殿上人日記

殿上人日記

全て | カテゴリ未分類 懸賞 | 東京の旅 | 行事、地域 | 家族 | 滋賀、奈良の旅 | グルメ | 四季の移ろい | スポーツ | 馬籠より | 韓国旅行 | 中津川より | 恵那より | 美濃の旅 | 愛知、三重の旅 | 長野、山梨の旅 | 静岡の旅 | 京都の旅 | 大阪、兵庫、岡山の旅 | ヒューマン | 旅のいろいろ | 喫茶 | 菓子 | パソコン、電化品、車 | ヨーロッパ、ハワイ旅行 | テレビ、映画、音楽 | 歴史、伝統 | 買い物、主婦業 | 芸術、文化 | 日々の暮らし | ニュース、時事 | ペット、動物 | 花、植物 | 飛騨の旅 | 自然 | 子ども | 神奈川の旅 | 温泉 | 名古屋より | ブログ、リンクス、ネット | 中日ドラゴンズ | 木曽より | 夕焼け | 食べ物いろいろ | 行楽、遊び
2009年03月06日
XML
カテゴリ: 恵那より

岩村城6

  もう1年も経つとは驚きである。昨年の3月に
  出かけた「岩村(いわむら)城跡」の写真を
  まだ紹介をしていなかったので、ファイルから
  ひっぱり出す事にした


岩村城7

  岐阜県恵那市岩村町にある、岩村城は険しい
  坂を登らなければならないので、実に25年ぶりに
  今回は旦那と娘という、いつものメンバーでの
  登城とあいなった


岩村城9

岩村城8

  奈良の高取城や、岡山の松山城と並んで岩村城は
  「日本三大山城」の一つに数えられ、江戸諸藩の
  府城の中では、最も高い標高721mに築かれた
  要害堅固な山城であり、霧の多い気象も城造りに
  活かされ、別名を「霧ケ城」と呼ばれている


岩村城15

  岐阜県の名水50選に認定されている「霧ケ井」は
  日照が続いても水が枯れる事がない井戸で、敵が
  急襲をしてきたときに、秘蔵の蛇骨を投げ入れると
  たちまちに深い霧が湧き出て、城を覆い隠してしまう
  そうである


岩村城10

  それにしても幾つも井戸がある。昇龍・・・いい名前だ

  鎌倉幕府の重臣である加藤景廉は、美濃国遠山荘の
  地頭に就いたのだが、景廉は領地への赴任は一度も
  なく、鎌倉で源頼朝の側に仕えていたそうだ


岩村城4

  加藤景廉の長男である景朝が移り住み、姓も遠山と
  改めて、戦国時代に至るまでこの地を治めたそうで
  あるのだが、その最後を飾ったのが遠山景任の妻で
  信長の叔母にあたる「女城主おつやの方」である


岩村城11

  戦国の雄である武田氏と、織田氏にとって重要な
  重要な存在であった為なのだろうか、信長の叔母の
  おつやの方は遠山景任に嫁いだのだが、子が成さぬ
  ままに夫は亡くなってしまい、信長の五男である坊丸
  (勝長)を養嗣子とし、おつやの方が女城主となった


岩村城12

  ところが程なくして武田信玄の重臣である秋山信友が
  岩村城を攻撃し、援軍もなく窮地に陥ってしまった為
  おつやの方は、和議の条件である秋山信友と結婚をし
  坊丸を武田方に引き渡すのを受け入れ、無血開城を
  してしまったのだ

岩村城14

  それを面白くは思わなかったのは信長である。長篠の
  戦いで武田軍が破れて、武田方が劣勢になるに従って
  岩村城は徐々に孤立し、ついには信長の嫡男の信忠軍が
  城を包囲し、救援の見込みが無いと判断した秋山信友は
  織田の出した和議に応じて開城をしたが、直後に信忠は
  和議条件を、信長の命令によって破棄をしたそうだ


岩村城13

  信長は、秋山信友と叔母であるおつやの方を捕らえて
  逆さ磔けという残酷な処刑を命じ、信友配下の将兵
  のみならず、遠山氏一族も信友に連座をして果てた

  敵方であった秋山信友は、和議での約束を守ったのに
  身内である信長は、和議の約束を反故にするのかと
  おつやの方は、信長を憤ったという


岩村城5

  「かかる非道のふるまい、わらわがその罪を赦すとも
  天が赦すまじ。追っつけ因果はめぐりて、苦しき死に
  遭うべき」と絶叫して果てたという


岩村城16

  戦国の美女といえば、織田氏の血筋をひく信長の妹の
  お市の方や、その娘の淀君が有名だが、おつやの方も
  お市の方と並び称される美貌の持ち主であったそうだ

  徳川家康に「さても恐ろしきは秋山信友。 武田の猛牛に
  似たる男ぞ」と言わしめた猛将もまた、秀吉や勝家と
  同様に、織田氏の美女の虜になった事であろうか


岩村城18

  その後、岩村城主は森蘭丸、森長一、森忠政の森三代
  なども経て、関ヶ原合戦後は松平氏、丹羽氏などがなり
  明治維新を迎えて廃城とされ、建物は取り壊された

  なお遠山氏は岩村宗本家から、近隣の各地に分家をされて
  存続し、桜吹雪の遠山の金さんもここの血筋であるという


岩村城3

  城への途中には大きな切り株が幾つもあるが、これらは
  築城時に伐採をされて、建物に使われたそうである


岩村城20

  平成の世になって、長屋門と太鼓櫓が復元をされた  


岩村城21

  公衆トイレもまた、敵襲に備えて!


岩村城24

       平成20年3月31日に岐阜県恵那市岩村で撮影






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年03月06日 22時24分49秒 コメント(45) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: