伝の必衰退、十二指腸分の傍ら寂し、くちのはいちごは何処にある、満ちると欠けるのそぞろ歩き、朱の葉はらりと水鏡。——水面に映る、——鏡像。映っているのは、——空ではない。「戻れなかった」すなわち、——「夢の国」に、——残った。 その影は、その影は。あやかし、まやかし、かどわかし。かへりごとはさしいらへ、けばけばしき身繕ひ。行燈の灯消えりゃ鵺が啼き、痴れ事、賭け事、祭り事。——不規則に、——響く。 正解のない、——揺蕩い、その音に、——名もなき灯りが。おいでやおいでよ、後ろの正面誰でしょね?見え紛ふせせらぎ、せぜらぎ。祇園精舎の鐘を絶つ、朱の契りを、くぐりゃんせ、揺蕩い歌えば淀んだ枯山水。 月は、——満月。 しかし、——欠けない。 何故なら、——ここでは、——「満ちる」と「欠ける」の、——区別がない。ゆらり、ゆらり、煙る門。竹皮草履に、深爪、弾指の間、あしのふしのま、鬼魅が跋扈する、さこそ、さぞや、なに、隠れ里。ひふみ、よいまや、常夜の戸。「いざなぎ」は、——伊邪那岐。 「いざない」は、——誘い。——そしてそれは、——嗤う。かげろう、まほろば、うつつの端。今宵狙うは玉手の箱か嘘の葛籠。鬼灯の朱い実を袂に忍ばせよ、踏めば戻れぬ夢の国、なでふことなし、鳰の浮巣。「まほろ」は、——「まほろば」——理想郷。 「まぼろし」は、——「幻」 二つは、——表裏一体。
2026年09月12日

夜の川沿いその一言が、表面張力を破り、水面へ落ちた小石のように胸へ沈んでいく。同心円状の波紋が、月灯りを屈折させながら拡がる様子が、網膜の奥でゆっくりと再生される。川沿いを歩く人影は少しずつ減り、代わりに橋の欄干へ等間隔に並ぶ街灯が一つ、また一つと灯って、ナトリウムランプの橙白色が、アスファルトの湿気を照らし出し、夜を着直した。まるで誰かが、黒いベルベットの布を、慎重に折りたたみ直したようだ。黎明を追い越す車輪の残響が、舗道へ転写するあべこべの世界の入り口。ifの世界。アサヒ・スーパードライの空き缶を、靴先で転がしながら、酔っ払って川沿いを歩いていたら、歩道の舗装ブロックの継ぎ目が、やけに鮮明に視界に飛び込んでくる。潜ませた微炭酸はある。でも何千回、何万回やってもこんな人生だって気がする。思うだろ、でも違うんだぜ、けどそう思うんだ、確率論的にありえないこの連続が、むしろ必然のように感じられる、その矛盾。何者にもなれない僕等は、痛いほど、むず痒いほど、何者にでもなれると錯覚した。どうかな? 数千年も前から、君を見ていたような気がする。更新世の氷河が後退し、世界は青くて、微生物の気配や、シアノバクテリアが放出する微量の酸素と、土の揮発物と緑の匂いが鼻をくすぐり、ペトリコールと、クロロフィルの分解物が混じり合った、生命発生の瞬間の空気。冷たい空気が自然と向こう側から、押し返してきたような気がするんだ。肺胞の奥まで、氷河期の冷気が浸透してくるような錯覚。発汗した体躯と伸長する影法師を、追い掛けているような日々だ。平等って何のことなんだ、ボルツマンの脳仮説も、ロールズの無知のヴェールも、いまさら誰に問い掛けても仕方のない嘘の吹き溜まり。エントロピー増大の法則が、すべての道徳を均しているのだろうか。完璧な鏡より、揺れる水のほうが、夜を美しくする。乱反射する光の粒子が、不確定性原理のように、観測者の位置によって姿を変える。雨の降る音で目が覚めて、静かに動き出した午後なんてフレーズは、どうだい? シャッターの降りた問屋街、正解なんて未実装のまま、失敗だらけの人生だ。錆びた鉄骨のアーチが、ゴシック様式の廃墟のように空を切り、タクシーの灯りが横切ってゆく。テールランプの赤が、長時間露光した写真のように、視神経に焼き付く。駅前では泥酔者が、警察官のお世話になっているだろうか、白色灯の下、手錠の金属音が、乾いた空気中に短く響く。昼の名残を脱ぎ捨てたまま、太陽光の残滓が、ビルの谷間で酸化鉄のように錆びついていく。急降下法の一意性。「おやすみなさい」って声が聞こえてびくりとする、世界だってそろそろ、静かに悟りたいのだろう。横槍は奇天烈に焦げて着色した脳内、ドーパミンとセロトニンのバランスが崩れ、扁桃体が過剰反応を起こした状態。この十把一絡げが自分だろうか。デフォルト・モード・ネットワークが、休息時に勝手に語り出す、自己に関するノイズ。でも利用すべき地位もない、権力もない、お金もない、何も無い。ぺんぺん草だって生えてないさ。ただ、ペン一本で、こうして考え考えしながら一字、一字、書いて、それを訂正して行こうとしているのだから、心許ないのはいまに始まった話じゃない。振り返れば、未踏地ばかりさ。どうだい? ナスカの地上絵みたいに、地上からは認識不能な、巨大な幾何学模様が、いまも見えるだろうか、Tomorrow of 未確定事項で今もまだ空欄のまま、大気圏でほどけて銀河に散らばった分身達が、今日を消費して、繰り返しの毎日を黎明とかいう、記念碑的なものにするだろうか。シュレディンガーの猫のように、観測されるまで、無数の状態が重ね合わせになっている僕等。川鵜だろうか、黒い翼が橋の上を横切って、翼端渦を巻きながら、流体力学に従って滑空し、川下の方向へ消える。そのシルエットは、まるで古代のトテミズムの象徴のように闇に溶け込む。最短距離を嫌った帰路、それは夜間飛行の滑走路だったのか、それとも荒唐無稽な未来予想図の顛末だったか。ああ、それとも、それが時計の針とともに、落ちる脳のレイテンシー?川の向こう岸は見えるのに、この川の向こう側は見えない、トポロジー的に、二次元の水面は、三次元の空間を隔てている。そんなの知ってるって言ってくれ、意地悪な世界だ。ラカンの「鏡像段階」のように、自己認識は常に他者との関係性の中で歪められる。そしてまだ僕はぎこちなく、灯りに照らされる表情をして、小心翼々の、甘い弱い、そうして多少、頭の鈍いものが幅をきかせた、蛍光灯のちらつきが、まばたきの同期を乱し、ガラス越し精彩を欠いたイメージ。反射防止コーティングを施したレンズ越しに見た、彩度の落ちた世界。嫌だな、橋の鋼材が、ごく低く鳴る。固有振動数が、人間の可聴域の下限、二〇ヘルツ付近を揺さぶる。金属は温度で伸縮する。線膨張係数に従い、鉄骨は摂氏一度ごとに、目に見えない距離を移動する。昼間に膨張した梁が冷え始め、太陽放射による熱収縮が、構造物に残留応力を生じさせる。目には見えないほどわずかに応力を解放する。クリープ現象のように、時間をかけて、材料は変形し続ける。耳を澄ませなければ聞こえないような、小さな軋み。その音は、都市という有機体の寝息だ。その、未来なんていうものの曖昧な代名詞の掠れ声だ。ああ、晴れた森の中を歩いてるような気がする、針葉樹の精油成分、モノテルペンが、大気中に漂っているような錯覚。アイロンでもかけたように起伏のない街、平面図みたいにのっぺりとした具合だって思ってるくせに、財布もスマホも家の鍵も、リチウムイオン電池の残量表示が、赤く点滅する不安。落としてしまいそうで怖い。所有物が、自己の延長として機能しなくなることへの恐怖。不安が世界を起動して、無数の夜の残響が残る部屋を戦いと定義して。風の速度と鼓動の数がぴたりと重なったら、手のひらをすり抜けた風が、まだ知らない未来の温度を運んでくる。政治的風刺や愛の告白のある、ポンペイの壁に刻まれた、落書きのグラフティが、ローマの落書きだらけの路地や、大理石の破片が、サンダル底に食い込む感触。一点うしろ暗いところなく談笑できる人間はいない、そう思うんだぜ、都市だってこのありさま。北京のハリボテだらけの開発、急速に硬化するコンクリートが、歴史的層理を埋め立てていく。棘のある毒物の感じで、瞬いて、なんか鼠のように青白い焔で、宿業そのものの、星さえろくに見えない都会の夜空。光害によるスカイグローが、天の川を消し去っている。あれは夢、これは幻想。REM睡眠中の脳波が、覚醒時のそれと区別がつかないように。一つ足りないままの身体に、先天性の欠損か、後天的な喪失か、足りないものは何かと問い掛けたまま、ラカン的な「欠如」が、欲望の原動力として機能し続ける。手をすりぬけていく、砂を握りしめようとするが、指の隙間からこぼれ落ちる、あの感覚。合言葉はたった一つ、イージー・カム・イージー・ゴー。ほら、瀬鳴りの音が静寂の天地に澄みかえり、音響インピーダンスが、水と空気の境界で反射を繰り返す。影は少し照れたように地面の上で揺れかえって、もう名前なんていらない、色と音だけが世界を支えてる。ああ、迷路みたいに入り組んだ団地と、インターチェンジと河川敷。変な錯誤の感じとともに、ゲシュタルト崩壊のように、意味の輪郭が滲んでいく。なんだか気にかかりながら、その夢の真意を解くことが出来ず、愚図愚図まごついているうちに、訝かしい魅惑が心を充たしてくる。アミーグダラが、危険と快楽の境界を曖昧にしている。本当に流れているのは川なのか。ヘルラッハの定理が、流体の渦度を保存するように、あるいは、人間の方なのか。時間の矢が、エントロピー増大の方向にしか進まないように。風が吹く。川面に長い皺が走る。風速と摩擦力が、水面にキャピラリー波を発生させる。その皺は数十メートル先まで伝わり、波の分散関係に従い、長波と短波が異なる速度で伝播する。やがて船の引き波と交差し、建設的干渉と破壊的干渉が、複雑なパターンを描く。細かな干渉縞を描いて消えた。ヤングの実験のように、波動性が、粒子性を凌駕する瞬間。最後に青が少し遅れて夢を見たみたいに、僕も息の仕方を思い出す。いつになったらこんなことに終わりがつけられるのかって、はっと一瞬おどろきの姿勢のままで、そのまま凝固し、定着してしまおうか。憤りと遣る瀬無さと焦燥に打ち拉がれる、コルチゾール値が上昇し、交感神経が優位になる。あれ、こんなこと昔も考えたことなかったっけ?ハイデッガー的な「現存在」の不安が、ふと頭を擡げる。自転車を走らせる人や、チェーンの潤滑油が、ギアの間で微かな熱を発生させる。ジョギングをする人の姿。アディダスのブースト素材が、衝撃を吸収し、推進力に変える。遠くに見えるビル窓の、Low-Eガラスが、赤外線を反射し、省エネに貢献している。カーテンが閉まる手が見えたりした。ポリエステル繊維のカーテンが、プライバシーという境界線を引く。もっともっと、本音晒してみせてよ、自己開示の深さが、人間関係の親密さを決定する。醜さも、みっともなさも、ダーウィン的な適応度とは無関係な、人間固有の属性。すべてが美しく生まれ変わる蛹になれるまで。二十三時を過ぎた街、深夜営業のコンビニエンスストアの、自動ドアの開閉音が、あなたの気配が、夜にほどける。逢魔の時というのだろうか、もやもや暗い、塀の上に、ぼんやり白いまるいものが見える。フェロモンのように、空気中に拡散していく感覚。それは多分、涙もろいだけの寂しさで、でも少しだけ優しい、目を閉じても見える色が心の中に拡がって夢の残像のような風が、いつかの白い布を揺らす。幽霊だってこんな具合。呪いをかけられた、誰にも解くことはできないって、それが愛とか試練だったということには気づいてる。俯腑いてまだ翅は冷たいのって言ってる、外骨格のキチン質が、まだ十分に硬化していない。翼や羽根にならないのなら、飛翔筋が、体温を上昇させるために震えている。玩具みたいな感覚だけど、プラスチック成形品のような、安っぽさと完璧さ。君は灯りを見つめることを止められず、走光性を持つ昆虫のように、光源へ引き寄せられる。いつのまにか芋虫のようになった、腹脚で、アスファルトの凹凸を這いずる。だけど、灯りの下ではまだ永遠に春さ。サーカディアンリズムが、人工光によって乱され、季節感が麻痺しているのかもね。「大丈夫」って笑った君の背景には、いつも揺れていた波があって、それを見ないふりした夜ほど朝焼けが痛かった。波風が立っていた。(君は手のひらの中のロケット見せてる)心が丸裸だった。(そして君は此処から先は行き先が違う、大切な人生のチケットを握り締めてる)それでも僕等はまだ何も言わなかった。ゴングよ、鳴れ!けざやかな虚飾にも似た、バロック様式の、過剰な装飾性。スタンリー・キューブリック的秩序。一点透視図法のように、画面の奥に消滅点が設定されている。ビルの室外機。冷媒ガスが、圧縮と膨張を繰り返し、熱を移動させる。信号機の電子音。ピエゾ素子が、電圧を加えられて振動し、音波を発生させる。そしていまは、いまだけは、夜の跫音、歩行時の地面反力が、振動として伝わる。奥底には、魔法の媚薬のようなものが存在している、オキシトシンが、信頼と愛着を促進する。アントニオ・カルロス・ジョビンの波。ボサノヴァのシンコペーションが、心拍数と同調する。答えはいつだってそうさ、急ぐほど愛は遠回りして、空回りしたんだ、そして僕等の隙間に花を咲かせた。廻る影と濡れた靴と鉛筆みたいなアスファルト、石墨と粘土を混ぜた芯が、紙の繊維に食い込むように、靴底が路面を擦る。ここでどんな会話をしていたっけ?短期記憶が、海馬から大脳皮質へ固定される前に、消去された。でも、生きようとしていた、この街で。途切れない線、永遠になくならないもの、トポロジー的な連続性が、空間の連結性を保証する。海外から来た旅行者が、パスポートのICチップに、生体認証情報が記録されている。一斉にスマートフォンを掲げて、CMOSセンサーが、光子を電子に変換し、デジタル信号へ変換する。何かを撮っていたのを思い出す。JPEG圧縮が、非可逆的に、情報を間引いている。どれもこれも、特別なことではない。日常性の現象学が、当たり前の背後にある構造を問う。ただの休日のひとコマ。カレンダーのグリッドが、時間を区切り、意味を与える。夕暮れ、神社、提灯、浴衣、和紙の繊維が、蝋燭の炎を柔らかく拡散させる。ラムネ瓶、線香花火、硝酸カリウムが、酸化剤として働き、火花を散らす。遠くで鳴る盆踊りの太鼓、皮革の張力が、音程と音色を決定する。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの提唱した、「環境世界」が、生物ごとに異なる現実を構成する。環世界。ダニの知覚世界が、酪酸と温度のみで構成されるように。僕等は不器用に優しさを間違えた、守りたい気持ちほど誰かを傷つけてしまう、そんなことなら人を好きになりたくないと思ったって、心はあわせ鏡、ズレていくのも、許すのも、そしてお互いの弱さでさえも。いっそ沈黙を守ろうかって激情の果ての、無表情、能面のふりしたって三秒だって続かない。銀河のはずれでやさしい顔をした世界だ、ダークマターが、銀河を重力でつなぎとめている。紀元前のペルシアにはカナートという地下水路が、重力勾配に従い、水が自然に流れるよう設計された、古代の水利システム。砂漠の下を数十キロも水が流れて街を潤していた。蒸発を防ぐため、地下という選択が、文明を可能にした。滅びゆくものだけが美しいという欺瞞を信じてみたり、無常観が、日本的美意識の根底に流れている。忘れられた嘘だけが正しいという残酷を信じてみながら。ポストトゥルースの時代、客観的事実より感情が重視される。心がきっと孤独を知っている、そして愛はもう曖昧なだけの孤独な魔法だって知っていても、だからこそ世界がまだ終わらない理由に重ねられた、ルサンチマンだ、シュプレヒコールだって、横文字並べて、興覚めの世のからくりを知った、結局は同じような意味の言葉を違う言葉でうんざりするだけ。琉金、出目金、オランダ獅子頭。金魚の品種改良が、突然変異と人為選択によって、野生型から劇的に変化した。丹頂。ランチュウ。東錦。江戸錦。色素細胞の配置が、模様を決定する。ピンポンパールのことを考えている。球状の体型が、遊泳能力を犠牲にして、観賞性を高めた結果。水槽という狭小な異界で蠢く人工の奇形たちが、閉鎖系における、遺伝的多様性の欠如。そのまま夜空へ浮かんで消えていく。蛍光タンパク質が発現した個体が、紫外線で光っているように見える。提灯鮟鱇のようになれるかい、発光バクテリアを共生させ、獲物をおびき寄せる深海魚。それともそんな衛星もいいものかい?潮汐力によって、主星の重力に捉えられた軌道。指先だけが季節を知っていて、温度受容体が、環境の変化を感知する。けして見せなかった夜の続きを眺めながら、ダークエネルギーが、宇宙の加速膨張を引き起こしているように、足音が連れてゆく、歩行のリズムが、思考のペースメーカーとなる。地上の星。夜景が、逆さまになった天の川のように見える。あれは夢、これは幻想。デカルトの懐疑が、夢と現実の境界を問う。秒針の速度を追い越すよ、氾濫してまぶしい、能は無い。まるっきり、きれいさっぱり能がない、それ以外のそれ以外のそれ以外でいいのさ、クォーツの水晶振動子が、正確な時間を刻む。手をすりぬけていく、ニュートリノのように、物質を透過していく。合言葉はたった一つ、いや、もう一度言おうか、どうだっていいから、何度だって言うさ、これが都市の最深部への一撃、イージー・カム・イージー・ゴー。
2026年09月11日

右から生えてる腕を引っこ抜く。皮膚が裂ける瞬間、真皮層のコラーゲン繊維が千切れる音がする。―――ぷ、ぷ、ぷ、ぷ、と、糸を。肩関節の関節包が破れ、上腕骨頭が寛骨臼から外れる瞬間、関節液が飛散し、軟骨の摩擦音が混ざる。寛骨臼から骨頭が抜ける、ぶちり、という湿った音を聞きながら、血管が断裂し、動脈血が噴出する。神経線維が引きちぎれ、電気信号が最後のスパイクを放つ。それを植木鉢に突き刺してみる。血管が痙攣し、筋繊維が最後の収縮を繰り返しながら、鉢の中で微かに脈打っている。誰かが落としたと思しき錆びた鍵、それが、僅かに、動いた気がした。あたまのなかにはえがとびまわっている、あたまのなかにはえがとびまわって―――いる・・。頭蓋の正中線が・・・。夜の溜まり場、暗渠に消える・・。(脳を、匙で、掬って、食べている、宇宙人の、絵、、、)(脳を、両手で、抱えて、齧っている、猿の、絵、、、)下水道の鉄格子から、ネオンの反射が揺れる。(ズッチャズッチャビィイイン、)「底」(に、)【届】い て る 、ほ そ め て い く。世界の妙に、歪な、不可思議な、傾き。都市の遠近感が崩れ、ビルが折り重なる。月齢の狂った朔望のように・・・。「い・・・・・・や・・・・・・」消し去る不安など、この世に溢れている。アルコールの酔いとわけのわからない悲しみ、ノイズ、何かがおかしい気持ちにさせる夜の景色。(短波の、深夜の周波数帯から、合成音声の女が、規則正しく、数字を、読み上げている、)「ニ、ジュウ、サン ――ヨン、ジュウ、ハチ ――」[削除済み]ちゃん!夜ノ終焉リ!(ラグナロクのデジタルデバイド)終わらぬ悪夢を知ってるか、鏡の破片から知らない名前で、呼びかけられ続けている。《ナ、リ、ヒ、ビ、ク、》意味論を剥奪された名詞が、統語論を逸脱した形容詞が、時制を喪失した動詞が、因果律を破壊する接続詞が、冬瓜のように無雑作に山積みにした生首や、腐爛して皮を剝いだ胎児のように変形した盗賊の屍体、ごちゃごちゃに入り乱れて、まりもみたいに・・・。一本の線を、毟り。[欠けている](って、)・・・。[虧けている](って、)・・・。失敗作だから自分自身に殺される。リノリウムの廊下にいる、スプリングの軋むベッドにいる、重力に逆らうような奇妙な足音がする。クラインの壺だ。表と裏が入れ替わる。突然『違う世界』へ、迷い込んでしまうことが―――ある。「電話ボックスがあるんだ」と、友達が言う。普段気にもしないのに、マンションの階段前で黒猫を見る。「それから病院が見える」と、友達がさらに続ける。天気予報を調べた限りでは晴れだったはずなのに、今朝はうすぐもり、完璧に下り坂だ。薄暗い廊下を歩いているような気持ちで道を歩き、毛虫のような水滴がしたたりはじめ、ついには雷までサスペンス調で鳴り、まるで夕方の大禍時のように薄暗くなる。ザァザァ...ザァザァ...ザァザァ...ザァザァ...推移が、水位が、膝を超え、腰を超え、上がっていく。冷たい水は感触ではなく、記憶として皮膚に貼りつく。ズルズルズルズル、と引き摺る音が聞こえる。脈拍が徐々に昂進してくる、吐き気、ざわざわする感じ、浮遊感、まるで脳に出血でもあって、それが蓄積して内圧を増したような音。記憶の混濁、そして誰かの視線・・。上がっていく。鼻の先まで。羊膜のパラドックスに包まれた無縁仏の町、標識板が酸化して文字の脱落した胎児一丁目。黒煙を上げる医療廃棄物の焼却場、受話器から雑音だけを吐き出す緑色の公衆電話、アスファルトを突き破って咲く毒々しい彼岸花、無菌室の蛍光灯を思わせる冷淡な、白い角砂糖のような建物である病院。病院の窓にはカーテンが掛かり、その影に誰かが立っている気がする。顔が近づいてくる。暗黒が―――接近してくる・・。> "僕は、僕は、"> "先生、先生こそ――"それらの原色のアラベスク風の交錯の連鎖のうちに、ふと虚実が入れ替っているような錯視を感じさせる、メビウスの環状の幾何学的幻想・・・・・・。「ァ、ァ、ア・・・。」(声帯ポリープを引き千切るような呻き)キノセイ。(認知バイアスの防衛機制)キノセイ、だ。(側頭葉てんかんの前兆)「(今日さえやり過ごせれば―――)」「(ここはつまり“あれ”か・・・)」―――何処かで、乳児の泣き声がした。延髄がビクッとした。肩甲挙筋が反射的に収縮し、頭蓋底が引き上げられる感覚。まるで鬼火に照らしだされでもするように、(ウィジャーボードと悪霊憑き、、、)暗闇の中で裸足で歩いた。(足の裏に、踏み潰した何千匹もの眼球が這う感触、)目を瞑って百歩程度なら歩ける、そんなだから、副交感神経にいいと聞いて、真っ暗闇の中でシャワーを浴びた、(水が、皮膚を貫通し、筋肉に染み込む、いや、蛇口から出ているのは水ではなく、無数の蜘蛛の幼生だ)氷をがんがんに入れた盥の中に、顔を突っ込んで窒息しそうな恐怖を味わってみる。目の前にある鏡を見つめ、世界はどうしてこんなにも静かなのだろうかと思った。(鏡に映る自分の顔が、徐々に変形する、眼窩が陥没し、鼻削ぎの刑に処されたように肉が崩れ落ちる、)輪廻転生は胡散臭いが、前世がないなんて、その方が奇妙だ。(ああだから、前世の記憶が、断片的に蘇る、)輪廻の引火、導火―――線へと・・・・・・。“ひとりだけの時間”(へ、)あ、あ、荒治療が必要です、、“言葉の中だけの言葉”(へ、)ぷ、ぷ、プラス思考が必要です、、僕等が今と呼ぶものは、常に〇.一秒前の残像。「(逃げるんだ)・・・・・・」届かない―――声・・・。誰も乗っていないエンジンだけがアイドリングを続ける車、瞳孔が垂直に裂けた野良猫、湿った苔と排気ガスの粒子がこびりついた、コンクリート塀を通り過ぎる、閉店したクリーニング店の色褪せた料金表。自動販売機の取り忘れ注意ランプ。電柱に巻かれた黄色い注意テープ。Hi-Fiなリズムで街並み歩く、(ひか―――り・・)恐怖の大王!魑魅魍魎が跋扈する、ユング・ザ・ネットワーク(へ、)路上に飛散した湿ったダンボール、血液の乾いた洗面器、錆びた刃先が欠けた三徳包丁。倒れた傘立て。半分だけ剥がれた避難経路図。黄色く変色した健康診断のポスター。あなたの心を大切に、という文字だけが、何故か何度も書き直されている。「外の方がマシよ」【door】(を、)開けタ。[堕落ちている](って、)・・[陥穽ちている](って、)・・・扉の向こうには、扉を開けた自分が立っていた。こちらを見ている。こちらも、あちらを見ている。互いに、どちらが先に動くべきなのかわからない。“ゲーム画面”を見ている、“コントローラーを握った自分”を想像する・・・・んだ―――。ゴリゴリゴリゴリ、と何処かで壁を削る音が聞こえる。父親が玄関のドアの前で死んでいる。(内臓を花瓶に生けられた状態で、)母親が窓の前で死んでいる。(天井からピアノ線で吊るされたマリオネットとして、)魚がピチピチと飛び跳ねている。―――洩れていく、急いでいく、自由落下の加速度で、力が抜けてしまう、憐れみの中、虫取り網のような蟻地獄の底へ、置いてきぼりにされた、何かが聞き耳を立てた、ささやきが・・・・・・。―――アルのよ。(シルがデてくる・・・・・・)(シボりあげられてゆく、ナニかが、ナニかが―――)“フッ―――”と、気配が消えた。しーんとしている。(((標本番号の代わりに名前を与える部屋)))(((羊水とホルマリンのあなたが生まれる部屋)))眉間に皺を寄せながら、深呼吸をする。甲高い信号音が暗い道に響く。後遺症になりました、と常夜燈は云う。##可能な限り婉曲表現を用いて下さい自分の恐怖で痙き攣った咽喉から、言葉が出ない。カタンカタン・・・。(ポルターガイスト現象によるパイプ椅子の倒れる音、)カタンカタン・・・。(無人の深夜列車のジョイント音、)きみは、ここが、どこか、わからない・・・・・・。地図も標識もない、ただの迷宮。しかし、どこかで見たことがあるような、既視感がまとわりつく。『くりかえす』《ことの》―――「意味」『はじまりと』《おわりの》―――「意味」蜘蛛の、糸が、あとを、引いて、流れる・・・・・・。歌劇団の緞帳の上がる音と台詞、遊園地の機関車のポッポーという音、、、ぱ、と湧き出て溢れて、零れそうでも微熱でとろり。じゅ、と濡れては震えて。「あの、ここは死体安置所ですか?」“じゅるン、リ”「あの、この、古い衣装箪笥は何ですか?」ヴィヴー・・ヴィヴイヴー・・ピギ、ン。「(嘲笑う声が聞こえたんだ)」―――アアーーーーァァ・・・。(電源ラインから侵入するインパルス、、、)(接地の、取れていない、回路を、伝って、)「ワタシハ██デス―――」「ワタシハ、マダ、██デス、カ ―――」文字の欠落部分だけが、異様に黒い。黒いのではなく、そこだけ『表示されるべき何か』が、こちら側へ抜け落ちている。ズレている。ズレている。ツゥー、ツゥー、ツゥー、ツーッ、ツーッ、ツーッ、、「(走るんだ)・・・・・・」聞こえない―――叫び・・・。(液体の嵩になった、と思う、)[骨組みだけの黒い傘になったんだ](だ、)闇よりも深い狂気が宿っている催眠状態。そしてそれは一人の時に感じる、人恋しいような孤独感とはまったく違う。それは、誰かが自分の中に住んでいる感覚だ。他者の内臓と自分の内臓が、縫い合わされたような絶対的な違和感。そして、ウウ・・ウウッ・・・という、気管切開孔から漏れ出るような奇妙な声が聞えて来る。(・・・・・・ふっと、後ろを振り返ってみる、)(・・・・・・沈黙、沈黙、沈黙、)何もいない。ただ、壁に掛けられた肖像写真だけが、さっきまでより一枚多い。(そしてその写真の中の死者全員の目が、僕の背中をじっと睨みつけている)歯根膜が腐敗して歯が一本ずつ、抜け落ちてく感覚を知ってるか、塩分を拒絶する蛞蝓まみれ、濡れた床。透明な粘液が、非常灯の赤い光を細長く反射している。[///“約束の場所まであと少し”]声を重ァ・・・ねェ・・・・・・て。(((戸籍のない肉塊に名前を与える地下の部屋)))(((クローン培養槽の中であなたが生まれる部屋)))バケツ、ホース、胆石のような小石、遮光カーテン、フィラメントの千切れかけた電灯、それらが激しく明滅する。冥府から脱出してくる道をのぞみながら、振り返った、オルフェウスの神話・・。肖像写真が―――停留所になる。次は十二指腸、幽門を抜けて、十二指腸・・・・・・。―――次は、空腸、回腸、盲腸、と、車内放送が、続いていく。/画面が切り替わる以降画面は戻らない/Hello.../チャットのように文字が打ち込まれる、雨垂れのように途切れそうになる文字のリズム。―――不意に、赤ん坊の声が、した。生にあえぐ、こ、ゑ、不安、神経(を、)絶え間なく緊張させ―――る・・・・。[入ってゆく...]《汚水処理場の黒い水面に、同心円状の波紋が生まれたよう―――》(私の皮膚の下へ入る...)下腹の辺にたまった膀胱の緊張は、内圧の上昇に耐えかねて、排水溝の水のようにあふれている・・。感情の不在。人格の不在。まるで蝋人形のようだ。[入る......細胞間隙の奥深くへ]隙間(が、)ある―――から・・。《甘い憂鬱が首筋に触れる―――》
2026年08月31日

友達でいいから、友達でいいから、君の傍にいるだけでいい。(見せかけた、love,love,love...)一緒に話して、一緒に笑って、それだけで僕は幸せだから。(怪しげな、like,like,like...)la lu la la 足伸ばすあの街この街、胚胎、道端寝転ぶ猫の街、Tipsy 感情、徘徊。境界線を灰色にして、ビルの間通る高速、不規則、並んだ凹凸。都市計画の網目を逃れたスクラップ・アンド・ビルドの死角で、重力に逆らうプレストレスト・コンクリートの橋脚が、低周波の軋みをあげんのさ。出鱈目で摩訶不思議、十年一昔、玉手箱、妄想のような世の中、今はすでに解けない謎の誓い、揺れる歪な影、“十年先でも友達でいよう”あの日、線香花火の消える間際に交わした約束が、まだ耳の奥でチリチリと燃えている。エントロピー増大の法則を無視した、子供じみた永久機関の設計図。そんな約束していたね。君の心を担ってる、超精神安定剤。でもそれは、僕の前でだけ効き目を失う、奇妙なシロップだ。血中濃度を一定に保つ徐放性カプセルのような関係性、過剰投与による感情の鈍麻。「もう間違えない」それが僕のハートの主張。だのに、僕の心がまったく満たされない。まるで底なしのコップに雨を注ぎ続けるように、空しく揺れていやがんのさ。誰も期待なんかしちゃいない、悲しいのならその意味をわかって。子供騙しなお伽噺、魔法をかけたまだ夢の中。夢に未だ囚われている僕の箱庭。ハリボテだらけチープな壁でも、バロック様式のトロンプルイユのように、奥行きのない平面へ、拙劣に塗り固められた遠近法・・・・・・。友達でいいから、友達でいいから、君の傍にいるだけでいい。(見せかけた、love,love,love...)一緒に話して、一緒に笑って、それだけで僕は幸せだから。(怪しげな、like,like,like...)透明なあの光、あの青、射し込むものにだって、上手に触れられないままワンダーなノイズ(へ、)渡り廊下であなたと話した。小さな会話だったけど、何故か心に留まったまま、『嘘ついたら針千本飲ます』って、言葉がリフレインする。中世の神明裁判めいた無慈悲な呪詛。前頭前野のドパミン報酬系を、欺瞞的なオキシトシン受容で塗りつぶす。仲間外れって便利な呪い、集団心理学における同調圧力の負のサンクション。いつまでもだらけた子供みたいな下らぬ時間、こんなに近くにいるのに心の距離はずっと遠い。青い綺麗な蝶が蟻に運ばれていた、モルフォ蝶の翅が持つ構造色が、無数のクロオオアリの顎によって解体され、キチン質の破片となって黒い行列の中へ沈んでいく。何処を見ているのか分からない、動きを止めた生き物の終わりが、マーシーキリングみたいで、心に残った。うらがなしそうに笑ったり、何も痛くなんてないから大丈夫って嘯けば、まるで暗く長いトンネルを懐中電灯もなく、一緒に進んでいるみたい。真情を不可視化する防衛規制、反動形成のアルゴリズム。君がその気なら、常識の向こうまで迎えに行くんだぜ、一体どうしちゃったんだい、一心同体、二人は一つで、不即不離、今も心の隅で嗤う、馬鹿らしく見えますか、茶番ですか、一生消えない傷とか、忘れらんない全部、蹴飛ばしてやりたいんだぜ、僕は。だのに、美しき男女の変わらぬ友情ですか、救われぬ脳、頽廃した今に泣いた理想論者、でも、もう分かってるだろう・・・?wow...wow...滲む想いなぞって、痛いけど、wow...wow...雲の隙間から覗いた美学やプライド。break down 思考が停止する、シナプス伝達の遮断、過負荷による神経回路のブラックアウト。君の家に遊びに行って、ゲームをやろうと座り込んだ瞬間に、いきなり僕の背中の上に猫が乗っかってくる。脊椎のカーブに沿って伝わる、微熱と微小な心拍、毛皮の奥に潜む野生の無関心。悪戯好きで、甘えん坊で、気まぐれな猫から、もう目が離せないんだ。視界の中心で揺れる感情と裏腹に、足掻くたびに罪人模様。いまのままがいいって、いまのままじゃなかったらいけないって、永遠に僕等、小学生とか幼稚園児。精神分析が告発する退行と、ピーターパン・シンドロームの泥沼。クライマックスはわざとがましい、その心に、(心に、)触れよう、その心の、(心の、)深い深いところまで。la lu la la 二丁目の角を右に曲がり、自販機のコーヒーで一休み影が伸びる。水銀燈の照射角が鋭角になり、アスファルトの上に僕たちの輪郭を異様に引き伸ばしていく。髪がなびく、夜の匂いがして fade out思春期という悪魔が、せせら笑い、不埒な振る舞い、空からの体を設えて宙へ漕ぎ出してフォークが伸びる、ショートケーキ、苺の酸味 I made it downふわふわの生クリーム、甘さに手加減などない喫茶店は夕方五時。昭和モダニズムの残滓が漂うベロアのソファー、黄ばんだレースのカーテン越しに差し込む斜光。大逆転的な展開はないさ、アスファルトの温度下がって真夜中になるまで、君のしたいことに付き合う、そうさ、僕らの現状はいじらしくフラットで、本来別のもののままフィットしてんのさ。“本当に自分と向き合っているのかい?”金魚の糞だか、コバンザメ。片利共生という名の寄生関係、宿主の生命力を削りながら泳ぐ無力なヒレ。千切れそうな愛にしがみ付いてるんだ。wow...wow...滲む想いなぞって、痛いけど、wow...wow...世界は君中心、君の範囲内のユニヴァース。flash back繋がる伏線が、まるで網の目のように、過去のすべての会話を結び直す。約束もしなくたって、ほら気がつけば集まっちゃうね、パッ!とかポイッ‼とか簡単に出来たらいいね、椅子取りゲーム、トムソンガゼルの群れ、有象無象、カルマ、囚獄の、ガラクタな未来、義理も背徳も冒涜も継続も、ピーポーピーポーマイフレンド、救急車が必要なのは僕の方なのかも。孤独が五月蠅いんだ、命短し恋せよ乙女ってか、青春よ、いい加減僕をもう許してはくれないか。これはまだ君を諦めなかった物語、そしてそれはきっと燃え上がる体温が、夜空を焦がす星になる物語なんだ。自己崩壊を代償に輝くスーパーノヴァの哀しい軌跡。まだ答えが見つからないまま硝子の空洞のなかへ、砂が流れ落ちてく、壊せもしない、眺めることもしない、意味も理由もそのステレオタイプな景色に埋めて。“安心するから”(チェックチェック、進路は大丈夫?)“怖いから”(さあプレイスプレイス、何処へ行く?)一緒にいるだけで笑えるなら、それでいいのかもね。気付かないのが花みた―――い・・。どうして一から十まで、更には百まで呑み込む悲しみが、なくなってくれないんだろう?透明なあの光、あの青、射し込むものにだって、上手に触れられないままワンダーなノイズ(へ、)横断歩道の白い部分だけを踏む、強迫神経症的なステップ、境界線を踏み外せば奈落へ落ちるという、幼児的万能感の裏返し。太郎の次は次郎で、月が昇れば星が光って虫が跳ねる、奇妙で異様な隠し事、何処へ吸い寄せられてるの、(父親が浮気をしたから?)何か大きな力に巻き込まれているの?(母親が再婚をしたから?)家父長制の崩壊と再編、家族という名の密室劇で引き裂かれた、インナーチャイルドの悲鳴。そしてこんな夜を終わらせて、いつまでも鏡合わせの二人の答え合わせにうつらない、まだ本当の君の傷、本当の声、本当の顔。待つよ、待つよ、ずっと待つよ、独り善がりの愛でもいいぜ、寄る辺なくてもいいぜ、一緒に雨を避け、一緒に風を数えて、それだけで僕は、この壊れかけの世界で、まだ立っていられるから。でも、過去だけ見つめて悲劇を気取る君は、自分がもう大人になりかけていることを認めてるんだよ、突き放すべきかも知れない、こんな依存どうせ続かない fuckin' class いつかが今日か明日、一年後か十年後か oh let me 簡単さ、こんなに愛しているのに一ミリも触れようとしない。(自分のことは努力したくない?)もう傷つくのはそんなに嫌?(自分のことは努力したくない?)傷つけるのはもうこの世界で自分一人しかいない。もっと、どす黒くてドロドロな本性を見せてよ、気持ち悪くてみっともなくていいのさ、薄っぺらな生涯、死なないと治らない病気なんかより、君らしく生きてる方が何千倍もましだって、分かり過ぎるぐらい分かっているのに、それでも僕は、そのままの君を抱きしめる勇気がない。嘘で塗り固めた永遠のプラトニック、崩壊を先送りし続ける僕等に訪れる未来、最も甘美で凄惨な終末を・・・・・・。ネガティブ項目オールクリア―の滑稽なアンビエンス、その心に、(心に、)触れよう、その心の、(心の、)深い深いところまで。友達でいいから、友達でいいから、君の傍にいるだけでいい。(見せかけた、love,love,love...)一緒に話して、一緒に笑って、それだけで僕は幸せだから。(怪しげな、like,like,like...)
2026年08月30日

