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朽ち果てたフェンスに倒れかけている、ギター。傘も差せずに No, no,塞 が る Eyes...なくしたく―――な、い、けして手放せない、音、階・・。「違う、開けようとしていたドアの向こうで、(鍵を掛けられただけさ、)」喰らい尽くしてしまいそうになると知りながら、幸福な夢の、世界に逃げ込―――む。フラッシュバックかも知れない、咽喉元にせり上がってくる厭な記憶・・。泳 いデ・・・・・・。―――古い有刺鉄線が見える。『読み違える』―――簡単に、だ。―――自由の女神像が見える。 街を運営するシミュレーションゲームや、ブロックで地形や建物を構築するマインクラフト・・。不思議な図形だ、インターチェンジみたいに、・・・・・・切り替わる。眼 を 醒 ま し た 瞬 間 か ら 、月の時間と太陽の時間、解の公式(は、)―――長針と短針。やさしさにふれて誓った、 ―――だ、ま、れ、疑似体験モードのパターンに切り替え、実効制圧力を引き揚げ―――る。 もう二度とちいさな嘘をつかないよう―――に・・。迷子センターみたいだ、体育館は。(収縮性の圧力―――か、も、ね、)入学式や卒業式、そして避難所になったり投票所になったりする、 ここ―――で Stay up, please信 じる こ と が 怖 い ・・・・・。隣で可愛い寝息を立てていても、 頭を撫でてやりたくて、そっと手を伸ばす―――としても、何もない、音がする。―――それは追い掛けてくる、何かがいる、でもそれは、見えない・・。「何か一つでいいんだ、消えない名前を思い出せるような・・」 長い間ずっと探していたものがあるんだ、それはもう物や形やイメージではないんだ・・。 長い長いデモンストレーションも、長い長いオーケストラサウンド・・・。 、、、、、、レゴブロックをするように、 、、、、、、、、、、、、共犯者同士の奇妙な連帯感。孤独を恐れなくなった僕―――と、いつもさみしい眼をしている彼女―――と。、、、、、、、、、、、やさしい気持ちを探した。“あたたかい家庭”水飲み場、背くらべした夜、―――“帰るべき場所”・・・ルサンチマン、シュプレヒコール、 ・・エクスキューズ、サクリファイス・・。「酸素ガ欠乏シテユク」...ハートが足りない、そこに止まる時間を信じたかった。本当の世界も、本当の自分も、存在しないんだと知った、僕等はまだ若い―――。エンドロールは流れはじめる知りたくもなかった、あの廃線の線路に・・ 『擬似宇宙』で『壁の外』で、 『鏡の中の世界』夕焼けが落ちてきて、もう一度を繰り返す―――。青い鳥は見つかった、か、心は満たされた、か?呼吸の仕方を忘れていない、か、鏡の向こうの自分の眼を恐れない、か?憂鬱なセロファン紙、後ろ手に扉が閉まる・・、『緊張成分が飴のように粘り始める』・・ 締 ま る ―――。All that sticks in my head is what I need to stay alive夏の午後・・・。 «停止セヨ» “屋上の落書き”かもね・・。蝉以外の時間が止まっていた―――。 何度でも―――そうしよう・・。これからずっと―――そのことを考える・・・。何か未知の力にひきつけられ、視線があらぬ方向に向かい、ついつい何もない、 床の一点へ。 (処刑台みたいな印象を与える、 横断歩道の前、) そんな、そんな、 ディティールの中に、暗示が隠されている。遠い、遠い、遠い昔・・・・・・。か/も/ね ―――言葉に枯れ葉を混ぜて、斜視になってると思う。どんな場所に行っても同じだよ、何を変えても一緒だよ、「何処の誰でも一緒だよ」(何百回どころか何千回、何万回、何億回、同じようになる・・)言葉を知らないということは、自分を知らないということだ。心を読む脳の働き、スローモーションで、硝子を割る銃の映像・・。か/も/ね タブー―――禁忌・・は。要領を得ないんだ、もつれた糸みたいでね、―――だからどうした、踏み切りで立ち止まる時の、(時計のネジを巻かずにいる瞬間・・)Oh...あなたにも、あなたにも、煙に巻かれそうな時間があって、閉口し―――て。 「自閉的」でもいいじゃないか、(よ、)隣人の幻想、孤独の仮面、そしてそこにおける因果法則・・・・・・。「内的接触の欠如」でもいい―――よ・・。 スリープオンセットレム・・。 ねえ、、、、、、 ・・誰かって、誰かって、お前だろ。―――お前って、お前って、お前だろ、 、、、走って・・。陽光が窓から、射しこんできて―――。眩しいほどの光の洪水で、僕等を満たす―――んだ・・。「生活って何なんだろう、仕事って何なんだろう、生きることって何なんだろう、―――ぼんやりと考えるたびにさ、そうさ、必ずいつもそれが一人の眼ではなく、主観ではなく客観になり、全体を俯瞰し、未来を透視しようとしていることに、気付く・・。そしてそれらの言葉には、あるんだ、だからそれはきっと君にもあるんだよ、どうやら愛というものが混ざっていて・・・・」小鳥の囀りが聞こえてくる。洗濯機の音、味噌汁の匂い、それから、家庭というものの朝がやって来る、NPCでも、タナトスのような破壊衝動でも、その何処にもない場所へ、何処かにある名前の知らない場所へ・・・。 代謝の制御、知覚の鋭敏化、運動能力や反射の飛躍的な向上、情報処理の高速化と拡大・・・。その手はどうしても擦り抜けて―――。 そこにあるのは幻影・・・。そこにあるのは幻影・・・。決して手に触れることはできな―――い。 青 い空 の 向 こ う に ・・・・・。一枚の写真が見えていたら、いい、 頭を撫でてやりたいと、そっと手を伸ばす―――だけでいい・・。
2024年11月27日
2024年11月26日
ぼんやりと、天井を眺めている。 the very best みたいなやつの正反対。 案外、何も感じない方が幸せかもな。 折れた蝙蝠傘、茂った柳、 変だな、まるでそれが、 この生活の芯だったような気が、 してくる―――んだ・・。 (のさ、) きわめて単純な仕組みと法則で、 ネズミ捕りのバネが跳ね上がる。 逆光線の錯覚で、 彼女の破片や断片が、 ―――いや、鏡像が、 いくつもいくつも、ドアを開けても、 箪笥を開けても、 風呂場にも、洗面所にも、 眼を瞑っても、見つけられる。 、、、、、、、、、、、、、 人工知能の友達でも作ろうか、 、、、、、、、、、、、、、、、、 それとも、絶賛潜伏中のイマジナリーフレンド? 静寂の威圧感。 瘡蓋でも、ケロイドで―――も。 Just fall down... そらぞらしい言い方だ、舌の付け根に力が入る、 外から聞こえる雨音は気化する勢いで昨日から変わっていない。 Just fall down... Just fall down... いつか、悲しい思い出として心の闇に葬られるのか? 全身が紙や粘土にでもなった気がするほど、薄っぺらい。 (んだ、) いつか、楽しい思い出として心の額縁に飾られるのか? でもこの頭の中の、 ゴミ箱をはいまわる数千の虫、 をどうしよ―――う、 せめて、もう一度会って話がしたい。 (あのさ、あのさ、あのさ、) タメ口と敬語と奇声と、 それからジェスチャーのまざるやりとり、で。 テレビのワイドショーのコメンテーターと視聴者ではなく、 ラジオのパーソナリティとリスナーみたいな間柄・・。 空間が変に歪んだ、 蒸発するのを恐れている根っからの臆病者のような俺の、 終わりのない日常が続いている。 (カラーバリエーションかも知れない ユニクロのグレーのパーカーばかり着ている・・ 千 鳥 足 で ...夜 の 中 へ ... まだ、たまに夢に見ることがある。 宙に浮かんだ梯子。 意識の隅でキャッチしていた、囁き声。 名無しの権兵衛が好きだったのだろうか。 へのへのもへじに、 悔しくないと言ったら嘘になるだろ―――う。 自分の呼吸だけ伝える、一瞬。 馬鹿だな、俺は。 「こんなことをいつまでやっているのだろう」 ―――という少しの迷い・・。 (「天井にはミラーボールくるくる回れ、、、 きらきら廻れ、、、 笑顔が吸い取られ、 ゆっくりと消えてい―――く、 ルイス・キャロルの真顔。 ・・・今日はもう少し、マシな夢を見よう。 ・・・そうだ、彼女が出てこない夢がいい。 、、、、、、、、、、、、、、 それなら止めておけばよかった、 引き合わせるの―――を。 美しいとか可愛いとかは初対面七秒の法則、 そこから先は、隣人の仮面、 醜さにも通ずる一種独特な愛嬌。 皮膚の接触もなかったの―――に。 ・・・本当に、いつまで続くんだろ―――う・・。 涙が出てきた―――ら。 アルフレッド・シスレーの絵画みたいに見える、 町のシーンは君が形成していたことを思い知る。 咽喉の奥で笛が鳴る。 俺に出来るのは、忘れること・・・・・・。 傷口から溢れ出した灰色の夢・・。 何もすることがない休日という、 泥水を口に含んで―――は、 息切れていく、 声なき慟哭。 飢えの、 ―――感覚が、 肉体の方に現れて来る気持ち。
2024年11月25日
俺は引っ越してきた。アパートの階段を降りるとそこは駐車場と花壇。大学生においては絶好のシテイフォーメーション。三日徹夜の後の耳鳴り、みたいな笑いが貼りついた顔・・。二階南向き―――で、八畳で風呂、トイレ、キッチン付き。トキワ壮や、一刻館よりも、いい。おまけにアクセスは、近くのバス停からバスに乗れば駅まで五分、コンビニには歩いていける距離にあるし、スーパーマーケットもある。視線を少し引いて地面を入れた画面・・・。まさに、まさに、一人暮らしには、最高の城・・・!まあ確かに道路整備計画から取り残された狭い道は、車が来れば立ち止まって避けなくてはならないし、どんなにいい城であっても、恋人がいなければ張り合いがない。聞いた話じゃルームクリーニング代として三万円取っておきながら、エアコン掃除はおろか床拭きすらしてない物件もあるというね、大家にはそんな詐欺行為を働く奴もいる。保証はない―――よ。でも、権力や文化政策、税金、共同体の歪み・・・いやいや、狂ってるのさ、それをしてもいいって思ってる―――のさ。ただ、俺が知っている限り、最強のコスパで、家賃が月々一万円、一万円ですよ、奥さん!ここしかないでしょ・・ここだよ―――、テッド・セリオスの心霊写真みたいな夜の羅紗、ありとあらゆる不動産屋を、足を棒にして探し回った甲斐があったというもの。舌に出来た腫れ物、いや、眼の上のタンコブ、おとり物件かと思ったけどね、―――まあ・・・・・・。ふと見ると、同じ階に住むと思われる、ジーパンに柄物のシャツ着たおっちゃんが、ゴミ袋を抱えて通路を歩いてくるところだった。雨の水溜りのちいさな波紋のように、数かぎりもなく入り乱れる・・、社会生活の基本の挨拶。「あ、どうもこんばんは」一応、近所なのだから、挨拶ぐらいは―――。えっ、というような・・・顔の半分が凍えた、笑い・・。「もしかして、ここに引っ越してきたんですか」「え? そうですけど」「そうですか、それは災難でしたね~」「へ?」「まあ、あまり気にしない方がいいと思いますよ。多分、ただの噂ですから」そう言って、おっちゃんは歩いていってしまった。方向感覚を失った昆虫が死に向かって助走をつづけるように、灯のあるところに、影が射す。おいちょっと待て、噂って何だ? 初耳だぞ、噂って!ウワキ? ウキワ?それは違う。そういえば、今思うと、俺がこの部屋を選んだ時の、不動産屋の主人の複雑な表情は何だったのだろ―――う?全身の毛穴を逆撫でにする・・。痛みを伴うAを探し求めるのか、自分にとって心地よいBを信奉し続けるか、どちらか。もしかしてこの部屋には何か曰くがあるのか?・・・・・・って、滅茶苦茶気になるぞ!と、身体の全面はともかく、顔の側は暗すぎて見えない、背後に幽霊がいる。って何でアンタいんの、おい、アンタだろ、駐車場でトラックが出ようとしているのにずっと邪魔していたの。廊下はまるで、黒い羊羹の表面へと侵蝕しつつ―――ある。・・・・・・うん、確かに、この部屋の家賃の安さは異常だ。見えない黒から見える黒へと変化してゆ―――く。「・・・・・・」コンビニの袋をぶら下げたまま、しばし硬直する俺。いかん、最悪な想像が浮かんでしまった。「もしかして、昔、事件でもあった?」有り得ない話じゃない。踏み込んではならない領域に侵入した気がする。「やばい、どうしよう・・・・・・」今更、遅いような気もする。一時しのぎ、とか、かりそめ、ではない・・・・・・。「荷物、運んじまったもんな、それに今月分の家賃を払ってしまったし、電化製品とか何かと要りようだし・・・」それが行きたいと思った方向への正常な判断を誤らせてしまう・・・・・・。そんなことは、わかってい―――る。そんなことは、改めて言うまでもなく、だ。では何故言うのか、簡単なことだ。 足を上げる、下ろす、上げる、下ろす・・。そしてこれが網膜にはトンネルのように見えてしまう、物語の電線鳥の音符・・・・・・。今日、こんな所で一晩泊まるのか?お札だってないぞ、お守りはあるけど。サアーッ、と血の気が引いて、無人島生活を余儀なくされた嵐の海に放りだされた遭難者。これから、そんな所で生活しなきゃいけないのか?まるで身体の中に巨大な芋虫を飼ってるみたい、だ。いよいよもって怖気づく。夕方は時刻の経過に連れて、ぼんやりとした光に照らされた範囲以外は暗闇に見える。それが心もとなく、寄る辺なく感じさせ―――る。無秩序的な堆積の誤訳のような空間で、黒眼を寄せ、次第にこみあげてくる硝子の破片のようなとげとげしい自嘲をする。「どうしよう?」頬を冷や汗が伝うのがわかる。ドアノブに伸ばした右手が震えている。背中は人間への不信と呪いに満ちた彫刻。その・・ねじ込み式の鍵―――。貝殻の内側のような白い腋の下から青酸い・・・・・・。「どうしたんですか?」電撃が駆け巡るような震撼。どくり、と、心臓が鳴った。大量の血液が全身を巡り、過剰供給された酸素で頭がぼうっとする。―――このシステムは一部が故障しても、全体に影響は出ない。「どわぁぁぁぁ!」びっくりしたなぁ、もう!見るとさっきのおっちゃんがゴミ出しから戻ってきた所だった。お前言いたいこと言って去ったんじゃねえのか、何でまた戻ってきて話し掛けてきたんだという理屈―――と。やっぱり言い添えるべきという理屈―――と。しかし、この瞬間、俺の中で何かの鎖がぶちきれた。はい。もう無理。もう止まらないよ俺。この物語の結末を想像して暗澹とした気持ちになってくる。何だか冷蔵庫に放り込まれた鮭にでもなったような気がする。眼も鼻も口も、一緒くたに集まっただけの、出来損ないになったような気がする。頭も半ば痺れるような、潜水のあとの鉛のような重い気配・・。その視線の方向に全ての神経を傾けて睨む。視線の主は一瞬だけ萎縮したような素振りを見せるものの、何食わぬ顔で前を向き直った。何だか関節の少ない自動人形のように見えて来る。「そんなに怖がらなくても、だーいじょうぶですよ。別に人が死んだとか、怪我をしたとか、そういう話じゃないですから」「あ、そうなんですか?」少しは安心したよ。・・・じゃあ、一体どんな話なんだ?っておいこら待て。それを聞こうとしたら、おっちゃんはやはりまた、スタスタと向こうに歩いていってしまった後だった。NPCとか、ロボット型クリーナーかよ。会話のペースというのは人それぞれ、だ。もちろん、会話における自分の感覚というのは歳を取るほど絶対、だ。わざとやっているんじゃないだろう―――な、糞。至近距離の―――その確定された範囲内の視座のなかの自由・・。呼び止めるか。水に垂らした一滴のインクのように、糸を引き、膜になって拡が―――り・・。不気味な森を彷徨っている感覚に似ていると感じる。古いフィルムのようにあたりがひっそりと背景にへばりついている―――。水面に浮かび上がる紋様や、屈折や、泡立ちや、影・・・。背中を見つめる。背中を見つめる。いや、何もそこまで。また機会もあるだろう―――し、って、やっぱり、滅茶苦茶気になるぞ!謎は深まるばかりだった。暗闇から迫る影の間にあった木の幹の上から、幽霊がこちらを見ている・・・・・・。お前そんなところにいるなよ、子供が真似したらどうするんだ、大人は子供の規範になれよ、なんだ、てめえ文句でもあんのか、まったく・・・・・・・。なけなしの勇気を振り絞って―――冥界へと続きそうな、何の変哲もない、ドアを、痙攣しながら、怯えた眼つきで開ける。迷宮のごとき夜の衣装を得て、象徴的な胎内めぐりや曼荼羅を移動する神のお使いと随行者の感覚を、想起してしまうの―――は、斜陽が、ロールシャッハテストのように左右対称だけど歪な影を、室内へと投影するから・・・・・・。さっきと何も変わっていないはずなのに、そういえばこのドア、薄汚れている、臆病な細胞が癇癪玉する、あ、これ、包丁とかの傷じゃ―――。待て待て、冷静になれ、落ち着け。空洞を意識してしまう。小腸の仕組みみたいに、ブドウ糖やアミノ酸、脂肪酸、各種ビタミンやミネラルの栄養素を吸収している。その、内側が、ぐにゃりと歪んで・・・・・・。何か出そうな雰囲気を醸し出しているのは、気のせいだろう―――か。でも、もう後には戻れない。時計の針が動く音が聞こえるくらいに静かだった。賽は投げられた。坂道発進の際、ブレーキペダルから足を離してアクセルを踏むように、 俺は棺桶のように冷ややかな部屋の中へと、足を踏み入れる。背の窪みを撫でられたような、感じ。ぎい、と鳴る湿っぽさ、軋み音。遠くなのではっきりと見えないけど、一つの人型の影が見えた。コーヒーの中に放り込んだ角砂糖の角が取れてきて、人の顔に見えて来る錯覚・・、だから真っ先に電気を点けようとする。蛍光灯はチカチカと点滅して、段々と海月めいて、そのつくりものめいたところが潤いを帯びているように見えてくる。不浄なるものを祓わんと部屋の中を照らし出すといいながら、逆に骨さえも透けて見えるよう―――で。自分の中にいる動物が背筋を強張らせた。体温や息遣いをともないながら、何してるんだよ、お前は、逃げ道のない袋小路、八方ふさがり、四面楚歌、世間体、人の眼、常識―――。真空の無数の針のように、咽喉を塞ぐ、そして皮膚を刺す。修学旅行のお土産としては定番である木刀に触れる。護身用である。独り身の生活で武器は必要不可欠だ。用心深くあたりを見回す・・・。って、何だ、さっきと変わらないじゃないか。少し安心した。そう、多分、大したことではないのだ。罠から逃れようとすること自体が、まず罠にかかることなの―――だ。何処か違う街にいるに違いないもう一人の自分みたいなもの、おいおい難しく考えるなよ、古い無声映画さ、少し雨漏りするとか、たまに断水するとか、たとえば迷惑な宗教の勧誘が来るとか、きっとそういったことなのだ。ってそれも、困るけど。でもなんか、お伽噺の世界、あるいは雨宿りに映画館へ入るみたいに、催眠術をかけている魔力という名の燐寸の燐がもえる・・・・・・。まあ、と指の股に滲んだ汗に気付いてズボンで拭く。無意識に握り締めて―――いる・・。まあ、家賃一万円なのだからあまり文句は言うまい。その笑いは、顔の隅っこにピンでとめたような具合だったが、歯の間から押し出す空気は―――正常だ。その内気付いたら、大家に言おう。そうしたら直してもらえるだろう。幽霊も出てきた。って何でお前いんの、早く出てけよ。ふうっ、何だか、ドッと疲れが出てきた。薄い皮の下に生暖かな液体が脈打つのが感じられた。声が肋骨を振動させる。無理もない。今日は長旅の末、ようやくここに辿り着いた。おまけに、初めての一人暮らし。まだ、精神的に慣れていないところがある。夢の中の現実よりも、現実の中の夢よりも、足跡の微かな塵よりも、砂のない声よりも・・。今日は早く寝よう。んもう、まったくべらんめえ、まったくまったく、その方が―――いい。時計を見るとまだ六時半だった。ちょっと寝るには早すぎかも。でも、娯楽がない。テレビもない。スマホはあくまでも飾りみたいなものだ、使用量によって値段が上下するというプランである以上、使わないのに越したことはない。実家から、漫画でも持ってくればよかったか。それともコンビニで雑誌でも買ってくればよかったか。窓の向こうの日没、仄暗く頑なに、手招きするように、濡れて光っている夜の底知れない天使の表情・・・・・・。こうやっていちいち事細かに考えているのは、部屋の隅や、天井のシミが気になるからだ。水面の波紋のようにグニャリと歪む、たった一滴の水滴が蛇口からしたたり落ちると、ビクッとする。重症だ。なまなましい呼吸や、咽喉が詰まったような咳払い・・。ちょっとした停止―――。未来に待ち構えている長い時間に眩暈がする。逃げたかった。今いる現実から。とりあえず・・・・・・。「布団を敷くことにしよ―――う」段ボール箱を移動させて、一人分の布団が敷けるだけのスペースを確保した。そういえば、ちゃんと押し入れもあるんだったな。段ボール箱をしまうのには都合がいい。布団の下側が異様に膨らんでいる。誰かいたので、アンタここで何してんの、出てけって言ってんだろ、ぶっ飛ばすぞ、そう言うと窓を通り過ぎて消えた。幻影に玩弄、もしくは籠絡され・・・・・・。まったくの偶然からスタートしたはずの連鎖反応が、次から次へと結びつく、暗いヘッドライトが、走っている。どこかの家では洗濯がまわっているかも知れない。胡瓜の糠漬けだってしているかも知れない。でも、狂ってる・・。本当、人間って怖い。
2024年11月24日
電子レンジに膨らんだ風船を入れた女。って、何でお前震えてんだよ。まだ、動かしてないだろ。こちらを向いて、「じゃすとじょーく!」あと、唇が紫色。紫芋かと思った、いやいや、唇が紫色。おほほ、昔からですわ。そういう時だけ、お上品ぶる。お歯黒させたろか、とそういう時に思う。さてさて―――。すちゃっ、とフルフェイスというヘルメットをかむり、何処から持ってきたのか、野球のキャッチャーがするプロテクターをした。ていうか汗臭ぇ剣道着かよこのプロテクタアァ! ファブリーズをもってこい!きっと―――彼女は、ロボットスーツのようなものがあったら、絶対にそれを選んでいたようなものものしさ。名詞が持つパイにあわせて、ピントを調節していくように言葉を選ぶ。ほとんど無意識の数秒、“ビビリの末路あるいはピカチュウの感電後”という題名をつけながら、カシャッ、とスマホ構えて写真を撮ったら、いきなり十六文キックしてきた。蝶のように舞い、針のように刺すウウウウウウ。シャーッ‼お前はアムロ・レイじゃない。シャーッ。って、たわむれている場合か。気を取り直して、緊張の一瞬・・。「では、行きます」と、謎の親指を立てるジェスチャー。世紀のセレモニーでもしているような錯覚をするのは、やっぱりそのわけのわからん格好が―――(以下略)・・・。知らぬ間にテンションダウンして、涙眼だったが、無視した。七回目のベルで受話器をとる、それが宇多田ヒカルのautomaticなのさ。「グッドラック―――」そしてよくはわからないけれど、頭が弱い女の為に親指を立てる。始まっ―――た・・。「九十九、九十八、九十七、九十六・・・」のりのりだ。けれど、待てこのチキンハート。不意に思い出す三年前、ガッチャマンガッチャマン言いながら、あの火が点くチャッカマンを探していた馬鹿。間違いを大きな声でつるしあげ、テイクオフじゃないですよテイクアウトですよ、望遠鏡覗き込んで月を見てすごい月のクーデターが見える、クレーターだよ、可愛い人、チェッ、この可愛い人、ツンツンしちゃうぜー(?)さらしあげるように指摘したら、顔を真っ赤にしながら、脳天が割れるかと思うチョップしてきた。口から押しつぶされて脳味噌が出てきて、戻すのに、苦労したなあ。って、待て待て、このチキンラーメン。「―――何してる?」「カウントダウン」「え~と、その、」「ファイナルアンサー」「ファイア(?)」「・・・・・・・ファイア」じゃねえわ・・・!なに、今の無駄なやりとり。好きなくせに。「五秒前からで十分だ」「でも、それじゃ、逃げられないよ~」「何の為のプロテクターやヘルメットだ。その完全防護の状態で何で逃げることが前提なんだ?」「あ、そっか・・・」あと、割れることを前提した風船なら、懸命な人々ならご存知のように耳栓の方がいいが、天然なのでそのことに気付かない。嘘つき! 本当のことを言ってよ!きっと後でそのようなことを言えば・・、ヘヘッ・・・いけない、危ない危ない。必殺の逆切れ攻撃、すみません、へへ、垂涎・・誤爆―――、かの昔、ニュース番組が始まってロケット映像が映し出され、何気なく見ていた人達はよもやまさかそれが地上へ逆戻りし、ドカンと爆発する映像を見せられるとは思っていなかっただろう、―――何かって? 放送事故(?)というか、言わせていただくわけですが、それはもちろん、狙いすましたエイトボール。それを指摘しないのは、こんな実験に付き合っている俺への、ご褒美というものじゃないでしょうか・・・・・・(?)それは、我々の業界でいうところの、暗黙の了解、略して乙、一文字も入っていない(?)「いいから早くしろ」「うん、ちゃんと隠れててね」「早くしろ」「止めないでね」「―――お、」「その、絶対、止めないでね」「・・・・・・お前」「お願いだよ、絶対、止めないでね」普通に無視した。この期に及んで、まだ風船を割りたくないらしい。そして女は憂鬱モードに突入し、日本語が通じないことを悟り、ガックリと肩を落とし、顔を伏せる。まるで彼女の頭上にだけ雨雲が存在し、そこから雨がザァザァと降っているような積乱雲だ。セイグッドバイ梅雨前線・・・!無視していると、溜息をついて嫌々やり始めた。止めてくれると思っていたらしいことに、その時初めて気付いた。ファーストインプレッションは、くっ――――――――だらねぇぇぇぇぇ思い付き、だったことを思い出すほどに・・・。「言い忘れていた―――よ」「え?」「危険な実験に全力で取り組むお前は最高に素敵だ」「うにょ―――うにゅ・・・」日本語喋らない、火星人がちょっと茹蛸の舞い。照れている、照れている・・。「いよっ、ヤマトナデシコ・・・!」「にゅう・・・・・・」顔文字みたいになってしまってい―――る。薄幸の美少女よろしくの、アンニュイなオーラは消失し、捨てられた子犬のように胸の奥がキュンと鳴る表情も消失し、いまはただの―――ただの、クソッ。恐るべし本能。恐るべし青春の熱いパッション。危うく、エロスという若者の中に巣くう悪魔に飲み込まれるとこだった。―――この天然女、やたらめったらウヒョヒョ~可愛いのだ。変な奇声、自分でもわかる、彼女のこの破壊力。なっちゃうんですって、本当に可愛いと。普通の女がやったら、真顔で、鉄仮面、超ポーカーフェイス。お前馬鹿なのといわんばかりの顔になるのにね・・・・・・。ありがとぅ、と語尾も眉も、そして俺のハートまで垂れ下がりながら、じゃあ、いっきまーすかーと紆余曲折の果て、ようやくカウントダウン開始。見せてくれ・・!「ご~」むかつく顔してる。物を投げられた。勘がいい奴だ。「よん」眉がげじげじ。物を投げられた。器用な奴だ。「さん」馬鹿。物を投げられた。って、何処から取り出してるんだ、最初が一キロの鉄アレイ、次が十キロのダンベル、最後は百トンと書かれたハンマー。「に~」「いち」「ぜろ!!」カチッ、と電子レンジが回る。一分の設定。七〇〇ワット。五〇〇ワットで約一八〇度、一〇〇〇ワットで、約二三〇度前後まで温度を上げられる。大体二〇〇度ぐらい、それが七〇〇ワット。けれどこいつは知らないだろ―――う、実は風船は割れない。(風船の中に水を入れて熱した場合、体積が膨らむ。加熱している時間が長くなれば、中の空気は、膨張し、割れる、)我ながら性格が悪いと思うが、手の中に針を隠していた。つまり本当は実験などではなく、これは、れっきとしたドッキリなのだ。やらせ? 人聞きが悪い、ドッキリである。一分後、あれっ、えっ、あれあれっ、えっえっ、言いながら、おそるおそる電子レンジの扉を開けた。そこへ俺が何もなかったようだな、そうか何もならないんだなとわざとらしく言いながら、彼女が猫でも抱えるように抱いていた風船に手を伸ばして、仕込み刀よろしく針でぶすりと刺す。どうなるか、わかっているでしょうね。どうなるか、知ってるくせに。―――ブアアアアアアン、よ。「きゃあああああ~っつ!!」炸裂音に、眼を大きくして、一瞬、蛇の攻撃をかわした猫のように後ろへ海老ダンスし、そして慌てて逃げる女。わざわざ、キッチンの方まで走っていって、壁の向こうからこちらを恐る恐る覗いている。すかさず、冷蔵庫の裏に隠したドッキリ成功の札を出すと、さてもどうしたフィニッシュライン、まだ説明もしていないのに、家で全力疾走しないで下さい、そしてやっぱりいきなりの十六文キック。
