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母の命日の前日、母の夢を見ました。寝る前に声を出して母を呼んだり話しかけたりしたから単に夢に出てきたかもしれませんが書いておきます。夢の中で私が実家の寝室で寝ていたら元気な頃の母が出先から帰ってきて、襖の影から私が寝ているのを見て「いつもお母さん、お母さんって悲しがって歌を歌っているね。」と心配そうにつぶやきます。優しそうな、ほっそりとしたまだ元気だったころの懐かしい母でした。歌というのは、失語症の母のリハビリの一つとして夜、布団に入った母と一緒に毎日歌っていた歌を寝つけないときに小さな声で歌う事があるのを指しているようです。夢の中で私が起きて母がいる台所の入り口のところに行くと家事をしていた母が振り向いてまた心配そうに「いつもお母さん、お母さんって悲しがって歌を歌っているね。」と言います。それで、「だってお母さんいなくなっちゃって私、すごく悲しいんだよ。とっても悲しい。」と母に泣きながら訴えているところで目が覚めました。もうあまり泣くことはないけれど心の中はわんわん泣きたいんでしょうね。命日の前夜ですしもしかしたら本当に母が来てくれたかもしれないと思うことにしました。私がいつまでも悲しがっているから母が心配しているのでしょうか。元気にならないと良くないよって言ってくれているんでしょうね。この夢の事もあっていつまでも同じことを繰り返して悲しがってばかりでいるのはやめようと思っています。何度もそう思いながら5年経ったけれどもう少し前に進まなくちゃと思います。
2022.05.02
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食材を持って帰省していたので冷蔵庫に生鮮食品がなく久しぶりでデパ地下へ行きました。お目当てのものは食材です。お総菜売り場でも買い物してしまうとせっかくの食材をだめにしてしまう事があるので今回はお惣菜は見送ろうと、通り過ぎようとしました。その時、何だったのかはなぜか思い出せませんがショーウィンドウ越しに何かを見て「これなら柔らかいからお母さんにいいかな」ってしばらくぶりで母がいた時の気持ちになりました。(追記:なぜ急にそう思ったのかな、と思い返すに、その時急ぎ足で通り過ぎていて、すごく忙しくていつも急ぎ足だった当時を思い出したのかもしれません。母の日も近いので無意識にでも母に何か美味しいものをと思えて良かったです。)あの頃はいつもいつも、何か母に美味しいものをとお店を通るたびに思っていました。幸せだったんだなあって思います。幸せな気持ちを思い出すことができてそれも幸せですね。がんばらなくちゃですね。下はお供えにしてます。透明ケース入りなので無人のお仏壇にぴったり。お子さんやお年寄りへのギフトにも。老舗店舗の果物の容器に入ったゼリーでシャーベットにもできます。評価はすべて5つ星の昔からある人気商品。母に食べてもらったこともあり良かったなと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.04.30
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朝、母の夢を見ました。私がまだ高校生の頃の実家の居間での夢で母が手術入院から退院してきたところですっかり元気な様子です。「元気で良かった。これから母の体を大事にしなくちゃ。」と思って目が覚めたのですが、覚めながら思いました、「そうか、これから母の代わりに私の体を大事にしなくちゃ。それがお母さんを大事にするということなんだね。」寝る前に、頭がかなり凝っているなあ、体も凝っているなあ、運動あんまりしていないなあ(例のへなちょこエクササイズはやっていますが)と思っていたので、それが夢に出たのだと思いますが、5年もずっと考え込んでいてやっと気持ちがまとまってきたのだと思います。母はいつも私の体調を気にしていたのでこんな状態でうつうつしているのは本当に悲しむだろうとずっとわかってはいましたが気持ちがなかなか進めませんでした。だけど座り込んでいても何の改善にもならないしいつもいつももっと母にできることがないかと考え続けている答えの一つとして母を今でも大事にする方法の一つとして母の体=自分の体を大事にしよう、前を向くことが母を忘れる事ではない母が一番喜ぶことで前に進もうと思いました。これまで、私は自分ばかりが暖かい思いをしても、涼しい思いをしても、美味しい思いをしてもという気持ちがあって自分を二の次にしなければいけないってずっと思っていたんですね。それは母を介護していた時、自分が楽をするのは保留でいいといつも母を最優先していたからなのですがこれから自分の事を最優先というよりも母は私の中にいるから母のためにも自分の事を考えようそういうふうに思えばまだ母のお世話ができるし自分も前に進めるんだと気が付きました。母の供養、実家の手入れ(連休前に帰省予定)だけはずっと続けていてそれで精一杯だったのですが、それは引き続き継続しながらも前に進もうと思います。
2022.04.23
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数か月前に書いて下書きに入れっぱなしだったものを載せておきます。母の命日が来れば、母が亡くなって5年経ちます。端から見れば、5年も経ったらすっかり元気になって前を向いて進んでいるものだと思ってしまいますが、そんなに簡単じゃないし、5年という長い年月が経ったことに対するつらさという、またこれも変な別の悲しみが出てくるんですね。亡くなってもうそんなに経ってしまった悲しさ。どんどん遠くなってしまうあせり。自分は何も進んでいないつらさ。いつまで待っても帰ってこない虚しさ。何をしても楽しくないし希望もない。気持ちがわかってくれる人はいない孤独感。考えられることは全部したのにあれもこれもすれば良かったという後悔。特に最近は、いくら想ってもやれることを全部していてももう居なくなってしまったのかなあ、何も意味はないのかなあ、と悲しくなることが多く自分もやる気がしなくなって毎日無駄に過ごしてしまっているのでなおさらつらいんですけど不思議なことがあったのを思い出してどうにか前を向いて進もうとしています。ここのところあるのは雨が上がること位ですけど不思議なことがあったからきっといてくれると思ってがんばっていきたいと思っています。
2022.04.20
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今年は桜が綺麗みたいであちこちでお花見をしたと言う話を聞きます。と言っても、大抵の方は感染予防を考えて1~2人で散歩がてらに桜を見るだけだと思いますが。私も少しだけ足をのばせば桜があちこちにあるので行こうかなと思いつつ、なぜか行動に移せません。5年前のこの時期、母が緊急入院した病院は桜の名所のすぐ近くにありました。その年の桜は特に見事だったようですが私は桜を見る心の余裕は全くなく張り詰めた気持ちで病院に泊まり込んでいました。母が亡くなった夜、喪服を取りに急いで一時的に家に戻る際車中から暗闇の中満開の桜のシルエットを見て以来、桜を見に行く心の余裕がないのだと思います。母とはあちこちの桜を見に行きました。母が脳梗塞で要介護5になった後も用事で出かけた先に桜が見事な公園があるのを見つけて車椅子で桜吹雪の下を通りました。車椅子を押していると乗っている人の顔は見えないので脳梗塞で朦朧としがちな母が桜吹雪がわかっていたのか、桜を見ていたのかわかりません。桜だよ、きれいでしょう?わかる?と声を何度かかけ、母は頷いてはいましたが失語症の母は考えた事を言葉に出せなかったので何も言いませんでした。疲れてぐったりしまっている母を車椅子であちこち連れて行って無理させてしまったのではないかとも思いますが、あるとき顔見知りのデパートの店員さんが「車椅子に乗られるようになっても綺麗なものに目線をむけられていたのでわかっていらっしゃったようですよ。にこにこされて、楽しんでいらっしゃったようですよ。」と言ってくれたことがあったので、少しほっとしています。そんなこんなで、桜を見るとまだ心が落ち着かないので見に行くのを無意識に避けているのでしょう。今年も見に行かないままになっていました。すると数日前、雨風が強い日の朝、外に出ると玄関の前に桜の花びらが何枚も散っているんです。この近辺、見える場所に桜の木はないのでちょっとだけ不思議です。多分、見えないだけで意外と近くに桜の木があるのでしょうけど母が桜を見せてくれたのかなって思いました。その翌日はやはり玄関前で桜の花びらが一枚空からゆっくり風に乗って降りてきました。母からのプレゼントと思うことにしました。母は桜が好きだったので私も好きになろうと思います。
2022.04.02
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昨夜、11時36分にブログを書いていたら隣の部屋のCDプレーヤーがまた急に鳴り出しました。先月に初めて鳴ってから一か月ぶり2回目です。購入して半年ですが、今までそんなことはありませんでした。前回鳴った時、確認するために一旦電源を抜き本体の日時設定は消えてしまったので間違って予約が設定された事はないと思われます。考えられるのは違法電波なんでしょうか?このあたり住宅地なのでトラックなどは通らないし交通量も非常に少ないんです。まれに何かあるかもしれませんがそれにしても変ですよね。以前は家電が勝手につくというのは一度も経験していませんでしたが母が亡くなってからはテレビが2回、CDプレーヤーが2回(今回含む)パソコンが1回勝手につきました。電灯が勝手につくのはないけれど小さな安物のライトが接触不良になりやすいのか勝手につくのは10回位あります。ちなみに母は不思議な現象は全く経験していないと言っていましたし私の親戚一同、そういう経験をしたと言う人は一人もいません。不思議な話自体一切しない人達です。私もしたいわけじゃないけど経験してるので書いておきます。経験したからって何か特別な事があるわけでもないんですけどね。昨日が何か特別な日というわけでもないと思います。昨日は楽しい事はいくつかありました。まず、友人からプレゼントが届きました。アルパカのショールとデザイナーブランドのマスカラ、リップグロスとお揃いのネイルエナメルです。おしゃれな友人らしいな、と遠くの街に住むコロナ禍で2年以上会っていない友人を思い出しました。母を亡くして以来私がやる気がないままなのでたまにはメイクして遊びに出なさいって言っているんだと思います。昨日はちょっと気が重い用事もありましたが相手先が丁寧に接してくれようとしたので結果気持ち良く用事が済みました。気分転換に食事をして帰ろうと思い普段はあまり入らない洋食のお店でのんびり食事して昔ながらの高脚グラスに入ったバニラアイスと小さなケーキとコーヒーをデザートにいただきました。その夜CDプレーヤーが鳴ったのですが、入れっぱなしの音楽がのんびり系だったので母がならしてくれたのかな、そうだったらいいなとリラックスした気持ちになり、ぐっすり眠ることができました。流れたのは気持ちが明るくなるイージーリスニング系ジャズ等をウクレレアレンジしたハワイのカフェ風のんびりCDです。このお店はリラックス・安眠系の曲が揃っていて説明も詳しいのでお勧めです。曲の視聴もできます。下の画像をクリックするとこのCDの画像が縦に並んで載っています。その一番下の白い椅子のCDジャケット画像を押すと試聴できます。白い椅子の映っている画像が3枚ありますが3枚目の白い椅子の画像です。その画像の右下にある小さなスピーカーマークに斜線が引いてあると音が出ないのでその場合はスピーカーマークをクリックして斜線を消してから、画像を押すと曲が流れます。明るくてゆったりできて良い曲なのでぜひ視聴してみてください。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.03.29
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2月末から3月中頃まで3週間ほどぽかぽか陽気が続きそれから急に雪交じりの雨が降って気温も急激に下がり、そこから雨が降ったりやんだりの日が続いています。地震が16日で急激に寒くなったのが17日だったと思います。17日も、その後大雨の日も予定を変更し外出していなかったので、いつでも必ず雨があがるというわけではありません。でも外出したら建物の中にいる時に雨が降り帰りには上がっていることは結構あります。昨日も出かける時は曇りで急いでいたので傘の事は考えずに外出したら出先で知らないうちに大雨になっていました。私はすでに駅直結の建物内にいたのですが用事があって待ち合わせをしていた知人が大雨の中待ち合わせ場所まで来るのが大変だと約束10分前に電話がありました。ところが時間をずらして雨が上がるのを待とうかどうか電話で相談しているうちに大雨が急に霧雨になり知人も歩いてくることができて用事が済ませられたんです。それから1時間以上後に電車で戻ってくるとまた大雨になったようで、外はびしょぬれでしたがちょうど上がったところだったようで、歩いている人の半分はまだ傘をさしていました。上がったと言ってもコートと帽子だと気が付かない程度の霧雨で濡れたという感じもなく帰ってこられました。でもこれを教訓に、バッグの中には軽い傘を常に入れておこうと思っています。たまたま先日デパートで超軽量・晴雨兼用の小型傘を見かけて2本買ってあったのでそれを買い物用のキャリーカートとショルダーバッグに入れて置くことにします。今、傘をそれぞれバッグに入れてきました。こういう事ってすぐに行動しないと忘れちゃうので。買ってきた傘もしまいっぱなしにならず、やっぱり軽量小型傘はいいなと買い物内容を再肯定できたし(傘は持ってはいるから迷っていたんです)これで多少の雨も日傘としても安心とほっと出来たので良かったです。そう思えることって大事ですね。世の中に晴雨兼用傘は沢山ありますが、大事なのは性能がきちんとしている事なので日本製傘メーカーの1級遮光&遮熱(これがついてないものが多い)小型軽量(通常の軽量傘は200グラム台で重い)撥水加工が優れているものを選びました。やはり使い心地が良く満足度が高いです。上:今回選んだ大手傘メーカーの国産品で超軽量。やっぱり使い勝手が違います。傘専門メーカーなのでこちらのサイトは商品豊富です。下:同メーカー品ですが中国製でお手頃価格。超軽量なのでバッグに入れっぱなしでも負担になりません。色は紺含めいろいろあります。4角形の変わった形。こちら海外メーカー品ですが超軽量でレビューも良いです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.03.27