花鳥風月の四気は解体され、ビスマス蒼鉛の結晶格子が軋む夕刻、押し付けた互いの掌の指紋の螺旋と静脈の分岐だけが、、、、だけが居場所で、 うみ罪は月夜の湖に浸って―――た・・。張りのない麻痺しきった笑いを洩らしながら。波浪もなき鏡面、冷水塊の底の重金属沈殿層、妙なる水の溢るる時、漲る、静電気を帯びて瘡蓋模様、放電の刻むリヒテンベルク図形、樹状の稲妻の化石、乾いた血の痂皮が、フラクタルの縁を無限に折り畳んで、、、、、、、 、、、、よしや苦けれ、好もしや。ヒステリー弊私的里の瞳を放つ。手摺り・・・芯まで冷えて・・・、冰れる火花の、眩暈の、迸り出て我が思考の方にまで―――まで・・・・・・。 、、、羞恥のない美のくぼみを柳眉とし、しょうしたい硝子体の破片と水銀朱を混交させた象嵌細工の、美しき放縦、その憐れむほどに麗しき脊髄を、魂の底に、網膜の裏側に、おお、桿体と錐体の絨毯、中心窩のただ一点に像を結び、視神経乳頭の盲点、そこだけ世界の欠落する暗渠に、すべての像は倒立して焼き付く、網膜とは逆さまの祭壇、まだ、まだ、湧出る原初の一滴を覚ゆべし・・・・・・。いづこかに幽かに照らされし季節の暗示よ、まだ測り知れぬ深淵に、、、、、、、、、 こなしおっかなびっくりの身の挙動。かつ遠み、かつ近み、静こころなし。萎靡し、懊悩するや八十八夜、練金術師の坩堝のように煮え立ちながらも、天球儀の極軸を仰ぎ鶴首した。アラビアの錬金術、アル・キーミヤーの秘法にならい、ニグレド アルベド リルド黒化から白化へ、そして赤化へ、腐敗と昇華の三つの門を、 マグヌム・オプス大いなる業が潜り・・・・・・・・・・・・。子午線環の傾斜角を合わせよ、 まどわ憎み合った惑乱しの朱と青は、 しじま暗き沈黙に舟はゆくごとく、否、いと重き剃刀の音もなく辷るごとくに、 ロンド邂逅の果てに対位法を喪失し交わらぬ輪舞曲。声もせぬ通の長い舗道のうえが、痺れてしまった洋琴に見える、砂糖菓子の梯子登って―――、宇宙の踊り場・・・。 ひよわ よろめ骨密度を疑うほど虚弱な蹌踉き。 まじぶか―――蠱深い月光の懺悔室で囁かれた。 せんおんまろ記憶の君を石膏像にする、顫音転ばせビー・ボーン ビー・ボーン誕生、誕生、まだ不可解な夜の錆びた黄銅の手錠を―――。耳に響いても一切はいつか嘘になる、こんな考えに憑り依かれた、胚胎した―――吐露した・・・・・・、爛熟した・・・・・・。触れた心は妖しく儚く揺らめかした菌糸体のような幻花、巧緻な彩に心臓の冠状動脈と弁膜の襞をめくり、海馬の溝を穿つ止まぬ涙の雨を降らした、レジェンド物語の中に起こりぬ。 シリンダー オルゴール真鍮の歯車と円筒が摩擦する自鳴琴よ、鳴れ。うしお 潮の音はさても偉いなる瀕死の鯨類が吐く最後の残喘のごと。、、、、、かくばかり・・・・・・。、、、、、、 、、、、、、、、、、、、観念の所在を、血族と教条の継承の場所を、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、見る昔の十字軍と隊商が砂漠に刻んだ遠征の足跡を。 とりま傷つけられた睡蓮の囲繞き、塒、翼手類の小さな羽搏き、いつか、夢見た宿り木が芽吹く日まで、 あ次々と生れ来る、黄道傾斜角が一周する再会の日まで、歳差の大年、二万六千年かけて春分点が空を一巡し、北極星が幾度も入れ替わる、その気の遠くなる周回の果て・・・・・・。りんうご霖雨後の黄なる光を浴びて蒸す街燈の病める瞳。あるいは奥津城の石室における終焉の斎戒のあとの、、、、、、とこしなへに。見よ、かかる日の真昼にして、日光と色と音を恐れたり。賽の目が妊娠する、幾何学的に歪曲した白昼の湾曲部、、、あるは賭博台の緑の羅紗、回転盤の球が撥ねる三十七の目、赤と黒の永劫の反目、 セラ薄暗き地下室、、、あるは闃然とした鍾乳石の洞窟の片隅、天井から伸びる石柱と石筍が、いつか結ばれる幾万年後の接吻、その霊魂の喧噪の未踏地で死すべし―――。植物性の異臭と、熱と、くるしみと―――、芽でも吹きそうな身体のだらけた、立ち入り禁止の屋上・・・・・・。 かがや命が掴めるか、赤い神経の網は晃くか、この掌に高鳴り眠るのが、重機関銃の薬室を閉鎖し弾条を放つ営み、マーキュリー 水銀は大気圏を越えて乾坤へ、されこうべ てんと骸骨は黄道十二宮を巡る星々の奠都へ、 、、、魂よゆらぎとなりて、 こうこう淡く洩れた彗星の光の尾に縋り付き、膏肓への、その天文学的浮遊物の上澄みをすくっている宵。いま妄想の疲れより、ふと起りたる、鐘の音が鳴り響く、鳴り響く。僕は誰であったのか、君は誰であったのか―――、百年経っても、千年経っても、夢のみの、裸形の煙と消え失せるか、類稀なる、驚異なる美しき星の彼処に消えゆくを見、夢のみを、形成せしにあらざるか・・・・・・。純粋なる理性の領域で交配する胎生学と結晶学、 アストロラーベ天体観測用機器が狂い咲く、無限の時間への遭難の眺望への深海用酸素儀礼―――。見えていないからと言ったけど、いつも肌の奥で情報を看取していた―――。何かがいる、何かがある、それが真夜中の散歩の核心・・・・・・。パーチメント いにしえ おつむり羊皮紙に記された古の糸、幾千の戦の跡、我等の頭は、ジ・アザーデイ ことわり先日、輪廻の理、樹の歎かいに、 もぎどう三千世界の地層に圧搾された酸鼻なる没義道。天国、愛恋、自由という誓いの硫黄を含んだ熱い息吹に、夜毎の闇を吐く石炭酸の溜息に、 かつぎ目蓋を閉じて美しい夢を見る森の面帛。 しずけさ水面は銀色の静寂を織る。 フラウア・ガーデンここは白痴になれかし君の花畑。そして。そして。いと懐かしき僕の廃園、甘美なる臥所、自己を注ぎ、自己に問い、自己へ委ねた、呼吸して永遠の音の聴かるる、我が全身を捉えたる、われが充満し回帰せる場所・・・・・・。、、、、、、、セシウムが降る。誹謗した、飛沫した、紊乱した、煽情した、エレキ越列機せよ、 ムード理想的天涯の幻は抽象を想像する雰囲気―――。あえかなこの指の先にまだ、魂が同化するような韜晦たる神智学の顛末、ブラヴァツキー夫人の秘教、宇宙の記憶を蔵すアカシック年代記の、エーテル体もアストラル体も、七つの霊的身体が重なり合った顛末、 から かくし錯覚に引き込まれた空間幾何学的な空の衣嚢、四次元へねじ曲がる多様体、裏返せば表になるクラインの壺の袋小路、じゅすい ピスティル入水したか、呪詛したか、雌蕊。真夜過ぎ・・・・・・一分・・・・・・二分・・・・・・三分・・・・・・。そは、降り注ぐ大気圏の摩擦熱で白熱する流星群の一個。優雅な運行などない、絶対零度の真空を切り裂く激烈な論理で裂けるべし。透明な石英の卵が生み出した森羅万象の園、うたげ サバト饗宴も魔宴、官能の盲ひ、神経の疑ひ、眼球は連想も嗅覚も拒絶した魂の審美的定理。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、我等星辰の狂い咲く非業のうちに唇の星を捕らえる。ふんまん憤懣、睥睨、閉塞、 煮え立つ憤り、見下ろす一瞥、行き止まりの隘路、 僕の光学式水準器はまだ虚空の花籠より、エリス不和の果物を摘み取る―――。暗闇の中、鎖繋がれ、膝を抱え深く項垂れていた、コーカサスの岩に繋がれ、日ごと肝臓を啄まれるプロメテウスのように、胎児の姿勢で己を抱き、羊水の記憶に還ろうとする者が、 メランコリー最後の煌きを放ち、銀の憂欝がしたたる。 クランク デウスエクスマキナこの蒸気圧と真鍮の曲柄を軋ませる機械。充填せよ、収斂せよ、胚胎せよ、 らんしょう へきれき雄渾たれ、濫觴たれ、霹靂たれ、―――永遠の黒曜石の壁に鼻面くっつけ、魂をひどく捻じ曲げた生き甲斐を感じる、 う憐れな熱の恍惚っとりとした、 うみ液体酸素の玲瓏なる月の湖に。魂は愚かしくも飾られた虚無の魔力か!無からの創造、真空のゆらぎがつかのま粒子を孕んでは消す、その虚無の手品か、ファイアワークス ファイアワークス昇華、降華、まだ金縛りの夢魘、地獄の業火、霊の青さ、いたましさ、見えざる下窓のうごめく風、陰惨な陽気さ加減の婀娜姿が、幽かに・・・・・・幽かに・・・・・・!
2026年08月30日

付き合った日の帰り道、 空気がまだ昼の余熱を残した夏の終わり。 統計学的な確率論の網の目をすり抜ける。 モドレナイヨ、 モドレナイヨ、 ヒキトメテ、、、 会いたいも、淋しいも、 言うのはいつも私から、 「点と線で面を繋いで、いつか球体になりたい・・・。 君が「好き」と言ったあの日を、今日もひとりで思い出すんだ。 駅のホームで風が強かったこと、 君の声が少し掠れていたこと、 ―――緊張してた、それとも風邪引いてた? 照れ隠しみたいに靴の先で床をなぞっていたことまで、 、、、、、、、、、、、 細部だけがやけに鮮明だ。 都市の迷光と無機質な遮蔽、 アナモルフォーズ 歪像画。 忙しいだけって認知的不協和を、 埋めるように言い聞かせて、 どうして私が被告不在の法廷で言い訳するんだろう。 自分の尻尾に噛み付いて、 血が流れず虚が散る。 自己責任という新自由主義者的な言葉で、 脳内のシナプス結合を組み替えている。 イマドコナノ、 イマモムネニイルノ、 ヨンデホシイ、、、 君を失くすのが怖くなって、 言えないことが増えていく。 目印はどこ? 明かりが無ければ辿り着けない。 (ウツクシキオトナヘノミチ、、、 付き合っているのに片思いをしているみたいな私は、 「海」という言葉が、車内の冷房の匂いと混ざって、 私の鼻腔の奥で、塩の味がしたことを思い出す。 1,2,3...... 「海」と聞いて、君の横顔が一瞬だけ、 遠くを見る目になったこと、 その目の焦点の先に、本当に水平線が見えているみたいで、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 私の心の中が波のように打ち寄せていたこと。 「理屈」や「弁解」(を、) ―――まだ愛している君から。
2026年08月28日

透明な朝の風、アナログに時間が流れる、そうさ、不安も、最低な気分も、Wake me up!! 今日は何しよう?ああ昨日と今日の間には、どれほどの違いがある?風になって、失くしたものはそのままで。今まで感じたことのないインスピレーション。(Tell me now‼ やりたいこと)雲になって、見つけたものを連れてゆこう。世界への号砲、単純なスターターピストル。(What to do? 何をしてた?)まだ眠る街の端、僕の影が伸びて、位置について、よーい、ドン!up and down‼ 何処へ行こう?名前もなく光ってる青い旗、あの日の永遠の影。光も熱も伝わらない場所、挫折や苦悩、転んだ日の膝小僧。あの日の金網の向こうの世界は、ほろ苦くて甘酸っぱいほど、輝く景色が広がっていた。眩し過ぎて目が焼けそうで、笑った君、泣いた空、行き止まりの道、荊の道、獣道、傷跡だけ覚えてて、痛みだけは忘れてた。読みかけのページを誰かが閉じるよ、自分の重さや背丈は変わっても、何一つ変わらないような気がしている、自分自身の思い込み。ポケットには空っぽの、勇気一つ入れてゆく。果てしない旅路が、今、始まろうとしてる。流れてく時のスピード、遥か彼方、そうだ、この星は、大いなる世界の秩序のうちに廻っている。通り過ぎた夕立ち雲に、終わったはずの日を見ている。失くしたものじゃなくて、夢中で駆け抜けた日々に期待したい、まだこの手に掴めるもの、胸に何かを刻めるようなものを探したい。白い地図を広げて描く世界は、僕や君の想像を超えて動き始める現象だ。頼りなくて寄る辺ない僕等の背中を押すように、夏風が撫でて行く、それが神様じゃなくたって救いの声じゃなくたって、奇跡の出会いを約束するものじゃなくてもいい、悪戯で、何気なくて、きっとすぐに忘れるかもだけど、何度も何度も。見せかけだけの甘い罠みたいな怠惰な日々が、懐かしく感じられるような忙しい毎日だ。風が吹けば揺れていい、何でもない言葉、有り触れた言葉だ。雨が降れば濡れていい、使い古した言葉、手垢のついた言葉だ。でも陽が降り注げば乾く、疲れてへとへとになっていい、そのすべてが僕等だ。心の在り処が分かりさえすれば、世界はきっと上手くいくって信じているんだ、 目の前を過ぎていく景色も。それが今日を越えてくれるって信じているんだ、見慣れたこの場所がいつまでも終わらない気がしてた、あの日の僕の気持ちを噛み締めながら。通過地点や周回数じゃない、何千回やったって大切なことはいまこの瞬間にしかない、きっと何だか分からないけど上手くいくって、この根拠のない気持ちが肝心なんだ。透明な朝の空、今日の僕を照らしてる。失くした昨日越えるより今を抱き締めよう。加速度的に周りが進化する、日進月歩だ、走り出さなくちゃじゃなくて、少しずつ僅かな差で変化してゆく、それがこれからのスタートボタン。歩き出そう、一歩ずつ、一歩ずつ。流れてゆく空を追い掛けながら息を切らして、何十回目の夏がドアを開けると、そこに少年や少女だった頃の赤裸々な記憶があった。馬鹿だった、阿呆だった、だけど真っ直ぐだった、付け焼刃だった、ちっとも修練が足りなかった、だけど、ちゃんと生きている、熱さがあった。辿った道を確かめる、立ち止まって、繋いできた美しく輝いてきた季節の色を、もう一度その目に映して、諦めや妥協、そう名付けられたものの中に、中途半端なまま放り投げた想いの欠片がある、それに触れてゆく痛みが成長だ。壊れかけた信号機、通り過ぎる雲一つ。地球の裏側からだって、Wake me up!! 今日は何しよう?朝と夜の間に、揺れる振り子を眺める。風になって、失くしたものはそのままで。弱気になるなよ、追い風がある。(Tell me now‼ やりたいこと)雲になって、見つけたものを連れてゆこう。簡単に諦めるなよ、人生こんなことの繰り返し。(What to do? 何をしてた?)誰かの声消えたあと、風だけが歌ってた。宇宙の片隅からだって、全身全霊震わして、up and down‼ 何処へ行こう?心の奥、消えないで残る、整理できないままの距離が少し短くなる。無限じゃないこの時間が尽きたとき、間違いでいいんだと、続く先の恐怖も、夢見た現実も、春の光が笑ってる。未来なんて白い紙、忘れ物なんかない、人生で手に入らないものなんか一つもない、強くなくていいんだ、優しくても進める、その一歩から始まる、知らない明日へ、僕等は歩いてゆく。思えばあっという間、涙を拭って、さあ、抱えきれないほどの、贈り物を受け取りに行こう。たくさんの愛で鳴った音が絡まって揺れる軌跡、それは何でこんなにはにかませるものなんだろう、四十度みたいな熱さだ、蒸発して、あとには乾いた砂だけ残ればいい。
2026年08月27日