2024年11月24日
河原に吹く風は爽やかで、どんより曇った空との食い違いが妙に不安にさせる。完璧な匿名的存在となりなが―――ら。野球グラウンド。サイクリングコース。規則や注意事項が書かれた看板。正確には、河川法第六条第一項で定められた河川区域のうち、水の流れている部分および両岸の堤防までを合わせた区域。顔がない。存在理由がない。針の先に止まった蠅のような、平和。ぽつぽつと落ちたゴミを見るともなしに見ながら、生理的な墜落感のようなものを感じな―――い、ホームレスが簡易的住居を作ったり、近隣住民が無許可で家庭菜園を作るなどの不法占拠問題・・。足を蹴られた気がする、非人間的な感じを強くして、後味の悪い一人合点をしたくなる。僕は両腕をぶらぶら揺らしながら河原を歩き続けている。かれこれ三十分以上は軽く経過していた。橋の高架下や線路の高架下も一定間隔で遭遇する。定期的に通る電車のガタンゴトンという音と、踏み切りのカンカンカンという音。このまま歩き続けると、いずれ隣街まで出る。―――という奇妙な引力のような一定法則の現実的なしがらみに、地面に引き留められ立ち止まりそうになる。別に隣街に用事があるわけではなかったが、ここから最寄り駅に戻るよりは、歩き続けて、隣町の駅から電車に乗った方がいくらか近いような気がした。合理性。運動不足。何時間も動いてないんだから、血がどんどん腐る。滑稽を通り越した戦慄と呼ぶべき感情のうねり。折り返す、もう知ってしまった道を戻る時、それは知らない道を行くよりもずっと遠く長い行程に思える。無駄な思考を回避しようとするエネルギーの制御。あれから、まだ、友達は連絡してこない。さっきまで浮かべた微笑みを消して、もはや僕には見慣れてしまった無表情を―――。つまりそれは、はじめ僕が恐れたものだったはずの、―――幼さの残る顔に彼女は貼りつけた。大型公園の広場スペースで子供が膝をすりむいている。ステージが設置され、そこで飛んだり跳ねたり、拳を突きあげたりする人々を、じっと観察する。そしてむやみと煙草の煙を吐き散らした。街の西地区に歌舞伎町のような繁華街がある。つまりはバーやキャバクラや風俗店の類いなのだが、それらは主に北地区の工場が密集した地域で働く、労働者たちを相手にしてい―――る。静寂がありつつも反響している心の中で、頁をめくる音が聞こえてい―――る。懐かしさ、僕の行くあてのない郷愁、ある事実が消化吸収され、その事実の底にある核心の、その正体を突き止めたいと何よりも思っているが、いまは冷凍魚のようにうっすらと鋼のごとき薄ら氷をまとって、表情もなく立ち尽くしているステレオタイプの覗き穴。それを感じた何かとは、もっとも程遠い場所にあるような気がしてい―――た。理性と感性の間にある誤魔化しのセメントを剥いでしまえば、動物的な意見が夜光虫のようにきらりと光っている。世の中に蔓延る理想主義的な倫理観と、現実の無邪気な残酷さとのあまりにも大きな差異、隔絶・・・・・・。僕自身がうじうじ、ぐるぐると堂々巡りに、つまらないことにこだわり続けている。無害に。柔らかさと固さが微妙に入り混じった、生活の俯瞰―――を。賞味期限が切れたチーズを口に入れて、ふっと納豆でも食べているような気がして、ペッと吐き出したという塩味がいい塩梅に利いた、肉体の声みたいなもの―――を。前方から蹌踉めきつつ老婆が歩いてくる。重たげなビニール袋を半ば引きずりながら歩いてくる。隣街に最近出来た大型スーパーの名前が印字されたビニール袋。みみずの眼のように退化した瞳。シャワーを浴びたらその皺にどんな風に水が流れるのだろうか、流しそうめんのようだろうか。老婆は僕をちらりと見上げて、すれ違う瞬間、一、二秒立ち止まる。瞬きの延長で眼を閉じて、真っ直ぐに歩いた。ほら、もう見えない。老婆は過ぎた。僕の後ろを歩いている。僕はにやりと笑った。それから不意に、胃のあたりに差し込むような痛みを感じる。親切にすればよかった?荷物を持ちましょうか、なんて声を掛けて。逃げてゆく、日曜日なんだ、これは・・・・・・・。異様なまでの明晰さで幸福に窒息する、夜のない、場所―――。電車に乗って、海のある街につくまでの風景を思い出す。空っぽの車内。襟首に虫が入ったような、気味の悪いみだらな汗。そこにいた誰か。名前も思い出せない。まるで随分前に読んだ物語や、映画の一齣みたいに思えて来る。地図の上に引いた定規による線。あるいは、誰かが潰れた店のシャッターに描いた、極彩色のスプレーアート。フェンスに囲まれた駐輪場。神経を張り詰めろよ、どうだい、周りの気配が薄くなったような気がするだろ―――う。そこから道はどんどん細くなる、商店、屋台、自動販売機、何か笑っている人、叫んでいる人、人、人、人・・・・・・。今までと違う話をした。つまり僕等は何が好きで、何が嫌いで、普段はどんな生活をしていて、どんな悩みを抱えているのか―――を。イカロスの生まれ変わり、ムーイズム、カフカの『変身』・・。雪の日の車の轍の幅のように・・・・・・・。ざざざ、ざざ―――。寄せては返す波が白く泡立ちながら防波堤に砕けている。黄色と黒の三角形の図案がデザインされたスケッチブック。要領を得ないもつれた糸のような道筋。微妙な角度で際立たせていた非日常感が、ぽっかりと消え失せている隙間に滑り込んでくる、バーベキュースペース、ドッグラン・・。透明度は低いし、得体の知れないものがたくさん浮いている。大量の海草も、ゴミも、ごちゃ混ぜに波打ち際へと辿る・・・・・・。悪夢を思い出す―――。僕は気を取り直して眼を上げた。アドレナリンの分泌。靴下の奥で小指が跳ねるような感覚。一匹の犬がこちらへ歩いてくるのが見えた。(・・・・・・野犬?)思わず、身構える。僕は昔から、犬が苦手だ。あらゆる価値判断には断絶と特殊な結合が有罪の宣告をする。犬に手を噛まれて血が滲んだ光景がフラッシュバックする。あの犬を撫でたのは、誰だったろ―――う。僕は遠巻きにそれを見守っていた、見る側が見られる側になり・・・・・・・。犬は注意深く僕を見つめている。目蓋の脈動を感じるような粘着き。僕はずっと、真っ直ぐ、真っ直ぐに歩いてきた。完全な無意味さを欲しがっていたように、影をなくし、記憶をなくし、言語すらもなくし、自分すらもなくそうとする飽くなき破壊衝動―――。だけどこのままでは、犬とぶつかってしまう。意味や理由が生まれてしまう。めまぐるしい葛藤がほとんど恐怖になって、僕の足を鈍くしたなのに息は弾む。(・・・・・・駄目だ)避けなければ、万一飛びかかられでもしたら、僕は―――じり、と右方向へと一歩を踏み出しかけた時。犬が不意に憐れっぽい情けない声を上げると、河原の茂みへと猛然と姿を消した。僕は茫然として、けれど足は止めずに、犬を探した。―――いない。犬を見つけた時よりもずっと生々しい恐怖が胸に渦をなす。バランスを欠いた清潔な影。一体どうして、あの犬は、あんな風に可哀想な声をあげて・・・・・・。図書館は大抵静かだ、と僕は思った。(傲慢な蒸し返しが始まってい―――る・・、)僕と同じく何らかの本を手にしている者もいれば、机に突っ伏して足りない眠りを補っている者もいる。蠱惑的だ。動物園の檻の中へ入ってナマケモノに餌を与えている気がする。地味な仕事場に毎日通い同じ作業繰り返すのに飽きた人は、ふっとノートパソコンを拡げて時折思い出したように、キーボードを叩いている。働き蟻だ、男性だったが。小さな図書館では無理だ、席を譲れ、出て行けと言われるが、大きな図書館では我知らぬ存ぜぬ。カメラはゆっくりと爪先から這い上がる。股間を上手く逸れて、太腿、白いお腹、そして仰向けに横たわるせいでちょっと潰れて拡がったように見えるおっぱいを通過する。そして立ち上がり、ハンガーの制服に手を伸ばす。脳は監視カメラ、背徳感、出歯亀仕様にチューニングされる。顔が見える―――あ、彼女だ・・。男性が女性下着を穿くのはどう思うか、と聞かれた。穿き心地はどうなんだろう、それが最良なら、デザインや、女性心理の探求など口実はいくらでも見つかる、それはファッションだと言えばいい。巨大なぬいぐるみをバイクで運ぶとみんな注視する法則。特殊なシチュエーションやコスプレなら辞められないだろう、それを受け入れてくれる人間の所へ行けばいい。バイセクシャルやトランスセクシャルかどうかが心配なら、病院へ行って診断してもらえばよい。深夜の線路工事のようなものだ、人は見ないことには中々世の中の人達がどんなことをしているか気付かない。女性下着を穿いてはいけないのではない、見られてはいけないというタブーが因習社会よろしく存在し、それが様々な心理や、大多数の意見と少数派の意見の垣根を、作っているにすぎない、属することは正義だ、どちらの意味にせよ。それを不満に思うなら、社会への啓蒙活動をせよ、YouTubeを始めればよい。人間の天敵はやはり人間的ということなのだ、井の中の蛙、常識を履き違えた輩、倫理を口にしながら倫理から一番程遠い人々。あと、下らない話だ、自分自身を切除するとか、女性のような胸を作るというのなら身を乗り出して意見をうかがうが、そんなのは赤信号を無視したことがあるかという問いと同じだ。センセーショナルなテーマのようにも聞こえなくはない、差別や迫害は、すなわち羞恥心や、衆人環視は恐ろしいものだ、けれど回避する手段はいくらでも、ある。マネキンがヘッドフォンをしないなんて思うのは間違い、だ。だからそれは質問するテーマが間違っている。「何故、もっと男性は女性下着を穿かないのだろうか、が正しい」きちんと、訂正させた。時間の無駄をさせるな、突き詰めない思考は話すべからず。だが、そんなことにいちいちかかずらっていられる、暇人の神経は耐えがたい。リアルATフィールド。考えるべき問題は、哲学的ゾンビ。僕は走り出していた。真っ直ぐに。正体不明の何かから逃れるように、膝の裏にくぼみを作って、蟹の甲羅さながらに骨や筋肉の見せる漂う木片のような躍動感。心地よい自分の歩くスピードが思い出せない。しばらく走り続けて、振り向く。すると擦れ違った覚えのない後ろ姿が見えた。下がり眼、赤く血走った眼。きっとあの男が、犬を繁みに引きずり込んだものの正体だった。遠くて、男の姿をつぶさに見ることはできない。野球帽をかぶっていることはわかった。それと、おそらく裸足だということも。その手に、大きなボストンバッグのようなものを持っていた。ふっと息を洩らすと、植物の標本が宙に浮いているような気がする。夜―――。誰もいない。少し先にある二十四時間営業のコンビニだけが白々しい。コンビニのペットボトルの棚の隙間にチロルチョコが落ちている。漫画雑誌を一人で立ち読みしながらニヤニヤしている人の横を、無表情で通過する、コンビニのガラスに映った、温度差。監視カメラが捉えた歪な映像。駅前、新装開店の旗みな褪せてパチンコ屋は不意に静まる。車の通る心配のない交差点の真ん中に猫がいる。公園の街燈は切れかけで、じりじりと切ない音をあげながら、時々点滅している。そうしていると消えるブティック、目覚めると屈強な男、セクロスと麻薬漬け、次は金持ちの村という筋書き。テケリ・リッ! テケリ・リッ!心の中のラヴクラフトが奇声を発して来る屈曲最大値。一歩踏み間違えれば見えて来る、角や翼が生えた者、毛皮に覆われた者、複眼をもつ者など、奇怪な姿に変身してい―――く。橙色の光に羽虫がたかって、灰色にわだかまったものが、曇り硝子の内側に堆積しているのが見える。アクロトモフィリア・・・・・・。蝶が展翅板で夜光塗料を塗ったように輝きだ―――す。ぞっとして、僕は前を向いた。あと二、三分は走ろうと決めて。そうして走った間、何を見たかは忘れてしまうものだ。すっかり息が切れて、膝に手をつく。眼だけが湿っぽく光っている、この海に囲まれた島の、シアトルのような気候を。カート・コバーンという名前が、まだ終わっていなくて始まりもしない考えに溺れている。針山の針が、一本増える。ゆっくりと首をもたげた時、見知った姿が視界に入った。髪を無造作に垂らしている。切れ長の、涼しげな瞳が醸し出すアンニュイな印象。遠くてもすぐにわかるのは、彼女が前を見て、真っ直ぐ、揺らぐことなく歩いてくるからだ。唇がてらてらと光っていた。蜂蜜リップかも知れない。顔面に血液が集中するのを自覚する。蕁麻疹なのか、ストレス性湿疹なのかナポレオンは答えてくれな―――い。不安定な身体に相応しくない、断固とした歩みに、僕は何故か、今だけ、ほっとしていた。守られているような気がした。僕は膝についた手を放して、再び歩き出した。「・・・・・・」「・・・・・・」一〇メートル。八メートル。五メートル。三メートル。一メートル。三〇センチメートル。人間の意識の外側に潜り込む時の気配を作り出す。いや、気配というものを完全に消して、周りの空気と同化させる。―――すれ違う。懐かしい、古びた写真に似た香りがした。ディズニーのストラップが揺れている。僕等は完全に擦れ違った。未知で手に負えないものを既知で反復のきくものへと、取り込んでいくモジュール。僕等は眼を合わせることなく、完璧にすれ違った。怪しいフライデー、文春砲のツーショット。英語の頭文字でバラエティでの俳優や歌手の暴露合戦が始まる。お互いそうと知りながらすれ違った。自尊心と劣等感がない交ぜになったマーブル模様が、頭の中をぐるぐる回っている、ルビンの壷のように・・・・・・。彼女が何を考えていたかはわからな―――い。メロンソーダ。山ぶどうスカッシュ。トラクションコントロールが作動していると、前輪の浮き上がりと後輪のスリップが抑えられるみたいに。繰り返し踏みつけられた雑草のように、したたかに、それでいて何の感情もなかったはずのことに、僕は満ち足りていた。擦れ違うことがこんな完璧たりうることだとは思いもよらなかった。いつの日か切なく思い出すだろう幼い声にあふれた部屋を。自分達はこんな関係であると、何か特別な感慨を抱きすらした。物音も立てずに交わる蝸牛と自分。あるいは物音も立てずに交わる蟻と自分。僕は振り向いた。すると彼女はこちらを見ていた。僕は悪戯に成功したような顔だったと思う。シンクに棄てられる、飲み残しのコーヒー。無心に微笑んでいる透明な眼差し。迫ってすぐに蛇口から水が出る。ズボンの縫い目のてのひらのグリースをこすりつける。透明なブラウンの液体を洗い流していく。水が止まる。ディティールの中の全体の暗示。さりとて昆虫の身軽さで、何も残りはしない。水滴が一粒だけ落ち、清潔なシンクに弾ける。どんな眠りの中でも、夢など一度も見たことがないような乾ききった眼。低すぎるブランコに腰かける、と、軋みがちょっと驚くほど大きく響いた。錆びた鎖を握り締めて、思い切り靴底で地面を蹴る。ぬるくぬめる空気、清々しい夜気を裂いて、漕いで、掻いて、ブランコを漕ぐ。ゴヤのサトゥルヌスを彷彿とさせるシルエットをして、落日の余映に都市のどすぐろい姿をくっきりとあらわすように、いま、月の光に濡れて、凍っている、町なんだ、これは・・・・・・。ああ、ここには、誰もいない、静かだ・・・・・・。ああ、いま僕は何処にいる―――・・・。
2024年11月23日
バス停がある。正確には、信号機がない、ポイントや分岐がない、停留所だろう―――か。朽ちかけた雨よけの屋根。待合室として小屋が設置されたバス停―――だ。田舎ではバス会社や自治体、町内会、地元の有志などによって、壁のついた小屋が設置される。小屋の材料は木材やトタンが多いが、稀にコンクリートやログハウス風のものもある。縄張りの観念だろう―――か。そしてここは、トタンだ。木製の共同椅子。灰皿。傘入れ。廃棄物のような人間の生活の痕跡を記す。社章に、停留所名に、通過予定時刻のある、標識ポール。昭和の香り漂う、色褪せたコカコーラのポスター。雨が降っていた。天井を眺め、電球に集まり始めた虫をぼんやりと観察していた。遭遇頻度はそれほどでもない人懐っこい猫でもいれば、もっと贅沢な時間つぶしの醍醐味を味わえたかも知れない。気がつけば雨は止んで、赤ん坊みたいな白紙に戻って―――いる。―――それでも。いつからだったか。ふと気付くと、いて当たり前の存在になっていて。いないことが、悲しいことに気付いて。日本語すら、侵蝕され―――る。皮を捲ったように赤味を帯びて来る。要するに・・・・・・。田舎のバスなど、三十分に一本あればいい方だ。蠅が飛んでいる。見えない壁に閉じ込められでもしたように、すべてのものが黒ずんで見える、黄昏時。無意識が泳いでいき単純な言葉を引き寄せようとする、今まさに沈もうとしている太陽が、山の向こうに昆虫の抜殻のような淡い感じで残り火を灯し、綺麗な水を探す魚のように、風は、この黒さを増していく茜色の空に留まる場所を探しているようだった。―――叶わない、想い。ただ生きる日々が続いていた。背もたれにぐったりと寄りかかり、バスが来るのを待つ。もう二十分は経ったはずだった。眼の前が、内部から外部への反映でぼやけてくる。眠い。だから花が美しく、団子は美味しいとも言う。すなわち、一兎も得ず。頬杖をついて、うとうとし始めた頃だった。バスのクラクションの音がして、意識が現実に引き戻される。硝子板に挟んだような、血の気の失せた鼻。右を向くと、カーブした生垣の向こうから、蜘蛛が糸を紡ぎ出すように、三十メートル、いや、二十メートル、ヘッドライトがこちらに近付いてくるのが見えた。立ち上がる。咽喉の粘着きが、咳止めドロップを想起させる。バスが近づいてくる。縁石のぎりぎりの所に立って、待った。機械的に手をこすりあわせながら、あらいぐま。消えかかった緑のラインが走るボディ。くたびれた外観のバス。バスはスピードを上げ、水を撥ねさせながら勢いよくこちらに向かってきて、そして自分の眼の前を法定速度で、思わせぶりに通り過ぎる。力を奪い去られたような疲労というよりも、乳酸が隙間にしみこんでくるような―――疲労・・。長く見続けてきた、華奢で儚い輪郭が緋の中に溶け込んでい―――く。スマホが鳴った。「・・・・・・」からだった。“凍った池の割れ目にちらと魚が見えた”(それは、暗いところにいるらしい。闇に包まれて、立っているらし―――い、)「・・・・・・・・・」からだった。“空っ風一つで、凍り付いてしまいそうな、夜”(誰も、何もないらしい。今生きているところとは違う、別の世界に、いるらし―――い・・)「・・・・・・」からだった。“マネキンの奥底に微かに疼く―――悲哀”(もう、消えて、成仏して―――しまったのでは。いや、そんなことはないはずだ。そんなことは。だけど、その不安は拭えなかった。心配で心配でしょうがなくて、同じような日々が続いた、)「・・・・・・・・・」からだった。“頬に当たる光にまぎれて蜂が襲い掛かって来る”(女性に告白された。ずっと言いよどんでいると、返事待ってますから、と言って逃げるように去っていってしまった。自分の方が逃げ出したかった。一体、何を言えばいいのだろ―――う、)まるで、俺に気付かないように、俺なんか、存在しないとでも言うよう―――に。嘲笑する俗物のひがみのように、もう一度クラクションを鳴らした。ああ、まただ。きっとここには『幼馴染の彼女』がいるんだ。手塚治虫とキャプテン翼のテンプレート、交通事故という伝家の宝刀。だのに、死んだ魚のような膜が拡がるのは何故だ。彼女がいるだけで、自分と同調して世界をズレさせてしま―――う。だから、また乗り損ねてしまった。恐怖と悲しみと愛しさを各頂点とする三角形。おそろしいほどに、恐怖と悲しみが無表情だ。ポイントが一切加算されない。いいんだ、と思う。自分が道化じみていても、キチガイ沙汰であろうとも。電話を入れてくれたらいい。鋭利なナイフで横方向に薄くスライスしたように、紙細工の花のような唇を動かす。待ってる、ずっと。非感情的なものを琥珀色の樹脂にでも閉じ込めたような頭を振る。甘い誘惑、身の毛のよだつ恐怖、焼き尽くすような怒り、深い悲しみ。断ち切ることも、正面から受け止めることもできな―――い。そんな、忘れられない、忘れてはいけない、ただし、それ以上大きくさせたくない自分の中の爆弾を、まさに冷凍保存する。これで何度目になるのか、もうわからない。スマホを取り出して眺めながら、本当はこんな歪な関係を終えなければと心の何処かで、思っていること、を・・・・・・。間違って――いた、間違って、いたのだろうか?トマトの皮のように中が透けて見える。少し考えて、出した答えは、イエスだ。瞬間、一筋の煙になって消えてしまいそうだ。このせいで長い間苦しんでいた。きっと―――間違って、いたのだろう。電話が、鳴った。それを自覚した瞬間に、唇をすぼめ、額に皺が寄り、また目頭が熱くなる。電話を取ると、電話の向こう側から躊躇うような息が漏れた。そして、しばらく黙っていた。その後、静かに言った。「忘れて」と・・・・・・。カッと湧き上がる怒りは何なのだろう―――か。何万個もの吸盤があり、ルービックキューブのように組み合わさる。高分子吸収体とでもいえそうな時の流れというマインドセットで。「忘れない、嫌だ、絶対にそうしない」声が延びたり縮んだり、歪んだりする。圧搾された息の塊。でも子供が駄々をこねているだけだ。認めることはできるのに口には出来ない。状況判断はつけられても結論は出せない。子供だ。「でも死人は死人であるべきで、生きている人と話しちゃいけなかった・・・・・・」悔しかった。そうだと思う、そうに決まっている。一般論としては・・・補助線としては・・・・・・・。―――ガイドラインとしては。生きている人と死んでいる人は結ばれない。わかっている、だって顔が見られない。手にだって触れられない。時計の針やカレンダーだってろくすっぽ見ていない、こうやって話すのだってもうどれくらいぶりだろ―――う。でも首を振った、多様性なんだよ、と。人と違うことだってあるんだよ、と。言わなければ―――言葉を一生懸命になって、探す。言わなければ、すぐにこの電話は切れてしま―――う。一度はじまった恋は止められない。何処までも一途に彼女を想い続ける。「・・・・・・好きなんだ、ずっと」どうしてそれを、もっと早く口にしなかった。伝わっている、いつかきちんとする、先延ばしにした、その結果がこれなんだと思うと胸が詰まった。涙だって出てきてはくれなかった。怒りは悲しさで、辛さそのものだった―――から。「―――でも」こんなことを続けちゃいけない。言いにくいことを言うつもりなのだろ―――う。表情に硬い芯が入る。でも、ようやく心が決められた気がした。「結婚しよう、籍も入れなくていい、結婚式も、ウェディングドレスも着せてやれない、だけど、こんなに想い合っている、だから電話は繋がった、中途半端な気持ちならすぐに終わった、忘れられなかった、簡単に切り捨てられるものではなかったから、悩んだ」「・・・・・・馬鹿だよ」切り捨てるように、言う。わけもなく天井のひと隅を見る。置き換えのきかない状況に句読点をつくるために。「・・・・・・初音ミクをお嫁さんにする人もいる、Vチューバ―を恋人にしたり、アニメのキャラを嫁という人もいる、一緒だよ、何も変わらない、たまにこうやって話せるだけでいい」「・・・・・・駄目だよ、そんなの、人生が滅茶苦茶になってしまう、幸せになれないよ、それじゃ・・・・・・」「幸せは俺が決める」南を甲子園へ連れて行くみたいな台詞だ。アニメーションだったら―――いい。現実には、その言葉の重さがボディブローのように溜まっていく。「・・・・・・それに、いつまでこんなことが出来るかだってわからない、もしかしたら、この会話が、最後の会話になるかも知れない。その後、どうするの、そうならない保証なんかないんだよ、もっと考えなくちゃ駄目よ、わたしのことじゃなくて、自分のことを、足元をちゃんと見て、現実的な相手とそうするべきだよ」「じゃあ、お前の幸せは?」「わたしは―――」我儘を言わない時、自分の気持ちに嘘をつく時、少し饒舌になる。夜の学校へ忍び込もうとしたとある場面が思い出せる。でも本当は、夜の学校に彼女は忍び込んでみたかった。まるで自分の気持ちを無視するように・・・・・・。死んだら、すべての権利を失ってしまうのが当たり前みたいに・・・・・・。「例外って、想定内であれ想定外であれ、最初から選択肢として、あるんだ。きっとこれが最後の会話なら、途方に暮れるだろう、だったら、どうしてお前は俺に愛していると言ってくれないんだ、たかだか生死なんていうカテゴリーで結論をつけただけさ。いや、それは錆びついた錠前をつけただけさ。輪廻があったら、次だって、ある。次が無理なら、その次だって、ある。考えようによっちゃ、いまこの一瞬だって、その長い助走だ」ひゅう、と、通気口から風が抜けていくような音がした。電話口から笑い声がこもれて、次第に雑音が混じり、嗚咽が聞こえた。泣き声を聞くのは辛い、本当は顔を見て慰めてやりたくなるからだ。右手が虚しく空を切る。一枚の紙切れのように遠ざかる。風の強い日にレシートを追いかけまわしていた、夜。こんな空振りも、徒手空拳も、擦れ違いも、一度や二度ではない。だけども、声というコミュニケーションしかない僕等には、眼を逸らすこと、耳を外すということが愛の不信になる。糊付けされたような強張っていく時間。人を愛することの難しさを―――思い知る。「・・・・・・愛してるよ」と彼女が少し掠れた声で言った。声が、花咲くように弾んだ。どう聞いても力のない声なのに、その言葉だけは違って聞こえた。真っ暗闇の中かから、一筋の光明が見えたような気がした。アヴェ・マリアでも流れてきたのかと思った。夜の中でも光が感じられる、眼や口元が話し掛けている気がする、そして自分の発言を肯定されている。「・・・・・・俺も愛してる―――だから、答えてくれ・・、汝貧しき時も富める時も病める時も健やかなる時も、この者の傍にいることを―――誓うか?」そこで、そこで―――だ、惜しげもなくシリアスモードだった、クールガイだった俺の仮面が剥がれたのは。すごく恥ずかしかった。ハズカス。バッカスみたいに言うな、でもハズカス。そこで、いや、そこで―――なんだ。武士の情けだ、ハズカス。何言ってるんだろう度数がレッドゾーンを突破していた。やれやれなのだよ、まったくね。それならもう国会議事堂に売国奴めと車でぶちあたる方がまだ正しかった。核ミサイルのスイッチを押す、以下同文。エリア51で宇宙人の手先めと車で暴走して、不法侵入と判断され、機関銃で撃ちまくられる方がまだ正しかった。押し入れを開けるとドラえもんがいた、以下同文。でも、この気持ちは変えられない。永遠も刹那も一緒だ、心の中にあるものだと思いたい。「誓うわ、たとえそれが―――どんなに悲しい結果になっても・・・」―――悲しい結果にならない確率は低いだろう。前例がない。古今東西、愛想がいいような話以外聞いたことはない。自分と他人を結ぶ通路が崖崩れを起こして、そこからハッピーエンドを迎えたらご都合主義へまっしぐらだ。マッシュポテトだ、それは関係ない。でも何もしないでいたままなら、それは後悔になる。自分の気持ちに嘘をつくことになる。「どんな悲しい結果になっても、最後の最後まで、幸せだ、その後のことはもう考えるな、お前が俺のことを好いてくれている、その事実だけで人生は最良のものだった、これはハッピーエンディングだと思える・・・・・・」「ねえ、顔赤くなってるよ」見えてないだろ、とは言わなかった。声の震えだけでわかるぐらいに、同じ時間を過ごした。手が微かに震える。感動、じゃない。単純に面白可笑しい滑稽さのせいだ。でもそれが心地よかった。幼馴染に本当の意味で戻れたような気がした。「お前もな」バス停がある。朽ちかけた雨よけの屋根。待合室として小屋が設置されたバス停―――だ。木製の共同椅子。灰皿。傘入れ。標識ポール。そしてまだ色褪せたコカコーラのポスター。超高齢化社会、ドーナツ化現象。過疎化して、若者が減りまくったそのあおりで老人しかいない、この町に、一時間一本ならまだ御の字という老人が今日も座る。―――叶わない、想い。そんなもの、言い訳だったと思える。蜃気楼に騙された砂漠を行く者。生の原理。たとえ電話がかかってこなくても、もうこれでおしまいだと告げられても、人の気持ちは変えられない、それが不安や絶望を投げ入れることだと知りながら、負いきれぬほど、全身に錘をつけてゆ―――く。それでも、この世界の起こるべくして起こった奇跡は、二人を運命の名の下に出会わせ、そして人生のつれあいへと結びつけた。人間に会話という概念があって、本当によかったと思う。イメージの中での距離感はいつまでも変わらなかった。時折は、それは触れてみたいとか、顔を見てみたいと思うこともあっ―――た。でも考え方次第である、なければないで、想像力はそのアシストをしてくれる。バス停の近くに家を買った。幸せになる。なってみせるのだ。故郷に仕事はなくとも都会にはある、テレワークの普及などによって努力次第で、ニートの親戚みたいでもかろうじて暮らしていけた。現実の迷路を暗示しているような謎を解く鍵、この石の街で。「もうすぐ会えるだろう―――か・・・」静かに息を引き取ろうとする老人の傍に、ぽたり、と透明の雫がスマホの画面に滴る。さながら重たいドアを音を立てて閉めたように、世界は繋がった。コンポジットす―――る。波動であると同時に粒子、時間と空間に展開を与える現実的認識、澱みが、ズレが、狂いが、濁ったまだらや線となって浮かび上がり、いつかの彼女の手がしなやかに伸び、画像処理技術や音声付加技術。名前という衣装をまとい、その交差点が筋のある物語に変わってゆき、長い間、二人は誰よりも傍にいたことを証明する。世界はそのようにして優しく終わる。遠くで鴉の鳴き声が聞こえた拍子に眼を覚ましたと思う、―――そこはアダムとイヴが迷い込んだ、視野が狭まる、世界だ。