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お彼岸の中日は21日ですが、22日夜に買い物用キャリーバックにつけた小さいライトがピカピカ点灯していました。いつから点灯しているのか全然わかりませんが、玄関に置いてあって光っていたら気が付くはずなのでついていたのは数時間~半日位だと思われます。このライト、中国製の安価な製品なので接触の問題か何かがあるのでしょうか。知らないうちに外れたりして3回くらい買い替えていますが母が亡くなってから突然つくことが買い替えても何度かありました。母が亡くなって1年位が一番多く、それから2~3年勝手につくことはなかったのですが今回久々につきました。このライトは1回押すと灯がつき、2回押すとピカピカ点滅するタイプで勝手につく時はなぜか点滅していることが多いです。接触の問題なんでしょうか。たまたまお彼岸中にあっただけなんでしょう。私はスピリチャル系とか苦手で大抵の事は思い込みだと思っています。だけど世の中に不思議な事があるらしいのも事実らしいので説明のつかない事実もあるのだろうとは思います。今回の電気がついたのは単に接触の問題の可能性が強いんでしょうけどでも、不思議なことはあるみたいだからお彼岸に母が来てくれているなら嬉しいです。偶然でも少しでも気が休まるならそれでいいのだと思います。追記その日夕方、エコバッグにそのライトをつけて買い物に行こうと思ったら(夜道に歩道を飛ばす自転車の接触防止用)押せば点くけど、押したままにできない状態で壊れているようでした。昨夜は壊れていて点いていたようです。電池はまだ問題ないようだけど買い替えます。
2022.03.23
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2月24日の話です。早朝、車で出勤中に電話をくれる友人がいます。私も朝早くスタートしたいからかけてもらってかまいません。眠いときは出ない事もあります。昨日も電話が来たので出ると、「さっきかけたけど電波の届かないところにいるか電源が入っていませんってアナウンスが流れてた」と言います。電話は普通に置いてあったけどそのときは鳴りませんでした。「道路って違法電波とかあるからたまたまかからなかったのかもね。」と話していたら、突然、聞き覚えのある音楽が流れ始めました。見ると、ここ2週間程使っていないCDプレイヤーの予約ランプがついて鳴っています。購入して約半年ですが、予約機能は使ったことはないし勝手に作動したこともありません。間違って気づかずに予約ボタンを押しちゃったのかなと思いましたが後で予約機能を見てみると、予約ボタンと確認ボタンを交互に押し続けて予約の日時をセットしなければならず、間違って押しちゃったレベルでは作動しません。出荷時にテストか何かで、たまたまこの日時が予約されていた可能性もないとは言えないし、違法電波で電化製品が作動することはあるそうなのでそういうことかもしれませんけど普段ない事なので一応書いときます。このCDラジオを購入したのは半年近く前ですが、予約機能などは面倒で触っていないので私が購入時に無意識にセットしてしまったと言うことはありません。ここ数年、不思議な事ってほぼないので以前テレビがついたのも、違法電波とかなのかもしれない不思議な事なんて本当はないかもしれないって気もしています。ただ、以前蝶々が来て、母の椅子に2日半止まっていたりした事など偶然にしては変な事がいくつかあるからやっぱり不思議な事はあるんだと思う事にします。母が遠くなったようで寂しいからいるよって言ってくれたと思って元気になればいいのかもしれないですね。東芝のスリム軽量タイプのCDラジオ。場所をとらずスリープタイマーやアラーム機能、学習用なので速度調節や内蔵マイクまでついていていろいろと便利です。私は夜寝るときにCDをかけ、2時間位したら電源が切れるようにセットしてます。速度調節も意外と便利で曲によってはもう少しスローテンポで聞いたほうが寝る前にゆったりできる曲もあり面白いです。あんまり極端に変えると音質が変わるけど少しだったら悪くないかと。本来は語学学習とかカラオケ練習とか用なので最高の音質にこだわって聞くのには向いてませんけど日本のメーカー製なので普通に聞くには十分です。小型で薄型なのでベッドサイドとか窓枠とかキッチンとか、洗面所でも邪魔にならないし軽いからちゃんとつければ壁にもかけられそう。メモリーカードも対応。1年ほどずっと入手困難なのであるときに購入がお勧め。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.03.20
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先日、もう母と5年近く会っていないと書こうとしたら、つらくて書けませんでした。時間や日にちを置いて何度か書こうとしたけど書けません。書くと認めてしまうようで、書けない。書けなかったというより、書いて文字にして見ることがつらすぎてできなかったんです。文字にすると現実がはっきり表れるから認めたくないし見たくないと見ることができなくて、打ち込みを途中でやめました。なぜこんな一言を見ることができないのか自分でもわかりません。今回一番上に書いた時も何度も書こうとして書けずやっと打ち込みました。自分の気持ちも状態もいろいろ書いてるのにそれでも書けない事があったことに驚きます。5年会っていないし、これからもずっと会わないそれがつらくてつらくてたまりません。会えないのがつらいというのは自分のために会えないという意味ではなく母が消えてしまったということがつらいんです。今まで考えないようにしてだましだまし来たんだと思います。蝶々が来たから会いに来てくれたかも。夢で見たから会えたような気持ち。写真で見てるから寂しくない。そう思うようにして、どうにかやってきたのにはっきりそう書いてしまうとどうしていいのかわからないし何の希望もなくなってしまいます。でもそれじゃいけないと思うんです。お母さんはいつもいてくれる。不思議なことだって沢山あったし消えてしまったわけじゃないかもしれない。心の中で会話だってできる。そうやってまだしばらくだましだましやっていこうと思いました。
2022.03.16
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母が亡くなって4年半以上が経っていますが未だに気持ちが落ち着いたわけではないのでせめて私ができる事として家で毎日、食事のお供えを続けています。仏教では(宗派により多少違いがあるそうです)五供と言って毎日お花・お線香・灯明・お水・ご飯をお供えするものなのだそうで、子供の頃から祖父母が毎朝お花のお水を替え、灯明、お線香、お水、ご膳を仏前にお供えしているのを見てきました。私も祖父母や母の代わりに続けようと思っています。といっても、食事のお供えは自分の食事の支度のついでに最初に小さなお供えの器に取り分けるだけなので難しい事はしていません。本来、お肉やお魚は仏前にお供えするものじゃないのでしょうけど、美味しい物は届いてほしいので今のところは何でもお供えしちゃってます。朝は浄水器のお水とお茶はその時によって青汁だったりスムージーだったり緑茶、紅茶、コーヒー等。青汁のお供えって変ですけど母は晩年脳梗塞の薬の関係で青汁や緑茶が飲めなかったので今は大丈夫だよね、と飲んでもらっています。健康でいてほしいので。そんな考えも変ですけど。お水は必ず別にお供えしています。ジュースだけだと喉が渇くと思うので。介護中も必ずとろみをつけたお水や紅茶を飲んでもらっていました。ご飯を炊いた日は勿論炊き立てのご飯の一番美味しいところで、これは介護中に母に食べてもらっていましたが、ご飯を炊いていない日はあるものをお供えしてます。朝は簡単な時はヨーグルトや果物、チーズトースト等。時間があれば手作りスープや卵料理も加わり和風の朝食の時もあります。自分だけだったら朝食抜きとかお茶を飲むのも後回しだったかもしれない時もお供えしなくちゃと思ってついでに自分も何か食べる事がよくあります。お昼や夜もその時作った料理ですがたまに美味しそうな物、珍しい物があるとお供えするのがとても嬉しいんですね。今日は広島産牡蠣とレモンのオイル漬けがあったのでパスタにしてみようかなとマッシュルームとアスパラガスと和えてみたら美味しくできました。商品案内サイトを見ていたらたまたま私が作ったようなパスタが例として出ていたので下に載せておきます。デザートは、お供えをいただいてます。今日は親戚からお返しに頂いたトップスのチョコレートケーキでした。自分が食べるのが嬉しいと言うよりお供えできるのが嬉しい気持ちの方が強いです。母が亡くなって半年くらいは自分が何かを食べる気持ちになれなくてでも食べないといけないのはわかっているので無理に口に入れていました。お菓子など美味しい物は数ヶ月位食べられませんでした。5年近く経った今も母は食べられないのに私一人で美味しい思いをしてという罪悪感みたいなのは多少あります。でも美味しい物を見たら食べたいと思うし、食べたら美味しいなとは思うのでかなり元気になってきたと思います。お供えすることでもしかしたら母に届いているかもしれない、そんな望みだけですがお供えをする事で少しだけ気が楽になっています。美味しいものを食べてもらおう、健康でいてもらおう、と思うことで実は母や先祖たちが健康でがんばっていきなさいって応援してくれているんだと思います。トップスのケーキは生ものなので日持ちしませんでしたが通販できるのが出ていました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.03.14
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母に見守りが必要になってきた2010年頃の話です。覚えておくように細かく書いたのでちょっと長い話になります。いつものようにリビングで新聞を読んでいた母が突然、「ホワイトデーって何?」と聞いてきました。新聞にはホワイトデーの広告が大きく載っていたので3月初旬だったのでしょうね。母は昔から新聞をよく読んでいたしデパートにもよく行っていたので世の中の動きはよく知っているほうでホワイトデーは出来たころから知っていたはずですが、その頃、母は歳をとってきたんだなあと思う事が多くなってきたので、歳をとって忘れてしまったのかなと思いました。それで、できるだけわかりやすいように、「バレンタインデーってあるでしょう?女の人が男の人にチョコレートをあげる日でチョコレートが沢山売れるでしょう?」と丁寧に説明しはじめました。母は、一つ一つ、確認するように頷きながら熱心に聞いています。そして、「ホワイトデーとはバレンタインデーのチョコレートのお礼として男性が女性にクッキー等のお菓子を贈る日」と言うと、「お菓子をあげる日なの?と」確認して、何か妙に満足げな、納得したような表情でうなずいていました。その表情が妙に真剣で、満足そうな、嬉しそうな感じだったので何でホワイトデーにそんなに固執しているんだろう、齢をとってちょっと変になっているのかな、ホワイトデーにはお菓子を買わなくちゃと思ってしまっているのかなと心配してしまいました。母はデパートでお菓子等を一度に何十箱も買ってみんなに差し上げるのが大好きな人なのでまた大量にクッキーを買いこんで来たら大変だと思ったからです。それで「ホワイトデーは日本のお菓子メーカーが勝手に作ったどうでもいい日なの。男性がチョコレートのお礼をする日だから売っていても買っちゃだめ。」と強く言うとなんだか納得できない顔をして「3月14日が何の日か知っていた?」と聞きます。「うん、知ってるよ。みんな知ってるよ。」と言うと、なぜか嬉しそうに「皆が知っているの?」と聞きます。「お菓子メーカーがすごく宣伝してるもの。新聞にもお店にも広告が沢山出てるでしょう?でもそれ、お菓子の会社の宣伝だから。買わなくていいんだからね。別に特別な日じゃないんだから。」と再度言うと、「3月14日は何の日?」とまた同じことを繰り返しました。母は耳が遠くなって補聴器はつけていたものの会話がスムースにできにくくなっていたので、ちょっと衰えてきてるんだなあと思いながら「だから、ホワイトデー。ホワイトデーは、何でもない日。お菓子を売るために宣伝してるだけだからお菓子とか配らなくていいんだから買っちゃだめだよ。」と繰り返しました。すると、急に寂しそうに、「少しはお父さんの事を考えないと可哀想だよ。」と言いました。その頃、母の耳が遠くなっているせいなのか母が歳をとって上手く言葉で思っている事を伝えられなくなってきているせいか会話がかみ合わない事がよくあり、この時も、わけのわからない事を言い出していると思ったのですが、つじつまが合わないと言うと母を否定しているようになるので穏やかに話を繋げようと思いました。それで、私は幼児でしたが父の事はよく覚えていてとても可愛がってもらっていたのでその話を母にしました。以前に何度か母にしていた話なのですが多分母は歳をとって忘れていたのでしょう、私が話す当時の話を黙って聞いていました。私が父の事をずっと大事に思っていると伝えられ安心してもらえたのかと思い、わけのわからない母のホワイトデーへのこだわりと父の話から話題をそらしたのですがなぜホワイトデーが父の話になるのか意味不明のままでした。それが、母が亡くなってから突然わかりました。3月14日は父母にとってとても大事な日だったのです。その日を皆が知っていて恋人の日だということが母は嬉しかったんだな、良かったなと今になってやっとわかりました。そんなふうに、あの時のあの訳の分からない話はちゃんと理由があったんだ、と言うことが母が亡くなったあとでいくつもありました。母は齢をとって表に出せなくなっただけで心の中も頭の中もちゃんとわかっていたんだなと思いました。私には意味がわからなくて申し訳なかったけど、でも母が喜んだからよかった。そして私も毎年ホワイトデーのために街中が華やぐのを見て少し心が癒されるような気がします。今年お供えしたものの一つ。
