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昨日母の事を考えながら眠ったせいなのかとても鮮明な傘の夢を見ました。鮮やかな丸い赤い木製の持ち手で本体が紺色の晴雨兼用の折り畳み傘を母のために買おうとしています。傘はいくつもあり、でもこの赤が綺麗だからお母さんにと思っています。場面はお店だったり家にある傘だったり変わりますがその中から綺麗なものを母に選んでいます。目が覚めて、ああ、お母さんが生きている時の気持ちの夢だった、夢の中でも母に綺麗なものが選べて幸せだなと思いました。実際は母にあんなに鮮やかな赤い色のものを選ぼうとしたことはありません。ワイン色の靴は選んだことがあります。母と一緒に母の靴を選んでいて普段ははかないワイン色も黒と一緒に買うことを勧めました。母はかなり躊躇していたけどその後良くはいていたので、綺麗な色を履いてもらって良かったと思いました。でもあの傘はどこからあんな夢を見たんでしょうね。1週間ほど前に、晴雨兼用の折り畳み傘は買いましたが見ていた色は全部ピンクとか薄紫とかベージュで、買ったのもベージュでした。夢占いというのを簡単に見てみると傘の夢は吉夢だそうです。それも、応援をもらえる、力がもらえる夢だそう。私が寂しいと思っていたから母が応援してくれているのかもしれませんね。下:知る人ぞしるイギリス王室御用達のビニール傘。深くすっぽりかぶれるので濡れにくく、視界も遮らずに、高齢者へのプレゼントにもお勧めです。とてもしっかりしたビニール傘です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.05.29
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昨日は一人で頑張ってる用事で外出が決まっていたのですが一日中大雨の予報だったんです。外出する早朝はまだ雨は降ってませんでしたが雨に備えてレインコートと長傘を持って出ました。帰りはかなりの荷物があるので傘を差すのは難しいだろうなあ、大雨だったらタクシーにしようかなあ、とかいろいろ心配してました。雨は午前中から降り始めましたが降っている間は室内にいたので濡れたりすることはなく、良かったのですが問題は帰りです。どうなのかなあと気にしていたら、なんと、帰る時間になったら、ぱっと雨が止んだではないですか。荷物もそこまで多くはなく傘も一度も使うことはなく、楽に帰ることができました。外出先の最寄り駅までの道は雨が20分くらい前に止んだという感じだったのですが、私の家の最寄り駅に着いて外に出ると、なんと、電車に乗っている間にざあざあ降りの通り雨があったみたいで、道路も濡れているし、特に私の家の周辺はびしょ濡れでびっくり。見計らって止んでくれたかのようなタイミングで、偶然とはいえ、母が応援してくれているのかなあとほっとしました。下:すっぽりかぶれて濡れにくい上質ビニール傘は丈夫だし視界が広いので高齢者へのプレゼントにも喜ばれます。上:英国王室御用達メーカーでベストセラー下:宮内庁御用達メーカーの逸品。名入れできます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.05.20
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ここのところ用事で忙しく毎日のように朝2時位からの事務作業が多かったため一昨日は夜8時に就寝することにしました。ぐったり疲れて、とにかく寝て疲れをとろうと布団に入る際にちらっと頭の中で、「お母さんは大丈夫だよね」と確認したのでああ、まだ介護している気持ちが残っているんだなと思いました。私が先に寝てしまうと母は動けない、水分もとれない、トイレにもいけない、でも調子が良いときにふっとつかまり立ちが出来ることがあり、その後バランスがとれずに頭からばたんと倒れるのでそんなことがあったら大変です。なので当時は母の事第一という強い気持ちで暮らしていて、寝るときも母が眠りについたのを確認してからだったのでその気持ちがそのまま残っているんだと気がつきました。こんなふうに、たまにまだ母がいたときと同じ気持ちにほんの一瞬なる時があり、母がいるときの気持ちなれて嬉しいなと思います。ちなみに母が亡くなってから2年くらいいろいろあった不思議な事は今はほとんどありません。たまに、偶然だろうけど不思議だな、と思うことは時々あります。それについてはまたゆっくり書きますね。母はきっと見守っていてくれると思ってどうにかやっていきます。
2023.05.19
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今日5月14日は母の日なんですね。母が亡くなってもう7回目の母の日なのであんまりいろいろ考えないようにしてますが、今年も仏花はちょっと豪華にそれから鉢植えのお花、そしてお供えいろいろとやっぱりお祝いはしています。仏様にはお線香の香り、蝋燭の灯り、お花の香りお水、ご飯の湯気が届くのだそうです。今日は特別な日なので和菓子の蝋燭の灯りもお供えしようと思います。可愛い季節の和菓子の蝋燭が12ヶ月分入っています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.05.14
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先ほど、コーヒーを入れようとしてあれ、ガラスのコーヒーポットがないと気づき一月ほど前に誤って落として割れてしまった事を思い出しました。コーヒーポットとかティーポット、急須って毎日洗うし、形があちこち出っ張っているのでちょっとぶつけて壊しやすいものだと思います。私も気に入ったものを見つけては普段使いのものは2年に1回位の割合で壊してしまい買い替えているのかも。先日割ってしまったのは、6年前に実家の片づけをしているときに棚に仕舞いぱなしだったのを見つけたものです。銀行の英字ロゴが印字してあって、20年かそれ以上前の貯金かなにかのプレゼントだと思われます。当時はこんなプレゼントがよくありましたが、今はほとんどないですよね。良い時代だったのかもしれませんが、銀行の名前付きのポットなんて今時誰も欲しがらないのかもしれません。ガラスの外側に派手な山吹色のプラスチックの枠がついていて可愛らしい形なのでで、たぶん私が喜ぶだろうと、母が嬉しそうにもらってきたのが目に浮かぶようだったので、せっかくだからと間に合わせに実家から持ってきたものです。2年間、母を思い出しながら使っていました。間に合わせのつもりで使っていたけどたとえそれがあまり趣味に合わない粗品でも母を思い出すものが少しづつなくなるのは寂しいなと感じて、好みのものを買おう!とは思えないものですね。でも反面、母が大事に思っていたものをどんどん使って、大事に思っていこうとも思っています。本当は母に使って欲しかった。でも仕舞い込んだら20年位平気で経ちますし、母を大事に思っている人は私なので母を想いながら私が使うのが一番良いと思うんです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.05.10
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ここのところお出掛け続きだったので今日は家で用事をしていたのですが、少し散歩してこなくちゃと夕方外に出て、お店などに寄りながらぐるっと大回りして歩いてきました。家に着く直前にふと南側の空を眺めると目の前にほぼまん丸の明るいお月様が出ていて、あ、お母さん、見守っていてくれているのね、と思いながら、ちょっと安心した気持ちになって家に戻りました。それから夕食をつくり、父母にもお供えをしました。それからいろいろ家事をしていたらもう真夜中になったのですが、夕方買ってきたつるすタイプの虫よけをかけておこうと、まず玄関につけそれから南側の窓を開けました。するとやはり目の前に明るいお月様が見えました。あ、お母さん、居てくれるている、と思いながら虫よけをつけていると気のせいかもしれないけどうっすらと、流れ星も見えてなんだか幸せな気分になりました。実はその日、とても成功された方が素晴らしい景色の家を公開する写真を見たのですが、私の家の窓からもこんなに綺麗なお月様が見られる素敵な景色があるんだって気がつきました。そういった、身近な幸せに気が付いて感謝することは母が私が子供のころから伝えてくれていたことの一つでした。そういうことを考えながらふと気が付いたことがあります。さっき帰ってきた時から3時間経っているのにお月様の位置が少ししか変わってなくてずっと南の空に見えていたことに。帰ってきたときふと見上げた位置になければ建物に隠れて、お月様は見えなかったし、窓を開けた時間がもう少し遅かったら、またこちらも南の窓から見えなかったと思うんです。だからたまたまだけど、お母さんが見せてくれたのかなって思うことにしました。下:最近見つけた綺麗な便利グッズ。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.05.04
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はっきり覚えていませんが、1年かそれより前位前に実家に滞在していた時に途中まで書いたものです。時々風の音で目覚めていたので縁側のほうを気にしていたからかもしれませんが、幼い時、朝、母が「ちょっとこっちにきて」って明るい縁側に私を呼び、お湯でしぼったタオルで顔を拭いてくれていた事を思い出す夢を見ました。そういえば、そうだったなあ、って思いながら目を覚ましましたが、よく考えると、本当にそうだったのかはっきりと記憶に残っていません。夢で見たから実際そうだったように思い込んでいるのかな、それとも、介護中、朝母の顔をお湯で搾ったタオルで拭いていたから、それが夢に出たのかなと可能性をいろいろ考えました。なぜあれこれ考えるのかというと、母の事は小さな事も忘れないようにしようと思っている反面、間違った記憶を残したくなかったんです。当時母は仕事をしていて忙しかったから私の顔をお湯で拭いてくれる時間はなかったのかも、祖母が拭いてくれたような気もするのですが、忙しいのは、朝、朝食の支度や洗濯をしていた祖母も同じです。当時の朝の時間を思い出していくうちに、お湯でしぼったタオルで顔をふいてもらった感触がよみがえってきて、すっかり忘れていた縁側に出て顔を拭いてもらった記憶が少しづつ蘇ってきました。一般家庭で蛇口をひねるとお湯が出るようになったのは給湯器が普及しはじめた1980年以降からの話で、それ以前は大抵の家は後付けのガスの瞬間湯沸かし器を使っていました。瞬間湯沸かし器の発売は1965年、普及は1970年位で、家でも設置は1969年頃なので、私が幼児の頃は朝の洗顔時は冷たいお水を使っている人がほとんどでした。蛇口からお湯が出てくるのはホテルや旅館や病院等の一部施設だけだったんです。(関東での話です。北国ではお湯が出る場所はもっと多かったかもです。)すっかり忘れていましたが、寒くなってくると、「朝、顔を洗うのがつらい~」とか「指先でちょびちょびっと洗う」みたいな会話が当たり前のようにありました。丁寧に顔を洗いたい人や髭剃りをする男性はお湯を沸かしたり保温ポットに入れたお茶用のお湯を洗面器に入れて使っていました。当時私はまだ幼くて自分で顔が上手く洗えないので祖母や母がお湯を絞ったタオルで顔を拭いてくれていたんでしょうね。その際、綺麗に拭けるように南向きの明るい縁側で拭いてくれたのでしょう。熱すぎないようにタオルの温度を確かめて拭いてくれたのを思い出しました。最初はガーゼとか手ぬぐいを使ってくれたのですが、真面目な祖母はしっかり拭こうとして子供にはちょっと痛かったので、そう言うと、肌触りの良いタオルに替えてくれました。今思うとお母さんやお祖母ちゃんに暖かいタオルで顔を拭いてもらうなんて幸せだったんだなあって思います。そしてさらに思い出すうちに、父が生きていた時は朝忙しい祖母や母に代わって父だった事も思い出してきました。父にはとても可愛がってもらってまた父もとても子煩悩で面倒見が良い人でした。夢のおかげで忘れていた遠い記憶が思い出せて良かったです。タオルで顔を拭いてもらってから年月がすぎ、その記憶を忘れてしまった頃、今度は私が母の顔を拭くようになりました。母が倒れて意識が朦朧としたまま入院していたとき、好きなお風呂にも入れないから、毎日タオルで顔と体を拭き、週に1~2度ドライシャンプーをしていました。温かいタオルを顔や頭に当てたり体を拭いたりすることで良い刺激になったと思いますし、退院後も毎朝お湯を絞ったタオルで顔を拭いていたので気持ち良いって思えてもらったと思います。退院してからは、毎朝お湯で絞ったハンドタオルで顔を拭きました。毎晩、石鹸とフェイスブラシで洗顔していたのですが、朝はその時間がとれないので、おしぼりのようにしたタオルで拭いていたんです。柔らかいタオルが気持ち良いだろうと思ったので素敵だったので使うのがもったいなくて大事にとっておいたふわふわのキャス・キッドソンのハンドタオルを主に使っていましたけどそれができて本当に良かった。ほんの少しだけ恩返しができちょっとほっとしています。そして幼児の頃、お世話してもらった暖かい思い出を、夢の中で思い出せて良かったです。忘れていた記憶が夢に出てくるのは普通にあることかもしれませんけど。母が思い出させてくれたと思う事にします。キャス・キッドソンのプリントはこんな感じです。このエコバッグは本体と一体化した持ち手なので重さを感じにくく持ちやすいんです。キャス・キッドソンはもうタオルを販売していませんがこちらもふわふわもこもこで吸水力が高い、『ガイヤの夜明け』でも取り上げられたメーカーのもの。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.05.02