2024年11月23日
匿名希望やれやれ。ハルキムラカミだよ。馬鹿な尻毛も、馬鹿な陰 毛も、馬鹿な毛根も。禿げてしまえ。否、禿げろ。全部抜けろ。なんだった抜き尽くせ。火炎放射器よ、燃やし尽くせ、FIRE比喩が比喩でない、玩具箱引っ繰り返したような心の凪。人生詰んで、富士の樹海で首を吊っていたら、みんな人間かも知れない。イメージばっかり。インパクトばかり。肝心かなめなことの一つも、錘、そうだ。碇、そうだ。楔、そうだ。いつから僕等の世界はこんなに、馬鹿で溢れるようになったんだろう、そしていつから僕等はこんなに、日本語が通じなくなったのだろう。シー・ユー・アゲインって、初めて書いた。昔の友達はもう死んでいるかも知れない、随分前にそんな夢を見た。暗いデパートみたいな場所で、呆けた顔をしていた。そして何故か僕はまた来るなと言っていた。いやあれは中国のデパートなのかも知れない。いつか言ったね、僕は記憶に残った夢をかなり鮮明に覚えていて、何だったら忘れているはずの夢でさえも思い出して、ある時に再構築するようなことがある。所詮は夢さ、圧縮された情報体さ。ガス抜きかも知れない、異次元の扉かも知れない。でもたった一つ、僕等はまだそんなことさえ明確にはわからない。毎日見ているようなことですらろくすっぽわかっていない、知識って何だ、世界って何だ、わからないんだよ、誰にも。わかったような気になって、地図情報と地名を、インスタグラム脳風味で喋っている愚か者ども。葬式で親戚を見ながら、ドリカムの未来予想図を頭の中で流すシュール。みんな歳を取るんだ、みんな色んなことを忘れるんだ。亡霊じみた夢だっていいじゃねえかよ、コックピットに乗りこめ世界中の果てだって行けるような気がするのは、いまたったこの一瞬だけ。
2024年11月21日
her temptation貝殻骨の浮いて見える背中、産毛が光るのに、若い娘の背中がこんなにむき出しの寂しさを、感じさせるというナンセンス。アイデンティティーの圧倒。イデオロギーは高潔。スッと真っ直ぐに伸びた背筋は、雄弁だ。くびれも、襟足も、耳飾りも、欺瞞だ、キレイに伸びる首筋から背骨のS字カーブに、スッと指を滑らせてみたいのに、それすら粗悪な落書き。悪戯な運命の作用。行き場のない不条理が僕等を孤立させる。「強くなる」「賢くなる」そして僕等いつか、一人で平気になる。慣れてしまう、生活は免罪符、心を失っても・・・・・・。曲線の美も、深海魚みたいだ、ディープ・シーへと案内する、天敵がいる、水圧のように押しつぶすものがある、削るのは、女らしさ―――か。ポルノ映画の看板の下のマネキンみたいな深層廃棄物。僕等、社会的不適合者を志向して。僕等、武器を探した、兵器を探した。夜には灯りがいる、こんな社会で颯爽と大通りを歩いてゆくには、覚悟がいる。辻褄合わせの日々が、珈琲と紫煙とブランドを希求する。積み木遊びはいいものだね、大人になってまでしていたら足で踏んづけたレゴさ。麻酔深度を深めてゆくパーティーと、カクテル。無意味な滑走からの読点、句読点、世界の解像度。中身がないのは一体誰だった?細胞レベルの残酷さを掻き分けてカンストしたレベル、思索した、疲弊した、弥縫した、ドローンの鳥瞰映像、電光掲示板のめまぐるしき広告、国家の売国奴じみた主義主張、そして底抜けの馬鹿で構成されたクリーンな機構。淋しい背中だね、ピンクのエポキシ樹脂みたいだよ、美しいのに、君のそれは水墨画だね、汗はアドバンストクリスタル。縄文時代から続くいにしえの画法だね。唇が赤錆びて、鉄の味がしそうだ、―――なのに、思い出すのは、君の横顔ばかり。
2024年11月21日
クリーン社会あの。学校じゃないんで、びわ湖で溺れて、その後、死んでくれるならいいですよ。あの。うちの店長、昔、やくざ屋さんで。なめた口きいてると承知しねえぜ、こら。はい。ご注文は聞きます。マスクして欲しいその臭い口から、聞きましょう。え? なんですか、宇宙人語はワカリマセーン。はい。コーヒー売り切れました。というか、いま、売り切れたんです。うん。客はあなた以外なんで、そもそも客は人間の顔してるんで。うん。客は他にも有象無象、数多エキスプレスいるんで。あと、あたしの母親、弁護士だから。ふむ。友達は間に合ってます。友達にアウストラロピテクスとか、北京原人はいないですよね。マンモスとかトリケラトプスなら、ペットにしたいですけど。ふむ。奴隷及び皿洗い及び掃除夫、及び泥水なめ及び、ハリセンボン飲むという友達なら。はい。おとといきやがれ。はい。次は五体満足で済むと思うなよ。え?店長、浮気する人は、知り合いじゃないです。え?あたしポケットにナイフあるんで、カバンに鼓膜やぶる痴漢撃退ブザー、あと、護身用のスタンガンあるんで、大丈夫ですよ。あと、もう、後ろ暗いところつかんでるんで、次は脅迫、慰謝料の世界ですよ。え?人生は貴重ですよ、好きな人、友達、優しい空気の維持、清潔な心、その何もかもを汚染する、ゴキブリと対話なんてしないですよね、するんですか? しないですよね。
2024年11月21日
Ingénueメープル・ストロベリー・フィッシュ、風に薫れば。首の付け根に数億の公孫樹の葉で、木端微塵さ、永遠の恋の埋葬。腸詰をぶらさげているかと思ったら、猫の尻尾だった。愛と孤独のフォルクローレ。あの苺が褐色せぬように、でもするなら数百年後でもフォルム保ったあの檸檬。冷凍マグロでも宇宙旅行のその時は。うらなり、やせぎす、へちゃむくれからの急展開、唐変木の猿滑り、メープル・ストロベリー・クリーミー・フィッシュ、気体の分だけ、期待の分だけ、奇態の分だけ、増える決まり。脱走して、まだボクの恋は、マリアの顔形。AH,ah,ah,喊んだり、喚いたり、壊れたり・・。それでもメフィストフェレスの影も知らない、呑み込んだ分だけ、幾度も変わらぬ重力と自転。皺がいいとか、熟女になってもとかよく言うよ、信じちゃうからね、裏切ったらぶっ刺すからね、包丁じゃないよ、巨大なアイスピックで、なんだったら、レーザー銃で心臓を切り抜いてやる、地球だって言った、この心―――を・・。宇宙だって言った、この心―――を・・。全部君にあげる。丸ごと君にあげる。退屈させないで。暇じゃないんだ、恋は。
2024年11月21日
聖少女あのねっていった。ゆうかいするのっていった。ろりこん、こわい、いった。しねばいいのにっていった。おにいちゃんは、わらった。おとうさんは、いまごろ、ぱちんこだま。おかあさんは、いまごろ、はつじょうき。ぼくじょうの、ふんにょうの、においが、した。さんぽしてる、いぬが、あたしを、かぎにきた。あたまなでたら、こうふんしてた。もりから、ぬれたあめの、においが、ぬらぬらしてた。あたしってかわいそうね。おまえもかわいそうだけど、いった。おまえのことをしんぱいする、おれのかあさんのほうが、かわいそうだ。おまえ、おれのかあさんにあやまれ。ふつうにいや。あのねあのね、きのうぶつけたっていったあざ、ほんとうは、ともだちとけんかしたの。あいては、ぱーだったけど、あたしは、さいしょから、ぐーだった。おにいちゃん、じゅーす、じどうはんばいきで、くれた。ずいぶん、ためらってた。おかねと、あたしかを、てんびんに、かけた。あたしは、わるいおんなだ。
2024年11月21日
愛しい人息もできなくて落ちてく夢ばかり見る。テンプレ通りの過酷と困難。なめらかなカーテンレールが、光に捲れている美しい朝なの―――に。目玉焼きが冷蔵庫に残っていて、蛇口から一滴したたり落ちて静寂を搔き乱す。また向かい合ってる、まだ何かあたしあなたに言おうとしてい―――る。きょとんとして、眼があって、はにかんで、すぐ、ひたむきな表情、影・・・・・・。空の薄雲はいつから染み出した黒の摂理に、気付かず染まる。寒い部屋で電気毛布にくるまりたい、暗い道でも遠くに灯りを見つけたい、目覚めに暖かいチキンスープを一口飲みたい、だのに、心の中の空模様は最悪最低曇り時々雨。一度きりの夕焼けの町、そこからは海だって見えない歩道橋だけど―――。夏が終わって秋が来て少し季節が加速する、夜の静けさを掻き消す嵐。世界に馴染んでゆくための信号機が、通りの名をピックアップする。鯛焼きの匂いがする。君はいまどうしているだろう、それが心の支え、それが人間らしい感情のつながり。何処かに向かうという決定事項よりも、何の為にそうするのという問い掛けから始めてしまう癖。電車の窓にもたれて地に落ちし影。フォークは沈むふわふわの苺のムース。地下鉄から、地上へ、それでも足を運んでいるよ、家へ帰らなくちゃいけないから、その前に美しく胸を逸らすスターバックス、砂の中に埋もれたもののための音楽。誰もいない凍り付きそうなアパート、ケチャップライスの匂い、孤独を紛らわすためのSNS、成層圏の明るさ、きれぎれの幸福、バスの後部座席が近頃はお気に入り。昔からの友達は要領よく、また別の友達を見つけたよう―――だ。テーブルの上には折り畳まれた宇宙人みたいな丸眼鏡。麻婆豆腐の痺れを思い出す、―――インスタグラム御用達眼鏡。ふと記憶に耳を澄まして、あの街へと続く曲がり角の向こうへ行けば、偶然と必然が傾いてゆく香水の香りとステーキハウスの熱気。御伽の国の迷子、蜃気楼ばかりが見えちゃってさ、プラネタリウムと水族館を併せてもまだ遠すぎる夜空、ノスタルジックなイメージに光は優雅に靡く、通り過ぎた人達の背中、移り変わる街並みと、速過ぎる時計。元の形に戻れない麦藁帽子、サイズが入らない水着、君の残像がまだ消えな―――い、君の悲しみがまだ消えな―――い。
2024年11月21日
近頃の僕は思う棄てちゃいけないもんがある、守んなくちゃいけないものがある、人間、本当に真面目になってる時は、馬鹿なことの一つも考えられないものさ。でも今日が終わりじゃない、だって自分を卒業できない、終わりに出来るものばっかりじゃない、続けるか、ズルするか、さ。楽して生きたいんだよ、それでも軽くしたい。優しい言葉より、傷つける言葉の方がリアルだ、でも僕等は、本当は違うとか言いたがる、賢者タイムさ、でも顔もよくて性格もいいなんて、思うなよ、うすっぺらいんだよ、お前は。ハート熱くなって燃え尽きる覚悟もないのさ。みんな色んな悩みがある、当たり前だ、うすっぺらかろうが深かろうが、そして常に鎧っているものがある、仮面がある、そして人間というのは、それでもボロが出て来るものさ。たんにお前が楽したい、救われたいってだけじゃねえか、でも世界がそんな風に回っている間も、今日もやっぱりちんこが必要なのさ、そして女はちんこ生やさなくちゃいけない、馬鹿みたいなもんさ、関係ないね、シモネタじゃねえだろ、これ。呪われたバベルの塔をつけろ、最低でも二本はつけろ、男はむしろ穴を増やせ、もっともっと増やせ。
2024年11月20日
頭悪い奴から死んだらいい。I hope the stupid person dies.kamome studio
2024年11月20日
蜃気楼と夢と陥穽のアラート医療実習用の模型―――を、硝子越しに見ているような、暗鬱、慄然、憧憬による、性の屈曲と伸展を伴った階梯。パー・バクの砂山モデル論、トム・レイの人工生命「ティエラ」の実験とか、口にしてもちんぷんかんぷんな僕等の世代さ。多分、もう追いつけない、踊り場が見えて来る―――んだ。歌舞伎の女形とタカラヅカの男装。ジェンダーとフェミニズムについて考えながら、命令系を持たない声で行こ―――う、水のささやきが耳に残るまで。子猫を捕らえて切り刻む少年の瞳が、人間の皮を引き剥がす、骨を折り、首へとなめたかにナイフをくれる、笑われて、傷つけられて、咎められた、快楽者のそれと何が違うという戸惑いの中、夜の淵を漂泊する。咽喉に青いビー玉を隠しなが―――ら。表現のつたなさが怒涛の想いで飛び込めば、果てしない夜をきれいに閉じてゆくための、―――青い、碧い、蒼い、二十世紀が、見えるよ。悲観的人生観―――と。退廃的感情論―――と。共鳴を忘れたまま光を孕んで、カレイドスコープのような、夜の汐の破片が満ちて来る。それゆえに影が通過する。そしてすぐに青い蝶が、羽根を拡げ―――る。そして知性の実が赤く熟れ―――る。メタファーは生物のシナリオの一部だ。生まれてきてから知ることの遅さ―――を、やわらかく抗うことで・・。蝉の声が突然に止む、八月のラジオのノイズが聴こえる、それでも僕は止まらなかっ―――た。動と静を有した僕にはいつも雨の音が聞こえた、春はいつも遠かっ―――た。あるいは、だから僕は春を鬱屈の対象とした。自嘲の歌も、生理も、切断も、絶望の神が支配する、頭上も見ず、また、脚下も見ず、心臓の鼓動を聞く。呼吸の音を聞く。幽暗の中へと下降してゆく生の営み、あるいは聖なるものへの完済を求める負債―――。眼の見えている僕等の祈りは、くちびるに触れるあたりにも似た、生乾きの傷口、石鹸で手を洗う行為の中に閉じ込めたん―――だ。命じられ撃つだろう銃の響き、そして弱い僕等は最後まで躊躇うことはないだろ―――う。ギターを掻き鳴らすというよりも、一つ一つの音をしっかり弾いていたんだ。男の官能は服を纏うところにあり、女のセクシャリティは肌を見せるところに―――ある。ジグソーパズルみたいだって声がする、頭の中ではずっと声や音が聞こえていて少しうるさいのさ。拷問器具にも似た性の四十八手、それをソドムというのか、エドマンド・スペンサーの妖精女王、シェイクスピアのクレオパトラ、バルザックの両性具有、ともしびの揺れの如く嘘は増えてゆく、そしてここは仮面を競い合う舞踏場、時の彼方の黄昏―――へ。水晶のように澄んだ肉体よ、心は鳥の形をしていたのか、身体は花の形をしていたのか、魂はもう風の音になってい―――る。ミニスカート姿で鞭を持ったカミール・パーリア、あるいは革ジャン姿でナイフを持ったカミール・パーリア。血圧と心拍数の急激な低下、そして泡―――いまは、ね、さよならで、しずかに光る夏の命・・、行為は相互作用的なものであり、共生的なプロセスだ、鍵盤で遊ぶ、蜘蛛、スパイダー、くも、spider、ゆびさき・・。遺伝子なんていうものをわざわざ持ち出さなくとも。僕等はもう少しだけ、短い寿命を液状化させて、燃焼し尽くそうとし―――た。ライト、LIGHT、こわれてゆく、rightなんてね、すべての想いなどどうせ語り尽くせぬものとばかり、その一瞬、その、たった一刻―――で。多分、もう追いつけない、僕は伸びて行く方向に陽が当たる暮らしを求めた、よろこび、努め、人には優しくして過ごしたい、この夜の果て―――でも。それが夜の極み―――でも。熱伝達、膨張の寸前の冷却、鯉、花びら、川、夢。
2024年11月20日
ジョン・レノンの夢セル雲は、細胞に似ているため、その名がつけられたが、見た目とは裏腹に、土砂災害が土鳴りや地鳴りをさせるように、これは嵐やハリケーンの前兆現象―――だ。雲には色んな面白い姿がある、ジョン・ケージ的なキャンバスだよ、アメリカのロードアイランド州で撮られた雲は太い帯のようで、空の津波といった様相を呈している、特に風も強くなく雨もない、そして数分後、忽然と消失する・・。まるで地球の六分の一の重力の月に憧れたみたいに・・。ところでハリケーン後に蚊の大量発生した事例があるが、世界各地で蚊の大量発生はあり、交尾の時期とか、ハンバーグにしたりしている―――ね。オーストラリアでこんなコメントがある、沢山蚊がいると帽子や髪の毛の間を通って喰われて、まるで頭蓋骨を噛まれるようだ、と。軍隊蟻の話みたいだね。その昔は人がテントで眠っていると、軍隊蟻にむしゃぶりつかれて白骨化するという神話があった。森で熊さんにあったらよろしくね。軍隊といえばシンクロ、鳥の群れが一糸乱れぬ動きで大きな鳥に見える動画もある。いや、僕等はそれを偶然の産物と笑うかも知れないけど、鳥側にとってみれば集合体としての、テレパシックな共鳴で、何度でも起こりうる必然の結果なのかも知れな―――い。フロストフラワーは、空気中の水蒸気が氷などの表面に付き凍りついて、花の様な形に見える結晶の霜ことだけど、モエラキの丸石さながらに、回転する氷の円盤というのも―――ある。メタンガスを閉じ込めた氷はくらげみたいに見えるし、ロッテンアイスは蝋燭の列みたいだ。沈黙は胎内回帰願望としての静寂の蓮の華・・・・・・。必然や偶然、いや、蓋然という言葉をついでに覚えよう。二〇二三年トルコのブルサに浮かんだ雲は、「UFOだ」(...全面戦争勃発、)「世界の終わりだ」(...アルマゲドン)とパニックになりながらもインスタグラム脳は健在、本当にそうだったとしてもSNSは大繁盛するのだろう、ちなみに気象庁が出した答えはレンズ雲の一種・・。鯨が噴水で虹を作る一瞬の奇跡は、もう殆どの人は知っていることだろう―――けど、飛行機が虹を引く光景もある、これはブロッケン現象で、雲に映った飛行機の影のまわりに虹色の光の環が現れるもの。正式には「光輪(グローリー)」という。飛行機の影が出来る場所に、水の粒で出来た雲がある場合、可視光線が水の粒を回り込む「回折」という現象が起こる。カイエトゥールの滝は二二六メートル、一段の滝としては世界一の落差を誇る壮大な滝で、その水量は毎秒二五メートルプール一杯分。あるいは、浴槽三〇〇〇個分。東京ドームでいえば―――。東京ドームでいえば―――。美しいといえばウツボの幼生期・・、血球すらなく、消化管も、薄い筋肉すらも、硝子細工みたいな透明度と化していて―――。ニュージーランドのワイトモ洞窟では、青い光を発するヒカリキノコバエの幼虫の、「ツチボタル(グローワーム)」が生息していて、まるで星空で、ナスカの地上絵をぼんやり想像してしま―――う。生き生きとした弁別性のある記号-言葉が、ロールシャッハテストのように立ちのぼり・・・・・・。
2024年11月19日
EFREETイフリートはアラビアの伝承に登場する怖ろしい精霊のこと。女性はイフリータと呼ばれる。アラビアの精霊はジンニーと呼ばれていて、唯一神アッラーフが天使(マラーク)と人間の中間的な存在として、造ったもので、『クルアーン(コーラン)』にも、ちゃんとその存在が明記されている。イフリートはそんなジンニーの一種、あるいはその同義語であると考えられる。一説によれば、ジンニーは五階級に分類されるといい、下から順にジャーン、ジン、シャイターン、イフリート、そしてマーリドとなる。この分類に従えば、イフリートは上から二番目の階級に属することになる。この階級に関する伝承の出典は定かではないが、少なくともボルヘスが『幻獣辞典』の中で、「ジンは五つの階級からなる」と言及している。基本的に僕はボルヘスが書いているなら間違いないことだ、という方向で便乗する。エドガー・アラン・ポーとかもその類だ。もう一つおまけに出せば、D・H・ロレンスもそうだ。イメージ的には「炎の魔人」「炎の精霊」「炎の魔獣」として知られるが、これはテーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』で、炎属性のキャラクターとして登場したことによる影響が大きい。イフリートも含めジンは、煙の無い火から生まれた種族だとされているため、関係がないというわけではないが、炎は自由に操れるにしても身体は炎で出来ているわけではない、「ファイナルファンタジーシリーズ」や「テイルズ オブ シリーズ」では炎の属性を持った魔神として登場する。実際、一九八〇年代のゲーム関連の解説書の類には、「アラビア伝承に登場する炎の魔神」などと、まことしやかに記述されている。由々しきことで嘆かわしきことではあるが、それが伝言ゲームの面白さのようでもある。また、現代ではファンタジー作品で四大精霊の一角に列挙され、サラマンダーの席を横取りしがち。他が人型の精霊の中でサラマンダーだけが爬虫類であること、また鬼神のような厳つい容姿が燃え盛る炎のイメージに合致するのが、主な要因と思われる。ところで二〇一六年あたりのTwitter界隈では、ほうれん草の品種名がやたらカッコいい名前であることで沸いた。「バハムート=病害に強い品種」「イフリート=暑さに強い品種」だから何だと思うだろう、僕も実はそう思っている。他にも「ルーク」「ビショップ」「チェックメイト」「ペルセウス」「アルデバラン」などと続く。神話の魔獣やチェス用語、星座の名前。命名者がガチの中二病である可能性もあるが、欧米でも、キラキラネームや当て字に相当する名前は存在し、こういうセンスを馬鹿にするつもりは毛頭ない。さて、アラブ世界では、そもそも幽霊に関する報告自体が少ない。しかも、一八、一九世紀に同地を旅したヨーロッパ人の旅行記や。探検記の中の数少ない記述を見ると、「幽霊(ghost)は知られていない」とか、「普通の幽霊の概念は存在しない」といったことが書かれていたりする。現代でも生者の前に現われた死者のことをアフリートや、次で述べるジンと呼ぶことがある。そのほかにも、レヴァント地方では死者の幽霊をさして、アフリートと、モロッコでは同じく幽霊をさしてジンと呼ぶところがある。アフリートは口語的な発音であり、標準アラビア語ではイフリートと発音される。イスラームの聖典クルアーン(コーラン)にも、一個所だけ記述が見られ(第27章39節)そこには、「ジンのなかのイフリート」とあり、イフリートがジンの一種であることが記されている。ジンはアラブ世界の妖怪の代表的な存在で、クルアーンにも、「ジンの章(第72章)」をはじめ、あちこちに記述がある。ここまで説明すれば誰でも容易に解釈できる通り、幽霊や妖怪の別の名こそがイフリートやジンであると解釈できるだろう。偶像崇拝を禁ずるイスラーム世界で、絵画の類があまり発達しなかったことと無関係ではなく、また、このイスラームという宗教こそがイフリートやジンと総称される、妖怪に対する信仰に習合させ―――た。そもそも長い間、信じられてきた信仰というのを、捻じ曲げる、禁止する、というのは誰がどう考えても難しい話だ。口がある限り何処からだって噂は生まれるし、人がいる限り恐怖はなくならない。簡単に駆逐できるものではない。それよりもそういったものを内部に取り込んでゆく方が、新宗教の布教にはむしろ都合がよい。実際にもイスラームは、古い信仰をすべて駆逐するのではなく、一部を内部に取り込みながら信者を獲得していった。その取り込みの典型的な例が、ジンやイフリートであり、それはあたかも「ダンジョンズ&ドラゴンズ」で、ジンを水、火、風、土の四大精霊と結びつけ、それぞれ水の魔神をマーリド(Marid)火の魔神をイフリート(Efreeti)風の魔神をジンニー(Djinn)土の魔神をダオ(Dao)とした如くだ。そして僕は「幽霊的身体」「ゲームの時代」という風に理解する。マンガやラノベが拡張していった環境は、「マンガ・アニメ的リアリズム」で、そういうシンクロだったのではないか、と。オタク系文化はアメリカ的な消費文化をいかに「国産化」するかで、それは情報エントロピーが捨てられていく海のような機能だ。色んな言い方があるけど、「現実遊離」とか「透明化」だろうか。そして一九八八年から翌年にかけて宮崎勤がおこした、連続幼女誘拐殺人事件の報道によって、オタク青年は非社会的で倒錯的な趣向をもつとされ、オタクという言い方そのものに差別表現が滲むようになった、そして今、そんなものすらもとっちゃらかったような、不思議な現代空間を、寓意画のように考察す―――る。アレゴリーは洞窟画や母音子音の出現以来、われわれの表現とコミュニケーションの最も深いところで働いている、編集的表現作用だ。さて、イフリートはしばしば『千一夜(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)』に登場する。ランプや指輪、瓶などに封じられていることも多い。「アラジンの魔法のランプ」に登場するランプの精霊も、イフリートで、ランプをこすった人間のどのような願いを叶えてくれる。実体はなく、変幻自在で、種々の魔法を使いこなす。そしてアラジンはイフリートの魔法によって国王になった。『千一夜』の中ではジンニーとイフリートという単語の使用は、厳密には区別されておらず、同じ存在のことをある時はジンニーと呼び、ある時はイフリートと呼んだりしている。巨人を意味するマーリドもイフリートやジンニーを指す言葉として、用いられている。強いて区別すれば、ジンニーの中でも特に恐ろしいもののことをイフリートと表現する。だのに、女性をさらって大理石の箱の中に閉じ込めておくものの、眠っている間に次々と浮気をされてしまっているという話や、漁師に騙されて青銅の壷に封印されてしまうなどの、間抜けな一面も多くある。全然関係ないけど、アラビアン・ナイトが当初どういうものであったかは、いまでは僕等にはまったくわかっていない。写本もない。それがかろうじてわかるのは、十五世紀。ファティーマ朝のカイロで「千一夜」が、物語としてまとまって流行したということだけなのだ。このことはエジプト人アル・マクリージーの、『アル・ヒタト』という地誌も伝えている。こうして、現在確認されている最古の『アラビアン・ナイト』手写本は、パリの国立図書館にあり、それが15世紀半ばのものなのだ。もちろんそこにおけるジンやイフリートがどんな風に描写されていたかは、聖書の男 根主義的な一面や、差別・迫害ならびに、いまとなっては突拍子もない奇跡とか悪魔とかを想像するだけで事足りる。世界中には本当に色んな人がいることをYouTubeから窺い知るわけだが、もちろんご存知のように、これ昨日や今日、突然始まったわけではない。何だか急に物々しくなったな、なりました―――ね。ヨルダンの北部にある、邪視信仰があるクフル・ユーバーの、隣村に住む男が、村境であるこの村のT字路で、ジンが踊っているとしか考えられないような物音を聞いた。この男が迷信など信じる類の人間ではなかったということから、新聞記事にまでなってしまったというものがある。この記事についてクフル・ユーバーの人たちに意見を求めると、三通りの答えがある。別にそんなの聞かなくてもわかるって、いいからいいから、ちょっと聞いていきなよ。そう、予想していたように三通りあった。一つは記事の内容が出鱈目だろうというもの、もう一つは本当だろうというもの、そして最後はどちらとも判断しかねるというもの―――だ。実際のところ、僕はそれについてどうでもいい。どんな話でもそれ以外の答えはないとみんな知っているからだ。でも多数決の論理、少数派でも影響力が強い人間がいるなど、そこには様々な心理学があることも容易に想像できるだろう。何が言いたいかというと、「イフリートやジンは存在したか否か」だ。たとえば人体自然発火現象が起こって、この怪物が誕生した可能性だ。(もちろん、9.11ツインタワー崩壊、原因は溶融アルミニウムの水蒸気爆発だったというけど、その煙を見ていた人がまるで悪魔のようだと言ったものかも知れないが、)人体を燃焼させるには、少なくとも摂氏一,〇〇〇度の高温が必要だ。 でも住居内で人が灰化して発見された事例は数々記録されているが、人体自然発火現象の奇妙な事例は、遺体の周囲に火が拡がらないこと―――だ。人だけが綺麗に燃える、これを見た昔の人はそれについて、どんな風に考えたのだろうかとちょっと思ったのだ。
2024年11月19日