2022.03.14
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毎回お気楽な話を書いていますが、本当は母が亡くなって以来心から楽しいと思った事は一度もありません。何を見ても、何をしても、むなしい。ショックもあるんだろうとは思います。母が急に倒れて要介護5になったのが8年前。その10年くらい前から見守り介護を徐々に密接にやってきてはいましたが母が倒れる数年位前から無我夢中でやってきました。母のためにとの一心でずっとがんばってきたから疲れもあるし、ショックもあるし悲しくてたまらないしどうしたらいいのかわからない。5年近く経ってもそれはあまり変わらないし手につかない事が沢山あります。新型コロナが高止まり中で先が見えにくい事とロシアの件があまりにも理不尽で不安が続いている事も原因だと思いますが気持ちがずっと落ち着かずにいるからだと思いますが、昨日は母が亡くなった事が悲しくて半月ぶり位にしばらくわんわん泣いてしまいました。だけど、前を向いて進まなくちゃという気持ちはどうにかあるし、それを母が望んでいるのも知っているのでとにかく前に進もうとはしています。お母さん、いないんだな、寂しいな、何にも嬉しくないな、ってまたぐるぐる考えちゃうけど、それでもまた前を向こうとしています。ここ数日、やらなくちゃいけない事務的なことをやっと少しして1歩進みました。まだまだやらなくちゃいけないことが沢山ありますが自分を励ましてまた1つ2つとやっていきます。追記:これを書きはじめたのは数日前だったのですが、心が落ち着かなかったのは3月11日が近いせいもあったと今日気が付きました。3月11日に限らず被災された方たちもお元気でいらっしゃいますように。
2022.03.11
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昨日、普段はしないお昼寝をしたところ久しぶりに母の夢を見ました。起きてすぐはとても鮮明だったのにしばらくしたら細かいところが思い出せないので忘れないように書いておきます。私の家のリビングで、何かしていてそこには母もいます。ここがよく覚えていないところですが最初は母に食事の介助などしてお世話をしていたと思います。母の調子が良く、いろいろ自分でできるんだな、食事をよくとってくれている、だったのか自分で食事ができるだったのか少し驚きながらもほっとしています。それから座っていた母にもう夜だからと寝てもらおうとすると思いがけずに母は一人で同じ部屋に敷いてあった布団に入っていました。すぐ近くだから出来たんだろうけど、一人で歩いて床につけるんだすごく調子がいいなあと喜び、いつもしていたように、マッサージをしました。マッサージしながら、体が良く動くと嬉しく思い、運動もしたほうがいいかもと母に運動できるか聞いてみました。すると運動したいというので、いつものようにささえながら部屋の中を歩こうとすると、母はとても調子がよく一人で歩けて部屋の中をぐるぐると身軽に軽く走って周りました。元気になったんだなあ、良かった、と赤いワンピースを着ている母を眺めました。その時、あ、家に母がいる。母は生きている、これは現実だもの、母は生きているんだと納得し鮮明に母がいた時の気持ちに戻って部屋の端から母を眺めて夢から覚めました。とてもはっきりした夢でした。赤いワンピースはその前日私が自分用に購入しようと迷ってやめたものが夢に出てきただけだと思います。赤いワンピースなんて母は着ていたことないけど母に何かしたいといつも思っているのが夢に出たのでしょう。以前も水色ですが、自分用に迷ってやめた花柄のレースの綺麗なワンピースを母が着て歩いている夢を見てとても嬉しかった事がありました。おひなまつりだったし、夢でも赤いワンピース着てもらって良かったかもしれません。母が亡くなってからよく思うのですが、私は母の事を母親としか見てなかったけれど、母はその前に若いお嬢さんだったんですよね。綺麗なもの、可愛らしい物をもっともっと使って欲しい気持ちや元気で歩けるようになってほしいという気持ちが意識せずとも心の奥にあるのでしょう、夢に出る母は、大抵綺麗な色の服を着て歩いている母です。私が頭の中で見ているだけの只の夢なのかなとも思いますが、でも、蝶々の事など不思議な事を考えると母はどこかにいてくれるかもしれないので前を向いてやっていこうと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.03.07
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ひなまつりが近くなると街で可愛らしいお雛菓子を見かけたときに買ってきてお供えしています。今年は・小さな篭盛りの果物の形をした砂糖菓子・金平糖、星形ラムネ、苺キャンディ、苺ゼリーをパフェカップに段々に重ねたお菓子・桜餅風味のマシュマロ・福渡(ふくわたし)せんべいという和菓子の苺味をお供えしているのですがやっぱり桜餅・菱餅・雛あられもお供えしたいと近所のお店をまわりました。桜餅は街の人気和菓子店で見つけましたが菱餅はなかなか良いのがなくてスーパーで桜餅とセットになったういろうのようなお菓子にしました。ついでに鶯餅とすあまも。菱餅ってもともとは3色のお餅を重ねたものだそうですが私が子供の頃から、おこしでできたものそれも堅いのも柔らかいのもあり、和菓子でできたもの、ケーキも見た事あります、いろいろありますよね。雛あられもいろいろありますが、こちらもお雛様の形の落雁入りで別に甘納豆の小袋も添えてある美味しそうなものを見つけました。実家や親戚宅のお仏壇にもカステラと雛あられ等を送りました。お供えは親戚にさげてもらっているので毎月何かしらお供えできています。 母が亡くなって4年半以上が経ち未だに気持ちが落ち着いたわけではありませんが、元気にはなってきました。最初の数か月は悲しくて悲しくて頂き物のお菓子を口に運んでも私だけが美味しいものをたべるなんてと味わう気になれずに、口を閉じる前にお皿に戻し食べられませんでした。でも母には美味しいお菓子も食べてもらいたくてお供えはしていました。さげたものを頂けるようになったのは数か月以上してからですが、自分のためにお菓子を買えるようになったのは1年位たってからだと思います。母のためにお供えしたものをさげて頂かなければ美味しいものを食べる気にも食べることもなかなかならなかったでしょう。お供えってお供えありがとう、あなたも美味しいものを食べてお茶を飲んで一休みして笑いなさいっていう母や先祖からの思いやりも含んでいるのだと今は思えるようになりました。可愛いし美味しいし日持ちもします。こだわりの金平糖10種。ふくわたしという縁起の良い名前をつけた和菓子。ご当地以外ではなかなか見つけるのが難しい縁起物の桃カステラ。お店に入っているのを見かけたのでこちらもお供えしようか検討中。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.03.03
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以前から母には実家と私の家を気兼ねなく行き来してもらっており、母が高齢になるに従って少しづつ私の家に滞在する期間を伸ばしていったのですが、食事の支度等ができなくなってきたようなので私の家で同居してもらうために迎えに行き実家の片付けをしていた2012年頃の話です。その頃母は一人でもかろうじて出かけられたのですがバッグをその辺に置いてトイレに行ったりするのでお財布をなくしたり、お財布の中身が空っぽになっていた事が時々ありました。それで、その日、いつも出かける場所に気分転換に行ってもらおうと着ていく洋服などの支度をしてあげた際、「お札は入れないでおくね」と断ってお財布からお札を抜いたんです。何度もお金をなくしてしまっていたので母の生活費は私が管理しはじめた頃で、お財布の中に入れる現金は少なくしていたため入っていたのは八千円だけでした。それでもまた紛失すると困るので、ばさっと抜いたお札を近くにあった母の箪笥の引き出しの衣類の中にとりあえず隠して私も用事で出かけました。私のお財布に入れなかったのはあとでまた、母のお財布に戻そうと思ったからです。しかしその日いろんな事があって忙しくしているうちにお札のことは後回しになり、あとでざっと探したのですが衣類に紛れてしまったのかお札は見つかりませんでした。しっかり探せば見つかるはず、とその後実家に戻った時に思い出しては2~3回位探し、そのうち1~2回はよく探したのですが、なぜか見つからないままです。母はもう箪笥の引き出しを開ける事はなく親戚が触ることもなかったはずなので単にどこかに紛れてしまったのだろうとは思いましたが、数枚の衣類の下にさっと入れただけだったのになんで見つからないのかわかりませんでした。そのお札が、母が亡くなって実家の片付けをしていたとき、引き出しの服をほんの少し動かしただけでさらっとあっさり出てきました。これまで何度も服を動かし探しても出てこなかったのに、なんでこんなに簡単に出てくるのか全然わからないのですが母が「片付けご苦労様。これで美味しい物でも食べなさい。」ってにこにこ笑いながら出してくれたような気がして未だに使えないままあります。最初に探したときに出てきていたら何も考えずに母のお財布に入れて何かに使ってしまっていたでしょうけど、見つからなかったおかげで母にお小遣いをもらったような気持になりました。母のお財布にあったお札なんだなあ、なんてどうしようもない事を考えたりしていますが、そう思っている間は、それでいいと当分使わずにとっておくつもりです。母が亡くなった後、実家を片付けるために沢山のものを処分しました。古びてしまって使わない物は捨てましたし、新品の綺麗なものは親族に見せて欲しい人に使ってもらうことにしました。そうやって大量のものを処分しなければどうしようもなかったのですが今考えると、母が買った物、使っていた物は全部とっておけばよかった気がします。沢山とっておいてはあるんですよ。それに、全部とっておいたら片付かないでどうしようもなかったんですよ。それでもそう思う。母がどんどん遠くなるのを思い出の物を残して少しでもくいとめたい気持ちからなんだと思います。だから今は母の物を捨てたりあげたりは一休みしてもう少し気持ちが落ち着くのを待っています。少し悲しくなったからこれから支度して、ちょっと散歩に出てきます。そうそう、必要なものがあるから園芸用品屋さんに行ってこよう。そしたら沢山のお花も見られるし一寸気持ちが明るくなるでしょう。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.02.21
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寝具売場で冬使用の暖かい敷パッドを購入し実家で母が敷いてくれた布団を思い出しました。私が実家に戻ると母はいそいそと食事の支度をしてくれ、入浴している間に寝室に布団を敷いてくれました。布団は私が帰省する数週間前から毎日干してふかふかにしていました。お日様の香りのする布団に冬の時期は暖かい敷パッドだったり厚手のタオルケットだったりが皺ひとつなくぴちっと伸ばして敷いてあって布団に入るのが気持ち良かったのを思い出します。娘が帰省して嬉しくて世話をやきたかったんでしょうね。母が私の家に滞在するようになってからは母の布団は私が敷きました。ある時、齢をとってきた母が布団に入りやすいように掛け布団を三分の一位折り返しておいたら、とっても楽だと喜んでくれたのでそれ以来ずっと掛け布団を折り返して敷いていました。その敷き方、もとは母が私に時々してくれていた事(暑い時期?)なので、母にそう言ったのですが、忘れてしまっていたようでした。何にせよ、小さな事ですが喜んでもらえて良かったです。母がぴちっと敷いてくれた敷布や敷毛布を思い出せ私にとっての宝物が一つ増えました。下:一年中使える綿の除湿・消臭敷パッド。丸洗いできます。上はピンク。下はブルー。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.01.30
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何の話か覚えていませんが自分の事をちゃんとやっていくためにこうすればよいと筋道をたてている夢を見ました。すると突然場面が変わって実家の庭の舗装の話になりました。眠りが浅かったんでしょうね、「夢だから急に話が変わるのね」と思いながら、夢の中で裏の木戸門から庭にかけて大きな丸い装飾ゴムタイルを敷き詰める作業が進んでいるのを見て、「これなら母の車椅子も動かしやすくなる良かった、長い親孝行をしなくちゃ。」と自分にしっかり言い聞かせました。そしてすぐに、「長い親孝行?変な言葉だけど夢でぱっと考えたから変なのね。」と思って目が覚めました。ゴムマットを敷き詰める場所が細長かったから長いという言葉が出たのか末永くという意味なのかよくわかりませんが、心の奥ではまだ親孝行しなくちゃと思っているんでしょうね。起きて考えてみると具体的に出来る事はお供えとお墓参り、法事、実家を片づけて大事にしていく位だけど私がしっかりと幸せにやっていく事それが母が一番喜ぶことなんだろうと思います。最初からわかっているけど、なかなか出来ないんですよね。一歩一歩進んではいるんですけど、一歩進んで一歩下がる事も結構あるので。自分の事を立て直して少しづつ前に進もうとしています。今日も伸ばし伸ばししていた些細な事を一つとやってみたらいいかもしれないと思っていた事を実行に移すための一歩を進めました。行動したら気持ちは少しほっとできます。そうやってやっていくしかないのかなと思います。
2022.01.29
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新型コロナのオミクロン株感染が急拡大しているのでしばらく外出自粛をしようと思っているのですが年始に取り寄せをお願いしたものを受け取りにいかなければならず2重不織布マスク、使い捨て手袋の予防対策をして主要駅にあるデパートに出かけました。デパートの人出はやや少なめ位だったと思います。主要駅にあるから、仕事帰りの人とかどうしてもある程度の人出があるんでしょうね。駅に行くためにケーキ売り場が並ぶ通路を通ると母の晩年の歩き方を思い出す小柄な女性を見かけました。ゆっくり杖をつきながらそっと一足、一足を踏み出し、同時に曲がった背中を傾けてケーキのショーケースを覗き込むように眺めながら静かに歩いています。デパートを見て歩くのが好きで誰かに何か差し上げるためのお買い物が大好きだった母もそんな感じで商品をそっと眺めながらデパートを歩いていました。優しい所作の母でした。ちょっと離れたところからそのお年寄りが歩いて行かれるのを見送って、若い時は軽快な足取りだった母が杖をつくようになってからはそっと足を踏み出していたのを思い出しながら家路につきました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.01.28
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忙しい年始年末が過ぎて何も予定を入れていない日に何か落ち着かず、考えてみると心の奥の方でまだ母の帰りを待っているのだなと気がつきました。出かけた際に買ってきたり、頂いたりして使ったり食べたりするのを楽しみにしていたものも、母がいる時に出そう、といまだに、心の奥の方で思っていて、使いそびれたり食べそびれる事があります。ちょっとでも母がいる時と同じ気持ちになれるのは嬉しいけど、お供えは冷たくなるだけだしいつまで待っても母は帰ってこないんだなそれどころか遠くなっちゃうんだなと悲しい気持ちもして、いつまでたってもいろんな気持ちでまだ落ち着きません。テレビで病院の話を見たり、大変なニュースがあるとどうしていいかわからなくてとてもつらいです。そういう方向に目を向けていてもどうにもならないので母は心の中にいてくれると思って安心するようにしています。そして少しずつでも、やらなくてはいけない事を進めようとしてはいます。また、自炊のほうも、もう少し力を入れようと思っています。友人知人と楽しくおしゃべりしながらちょっと珍しいものを頂くのは気持ちも前向きになって良い事なので週に1~2回は続けようと思いますが、年始年末外食が続いて、出費も嵩んだので一人の時は家で食べるのを心がけなくては。歩くとふらふらするとか食事ができない、音楽が聴けないテレビが見られない、毎日泣いているのは今はありません。いまだにいろんな事に虚無感を感じるしやる気が出ない事も沢山あるしいろんな事が手につかないけど少しづつやる事をやろうとしてるし元気になってきているから前向きにやっていこうと思います。スープってとても栄養価が高い良い食品です。この本は本格的な和洋スープの作り方を家庭料理向きに解説した知る人ぞ知る著名料理本です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.01.12
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昨日、母にお供えのお水と煎茶を用意しながら、そういえばここ1~2年、お供えのお水やお茶が減る事がなくなったなあ、特にこの1年ほど無かったかもしれないなあと気が付きました。熱いお茶を小さな容器に入れると蒸発しやすいのだそうですが、お茶は減らずにお水がかなり減っていたり実家で2つ並べた同じサイズの容器のお水が片側だけ減っていたりとちょっと変な事はありました。でも蒸発なんだろうとは思っていました。それなら今も同じように蒸発すると思うのですがなぜかこの1~2年はありません。もしも母が飲んでいてくれたとしたら減らなくなったら寂しいなそう思いながらお供えしました。そして夜、下げようと見るとなんと緑茶が減っています。蒸発でしょうけど、飲んでくれたのなら嬉しいです。追記:その後お茶が減る事が毎日ではないけど数回あり、考えてみて原因がわかりました。最近オイルヒーターで暖房を入れているので空気が乾燥していて蒸発が早いのだと思います。オイルヒーターは乾燥しないと言われていますがつけっぱなしだと乾燥してくるのかもしれません。お茶がほぼ減らない時もあるんですがたぶん暖房による蒸発です。
2021.12.22
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先日出かける約束があった前日、急に冷え込んで一日雨でしたが翌日は晴れて良いお天気になりました。偶然だろうけどちょっと不思議だな、でも偶然だろうなと思っていました。その数日後の今日はしなくてはならない用事がいくつかあり、お昼に届け物を受け取ってから午後から出かける事になっていたのですが、朝から雨が降っていました。ところが、お昼ごろ届け物を受け取ろうと外に出た時は雨はほとんど止んでいて荷物が濡れずに済んだんです。そして午後、出かけようと外にでると雨は上がっていましたが、空を見ると急に降り出しそうではあったので傘は持って出かけました。最初の用事は少し歩く場所にありましたが雨はすっかり上がり寒くもなく、快適に歩けました。数時間後、用事を済ませまたしばらく歩いて駅に向かい電車に乗った時も雨は上がったままでした。ところが、電車から降りると通り雨があったのか道路がかなり濡れていますが雨は上がっています。良かったと思いながら、次の用事に向かい、二時間ほどして外に出るとまた大雨が降ったようで、外はさっきよりも濡れて小道には小さな水たまりもできている位びしょぬれでしたが雨はすっかり上がってこの時も濡れずに済みました。そこから帰宅するため電車に乗り、小一時間後に降りると、また通り雨が降ったようでした。車の往来で数十分で乾いてしまう車道も駅前の広場も大雨が降ったようにびしょ濡れでしたが雨は上がっており傘を全く差さずに快適に帰宅出来ました。よくわけがわからないけど偶然にしてはできすぎているけどたまにはそんなこともあるのかもしれないけど、お母さんがいてくれるのかなと思う事にしてありがとうと感謝しながら家路につきました。
2021.12.18
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母が亡くなり4年半ですが未だにふとした時に、これはお母さんのに、と考える事があります。先日は、いろんなデザインが入った切手シートから送る相手が好みそうな柄を選んで貼っている時、一番きれいな柄を「これはお母さんに出すのに使おう」と思い、ああもう出すことはないんだ、と気が付きました。他にも、綺麗な柄のカードとか葉書とかを「これはお母さんに出そう」と取っておこうとしてもう出せないんだと思ったり、2種類違う味の物が入っているお菓子等を「お母さんはどっちを食べたいのかな」と思ってそうか、どっちも私が食べるんだと寂しく感じたりします。長年してきたことだから習慣でそう思っているのでしょうが、もう出来ないと考えるとつらいので、カード等は誰もいない実家にあてて出すこともあるし食べ物などはお供えしてからいただきます。その位しか出来ないけど、何もしなで悲しんでいるよりはちょっと気持ちが落ち着きます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.12.15
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先日の話です。先週いろいろ用事があって疲れたのかヨーグルト用の牛乳を買いに行かなくちゃと思いつつスーパーに行きそびれていたので、午前中から支度をしていました。夕方からずっと雨だと予報を聞いていたので午前中には出かける支度をしていたのですが何件か用事の電話が入って行きそびれ夕方になってしまいました。夕方、隣県の友人から電話があり話の途中で「今すごい雨が降ってきた」と言うので外を見ると、こちらもかなり降っています。雨の中外出はどうしよう、と思いながら1時間後に出かけると雨は小雨になっていて、歩きやすくなっていました。そしてスーパーから帰る際は、ほとんどの人がまだ傘をさしているので私も傘をさしましたが、どうも止んでいるんです。それで傘を閉じて歩いたら、私を見た人も外を確認して閉じていました。私が外に出る直前に上がったから皆、まだ傘をさしていたようなんです。妙な話なんですけれど、最近ちょっと疲れて家にこもりがちだったから私が外出しやすいようお母さん、頑張ってくれたのかな、ありがとうと思いながら歩きました。帰ってすぐヨーグルト作り。こういうことが出来るのを気力のバロメーターにしてよし、頑張ってる、大丈夫って自分を励ましてます。上: 酸味がなくまろやかに仕上がるのでお勧め。下: 私は1日置くだけの作り方をしてますが密閉容器が必要だったり冬は固まりにくかったり、慣れない方は失敗しやすいと思います。こちらは誰でも簡単にできて、お味噌、塩麹、甘酒なども簡単にできるのでお勧め。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.12.09
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最近、折あるごとにお母さんはもういないのかな、と寂しく悲しく何をしても何を見ても無意味な気持ちが強くなっています。最近は母の夢も見なくなったし不思議な事もほとんどありません。どこか心の奥の方でもしかしたら母がどこかを歩いているかもしれないそんな不思議な事があるかもしれないと思っていたけど、母に似た人さえ見たことがないしどこを見ても母の存在を感じることはありません。母はもういないのが当たり前になっていることがとてもつらいです。母を想うときに、母はもうどこにもいないのかなと思うようになっています。でも、私が外に出るときに雨があがることがまだ続いています。一昨日は外に出た時に雨が降りそうではなかったので傘を持たずにスーパーに行ったのですがお店に着く直前にぽつぽつ降り出しました。スーパーで簡単に買い物をして外に出ると道路は濡れていて、通り雨があったようですが丁度あがった所のようで傘をまだ差している人もいました。それから10分ほど歩いて家に着くまで雨は止んでいて、私が家に着いた途端に又降り始めたのでびしょ濡れにならずに済みました。その前は、友人と少し遠出する約束をしていてその数日前急に雨が続いて寒くなったのですが約束の日には急にお天気が良くぽかぽか日よりになったので気持ち良く散策を楽しめました。そんなことがずっと続いていて偶然にしては多いからやっぱり母はいてくれるのかもしれません。そう思って、心強く感じて元気になってやっていきたいと思います。
2021.12.02
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先日、墓前に供える造花を買った帰り道、買いに行かなくちゃと思っていた造花が買えそれも綺麗な花が沢山あったので嬉しかったしほっとしたのに、なんだか寂しくて気が付くとバッグを持っていない右手を誰かの手でも握っているように握ったり緩めたりしています。普段そんなことはしないのであれ?小さい子でも連れてるつもりになってる?と(親戚の小さい子の面倒を見る事はたま~にあるので。)思って考えたら、母と外出する時はよく手を繋いでいたのを思い出しました。2012年頃から、母はシルバーカーを使うようになりその後事故による転倒で脳梗塞になったので片手を握って歩いたのはもう10年近く前で遠い記憶になってしまっていました。母と一緒に歩く時支えになればと手を握り始めたのは母がまだ70代だったころだと思います。忙しかったせいか速足で歩いていた行動的な母が足を痛がるようになってきたので何かできる事はないかと始めた小さなサポートの一つが母を支えようと手を握ることでした。母は私の負担になってはいけない、自分で何でもしようと思う人だったので、「大丈夫だから。自分を大事にしなさい。」と私が握った手を当時はよく振り払っていました。考えてみればまだまだ元気な母でした。ところがその数年だったか4~5年後位には手を握っても、そのまま握ったままで私と手を繋ぎながら歩くようになったので最近お母さん、ちょっと気弱になったのかなと心配し始めました。私と手を繋いで歩く母は歩くのもゆっくりになっていました。昔から急いで仕事へ向かったり帰ってきて急いで食事の支度をしたりといつも駆け足で、一緒に出かける時もさっさと私の前を歩いていたのにいつの間にか私よりも遅くなっているので齢をとってきたんだな、気を配らなくちゃと思っていました。ただ、母の手を繋ぎながら歩くのは何となく幸せでした。母もそんな気持ちだったと思います。それが、いつの間にか母が力を入れて私の手につかまるようになりそのうちにあまりに力をいれてすがるので手が痛いほどになりました。母はとても遠慮がちなうえに自分の事は自分でしようとする人なので私にすがることも、ましてや痛い思いをさせるようなことも絶対しないはずなのに私が痛いだろうと思う余裕もなく、手すりに全身ですがるような感じで私の手にすがらなければ歩けなかったのだと思います。その頃には、まだ少し早いかなと思いつつもシルバーカーを用意してあったのでシルバーカーにつかまったほうが楽に歩いてもらえるのだろうとわかりシルバーカーが欠かせなくなりました。大腿骨骨折の1~2年位前、それももう8年位前になるので母と手を繋いで歩いた手の感覚をちょっと忘れていたんですね。母にお供えする造花を買って帰る暗くなった家路、ちょっと心細くなって母と手を繋いで歩きたくなったのかもしれないし、母が、ありがとう、ご苦労さま、がんばってるねって隣にいたから無意識に手を繋いだのかもしれません。
