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まずはこちらのチラシをご覧ください。こちらは創心館と提携している「NPO法人ろーたす」が開催する不登校児童・生徒を持つ親御さんのサポートを目的としたご案内です。不登校は「出口の見えないトンネル」と例えられることもあるぐらい当該児童・生徒のみならずその親も不安や焦りに苛まれます。そのような状況でも「自分一人ではなかったんだ」という僅かな安心感が心の支えになることもあります。子どもが学校へ行けなくなる経緯は本当に千差万別のため具体的な助言が得られにくいものです。しかし、このような会に参加することで不登校のわが子へ接する際に少しだけ心にゆとりを持てるようになることもあります。ご興味のある方は是非一度ろーたすのWebサイトを訪れてみてください。文責:垣内
2023.07.05
5月病とはGW明けからだんだんと調子が悪くなってきてうつのような症状が見られる状態のことで一般的にも使われることが多いと思います。ところがここ数年で、あらたに「6月病」ということばが使わるようになってきました。5月病も6月病も発症する原因としては環境の変化によるストレスや新しい人間関係によるストレスによるものと言われています。人間は社会生活を営む生物であるため誰しも多かれ少なかれストレスを与える要因=ストレッサーとは無縁でいられません。ストレッサーを無くすことは不可能ですが自分が感じるストレスを軽くすることはできます。ところが「自分はストレスを感じている」ということに気づかないことがあるというのが実は厄介なのです。なんとなく体がだるい、イライラする、食欲がない、寝付けないなどの症状が最初に現れやすいためただの体の不調と捉えがちなのです。しかし、体の不調でもストレスによるものでもゆっくり休んでリフレッシュすることが結局は有効なことに変わりありません。無理を続けていると必ずガタが来ますのでミスが増えたり感情の波が激しくなったりしてきたら自分に合った方法で休息しましょう。5月病・6月病に関してはインターネットで検索すると色々なサイトが出てきます。もし自分がそうかもしれないと思ったらいくつかのサイトを訪れてみることで自分になったストレス解消法が見つかるかもしれません。文責:垣内
2022.05.21
今回は今月のSJに書いた内容を少し補足してみました。非常に長いですので時間のある時に読んでいただければ幸いです。学校へ行くことは一般的に当たり前と思われています。特に小中学校は義務教育のため、学校へ行かずに外を出歩いている子どもを見かけると、「あの子はどうして学校へ行ってないんだろう?」と、世間一般の人々は思うことでしょう。学校へ通っている子どもたちですら「どうしてあの子は学校に来ないんだろう?」と不思議に思うくらいなので、それぐらい学校へ行くことが当たり前で、学校へ来ないのは普通ではないという世間の風潮は、そう簡単には変わりません。さらに、学校へ行けなくなった原因がはっきりしないことの方が多く、周りからは「怠けているだけだ」と思われがちです。そのため、学校へ行けなくなった子どもたちは、学校へ行けない自分を「当たり前のことができない駄目な人間だ」と思い悩み、自分を責めてしまう傾向にあります。youtuberゆたぼんのような子は、極めてまれなケースです。では、学校へ行くことの意味とはなんでしょうか。普段そんなことを考えて登校している子はごく少数かと思いますが、学校へ行くのがしんどくなってくると、「なぜ学校へ行かないといけないんだろう」という考えが脳裏に浮かんできます。子どもがそれを口にすると周囲の大人たちは、なぜ学校へ行かないといけないのかを懇切丁寧に説明してくれます。それに納得して一時的に学校へ行けるようになることもありますが、やがて力尽きてしまいます。頭ではなぜ学校へ行かないといけないのか分かっていても、体が言うことを聞いてくれないのです。なぜそうなるのか?つまりなぜ学校へ行けなくなるのかという原因については、文部科学省の文言でも明確化されておらず、心理的・発達的・社会的な要因が重なっているため個々によって様々です。では、どのような対応が求められるのでしょうか。これまでの研究結果から文部科学省の不登校支援の指針も柔軟になっており、少しご紹介します。【「学校へ行く」という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要があること。また、児童生徒によっては、不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがある一方で、学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在することに留意すること。】 (文部科学省ホームページより抜粋)このように学校へ行かないことのリスクに関する記載はあるものの、学校へ行かないことの意味についても記載されていることが非常に重要だと思います。ただし、学校へ行かないことが意味あるものとして機能するためには、家族も含めて当人に対する周囲の大人たちの理解が必要不可欠です。学校へ行けない本人にとっては上記のような文言があっても、現実が辛いことに変わりはありません。そのため、学校へ行けない当人へのサポートとして具体的にできることはあまり多くありませんが、「学校へ行けない状態を認めてもらえる=自分の存在を受け入れてもらえる」ことが何より有難かったと、不登校経験のある方が述べておられたのが印象的でした。他にも学校へ行かない時期を過ごした結果まるでサナギからチョウになるぐらいの新たな自分に生まれ変わるような体験をする子もいます。それは親からの心理的な自立を意味することもありますし今までできなかったことが自分でできるようになったという身体的・技術的な変化を意味する場合もあります。ちなみに、この記事内容を学校へ行けない当人に伝えたからといって子どもがすぐに変化するわけではありません。なのでくれぐれもこの記事内容を用いて子どもを「説得」しようとするのはあまりお勧めできません。また、この内容を読むことで子どものことを分かった気になり「〇〇だよね、分かるよ」なんていう声掛けもあまりお勧めできません。