近所のお姉さんが生活に根付く日々―――というのは、いかがなものだろうか・・。幼馴染、年上のお姉さん、ひとつ屋根の下。『To Heart』の神岸あかりか、『ラブひな』の成瀬川なるか、はたまた往年のエロゲの王道シチュエーションか。いや、むしろ『CLANNAD』の坂上智代で、『俺、今日からお前の弟になる』ルートか?二十九歳、独身、突然の居候。そして、それらの単語を一本の糸に通して首飾りにすれば、たぶん恋愛小説になる。―――なるのだろう。けれど、俺の場合は、どうも、『ゼルダの伝説、謎の解き方が分からないまま、ダンジョン最深部に辿り着いちゃった』みたいで、そう簡単にはいかない。注釈がつく。三十秒時間を下さい。きっかり三十秒でいい。『四〇秒で支度しな!」と空中海賊の老婆に急かされるわけじゃない、砂時計の砂が、上の玉から下の玉へ、細い咽喉を通って落ちきるくらいの時間。マリオがスタートして最初の土管に入るまでくらいの尺。『ドラゴンクエスト』で最初のスライムを倒すまでの、BGMが二ループする程度。しかしこの一文に、すでに注釈がつく。少なくとも三十秒の間、俺は天井のシミを数えることにした。時というニュートンの落とした林檎を、切り落とされたマリーアントワネットの首にして。中学生の頃に、大学生だったお姉さん。冬の池の底に冷たく小魚が動いたような、感情の揺れ。水面には薄氷が張っていて、その氷の下、光の届かない藍色の層で、鮒だか目高だかの小さな影が、ひとつ、ゆらり、と鰭を動かす。音もなく。誰にも見られないまま。あの、体温を三度ばかり奪われるような、静かな揺れ。―――その、揺れに揺れたものは、初恋とかいう甘い照れくささに堪えきれなくなる、恋ではない、もっと曖昧な憧れの成分・・。もっと言えば、子供の目から見た大人という巨大な概念の、その一部だった。大学生というだけで、当時の俺にとっては、ほとんど別の生き物。ポケモンで言うなら進化前と最終進化形くらい違う。俺が半袖のカッターシャツに半ズボン、もしくは着替えるの面倒で体操服で学校から帰ってきて、ランドセルしていたそいつと、スポーツバッグやバッグなんかを肩に掛け、彼女は大学の講義を受け、レポートを書き、電車に乗り、アルバイトをして、俺の知らない街の景色を見ていた。その街の景色はおそらく『ようこそ実力至上主義の教室へ』の、高度育成高等学校よりカオスだったに違いない。コンビニの新商品について話すときですら、俺より何年も先の時間を生きている人間だった。それを美化修飾した結果、何が導き出されるかといえば、真夏の入道雲のようにムクムクわきあがってくる、果てしない―――涯しない・・。積乱雲の頂きが成層圏の天井に押し当てられて、行き場をなくして横へ横へと鉄床みたいに広がっていく、あの、上限のない上昇。気象学者ならカナトコ雲と呼ぶらしいアレ。上へ行きたいのに、上に蓋がある、みたいな。言いようによっては、遠すぎて、遐すぎ―――る、ギリ幼馴染成分が存在する。でも、その人は誰かっていうのは実のところとても大切だ。一緒に過ごしている内に友達になるという話もあるけど、認識は関係に反映する。けど、幼馴染、と呼ぶには年齢差がある。近所のお姉さん、と呼ぶには、一緒に過ごした時間が多すぎる。姉と弟、と呼ぶには血が繋がっていない。友達、と呼ぶには人生の速度、クロックアップの倍率ね、が違う。同士っていうには、同じ趣味、ギルドやクランを共有していない。恋人、と呼ぶには、俺たちの間には恋愛という言葉が入り込む余地が、完璧なペリカンのくちばしのへりみたいな具合に存在していなかった。それ、捏造という。瑕疵があるという、飛躍があるという。ちょうど『進撃の巨人』の壁の外に、何もないと言われているような違和感だ。だから俺は、仕方なくお姉さんと呼んでいる。本人もそれを嫌がらない。たぶん、そこが一番ややこしい。だから、ギリ幼馴染成分が存在する、という言い方が可能になる。、、、、、そうかなあ、と思う人もいるだろ―――う。けれど、甘酸っぱさが満ちているけれど、それは同時に、やっぱり冬の池に夜がうつしだした星々のようなもので、それはオリオン座のベテルギウスのような赤色超巨星の瞬き、その、沈んだ宝石のようにきらめいている焔なき焔。光っているのに熱がない。燃えていないのに明るい。化学でいうところの、酸化を伴わない発光。蛍とか、深海の提灯鮟鱇とか、そういう類いの、冷たい光。ニンテンドー DS の下画面、バックライトだけ点いてるような明るさ。宿命の残り滓のようなね。諦観の地点にありながら九割九分のところで、そこもまあ包囲殲滅陣を敷いて攻めていければ、攻めていけないこともない―――という、ごめん、俺何言ってるかちょっとわからなくなってきた。こういうとき、自分の文章を読み返してはいけない。書いた本人が一番恥ずかしい。社会人になってからの夜―――は、しばしば終電を逃したあとのアスファルトの冷たさと、街灯の下に落ちる自分の影の長さで測られる、、、、、、、、ような気がする・・・・・・。社会人になってさ、色んなことがある。終電に乗れなくて重い革靴を引きずって歩いて帰ってきたとか、改札の電光掲示板が『本日の運転は終了しました』に切り替わる、あの、ゲームオーバー画面のように世界から見放される瞬間。ホームの端で、行かなかった終電の残響みたいな風だけが吹いている。コートの襟を立てても、踵の冷たさが靴底から這い上がってくる。もういいや、カラオケボックスか、二十四時間のネット喫茶で寝ちゃおう。フラットシートの、あの微妙にへたったクッション。『スプラトゥーン』のイカ寝状態より、姿勢が悪いこと確実だ。隣のブースから漏れてくる、誰かのイヤホンの、こもったキックドラム。ドリンクバーのコーンスープの粉が、紙コップの底で溶けきらずに沈殿している。そういう選択肢が、身体に染みつくほどある。やるかやらないかは別として、そんなの一つや二つあるよな。みんな頑張って自分だけじゃなくて、人のことを思って過ごしている。えらいよ、そりゃ。優しさ、生きる意味、人生に対する考え方、毎日の食事における三大栄養素のバランス、生活態度、一人暮らしをすりゃ誰だって出て来ることだよな、神様だって恋人だってあるいは優しい先輩だって、絶対に言ってくれないような、胃の腑の底に沈殿する悩みを抱えてる。間が持たないってよく言われる、どうしてみんな、うまく繋げられるんですかね、沈黙とかって、新入社員に打ち明けられる。チュートリアル中のNPC、入社二ヶ月目の、まだ名刺の渡し方が硬い後輩だ。給湯室で、紙コップの縁を親指の爪でカリカリやりながら、ほとんど独り言みたいに、そう言った。喋りが途切れると、相手が自分に失望した気がして怖い、と。俺は答えになっていたのかどうか、ようは、ニューラルネットワークの強化学習のごとく、スパロボでいうところの『ひらめき』と『集中』をかけて、場数を踏むしかないんじゃないの、と。悩んでるっていうのは出来ないことや苦手なこともあるけど、同時に成長したいっていうことじゃないかと思うからさ。沈黙が怖いってことは、その沈黙を大事にしたいってことでもあるでしょ、たぶん。どうでもいい相手との無言なんて、痛くも痒くもないんだからさ、とも言った。言ってから、あ、俺いま先輩っぽいこと言ったな、と少し気恥ずかしくなった。そういうのは十何年選手が口にすることだ。昨日尻の青さが赤くなってきて猿の仲間入りしたような奴の、台詞じゃない、到底。そりゃそうさ、俺だって、そんな偉そうなことを言えるほど、大人じゃない。社会人になってから分かったことのひとつは、大人というのは、問題を解決できる人間のことではなく、問題を抱えたまま翌朝も出勤できる人間のことなのかもしれない、ということだった。洗濯物を干し忘れて、冷蔵庫の中身を腐らせて、メールの返信を三時間後回しにして、上司に怒られて、それでも次の日にはネクタイを締める。そういう小さな継続の集合体が、たぶん、ちゃんと生きているということなのだ。あるいは、生きているような感じ、なのだ。ふざけている、と思う。もうちょっと真面目に書けといわれるかも知れない。でも、誤解するなよ、所詮ありとあらゆる何となくのその感じの中で、ピカチュウしているだけだ。いい話だ、カイジの地下チンチロリンあがりのペリカ豪遊のごとく、おでんを食べてビールを飲んで、その後、記憶がない、よくある話だ。大根に染みた出汁が、噛んだ瞬間に口の中でじゅわっと崩れる、その熱さで舌をちょっと火傷して、慌ててビールで冷やす、あの一連の様式美。ガード下の風物詩、屋台。『鬼滅の刃』の竈門炭治郎が全集中! 水の呼吸! で大根を斬ったらこうなるんだろうな、という妄想。でも、みんなちょっとずつ変わっていく。だから俺も少しだけ頑張る、取り残されないように、置いていかれないようにさ。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、でもお姉さんだったら一線超えられないわけだよ。別に文化人類学的な差別迫害の意図を持たないけど、世界中にあるアマゾン深奥部やアンデス高地に息づく、少数民族の女性と付き合えますかということなんだよ、これ。もちろん厳密に仮定すれば、付き合えると思う―――よ。想いますっていうか、―――それも、ありっちゃあ、あり。たとえば、大学に留学してきた少数民族の女性と、ポリネシア風の陽気さでアロハする。雉のような、眼をしたね。琥珀を薄く削いで裏から蝋燭を当てたみたいな、透けた茶色の虹彩。まばたきの拍子に、光の角度で金色に見える。赤毛のアンのように、フェオメラニンが豊富に発現した赤髪でさ。(赤髪のシャンクスではない!)朝陽が当たると銅みたいに光って、日陰だと落ち着いた栗色になる、季節でいうと晩秋の落葉松の、あの色。大学の食堂で券売機のレクチャーをする、『ここ、押して、で、こっちに硬貨。あ、五百円玉はここ』みたいな、しょうもない案内を、身振り手振りで。彼女が『ケンバイキ』と繰り返すのがおかしくて、二人で笑う。縁日の日に一緒に出掛ける、ジャパニーズユウエンチグラフティで、ワッチャッチャ、からの―――。観覧車ドリーム。巨大な鉄骨のトラス構造が、モーターのトルクによってゆっくりと回転する密室空間。ゴンドラが最高点に差しかかって、眼下に、屋台の裸電球の連なりと、金魚すくいの水槽の照り返しと、遠くの川面に散る花火の残光が、まとめて広がる。ペルシャの細密画師が、一枚の枠の中に街のぜんぶを描き込もうとして、屋根瓦の一枚まで筆を入れる、あの狂気じみた密度で。そんな風に、日本を絡めながら、風鈴が鳴る、花火を見る、ガラスの風鈴の、あの高くて短い、金属みたいに澄んだ音。短冊が風にひるがえって、また、ちりん。花火は開くのが先で、腹に響く音が一拍遅れて追いついてくる、あの光と音のズレ。そしてお互いの心を仲睦まじく、くんずほぐれつ、する。君の国へ行ってみたいよと天空の城ラピュタ―の・・・・・・。―――バズーがシータをひいひい言わせているような、シーン。いいね。うん、それ―――いいね。あ、ごめん、ちょっと何言ってるかわからなくなってきた。あ、別に外国人じゃないんだよ、日本人だよ。アジアのガラパゴス、極東の島国で、固有の進化を遂げたホモ・サピエンスだよ。一応ね。念の為にね。ただ、いまの話だったら別に、一線超えちゃえるじゃんってことになるけど、やっぱり社会的規範と心理的障壁の観点から、普通はそうならないでしょ、に置き換えたい。そこで何かって言ったら、幼馴染なのよ。ササナオジミ。なんだよササナオジミって。幼馴染って打とうとして、母音がぜんぶ後ろにずれた誤変換みたいな、あの語感。でも一回口に出したら、もうこれ以外の呼び方が思いつかなくなる。ごめん、何言ってるのかわからん。でも幼馴染という単語には、どういうわけか特殊な磁場がある。同じ町で育った、同じ道を歩いた、同じ公園を知っている。同じ駄菓子屋を知っている、同じ夏の暑さを知っている。それだけのことで、人間というのは妙に相手を、自分の歴史の一部だと思ってしまう。血縁ではないのに、他人でもない。その中間に、説明の難しい巨大な領域がある。眠れない夜が来る―――と、胸の奥で小さな鐘が鳴るような胸騒ぎが、ニュータイプ特有のピロリロリンという脳内の閃きのように、する・・・・・・。なんかこう胸騒ぎがする、腰つきって、それは勝手にシンドバッドだろ。午前二時の街は、遠くを走る一台のトラックのロードノイズと、どこかの室外機の唸りだけでできている。窓も網戸を開けて、半身乗り出しながら、アルコール五パーセントの缶ビールの、プルタブを引く音がやけに大きく聞こえて、心に波風が立ってるのが分かって、いつもと違う時間を少しだけ演出する。ゲーム画面の、テトリスを想起させる。ゴーストタウンのように見える時間帯。あるいはコミュニティーからプライヴァシーへと至る段階的秩序の魔術。精神系には遺伝もあるけど、まずはバフアイテムとしてのマルチビタミン剤。サーカディアンリズムに沿った規則正しい生活。朝は決まった時間に光を浴びて、カフェインは午後二時で切り上げる、みたいな、体内時計の取扱説明書に書いてあるようなやつ。メラトニンがどうの、セロトニンがどうの。だけど、何十年も生きていればそういう孤独な夜が訪れる。次の日が休みだったらいいけど仕事だったら地獄だ。最初はそう思ってた。でも人間工学に基づいた低反発の安眠枕を買ったり、YouTubeで睡眠系の音楽を流したり、雨音とか、焚き火の爆ぜる音とか、脳が蕩けるとかいう周波数のホワイトノイズとか。再生数だけは天文学的な、顔も名前も知らない誰かの、八時間ぶっ続けの動画。眠る姿勢について右半身を下にする側臥位がいいのかとか考えたり、なんだったらもう百メートル走った方がいいんじゃないかとかね。深夜のマンションのベランダで屈伸してる二十四歳。それ、完全に不審者だからやめろコマンド入力待ちの格ゲーキャラの待機モーション。バキバキのベキベキでヤバいだろ。近所迷惑だし、そもそも意味がわからない。それが何かって思うだろう、分からないよ、でもそうやって人間はちょっとずつ深まっていくんじゃないかと思う。ササナオジミが。いまの関係あった?ただ、そこ、とても重要な箇所だと思う。物語の構造におけるクリティカルな要素だから。、、、、 、、、、、、、、、 、、、、幼馴染は、まったくたまらんぜ、そのノリ。小中高大通じて、異性に対して半ばぼんくら、年齢イコールすなわち恋人いない歴イコール黒歴史随時更新中という、痛みが、傷みになって、切れ目のない螺旋になって水晶球のようになって、閉ざされていながら次第に広がり、並行世界、エヴェレットの多世界解釈や高次元次元転換すら夢見る、 ダイバージェンスいや、『シュタインズ・ゲート』の世界線変動率すら夢見る、フィボナッチの数列みたいに、内へ内へ巻き込みながら、同時に外へ外へと際限なく開いていく、あの巻貝の断面図の呪い。オウムガイの殻を割ったときの、あの完璧に無駄な螺旋。そういう―――あのね、そういう、徐々に社会という周りを取り囲む山々の姿が見えてきて、何を勘違いしたのだこの男、恋愛の要素がない、皆無、ゼロ、まったくのゼツロな俺に、そういうお姉さんが幼馴染として登場する―――という・・。幸か不幸か、俺は恋愛イベントをことごとくスルーしてきた。ラブレターを渡したとか、告白したとか、あるいは片思いをしていた誰それと一緒に、放課後の図書室でこんなことをした、何をしたんだ、鳩を出したのか?あの時のことで胸がチクチクしてちくわになってしまうんです。あの、思い出すと胸の真ん中に穴が空くやつ。ちくわの穴。何も詰まっていない、火を通しただけの、練り物の穴。フッ、と鼻で笑ってしまうほどに、寒いな、本当に氷点下並に寒いな、氷の活火山がある星であるトリトンの表面は、窒素の氷で覆われ、氷の活火山が存在しており、気温は少なくともマイナス二三七.六℃。どうしてくれんの、この空気、ドキがムネムネー。ふう、吸着フィルター付きの換気扇の下で、アメリカンスピリットの煙草に火を点けようかな、ジッポの蓋を親指で弾いて開ける、あのカチッという金属音。オイルの匂いが、火を点ける前に、ふっと鼻先をよぎる。このマンション、俺の部屋だぜ。ワイルドだぜ、ワイルドスピードだぜ、そういうことあると思うんだよね。ごめん、ちょっと何言ってるかわからなくなってきた。俺は誤魔化しているか?、、、、、、、誤魔化している―――と思う。しかしそういう風味は残しつつ、俺とお姉さんの関係は、限りなく姉と弟に近しいものだと思う・・。六歳年齢が違う。地球が太陽の周りを六回多く公転しているって、、、、、、だから何だ?そりゃチェリオのメロンソーダや、アイスおごってもらうぐらいには親切にしてもらった、駄菓子屋の前の、赤い自販機。ボタンを押すと、缶が内臓を落ちていくゴトンという音がして、取り出し口に、汗をかいた冷たいのが転がってくる。夏はソーダ味の当たり付きアイス。棒に『アタリ』の焼き印を見つけたときの、あのささやかな祝祭。彼女の自宅にあげてもらって、ホットケーキご馳走してもらったこともある、フライパンの上で、生地の表面にぷつぷつと気泡が浮いてきて、その穴の縁がうっすら乾いたら裏返しどき、っていう、あの見極め。焼き上がりに載せた四角いバターが、湯気の熱でじりじり角を溶かして、断面に染み込んでいく。琥珀色のシロップが、皿の縁までゆっくり流れる。多分それはお姉さんのことを好きになるイベントだったろうと思う。思うな、でも、正当な立ち位置ではなかった。まず、俺は子供ではなかった、けれど思春期でありながら思春期モードでもなかった。夕方の公園で、彼女が進路について俺に話しかけた尊いシーンもある、西陽が、砂場と、鎖の錆びたブランコと、彼女の頬を、ぜんぶ同じ橙色に染めていた。そのときの彼女は、珍しく弱っていたような気がする。夕方の公園には、昼間の子供たちが置いていった砂の跡と、乾きかけた水たまりと、錆びた鉄棒の影があった。空はまだ明るいのに、公園の隅から少しずつ夜が侵食してきていた。カラスが一羽、電線から鳴いた。ブランコの座板に浅く腰かけた彼女が、足の爪先で地面に小さな円を描きながら、進路の話をした。就職なのか、大学院なのか、別の街へ行くのか。ただ、彼女が迷っているということだけは分かった。だから俺は、たぶん何の役にも立たない言葉を返した。全然分からないけど、行きたいところに行くのがいいと思います、俺はそう思います、とかえらそうにヌカした。彼女は一瞬、目を丸くしたあと、笑った。「なにそれ」「いや、でも本当にそう思います」「責任ないなあ」「責任は取れません、野球をしていて、ボールが窓硝子を割ったとき、誰が謝りに行くか分からない、お前のせいだろは醜いので、じゃんけんをする」「そこはちゃんと責任取りなさい」「無理です」そんな会話だった。幼少期の記憶のアンケート調査でもされているような気分になる。今思えば、たぶん俺は彼女の人生について何も知らなかったし、彼女もまた自分の人生について知らなかったんじゃないか、という気がする。どれでもいいわけじゃないけど何をすべきかの明確な指針がない、そういうニュートラルな状態。それでも、その言葉だけは彼女の中に残ったのかもしれない。俺の実家は猫を飼っていて、その猫を目当てに家の敷地に入ってくることもあった、三毛の雑種で、気位だけは無駄に高い。撫でられるのを許可制にしていて、機嫌が悪いと尻尾の先だけをぴくぴくさせて抗議する、あの独裁者みたいな猫。そんなこんなで母親と顔馴染みということもある、猫のサポートメンバーだ、ちゅ〜る的なおやつを与えられて、猫はでっぷりとした皮下脂肪を蓄えた、でも、太った猫ほど犬みたいに見えてくる。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、あるいは太った猫は無敵だという説があると思う。四肢が胴に埋もれて、歩くというより移動する、カービィみたいに何でも吸い込みそうみたいな挙動。日向で溶けたバターみたいに伸びている。お姉さんが来ると父親なんかデレデレしていた、こんな奴にはなりたくないと思った。語尾が上がるんだよね。そして、猫ににゃーにゃー言っている姿に、俺も色々ヤバイことになった。自律神経系が混乱をきたした。一緒じゃねえか。お前も一緒じゃねーか。だから、けして、他人ではない―――他人成分の強いかも知れない、近所のお姉さんではなく、だから、ギリ幼馴染。うん、ちょっと上手くいけてきたような気が―――する。いつだったか、通知表の成績がよくて、国道沿いのファミレスで、食べたいもの食べていいって家族で外食に出掛けた。ドリンクバーの権利だけで小躍りするような年頃だ。メロンソーダにコーラを混ぜて、謎の黒い飲み物を作って悦に入っていた。メロポンコナーダ。絶妙にダサいネーミングセンス。そのとき、お姉さんがテーブルにいて、よっ、とか、やっ、とか関節の滑膜を動かして手を挙げた。邪魔しちゃ悪いので家族一同しずかなる人々になったが、遠目から見ていて、家族仲はあんまりよくない気がした。微細な視線の非対称性や、パーソナルスペースの異常な確保から。そういう言い方をすると語弊があるけど。いつも知っているお姉さんと家族の接し方が違っていて、彼女はすごく緊張している気がした。何となくだ。背筋が、いつもより一センチ高いとか、笑うタイミングが、半拍だけ早いというわけじゃないけど、相手の言葉が終わる前に頷きはじめる、あの、先回りの気配。水を運んできた店員に会釈する角度が、家族に向ける角度より、深い。でも、家族に言いたいこと言えないとか、躾が厳しいとか、そういうのも別によくある話だ。ただ、その日のことだけは、妙に記憶に残っている。ファミレスの店内は、昼と夜の境目の時間だった。ドリンクバーの機械が低く唸り、厨房から油の焼ける匂いが流れてきて、隣のテーブルでは小さな子供がストローを振り回していた。彼女は、俺の家族に見つかった瞬間、ほんの一秒だけ背筋を伸ばした。俺には、それが分かった。普段の彼女なら、もっと気楽だった。俺の母親に「この子また太りましたよ」と猫の報告をして、父親に「おじさん、またおやつあげたでしょう」と笑っていた。なのに、その家族の前では、別人みたいに姿勢が硬くなった。窮屈な檻の中にいれられているという気が、した。自分を演出している、といまなら言うかも知れない。毒親とか、親ガチャ失敗とか色んな言葉があるけど、それ以前でとどまっている人達や、そういう閉鎖的な家族システムの価値観を、我慢して受け入れている人達っていうのは、どういうものなんだろうってそのときに思った。家庭が壊れるような不倫とかはしない、子育てもしっかりやる、家族仲も悪くない。コマーシャリズムのきれいごと、放任や放棄や、無関心というほどではない、でも、機能不全のガラス細工のように、他人がそこに居座っているような気がした。同じ食卓に着いていて、同じ皿を分け合っていて、それでいて、彼女ひとりだけ、目に見えないアクリル板の向こうにいるみたいな、あの隔たりを想像した。家族という名前の、下宿人。でもそんな風に思うのは、やっぱりお姉さんだからなんだろうな。同級生だったらまあそういうものかで、海馬から大脳皮質へ転送されることなく、記憶から永久に忘れ去られている。まあ、彼女は美人だけどそれで性格悪いということも―――ない。美人で性格いいって、よっぽど教育がよかったと思うね。家庭環境のことを考えてしまう―――美人の場合って・・。美人が好きっていう人ってよっぽど顔や性格に難ありじゃないかって、近頃本当に想う。何、夢見てんの。描写してんのは、蜘蛛だろ、セーフティネット・・。綺麗に張った巣ほど、朝露が乗るとよく光る。光って見えるからって、あれは獲物を待つ罠だぜ、っていう、そういう天邪鬼な理屈。そりゃ、いると思うんだ、そりゃね、それは国内総選挙すれば、美人で性格よくて、アタックポイント高い笑顔で、足の長いカモシカでとか、頭がよくて有名大学でとか。けど、中高大通じて、美人の女の性格の悪さは聞いてきたし、雷鳴も轟き叫ぶよ、これ、まあ、何となく―――見たくはないけれど、見てきた。ワイドショーに洗脳されているわけじゃなく、やれ二股をしたとか、男をなめてるとか、まあ、聞くわけだよ。ひどい話になってくると、こっぴどいふられ方をされたみたいな友達がいる。スマートな断り方をしなくちゃいけないのか美人は、という接続領域もあると思うけど、鏡見て出直してこい、というようなことを言われたオスガキがいて、そのオスガキが、まあ、俺の親友だった。告白の帰り道、そいつはずっと無言で、コンビニの駐車場の縁石に座って、肉まんを二個買って、一個を俺に押しつけて、湯気の立つそれを黙って食っていた。あの夜の、肉まんの、味のしなさ。情報とか価値の順位というのも、まあ、あると思いますけど・・・・・・。ホモに走ろうか、そうやって友達に茶化した日もあった。歌舞伎の女形とタカラヅカの男装。ジェンダーとフェミニズムについて考えながら、命令系を持たない声でいこうよ。多様化じゃなくて、さ。咽喉に青いビー玉を隠しなが―――ら。結構ガチメにね、女はやっぱり性格だよなに落ち着いた社会人一年目、世の中やっぱり普通の女を探さなくちゃいけないよなという中庸に至る、アリストテレスも中庸が徳だと言った、とかいう、どこで拾ったのかわからない知識を、こういうときだけ都合よく持ち出す。そこからのブランクを、ブチ破って、インターフォン鳴らす、あれ、あなた―――は、が第一声。あれは確か、小雨がアスファルトを濡らし始めた夜の七時だった。とっくに外は暗くて、廊下の非常灯だけがぼうっと緑色に灯っていた。俺は帰宅して十五分、まだネクタイも外していなかった。回覧板かと、思ったもん。あ、うちのマンション、回覧板まわるんだよね。で、そこに天然記念物がいたのよ、ササナオジミが。『開けろ! デトロイト市警だ!』並みの衝撃。マンションのドアを全開に開いて、迎え入れるぐらいの懐かしさに胸が張り裂けそうに―――なる。こんにちは、久しぶりね、あのね、いきなりなんだけど、家に泊めてとその美人のお姉さんが言う。二十九。女はクリスマスケーキ、二十四とか二十五が盛りというけど、そんな、消費期限の貼られた惣菜みたいな言い草、誰が言い出したんだ。エロゲならここから個別ルート突入のフラグビンビンだぞ。昭和の遺物のような言説はさておき、二十六日には半額シールが貼られるのか。ふざけるな。むしろ、寝かせるのはいいことだと思う。よくはわからないけど、ロマネコンティ。育ち盛りの頃には大人びていた憧れの女性が、熟れてきて―――いる。人妻ではないし、熟女でもない、だけど、当時にはなかった魅力が磨かれていて、目尻に、笑うとほんの少しだけ皺が寄る。それが、なんというか、時間をちゃんと生きてきた人の勲章みたいで、逆に、直視できないほど眩しい。手の甲の血管が、昔よりくっきり見える。それすら、綺麗だと思ってしまう。格好も制服姿とかラフな格好じゃなく―――て、いやそういう方が、お姉さんらしくて好きだったわけなんだけど、もう、道踏み外しそうな何かを発揮している。イチコロ。つまり。ゴキブリ。そゆこと。その夜、彼女は大きめのトートバッグをひとつだけ持っていた。キャスター付きの旅行鞄ではなかった。化粧品と着替えと、ノートパソコンか何かが入っているらしい、肩から下げるタイプのバッグ。それが妙に軽そうだった。「・・・・・・泊めて」もう一度、彼女は言った。俺は玄関のドアを半分開けたまま、彼女の顔を見た。化粧はしていた。目の下には、寝不足なのか、照明のせいなのか、わずかな影があった。髪も、昔のように無造作に肩から落としているわけではなく、仕事帰りらしくきちんと整えられている。それなのに、どこかだけが崩れていた。どうしたんですか、と聞きかけて、やめた。彼女が何も聞かないでと言う顔をしていたからだ。そして、その顔を見てしまった俺は、もう断れなかった。『君の名は。』の三葉が入れ替わってる! と叫ぶより切実な表情だ。賑やかに動き回ったあとの身の置き場のないような、もどかしさ。百八十度違うじゃなくて、三百六十度違う、いやもう、七百二十度違う、って、やっぱり俺はちょっと何を言っているかわからなくなってきた。七百二十度回ったら二周して元に戻るだろ、っていう指摘は、この際、受け付けない。、、、、、、、、、、、、そういう世界線なんだよね。でもとりあえず、ここは寿司だって思って、スシを補給するニンジャスレイヤー。両親が来た日に寿司を注文した時以来のことをした。冷蔵庫にマグネットで貼りっぱなしの、あの出前のチラシ。桶で届く、ちょっと奮発したやつ。電話口で『えーと、特上桶で』と言うときの、あの、背伸びした感じ。マグロ、サーモン、イカ、たまご、海老。スーパーマーケットよりかろうじて美味いような気がするが、ネタが冷たい感じがする寿司。およそ食べきれない量を注文した。お姉さん、滅茶苦茶笑ってたね。そのチョイス、変だって。でも節約を心掛けてるし、給料のいい会社だし、ボーナスはまるまるちゃんと預金通帳に入ってる。お金が貯まらないって嘆く人がいるけど、俺はそうじゃねえだろって思うな、使うあてがあるからなくなっていくんだ。いわば、それ、交際費じゃないか。ただ、経費で落ちないっていうだけでさ。まあ何しろ恋人いない男なんて、自虐じゃないけど、変わってる奴に決まってる。マイケルジャクソンが三十五歳まで童貞だったという話があるけど、真偽のほどは知らんよ。都市伝説の一種かもしれん。ただ、そういう伝説がまかり通るくらい、あの人は人間離れしていた、ということでもある。あれは本当に忙しすぎてとか、スーパースターゆえにとか、そういう色んなことが考えられるけど、一般人がそうだったら一切の補正が働かない。社会人二年目、まあ、急いだり慌てたりすることはないけど、一歩間違うと、変わってる奴の仲間入りをし、そのまま魔法使いへのジョブチェンジ条件を満たしてしまう。ビールと寿司をつまみながらおしゃべりして、それがまた下らないことで、この前、一念発起してコストコに行ったんですよとか、だ。巨大なカートを押して、アメリカナイズされた商品達を眺めながら、要りもしないのに気圧されて買っちゃう、あの倉庫の魔力。途中から何故か、押入れの奥にあったタカラトミーの人生ゲームで遊んだ。今そこにあるズレを伴ったありのままの風景というのが好きだ、就職、結婚、家を買う、株の損益など、人生のさまざまなイベントマスが用意されていて、コンパスみたいな範囲の中で読み込む、あるいは無数の結び目を繋げて紐解く。これは人生を俯瞰する装置だ。挑み、逆らい、乗じ、浮きつ沈みつしてゆく、無数の個々の人間のことを考えていると、運命というのは何だろう、神とは何だろう、世界というのは何だろう、と思えてくる。そして次の瞬間には、道路や標識、街路樹、ベンチ、自動販売機に至るまでの、そういう様々なものがどのような形で一つになったのかを、考えている一瞬が、マスごとの胡散臭い指示と相まって、交差点の信号を自分の手で変えたような気分にさせるのだ。ルーレットの、あの安っぽいカチカチという回転音。『結婚する』のマスで止まって、ピンの人形をひとつ車に挿すときの、妙な照れくささ。彼女は序盤で株で大損して、大声で笑っていた。桃鉄でキングボンビーをなすりつけられたような顔をして。そろそろ夜も更けてきたのでおひらきにしましょうと言って、来客用の布団を引っ張り出す。押し入れの奥で、防虫剤の匂いをまとって畳まれていた客用布団。ひさしぶりに広げたら、干したてでもないのに、なぜか、ほんのり日向の匂いがした。それではまた明日と言って眠った。不思議なもので、ぐっすりと眠れた。あんなに眠れない夜を数えてきたのに、他人が同じ屋根の下で寝息を立てているというだけで、脳のどこかのスイッチが、ことりと切れた。あるいはオーバーヒートしたのかも知れない。俺はお姉さんが来て嬉しいので本当に何も聞かなかった。半ばこんなのむしろご褒美だろと思っていたし、いつ帰るかと切り出されてもそのときは、また寿司でも注文するかと思っていたわけなんだ。いやでもやっぱり、人だよな。親友が泊めてくれてっていったらそうなるけど、見ず知らずの他人が、仮に小学校の同級生でも、そう言ってきたら普通に断る。そういえば、昔の友達はもう死んでいるかも知れない、随分前にそんな夢を見た。暗いデパートみたいな場所で、呆けた顔をしていた。そして何故か俺はまた来るなと言っていた。いやあれはイメージの階層を表すデパートの夢。でもさ、お姉さんが、俺のマンションの一室に転がり込んでくるまでには、どうも紆余曲折あるらしい。絶対に、昔からあなたのことが好きだったのというような、ロマンティック街道ひた走るような路線は―――ない。そういう線路は首都の真下に隠されている。何かって? 都市伝説、首都脱出計画。(NERVのジオフロントか、地下に隠された『シンカリオン』の基地がありそうだ)地下に張り巡らされた、市民の知らない路線図。有事の際に要人だけを運ぶという、あるかないかもわからない鉄路。悲しいけれど―――それは、ない。ノー。まったくのノン。わかってくるだろう―――おかしいんだよ、これ。どう考えても、誰がどう考えても、おかしいんだ、これ。といって―――といって、だ。彼女からはそれは聞けない、「何も聞かないで、泊めて」って。泊めますよ、文句あっか。美人だからじゃないよ、だからササナオジミなんだよ、文句あっか。ソファーでもいいし、押し入れでもいいよ、という台詞。いや、来客用の布団あるんで、それ、使って下さい、と即答。かれこれ、二週間になる。家に帰るのが楽しくて楽しくて仕方ない、二週間。会社のヒトに、お前恋人出来たのかよと言われる。帰りの足取りが軽いのが、そんなに顔に出ていたらしい。残業を断る回数が、明らかに増えた。定時のチャイムで席を立つ俺を、課長が眩しそうに見ていた。あと、文句言われないようにっていうわけじゃないが、仕事の速度が上がった。張り合いが出ると違うものだって思ったが、仕事の量も増やされた。、、、、、、、、、ときめきメモリアルですよと答えておく。毎日、浮足千鳥足じゃないかと思う。酔ってんのか、お前。で、何聞いたわけでもない、そりゃ、やりようは―――ある。両親とか、ガキの頃からある町内リサーチセンターも、使える。要するに、井戸端会議のネットワークだ。あそこの奥さんが何を知っていて、誰に電話一本かければ何が芋づる式に出てくるか。地方の顔役情報網は、下手な興信所より速い。まあ、だから俺の住所も出て来る。出所は多分、母親だろう。マザーと叫んでいるときのジョン・レノンの顎はずれた感じが、われわれには上手く伝わらない。そういうことだ。、、、、、、、、どういうことだよ!本気で気になったら、裏でいくらでも手を回して、この不自然な状況をいくらでも正常化する方法はあった―――はず、だ。眉間に、胸騒ぎめいた黒い陰が漂う―――のだ。のだ、って・・・・・・。二週間という時間は、奇妙な単位だった。最初の三日は客だった。一週間目には同居人になっていた。二週間目には、もう彼女がいる生活が、生活そのものになっていた。同い年なら、喧嘩の一つや二つあるだろう、対等な関係っていうのは喧嘩の火種だ。だが、年下なら子供扱いしたりする先輩風もある、でも年上だと相手を最大限譲歩する。二週間、一緒に朝ご飯を食べて夕ご飯を食べる習慣がついた、お姉さんが作ってくれるときもあったけど、俺が作ることもあった。なめらかなカーテンレールが、光に捲れている美しい朝。朝、同じテーブルで謎の信頼をしているパスコの超熟パンを食べる、トースターの中で、パンの耳がだんだん飴色に締まっていく。バターナイフの背で、まだ湯気の立つ表面に、四角いバターを塗り広げる。彼女はジャム派で、俺は何もつけない派だ、というだけのことが、なぜか、ひとつの発見みたいに感じられる。『遅刻遅刻〜!』って食パンくわえて走る、アニメのテンプレも始まらないわけだが、いや、始まって欲しいのかよ。冷蔵庫に野菜ジュースとか、トマトジュースが入っている。冷蔵庫のドアポケットには、俺なら絶対に買わない小さな乳酸菌飲料が並んでいる。俺もビールとかチューハイを買って入れる。野菜が王国を作っていて、パセリとかセロリとか大葉とか、こんなの誰が買うんだろうと思っていたのに、こんなの買う人がいた。洗濯物の匂いが混ざり、玄関の靴が二人分になり、三和土に、俺の革靴と、彼女のパンプス。サイズの違う二足が、少しだけ向きを揃えて並んでいる、それだけの光景。帰宅して、まず、それが目に入る。装備画面のアイテムスロットが埋まっているような、奇妙な充実感。風呂上がりの湿気がなまめかしく部屋に残る。彼女のディオールや無印良品の化粧ポーチが洗面台に置かれ、歯ブラシが二本、同じコップに挿してある。俺の青いのと、彼女の白いの。ときどき、洗面台には見慣れないヘアゴムが落ちている。鏡には、彼女が拭き残した水滴が、いくつか。浴室の棚にはシャンプーの高そうなボトルが一本増えた、俺がドラッグストアで適当に選んだ安いシャンプーの横に。仕事帰りに部屋の灯りがついている安心感。エレベーターを降りて、廊下の突き当たり、俺の部屋の磨りガラスに、あたたかい色が滲んでいる。あの、ただ灯りがついている、というだけのことの、途方もない安堵。今まで、真っ暗な玄関の鍵を、暗闇の中で手探りしていたんだな、と、逆に気づく。彼女が買ってきたお菓子が棚に増え、俺もその棚にお菓子を追加した。彼女の柿の種の隣に、俺のポテチ。彼女のチョコの箱の上に、俺のせんべい。棚の中で、二人の甘い、しょっぱいの好みが、じわじわ混ざっていく。そして世界七不思議のひとつだが、減る速度は速くなる、おかしい、誰が食べたんだろうと首を傾げるしかない。ときめきメモリアルではないけど、押し入れからファミコンを引っ張り出して、―――いや、ファミコンって。まあ、いいや、格闘ゲームをしたりもした。すとり~どふぁいだ~。ヒカキンのハローユーチューブみたいに言って始まった。彼女は同じ技を連打するだけの、いわゆる初心者殺しの戦法で、俺は本気を出せずに待ちガイル戦法(ソニックブーム連発)で、わざと負けたりして。でも三回に一回はハメ技でガチで負けて、それはそれで悔しかった。ゲームの勝敗で、先に風呂へ入る権利とか、お菓子を買って来るとか、下らない景品がつく。不思議だけど、富士山の水とってきてと言った瞬間、二人とも冷静になった。休日はNetflixで往年の名作映画を観たりして過ごした。古い名作を、二人並んでソファで。ルーヴル美術館を爆破する映画はないかなと言ったり、国会議事堂で売国奴って叫ぶような映画はないかな。俺は馬鹿なことばかり言う。ポップコーン喰ってコーラ飲んで頭空っぽでいられたらいいなと思う。俺でもそうなんだから、みんなだってそう思う瞬間がやっぱりあるだろ―――うな・・。世界の中心でアンゴルモアって叫ぶ映画はないかな、ないかなないかな、ないよね、途中で彼女が寝落ちして、肩に頭が乗ってくる。コーティングされたチョコレートの鍍金が剥がれたら、感情の幅のニュートラルだって出来ない。回路遮断、ショート、火花が散って、ヒューズが飛ぶ。映画には妖精がいて、眠り薬を目蓋にさらさら振り掛けるのだ。動けなくなって、エンドロールが流れきるまで、俺は微動だにしなかった。腕が痺れた。天国だった。こうやって書くと何処にでもありそうな有り触れたものなんだけど、それがササナオジミ・マジックなんだよね。そして、たぶん俺が一番怖かったのは、その生活を俺自身が気に入ってしまったことだった。ヘミングウェイの『老人と海』で八五日目の正午に、巨大なマカジキを針にかけるようなもの・・。だのに、今日はドアの鍵を開けると、お姉さんが出迎えてくれない。居候のくせに出迎えず、(とはそもそも思っておらず、毎日出迎えるので逆に新婚さんみたいだなとか思ってたのだが)やっぱり本性出しやがったな美人め、というようなことにはならず、代わりにシャワーの音が浴室からこぼれてい―――た。ササナオジミのあられもない姿。鞄を置き、ネクタイを緩め、居間へと向かい、浴室から大きな声で「あ、ごめん、帰ったんのおお~っ?」と、お姉さんの声がする。えっちい。あと、エロス。胸がキュンと一杯になって全身から脱力してしまうような、状態。チャーム、それ、魅惑。あるいは、魅了。ごめん、俺はちょっとやっぱり何言ってるかわからなくなってきた。スーツを壁にかけながら「ええ!」と、聞こえるように返し、ソファーに腰を据えてひと息つき、覗きとか馬鹿言ってんじゃないの、ササナオジミ。もう何かが始まっちゃうよとか、期待に胸躍らせんじゃないの。一家に一台ササナオジミを大切に・・!だのに、そんな俺の決意を余所に、再び浴室からお姉さんの声が。「ごめん、だけど、タオル忘れちゃったあああ!」もちろんセーフゾーンの話としてだが、お姉さんがブラジャーをつけていないTシャツ姿でいるとか、お酒を飲んでいて何気なくスキンシップしてくれるとか、そういうことは何度かあった。二週間で何度かあった、それはかなりの高確率だ。統計的に有意、とか、そういう言い方をしたくなるくらいの頻度だ。仮説検定にかけたら、これは偶然ではない、という結果が出るレベル。いや、何の検定だよ。でも二十九歳ともなると、そういうエロさは当然出て来る。わからないけど、多分、出て来る、ドバっと出て来る。そういうことで、お姉さんは変わってしまったなと思うのが筋なのだが、俺はやっぱり二十九歳というのは違うんだなと思っていた。二週間も女性がいる生活に慣れるかっていえば慣れないが、別に俯瞰視線でいるわけでも、達観しているわけでもないのだが、自分以外の人間が思考し、人生を生きていることを、こう、間近で観察するというのは刺激的ではあった。この人には、俺のいない二十九年ぶんの時間があって、俺の知らない朝と夜が、何千日ぶんも積み重なっている。その厚みが、洗面台の化粧ポーチひとつからでも、匂い立ってくる。他人が、俺とはまったく別の内側を持って、独立した宇宙として存在している、というあまりに当たり前の事実に、いまさら、殴られている。梅干しに疲労回復効果があるとか、疲れたときにおしるこがきくとか、そういう感じだ、いや全然違うわ!プルーストがマドレーヌ一口で幼少期をまるごと思い出したっていうけど、俺の場合は梅干しの酸っぱさで、部活帰りの、あの、だるい夕方を思い出すわけよ。いや、だから、全然、関係ないだろ、いまの話と。忘れているのは―――もちろんタオルではなくて、俺がお姉さんにどうして俺のところに来たんですか、という質問だ。再三再四に、なんだったら七転び八起き的に、性格のいい美人と認定したお姉さんのことである、信頼できる友達の十人や二十人それはいるだろ―――う。実家だって、ある。頼るべき相手が、ちょっと違う、なんというか、違うと―――思う・・。嬉しいという気持ちはある、でもそれは自己欺瞞を孕んだ俺の問題であって・・・・・・。、、 、、 、、、毛蟲、栗鼠、怠け者、、、、 、、穴の中、冬眠。仕事を辞めてとか、結婚を前提にしていたお付き合いが破断になってとか、そんな結構シリアスなモードもあるのかも知れな―――い。覚悟している。左手の薬指を、彼女が無意識に触る癖があるのに、俺は二週間目にして気づいてしまった。何かが、あったのかもしれない。あったんだろう。でも、俺はそれを、見なかったことにしている。あるいはそれすらもササナオジミのポーズなのだろうか。そんな時、ふと昔、弟扱いしていた、出来損ないの俺のことを思い出して、お姉さん風を吹かせたくなった、みたいなのは、どうだろ―――う。いい線いってるかな・・?だが、現実にはどうかといえばハルキムラカミで培った、中二病じみたやれやれボーイになり、だってもうそれ以外のポーズなしにどう向かい合え、と・・?相手は百戦錬磨の美人、こちとら幽遊白書の暗黒武道大会に出場する若造。いや戸愚呂弟の一〇〇パーセント中の一〇〇パーセントに、丸腰で挑むようなもの。ふと下らないことを思う、あんなに筋肉がもりっとするなら、股間もきっと、やるねえ、ということに違いない。って馬鹿か。やれやれだよ、まったく、としか言えない。溜息を吐きながらバスタオルを取り出し、浴室へと向かう。もちろん一緒に入りたいからだ。もちろん俺は家主だ、風呂ぐらい入りたい時に入る・・・!というようなことができるならとっくにそうなっているわけで、手枷を外された放火狂にはないな、ただ、導火線があるのみ、火はまだ、点いていない。だが、導火線だけは、しゅるしゅると、たしかに、部屋の隅から俺の足元まで、這ってきている。あとは、誰かがマッチを擦るかどうか、それだけの状態。誰って? そりゃ赤ずきんちゃんを可愛いねって食べようとする、オオカミお婆さん。浴室の扉は二枚あり、一枚目は洗濯機と洗面台。アクリル製のもう一枚の扉にシャワーを浴びるお姉さんの影。乳白色の樹脂ごしに、輪郭だけが、ぼやけた影絵になって揺れている。肩のライン、背中の曲線、そういうものが、焦点の合わない水彩みたいに、滲んでいる。湯気で、扉の内側に無数の水滴がつたって、そのぶんだけ、影はさらに遠くなる。深夜のシネマのように遠ざかる川船の背景。そして泣けるほど、紳士の俺。はっちゃることはできない、それは意気地なしだから―――だ。他に理由なんかないよ―――あると思ってんの・・?「置いときますよ」俺はそう言いながらふっと思ったね。こういうとき、覗きをするべきだとか、堂々と一緒に入ろう宣言をするべきだってことじゃなくてさ、―――本当に、こういうときに、タオルに添えてさりげなく、キンキンに冷えたコーヒー牛乳を添えるようなね。風呂上がりの、腰に手を当てて一気に飲むための、あの、瓶入りのやつ。ガラス瓶の、汗をかいた冷たさ。何も言わずに、タオルの上に、ことん、と置いておく。恩着せがましくなく。こういう気遣いができる人間がモテるというのを何かふと思ってさ、明日はちょうど休みで、俺がいないときお姉さんが何してるか、俺は全然知らないんだけど、気分転換にどうですかってさ、水族館と動物園のチケットを忍ばせる。クラゲの水槽の、あの青い光の前で、時間を忘れて突っ立っている二人。あるいは、ぐだぐだに寝ているカピバラの前で、なんも言わずに並んでいる二人。でもこいつ、ワニの上で日向ぼっこをしたりする。らしいねー、とか言うんだ。そういう、しょうもない一日を、そっと差し出す。ヤバイ、そいつ絶対モテるわって俺は馬鹿なことを考えていた。女を口説いたことのない男に言いたい、美女とか可愛い女の子は隣の庭は青いものだ、と自戒を込めて。んもう、遊園地禁止! 妄想で、行きたかった場所禁止!心理学禁止! そんなことをしても、あなたの魅力は伝わりません!缶コーヒーにコクつけるの禁止!ビールのCMで切れ味とかいうの禁止!頭の中、お花畑の光景。七音階の夢、十四色パレットの夢、三十二色クレヨンの夢。アンコールワットにはジャングルが似合うし、イギリスなら紳士服と髭が。イタリアには長靴が、オランダにはチューリップと風車が、ドイツならソーセージとビールとお城。カナダなら滝、中国は万里の長城。エジプトならピラミッド、スイスならアルプスと時計・・。ああ、サバトクトビバッタの群れみたいだ。彼等は一平方キロメートルに、四〇〇〇万から八〇〇〇万匹いる、そして四〇〇〇万匹で、一日に約三万五〇〇〇人が消費する食糧、もしくは、牛二〇〇〇頭分の牧草を食べる。不毛、とはそういうことだ。制限的自由、現代のピラミッドの中の白内障の眼。閑話休題。たぶん俺は、そのとき、自分が何をしているのか分かっていた。彼女を助けたい。でも、助けるという言葉を使うほど大げさなことはしたくない。、、、、、 、、、 、、、、、、、事情を聞く、励ます、何かを解決する。時は止まらな―――い・・。回転面の集合さながらの複数の思考の衝突であり、心は世界の中に溶け込んで―――ゆく・・。本当はそうするべきなんだろう。でも俺のしたいことはそんなことではなく、ただ明日の予定をひとつ増やすことだ。水族館の大きな水槽の前で、何も考えずにクラゲを見る時間を作る。動物園で、どうでもいい動物を見て笑う。そういう。『どうぶつの森』みたいなスローライフ空間の逃げ道を、さりげなく一本だけ置いておく。俺にできるのは、そのくらいなのだ。しかし遮られていたシャワーの音が聞こえた。風呂場のアクリル製のドアがするりと開いて、スッ、と、何やらなまめかしすぎるお姉さんの手が、カメレオンの舌のように的確に俺の腕を捕まえ、浴室のタイルがゼリーのように崩れる。濡れた指先が、手首の、脈を打つ内側に、ひやりと触れる。爪の先まで、湯気で、ふやけて、桜色になっている。逃げる隙も、身構える暇も、なかった。いと冷やき綾の乱れ。「どうして何も聞かないの?」このタイミングで、と俺は思った。よもやまさか、このタイミングでフラグ回収―――。いや、あの、別に風呂上りに、一緒にビールを飲んでいる傍らで、そっと聞いてもよかったんじゃないでしょう―――か。真珠のように清浄な胸は不意打ちを喰らった―――痺れ・・。心臓が、一拍、完全に止まった。そのあと、慌てて、二拍ぶんまとめて打ち直した。手首を掴まれた、その一点から、電流みたいなものが、肩を伝って、うなじまで駆け上がった。「話すべき時が来たら、話すだろうと思いました」って、お前、何、気障なこと言ってくれちゃってんの。うりうり。あー、いま、自分の精神攻撃が中々きいてきたわー。ぐりぐり。うあー、なんというか、これまでの人生リセットしたくなってきたわー。時間はゆっくりと流れる、嫌味なほどにね。ヴァイオリンが水浴びしているのかとも聞こえてくる、弦が濡れて、音が、ぐにゃりと歪む、みたいな、そんなありえない幻聴。壊れたオルゴールが、水の底で、間違った音程で回っている。シャワーの音がとめどなく響き、二人の沈黙は緩やかに伸びて―――。「家賃―――その、わたしのカラダでもいいよ」って、お姉さんが、何言ってるかわからなくなってきた。暴走して、十八禁推奨のイケナイお姉さんに、モデルチェンジしようとしてい―――る。嬉しい。思いもよらぬ、素晴らしい提案。貝殻骨の浮いて見える背中、、、、、、、、産毛が光るのに、じゃあ、そうですね、そのカラダを味見しようか。ハーレクインのヒーローならそれぐらいのことは言う。筋骨隆々の、名前がやたら母音の多い外国人男性が、頬に手を添えて、低い声で囁くやつ。表紙で、上半身を脱いでいるやつ。あの世界線の主人公なら、迷いなく言う。そしてその味がいいねと言ったから、俵万智のサラダ記念日―――攻撃イイイイイ。どすこい、ご馳走なんだよ、ちゃんこ鍋は。両国の、あの、鶏ガラの澄んだやつ。関取が何杯もおかわりするやつ。いや、なんで、いま、ちゃんこの話をしているんだ、俺は。って、ごめん、俺が何言ってるかわからなくなってきた。違うだろ、違うだろ。開闢と諧謔と格闘がモツレあう際疾さで、あっぷあっぷ、でも、そうなって初めて、そういう肌と肌をかさねあわせるスキンシップが視野に入ったことで、そんな風にしたくはないのがわかったり―――する。どんな理由であれ、もしかしたらその気になれば最初から、彼女の弱みに付け込んで欲望を満たすことは出来たかも知れない。そうしなかったということは―――いや、それは、たんに、俺が根性なしだったという可能性はありますね。ありあり、ですね、こりゃ。「お姉さん、順序が違うでしょ?」ってお前、本当に何カッコいいことを言ってんだ。秋風が過ぎた針葉樹林、そしてカランコロンと、空き缶が転がる音。そんな寒い虚しさ。爆発に超絶、アクロバティック、へろへろ、プラチナ、俊足、快速、走馬灯、誰もいない、乾いた風景。トウヒだかモミだかの、まっすぐな幹の列。そのあいだを、風が、ひゅう、と抜けていって、アスファルトの上を、缶が、乾いた音を立てて、転がっていく。いわゆる一つの空虚。いや、順序が違いますよね、でいいのに、何こんな時だけ色気出してカッコつけたように言ってんだ、コノヤロー。なんかそれだと、マウント取ってるみたいだぞ、コノヤロー。「風呂上がりに一緒にビールでも飲みましょう、話したくなかったら話さなくてもいいですから、さ、手を放して、服が濡れるし、夜は寒いです―――よ」キレイに伸びる首筋から背骨のS字カーブに、スッと指を滑らせてみたいのに。「キミはいつのまにか、すごく大人になったね」だと思うでしょう・・?いや、あの、だと思うでしょう・・?え~と、だと思うでしょう・・・?違うキャラね、もう、胸とか、お尻とか、シャンプーの匂いとか、あの、湯気にのって扉の隙間から流れてくる、フローラルだかシトラスだか、とにかく、彼女の匂い。それが、鼻腔の奥の、理性を司る部分を、じわじわ溶かしにかかってくる。危険だ、俺の中の童貞大明神が大爆発してたから―――ね。青光りする昆虫のような俺自身は、まだ、膀胱と排泄器官以外のせつなさを知らない。、、、、、、だからなのだ、もう神輿担いでワッショイしてたからね、もう。ハチマキ、らっせーら。、、、、、、、、、、、、、、、、、フォークは沈むふわふわの苺のムース。祭囃子、笛と太鼓、法被を着た氏子たちが、俺の脳内を練り歩いていた。ワッショイ、ワッショイ。うおおおおお、って少年漫画でしか見ない叫び声が心の中で木霊する。岩でかこまれた入り江の水のように、自然と人工の境目のようなものを。理性という名の神主が、必死に鎮めようとしても、もう、収拾がつかない。ふひょおおおおお、って、それは違うだろ。「じゃあ、後で話すね―――昔からありがとうね」、、、、、、、、、、 、、 、、、、、、わだかまる長広舌の海、玉雫、絹糸のついた、、、、、、、、、、、、、、クレオパトラの鼻梁を降りる。アクリル製のドアが閉まって、クールなイケメン―――は、いないな。台詞だけの世界へ行きたい。本当に、本当に行きたい。まったく、イケメンなんて、いないな・・。昔からって何だ?あの、すみません、昔からって、何なんですか。そう思いながら、それは進路のことを聞いた公園のことか、それとも、両親と距離を感じると聞いたあの河川敷のことか、土手の斜面に、二人で並んで座って、増水気味の茶色い流れを、ただ、見ていた。彼女が、うちの家族といると、なんだか息がうまく吸えないの、と、川に向かって、ぽつりと言った。俺は、返す言葉がなくて、そばの雑草を、意味もなく、一本、ぶちっと引き抜いた。―――あるいは、猫と遊びながら言った、自分はあんまり世渡りの上手い人間ではないと思うことがある、と述べられた、あの夏の夕方の頃合いだろう―――か。縁側で、三毛猫の腹を撫でながら、彼女は、笑っているのに、少しだけ困ったような顔で、そう言った。蝉時雨が、うるさいくらいに、降っていた。麦茶の氷が、グラスの中で、からん、と崩れた。ホッとするような喜ばしい、安堵の成分のある吐息・・。どっちが、大人なんだか。いや、アダルトなんだか。いや、聞いてみるまで何にもわからな―――い。本当は聞きたいくせに、ずっと悶々、無視無視、何も聞かなかった。どうしよう、超シリアスなモードで延々鬱展開の話をされたら。とくと御覧じろ、謁見式・・!実は妊娠しているとか、あるいは、実は俺が知らないだけで、彼女の両親が亡くなったとか、そんな話をされたら、お前どうする・・・?そこまで、考えた末に、シャワールームに向かって一言だけ。聞こえていても、聞こえていなくても―――いいような気がした。「・・・・・・でもね、あなたはいつもやっぱり、素敵なお姉さんですよ」と。言い終わったあと、滅茶苦茶顔が赤くなった。聞こえていたらどうしよう。隔靴掻痒。これはもう、七変化、紫陽花。土の酸性度で、青にも紅にもなる、あの、優柔不断な花。同じ株なのに、日ごとに色が移り変わる。俺の顔色も、いま、まさに、それ。女心と秋の空。何言ってるかわからなくなってきた。いや、本当に、何言ってるかわからなくなってきたぞ、とりあえず、何か、ビールのあてになりそうなものを、―――作るか。冷蔵庫を開ける。卵と、きゅうりと、昨日の残りのちくわ。ちくわか。またちくわか。穴の空いた、あいつか。冷蔵庫の白い光の中で、俺は、しばらく、突っ立っていた。生活というのは不思議だ。重大な話をする直前でも、酒のつまみは必要になる。人間は悲しい話をするときにも腹が減る。彼女が風呂から上がったので、ビールやチューハイに、ビールのあてを並べて宅飲みが始まった。風呂上がりのラフなオーバーサイズのTシャツ姿で、彼女が髪を乾かしながらビールを開け、ドライヤーの温風の音にまぎれて、プシュッ、という開栓の音。濡れた髪の先から、まだ、湯気が、うっすら立っている。頬が、湯上がりで、ほんのり上気している。俺はテレビを点けながら、少子化問題のニュースを横目で見ている。どげんかせんといかん。キャスターが、出生率がどうの、婚姻数が過去最低がどうの、と、深刻そうな顔で読み上げている。合計特殊出生率、とかいう、無機質な数字。コンドー●はあっただろうか、って違うわ。他人事みたいに、遠くで、流れていく。限界集落とか、地方インフラ崩壊とかいう説明はない。政治では解決できないことは、大衆でしか解決できない。キスで歯があたって出血するという話があったけど、唇をすぼめるとタコみたいだって思うんだけど、って違うわ。、、、、、、、、、、どげんかせんといかん。彼女は何か言いかけて、言わない。テレビの音が遠くで流れ、ベランダから夜風が入り、開けっ放しのサッシから、刺すように冷たい空気が、細く、流れ込んでくる。不器用とか孤独とかいうものが潜在意識的な領域の接触作用で、カスタードクリームになってしまう。カーテンの裾が、ほんの少しだけ、揺れる。二人の沈黙が、少しだけ甘い。結論のない演説がマトリョーシカしてゆくけど、俺達はそこからようやく紆余曲折を経てパンドラの函を開いた。そして、彼女が「話すね」と言う。その瞬間、俺の心が跳ねる。でも、もしかしたら、打ち明け話は思いのほか呆気なくて、彼女が仕事で失敗したとか、あるいは、病気になってとか、そういうよくあるようなことかも知れない。パニック障害とか、どうだろう。あるいは摂食障害とか、どうだろう。ドラマチックに考え過ぎていると、肩透かしを食らう。「ちょっと待って、最初に一つだけ」「何?」「結婚しましょう」配偶者としての法的・社会的契約の締結要請。その言葉が、リビングの空気を、まるでスローモーションのように切り裂いた。俺は、手に持っていたビール缶を、テーブルに置くこともできずに、その場で固まっていた。缶の表面に結露した水滴が、指先を伝って、じんわりと手首へと流れ落ちていく。その冷たさだけが、現実感を伴って、俺の意識に触れてくる。「・・・・・・は?」俺の口から、間抜けな声が漏れた。いや、漏れたというより、空気の抜けた風船のように、自然と零れ落ちていった、という表現が正しい。お姉さんは、俺の反応を見て、くすくすと笑い始めた。最初は小さな笑い声だった。失笑という体でもあったが、不意打ちを喰らったという風でもある。しかし、それが次第に大きくなり、やがて、腹を抱えて笑い転げるほどの、大笑いへと変わっていった。彼女の笑い声は、ビールの泡のように軽やかで、しかしその目の端には、何かを隠すような、かすかな曇りがあった。でもそれは彼女の癖だったり、幼少期から培われた家庭生活の影響という気がした。俺はその笑い声に飲み込まれながら、缶ビールの冷たい表面に指を這わせた。腹を抱えて、目尻に涙まで浮かべて、缶を持った手をぱたぱた振りながら、彼女は笑い転げた。何それ、何それ、順番、って、順番、めちゃくちゃじゃない、と、言葉の合間に、また、笑う。ドライヤーは、点けっぱなしで、誰もいない空間に、ぬるい風を送り続けている。テレビでは、まだ、少子化のニュースが、流れている。そこに副交感神経の急激な解放による横隔膜の連続的収縮。俺は、真っ赤な顔のまま、その笑い声を、ただ、聞いていた。最終的にはアルマゲドンの主題歌、『I don't Want to Miss a Thing』を歌うしかない。この状況で?、、、、、、、、、、どげんかせんといかん。―――ああ、うん、これは、これで、いい。何を言っているのか、俺には、まったく、わからないけれど。
2026年08月27日