2021.11.27
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1人で歩いている時、特に家路に向かう時、夜空を見上げながら無意識のうちに「お母さん、いてね。」と心の中でつぶやいています。すると、母がにこにこしながら「いるよ。」と言ってくれているのが目に浮かびます。それでちょっと安心するのですが、母はもういないんじゃないかとも思い始め「お母さん、いるの?」と問いかけます。すると、母が微笑みながら穏やかな顔で「いると思えばいるし、いないと思えばいない。」と言っているのが浮かびます。母が言いそうな言葉です。なので急いで「いると思う。だからいてね。いなくならないでね。」と心の中で言うと「ああ、いるからね。」と言ってくれるのが浮かびます。全部心の中での会話で全部私が1人で考えているだけのことなので端でこの話だけ聞くとちょっとおかしい人みたいですけど、母が亡くなってつらい気持ちを少しずつ整理してどうにか心の中の居場所を見つけようとしている過程なのだと思います。私の心の中での折り合いですけど、只そう思い込んでるだけじゃなくて以前のブログにも書いているように偶然にしてはできすぎているどう考えても不思議すぎる事をいくつか経験して、それを踏まえての考えだからたたそう考えている、とういうわけではありません。不思議な体験については、このブログの右にあるカテゴリーメニューのなかで、2017年、18年頃に母のカテゴリーに書いています。特に不思議な話は、真夜中の蝶というタイトルと母の椅子にとまった蝶というタイトルで書いています。母の椅子にとまった蝶お母さんは私の心の中にいつまでもいてくれる。そう思えるまで4年半かかりました。そう思えるから悲しくなくなったわけでもないし母が亡くなったことに納得しているわけでもないしまだどうしていいかわからず混乱しているし世の中は空っぽのままでなかなか前に進めないでいるけど母が心の中にいてくれるのは幸せだなと思えるようになりました。そうやって少しづつ元気になっていくのかもしれませんね。
2021.11.16
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朝、ラインでやりとりしたり頼まれ事があったりして忙しく、それを済ませてもう少し寝ようとしたとき夢を見ました。夢では実家の寝室で寝ているのですが、親戚達も泊まっていて明るく電気がついた居間では誰かが広い座卓にノートを広げ宿題をしています。私も問題が解けるかな、と覗くと、専門的な難問で、こんな勉強をしているんだ、すごいなあと思いました。私が子供だった頃、実家には母の兄弟達が子供達を連れて数週間泊まりがけで遊びに来ていたので、その頃のことを思い出したのかもしれません。そして夢の中で少し眠って目が覚めると居間は電気が消えて暗くなっており、宿題が広げてあった座卓は部屋の隅にあり、親戚達もいなくなっていて、私が1人、実家に滞在していました。とても寂しい気持ちになり目が覚めました。私が先日滞在していたときは寂しいなんて思わなかったのに、夢に心の奥の気持ちが現れるんでしょうか。とても寂しい思いがしたけど、普段はその寂しさは感じずに過ごせているから感謝なのかもしれませんね。それとも、あの寂しさは無人の実家が感じている事なのでしょうか。家に気持ちがあるのかどうかは解りませんが先日、綺麗な音色のメロディ掛け時計を実家が寂しくないように掛けておけたのと、電池式の安全なLEDのタイマー式ライトを時間差でお仏壇にあげているのと色とりどりの花を庭に植えてきたので、少しは良かったかなと思います。遠目からみると主張が強くなく落ち着いていて和室洋室どちらにもマッチするデザイン。音が柔らかでとても綺麗です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.10.13
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楽しそうなファッションショーの話を続けましたが、実際はそんなに簡単じゃなく、ショーを見た翌日からちょっとつらくなりました。楽しくおしゃべりしながらショーを見てお約束ですが秋の新作もお客さん同士でそれとてもお似合い、あれはどう?私はこっちにしようかな、こんなお洒落も素敵ね、等と楽しく選んで過ごしたのに、翌日、急に悲しくなって大泣きしてしまいました。本当は母に服を選びたかった。お母さん、何でいないの?お母さんが死んじゃったなんて。生きていてほしかった。もっと一緒にいたかった。もっといろんな事してあげたかった。そんな事を繰り返し言いながらわんわん泣いてしまいました。久しぶりに楽しい事したから意識せずとも反動が来ちゃったんでしょうね。考えるとつらいだけなのでだましだましやってきてるのですがたまにこんなふうになるのはまだ仕方ないと思います。何の解決策もないけど不思議な事があるからきっと母はどこかにいてくれて私が元気になるのを見守っていてくれるのだと思ってやっていこうと思います。一輪一輪はか弱いけど倒れても起き上がって、台風の風雨にも負けず咲き続ける「宇宙」と言う名の花。ミックスカラーだと華やかで綺麗です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.10.12
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ここ数年いろんな事があったせいか忘れてしまっていた、叔母が亡くなった時の不思議な話を思い出しました。不思議な話って実際あってそれなら母もどこかにちゃんといてくれるかもと思うので書いておきます。叔母(A叔母)は母の妹で、母と仲が良く私もとてもよくしてもらいましたが、2000年に病気がわかり、2003年に亡くなりました。私に出来る事はすべてしましたが叔母を助けることはできませんでした。叔母は夫と成長した子供2人がいましたが、のほほんとした人達で事の深刻さがよくわかっていないようで叔母の病気も治るだろうと思い込んでいて具体的なサポートはほぼしていませんでした。叔母が亡くなったときに不思議な事がいくつかありました。一番不思議な事は真夜中の蝶という話でブログに書いています。先ほど思い出したのは叔母が亡くなったときの話です。あまり食べられなくなったというので一番美味しいものを食べてもらおうと銀座三越の地下から果物盛り合わせとお菓子を届けて食べられた、美味しかったと喜んでもらい、数日後にまた寄って、祖母の味に近い弁松のお弁当とパンフェアの有名パン屋さんのパンを選んでお見舞いに行きました。お弁当は近くに住む叔父夫婦と叔母の家族3人分と私の分と6個持って行き叔母と一緒に食事しました。叔母は半分しか食べられないけど美味しいと喜んでくれ叔母の家族も良く食べたと言っていたのですが、急に入院になり、急いで病院にお見舞いに行くとあと3日位と言われました。モルフィネを投与しているとの事で叔母が安心するように声をかけながら消灯時間まで付き添っていました。叔母の夫や息子は何をしたらいいかわからずただおろおろ立っていて、私がついているから家で休んでいたらと言うと1時間位で家に帰ってしまい、娘はフルタイムの仕事と子供たちの世話で手一杯で、その日は現れませんでした。病院は叔母の家の近くでしたが、私や母には片道2時間近くかかるので翌日は母と母のもう1人の妹(B叔母)が、翌々日は私が1日中付き添いその次の日は皆で行く事にしました。翌日の夜、母やB叔母に様子を聞くと、A叔母は薬のせいかとても元気でずーっとおしゃべりをしていた、いつも控え目なA叔母があんなに話すのは珍しかったと言っていたので、とりあえず今の時点では元気だと安心していたんです。ところが翌朝6時頃目が覚め、なぜか、A叔母の様子を聞かなくてはとA叔母宅に電話しました。この時間には皆起きているのは知っていましたが、普段なら絶対かけない時間なのに早い時間だから、とかは全く思いませんでした。ところが、誰も電話に出ません。何度もかけても出ません。普通なら、出ないなら夜かけようと思うんですがその時は、理由もなく叔母の様子を今聞かなくちゃと思っていました。前日一番遅くまでつきそっていたのは母達でその様子はすでに聞いていますし、朝一番で叔母の家に電話しても叔母の様子がわかるわけはないのに、なぜ電話しなくちゃと思ったのかわかりません。7時過ぎても出ないので、普通ならそんな早く電話しようとも思わないのに何の疑問もなく病院にかけると、看護師さんにすぐ代わり「ご家族の方ですか?」「姪です。」「ご家族からご連絡があったんですか?」「いいえ。」と言うとえっ?という感じで一瞬絶句して、「今亡くなられました。」と言うので驚いて「え?」と聞くとはっと気が付いたように「ご存知なかったんですか?」とまた絶句されていました。たぶん、連絡してないのに亡くなる時に親しい人が電話してくる不思議な事が結構あるんだと思います。そんな感じの絶句だったように思いました。叔母宅には連絡が来て近くに住む叔母の娘を迎えにいってから病院に向かったので1時間以上かかったとのことでした。私が様子を聞かなくちゃと思っていたのは叔母が危篤だった時間帯だったのでしょう。あれだけ強く、何の疑問ももたず叔母の様子を聞かなくちゃと思ったのは不思議でした。前日叔母はよく話してたと聞いておりその朝亡くなるとは思ってもおらず、なぜ様子を聞こうと思ったのか全くわかりません。叔母に付き添うことはできませんでしたが気持ちは付き添えたのかもしれないのでせめてそれが出来て良かったです。本当は良いなんて話じゃないんですけどね。本当なら今も元気でいてくれるはずなんです。その後、叔母の葬儀の後と1周忌にもっと不思議な事がありそれは以前のブログに書いています。不思議な事はあるから母も叔母も消えてしまったわけじゃないかもしれません。叔母がどんなに良い人だったかは叔母の事1 というタイトルでブログに書いています。叔母の葬儀で、母が泣き続けながら、叔母の事を「いい子だったよ~。」と言っていましたが本当にそうでした。
2021.10.08
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26日がお彼岸明けだったので27日になるのを待って、お供えしていた干菓子を下げいただこうと開けました。蓮の花の干菓子です。お供え菓子って、カチカチになってたり美味しくなかったりするので、後でいただけるようにできるだけ老舗和菓子屋さんのものをお供えするようにしています。美味しそうと、改めて蓮の花の形を見たら、なぜお母さんに蓮の花のお菓子なのなぜお供えなのお母さん亡くなったなんて、嫌だ、と悲しくてつらくなりました。穏やかに過ごしていると思ってたけど、あ~やっぱり、考えないようにしてるんだと気がつきました。声掛けしたり、お供えしたり、前向きにやってるふりしてだましだまし穏やかにやっているんだなと気がつきました。あまりにもつらいから当分それでいいと思います。じっくり考えないように。当分それでいいことにしてやっていこうと思います。
2021.09.28
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今日23日はお彼岸の中日、ご先祖様が一番近くにいらっしゃる日だそうです。お仏壇にお供えをしたり実家の片づけをしたりお墓参りに行ったほかは特に何という事もない静かな一日でした。静かな夜を過ごしながら、こうやって穏やかな気持ちで過ごせるのがご先祖様からの贈り物なのかなあと思ったりしています。本当は母の事が悲しくて静かな気持ちになんてなれないんですけど、でも供養することで気持ちが落ち着くというか、ご先祖様からの贈り物というか。単純に、お墓参りしました、落ち着きました、というんじゃないんですが。お彼岸中、買い置きしていたいろんなお線香をあげました。今回あげたものだけでもこれだけあります。コーヒーの香り(ミルクコーヒーっぽい)緑茶の香り(すがすがしい)蜂蜜の香り(甘い)苺の香り(苺キャンディっぽい)沈香(王道ですね)白檀(母が白檀の扇子を持っていたので好き)フレグランス系(多種多様)母が亡くなって最初の2年位はいろんなお線香を次々買いました。これ位しかできることがなかったので。家でもお線香をたえずあげていました。今はぐっと少なくなっています。実家にも沢山買い置きしているのですが、家はお墓参りにお線香を沢山あげるので使い切ったものも何箱かあります。今日は緑茶の香りだよ、味わってね、と言いながら父母や近くの親族のお墓にあげました。このシリーズはいろんな香りがあって上から緑茶、苺、蜂蜜、コーヒー・香りも割とはっきりしています。下はブラックコーヒー。香りが強いのが好きではない場合や買ったけどちょっと違ってたという場合はお墓参りの時に使うと野外で香りが穏やかに感じるし、使い切りやすいです。こちらはミルクコーヒー系。沈香や白檀は人工ではないものは材料費の分価格が上がりますがやはり本物の香りが良いです。上はレビューがとても良いもの。こちらはフレグランス系のなかでもたぶんベストセラーのもの。フレグランス系でも、香りがとても穏やか。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.09.24