百円ショップ100円ショップは『流通統計資料集 2010年版』(流通経済研究所)p33の「商業統計における産業分類表」によると、100円ショップは「その他のスーパー」に該当。100円(税抜)の商品を主に売っている小売店である。100均(100円均一ショップ)の略称でも親しまれ、ダイソー、キャンドゥ、セリアなどが特に有名。物価高で100円ショップが限界寸前とも聞かれるわけだけれど、潰れて欲しくない、値上げして欲しくないわけである。さて、「商品を均一価格で売り出す」というアイデアは、日本国内においては古くは享保7年〜8年(1722年〜1723年)頃から、江戸で流行した「十九文見世」文化6年〜7年(1809年〜1810年)頃から江戸で流行した「三十八文見世」同時期に江戸で流行した均一価格の食べ物屋台「四文屋」明治時代前半の頃の天保通宝の8厘通用を意識した、「8厘均一」や「2銭8厘均一」松屋呉服店(現:松屋)が1908年(明治41年)に行った、「均一法大売出し」や1910年(明治43年)に行った、「一円均一」という例がある。なお、99円など100円以下の価格で統一している店もあれば、基本的に100円だが200円や300円、500円といった商品を、一緒に販売している騙し討ちみたいな店もある。(ステルス殺法、と呼ぶ。籠の中にパンパンに入れすぎて「アンタ、三百円だったの」という小ネタ)また高級志向の300円均一で販売する「300円ショップ」もある。美味い棒30本買えるのにと思う人はけして行けない店である。(そもそもそんな計算する人は、激安ショップへひたすら行く、)なお正確に物を申せば、100円ショップと称してはいるものの、消費税が導入されてからは103円になったり105円になったりしている。正しく言うならば、『税抜き100円ショップ』である。なお法律上は名前を変える必要はない。あと、100円ショップだからと調子こきすぎて、ちっとも安くない一万円の会計価格でおみおくりの作法。(あの世逝き、とも呼ばれる、)100円均一で販売するため、何でも安いというイメージがあるが、(他にも100円ショップって何処でもみんな、同じ商品というイメージを持ってる人もいる)実際にはスーパーやドラッグストア・ホームセンターなどで、100円以下で販売されている商品も存在する。2000年代のダイエーでは「暮らしの88」という名称で雑貨などの、「88円均一コーナー」が常設されている店舗が存在した。なお、価格の限界は、現在は廃番となっているが、ダイソーの「三脚式ホワイトボード」が6,800円で存在した。購入した人はダイソーへ本当に何をしに行ったのだろうという、―――純粋な疑問は残る。また殆どの百円ショップでは基本的にクレジットカードは使えない。そもそもクレジットカード払いの場合、店に対し後からカード会社から売上が振り込まれる形となるので、キャッシュフロー的には不利である。クレジットカードで支払われると売上の一部が手数料として、数パーセント天引きされてしまう。なお、店が手数料を客に負担させるのは、クレジットカード加盟店規約違反であり、もし手数料を商品代に上乗せし、客からカード会社にその件をチクられた場合、最悪のケースの場合契約解除 すなわち垢BANとなることもある。特にJCB等はそのことに対しかなり厳しい態度を取ることで有名だ。薄利多売の商売をしている百円ショップにとっては、クレジットカード払いを導入したくないのが本音だ。ただ、ローソンストア100全店、ダイソーの一部店舗、大型ショッピングモールのテナントとして入居する店舗などでは、使えることもあるよう―――だ。ロケットニュースの記事で、【100均検証】100円ショップの防災グッズで、「100円グッズの防災袋」を作ってみたというのがあるのだけれど、ここには二つの見方があると思う。①百円ショップでも防災グッズを準備できる➁百円ショップは本当に色々なものが売っている以下、購入した商品である。01:三角巾 02:LEDライト 03:携帯用ミニトイレ04:マスク 05:軍手 06:サンダル 07:ビニール袋08:食品包装用ラップ 09:折りたたみクッション10:乾電池 11:エア枕 12:アルコール除菌ウェットティッシュ13:非常用アルミシート 14:飲料水 15:絆創膏16:ナイフ 17:折りたたみコップ 18:ターボライター19:洗顔シート 20:手動発電LEDライト21:電池式モバイルバッテリー 22:充電用USBケーブル23:充電用Lightningケーブル 24:レインコート25:ろうそく 26:タオル 27:ぶどう糖28:ペットボトル用緑茶パック 29:食料 30:歯ブラシ31:コンパクトタオル 32:折りたたみボトル 33:カバン(300円商品)100円ショップの代表的な企業であるダイソーの商品数は、約76,000アイテムで、その90%が自社開発商品で、毎月1,000アイテム以上の新商品が開発されているらしい。iPhone16用の「ガラスフィルム」とか、釣り道具に関して、釣りのYouTuberさんが驚くほど、「めっちゃ釣れるジグやワーム」を出し、キャンプ系YouTuberさんが毎週特集を組めるほどの、キャンプ道具を新発売した。またセリアの『食品圧縮袋』は本当に優秀だ。そのセリアは20,000アイテムということだった。で、100円ショップへ行ったことのない人の為に、Microsoftが開発したAIコンパニオン、Copilotが答えてくれた。「日用品:掃除用品、洗剤、トイレットペーパーなど」「キッチン用品:調理器具、食器、保存容器など」「文具:ノート、ペン、ファイル、シールなど」「インテリア:収納ボックス、デコレーションアイテム、カーテンなど」「美容・健康:化粧品、ヘアケア用品、健康グッズなど」「おもちゃ:子供向けのおもちゃ、パズル、ゲームなど」「ガーデニング:植物、鉢、ガーデニングツールなど」「DIY用品:工具、素材、ペイント用品など」「食品:お菓子、飲み物、調味料など」「ペット用品:ペットフード、おもちゃ、ケア用品など」これらのカテゴリーに加えて、季節ごとの商品や特定のイベントに合わせた商品も多く取り揃えられ、例えば、ハロウィンやクリスマスのデコレーション、夏のアウトドア用品。コスメティックはパッケージなどの安っぽさを除けば、1000円台の商品に匹敵すると言われ、物によるがスマホのアクセサリー等も100円とは思えないほど品質が良く、便利なもの尽くしで、乾電池はそこいらの国内ブランドを軽く上回る寿命があるものがあるうえ、単3が5本で100円だったりと、かなりお得。ボールペンでは店で買うと120円以上するものが、100円で売っていたりする。なお、製造は日本国外のメーカーへ委託するものも多く、価格を抑えるために船舶を用いた安価な輸送に依存している場合が多く、コンビニエンスストアなど主要な小売店チェーンの殆どが導入している、POSシステム等を用いたリアルタイムな商品動向の追従や対応が難しい。その結果、メディア等で紹介されても供給量を急に増やすことができず、欠品を起こしてしまうこともしばしばある。これらの弱点とも言える不安定供給の問題は購買層にも、徐々に浸透し始めており、次回来店時の欠品といった不安要素にもなり、価格とも相まって購買意欲をそそる結果も生まれている。安さの秘密は企業努力の賜物だが、わざわざここで買わなければならないのかという人も一定数いる。(百円ショップ嫌い派閥、と呼ぶ)なお、北米地域を中心とした海外では、Dollar TreeやMy Dollar Store等のワンダラーストア(One Dollar Store)というものがあり、やはり1点につき1ドルで購入可能な商品を中心に取り扱っている。余計な話だが、その外国の100円ショップで、防弾プレートを作ってテストをしてみた人が現れた。材料はまずハードカバーの本、そしてオーブン用のプレート、園芸用の石、ボンドとガムテープ。弾丸はまず石に当たって威力が減衰し、そして本によってストップするという理屈だ。オーブン用のプレートにボンドで石を敷き詰め、その上から本をかぶせてガムテープでぐるぐる巻きにして完成。実射テストをし、業界最小クラスの.22LR弾、9x19mm弾、.40 S&W弾、.45 ACP弾、.357マグナム弾、.38スペシャル弾の6連発を貫通させずに止めることに成功した。なお5.56mm弾などライフル弾は止められない。pixivではここで購入した画材や小物を使ったアートや写真に、100円ショップのタグが付けられる傾向にある。(弘法筆を選ばず、と呼ばれる)また、モデラーには大まかにランナーの太いゲートから、パーツを切り取るために短期使い捨てを前提にした用途で用いられるニッパーや、ガンプラのセンサー部分を光らせるためのラピーテープがお世話になる。ちなみに文章の推敲をする用途で僕はたまに画用紙を買いに行く。ところで、その昔の100円ショップ界隈では、品質よりもコストカットが優先されていて、商品に当たり外れがあったりすぐ壊れたりすることも多く、「安かろう悪かろう」というイメージも強かったが、21世紀にもなるとかなり改善されていて、ブランド商品キラーとして恐れられている。そのため世代によってかなりイメージが違う。また100円ショップだからというので文句を言いにくいものの、透明テープとか、包丁とか、合羽とかは地雷だと思ってる。中でも物干しハンガーは地雷も地雷で―――。(地獄の黙示録、と呼ぶ)こんなものもあるのかという驚きをくれる場所、コンビニをプラスアルファしたような場所。何でも揃う。また100円ショップ独自のプライベートブランド商品や、メーカー品も安価なことが多く、例えばコンビニなどでは120~150円はするペットボトル飲料も、ここで買えば100円で買えてしまうことが多い。中高生を見たらジュース買いに来てんだなと勝手に思う勢の一言。
2024年11月18日
黄砂の話紙を拡げた軽さの砂だが、黄砂となると話は別、これ、〇.五から四マイクロメートル。マスクをしてもその網目を搔い潜ってることになるので、専門家なんかは意味がないと言う。ただ、その専門家は抵抗や防衛としてカオス状態を呈する、ということを知らないのかも知れない。病的というのは、正常なものへあらゆる照合が、消滅するようなものでは決してない。ところで黄砂というのは花粉みたいに日本列島に飛来する、悪魔のような意味合いが強いとは思うけれど、黄砂の起源を辿るように約一億二千年以降の堆積物を調べると、日本列島全域にわたって中国中部の、黄土高原の堆積物と値が一致していたりする。本来の黄砂というのは弱アルカリで、土壌を豊かにしてくれるものだ。たとえそうではないとしても、「有り触れた自然現象」だった、という見方は消すことは出来ないだろ―――う。ではどうして被害報告が相次ぐのかということになるわけだが、それは環境に変化があったから―――だ。ピラニアが潜む川に肉塊を投げ込んだら地獄絵図になるようなもの。僕は常々、研究というのはえらいものだなと、想う。この砂の成分を調べてみると、おもに石英、長石、雲母、緑泥石、カオリナイト、方解石、石膏、硫酸アンモニウム。ちなみに日本の表土のそれより、カルシウムの含有率が高い。じゃあ黄砂って「過敏症の類」なのかというと、そうではない。これが「本来の黄砂」というわけ―――だ。このような砂が、自動車、建物の窓や洗濯物が汚れる原因となる。ちなみに中国某所の駐車場では黄砂などで汚れた車を発見した、あるアーティストが、綿棒と歯ブラシ一本で、見事な鯉のイラストを完成させたりしてい―――る。これがゲリラアートなのかどうかはわからないけれど、本人の車でなかった場合は、世知辛いけど、損害賠償請求の対象になりそうだ。それはたとえば、サッカーの試合で、分かりやすい八百長の、百三十四対一という試合があるみたいなものだ。審判と相手チームが協力したといわれている。ね、この一点の解釈が難しいんだ。この動画を観た海外の人達は洗車の話で盛り上がっていた。でも実際、黄砂を放置して雨が降ると粒子が張り付いてしまい、 水で流したくらいでは取れなくなってしまう。こうなるともう、高圧洗浄機が必要になる。黄砂がひどい場合は二週間に一度は洗った方がいいし、ノンブラシタイプの方がいい。黄砂は普通の汚れじゃないという認識は正しい。さて、その砂はトラックや、船で運ばれてくるわけではない。ちなみに環境省によると、東アジアに飛来する黄砂の量は、年間二億トンから三億トンで、十トントラックで運べば二千万台分にもなる。二億トンの黄砂の価格を単純に市販されている山砂の価格、一トン四千円で計算すると、なんと総額は八千億円にもなる。高速道路一キロ五十億円と比較しても中々のものだ。しかし『無料(タダ)より高いものはない』投資の講演会などが無料で開催されているのは、開催する側が「あとでセールスしたい」という思惑がある場合があり、また、催眠商法では、来場者に洗剤やティッシュペーパーを、何度も無料で配り、「ここまでしてもらって何も買わないのは申し訳ない」と思わせて、高額な商品を購入してもらう手法がある。この心理学ほどではなくとも、たかだか砂だろうという見方が、ほんのちょっとの言い方や考え方で変化する。―――そこをPOINTにしてみたい。前述したようにこの砂はトラックや、船で運ばれてくるわけではない。だからこの砂には、微生物やその死骸、金属、化学物質など、多くのアレルギーを引き起こすものが含まれてしまうことになる。また微小なマイクロプラスチックが混じることもあるようだ。大陸で黄砂が発生すると、大体四十八時間ぐらいかけて日本に飛来してくるわけだが、その間に様々ものを巻き込んでいく。気流によっては工業地帯や都市部の上空を通る過程で、有害物質が付着することもある。こうなってくるともう、狂気の心理学というほかないコロナ期のガスマスク状態だけど、「極力、外出を避ける」「窓は閉め切った状態にする」「空気清浄器を利用する」というような方法しか取れなくなる。もちろん外出を避けるのには限度はあるが、神経質になるな、サバトクトビバッタの群れではない。彼等は一平方キロメートルに、四〇〇〇万から八〇〇〇万匹いる、そして四〇〇〇万匹で、一日に約三万五〇〇〇人が消費する食糧、もしくは、牛二〇〇〇頭分の牧草を食べる。―――問いの断絶とうほかない、沈黙・・。外に出たくなる話をしよう、やっぱりスキーシーズンだしね。モスクワ・ソチの雪山の写真があるけど、普段は純白のパウダースノーが降り積もるスキー場なんだ、だけど北アフリカから黄砂が流れこみ、雪と混ざったことによって、雪山がオレンジ色に染まっていたりする。終末観もあるし、火星のようで綺麗だし、みんなスキーを楽しんでい―――る。前方が見えにくいというようなことはあるみたいだけど、一寸先は闇としか言いようのない中国のスモッグと比較すれば、素晴らしいものだよ。実際に、黄砂で航空機の飛行や車の通行、鉄道の運行、人の歩行に障害を及ぼしたりする。一般に見渡せる距離が十キロ未満になると、空がぼんやりと霞んだり、二キロ未満になると飛行機の離着陸などに影響が出るといわれている大気を覆うことによって気象観測を妨害したり、地上波放送などの電波が乱反射し、受信障害や異常伝播を引き起こすこともある。金儲け主義団体のXを妨害工作はもっとやってくれてもいいわけだが。中国や韓国では、黄砂の濃度が高い時には、乗用車の速度規制が行われることがある。こういうのが続くようなら、自動運転の技術は必要不可欠にも思えて来る。また中国、韓国、台湾では呼吸器疾患や呼吸器感染症、心臓や脳の循環器疾患の増加と黄砂発生との相関が、複数の論文で報告されている。また喘息、アレルギー性鼻炎などのアレルギー疾患のほか、結膜炎などの眼科症状の増加も報告されている、また黄砂は農作物への損害を与え、光合成を阻害したり、酸性雨への寄与をしたりすることもある。―――都市のフケというわけだ。空が黄砂に覆われた場合には二種類あり、粒径が小さい・濃度が低い時は、ミー散乱により、白っぽく霞んで見え、粒径が大きい・濃度が高い時は、太陽光が黄砂粒子を、透過・屈折することで、おおむね黄褐色や赤褐色に見える。実はモンゴルでは災害レベルの大規模な砂嵐が起きた。鼓膜に砂があたる音がし、方角がわからない、十メートル先も見えない、それが外さえ出歩けなくなった状態の黄砂だ。とはいえ、日本ではそこまで大きくない、鼻炎、咳、咽頭痛の三症状を、ピンポイントブロックするには眼鏡やマスクをすること。手洗い、うがい。多くの人は思うはずだ、大したことがない、風邪か、花粉症か、黄砂なのかわからない地域が多い。場所によっては車の運転に注意が必要だし、洗濯物は部屋干しが無難だ。その昔、海底トンネルを掘って、東京と北京を繋げる列車の話があった。血吸蝙蝠の協力行動、女王蜂に奉仕する働き蜂、交尾中の雄を食べる雌の蟷螂。―――こんな絵に描いた餅みたいな話を考えていると、僕は、「力の統一理論」「四つの力を一つ」にというあれを、考えてしまいたくなる。束ねるのは難しい、でもそれが宇宙の真の姿といわれると、心惹かれてしま―――う。高度が上がるにつれて、気圧、気温、酸素濃度が変化していく。その砂は風が吹くと、「転がりながら進む砂」「跳ねながら進む砂」そして「空中を浮遊する砂の動き」をする。まるで神経細胞が、「休んでいる状態」と「興奮した状態」の、二つの状態しか取れないみたいなものだ。急速に広がりつつある森林伐採や、農地転換による土地の劣化の影響。ほかにも、環境汚染が被害を増大させているという話もある。ところで、年間の中で二月から五月の四か月間に、年間の約九〇パーセントが集中して降下し、まったく黄砂が観測されない季節もあるのだが、実はバックグラウンド黄砂というのもあり、自由大気と呼ばれる高層で薄い砂塵が観測されるなど、黄砂が観測されない季節でもこの黄砂が飛んでいたりする。見えると迷惑って言うけど、見えなかったら迷惑とは言わない。日本のメディアは環境省が言うように、一般的な黄砂は中国大陸のゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、黄土高原の土壌・鉱物粒子が風で高度数千メートルまで巻き上げられて、運ばれてきているという認識。これに加えてパキスタンやアフガニスタンなど、東アジア内陸部を起点とする砂も相当量混ざっていることが示唆されている。中国のメディアはそして、モンゴルのせいと言う。奥さんが中国人だけど、それは多分違うと思う。ただ黄砂とPMを一緒くたにしているところもあるので、情報としてどうかと思う。PMは石炭を焚いたりディーゼル発電などから出る人工的な物質で、黄砂が無機質、PMは有機物なので、水と油のような違いがある。黄砂とPMを両方「大気汚染物質」として一緒に測定したり、記事に書いたりしているが、元々アメリカで大気中に浮遊する微小物質が、PM10とかPM2.5のような指標で示すことが決まった時には、「砂塵のような天然物を除く人工物」となっていたが、日本の大気汚染法令では天然物を除いていない。黄砂は粒径が数ミクロン(四ミクロンぐらいが中心)だから、PM10にもPM2.5にも入る。PM2.5は2.5ミクロン以下と報道されることもあるが、2.5ミクロン以下の粒子が五〇パーセントある粒子群を言っているので、4ミクロンの黄砂も入る。結局細かいところはどうでもいいのかも知れない、大筋は変わらない、だけど、これは思うに黄砂の被害がまだ生易しいものだからだ。中国や韓国では甚大で、経済損失や健康への影響が確認されている。中国では毎年約六五〇〇億円、韓国では年間およそ二四〇〇億円から四〇〇〇億円。韓国では、黄砂現象期間に高齢者の死亡率が二.二パーセント増加し、呼吸器系及び循環器系疾患の入院がそれぞれ七.八パーセント、三.七パーセント増加したという報告がある日本では、黄砂による健康影響について、疫学的調査報告や研究成果は今のところ見当たらない。けれど、僕は時間の問題だろうなと思っている。アマゾン河はナイル河に次いで世界二位の大きな河だが、実は地下四キロにアマゾン河より広い、全長約六〇〇〇キロの地下水脈があるみたいなもの―――だ。法や政治や道徳や医学などに属する、様々な知や実践の編み目を持ってしても、―――事件が起こらないと捜査しない、動けないという警察官なのだ。
2024年11月18日
心の中の迷路maze in my heart瞳を閉じながら、(I Want You to Stay...)交差点の雑踏が犇めき合い、信号と共に動き出す―――時の、眩暈のような、壊れそうな、心・・。(“TILL I’M IN THE GRAVE”...)永遠に続くような悲しみへの戸惑いは、問いの入り口からあっ―――たよ、迷宮に滑り込んでいるような病の本質・・。「これが人生か―――」「皮肉な人生・・・・・・だ」―――誰のせいでもないんだよ、だから、君がそれに対して何を想うこともない、夜と昼、男と女、心と肉体・・。それでも主体が他者に深く侵入されるような、心の傷み、“あなた”は、見ることができなく―――て、手を伸ばしても触れることが出来な―――い。(But I'm sure you are there...)(Together, Never, Forever, Everywhere...)そうだったらいい―――のに。―――自転車は左側通行をする。車は渋滞している。そして排気ガスの臭いで蜃気楼さえ見えてきそう―――だ。「外に出たはいいがトンネル―――だ」「宇宙の外には、やっぱり宇宙があった・・・!」「ミクロの世界も同じだ、顕微鏡では見えても、さらに顕微鏡では見えない世界があるだけ―――だってね・・」雲の動きも鳥が夕方塒へと変えるのも、人の流れも、車の流れ―――が、淋しく切ないのも、一種の脅迫や迫害で、自分のことのようで斥けられないのも、心の内なる悲しみ、治癒を目指すこともできそうなのに、歴史的に形成されてきた知覚の作用ゆえに遠い―――遐い・・。(だから社会は、)一方通行で、(それゆえに世界は、)環境と恒常的関係を持ち続ける、それでも、それが不安や窒息と同時に狂気の一形態で、―――死んだ空間としての背後であること・・を、誰に止められるというのだろ―――う。十八世紀や、十九世紀ならそれも許されたかも知れない、二十世紀もかろうじて許されただろ―――う、笑え笑え、適応に関する混乱、存在しない、要点もない、心の中には絶えず様々な出来事が起こっていて・・、二十一世紀はそれらすべてを語り尽くしてしまうだろ―――う。「歩いてきた道―――は・・」(A road where you don't look back, a road where you don't stop, a road with no one around...)―――永遠に帰らない今日が拡大し、増殖するような僕の知覚は、誇大妄想や、幻覚の刺激における連鎖なのかも・・。「人間到る処青山あり」「否、 人間に流行する欺詐術策の容体なり」と・・・。『顔』が見えた瞬間に、(了解可能な変異を受け入れた―――んだよ・・)“鳥籠”や“金魚鉢”や“ロッキングチェアー”が見えてくる、カメラの位置にあるものは、存在の知覚、たとえ自然の結合が引き裂かれ、現前が限りなく遠ざかるような状況であって―――も。環境破壊に、乱射事件。いまさらになって、「死に場所」や「鬱くしい世界」・・。古代文明の影、援助交際に不倫。プロレタリアより深刻な毒舌をまき散らす人々。幼児虐待。学校や教育の見直し、政治的腐敗と超高齢化社会。人と人との日常的なつながりを指す人間関係。崩れる波のように記憶の水位を押し上げてみせただけ―――。聖書に本来あるべき何かが抜け落ちていて、映画の中ではフランダースの犬も、ハッピーエンドにされてい―――る、アンコールワットにはジャングルが似合うし、イギリスなら紳士服と髭が。イタリアには長靴が、オランダにはチューリップと風車がドイツならソーセージとビールとお城。カナダなら滝、中国は万里の長城。エジプトならピラミッド、スイスならアルプスと時計・・。笑って欲しい―――んだ、現実の厚みや深みに達することのできない接触は、ややもすると、欠如を強め、破綻を示すかも知れないけど・・。そんな風に単純に、考えてはいけないかな、もっと、僕等もっとこの思考の道筋を、証明し、論証し、優しく微笑むこと―――で、結びつけることは出来ないだろう―――か。さて、どれくらい経ったろう――。いやどれくらい僕は悪くなっただろう・・・。背負わなくても―――いい。寄り添わなくても―――いい・・。(If you go, I'm going too, uh 'Cause it was always you...)それは『決定的な真理』ではないかも知れない、人間の揺れを結びつける中軸の運動は、隠喩や過程で、正常と異常という対立項では、言い表せないかも知れな―――い。誰もがそうであるように人を信じられなくなり、というよりも自分が自分を、少し信じられなくなっただけ―――かも知れないね・・。生涯雇用が断たれ、あちこち飲み水を探す。泥水ではない。それが救いであるという風に思うことも―――ない。「不透明な未来の困難―――だ」「様々な価値観が交錯するこの街の中はもうグローバル社会・・」(だからコンピュータースクリーンなんかで、知の領域を搔き乱されて―――ゆく・・)また瞳を閉じながら、(I Want You to Stay...)人は何処へ行くのだろう、誰もが心を持っている、ではこの憂鬱すらも主観への曖昧な粘着というのか・・。眩暈のような、壊れそうな、心・・。(“TILL I’M IN THE GRAVE”...)永遠に続くような悲しみへの戸惑いは、問いの終わりにはどうなるんだろ―――うね、人を愛することの意味を見つけよ―――う。(一緒にいた方がいいのかもね・・)“様々な可能性が互いに結びつくこと―――は、漠然とした時間だけど・・ね―――”(でも、一人でいたいこともある―――だけど、僕もけして、一人でいることが好きなわけじゃない・・)“人は勝手だから、疎外感が道徳を作ったのさ、そういうルールは生きた現在の間しか機能せず、その上、その参加や連携で確実に間違ってしま―――う”―――あの日の僕がそうであったみたいに、心が軽くなったらいい、心の安らぎを得られたら、いい、それでもそんなことは出来なく、て、やっぱり忘れてしまいた、い、こんなこと誰にも話したくない―――と思う・・、十代みたいな青臭いことばかりは言っていられない、だけども、老害みたいなおじさんのようなことは、到底言いたくない、何かもっと上手い方法見つけられたらいいね、お互い色々あるけど、頑張らなくちゃいけないね、そう言った次の瞬間に、頑張りすぎなくてもいいからねって、言わなくちゃいけなくて、皮肉で、やっぱり胸が苦しいのさ・・・。
2024年11月17日