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大切な楽しい祝日だった母の日が関係ない事となってもう7年目になります。仕事を始めてからは母の日は張り切ってプレゼントを探しました。大抵、お花とお菓子に加えてその時によって洋服・パジャマ・バッグ・帽子等そして旅行だったり食事だったのですが、母が亡くなってからもお花を実家のお仏壇に届けたり私の家で飾ったり、母に似合う洋服を買っちゃったりいろいろしてました。でも今年は、そろそろそういうことはやめようかと思っていたんですけど、先日仏花を買いに行ったデパートのお花屋さんで以前母にプレゼントしたような蘭があったので買うことにしました。綺麗な鉢に入ったギフト用だからそのまま飾れてちょっと素敵な雰囲気に。でもそれだけじゃなくて、仏花は白黄赤紫と賑やかでそれはそれで華やかですし、1年中赤いカーネーションが入っているのでお供えするたび、ほっとします。あれもこれもってきりがないけどとりあえず、綺麗なお花を母の日にお供えできて良かったと思いました。
2023.05.01
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どうという事のない、しばらく前の話です。朝目が覚めて、トイレに行こうと起きようとした時、「お母さんをトイレに連れていかなくちゃ」って無意識に思って久しぶりに母がいた時の気持ちになりました。当時は朝7時半ごろ出勤で慢性的に睡眠不足で疲れていたので、朝一番の大事な事が、1.起きる!2.先に自分がトイレに行ってから母をトイレに連れていくだったので、その日、用事がいくつかあるから、起きる!&トイレで思い出したのかもしれません。朝の介助については別に書いていますのでこのブログの右端を下のほうまでいったところにある検索欄で 介護 朝 と入れてみてください。またはこのブログの介護のカテゴリーを見てみてください。介護中の方のご参考になることがあるかもしれません。その数日後位には、祖母が朝服を着ようとしているので手伝おうとしたら、自分で着られるのでほっとして祖母の体をいたわろうと腕をなでる夢をみました。母の手や腕や頬などもよくなでていて未だに撫でたい、抱きしめたい、抱っこしたいと思っているからだと思います。祖母は思ったより背が高くまっすぐ立っていて皺が寄った肌ですが、しっかりしていて安心しました。祖母の夢をこんなにはっきりと見ることは少ないので嬉しかったです。たぶん未だに何かしたい気持ちが続いているのでしょうね。祖父母の介護はすべて母がしていて、私がしたことは子供がするようなことだけでした。薬の封が切れやすいように切れ込みをいれたり、当時はトイレットペーパーは薄く、また祖母には切りとりにくかったのでふわふわで厚みがあるチリ紙を取りやすいように数枚ずつ重ねて折って箱に重ねたり、母が祖母のために考えたことをちょとお手伝いしただけでした。あとは祖母の退屈しのぎになればと時々絵本を読んだけれどあれは聡明な祖母が私に付き合ってくれたのだと思います。そのほかにもちょっとだけ子供なりにいろいろしたけどみんな祖母が付き合ってくれたんですよね。だからもっと何かしたいっていまだに思います。昨日あたりみた夢にはやはり母を介助する夢だったのですが、母が何か私に話した夢だったので母と会話する夢は久々で嬉しく忘れないようにしなくちゃと思ったのに今思い出そうとしても思い出せません。横になっていた母が、何か気軽に私の気持ちが楽になるようになることをちょっと面白く言ってくれたんですがなぜ忘れてしまったのか。思い出せないという事は夢を通して本当に言ってくれたことだからかもしれないと思っています。上:この花屋さんはネット通販がない時代から郵便局の通販で利用していましたが品質も配送も安心でき価格もお手頃です。
2023.04.28
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いろいろ書くことはあるんですが、母の7回忌で気持ちが落ち着かなかったところにいろんなつらいニュースがあってあまり気分があがらなかったのに、今月は特にいろんな事がいろいろあってお出かけ続きで手一杯で、ブログも書ききれず下書きに入れっぱなしになっています。少しづつアップしていきますね。これから5月にかけて、母の日キャンペーンとかゴールデンウィークの家族旅行とかいろいろつらくなる時期なんですけど思いがけずに楽しい予定が次々入っているので元気にやり過ごせそうです。母の日に、お世話になった方に置くだけでぱっと玄関が明るくなる寄せ植えを。
2023.04.23
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以前はデパートにいくたびに仏具屋さんに寄っていろんな香りのお線香やら蠟燭やらを次々買っては実家に持って行ったのでお線香も蝋燭も沢山あると思い込んでいました。ところが今回、母の七回忌で実家に滞在した際4~5箱しかないことに気がついたんです。実家では沢山お線香をあげるしお墓参りでも沢山使うので、一箱を使い切るのが早いんです。そういえば最近は、仏具屋さんにしょっちゅう寄ってお線香ばっかり買うのもあんまり良い事ではないなあと思い始めていて立ち寄るのを控えていたから、最近実家にお線香を持っていかなくなっていたんですね。母が亡くなって数年はお線香ばかり購入していたので、実はこのブログでも、20種類位のお線香の香りなどについて書いていたんですけど、あまりそういう話ばかりでも、と消してしまっていました。久々に行ったお店は品揃えはそんなに変わっていませんでしたがお線香は常時30種類位は揃っているので次回実家に行く際にいろいろ買っていこうと思っています。下:素材が違うので上品な良い香りの老舗香堂のオンラインショップ。紙箱の普段使い用などいろいろあります。お使い物にはここなら間違いありません。でも下のような可愛らしい香りのものも良いですよ。私はその時の気分や特別な日で使い分けてます。貴重な天然香木を使っている上記のものと違いお値段もお手頃ですが、このメーカーさんのものは香りがきつくなくてとても良いです。上:カーネーションの香り下:いろいろな優しい花の香りのお試しサイズ。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.04.14
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母が亡くなって6年が経ちました。無意識のうちに、母にこれ買って帰ろうとかこれ食べられるかな、なんて思うことも、母が待ってるから早く帰らなくちゃとか様子見に行かなくちゃと思うことも最近はほとんどないし、母が遠くなったようには思いますが、それでも夢などで、当たり前に一緒にいたりします。でもそれも、後ろ姿だったり、直接会話していなかったりやっぱり少し遠くなっています。以前のように毎日わんわん泣くこともないし、歩いていて涙がこぼれてどうしようもないこともなく、睡眠も食事もよくとれていますしいろいろあった不思議な事もほぼないのですが、お天気がなぜかとても良くなるのは続いています。その話はまた別に書きますね。でも不安とかどうしたらよいかわからない気持ち、書類が手につかない自分の事ができない等は続いています。そして母がいないことは未だ受け入れられないし受け入れたくないし、いて欲しいと思う気持ちは変わりません。6年じゃ、まだまだつらいんだと思います。どこを探しても母はいないしいつまで待っても帰ってこないしいなくなったのかなあって思うんですけどでも、偶然でもお天気の事でもちょっと不思議な事があるのでいてくれるのかもしれないと思ってどうにかやっていっています。7回忌の話はまた少ししてから書きます。やっぱりつらくて、簡単に書けません。
2023.04.08
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ネットニュースで、海外のまだ目があかない赤ちゃんがお母さんに左右のほっぺ、そして鼻に軽くキスされると嬉しそうに、にこっと笑う動画を見ました。天真爛漫な笑顔でした。生まれて数週間なのか、目も開かないし何もわからないのに、キスされると嬉しいし楽しいんですね。鼻にキスされて笑ったのでちょっとくすぐったいのかな。母も晩年、とにかく大事にしたくて、何でもしようと思っていて、「お母さん、大好き。」と言ってほっぺにキスしたら、「嬉しいね~」と言ってにっこり笑ったことがあります。多分、娘が素直に母を大好きと言ってくれた事を母親として喜んだんだと思います。母のほっぺにキスして、コメントが返ってきたのはその時だけで、あとは真面目な顔で何か言いたそうに毎回しばらくしていました。(失語症になったので考えると言葉が出ませんでした。ぱっと無意識のうちに出る言葉だけ言うことができました。)多分、充分に介護しているから自分の事をちゃんとして幸せになりなさいと言いたかったんだと思います。まだ元気なときに、いつもそんなことを言っていました。お母さんってありがたいですね。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.03.30
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最近気候の差が激しく気圧のせいなのか、いろいろ頑張りすぎたのかわかりませんけど、やる気が出ずに疲れて眠くて2日間、ほぼ何もせずに寝ていました。風邪か何かだといけないと思って最初の1日は特に安静にしていたのですが、寝たら良くなったので疲れだと思います。数日前、親族が亡くなったりとやっぱりそういうことがあるとぐったりしちゃいます。やらなければいけないことがいろいろありますが、あまりがんばりすぎずに時々お出かけや外食などをしてリフレッシュしながらやっていこうと思っています。下:ちょっと元気だそうとお供え用に昔ながらの楽しいお菓子を買ってきました。母にも食べてもらった事があるので良かったです。コーヒー紅茶緑茶に合って1つで満足感があるボリューム日持ちがしてやわらかいのでご年配の方にも。菓子折のサイズはいろいろあります。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.03.27
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もう数年前からだけど、時々、「もうお母さんいないのかな」と思います。母は消えていなくなっちゃって母という人はもうどこにもいなくて過去の人になってしまったのかな。そこで思うんです。いないと思ったら本当にいなくなっちゃう。とりあえずはそう思わないでいこう。それがいいのか悪いのかわからないけど母は亡くなりたくはなかったし母が亡くなった経過についても納得できないことがいくつかあって簡単に諦められることじゃないんです。それに、偶然にしては不思議な事が続いたのでどこかにいてくれると思い直してやっていける。母にお礼もお詫びも言い足りてないし伝えたいことは沢山あるし抱っこしたいし抱きしめたいしもっともっと大事にしたいけど、母はよくわかってくれていると思うんですね。毎日つらいし毎日母の事を思っているけどうずくまって、何もしないでいたらいけないと思ってどうにかいろいろやっていっています。自分の事はできないのに親族や他の人の事を気遣ってばかりなのでもっと自分の事をちゃんとしていく方向をむこうとしています。一生懸命したことのお礼なのかなあという不思議なことも何度か経験しているのでどうにかやっていけます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.03.15