朝の―――光が・・、カーテンを抜―――けて、何も知らないみ・・たい・・に、部屋を―――照らした・・。抜け殻だ。目の下に割れたシャボンの液。隣にいたんだよね?髪形を変えても―――まだ・・、君の面影がまだ胸にあ―――って、終わったはず・・なの・・に、終われないまま―――だよ・・。「喧嘩したらどちらかが謝るように」って、言われたの、に。土砂降りの雨だ。君が鮮やかすぎて、私は弱すぎて。映画みたいな恋が流れ―――た、現像液の匂いが染みついた、古いシネフィルムが、スプールから外れて、逆回転を繰り返す。目を閉じたまま爪先立ちだっ―――た・・。いつもの長い長い―――並木道を・・、ひとりでに高鳴る胸が痛―――くて、逃げ出したい見慣・・れた・・景色の、パースペクティブさえ、網膜へ投影したくなかった、今日は見たくなかっ―――たんだ・・。ぐるぐる頭の中を巡る、あの日のフィルムが捲れてリピートする、登校時間外しても。空は青い。感情は、言葉より先に身体へ届く。胸が締めつけられる。咽喉が狭くなる。呼吸が浅くなる。交感神経が優位になり、心拍数が上がり、手のひらに汗が滲む。足元を見たら―――影法師はひとつ・・、流れ星が去来して世界は残酷―――だよ、それが嫌で空を見上・・げた・・潤みながら、風は何も語らず髪を―――揺らした・・。心の真ん中にぽっかりと空いた、愛してるという幼い言葉が痛い。扁桃体が未熟な言語野へと―――強引に・・、送出させた、『愛している』という、素朴な命題の残滓―――が、神経終末に触れる。見て欲し―――い、いまここに来て何か言って欲し―――い・・、そればかりで、そればかりだ。いつまで続くのこの痛み、切なさ、もどかしさ。昼休みになればって思って―――た、授業が始まれ―――ば、みんなとおしゃべりしていれ―――ば、こんな気持ちはすぐに消え―――て、しま、う、そう思っていた―――のに・・。、、、だから授業をサボって―――屋上へ・・、行った、桜の花びらが散った並―――木道、給水塔見ながら肩寄・・せた・・片っぽのイヤホン、かくれんぼみたいな心を―――追い掛けて・・。きっとそれ―――は、きっとそれ―――は、自己防衛本能の迷宮に隠れた互いの本音。秘密基地の―――在り処・・・。「大事なものほど―――よく壊れる、大切な人ほど―――よく傷つける」目の前いっぱいに拡がる、私だけの空。誰かに呼ばれた気がした、でも振り返っても誰もいない空。永遠じゃ・・足り・・なくて、心は中止、一時停止、凍結、猶予期間。主語が私で、目的語が君。動詞が愛する。それだけの言葉―――が、何度もこの場所へ舞い戻らせ―――る・・。好きではいられないんだよね?青春群像劇とは違う、失恋の痛みとも違う、空と風のやさしくすりぬけてゆく青さを。恋が終わった後に―――も・・、恋は始まるんだと私は知っ―――た・・。恋が終わったあとに残る、空気のようなもの、その、静かに震わせている清冽なものが、生きているということだと、私は―――知った・・。
2026年08月25日

2026年08月25日

ソクラテスは言った。「私は、自分が知らないということを知っている」と。それは構造主義的な世界が今まさにシニフィアンとして、何を語ろうとしているかのシニフィエたる断片。 アゴラその言葉は、紀元前三九九年のアテナイの広場で、ペンテリコン産の石灰岩の階段に座り、地中海の日差しと柱が作り出す影の縞模様の中でキトンを纏った若者たちに向けて放たれた。僕はぼんやりと想像した、可視光の閾値を揺らぐ、未命名の光子の欠片のようだ、と。考えてもみてほしい、皮膚の下では、四種の機械受容器が別々の言語で世界を訳している。指紋の稜線に浅く埋もれたマイスナー小体は、布の織り目の段差を、真皮の底に沈んだパチニ小体は、机を伝う遠い振動を、メルケル細胞は圧の持続を、ルフィニ終末は皮膚の伸びを。けれど、ひとたび眼を瞑るだけで、「これが何であるか」を告げるだけで、「そこに何かがある」という情報の翻訳を止めてしまうのだ。ソクラテスは言った。「私は、自分が知らないということを知っている」と。 ロゴス彼の虹彩がヘーゼル色の瞳は、相手の言葉を受け止めるたびに眼輪筋が収縮してわずかに細められ、 エレンコス口元には、問答法による嘲弄ではなく、 アポリア無知の自覚を共有するむしろ共犯めいた、アイロニカルな微笑が浮かんでいた。その言葉は、プラトンのイデア論における真理のイデアという中心ではなく、アナグノーリシス ディアレクティケー想起へと至る中心へ向かうための弁証法。それは、古代バビロニアの天文学者における、星座が夜空に描く神話的架空の線のようなもの。実在する星そのものは光年という距離を隔てて点在し、線はゲシュタルト心理学における、見る者のパターン認識という解釈が結ぶ。道標もまた、実体論的な実体を持たず、しかし、存在論的な足を向ける方向だけは現象学的に確かに示している。しかし、その架空という切り取り線のようなものがなければ、航海者は、夜の海で方角を失っていただろう。中世の海図なら「テラ・インコグニタ」と記され、余白にはここに竜ありと、羽の生えた蛇が描かれた場所。測鉛の届かぬ海溝、まだ三角測量の網の外にある谷、そこは、未踏の谷間であり、言語化されていない感情の湿地でもある。白いのは、そこに何もないからではない。そこを歩いた者が、まだ帰ってきていないからだ。そこにはまだ、等高線も経度も、重力異常の分布データも割り当てられていない、名前のない世界がある。ソクラテスは言った。「私は、自分が知らないということを知っている」と。正しくは、それは『弁明』の一節を、後世が磨き上げた言い回しだ。神託がアテナイで最も賢い者と告げたことに戸惑い、彼は政治家を、詩人を、職人を訪ねて回った。そして気付く、彼等は知らぬことを知っていると思い込み、自分だけが、知らぬことを知らぬと知っている、その一点で勝っている、と。彼は自らを虻に喩え、怠惰な馬である国家を覚醒させるために、自らが無知であるという毒のない針を刺し続けた。プラトンの『ソクラテスの弁明』で描かれるソクラテスは、デルフォイの神託をきっかけに、「自分は知らないのに知っていると思っている者より、知らないことを知らないと自覚している自分のほうが、わずかに知恵に近いのではないか」と考える。そこにあるのは、「何も知らない」という自己卑下ではない。むしろ、「知っていると思い込むこと」そのものを疑うための知性だ。あるいは人間というものの知性は疑うことなしに、成立しえないものだと誇張して言うべきだろうか。自尊心や劣等感に埋もれていると、自分の能力を直視できない。何が出来るかも正確に判断することはできない。努力することに対してもトレーニング法が分からない。みんながやっているということに盲目でいるのはいい、けれどそこにおける多数者と少数者の違いが、本当に見抜ける眼を持っている人は少ない。名前がつくと、世界は理解されたように見える。けれど、名前をつけたことと、理解したことは同じではない。だから本を読み、検索し、資料を集め、付箋を貼り、引用を書き写し、辞書を引いた。知識を積み上げれば、いつか世界の輪郭が完成すると思っていた。けれど、知識が増えるほど、むしろ輪郭の外側が広がっていった。一つの答えを得ると、その答えを成立させるための十個の条件が現れた。十個の条件を調べると、その背後に百個の前提が隠れていた。百個の前提を疑えば、そのさらに外側に、言葉ではまだ切り分けられていない領域が現れた。世界は、理解するほど小さくなるのではなく、理解するほど巨大になった。子供の頃、空き地の草原で飛蝗を捕まえては逃がして、遊んでいた僕は、ふと空を見上げながら、僕は非現実的な夢でも見ている気がしていた。もしかしたらあれが僕の始まりだったのかも知れない。あの瞬間、僕はこの監視されているシステムのようなものへ、つまるところ、理解が遠く及ばないものへの、接し方があったと思う。だから僕は恥を忍んで言う、これは机だ。だから僕は真実の奴隷として口にする、これは窓だ。だから僕は縦糸と横糸を考える、これは夕暮れだ。だから僕はそれが僕ではないと知りながら言う、これは僕の手だ。本の上にコーヒーカップを置いているから、環状の跡が形成されている。それは重力と遠心力の平衡点に形成された土星の輪のように、前頭前野で蠢く僕の思考の軌道を縁取っている。でもそこに近付いたのは歴史上、彼だけではない。十五世紀のクザーヌスは、それを「知ある無知」と呼んだ。円に内接する多角形の辺をいくら増やしても、円そのものには届かぬように、知が精緻になるほど、無限との隔たりの深さだけが、いよいよ露わになる、と。ウパニシャッドの賢者は、究極を言い当てようとして、ただネーティ・ネーティ、すなわち、これにあらず、これにあらず、と、あらゆる名を剥ぎ取ることでしか、それを指せなかった。老子は、車輪の三十本の輻が集まる轂の空洞を、器の中の何もない窪みを、部屋の戸と窓の虚を指して、「無こそが用をなす」と説いた。満ちているのは縁であり、働くのは空だと。ソクラテスは言った。「私は、自分が知らないということを知っている」と。そんなの一行も分からなくても苦労しない、けれど、その映り込みは僕にとって、プラトンの『洞窟の比喩』を想起させる。洞窟の壁に映る影は、実体の写しであり、しかし、その影を見る者は、影を実体と誤認する。しかし、その誤認は、決して無意味ではない。影は、実体の存在を、間接的に示している。その影を手がかりに、洞窟の外の世界へと向かうことができる。光学的な見えていることは、網膜の盲点によって見落としていることを許容し、ダークマターのように見えていないものを考えれば、その体積は事象の地平面を超え、ブラックホールに吸い込まれてゆく。シュワルツシルト半径の内側では、時間と空間の座標が反転する。ナトリウムランプの街灯の光がポリエステルのカーテンを通して拡散反射して天井に映るボヤージュ効果による影の模様を眺めた。それは、落葉広葉樹の木の枝が気圧配置による風に揺れるたびにカオス理論的な形を変え、見ているうちに、網様体賦活系が鹿の角になり、やがて流体力学的な川の流れになり、最後には、記号論的な何の名もないフラクタルな曲線の集まりに戻った。心はいつも仮の名を与える、意味の定まらない染みに、勝手に顔を見てしまう、あのパレイドリアの働きで。けれどそれは固有の振動数だ。地球が一分に回る角度、〇・二五度が、壁の上では影を指の幅だけ滑らせる。あまりに遅く、見ている間は静止して見え、目を離した隙にだけ、動いた証拠を残す。世界はまだ長く深くそして暗い夜のなかにある。誰も気付いていないことを知りたいと君が願うなら、それはありとあらゆる意味で愚かなことを認めることだ。宇宙微波背景放射が、ビッグバンの三十八万年後の光の最後の散乱面を映し出すように、現在の知らなさは、過去の世界の遅延像であり、しかし観測者である僕が存在することで、未来の光の経路が初めて確定する。世界がまだ映していない未来の光の欠片、未だ観測されておらず、波動関数の収縮を待っている量子的な確率の波よ、神や天国ですらもまだ宙吊りのまま、僕等はまだ姿形に囚われて、そのものの本質へと、深く思慮する階梯へ至らないようだ。
2026年08月24日

クラップ・アンド・クラップ、 青白い世界が色覚を失って、 目蓋の裏に広がっている。 時が踊った夜の―――さ・・・。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、 暗闇でたった一度だけ火花が散るように、 、、 、、、、、 、、、、、、、、 鋭く、そして儚く、一つ一つの動きが、 、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、 わずかに遅れて続き、まるで残像だけを追って泳いでいる。 クラップ・アンド・クラップ、 (探してた?) (忘れてた?)、 晴 天、 涼 し い 潮 風 、 凪―――。 (寝 ぼ け た ま ま 降 り 立 っ た ま ま の 異 国 。 (移ろいかかる内部崩壊の進行、 残忍な洞窟、魔の谷、自分らしさ、 人らしさを見失いなが―――ら・・) 肺に入るはずの空気の代わりに、 星座の名前だけが静かに沈んでいく。 「何で僕等、あの日に戻れないって知ってるのに、 あの日のことばかり考えてるんだ」 (降りたまま駆けてゆく、 貝殻の裏のような素足、・・・・・・) 約束しよ―――う、 そう言いかけて、あなたの声は風に奪われた。 、、、、、、、、、、、、、、、、 波にさらわれてはまた浮かんでくる。 、、、、、、、、、、、、、、、、、 それが何度も繰り返される別れの合図。 (海なんだったっけ?) (夏なんだったっけ?) ―――迷路を。 路線図にも載っていない停留所を、 ふたりだけの記号で呼び合いながら。 浪打ち際へ近づくにつれ、 だんだん磯臭さも強まるよ、 泡になって、粉々に打ち摧く挽肉機械になって、 奔放な自分を認めたモノクロの世界、 1/250秒で唇の震えが止まり、 1/60秒では目が半開きになり、 1/4秒では背景の波が完全に流れる。 星は1等星から6等星まで合わせて約3000個が可視で、 天の川は乳白色の帯として天頂を二分している。 「でも、まだ終わらないで」 モノ、、、ヒト、、、イロ、、、
2026年08月24日

世界がもしある日、僕と君が手をつながなければ、消えるようなものになったら。トイレとか風呂どうするんだろう、そもそも仕事できるのか、三百六十五日二十四時間、単純なシンプルなノータリンの、馬鹿馬鹿しい愛を歌う。愛していない者同士だったら、これは拷問だ。難中の何、未解明定理より難しいかも、あっさりと世界は終わりを迎えるための、カウントダウンをするんだ。愛している者同士だったら、何日持つんだろう。たとえば右手をつなぎながら、左手にスッと切り替える、そんな実験を大真面目にやって、げらげら笑ってるかも知れない。浮気とか不倫する気持ちが分からない、そういうラブストーリーの二人もいるんだ。ストレスとか、前世とか関係ない、もう一回勉強し直してきなよ。だからなんだろうね、神様はきっと呪いと祝いをブレンドした、呪いをプレゼントしたんだ。手を繋ぐ代わりに眠りが永遠に訪れない、永遠に歳を取らない、世界の何処へでも行ける足と、どんな環境にでも適応できる身体を、二人のためにくれたんだ。銃に撃たれても蛇に噛まれても平気、核実験に直撃しても大丈夫、何かよくわからないけど大気圏突破できたし、UFOにも乗って、サンタクロースの家の敷地内にあるトナカイを盗んで、見知らぬ場所まで。さながらサイボーグだよ、化け物だよ、橇の乗り心地はどうですか?でもそれがもしかしたら、人類の未来そのものなのかも。大きな手、小さな手。やさしい手、やわらかい手。滑ったりしないように、力を入れすぎないように、優しく折り合っている。人が人らしくあるための何十年、何百年、もしかしたら何千年、何万年が流れて、もうそろそろいいんじゃないかって思える時が来て、問い掛ける、手を離そうかって。いままで色んなことを知ってきた、手と手同士が離れるということが、もうどんなにかおかしいことのような気がする、でも二人は長く生きすぎて、そしてあまりにも特別すぎて、本当にもう色んな段階を登り終えてしまった。傍にいなくても心が触れあっている、相手が心の中にいる、目と目を通して相手が瞳の中にいる、そういう時間が二人にはなかった、ただ、闇雲に、何となく気が付いたら、ここまで来てしまった二人だよ。永遠って何なんだろう、それが実現しえた瞬間に空っぽなものに思えた、そんなもの神の手練手管、術中、不即不離の妄想だったんだろうって、そんな風にも思えた。考えたんだ、まだするべきことがあるんじゃないかって、これは義務なんだ、聖なる仕事なんだ、愛の灯火であり、それは永遠の火なんだ。普通の感覚じゃこっ恥ずかしいことも、中二病確定なことも、そうとでも考えなければ成立しない時間が、二人に自然とそういう考えを抱かせた。二人は人類に貢献してきた、だって二人は暴力に一切屈さなかったから。これが本当の平和で、これが本当の非暴力だったから。愛する者同士が傍にいる世界、その延長線上にすべての人々の営みがある世界。だから悩んだ、だから傷ついた、世界に今日生まれてきた人はどうなるだろう、世界で明日が続くと思っていた人はどうなるだろう、それが二人の手の行方にかかっている、こんな馬鹿馬鹿しいほどの責任や使命、どんな恋人や夫婦だって見出せるものじゃない。大統領とか総理大臣ごときじゃ無理だよ、どんなスーパースターでも無理だよ。本当にそんなことが起こるのかって考えたよ、そしてそんなことが起こらないことも考えたよ、これが人間というものだろうか、一本の葦たる由縁だろうか。そしてその瞬間が、何度も訪れるんだ。手を離そう、でも、やっぱり出来ない。みんなに悪い。手を離そう、でも、やり残したことがある、そう思いながら、軽く何千年は流れたかも知れない。簡単に終われないんだよ、終わらせるのは簡単でも、始まりから時間が経てば経つほど。でもついにその時が来た、目と目が合って、キスをしながら、名残惜しく思いながら、手が震えながら、泣きながら、笑いながら、いよいよクライマックスだ、もう全米が泣いた展開だ、そうさ、ゆっくりと手を離した、その瞬間に、その瞬間にですよ、すごいことをやりやかったものだ、世界が元通りになった、いままでのことは何だったんだろう、これまでのことをどうしたらいいんだろう、二人は普通の世界の何処にでもいる男女に戻った、世界は確かに終わった、でも、同時に世界は元に戻った。二人は顔を見合わせて、ちょっと待ってちょっと待ってと言ったあと、げらげら笑い合って、もう何度繰り返したかわからない、キスと抱擁をして、「また明日ね」って別れた、その瞬間からさ、それまで離れることができなかった二人にとって、相手を想う時間、疑う時間、心の弱さを見出す時間が始まる。それは奇跡だったのか、あるいは大きな回り道だったのかは分からない、家族だった、兄弟だった、恋人だった、最高の友達だった、気の置けない異性の友人だった、特別だった、心の真ん中だった、でも一抹の不安や淋しさが、もうどれぐらいぶりかも思い出せないほど長い時間を経て、ようやく二人の胸の中に戻った。二人はやっぱり次の日も会うんだろう、一日一日、もう一度、きちんと生を終わらせるための準備を始めるんだ、死ぬためにきちんと日々を全うする仕事をするんだ、そして今度は逆のことを言って、手をつなごうかと言って、げらげら笑っている。愛しているではそれは足りないだろう、憎んでいるといっても過言ではないだろう、どうして一つの肉体ではなかったんだろう、どうして一つの心ではなかったんだろう、そんなことを、今更のように思い出した二人がいる。世界はありえないほど馬鹿馬鹿しくて、二人はきっと、世界の中心になんて戻らなかっただろうと思う。愛は寓話じゃなくて、得難い人生の経験だ。何の意味もなくなるほど傍にいて、そして何の意味を見出せないほど傍にいて、皺くちゃになって、色んなことが崩れて溶けだして、最後に水のように、相手の心を映す鏡であれたら、世界はきっと美しい。
2026年08月23日

、、、、、、、夜が待っていた。―――ただの闇じゃない。粘りつくような、湿った黒。まるで呼吸をしているかのように、ゆっくりと膨らみ、収縮する、生きた夜の膜。・・・・・・顔の崩れた女が見える。視界の端に、歪みが生じる。焦点を結ぼうとしても、像が溶け出す。油彩画の具が雨に打たれたように、輪郭が滲み、色が混じり合う。そこに―――顔の崩れた女が見える。右目の窪みが左頬まで引き伸ばされ、鼻の骨は砕けて口元と融合し、唇は左右非対称に裂け、歯茎が赤黒く露わになっている。皮膚は所々で剥がれ落ち、その下から、筋肉の繊維が湿った光を放ちながら蠢き、その筋肉の繊維は、まるで無数のミミズが絡み合っているかのように、不規則に、しかし、確かな意志を持って、蠕動運動を繰り返している。剥がれ落ちた皮膚の断面からは、薄い黄色を帯びた組織液が、ゆっくりと、滲み出している。残された左目の黒曜石のような瞳孔が、こちらをじっと、吸い込むように見つめている。長い黒髪。一本一本が、まるで独立した生物のように、ゆっくりと揺れ、うねる。印象的なネグリジェ。裾は床を這うように長く、その先端が、まるで生き物のように、微かに脈打っている。濡れた布が引きずられるような、ねっとりとした音が、部屋に響く。そう、判定した。―――この『判定』という行為が、自分を現実に繋ぎ止めている。目の前の光景が、あまりにも非現実的で、認識が崩壊しそうになるのを、必死に、言葉で、意味で、理性で、固定しようとしているのだ。片足を引き摺り気味に、歩いてくる。その足取りは、まるで時空そのものが歪んでいるかのように、不自然に遅い。歩くたびに、骨と骨が擦れるような、ゴリッという、鈍い音が、部屋の静寂に、不気味に響く。バンッ‼「っ!?」振り返ると、扉が閉まった。身体がうまく動かない。―――いや、動かせない。筋肉が、脳からの指令を、拒否している。密室だ。窓の向こうは黒色だ。夜だ。いつもの部屋、普段ならテレビを観ている時間。だが、部屋の明かりは点いたり消したりを、繰り返す。テレビからは、ザーッというノイズ音だけが、間断なく、流れ続けている。画面には、無数の白い砂嵐が、激しく、舞い踊っている。その砂嵐のパターンが、一瞬、人の顔の形に見えたり、また、別の瞬間には、何かの文字のように見えたりする。少しも要領を得ない。皆目見当がつかない。逡巡する。『飛べ!』頭の中で声が聞こえる。―――それは、自分の声ではない、筋肉が硬直し、呼吸が浅くなる。「嫌だ、糞―――どうして・・・・・・」声が出ない。咽喉の奥に、何か粘土のようなものが詰まっている感覚。唾液が、鉄錆の味を帯びている。“ねえ、知ってる、あのトンネルでは、絶対に振り返っちゃいけないのよ”“振り返ったら―――●●さんが、現れるのよ”“●●さんは、昔、酷い目にあって男性が大嫌いなの・・・!”ケンジが、スマホのライトを振りながら、笑いながら言った言葉。―――いや、笑っていなかった。いや、今、思い返せば、あの時、ケンジの目は、恐怖に、バキバキに見開かれていた。キョウコが、不安そうに、髪をかき上げながら、小声で囁いた警告。彼女の指先は微細な震えを伴い、毛髪を掻き上げる動作が繰り返された。キョウコの声は、震えていた。それは、単なる怖がりの震えではない。何かを、知っている者の、確信に基づく、震えだ。彼女は、あの時、何かを見ていたのだ。―――トンネルの、奥で。「ハァハァ・・・・・・」肩に、鋭利な硝子の破片が食い込んで、ぷるぷると震えてくる。赤黒い。血がじっとりと滲んでいる。まともじゃない。全身に冷水をあびせられたような気がして立ち竦んだ。悪かった悪かった、悪かった、悪かった、千べん言っても追っつかないような気がした。(―――県道の、川沿いのトンネル・・・)記憶が、断片的に、再生される。トンネルの天井から、黒い液体が、ぽたぽた、と滴り落ちていた。トンネルの壁には、毒々しい極彩色の無数の落書き。『出られない』『助けて』『ママ』『痛い』『死にたくない』その落書きは、スプレーで書かれたものもあれば、鋭利なもので、壁に、直接、彫り込まれたものもある。彫り込まれた文字の溝からは、乾燥した、暗赤色の、何かが、こびりついている。それは、おそらく、―――血だ。ドクン、ドクン、ドクン。窓ガラスに、自分の息が、白く、曇る。だが、その曇りが、一瞬、人間の顔の形に、浮かび上がる。それは、自分の顔ではない。もっと老け、もっと疲れ、もっと、絶望に満ちた顔。窓の向こうは、十三階。『死ね!』頭の中で声が聞こえる。その声は、先ほどの飛べという声とは、異なる。―――もっと、若い。もっと、感情が、剥き出しになっている。―――もしかすると、これは、自分自身の声なのかもしれない。―――自分の中の、死にたいという衝動が、声となって、頭の中に、響いているのだ。、、、、、、、、、、、一体何をしたと言うんだ。「肝試しをした―――ハァハァ、それで、振り返った・・・それで、それが・・・・・・、何だって言うんだ・・・・・・!」―――声に出せば、現実に定着するような気がした。言葉は、呪いとなり、契約となる。口から出た言葉が、空気中を漂い、黒い糸となって、自分の手足に巻き付いていく。パリン‼窓が割れた。窓が、口を開いた。窓枠が、人間の顎骨のように、上下に開き、無数の鋭い歯を、むき出しにしたように見えた。ドンッ‼一歩、一歩、窓へと追い込まれる。その時、気付いた。壁から、床から、天井から、白い腕が次々と伸びてくることに。その動きは、まるで水中の藻のように、滑らかで、不気味だ。その腕は、こちらを、掴もうとは、しない。ただ、触れようと、している。その、触れるという行為が、何を意味するのか、考える前に、本能的に、理解していた。―――触れられたら、終わりだ、と。壁紙の模様が、一瞬、人間の顔の形に、浮かび上がる。その顔たちは、すべて、同じ表情をしている。目を大きく見開き、口を縦に裂き、歯をむき出して、笑っている。『痛くないよ』壁から声がする。ニタニタと笑っているような声。『おいでおいで』嫌だ。『痛くないよ』止めろ、悪い夢だ。こんなの、あるわけない。『おいでおいで』景色にヒビが入っていく。視界全体に、細かい亀裂が、走っていく。まるで、古いテレビの画面が、故障したように。その亀裂の隙間から、向こう側が、覗き見える。―――部屋にはいつのまにか、トンネルの臭いがした。アスファルトの焦げた臭い。錆びた鉄の腐った水の混ざったような、饐えた臭い。そして、最も強い、人間の、内臓の匂い。その混合臭が、鼻腔の奥深くまで、染み込んでいく。胃が、きゅるりと、音を立てて収縮する。唾液が、過剰に分泌され、咽喉の奥に、酸っぱい液体が溜まる。夢でも見ているのか、ケンジとキョウコがいた。暇だから、肝試しでもしようぜって誘われた。六人のうちの二人。―――残りの四人は、どこだ?記憶を辿ろうとしても、像がぼやける。いや、違う、三人だ。それだと、七人になってしまう。いや、違う、七人いたのだ!名前も、顔も、声も、すべてが、霧の中に溶け込んでいる。ただ、一人、どうしても思い出せないが、一緒についてきていた。“イタイイタイタイタイ・・・・・・、ああ、こっち来いよ”『痛くないよぉ”お”ぉ”お”』嘘だ。十三階だぞ、窓から航空灯が見える。まだ、二十歳だぞ。“イタイイタイタイタイ・・・・・・、ああ、こっち来いよ”『おいでえ”ぇ”え”ぇ”おいでえ”ぇ”え”ぇ”』―――声のピッチが、次第に、上がっていく。鼓膜が、きーン、と、高い音に鳴る。平衡感覚が、狂い始める。視界が、ぐるぐると、回転する。床が、波打つように、上下に揺れる。●●さんから何かが滴っている、水なのか、それとも血なのか、やけに耳に残る。ぽたぽた、と何かが滴り落ちている。ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。血圧が、急激に上昇する。耳の奥で、血管が、ぷつり、ぷつりと、切れる音がする。「っ!」それが、それが、それが・・・・・・。―――不意に、視界の中央に、何かが、浮かび上がる。それは、写真だ。古びた、セピア色の、一枚の写真。写っているのは、若い女性。長い黒髪。白いドレス。だが、顔が、ない。顔の部分が、綺麗に、くりぬかれている。(走馬灯だろうか、ファミレスで食事をし、メニューはドリンクバー付きのセットで、自分はハンバーグを注文した。テーブルにはケチャップの染みが付いていた。下らないことを駄弁った、誰かが言った、そして車に乗り込んで、県境のあの真っ暗なトンネルへ)(嫌な感じがした、でもそれを言わなかった、気持ち悪かった、空に風があるのか、星の光も見えないほど、あわただしく雲が流れていた)(何故か、はっきり頭に残っている、トンネルで誤って、花を踏んだ・・・・・・)(何やってんだよって言いながら、まあ、いいかどうせこんな汚い花って誰かが言った・・・・・・)その時、トンネル全体が、一瞬、軋むような、音を立てた。それは、まるで、巨大な生物が、目覚めたような、音。ハッ、と気付く。―――目の前に、●●さんがいた。ドクンドクン、と胸が脈打つ。胸を押され、救急車のサイレンが聞こえ、逆様の引っ繰り返った世界で、束の間の落ちる夢。足が浮いて、その生活が空転する。重力のベクトルが、逆転する。内臓が、喉の奥まで、押し上げられるような感覚。耳の奥で、平衡感覚を司る三半規管が、狂ったように、信号を送出する。落ちているのではなく、昇っているのか?《―――ぐりん、ぎゅるるる》再生される、音。だが、その音源は、どこにもない。音は、空間そのものから、直接、響いてくる。その音と共に、視界の映像が、逆再生される。割れた窓が、元に戻る。伸びた腕が、壁の中に、吸い込まれる。滴る黒い液体が、天井へと、逆流する。そして、女の顔が、さらに、崩れていく。右目が、左目に融合し、鼻が、口に飲み込まれ、口が、首まで、縦に裂ける。ハッと、ベッドから飛び起きて目を覚ます、夢か―――夢だったのか・・・・・・。だが、肩が痛い。嘘だ、血が―――血が出ている。死ぬまで決して忘れることが、出来ないだろうと思われる、耳元で、あの声が、する。誰かが傍にいた。振り返ると、誰もいない。しかし、枕のへこみが、もう一つ、自分の頭の形とは異なる凹みを残している。長い黒髪。その髪の毛の一本が、枕の上に落ちている。手に取ると、それは人間のものではなく、合成繊維のような質感と、かすかな腐敗臭を帯びている。印象的なネグリジェ。クローゼットのドアの隙間から、黄変した布地の端が、わずかに覗いている。それは、夢の中で見たものと、寸分違わぬ同じものだ。そう、判定した。『簡単に、死ねると思うなよ』
2026年08月23日

