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2006年01月08日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ようやくお年玉を受け取る気になれて、出てきました。
素直に受け取ってはおりませんが、オトナになれない人間のたわごとと思って受け取ってください(あれ、逆か^^;)

私にとってこの話は、既にフィギュアというスポーツを超えたところにいたりするんですけれども・・・。
まあ、今回のように「特に関心の無い人」までが要らぬ疑惑を持ってしまったのがすごく残念で。mskさんもそうだし、みらいさんも、フィギュアのテーマに書き込んでいるおおかたの「昔からフィギュアは好きだったのよねー」な方たちも。
しかも、どっちかという、その疑惑が正しいと思っているし、さらに疑惑について共感しちゃったりして、選手が可哀相だなんていってたりする。
そういう事態がも のす ごくイヤになってしまったんです。
選考のあった夜に、私は「妥当な選考だったと思う」という趣旨のことを書きました。

それらによって、少しは私の知識というか入れ込み具合というか、そういうのを知っては頂いたんじゃないかと思っていたのに、そうか、それでもALEXさんがたの仰ることを信用されるんだ、と思ったら、ガックリもしました。少しも思い出してもらえなかったかと。まあそれは私の力不足のせいなので、可能性もゼロではないんだから、あとは、「そんなことは無いですよ」という意見を心のどこかに引っ掛けてもらいたいなとお願いしたかったわけです。気持ちだけ走っていっぱい書いてしまいましたけど、私だってミーハーには変わりないんで、でもミーハーなだけに話はしたいんですよ(笑)

とっくに疑惑アリの方がどこでも多勢になっているところ、私の意見なんて誰も相手にしやしない。反対意見は多そうなのに、私のところにそういう書き込みは少ないわけで、それは相手にされてないってことで、でもだからといっていちいち反論を書いていくには相手が多すぎるし、それでも(自分のブログでは)言わずにいられないし、少なくとも私の知ってる方には、そうじゃない意見もあるってことをアピールしたい。
そんな中でしたから、特に名指しで誰かに言いたかったわけでもなく、たまたま例に上げられていたALEXさんやきっこさんのご意見の強さというのは知ってましたから、「そりゃもうとてもかなわないとは思うんですが」、とは確かに書いたけれども、おひとりだけ槍玉にあげたわけでもなく、「総体としてこんな感じの批判」で書いたはずなのに、mskさんのところ、ようちゃん2号さんのところ、と、2箇所で皮肉られて完全に頭にきたというか^^;

だってヒドイじゃないですか。
自分じゃ好き放題言っているのに、いざ自分がやられれば「失礼」だの「アラシ」だの。なんだろうなそれは。
言われたくないなら、言わなきゃいいんじゃないかしら。

なんていうのも、やり返しが度を越えていればどーしよーもないもので。
その点についてはみっともないこと、申し訳ないことをしてしまったとは思っています。こういう態度は、ファンの側にとっても迷惑でしょうし。
今回の場合、論破したかったのでも自分の意見を通したかったのでもなんでもなくて (そもそもあの時点で既に先方にも私なんぞと冷静な話をするつもりは毛頭なかったことでしょうし、しようったって矛先を変えられるのがオチです。現にコメントでも「失礼なヤツ」って方に変わってるし^^; フィギュア好き度も年季は長いようでらっしゃるし、それゆえご自分の目は確かだと思われてるでしょうし (濃密さでは私のほうが上だと思いますが、それも認めてもらえないでしょう) となるとまずお説は変えられないし、そんな方に正攻法で行ったとしてもたかが知れている・・・--; 逆に言えば、そういう相手だと思っているのであそこまでエスカレートしてしまったともいえるんですが) 、ヤツアタリに近いもので、抑圧されていたものを思う存分ぶっつけてしまった、という点で、反省しています。
自分のブログでやるべきことを他人さんのところで直にぶつけてしまった、っていうのは。

リアルでは飲み込む言葉が多いだけであまり変わらないし、そういう点が私の世渡りベタな部分でもあり、本当に大いに反省すべきトコではありますけれど。

最近の疑惑というのは、もう魔女狩りのようなところがあって、いくらそれは違う誤解だよといったところで「おかしいな」と思われたらそれで終り。それなりに合理的に聞こえる理由ツキですから尚更。
シニックな見方をご自分の味とされている方にそれを訂正してもらうのが、いか難しく無駄な試みであるのかということは、よくわかっているつもりです。ネットであろうがリアルであろうが。ただの風邪でもガンだと言い張り、ガンだと言ってもただの腹痛だと言い張る。多分そんな感じ。
現に、比較的柔らかな見方をしてくださる方であっても「これが本当のことでなければいいのですが」程度に留まるのみ。ほとんど私の言うことなど信じてもいなければ、考慮に入ってもいないでしょうと、それこそ私もシニカルに思います。
選考が終わったあと、こういう話が出てくるだろうことは予想がついていたし、だから見ないようにすることもできなくはなかったかもしれないけれど、やっぱり目の前に出されて、あたかも本当のことのように論を展開されると予想通りであっても腹は立つ。

いや~な想像が、いやな想像通りに運んでいく。
その状態に対しては、見て見ぬフリをするのが一番ですけれど、そういうオトナな態度を続け通すことができないのが私なんですよね。いかにも傷ついたようなことを言われても、その前に私はもうイヤになるほど傷ついているんです。好きなものをけなされるというのは、もう十分傷ついた傷付けられたと言ってもいいことと思うのですが。
それでも私はいつも傷付ける側にいて、それによって自分自身もまた傷を深めたり。マゾなんじゃないかなまったく。反省もたくさんしたけれど、これでもその場の勢いだけではなく、かなり考えてから投稿はしています。それでもやっぱり後悔するんですが。