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お盆が終わったと思ったら今日からお彼岸ですね。長いと思った夏もお盆の前日から虫の音が聞こえ、夜は涼しくなってきました。秋の花が咲き始め、ずっと緑のままだった柿も急に色づきました。服装はまだ夏服で丁度良いのですが、ここ1週間位は水道水がほんの少し暖かく優しく感じるので、水温より気温のほうが低くなっているのだと思います。普段は気温が低くなると水の冷たさを感じるので、水が暖かく感じるのはこの時期、まだ地下の温度が暖かいほんの少しの期間だけなのかもしれませんね。お彼岸って、母が亡くなるまでは母や祖母に言われるがままお供えしたり、お墓参りしてあとは勧められるままにそんなに好きではないおはぎを食べる日位にしか思っていませんでしたが、今はお彼岸を大事に思っていた祖父母や母の気持ちがわかる気がします。お盆はご先祖様が帰ってくる日、昼と夜の時間が同じになるお彼岸はウィキペディアによるとご先祖様と近くになる日そしてご先祖様のために祈る特別な期間で、日本古来の太陽信仰と祖先信仰が仏教と結びついてできた独自の風習なのだそうです。先祖達が大事に思ってきた行事だから先祖のためにお参りしたいと思うようになりました。今日は彼岸の入りなので台風の影響でしばらく行っていなかったお墓参りに行ってきました。どなたかが、お花をお供えしてくださっていました。母のいとこだと思われます。ありがたいですね。お仏壇にもいつもよりもちょっと品数多くお供えしました。それって自分で食べる食事を豊かにするということなので、ご先祖様に、ちゃんと食べなさいって言ってもらってるのだと思います。ありがたいですね。遠くから見守ってもらっているんですね。午前中にお墓参りしてきた隣県の友人から電話があり、お墓参りの人でとても混雑していたと言っていました。連休最終日でのんびりしたいでしょうけど、皆、お彼岸を大事に思っているんですね。下は、特別な日に使っても良いし留守がちのお仏壇へお供えしても良い蝋燭。これは新作だと思います。美味しそうなので次回注文予定。こちらはとっても良くできたミニチュアサイズ。他の蝋燭と一緒に普段は無人の家のお仏壇にお供えしてますが、今度使ってまた新しいのをお供えしようと思います。飲み物もデザートもいろんな種類があります。お供えとして送っても喜ばれました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.09.20
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1年前に書いて下書きに入れっぱなしだったものを見つけました。この間書いたものと比べると1年経って、また少し元気になっているのがわかるので続けて載せておきます。******いろいろ大変な時寂しい時、母に小さな声で声掛けしています。道を歩いているときとか周りに人がいないのを確認して小さな声で呼びかけます。「お母さん」とだけ言う時も多いけど、寂しい時は「お母さん、いるの?」と語りかけます。すると心の中で「いるよ。」と柔らかくておっとりした声でにっこりしながら母が返事してくれるのを思い浮かべられるんです。寂しい時は、ちょっと母とおしゃべりします。おしゃべりと言っても通常は介護中に毎日繰り返した会話です。(その日あったことを話す事もあります。)母は脳梗塞で失語症になったので晩年は簡単な返事しかできませんでした。「寒くなあい?」「寒くない。」「暑くなあい?」「暑くない。」「痛いところない?」「ううん。」「苦しくなあい?」「ううん。」「つらくなあい?」「ううん。」「大丈夫?」「大丈夫。」「良かった。がんばってください。」「はい。」単純な質問をいろいろして、母が快適でいるかどうか、確認していました。寒くない?だけだと、あったかくしすぎて暑いかもしれないし、痛くない?だけだと痛くはないけど苦しい、ってこともあるかもしれないからいろいろ聞きました。調子の良い時の母は、しっかり答えていましたが、はあはあ言いながら、苦しくない、とか大丈夫とか答えていたこともあったので私を気遣ってそう言ってくれたのかもしれませんが、できるだけ快適な状態でいてほしくてこまめに声をかけて確認していました。だから、今も、「お母さん、寒くなあい?」「大丈夫?」「がんばろうね。」という声をかけもしています。まだ母のお世話をしたいと心の中で思っているのかもしれませんね。声掛けをしているうちに心の中で、母が言ってくれます。「とても楽な気分で幸せにしているから自分の事をしっかりやりなさい。」それで「そうだね。頑張るから、見守っていてね。いつも一緒にいてね。」と元気になろうと思います。******4年半たった今はもう少し簡単な声掛けになっています。(でも毎日、何度も生きていてほしかったな、とつぶやいてつらい気持ちでいるので、平気になったわけじゃないです、)母が亡くなって1年位の時はもっともっと長い声掛けをしています。ちょっとずつ元気になっているんですね。こうやって書いておくとそうそうお母さんこんなふうに言ってくれたねって思い出せて嬉しい事も多いので、やっぱり書いておくって大事だなって思いました。下は、後ろに写真が80枚位入れられる写真立て。黒い縁の遺影だと寂しい気持ちになってくるので綺麗な写真立てをすぐ見える場所に置いています。もともとは実家の母に写真を送る時にそのまま送ると仕舞い忘れてしまうのですぐ手にとって見られるようにこういったタイプに入れて渡していました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.09.17
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大切な方が亡くなって、つらくてたまらない時語りかけするのはよくある事だと思います。普段は独り言を言った事がなかった私も、写真を見ては、お供えをしては出かける時も、寝る時も、ある時はまるで母がいるかのようにある時は、お礼を言ったり称賛したり謝ったりと、いろんな声かけをしてきました。歩いている時も涙が流れてくるので、前後に人がいないのを確認して車の騒音に紛らわせてお母さん!と小さな声で呼んだことも何度もありました。何度も、というよりも2年位、そういうことが続きました。その間、こんなに独り言を言って大丈夫かな?と、たまに街中で見かける独り言をぼそぼそつぶやく人を思い出して少し心配もしていましたが、とりあえず、人に聞こえないように気を使いながら言ってるからそれができてるうちは大丈夫かなと考えてました。母が亡くなって4年すぎましたが、気が付くと、あんなにしていた声かけはずいぶん減ってきました。心の中で思うだけで声に出さない事が多くなってきています。そのうち心の中でも思わなくなっちゃうのかそれも嫌ですけど今のように、常に心の中で思っているのも気持ちがいっぱいになりすぎるから少し前に進んで元気になっていくのはいい事だと思います。人それぞれ違うと思いますが、大切な人を亡くして急に声かけをして独り言ばかりで大丈夫かと心配されている場合は数年様子を見て、独り言が減っているようなら元気になってきた証拠かなと思います。ただ声掛け自体は自分の気持ちを明るくするためにも続けたいと思うなら続けていいと私は思います。「おはようございます。今日はいい天気だよ。」「行ってきます。頑張ってくるね。」「ただいま。お土産いただいたの。後で食べようね。」「ご飯作ったから一緒に食べよう。美味しそうにできたよ。」「おやすみなさい。明日もがんばろうね。」そういう声掛けってだま~って悲しい気持ちでいるよりはずっといいと私は思いました。以上はあくまでも私個人の体験ですのでつらくてどうしようもない場合やこれでいいのか悩んでいる場合は専門医の助けを借りるのが確実だと思います。下は母が亡くなって半年から1年半くらいの時期に助けになった本。いろんな状況の方向けの話が沢山書いてあります。上は文庫本なので字が小さく、細かく書いてあるので読みにくいかもしれません。字の大きさなど読みやすいほうがが良ければ下のほうをお勧めします。いろんな話が載っているので読むその時々で気づきも違ってとても参考になりますが、短い文で気の利いた言葉が欲しい方には苦手な本かもしれません。
2021.09.15
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どうという事のない夢の話です。母を亡くして辛くて辛くてたまらなかった私のためにそれから同じ思いでつらい方のためにすこしづつでも前に進んでいっているのがわかるように小さな事ですが書いておきます。苺の果肉が入った練乳かき氷等のレストランクーポンが8枚位印刷されたものをもらう夢を見ました。夢って日常に体験したことを脳が整理するために見るのだそうです。苺のかき氷は、最近アイスを食べているから、クーポンは、寝る前に楽天セールのクーポンを見たから夢に出たのでしょう。「わあ、すごい、どれも美味しそう。どのお店にも行きたいな。」って最初は友人と一緒に行こうと思っていたのですが、途中から母と行くつもりになっていて「銀座のレストランとかは電車に乗らなくちゃいけないしお母さん、体力大丈夫かな、行くのは難しいかな。」って母の晩年の頃の気持ちで心配し始め、それからコロナの事を思い出してクーポン使うのは無理かなと諦めようと思いました。ところが、ふと、「そうだ、お母さんにこのクーポンあげれば、一人で行ってこれる。それがいい。そうしよう。」と母が元気な頃の気持ちになってほっとしたところで目が覚めました。時系列がばらばらで晩年の母コロナ禍母が元気な時の気持ちに次々変わったのは、いつもあれこれ考えているからなんでしょうが、夢の中では母がいるときと同じ気持ちなんですね。ちょっと嬉しいです。ちなみにデザートの券をあげるというのは昔、似た事が数回だけあって、頂き物のアイスのギフト券とかお店のポイントを貯めたフルーツパフェの券とかを使ってもらったら美味しかったと喜んでいたのでそれが夢に出ただけなのでしょう。母は出てこないけれど母の事をあれこれ考えている夢が多くなってきたように思います。たぶん普段、あれこれ考えてああしたらこうしたら良かったのかと思っているのを脳が整理したのかもしれませんが、以前よりも軽い感じの夢になってきているような気がします。夢の中でも少し元気になってきたのでしょうか。でも、以前も書きましたが不思議な夢って本当にあるらしいので夢の中でも本当に母に会って話をしたり少しでも喜んでもらえるような事ができたら嬉しいです。画像ではそんなに美味しそうに見えないけど老舗料理屋ならではの優しい奥深い味で舌ざわりも全然違って高齢者にお勧めです。母に食べてもらってよかったものの一つです。上の、届いたらそのまま飾れるバラのブーケとセットになったものもあります。ブーケの色はいろいろあって選べます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.09.13
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昨日の続きです。母が亡くなり4年経った実家に帰省中です。最初の2週間ほどは無意識になぜ母がいないんだろうと感じていたのですが、お盆があったせいか今は、母がいないのが当たり前の実家に寂しいという気持ちも独りぼっちという気持ちもなく穏やかな気持ちでいます。小さな静かな街で人混みもほとんどないのでいろんな意味で安心感があるのでしょう。母がいないのが当たり前に感じるなんて納得いかないしわけがわからないんですが、いつまでも同じ所で蹲っていてはいけないので進んでいると捉えようと思います。勿論母を忘れるつもりはなく出来るだけ母の面影は残したいし、些細な事でも大切に覚えておきたい。それと並行して前に進むってなかなか難しいんですね。しばらくはのんびりやっていきたいと思います。容器が選べるギフト。鉢でイメージが変わりますね。このお店からよく敬老の日のギフトを送ってました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.08.25
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母が亡くなって4年の実家に滞在しています。実家に帰ると母がいるのは当たり前でいつも何かしらいそいそと料理をしたり布団を干したりして世話をやいてくれました。敷布団はいつもお日様の匂いがしてふかふかで、シーツは洗い立てでぱりっとしており、掛け布団にはお日様のぬくもりが残っていました。母は定年退職するまで仕事をしていたので、家庭的とか主婦という印象がなかったのですが、今考えると、忙しいのにすごく頑張って家事をこなしていたんだなと思います。実家で思い出す母は台所に立っていたり、洗濯をしたり、お仏壇にお供えをしたり、草取りをしたりいつもパタパタと庭と家の中を速足で行き来して何かしら忙しくしていました。実家は当時のままなのになぜ母がいないんだろう、なぜ母がいないのが当たり前なんだろう。隣の部屋にいたっていいのにと寝室やキッチンのほうを見ながらぼんやり考えたりしています。ここまでは、実家に戻って1週間目位に書きました。ひと月ほど滞在している今はまた違った気持ちがあるので次回書きます。草取りをした庭に毎回お花をまとめて注文して植えています。今回はこちらを注文しました。届いたのは天候が悪い時期だったせいかこの画像ほど満開ではありませんが、12種類2鉢位づつ、日日草・アンゲロニアペンタス・パキスタキス・千日草ポーチュラカ・ランタナ・アズレア・コスモス等のプランターでも育てやすい夏~秋の定番の花いろいろ。この中のいくつかは一年中咲き続けたり、こぼれ種で来年も咲くので嬉しいです。送料無料なのにクール便で大切に届きました。水をあげたらすぐに元気になり、地植えしたらさらに生き生きして花もどんどん咲いてきました。ちょっとでも庭仕事すると気持ちが良いので助かっています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.08.24