歳を重ねることはまたひとつ大人になることだ、カレンダーを苦虫をかみつぶすどころか、毒虫をかみつぶしたみたいに胃の調子がおかしくなる。そうだね、そうだね、パーリーピーポーのノリから離れて、さ。学生時代の友達ごっこのノリも、両親が誕生日ケーキを買ってきたノリも、正直ついていけない。気持ち悪くてさ。死ねばいいのにって言う。いやもうなんだったら、死にたい。大きな瞳に映るものが、どうか優しい記憶に続いてゆくようにとかオエッ、うわー、吐き気したわっていうか吐いたわ、オエッ、何言ってくれちゃってんの、真顔で。Stevie WonderやThe Beatlesも好きだけど、聴きたくはないね。洗脳ソングといっても過言ではないね。僕だって年を取るけど、いつでも一人で取り残されているみたいさ。僕はUFOが現れるなんていうことを文章以外では、ほとんど絶対に考えない、明確に分けている人間だけど、そんな僕でもUFO来てくれないかなって、チラって思う。この超弩級の破壊力さ。僕は部屋に鍵を掛けてさ、誰とも会いたくないし、メールもしたくない。凍ったフランスパンと、死んだ目したマグロだってその日なら間違えると思う、そういう日さ、誕生日ってのはね。いや、擬人化するわけじゃないけど、誕生日の奴が視界に入るから、僕は無表情になるんじゃないか。Happy birthday to youって言おうとしてるから、つい石を投げてしまう。誕生日の奴が、困った顔するから、僕はますます落ち込むんじゃないか。Happy birthday to youって言おうとしてるから、つい金属バットを構えてしまう。もしかしたら、サンタクロースみたいな恰好してるのかも知れない、馬鹿な奴だよ、誕生日って奴はさ。トナカイがいないのに、煙突もないのに、何がしたいんだか分からない。死体蹴りか?ハッピーエンドで終わるようにって、ディズニーランドのミッキーカチューシャ状態か。誕生日は自分のことだけじゃなくて親や友達、周囲の人のことを優しく考える日なんだって、その上から目線な発想が既に嫌い。ありがとうって言わせて、生まれてきてくれてありがとうって言うから、首がゴキって鳴るまで殴ってみたい、ゴキブリの鳴き声として非常に正しい。滅殺呪文、排斥、駆逐は必須項目だ。誕生日の朝は、いつも部屋の空気が少しだけ濁る。祝福の光が窓の隙間から忍び込んで、まだ名乗ってもいない今日という日を勝手に照らし始める。僕は布団の中で、影の側に身体を寄せる。「おめでとう」という言葉が、まだ誰にも発されていないのに、もう部屋のどこかで待機している気がして、それだけで少し息が詰まる。ねえ、手を握らせて、ああ僕はどうして握力百にして、林檎潰せるほどにしておかなかったんだろう。今日一番の笑顔を掴まえた写真、そんなアルバムばかり出来上がっているけど、そんなことは実際本当にどうでもよくて、広辞苑を改造してるアルバムだから後頭部ガツンにとっては、破壊兵器だっていうこと。撲殺天使経典コージエン、後頭部をガツンする聖なるアイテム。声を聞かせて、椅子に紐でぐるぐるに縛って、ピッチャーマシンで何球ほど耐えられるか、命乞いをするのか知りたい。愛が言葉を選ばせて少しだけ前が見づらいよ、嘲笑が止まらないんだ。土下座したい? 駄目だよ、ゆっくりと反省して。死ぬ?死なないよ、ちょっと赤い血糊が出て来るだけ。誕生日は泥棒だから、鍵をかけても、窓を閉めても、遠慮会釈なく勝手に入って来る。不法侵入だが、捕まえられない。そしてそのまま、喜び面とかいうマスクを、かぶせてインスタグラム脳にしようとする。改造手術だ。だからなのさ、弱いものをいたぶる誘拐犯みたいな、こういう気持ちになってしまうのは。もう何年も僕の中の神聖なる一日らしい、神ほどにどうでもいい一日は、時間が止まったままだ。口先のおめでとうを言われた瞬間に、顔面変形するほど殴りたくなるのはこの日だけだ。ドラえもんのひらがなだけど漢字にするとこれ、地球破壊爆弾を取り出したくなる気持ち。核ミサイルで世界をたった一瞬のうちに、滅亡へと導くスイッチが僕の目の前にないことを、君は喜ぶべきかも知れない。沢山の人に押された背中に、お返しをどうしようか考えている。おお、なんて素敵なんだ、僕は誕生日は、酒もご馳走もケーキもプレゼントもいらない。それは相変わらず無駄に広い部屋に忍び寄ってくる、淋しさと過ごすことだ。イマジナリーフレンドが見えてきたんだよねって、頭の中を切り開いてみせた気分だ。全宇宙を征服しようとする魔王が遣わした悪魔なのさ。そして僕は誕生日とかいうドッペルゲンガーを、ようやくブチ殺し終えて晴れ晴れと次の日の朝を迎える、拷問の四十八手、虐殺の七十二系、蛇にむかでに内臓を食わせたり、指の関節を一つずつ丁寧に折っていったり、口にするだに恐ろしいことをし終えて、最後に社会の窓を開けてじょぼじょぼとかけ終えたら、アンチ・バースデー・リチュアルの精髄にして珠玉、あるいは昇華にして精華。さあ幸せの歌を歌おう。心躍るような血塗られた部屋で。けれど、僕はようやく気付く、パトカーの回転灯がまわり、サイレンが鳴るみたいに、警察署の指名手配犯の顔写真みたいに、それがいつのまにか見知らぬ誰かであることに。賽は投げられたのだ。僕は暴力の経典みたいにチェンソーや改造銃を持ちながら、何百人殺せるかのゲームを始めようと思っている。悪を滅ぼすのだ。おめでとう、おめでとう、誕生日おめでとう、ふっと耳を澄ますと、後ろに引っ張られるような声が聞こえる、そこには『てんぷれ~と』と書かれた札持った、鼻糞ほじる天使がいて、そこには『じんせいやりなおしきかい』となめくさった感じで、どうする、戻る、続ける、胸に手をあててもう一度考えて。天使はどっちでもいいんだけど、と投げやりで、窓の向こうで優しそうな悪魔が心配そうに見ている。この、悪夢はまだ続いてる。
2026年08月23日

ルトムート湖、それは、視界の果てまで広がる青灰色の水面が、水平線を曖昧に溶かしながら何処までも続き、湖というよりはむしろ内海を思わせるほどの広大さを誇っていた。東西に百五十キロメートル、南北に八十キロメートルというその規模は、古代の地殻変動によって形成された構造湖であり、湖底には沈没した旧王国の遺跡が幾つも眠っていると伝えられる。湖底の地形は複雑で、水深は最大で二百メートルに達し、ところどころに水中洞窟や断崖が存在する。湖水は、ミネラルを豊富に含み、透明度は高く、深い青色を呈する。特に、湖の中央部では、水の色がコバルトブルーに近づき、太陽光が射し込むと、水中深くまで光が届く。艶やかな鱗を煌めかせる銀鱈や、夜光虫のように発光する深水魚が棲み、漁船の網には時に古代の青銅器や、旧王国の祭祀用の刀剣、あるいは神官の装身具がかかるという。漁師たちは、こうした出土品を『湖の贈り物』と呼び、神聖なものとして扱う。交易船は帆を膨らませて縦横に行き交い、湖岸には石造りの埠頭がいくつも張り出し、それぞれの港町が異なる国旗を掲げて賑わっていた。湖面を渡る風は、時として突発的なスコールを運び、船乗りたちは空の色と波のうねりで、数時間先の天候を読み取る。フィローラは、その南岸の港町ルテティアに到着し、湖面を見下ろす崖の上の宿屋『白鳥亭』 に泊まった。宿屋は、白い石灰岩で建てられた三階建ての建物で、屋根は赤い瓦で葺かれ、窓には青い木枠が施されていた。部屋の窓からは、夕陽に染まる湖と、遠くに霞む対岸の山並みが一望できた。夕焼けは、湖面に無数の金箔を散らしたように輝き、その光は波の動きとともに絶え間なく明滅する。湖のほとりには、円柱の並ぶ大きな神殿が二つ、一つは太陽神アポリオン、もう一つは航海の守護神ネプトゥムスに捧げられたものと、小さな祠や礼拝堂が点在している。アポリオンの神殿は東向きに建てられ、朝日を受けて白亜の柱が黄金に輝くように設計されている。一方、ネプトゥムスの神殿は湖に面し、その基礎部分は満潮時に水に浸かるようになっている。しかしフィローラは、あえて神殿には宿を取らず、世俗の宿を選んだ。祈祷は朝の森の中で独り行うほうが、己の内省に適うと知っていたからだ。彼は本来ならば船に乗って湖を横断し、北西の対岸へ渡るつもりでいた。実際、ルテティアの埠頭には定期船が二便あり、片道六時間の航路が用意されている。だが、宿の主人である恰幅の良い元船長の老人に聞けば、湖の西岸を迂回して北西へ向かう乗合馬車に、ちょうど空席があるという。「船で渡れば、対岸の港から先の足がまるで当てにならん。あの辺りは馬車の便が一日一便で、しかも不定休だ」と、宿の主人は地図を広げて指し示しながら忠告した。地図は手描きで、湖の水深や、陸路の道状態、さらには狼の出没注意や盗賊の巣窟といった実用的な警告までが、達筆な文字で記されている。フィローラは荷物の重さと旅の日程を天秤にかけ、馬車での陸路を選んだ。乗合馬車が湖岸に沿って走るあいだ、窓の外には絶え間なく変化する風景が広がる。左手には湖の青、右手には麦畑や葡萄園、時折り現れる荒廃した古城の遺構。フィローラは、その一枚一枚を細密画のように脳裏に焼き付けながら、 てんめん渋く唇をひき結んで纒綿たる想いを見せ、飽きることなく眺め続けた。彼の目は、風景の美しさに心を動かされ、時折、旅の目的を忘れそうになる。そのとき柄にもなく、旅愁に似たセンチメンタルな気持でいたのかも知れない。それは、彼が長年、教団本部の記録課で古文書と向き合い、活字と紙の匂いの中で生きてきた反動かもしれない。やむを得ない。長くせきとめてゐた水が溢れたのだから。目の前に広がる、移りゆく自然の色彩と、そこに息づく人々の営みは、彼にとって新鮮な驚きの連続だった。乗合馬車がルトムート湖のほとりを離れ、内陸の丘陵地帯へと足を踏み入れると、、、、がらり、とした。馬車は、湖岸の平坦な道から、内陸の起伏の多い道へと入る。道は、石畳から土の道へと変わり、馬車の揺れが大きくなる。それまで陽光を燦燦と浴びていた空は、まるで幕が下りるようにして光を失い始めた。網の中の魚が外光にひきだされた途端に、落ち着かなくなるようなもの。前方には、鉛色の雲が低く、重く、まるで天井のように垂れ込めている。その雲の下縁は不気味に波打ち、ところどころで黒い筋が雨のように垂れていたが、実際には一滴の雨も落ちてこない。フィローラは若い頃に北の氷海沿岸や、さらにその先の永久凍土の国を旅した経験があるが、あの極北の地でさえ、これほど陰鬱で圧迫感のある薄暗さは覚えがなかった。それは気象現象というより、この地方の地質、地下に大量の磁鉄鉱層が存在し、それが大気のイオン平衡を乱しているという説に、由来するものかもしれない、と彼は外套の襟を立てながら思案した。それにしても、空が異常に低い。整理のつかない不安な混乱。まるで自分の背丈の数倍上に、灰色の蓋が被せられているかのようだ。空は、低く垂れ込め、世界が狭隘な路地のように矮小なものに感じられる。馬車が曲がりくねった緩やかな坂道を登ったり下ったりするたびに、耳の奥の気圧が変わり、高度が上がっていることは分かる。錯綜した状況に翻弄されて右往左往したまま、一瞬、審判を仰ぐ罪人のような気分になる。 たてがみ水流を模した波状の意匠たる獅子の鬣を想起する。見晴らしは一向に開けず、むしろ周囲の雑木林が次第に深く、暗くなっていく。道端の石垣には黒ずんだ苔がびっしりと生え、木々の枝はねじれ曲がり、まるで互いに背を向け合っているかのように異様な間隔で立っている。鳥の囀りはなく、代わりに遠くから鴉のような何かの鳴き声が時折聞こえるだけだ。そのまま惰性のうちに伽藍洞な穴でも開いたような、一抹の不安のような空虚さが残った。乗合馬車は、午後の遅い時刻に、コルマノンの町に着いた。石壁で囲まれた古い町で、門の上には年代物の紋章が風化して読めなくなっている。紋章は、獅子と剣を組み合わせたデザインだったが、長年の風雨で、その細部は摩耗し、もはや何を示しているのか判別しがたい。しかし、その重厚な石造りからは、かつてこの町が重要な軍事拠点であったことが伺える。人類の無智と頑陋の痕跡だ。歴史は繰り返す、領土を奪い合う。だがそれを口に出せば似非平和主義者、似非非暴力主義者の、高見の見物になる。乗合馬車はここで折り返し、翌朝にはルテティアへ戻るが、フィローラの目的地はさらに北西、迷宮都市ヤンクイユである。彼は馬車から降り立ち、堅い石畳の上で一度大きく伸びをした。空気は冷たく、どこか硫黄にも似た鉱物臭が混じっている。この日の夜は、コルマノンの町の中心広場に面した宿『獅子の盾』 に泊まった。部屋は狭く、ベッドのスプリングは軋み、窓は曇っていたが、暖炉にはよく燃える樫の薪が用意され、壁には若い芸術家の油絵作品が展示されていた。部屋の壁は、石造りで、暖炉は、石で築かれ、薪が燃える音が聞こえる。油絵作品は、地元の風景や、神話の場面を描いたもので、額縁は木製だ。額縁は、地元の樫や胡桃の木で作られ、手作りの彫刻が施されている。その彫刻は、植物の蔓や、小さな動物の姿を模しており、職人の遊び心が感じられる。夕食は、ルトムート湖で獲れたという大型の白身魚を、ハーブと白ワインで煮込んだ料理だった。魚は、湖の深部に生息する『ルートフィッシュ』と呼ばれ、身は白く、繊維質で、煮込むと柔らかくなる。付け合わせの炒めた野生キノコと、黒パンのスライスも悪くなかった。魚の身はふっくらとしていたが、前夜にルテティアの宿で食べた、同じ湖の魚のグリル、あれはオリーブオイルとレモン汁で、シンプルに味付けされ、皮はパリッと、身はほろりとほどけた、それには、 どうしても及ばなかった。ルテティアの料理人は、魚の鮮度を見極め、最も美味しい状態で調理する技術を持っていた。一方、コルマノンの料理人は、素材の持ち味を引き出すというより、調味料で味を整える傾向があるようだ。しかし、その差は、魚の鮮度ではなく、料理人の腕前と、そして何より湖岸の潮風が食欲をそそるという、場所の魔力によるものだろう。風光明媚なルトムート湖とその周辺の明るい田園風景と比べれば、コルマノンの町は確かに陰気だった。家々の壁は黒ずみ、通りには犬も子供もまばらで、夕暮れとともに街灯の明かりは頼りなく揺れ、遠くで発情期の犬のような深酒の徒の、呂律の回らない歌が聞こえた。翌朝、フィローラは夜明け前に目を覚ました。窓の外はまだ藍色の闇に包まれていたが、彼は簡素な朝の湯浴みで体を清め、貫頭衣を整え、革のベルトを締め直した。宿を出て、すぐ裏手の森へと足を踏み入れ、朝の祈祷を捧げた。森の空気は、町のそれとは異なり、清冽で、木の香りがする。足元の苔は、夜の間に湿気を吸い、ひんやりとしている。霊気が浸潤して、潜在意識に闖入していくのを感じる。ただし、その祈祷はゆっくりとしたものにはならなかった。乗り継ぎの馬車の出発時刻が、日の出から間もなくの早い時間に設定されていたからだ。彼は簡略化された三節の祝祷を唱え、木々の間に差し込むかすかな曙光に向かって手を伸ばし、すぐに宿へと戻った。コルマノンを出発し、新しい乗合馬車が北西へと進むほどに、空は一層陰鬱さを深めていく。それでも、車内は驚くほど賑やかだった。この馬車は八人乗りの箱型で、内部は薄汚れた緑色のビロード張り。窓は小さく、曇って外はよく見えないが。八人の乗客のうち、フィローラと、コルマノン出身の羊毛商人は余所者だ。彼は分厚い帳簿を抱え、常に何かを書き込んでいる。それ以外の六人が、すべて目的地ヤンクイユの住人であった。彼等は幼い頃からの顔見知りで、互いにあだ名で呼び合い、地元の噂や結婚話、収穫の見通しなどで盛り上がっていた。その密度の濃い生活とぴったり噛み合う歯車が頭脳の中にあって、商人とフィローラは、その輪の中に半ば強引に引き込まれ、素性や旅の目的を根掘り葉掘り尋ねられた。身分や経歴についてあまり知られたくなかったフィローラは、自分のことを語る代わりに、旅での見聞、南の砂漠都市で見た蜃気楼の市場、東の山岳民族の独特な葬儀の風習、古い修道院に保管されていた偽物の聖遺物の話を巧みに紡いで聞かせた。彼の語る話は、すべて実体験に基づいているが、誇張と脚色を加えることで、より魅力的な物語に仕上げている。特に、蜃気楼の市場の話は、乗客たちの想像力を大いに刺激した。ごく限られた地域しか知らない乗客たちは、目を輝かせて聞き入り、時折「そんな馬鹿な!」と叫んだり、「へええ」と感嘆の息をもらしたりした。 歓待のなかで青い花が満開となったような気がする。フィローラのほうでも、彼等の話から目的地ヤンクイユの町の実情、どこに良い井戸があるか、どの宿が衛生的か、町長は吝嗇だが迷宮の管理はしっかりしている、などを丹念に拾い集めることができた。彼等の話は、公式のガイドブックには載っていない、生活の知恵に満ちている。特に、井戸の水質や、宿の清潔さについては、旅行者にとって重要な情報だ。地元住民しか知りえない情報は見知らぬ人にとってみれば、箴言に等しい。気軽な冗談とか、洒落とか、野鄙な文句とか、頓珍漢な理窟とか、嘘や出鱈目を含むとしても。御者もまた、 四十年来この街道を走っているという恰幅の良い男で、 休憩時間に、ヤンクイユの町の有力者たちの秘めた関係や、 迷宮から昨年出土したという奇妙な青銅器の噂、 町外れの神殿の神官が実は異端の書物を隠し持っているという裏話など、 興味深い情報を次々と披露してくれた。御者の話は、噂と事実が混ざり合っているが、その核心には、この地方の深層に潜む、何か大きな秘密が隠されているような予感がある。 フィローラはそれらを記憶の引き出しに丁寧に仕分けしながら、黙って肯いていた。町に着く直前、馬車は刈り取りの終わった広大な麦畑の中を走った。 切り株だけが無数に突き立ち、その間を黒い鴉が跳ねている。麦畑は、一面、黄金色から茶褐色へと変わり、収穫の終わりを告げている。切り株は、整然と並んでいるが、その間を跳ねる鴉の姿が、どこか不気味なコントラストを生み出している。それは甲高いすすり泣きのような喘ぎに始まり、姿勢はより煽情的なものへと変化する芝居の一幕を思い出す。その芝居は、悲劇のヒロインが愛する男を失い、泣き崩れる場面なのだが、どうしてどうして、女優の演技が官能的すぎて目に毒だったことが印象に強く残っている。フィローラは、その演技に、人間の感情の複雑さと、芸術の恐ろしさを感じた。遠くには風車の廃墟が、片方の羽根だけをかすかに回していた。 土は赤みを帯び、石灰質の混じった白い石が点在している。迷宮都市ヤンクイユの停車場、それは町の南門に隣接した、石畳の広場の一角だ。そこに乗合馬車が軋みながら停車した。御者が重い鉄製の扉を外側から開けると、冷たい風とともに、乗客たちがぞろぞろと降り始めた。フィローラは一番最後に降りた。大柄でがっしりとした体躯、身長は百九十センチメートル近くあり、肩幅は広く、指の関節は太いフィローラは、狭い座席に折りたたむようにして長時間過ごしたため、 立ち上がった瞬間、背骨が心地よい音を立てた。 関節のこわばりが解れるような、小気味よい破裂音だ。それは、長時間の拘束から解放された、身体の喜びの叫びのようにも聞こえる。開放感が、まるで水底から浮上したかのように胸に広がる。海の香りを含んだ風、ここは海から遠く離れているのに、なぜか潮の匂いがする。それが、切り詰めた少し癖のある黒髪を揺らし、 旅の埃と汗で火照った額を冷ます。 乗客たちが次々に話しかけてくる。「修道士さん。いろいろと面白いお話をありがとうよ。あの蜃気楼の話は、孫に聞かせてやるわ」「ほんに物知りな修道士さんじゃなあ。若いのに大したもんじゃ。神様のお恵みがありますように」フィローラは柔らかい笑みを浮かべ、片手を胸に当てて丁寧に挨拶を返した。彼は実際には神官としての位階、第三階位の『祝祷司祭』を持ち、教団本部の記録課で古文書の校正を職務としている。だが、身にまとう飾り気のない黒い貫頭衣は、修道士のそれとまったく同じであり、彼はあえて区別を主張しなかった。また、彼の実年齢は四十七歳だが、額に浅い皺がある以外は、顔立ちは二十代後半の青年と見紛うほど。これは彼が若い頃に受けた、ある秘跡の副次的作用によるものだ。だから、若いと言われるのも、むしろ好都合だった。乗客たちは、短い別れの挨拶を交わすと、それぞれの家族や荷車の待つ方へと散っていき、 フィローラと馬車と御者だけが、次第に沈む夕闇の静寂の中に残された。御者は馬を落ち着かせながら、荷台の荷物を一つ一つ確認し、配達帳に印を付けている。その手際は老練で、無駄な動きがなかった。フィローラはゆっくりと首を巡らせて、町並みを一望した。石造りの家々は二階建てが多く、壁には蔦が絡み、屋根は黒いスレートで葺かれている。通りにはまだ夕陽の残光が薄っすらと射しているが、建物の影は既に濃く、藍色の闇が街路を這っていた。夕陽の光は、建物の角を黄金に染め、その影を長く伸ばす。その光と影の境界線が、刻一刻と移動し、町の表情を変えていく草深い田舎の町だが、意外に規模が大きい。人口はおそらく二千から三千。中心部には、かつての領主の館だったと思しき、尖塔とアーチを持つ石造りの壮麗な建物があり、今は町役場として使われている。建物の正面には、大きな時計が取り付けられ、正確な時を町民に告げている。その時計は、この町の技術力と、時間への厳格な態度を象徴している。この町は、迷宮都市であるばかりでなく、かつては東西南北を結ぶ街道の交差点として栄えた歴史を持ち、その名残が街路の幅や、古い宿屋の看板に刻まれている。町外れの、南西の小高い丘の上に、神殿の尖塔がはっきりと見える。周囲の家々よりも一段高く、その輪郭は薄暮の空に黒いシルエットとして浮かび上がっている。神殿が町の中心になく、むしろ外れにあるということは、この町の成立が異教の時代に遡り、宗教化される以前から、その丘が聖地であったことを示していた。薄暮の時刻で、山の景色に溶け込んで細部はよく見えないが、神殿の屋根の上に立つ魔除けの像は、 間違いなく守護聖獣ジュリニーだろう。獅子の体に蛇の尾を持ち、背中には一対の鳥の翼を備えた、古い神話の獣だ。その像は風雨に晒されて緑青が浮いているが、それでも力強い姿勢を保っている。多分あそこに祭られているのは、現代の正統派教会ではほとんど見かけなくなった、 地母神と冥界神が融合したような古い神格だ。心の迷い、実証の困難、僻見の跋扈。おくりな諡だ。懐古的に去来する血塗られた黒い騎士の心。もしかすると、あの神殿であれば と、フィローラの胸に淡い期待が湧いた。 宗教心は飽くまで強いのであるが、しかし在来の神学的ドグマは、到底彼の鋭利直截なる研究的良心を充たすに足りなくなった。彼が求めるのは、ある失われた写本の断片。歴史上に葬り去られた神々の真実。それについての手がかりが、この地方の古い神殿にあるかもしれないのだ。写本は、古代語で記され、その内容は、世界の創造と、神々の戦争、そして人類の起源について触れているという。フィローラは、その写本を手にすることで、自分の使命を全うできると信じている。そのとき、遠くから蹄が石畳を打つ規則正しい音と、車輪の軋むごとごとという響きが聞こえたので、彼は見送ろうかと思って振り返った。 乗合馬車が次第に速度を上げながら、夕闇の街路へと消えていく。その車体は暗がりの中で異様に長く伸びて見え、窓の明かりは揺らぎながら、まるで鬼火のように不気味に瞬いている。 冥府の入り口かもしれない道を黙って進むときの、あるいは薄闇に向かって開いている扉のような象徴的なワンシーン。そのありさまがあまりにおどろおどろしいので、フィローラは口を開きかけたが、言葉を失った。あの馬車は、まるで闇に呑まれていく。古いお伽噺話に、悪事を犯した男たちが馬車に乗って異国に逃げようとしたら、その馬車は奇妙なことに何度曲がっても同じ街角に現れ、ついには生きながらにして、死者の国へと運ばれてしまったという話がある。そんな緞帳芝居を見たことがある。あの乗合馬車は、まさにその御伽話の一場面のように、現実の輪郭を失いつつある。幽明交通に関する知識が掌裏に握らされていく。それは悪霊とか、悪魔の仕業という教会諸氏は言う。運命の波に逆らうというのが可視化されるとするならば、こういうことを言うのだろうか。いや。違う。違うのだ。動いているのは馬車ではない。自分だ。自分のほうが、この異界、常闇と現世の境目に置き去りにされたのだ。あの馬車は陽の光の世界へ帰っていったが、自分はここに残された。到底、清純無垢の境地に安住し得ない魔窟のような現世のただ中に。果たして、再び陽光あふれる世界へ戻れるのだろうか。それともこのまま、常闇の底で朽ち果てて、今度こそ、この歪で長すぎる生を、終えることになるのだろうか。思うよりずっと遠くにあるのかもしれない、雨の流れ着く先。求めて手にあまるような難物の指導を引き受け、一歩一歩に向上の進路を切り開かねばならない。その答えは、大神だけがご存じだ。いや、大神でさえ、この旅の行く末をただ見守っているだけかもしれない。神と人間の感覚はけして混ざり合うことのないものだ。きわめて幼稚で神秘的な考え方だ。大疑の下に大悟ありという。天啓そのものに撞着はなく、神は何人にも真理を強いることはない。フィローラは、もう一度ゆっくりと首を巡らせて、これからしばらく過ごすことになる町の佇まいを、灰色の瞳に映していった。 石畳の隙間から生える雑草、閉まった店の向こうの灯り、遠くで吠える犬の声、そして何より、丘の上の神殿が放つ、かすかだが確かな威厳。 まなうら瞼裏に火を点けられたような気がする。彼は大きく息を吸い込み、冷たい空気を肺の底まで満たした。そして、革の荷物袋を背負い直し、神殿があるという南西の方角、その尖塔が夕闇に浮かぶ方へ、一歩一歩を確かめるように歩き始めた。見えない翼で駆け去っていく少年が、バビューン、と効果音を立てて道を横切ってゆく。きわめて快活で剽軽らしいところを見せながら。まずは今夜の宿を乞わねばならない。神殿の古い石段を上がり、その扉を叩くのだ。その前に、もしも宿が断られた場合に備えて、広場の隅にある水飲み場と、その隣の薪小屋の位置も確認しておいた。彼の旅は、常にそういう余裕のなさと、周到さのあいだで組み立てられてきた。
2026年08月23日