この記事内容はどちらかと言えば学校へ行けない子どもを抱える親の気持ちが少しでもラクになってもらえたらというのが主な目的です。学校へ行けない子どもは自分の気持ちを分かって欲しい反面、この気持ちを分かってもらってたまるかという両極端な気持ちを抱きがちです。ですから子どもの気持ちを先取りするような理解の仕方はよろしくありません。「ほな、どうしたらいいの?」と思われるかと思います。これに答えるのはとても難しいのですがとにかく目の前の子どもの「今、ここ」の気持ちに向き合い、受け止めること。それに尽きるのではないでしょうか。これはことばにするのは簡単ですが子どもの表現の仕方によっては非常に大変なことでもあります。なので、専門家のサポートを受けることで子どもの表現していることの意味を少しずつ理解できるようになっていくことがあります。あまりに長くなりましたので今回はここまでとします。文責:垣内
2021.10.04
今回は7月号の創心ジャーナルに載せた文章を一部修正して転載したいと思います。いつものブログに比べてボリュームがありますがご興味ありましたら最後までお読みいただけると幸いです。・・・・・「自分の好きなこと」、皆さんありますか?将来の夢と言われてもピンと来ないかもしれませんが、好きなことだったらいくつか思いつくかと思います。今回は、「自分の好きなこと」について考えてみたいと思います。好きなことを仕事にしている人の例としてまず思い浮かぶのが、スポーツ選手と呼ばれるアスリート、漫画家、歌手、ゲームクリエイター、パティシエ・・・他にも色々あるかと思います。これらの人に共通しているのは、自分の好きなことを続けて収入を得ているという点です。これらの職業に対してはときに、「好きなことやってお金もらえて羨ましいね」と言われることもありますが、好きなことで生きていく(お金を稼ぐ)というのは生易しいことではありません。ましてや、職業につけるレベルに達するには相当の時間と努力が必要になります。世の中の職業には「援助職」と呼ばれる、誰かを助けることを生業とするものが多数あります。例えば、医師、弁護士、看護師、救急救命士、臨床検査技師、歯科技工士、作業療法士、介護福祉士、カウンセラー、などです。これらは先に述べた職業と違って、もともと好きだったからという理由で選択される職ではないと思います。これらの職業は、誰かを直接・間接的に援助するため、人の役に立つ職業として周囲からも見られやすく、大変ではありますがやりがいもある仕事と言えます。では、「自分の好きなこと」を仕事にしたら、それは人の役に立つ職業にならないのでしょうか。もちろんそんなことはありません。「人の役に立つ」というのは誰かを助けることだけでなく誰かを幸せにすることも含み、一括りに言えば「誰かが求めているモノや価値を提供すること」と言えるでしょう。先に挙げたアスリートは興奮や感動を与えてくれますし漫画家を含むクリエイターは余暇を楽しませてくれるだけでなく文化・芸術的価値も提供してくれることがあります。ところで、私は今回の記事を書くにあたって、真っ先に浮かんだのが「さかなクン」でした。ご存知かと思いますが、彼(実は45歳!)は子どもの頃からとにかく魚が大好きで、魚博士でした。そこまで一つのことに熱中できるのはもはや才能と呼べるかもしれませんが、さかなクンも今では大学教授になっています。大学教授になれたということは、彼の持つ知識を大学側が必要としたからで、その知識を学生に学んでもらいたいと思ったからでしょう。つまり、さかなクンは「魚」という自分の好きなことに関する知識を、誰かに教えるという形で人の役に立っているわけです。他にも身近な例で言えば、私たちは仕事でPCを使用していますが、ことPCに関しては専門外です。ましてやプリンターが不調になったときや、Wi -Fi が不調になったときは、業者を呼ばないと手も足もでません。そんなOA機器に関するトラブルを、ほんの数分で解決してくれたときには、「この人マジ神」と思いましたね。これがもし、OA機器を扱う職業についていなくてもその分野に詳しい人であれば、困った人にとっては十分役に立てるわけですね。というわけで、私は是が非でも「自分の好きなことを仕事にすればいい」とは考えていません。実際、好きなことだからこそ、仕事にはしたくないと考える人もいます。自分の好きなことで人の役に立つには、やはり好きなことを突き詰め、それを続けていくことだと思います。それが将来の仕事になってもならなくても、何かの分野に精通している人は何らかの形で誰かの役に立つことができると思います。ただし、自分の好きなことに夢中になりすぎて迷惑行為や犯罪にまでなってしまうのはもちろんご法度です。また、自分の好きなことと今やらなければならないことのバランスを取ることも大切です。しかしながら学校へ行けない・体が思うように動かない状態などやらなければいけないと頭で分かっていてもできない状態のときは周囲の目も気になって義務を果たせない自分を責めがちです。そんなときはまず「自分の好きなこと」に目を向けて欲しいものです。自分の好きなことでできることがあるのなら義務は置いておいて、まずはそれからやってみるように周囲は暖かい目で促してみるのも一つです。「自分の好きなこと」を周囲に受け入れてもらうことで自己肯定感が戻ることだってあるのです。文責:垣内
2021.07.08