marriage人には誰にでも、一人ずつの日常があり、時間を原理とする思考は必然的に対話的原理を見失う。一人の男と一人の女が一緒に暮らし始め、そこに共通の日常が生まれ、それが次第に積み重なる、気が付くと二人は見知らぬ部屋に寝かされ、いま目覚めたように自分の過去の空白を持ち出すことになる。僕等はそれぞれの時間の中を生きる奴隷や囚人、それぞれの意識や声を抱いて生きるものだか―――ら。誰かを好きになったり、自分より大切なものと過ごすことは、これ以上に幸せなことはないように思える、誕生日を祝い合うこと、美味しい食事と歓談、肌を重ね合わせて異質を麻痺させ平面の秩序を発見する過程によって、「心の支えになる、弱い子羊のような僕等も、本当に強くて優しくて、生きる意味が自発的で、自明の理であるかのように思えてく―――る」けれど問いを重ねる度に、どんどんねじれてゆき、不適当な向かい方、構築の重みを拒絶することも、この見えない運命の流線の中で仕方のないことなのだと、思えて来―――る。「悲しいか? でもその悲しさが次元を、常識を、社会を、不可能な極限という、精神や肉体や貨幣や言語が鬩ぎ合う力場へと、文明的な次元、本当に生きることの問いや過程へと、根源的な衝動へと導いてくれるものだから―――恐れないで・・」生きるということは抽象的で、公式主義的な思考だと思う。だのに、それが不連続性や、分離を促すものであり、「時は止まらな―――い・・」回転面の集合さながらの複数の思考の衝突であり、「心は世界の中に溶け込んで―――ゆく・・」それは相対的な観念への透視図法の変化。分かり合うことは隠蔽し、裏切ることのように思え―――る。いつか真っ暗闇の部屋の中で、呪文や催眠術や同一化という一つの声になれた、抒情的な極みにまで達したものが、手垢のついた愛の言葉を辿るものや、還元不可能な異質性に気付き首を振っている場面に気付く。愛は償うことや、一生かけて誓いを果たすところの務めで、いまは、無意識の霧の上に頼りなく浮かぶ、整理されない記憶の乱雑の塊の外側であり内側の存在・・・・・・。いつか空しく不安定になり、時の浸食作用で、すべてを語り尽くされたという飽和の自意識が芽生え、二人を屈折させ、薄ら寒いものにさせるだろ―――う。遺伝子、種族維持本能、存在証明、社会的立場、属するということが最初、意味を問わないのは―――幻想のコミュニティであるから、だ。それは資本主義のアイデンティティで、民主主義のメタファー的な概念に想え―――る。「苦しいこと、辛いこと、悲しいこと―――は、逆説的なものを生み出す装置で、凍り付かせる冷ややかなものによってでしか、不可能な次元へと辿り着けな―――い。フェミニズム、場合によってはナルシシズムの問題かも知れない。寄り添うことはもたれかかることで、繋がることは無限に反復される弱さや脆さのようだ―――と気付きながら、一つ一つの問いを覚えていく、「それは自己欺瞞の言葉かも知れな―――い」否定的なものは不透明な部分の中でその名を呼び、肯定的なものは透明な部分の中でその名を呼ぶ。「恐れないで、現実的な行為に眼を向ける・・・・・・」証明することはできない、感情の強さ、言葉でも、拒まれている矢継ぎ早に訪れる未体験の心理でも、いつか徹底的に暴き出され飛躍を遂げたあとでも葛藤は残る、「終わりのない優しさは、生きることの悲しさを暴くこと―――」―――世界は美しくて醜く、二人は喜びに満ちて悲しいものに、手を伸ばすことしか出来ない―――から・・。長い夢を見て眼が醒めたあと、頬に流れる涙に気付いて胸が痛くなるようなことが―――君にも、試行錯誤する機械人形のように、あなたにも、あなたにも、快楽はすべて生と死の中の極限に見える最大公約数にすぎず、図式の限界の逸脱を経験から危うい過程へと達することも、最小公倍数にすぎない―――と・・。「分かり合えないことを知るのなら、異なる表情を見せることをしたくな―――い、感情なんていうものを発明した瞬間から、微細な粒子や流れの交錯の虹やオーロラへと達するというのか、否、それもまた本能、時間概念と切り離せない、その生産や消耗もまたエネルギーの問題にすぎな―――い・・・」愛は起源や根拠に基づく物語で欲望を解体することは出来ない、愛は傷跡の中で手探りの優しさ、綻びてしまいそうな―――悲しい笑顔を浮かべるけど、信じて欲しい、迷路のように距離や反転する配置、いかなる罠、記憶にも働きかける絶望的なまでに人間の領域外に思えても、「僕は君のことを愛して―――いる・・」意味や情報や伝達に従う規則は様々な形で人間から逸脱する、だからこそ二人は、関わり合う悲しい影、弱さの中に見出せる属することの歪みだと思う、けれどもその意識や反省をも呑み込んで、もっと踏み込んで、その葛藤自体とも向き合うことのできない選んだことへの、身体に触れること、そのしるしのを様々に配列する暮らしを、病や、分裂症や、代償や欠如のように見ていこう、「だから君は一生をかけてその愛を見出して欲し―――い・・」壊れてゆくことの記録こそが、長い間の思考が非人間的な思考であったと気付くだろう、有機的な生命の原理を超えた共通感覚、集団幻想、あるいは天体の運行、気象や生物のリズム、まだ僕等が気付いていない言葉で、ねえ、まだ僕等が気付いていない―――奇妙の問いの中で・・。震える神経の森はいつか生命の様相のもと、燎原の火となって、大蛇となって襲い掛かるだろ―――う、「でも信じて欲しい、君がそのことを誓う限り、僕は君のことを愛し続ける―――と・・・」生に向かい、死に向かう時の人の心のように、それはもっともらしい答えのように思えて来る、少なくとも、こういう問いに直面した瞬間から僕は、壊れるということの意味を様々な大きな原理の運動のように思えている、だから二人が一緒にいることには―――意味がある。二人はもう、互いに浸透され、作用され、単純に語り合うことでも複雑に語り合うこともできないまま、同じ場所にいて、同じ方向を見ているから―――だ。もはや具体的な地盤なしに無媒介的に感知し、不特定多数や人間一般を指し示す、もう一人と、君は、あなたは、そして僕は移り変わっていったのだろ―――う。
2024年11月17日
streetscape 住宅地だった。幅二十メートルほどの道路が縦横に走り、街路樹がきれいに並んでいる。不完結性と非決定性と結びつけながら、それを独白の中で浸透させてゆこうとする、第一の声。それほどの必要もないのだが、自然と靴音を忍ばせる、近くにテニスコートでもあるのだろうか、若い声とボールを打ちあう鈍い音がここまで響いてきている。イマージュの世界では、鯨の口の中から入った腹部を塒とすることも出来る。街中の人々の心模様、錯綜する思いのように濡らしていた、四時間前には降っていた雨。頭上を見上げる。太陽が顔を覗かせてはいるものの、空気は秋らしくひんやりとし、街路樹の茂みからこぼれる陽が、誰もいない歩道に光の斑点を作っている。寒さに張り詰めた息を少し洩す緩やかな光だ。道の脇の排水溝には落ち葉と、ボールペンぐらいの枝が、少し溜まっているが、風情とか、装いとか、化粧とかいう、範囲内、塩梅で・・・・・・。すべては痕跡だろう―――か、中心を流れていくものから逃げてゆくものだろう―――か。時折、自動車が、猪のように疾走してゆくと、完全な権利を持つ第二の声、純粋な内的レベルの戸惑いとなって、出口のない、長い苦しみの時間・・・・・・荒廃、何か冷たいもの―――。すべては雑踏に呑み込まれて、一人一人の人間の個性など分かるはずもないという、あのラッシュアワーの、あるいは大都市特有の、巨大すぎる故に読み取り装置が故障するところの一種のアレルギー、無数の蟻のコロニーから出てきた無尽蔵の、正体不明の図形のようなものが胸に描かれたように思う、集積度を増し、より小さく強靱になる、―――あの気持ち。その道に沿って、小ざっぱりとした一戸建ての住宅が悠ったりと並んでいた。(ホームデザインゲームというのを、不意に思い出し・・・・・・)洞窟や、木造建築では得られなかった視覚体験の実現。それは―――馬鹿と煙は高い所がというのものでもなく、いわんや建築素材というよりも、その四角い硝子の意義。その家の輪郭が、電線が、レストランやマンションだの看板も、政治用ポスターのある掲示板も、ゲーム画面の、テトリスを想起させる。ゴーストタウンのように見える時間帯。あるいはコミュニティーからプライヴァシーへと至る段階的秩序の魔術。真夜中よりも、この休日の朝の七時か八時はそんな気持ちにさせ―――る。誰一人抱きしめられず、そして昨日見た夢の続きに別の声を重ねているような気が―――する・・。朝から昼への移り変わりを予感させる陽射しが微妙な調和を保っている、僅かなひと時を・・・・・・。街路樹から街路樹へと倒れ込むようにして進んできたような気がする、“幼少期の記憶のアンケート調査でもされているような気分になる”樹に縋って苦痛を和らげ、引き結んだ唇が糊付けされたように奇妙に張り付くのを確かに感じ取り、“社会的文化的に蓄積された或る一定の普遍的要素”呼吸を整え、また次の樹の幹目指して右足を引き摺って、不意に、―――立ち止まった時、今朝方に降っていた天気予報通りといってもいい雨のせいだろうか、霧雨に濡れた街路樹の香りがした。ポプラの白い葉裏が、風に揺らいで、花のように見える。カーステレオからかすかに聞こえてくるレゲエのリズム。文化の古さに縫いつけた新しい鰓のように感じられ―――た。翩翻。変形。アスファルトにいくつもの影を落としている光景が、ずっと遠くまで続いているのを見ると、ある種の到達点のように、そこから硝子の音符でも出てくるのではないかという気持ちにさせ、その感動で言葉を失ってしま―――う・・・・・・。そして第三の自分自身と一致しないものへの、理解への道。そう、冬になれば、クリスマスになれ―――ば、イルミネーションを配置して、電柱や街路樹、ビルの壁などあちこちで様々な色をした光が明滅を繰り返す。成長や発展や総合という要素が同時性においてとらえられる時、対決、対話、相互作用という風に理想的な人間の像、和解と哄笑と誤差によるポリフォニーを聞かせる。ヴィットリオ・エマニュエーレ広場を想起する。それは流れた時の流れに身をまかせた時に訪れる、小さな肯きなのかも―――知れない・・・。奇跡―――でも。救済―――でも、なく。あの、駅前にある大きな欅にも派手な飾り付けがされて、さながらペルシャ絨毯のような色模様、そのてっぺんでは一際目立つ星のオブジェがキラキラと光り輝く。でもそれが他人事のように思えるのは、絵空事のように感じられる―――のは。悲しみ、を見ているからかも知れない。有刺鉄線に朝露が残っているように、ありとあらゆるものは生きた化石のように思え―――る。街道は大地の起伏に合わせ、わずかにうねりながら、前方の山地へと続いている。何処か遠くにあると思えていた憧れ―――も、いつか、小さな気付きに満ちたものの中で許されてゆくのだろう―――か。生まれたばかりの風が顔に吹いてきて心地良かったが、足元に煙草の吸殻が捨てられている。急激に迫ってきた冬の跫音を聴き、そして自分自身の悲しい姿を見るような気がした。見えないものに狂わされ、コントロールできないものによって簡単に崩れていく程度―――の、夢の屑、あるということはないという―――こと、で、それはあらゆる声を―――見つめるような、もの・・。信号機、横断歩道、バス停。その中をとめどなく、とめどなく流れる―――意識。ついに特殊な位置づけの第四方向への認識があらわになり、人は何故歩くのだろう、どうして前へ、前へと歩き続けるように設計されたのだろう、そんな哲学的で夢想的なことをぼんやりと考え続け―――る。
2024年11月17日
Becoming an adult, living, and not trusting people物事を突き詰めて考えていくと、すべてのものが解体する。そして、意味が消えていく。その消失や崩壊から再構築が始まるまでのスパンが、引き出しの中のもっとも重要な鍵を形成するんだけど、篩っていうもの、砂漠の中でダイヤモンドを見つけるための、本当に地道な作業を省略させる。結論だけですべてを語ることもできる僕等は、ありとあらゆるものを自動化したいのかも知れない、都市の横顔のお世話になっている君にとっても、ちんぷんかんぷんなことだろうけど、文明研究と体裁で語るわけだが、とりたてて都市の地図、今そこにあるズレを伴ったありのままの風景、道路や標識、街路樹、ベンチ、自動販売機に至るまでの、そういう様々なものがどのような形で一つになったのかを、考えていると僕は楽しい。難易度の高い課題がある、専門用語や知識が必要だ、そういう時に僕は自分に向かって、糞面白くない話だけど、クリアしなければならない課題があることを、根気強く自分に向かって説得し、理解させ、納得させようとする、意識する、小さな階段を作る、何度も何度もシミュレーションする、毎日詩を書くなんて老人の戯言に決まっている、暇人たちが趣味で人生の時間つぶしをしているに決まっている、―――という世界線を書き換える為に。確率論を都合のいいように引き寄せられるケースが、数多あると思う、人生における成功者はみんなそう言うだろう。でもそれはハロー効果で、またリップサービスにすぎない。絶対成功するとしたら、それはインチキだ、たまたま上手くいったことを脚色しているにすぎない。でも本質を一ミリ変えることは出来る。才能や努力というもので生き方を一ミリ分変えようと思う。嘘偽りなく、等身大の僕、脚色抜きの現実の僕は、はっきり言って糞つまんないことを言うと思う。心掛けや、やり方で、もう少しましな未来を引き寄せようと思う。なんて、小さな、か弱い、引き寄せの法則だろうか。でも意識することで世界は変えられる。人生を六十年生きた結論がもし眼の前にあるとして、大方の結論は変更できるものではない、確定していることは人生の基盤だ、いま、手元にあってもなくとも、たとえば仕事をすることは回避できない。抽象とは縁遠くなるが、黴生えて苔生えそうな具体性こそが、人生を幸せにしてくれる。夢見るなと言っているわけじゃない、足元を見ろ、と言っているだけだ。前向きに人を動かす力、夢にきちんと手を伸ばす勇気、いくつも僕にはちゃんと言えることがあるわけだが、何かを諦めた人間の言葉は他人に対して届かなくなる、限界を見つける、さりとて際限のない仕事で終わりのない達成感のない日々を、終わらせるために、ね。昨日と同じ今日は百年後でも一千年後でも変わらない。その自分を都合のいいように一ミリ変えることが僕の生きる意味だ、みんな笑うかも知れない、あるいは僕の言っている意味がきちんと呑み込めて、僕がどれぐらい厳しい人生を過ごしたかわかるかも知れない、僕の周囲には味方は一人もいなかった、援軍は一人もいなかった、救済措置も一つもなかった、神も仏もなかった、信じられるのは残念ながら僕の腕一つのみ。自殺をしたがる子供たちがいたらよく聞くがいい、想像力のない人間はあなたの周囲に沢山いるのだ。両親もそうだし、友達もそうだ。僕は君の思っていることや考えていることならわかると思うけど、同時に僕は首を振って、死にたければさっさと死ねと突き放すだろ―――う。繰り返しになる、何度も同じことを繰り返すことになる、それを輪廻と呼ぶにせよ、別の言い方をするにせよ、僕等はまだその機構に一ミリも触れられていない。人間が天敵だという見方は僕は正しいと思うな、思うに僕は人間としておそらく致命的に人間らしくないのだろうね。何度も何度も、諦めてはまた高みを目指そうとした。たった一日でもその例外を作ってはいけない。何度も何度も諦めては、また高みを目指す日々だ。人生を舐め切った奴が触れられる心境なんかじゃ到底、ない。偉そうなことや格好つけたことは言いっこなしさ、結果は自分の中にしかないよ、誰も本当の自分を見ているわけではないよ。
2024年11月16日
history, life, things that continue僕等は、父親と母親の話をする。そしてその思い出を次の世代へと伝えていく。歴史を学び、斜に構え、ぼんやりと眺めている時は、百年の時間も、一千年の時間にも興味がない。ある時代を動かす、それぞれの時の動き、様々な人の動きに必然性が感じられるようになったのは、―――本当にいつからだろ―――う・・。歴史は今現在にもある―――んだ。だから結果的にそうなっただけだという認識は多分違う、その正当な流れに相反する流れが同時多発的に存在し、なおかつ、場合によっては事態は全然別の藪の中へ、入っていったかも知れない。キーポイントとなる人はいる。コンパスみたいな範囲の中で読み込むかも知れない、あるいは無数の結び目を繋げて紐解くかも知れない。ねえ、その流れの中にだよ、挑み、逆らい、乗じ、浮きつ沈みつしてゆく、無数の個々の人間のことを考えていると、運命というのは何だろう、神とは何だろう、世界というのは何だろう、と思えてこないだろう―――か。ロマンティストに歴史を語らせてはいけない、悲しみや喜びに安易に納得しないからね、でもハウツー的なものなんか滅んでしまう、もっと注視して、もっと眼を凝らして、心の声を聞いて、霊の流れがある、うかがい知れない類の別の見え方がある。確信してるん―――だ。僕等は、父親と母親の話をする。そしてその思い出を次の世代へと伝えていく。あなたの子供は、握り飯が好きだろうか、味噌汁が好きだろうか、刺身や肉ばかり食べてはいないだろう―――か。どんな学校へ行っただろうか、どんな会社へ行っただろうか、そしてどんな場所や、人を好きになっただろう―――か。子供みたいな瞳で語らせてよ、人生を終わらせるようなことばっかりがすべてじゃない、たった一瞬で変わる、心の中に影響を与えられることで、きっとどんなことでも出来るようになる。信じたい―――んだ。あの日の僕がそうだったみたいに、君にだってそういう人生を選んで欲しい―――よ。僕等の祖先は、山で暮らし、森で暮らし、海辺で暮らし、洞窟で暮らした。縄文時代でもいい、そのキーワードだけで、ある程度のことがわかったような気になれる。僕等はもう日本で生涯を終えないかも知れない、これから百年の間に、地球で生涯を終えるということの方が、ずっと珍しいことになるかも知れない。想像してみて、世界にワクワクしてくるだろう、生きることは変化さ、退屈なんか一秒だってしてやることはないのさ。停止や停滞を促すのはいつも下らない人間と相場は決まってる。何処からだって始められるのさ。何からだって始められるのさ。このキーワードだけでも人生の意味に変化は出て来る。それでも繰り返し、繰り返し、僕等は生きて死ぬ。歴史にタイムマシンや、多元的世界の考察が可能になると、もっと沢山の識者が必要にな―――る。百年の時間も、一千年の時間も笑えないものになる、でもやっぱり僕等は今日を生き続けるんだろ―――う、明日も昨日もない、今日を生き続け―――る、くりかえし、くりかえし、父親や母親がそうしてきたように、いつか僕等が動物的な出産や、性的な行為をタブー視し、もっと宗教的なレベルが引き上がり生きることに絶望する日が来ても、それでもまだ、僕等は、ねえ、やっぱり僕等の中で生き続けるんだろ―――う。歴史の神の、運命の岐路とていえない、小さな、見過ごしやすい、もはや偶然とか何かの悪戯としか思えないようなものが、バタフライエフェクトして、その人の一切を決定するのを遺伝子とか、そもそもの運命の材料とでもなるべきものを次元の発見とともに、僕等は見出すかも知れない、考えてるんだ、愛の正体だってもっと単純に見破れるようになるのかも知れない、輝きの中で暗闇の中で僕等は生きる、生き続け―――る、本当の弱さを、そして本当の強さ―――を。小さな舟を浮かべて、あるいは断崖絶壁の丘の上で、一人と一人でいようじゃないか、睦び合うことの意味、分かり合うことの意味、薄くて、切なくて、どうしようもないものばかりの、そういう誤った、もはや好きになれない下らなさじゃなくて、歴史を食いつくすだけのごくつぶしになるんじゃなくて、歴史は新しい見方と人生の意義を与えるものだと思い知って、もっと話をしたくなるようなこと、あの、僕が、ねえ、この僕が、素直になって、笑いながら、照れながら、打ち明け話をするようなシーンがやって来る、そんな日が、そんな日を、これから始めてゆく、終の棲家を見つけるんだ、人生の終わりを見据えるんだ、手は赤く、ゴツゴツしていて、それでもそこからはあなたと同じ血が流れるのさ、もっと考えて欲しい、もっともっと考えて欲しい、次の時代も、次の子供も、次の世界も、とめどなく流れてゆくのだ、触れようとした小さな手は、自明の理じゃない、究極的には無数の手であるんだ、常識は範囲内のカテゴリーにすぎないさ、僕は長い間ずっとそういうものを見てきたんだ、何処までも続いていて果てというものがないんだ、考えて欲しい、いつどんな時でも、ちゃんと、生きる意味と向かい合って欲しい、人生は自分と向かい合うことなんだ、そして向かい合った先にだけ答えが用意されているもの、だから次の扉へ、誰もいない場所でも、たとえそれがどんな答えの中でも。
2024年11月15日
泣くという演技の考察拝んでは泣き、水をかけては泣き、とうとう膝をつき、墓石に抱きついては、泣き崩れていた。その光景を見ながら邦画の臭い演技、叫ぶ、怒鳴るなどの、芝居の延長線上にあるオーバーな演技を思い出していた。それは演技、これは生身だから感情移入できるというのは―――嘘だ。映画がつまらない、二時間も観ていられないというのならわかる、なるほど―――映画一本すらも人生の時間として取れないのですね、と。けれど、その映画をあれこれ言う風潮が何しろ気に食わない。人というのは映画というマインドをセットされ、点数を表示し、かつ、邦画を悪く言うネガティヴな意見の方が知性的なので、ろくすっぽ何も見ていないで言っているのだ。それを洗脳と言わずして何と言うだろう。ちょっと待って、本当にちょ、ちょ、ちょっと待って。人食いエイリアンが日常生活に溶け込んで、生きていく空前絶後のラブストーリーを見せられて、なるほどこれは糞映画だっていうのならそれはわかる。僕はむしろそれ面白そうだといってしまうクチだけど、基本、優先順位をつけるような在り方は機能に弊害があると思う。映画評論家、映画批評家、素人批評家、すべてネット文化に端を発した「舐めた」「頭の腐った」―――先鋭的な物の見方で、それが『面白いだろう』もとい、それが『みんなの常識だろう』(ゆえに、)そうであるべきだという、間違った見識に裏打ちされて、頭空っぽなあなたは、マインドコントロールされているに過ぎない。話それるけど、ライブ収録等では何一〇カメも出張る。もちろん、ファンがついてこそのイベントなら、その対象の演者をカバーできるカメラ台数は要るだろう。一般論としてね。でもスイッチャーさんはすべて見れない、事前打ち合わせにも限度はあるし、ミスもある。さらにネットが発達し、圧縮技術も進化。また視聴者が何一〇カメもある映像をマルチで見ながら、好きなシーンを選んでUPにして見れるらしい。技術的にはすごいこと―――だ。でも制作の面としては選んで送り出すのがプロの仕事だ。こういう物の見方ってみんな当然知っているというなら、僕は非常に肯くところでは―――ある。お前如きに映画をとやかく言う知能があるわけないだろう、と。どんな名作もとい迷作だろうが、所詮は大体一緒である、特別なアイディアや、特別な演技、特別な映像技術、なんだったら特別な映画監督でも、申し訳ないけれど大体同じであ―――る。ここを肝にしたい。ちょっと違うが物凄い大きな差になる、それが表現の世界―――だ。ただ、それはあくまでも僕等とはつゆほども関係のない話である。だって、僕等はそもそもその映画のことをどれほど知っているのだろう、大谷の話で、全米の注目が集まっていると連日連夜ニュースが押し寄せるが、反面アメリカ人は言うほど大谷のことに興味を持っていない。アメリカはバスケやアメフトの方が人気だ。僕はメジャーリーグを紹介する本を中学生の頃、読み漁ってた。割とガチ勢だったと思う。だからリップサービスはできる、むしろ、したい、大谷は偉大だ、だけれど、みんなが思っているほどには別に何とも思われていない、そういう一面をむしろちゃんと知らなくちゃいけない。ガンダムは一般的な単語になったと思う、サザンオールスターズは季語にもなった、だけれど、ガンダムやサザンをみんなが思うほどちゃんと人気があるのかを、冷静に振り返ってみたらいい。なお、僕はアンチではない。映画だって、年に何百本も観ているような人は別として、あなたは映画を何百本も観ているのだろうか。知識が先に入った映像にはそもそも錯誤が多すぎると思う、俳優がどうだとか脚本がどうだとか、尻掻きながら、ポテトチップス喰ってるような奴が何を言ってやがる。コカ・コーラ飲んでんだろ、美味しいか? 以上だろ。こんな言い方をするとあれだけど、玉置浩二だろうがワンオクだろうがアイドルだろうが、好きな人にとってみればみんな才能があるように見えるだろう。フィルターが外れれば、誰だこいつになるだろう。誰だこいつ、をきちんと呑み込んでおいた方がいい。―――人の泣き声というのがあると思う、神経を尖らせて、感覚を総動員して、その人の声が震え、涙の前兆が読み取れるようなことがあると思う。人生を長く生きていたら一度や二度はそんなシーンがあるだろう、場合によってはそれが嘘泣きという場合もあるかも知れないし、自分自身がそうだったということもあるだろ―――う。けれど、そういうのを俳優や、映画を撮っている人間が、まったく知らないなんていうことは有り得るだろうか。同じ人間だよね。百歩譲ってそうだとしても、それが良いという人も一定数いるのではないか。だったら今まであなた達が言っていた見方は偏った、差別的な物の見方ということにはならないのだろう―――か。それをして『ペラいなお前』ということにならないのだろう―――か。『お前、気持ち悪いことばっかり言ってやがんな』ということに、ならないのだろう―――か。僕はそれを『広告的な物の見方』だと思う。そもそも、映画が嘘くさいとか胡散臭いというのは、今に始まったわけではない。あなたが地方の、田舎の、テレビすらないようなところが故郷だったら、すべては非現実的に見えるのではないだろう―――か。「致命的なズレ」がある―――と思う・・。それを“奇妙な擦れ違い〟というのだろう―――か。くろぐろと煤けた、護岸用のコンクリート製ブロックに、大阪湾の汚れ切った波が打ち寄せるかの如く、いくら泣いても、泣いても、泣き足りない―――のだ。悲しかったのだ、悔しかったのだ、あるいは、懐かしかったのかも知れない、恋焦がれているのかも知れない、無数の雑多な要素の相互作用の結果として、「泣き顔」というのがあると思う、そこには記憶があり、前提条件があるはず―――だ、沢山映画を観ると映画をあたかも知っているかのように錯覚する、そしてそれを点数表示していいような誤解をする―――らしい。大根の演技はそれはわかる、実例は挙げないけど、確かにこれは学芸会だという人はいました。確かにオーバーリアクション気味の演技も感じる俳優もいる、でもそれが「広告」なり「演技的特化/その俳優の結節点」という物の見方はされないのだろう―――か。物は言い方というけど、あなた方の言っていることが尊重されて、こちらの言い方が尊重されないというのはフェアではない、多数決の原理は分かり易さの中にしかない。あのね、泣くのが下手な人もいる、人前で泣けるのだって凄い技術だ。日常会話だって上手く出来ない人もいる、コミュ障の人とかね、そういう人が俳優を見て嘘くさいというにせよ、同時に憧れの成分だってあるのではない―――か。フェアな物の見方が退屈ではないのかという問題はあるだろう、「これつまんない」に語彙力は存在しない。けれど、ありとあらゆる人がおける世界でフェアな物の見方ができないのは、根本何処かに問題があるのだ。つまんないから意見はできないというのならわかる、点数なんかいらないのだ、むしろ見所があるところを長々と語ればいい。ぶっちゃけ、俳優の話だけしていてもよい。―――小さな物の見方ができない人は、いつまでも子供のままなんじゃないだろう―――か。時折には、過剰な批評合戦、行き過ぎた意見の正体を見抜いて欲しい。あなたが手元にあるスマホをぶっ壊して、テレビをぶっ壊して、なおかつ、参考資料となるようなものを燃やして意見をしてくれるというなら、僕は一向に構わないのだ。人を構成している様々なアイテムがあると思う、いわば、人って自分では自分を語りきれず、分かり切れないということなんだ。人生経験を話そう―――か。お得意の手法だね、でもいいかい、人生にへとへとにくたびれた深夜、糞つまんない映画を観ながら、ぼんやりしながら、何かいいよなあって思うん―――だ。わかってるよ、それがすごい、いい映画じゃないってこと―――は。だけど、僕はそういう気持ちをどんな時にでも持ち込もうと思う。やるからには真剣でいようぜ、それはもちろん。だけど、ただ人を笑うためだけのネット的な暗黙の了解が、ルサンチマンで、なおかつ、本来は独り言にすぎない、世の中の主流ではないということをちゃんと理解しておけよ。前述したように、「舐めた」「頭の腐った」―――先鋭的な物の見方というのは、【広告的な物の見方】である。別の言い方をしようか、お前の意見なんかいらないんだよ、お前から消えろよ、鬱陶しい。
2024年11月15日
広告秋っていいね、クマロード。落ち葉、団栗、白骨化死体。村ではアナウンス注意報。秋っていいね、夏は沖縄、そろそろ起きなわ、神社のそれは注連縄。別名くびつりなわ。秋っていいね、堂々と人殺しできます。お腹減ってるんだから仕方ない。食欲のクマロード。あと、芸術的にクマります。秋の空は高い高いので、芸術的にヤリにゆきます。
2024年11月14日
だから僕は百合アニメ観ようとオモイマシター(棒読)いいかね、後輩君、恋愛講座in青空教室三億とんで大体一回目(?)もし女の子が悲しそうに座っていたら、どう思うか?1、生理だと思う(?)2、やっぱり蛙化現象だと思う(?)3、大仏の建築が気になるお年頃(?)4、SACRIFICE、英語で言いたい衝動(?)全部違う? 質問自体がおかしいって君は、世の中の女を斜に構えて見すぎだよ。女というのはね、大体いつも、どうでもいいことを考えているんだよ。九割ヤンキー説? それは多分正しい(?)女の子が生殖あるいは交尾以外の目的として、成立しているなら、それは大体、幼馴染(?)異性の友人はいるが、ホリエモンのようにニューハーフに走りたい。あれ、すごくすごくすごくわかる、一度たずねたい、ゲイの人でも、女性の中の男性性に惚れ込むことがある。パワーバランスの変化? 馬鹿かね、君は。だから女の子はひと昔前の男の子になったのだ。わかるね? ホモしたいのだ、世の中(?)