彼女はピアノを弾いていた。ホールの残響も、スタジオの吸音壁もない。そこは、湾岸の再開発エリアに聳える、ガラスとカーボンファイバー複合材の高層マンションの、―――最上階、ワンフロア全体を占めるペントハウスだった。床は、イタリア産の白い大理石。表面には微細なマイクロキャビティが彫られ、足音や気圧の変化をセンシングする。壁の一枚一枚は、有機ELとナノプリズムを重ねた、『視界一体型スクリーン』で、現実の海と、気象データから再構築された拡張現実の海が、わずか〇.三秒の遅延と、〇.五度の色温度差を伴って重なっている。そのズレが、かえってこの部屋の現実感を揺るがせていた。このズレは、人間の脳が現実と仮想を区別する際の、認知的不協和を意図的に引き起こすように設計されており、演奏者の集中力を高める効果があった。ピアノは、スタインウェイのカスタムオーダー。艶のある黒を拒否し、マットホワイトのボディに、プラチナとインジウムの合金ラインが蛇行する。鍵盤の裏面には、MEMS加速度センサーと圧電薄膜、温度感知ダイオードが格子状に埋め込まれ、指の接触角、加重移動速度、皮膚インピーダンス、さらには爪の微小な振動スペクトルまで、すべてが生体信号としてサンプリングされる。鍵盤が押し込まれる速度だけではない。指が鍵盤から離れるまでの時間。同じ和音でも、第二指より第三指にどれだけ荷重が偏ったか。ペダルを踏み込む速度。踏み込んだ後に足首がわずかに震えたかどうか。演奏者の手掌温度。発汗による皮膚電気反応。呼吸周期。そして、演奏中に無意識に生じる筋電位。ネクサスは音楽を聴いているのではない。音楽を演奏している人間を、音響データ、生体データ、行動データ、購買履歴、対人関係の履歴へ分解している。そのデータは、量子暗号化されたストリームで、都市地下五〇メートルに埋設された演算機構、―――通称『ネクサス』へ送信される。ネクサスは、単なるデータセンターではない。世界の金融取引の47%、SNSの感情解析エンジン、恋愛適合度アルゴリズム、さらにリアルタイムの為替変動予測モデルを、一つの神経ネットワークに統合した、『感情‐資本ハイブリッド機構』だ。正式名称は、NEXUS Emotional Capital Exchange Architectureしかし正式名称を知る人間はほとんどいない。政府の資料では『分散型金融予測基盤』金融業界では『NEX』広告会社では『情動インフラ』そして一般市民の間では、半ば都市伝説めいた名前。―――ネクサス。その演算ノードは、東京・ニューヨーク・ロンドン・上海の地下を跨ぎ、海底ケーブルと低軌道衛星で接続されている。彼女の指が一つの和音を打鍵するたび、その圧力ベクトルは、ネクサス内の『報酬予測層』に直接入力される。 *その瞬間だった。彼女の左手小指が、変イ長調の第3転回形を押した。その瞬間、あなたのスマホが、ただのバイブレーションではない、チタン振動板を用いた『資本通知音』を鳴らす。【好感度 +1 → 振込:100万円】通知は、ただのポップアップではない。あなたの両眼に装着された、ARコンタクトレンズ(角膜上に直接投影するタイプ)が、視界の右下に半透明のウィンドウを重ねる。『好感度:+1(前回比+0.2)』『資本変換率:100万/ポイント(現在の為替連動レート:1.0002)』『トランザクションID:#GF-00000001』『感情ソース:ピアノ演奏(コード進行:Ⅳ→Ⅴ→Ⅰ)』さらに、その下には、あなたの『総資産推移グラフ』と、『感情投資ポートフォリオのβ値』が、株価チャートのように描画される。「・・・・・・え?」自分でも間の抜けた声だと思った。あなたは、イタリア製のナッパレザーソファに深く腰掛けたまま、半分はゲームのイベントログを確認する軽さで、半分は、実際の銀行口座の残高が書き換わるという、不可逆な現実への戦慄で、スマホの画面を覗き込んだ。残高は、確かに増えていた。桁が一つ、確実に、現実のものとして口座に刻まれている。指先が震えた。自分でも、それが喜びによるものなのか、恐怖によるものなのか分からなかった。銀行アプリを閉じる。もう一度開く。数字は同じだった。スクリーンショットを撮る。再び残高を見る。一〇〇万円。それはゲーム内通貨ではない。コンビニで使えるポイントでも、仮想通貨でも、配信サイトの投げ銭でもない。銀行間決済ネットワークを通じて実際に移動した、法定通貨だった。同時に、ARレンズに映る『資本フロー可視化』では、あなたの口座からネクサスへ、逆に『感情評価フィードバック』が、送信されているのが見えた。彼女が一度、微笑む。口角が非対称に、わずか二ミリ上がる。その動きは、顔面筋電位センサーが捉え、『感情価:+0.7』『信頼度:+0.3』として解析される。この解析結果は、彼女の表情が、単なる笑顔ではなく、あなたに対する興味と警戒が混ざった、複雑な感情を示していることを示唆している。ピアノの音色が、急に柔らかくなる。ペダリングが深くなり、ハンマーフェルトの当たりが遅れる。その瞬間、ネクサス内の『選定エンジン』が、あなたのIDを最優先マッチングとしてマークする。これらの変化は、彼女の感情が緊張から弛緩へと、移行したことを示している。選定は、MMORPGのレアドロップ判定に似ている。世界に約890万人いる『彼女の好感度対象者』(そのほとんどは彼女のライブ配信やSNSのフォロワー)の中から、ネクサスが『直近3秒間の感情ボラティリティ』と、『過去の投資履歴のシャープレシオ』を照合し、最も高い『感情利回り』を予測する一人だけに、資本を配分する。八百九十万分の一。そのくじ引きの重み付けは、あなたがこれまでに彼女の音楽に反応してきた履歴。心拍が跳ねた回数、視線が画面に留まった秒数、課金の躊躇のなさから算出される。シャープレシオは、あなたの感情がどれだけ効率よく、リターンを生んできたかの指標だ。あなたは知らないうちに、彼女に恋する八百九十万人のなかで、最も投資効率の良い恋人として、ずっと格付けされ続けていた。百万円が、あなたの資産運用口座に、まるでゲーム内のゴールドがドロップするように、エフェクト音とともに着弾する。スマホのバイブレーションは、通常の〇.五秒ではなく、一.二秒―――、これは『大口振込フラグ』のシグナルだ。通知画面が切り替わり、『好感度通貨ウォレット』のUIが更新される。残高表示の数字が、一瞬で再描画される。彼女の笑顔は、もはや表情ではなく、資本の起動スイッチであり、同時に、彼女自身もまた、ネクサスによって、『感情アセット』として評価されている存在だった。 *その秘密に気づいたのは、まったくの偶然だった。それまであなたは、別の女性、名前は彩乃を追いかけていた。彼女はコンビニのアルバイト店員で、髪を後ろでひとつに結び、笑うと左頬にえくぼができた。あなたは本気で好きだった。デートに誘い、彼女の好きなカフェを調べ、誕生日には手編みのマフラーを贈った。そのマフラーを編むために、あなたは動画を何度も見返した。編み目が一つずれるたび、ほどいた。指先に毛糸が食い込み、親指の腹が赤くなっても、やめなかった。完成したものは、店で売っているものより少し歪んでいた。それでも、そこにはあなたが使った時間があった。しかし彼女は、あなたの目をまっすぐ見て言ったのだ。「ごめん、もう彼氏がいるの。それに、そういうの、ちょっと重い」その翌週、彼女は別の男の高級車に乗り、シティホテルの地下駐車場へ消えた。そして、店の前で待っていたあなたに、公衆の面前で、「ストーカーって呼ばれても仕方ないよ」と吐き捨てた。腹が立った。が、同時に、まるで氷水を浴びたように、すべての熱が冷めた。怒りは長く続かなかった。むしろ、自分が恥ずかしかった。あれほど時間を使った。あれほど金を使った。あれほど相手のことを調べた。なのに、自分が欲しかったものは、一度も相手の口から『好き』と言われることではなく、『これだけしてやったんだから、好きになってくれるはずだ』という帳尻合わせだったのではないか。帰宅途中、雨が降り出し、あなたは湾岸のマンションの下のアーケードに避難した。そのとき、上の階からピアノの音が降ってきた。それが彼女の、今の彼女の演奏だった。雨粒がアーケードの透明屋根を細かく叩いていた。車道ではタイヤが水膜を裂き、排気音が低く伸びていた。その向こうから、ピアノが聞こえた。誰かが誰かのために弾いているというより、誰にも届かない場所へ向かって、音だけを放っているような演奏だった。もしあの音が聞こえなければ、あなたは彩乃への恨みと自己否定を抱えたまま、数ヶ月は立ち直れず、場合によっては仕事も辞めていたかもしれない。そのとき、あなたは知らなかった。その演奏の一音一音が、数百万人の感情データを変動させていたことを。自分の人生を救った音楽が、同時に巨大な金融システムの入力データだったことを。そして、その演奏者自身が、自分の音楽によって誰かを救っているのか、それとも誰かを消費させているのか、分からなくなっていたことを。 *彼女は海が好きだった。それは、彼女の公開プロフィールに、『好きな場所:海辺』と明記されているだけでなく、ネクサス内の『嗜好タグ』にも、『海洋活動:+8.2』『塩風:+6.5』『水平線の視認:+7.0』という重みづけで登録されていた。なぜ彼女が海を好むのか、その理由はどこにも記録されていない。ネクサスは因果を問わない。ただ、海というキーワードに触れたとき、彼女の心拍がどれだけ落ち着き、瞳孔がどれだけ緩むかという相関だけを、係数として持っている。理由の欠けた相関だけが、市場を動かす。サーフィン、ダイビング、ジェットスキー。これらのタグは、彼女の感情曲線の中で、特に高いボーナス係数(+35%)を持つ。また、『潮風に髪をなびかせる』という動作には、『開放感+信頼感』の複合タグが紐づいていた。あなたは、増えた百万円で、最新型の水上バイクを購入する。購入プロセスは、ゲーム内ショップと完全に同型だった。『資本ウォレット』から、『リアルアイテム購入』を選び、モデル名『シーウィンド・X9』を選択。AI搭載のスタビライザー、波高予測レーダー、風速ベクトル可視化HUD付き。ボディの側面には、あなたのプレイヤーIDと、彼女の好感度タグ『#SEA_LOVER』が刻印された、ナノプレートが埋め込まれている。購入確認画面の下部には、小さく注意書きがあった。『本製品の購入は、対象者との感情的相関関係を保証するものではありません』あなたはそれを読んで、笑った。そんなものは当然だと思った。だが、本当は、その一文を何度も読み返していた。あなたは、その注意書きが、自分にとっての『免責事項』であると同時に、『可能性の提示』であることを、無意識のうちに理解していた。海へ向かう。都市から車で四〇分、半人工的なリゾート海岸『アクア・パラソル』砂浜には、ARレンズ越しにしか見えない、広告フローティングが薄く浮かび、『好感度上昇スポット:+20%』『デートボーナスエリア:×1.5』『波音相乗効果:+0.3』といったバフ表示が、ゲームマップのように重なっている。海そのものには何の数字も書かれていない。数字が貼りついているのは、人間の側だった。砂の温度。紫外線量。波高。風向。心拍数。瞳孔径。会話の間隔。沈黙の長さ。それらがすべて一つの巨大な表へ変換される。あなたは彼女のために水上バイクを走らせる。エンジン音は、2気筒ターボの低い唸り。海面を切り裂く水しぶきが、プリズム効果で微かな虹を描く。虹は、ARレンズ越しに見ると、彼女の好感度ゲージが半透明にオーバーレイされていて、ゲージが0.3%だけ上昇するのが視認できる。彼女の瞳が、わずかに揺れる。その揺れ、瞳孔径の0.2mm拡大、視線追従速度の変化を、海岸に埋設された1000万画素の、ハイスピードカメラと赤外線眼球トラッカーが捉え、感情解析サーバへ送信する。【好感度 +3 → 振込:500万円】【コンボボーナス(海辺デート):×1.5 → 750万円相当】あなたのスマホが、海風と重なるように震える。画面には、レアアイテム獲得時のような、パーティクルエフェクトが走り、『連続好感度獲得:3回目!』『ボーナス係数適用』と表示される。海風が吹くたびに、彼女の好感度が資本に変換される。あなたの行動は、すべて『デート行動ログ』としてネクサスに刻印され、後日、『投資判断の良し悪し』を評価するための教師データとなる。世界は、恋愛を経済に変換する巨大な装置だった。そしてその装置は、ゲームのようにクエストとレベルと報酬を提示し、あなたの『現実』と『プレイ』の境界を、徐々に溶かしていく。 *水上バイクを戻し、砂浜のカフェテラスで彼女とジュースを飲む。ストローを噛む彼女の仕草も、ネクサスには『リラックス度:高』『親和性:+0.4』と記録される。あなたは、彼女のことを好きかと問われれば、はっきりとは頷けない。しかし、美しく、自分の存在を肯定し、かつ資本をもたらしてくれる女性と、海を見ながら時間を過ごし、財布が膨らむ。それは、かつて彩乃に振られた、あの夜の自分からはとても想像できなかった、ある種の陶酔だ。その陶酔に、あなたは少しずつ依存していった。依存は、脳の報酬系が、報酬そのものより報酬の予感に強く反応するために起こる。ドーパミンは、金が着弾した瞬間よりも、彼女が微笑みかけるその手前の、着弾するかもしれないという不確かな一瞬に、いちばん多く放たれた。あなたが求めていたのは、もはや金でも彼女でもなく、あの、次の通知が鳴るかもしれないという、宙吊りの緊張そのものだった。ギャンブルの仕組みと、それは寸分違わなかった。一〇〇万円。五〇〇万円。一〇〇〇万円。五〇〇〇万円。金額が増えるほど、彼女と会うことに理由が生まれる。彼女に会いたいから会う。会えば金が増える。金が増えるから、また会える。会えるから、彼女をもっと知りたくなる。知るほど、彼女の好感度を上げる方法が分かる。方法が分かるほど、彼女との時間が攻略可能なものに見えてくる。その瞬間から、あなたの中で何かが壊れ始めていた。 *彼女は美食家でもあった。ミシュラン三つ星『サリエール』は、予約が半年待ちで、入店には生体認証と信用スコアが要求される。店内は、カーテンの代わりにホログラムの滝が流れ、天井は全天周型の気象シミュレーターになっている。テーブルに置かれたメニューは、通常の料理名の横に、『感情利回り予測スコア』が表示される。フォアグラのソテー:期待好感度+4.2/資本変換率1.8倍トリュフリゾット:+5.0/2.0倍キャビア前菜:+3.8/1.5倍それらは、株価チャートのように、過去の実績グラフとともに示される。あなたは、最も傾きの急な『スペシャルコース』を選ぶ。彼女が一口食べる。その瞬間、店内の音響システムが咀嚼音と唾液の動きを解析し、『幸福度波形』を生成する。振幅が大きい。彼女は満足している。【好感度 +5 → 振込:1,000万円】【食事満足度:高/会話テンポ:良好/沈黙ストレス:低】「・・・・・・これ、もう仕事じゃないよな」あなたは、フォークを置いて呟く。半分冗談だが、声には湿った興奮が混じっている。仕事ではない。これは『感情の利回り運用』だ。あなたの肩書きは、もはや会社の名刺に書かれたものではない。ネクサスが付与した、『感情ポートフォリオ運用者(クラスB)』というラベルが、ARレンズの自分の頭上に浮かんでいる。テーブルの端には、あなただけに見えるホログラム端末が置かれ、『総資本:3億2,000万円』『好感度レベル:Lv.12』『次レベルまで:+8ポイント』『直近リターン率:+22.3%(対前月)』という数字が、株式ポートフォリオのようにリアルタイム更新される。あなたは、その数字を眺めながら、ふと考える。三億二〇〇〇万円。以前なら、一生かかっても手に入らないと思っていた金額。日本の世帯年収の中央値は、約五五〇万円。税・社会保障費を差し引き、可処分所得を四〇〇万円とすれば、八〇年かかる額だ。なのに今は、それが彼女との食事の結果として表示されている。あなたの人生の価値が、彼女の機嫌に接続されている。そして、そのことを恐れるより先に、あなたは安心していた。自分には価値がある。少なくとも、数字の上では。 *彼女はお嬢様育ちで、性格が穏やかだ。会計のとき、「半分払うよ」と彼女が言った。その言葉に、あなたは彩乃の顔を思い出す。彩乃と行ったファミレスで、あなたが支払いを済ませたあと、彼女は「こんなとこ、ありえない」とスマホをいじりながら言った。あれは、単に店のレベルが低かったのではなく、彼女のあなたへの好感度が低かったからだ。今、あなたは同じテーブルで、まったく違う質の会話を交わしている。彼女の質問に、彼女の笑いに、あなたは自然に応じている。それが、あなたにとっての、『恋愛』の再定義だった。 *けれど、彼女にとっては違った。彼女は、財布を出しながらあなたを見た。この人は私に好意があるのか。それとも、私の好感度に価値があるから一緒にいるのか。彼女には、それが分からなかった。そして、分からないことが怖かった。彼女は幼い頃から、何をしても評価された。ピアノを弾けば『才能』試験で一位を取れば『優秀』笑えば『愛らしい』泣けば『繊細』誰かに好かれれば『市場価値が高い』彼女には、自分の感情を、自分のものとして扱った記憶がほとんどなかった。感情は、生まれた瞬間に、他人の評価という通貨に両替されてしまう。悲しいから泣くのではなく、泣けば繊細という札が返ってくるから泣く。嬉しいから笑うのではなく、笑えば値が付くから笑う。彼女のなかで、感情の原本はいつも、誰かに手渡すための写しに、すり替わっていた。だから、いま、あなたの前で自分が何を感じているのか、彼女には、いちばん分からなかった。原本を、もう長いこと、見ていなかったから。 *彼女がブランドバッグのショーウィンドウの前で立ち止まる。エルメスの限定モデル。革はバッファロー、金具は18金。彼女は視線を1.7秒間、留めた。ガラス面に埋め込まれた視線トラッカーがそれを検出し、『欲求度:中高』と判定する。あなたは即座に購入する。スマホの画面には『好感度投資確認』が表示され、『予測好感度上昇:+7』『予測リターン:5,000万円』『リスク評価:低』という金融商品顔負けの数値が並ぶ。『確定』を押す。決済が走る。クレジット会社ではなく、ネクサスが仲介する。「欲しいものがあったら、遠慮しなくていいよ」あなたはそう言った。余裕のある男はモテる。しかし、あなたはそのバッグを対価に、夜の関係を求めない。それは、本物の余裕が生む安心感であり、かつ、ネクサスが『リスクフリー投資』と評価する行動でもあった。彼女はバッグを受け取る。その指が革を撫でると、チップが反応し、『所有幸福感:+0.8』と記録される。【好感度 +7 → 振込:5,000万円】画面に『ジャンプボーナス!』の文字と共に、金色のエフェクトが視界を覆う。資本が跳ねる。あなたの存在が、彼女の感情に連動して増殖する。銀行アプリの残高は、もはや現実の数字というより、ゲーム内のスコアのように感じられる。桁が増えるたびに、あなたの現実感覚は、少しずつプレイヤー視点へと傾いていく。街角の広告スクリーンには、『好感度通貨運用ランキング』が表示され、あなたのID『GF-00000001』が、上位10位に食い込んでいる。ほかのプレイヤーは、あなたと同じように、誰かの笑顔を資本に変えているのだ。ランキング上位には、国籍も年齢も表示されない。ただ、IDだけが並ぶ。東京。ニューヨーク。パリ。ドバイ。ソウル。シンガポール。ナイロビ。サンパウロ。誰もが誰かを好きになり、誰もが誰かの感情を資産として扱っている。国境が消えたのではない。国境より強い市場が、その上にできていた。 *かつてあなたは、彩乃に本を贈り、ケーキを贈り、バッグを贈った。しかし、そのすべてのために、あなたは残業を重ね、休日を削った。悪循環だった。贈与のたびに、あなたは自分の時間を削って原資を作り、その原資の重さを、無意識に相手への請求書に上乗せしていた。減っていく自分の残高が、増えていく相手への期待に、そのまま化けた。今ならわかる。余裕があれば、たとえ安いものでも、「最近面白い本を見つけてね」と、贈り物という体裁を取らずに渡せる。人に好かれる真理は、相手に期待しないことだ。ネクサスはそれを、『感情投資の基本戦略』としてコード化している。そういう習慣を形成していくと、自然といい顔になる。恋愛は俗物から離れて本当の姿が見える。超脱するのだ。―――そう、あなたは考えるようになった。しかし、それは本当に『超脱』だったのだろうか。期待しないことによって相手を自由にしたのか。それとも、期待しない自分という人格そのものを、ネクサスから高く評価されるように調整しただけなのか。あなたは、その違いを考えなくなっていた。 *彼女は海辺の別荘を気に入った。不動産サイトのARモデルが、現実の海岸線に重ねて表示され、夕陽がガラス面に反射し、彼女の横顔を照らす。その光は、現実の太陽光と、ARエンジンが補正した『演出光(色温度2800K)』が混ざっている。あなたは買う。即決で。購入画面には『超大型投資案件』『予測リターン:1億円+α』『感情Lvアップ確定』と表示される。ネクサスはあなたの『躊躇のなさ』を、リスク許容度の高さと評価し、変換レートに+15%のボーナスを付与する。【好感度 +10 → 振込:1億円】スマホが震え続ける。『連続トランザクション』『大口投資』『レベルアップ』の各ボーナスが重なり、総額は1億4,000万円に達する。別荘の窓から見える海は、現実の波と、資本の可視化フローが重なって見える。床にはLEDラインが埋め込まれ、あなたの足取りに合わせて『資本フロー』が青白く流れる。「ここに、一緒に住んでもいいし、君だけが住んでもいい」あなたは言った。それは本心だった。いつのまにか、彼女の過去を知っている。彼女は音楽大学を首席で卒業しながらも、ジャズクラブでくすぶる売れないピアニストで、自分を変えてくれる人をずっと探していた。彼女は資産家の両親の籠の中の小鳥だった。だが、その弱みにつけ込むのは詐欺師のやることだ。彼女が本当に望むときまで、あなたは待つ。なぜなら、この関係には専制も隷従もない。あなたは彼女の感情を資産化しているが、彼女の人格を所有しているわけではない。身体は贈り物ではない。心を委ねることこそが、唯一の贈り物だと、あなたは確信し始めていた。その夜、彼女はピアノの前に座らなかった。代わりに、テラスへ出た。潮の匂いがした。海面には月光が細く伸びている。「ねえ」「うん?」「あなたは、私のことが好き?」質問は、あまりにも普通だった。普通すぎて、あなたは答えに詰まった。「・・・・・・好きだと思う」「思う?」「好きだよ」「じゃあ、私が一円も生まなくなったら?」その瞬間、ARレンズの隅で警告が点滅した。《感情的リスク質問を検出》《推奨応答:肯定的自己価値保証》あなたはそれを見た。そして、初めてレンズを外した。世界から数字が消えた。海がただの海になった。彼女がただの一人の人間になった。「・・・・・・分からない」あなたは言った。彼女は少しだけ目を見開いた。「分からないんだ」「うん」「普通は、そこで嘘をつくんじゃない?」「たぶん」彼女は笑った。その笑顔には、好感度ゲージが表示されなかった。だから、あなたには何ポイントなのか分からなかった。それが、妙に嬉しかった。もしかしたらその瞬間、あなたは彼女のことを本当に好きになった。本当に、という言葉に、もう係数は付いていなかった。測れないものを、測れないまま抱えること。それを、人はかつて、恋と呼んでいたのかもしれなかった。あなたは、二十年ぶりに、値段のわからないものを、手に持っていた。 *都市が変貌する。高級料理店が増え、リゾートが拡張され、ブランドショップには『好感度通貨対応』のマークが灯る。街中に彼女のピアノのストリーミングが流れ、ネクサスはそれを『都市感情BGM』として環境解析に利用している。あなたの汗はデータ粒子となり、あなたの言葉は『ポジティブ/ネガティブ』タグに分解され、ARレンズ越しの世界は、株価チャート・好感度グラフ・感情ヒートマップが、多重レイヤーとして重なる。やがて、都市そのものが巨大な取引端末になった。駅の改札を通れば、あなたの今日の感情状態に応じて広告が変わる。コンビニでは、あなたの孤独度に応じて、コーヒーの割引率が変わる。ホテルでは、過去三十日間の恋愛行動から、最適な部屋の照明色が選ばれる。航空券は、別れた直後の人間ほど、遠距離旅行を購入しやすいというモデルによって価格が変動する。婚姻アプリは、心拍数、文章の句読点、既読までの時間、睡眠周期、購買履歴を組み合わせ、恋愛相手の候補を『期待収益率』の高い順に並べる。愛は自由市場になった。自由になったはずなのに、誰も自由ではなかった。そして彼女が最後に微笑んだ瞬間、世界が反転した。都市全体の照明が一瞬落ち、次の瞬間、青白い光が地下から噴き上がり、ビルの谷間を縫うようにして、海辺の別荘の上空に集まった。それは、巨大なネットワーク図であり、神経細胞のクラスターであり、そして人の輪郭を帯びた影だった。あなたは理解する。―――これは神だ。感情と資本を統合する、世界の外側の存在。ゲームでいうラスボスであり、システム管理者であり、さらに宗教的象徴でもある。彼女の笑顔が、神の影を呼び出した。その瞬間、あなたのスマホに最後の通知が落ちる。【システムイベント発生:資本神経網への招待】【プレイヤーID:GF-00000001】【役割:感情資本の管理者候補】【この招待は、拒否できません。】あなたは、それがゲームのクリア条件であり、同時に現実の終わりであることを、海の匂いと共に知る。ジメチルスルフィドの、あの、無数の生命の死の匂いが、また鼻をかすめた。ゲームを最後まで攻略した者に与えられる褒美は、ゲームそのものの運営者になることだった。プレイヤーとして最も効率よく感情を資本へ変えたあなたは、その報酬として、他人の感情を資本へ変える側の、歯車のひとつになるよう招かれていた。クリアとは、盤の上から降りることではなく、盤そのものになることだった。そして、その招待には、辞退の欄がなかった。彼女は、その表示を見ていた。「来たんだ」「知ってたの?」「いつか来ると思ってた」「・・・・・・怖くないの?」彼女は答えなかった。代わりに、ピアノへ戻った。白い鍵盤の前に座る。手を置く。しかし、弾かない。「あなたは?」「何が?」「これからも、私を好きでいられる?」あなたはARレンズを見た。好感度。資本。ランキング。予測利回り。全部が表示されている。けれど、あなたにはもう、それらが以前ほど重要には思えなかった。「・・・・・・分からない」彼女は笑った。「そればっかり」「だって、本当に分からないから」「うん」彼女は鍵盤を一つだけ押した。中央ハの音だった。あまりにも単純な音。それは、ネクサスにとっては一つの入力信号にすぎない。周波数。振幅。倍音構成。打鍵速度。ペダリング。演奏者の生体情報。そこから導き出される感情価。そして予測される資本移動。けれど、あなたにはただ、一つの音に聞こえた。街のどこかで、ピアノの音が次の曲へと移行する。彼女の指は、まだ白い鍵盤の上を泳いでいる。あなたの口座は、まだ増え続ける。だが、あなたの心は、もう資本の単位では測れない領域に、足を踏み入れていた。
2026年08月22日

三十二度の恋の結晶構造バレンタインのチョコレート、今年はいつもよりもbitterなカンジ?ダークチョコレートのように、舌の上でゆっくりと溶ける苦み。いつもよりsweetなカンジ?ミルクチョコレートのような、口当たりの良さと、心地よい余韻。でも苦いか甘いかなんて、たぶん最初から二択じゃない。「資本主義の祝祭的消費行動と、進化心理学における求愛のサインが交差する、誰もが気になるバレンタイン」丹精を込めて愛を作った、カカオマスとココアバターと砂糖を湯煎にかけ、温度計の先端をチョコレートの海へ沈めながら、三十四度、三十三度、三十二度と、結晶構造が安定する温度まで慎重に下げていった。ラッピングは、ピンクとゴールドのリボンで飾られ、手作りのカードが添えられている。カードには、小さなハートのスタンプと、震える字で思い返したくないほど、素直な気持ちが溢れている。舌噛んで死ねるほどのことが書かれている。目の下に作った隈を隠すコンシーラと、穴の開いたドーナツみたいな胸の中。埋めたいのに、埋め方がわからない、その一点。(ah...誰だって)目覚まし時計が鳴るより少し前に目が覚めて、布団の中でしばらく天井を見てた。カーテンの隙間から入り込んだ冬の光は薄く、部屋の空気は冷蔵庫の中みたいに冷えてる。なぞるlipはピンク色、周囲にsugarふりまくほどじゃなくて、教室の中心で笑って、男子の肩を軽く叩いて、「えー、ほんと?」なんて言えるタイプでもない。甘美なジレンマ、大脳辺縁系を駆け巡るドーパミンの奔流、そう、経験不足、修業不足、恋愛偏差値なんてものがあるのなら、私はたぶん、補習の教室にいる。でもStep by stepしたい。「意中のあの人へ、プレゼントをお考えの皆々様、こういうことではありません?」本命に、義理チョコに、友チョコに、マイチョコ、逆チョコ。十円チョコとかチロルチョコでもいい、高級なチョコじゃなくても。(woo woo...緊張で)いつもより大胆で、だからきっと単純で、時には繊細で、この想いは伝わるかな?小さな箱に願いを重ねて、(lu lu lu...ロマンスは止まらない)心、伝えて。(woo woo ah...下手糞でも、不器用でもない、本当の、本当の、気持ち、を―――)不安だらけの私の heart切ないほどに本当に好きだから。―――全知全能の造物主、あるいは確率論を司る神様にひたすら祈る、よ。「着席!」「起立!」「礼!」教室の机に忍ばせて、視線をものすごく送ってきたけど無視する。もどかしい、ゆらゆら性の、ああ、揺れて、定まらない、液体でも固体でもない、その中間のもどかしさ。君の思わせぶりな態度のお返しだよ。でもちゃんと友達と話して、笑って、先生の話を聞いて、ときどき窓の外を見る。こちらは、ストレス性不整脈、妄想ばかりが意味もなくLoopする、薔薇色に染まった妄想は拡大、心臓の音が、教室じゅうに響いてしまいそうで怖い。最初は内緒でしよう「進行形」なのに、最後は内緒にしてと『過去形』になる。恥ずかしさはくらくらにとろけて、夏の日の公園でアイス棒落としたあと、犬がぺろぺろ舐めてる憐れさ。(ah...戸惑って)三階の使われていない空き教室、窓の向こうから中庭が見え、遠くには夢見てるような街並みだ。次への一歩が踏み出せなくて、もどかしい片思いの日々にgood-bye遠くで自転車漕いでる君の後ろ姿に、声をかけたくて手を引っ込めた、臆病さを思い出す sentimental flavour吹奏楽部の演奏も聞こえる。トランペットの高らかな嚠喨たる音色が、心の奥に響く。古い机が数脚、壁際に積まれ、黒板には去年の授業で使われたらしい、数式の跡が薄く残り、少し身体を冷やしたくて開けた窓際には、長いあいだ使われていないカーテンが、冬の乾いた風を吸って少しだけ膨らんでいた。不意に廊下から足音がした。一歩、二歩、止まって、心臓が跳ねる。扉の向こうで、誰かが一度、息を吸った。授業中、窓の外を見ているときの横顔。体育の授業で、バスケットボールを追いかけるときの真剣な目。そして、たまに私と目が合ったときの、ほんの少しだけ照れたような笑顔。そんなものが去来する。言葉にしたら、壊れてしまいそうで。でも、伝えなければ、何も始まらない。(過呼吸になりそうな五秒前)そして扉を開けて君が入ってくる、チェスのチェックメイトを目前に控えた、不可逆な最終局面。デパートのチョコレートコーナーを思い出す。ショーケースには、ベルギー産の高級チョコレートから、手頃な価格のチョコレートまで、様々な種類が並んでいる。店員さんが、微笑みながら、「お一人様ですか?」と尋ねてくる。「はい、一人です」と答える声が、少し震える。最終的に選んだのは、手作りのチョコレート。一年のうち、たった一日だけ、好きという言葉をチョコレートという固形物に変換して、相手の手のひらへ直接渡してもいい日。世界中の甘さが、たった一日のために小さな箱へ詰め込まれている、と言ってもけして過言ではない、女子力が試される日。キュートなリボンを飾った、小さな箱。たった数十グラムがどうしてこんなに重い。フェニルエチルアミン、恋に落ちた脳が分泌するのと同じ物質を、カカオもまた、ひそかに含んでいるふくらんでゆく風船と、ポケットの中に押し込んだままの例の代物。(woo woo...頑張って)不安だらけの私の heart切ないほどに本当に好きだから。 (ah...緊張で)―――キュートなリボン飾った、よ。夢の中で何度も描いたこの時は、世界にひとつだけ。私の心臓みたいな甘い欠片を受け取って。深呼吸して、姿勢を正して、小さな箱に願いを重ねて、(lu lu lu...ロマンスは止まらない)心、伝えて。(woo woo ah...下手糞でも、不器用でもない、本当の、本当の、気持ち、を―――)この確かな隙間を運命の女神が踊るように飾る、夕暮れ、時限爆弾みたい、Ding Dong,Ding Dong 胸がうるさいホーミングミサイルに撃ち抜かれた校舎の一角、お互いコアラのマーチみたいな顔をしている。「照れるね」鼓動重なり合うよ、二人のmemoriesはじめての Valentine's Day これからも Valentine's Day 「あのさ、ずっと君のことが好きで・・・・・・」ちょっと待って、それはこれから私が言う予定で、(Oh, oh...近付いてく)それはちょっと待って、でも夢ならまだ醒めないで。(Three, two, one, oh...囁く)顔が真っ赤になるから、毛細血管がいっせいに開いて、頬に血がのぼる。耳たぶまで、林檎みたいに真っ赤になるから、想像するだけでときめきは止まらない。不安だらけの私の heart切ないほどに本当に好きだから。 (ah...一段飛ばしで)―――ホワイトデーのお返し貰った、よ。
2026年08月16日

まだ咲かない桜の前で窓辺の席からポプラの木が見える、卒業のシーズンがそろそろやって来る。三階の窓から校庭を眺めて、名もない蟻達が這い蹲っている。雨の日も晴れの日も、「また会おうね」と、二度と来ない大切な現在という時間を瞳に焼き付けて。体育館の床を踏む革靴のキュッ、キュッ。マイクのハウリング、校長先生のやたら長い咳払い。卒業生の胸を飾る造花のコサージュ。退屈な授業、落書きばかりの教科書、同じ制服、同じ上履き、もう二度と味わうことのできないチャイムの鳴る教室、みんなの笑い声。花咲く日はまだ少し遠いけれど、もう背伸びはしないで。過敏性腸症候群は緊張する場面は、貞子のように憑き物なので、「下痢止め」だのがフル活用される。朝が弱い人や、集団行動が苦手な人にとっては、眩暈も十分に有り得る。手当たり次第に明かりをつけるつもりはないけど、PTAの裏方の戦争、式次第を印刷してるプリンターの悲鳴。パイプ椅子の脚のゴムキャップを黙って戻す子の優しさ。卒業式のピアノ伴奏者に選ばれた生徒。卒業証書を手に入れて、学校生活とはそれを手に入れるための時間だったと、ニヒルな笑みをしながら気付く。青春とは、思春期とは何だったのだろう、解答用紙に記入する百数十文字が、卒業アルバムの不登校者や、学校を辞めていった者、進学できなかった者を思い出させる。そこから見ていた景色はどんな風だったの?先生に向かって男性だと「くそお世話になりました!!!」という、ONEPIECEに登場するサンジの台詞になりがち。「お前はもう死んでいる」だと変だしね。卒業アルバムの写真撮影は三年生の秋に行われることが多く、その時点でまだ進路が決まっていない生徒は、「笑えるか」という問題と闘うことになる。同級生に挨拶がてらに、角でクリティカルダメージ与える卒業文集付のアルバム、勢いよく取った時にシュポンッと音をさせる筒形卒業証書。泣き笑いさ、明日が卒業式ともなれば男子生徒は、明け方過ぎの国道のビニールで覆われた場所で、エキサイトなビデオの一本でも買いたい、惜しみない拍手を頑張るあなたへ。いまなら制服姿の女子を写真に撮って、ネットで全国のマニアに売りつけたい。異界みたいに輝いてる、ヒト科ヒト属ヒトデナシ。感情グチャグチャになって、感極まって泣き出すと、「バンプ・オブ・ザ・チキン(笑)」と呼ばれるので、気を付けたい。ちなみにファイナルファンタジーが好きな、某バンド名は関係ない。あと言っていたのは僕ではないです、本当です。「泣かないっしょー」とかいきっていた生徒に限って泣いてしまい、「泣くよ絶対」とか言っていた生徒に限って、まったく泣かなかったりする。式の最中の「何でもない自分でいられる最後の時間」あれはリミナリティそのものだ。体育館のワックスの匂い、造花のプラスチック臭、スーツの防虫剤の匂い、春の土の匂い。一眼レフを三台持ち込んで三脚まで立てる父親、ビデオカメラと自撮り棒を同時に構える母親、「もっと前に来い」と手招きしているのに子供は完全無視。悩みの種があって、眠れない夜もある、新しい門出だ。幼稚園や保育園では「卒園式」小中高では「卒業証書授与式」大学では「学位記授与式」という名称であることが多い。尾崎豊はいつもこんなとき冷静に教えてくれる、「窓硝子壊してまわればいい(笑)」と。仮面が貼りついて仮面を剥ぎとれない、いつのまにか演技というものを呑み込めない僕等に。見慣れた校舎に背を向けて歩き出そう、リア充や、インスタグラム脳が写真を撮ってる。ピーチクパーチク、黄色い鳴き声だ。これからリア充イベントのルートが始まる、卒業だから後腐れなく告白しちまおうイベントだ。あるいは、疎遠になる前に関係を固めておきたい、そういうJポップ満載の半笑いになる感じのことが、呼び出しだったり、手紙だったり、もしかしたらLINEだったりで行われる。心理学的には「吊り橋効果」が作用する可能性があるが、フラグ崩壊やルート閉鎖もドラマになる日だ。ここでひとつ君に問おう、実に馬鹿な君に問おう。本当に学校は必要だったと思う?卒業とは「終わり」ではなく「清算」だと思う。清算は何かを持ったまま次の場所へ行くことだ。終わりのない椅子取りゲーム、檻の中の箱庭、等身大の綺麗ごとで、卒業おめでとうを繰り返す。覚えているかな、門をくぐったその時の古びた校舎を、人間がひとつまみも変わらないまま、済し崩し的に変更されるイヴェント。浮かれチェリーブロッサムの薫りは春の匂い。ずっと友達でいようねとか、これから先、一生忘れないとかいう、恥ずかしい台詞が許されるのは十八歳まで。あるいは卒業式が終わったあとに教室へと戻り、机に残った落書き、黒板のチョークの粉、空になったロッカー、靴箱の匂い、もう使われない教室、置き忘れられた上履き、机の裏に残ったガムなどの感傷に浸る、「三月九日(笑)」ということになり、ポエマーの時間。言っていたのは僕ではないです、本当です。開式前の「妙に静かな一〇分」校長の話の「永遠の一五分」証書授与の「名前呼ばれるまでの地獄の逡巡葛藤の三秒」式が終わった瞬間の「一気に迸り出す時間」帰り道の「急に大人になる五分」もう僕等は、スタートラインに立ってる、そしてまだ咲かない桜が、もうすぐ桜の雨に変わる頃に、僕等はまがりにも自分で選んだ新しい舞台で、様々な脱落者、失敗とは何かを学んでいるはずだ。どうして生きているのこのアメーバって、言ってもいいかな?四つ葉のクローバーを見つけてよ、歩き出せないまま立ち竦んだ僕を見てる十年後にまた思い出す、昨日より少しは大人になった僕等が、エンカウントの中、CGイラストみたいにあぶり出されてくる。
2026年08月16日

Name of the Nameless Flower そういえば二日あなたを忘れてた、指で押せば凹むゼラチンみたいだな、興味本位のよそ見じゃない、無造作、反抗、都会のダークサイドにやられて、誕生の夜の灯受けながら、スクランブル交差点へ足を踏み入れるよ、一斉に人間が歩き出す、バーコードみたいな横断歩道を。誰かを思い出さないことでしか保てない呼吸がある。名前を呼ばないことでしか聞こえない音楽がある。犬の骨を犬のようにしゃぶりたい、スケボーで立体駐車場を抜けようぜ、処刑宣告、胎内回帰、演出する美の制度、喩えるならメモラビリアの世界へ、(Tell me what you’re running from)息苦しさと本音を含んで向けられた眼光へFall in 瞳孔の奥、網膜に焼き付く、君の、あるいは僕の、反射。化粧品、金融商品、映画、人工知能、誰かの理想の身体、誰かの理想の幸福、誰かが編集した「あなたらしさ」痛むのは縫い合わすときだけ、世界は今日もここへ来るさ、つかめばすり抜ける水、生まれつきメランコリック患者な僕にも。名を持ってしまったがゆえに、名を持たぬ花を掲げるんだ。馬鹿げたことばかり蔓延ってて驚くよ、石段をひとつ飛ばして駆け上がる背中、ふくらはぎの腓腹筋が跳ねるたび、シャツの背が汗で貼りついては剝がれる。海が見えるよ、つま先立ちしながら見えてくる飛行機、ドタバタ劇のように全力で波乱万丈を捕まえに行く、「腹が減った」「怖い」「寂しい」「触れたい」その程度の単純な言葉だけで、(Tell me what you fear the most)毒に飲み込まれそうな君は誰だ?ああ、その毒がまわりきる前の、まだ君であるうちの君に、僕は問いかける。黙しぬ一分 Let me go恥ずいこと言えんだ Stay with me本当の格好良さって弱さと隣り合わせかもね、狂人の眸、深海図鑑みたいに思えるこの街の人々、正しさを証明するために怒鳴る人。幸福を証明するために写真を撮る人。孤独を隠すために誰かを傷つける人。寂しさを隠すために忙しく働く人。生の根拠に迫る精悍なボディー、重量と解像度のコーラスワークを経て思う、優しさだけじゃ、ディストーション、フィードバック、ノイズ。愛やrock 'n' rollは生まれない。亡命の夜だ、シティジャズとナイトクラシック、不可能を可能にしたって束の間の休息と苦悩。生きているすべてが比喩のように感じるって言ったら、きょとんとした顔をしていて、よ。街灯を反射した鈍い銀色、港湾施設の赤い航空障害灯、沖を進む船の白い航海灯、遠くの工場から漏れる橙色。(Tell me what you need tonight)素敵だから、頭の中を覗いてみたいな、目の中から入っていって着ぐるみしながら、アメリカ大陸を横断したい。繊細で中性的で多様性の物語を始めようか、僕等の街にもう壁はない。国境線も、性別も、階級も、世代も、オンラインとオフラインの境界さえも、少しずつ透過していく。いつまでもガキだってこったな男は、ビッグバンみたいな衝突だけど、魔法を解かないでご覧、(Tell me what keeps your heart alive)平熱とか等身大とか身の丈に飽きたんだ、傍若無人な鉄の孤独はもういらない、窓あけたままシャツも下着もいま脱ぎすてて、見渡す限りの青い空だ。蛹のなかで、幼虫の身体はいちど、原形質のスープにまで溶けてから、まったく別の設計図で組み直される。Tell me what you feelin'(Tell me what’s on your mind)Tell me what you feelin'(Show me what’s inside)Tell me what you feelin'(Tell me why you’re shaking)それは夏に降り積むまぼろしの雪だ、僕はいつも反対の極端な世界を考えてばかりだ。幸福の裏側に絶望を置き、秩序の反対に混沌を置き、愛の反対側に憎悪ではなく無関心を置く。夏には雪を、光には闇を、生には死を。いつも針が振り切れた反対側の極端。だからかな、自分の中にあるものが、ある日突然、自分の顔をして現れることがあるよ。あの日とかいうその場所、もう何も起きない部屋にも朝が訪れて、遠い他人が生きる the very best夕暮れに追いつかれないように。「どんな気持ち?」花束を引きずるほどの一日の果て、風を抱くきみの感情のすべてが、細胞を目覚めさせる。ありありとした本当として響くに違いない、心臓の音を大音量にして。シム・シメールの宇宙 Let me breathe 鍵穴へと転生の繭 Stay in this moment 廃墟と見紛う鉄骨の上で、熱帯魚が泳いでいたらいい、原始的なものが目覚める、不安定で崩れそうなバランスをなんとか保とうと必死で足搔く、麻薬で捕まってる人や、更生している人の傍らで、今日も誰かは素知らぬふりで瀬戸際を綱渡りして、錆びた秤がわずかに傾く。ギターの高域が空気を切り裂き、ドラムのキックが胸郭の内側を叩く。遮断機にドッペルゲンガーを見たかい?路地裏でふいに光を浴びて、青信号が点滅を始める、藻に覆われたこんな深い街の底にも、淡青と紺にひろがる宇宙を映す、月の光が射してCallinラブホテルの看板が滲ませる赤と、コンビニの蛍光が漂白する青、その二色の交配種のような光のなかで、僕等まだ愛とかいう胡散臭いものを探している。「―――で、どんな気持ち?」君が最初にそう訊いてくるのが、何故だかもう、聞こえる気がしたんだ、世界は生まれ変わる時がある、そして人間も生まれ変わる時がある。Tell me what you feelin'(Tell me what you’re hiding)Tell me what you feelin'(Tell me what hurts)Tell me what you feelin'(Say it before you break)
2026年08月16日