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いつもは無人の実家に滞在中です。実家では無意識に母の面影を探す毎日なので4年も経つのに前に進めていないと不安に思っていました。しかし、今日、楽天を開いて一番最初に出てくる敬老の日のバーナーを見てこのバーナー、何回か見ているけど何とも思わずにいた事に気が付きました。母を亡くした最初の年は月日の感覚がおかしくなって9月なのに4月位の感覚で、敬老の日の広告を見た時、「なぜ今、敬老の日の広告があるの?半年も先の事なのに」と不思議でした。2年目は、敬老の日の広告を見ると、もう母にできる事はないんだとつらかった。3年目位からは、関係ないものと素通りするようになりました。今年は母のいない敬老の日は5年目になり敬老の日という文字を見ても何も考えなくなっていたんですね。無意識に自己防衛で、何も感じないように何も考えないようにしているのかもしれません。何も思わなくなったって前に進んでいることだよねって少しほっとしました。勿論これは進んでいる過程で、もっと進めば、敬老の日の思い出など思い出してほっこり暖かい気持ちになるのかもしれませんね。それにしても敬老の日がどうでもいい日になるなんて思ってもみなかった。母にお花やお菓子を注文する時には親しい叔母達にも送っていて、毎年どんなお花にしようか、お菓子は何がいいかいろいろ悩みながら楽しく選んでいました。一緒に食事に行ったり旅行に行ったりもよくしていて、敬老の日を楽しんでもらおうとあれこれ考えるのが楽しかった。だけど、今は何とも思わない事は良い事なのでとりあえず安心することにします。今年も敬老の日は美味しいお菓子をお供えして父母と一緒に頂こうと思います。とても美味しい焼き菓子。扱っている店舗が少ないのであまり知られていませんが、焼き菓子通の方もきっと満足の味です。見た目もとても綺麗で上品。少量でも満足で食べ過ぎないのも良いですね。こちらも美味しい焼き菓子。包みも綺麗で贈答品にもお供えにも喜ばれます。お店から直接送ってもらえるのでこのご時世、受け取る方も安心ですね。なかなか外出できない昨今、美味しいお菓子の詰め合わせも人気。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.08.23
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お盆の前日の話です。朝、ゴミ出ししなくてはいけなかったのですが遅くまで起きていたので起きなくちゃと思いながらもだらだら眠っていました。すると枕元より少し先のあたりで畳の上をそっと歩くような畳が擦れる音がしているんです。この音は母が亡くなって実家に一人で滞在している時時々する音で、以前母がいたときに母が畳の上を歩くとした音とそっくりの音です。特に私が寝ている時、母が、もう起きたのか、起こしたほうがいいかな、と私の様子を見るためにそっと畳の上を歩く時していた音でした。そういう音がしても、たぶん風で畳の上に置いた紙か何かが動いてする音なのだろうと気にも留めないでいました。その音が、昨晩も時々していて布団に入ってからも聞こえましたが、あちこちの窓を開けて風通しは良く、風の音、風でカーテン等が揺れる音いろんな音がしょっちゅうしているので不思議だと思いませんでした。お母さんが歩いてるみたいだな、そうだったらいいけどね、と思いながら眠りました。朝も眠い中、その音を聞いていましたが特に気にしていませんでした。でも、なぜかすごく聞こえるんです。枕元を歩き回っているようで、もうゴミ収集の時間は過ぎているだろうなとだらだら寝ていましたが音に起こされる感じで起き、念のためゴミ収集所を見に行くとまだ収集車が来ていなかったので急いで出すことができました。それから家に帰って、落ち着いてみるとちょっと変な気がしました。妙に歩き回るような音がして目が覚めたんだけどあれは何がどうなるとあの音がでるんだろう、あの音、よくしてるから、しっかり聞いてみなくちゃ、と耳をすませました。ところが数十分耳をすませてもその音が聞こえてきません。一度だけ似た音が聞こえただけです。1時間前はあんなに聞こえていたのに。その後ずっと気を付けていましたが昼にも夜にも聞こえませんでした。考えてみるとあの音は時々することはあるけど、今朝みたいにすることはないし何か変だったと思います。もしかしたら、母がゴミ出ししたいんでしょう?起きたら?っていつまでもだらだらしてるダメ娘が気になって起こしてくれたのかもしれませんね。不思議な事なんか何もない只の偶然の音かもしれない可能性のほうが高いかもしれないとは思いますが一応書いておきます。後で何かわかったら追記しておきます。
2021.08.13
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以下はとりとめのない夢の話でなにがどうという事ではありません。母の事を考えて泣いていたからかもしれませんし泣いていたしばらく後に介護中の友人から電話があって気分転換にお母さんと小旅行するという楽しい話を聞いたからかもしれませんが、母の夢を見ました。家で私が忙しくしているとデイサービスかどこかに行く支度を母が一人でしたところで、一人でできるなんてすごいな、珍しいな、今日は覚醒がはっきりしているのかなと思いながら(実際は一人で洋服を着たりすることは晩年の5~6年間は出来ませんでした。)一応おむつがずれていないか確認させてね、と言ってトイレに連れて行きました。母が使っていたのは履くタイプの紙おむつとパッドですが、夢ではなぜかパッドなしのテープ式のクリーム色のものでした。きちんとテープを止めているなあ、と思いながらオムツが濡れてちょっと重くなっているので、テープはちゃんと止めてあるけど一人でオムツを新しいのに替えることはできなかったんだなと思い、新しいのに交換して、洋服も替えようとしました。すると母はすでに服を自分で選んでいてハンガーに掛かった服を2セット持ってきていました。紺系でピンクも入った綺麗な色合いの細かいプリントのものと白の綿にパステルカラーの模様が入った服でどちらも新しい服です。そうそう、これ買っておいたけど仕舞い忘れてた、最近お母さんの服仕舞いこんでたから、奥に掛けてあったのにちゃんと見つけられてすごいな、意識がしっかりしてるんだな、と思いながら階段を降りる所に別の服をかけているのを見て「そうそう、これも用意してたけど、これもいいんじゃない?」と母に見せると、母も頷きました。淡いクリーム黄色にグレーの模様が入った薄手の綿タートルネックに紺のカーディガンでした。こっちを用意してたけどせっかく母が選んだから母が持っているほうを着てもらおうと思っているところで目が覚めました。服はどれも実際には持っていないし見たこともない服で階段に服をかけたこともありません。旅行に行く時は明るくて綺麗な色合いの服を母のためにコーディネイトして持って行ったので、友人の旅行の話とごっちゃになってこういう夢を見たのかもしれませんね。ちょっと湿って重くなっている紙オムツがなぜかはっきりと出てきて、テープ式のオムツは使ってなかったのになぜあんな風にはっきりと出てきたのかはよくわかりません。夢って日常生活で入ってきたいろいろな情報を脳が整理するために見るそうです。いらない情報を消すためのものでもあるそうで、オムツの話も必要ない部分を消すために見たのかもしれません。いつまでも介護の細かい事を覚えている必要はないのに、母の事を少しでも忘れないようにと思っているので(飲んでいた薬の詳細を忘れているのに気がついてちょっと焦ったり、血圧計に残っている数値をとっておこうと思ったり、母が使っていた介護用品や医療品をとっておいたりしているので。)夢で少し整理したのかもしれませんね。夢でも母が自分でトイレに行けたり洋服を選べて良かったです。言葉は発してなかったようだけど割としっかりしていて元気そうでした。母の事を考えて泣いていたから夢の中で介護していた時に戻ってでも自分でいろいろしてくれて一緒にいてくれたかもしれませんね。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.07.20
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早いもので、今年で母のお盆も5回目になります。まだ3回目位の感覚です。5回って、いったいいつそんなに経ったんだろうそんなにお盆を迎えた記憶がないのに、って考えてみたら、5回目は今年なので、まだですし、4回目の昨年はコロナ禍で帰省しなかったので、実家で迎えたお盆は3回だけでした。でも年月は4年が過ぎているのでやっぱりいつの間にかこんなに経っているという感じです。2年続けてお盆に帰省しないのは申し訳ないし実家の草取りや掃除も山積みだし、やらなくてはいけない事も多いので帰省を予定しています。それにしても、母の5回目のお盆だなんて母が遠くなってしまったようで悲しいです。10回目、15回目の時に読み返すとまだまだ母が近くに感じていた時じゃない母を近くに感じて幸せな時期じゃないって思うんでしょうか。母にお供えしながら、もういないのかな、わかるわけでも食べてもらえるわけでもないのかな、母は消えてしまったのかな、って悲しくなったりします。でも、そんな気持ちの時に助けてくれる為でしょうね、何度も書いている蝶々の事やまだ気持ちが落ち着かなくて書いていない事があったのを思い出して、やっぱり偶然とは言い難い事だから母はいてくれるかもしれないって思い直して、どうにかやっていってます。でもそれも、あの時はいたかもしれないけど、今はもういないのかな、母という人は消えてしまったのかなと思ったりするんですけど、でも、蝶々になってきてくれたのならそんな不思議な事が起こるのならきっといてくれるよね、何十年経ってもいてくれるよねって思う事にしました。母が亡くなって4年も経つのにいろんな事が進んでいないし、新型コロナの事もあって不安感が大きいのですが少しづついろいろ進めて行ってます。2歩進んでは、また別にやる事が出てくるのでまた1歩下がって、みたいな感じですが少しづつやっていっています。お盆には回転提灯も出して母も家でゆっくり出来るように飾り付けしたいと思っています。お盆期間中だけでなく、その前後から出していても良いそうで、産地では夏中使うものらしいので、早めに出してゆっくり片付けます。一見どれも同じように見えますが、百貨店で購入したときにメーカーの店員さんに選び方を聞いた話では、基本は好みでどれを選んでも問題はないが、毎年組み立て・分解があるので絹張りで木製の枠のほうが長持ちし見た目も良いし手書きのほうが風情があるとのことでなるほどと思いました。また、絵柄は極楽の風景なのだそうです。夏に飾るものなので涼しげな秋草模様も多いのですが母に綺麗なところにいてほしいので落ち着いているけど綺麗な柄を選びました。画像は絹張り木製蒔絵入りで綺麗だと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.07.19
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朝、母と街中で待ち合わせをしている夢を見ました。人が行きかう多い大きな街の大きな横断歩道の向こう側から母が来ることになっていて、信号を渡ってくる母を探そうとしています。沢山人が歩いてくるのですが、母は見えません。「お母さん歩くの遅くなってるから後のほうにいるんだろうな。小柄で見つけにくいから見逃さないようにしなくちゃ。」と、信号を渡り始めた人たちを見ているとお年寄りが数人いて、母もそこにいるかと見ました。すると、真っ白いふわふわしたセーターのような綺麗な服を着た母が一頭立ての馬車に乗ってにこにこしながらこちらに向かって来るので「歩けないから乗っているんだな」と思ううちに馬車は私の目の前まで来ました。母はにこにこして嬉しそうで神々しい感じです。「会えて嬉しい、良かった!」と思いながら「お母さんは天使になったんだ。」と納得して目が覚めました。白い服を着ていたのでそんな風に思ったんでしょうね。いつもと違う感じの夢ですが、馬車はあちこちの観光地で足が悪くなってきた母とよく乗っていたのでそれをどこかで思い出したかもしれません。真っ白のふわふわの服は特に覚えはないのですが、先日久しぶりにデパートをゆっくり見て自分が気に入った洋服と、母が喜びそうな服をお供えに買ったのでその関係かもしれません。只の夢なんでしょうけれど母が幸せそうだったし夢でも会えたので嬉しかったです。私がいつまでもつらく思っているので幸せだから心配しないでって言ってくれたのかもしれませんね。それに、良い人で沢山人助けもしたのでもしかすると本当に天使になっているのかもしれません。追記:この日デパートで母のお供えの器も購入し、真っ白でふかふかの緩衝材で包まれていたのでそれが服を購入した事と一緒になって夢に出たのかもしれませんね。全部そういうことなのかな、ちょっと寂しいなって思いましたが考えてみると蝶々の話はやっぱり変なので不思議な事はあるし母も消えてしまったわけではないかもしれません。蝶々の話は、真夜中の蝶と椅子にとまった蝶で書いています。文字をクリックするとブログに移動します。他の話も母のカテゴリーから探してみて下さい。上 今日のお供え。ここのクッキーはとても美味しいし形も楽しいのでお使い物にもよくしています。母が入院した時は同室の方への手土産にもして喜ばれました。下 同じメーカーのベストセラーの焼き菓子。こちらも美味しくてお勧め。日持ちするし美味しいので、母が実家にいる時は父のお供えにもよく送りました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.07.11