今回は久しぶりに不登校について書いたSJの内容をご紹介します。長文で申し訳ございませんが読んでいただけると幸いです。不登校は思春期に限ったことではありませんが、中学生・高校生に目立つことの多い現象のひとつですので、今回はこちらを取り上げます。一口に不登校と言っても、複数の要因が重なりあっていることが多く、そもそも要因が不明確なこともよくあります。家庭・学校の環境、親・教師・友人などの人間関係、子ども自身の持つ発達特性、思春期特有の心身の変化などが考えられますが、不登校の要因を突き詰めようとするのは、かえって逆効果になることもしばしばです。なぜなら、周りの大人たちが色々な要因を探って解決したのに学校へ行けない状況が続くと、「これだけやっても行けないのは本人のやる気が無いからでは」という気持ちが湧いてきて、本人を責めてしまうことになりやすいからです。そうなると子どもは学校へ行けない自分自身に罪悪感が生じ、ますます状況が悪化しかねません。子どもが学校へ行けなくなったときにまず行うべきことは、客観的な情報収集です。事実の確認と言ってもいいでしょう。例えば、学校での様子を先生から聞いたときに、「普通に友だちとも過ごしていますよ」と言われたとします。ここでの「普通に友だちと過ごす」という表現は、先生から見れば普通というだけであり、具体的に友だちとどのようなコミュニケーションを取っているのかが、明確にはわかりません。友だちと楽しそうに話しているように見えて、実は相づちを打っているだけだったり、あるいは、一方的に話して相手がうんざりしているのに気がついていなかったりするかもしれません。さらには、いじられキャラで楽しそうに見えても時々嫌そうな顔をしているかもしれません。家での様子も然りで、「親とは普通に話ができている」というエピソードだけでは客観的事実とは言えません。自分のことは話さずクラスの出来事だけを話したり、親の言うことに返事はしても〇〇が食べたい・△△がしたいといった要求を言わなかったりといった、具体的な事実を確認していく必要があります。そうすることで、子どもの現状について客観的な理解がしやすくなります。学校へ行けなくなった子どもにとって最も大切なことは、現状を理解してくれる人物の存在です。学校へ行けない理由を教えてくれて、解決してくれる人ではありません。「なぜ行けないのか自分でも分からない、それがとても不安でつらい」という、ありのままの自分を受け止めてもらうことが、子どもにとっては大きな支えとなります。とはいえ、子どもが学校へ行けなくなると親としては不安や焦りで頭がいっぱいになり、こころの余裕が無くなります。ですので、まずは学校の先生やスクールカウンセラーなどの専門家に相談し、ひとりで抱え込まないようにすることが必須です。子ども本人ではなく親のみが継続的に相談へ通うだけでも、子どもは変化していきます。正に、急がば回れです。不登校に対する考え方・アプローチはそれこそ不登校の数だけあるとも言えますので「これが正しい」という方法はありません。ここに書いてある内容も数ある考え方・方法の一つにすぎません。ご意見等ございましたら是非コメントをお待ちしております。文責:垣内宏樹
2020.11.09
思春期についてはかなり以前に「思春期に起こること」というカテゴリーでブログで書いていました。恥ずかしながら自分でもあまり内容を覚えておらず重複していると思いますが今回はSJに書いた内容をご紹介します。 思春期といってもその幅はとても広く、約10歳~25歳までを含むと考えられています。思春期の特徴はなんといっても、「子どもから大人へと変わる時期」です。より正確には「変わっていく」時期なので、この時期は子どもでも大人でもない状態とも言えます。思春期の始まりと終わりは個人差が非常に大きく、また急に変化するわけではないため、自分がなんだかよく分からない状態になりやすいのです。 思春期の変化として分かりやすいのは、第二次性徴の現れです。こちらは体の変化なので周囲からも気づかれやすい一方で、自分だけ早い/遅いといった不安に苛まれる要因となり得ます。この体の変化は、親はもちろん子ども自身ですらどうすることもできないので、誰が悪いわけでもありませんが、時に自分自身を嫌になるきっかけになるため注意が必要です。 思春期の変化として分かりにくいのは、こころの変化です。ことば遣いや態度といった、目に見える形で現れるときはまだ分かりやすいですが、本人も周りも気づかないうちに子どものこころは変化していくことがあります。思春期は一般的に「意識」が広がると言われており、これまで気づかなかったことに気づいていく時期です。それが良い点ばかりならいいのですが、よく見られるのが自分の容姿に対する否定的な感情です。「太ってる」「目が一重」「鼻がイヤ」などなど、周りの人からすれば見た目は変わっていないのに、本人の意識が「なんか変だ」と自分を認識し始めると、そこばかり気になり始めます。こうなると、周りの人から「そんなことない」と言われても、自分の捉えを変えるのは困難になります。 では、なぜそのように自分を否定的に捉えてしまうのでしょうか。その要因は様々で簡単には特定できませんが、一つは日本特有の「謙虚さ」を美徳とする文化です。日本では自分ができることを声高に言うのは、はばかられることが多いのではないでしょうか。自慢することがあまり良しとされず、環境や支えてくれた人たちへの感謝を強調することが暗に求められている気がします。もちろんそれはとても大切なことなのですが、自分自身の努力に対しても同じくらいの重みを与えて欲しいものです。 私は何も日本文化を全否定するつもりは毛頭ありませんし、どんどん自慢しなさいと言うつもりもありません。ただ、自分のやってきたことや自分の存在を認めてもらい、自分で自分を肯定できる体験をもっと積んで欲しいと思います。それが思春期のこころの危機を乗り越える、一助になると考えます。続きはまたいずれ書きます。文責:垣内宏樹
2020.10.25
6月の創心ジャーナルで書いた子どもの自立を促すためにいかに「待てる」かについて補足しようと思い立ったので今回久々にブログを書いています。まずは創心ジャーナルに書かれた内容を振り返ります。「うちの子はほんと言うことを聞かないんです」これは、子育て相談の現場で最も多く聞かれるフレーズかもしれません。むしろ、この現象が相談へつながる糸口になっていると言っても過言ではありません。(子どもが言うことを聞かないという現象には色々な要因が考えられますが、ここでは発達に凸凹のある認知特性を持った子のケースは除きます)子どもに発達の凸凹や何らかの認知特性がある場合、言うことを聞かないのはざっくり言えばその指示内容が「できない」からです。しかしできないといってもその理由は様々で、・指示内容が抽象的で分からない・今やっていることに夢中で切り替えができない・言われたことを覚えていられない・感覚が過敏あるいは鈍感すぎて対応できない・視覚情報を無視できない・やり方がそもそも分からない・手先が不器用なためできない・体が勝手に動いてしまう・パニックで固まってしまうなどなど、子どもの意思とは無関係のところで指示をこなせないことがあります。