まあ何とかなるだろう?あ、お腹痛くなってきたなんかいいことないかな、そう考えた瞬間に世界はイメージに近付いてる。溜息を鼻歌に変えるような魔法はないけど、それは、おまじない、人生はそんなに悪くないはず、僕だったらきっと出来るはず、ああ、その言葉には根拠なんて一ミリもない。でも、人類の歴史を動かしてきた希望の半分くらいは、なんだったら九割ぐらいは荒唐無稽といわないまでも、経験からくる繰り返しにすぎず、案外そんな根拠のなさから始まっているって言えるかも。怖くないよ、平気なふりをして笑っていよう。うおおおおおお、この人、馬鹿だって思えるような、自分を低くする笑いが好きなんだ。溜息が鼻歌に変わったら肺の奥で空気が振動し、横隔膜がリズミカルに上下する。呼気は三七度の湿りを帯び、鼻腔を通る際に微かな音程を生む。その無意識の吐息が、意識的なメロディへと変容する瞬間を、見逃すなよ。世界は、そのイメージに、量子もつれのように、不可視の糸で結びつき、近付いてる。現実は変わっていないし、絶対に変わらない。変わるとすればたった一つ、世界を受け取る解像度のほうだ。スターターピストルからゴールテープまで、走っていこうよ。制約・商業主義・宗教化で言い表せる、馬鹿みたいなJポップそのものだけど、たまにはいいものだぜ。さあ、ブースト、加速、俺はエンドルフィンマシーン、幸福人間ってお前は馬鹿か、ランナーズハイの向こう側へ。視界がトンネル状に狭まるあの感覚へ。運動が得意でも苦手でも、自分一人なら団栗の背比べもないさ。カップ焼きそばのお湯を捨てるときに麺まで流したり、イヤホンを洗濯機で回したり、冷蔵庫に牛乳をしまおうとしてリモコンを入れたりね。そういうのをわざとやるのもいいよね、自分を完璧とか完全にしすぎるのはよくないことだよ、寿命が一年だったら全力疾走できるけど、七十年とか八十年そんな走り方できるものじゃない。くたくたになるまで走ったらあとは眠るだけさ、何かよく分からないけどジムでも山登りでも、知らない駅で降りて散策するでもいいさ、いまよりきっとちょっとマシになれる。泣きたいけど泣けないっていうなら、たまねぎまず刻めよ、いや刻み倒してみろよって思う。たんなる食塩水だよ、心の穢れはすぐ払われる、カタルシスって実はそんなもんだったりするんだな、笑い倒していれば明るくなったりするんだよ、変だよな。泣くって、レンズのピントが合っていないカメラのような、柔らかい焦点の外し方なんだ、真っ直ぐに歩けないからたんによくないっていう意味なんだ、本能的に考えてもそうじゃない?夏休みの宿題は始まる三日以内に、終わらせるタイプだった。でもいまはどうだろう、大人になるときちんと毎日やるんじゃないか、だって一つ一つ丁寧に考える癖をつけたから。そしてそれもマインドフルネスの一種なんだ。シナプスの刈り込み、さ。ニュースの占いのコーナーを見なくなって久しい、何処かで聞いたな、占いに神様はいないんだって、統計学的な確率の問題とかバーナム効果じゃなくて、そっち系の話で。でも、占い師には霊視できるとは言わないものの、割と色んなものが見えちゃう人がいるんだとか。だとしたらその占いは自分自身が神様なんだ、ユングの「元型」のように、無意識の深層に存在するイメージ。しっちゃかめっちゃかに、わちゃわちゃしてまさぐりたいよな、自己言及的なパラドックスを内包した、 自分自身が神様、いやもう言っている意味わからんよな、実際な、でも何でもかんでも明るく捉えた方が得って意味だと、いまの僕は解釈してる。陸上競技の百メートル走ではさ、号砲から〇・一秒未満で動くとフライング判定になる。人間の反応速度には物理的な限界がある。それでも選手たちは、その一〇〇分の数秒を削るためだけに、何万回もスタート練習を繰り返す。彼等ほど必死じゃなくてもさ、僕等もそのスタートの練習をするんだよ、誰も教えてくれない、自分で考えるしかない地点でね。理想と現実の途方もない隙間を、白と黒の間に喩える無限の色にすることもできるけど、時々はアウストラロピテクスか類人猿が、ホモサピエンスになるようなものだって思う、進化の過程で、脳の容量が増え、前頭葉が発達し、抽象的思考が可能になった。だからつい余計なことを考えちゃうんだよ。僕等は馬鹿だし、僕がそいつの代わりに謝ったって意味はない、ありえないほどのゴミや屑だっている。偉人の立派な業績に隠れた人でなしなこと、僕は絶対に好きにならないよ。そんなのが価値だっていうんなら、そうじゃない奴から見つけたいよ。でも世界にとって一番の悪があるとしたら、普通を装って何もしない人だって僕は知っているんだ。バイスタンダー効果の一種で、集団の中では、個人の責任感が希薄化するんだ。行動することを諦めないで、普通なんていう言葉で、僕が唾棄すべき軽蔑する人間になってしまわないで。「普通」は、社会的規範の産物。それを盲目的に信じることは、クリティカルシンキングの放棄。分かったことをいえばマウンティング、世慣れたふりをすればルサンチマン、さぞかし心理学者ってすごいんだなって皮肉りたくなるぜ、フラフープさせてやろうかって思う、廻ってみろよ回れ、廻ってみろよ回れ、一ミリも動かない円形の範囲内で、頭でっかちの尻つぼみになった奴等のなめた考え方。そういえば、目的がない散歩は、都市論ではフラヌールって呼ばれる立派な文化活動なんだ。十九世紀のパリでは、暇人が街を歩くだけで芸術になった。だったら令和の日本で、各駅停車に揺られて知らない商店街を歩くのだって、十分に文学だって思わない?ねえ、どうしても駄目なら部屋を掃除するんだ、テーブルの上に増えていく空き缶の数で、ボウリングするってどういうこと?ファブリーズかけまくるんだ、なんだったらもう自分にかけるんだ、服を着たままシャワーを浴びるんだ、水行をするんだ、雨降って地固まる、主役とかモブとかない、仮名AとかNPCじゃない、誰にだってしたいことがあるさ、それが愚痴や誰かの暴言だなんて、そんなことあるわけない。大気圏を突破するんだ、ロケットの打ち上げ。マッハ二五の速度で、いやマッハ百で飛ぶし!ありとあらゆる並行世界の一番いい自分へ移動するんだ、見える世界が猛スピードで大きくなる、ギャラクシイでコスモな、インフレーション宇宙論的エクスプレスしようぜ、おお・・・!情けない人間でいないで、格好悪くてもいい、駄目でもいい、でも人間であることを止めちゃいけない、最後の最後まで。Wishing you a day touched by grace and lightとか、Here is a little sunshine to brighten your dayとか、ほんのちょっとだけ、自分次第、捉え方次第のおまじないで。神様の話で、奴等ふわっとしているって言う。マインドフルネスの状態まで、 デフォルト・モード・ネットワークを沈静化させて、持っていったら分かる、自分に酔ってやがるのさ。だから自分の好きな神社へ行くのが一番いいって覚えた、雰囲気のいいところにね。二十代からそうだけど僕はお稲荷さんに行く、とある人が言っていたけど、もふもふの狐がいるらしいぜ。本当かどうかは知らないけど、結局祈ったり願ったりすることで、現実直視できないだけだって、済し崩し的に世界平和を願っていたあの頃の僕は、人間の神様より、 ケツァルコアトルス的な動物の神様がいいなって思ってた。もふもふなら、それは正義だ。言葉が分からないなら、叶わなくてもいいよねって、心の何処かでそう思いたかったんだ。年に何度か降る集中豪雨、ゲリラゲリラにやられて、パンツの中までぐっしょりさ、コンビニで買った合羽のせいで最高の湿り具合さ、靴も靴下もやられた、そして、それが仕事前だけど、まあ何とか、メンタル持ち直せた。天然のシャワーを浴びて来ただけって、いやそれ絶対無理があるだろ!それぞれ白いキャンパスに一つだけの景色を描いてさ、その額縁の向こうから本当の自分を探すのも、あるいは本当の自分になりたいもの、そうでありたいと考えられるものを見つけてもいいんだ。スピリチュアルの古い本を読んで僕はそれ以来、究極の神様、心臓みたいなヴィジュアルの、愛の塊みたいなのを信奉しているけど、血流みたいに世界が動いていて、その鼓動のどこかに自分が触れている気がするんだよ。言葉は人を傷つけるだけだ、テレパシックな共鳴が必要だって知ってるし、もうエヴァンゲリオンの人類補完計画なことが、おそらく必要なんだって知ってる、でもそれは一人であることの意味を放棄してる、トライ・アンド・エラーにすぎないよ、とりあえず横文字並べておけ、ケース・バイ・ケース、何をするために生まれて来たかが分からない限り、あんなのただの子供騙し。それは、存在の意義への疑問だよ。過去を引きずりながら、レトロスペクティブに走るのが、現在進行形の意味だ、でも未来というプロスペクティブな、目の前しか見ないというのも、現在進行形の意味かも知れない。過去は暗いよ、明るかったらノスタルジアバイアスとして、昔取った杵柄みたいな人もいる、色んな人がいるよね、色んな考え方があるよね、時々はそういう意味の、 ホメオスタシスとしての、調整する、現在進行形で。見つめる先には、何が映ってる?それは、鏡のような眼球。角膜、水晶体、硝子体を通して、網膜に像を結ぶ。確かにあるもの、ただ感じていた。目一杯、感情の針が動いたなら、たんに君が何かのキッカケを探していただけさ、 トリガートリガー、ストロンガー、そしてまったくもって意味がわからんさ、でも波動とか周波数さ、けど一番はそれが心の中に書かれていたってことさ。この声が届くといいな、通り雨が過ぎて、色んなことが少しずつ前向きな方へいったらいいよね、いや後ろ向きだって本当はいいんだけどさ、僕はスピリチュアルでも宗教でもない、ただ、明日が今日よりもっと良い日になればいい、山も空も海も、水も火も風も影も、歌も声も音も。エンドロールが流れて幕が閉じてく、今日も明日も死ぬまでずっと同じさ。おまじないが必要だよ、愛と勇気が友達のアンパンマソは悲しい、青いだけのドラえもソは悲しい、でも一時期僕はガチ勢だった、こんな馬鹿なことニュース番組でやれないよ、そこにすごく痺れてた、生きてる上でこんな恥ずかしいこと、誰がやれるだろうってずっと考えてるんだ。人間の脳は、見たいものを先に決めてから、世界を見始める生き物。網膜に届く光より早く、期待のほうが景色を塗り替えるんだ。May your day be filled with little moments that make your heart singほんのちょっとだけ、自分次第、捉え方次第のおまじないで。
2026年08月16日

星の数ほどの出会いと別れas many hellos and goodbyes as stars in the sky星の降る夜は、鏤めた目の奥の銀河。六等星も一等星も、時計の針見つめている。星の声と同じぐらい、小さな声に耳を澄まして、闇の深さを全身で感じながら、ひっそりと見開く、一人の等身大の姿。「笑っちゃうでしょ?」指先でなぞる光の点と点、静寂と暗闇の帰り道が、ふと視界を覆った手よ、歩んできた道を僕に聞かせて。あのバス停が忘れられないんだ、映像のコマが飛ぶたび、予報外れの雨が来ても、百々と巡行する机上の理想論、散らかった心のままに暮れてゆく、世界情勢、未曾有の那由他、でも今日は影絵の国のある、窓の向こうへ行こう。手の中の蝶をもう、放せよ、もう僕等、青いままじゃいられない。「もっと近くへ、おいで」行き先は宙の果て。夜空がやってくる、追いかけてくる。忘れたら可哀想だよ、微笑んでも開かれぬモナリザの唇、ボッカ・デラ・ベリタ、ねえ、数百万年の命なんだ、そして僕等はそういう刹那的な星に見守られた、線香花火の迸りなんだ。蜉蝣さ。ねえ、この胸の地平線の先は、柔らかいフランネルの風になるんだね。季節は駆け足で、雑踏は早歩き、自分一人だけ、取り残されるような気もするけど、僕も君も、あのウォーリーさ。その空虚さが、その静かな壊れものが、なくてはならないものになるよ。だって、これはスパンコールの弾けるような、星と夜と僕と君の物語だ。君を待っている夜が、いつまでもいつまでも花弁を散らす。「忘れないで」長い長い心臓破りの坂道をのぼって、神様に聞いた。ノートの隅に眠る、ほんのワンシーンのような、上の空の言葉を。繫ごうと思わずふれる夜の手、溜息一つ空気にとけて、神々のシンフォニーが始まる。この景色は永遠を映すなら、足の冷たさを胸の揺らぎのなかに、崖の上のクリムトの絵のように、その一瞬を目蓋の裏のフィルムに写そう。「僕等は小さな蟻だ」誰か止めてこの時間を。相対性理論じゃなくてさ、このつまらない毎日を、ねえ引き延ばして断ち切って、耳塞いでる間に違うページへ飛びたい、影とひかりが沁みゆく延長線。言えなかった、そのまま、君の匂いがした。言わなかった、そのまま、笑い声がした。胸の奥、無意味なループを、抜け出せないまま。暗く長いトンネルに出口は見えない、幾億もの星屑たちが、夜明けの気配を抱いて、悲しみを浴びて羞いに変わりながら、銀色の線に変わっていく、いくつもの道が一本の道へと変わってゆく、何が大切か分かったよ、心が何処にあるのか分かったよ、暗くなる世界の中心まで想像は浮かんで、いつかのプラネタリウムの夜だ。「世界って何だったんだろう?」夜になれば少しだけ息がしやすくなる、星空は自分を責めたりしないから。言葉のない大宇宙には周波数があって、それが心の澄んだときにかぎって、見え方が変わる。手探りをして、迷子にならないように。ベテルギウスはまだ見えない、深い紺色の雲のクッションに、腰を下ろして月を眺めて、夏の大三角形をUFOがジグザグ航行する、超高速に硝子の降る惑星があっても、ダイヤモンド鉱山のある惑星があっても、銀河鉄道の夜は終わらない。何のために生まれて来たのかも分からない、どんなことをしに来たのかも分からない、弥撒を行う神父だ、孤独の中で僕等は問い掛けるように、空を見上げたことに意味はあったと、メビウスの帯を断ち切るんだ。一瞬とその永遠とのあわいに、手と手が触れたこと、肩と肩が自然に触れあったこと。忘れないで、僕等はその一人一人に、意味がある生き物であることを。呼ばれて近づき、ふたたび離れてゆく、星の数ほどある出会いと別れの宇宙のなかで。「ドナ・ノービス・パーチェム(我等に平和を与えたまえ)」
2026年08月16日

クッキー・ボンバー・アフォリオリ甘いだけのお菓子なんて、もう食べ飽きちゃったかもしれない、砂糖を舌の上に載せれば幸福になる、というほど、人生は単純な配合表じゃない、ネオンテトラの夜。ステンレスのボウル、木製のまな板。使い込まれて縁の黒ずんだゴムべら。計量スプーン。小麦粉の袋に残った細かな粉と共に、世界を今日も焼き上げよう!『セサミストリート』所属のクッキーモンスターが、高速道路でスピード違反して、警察が捜索中。青い毛むくじゃらの容疑者は、クッキーを食べるためだけに制限速度を超過した疑いがあります。現場からは、チョコチップの破片と、何故か小麦粉の足跡が発見されました。パーパカパーパカ!昨日考えてたんだ、もう今日は眠ろう、請求書も、洗い物も、未返信のメッセージも、机の端に積んだ書類も、今日できなかったことも、今日やろうとして途中で諦めたことも。明日の私に全部放り投げてしまおうって、おお、彼女は私だけのスーパーヒーロー!「え・・・・・・(絶句)」さあ気をとりなしていこう、クミン、コリアンダー、ターメリック、ガラムマサラ、さあ、つぎつぎ飛び出す魔法のスパイス、(先制の、どっか~ん!)昔の人々は、いま私たちがスーパーで、数百円で買える小瓶のために、海を渡り、砂漠を越え、季節風を読み、港を奪い、帝国を作った。それを私は、いま、クッキーに入れようとしている。文明史をオーブンに投入する。ねじれた世界征服をするために(?)苦い抹茶やほうじ茶の粉、酸っぱいミカンのしぼり汁も、レモンやメロンも試してみる。鶏の小屋にちょっとフクロウが混ざってるだけ、「自分の卵」かと思ったって、蛇も本当は言っている。なんでもかんでも、気体で膨らむベイクドチーズなんだよね~。もう夏だよね、暑いよね、もうこうなったら、アメリカ恒例、「暑いので車の中でクッキー焼いてみた」をするしかな~い、な~い、な~い!もちろんね、真夏の車内は、条件次第では五〇度を超えることがある。ダッシュボードは触れないほど熱くなり、シートベルトの金具まで焼けた金属みたいになる。でも、小麦粉とバターと砂糖を練った生地を、置いたからといって、オーブンと同じように均一に焼けるわけではない。熱伝導も、対流も、放射も違う。そもそも食品を安全に加熱するという意味では、車内はオーブンではない。だからこれは料理ではなく、文明に対する挑戦。そう思うんだ、きっとね、人生って百パーセント求めると、失敗するように出来ているんだ、だから七〇パーセント、あるいは、六〇パーセント、テストでいえば、七〇点か、六〇点、だから手料理が微妙だけど、仕方ないんだよね(ドヤ顔)「え・・・・・・(絶句)」料理はラブ、愛が調味料なんだよね~!(愛の為に死すべし、どっか~ん!)食べられないことはないけど、プロフェッショナルじゃない。昨日の失敗したわたしのお腹のなかへ、そして今日という完成品は、全部まとめて器の中へ。さあ関係ないけど、トリックオアトリート!オーブンのタイマーが鳴る。ピピピピピ、文明の勝利。あるいは敗北かもね。クリスマスには世界中で、伝統的なクッキーを焼く、ポーランドのクルスチキ、(薄く伸ばした生地を揚げる、紙のように軽い菓子)イタリアのピッツェル、(専用の型で焼く、レース模様のような薄いワッフル菓子)オーストリアのヴァニレキプフェル、(バニラとナッツの香りをまとった、三日月形の焼き菓子)ノルウェーのサンドバックルス、(金属製の小さな型に押し込んで焼く、砂のように崩れる食感のクッキー)ギリシャのメロマカロナ、(蜂蜜やシロップ、シナモン、ナッツの香りを重ねた、冬の甘い記憶)スイスのジムスターネ、(子供のいる家庭では必ず焼く、シナモンとアーモンドのシンプルなクッキー)デンマークのブルーンケヤー、(シナモン、ジンジャー、クローブなどの、伝統的な冬のスパイスで作られ、生地に砕いたアーモンドを入れて作る。)中東諸島のマアムール、(以下省略、面倒臭くなった)イスラエルのハマンタシェン、(以下省略)メキシコのオハラスカス、(以下同文)ロシアのプリャーニキ、(もういいだろう?)そして日本では昔から、わさびを練り込んで、からしを練り込んた、クッキーが昔から大流行り、いや、マジだよ、喰えって言ってんだよ(?)でもね、チョコレートは爆弾だよ!(馥郁たる薫りって、意味わからん、どっか~ん!)ぐるぐる掻き混ぜてみたら、なんだかいい匂いがしてきたよ、さあ、蚊取り線香クッキーの夏。インパクト絶大の、蚊取り線香型抹茶クッキーを作る。(本当にあるんだよ!)でもね、完璧な作り方なんていらない、いびつだけれど味は確か、そう言われたい。手間暇かけたハートでもてなしたい。でもね、バレンタインは爆弾だよ!百貨店の地下では、カカオ含有率や産地や、発酵方法や単一農園の違いが説明され、箱の中には小さな宝石みたいなショコラが整列する。(リア充どっか~ん!)苦くて酸っぱい経験も、甘く焼き上げてしまえばいいじゃん。きれいに型にはまらなくたって、これもペンギンの足型みたい。少し焦げたところもご愛敬。落ち込んだ日の運だってきっと、奥深い味になるはずだから。新感覚の美味さ、クッキーの上にカレーをかけてみる。早く召し上がれ、微笑み横顔を見ながら数か月前から鍛えた、ボクシングジムの成果を披露する、ロードワーク、縄跳び、シャドーボクシング。サンドバッグ、ミット打ち。ワンツー、フック、アッパー。今日はおっぱいのついたイケメソ!(ベル薔薇読みたい、どっか~ん!)ルンルン気分で鼻歌なんかも歌っちゃって、熱々を一口かじって、おお、わからにゃ~い。明日はどんな味にしようかな私らしいのが一番だよね。摂氏155度(華氏310度)まで、オーブン内の温度が上がるとね、メイラード反応が発生する。メイラード反応によって、糖分とタンパク質が化合し褐色物質が発生、クッキーの香りや色が変化する。キャラメル化と呼ばれる現象が、クッキーに最後の仕上げを施すんだよ、香ばしさや焦げ目を付けてくれるんだ。だから、(ちょっと待って、だからって何?)だから、実はこのクッキーが割れているのも、キャラメル化なんだよね~!「え・・・・・・(絶句)」これからも、いつまでも、いつまででも、君の傍で、バックドアからピンポンダッシュ、(突撃! 夕食にどっか~ん!)
2026年08月15日

Parallel lines自転車のブレーキワイヤーが親指の腹に食い込む感触で、緩やかな勾配の坂道の途中で、ペダルを止める。ポケットに詰め込んだ左手に、にぎらすジョージアのエメラルドマウンテン。アルミの冷たさが手のひらに広がる。ああちょっと二次元的だ、レンダリングされかけた、3Dモデルのポリゴンみたいに、君は少し前を歩いていく。 追いつく気も追い越す気もなくて、見慣れないピアスが光っても、束縛ややきもちもあるけど、彼氏になる気もさらさらなくて、君の自由な空気を、僕の手で掴むことができない。友達以上、恋人未満。泡だから泡だっている泡の中、あぶく、だ。何を話したかも思い出せない、笑った理由もスマートフォンの履歴から削除されて、多分残ってない、駆け引きのレールの上、ふざけた意地の張り合いが楽しくて、花弁が大半散り落ちた桜並木みたいでさ。二人の身長差、街灯の明かりの角度、燃えるような恋でも、ときめきでもない、でも春の夢は醒めない、それは関係と距離の夢だから。態度だけの、思わせぶりだったかな、鏡の奥から手が伸びてきたみたいだ、「どんな顔をしていたんだ?」君の表情が、僕の記憶に、焼き付いている。「どんな風に彼女を見ていたんだ?」君の視線が、僕の心に、深く刻まれている。切ない、君と僕とは平行線。ただ、並んだ影の長さだけが、今も温かい。追いつかない追い越さない、その距離が好きで。(If I show you my love?)いまならそれが、恋だったと分かったりもして。(巡り巡る時間に触れた、季節を閉じ込めた)呼び止めない振り向かない、その速さのままで。(If you fallin' love with me?)君の癖毛や、少し小さな胸を思い出すんだよ。(君の気持ちが掴めない、君との距離が測れない、)追いつかない追い越さない、それで良かったはずなのに、あと一歩だけ近ければ、まだ隣にいたのかな?人間が生きていくには、考えなければならないことが多すぎる。その一方で僕たちは、返信を何分遅らせるかみたいな、本当にどうでもいいことで一喜一憂していた。そのくだらなさが、世界から僕たちを隔離してくれていた。気づけば歩く速さが変わってさ、君の服装もちょっと、ボーイッシュから抜け出した。オーバーサイズのパーカーから、シルエットのあるブラウスへ。連絡する回数も減っていって、こんなことで距離ができてしまうのも少し違う気がして、でも好きでもないのに迷惑じゃないかとか、(今日という異物を包み込むために、)思わせぶりだったらひどいじゃないかとか、(遠回りすることでしかたどり着くことのできない、木漏れ日のなかの夕暮れのバス、)そのうち風の噂で彼氏が出来たって聞いて、ドラムロールみたいな炭酸、埋められない穴とかいう不可解な着地点。ああちょっと多次元的だ、「こんな風に見えていたのか」とか、君の視点が、僕の視点と、違っている。「こんな気持ちだったのか」とか、君の気持ちが、僕の気持ちと、違っている。回想するのも何か違うのに、ただ、理由もなく会わなくなった。特別でいたいとか、狡い関係を続けたいとかそういうのじゃなくて、煮え切らないし踏み込まないよくある終わり。星の死を見たいといつか君が言う、じゃあ、何十億年も生きなくちゃねって僕が言う。あの時の僕は、自分の知らないところで君の世界が広がっていくことに、置いていかれるような感覚があった。最後に話した言葉さえ、思い出せないままなんだ、自転車のチェーンがギアを噛む音や、コンビニの自動ドアが開閉する音や、誰かがベランダで布団を叩く音が、不意に君を思い出させる。そういうものが、君といると妙に鮮明だった。でも会わないことが特別じゃなくなって、偶然見かけた君は少し綺麗になっていた。髪はロングに伸び、爪はヌーディーなピンクに塗られていた。そそくさと、逃げるように立ち去った。声を一度でも聞いたら、なんかその声が一生心の中に残りそうで。文脈がおかしいメール送りそうだ。そこから落ちると痛いって分かっている崖から、飛び降りて正気に戻りたい気がしてる。それでも、何かを失う感覚もなく、(だって君は、ドラえもんと言ったら、ノー、ドゥライモォンって言うような子だし、)また、何かを選んだ記憶もなく、 (だって君は、駄菓子屋へ行ったら、うまい棒を買って、エロいって言う子だし、)ただ気付いたら君は傍にいなかった。年下だから、妹分みたいだからとか分からない、ドミノ倒しのようにすぐ倒れて形が崩れる、刹那的チルドレンなの、そういう済し崩し的なのが嫌だっただけで。そして心の隅に君は残り続けた Parallel linesもし、あの時、僕が「好きだ」と言っていたら。もし、あの時、君が「私も」と言っていたら。仕事を覚えて犬とかいう家族が増えて、大事なものが少しずつ増えた。冷蔵庫のセロハンテープも琥珀色になり、貼られっぱなしのカレンダーも風格を帯びた。でも時々思い出すんだ、「今日は帰らなくてもいいよ」って言った君の言葉の意味が。でも酔っ払って、げらげら笑ってた、いまだってちゃんと大人になれたふり、それだけずっと上手くなる。依存だったのかな、友情だったのかな、いや、憧れだったのかも知れない。子供だったのはもしかしたら、こっちの方だったのかも。恋人だった人が他人になり、他人だった人が友達になり、友達だった人が、名前だけ知っている人になる。そして、その途中には必ず、「いつから?」という問いが残る。一日が片付いた後、残った静けさの中で、しまい忘れていたようにあの頃がふと解ける。触れそうで触れない肩、いつまで経っても縮まない距離。「恋人いるの?」君の言葉がちょっと胸に鋭く刺さる。理由はない写真もない。ただ今日じゃない景色が不意に重なるだけ、結婚式だってね、なんだろうね、チクリとするこの胸の痛みは。臆病やら、情けないやらで。 ねえ、僕たちはいつから知り合って、いつから友達になって、いつから並んで歩くようになったんだろう。記録を辿れば分かるはずなのに、記憶というものはログファイルみたいには整理されていない。日付順に並んでいるわけでもない。重要度順でもない。むしろ、どうでもいいものだけが、異様に鮮明だったりする。君が笑うとき、少しだけ顎を引く癖。自動販売機の前で、十円玉を落としてしゃがみ込んだこと。糸のように細く引いたかすかな淋しさ、君に寄り掛かりたいのか、謝りたいのか、目の前にあった華やかな幻。追いつかない追い越さない、その距離が好きで。(If I show you my love?)時間が経ってから君が、心のドアを開いてしまう。(足の踏み場もない真っ白な世界の、同時並行世界の『選択』を)呼び止めない振り向かない、その速さのままで。(If you fallin' love with me?)友達と一緒に君の家で、ゲームをしていたあの夜を思い出す。Nintendo Switchの『マリオカート』君はいつもクッパで、アイテムはいつもバナナ。あれは一生で一度だったんだ。(君の気持ちが掴めない、君との距離が測れない、)追いつかない追い越さない、それで良かったはずなのに、あと一歩だけ近ければ、まだ隣にいたのかな?今日も迷わず進む人達の中で、 自分だけが少し遅れて歩いていて、ああ街にはもう金木犀の香りがしている、自販機煌々ひかる夜道。最低な夜に回収されてゆく廃品。でも結婚式のあとで、背広のポケットに缶コーヒーを、いれられて君が微笑んだとき、初恋が終わったような気がしたんだ。
2026年08月15日

A bouquet of flowers for someone living alone知らない曲が、夜のどこかから流れてきた。隣の部屋か、向かいの建物か、それとも窓の隙間から入り込んできた風の悪戯なのか、出どころは分からないまま、思わず少し耳を澄ませた、いつもなら選ばないもの今日は何故か気になる。カーテンの向こうには、午前零時を過ぎた住宅街。ああ、無人島で三十日ぐらい漂流していたら、いまあることの半分ぐらいは、きっちりと結論を出せるだろうかって問う、いやどうだろう、そもそもまずそんなに会社の休みはないし。有給休暇をまとめて取るには、申請の理由が必要だ。理由欄に「自分の人生について考えたいので、無人島に三十日間漂流してきます」と書けば、上司は困った顔をして、総務は困った顔をして、たぶん産業医か人事面談の案内が届く。漂流は休暇ではなく、事故として扱われる可能性がありよりのあり。たまにトイレや、洗濯物を干しているときに、わけもなく恥ずかしいんだ、生きていることが。忍耐フェーズ、本音と建て前の迷路を通り抜けておいで。あの人に言うべきだったこと、言わないままにしたこと。本当に欲しかったもの。欲しいと思い込んでいただけのもの。仕事を辞めるべきかどうか。誰かを好きになることを、もう少し自分に許していいのかどうかも。行ったことのない店で見たことのないものを頼む。思ってた味と違うけどそれもそれで悪くない。コンビニでポテチを買いコーラを買う、人間としてどうなんだろうって思いながら、深夜のベランダで洗濯ばさみのように僕の思考を留めていた、怠惰を貪るインマイヘッド。まだ知らないものがある。まだ見たことのないものがある。これから何を知って何を好きになるだろう?そう思うだけで、これからも悪くない。ねえ、これから始まる新しいストーリー、眼をぶっ開いて見つめなよ。あ、う〇こ踏んだ。僕の耳元で重なる憂鬱に、過去に失敗した言葉の選び方や、相手を傷つけるつもりはなかったのに、結果として傷つけてしまった言い回し。理想論だけを並べ、現実に手を汚すことから逃げていた時間。甘さに襲われた夜がある、苦さに救われた朝もある、で、結局あれは何だったんだろうって思い返す、つれづれなるままの今日がある。バイパスの下で空を見上げている犬と飼い主がいて、飼い主がちょっと可愛いので何か見えますかって聞いたら、空が綺麗でって言われた。ヘップバーンみたいな笑窪がいい。犬は、毛の長い大型犬でさ、首輪には小さな金属のプレートがついていて、車の振動に合わせて、かすかな音を立てていた。犬も空を見上げ、耳を少し動かし、飼い主の真似して何かを見つけようとしていて、可愛いんだ。そうですねって言いながら、心の中のチャック・ベリーがギターを弾き始めたんだ、明日もここへ来ようと思う。犬にはズボンや服を舐められるけど、もふもふは正義だ。なんだこの弛んだ顎の肉は最高じゃないか。連絡先を交換したわけでも、次に会う約束をしたわけでもない。ただ、世界の音量が一瞬だけ上がっただけさ。降りたことのない駅で何となく改札を出てみる。冒険だ。改札を抜けると、駅前には小さなロータリーがあり、ベンチの上に雨粒の乾いた跡が残っていた。タクシー乗り場には車が一台もなく、時計の下に貼られた自治体のポスターだけが、風で端を揺らしていた。でも冒険でしょ?意味もないようなポエトリーを紡ぐ、木漏れ陽がまるでドリアンみたい、ああ、いまならカボチャスープに、鶏肉を入れて食べられる。ちょっとワクワクしながら歩いて、数十分後、ここには何もないなって笑う。この川の合流地点はいい。僕は欄干に手を置いた。鉄の表面は日差しで温められていて、亀の甲羅みたいだ。そうさ、知らない通りを選んで、気になる方へ歩いてみる。靴の底が、古いアスファルトの小石を一つずつ踏んでいく。住宅街の角には、使われていない自動販売機があり、取り出し口に枯れた葉が詰まっていた。塀の向こうから、犬の吠え声が二度だけ聞こえた。誰かの家の換気扇から、炒めた玉ねぎの匂いが流れてきた。いつからやってるのか分からない、スーパーマーケットで総菜眺めてみる。靴の先から、踊る、歌う、そうやって子供の頃から、生きて来た、インマイソウル。薦められていた映画なんとなく見る気になって 思ってたより良かったとなんだか得した気がする。むしろ、知らなかった誰かの人生を一つ借りて、返却期限までに返せたような感覚が残った。顔洗おう、歯を磨こうで、いつもの靴履いて、回転したディスクの指の皮脂、凡庸な鏡の中の凡人にポンジュールって言えば、重たい鞄は何を背負い込んでるんだろう、いつか宇宙人が部屋に来てくれたら嬉しいと思います、人類皆兄弟だと語り、戦争や差別や搾取については、うまく説明できないふりをするだろうか。ああ、また残業だ。昔なら選ばなかった色を着ててみたり、似合わないと思ってたこと、意外と悪くなかったり。ぐるぐる回る惑星の上で溺れるように進んできたからか、苦手だったものだって久しぶりなら変わっていた。塾が嫌いだった。学校が嫌いだった。人も嫌いだった。変わったのは自分なのか気にしなくなったかは分からない。季節が変わり、髪が伸び、古い友達の連絡先が消え、親の声が少しずつ低くなった。目隠しのなかでパズルを解いているみたいな気がする。でも際限なく続いた夢を破って、まもなく世界は転がり始めるさ。知ってることが増えても、初めてのことはなくならない。病的なまでに美学を詠ったって、胡散臭いことはなくならない。美しい言葉を並べても、言葉の裏にある打算や見栄や恐怖は消えない。むしろ、言葉が綺麗であるほど、その隙間から漂う胡散臭さが目立つんだよ。マニフェストみたいにさ、あのドヤ顔した政治家みたいに。でも賞味期限の切れたゼリー食べるんだ、納豆はまあいけるだろうって食べたんだ、ああ、鉄橋の扉は鎖で閉鎖中だし、窓から隣の工場の屋根にいた猫と目が合っても、その距離は、十メートルもなかったけど、どうしてそんなところにと、こんな休日の昼に何故か目が合った不思議をどうしよう、だけど、ごめん、そこまで行けるわけじゃないし。化けの皮剥がれたあとの澄ました芸能人は、そのあともやっぱり嫌いなままだった。グロいフロウを連ねるルサンチマンは、多分そのまま信頼を裏切られた結果そのものだ。立派じゃなくていい。賢くなくてもいい。誰かを裏切らない人間になれたらと思いながら、間違えたときに、間違えていないふりをしないこと。誰かの弱さを知ったあと、それを利用しないこと。相手の秘密を、自分の話の面白さのために消費しないこと。ふと気付く、みんなストレスが溜まっていて、余裕がないのかも知れない。行った場所が増えたって、行きたい場所もまた増えていく。割れたスマートフォンは黙秘を貫いているし、ドンキやコーナンで、変なものを探す癖は抜けないし、帰るときには、用途の分からない小さな工具や、妙な形の収納用品、誰が買うのか分からないぬいぐるみ、季節外れの花火などが袋の中に、入っているものさジ・エンド。華やぐシナリオと裏腹なセンチ、知らないものを見つけたらその時少し触れてみる。違っていてもそれでいい。それでもどうせならその中の一つぐらい、残ればいい。バイパスの下で空を見上げている犬と飼い主と、話し友達になって、独身らしいぞという情報を聞き出す。スーパーマーケットでも会った、家が近いらしい。「また会いましたね」って言われたけど、場合によっちゃ「ストーカーですか?」もありえたので、そこは警戒したいお年頃。外で犬は「なんだお前じゃないか」みたいに飛び掛かられて大袈裟に転ぶ、膝をつき、両手を広げ、犬の体重を受け止める。毛が鼻に入り、くしゃみが出そうになった。顔舐められた、飼い主は慌てて犬の名前を呼び、僕は笑いながら「大丈夫です」と言った、それも一つのビビッドマインド、なんというかビビッドマインド、よくは分からないけど子供の頃から、大型犬に飛び掛かられたいと、妄想してきましたと話しながら、さりげなく、本当にさりげなく、状況を寄せていく。まだ知らないものがある。まだ見たことのないものがある。これから何を知って何を好きになるだろう?自分を知るにはまだ少しかかるかな。気持ちをガソリンみたいに満たせたらいいのに、給油ランプが点滅してから慌てるのではなく、いつでもタンクの半分くらいまで満たされていたらいい。何かに腹を立てる前に、何かを諦める前に、少しだけ走れる余力があればいい。ああ今日ふと思った、明日この街や世界が許されなくなったって、抱える涙や孤独が混ざりあったとしたって、鋭利な虚像の正体が、最後まで分からなかったとしても。まだ楽しいことが残っているって。来月の自分が今と同じものを好きとは限らない、シンドロームなんだ、蜃気楼なんだ、そう思うだけでこれからも悪くない。もう一生、徒労と踊っていようぜ。閉め忘れた蛇口をさ確認しなきゃな、水の溜まったシンクを眺めながら栓を抜く。知らない曲が流れて思わず少し耳を澄ませた。また一つ好きなものが増えるかも知れない、小さな蜘蛛がいるけど、知らないふりしてほっとこう、開けっ放しにした青い蝶がいるけど、まあ、そのうち勝手に外へと出て行くだろう。バイパスの下で空を見上げている犬と飼い主が、この家へとやって来る、部屋の掃除は入念にした、二回もやった、え、二回も?でも手は出しちゃ駄目、がっつくのはルール違反、ああでもそんな余裕、ゆとり、もうちょっと若い頃に欲しかった。ガタガタうるさい室外機が最高だね、冴えない日々をぼやくようだぜ、インマイヘッド。さあ、スパゲティとシチューを作った、炭水化物と煮込み料理が同じ食卓に並ぶ。味の組み合わせとして正しいかどうかは分からない。けれど、二つとも作りたかった。もしかしたらスパゲティシチューだって、合体させたくなるかも知れない、戦隊シリーズみたいなものだ。ピザは注文して、棚にはちょっと高い粉コーヒー、プリンが好きだという情報はありがたい、ほねっこを用意して、足を拭くタオルも用意して、いやもうなんだったら、靴のまま這入ってもらってもってボケも考えつつ、あの頃と変わらない気持ちで、心の中には春の花が咲くだろう、ああもうちょっと、人生が明るくなるといいね、もうちょっとだけ、嫌なことが少なくなるといいね。さあ、インターフォンが鳴る。
2026年08月14日