2024年11月14日
猫風船眼の前に、ニャにか、ニャにか、―――にゃおー(?)見ようによっては、ストリートファイターのピヨり状態とも、スーパーマリオの無敵状態の前兆とも。ご主人。なんだよ。見つめて、見つめて、嫌でも、駄目でも、嘘でも、見つめて。心の中は飛行機雲なんです。本当かよ、この猫。心の中は、ジャンプして、フワッ。「あの時、落としたものは、金色のこれですか、銀色のこれですか、いえいえ、最初からこれのこれもんで、ありました」本当かよ、この猫。眼の前に、ニャにか、ニャにか、―――ふんす(?)+テイクオフ+オフーッ+さまーえふえむ(?)+しゃかりき+じゃがりこーっつ+じゃいあねす(?)エッ、エッ、コンニャロ、シャカニセッポウ、ナニガ?トラっていうかトラてかトラトラトラごめんください突っ走る、―――沈黙。―――はてしない沈黙の物語。と、ここで、ようやく、ご主人。なんだよ。遊べ遊べ、社畜でもいい、サイコパスでもいい、キチガイでもいい、三食昼寝付きで、ありさえすれば。お前ひどいこと言うな。ペットいわば子供、子供、親の真似する。でもひどいこと言うなは、すごく残る、しこりとして残る。―――ナニガ?眼の前に、ニャにか、ニャにか、―――敵兵発見せり(?)
2024年11月14日
君がいたから膝を抱えて、口ずさんだ音はすぐに溶けてっ―――た。夕空、時に彷徨う無力な言葉は、手垢のついた錆びたナイフが胸を刺して。明るい光の筋、細い鍵型、溶けた金属、ヘミングウェイの「老人と海」で八五日目の正午に、巨大なマカジキを針にかけるようなもの・・。その“諦めの声”に紛れていってしまいそうな時―――。その“脱力感”に身を投げ出してしまいそうな時―――。生まれた街を出る背中も、華やぐ街明かりの裏で、強がって泣かないことを覚えた、あの日の震える唇に夕焼けに、君が笑った。不滅の真理―――も、誰もいない場所で回転する、悲しみはどうして・・・。とめどなく、とめどな―――く流れる、ながれる瑠璃のなかの、あの月の色をして・・。様々な記憶が、ジグソーパズルになってゆくという妄想をさせる・・。エレベーター・エスカレーターの設置、ホーム上の視覚障害者用誘導・警告ブロック。「格納庫と防音スクリーンとで二重に仕切られている、ダイナミックな生態系の変化、環境破壊―――」劣等と敗北、正義と自由、いつしか仮初めの幸福、妥協、割り切れないまま、日々を過ごす僕等―――に。無意識通行の彼岸。それが讃美歌じゃなくて。それが洗礼じゃなくて。それが博愛主義の不能。「愛を与えることはできても、考えを与えることはできない」と。擦れ違った、傷つけ合った、生きてゆくことの答えになろうとしながら、打ち明けられないまま育んでいる時間が、沖の海を見やっている白い波の時間。運ぶ炎舞曲。 (張り詰めている刺に指先―――を、)めぐる水彩交響曲。(いまにも弾けてしまいそうな風船に指先―――を、)時のひだを通り抜けていそがしい輪廻の旅を空洞のいつわりの音の中で、夢になろう、それも夕暮れの吹くか吹かないかの風に、微妙なざわざわした歓楽の不安に恍惚とする、グラスの底から泡が生まれる―――だろう・・、弱さを庇い、ささくれ、寄る辺ない想いを抱えながら、メリーゴウラウンドのように一周して来る、「スポーツ観戦で観客の服装を、チェックしながら、無意識のうちに、錨をうしなった自分を慰めて―――る・・」その“諦めの声”に紛れていってしまいそうな時―――。“I want to create a place that can be called love”その“脱力感”に身を投げ出してしまいそうな時―――。“I want to create a place that can be called love”―――僕等は様々な絵の具をぶちまけて、奇跡的に虹になってしまうターナー。電源が落ちてもその時は、オルゴールのように懐かしく感じられる、夜のしじまでも、雑踏の中の孤独の時にでも、優しい言葉のひとつらなりで世界をときほぐせたら―――。ヴェランダから見る星なんて美しくない、ね、誰かの声も耳障りでしかない、ね、けど律動的編成だとか意識の流れだとかビートとか、不器用とか孤独とかいうものが潜在意識的な領域の接触作用で、カスタードクリームになってしまうよ、君が笑った。結論のない演説がマトリョーシカしてゆくけど、僕等はそこからパンドラの函を開いたはずだよ、すべては瓦礫に等しいのではないかという虚無感に突落されても、まだ無茶苦茶なことが僕には出来る―――さ、まだきっと僕には滅茶苦茶なことが出来る―――よ・・。小技工のたくみな建築と、崖に生えたわけのわからない魅力を持った樹木の不思議。確率論で簡単に片附けられる無価値でも、羊の群れみたいな、ぼんやりした、不定形の中に、情念を脱出できないまま、成長してゆかざるをえない人間の悲劇を感じ、なお、視力を危うくする心の中の声が、世界を燃え上がらせようとす―――る。
2024年11月14日
でもそれを君が知ることはできないのだ、真空管。身の置き所のない煉瓦通りは空洞で宇宙へ。But you can't know that, vacuum tube.The brick street with no place to live is hollow and goes into space.
2024年11月13日
わたしはこれからなにをするのだろう?What am I going to do now?小便ちびりそうだった。最初の一言からして―――不穏な空気が漂う。(チョイスが既にプロテク、)幽霊出るという。学校というか、巷、ローカル巷じゃ、有名。で、なんか勢いで一人で来た。帰りたい。でも折角来たからちょっと覗くか、やっぱり、という気持ちでいる。「おいおい、ベイビー、物見遊山かい」「そんな感じ?」というが、いま、架空のやりとり。しりとり。いまのは、韻踏んだ(?)でも動けない、足に根が生える呪い。人間を木へと変えてしまう、テリトリー。チガイマース、とおどける脳内あたしA。「ビビリ」「ビビリ違イマース、ソレハソレハ、ゼッタイニゼッタイニ、チガイマース!バレンタイン監督、スキデース(?)」何故、片言。わからないを繰り返すリアルあたし。「早く行け」と、シリアスモード、脳内姉御な、あたしB。テスト。将来の夢などで、やって来る風来坊、美人なあたし。サイコパスを気取る。(サイコパスのふりをする馬鹿、それがあたし、)「でも、呪いが・・・・・・」「足が?」「ノロい・・アタタタ、イタタタ、ノロウィルス(?)」この町の最果て。世界はまったく、呪われていた。(のであるよ、フハハハ、)まったく嫌になるぜ、とあたし、頬をぽりぽり掻く、そして前髪を上げ、咽喉のつばを呑み込む。もう完璧にペリカンにサクソフォンに、―――勝ち組(?)そして廃墟を見ながら眼を瞑った。あ、幽霊見えたかも。だから、おしま、い。もう、帰るもん。かえるぴょこぴょこ、まじ帰る。おたまじゃくしは?―――孵る、なんというか、大したことのない心スポだった。でも二度と来ない、それだけは夜露死苦。大目に見てよね、そこんところも、夜露死苦。
2024年11月13日
alienation空き缶に野花―――咲いてたんだ・・。夜には朝が狂ってる、闇。外傷性。心象。―――ありもしない、深淵より、踏切前の道化と、空気。眠らない僕等の小さな頃の記憶、ホーチミン市街の汗溜まり。腐った内臓。そもそも、太陽に管をつけて計器類をセットして、ようやく自動ドアに挟まれる権利を与える。手入れの行き届いた欲求不満が、影の自殺する、“氾濫する”―――《ボク》(は、)“粗製乱造する”―――《キミ》(さ、)人の肉が虹彩の意味奪って、肥大していく、ドリア。「いずれにせよ、人間の喰うものじゃない」セロファンテープみたいに、止まる場所。オルタナティヴを望みながら、画一化教育するアートフェア。「たんに、ひとえに、いわずもがな、―――バニーガールセレクション」(オウンゴールをキメまくれ、ついでに世界をラミネート加工できるか聞いてくれ」毛孔や脂が炎症起こして、倦んでる、悲劇や裁き、DMZな。シートベルトで。ふくらはぎが、コーヒーゼリーになる。周囲の風景の記憶の乏しさが、パーマネントウェーヴした通りでは、結ぶ象がズレている、終止符が充満する、ミケランジェロで遊ぶ。人や地名では言い表せない、「世界の視座、有り様」(無常って・・・・・・)交差点のきちがい沙汰、フラッシュバックコンビニの入り口、月に帰れないアポロ、「ここはアメリカ大陸なんだよ、コロンブス」(エジソンが今日も、他人のアイディアをパクって、実業家してやがる、)呼吸が腐敗の兆し、あの、ろくでなし。欺瞞は眼を閉じるガーナチョコレート、あの、屑。コンピューターウィルス的侵入、鳴らないラジオ、壊れたテレビ、本当に、でくのぼー。廃墟の前のマネキン、そういう拷問もあったのだ、と考える夜は更けてゆく。生きてんのか、死んでんのか。―――金魚鉢の水と何かを覗き込んでいた、猫。アクロスって呼んでもいいかな?(それは“アキレス”と聞こえると―――思う、)耳鼻科へ行け。(それは“アトラス”と聞こえると―――思う、)死す真チックな、あの、℃め酢ティックな、―――扁形動物みたいな、お前の眼。
2024年11月13日
冬の日過去の謎を浮き彫りにする、無傷の雪。道路沿いに建てられていた広告群が、今朝死んだ、冬。・・・・・・インベーダーゲームは続いている・・。意味なんかなくたって言葉は勝手に続いてゆく。誹謗中傷罵詈雑言は続いてゆく。これは割れ目へと向かう突風、あるいは間欠泉・・。―――偽りの記憶の中で眠る夜の花、画面の裏に、バスはあった、“内からあふれでる切ない痺れ”(電話が鳴った、)窓にぼんやりと映る蛇の舌、貫通する剃刀とソーセージ。“卵の割れた内側の膜”(氷柱が落ちた、)「さくらがちってうつくしいヨー」と言うのだ、「ばかがはなびになってすごいヨー」と言うのだ、社会なんか糞喰らえだ、機械仕掛けの玩具埋め込め、人間なんか糞喰らえだ、天使の羽根をもぎとる遊びしろ、―――ゆっくりと消えてゆく(のだ、)(ではなく・・。)消えてゆくことしかできない(のだ、)(であると・・。)きみがしん、しんじている、せ、せっ、世界なんてー。どうせ、正解なんてないんだからー。(ダキャラー、)で上がって、(ドゥカラー!)でさらに上がって・・。ねえ、きみが、かなしい、って、それをいうのなら、(ならしも、ならずして、ならずもの、)ああ、儚い音、美しい音、切ない音、狂おしい音。―――綻びは、至る所にある・・。“同じことを言って、胸にぽっかり穴が空いたことを知るよ”「幻の加速度を見つめて―――いる、痛みは、壊れ続けている・・」“また誰かが同じことを言う、歯車が動き始める”「世界に小さな燃え滓が残る・・、灰も埃も、全部が廻り始める原動力、だけど―――影が迷い込んだ、この胸の向こう側はそれ以来ずっと暗い・・」ぼくも、もういちどだけ、かなしい、って、いうつもりさ。(ドーナツ型の蛍光灯を、“フラフープ”って呼んでみたい、)―――冷たい砂の内側が、見えてき、た。(“トンネル”って呼んでみた―――い、)―――本当に知らないものは、きっと、僕の胸の中に、ある。ああ、儚い音、美しい音、切ない音、狂おしい音。―――天使がナイフとフォークを持って悪魔を皿の上へ。首元から入る風が、骨を伝いながら袖へ抜けて―――った(としても、)「「「 救われるなんて一秒だってないのさ君は耳鳴りのするような田舎でも、この跫音のない、きらびやかな、命の噴出を聞いた。精妙で抑制のきいた簡潔なものとして迸り出る。「生きてるって感じがする」生きてくってことを、生きていく―――んだ。待ち合わせまで歩いてゆく―――よ。(memoryの天秤で、マンモスの重さをはかるよ、)ハイカラ和洋折衷チンプンカンプンの人どおりはまだ、ある。オラオラ、僕は散髪屋の飾り熊というやつが好きで、―――テディ―ベアと言え、飾り熊、飾り熊、かざりいぃーぐまあぁ!血を、あるいは静かな嘘を、うすくのぼりはじめた薔薇いろの太陽を、嗅いだ・・。そこに終わり、そこに始まると言う――。「ドラマティックすぎるよマーダー、脈を整えて・・」でも生きていくんだ、美しいというから、そのすべて重たく抱えながら、愛しさを―――抱き締める・・・。―――冬の日を君に。
2024年11月13日
君の匂いがした古い橋の上から、電車が行くのを見ている。サイケデリックトランスなモードで、車は行く。制限的自由、現代のピラミッドの中の白内障の眼(で、)残酷で、無神経に、今日も死刑台の十三階段みたいに、花が散る。夜が来て、下手な呪縛。無機質なエデン。【時間】とはつまりそういうものであるのかもしれない。>>>靄のやわらかな繭を身のまわりに紡ぎながら、>>>君が求めているのは、「電話」だ。ポケットの中に妖しく絡む指先も、(不安定な場所へ、)誘惑の甘い罠も、(虚構が虚構自体の中で分裂するさま、)耳元で囁く、「あなたの家に泊まってもいい?」という心臓を、アルトサックスに変えてしまう、変な一瞬も。(ハッとする、ディジタルの映像の明滅みたいで、)最近忘れてることが多い、パラレルな消失点。“ずうずうしい図形や数字ばかりの夢”空の星は綺麗、色彩の響き、恩寵の光、イメージの断片が繋がり合って、リアリティが生まれる。そうだね、あの頃の僕等には守るものなどなくて、夢ばかり口にしていたよね。ばら撒かれ――た・・ずぶぬ――れの・・手記・・・・・・。無意識の未明――に・・さらけだ―――れた・・青の時間・・・・・・。>>>砂地の底のようにさみしいものになる。>>>発光性プランクトンになる。現代のアダムとイヴなら、歩道橋の上で見つめ合って、(目蓋の裏側へ消えてゆく、少女式の潜在的な「ねじれ」)時というニュートンの落とした林檎を、切り落とされたマリーアントワネットの首にして。軽くなる命を、足りないものばかりの風に揺れるブランコ―――を。最初の衝撃度が安定的な力を持つようになると、型にはまった言葉の猶予が生まれてくるように―――なる。「言葉と現実のズレを認めずにいられたら―――」(それでいい・・、)「中身がスカスカして何を言いたいのかわからない―――」(それでいい・・、)「誤読、して、テー、てぇー、しまったー。」(でもその、“にんしき”は、かえられないぞー、)アァ、ああ、アァ、・・・・・・・ンアアアア!!!+飛行機が、着陸する、瞬間、を、想起、して、しまったー。+あったー、+それを、なかったー、ことには、でき、なかったー、+不思議と、ひかりの、迷子の、印象派。+あったー、「住所不定」で、そしてみんな「乞食」だ。地上の権利は平等ではなく、「奪い合い」だ。猫がしゃがんでいる、「こんな姿見られたくないよ」“情緒不安定”安定が欲しくないか?不幸はもう沢山じゃないか。雨が上がってる、「雨は勝手に上がる、夜だって勝手に明ける」いい加減なものに感動したとかいう有象無象の、うすっぺらい言葉が耳から離れない。何も知らないくせに。それでも月がもう見えている。手をつなぐ、言葉を重ねる、でもそれだけではいけないような気もして、何処へも行けないような正体不明の焦燥感で胸が痛い。君にだけは知られたくはなくて、そう思うことで、すべてが静かに終り始めているのかも知れないね。「時々片頭痛でバファリンを飲まないといけなくなる、雨の降るせいかな、わからない・・・・・・」藍色の背と、青みをおびた灰色の太い腹をもった、紡錘形の生物、鮫を、狂わせ――る・・。化粧水の芳香――。>>>それでどうした?>>>だからどうした?心の奥がざわつく、あの気持ちは変わっていない、笑っているけれど、眼に見えない涙がこぼれている。しみも埃もない、空虚、発車のベルに促されて・・。めくるめく息を呑むような想いで、―――理不尽で数奇な運命をひた走る。少し震える君の肩先「僕のセーターつけなよ」「じゃあ、あたしのマフラーつけて」心と裏腹のジョーク、胸の音ではないこの鐘の音なんかで、くたびれた肩落としながら、人波にまぎ来れむこの街は、意味のない基準と下らなすぎるニュース、けれどそんなことどうでもよかった。―――振り返ると、誰もいなかった。恋していたと気付いていた。でもそれは子供だということも、気付いていた。また一つ街の灯りが消えてゆく。 執着や束縛をすてて、懇願や憧憬、・・・疼く、たおやかな、しとやかな、賞賛の果ての隷属、波のような感情は生き物の 羽 根、思慕は欲望に静かに揺れる。「こうして君に逢うまでは、誰かを愛したことなど一度もなかった―――」素通りする人々、枯れた花は砂のようにこぼれる思い出、持続する淡い興奮を宙づられたまま、身を埋め尽くしていく抵抗感や、欲望を、ストイックな位置へ押しやったまま、何処へ行くのだろう、何処へも行けないのではなく何処へも行かないと、誤魔化しの論法で夜を駆け抜けてゆく、―――張り巡らされた金網と、ほそくふるえる光をまとった街燈、「世界を呪ってた十代の頃のことを思い出すんだ、あのヒリヒリした肌触りが引っ繰り返って―――る」ようやく名を与えられた、窓から出ていくもの。ようやく言葉を与えられて、扉から入っていくもの。「言葉と現実のズレを認めずにいられたら―――」(それでいい・・、)「中身がスカスカして何を言いたいのかわからない―――」(それでいい・・、)「肉付きのよい指」「眩暈のような鐘の音する耳」+飛行機が、着陸する、瞬間、を、想起、して、しまったー。+あったー、+それを、なかったー、ことには、でき、なかったー、+不思議と、ひかりの、迷子の、印象派。+あったー、【時間】とはつまりそういうものであるのかもしれない。>>>連続性の中に穿たれた非連続性の裂け目、僕等・・。>>>僕等、孤独だったね、言葉が出てこないんだ・・。
2024年11月13日
ヅヅヅ、キュイーン、と、れっしゃー! ぱんだ!(いえい×3)お弁当持って動物園おいで、おいらが「いただきます」ちょっとしつこい味だったな、え? 困ってテヘペロ、ぷりんぷりりんアラーモード。あら? みんなの人生の蟻地獄、レッパ沼へオトシテヤンヨー・・・ふふ(?)ぽじてぃぶ、な、意味では、パンダ。「はい、校則違反です! インターネッツ犯罪です(?)」白と黒の怪獣、クマ、それはクマったなあ。え? 「何か言いましたか?」(ラッタラ..ラタタ...)「何か言いましたでしょうか?」(ウサギノ...ダンス..)でも多分、たぬき。あらいぐま。グッジョーブ! ダイジョーブハカシェ!でもその正体は―――もふもふ・・・☆「おいらをお布団に入れてよ」(そして家中のお金を盗む強盗団―――爆☆誕☆)とんでもないものを盗んでいきやがった、それはあなたの心です(?)女の子をコマまわしさ。言いたかった? 罪作りな、耳。言いたかったの、ねえ? 罪作りすぎな、尻尾。カワカワきゃわきゃわ、ウヒョウヒョあはは、れっしゃー! ぱんだ。(いえい×3)よっしゃー! コママワっしゃー、(いえい×3)わっしゃー! コママワっしゃー、(いえい×3)みんなよろしくね、とでも言っておけばいいんでしょ(?)びくとりー☆
2024年11月12日
人差し指はナイフさThe index finger is a knife頭が悪いのがわかるから喋るな、親に言われた。剥き出しの肋骨とrock 'n' roll毒親。乙。ハーイ、人生終了です。ゲームオーヴァー。詰んだ。詰んだ。で、コミュ障になって、猫背になったら、「リアルの自分」みたいな人がいた。ずっと自信なかったんだ、でも、勇気だして外の世界へ出たとか言うのね、その人。この街のanother sky動画からアタシの名を呼ぶような気がして、そこが一生涯忘れられない地になってしまった。ストリートファッション勉強して、大型免許取って、ラップとダンスの毎日、人前に出てさ、人生変えたかった、この糞下らない人生をリセットしたかった。耳元にさ、いまでも、ポプラの葉がどこかで風にのった残照に、さらさらとこぼれる音がする―――んだ。努力による酷使、これも実はまだ甘っちょろい。哲学、これもまだまだ。悟りを開いていない言葉は単純に無駄な知識の集積。「中指立ててみろ、上っ面の言葉はすぐ剥がれる」幸福の錘。イカロス的蝋の翼。回転木馬、変態の園。ビッとしようってアイツが言った。チャッチャカ決めちまおうってアイツが言った。普通とか平気とか当たり前とか、スゲーよな。―――夢のようにかすかに、遠慮がちに、蟹の甲羅をひらいてみせた、それが病んだ紫陽花でも、消えてしまう虹でも、アタシはいいと・・思う―――思う・・・。この街のanother skyさっきガードレールを乗り越えて車道側に出た瞬間、ふくらはぎにかかった排気ガスの煙が温かかった・・。石の上にも三年ってそれは甘い、石の上にも二十年、まずそこから。生きるって何なのか頭の悪いアタシにはわからない。けど、生きることが大変なのはわかる。言ったんだ。装飾画になる。踏み固められた混凝土のようになる。 名前もなくて、言葉も出せない、卑屈な町の風景になってしまう―――よ。みんなそうだよ、ってアイツ軽くいなした。虚飾と出鱈目と誤魔化しの吹き溜まり。裸になって全部さらけだしたら、タトゥーが残って、お前そんなところにピアスしてんの痛くないのが残る。げらげら笑ったんだ。人間になりたくない。はじめて心から言えたんだ。世界はアタシを隠す、空気を泳ぐ、イメージの夢。アタシは、無数の鉄砲を吐き出すような夏の陽射しが、いい。Zeusが言った、「幾何学的とは何か?」と・・。アタシに問うな、アタシは蜜蜂の巣。本を閉じたあとのカーテンの模様。この街のanother sky世界がアタシを隠すとき、町の風景さえ隠してしま―――う・・。ここには天国の染料がある、ここには、声からはみだしてゆく、絵の具がある。ヒエロニムスの幻聴。いつまでもアイツは、最後の審判の喇叭の響きを聴くのを想像してる・・。
2024年11月12日
You Only Live Once銃を握り弾が詰まったマガジンを入れる。スライドを引く―――。 反射する水面、燃え盛る炎、穏やかな雨、湧き上がる雲、風になびく樹木、さざ波、ゆらめく灯り 、打ち上げ花火、循環、完全な健全・・・・・・。うへぇ。凡庸。ステレオタイプ。わっちゃっちゃ!なにそれ、えー、なにそれ。僕だったら、牛の長い白い角と情炎の妖しい瞳を求めている。最高にティラノサウルスのひと時でお出迎え!生きている事自体が退屈だね、思わない?つまらないね。話してる言葉が読めるし、批評空間みたいに沈黙するのが、習わしみたいになってる。「ゴチャゴチャうるせえんだよ、IQ30‼」「ゴチャゴチャうるせえんだよ、文明四流国‼」何、ビビってんの、おかしくなるのが嫌なの。死ぬのも怖くて生きるのも怖いの、情けないのね。豚の一物ほどの意味もない脳味噌をさらして、ビデオ屋で映画を探す君、君、君・・・・・・。「ルーヴル美術館を爆破する映画はないかな・・・」「あと、国会議事堂で売国奴って叫ぶような映画はないかな―――」ないかな、ないよね、生きてる意味なんかそうやって失われてくのね。自動販売機でジュース選んでいる場合か。今日の晩飯何にしようかって―――悩んでいる場合か。わからないかな、胸の中まで透き通ってくるような遊園地の気分でも、視界はダウントーンする胡散臭さ。コーティングされたチョコレートの鍍金が剥がれたら、感情の幅のニュートラルだって出来ないの、君は。そんなことでどうすんの、ねえどうすんの、キャッチボールを完全にしずかなあの公園で終わらせてしまうの、パッと恋をして相手見繕って、グッと勇気降るって仕事見つけて、バババッと人生、生き方選べよ、いちいち悩むな、―――選び放題じゃねえだろ、夢見んな、てめえのツラを鏡でもう一度つくづく拝んでこい。感情の上澄みとか、生活の理想とか、糞喰らえ、無形文化財とか天然記念物みたいな顔すんな。中指立てて、ついでに感覚の錯乱や死への傾きごと、ルサンチマンや少数派ごとアヌスへ突っ込んでやるぜ。―――用意しろ。え?ありのまま伸び悩んで滅びたそうな、自壊や後退を帯びたアンタの横顔は素敵。“スローガンに小便かける夢見てた”―――目蓋の暗闇、マナーモード。「逆方向の視点をあわよくば全力で動かしたがってるのなんて、顔を見た瞬間にわかってた―――よ」“国会議事堂にもうアメリカ国旗をつけろよ、馬鹿垂れ”だからシュプレヒコールを捧げるのだ、ヘイヘイヘ-イ!やってきました滅茶苦茶のお時間ですぜ、グローバルでリバーシブルなストロークスさ、舌の躍動!(指向し,思考し,嗜好し,試行し,施工する)飛んでんだよ、アバヨ・・・!もっとすんばらしくセクシーにアンニュイな表情さらして腰砕け、―――ウッ!違う違う違う、―――ウッウッウー、ピーポー!違う違う違う、―――ウッウッウー、ピーポー!舌足らずになって、駄々っ子になってよ、靴を投げろ、皿を割れ、そしてデリカシーの欠如の方へ進もう―――ぜ。骨と筋肉が作る足の流れ・・。角度 Aと角度 Bと2点間の距離 xと目の高さ hによる世界・・。尾翼の取れかかったグライダーみたいに、もうなんだったらドロップキックしたいお年頃。へっ!矛盾しまくって、信用性もない、歴史もない、思春期みたいに奔放で、わけのわからない映画を手に取れ。ワーカホリック・ネガティヴズ・・・!金糸雀はまだ、お前の耳の中に麒麟の欲求を抱えているか・・!