子どもの認知特性を知ることは親子の軋轢を軽減するためにとても重要なことです。ただし、子どもの認知特性が分かったからといって子どもが何でも言うとおりにしてくれるわけではありません。次はこちら。「言うことを聞かないから結局私(親)がしないといけないんです」という声も、先ほどのフレーズに続く形でよく耳にします。確かに状況によっては、子どもよりも先に親が動かないと危険なことはありますが、日常生活においてそれほど危機的な場面は頻繁に起こらないでしょう。実際に相談の中身をよくよく聞いていくと、親自身の価値観に従わないことに対して「言うことを聞かない」と怒っていたことに気づいていかれる方が多くおられます。子どもが小さいうち、特に赤ちゃんの頃は親がすべてをしてあげなくては子どもは生きていけません。やがて2歳頃から自我とよばれる「自分」という感覚が育ち始めいわゆる「イヤイヤ期」に入ります。これは自立に向けた第一歩であり母子分離の現れとも言えます。ここから親自身の自分の抱える不安との戦いあるいは不安への対処、向き合い方がテーマになってきます。というのも、自我の芽生えた子どものやることなすことにハラハラさせられるからです。そのため「しつけ」というものが子どもの自立にはセットで必要になってくるのですが何を、どこまで、どのようにしつけるかは親自身の不安の程度に大きく左右されます。さらに言えば親自身が、自分の親からどのようにしつけられてきたかも影響を及ぼします。ちょっと思ったよりも分量が増えてしまいましたので続きはまたいずれ書きます。タイトルをシリーズとして分かるような形にしておきますので興味のある方は気長に(謝罪)お待ちください。文責:垣内宏樹
2020.08.10
新型コロナウィルスによる休校措置が始まってから、およそ2か月が経過しようとしています。未知のウィルスとの戦いにより、これまでにない規模で社会全体が大きく揺らされています。医療分野ではすでに限界を超えてしまっているところもありますが、今もなんとかギリギリの状況で耐えているところも少なくないと思います。その一つとして、今回は家庭内に焦点をあてて考えてみます。本来子どもが園・学校に行っているはずなのに家にいるという状況は、今回のように終息の見通しが立たない場合、親にとってもストレスを感じやすくなります。もちろん、子どもと一緒に過ごすことが楽しくてしょうがないという方もいるかもしれませんが、普段の家事が思うように進まない、子どもが家にいるのでテレワークも思うように進まない、兄弟げんかばかり目にしてうんざりする、ダラダラと過ごしているのを見たくなくても目につく、パートナーが協力してくれない、など親にとってはイライラして当たり前の状況だと思います。そこに外出自粛要請も重なって来ているため、息抜きをしようにも中々難しい状況だと思います。まさに「息が詰まる」思いをしている人も少なくないでしょう。 では、この状況下でありながらストレスをあまり感じずに過ごせている方は、どんな方法で乗り切っているのでしょうか。好きなスイーツを食べる、好きなお酒を飲むなど普段好きなものを増やすことでストレスに対処している方もいるでしょう。もしくは、普段からあまりストレスを溜めないような生活スタイルで、そのままうまくやれているのかもしれません。誰にとってもうまくいく方法というのは、魔法でも使わない限りあり得ませんが、少しは効果的な方法があります。それは、自分自身の認知の枠組みを変えるという方法です。自分の中の当たり前がそうならないと、人はストレスを感じます。そこで、自分の中で当たり前だと思っていることが、果たして今の状況でも当たり前なのだろうか?本来はこうすべきだけど、こころに余裕はあるだろうか?と、自分へ問いかけてみることで自分の考え方の癖が分かり、別の考え方を得るきっかけになります。最初は頭の中で自問自答するよりも、書き出す方が取り組みやすいです。家庭でのストレスに苦しんでいる方は、一度お試しください。もし自分1人でやるのが難しい場合臨床心理士や公認心理師などこころの専門家に支えてもらいながら取り組みましょう。今は対面での面接が難しい状況ですが電話相談を行っているところもあります。http://www.jsccp.jp/info/infonews/detail?no=708こちらのサイトで臨床心理士による電話相談を受け付けていますので参照ください。文責:垣内 宏樹
2020.04.25
前々回?聴くことについてブログに書かせていただきましたが今回は、12月の創心ジャーナルに寄稿したものを載せます。内容は創心ジャーナルと同じですのですでにご存じの方もいるかと思います。初めて目にされる方は前々回の私のブログも併せてご覧いただけると幸いです。では、長いですがどうぞ。 カウンセリングにおいて、聴くことは基本中の基本であると同時に、極意であるとも言えます。聴くことは単に相手のことばを理解するだけではなく、その背景にある気持ちを理解することが求められます。ここで気持ちということばを使いましたが、本質的にはその人の存在を受けとめるということでもあると思います。 親子、兄弟、友人、教師生徒、上司部下、先輩後輩、医者患者、店員顧客など、人は社会で生きていく中で様々な人間関係を持ちます。聴くことは人間関係を築いていく上で必要不可欠なものだと思いますが、時に人間関係によって人は傷つくことがあります。むしろ、人が生きていく上で最も大変なのは人間関係なのかもしれません。 傷つきは人を孤独にさせます。「なぜ自分だけこんな目に」「クソみたいな世の中だ」と、その人の傷つきが深いほど社会に対する憎しみが湧きあがり、「誰も自分をわかってくれない」という思いから、孤独に陥ります。孤独というのは、周囲に人がいないという意味ではなく、心理的な孤独です。誰かと一緒にいても孤独を感じるのは、珍しいことではありません。 しかし、その傷つきを癒してくれるのもまた人間関係だったりします。それは必ずしもカウンセラーの役割とは限りません。話を聴いてくれる人なら、誰にでもできる可能性があります。それを悪用するのが、悪意を持って人を騙そうとする人たちです。最近でも小6女子がSNSで知り合った人についていく事件がありましたが、これには中々複雑な事情がありそうです。