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早朝から雪の1日でした。暖房を強めても家自体が冷え切っているようです。寒すぎたので暖かい布団に入ってお昼寝をしたら、母がどこか遠くの海外の会えない場所に越してしまった夢を見ました。母が海外に引っ越すなんてそれこそ夢にも思わない事ですが、お昼寝前に友人と電話していて海外旅行は為替高もコロナ禍もあって当分行けないよね~、と話したからだと思います。夢の中で、母が引っ越したから会えなくなったと悲しく思っていると突然母からの手紙が郵便で届き、あ、手紙を書けばいいんだ、母と交流できるんだってほっとしました。母からの手紙は大きめの白い封筒に入ってインクなのか筆なのか宛名は大きく書いてあり封筒自体は遠い所からきたためか外が雨だったためか少しよれよれしていました。大きめの封筒でよれよれしていたのはお昼寝の前に宅配で大きめの封筒に入った届け物があってそれが雪で濡れていたからだと思います。夢の中で手紙を開くと筆書きのような字が途中から大きく乱れていて文面も途中からわかりにくくなっていて、お母さん、もう文章が上手く書けなくなっているんだなあ、年をとってきてそうなったよね、あんなに筆まめだったのにそのうち手紙も書かなくなったよねって思い出しているうちに目が覚めました。母と手紙で交流できると夢で気がついた時の嬉しさがずっと心に残ったので忘れないように書いておきます。手紙の内容はいつも母が書いていた元気でいるように、体に気をつけて、そんな内容だったと思います。お昼寝の前の話がいろいろ入った夢だったけど、でも、もしかしたら、母がちゃんといるんだよって言ってくれたかもしれません。会えないけど、心で会話しているし母の言いたいこともよくわかっていますし。母はどこか会えない場所に引っ越しただけと思えばその場はどうにかしのげるかもだしちょっとほっとできました。でも最近の母の夢は、母が直接出てこない事が多いし母と話す夢はほとんどないので少しづつ遠くなっているようで寂しいです。
2023.02.11
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今日は白菜を入れた牡蠣鍋にしました。ついでに白菜で即席漬けを作りました。3日目位から食べられます。添加物なしで即席漬けが美味しく簡単につけられる容器と塩を見つけてから3種類位のお漬物を常備しているのでとても楽です。即席漬けについてはまた書きます。昨日出かけた事もあって今日は何となく出不精で夜になってしまったのですが少し外を歩こうと、散歩に出かけました。すると正面の真上に満月が綺麗に出ていて、ああ、これは母が見守ってくれているんだなあと思いながら、いつもとちょっと違うコースを歩きました。すると思いがけなくお月様がずっと真正面の頭上にあるんです。まん丸のお月様にはいつも気持ちが助けられています。お店には寄らないようにしよう、買い物しないようにしようと思いながら出かけたんですが、お供えの花とか、お墓用の造花とか母が喜んでくれたあまおうとか出かけたらいろいろ買うものありますね。苺は自分だけが食べるのはなんだか贅沢な気がして安くなるまで待っていました。美味しいのでいつもあまおうにしてます。とっても大きな苺、後で、いただくねって笑いながらお供えのを頂く予定です。母は楽しそうに笑ってああいいよ、って言ってくれるでしょう。剥いてある生食もOKの水パック牡蠣。お鍋に入れるだけ、焼くだけで簡単に調理できます。牡蠣は栄養たっぷりで柔らかく食べやすいので高齢者への贈り物にぴったり。冷蔵送料込みの2個セット。画像をクリックすると詳細が見られます。
2023.02.05
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5年半以上経って自分でも元気になってきていると思うし、泣くのもたまになったけど毎日母の事を考えているのは変わりません。一番考えるのはお母さん、消えていなくならないでねという事。母がどこかにいるのであれば母の為に気持ちが落ち着きます。それがただの望みなだけなんだろうなあとはわかっているけれどそれでも願い続けています。次に思うのは、もっともっとあれこもれも母の為にしたいなあという事。したかった、というのもあるけど今もしたいなあと思う。美味しいものを食べてもらいたい褒めたい感謝したい抱きしめたい抱っこしたい全部沢山したけど、こういうのは充分ということはないから未だにあれもこれもしたいと思うのでしょう。どちらもどうしようもないことなので少しづつ進んでいくしかないのだと思います。
2023.02.02
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14日の朝、目が覚めたけれどそのまま考え事をしている時、部屋にいるまだ元気な頃の母の事を思い浮かべながら「お母さんが来ているから」と繰り返し考えました。自分では起きているつもりだったけどまだ覚醒し始めで時間にするとほんの1~2秒の間の夢だったと思います。母が来ていると思いながらもあれ、おかしいな、と思って繰り返し母が来ている事を考えて、3度目位で母はもういないのだと気が付きました。何かが違うと途中で気が付いたので「お母さんが来ているから」とまでしか考えませんでしたが、「お母さんが来ているから」どこかへお出かけしようとか、美味しいものを作ろう、食べに行こう、とかあの頃いつも考えていた気持ちを思い出して楽しい計画を建てようとしてたんだと思います。目が覚めてから、5年半も経っているから、母の夢もいないことに気づいてしまうのかなと寂しく思いました。ところが翌日明け方にまた母の夢を見たんです。その夢はほとんど覚えていないのですがたしか、介護中の母がいて、いつも通りにあれこれ介護して幸せに過ごしている、そんな夢で、「ちゃんと母がいる夢が見られるんだ、良かった」と思って目が覚めました。不思議な事はずっとありませんが、出かける時はいつもお天気が良く雨に降られることはほとんどないし降ってもすぐ止むのは続いていてそれだけはちょっと不思議だなと思います。母にはずっといてねと思っているし幸せでいて欲しいと願っています。お供え等は毎日欠かさず続けています。毎日青汁もスムージーまでお供えしてるのでお腹がへることはないと安心しています。
2023.01.17
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いつも母の事を考えてはいるんですけど年が改まる時期なのか数か月ぶりにとても悲しくなり、もう何年も前だけど不思議な事があったから蝶々の話はどう考えても不思議だからやっぱりお母さんいてくれると思って落ち着きました。蝶々の話は以前何度か書いているので右下の検索(右上ではなく右下のほう)でこのブログ内にチェックを入れて検索すると出てくると思います。今回は考えている時に1つ発見がありました。毎回蝶々が動かなかったことと叔母の命日の時は座布団に、母が亡くなったあとは母がいた場所に蝶がとまったことが以前から気になっていました。それで何度か調べたら蝶々は危険を感じると動かなくなるそうで、又、匂いのある所にとまる傾向もあるという事でした。動かなかったのはそれで辻褄が合い、蝶々が止まった場所も・私の家の座布団・実家で母が座っていた椅子の前のテーブルクロス・私の家で母が座っていた椅子の頭があたるところだったので、どれもカバーはこまめに洗っているけど匂いがかすかに残っている可能性はあるのでそれが理由かと思っていました。けれど、今回気が付いたのですが、匂いがあるところにとまるのなら私が現行で使っている椅子にとまるはずなのに、3回とも私の椅子ではなく叔母の命日には座布団に母が亡くなってからは母のいたところにとまったことです。実家でテーブルクロスにとまった時は、母がよく使っていた他の椅子にも母が座っていたこたつテーブルの椅子にもとまらずその椅子のすぐ前のこたつカバーにとまりました。あえて椅子にとまらなかったのは、その時には既に私が椅子を使っていたので椅子は私用にあけてくれて(蝶がとまっていたら座れませんから)近くにとまってくれたのだと思います。他にも椅子はあるのに3回とも私と対話するような場所にとまりました。やっぱりちょっと不思議かも。わざわざ会いにきてくれたように思えます。蝶々が普段は来ない場所に来たという話は他に3人から聞いています。不思議な事があるのなら母は消えてしまったわけではないかもしれないし今も幸せでいてくれるかもしれないので少し安心できます。
2022.12.30
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昨日、お昼寝をしていたら母の夢を見ました。玄関の窓から見える、杖をついて歩くお年寄りが少し母に似ているのですが、でも母とは違うなあ、母に似ている人はいないなあと最初思います。でも、考えてみると、黒いモックネックは母もよく着ていた時期があった、もしかするとお母さん?とよくその人を見ると、母のようなんです。あ、あれはお母さんかも、お母さん、いるんだ!「お母さん、お母さん!」と後ろから呼び止めようと急いで玄関から出ると、真直ぐのゆるい下り坂の細い一本道でず~っと先が山の端に繋がっている所まで見えるのになぜか母の姿は見えません。なぜいないんだろう、わずか数秒で見失うなんてここから見えるはずなのに、と見渡すと、向こうから紺色に白い丸襟の服を着たほっそりした若い女性が、赤ちゃんをおんぶしてやってきました。道の反対側からは、学校帰りのような子供達が次々と楽しそうにやってきます。小学生、中学生位の子供達。随分子供たちが通るなあと思っているところで目が覚めました。あの赤ちゃん連れの女性は若いころの母だったのでしょうか?若いころに戻って幸せに過ごしているんでしょうか。こじつけなので深くは考えませんが、いつもとちょっと違う夢でした。
2022.11.29
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いつまでも母の事を考えて辛い気持ちできるのはどうなんだろうと考えていました。だけど、母をとても大切に思っていたからつらくて当たり前なだけ、とシンプルに考えたら、すとんと腑におちました。母がくれた愛情の分だけつらいからそんな簡単に元気になれなくて当たり前なんです。母がくれた愛情の大きさは宇宙位大きかった、そう思ったら、ちょっと笑っちゃったしさ、がんばろう、って思えました。5年半以上経ったから思える話かもしれないですね。母が亡くなって1年位は毎日わんわん泣いてました。だから元気になっています。来月は12月ですね。初旬ですけど、友人知人との外出予定がいくつか。新しい暖かいおしゃれ着も用意しました。美味しいもの食べようと思ってます。下:α波の出る癒し系BGMクリスマス曲いろいろクリックして入ると、下の方に視聴コーナーあります。上下:オルゴール曲。下:アコースティックのカフェ風他にも上のお店にはジャズ風とか沢山の癒し系CDが揃っていて全て試し聴きできます。下:ファンってわけじゃじゃないけど、楽しいBGMにぴったりです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.11.26
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昨日は朝から晩まで外出していて疲れてましたが今朝も朝一番で出かけなければなりませんでした。一旦5時半に起きて、眠気覚ましに早朝出勤中の友人と電話でおしゃべりしたのになんと眠くなって、ちょっとだけのつもりで横になったら目覚ましが鳴っても起きられない!何度も何度も目覚ましを5分後、10分後にかけなおし、さすがに起きなくちゃと思いながらも寝ていたら「お母さんの事しなくちゃ、お母さんいるのに」と5年半ぶりに母がいる時の気持ちに夢の中でなって起きる事ができました。当時は仕事しながらの全介護で母の症状のことや介護や自主リハビリの事で夜中自分の時間が出来てから調べることが沢山あり、寝るのは1時半か2時で朝起きるのが毎日つらかったけど母のお世話をしなくちゃと、頑張って起きてました。朝は、母のおむつがぐっしょり濡れて不快だろうと思われたので、少しでも早くトイレでお尻を洗って乾かして綺麗なおむつに替えて気持ち良くなってほしいとまずそれが一番でした。無意識に思い出したのでしょうけど、こじつけかもしれないけど母が起こしてくれたようで間に合う時間で出かけることができました。行かなくてはいけなかったのは、偶然ですが、母が脳梗塞になってから経過診察と薬をもらいに通っていた病院に健康診断の結果を聞きに行ったので、もしかしたら心配した母が起こしてくれたのかもしれませんね。体の事をすごく気にしてくれる母でしたから。母はもういなくなっちゃったのかなあって悲しくなることも多いですけど、やっぱりいてくれるのかもしれません。世の中には不思議な事は沢山あるみたいだからどこかにいてくれることだってあるのかもしれないと思ってやっていきます。