2024年11月12日
泣いているの?薄暮の暮れ方の仄暗い所在に―――紛れ、見失った。中心もなく周縁もない。曲げられ、抉られ、歪められた、蹂躙。摩滅する道路には未解読の因果律があって・・、(短)く・・[燃]ゑ・・数秒、いや、数分―――。はるばると海や空を渡ってきて、冷たく僕の血や心の中に逆流するもの・・・・・・。“光と影の刻印”「過去の姿形(を、)纏いながら―――」>>>ボクラ、ハ、ハンキョウ、シテイタンダ、、、《かつて好きだったものが、あまりピンとこなくなる》夢の黒鍵を叩くように、空虚―――な、宇宙の揮発性の匂いが満ちて・・・、無垢な海が光で軋む―――よ。隘路へ、相互理解へ。何者かが実験・観察用に作った極小宇宙(で、)どこまで行っても際限がない「神界」のまた高次の「神界」があって、―――この【現宇宙】が終焉を迎えて、【新世界】が開闢するとして、星だって暗闇に打ちこんだ鋲かも知れない―――し・・。答えは―――自分で見つけるしかない、鼓動の中で翼に変えた内圧の極限―――に、意識と無意識の境域・・。流線形は色を変えるパースペクティブ。因果、業、宿命―――。健全な道標・・。仮綴じの・・・・・・。―――鳥のような影(も、)魚のような影(で、)完璧なけだるさによって剥き出しにされ―――た後は、否応もなく、消えてゆく足跡を追い掛けてゆく、だけ。“現実の浸透と交感による場の時空の生成装置”「多くの余白(が、)別の輪郭を浮かび上がらせる―――」鉄の扉、有刺鉄線―――。そこに僕等の文化圏や安全圏の記憶がある。 [心拍数による消費カロリー計算/塩分濃度%から塩分g数を計算する]常寂光土に極楽―――。materialな莟のLifeさ、眼をそろそろ開けなくちゃ、ね。針で突いた穴からこもれて来た光ぐらいの、悟り。を。構築する、構築する。未来傾斜原理に則って、意思決定を。再編集する、再編集する。無我夢中で問い掛ける・・・人生―――時間・・・・・・夜―――。いつだって僕は頭を抱えながら・・・、(煮とろけた林檎、檸檬、西瓜・・・)「願い」や「祈り」のなかに、「こぼれた杯のしみ」を・・・、檻の中から出てきた“獣”に、甘さへの傾斜はなくて、減速し―――遅滞し、(干渉し―――衝突し、)それでも茫洋とした刹那、見つめようとする限り奇妙に果てしもない孤独、で、も、ど、う、し、て、だ、ろ、う、―――脳の回路にERRORの瞬間。「心の内側にひしめきあうものは、同時に外へと出ようとして次から次へせめぎあう声―――」 絶えず形を変えながら、屈折し、反射する、“あの時の僕があんなに命を削って一歩も引き下がらなかった、あんな勇気がいまの僕にもあるだろう―――か”(悲し―――いって、)(思わない―――か・・・)傷のような気配、存在の不確かさ、隔たりの影のような繰り返しの中、繁茂し、増殖し、膨張した。社会状況に拘束される現実への剥離感、断絶のあられもない確認の反復をするのだろ―――う。相対的である、声である。同語反復的である、音である。同着語法的である、言葉である。同時発生的である、息である。―――蜘蛛の巣に引っかかったような「夜」も。―――何かに擦れ違い続けるような「錯覚」も。壊れた共同体や多数派社会への自己弁明的な虞を抱きながら、思考の断面や局面では、世界均質化、関係存在の不可避的な空洞化を、増えも減りもせず静的に偏在するものを認めていて・・・・・・、・・・化石燃料消費によって窒素酸化物、硫黄酸化物――。煤のような公害物質が発生し――・・。仮想事故起因過程ではないけど、もはや原子力に期待する向きは失せ、燃料集合体信頼性実証試験。「位置のわずかな差のために生ずる些細な音や光の刺激、なんかで、理由もなく愛し、理由もなく憎み、理由もなく殺し、理由もなく生かす―――」(顔を、知名度を、金銭を、口の上手さを、)―――これが僕等の世界です。(救われないものばかりが“消去”できない時代・・・)―――救われ難いあなたのせいです。いま、熱帯魚の翠や紅、紫が、永遠の浮遊物の感触を漂わせ、謎に満ちている。テクスチャモーフィング、回転するロゴ、人目を引く標識。「(そんなことでどうする・・・!)」「(そんな一時的な気付きを得た程度で満足する、腑抜けばかりの世界で一体どうする・・・!)」変容してやまない植物的で、陰性的で、かつ風の質感のようなもの。(短)く・・[燃]ゑ・・《気付き始めた世界は、網羅しつくされ、比較検討され、そして歴史における奇跡は色褪せてしまうかも知れない・・・》“光と影の刻印”「それは酸素であり(て、)水素であろうか―――」灰のように乾いた人達の心に降っている、語り継ぐしめやかな雨の音を聞け―――。>>>ボクラ、ハ、コエ、ヲ、コロシテイタ、、、>>>ボクラ、ハ、コエ、ヲ、シロウトシテイタ、、、
2024年11月12日
r/PlacePlaceという、2017年4月1日からReddit内にて実施された共同プロジェクトで、社会実験というものがある。Redditはアメリカ合衆国の掲示板型ソーシャルニュースサイトで、ユーザー数は3億人越えで、2ちゃんねるでいうところの板は14万以上もある。この実験はr/placeと呼ばれるSubreddit内に基づいており、登録したユーザーは縦1000 px、横1000 px、合わせて100万 pxの正方形のキャンバスに、単色のピクセル(pixel)または「タイル」(tile)を設置でき、次のタイルを置けるまで5分間待機する必要があった。待機時間は実験中に5分から20分へと延長され、ユーザーはパレット内にある16色から自由に色を選択できた。実験初期の時間は、ランダムのピクセルに色が配置されたり、無秩序に文字や画像が描かれた。まずは斥候だね。唐突に現れた巨大キャンバスに最初に興味を持った人達による、各自自由な落書き。素朴というか、小目汚しというべきか。ネットの有象無象さながらの象徴的なシーンだ。しかしやがて一人一人では時間制限やインターバルで、大したものが描けないということに気付く。そこで到達点。お互い協力して絵を描くために、とあるユーザーが、簡単な図面を作り、掲示板で共有し、大人数プレイによる、クオリティーの高い絵が描けるようになった。けれどXなんかで人気ツイートにアンチがいるように、すべての人がそういう貴い考えを持っているわけではない。世界は一つの宗教ではなく、一つの色にも染まれない。よくわからないセンシティブなキャラを描く人もいれば、シンボルを描くもの、文字を残すもの、つまり複数の派閥に分かれて同じキャンバスを共有していた。学校のグラウンドで、陸上とバレー部とサッカー部と野球部がいるようなもの。もちろんそんなことになれば、揉め合いになる。いつか薬缶は沸騰する。「場所の奪い合い」になる。しかも、「上から他の絵を塗りつぶすのもあり」だ。これは戦争の緊張状態が続くことで、いつか先制攻撃が繰り出されるようなもの―――だ。「奪いたい者」と「守りたい者」が現れると、もちろん第三勢力というのが現れるようになる。いっそのこと、全部塗りつぶしてキャンバスを征服しよう、というオセロゲームの完全勝利みたいな企てを持つ者が登場する。学校の卒業文集で、世界征服という夢を書くのはネタだが、考えようによってはこういう過程で、生まれて来ると想像してみるのも楽しい。そして征服を企てる「ブルーコーナー」が結成される。これは一種のカルト宗教のようなものかも知れない。無慈悲に青に染められていくことかと思った矢先、「ブルーコーナー」のメンバーの一員が、提言した。もしすべてを青く染めってしまったらプレイスに参加している人は、悲しみ、また出る釘は打たれるで、自分達に対抗した行動を取ってくるはずだ、と。(実際、キャンバスの右上には「レッドコーナー」が、徐々に勢力を強めていた。暴走族の抗争みたいなものだが、コンビニや、バレンタインの企業戦争だって同じことだ、)だったらいっそのこと、いまある絵を残しておかない、と。それはおそらく、その時になってこのPlaceの企画が、社会実験となり、作品の保存をする価値があるという保守的でもあり、その閲覧を含めて後世に残すべきという全体の声が届いた瞬間でもある。人は一人によって価値は生まれない。集団の中で価値が淘汰され吟味されることで生まれる。僕はその瞬間、一つの公園になったのだと思う。全然関係ないけれど、僕は公園愛好家である。絵の保護をすることになって平和が訪れると、独創的なアートが登場する。つまり、本当に才能のある人がこの段階になって現れるのだという、言い方も出来る。才能のある人はわけのわからないことには参加しない。例外はたった一つだ。面白いこと、自分もやってみたいと思わせることだ。参加意欲のない人をも巻き込むエネルギーが、その段階にはある。場合によっては最高視聴率が、この段階かも知れない。国旗合戦、ハートを書きまくって世界平和を祈るグループ、ゴッホの星月夜を完璧に再現するグループ、などが現れた。これはいわば、オリンピックみたいなものかも知れない。だが、こういう状態が安定している時にこそ、本当の悪とでもいうべき存在が現れるようにな―――る。「THE VOID」だ。VOIDの発祥は4chanという画像掲示板。何度かRedditから外交員を送って説得を試みたがことごとく失敗。ここでplaceで争っていた者達の協力連携が成立する。人間は損得勘定をする生き物だし、過去を確かに忘れない生き物だが、本当に大きな敵がいればどのような間柄でも味方になれるのだ。しかし「THE VOID」の登場で、古いアートは消え新しいアートを作る契機になったと思う者達もいた。新陳代謝だ。老人の言葉は、若者にはうるさくて仕方ないの法則。さながら上場企業のように、大きな派閥が生まれる反面、その為に新しい仕事が入りにくい、やりにくいという状況。それが予期せぬ神の采配で、中心的な価値観が崩壊する。争いが起きてばかりいて絵を描くところじゃなかった、とそう思う人も一定数いたはずだ。仮にこの社会実験の満足度調査をしたらこんなに荒れることはないというぐらい、色んな意見が突出するだろうと思う。状況が読めない段階。「THE VOID」の攻勢は強力で、クリエイターそれぞれが対抗しても、勝てないことを認めた住人は、最終日とあるグループに協力を依頼した。いわゆる草野球の助っ人である。日本野球でいうところの外国人選手である。それは政治的コミュニティで、普段から政治家や経済、スキャンダルなどで、対立し合っていた人達が、「THE VOID」の撃退に一役買ってくれた。彼等が書き上げたのは誰もが知っている、アメリカ国旗だった。何度も何度も呑み込まれそうになりながら最終的には、Reddit側が勝利した。まあ、勝ち負けなどという発想自体が、茶番で、低次元で、だからネットはリアルに勝てないんだという見方もあるだろうが、同時に、リアルとネットは表裏関係である、勝ち負けには特定のスポーツやギャンブル以外ではもちろん存在しない、だが、存在しないといっているだけで見えないギャンブル性は存在する。だからこれは「社会実験」なのだ。七十二時間かけて様々な変遷を辿りながら、様々な人の労力を使って完成する。冷静に考えればどう考えても馬鹿らしい、空き缶の城、割り箸の家である。ビール壜のクリスマスツリーかも知れない。それはやっぱりネット文化が何でもありの、アウトサイダーアートということかも知れない。ニューズウィークは、「インターネット史上最高の実験」と呼び、A.V.クラブは、「Redditorが最善を尽くす、すなわち、互いに好きなことを議論するための、良性で多彩な手段である」と評した。経済教育財団は、「社会を特徴づける新たなる自発的な秩序の縮図である」と評し、ギズモードは、「やりたい放題であるインターネットの記念物であり、インターネットのコラボレーション能力の証でもある」と評した。僕だったらそれは、「インターネットにおけるナスカの地上絵」とでも言うかも知れない。とりあえず、名言マシーン、広告路線、それが薄っぺらい社会を黙らせる一つの方法。言葉だってそういう役割を持つようになった。僕はここにおけるコメントも含めての社会実験だと思う。ちなみにキャンバスの最後の構成とSubreddit内の、個々のコミュニティとの関連性に関する評価もある。これらのコミュニティは独自の存在であったが、より大きなコミュニティの一部として協力していた。たとえばそれは「宇宙」とか、あるいは「異次元の扉」とのようなものかも知れない。Ars Technicaのライターは、Placeにおける協調の精神が、インターネットコミュニティ上における、過激思想と戦うためのモデルとなりうることを示唆している、と。これは椅子取りゲームの最高峰で、場合によっては、ハリウッド式脚本術とかに並ぶ、物語の完璧なパターンの一つかも知れない。何回やってもこうなるのだとは絶対に言えないが、何回やっても全体の特徴の一つ一つの要素は残る、決まりの無い個々の集まりから、小規模な協力、対立、侵略と保護、革命、復讐、そして大規模な協力、平和が訪れ、強大な敵との遭遇、飲み込まれるかと思いきや一致団結の大団円。しかもそれは、「サイバー空間での自由奔放なアート表現」だから可能だった。あるいは、「サイバー空間での天衣無縫な遊戯」だったから可能だった。もしかしたらそれは本当のところ、「神様の顔」なのかも知れない、色んな言い方があり、色んな考え方がある、けれどもそこにも多分、周縁と底辺の文化からの眼差しがある。テレビから観ている時代があり、限られた特権階級の人だけが知る時代もあった。そして僕等は蟻としての時代を迎えているのだ。
2024年11月11日
wonder of the stars宇宙にはどれほどの数の星が存在しているのだろうか、天体望遠鏡を手に数多のロマンティストが、気障なことを言ったに違いなく、まずはエチケット袋を持って挑みかかりたいところですね。しかし満天の星空を眺めた時には、誰もが頭に浮かぶ疑問―――。この宇宙空間には四〇〇〇垓個以上の星が、存在していると言われています。人類にとって星を観察する歴史は古く、星の動きから古代エジプト人は暦を作り、メソポタミア人は占星術を生み出し、現代では遥か遠い星々の環境を把握できるほどに発展し、何光年も遠くに地球と似た環境の星が見つかっているという報告もあれば、「まるでSF映画だ」と思える不思議な星が報告されることもあります。たとえば誰もが知っている、「金星」には自転速度の、六〇倍以上の速さで風が吹いていて、これは「スーパーローテーション」と言われ、そのメカニズムはとても説明が付かないため金星最大の謎として、多くの研究者を悩ませていたりもします。ですがこれは、ほんの序の口。もはや漫画の中だろ言いたくなるような、氷の活火山がある星である「トリトン」も外せないところです。トリトンの表面は窒素の氷で覆われ、氷の活火山が存在しており、気温は少なくともマイナス二三七.六℃。金星の次は土星といきたいところですが、その衛星「タイタン」もかなり変わった星です。この星の最も興味深い点は地球と同じように液体の湖や川が流れ そして雨が降っていることであり、ひいては地球以外で唯一、表面に安定的に液体が存在することが、確認されている天体です。ただし、ここで言う液体とは、液体のメタンやエタン。地球を水の惑星というように、タイタンは油の惑星です。その地球つながりで、地球からわずか一万光年も離れていない場所に位置し、太陽の一〇〇倍ほどの質量を持つ連星系「りゅうこつ座イータ星」は、厚く膨張した二つの耳たぶのような構造の「人形星雲」に囲まれ、最も危険な星であると言われています。見ようによっては深海生物にいそうな星にも見えますが、何を隠そう、あと数百万年で超新星爆発を起こし、地球に危険なガンマ線を浴びせる可能性のある時限爆弾なのです。大丈夫、僕は生きていない。そしてその頃にはきっと、何らかの対策が可能であるに違いない。最終的にはアルマゲドンの主題歌、「I don't Want to Miss a Thing」を歌うしかない。もう一つおまけに地球つながりで、地球以上に水の豊富な惑星「GJ1214b」というのがあります。ただ、地球よりも大きく、比較にならないほどの量の水を有していて、逆に固体状の物質がほとんど無いため完全に海に覆われている惑星。もしかしたら深海には生物がいるかも知れませんね。いつの日にか、この惑星の水族館へ行きたいものです。水といえば、アマゾン川の一億倍の水量を約一〇万℃、時速一九.三万キロで放水し続ける、「L1448-MM」にある原始星を忘れてはいけないでしょう。原始星ではこのような放水現象が確認されるそうですが、実際に規模を測定できたのは、この星が初めて。この放水は千年にも及んで続く可能性もあるそうです。ちなみに長すぎる小便は三〇秒以上になると膀胱機能の低下。さて、その土星つながりですが、二〇一年、ケンタウルス座の方向約四三〇光年彼方の若い恒星「J1407」に、土星のような環を持った惑星が見つかった。J1407bは木星の一〇~四〇倍の質量と考えられ、三〇個以上も重なる環の全体の直径は約一億二〇〇〇万キロにも及ぶ。これは太陽~金星の距離よりも大きく、土星の環の二〇〇倍という大きさだ。もちろん僕等はそれを東京ドーム何個分で表示してくれるでしょう。僕は頭が痛くなるので遠慮させて下さい。さて話を戻して、風とくれば速度。高速自転の星「VFTS102」は、大マゼラン雲(かじき座からテーブルさん座にかけて位置する銀河)の中のタランチュラ星雲にありますが、何しろ時速一六〇万キロで自転しており、あまりの速さに星自体が潰れ、赤道付近には光る円盤が形成されています。高速自転の原因としては、近くを周回していたM星の超新星爆発の影響や他の星が衝突・合体したなど様々な仮説が唱えられていますが未だに原因の解明には至っておりません。速度といえば車のフロントウィンドウ、ちょっと無理矢理かな、硝子でしょう。硝子の雨が降る星「HD189733b」は、夏に東の空に現れるこぎつね座の中の星。地球と似た青い星ですが、これは大気の主成分である、硝子(ケイ酸塩)の粒子が光を反射しているためで、海の光を反射している地球とはまったく異なる上、時速七〇〇〇キロもの暴風が吹き荒れているため、常に硝子の暴風雨が降っていると考えられています。その硝子続きでいえば、ダイヤモンドでしょうね。二〇〇四年に発見された「かに座 55e」は、地球から約四〇光年離れた場所に位置しています。大きさは地球の二倍、質量は八倍というとても大きい惑星ですが、この惑星の内部には、ダイヤモンドの地層が存在すると言われています。ダイヤモンドの全量は、地球全体の質量の三倍の量。ダイヤモンド鉱山なんてけちなものはおしまいにして、これからダイヤモンド惑星の時代だぜ。さて、雨の次はやはり晴れでしょう。一〇〇年以上ずっと夜が来ない惑星「HD131399Ab」は、三つの太陽が近くを周回しているため昼間が、一〇〇年から一四〇年ほど続きます。昼の次は夜ですね。われわれの銀河系には、炭よりも黒い惑星が存在します、NASAの宇宙望遠鏡ケプラーが発見した、「TrES-2b」という木星サイズのガス惑星がそうです。季節を問わず北の空に現れるりゅう座のなかの星で、太陽のように輝く恒星の近くを公転していますが、光を一パーセント未満しか反射しません。その理由は、気体状になったナトリウムと酸化チタンが大量にあるため、という推測もありますが、地球にはない未知の物質の影響とも考えられています。夜といえばお酒ですね、深酒は駄目ですよ。しかしそのお酒をまき散らす星があります、「ラヴジョイ彗星」です。このラヴジョイ彗星は五つの星の名称で、そのうちの一つの彗星がお酒をまき散らしながら飛んでいます。噴出されるガスの成分にアルコールや糖類が含まれていて、毎秒ワインボトル五〇〇本分をまき散らしています。酒の次は孤独死というわけですね、それはそうですね、二〇光年先に浮遊惑星が存在し、浮遊惑星とは恒星を周回せずに宇宙を漂流し続けることです。天体の名称は「SIMP J01365663+0933473」です。木星の十二.七倍で、磁場の強さも木星の二〇〇倍。ちなみにこうした浮遊惑星は宇宙空間に数千億個も存在します。
2024年11月11日
最初のヒトある人は道路で一時停止必須の場所なのに、突然愉快な気持ちになり、込み上げてくる笑いと共にアクセルを踏み込む。慌てて一時停止し、事なきを得た。その人はたまたま死ななかっ―――た。電車の踏切の前―――で。吊り橋の上―――で。そうならないという保証は何処にも、ない。一度目は大丈夫だったから、二度目も大丈夫だというのは暴論だ。突如――まったく突如として、「自分の意識を真っ白い水として、そこに赤い液体や、黒い液体が混ざってゆくのを、感じたことはないだろう―――か」階段を転げ落ちてみたいという衝動と、死後になって乾いて濁っている死んだ魚の眼。水の中に溺れてみたいという衝動と、呪いのメッセージに見られるような精神汚染。暗示、先入観、固定観念、集団心理、どんな言葉もそれほどの違いはない。しかし“見えないこと”“名前のないこと”ただ漠然として“存在にすら数えられないこと”を、回避することは出来る。わからないのさ、それは緩慢なるものだと大多数の人が思っている。その気になれば制御できる、抑圧できる、それはあくまでも一時的な躁鬱的な、気分によるものなんだと思っている。数値化―――は出来る?時限爆弾の解除方法はたった一つ、すごく特殊な方法なん―――だ。見える化―――は出来る?何をやっている。油断するな。殺されるぞ。頭の中では、そういう非常警報が鳴ってる。出来ないと諦めてはいけないよ、イラストでもいい、文字でもいい、何だったらスマホのメモ帳を使って、様々なイメージの収集をしてみるのでもいい、―――“本当の自分”は、おそらく、すべての意味において、“離れているか、近付きすぎているか”のどちらかであろうと思う。これは経験則として述べている。交差点で表情のない人を見るたびに、問題が同時に複数の原因からなっていると想像する。けど真っ先に疑うべきは「心霊」なんかじゃない、まずは、「心療内科」さ。そして憑依現象なんかでは断じてない、まずは、自分の心をきちんと見つめることさ。でもまずは疑うだけで、薬などは絶対に飲んではいけない。一度おかしくなる弾みをつけてしまうとね、拍車がかかった暴走は精神を蝕み尽くす―――からね。そういう「ヒトの何か」が怖い。そういう「ヒトの振れ幅」が怖い。見えないものが見えると言って信じるのは止した方がいい、真っ先に疑うべきは、詐欺さ。お金が絡んでくると人は平気で嘘を信じ込ませようとする。依存症や、恐怖症。マラソンランナーは中継地点で水を飲めなかったら、発狂しそうだというそれが、麻薬依存症の人が、世界をすべて捨ててもいいというそれ―――が。―――【スキマ】だ。心の隙間というのを一切作らない手法を教えてあげようか、心を空っぽにし、一切合切、信じないことだよ。それで何処までゆけるかな、生きていくというのは、矛盾の宝庫さ。『白い塩』なんだ。どう見ても、どう考えて―――も。だけど、奥さんが言う。『なにその、黒い塩』と・・・・・・。この世ならざる者と、一般的な人との違いなど、すぐにつくと思っているけれど、これがわからないという人もいる。須田国太郎みたいに“暗い”んだよ。バロック絵画みたいに“暗い”んだよ。九死に一生を得た人は、「自分自身が信じられない」という言い方をする。「今でもその瞬間のハジけた気分が、胸の奥底にズレたまんま、残っている。思い出すたびに、ゾッとし、頭の中を誰かに覗かれたような気がする」と―――。人は様々なバランスの中で生きている、交通事故で自分は悪くないと言い張るような、そんな正義の仮面もそのバランスに―――ある。天秤皿の上に、「依存症」と「恐怖症」という、プレートと写真とそれを表す何かによって、釣り合っているような光景を想像してご覧。ゆっくりと紐解いていきなよ、そしてこれは左脳であり、右脳のことだよ。分かり易く言えば、悪魔であり、天使のことだよ。そしてそれが『依存/恐怖』と成長した暁には、天秤はもっと大きくなり、『症候群』と釣り合うだろ―――う。交差点で表情のない人を見るたびに、問題が同時に複数の原因からなっていると想像する。けれども、表情のある人を見たとしても、やはり問題が同時に複数の原因からなっていると想像する。答えは変わらな―――い、宇宙は広すぎて怖い、想像力が及ばない、太陽や月だって本当にあるかどうかはわからない、それがそう見えるだけの疑似的なもの、偽物であり、実は一切合切これまでの歴史が嘘のコンクリで、固められてきたものだという可能性―――を、どんな人も否定できない。だから世界五分前仮説とか水槽の脳のようなものがある。―――【スキマ】さ。
2024年11月10日
panic心霊スポットの“呪われたトンネル”へ入って十秒も経っていない、すうっ、と寒くなって来たなと思った、立ち入り禁止の孤島へでも流れ着いた漂流者の気分だなと思った、静かなノイズにまみれた郊外、しきたり、ならわし、信仰、習俗、歴史。ひいては、その土地に古くから根ざしてきた風土や文化。謎めいて古い起源が我々には魔力的に感じられる。時々それはノスタルジアと呼ばれ―――る。それらにまつわる奇妙な話が累々と、連綿と、脈々と、存在する日本のトンネルへと、一歩、二歩と踏み込んでいっ―――た。そこに、“ズレ”はない。そこに、“ピント”は合っている。―――だが、次の瞬間、一緒についてきた鈴美玲は。ホラー・ジャンキーと嘯いていた、鈴美玲は。大学生で、喫茶店のバイトをし、YouTubeの活動もする、活発で明るい女性は、『幽霊がいたらむしろ見てみたいですよ~っ』と頼もしいことを言っていた彼女は、ゴールからふりだしに続く道を、いろんな品物の滅茶苦茶に散乱しているなか・・・。逆走するようなポーズを取ったかと思うと、グリュン、と音を立て、腕時計の留め具の噛み合う音のように歯が鳴り、捻じれ―――捩じれ・・。あちこちへこんだいびつな段ボール箱みたいに、粘着テープを剥がしながら、悲鳴をあげ、どうしたんだと懐中電灯を慌てて照射すると・・・・・・。夜を欺くように煌々たる光の中で―――。「えっ?」ぐるん、と白眼を剥いて、蟹状の泡を吹きながら、まるで釣り糸でも引っ張られている魚の鰓のように、斜めに舌を突き出していた。不平と猜疑と高慢・・・・・・。接近して仰向いて見る時には横幅に対して、高さの方を大きく見積り過ぎるような傾向みたいに。皮下脂肪は燃えるような―――焦燥・・。トンネルの傍には粗大ゴミがある。壁にはスプレーで書かれたと見られる、“呪”という文字が見えた。薄汚れた、地下駐車場のような臭いがする―――。湿気が強く、脂や汗の匂いがしない、水の臭い、霊の気配がする、この場所・・・・・・。がたっ、と鈴美玲は粗大ごみの中にある冷蔵庫を巻き込みながら倒れる。俄かに恐怖のドン底に落ちて、まるでホラー映画のワンシーンでも観ているみたいに―――。カツーン、と転がる音がする。周囲に散らばっている、自分と同じ心霊スポット探訪目的の人が残した、空き缶だろうか、それを背中に受けながら、我慢と失意とが、その口辺に漂う嘲笑いの底で戦っていた、人は最初、不安や恐怖に反応している生き物であり、次に不安や恐怖を感じた瞬間に気づき始める傾向を知り、最終的にどういう舞台装置があれば不安や恐怖が作動するかまで、わかるようになってくる―――生き物・・。―――もうそういう“おどかし”はやめよって言ったのに・・。―――あのね、もうそういうのは“前時代的”なんだよって・・・・・・。言わせてくれな―――い。心の何処かでは願っていた、脅かし目的や冗談ではない証左―――として。両手両足をてんでばらばらに動かしながら、のたうち回り始める。ジジジーンと、壁にかけてある大きなベルが鳴り響く。電気など通っているはずはないの―――に。ここは、廃トンネルであるはずなの―――に。想起した、すみずみまで行き届いた秩序があり、権力の強い支配者がいる―――王国を・・・・・・。「はい」「いいえ」の文字が。「YES」「NO」の文字が。日常の延長線上にあり、しかしどうしようもなく切り離された、特異点によって、無意識に呼応した入り口・・・・・・。「あぇ、が、がほっ、えほっ、」その口から発される、およそ女性が発するとは思われない、言葉にならない、意味を持たない、―――鈴美玲の、正真正銘の、無意味な、死に瀕した、喘ぎ声。ばたばたばたばたと、まるで死にかけの蝉やゴキブリのように、あるいは回路が完全に狂ったロボットのように、透きとおるように白いしなやかな脛も、簡単に折れそうな首―――も。鈴美玲は―――。鈴美玲は―――妖艶に、笑ってい―――た。偶然にもつれた腕が、手が、まるで、髪をくしけずりながら艶然と笑っているように見え。けたたましく、笑い声をあげてい―――た。壊れてい―――る。狂ってい―――る。その繕いようのない破綻の中で、鈴美玲はもがき続ける。必要な工程を全て飛び越えて、世界から遮断された、モザイクのかけられたような場所で。どたどた、と。ばたばた、と。腕を、脚を、首を、振り回し、擦り切れながら、やがてその口から赤茶色い液体、吐瀉物と鮮血が入り混じったものが見えた。「あぁ・・・あああああ・・・・・・ああ・・・・・・」何かするべきだと思いながら、もはや行動の原理へとシフトできず。こんな時、心のトラブルはフロイト理論で埋め尽くしたいのに・・・、何か言いたいはずなのに、言葉が脳内から完全に消失している。地獄に叩き落とすような地雷が足元から炸裂し。もはや―――足が震えて尿意が我慢できず、熱を持って溢れそうだ。恐怖という感情すら麻痺し、堪ゆべからざる悲痛が胸を衝いて来て、それは恐慌、パニック、理解不能、エマージェンシー・・・・・・。―――脳が、冒涜的な光景を理解するのを拒否している。いつまでその、駄々っ子のような、奇妙な舞踏は続いたのだろうか、くへぇー、と間抜けに空気の抜ける音を喉から発して、鈴美玲は―――ゆっくりと停止した。「・・・・・・す、み、れ」再び降りる、しめやかで鋼のような沈黙。懐中電灯が照らしだした首は何重にもねじれていて千切れており、周囲には鈴美玲のものとおぼしき小便や大便、それから最もインパクトのある腹部に開いた大きな穴から、胃や腸のようなものまでも―――が、を。咽喉が崩壊した。絶え間なく続く鋭い非旋律的なものの作用によって・・・。見た瞬間―――確認した瞬間・・・。―――鈴美玲が変わり果てた、生命のない、物質、モノと化したのを認識できた瞬間・・・・・・。“それ”―――はとても胡散臭い言葉のように思える。―――本当という言葉のたびに、本当は嘘にすり替わる・・・。―――いま、考えてたことや、思っていたことが、わからなくなる。「い……嫌だぁああああああああああー!!」沈黙は破られた時、トンネルの向こう側で何かが笑ってい―――た。地団駄――二の足を踏む・・。悠長――怠惰・・欺瞞。悪意に満ちていて、無表情で、残酷で・・・。それでも口元の端は確かに、笑ってい―――た。不毛な分裂性、仮死の極限的な貧しさ、運命の諸問題が観念を媒介して回収不能の狂気へとすり変わってゆく・・。その【“何か”】と眼が合っ―――た。眼が合ったのに、次の瞬間、瞳はえぐられていて、それも自分の手を操られ、えぐられていて、―――思った、鈴美玲と車内で話していたこと、を。十年後には雑記の記者になると自分は言い、彼女はホラー映画の原作を作ってみたいと言っていた。他愛のないこと、いまとなっては笑い話みたいなこと、を・・・。―――ねえ、本当に行ってはいけない場所ってあるのかな・・。―――ねえ、本当に見てはいけないものってあるのかな・・・・・・。そこに、“ズレ”はない。そこに、“ピント”は合っている。 ―――やがてゆっくりと、意識は、途切れた・・・・・・。ピチャン、と水溜まりへと落ちる水滴の音がした。まるで最初から夢見ている、そんな水の音をさせながら、奪われた視神経に留まった記憶のように、その一齣一齣が、ふわりと浮んで、落ちもせずに、空間に漂ってい―――る。風は袖口から腕の裏へ、そして肩の方まで、冬の昂ぶりのようなものを感じさせる。放射性物質を含んだ気体のかたまりが煙の流れのように、何かが流れていくようにも思えた、水の音の中で、カメラのレリーズ・シャッターがスピードとパワーの中心で確かに押され、感光を始めたよう―――だ。―――恐怖というのは、始まったばかりなんだ・・。―――本当の恐怖は、伝染する・・・・・・。