推測ですが、彼女もまた傷つきから癒やしを求め、親身に話を聴いてくれる人に心を許してしまったのかもしれません。 聴くことは、簡単とも難しいとも言えます。簡単と言ったのは、相手の話を否定せずにただうなずいたり、繰り返しているだけで、「聴いてもらっている」と話し手は感じるからです。これはコンピューターを使った実験で証明されています。難しいのは、話し手の気持ちがことば通りとは限らず、別の気持ちが潜んでいるときです。声にならない声を聴くのは、本当に難しいのです。 聴くことを急にやろうとしても、うまくいくものでもありません。そのためには、普段から何気ないコミュニケーションがとれている関係性が前提となります。相手が、この人になら話してもいいかなと思ったときが、聴くタイミングなのです。それは親子であっても変わらないと思います。最近きちんと人の話を聴けているのか?そういった自戒を込めて載せてみました。これからも頑張ります。文責:垣内 宏樹
2019.12.10
早いもので(?)この呟きシリーズも50回に到達しました。「こんな長い呟きあるかい」というご指摘はごもっともです。それ、一番言われてますから。さて、今回はおなじみの思春期に起こることシリーズです。その3で合ってたはずです。間違えていたらごめんなさい。この時期は中学生・高校生にとって進路選択を迫られるプレッシャーのかかる時期です。特に多くの中学生にとっては初めての経験ですから不安にならないはずがありません。この進路選択と思春期のこころの発達がこの時期に重なってしまうのがこれまた大変なんですね。思春期は人によってその現れ方が様々ですが大なり小なり気持ちが揺れ動きます。昨日言っていたことが翌日には正反対になっていることも珍しくありません。その子どもの言動に一番身近にいる親は振り回されます。「もう勉強なんてどうでもいい」と言っていたかと思えば「塾行くから早くして」などと、態度が急に変わったりします。思春期の子どもは大人からすると本当に些細なことのように見えるもので傷ついたり自信を無くしたりしがちです。それはまだ自分というものが不安定なため致し方ありません。成績というのは本当にシビアなもので容赦なく現実を突きつけてきます。それは大人社会にとっては当たり前ですが子どもにとっては受け入れがたいものです。(大人でも自分の失敗は受け入れがたいですけどw)このように思春期の子どもは脆くもありながら、自分の正当性を主張しわかってもらいたいという思いがあるところが大きな特徴です。「自分はこんなはずじゃない」「〇〇さえなかったら」と、現実を受け入れず何かのせいにするのは当たり前のことなのです。そうやって自分を守らないともたなくなってしまうからです。思春期は理想の自分と現実の自分とのギャップに気づき苦しみ、もがいて誰かに受け止めてもらいながら自分というものを形成していく過程です。子どもが極端なことを口走ったときは頭ごなしに否定したりどうせ口だけだと軽くあしらったりせずに「そうか(ちょっとしばらく様子を見てみようか)」と、「間」を置いて観察してみることをお勧めします。もちろん緊急性の高い場合はそんな悠長なことを言ってられませんが。今回の内容はあらゆる子どもにそのまま当てはまるわけではありませんが子どもとの関係に悩んでいる方にとって何らかのヒントになれば幸いです。前回ご紹介しました大阪府教育センターのサイトも参考になるかと思います。文責:垣内 宏樹
2019.12.03
かなり間隔が空いてしまいました。久しぶりの投稿です。日々の忙しさを言い訳に考えることを放棄してしまいました。なので、今回は久しぶりにLet's think.(古い)さて、今回は日常にも使えるカウンセリング技法の1つ「聴く」ことについてご紹介します。そもそも、なぜ「聞く」ではなく「聴く」なのか。「傾聴」ということばがあるように「聴く」のほうが相手に寄り添って聞いているような気がしませんか?しませんか。。。それはさておき、日常場面で「聴く」を実践するのはコツさえ知っていればそんなに難しくありません。それは●うなずく●くりかえす●共感する●沈黙するを意識的に、会話に応じて使い分けるだけです。しかしながら、実際やってみようとすると難しい場合がよくあります。それは、つい喋りたくなる欲求が聴き手に生じるからです。「いやそれはね」「でもね」など、特に子どもの話を聴くと大人はつい口を出したくなります。そしていつの間にか子どもの話を聴くのではなく「言い聞かせる」になってしまうこともよくあります。もちろんそれが必要な場面もありますが聴くことの大切さについては後述するサイトをご覧いただくとして要約すると●安心感、信頼感が生まれる●自分で新たな気づきを得られるという点でしょうか。特に子どもが不安なときはじっくりと相手のペースに沿って聴いてあげることが望ましいです。今回の内容は大阪府教育センターのホームページにある教育相談>子育てのヒントというページを参考にしております。興味のある方はhttp://wwwc.osaka-c.ed.jp/matters/consultation/sukoyaka/kosodatenohinto.htmをご覧ください。文責:垣内 宏樹
2019.11.26
今回は11月号の創心ジャーナルに書いた内容です。色々な考え方がありますのでその中の一つとして捉えていただけると幸いです。日常で「まだ幼い」「十分大人だ」といった表現は、よく使われていると思います。幼いと一口に言っても、それはこころのことなのか身体的なことなのか、分かるようで分かりにくいと思います。まず、こころについて。こころと言ってもその機能には色々あります。思考、感情、欲求、共感、記憶、認知、意識、自己コントロールなど、人間の大脳にはこころに関する様々な能力があります。大雑把なくくりですが、これらを精神的な機能としましょう。次に、からだについて。視覚、聴覚などの五感はもちろん、筋緊張、骨格、柔軟性、バランス感覚、重さの感覚、刺激に対する調整など、これらは大脳だけでなく小脳や脳幹といった部位が司り、生物として生きていくために必要な機能と言えます。これらを一応身体的な機能としましょう。ヒトは生物学的には「生理的早産」の状態で生まれると言われています。多くの哺乳類は生まれたときからすぐに、ある程度自分で歩くことができます。そうしないと捕食者に食べられてしまうからです。しかしヒトの場合、赤ちゃんが歩けるようになるまでは大体1年程度かかります。その間、養育者の存在が不可欠ですし、歩けるようになってからも不可欠です。いわゆる「大人」になるためには、20年前後の月日がかかります。ここでいわゆるとしたのは、「自分で衣食住を賄える」状態を大人の目安にしたためです。では、同じ時間が経過すればみんな同じように発達するのかというと、そうではありません。精神的機能と身体的機能のどちらも、発達には個人差が生じます。足の速さ、字の覚え、興味関心にばらつきがあるように、年齢が同じでも発達の段階は人それぞれ異なります。なので、本来は他人と比べること自体ナンセンスなのですが、現実は厳しいものです。学齢が上がると「順位」ないし「偏差値」というもので自分の位置が分かります。社会に出てからも、競争はつきものです。やりたいと思ってもできないという、現実の壁にぶつかることだってあります。できない・やらないことには、その子なりの理由があります。それがなぜなのか分からないとき、「サボっている」「怠けている」と、大人はよく口にします。確かに、やればすぐできるのに後々まで先延ばしにする子には、そのような解釈が当てはまるかもしれません。しかし、精神的・身体的機能の発達にばらつきがあると、みんなと同じようにやっても同じ結果にならないのです。そこを「怠けている」と決めつけられ、責められるのはちょっと酷な気がしませんか。偏差値や順位といった他者と比べた客観的な自分の位置を知ることは、確かに大事です。それと同じくらい、自分自身の中で何が得意で何が苦手かを知ることも、私は大切だと思っています。そのためには、子どものできないことを頭ごなしに否定するのではなく、一旦受け止めるという関わり方が必要になってきます。そうして、自己理解・気づきが生じると、新たな発達につながるのです。文責:垣内宏樹
2019.11.04
先日の大型台風で甚大な被害が生じました。亡くなられた方々には心よりご冥福をお祈り申し上げます。被害に遭われた方々におかれましては一日でも早く日常生活が取り戻せることを心より願っております。さて、台風のニュースで少し目立たなくなりましたが神戸であった教師による教師へのいじめが大々的に取り上げられました。あれはもはやいじめではなく、立派な犯罪と言えるでしょう。そもそも、「いじめ」ということばの表現自体が罪の意識を軽くさせているような雰囲気があると感じるのは私だけでしょうか。いじめは精神的苦痛にとどまらず、「傷害罪」「強要罪」「侮辱罪」「暴行罪」といった罪として成立する可能性があります。なので、決してただの悪ふざけでは済まないのです。と、ここではそれよりもタイトルにあるように「いじめはどこでも起こりうる」ということを言いたいのです。人類の歴史を見てもこれまでに多くの地域で「迫害」や「差別」が行われており人間の攻撃性に関する研究は犯罪心理学や社会心理学、文化人類学等でたくさん議論されています。映画でも人間の攻撃性をテーマにした作品が多くあり最近では「ジョーカー」がそれにあたるでしょうか。人が攻撃的になる要因は怒り、不安、恨み、妬み、孤独、貧困など数多くありますが根底には「自己の傷つき」があるように思います。傷つけられた人は他者に対して攻撃的になることがあります。よく「なぜ自分がされて嫌なことを他人にするの?」と諭すことがあるかと思いますが傷つきを誰かに受け止めてもらえた人はそこまで攻撃的になることは少ないです。しかし、傷つきを誰にも抱えてもらえない場合、「自分は傷つけられたのだから他人も傷ついて当然だ」という認知の歪みが生じやすく自己の攻撃性を正当化してしまいます。さらに、そこへ集団心理が作用すると攻撃性はさらに加速度を増し集団の誰も罪の意識を感じなくなってしまうのです。つまり、いじめを行う人たちはこころになんらかの傷つきを抱えておりそのため他者に対して攻撃性を向けていると考えることができます。もちろん傷ついているからといっていじめの行為が許されることは絶対にあり得ませんが未然に防ぐ可能性があるとも言えます。それには集団の管理者が集団の成員間へアンテナをはりだれかが傷ついていないかどうか常に気を配ることが必要かと思います。なぜ管理者かというと、いじめには組織で対応する必要があるからです。個人で戦うのはお勧めできません。相手を思いやることは大切だと口で言うのは簡単ですがこころに余裕のない人は相手を思いやる視点よりも自分の正当性を優先します。それが人間の性であると知っておくだけでも損はないかと思います。文責:垣内宏樹
2019.10.14
子どもが親の言ったことに対して素直に従わず反発したり逆のことをしたりする時期を反抗期と呼びます。反抗期は発達的に2度訪れると言われています。1度目が2歳過ぎ~4,5歳頃までのいわゆるイヤイヤ期というものです。2度目は個人差が大きいですが思春期と呼ばれる小学校高学年~大学生頃までに相当します。1度目の反抗期は自我の芽生えと呼ばれ子どもが自分の感覚や考え方に気づく時期です。個人差はあれど、ことばを少しずつ話せるようになることで自分の気持ちを徐々に伝えられるようになります。これは子どもが「自分はこう思っている」という親とは違う考え方を持った一個の人格を持っていることを意味します。この時期は純粋に自己中心的な物の見方をしそれが子どもにとってはとても新鮮で楽しく大人にとってはわがままに対処する苦労が生じます。2度目の反抗期は少し異なった意味を持ちます。思春期の自分とは「他の人から見た自分」という意識が加わります。つまり、社会の中における自分という感覚が芽生えます。これは自己中心性 VS 社会性という構図になりやすいです。思春期は、親をはじめ学校のルールにこれまで従ってきた自分から別の自分に生まれ変わるような体験をすることがあります。子どもから大人へと変化していく最中なので気分や考え方がコロコロ変わります。そのように揺れ動き、一貫性がないことが思春期の特徴の一つと言えるかもしれません。思春期は再び自己中心性が活性化されるため自分の思った通りにいかないと無性に腹が立ってきます。また、あれこれ決めつけられるとそれが正しいことだとわかっていても先に言われてしまうと腹が立ってきます。一方で、こころのどこかでは「自分は大丈夫かな」「誰かに分かってほしい」というような気持ちがあったりもします。思春期の子どもにとっては親よりも同級生の価値観のほうが強い影響力を及ぼします。彼・彼女らにとってはそこが生きる社会だからです。親に反抗するというのは自分の考えや価値観を社会で試しそこから学び、修正し、新たな自分を形成するためのプロセスと言えるかもしれません。ただ、反抗というのは親に対する分かりやすい反発という形だけとは限りません。「うちの子は反抗しない」と心配される方がいるかもしれませんが「もっとこうしてくれたらいいのに」と親が思うように子どもが行動していない場合も反抗あるいは自立と捉えて差し支えないこともあります。他の子と比べたくなるのは仕方ありませんが子どもの発達は個体差がありますので焦って先取りしないことが肝要です。文責:垣内宏樹