2022.11.17
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私が10歳位の時にはもうやっていなかったのですが(保健所の許可とか高校生が販売するという問題?)幼い頃、近所の高校では文化祭の時だったと思うのですが甘味喫茶を出したり、手作りの物を販売して近隣住民のちょっとした楽しみになっていました。私は子供すぎて、それが文化祭かどうかもいつやっているのかも、全く頭になかったのですが、週末いつものように母が出かけるからと帽子などの支度をしてくれ一緒について行くと(期間は冬でした。暖かい服装で行った覚えがあります。)行先は普段は縁のない高校で、なぜか教室の中が喫茶店になっていたりお店になっていたりして、ちょっと夢の中のような不思議な感覚がしたものです。そして私は、「あれ、ここ、ずっと前にも来たことがある」「その時もこれを食べた」「学校でお店をやっているの???」と思いながら、制服の上から割烹着を羽織った大人(幼稚園児から見ると)の生徒さん達にお給仕されて、湯気の立つぜんざいとかお汁粉を頂きました。親切に何度もお茶を持ってきてくださったり、「お汁粉をこぼして制服を汚しちゃった」と言う生徒さんを母がとても心配していたり「大丈夫、すぐ洗ったから」という答えがあってハンガーにかけた濡れた制服を見せてくれて「乾けば大丈夫」と体操着姿の生徒さんが笑っていたりの会話を今でも覚えています。美味しかったので、又行きたいと母に言うと、「あれは特別な時にだけやっているのでもう終わって今はやっていない。また来年行こうね。」と言われてなぜすぐ終わってしまうのか、なぜ来年ならやっているのかなと不思議でした。私は学校の中に通年営業の食堂があるのだと思っていたんですね。4歳とか5歳で、文化祭という言葉も知らなかったころです。最初の頃は祖母も一緒に来た時があったような気もします。祖母は着物と道行コートを着ていました。年配者のお出かけ着が着物だった時代です。丁度TVのサザエさんの時代ですね。喫茶コーナーが早く終わるので先にぜんざいとかお汁粉を食べてそれから手作りの作品を見ました。教室いくつかでは販売もしていて順に見られるように通路を空けながら木の机がくっつけて並べてあり、そこに生徒さん達の販売作品が値札をつけて平置きしてありました。布小物、革細工、色とりどりの綺麗な形のキャンドルなんかが記憶にありますがいろんなものがありました。母はいつもいろいろ必要のなさそうなものまで買っていて生徒さん達は自分の物が売り切れて良かったとか口々に喜んでいました。今思うと、生徒さん達を応援するつもりだったんでしょうね。皆楽しそうににこにこして笑いが絶えない一日でささやかだけど幸せな時間だったんだなって思います。下:餡子には定評のある老舗、榮太郎のレトルトお汁粉無添加のあわ生麩を入れれば即席あわぜんざい。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.11.07
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お歳暮の広告を見てお中元お歳暮のやりとりももうすっかりしなくなった事に気が付きました。母が元気な時は、デパートのカタログと注文票を片手に熱心にお歳暮カウンターに通っていてそれがまた母の楽しみの一つでもありました。今でも、お歳暮売り場の奥のカウンターを覗いたら背中が丸くなった母が杖などを傍らに座って店員さんと相談しながら、あの人にはこれを、この人にはどれがいいでしょうかとか言いながら選んでいるような気がします。母がもう自分では選べなくなってからは親しい親戚達には何が良いのか直接ビールの銘柄まで好みを聞いて送るようにしてました。送り先によっては鉢植えなども送っていてお花を選ぶのも楽しみの一つでした。でもそれも、母が亡くなってからはお使い物はしても、お中元お歳暮はどんどん減ってほとんどやりとりがありません。高齢の親戚達にはこちらから大変だから送らないで大丈夫と伝えました。寂しい気もするけど、そのほうがお互い無理に定期的にあちこちへ送って使いきれない食品のセットとか一度に届いて置き場所に困るなんてことがなくて良いのかもしれませんね。お使い物は必要な時にお届けすればいいわけなので。そして、お付き合いが希薄になってきたからこそ頂き物をしたときはわざわざ選んで贈ってくださってありがたいなあと以前に増して思います。
2022.10.21
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母が亡くなって5年半、未だによくわけがわからないしどうしたらいいかわかりません。母が亡くなったのが急だったので納得いかないし、認めたくないんでしょうね。亡くなるまで睡眠も最小限で母のために何かできる事をと無我夢中で走り続けてきたから、急に母が亡くなって体も心も頭も疲れ果ててどうしたらいいのかわからないのでしょう。母が亡くなった事はわかるけど気持ちは受け入れたくないし辛すぎるので見つめないでぼかしてる状況。それで前に進もうとするからこんなに疲れるんでしょうね。でもどうにか少しづつ1歩1歩歩いています。つらすぎるからあまりあれこれ書けないけどどうにかやっていっています。明るい気持ちになりたいから楽しそうな話をいろいろ書いているけどでもいつも母の事を考えていていつも母に消えていなくならないでとお願いしていて5年半たってもそんなに変わりません。でも食事も普通にできるようになったし音楽もテレビもまあ普通に楽しめるようになったしわんわん毎日泣くこともなくなったし歩きながら涙がこぼれる事もほぼないし自分の服を楽しんで買うことも多いし母に似合いそうな服を買うのはたまにしかしません。ぐっすり眠れることも多いし毎秒考えていた母の事は今は30分置き位になりました。これね、大きいんですよ。前に進んでる証拠ですし、その間頭も気持ちも休めているわけですから。ちゃんとできているのは毎日の御膳のお供えです。頑張っていかなくちゃね。母に喜んでもらうためにも、とはいつも思ってます。いろんなケースが書いてあって自分とは違う場合でも参考になる話が沢山あります。静かにアドバイスをもらっているような一緒に考えてくれているような本です。答えがバンとあるとか気の利いた言葉が一言で出ているというタイプの本ではありません。じっくり考えたい人向けかも。こちらも参考になりました。本も字も大きくて読みやすいです。こちらのほうが具体的な内容です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.10.16
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先日、全国的に大雨をもたらした大型台風が温帯低気圧になる直前に通過する日、知人の都合でお宅に伺うことになりました。大雨に備え、レインジャケット姿で傘を持ってバスで行きましたが知人宅につくまで雨は降らずに楽に行けました。でも到着後、すぐ雷を伴う大雨になり、室内で知人の片づけの手伝いをしている間ずっと降り続いていたんです。半日ほどで手伝いが終わりお礼に夕食をご馳走していただくことになり大雨だったのでタクシーで行くことに。雨だから配車に時間がかかるかもと心配しつつタクシーを呼ぶとすぐに到着し、乗る時は雨が一時的に上がり降りる時にまた上がって乗り降りが楽でした。食事を楽しんでいる間中窓からは吹き付けるような雨が見えていたのですが、ゆっくりデザートまで食べてタクシーに乗る時は雨が上がっていてその日一日中、台風で大雨だったのになぜか外に出る時は上がっていて傘いらずでちょっと不思議でした。昨日も雨模様だったようですが、お昼から夜にかけて私が外出している間はずっと雨があがっていて傘なしで快適に行動できました。昨日は気温も急に下がり肌寒かった日だったんですが、湿気があったので私は半袖のワンピースに雨が降った時のためにレインコートを羽織ったので寒さは全く感じず、室内室外共にとても快適に過ごせたんです。追記:今日も朝からずっと雨でしたが午後私が出かける予定があった時には上がっていて帰りも傘はささずにすみました。面白いですね。初めて行く場所を含め、数か所に寄ったのですがどこもスムースに用事が済み良い日でした。毎回雨が上がるのはただの偶然なのでしょうが、母が見守ってくれているかもしれないと寂しい中でも、心強く思う事にしています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.10.06
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最近、運動不足解消のため、毎日少し歩くようにしてます。先日、主要駅で降りた際、あえて一旦階段を下りて、また上がる通路を使いました。以前ブログにも書いた場所です。地下通路の中には、建設の際何か障害物があって真直ぐ通路が通せず一旦下がってからまた階段を上る通路があります。そこもその一つで、下がって上がるのが面倒なのでいつもは別の通路を使っています。今回は運動になるから、とあえてその通路を下りながら、そうそう、この間通った時は買物カートを持っていたんだった。すると、リュックを背負ってバッグと杖を持ったご婦人が上り階段を前に躊躇して立ち止まっていて、人の流れが私の前の前で止まっちゃってたから、その方のリュックを下から支えて一緒に登ったんだった、そしたら私のカートを30代位の男性がひょいと持ってくれたんだっけ、と思い出しました。今日は時間的にも通路は空いていてスムースに歩けるなあ、と思いつつ登り階段のところまで行くと、なんと、階段の前で左手で階段の手すりにすがりながら右手で空の買い物カートを一段上げようと伸びた白髪を振り乱している高齢男性がいました。あまりにもざんばら髪なので一瞬ホームレスなのかなと思ってどうしようと思ったけど買物カートの持ち手は汚れていなかったので「上まで持って行きますね。」と言って階段の上まで先に持って行きました。お礼を何度も言ってくださっていましたが、もしかしたら、少し、年齢による衰えが出てきて髪も伸び放題で乱れていたのかもしれません。一人で電車で買い物に出られているのでしょうか。これからもお元気でおられますようにと思いながら、誰もが齢を取るのだから他人事ではないなと思いました。お年寄りへちょっこっと人助けをする時、母にももっと手助けをしたかった、とどうしても少し思ってしまいますが、ささやかでも何か良い事をしたことが母に良い事となって届けば嬉しいなと心の隅で思います。それは母が元気な時も同じでした。勿論それが目的でしてるわけではないけど、どこかで母に良い事があったらいいなと今も思っています。母が亡くなって5年半、母を見かけたこともないし声を聞いたこともない、霊とかないのかな大抵の不思議な話は偶然か思い違いなのかなと思いますけど、でもわからないですよね。大したことはできませんけど自分にできる事はしていこうと思っています。それで母に良い事があれば幸せです。下:少々の段差なら押せば乗り越えてくれるタイプの特殊な車輪のシルバーカーです。母には2種類のシルバーカーをよく選んで購入しました。一つはこのメーカーのもので、段差が多い街歩きや旅行にはこちらを使っていました。しっかりした造りですが重くないので、母がまだ元気な頃は、階段やバスでも本人が自分で持ち上げることができました。椅子もついているので、杖だけでは疲れてしまう方の散歩や安定した歩行にお勧めです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.09.24
