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Naoki@ 官僚的ですね☆ やはりセンセは先生してるのもったいない…
2005年05月18日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
本人にその気がないのに、何かをやらせるのは大変だ。いくらこちらがセッセコセッセコお膳立てして盛り上げて見たところで、本人にとっては、動機も目的も定かでないどころか、行為そのものに意味を見出せなかったりする。その冴えたる行為が生きることだ。生活することと言い換えてもいい。もう、ズタボロなのだ。本人はどうでも良くなっているのだ。なんせ、ほとんど義務的に朝を向かえ、無機質な約15時間をため息に費やし、残りの時間で生きることを忘れるために眠るのだ。もしかしたらこのまま生を終えることができるのかもしれないと願いつつ。だが、そんなはかない願いが夢と消えた朝を、かれこれ10年近くも迎え続けている。
脳梗塞を起こしたことが始まりだった。いままでバリバリと働いてきた壮年が、急に身動きもろくに取れない体と頭を与えられた。自分には起こり得ないとどこかで勝手に思っていた障害が、突然目の前に、というよりも、自らの体の中心で自らの存在を規定し始めたのだ。ありえない。と言う思いは今でもある。だが、そんな思いは、もうどうでも良くなってもいる。なんせ、もうズタボロなのだ。
本人をその気にさせるには、何が必要なのか。にんじん。目の前にぶら下げるにんじんだ。生きていこうかな、と思わせるにんじんとは何だろう。そう問いかけてみると、自分にもそんなにんじんがあるのか不安になる。むしろ、にんじんが何なのかわからず、そんなものがぶら下がっているのかすら知らず、ただひたすら突っ走っている連中も多いだろう。むしろ、何かがきっかけで立ち止まって初めて、自分のにんじんに注意を向けることも多いきがする。毎日毎日、目の前のにんじんにすら目を向けられず、もっと手間いの足元ばかり目を向けて、何とか足元が崩れていかないように踏ん張って生きている。踏ん張らなくていい、と言われたとき、にんじんを見てもいなかった私も、きっとズタボロになっていくのかもしれない。





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最終更新日  2005年05月18日 20時50分01秒
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