ずっと「これだから芸術スポーツってのは」といわれるのが悔しかったので、ならばジャッジができるくらいまで自分の目を鍛えてみようと思って現在に至っていますし、概ね点数について「なるほどな」と思えるところまではきたかなとは思ってるんですが。
しかし、今年はニワカジャッジが増えてしまって、あの人の演技はこの人よりも上手かったのに、どうして点数が低いのだと、これは疑惑があるに違いないという話になってしまう。
自分の目ではなく、ジャッジを疑う。しかもそれが信憑性を持たされて、まかり通ってしまう。そうなったら<専門家>の存在意義とは一体何なんでしょう。

この辺は、やBSEやら鳥インフルエンザやら、政治の是非の問題のように正解の無い世界とはまるで違うれっきとした事実と根拠のある話であっても同じことで、皆さんの思ってる危険性ははっきり言ってゼロに近いものなんだよといくら言って回ったところで、自分が風評被害の加害側に加担してるなんて一般の人は反省するどころか思いもしてない。面白がって煽り立てる人がいるのも事実ですが、そもそも面白がる人がいなければ成立しない話です。
それが「よくわかんないけど」という人のかるーい雑談であればあるほど、むしろ傷は深くなるんじゃないですか?
発言は勿論自由です。それは否定しませんし、されれば私も困ります。が、自分がどこで誰を痛めつけているかもしれないよってことは、覚悟しておくべきじゃないんでしょうか?
そして、覚悟とは反論を予測しておくことじゃないでしょうか。
言われる側としては、もうひと言ひと言がハリのように突き刺さってくるはずなんですけれども。そのくせ自殺に追い込まれた獣医や農家の人に対しては「命を粗末にするな」でオシマイ。いったい誰が窮地に追い込んだのよ? と言いたいことは山ほどに。
それとも、「よく分からないけど」つきなら、何を言ってもいいのでしょうか?
「よくわからない」なら、「こっちのほうが好きだったけどな」に留めておくべきところ、ひと言多くなってやしないでしょうか?
「よく分からない」人が、どうしてそんなに自分の目を信用できるの?
・・・という気持ちがまたムクムクと沸いてきてしまいました。
「ちょっとは知ってる」人も、「ちょっとしか知らない」と思いなおすことはできないもんだろうかなと思うんですが。

しょうがないので自分のブログで「これはこういうことだよ」と書き進めたとしても(こういう意見の発表の場があるのはありがたいとは思うけども)、そうじゃない意見の多さの前に圧倒されて、結局分かってくれる人は分かってくださったけれど、おおかたの説得したいひとは無視して通り過ぎていくだけ・・・言葉が多すぎて、小泉的<ワンフレーズ疑惑>には対抗しきれないんだなと膝をつくしかない無力さを味わっただけに終わったりして。
仮にスポンサーの意向が強く働いているとしたら、スポーツという場に金の力を持ち込んでどうこうしようとしているスポンサー側にこそ問題があると思うし、圧力をかけられている連盟側はむしろ被害者になるんではないかと思うんですが、そういう風には話が発展しないのは不思議です。
それも強者の論理ってヤツでしょうか?
反発しているようでいて、強いものには知らないうちに尻尾を振っていると。それにも気がつかない、あるいは見ていないってのは、どうかしてないんでしょうか?



話は飛びますが、私がいわゆるニートと化している背景には、実はその手の問題があるんじゃないかと思います。
いくら問題視されようが、だいたいにして本人の言うことを聞いてくれませんしね。そういう状況に陥ったことが無いんでしょうから、致し方ないんでしょうけれど、悩んでるこっちがその状況を理解してやらなきゃならんというのはなんなんだそれはと。
誰が好き好んでこんな、針の筵に座ってヌカにくぎを打ち続けるような、生ける屍みたいな生活をするもんですか。
でも、どんな職業を選んだところで(もう選べないけど)、知らず知らずにどこか何か悪辣なことをやって不当に金を搾取することになるのではないかと、事実ではなくてもそう言われるようになるのではないかと思うと(そしてまた自分のできる仕事がその手のことを言われやすいものでもあるせいで)、それがひどく恐ろしい。ドイツもコイツも、自分は正等で他人は不当なことやって稼いでいる、みたいな。言われることが怖いのか、っていったら、そりゃ怖いです、何よりも。自分でもそう思ってしまうし。
でも、そういう感覚、分かってもらえないみたいで(アタリマエか)
いくら資格持ってたって、自分がむいていないと気付いた以上はそこに居続けるわけにはいかないです。ボランティアなら喜んでやったけれど、そこには金銭が絡まない分だけ責任感が無いからなんてこともよく言われることで、次第に脱力感も甚だしくなりました。
甘えだと叱られて奮起するような力は、もうとっくに消えました。自分に対する怒りと、裏返しの世間サンに対する恨みと怒りで凝り固まっています。根拠も無いのになんだかよく分からないけれど自信たっぷりの人たちの中で、生きていける自信はありません。
親に外に放り出されたら「お金のために」働くかって言ったら、他の人のことは知りませんけど、私の場合は10中8・9は自殺の道を選ぶだけです。
そして、そういう人、結構多いと思いますよ。上手く言葉になっていないだけで。
直感でしかないけれど。





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最終更新日  2006年01月14日 22時41分34秒
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