2019.10.07
この土日あるいは平日に小中学校で運動会や体育大会が行われましたね。事前の天気予報では怪しかったですが昨日は真夏のような暑さで子どもたちは頑張っていたことでしょう。多くの子にとってはとても楽しかったイベントではないでしょうか。始まるまではあまり興味がなくても実際始まってみると自分のチームの勝利を願って一喜一憂してしたのではないでしょうか。また、中学生ともなるとクラスや仲のいい友人同士で終わった後に打ち上げという体験を共有する機会を持つこともあるでしょう。小6生や中3生にとっては最後の大きな行事を終えどこか寂しい気持ちもあるかもしれませんね。と、運動会や体育大会はどちらかと言えば「楽しいイベント」と多くの人が感じやすいと言えます。しかし、これが学校行事の中で最も「嫌いだ」と言う子だっていることを知っておいて欲しいと思います。運動会が楽しいと感じる子にとって運動会が「嫌い」と感じる子を理解または受け入れるのはとても難しいことかと思います。もちろん、「嫌い」と感じる理由は人それぞれあるでしょうがどんな領域やジャンルでも楽しいと感じる子もいればそう感じない子もいるのは至極当たり前のことなのです。ところが、やはり楽しめない子はマイノリティ(少数派)になってしまいやすく集団の中では肩身の狭い思いをしがちです。中にはとりあえずみんなの気を害さないように楽しく振舞っている子だっていますがかなりエネルギーを使っていることでしょう。「運動会なんで面白くない」と堂々と言える子はそうそういないのではないでしょうか。そう言える子の中には「なぜ楽しいと思えるのかが分からない」と本気で思っている子だっているのです。逆に、楽しめる子にとっては「なぜ楽しいと思えないのかが分からない」と本気で思っている子もいます。この両者がいくら話し合ったところで相手を納得させることは困難でしょう。思春期、特に中学生の子どもは自分の考えや価値観を大事にしたいと思いつつも同年代の考え方とズレていないかどうかにとても敏感になります。なので、みんなが楽しいと言ってるから楽しいそう思わないのは変だという思いになる子もいます。「相手のことを考えて行動しよう」と大人は言いますがそれはこころに余裕があるからこそできる芸当ではないでしょうか。こころに余裕が無くなると人はすぐに攻撃的になってしまいます。大人になって社会で生きていくためには集団生活を通して社会性を身につける必要がありそのために様々な学校行事があるというのはとても分かりやすい論理です。私はこれを否定するつもりは毛頭ありません。ただ、集団生活を送ることに大変なエネルギーを要する子もいるということを忘れてはならないと思います。集団行事に参加できる子は○で参加できない子は×であるという風潮はまだまだ根強いのではないでしょうか。なかなか難しいことではありますがまずは我々大人たちが現代の多様性を受け入れ変化していく必要があるのかなと思います。文責:垣内宏樹
2019.09.30
もうすぐお彼岸ですね。 彼岸とは元々仏教用語で 亡くなった方がいく仏様がいる世界 を表します。 それに対して我々の住む世界は 此岸と言います。 お彼岸はちょうど季節の変わり目にも当たり 「暑さ寒さも彼岸まで」 ということばがあるように 3月半ばからだんだん暖かくなり 9月半ばからだんだん涼しく なりますね。 この年2回あるお彼岸に おはぎ、もしくはぼたもちを 食べる風習が日本にはあります。 でもどちらも見た目は同じなのに なぜ名前が違うんだろう? と、ふと気になったので 調べてみました。 諸説あるようですが おはぎは萩という秋の花に似ているとのことで 秋はおはぎと呼ばれ ぼたもちは牡丹(ぼたん)という春の花に 似ているため春はおはぎと 呼ばれるそうです。 ちなみに、 春はぼたもち 夏は夜船 秋はおはぎ 冬は北窓 という言い方もあるそうです。 興味のある人はググってみましょう。 今回は いわゆる雑学ネタになってしまいました。 雑学は試験やテストの点数に 直接結び付く訳ではありませんが 雑学はその人自身の知識を増やすだけでなく 考え方や感性が豊かになる可能性もあります。 思春期は 自分にとって関心のない領域を好む人を 感覚的に受け付けなくなることがあります。 例えば漫画やアニメが好きな人を 「陰キャでキモい」 と攻撃することがあります。 また、特に好きではなくとも 周囲から浮かないようにするために 好きではない領域に 頑張って入っていく人もいます。 思春期は色々なことに不安を抱きます。 何も好きなことがない人にとっては 好きなことに熱中できる人を 脅威と感じてしまうのかもしれません。 もちろん本人はそんなことを意識していないでしょうが 「自分にはこんなに熱中できることはあるのか?」 と考えると不安になることがあります。 その不安を受け入れがたいため 「陰キャはキモい」 と対象を否定することで 不安を解消しようとしているのかも しれません。 何度もいいますが すぐに人を攻撃する人は 不安などの自分のこころの動きに 気づいていないことが多いのです。 なので、 思春期によく見られる人間関係のもつれは 自分自身の不安やいらだちから 攻撃的になってしまうケースがよくあります。 ということは 自分自身の不安やいらだちを 受け止めてくれる人 大人の正しい価値観を押し付けずに まずは聞いてくれる人がいると 自分の不安を口にしやすくなるため 自ずと他者に対する攻撃が 収まりやすくなると予想できます。 と、言うのは簡単ですが やるのはなかなかしんどいことです。 しかし思春期の子どもたちを 受けとめる存在が大切なのは 変わりません。 ひとりではなく 色々な人が 色々な形で 関わりながら 少しずつ 受け止めていければ いいかと思います。 文責:垣内 宏樹