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この話はこれを読んでいる方には何の面白い話でもありませんが、思い出したので覚書として書いておきます。1995~1996年頃、PHS/携帯電話はまだ全員に普及しておらず、仕事をしている世代でも会社支給の物しか持っていないとか外に出る時だけ会社から借りていくという事も多い時代でした。特に60代以降で持っている人はほぼいなかったそんな時代に母はPHSを使っていました。PHSのサービスが始まったのが1995年なので開始すぐに使い始めたのだと思います。毎日あちこちに出かけていた母の居場所確認・連絡用としても携帯電話は便利でした。街中でおもむろに電話をとる年配の母をすれ違う人達が「携帯電話持ってるんだ」とびっくりして見ていましたのを覚えています。PHSが出たての時は電話のデザインはシンプルなものしかありませんでしたが、その後携帯電話の種類がいろいろ出てきても機種変更の際母が選ぶのは、毎回控えめな色でした、しかし20年位前にFOMAに変わった時、最初は白でいいと言っていたのにこれも可愛いけど、とピンクを見せると、あ、と何か気が付いたようでピンクを選んだことがあります。娘が奨めてくれたからとピンクにしたのかその頃小さな子が近所にいて子守をするのを楽しみにしていたので幼児が好みそうなものを選んだのかわかりませんが、母がピンクのものを自分のために選んだのは初めてだったんじゃないかと思います。一応子供受けのためにストラップにはキティちゃんやマイメロなどのストラップアクセサリーを並べてつけてあげると母は多少閉口しながら、そのまま使っていました。その後しばらくしてらくらくフォンが出て母も高齢になってきたのと丁度母が好みそうな色合で花の浮彫が入っている上品な感じのデザインに変え、それから今度は薄紫の控え目なパールラメのに変えましたが(多分それが最後の機種)あのピンクの携帯あたりで選ぶもの、身に着けるものも明るい綺麗な色合いを受け入れるようになってきたと思います。可愛いピンクも使ってもらえて良かった、母も少しは楽しんだのかなと少しほっとしています。
2022.08.31
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私はおばあちゃん子だったので亡くなった祖母(母の母)のことをずっと悲しんでいましたが、そんな時母は「おばあちゃんは一生懸命生きたんだよ。」とか「おばあちゃんは精一杯生きたんだよ。」と私に言っていました。そう言われても、何の慰めにもならない、だって私はおばあちゃんに生きていてほしかったしおばあちゃんがいないことが辛いから、といつも思っていましたが、母が亡くなって3~4年頃からでしょうか、その言葉の意味がわかるようになりました。祖母はとても真面目で働き者で人として善行を沢山積んで一生懸命頑張って与えられた生を全うしたし母もできる事はすべてして祖母を大事にしたからきっと幸せだったしこれからも幸せでいるのだろう、だから悲しみすぎる事はないんだよ、そういう意味だったのだと思います。私も母は一生懸命生きたんだな、真面目に頑張って生きて善行を積んで世の中に貢献したし幸せも感じてもらえたと思うし脳梗塞になっても頑張ってくれたから天国や極楽があるなら行かせてもらえているはずこれからも幸せでいてもらえるはず、だから悲しみすぎることはないのかもしれないと時々思えるようになりました。でも悲しくて、特に最近はまた毎日泣いていますがでも悲しみすぎるのは良くないと思います。母が幸せで今もいてくれるなら私はそれで幸せだと思えるのでどうにかそれでやっていっています。母が何度も言ってくれた言葉、「おばあちゃんは一生懸命生きたんだよ。」その言葉が今私を助けてくれています。
2022.08.30
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先日書類の中に紛れていた母の手紙が出てきました。もしかすると、年賀状以外で母が私宛に最後に書いた手紙かもしれません。母は優しい綺麗な字を書き、筆まめでしたが高齢になると、字も乱れ、真直ぐ書けなくなり文章も少しおかしくなりました。頂き物等をよく送ってくれたのですが、2009年位だったでしょうか小包に必ず入っていた手紙が入らなくなって、ああ、もう手紙を書くこともしなくなったんだなあ齢をとったんだなあと思いました。母が倒れる5~6年位前です。「そちらからは何回もお手紙いただいているのに本当にさぼりばっかりして御免なさいネ。でもこの便箋は第一番に書いたのでまあかんべんしてもらいますね。略元気でね。いいこともあるでしょうから。私も骨が折れないだけ良かったと思っています。今日は八日か十五日か相変わらず忘れた。失礼。十五日のようだね。」母はその頃転倒したことがあったのでその事を書いたのでしょう。その頃私は、深夜までのサービス残業続きで大変で母が心配しない程度に仕事が大変だと軽くぼやいていたので良いこともあるからと慰めてくれたのだと思います。この手紙を受け取った当時は少し崩れてきた母の字ばかり気になっていたけど、まだ母はしっかりしていたんだな優しい事ばかり言ってくれていたなとても素敵なお母さんで私は幸せ者なんだなと気が付きました。書類の中に紛れていたこの手紙のようにこうやって母の言葉がふと出てくることがたまにあるのは幸せな事です。母が励ましてくれていると思ってどうにか前に進もうと思います。下:杖があると転びそうな時も支えになってくれて安心ですがいかにも、という雰囲気で持つのを嫌がる人も多いです。こちらはあるようでなかなかお店に置いてない上等な塗の国産伝統工芸品の杖。多分日本で一番上品な杖です。贈り物にもお薦め。他にもいろんな色柄があります。お店のホームページで拡大デザインが見られますがとても美しいです。上は濃い紫に小さな金がちりばめてあります。下は持ち手との配色がとてもセンスが良く男女共に使えます。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.28
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私がまだ小学生低学年の頃、母がたまに、何の脈略もなく「生きていればきっといいことがある。」と私に言い聞かせるように信念をもっているように静かだけどしっかりと言うことがありました。その時又はその前後に私が困っていたり悩んでいたり、泣いていたりしたならば辻褄が合うのですが、別になんということもない穏やかな週末(母は仕事をしていたので、平日は母とのゆっくりした時間はありませんでした)何も悩みがない小学生低学年の私に脈略もなく言うので、何を言っているのだろう???と子供心に思っていました。それ以外のことで母が妙な事を言う事はなく、どちらかというとあれこれおしゃべりはぜず出しゃばりなところは一切なく、黙って見守っているような人だったのでたま~にそう言うのが違和感として残っていました。それから何十年以上も経って母が亡くなった後その母の言葉の意味が突然わかりました。母はとても仲が良かった父を事故で突然亡くしてつらくてつらくてたまらずにいたけれど小さい子供がいたので悲しんでいる姿を見せないように強く明るく振る舞い、「生きていたらきっといいことがあるから子供のためにがんばろう」って自分自身に心の中で言い聞かせていたのが、悲しくてたまらない気持ちの時に独り言として出たのだと思います。そしてはからずとも、それは母を亡くして悲しくて悲しくてたまらない私への母からの言葉になっています。お母さんって偉大ですね。亡くなったあとも励ましてくれるんですから。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.27
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先日、近所と言えば近所なのに普段全く通らないので全然知らなかった色とりどりの花の木が街路樹としてずっと続く道を歩いてきました。綺麗だなあ、こんなところにこんな花の街路樹がと見ながら、あ、これは母が倒れる1~2年位前にしてくれた花の話の事だと気が付きました。もう9~10年前の話です。散歩の途中にとても綺麗な花が咲く木があると母が言いだし、その木の名前が思い出せなくて何度か私とやりとりして木の特徴を言ってもらいやっと名前が分かりました。「とても素晴らしい綺麗な花なのでぜひ見に行ったらいい」と薦めてくれたのですが、大抵は庭に1本だけ植えるような木なので「よその家の庭までわざわざ見に行くのはちょっと失礼じゃない」と答えました。「そうじゃない」と母は言いましたが2010年頃から、詳細に説明したり上手く話をしたりが出来なくなっていたので、街路樹の花であることは言えないままでした。「道にある」みたいな事を言っていたような覚えもありますが、この辺の花が綺麗な街路樹と言ったら桜かツツジ位なので、どこかの家の庭の木が歩道から見えたのだと思い込んでいました。あまりにも母が勧めるので、「その木は枝が張り出し場所をとる木なのに家が建て混んでいるこの辺りにそんな広い庭があるなんて珍しいね」ととりあえず話を合わせると母は歯痒そうに「見に行けばいいのに」と繰り返しました。「見に行くと言っても散歩の途中で見かけた花なんてどこにあるかわからないでしょう」と言うと駅から割と近く、駅前の道をしばらくいって曲がったところ、「駅から家に向かって歩いて行くとこっち側に行く道。歩いていればひゅっと見える。こっちを見ていればすぐわかる。」と言います。でも駅の近くの道は沢山ありすぎわかるわけもなくよその家の花の木をわざわざ見に行くつもりもなく熱心に進める母の話を聞き流しました。それが、街路樹だったのだと、確かにとっても綺麗で、駅からそんなに遠くなく駅前の道をしばらく行けばわかる所だった。確かに母が私に伝えようとしたことは全て正しかったのだと9~10年経ってからわかりました。こんな風に、年月が経ってからああ、あれはこういう事だったんだ、母はこういう事を言いたかったんだとわかる事が沢山あります。その中にはちょっと不思議な事も少しあります。それは気持ちが落ち着いたら書くつもりです。わかってなくて、ごめんね、と思うけどその時は私も理解しようとしていたし、こうやって、母が亡くなってからも謎が解けるようなことがあることは母からのプレゼントなのかなと思うようにしています。そして、母が綺麗な花を楽しめて良かったと少しほっとしました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.26
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いつもに増して母の事を考えていたかもしれませんが、母の夢を見ました。叔母の家かどこかで、叔母と話をしながら簡単な世話をしていると、目の前にいるのは母だったことに急に気が付きます。あ、お母さんの世話をしていたんだ、そうか、お母さん、いるんだものね、とものすごく鮮明な母を前にして思います。母はパステルカラーのスモーキーグリーンのブラウスとベストがお揃いになっているようなおしゃれな服を皺もなく綺麗に着ていました。後で考えると、寝る前にネットでその色のバッグを見かけ、私が好きな色じゃないけどなんだかいい色だな惹かれる色だなと見ていました。その時は気が付かなかったけど、母がよく着ていた服の色でした。ブラウスとベストのセットというのはそのバッグがインナーバッグとのセットだった事や、その数日前に知人が見せてくれた服がベストがついて二重になっているものがあったり保管が悪く服が皴皺で良くないなあと思ったので、それが関係しているのだと思います。夢って、脳がいろんな事を整理しいらない記憶を消すために見るのだそうですから、母の夢も不思議とかよりも記憶の整理のために見ているだけなのかもしれません。鮮明な母が現れて、そうだ、母はいるんだと思い、それから母の世話をしたのだと思いますが少しして、母は亡くなったんだと気が付き夢から覚めました。あんなに鮮明だったから、母の言葉を聞きたかったな会話したかったなもっと何か母の世話をしたかったなと思いますけど、夢でも会えて嬉しかったです。でも反面、夢は自分の脳が作りあげているものだとちゃんと理解してもっとしっかりしたことを大事にしなくちゃと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.25