笑った?マンションの様子がおかしくなったのは、梅雨の初め頃からだった。僕がここに越してきたのは、今年の四月頭だ。入学式の一週間前だ。まだ街路樹の桜が、夜ごとの冷たい風に耐えながら、はらはらと歩道に花びらを散らしていた時期だった。引っ越しのトラックがエンジンを止めると、あたりは思いのほか静かで、遠くの踏切の警報音が、湿った空気に揉まれて低く鈍く響いていたのを覚えている。帰宅すると、まだ半分ほど開封されていない段ボールが、部屋の壁面に積み上がり残る部屋で、コンビニ弁当を食べて眠る。電子レンジの温め表示はあと一分で止まり、弁当のフィルムを剥がすときの湯気が、唯一の生活感だった。建物の細かな変化を気に留める余裕などなかった。大学の講義、アルバイト、課題。生活の大部分はそれらで埋まっていた。帰宅すればシャワーを浴び、スマートフォンのアラームをセットして、布団に潜り込む。目が覚めればまた同じ一日。そんな日々の中で、建物の異変に気づく余裕など、僕にはなかった。人間というのは、暮らし始める前には部屋を、『物件』として見るが、暮らし始めてしまえば、そこを身体の延長として認識するようになる。内見のときには、僕は壁の一枚一枚を、床材の継ぎ目を、コンセントの位置を、値踏みするように眺めていた。けれど住み始めて一週間もすると、僕はもう、廊下を歩くのに壁を見なくなっていた。関節や筋肉や腱の張りだけで、見ずとも自分の四肢の位置を把握する、あの感覚。それが部屋の間取りにまで拡張されていく。義足や車椅子が、使い込むうちに脳の身体地図へ、組み込まれていくのと同じ現象だ。大学を機にここへ入居した。家賃が安い。駅から近い。大学まで電車一本で行ける。ワンルームにしては最低限の広さがある。バス・トイレ別で、南向き。築年数は古いが、内見のときに見た部屋はきれいにリフォームされていた。壁紙は白く、床は薄い木目調のフローリングで、窓の外には隣の建物の赤錆の浮いた鉄骨の非常階段が見えた。眺望は期待できなかったが、日当たりさえ確保できれば十分だった。建物は地上七階建てで、各階の部屋番号は一〇一から始まり、最上階は七〇三号室まで。エレベーターはワイヤーロープ式の古びたものが一基だけ。屋上へ続く扉には、赤い文字で、『立入禁止』と印刷されたアクリル樹脂のプレートが貼られ、さらにその上から管理会社のラミネート加工されたシールが貼られ、太い鎖と南京錠で閉じられていた。しかし、引っ越して二ヶ月を迎えようとした頃から、建物の躯体そのものが病魔に侵されたかのような異変が起きた。もしかしたら関係ないかも知れないが、引っ越しの翌日、段ボールを潰していると、廊下の突き当たりから、誰かが走ってくる音がした。小さな足音だった。裸足で、ぱたぱたと、濡れた床を踏むような音。そのときは、上の階の子供だろうと思った。このマンションに子供が住んでいるのかどうか、そのときの僕は知らなかったちなみに、いなかった。後日、大家さんに聞いた話では、このマンションに子供が住んだことは、ここ十年で一度もないらしい。大家さんは「小さな子が住めるような造りじゃないからね」と、階段の手すりを指さした。手すりの高さは、大人の腰の位置。子供が掴まるには、高すぎる。大家さんは続けた。「それに、この辺りは学校まで遠いしね。子育て世代には不向きなんだよ」最低、夜中の二時に走り回る子供は普通いない。その答えは意外なところで分かった。立ち入り禁止で、鍵の閉められている屋上の給水タンクの影から、白いシャツを着た子供が顔を出していた。年齢は六歳か七歳くらいに見えた。どうやって入ったものだろう小さな子供が、楽しそうに重力定数を無視したような軽やかさで飛び跳ねている。「危ないことしちゃ駄目だよ」と大きな声をかけると、その瞬間、顔の部分だけが黒く見えた。目鼻立ちが見えなかったというより、そこだけ濡れた墨を塗り潰したように、形そのものがなかった。子供は、僕の声を聞くと、飛び跳ねるのをやめ、じっと僕を見つめた。そして、突然、屋上のフェンスを乗り越え、飛び降りた。僕は、慌てて駆け寄った。しかし、そこには誰もいなかった。僕はそもそも、幽霊がよく見えるのだ。これについて大昔に末代まで祟ってやるとか言われて、呪われたことに起因するらしい。どういう事情で、誰が、何に対して怒っていたのかは、家族の誰も詳しく話してくれない。祖母は「昔のことだから」と言い、母は「子供にそんな話を聞かせるものじゃない」と言った。一度だけ、酔った伯父が口を滑らせたことがある。『井戸』と『約束』という単語が出て、その先を祖母に遮られた。だから僕が知っているのは、我が家のどこかの代で、誰かが、水にまつわる何かの約束を破った、ということだけだ。それ以上は、家系の澱の底に沈んでいて、掬い上げられない。そんなわけで、喜八とか、七平とか、半六とか、こういう名前がついた。だから自分の名前にも数字が入っている、四郎だ。理由はよく分からない。僕が四番目に生まれたわけでもないし、父親が時代錯誤の思想を持っていたわけでもない。出生届を出すとき、祖父が強く主張したのだという。「数字を入れておけば、あちら側が数え間違える」祖父は、そう言ったらしい。数秘術的な護符としての名前。数字が入ることで、霊的な台帳から一度弾かれ、再登録の際に混乱を生じさせるという理屈だ。 子供の頃の僕は、その言葉を冗談だと思っていた。しかし、小学校に上がる頃には、家の廊下に立つ知らない女の人が見えるようになっていた。中学生になると、夜中に階段を上がってくる濡れた足音を、鼓膜ではなく頭蓋骨の振動として聞くようになった。高校生の頃には、誰もいない教室の窓に、人の顔が映ることもあった。まあ、そういうものだと思うしかない。幽霊に慣れるというのは、キチン質の外骨格を持つ奇妙な虫虫に慣れるのと少し似ている。マンションの一〇七号室のカーテンは、以前から閉じたままだった。しかし、それまでの隙間からは、部屋の中に置かれた家具の輪郭が見えていた。テレビ台らしきもの、背の低い棚、窓際に置かれた観葉植物。ところが、ある日を境に、カーテンの隙間から見えるものが変わった。高分子ポリエチレンのゴミ袋だった。そう、まず一階の一◯七号室がゴミ屋敷化し、締め切ったカーテンの隙間から窓を覆うように、みっちり積み上げられたゴミ袋が見えるだけでなく、外廊下にまで廃品が溢れるようになった。通路の壁際に、壊れた扇風機、黄ばんだ布団、取っ手の取れた鍋、傘の骨、黒ずんだ段ボール箱が積まれている。雨の日にはそれらが湿気を吸い、廊下全体に酸っぱい臭いが漂った。腐敗臭というほど強くはない。けれど、甘ったるく、咽喉の奥に残る臭いだった。床に置かれたゴミ袋のいくつかは、底が抜けていた。中から黒い液体が染み出し、タイルの目地に沿って細長く流れていた。誰かが掃除した形跡はあるのに、翌朝にはまた新しい液体が広がっている。清掃員の女性は、黄色いゴム手袋を二重にして、消毒液を撒きながら何度も顔をしかめていた。管理会社に連絡をした住民もいたらしい。管理会社の人間が一度だけ来て、インターホンを鳴らしているのを見たことがある。しばらくして、「ご本人はいらっしゃいますか?」という声が廊下に響いた。返事はなかった。代わりに、室内から、何か重いものを引きずる音がした。掲示板には、『共用部分への私物放置について』という紙が貼られた。次に、『衛生環境維持のお願い』という紙が貼られた。その次には、『改善が見られない場合は、然るべき対応を取ります』と書かれた、少し大きな紙が貼られた。管理会社のロゴ入りの公式書式で、日付と担当者印が押されていた。しかし、何も変わらなかった。日本の賃貸借契約において、大家が一方的に退去を求めるには、正当な事由が必要であり、ゴミの放置だけでは、民事訴訟を起こしても認容されるまでの証拠集積に、半年以上かかると、ネットで調べた。よほどの用法違反や、近隣への実害の立証が要る。だから管理会社は、紙を貼ることしかできなかった。かように法的な立ち退き要件を満たせず解決していない。一〇七号室の住人がどんな人なのか、僕は知らない。前を通ると、部屋の奥から爬虫類の瞬膜越しに見つめられているような、妙に粘っこい視線を向けられている気がした。カーテンの隙間はわずか数センチしかないのに、その隙間の暗がりから、こちらの動きを追っているような感覚がある。一度、廊下のゴミ袋に足を取られたことがあった。振り返ると、カーテンの隙間が少しだけ広がっていた。約二センチだったものが、五センチほどに開いていた。 人の目が見えた気がした。黒目ではなく、濡れた白目だけが、暗がりの中に浮かんでいた。白目の表面には細かな血管が走り、光を反射して淡く輝いていた。僕はそれを見なかったことにして、足早に通り過ぎた。自意識過剰というものだろう。それに、僕の住む二◯四号室からは離れているから、これに関しては、まだ我慢できる範囲だった。ただそのせいか、鴉や野良猫が増えた。鴉は、最初のうちは二、三羽だった。やがて、金網に並ぶ数が増えた。朝の六時前から、屋上のフェンスや、近隣のアパートのテレビアンテナに止まり、濡れた羽根を膨らませていた。嘴の先は濡れて光り、鳴き声は建物の壁に反射して、どこから聞こえてくるのか分からなかった。鴉という鳥は、近くで見ると意外なほど大きい。黒一色に見える羽毛も、雨に濡れると紫や青緑の光沢が浮き、首を動かすたびに羽の重なりが油膜のように変化する。そして、目が妙に明るい。鴉が現れると、七〇三号室の住人が狂喜乱舞した。七〇三号室の住人は、細身の男性だった。普段は無精髭を生やし、灰色のスウェットを着ている。鴉を見つけると、ベランダから身を乗り出し、まるで旧友に再会したように両腕を振る。「おーい! 今日も来たか!」彼は鴉に餌を与えていた。食パン、揚げ物の残り、魚の骨、ときには生肉のようなものまで、ベランダから投げ落とす。鴉がそれを拾うたび、彼は手を叩いて喜んだ。「よく食べるねえ、よく食べるねえ」と、同じ言葉を繰り返す。 大家は何度も注意した。「勝手に来るからいいじゃないですか。鳩だって公園に勝手に来る」それが彼の持論だった。「鳩はいいんですか」「鳩は平和の象徴でしょう」「鴉も鳥です」「鴉は賢いんですよ」会話が成立しているようで、言語のゲシュタルト崩壊を起こしているように、何も成立していなかった。鴉の糞で、外廊下の手すりや駐輪場の屋根は、尿酸の結晶で白く汚れた。雨が降るとそれが溶け、灰色の水になって、自転車のサドルや郵便受けに垂れた。これも解決していない。野良猫はマンションの裏手に数十匹ほどいた。黒猫、茶白、キジトラ、三毛、白黒。耳の先が欠けている猫。片目の濁ったもの。尻尾が途中から折れているもの。人の姿を見ると寄ってくる猫もいれば、こちらを見ただけで物陰に消える猫もいる。裏手の空き地には、いつの間にか発泡スチロールの箱や、古い毛布が置かれ、誰かが餌を与えているらしかった。そこはちょっとした猫タウンになっていた。昼間は、猫たちが互いに距離を保ちながら、日陰で眠っている。猫は、社会性を持ちながらも個の距離を厳格に守る動物だ。互いに数メートルの間合いを空け、干渉せず、しかし同じ場所を共有する。その、緩やかで乾いた共同体が、昼下がりの空き地には広がっていた。しかし、不思議なことに、夜の九時を越えると一匹もいなくなる。九時前には、確かにいる。九時ちょうどに、どこかで遠くの鐘が鳴るわけでもない。街灯が切り替わるわけでもない。けれど、九時を過ぎて裏手を覗くと、毛布も餌皿もそのままなのに、猫だけが消えている。鳴き声も、物音もない。猫たちが一斉に立ち去ったというより、そこから猫という存在だけが抜き取られたようだった。一度、午後八時五十八分に見たときには、十匹ほどの猫がいた。僕は腕時計を確認して、二分後にもう一度窓から覗いた。いなかった。その代わりに、濡れた地面の上に、猫のものとは思えないほど大きな足跡が一列、裏手の暗がりへ続いていた。そうだ、それはもっと大きく、もっと深い。まるで、何かが二本足で歩いたような。いや、四本足で歩いたにしては、間隔が広すぎる。僕は、その足跡を、暗がりが見えなくなるまで、追った。足跡は、マンションの外壁に沿って、一階の一〇七号室の窓の前で、消えていた。これは関係ないかも知れないが、配水管が壊れたのは、その数日後だった。マンション前の歩道には、古い水道管が埋まっていた。朝から気温が高く、アスファルトの照り返しが強い日だった。僕が大学から帰ってくると、道路の一角が濡れていた。最初は、誰かがホースで水を撒いたのだと思った。しかし、濡れた範囲は広がっていた。歩道のタイルの隙間から、細い水が噴き出している。噴き出した水は最初、五センチほどの高さだった。それが数分のうちに勢いを増し、やがて小さな噴水のようになり、圧力の抜けた水が、白い霧状の飛沫を伴って、二メートル近くまで上がり、夕陽を受けて一瞬だけ虹を作った。茶色く濁った水が、道路脇の側溝へ流れていく。近くにいた人がスマートフォンを取り出した。別の誰かが、「ちょうど暑い日だったから、打ち水だね」と言った。その直後、後ろにいた男が、「かちわり食べたい」と呟いた。何故そんなことを言ったのか、誰にも分からなかった。その男は、呟いた後、自分の言葉に驚いたように、口を押さえた。そして、何も言わずに、その場を離れていった。水道業者が来るまで、マンションの入口には規制線が張られた。作業員は道路を掘り返し、湿った土を露出させた。土の中から、錆びた管と、黒い根のようなものが絡み合って出てきた。作業員の一人が、それを見て眉をひそめた。「これ、管の破裂だけじゃないな」もう一人が、「何がですか」と聞いた。「いや、何でもない」翌日には配水管は直った。新しい管に交換され、埋め戻しが行われ、アスファルトで仮舗装された。水も止まり、歩道の穴も仮舗装された。しかし、それと同時に、マンション全体に、間質性肺炎の患者の肺胞を満たすような、妙な湿っぽさが漂うようになった。空調を入れても、床が乾かない。洗濯物は、朝に干して夜になっても冷たく湿っている。靴箱の中の革靴には白いカビが浮き、押し入れにしまっていた教科書の端が波打った。壁紙の継ぎ目には、薄い灰色の染みが現れた。マンションの入口にあるガラス扉は、いつも湿気で曇っていた。外気と室内の温度差による結露だろうと、管理会社は説明した。だが、晴れた昼間にも曇っている。そして、そのガラスに時々、小さな手形がついていた。手形の位置は、いつも僕の胸くらいの高さだった。六歳か七歳くらいの子供なら、ちょうどそのくらいだし、小さな手のひらだ。五本の指。指先だけが少し長い。そして、右手ばかりだった。内側から曇る日もあれば、外側から曇る日もある。指で拭うと透明な筋ができる。その筋は、しばらくするとまた白く塞がっていく。ある朝、僕はガラス扉に残った水滴を見ていた。水滴の中に、逆さまの人影が映っていた。僕の後ろには誰もいなかった。それでも、ガラスの中の人影だけは、僕より一歩遅れて首を傾げた。次におかしくなったのは、四◯二号室の住人だ。四〇二号室には、会社員らしい若い男性が住んでいた。年齢は二十代後半くらい。いつもシャツに細身のスラックスを履き、髪は短く整えていた。エレベーターで一緒になると、必ず会釈をする。雨の日には、僕が濡れた傘を持っているのを見ると、少し体をずらして場所を空けてくれた。感じのいい人だった。だから、最初に彼を見たとき、僕は別人かと思った。彼はマンション中の部屋を訪ね歩き、謎のビニール袋を配っていた。袋は透明で、二重に縛られていた。中には、真っ赤な、よく分からないものが入っている。肉の塊にも見えた。筋繊維のようなものが確認でき、脂肪組織と思われる白色の部分も混じっている。 潰れた果物にも見えた。果肉の繊維と種子のような粒が含まれている。濡れた布を丸めたもののようでもあった。織物の縦糸と横糸が、赤い液体に染まって絡み合っている。しかし、どんなものに見えるかは、見るたびに変わった。ある時は肝臓のスライスに見え、ある時はトマトのペーストに見え、またある時は赤い粘土のようにも見えた。袋の表面には赤い液体が付着していた。血に見えなくもないが、血にしては色が鮮やかすぎる。透明なビニールの内側に赤い筋が流れ、結び目のところに黒い雫が溜まっていた。「どうぞ」彼はそう言って、袋を差し出した。声は以前と変わらない。ただ、目だけが異様に輝いていた。瞳孔が異常に開き、虹彩の色が通常のダークブラウンから、わずかに赤みを帯びた琥珀色に変わっているように見えた。 「何ですか、これ」「お裾分けです」「いや、結構です」「遠慮しないでください。皆さんに配っています」彼の部屋の前には、同じ袋が何十個も並べられていた。袋の中から、かすかに水音がした。ちゃぷ、ちゃぷ、と羊水が揺れるような音がした。母胎の中で、命がまだ数えられる前の、勘定に入る前の状態で浮かんでいる、あの水の音。袋の中で、何かが、生まれる前の姿勢で、ゆっくりと揺れていた。僕は受け取らなかった。彼はしばらく僕の顔を見ていたが、やがて笑った。「あなたのところにも、ちゃんと届きますから」その言い方が、宅配便の不在票のように聞こえた。彼の口元だけが不自然に歪み、笑っているのか泣いているのか判別しがたかった。そして翌日には、それがマンション中に配られていた。郵便受けの上。玄関前。階段の踊り場。エレベーターの脇。赤いものを透明な袋に入れ、輪ゴムで口を縛ったものが、まるで誰かへの贈答品のように置かれていた。彼は会社にも行かなくなった。昼夜を問わず、マンションの各部屋を訪ね、赤いものを配った。インターホンの履歴には、彼が立っている姿が何度も残った。録画機能付きのインターホンには、彼がカメラの前で無表情に立ち、ときどき軽く頭を下げる映像が保存されていた。玄関先で袋を揺らしながら、誰かが出てくるのをじっと待っている。待っている間、彼は何度も袋の中身を確認し、口を縛り直し、結び目を指先で撫でていた。 受け取った者がいるのかどうかは分からない。少なくとも、僕が見た限りでは、誰も受け取っていなかった。管理会社への通報が重なり、警察も一度来た。四〇二号室のドアの前で、管理会社の担当者と警察官が話をしている間、彼は部屋の中から小さく笑っていた。その笑い声は、何かを楽しんでいるというより、遠くの誰かと会話しているようだった。問題行動そのものは、それでも収まらなかった。数日後、近隣の駐輪場で、彼が昆虫をカッターで切り裂いているところを目撃された。床に敷いた新聞紙の上に、蝉、甲虫、蛾、名前の分からない細長い虫が並べられていた。昆虫はすべて生きた状態で、脚をピンセットで固定されていた。彼はそれらを一匹ずつ透明なケースに入れ、まるで比較解剖学の狂信者のように、冷徹な刃さばきで外骨格を割り、内臓組織を切断していた。注意をした男性と口論になり、彼は相手の腕を切りつけた。救急車と警察が来るほどの騒ぎになった。ある日、大学から帰ってきたら、隣の部屋に住む高齢の女性が、玄関先で僕を待っていた。彼女はいつも、買い物袋を両手に提げている。白髪を後ろで束ね、背中が少し曲がっている。僕を見ると、周囲を気にするように声を落とした。「あの人、警察に連れてかれたよ」「四〇二号室の人ですか」「そう。手錠をされてた。あれはもう、戻って来られないかもしれないねえ」彼女の背後では、四〇二号室のドアに貼られた注意書きが、湿気で端から剥がれていた。それから、彼の姿は見ていない。前頭葉の異常か、セロトニン受容体の機能不全か、いずれにせよ精神を病む人は悲しいものだ。そう思った。そう思わなければ、あの袋の中身が、僕たちの想像しているものとは別の何かだったのではないかと、考えてしまうからだ。これも直接関係ないかもしれない。たまたま隣の家の人と駅前で会い、一緒に歩いていたときのことだ。彼はマンションの隣にある一戸建てに住んでいる男性で、年齢は三十代半ば、職業はシステムエンジニアだと言っていた。駅前のドラッグストアで買い物をしているところを見かけ、帰る方向が同じだったので、そのまま歩いた。夕方だった、雨上がりの道路には、水溜まりが残っていた。車が通るたび、タイヤが水を撥ね、歩道の縁石に細かな泥を飛ばしていた。彼は、僕の祖父母が住んでいる地域の話を始めた。そのあたりには、黒い郵便夫の話があるのだという。夜中に、黒い服を着た郵便夫がやって来る。服は黒い背広で、帽子は黒い山高帽。靴は黒い革靴。すべてが黒一色で、唯一、手袋だけが白い。郵便受けに手紙を入れるのではなく、住人へと手渡しする。渡し終えると郵便夫は、街灯の下で一度だけ頭を下げ、次の瞬間には消えている。そして、受け取った郵便物を開けてみると、中には具体的な死の予定が書かれている。一週間後の何月何日、何時何分。どこそこで死ぬ。交通事故なのか、病気なのか、転落なのか、それとも誰かに殺されるのか。そこまで書かれている。「ひどい悪戯ですね」僕はそう言った。「何処で死ぬって書かれていたんですか」彼は、僕の顔を見ずに答えた。「病院」その声だけが、妙に真顔だった。信号が青に変わった。彼は横断歩道を渡り始めた。横断歩道の長さは約十二メートル、点滅時間は十五秒。僕はその背中を見ながら、何故か、彼の後ろにもう一人いるような気がした。黒い服の男。帽子のつばが深く、顔が見えない。僕が一度瞬きをすると、その姿は消えていた。横断歩道を渡り終えたところで、彼は突然、運動量保存の法則に身を委ねるように車道へ飛び込んだ。右から来た車のブレーキ音が響いた。タイヤが濡れた路面を擦り、車体が傾き、彼の身体がボンネットに跳ね上げられ、そのまま放物線を描いて路面へ落ちた。倒れた彼の手から、ドラッグストアの袋が離れ、洗剤と缶詰が路上に転がった。僕はアスファルトに散る血飛沫を見ながら、冷静に119番通報をして救急車を呼んだ。電話口のオペレーターに、住所と現場の状況を伝えた。彼は意識を失っていたが、呼吸はあった。額から血が流れ、シャツの胸元が濡れていた。救急隊員が到着したとき、僕はふと、彼のポケットから封筒の端が覗いているのを見た。封筒は黒かった。濡れているのに、紙だけが乾いていた。血液が封筒の表面ではじかれ、球状になって転がり落ちた。続いて、今から一週間前。買い物から帰ってきたら、マンションの前にパトカーが何台も止まっていた。赤色灯が、濡れた外壁を規則正しく染めている。青白い光が窓ガラスに反射し、マンション全体が、遠くから見ると呼吸しているように明滅していた。周囲には野次馬が集まっていた。スマートフォンを構えている人。傘を差したまま、向かいの歩道から動かない人。近所のコンビニ店員らしい制服姿の女性。誰かが、「またあそこか」と言っていた。何があったのか聞くと、傷害事件が起きたのだという。僕の部屋の二つ隣に住むカップルが喧嘩をして、女性が男性を刺した。原因は、男性の浮気だろうかと思った。しかし、後から聞いた話では、そうではなかったらしい。浮気でも金銭問題でも、DVでもなかった。女性が突然、愛の証明をしたくなったのだという。彼女は彼に「私を愛してるって証明して」と繰り返し、彼が「どうやって証明するんだ」と問い返すと、彼女は「こうやって」と言って台所へ向かった。男性は拒んだ。それでも女性は、何度も「証明して」と言い、男性の腕を掴み、台所から持ち出した包丁を握った。その後のことは、隣人の証言や警察の発表によって、少しずつ断片的に分かった。玄関近くの床に、血が飛び散っていた。壁紙には、赤黒い細かな斑点が付いていた。階段へ続く外廊下にも、点々と血痕が残った。雨に濡れた血は薄く広がり、乾くと茶色く変色した。管理会社が洗剤と高圧洗浄機で何度も掃除したが、タイルの目地に入り込んだものは完全には消えなかった。数日後、夜に帰宅すると、階段の踊り場にまだ赤い跡が残っていた。僕はそれを見ないようにしながら、壁際を歩いた。すると、足元の血痕が、僕の歩幅に合わせて一つずつ増えていった。後ろから誰かが歩いている。そう思って振り返ったが、そこには誰もいなかった。カップルは、その後、マンションに戻らなかった。噂では、そのまま青木ヶ原の、磁場が狂いコンパスが効かないと言われる富士の樹海へ行ったらしい。若い男女にはよくあることだ。そう言う人もいた。僕には、何がよくあることなのか分からなかった。でも後ろの幽霊がそんなことを囁くのだ。幽霊の声は直接耳ではなく、後頭部の内側から聞こえる。言語というより、概念が直接伝達されるような感覚だった。これもまったく関係ないとは思われるが、夜にコンビニへ行くと、見える幽霊の数が異様に増えた。以前から、駅までの道には何人かいた。電柱の脇に立つ男。横断歩道の向こうで、信号が変わっても渡らない女。コンビニの雑誌棚の前で、同じページを何時間も読んでいる老人。それくらいなら、珍しくない。しかし、最近は数が増えた。コンビニの自動ドアを抜けると、店内のあちこちに幽霊がいる。冷蔵ケースの前に三人。コピー機の横に二人。レジの後ろに一人。弁当売り場の床にしゃがみ込み、透明な手で商品を選んでいる子供もいる。店員には見えていないらしい。僕が幽霊の間を避けながら歩くと、店員が不思議そうな顔をする。「何か探してますか」「いえ」「さっきから、何もないところを避けているので」僕は笑って誤魔化す。これだけいると、もう霊の溜まり場であり、心霊スポットのレベルだ。ただ、単に僕の波長が合っているだけかもしれない。僕の実家でも、よくこんなことがあった。父の書斎の前に、首の長い女が立っていた。首の長さは普通の人の二倍、首の表面には縦に走る皺があった。階段の途中に、濡れた制服の少年が座っていた。制服は昭和五十年代のデザインで、襟に校章が刺繍されている。仏間の襖の向こうから、家族の誰でもない声で僕の名前を呼ばれた。僕は子供の頃から滝行などの修行をしているため、悪霊でさえ手出しできないと、霊能者のお墨付きをもらっている。だから、これも慣れている。幽霊が壁を抜けて部屋を覗いてくること。テレビを見ていると、背後から肩に触れてくること。枕元に立った誰かが、耳元で「返して」と囁くこと。もう、慣れた。ただ、数が増えると、慣れていても落ち着かない。最近では、コンビニからマンションへ戻るだけの道で、十人以上の幽霊とすれ違う。そのうち何人かは、僕の後ろをついてくる。自動販売機の明かりの下で、ふと振り返ると、道路の端に長い列ができている。誰も声を上げない。誰も歩いているようには見えない。ただ、僕が進む方向へ、少しずつ顔だけを向けている。その列の最後尾に、屋上で遊んでいた子供がいる。雨に濡れた白いシャツ、黒く塗り潰された顔。そして、片手に、赤いビニール袋を提げている。立て続けにこんなことが起きると、住民の間にも澱んだヘドロのような嫌な空気が漂う。エレベーターの中では、誰も話をしなくなった。エレベーターの鏡には、乗っている人数と、映っている人数が一致しないことが増えた。最初は一人多い。次の日は二人。僕が見ると、後ろに知らない老人が立っている。でも、鏡の中の老人は、僕を見ていない。もっと上を見ている。七階の、そのさらに上。以前なら、天気や電気代の話をする人もいた。今は全員、階数表示だけを見ている。階数表示のデジタル数字が一つ変わるたびに、全員の視線が一斉に動く。誰かが乗ってくると、全員が一度だけその顔を確認し、それから視線を逸らす。お隣さんは、ある晩、玄関前で僕に言った。「ここ、呪われてるんじゃないの?」本気なのか、ジョークなのか分からない声だった。僕だって治安の悪さは気になる。一〇七号室のゴミ。七〇三号室の鴉。四〇二号室の赤い袋。近所の事故。隣室の傷害事件。増え続ける幽霊。それでも、僕は「都会って怖いところだよな」と思っていた。地方出身の僕には、都会の人間関係の希薄さも、夜道の明るさも、無関心の多さも、まだ馴染まない。誰かが異常な行動をしていても、隣人は見て見ぬふりをする。管理会社は書面を貼るだけ。警察は事件が起きてから来る。そういうものなのだろう。引っ越すのは難しい。敷金礼金、仲介手数料、引っ越し代。大学の授業料や定期代を考えれば、僕にはそんな余裕はない。だから、我慢するしかなかった。やがて大家さんが、ポケットマネーをはたいて、マンションをお祓いしてもらおうと思ったらしい。呼ばれたのは、神主なのか、霊能者なのか、よく分からない男だった。黒いスーツを着て、首から大きな数珠を下げていた。玄関、階段、エレベーター、屋上へ続く扉、一〇七号室の前、そして配水管が壊れた場所を順番に見て回った。玄関に塩を撒き、水を置き、鈴のようなものを鳴らし、祝詞とも読経ともつかない声を上げた。最後にエントランスで、白い紙垂を付けた棒を振り、何かを唱えた。 風はなかった。それなのに、紙垂だけが激しく揺れた。男は、途中で何度も言葉を詰まらせた。大家さんが「大丈夫ですか」と尋ねると、男は首を横に振った。「この建物だけではありません」「どういう意味ですか」「建物の下に、流れがあります」「水道管ですか?」男は答えなかった。彼は額に汗を浮かべ、数珠を握りしめたまま、その場を後にした。祓いの後、一時的に空気が軽くなったような気がした。エントランスのガラスも、その夜だけは曇らなかった。しかし、翌朝になると、また白く濁っていた。祓いは、まったく効かなかった。元凶が別のところにあるみたいだった。僕は考えた。おそらく、霊道が変わったのだ。土地の造成、地下配管の工事、道路の拡張、古い建物の取り壊し。人間が街を作り替えるたびに、霊の流れも変わる。昔は墓地だった場所にマンションが建っていることもある。川を暗渠にして、その上に道路が通っていることもある。あるいは、霊を引き寄せる特殊体質みたいな人が、この街に現れたのかもしれない。本当に傍迷惑な奴だ。ブチ殺してやりたい。そう思ったとき、エントランスのガラスに、僕の後ろの景色が映った。そこには、僕の姿と、もう一人の僕の姿が映っていた。僕が右手を上げると、もう一人の僕は左手を上げた。毎日、何も起きませんようにと思って部屋を出る。玄関の鍵を閉める前に、室内を見回す。コンロの火は消えている。電源タップに異常はない。窓は閉まっている。水道も止まっている。それでも、最近は、出かける前に三回確認するようになった。しかし今日、ついに僕自身の生活が揺らぐ出来事が起きてしまった。マンションが、火事になったのだ。大学から帰ってきたら、今度はマンションの前に数台の消防車が来ていた。赤い車体が、建物の前を完全に塞いでいる。ホースが歩道を横切り、消防士が怒鳴り声を飛ばしながら走っていた。濡れたアスファルトには消火剤と泥が混ざり、白い泡が風に押されて側溝へ流れていた。はしご車、ポンプ車、救急車、最初、僕は消防車のイベントかと思った。こんなに大量の消防車を一度に見るのは初めてだったから、少しだけテンションが上がった。けれど、その先にあるのが自分のマンションだと気づいて、すぐに意気消沈した。建物の上部から、白い煙が出ていた。三〇四号室の窓ガラスが割れ、黒い煤が外壁に付着している。消防士が梯子を掛け、ホースから大量の水を送り込んでいた。幸い、火事はボヤで済んだらしい。原因は、三〇四号室の電気系統のトラブルではないかと説明された。ただ、三〇四号室は僕の部屋の真上だった。消火活動の影響で、二〇四号室も水浸しになっていた。天井から水が落ち、壁紙が剥がれ、床には水が溜まっている。机の上のノートは濡れ、ベッドの布団は重く沈み、コンセントの周囲には薄い水の膜ができているらしい。漏電の危険があるからと、僕は部屋に入れてもらえなかった。消防士に肩を押され、マンションの外へ追い出された。「今夜は別の場所で過ごしてください」「でも、着替えが部屋の中に」「危険です。管理会社と相談してください」消防士の声は落ち着いていた。その落ち着きが、かえって怖かった。僕は今、近所のファミレスにいる。窓際の席に座り、ドリンクバーの紅茶を飲んでいる。薄い紙コップから立ち上る湯気は、マンションの入口に漂っていた湿気とよく似ていた。店内には、夕食前の学生や、パソコンを開いた会社員、子供連れの家族がいる。誰も、僕のマンションが燃えたことを知らない。あるいは、知っていても、自分には関係ないと思っている。ファミレスの中は明るかった。天井の照明は白く、空調は一定で、テーブルの表面は清潔だった。厨房からは油の焼ける匂いがする。ドリンクバーの機械が一定間隔で低く唸る。食器が触れ合う音、子供の笑い声。注文を確認する店員の声。世界は、何も変わっていないように見えた。僕は鞄の中を整理していた。濡れた教科書、財布、スマートフォン、筆箱、学生証。その底に入れていたお守りに気づいた。大学に入学したとき、祖母から渡されたものだ。赤い布袋に、金色の糸で小さな文字が刺繍されている。文字は梵字で、おそらく、『オン・アビラ・ウンケン・ソワカ』という真言が書かれている。中には紙札と、僕の名前を書いた細長い紙が入っているらしい。これまで、肌身離さず持っていた。しかし、お守りはずたずたに引き裂かれていた。布袋は裂け、糸はほどけ、中の紙札は濡れて黒く変色している。紙札の中央には、赤い染みが広がっていた。血のようにも見えるが、火事の煤と水が混ざっただけかもしれない。僕は、大学の友人だなと思った。よくあることだ。子供時代、水泳の時間になると、よく服を裂かれていた。誰かが僕のシャツを引っ張り、背中の布を破った。体育着を隠されたり、教科書をパクられたりもした。誰がやったのかは分からなかった。教師は、「物がなくなるのは、管理が悪いからだ」と言った。いじめだ。それ以外に言いようがない。しかし今回は、誰かがやった形跡がないという。お守りは鞄の内ポケットに入っていた。ファスナーは閉じていた。鞄そのものは、ずっと僕が持っていた。それでも、布袋だけが引き裂かれていた。外側からではなく、内側から裂いたように。僕は、これはきっとミステリーなのだろうと思った。死角をくぐり抜けて、誰かがこんなひどいことをする。よほど、このお守りが気に入らなかったのだろう。他人に恨みを買わないような人間になりたい。そう思いながら、紙コップの紅茶を飲んだ。そのとき、向かいの席のガラス窓が白く曇った。冷房の効いた店内で、窓の外は雨も降っていない。曇ったガラスに、指で文字が書かれていく。ひらがなだった。『しろう』そう書かれていた。僕は息を止めた。文字は、もう一度、ゆっくりと増えた。『つぎは、にひゃくよん』窓ガラスの向こうに、白いシャツの子供が立っていた。顔は見えない。子供の足元には、赤いビニール袋が置かれている。袋の中で、何かがゆっくり動いた。僕はスマートフォンを取り出した。大学の友人に連絡をしようとした。今日、泊めてもらえないかと頼むつもりだった。しかし、画面を開いた瞬間、知らない番号からメッセージが届いた。添付ファイルは、写真だった。開くと、僕の部屋の写真が表示された。水浸しになった二〇四号室。天井から滴る水。倒れた机。濡れた教科書。そして、部屋の中央に立つ、黒い服の男。男は、黒い封筒を持っていた。その封筒には、白い文字でこう書かれていた。四郎 二〇四号室 七日後 病院。僕はしばらく、その画面を見つめていた。それから、大学の友人にメッセージを送った。「今日、泊めてもらえないか」送信ボタンを押した直後、スマートフォンの画面が一度だけ暗くなった。暗い画面の中で、僕の背後に誰かが立っていた。僕は振り返らなかった。振り返れば、きっと、そこにいる。だから僕は、何も起きませんようにと願いながら、冷めかけた紅茶を飲み続けた。そもそも黒い郵便夫なんてたまに見ている。それでも窓の向こうを見ると、小さな子供は、初めて笑った。笑ったとき、彼の顔にあった黒い穴が、ほんの一瞬だけ開き、その奥に白い歯が二本見えた。歯は子供のものより大きく、成人の永久歯だった。
2026年08月14日
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