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大雨が続いていたからだと思いますが昼間疲れて横になりました。ぐっすり眠ってしまっていた時電話が鳴り、夢の中で「あ、お母さんから電話だ。」と、母が元気な時の気持ちで思いながら目が覚めました。電話は勿論母からではありませんでしたが、寝ていても、無意識のうちに起きなくちゃって思っていて、母が起こしてくれようとしてると思ったのかもしれませんね。あまりにもぐっすり寝ていたので3時を廻っているのでは、と思いながら時計を見たら、まだ12時過ぎで予定していた銀行にも行けました。母が元気だった頃と一瞬でも同じ気持ちになるのは久しぶりで、私の心の中にはまだ母が生きているんだなと嬉しく思いました。こう書くと、母の事は普段忘れているように聞こえるかもしれませんが、母を亡くして4年が過ぎ、毎日わんわん泣くようなことはなくなりましたがまだ毎日母の事を、立っては、座っては、歩いては、空を見ては、空(くう)を見ては思っています。まだ、懐かしく思い出すのではなく、なぜいないの?どうにかできなかったの?何か困ってないの?幸せでいるの?まだよくわからないし何も考えられない、何も楽しい事はないしどうしたらいいかわからない、お母さん、どこにいるのかな、もういなくなっちゃったのかなそんないろんな気持ちを脈略もなく次々と感じていますが、つきつめると、つらすぎるので、不思議な事があったからきっといてくれるよね、幸せでいるんだよねと思うようにしています。新型コロナが流行してからは、母がいたらデイサービスは全部休みにして運動不足にならないように毎日散歩をしっかりして室内でやっていた運動も強化して食事は免疫機能をアップさせるためのメニューを考えなくちゃ、私も持ち込まないように対策を考えなくては、他に何ができるだろう、考えなくちゃと無意識のうちに思っていることも時々あります。このまま同じ所に蹲った気持ちのままいてはいけないのは解っていて美味しいものを作ったり食べたり友人知人と会ったりおしゃれもしたり笑ってもいるけれど心の中は悲しくて寂しいまま。少しづつ元気になっていくしかないんだと思います。
2021.07.03
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今日は久しぶりの大雨で昨夜からずっと大降りでしたが夕方に用事で人に会う事になっていました。さすがに今日は雨の中を歩くのかな~と思っていたらお昼から雨があがり、良い天気になり、やっぱり不思議だなと思いながら外出したんです。雨で下がっていた気温も上がり気持ち良かったので一駅歩いて駅ビルでのんびり夕食をとったり品揃えの良いスーパーで買い物し、のんびり閉店時間まですごしたからなんですが、電車で帰ってくると思いがけず外は土砂降りでした。雨は上がったと思っていたので靴はフラットのバレエシューズ系だしレインコートも持ってきていないし傘も晴雨兼用の折り畳み傘です。10分ほど雨宿りし、小雨になったので歩きだしましたが、家まで1分のところでまた土砂降りになり道路は浅瀬のような状態に!傘をさしてはいたもののほんの1分の間に服も靴もずぶ濡れになりました。こんな状態、たぶん5~6年ぶり位で母を亡くしてからは初めてでした。それまで4年間、天候不良の年も多かったのに外出の際はなぜか毎回雨が上がり、不思議な位、雨に濡れなかったんです。今日、初めてずぶ濡れになったとはいえ、出かけている間は全く降らず歩くのが楽でしたし、集中豪雨に遭ったのは家に着く直前で、そのまますぐに洗面所に直行し濡れた服を洗濯乾燥機にかけている間にお風呂に入ってさっぱりしたのであまり大変ではありませんでした。偶然でしょうけど母に、びしょ濡れになったけどあまり大変じゃなかったよ、ありがとう、と感謝しました。追記1:その翌日用事で外出した際は、室内にいる時だけ大雨で行きと帰りは傘をささなくてもいい位にあがっていました。追記2:さらにその翌日、朝から大雨で予報は一日中雨でしたが、私が外出した午後の間は雨が上がっており、家に帰るとまた本格的に降り出しました。追記3:さらにその翌日この日も朝から大雨、予報は一日中雨、しかも私が外出を予定していた昼過ぎは3時間ほど豪雨と出ていました。ところが、疲れてお昼寝して電話がかかってきて起きてみるとお昼過ぎに雨が急に上がって日が少し差し鳥も鳴いています。雨雲レーダーを見ると1時間ほど晴れ間が出ています。支度してから外に出るとぽつんぽつんと降っているだけで傘をささなくてもいい位でした。1時間以上出ている間雨はぽつんぽつん降っているままでしたが帰宅してしばらくするとまた大雨になりました。それから翌日朝まで大雨が続いています。全部偶然なんでしょうけど、やっぱりちょっと不思議です。上:皇室で使われている傘。視界が良く、深いので濡れにくく、丈夫で長持ち。年配の方へのプレゼントにも人気です。下:こちらも皇室御用達。上質な傘は濡れにくく、安心して使えます。着物や特別なお出かけの際にも、贈り物にも。レビューもとても良いです。一番下は男性用。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.07.01
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日付を令和3年と記入しようとして、令和は母が知らない元号なんだなあと改めて思いました。新型コロナのバタバタで忘れがちだけど、令和はお祝いムードが一杯の明るい雰囲気の中スタートしたまだ生まれたてのほやほやの元号です。当時は景気も上向きで、オリンピックも間近で、これから明るい未来が始まるって、母を亡くした悲しみで一杯の私でさえも遠い所に希望の明かりがあるんだろうなと思えました。そして、私もその明るくて賑やかで楽しい中に入っていかなくちゃとどこを見ても悲しくてつらくて食事も食べられない、音楽も聴けない、眠れない、で外に出てもこわばった表情でふらふらしながら歩き、歩きながら泣いていながらも世の中が希望にあふれて皆が楽しそうにしているのは心の支えになっていたんです。それがコロナ禍で世界中が混乱し不安定な事ばかりで母を亡くして不安な気持ちだった私にはとてもつらく感じました。これから世界が落ち着いていったら皆が活動的になり、令和もまた楽しく明るく希望を感じる時代になるのでしょうか。でもそこには母はいないんだなと改めて寂しさを感じます。
2021.06.26
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明け方、母の夢を見ました。夢と言っても、母がデイサービスに行く時にスタッフさんにこういうふうに介助されていたな、そして、そのデイサービスが閉所してから行った次のデイサービスではこんな風な介助だったな、というのを思い出していただけの夢です。その夢を見ながら、「夢って、記憶を反復しているだけなんだな。」って思いながら目が覚めました。今まで沢山母の夢を見て母に会えた気がしたり母に励ましてもらった気がしたり夢の中で母の介護が出来て嬉しかったりしたけど実際はアルバムを見ているようなものなんだなとわかってはいた事だけど改めて気づかされました。勿論、不思議としかいいようがない夢もあるのだとは思いますがそれは置いておいての普段の夢の話です。母が亡くなって4年経ちますが母の事を忘れたくなくて、日中も母の事を考えているけど寝ている時もああだった、こうだったと反復して思い出しているからこんなにぐったり疲れているんだな、母の事は充分考えているしこれからも考えるのだから、同じところで足踏みしていないで前に進む時期にきているのかなと思いました。それは母の事を過去の事にするのでも忘れるという事でも何とも思わなくなるという事でもないと4年たってやっと実感し始めたのだと思います。以前も同様の事を考えて書いてはいますが1回そう思ったから急に変わるのではなくて少しづつ進んでいくのでしょう。これからも母の夢を見たら嬉しいし夢の中でも母と会話出来たら幸せなのでそういう夢を見て楽しかったらまたここに書くと思いますが、それはアルバムを見ているようなもので現実ではないんだ、もっと現実をしっかりやっていかなくちゃと気が付きました。母は伴侶を不慮の事故で亡くしとてもつらい思いをしていたのですが、過去の事ばかり振り返らず前を向いて進めと言う人だったので私がそう思えるようになってきたことを「そうだよ」と言ってとても喜んでいると思います。タイマーで毎日一定時間明かりが灯るお供え。電池式なので安全です。普段は無人のお仏壇にも。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.06.06
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寝る前に小さな声で何度も母に呼びかけていたからかもしれませんが夢の中でも実家の寝室の布団で横になりながら母が亡くなって悲しくて母を呼んでいました。すると少し離れて寝ていた母が起きてきて私を慰めようと頭をさすりました。泣いているのを母に見つかっちゃった、何でもないふりして寝たふりしよう、と思ったけど母が頭を強くこするので目が覚めました。そういった体感の夢は普段は全く見ないし、頭が何かでこすれていたわけではなかったので、なぜそのような夢を見たのかはわかりません。母が亡くなって悲しがってるのを母が慰めてくれてるという辻褄が合わない夢は最近、時々見ます。私が悲しんでいるから見かねて夢で励ましてくれているのかもしれませんね。母が亡くなる3週間くらい前、夜寝付きにくくなっている母に邪魔にならないよう端っこで母が寝入るまで添い寝をしていましたが、ある日疲れて眠ってしまった私の頭を自分では起き上がる事もできない母が手を伸ばしてなでてくれたことが一度ありました。亡くなってからも母は私の頭をなでようと気遣ってくれているのかな。お母さんってありがたいですね。
2021.05.28
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夜更かしして朝寝坊した朝、眠りながらも「早く起きて、先延ばししている用事をしなくちゃ」と思っていたからかもしれません、はっきり覚えていませんが母に「こうしたらいいのに」だったのか「これをしたら」だったのか何か言われている夢を見ていたように思います。夢の中で、ゆっくり寝ているけど母の様子を見ずにいいのかと考え、母はすでに起きて近くに座っていると思い夢の中であたりを見回しますが、母はいません。「あれ、いない。そうか、母は実家にいるんだ。それなら安心だけど、様子を見ないと」等といろいろ考えながら目が覚めました。意識していないけど心の中はまだ母がいる時のままなんですね。体験と理屈で理解している事なのに心の中は4年経っても違うんですね。でもそれでいいって思いました。お母さん、不思議な事があったからどこかにいてくれたらどうにかやっていけます。いつも一緒にいてほしいけど好きな事して、たまに私のところに来てくれればそれで幸せです。がんばってやっていこうとしてるから見守っていてね。先延ばしにしていた用事、3つほどしました。母が亡くなってから、いろんな事務手続きがつらくていろんなことを考えると疲れてしまって実家の事などやることもとても多くていろんな用事を先延ばしにしがちです。まだまだ沢山用事がありますが、前進はしました。遠方の方、高齢者へのプレゼントに、置くだけでぱっと華やぎお水をあげるだけで長持ちして喜ばれます。右はお手頃価格送料込みでピックが選べます。
2021.05.18
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新型コロナ蔓延予防の緊急事態宣言中ということもあって今日母の日は特に予定を入れていませんでした。でもほとんど真夏のようなお天気だしたまたま用事で知人に渡す物があり駅前まで出かけたついでに商店街を散歩がてら歩く事にしました。何かカーネーションのお菓子でもお供えになるものが見つかれば、という気持ちがあったからです。すると、お寿司屋さんで手鞠寿司を買ったらカーネーションを1本をプレゼントします、と外にワゴンを出していたのでお母さん、お寿司好きだったから、と買って帰る事にしました。カーネーションは赤とピンクと白にピンクの縁取りから選べ、人気はピンクや白に縁取りですが、やっぱり母の日と言ったら赤いカーネーションなので赤を選びました。帰り道、自転車に乗った20代位の男の子が片手に濃いピンクのカーネーションの袋を持ち住宅街のほうに向かう姿を見ました。今日が母の日だったことに気が付いて急いで買いに来たのかもしれませんね。子どもの頃母や祖母にそんなささやかなプレゼントをするとよく「その気持ちが嬉しい」と言ってくれました。私は子供すぎて、気持ちを喜んでもらうより喜んでもらえる物をあげたい、と思っていましたが、母や祖母は物ではなくて、優しい気持ちが大事なんだよって伝えたかったんだと思います。気持ちを喜んでもらえて、幸せだったんですね。カーネーションをショッピングキャリーに差して歩きながら、私は、母が亡くなった、母の日とは関係ない人だと自分で決めつけていたけど、たった4年前までは母はいたんだし今だってどこかにいてくれるかもしれないしこうやって母に感謝すればいいんだから母の日は関係ないと思ったり母の日を楽しむ人達に遠慮を感じたり自分で決めつけなくていいんだって思いました。家に帰ってお供えするために巾着袋からお寿司を出すと、カーネーションの絵柄のついた「いつもありがとう」と書かれたシールが貼ってあり丁度私が母に言いたかった事だったのでこのお寿司にして良かったと思いました。数時間お供えしてから遅いお昼に頂きましたがこじんまりしていて物足りないかな?と思った予想は外れとても美味しく丁度良い量でした。お醤油やプラスチックの銀色の醬油皿と一緒にエタノール76.9%~81.4%含浸綿が入っていたので、高齢者への手土産の事を考えて対策しているお店なんでしょうね。今日は何もしないよりカーネーションとお寿司をお供えできて良かった。お母さん、いつもありがとう。お母さん、大好き。写真の母は、にこにこしています。お寿司の形のお供え蠟燭です。仕事の都合などで普段は無人の家のお仏壇のお供えにも。透明のケースに入って届くのでほこりがつきません。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.05.09
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