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大きな空箱を平たくしながら、資源ごみの日までどこに置こうかと「さて、どうしようかな」と無意識につぶやいて母がよくそう言っていたのを思い出しました。母は一人で何でもしていたので、常に頭の中で「これの次はあれをして」とか「最も効率的な方法は」とかいろいろ考えていたのでしょう、「さて」と一息ついて、頭の中で行動計画を組み立てていました。どこかに行く前には「さて、どういうふうに行こうかな」とどの電車をどう乗り換えると良いか考えていました。今みたいに、ネットで簡単に調べたり、乗り換え簡単車両地図みたいな情報が全くなく経験を蓄積して行動していた時代です。行動的だった母は複雑な電車の乗り換えも大抵の人が迷ってしまう大型主要駅の地下通路も都心部も裏道までよく知っていて、一緒に出掛けるとすいすいと近道を通って目的地まで迷うことなくさっと行っていました。母と出かける時は、何も考えずにただついて行けば良かったのに、それがいつからか、私が手順を組み立てて母を案内するようになりました。母の口癖をふと言って、「そういえば、母が「さて、」って言ってたのしばらく聞いてなかったな、懐かしいな」と感じました。母は2010年頃から自分でいろんな事をするのが難しくなってきていたので「さて、どの方法にしよう」と自分で頭の中で組み立てて行動する事ができなくなっていたんですね。「さて」と言っていた元気で活動的な母はもうずいぶん前の母だったんだ、遠くなってしまっているんだなあと改めて感じました。子供の頃から聞いていたこの「さて」という言葉、私は当時からちょっと違和感がありました。なんとなく、男性が使う言葉に思えたし実際、周りのお母さん方も他の女性も使っていなかったように思います。祖父母も使っていませんでした。今、考えるに、これはもしかしたら父の口癖だったのかな、とも思います。見た目も性格もおっとりしていて女学生時代は山の手言葉の学校に通い、周囲には丁寧語を使っていた母なのに子供にはなぜかさっぱりした話し方をしていました。結婚後間もなく父を亡くし、ずっと悲しんでいたけど決してそれを外に出さず、私みたいにやる気をなくしてぐだぐだすることもなかった母が、父の存在を身近にするために人知れずしたことが父の話し方をすることだったのかもしれません。おかげで幼なすぎて父の話し方をあまり覚えていない私が母を通して父の言葉を聞くことが出来たのだと思います。さて、という言葉、気分を変えて、気をとりなおして直面している問題に対応しよう、未来に顔をむけよう将来のために動こう、そういう意味もあります。それもあって母はよく使っていたのかもしれません。私もぐだぐだ同じところでつらい時はさて、と言う母の言葉を使って頑張っていきたいと思います。そう言ったら母は喜ぶでしょうね。真面目な顔で「そうしたらいいよ。出来る限りの事をして見守ってるからね。」と言うでしょう。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.24
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フルタイムで仕事をしていたので忙しかった母ですが、子供を健康に育てようとしたのでしょう、週末はあちこちに行こうと誘い隣街位だったらよく一緒に歩きました。そうやって歩いてあちこち行くことが子供の運動になると思ったんでしょうね。今思うと、隣町から一緒に歩いたことについてはどこへ何をしにいった帰りなのかは忘れたのに一緒にあそこを歩いたな、帰り道ここに寄ったな、ということはよく覚えています。どこへ行った帰りなのか忘れてしまった理由は主に母の用事で親戚宅などに行ったりが多く子供の私には興味がない事だったからかもしれません。当時はお付き合いが今より濃かったのでお祝い事、お悔やみ事、お見舞い、お返し等毎週のようにどこかへ何かを届けていたのでそういった用事が多かったのだと思います。しかし帰りがけにはデパート等に寄ったり、今川焼のお店に寄ったり食事をしたりと何かしら子供が喜ぶ事も用意してくれたのでそれが楽しみでもありました。今思えば普段忙しくて家にいない母がずっと隣にいてなんということもないおしゃべりをしながら一緒に歩いてくれて一緒に買い物したり食事をしたりするのも嬉しかったのだと思います。ある時、日中に、普段は通らない大きな墓地に面した道を通った事がありました。私は高校生位だったと思いますがそういう所は怖くて避けていたので怖いからと言って、目をつぶって母の腕にしがみつきながら歩きました。母に怖くないのか聞くと、「ちっとも」と平然と答えていましたが、母は、何か出るのであれば亡くなった父だって出てきてくれると思っていたのかもしれません。通り過ぎたら教えてね、それまで目をつぶっているから絶対通り過ぎてから教えてねと念を押して、細いけど力強い母の腕にしがみつき、肩に顔を埋めて久しぶりに母の肌の感触を頬に感じながら歩きました。子供みたいに、とたしなめられると思ったら母は黙って私がしがみつくまま歩き、墓所を少し通り過ぎてからもう過ぎたよ、と教えてくれました。私は子供の頃から忙しかった母に甘えるのをどこか遠慮していたところがあり、さらに年頃になると微妙に距離をとっていたので、すんなりと母にしがみついた自分が少し意外でした。母は母で、この子はまだ子供なんだな、この子が頼りにできるのは自分だけなんだな守ってあげなくちゃいけないなと思ったのでしょう。あれはきっと母にとっても私にとっても特別な時間だったのだと思います。私が大人になってから一緒に出かけると母は嬉しそうだったのでできるだけ一緒に出かけるようにしていました。特別な所へのお出かけも楽しかったけれど、夕日の当たる道を一緒に家路についたり、近所のお店を見ながら歩いたり母が喜びそうなものを一緒に選んだり電車の空いている席に座ってもらったり空いていない電車でつり革につかまる母を見守ったりさっさと先を歩く母の後ろ姿を見ながらゆっくり歩いたり、時々振り返る母が可愛いな、元気だなと思ったりちょっとしたことが幸せでした。きっと今も一緒にいてくれると思って最近は運動不足の解消のために毎日必ず外に出て歩くようにしています。下:日本に直営店ができる前から愛用しているものすごく歩きやすい人気の靴。紐ではないので、すぐ履けて足にフィットし紐がほどけることがないので高齢者でも安全です。母にも履いてもらっていました。見た目どこにでもありそうな安価な靴ですが履いてみればわかりますが全然違います。靴の素材や底の作りが驚くほど優秀で足を痛めず、全く疲れません。サイズは自分にピッタリのサイズで。靴下を履く場合はワンサイズ上を。履いていると多少伸びるのでぴったりサイズが正解です。シンプルなデザインなので意外と何にでも合い普段着ならスカートやワンピースにも合わせやすいです。足を痛めて良い靴がないと困っていた知人数人に勧めましたが、最初は皆、適当に聞いているだけなのですが、後から、履けるのはこれだけだとすごく感謝される位優れものです。男性用も。どちらも安価です。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.22
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お盆の中日だと思うのですが40万PVを超えました。始めたのが丁度5年前でよくそんなに続いたなと思います。母を亡くして今までやってきた介護の工夫などを母にはもうできないけど同じように頑張っていらっしゃる方いたら役立ててもらいたいという気持ちが強かったんだと思います。今は元気になっていこうという気持ちとか工夫のほうが多くなりました。介護についてはとっても細かいポイントが多いのでどうしても書き上げるのに時間がかかるのですぐに沢山書けないということもあり、これからも少しづつ加えていく予定です。このブログ、母への気持ちとか不思議な体験とか変な話も多いのでできるだけ目立たないように必要な人だけ検索でたどり着いてほしいのでブログサイトにも載せていないしリンクも貼っていません。それで40万PVなので、なんだか不思議な気がします。読んでくださってありがとうございます。少しでもお役にたてていたら嬉しいです。母も読んでもらって良かったねと喜んでいると思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.19
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新型コロナ第7波の感染が収まらないので帰省は見送って家でお盆を迎えています。簡単にしつらえた盆棚には毎日灯を灯しいつもより少し多めのお供えをしています。先週まで毎週お出かけが続いていたので急に予定が途切れ静かな毎日になったからかもしれませんが、なんだか心細くて、悲しくて不安が募っています。母はもういないんだ、という現実がとてもつらい。もっと幸せを感じて元気に生きていてほしかった。親しかった親族も気が付くともうほぼいません。皆、優しくて知識豊富で善い人達でした。そんな人達が普通の大人として周囲にいてくれて恵まれていたな、ありがたかったなと思います。昭和という時代だったからかもしれませんが、母は兄弟や親族ととても親しくしていて、お互い気兼ねなく行き来し信頼し大事にしあいとても楽しそうに会話していました。若くして夫を亡くし、幼子をかかえ、本当はおっとりした人なのに心を緩める暇も、体を休める暇もなく強く生きていかなければならなかった母が少しほっとでき本来の天真爛漫な自分に戻れる時間が兄弟や親族との間にあったと思われることは少し救われる気がします。最初の頃にあったような不思議な事は何もありません。雨が止むこと、信号が青になったりエレベーターが毎回開くことはありましたがこれは偶然なんだろうとは思います。でも母が亡くなって2年目位までは蝶々が来て母が座っていた椅子に2日半も止まっていたりと(1年目のお盆の時には、親戚を介助したために夜中に一人で夜道を歩いて帰り心細くてたまらなかった時、玄関についた途端蝶々が居間に飛び込んできました。夜中1時頃、蝶々がそんな活発なんでしょうか。私を心配した母が一緒に夜道をついてきてくれたか玄関前で待っていてくれたようにしか思えません。追記:蝶々は紫外線を感知して行動するそうです。玄関の軒下で眠っていた蝶々が夜中に突然ついた電気で目覚めて慌てて玄関に飛び込んで点けていた居間の蛍光灯の周りを飛んだのかもしれません。でも2日半、私が出かけていた時も寝ていた時も母の椅子に止まっていた蝶々の話は辻褄が合わないのでやっぱり不思議かもしれません。)不思議な事がいろいろあったから母はどこかにいてくれると思う事ができています。お盆中は外食をせず家で一緒に食事をしたつもりになり、いつもより少しお供えを豪華にし、思いがけずお供えにいただいた千疋屋のメロン(!)もお供えすることができました。野菜の形の蝋燭を毎日1つづつ灯しお盆の開けには茄子の蝋燭を灯してゆっくりゆっくり帰ってもらうことにしました。お盆明けからは少し前を向いて行動しようといろんな用事をこなしています。千疋屋ものれん分けなどで3社あるんですがフルーツサンドイッチやプリンアラモード等少し違いがありますがどこもとても美味しいです。母がとても疲れた様子で何も食べたくないと言い張っていた時、たまたま通りかかった千疋屋のフルーツパーラーで美味しそうにフルーツサンドを食べてくれたのは少しほっとできる思い出の一つになっています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.18
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今年のお盆は私の家でお迎えするのでリビングの家具の上に簡易盆棚をしつらえました。盆提灯などは実家にあって家にはないので、7色に変化するLED灯と蝋燭状のLED灯を用意して簡易的に回転灯篭の代わりにしました。先日購入した籠に入った野菜の蝋燭を毎日一つづつ灯して、供養とするつもりです。昨日、お供え用のお花を買いに外に出るとさーっと雨が降っていました。これから翌日にかけ台風が来るので雨が止むとも思われません。母が亡くなって5年、今までずっとお天気にしてもらっていたからたまには雨の中外出も致し方ないよね、濡れてもいいやと傘をさしていつもより少し遠いスーパーに出かけました。途中、駅ビルの入り口のお店に寄ると、オーナーみたいな方が電話で「今からすごい大雨が来るって予報に出てるけどいつやむのか調べてくれない?」と大声で話しています。あ~土砂降りになるのかな~と思いながらそれでもなぜか引き返そうとは思わずスーパーに向かおうと思いました。でもそのお店を出ると雨は上がっており傘をささずにスーパーまで行けたんです。そしてお店に小一時間いて思いがけずメロンなどお供えしたかった果物がお手頃価格で入手でき、買い物を済ませ外に出ると土砂降りの後だったらしく、道路はびしょぬれ、でも雨はポツポツ降りで、歩いているうちに傘がいらなくなりました。偶然といえどやっぱり不思議な気がします。雨が止んだので、お供えの果物やお花を持ち帰るのが楽でした。感謝を続ければ供養になるのかな。それでいいのかな。まだわからないし、納得できないけど前を向いて、自分の事もやっていこうと思います。下:先日、篭盛りの野菜の蝋燭と一緒に購入した小ぶりのお香立て。半分に折ったお線香が安全に灯せます。老舗のお香専門店の商品で、きちんとした造りでふくろう=不苦労なのでプレゼントにも喜ばれます。母がにっこりするかな、と選びました。下:こちらは実家で使っていますが横置きにでき、蓋もあるので安心して使えます。こちらは色柄が選べ、高齢者でも使いやすいです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.13