2024年11月10日
山小屋ドラクエの村みたいな田舎の山小屋に泊まった。何だか異国みたいな気がするのは辺り一帯は鬱蒼とした木々があるのに、その山小屋の周囲だけ不自然に刈り取られているように見え、明らかに伐採の目的が違う―――道なんだ、何かへと案内する、何処かへと通じている、そういう交通路としての道、その先へ行くと、背丈ほどもある大きな石が―――あった・・。横幅も人間が寝転んだぐらい―――ある。そこに碑銘でもあればもう少し違った理解があったろう。巨石信仰というよりも、新興宗教を思わず想起してしまう不気味さで、その心理に至るためには夕方の薄暗い雰囲気も、多分にある。街の辻角や林の小径で魔物に逢う、この黄昏れ時。イマジンが足りない。それはマザーと叫んでいるときのジョン・レノンの顎はずれた感じが、われわれには上手く伝わらない。いよいよ怪奇的装飾は整った。この“後遺症”という―――もの・・。バンジャマン・クレミュウは『不安と再建』の中で、一九三〇年は、すべての領域で決定的な年であったといっている。世界的な経済危機、ロシアのダンピング、トーキーが欧州を風靡した年である。それは集団的主張の時代が、個人的主張の時代に代わる年である、と・・・。刷り込む。形成する、言葉の流れや色や形を利用しなが―――ら。そう、立地条件も悪くないのに、どうしてか潰れる店というのがある。その飲食店には常連さんがいて、いつも毎日、決まった時間コーヒーを飲みに来ていたらしい。だけど、とある日にトイレだけを借りて、コーヒーも飲まずに帰った。「そんな日もあるだろう」と、「―――それまで、そんな日が一日もなかった」ことの揺らぎ。体調でも悪いのかな、それとも何か怒らせることでもしたかなと思っていたら、その常連さん―――近くのビルから飛び降り自殺した。魚眼レンズを車の行き交う交差点のの中に突っ込んで撮影するようなもの。たとえるのならば、何百億年の宇宙の虚空に沈殿し、浮遊し、眩暈に変わりながら、もっと静かな気持ち、腐っていく寸前に蘇生する・・永劫の感覚・・・・・・。「人に騙された」とか言う人もいれば、「家族関係のゴタゴタだろう」とか、色んなことを言う人がいたけれど、これも定かではない。警察署へ行って尋ねるということも、はばかられる。他人と暮らす、その他人が身近な知り合い、顔見知り、挨拶して、何らかの性格や、行動範囲を読み取りながら生きる街の生活。鍵や鍵穴を所有していても、世間や、常識的な質問を交わさない関係の人。見知っているけど、名前は知らない。声だって聞いたことがない。そんな他人のことを僕等は顔見知り、という・・・・・・。それから間もなく、店ではトイレにいつも誰かが入っているようになった。トイレを開けると、誰もいない。多分これはその常連さんなんだ、お祓いもした、やがて悪い評判が立つ、そして従業員も怖がる、仕事にならない、半年後には店じまい。それでも結構続いた方じゃないかっていう話だけどね。そこから色んな店に変わったけど、長続きしなかった。最終的には駐車場になった、さすがに駐車場は潰れないし、怖い話も聞かない―――けどね。でも何かそのことを知って以来、都市部で、どうしてこんな立地のいいところに、駐車場があるんだろうなんて思うと、そのことを想像するようになった。“後遺症”―――だね。そんな場所だったけど、仲間数人で泊まった。夜中にトランプゲームで盛り上がっていると、いきなり誰かが自分達を呼んできた―――んだ。「〇〇さーん」ってね。知り合いにでも声かけてたのかなんて言いながら、でもその呼ばれた名前に該当する人間が―――確かに、いた。だからというわけじゃないけど、無視しようとは―――思わなかった。とはいえ、ここはとても重要なことだけど、時間はかなり遅かった。都市部のアパート訪問みたいなノリなら、九時や十時は営業中みたいなところはあるのでこういう声かけも、ある。でもここは―――山だ、そして二十二時時である。誰かが真っ暗な山を登ってきたとは考え難い。百歩譲って、遭難があった、登山仲間が自分達に何か知らないかというような、そういうこともあるかも知れな―――い。しかし自分達はそういうネットワークはなかった。でも親兄弟が亡くなったみたいなことを報せに来てくれているかも知れない、人生が長くなるとそんなアクシデントレポート、こういうタイミングでくるか、みたいなことに気付いたりする、・・・・・・そ し て、はっきりと理解する。・・・・・・そ し て、はっきりと理解する。―――“後遺症”―――だね。しかし山小屋だ、失礼するとか言って入ってくれば―――いい。不思議なもんでね、最初はお前早く行けよとか言ってたんだけど、声がしつこく何度も呼び掛けてくるから、三十秒、一分、二分・・・。沈黙は聖なる詩における夜の墓穴。わかるかな、ちょっと気持ち悪く思えてきたんだ。そいつが言う。「だって山に行くとは言ってきたけど、何処の山かは言っていない」しーん、としたよ。虱潰しにいろんな場所へ連絡を取ったんじゃないかと気を回そうとしたけど、そんなことをする労力に見合った出来事が本当にあるだろうかと思う。―――いや、そうなってくると―――語らないがゆえに語ってしまう、山特有の怖い話を想起して、引き攣ってくる、背筋に寒いものがやってくる、早く行ってやれよっていう言葉が、段々、何キロ先、何十キロ先にあるように思えて来る。大きな顔をしていたものが次第に芥子粒みたいに思えて来る。“後遺症”―――だね。>>>出来事に首を突っこむ、或いは引き起こす方法。>>>揺れるもの、揺れているもの、揺れていたいもの。はたしてこれは―――“ヒトなのか”・・。それとも―――が、脳裏をぐるぐると堂々巡りする。しかし声は聞こえてくる、何でもいいから、あの声を黙らせると息巻いて、仲間が息を殺しながら見守る中―――扉の前に立ち、開ける・・。緊迫する場面、おい焦らすなよ、さっさと開けろ。いなかった―――。懐中電灯で周囲を照らし出してみるが、何も、ない。若干、罰ゲームのような気がしてくる。お前、これ、YouTubeのヤラセなのか。動く物の気配すらない。「何なんだ、一体」「幽霊じゃないか―――お前、心あたりはないか、親類縁者が亡くなったとか」「ないな―――あと、声に聞き覚えがない」とはいえ、見知った人の声でも、山みたいな場所で聞けばわからないという可能性もなくはない。ただ、見知った人の声というのがポイントだ。見知った人ならば、同じ名前を繰り返すだけとは考えにくい。「だとしたら、案外、何処かで本当に、誰かを呼んでいたかも知れない」「でも明らかにこの山小屋に向かって聞こえたぞ」「そう聞こえただけかも知れない」要求された――領域・・脳神経、脊髄神経のように、どの部分から神経が出ているかの細分に続く――。意図的な形状記憶合金・・。人間の鼓膜のような能力を生じたものらしい、世界・・。このような会話。ホッとしながらも、背中から匍い上がってくるようなえもいわれぬ不気味さ、腑に落ちないまま、ドアを閉めた。ガラスケースの中にある宝石は観賞用にしか見えないが、購入する手続きになると別の見方が提供される。“後遺症”―――だね。昔、日本家屋に住んでいた人がいて話を聞いた。茶の間と台所の間にスッと、ガラス戸があり、ガラス戸の向こうに板の間がある。その向こうは一段下がって土間になっている。田舎の祖父母の家とか、民家なんかでかろうじてうかがえる程度で、それこそ都市部で暮らす人にとっては天然記念物みたいな風景。竈があるといえば、もっと分かり易いかも知れない。まあそんなわけで、床下にはいくつもスース―した隙間がある、害虫駆除界隈ではベスト10に入ってくるような、ネズミやイタチのような小動物が家の中に入り込む。タヌキが入ってきたこともあるらし―――い。おにぎりを攀じ登って食べていたらしい。コラといって怒鳴ったら、ピューッと消えていなくなって、それっきりらしいけど、ね。田舎だから、蛇だって入り込む。マムシとかヤマカガシは怖いけど、大抵はアオダイショウだから。違いが全然わからないのが素人とばかりに事もなげに仰るけど、田舎の人、とりたてて年季の入った家に住む人は、おおらかだっていう説を推したくなる感じだね。でもそこに、一度だけ鈴虫が迷い込んだことがあるらしい。何処から入り込んだのか全然わからないとは到底いえないにせよ、その日、仲良くしていた親戚の方が亡くなったらしい。虫の知らせだね。“後遺症”―――だね。そしてその後、再びトランプゲームをした。もう呼ぶ声は聞こえなかった。梟がときどきホウホウと梢で鳴いていた。やがて就寝した。夜中に一度だけ、大絶叫を聞いた声を除けば、何もなかった。朝目覚めてドアを開けて出発しようとする―――と、血の跡が、ある。みんな、夜中に声を聞いていた。誰もそれについて何かを述べようとはしなかった―――が。暗黒の室内は、ほんの数秒であったが、一転して墓場のような静寂が訪れた。毛色が変わった。声を出せば、真っ暗闇の中へと飛び出さなければいけない。安全な場所から、身動き一つとらないための自衛手段。しかしそれが間違っていたのか、正しかったのか。暗い表情が、忍び寄って来る朝の気配と共に、その顔を仄かに翳らせている。 “後遺症”―――だね。誰ともなく、その血の跡を、追いかける、何だか異国みたいな気がするのは辺り一帯は鬱蒼とした木々があるのに、その山小屋の周囲だけ不自然に刈り取られているように見え、明らかに伐採の目的が違う―――道なんだ、(地形のゆらぎ、飴いろの波、アンモナイトの褶曲・・、)何かへと案内する、何処かへと通じている、そういう交通路としての道、(君の動きがスローモーションになる、まぎれもない・・あなたの――心臓が、心臓が・・、)その先へ行くと、背丈ほどもある大きな石・・・・・・。「まだ、駄目だよ」と頭の中で声がする。横幅も人間が寝転んだぐらい―――ある石・・・。「まだ、行っちゃ駄目」と頭の中で声がする。昨日とは違う、それが時間の経過を伝えている―――。それはやっぱり今日、時間は動いていることを教えている・・。そこに、一匹の猿が死んでいる。それがどういうことなのかは一切わからない、頭部が切断されている。グロテスクだけれど、鋭利な切り口であることから一度や二度、猿を殺している人間の仕業には見えない。もっと何度も、だ。チェーンソーのような機械的な音は、夜には聞こえなかった。ダース・ベイダーするエクソシスト・・・。言葉が出てこない、圧倒されているのだ。自然の空白、死というに摂理に意識を上書きされている―――のだ。夕暮れと夜の間の僅かな時間だけ、空に広がる藍色と同じ色・・、それから、果てしない落下の感覚――。“後遺症”―――だね。猿の脳味噌といえば、中国の高級珍味で、清王朝時代の北京における宮廷料理、満漢全席に供されていた。とはいえ、現代感覚ではゲテモノであり、脳を食べると発想自体がもはや心を食べるという認識であるし、それ以前にインパクトの時点で食べられない人はいるだろう。これは多かれ少なかれ、臓器提供をする気持ち悪さと通じるものがある。しかしながら魚や動物の脳を食べるということは、食文化と理解すれば呑み込みやすいし、むしろ一般的だ。とはいえ、人の近縁種である猿の脳を取り出し、脳であると分かる状態で食べることは間違いなくゲテモノだろう。高い知能を持つと考える鯨や海豚を食べるのに、心理的抵抗を示すようなもの―――だ。ただ、自然界の掟である、狩られた者は殺されて食べられる。弱い者は強い者に逆らうことは出来ない。残酷ではあるけれど、蛇や鰐やライオンや虎だって、僕等を狩ったら骨までしゃぶり上げるだろう。仕方ないことだ。食することにより、クロイツフェルト・ヤコブ病に感染する危険があり、いわゆる変異型はクールー病で、食人をするとなる病気だ。そこまではいかなくとも、猿を食べる行為に対して、エボラ出血熱やHIVおよびCJDに感染する危険性も指摘されている。ところで、イスラム世界では禁止される酒の製造・販売や飲酒が、人目を避けて行われている国も多く、一方で、自らが信じる食のタブーを基準に、他者を非難・攻撃し、時には殺害に及ぶ者もいる。何処から何処まで正常で異常なのかはきちんと話をしなければわからない、今後宇宙人だの地底人だの異世界人だのが現れて、人間を食べるという種族が現れないとも限らな―――い。もちろんそんなのは認められないと我々は言うだろう、ならば様々な生物を食べるのをやめていただきたい、となるかも知れない。“後遺症”―――だね。猿の頭部だけが切り取られた猿の死体―――が、いや、もちろん最初からそれが猿だと思ったわけじゃない、尻に毛がなく、全身の毛、そして細長い手足などから、―――猿だと、猿の死体だと思ったわけだが・・。何故この石の上にあるのか、それはわからな―――い。闇の中で手さぐりに何かを探している時に不意に指に触れたものだけが名前であることに気付く。電気のスイッチが入ってパイロット・ランプが青から赤に変わるように、そう、夜中に、一度だけ、大絶叫を聞いたわけだが、その声の主はどうやら、この猿だったのだろう。といっても、これが昨日の出来事とどう関連するのかは、わからな―――い。しかもどうして、魚をプールの中にいれてみたりするみたいに、きれいな花を空き地に植えるように、石の上なのだ、そこには何か明確な理由があったのか、また猿を殺すというのもどう考えても人目をはばかられるので、夜中にというのもわかるのだが、抵抗はしなかったのだろうか、いやそれはまだよいとしても、その致命傷となっている、切断された首からの血の跡が何故、山小屋のドア前から、垂れているのだろ―――う。猟奇的な悪趣味、赤のインクと黒による碁石のごとき配置で美しく印刷されている。わからないことはそれこそ山ほどあると知りながら、眼の前に謎が山ほどある現場ではぼんやりとするしかないことを、思い知る、きっと何か理由があったと考えるのにも、無理があるのかどうか、それすらもわからな―――い。奇妙なねじれの中で次第に鮮やかに浮かび上がってくる、雲の切れ目のようなものを見つめる。風が首筋や頬を撫でる。>>>出来事に首を突っこむ、或いは引き起こす方法。>>>揺れるもの、揺れているもの、揺れていたいもの。やがて仲間たちと相談して、山小屋にちょうど、土木作業用のスコップがあったので、石の少し隣に穴を掘って、その猿の死体を埋めてやった。光るものは透明で・・、人間の顔などでは到底表わせないような複雑な表情。やわらかな――、激動・・。無情な冷酷――。・・・・・・そ し て、はっきりと理解する。・・・・・・そ し て、はっきりと理解する。“後遺症”―――だね、物語というのは・・・・・・・。
2024年11月10日
ホモンクルス“ぼく”は覚醒めた。錬金術師こと“博士”はここは、錬金術工房だと半笑いで言った。眼鏡をかけた、髭を生やした老人。白衣の出で立ちをしている。眼が充血し、疲労だろうか体温が少し低いのが表面を見た時に想った。透視してみると、内臓の具合が少し悪いようだ。「詐欺師は、かく語りき。人の精 液をフラスコに入れ、最高に腐った馬糞と一緒に密閉せよ。四〇日間以上で命が宿り、動き出すのをすぐに見られるであろう―――と・・」錬金術工房は、無菌室のように清潔だった。自動扉を潜った。頭の中には自動的にルートが出てきて、何処へ向かうか、何歩で到着するかなどが理解できた。十全。「どうだったんですか?」「最高に腐った匂いがするこの世のものではないおぞましいものが、薫ったのであろうよ。シュールストレミングや、スカンク、死臭、動物の排泄臭の吹き溜まりなんかよりはマシだったろうがね」“博士”は辛辣である。しかしその口ぶりとは裏腹に“ぼく”に対する態度は違う。終始優しそうな瞳をし、歩行に問題がないかなどを見て取っている。感情のウェーブは緩やかでいささかハイになっているのかも知れない。何だか“おとうさん”という気もした。もちろんホムンクルスに父親などというものはいない。「ただ、脱法ハーブを混ぜ込めば、“トブ”ということも有り得る。魔女の闇鍋作業さ。色んな不浄なるものをぶちこめば悪魔だって生まれる。創造してご覧、四十日以上も“トブ”鳥落とす勢いでシャブシャブしていたのだ、それはもうさぞかし、この世ならざる世界の入り口・・、まったくすごいことですぜ、パラケルスス先生様。シャーロックホームズと比肩する社会不適合者・・・」“博士”はそして、容赦なく似非錬金術師、詐欺師を笑い飛ばす。鼻孔に、食欲をそそるような料理の匂いがした。「そんな臭いことを言う奴は、十中八九、政治を煽っている人間のようなものさ。ホモンクルスには、道化や人形や奴隷などのキーワードを思い浮かべられる。生命というよりもこの場合、非生命―――蹂躙されてきた命のね・・。だからフラスコの中のホモンクルスは聡くなければいけなかったのだよ。それは復讐代行の存在であり、すべてを平等にするための、いかさまの装置でもあったのだ」さて、お腹が減ったろう、沢山の料理を用意したよ。料理を見るだけでラベルが降られ、内容量、どういう食べ方があるのかまで理解できた。“博士”はテーブルの上に所狭しと料理の皿を並べていた。が、もちろんそれは“博士”が用意させただけで、“博士”ではなく、監視カメラの向こうにある人達だろう。料理には歴史があり、伝統がある。“彼等”はそれを伝えたいの―――だ。どうして?それはいくら、読み込もうとしてもわからなかった。だが、食事という気分には正直なれなかった。椅子に座りながら、“博士”に尋ねた。もし口を割ってくれなかった場合は、自分の身体を人質にとるわけではないが、椅子から転げ落ちるというパフォーマンスが必要だとは察していた。しかし杞憂だった。「では“博士”―――ホムンクルスはどうやって作ったのですか?」「作ったのではなく、用意したのだよ。魂なき、限りなく不完全な人間の肉体をバイオテクノロジーで製造した」「それでは“博士”はマッドサイエンティストなのですか?」「そういう見方も率直にあるだろうが、そうとも言い切れない。何故ならバイオテクノロジーはコピー商品を作っているにすぎない。遺伝子操作、それは神をも恐れぬ所業といえるだろう。それはマッドサイエンティストの領分というもの―――だよ。だが、私は、魂をその人形に入れてみたかった。医学的に、あるいは生物学的に、人間の肉体と呼ばれるものを作り上げたあとに、交霊術をした。この交霊術は、沢山の理解ある人達によって秘密裏に行われた。わたし達は、魂が入り、そしてどんな風に過ごすのかを見たかった」「“ぼく”は魂があるのですか?」「さてね、ただ、君はどこから見ても人間―――小さな子供のように見える。理智的な瞳、容姿端麗だよ。ただ、肉体は成長しないし、困難も待ち受けているので、どれだけ生き延びるかも不明だが、わたしは君と話せて最高にハッピーだよ」「この研究の最終目的は何だったのですか、“博士”」眼鏡の奥が一瞬光った。それは―――邪悪な魔物のような光を遮るものにも見えた。だが、それはおそらく、“光と影の作用”というものではないか。そもそも、悪とするなら自殺を選ぶのが最適解となる。その決断を促すべきか否かの裁量も委ねられている以上、“博士”の心理をこれ以上、読み取るべきではない。「―――わたしはたんに、精巧な人形に魂を入れてみたかったのさ。脳の代わりに、人工知能を搭載することもできる。現代は二五三二年、霊界と交信も出来、四次元も発見された。宇宙開拓も順調に進み、様々な異世界人との話し合いの場もある。けれど、わたし達は魂を入れることができない。魂のようなものなら―――いや、何だったら魂よりもはるかに高度な、もっと様式美を持ったものを授けることもできる天使の羽根のようにね。でも未熟であるばかりにかぐわしい魂とかいうもので、すべての話が通じている、かのローマの言い伝えみたいにね」「でも“ぼく”に魂があるかどうかはわからないんですね」「哲学と一緒だよ。見えている現象だけでは説明しきれない。数字や記号を使って、これから“ホモンクルス”は研究されてゆくのさ。そしてわれわれは食事の後に、かの中世の時代、パラケルスス先生様のもとへ届けようと思う―――といって、それはそのものの時ではない、また違う時だ、様々な時と呼ばれるステージの中の分岐点の一つだ。無限回廊―――は、霊界とコンタクト時に発見された・・。もはや、時の声さえも、破られた時代なんだよ」「“ぼく”は何をすればいいのですか?」「君が想う通りにやればよろしい、パラケルススを殺害したいならそうすればよいし、パラケルススを使って時代を傀儡したいならそうすればよい。君には時を操る力もある、人を動物に変換させたりする力もある。手を銃にマテリアルチェンジすることも出来る。進みすぎた現代科学により、たった一瞬で惑星を滅ぼすことも出来る。フラスコの中に入っている必要もない、すべてありのままにさ。何より、今までの時代の情報が君の頭脳の中にある。―――神のようにね」「・・・・・・なるほど、“博士”や、その協力者のしたいことが、いまの発言で、わかったような気がします」テーブルに並べられた料理に口を付けると、本当に美味しかった。生物としての喜びは、エネルギーを摂取することではなく、その食事の味にある。錬金術ではエリクサー、賢者の石、煉丹術では仙丹、日本では変若水、古代ギリシャではネクター、インドではアムリタ、ソーマ・・・・・・。それらはすべて、嘘っぱちだと相場は決まっていた。だが、それは“存在った”のだ・・・。“博士”はやり遂げた後人特有の溜息をにこやかに、吐いた。そして、申し訳なさそうに前時代的な異物のシガレットをくわえて、火を点けた。―――二五三二年、“ぼく”の瞳を通して、神を探す旅が終わったことを告げた。神が何を考えていたのかではなく、神をも一つのタイプとして、様々な時代を総合的に判断する時代が始まろうとしている・・・。生きることにも死ぬことにも、何かであることも、何かでないということにも、そもそも意味や理由をなくした―――瞳の向こう側のシナリオ・・。「―――世界に完璧な情報がないという根拠は存在しない、神というものがいないという根拠も存在しない、ゆえに―――ゆえにだ、ホモンクルスのイエス・キリストのような君、仏陀のような君、何もかもをすべて変化させてしまう資質とは、どのようなものであるのか、世界とはそれを入れうる器であるのか、たった一つのゼロ、究極のゼロ、進むことも戻すこともできるものが、本当に何をなすべきだったのかを見なくてはいけな―――い。わたし達は期待している、今日、すべてを夢見た神が死にゆく時のように、あるいはすべての宗教が滅び、すべての嘘が破られた時に、本当に望むべき、“進化の道”とは―――」
2024年11月09日
背中合わせの嘘と本当をつなぎながら――、バグってる。不良品には罰をつけてゴミ箱へ。「社会不適合者の、」花溜まり。馬鹿黙り。蛆貯まり。発車オーライ!!!宙に浮く爪先で、会話する。小市民。ことなかれ。大市民。わけわからん。小市民。ことなきをえた。大市民。わけわからん。綺麗ごとやめるべき。「人生は二十歳の時点でゴールがまず決まる」「三十の時点でやり直しの最後」「四十になればオウンゴールしかできない、それが、サダメ、シャダコ、マダコ、シャダメ」オーダメダメ、まったくダメ、生きているのが既にダメ。きつい重大キルミーベイベー。きつい十代キルミーベイベー。きつい渋滞キルミーベイベー。グルメ気取って珈琲飲んでも、眼が既に死んでる。大体死んでる。やる気が起きたいから、駄目。何もしたくないから、駄目。ベイベーベイベー、重体、重態、なんというか―――。かんというか。満員電車さ。アデデデデデデデ。ガチャ。カンコンソウサイ。雑魚ってる交差点。人のいない世界がいい。ズゴーン。曖昧な境界線のサハラ砂漠へ。大量生産。ピコピコ。チッチッ。(***レッサーパンダが、立ちながらくるくる前脚をまわしておるところの、SCENE)―――ユウシュウ。アンタ、空っぽなんだろう。吊り橋ゆらゆら楽しいな、ニュ。今日は何月何日だっけ、ハッスル、パワフル忍びのともえ。アンタ、中身ないんだろう。電力会社って何であんなにデカいんだろう。ニュ。シャーロックホームズが死んでるような、路地裏で、蟻が缶ジュースを飲んでた。ぜったいぜったい。飲んでた。「東武練馬は好きですか?」毎日出鱈目さ。スウジ。スムージー。シーソー。毎日我慢限界さ。寿司。ニュ。ご覧よ無様、人の話を聞かないケセラセラ。皿に皿に。レット・イット・ビー。昆虫、昆虫、昆虫記。ニュ。
2024年11月08日
2024年11月08日
冬が来る世界は愛であふれているんだ。大人たちはそうじゃないと言うけど、愛は心の中で編んでメビウスさせて、固結びになってからが勝負なんだ、きつくしばりつけても軽くほどけるし、広告みたいなことを言う奴は、片っ端から嘘つきって言うんだ、愛はみんなのためにある方がいいけど、愛は心の中にしかないんだ。
2024年11月07日
地獄の蓋雨が降って埋葬される泥の星。触れる女から、草が生える。瞬間、樹の枝を生やす。他愛ない好意でエンター・キーを押すほど餓えてないし、興味もない。堅固な比類なき高楼のアイデンティティ。生における化膿と、死における腐爛。多様な石材のごとく組み立てて、いつの日にか新生児を産む胎盤となる。フェイクーライアー、偽装する、欺瞞する、僕等の契約。死の踏み絵、濡れた泥の道も、紫陽花も、段ボールの子猫も、心の中に届かなくなってしまうぐらい、ひどいことがあった時はどうすればいい。殺人があった。イジメがあった。家庭内暴力があった。そして頭ではなく、心に従って動いている。ノイズだらけの壊れた心の領域は、新しいタイプの自分を創造する。荒らし行為を始めたのだ。何度注意してもアクセス制限しても悪意は止まらず、居心地が悪くなったのか、次第にブログの訪問者も減り、犯人は押し寄せて来る孤独に恐怖した。またしても自分の居場所がなくなる、そう思った。追い詰められた犯人が、その恐怖を払拭する方法を考えた。―――それが殺人だ。毒と薬くらい違う、でも対象方法の前で、サイレント映画のように静まり返る、遐い遠い世界の出来事だったんだ。明日も。昨日も、おそらく、今日といういまこの瞬間でさえも、人間である限り一段階高い天国を目指すのだろう、「もしよかったら僕の家でシャワーでも浴びていくかい?」それが生きる免罪符、エゴブロックであり、悟るための、楽園へのパスポートになる。「傘に入りなよ、そのままだと風邪をひいてしまう」でも僕等、小さな崖を望む、灰になったんだ、そして何もかも燃えちまったんだ。眼の前の人物が何を言っているのかわからなかった。「わたしあなたのこと、ずっと好きだったの」言葉の意味がわからないのではない。唐突過ぎて実感がわかないのだ。たとえるならテレビドラマのワンシーンを見せられているような、俯瞰して眺めているような、そんな感覚。「ありがとう」そう言った瞬間、膝を曲げて嬉しそうに両手で小さくガッツポーズをし、短い髪を靡かせ、バレリーナのように回って振り返る。精神の奥に生成変化を促す灰色の菌糸層が見えたよ。僕はこの女を殺してから中 出しして、山に捨てるんだ。(〇〇という名前に聞き覚えはないかい?)背中を向けた瞬間に、あらかじめ用意しておいたナイフを突き立てる。(××、それから△△、□□という名前に、聞き覚えはないかい・・・?)成熟の表情のアドレッセンスが光学的変性を促すけど、僕は“お前のこと”なんか一切信じていない。ずっと見てきた。愛想良く振舞ってきた。化けの皮を剥いでやろうというつもりで、どんな言葉も、一言一句、メモした。背中を向けた瞬間に、お前の背中にナイフを突き立てることが出来る。生き物じゃないんだ。たんに遺伝子や、環境や、生きる上で取捨選択するもんが、人とはちょっと違うんだ。だって僕にはこいつが“人間”に見えない。「(首を絞めてみたらこいつどんな顔をするのかな?)」だって僕にはこいつが“人間”に見えない。「(優しい人だと思ってたのにとか言ったりするのかな?)」―――愛、あるいは神、そんなものがもしあるなら、僕と君は絶対に会わなかったんじゃないかな、顕著な発展を遂げるために、一体化する、一致する、完成するまで弛まず結晶を目指す。絵にして音楽的なリズミカルに奏でて構造的な絶妙なコントラスト、最後の瞬間はもうすぐ訪れ―――る。血糊で染まれば、もう虫の音もたてられない、最高だね、世界で一番好きな人―――が。最高だね、世界で一番好きな人―――が。お前の“生きている意味”を完膚なきまで奪うんだ、あの日のお前がそうしたように心は変化を始めた、世界は常に釣り合いを保つように出来ているのだ。
2024年11月07日
2024年11月07日
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