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2005年10月14日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 先日沖縄に行ったことは、日記に書いたとおりなのだが、とかくあちこちへ出かける機会が多いと、お土産を買う機会も必然的に多くなる。
 お土産を買うという行為は、確かに面倒くさい。大体、最後の最後になって、あわてて空港で、どれにしようか。。。などとばたばたすることが多いからなのかもしれないが。だが、ここ何回か、結構お土産探しも楽しいかも、などと感じ始めている自分に気が付いた。何を買ってあげようか、どんなものなら喜んでくれるだろうか、などと考えをめぐらせている自分が、なにやらうきうきしていたりするのだ。
 自分という人間は、いたって単純だなぁ~と思うのは、こうしたことで一喜一憂していたり、今まで面倒くさいと感じていたことが、結構すきかもなどと感じていたりする自分に気が付くときだ。要はお土産を買う相手の問題なのだ。義務感で買って行かなきゃと感じているのか、買って行ってあげたいと感じているのか。そりゃ、大好きな人に何かを選んでいるときは、それがたわいもないご当地キティーちゃんのようなものでも、なんかうきうきしてしまうのだ。
 自分の相手に対する思いは、自分の行為に対する質を変えてくる。鷲田清一の本の中にも、似たような事がかかれていた。「自分が誰かということは、自分の行為の中にしか現れてこない」と。人に関わることが面倒くさいと感じることがある。ケアを提供することがかったるい義務感の中で流されていくことがある。別に対象者を愛する必要はないだろうし、好きになれない相手がいてもおかしくはない。ただ、そこにケアの質を問うならば、自分はお土産探しを楽しんでいるのか、どんな思いでお土産を探しているのかを問いかける必要があるだろう。
 自分の選んだご当地キティーちゃんが彼女に笑顔をもたらすならば、それが最大のお土産選びへの報酬となる。また何か、出かけたときには、お土産を買ってきてあげようと、次へと気持ちがつながっても行くのだ。
 今度でかけたら、彼女にどんなお土産に買ってきてあげよう。。。楽しみだ。





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最終更新日  2005年10月14日 07時08分43秒
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