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一月前、第7波が猛威をふるい始めた頃にお盆の帰省は断念したので実家のお仏壇にはお供えを送り今年のお盆は私の家でお迎えします。昨日はお盆用品を買いに最寄りのデパートまで出かけました。デパートには仏具屋さんやお線香やお香の専門店が入っているので立ち寄りやすいんです。お盆が近いからなのか母が応援してくれてるのか、昨日は出かける時から、信号はすべて青、いつも待つエレベーターも行くと開く、それが家に帰るまでずっと続いていて偶然に偶然が重なったのでしょうが不思議でした。母が亡くなって1~2か月そうだったのを思い出しました。主要駅の雑踏の中やデパートで何かしぐさが母に似ているお年寄りを見かけ2回ほどはっとしました。母がよく来ていたところでこの風景の中に、今も母がいると思い込めばそれでいいのかもしれない、母は今まで通り、元気でどこかにいると思い込めばいいのかもしれないと思いつつも、でも、いないんだよね、そこのところの折り合いをつけないといけないのかもしれないんだよね、と母に話しかけるように考えながらも、まだ気持ちが落ち着かないどうしていいのかわからない状況でいます。今日は簡単ながらお盆の飾りつけをしてその前に片付けもして少し気持ちをリフレッシュしようと思います。それが母が喜ぶことでもあるので。すぐに何かを決められなくても方向を良い方に向けることはしていこうと思います。下: 今回購入した籠入り野菜の蝋燭。下の画像のようにお盆期間中に1つづつ灯していこうと思います。どれも大手仏具蝋燭メーカーの商品なので変な匂いがしたり、ドロドロ溶けたりがなく安心して使えます。本物そっくりの蝋燭。普段留守の実家のお仏壇にお供えしています。透明ケース入りなので埃もつきません。箱入りなのでお供えの贈答用にも喜ばれました。12個の季節のお菓子や季節の花が入っているので毎月1つづつ月命日に灯したり、毎日すこしづつ使ったりできます。安全なガラスの容器入りなのも嬉しいです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.08.12
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ここ半月位の話なのですが、最近、陽気のせいもあって疲れて2度寝したりお昼寝したりしている時、夢なのか気のせいなのか母が起こしに来て私の顔を優しく見ているようなそんな気配を感じて目が覚める事が何度もあります。目が覚めて、ああ丁度良かった、起きようと思っていたから、お母さんが起こしてくれなかったら寝過ごしていたと毎回思いますが、何で急に母の気配を感じるのかわかりません夢のようにはっきりしていないし、前後がなくて、急に母が傍に来た感じなんです。母がまだ元気な時、仕事で疲れて週末は遅くまで寝ている私をそっと見に来たときの気配と同じような感じです。母が亡くなって5年すぎていろんな事が少しづつ遠くなっているのでなぜこんな気配を思い出すのかわかりません。ここひと月ほど知人の事で人助けというか世話を焼くのに忙しくてそこにこの猛暑で疲れているのでそんな夢を見るのか、わかりませんけどもしかすると母も力になってくれようとしているのかもですね。本当は自分の事でしなくてはいけない事が沢山あるんですけど、他の人の事ばかり気にかけているのは現実逃避しているのでしょうね。もうちょっと自分の事をやっていこうと思います。夜は眠れなくても寝るようにしてます。追記:この感覚は2週間位数日おきにあってその後感じなくなりました。リラックスタイム、寝る前に落ち着くジャズ系(上)とボサノバ系(下)クリックすると視聴もできます。視聴は、ずっと下がった一番下のほうの小さな画像からできます。他のタイプのCDも沢山揃っているお店でお勧め。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.07.04
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ここのところ急に蒸し暑くなったのと1週間ほど前に知人の勘違いでちょっとびっくりすることがあって疲れたのとでここ数日、昼間ぐったりしていてなかなか眠れませんでした。知人と待ち合わせの約束があったので携帯のアラームを3つかけて置いたのですが、遠くの方で曲がなってる位しか思わずに寝過ごしてしまっていました。そこに、普段はかけてこない知人からアラームが鳴った5分後位に偶然ライン通話が入ってその着信音で目が覚め約束をすっぽかさずにすみました。あの電話がなければアラームが鳴っていたのにそのまま寝過ごしていたでしょう。助かりました。ちょっと不思議なタイミングなのでやっぱり母がいてくれるのかな、母が遠くなってしまってもういないのかなって不安になってつらいけど母はいるのかなって希望が持てました。
2022.06.28
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父の日の昨日、用事の帰りに以前よく行っていたフルーツパーラーでお昼をとる事にしました。このお店が入る建物が大型商業施設に建て直し予定でこのお店も撤退してしまうので今のうちに何度か行こうと思ったからです。いつもの店内、いつもの雰囲気の中、目の前にちょっと目立つお客さん達がいて、ふと目をやると、そこは透明アクリル衝立で仕切った4人がけテーブルを2つ使って6人で来ているグループでした。私を含め、皆油断してますけど未だに新型コロナ禍なので本来はグループ会食は飛沫が飛んで同席者に感染させそこからそれぞれの家族に感染させるので未だにグループ会食にお店は慎重なはずですが、この場合は普段一緒にいる家族の会食なのであまり心配はいらないのだと思います。ご本人達も静かにお食事されていました。一つのテーブルは同い年位の高校生位の女の子3人とお父さんらしい人。もう一つのテーブルは年配のご夫婦らしい方でお父さんらしい方が、「お父さん方」と呼んだので奥さんのご両親かもです。父の日のお出かけのお食事なのかな~って微笑ましく感じました。父の日だけど、娘さん達が喜ぶお店に入ってお会計をもつお父さん。お疲れ様ですがお幸せですね。お母さんらしき方はわからなかったけど、娘さんのように見えた方の一人かもしれないし(ぱっと見ただけだからよくわからない)世の中いろいろあるから私の父が若くして亡くなったようにいろんな状況があるかもしれないし日曜日もお仕事で忙しいかもしれないしそれはわかりません。だけど、父の日にみんなでお食事されるお父さん一家がいらっしゃったのでほっこりしながらお昼とデザートを頂きました。ここからはフルーツパーラーとは関係ない話です。この日は食事をしてゆっくりあちこち見たもののかなり早めに家に戻りました。いつもだったら出かけたついでにあちこち寄るのでこんなに早く帰る事はありません。すると、私が家に着いたと同時に知人の勘違いでちょっと大変な事があって、帰ってくる時間が少し遅かったらものすごく面倒な話になっていたのですごくタイミングが良かったのだと感謝しました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.06.20
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母は親戚や他人にはとても丁寧な女性言葉を使いましたが私にはさばさばした真っ直ぐな話し方をし、「お前さんは」という言い方もよくしました。他の事でも、「さて、どういうふうに行こうかな」「そういうこともあるさ」とか男の人が使うような、でも乱暴ではない話し方をすることがよくありました。それが何なのかよくわからないまま何か違和感があったのですが、祖父母のお仏壇に送っていたお供えを美味しいと喜んでくれていた一回り離れた父方の従兄(父の甥)にPC機器トラブルの際助けてもらってから従兄弟という血なのでしょうね、話がすんなりと合い、交流するようになりその後親しくなってから「お前さん」という言い方で呼ばれああ、これは父の話し方だったのだなとわかったことがあります。母は父の話し方を声に出すことで父と一緒にいる、父と一緒に子育てしている心強い気持ちになっていたかもしれません。今思うと、一人では決めかねるようなとき、父と相談したいようなときに独り言のように言う言葉がそんな話し方でした。若くして夫を亡くし、乳幼児を抱えて仕事もしなくてはいけないし、母はどんなに心細く悲しかったでしょうか。でも子供の前では泣いたり、愚痴ったり弱弱しさを一切見せず前を向いて進むのが大切、健康で元気でいくようにといつも前向きでした。子供にしんみりさせまいとさせた母は、あえて父の日を言及しなかったので、私は父の日に何かをすることはほとんどありませんでしたがいかに父が素晴らしい人で子供を可愛がっていたか折々伝えてくれ熱心にお供えや墓参をしていたので、亡くなって長い父の事をずっと大切に思い続け感謝できています。今年も父の日だから、昨日から少し凝った手料理をお供えしています。父はとても優しく子供好きで甥である従兄もとても可愛がっており、従兄は父に似ているので話し方もきっと似ているのでしょう。思いがけず年上の従兄を通して父の話し方を知ることができ、また、母の子供に対してだけ違う話し方も父の話し方だったんだなとわかったのは幸せなことだと思います。追記父の日の今日はいろいろあって疲れて早めにぐっすり寝ていたら、いつも忙しくこの時間帯に電話をかけてくる知人から久々に電話があり目が覚めました。それでふと、父の日もあと1時間という今、PCを見るついでにこのブログを見たらこのブログが丁度私の1000件目のブログでした。このブログをアップした時には全く気が付きませんでした。母が亡くなってつらくてつらくて5年近く前に始めたブログの1000件目が父の日に父の話、それも父にとって特別な年だったのは、父への供養にも父が大好きだった母への供養にもなったのかなと少しほっと出来ました。(このブログ、もともとは、母の病状などについてサポートがほとんどなく大変だったので何かの参考になればと書き始めたのですが、その後母が亡くなってしまい全て消して半年放置しました。その後、親戚のために検索していたら空っぽのままの私のブログが何度かヒットし不思議に思って管理画面を見てみると毎日数人の方たちが訪問していることがわかりました。訪問は日によって0の時もありましたが大体1~3人、もっと多い時もありました。この方たちは、私が藁にもすがる思いで情報を探していたのと同じかもしれないと思って高齢者の介護や脳梗塞に役立つと思える話を書き始めたのがきっかけですが、同時に不思議な事や、お線香など供養についても沢山書いていました。お線香は何十種類も次々使ってそれぞれについて詳細を書いていたのですがこのブログをもっと明るくしたかったので削除し介護に役立つものの紹介だけ残しました。このブログの始まりが唐突なのはそういう経緯があります。なので実際の1000件目はもっと前なのですが、残っているものの1000件目ということでそれはそれでいいと思います。1000件なんて一度には書けない量なので続けられたことを父母に感謝しています。また、変なブログですけど探し物をされてこられた方のお役に立てていれば嬉しいです。いつもご親切なコメントをくださる方々もありがとうございます。)父の日贈りたいもの。ストレッチ性のあるジャージー素材のほうが寝返りを打った時に伸びて着心地が良いのでお勧め。このブランドは生地が上質で気持ちよいです。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.06.19
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日本橋には昭和の雰囲気を残したままの広々とした喫茶店がまだあちこちに残っていて、最近その一つで時々食事やお茶を楽しんでいます。以前、ここはいつも素通りする場所でした。それはたぶん、煙草の煙で充満している会社員のたまり場だったからなのだと思いますが、気が付くと空気も壁も綺麗な昔ながらの喫茶店に変っていました。今も利用者の大半はビジネスマンで仲間内でランチや退社後の一杯を楽しむおじさん達の憩いの場です。高架下にあるような飲み屋さんではなく喫茶店で一杯というのが老舗ビル連なる日本橋のサラリーマンっていう感じですね。でも時代は変わってきていて今日は女性社員同士がワイングラス片手におしゃべりしてましたし、ケーキを横にノートパソコン広げたビジネスウーマンがいたりしました。私みたいな普通の買い物客も立ち寄る気のはらないお店です。お給仕する人も、今は珍しくなったボーイさんの制服です。広いガラス張りの店内からは日本橋の目抜き通りが良く見えます。日本橋が大好きでしょっちゅう来ていた母の事をいつも想います。更地になった工事中の西川が見えるので猶更寂しくなります。あるのが当然だった、広い間口の日本橋らしいゆとりを感じる大店の一つでした母はここで顔見知りの店員さんとおしゃべりしながらタオルやらパジャマやらを選ぶのが楽しみの一つでした。母がリハビリ病院から退院した日介護タクシーで家に向かう途中も、西川の地下駐車場に止めてもらい駆け足で布団の襟カバーなどを買いに行きました。肌ざわりの良い綿パイル地の襟カバーを母が亡くなるまで使ってもらえたのは良かったと思います。母に「日本橋の西川だよ」と伝え頷いているようでしたが朦朧としていてわかっていたのかはわかりません。話が脱線しましたが、元気な時の母ともよく一緒に来ました。今、日本橋は入りやすかった間口の広い大店がどんどんなくなり、そっけない雰囲気の高層ビル街に変りつつあります。あって当たり前のこの昭和の喫茶店もいつまであるのかと思うと、機会があれば寄っておこうと最近よく寄るようになりました。2階では昔ながらの安定の洋食が、1階ではこれまた昔ながらのケーキが昭和の雰囲気でゆっくり味わえます。その日によって、がらんとしていたり隣のテーブルでおじさん達が取引先とのあれこれで盛り上がっていたり雰囲気がいろいろです。両側のクリップは優秀ですが真ん中の補助クリップは取れやすいので使い古したもののクリップを活用予定。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.06.15
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寝起きに見た夢の話です。夕方になって思い出そうとしたら忘れてしまった部分もあるので覚えているところだけ書いておきます。母の横で食事介助をしています。母が自分でスプーン等持てたのでまだ元気な時の母でした。何かをもっと食べるようにさかんに勧めています。「これ栄養あるからもっと食べたほうがいいよ、沢山食べて、長生きしてね。」長生きしてほしいと思いながら熱心にそう伝えていたのですが母はもうなくなってしまったからもう食べてもらえないんだと気がついて目が覚めました。心の中ではまだ母に食事をしてもらって長生きしてもらいたい気持ちが続いているんですね、お供えは毎日しているから届くのであれば届いているはずなのでそこは少し安心できています。今日は朝はお水と白海老炊き込みご飯と青汁。お昼はライスグラタンとかぼちゃ、なす、ネギのグリル。おやつに牛乳・バナナ・マンゴーのスムージー。それから出かけて夕食は外食だったので帰ってからお土産のレモンパイをホールだったので大き目に二切れ。お供えは本来精進料理ですし通常はお水とご飯でいいそうですが、自分に作ったものをとりわけるのでお肉やお魚も入るけど今のところはそれでいいと思っています。一人で食べるのは申し訳ないし母に美味しいものを食べて栄養を取って長生きしてほしいと思ってしまうので、当分はあれもこれものお供えでいいと思っています。お供えってたぶん、つらい思いの人の気持ちを和らげるためにもあるんだと思います。私も最初の半年位は何も食べたくなかったしただただ悲しくて味も食感もむなしくて口もあまり開かずに、うなだれながら少しだけ箸をつけていましたが、毎日お供えするために食事を用意するうち割と普通に食べられるようになりました。本当に食事を楽しんでいるかというといつも、母にも食べてもらいたかったと思ってしんみりしているのでまだまだですけど。それでも、美味しいものを食べようとか楽しもうという気持ちは出てきたので少しづつ元気になっているんだと思います。先日、美味しいものの話で運が良いことがあったのでそれは今度書くことにしますね。下:お盆、お彼岸、命日等にお膳の用意がすぐできるフリーズドライのインスタントお供え6回分セット。愛用者が多いようでレビューもとても良いです。用意する暇がない、高齢で用意できない場合に便利かも。上:フリーズドライの食事セット。器は含みません。レビューがとても良く、鰹出汁を使っていない精進料理ちゃんと味がついている。単価が他店よりかなり安い、エコ包装、あるととても簡単で便利、とのことです。確かに忙しい時や真夏には便利かも。下:プラスチック製のお手軽価格のお膳。下:木製会津塗のお膳。画像でぱっと見は違いはわかりませんが、実物はやはり見た目が良く、長く使えます。場所をとらないサイズ。食品サンプル付なので、留守の時や普段は無人のお仏壇にも。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.06.04
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お天気も気温も変化が激しくて体調に出たのかもしれませんがこのところ、気分が落ち込んでいました。あれこれ考えていたからもしれませんが朝方、いつもは見ないような夢を見ました。夢自体は調べてみると吉夢のようですが、朝、目を覚ましてすぐその中で出てきた事について布団の中で考え込んで不安な気持ちになっていました。すると急に、CDが鳴り始めたんです。考えていたのは母が大事に思っている事だったので、母が鳴らして安心しなさいと言ってくれたんだと思いました。でも、これでCDプレーヤーが鳴るのは3回目です。いくら何でも物理的な理由があるのでは、タイマーが設定されているのではと考え直してみました。でも、予約操作はしていないし、セットするには何度も決定を押す操作が必要なので間違って設定されたということはないと思います。本体の日付時間設定ももともとしてしていません。万が一予約設定されていたとしたら定期的に作動するはずですが、ブログに書いていたのをチェックすると2月24日早朝、3月29日夜に次いで5月22日朝で時間も曜日も間隔もばらばらなので予約設定の可能性は非常に低いです。あとは電波干渉による作動ですが見えるものじゃないからわからないけど、2m離れた場所のテレビはつかないのもなんだか変だなとは思います。CDがついたり(3回)実家のTVがついたり(2回)こんな事母が亡くなるまで一度もありませんでした。他にもっと不思議な事が以前あったから母は消えてしまったわけではないと思う事にします。
2022.05.22
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今年の母の日は、たまたま遠縁の親戚宅でお昼を頂くことになりお茶を頂きながらおしゃべりしながら日曜午後のテレビ番組を見るという、のんびりした時間を過ごしました。考えてみると、そのお宅、すっかり代が変わって、お家も立て替え昔の面影はもうないのですが、私が子供の頃可愛がってくれ母の事も大事にしてくださっていた祖母の義妹にあたる方のお宅なので母の日にお線香をあげることができ良かったです。今まで5月はゴールデンウィーク、母の日と3~4月の頃から楽しく計画を立てる楽しい時期でした。その年によっては仕事などで全く休みが取れない時もありそんな時でもとりあえず立てて飾れる綺麗な花束のカードとカーネーション等の鉢植えか花束とお菓子のセット(これは母と3人の叔母達の4人分)は母の日直前に届くよう昼食をとらずに郵便局に並んだものです。20年以上前はまだネット通販がなくて、今もやっていますが、郵便局のカタログで選び並んで振り込みしてたんですよね。その前後で時間を見つけてデパートに行って母や叔母達に似合いそうな小物や洋服、「おかあさんありがとう」と書いてあるカステラやケーキなどをあれこれ迷いながら選んで送ってもらうのも、食事や旅行の計画を立てるのも楽しく、忙しくも賑やかな時期でした。それは母が要介護5になっても続いてというよりももっと切羽詰まって、少しでも喜んでもらえればとにかく親孝行しなければ、と考えられることは何でもしていたのですが、それがぷっつり切れたので虚無感がいまだに残っているのかもしれません。今年の母の日は母と行ったあちこちのお店のお菓子がたまたま入手できたのでそのお供えが出来ましたし友人からもお供えを頂き、母の写真の前は賑やかです。お花は、仏花にいつもカーネーションが添えてあるので、年間を通しカーネーションをお供えできており、今回も新しい仏花をお供えしました。仏花って古臭い和花のセットだと今までは思っていたのですが、良さがわからなかったあの色どりが実は仏教のありがたい意味がある事、そしてお仏壇周りを明るくしてくれることを知り今ではよく購入しています。それまではお花屋さんで楽しく色とりどりの花を選んでいたのに、なんだかまだそんな華やかな気になれなくてひっそり菊等を選んだり仏花のセットを手にとるほうが気持ちが落ち着くんですね。お線香もこの時期はカーネーションの香りのお線香が優しくて、少し心が和みます。香りが少しでも届いてくれれば嬉しいなと思って。そんなこんなで、母の日はまだ心が揺れる日ですが、母と縁が深い遠縁の親戚のおかげで穏やかに過ごせありがたかったなと思います。下:立てて飾れるカード病院のお見舞いにも。お誕生日カードや敬老の日カードなどいろいろ。下:これは使った人ならよくわかるとても良い2種類のお線香のセット。お墓参りで火が点しやすく香りも良い工夫した形のお線香がセットになっています。下:通販でもすごく美味しい老舗ホテルベーカリーのパンとお菓子。パンは冷凍保存できます。他にも3種セットやいろんな種類がありとても柔らかいくしっとりしていて食べやすいのでお年寄りにもお子さんにも喜ばれます。普通の食パンも美味しいし、チョコレートマーブルやオレンジピールも抹茶あづきやチーズもどれもお勧め!今年の母の日は母との思い出があるパンのセットとバームクーヘン2種をお供えできました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.05.09
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先日、一日中雨だと予報が出ていて土砂降りとまではいかないけどかなり降っていた日の事です。一日中家に籠っているよりも少し外に出た方がいいなと思い駅前まで行くことにしました。傘をさしていても肩や袖等が濡れるほどの雨でしたがレインコートを着て出たので問題はありませんでした。往復とも結構降っている雨の中を歩くってもしかしたら5年以上ぶりなのかなって思います。近場に出るだけだったし用事があったわけでもなく帰ろうと思えばすぐ帰れる距離なので雨で嫌だな~というのはありませんでした。そんな気軽な時に往復とも雨でありがたかったなと思います。母は笑っているでしょうね。「随分感謝ばかりしてるね。」って。これから少しづつ都合よく雨が上がらない日が以前のように出てくるのかもしれませんけど今まで雨が上がっていたことは忘れないで心の支えにしていきたいと思います。そして母にはいつまでもいてほしい消えていなくなったりしないでねと思って、今日も青汁だとかスムージーだとか自分用に作るからですけど、母にも健康になってほしくて食事と一緒にお供えしてます。お供えすることで今でも何か母のためにできることはないかという気持ちが少し和らぎます。スムージーは下の小型プロセッサーで5秒位で作れます。洗うのも扱うのもとても簡単な使うたびに感動する日本製ベストセラー。かき氷、ふりかけ、ポタージュ、離乳食、介護食、緑茶や昆布の粉末も簡単に作れます。白い方は静音タイプでおろし金がおまけについたお得なセット。黒い方は安価ですが音はします。こちらもふりふり容器が1個多くついた普段は出ていないお得セット。下:ケールや大麦若葉より栄養価も高くポリフェノールも多く含まれているのにさらっとして飲みやすい青汁。画像をクリックすると詳細が見られます。
2022.05.06
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先日帰省した際、雨が続いた時期で帰省する日も帰宅する日もほぼ一日中小雨が降っていました。けれど帰省時と帰宅時は雨が止んだので駅から家や実家への移動が楽でした。帰省中は、以前あったように蝶々等が家の中に現れることもなければテレビやライトが点くこともなかったけど、雨があがるから母はいてくれるんだなと思う事にしました。母が遠く感じ悲しい時にこんな事があったと思い出して心強く感じられるように書いておきます。
2022.05.03
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