2019.09.16
世の中、色々な子がいます。勉強に苦手意識がある子成績はいいが勉強は嫌いな子勉強が苦ではない子運動が好きな子すでに成りたい職業がある子特定の分野の知識が豊富な子自分には何も得意なことがないと思っている子とりあえず高校行けたらいいやと思っている子どの高校に行けばいいかわからない子YouTuberになりたいと思っている子中卒で働くことが決まっている子大学で学びたいことが決まっている子とりあえず思いつく限り書いてみましたが他にも色々な子がいると思います。子どもにもこんなに多様性があり今の高校は私立だけでなく公立高校にも様々な学科があります。20~30年前に比べて子どもたちの置かれている状況は劇的に変わっているなぁと思っています。思春期の子どもにとって高校受験は最初の進路選択になることが比較的多いと思います。もちろん高校だけでその後進路がすべて決まるわけではありません。思春期のときにこうしたいと思っていたことが数年後に変化することもザラにあります。それは本人の考えが浅いというわけではなく成長とともに考え方や価値観が豊かになったと捉えるほうが本人にとっては有益でしょう。これから中学生3年生の子どもたちの多くは否が応でも自分の進路を考えなければなりません。子どもの言うことがコロコロ変わることはよくあることです。それは進路という大きなことについても同じです。なぜなら、子どもも不安になるからです。それにいちいち振り回されていると親もしんどくなってきます。時には激しい親子喧嘩になることもあり最終的には「もう好きにしい」と親が突き放したくなることもあります。しかし、そのようなプロセスは子どもが親から自立していこうとする成長の証です。親から見ると不安な気持ちから「そんな甘いことを」「こっちのほうが将来的にいいじゃない」と親の考える良いことを言いたくなってきます。それを言うのは親の自由ですが結局選ぶのは子ども本人です。高校ならまだしも大学ともなると自分が学びたいと思う学科に行かないと途中で通えなくなったり大学を辞めたり別の大学を受けなおしたりすることもあります。最悪の場合、自ら命を絶ってしまうこともあり得ます。もちろん希望の大学に行ったからといってそれで安泰という保証はありません。とどのつまりは乱暴な言い方をすれば将来のことなんて誰にもわかりません。「賭け」という言葉に例えるのはよろしくありませんが刺激とスリルを求めるギャンブルという意味ではなくどうなるのか分からないという意味では同じだと思います。もちろん選択の幅を増やすために勉強をすることが大切なのは言うまでもありません。ただ、進路を選ぶのは「子ども本人」だということをこころに留めておくとヒートアップしたときに少し冷静になれるかもしれません。親にとっても進路選択は胃が痛くなるような時期になることがあります。もし進路選択を巡って親子関係が悪くなりお困りの際には学校や塾の先生はもちろん臨床心理士等こころの専門家に相談してみるのも一つです。文責:垣内宏樹
2019.09.09
今回は思春期にしばしば起こる、原因不明の体調不良について書いてみます。これは今月号の創心ジャーナルの内容とほぼ同じですのでご了承ください。 2学期が始まり、普段の生活スタイルに戻ったのではないでしょうか。ところが、学校が始まるに伴い、これまで元気に過ごしていた子が突然体調を崩すことがあります。お腹が痛い、頭が痛い、食欲がない、体がだるい、起きられない・・・思春期に限らず、子どもはこころに負荷がかかると体調不良を訴えることがあります。それで医師の診察を受けると、「特に異常はないので思春期特有のものでしょう」あるいは「ストレスによる自律神経の乱れでしょう」と言われがちです。ちなみに「起立性調節障害ですね」と言われるとからだの病気だからすぐに治ると思われがちですがこちらもこころの状態が影響していることが多いです。「ストレス」と言われると原因がわかったような気になりますが、じゃあ何にストレスを感じているの?と聞かれると子どもは困ってしまいます。自分でも不安やイライラの原因がよく分からないので、何にストレスを感じているのか言語化するのは、子どもにとって簡単なことではありません。「なんかもやもやする」、「頭がずーんとした感じ」、「からだが重い」などと答えるのがやっとかもしれません。多くの子どもたちは、頭では今何をしなければいけないかを分かっています。特に受験学年ともなると、勉強しなければいけないこと、他の子たちは勉強していることも分かるので、頑張ってやります。ところが、急に糸が切れたように、やろうと思ってもからだが言うことを聞かなくなります。これは、いわゆる真面目な子によく見られます。真面目な子ほど、大人の言う「正しいこと」を自分でも納得できるので、そこにストレスを感じることはほとんどありません。そうして「正しいこと」を続けていくうちに、ふと自分の中で芽生えてきた思いや欲求に対しても「これは正しくないからやめとこう」と、自分でラベルを貼りがちです。そうして、「頑張ることは正しい」、「頑張らないことは悪い」という二極化が起きてくると、頑張れない自分は悪いと思ってしまい、やがてつぶれます。じゃあそうなる前に言ってくれればいいのに、と親は思うかもしれません。ところが、思春期の子どもはなかなか弱音を吐きません。また、せっかく自分は頑張っているのに大人から「頑張らなくていい」なんて言われると、怒るに決まっています。でも、この「怒る」という感情も、実は大切だったりします。真面目な子ほど、正当な怒りすら抑えてしまうことがあるからです。だからといって、むやみやたらに子どもを怒らせるのは逆効果です。親にとって大事なことは、「正しいか悪いか」という二項対立的価値観に縛られないことかと思います。子どもにとって大事なのは、自分の思いを大事にして自分のペースを取り戻すことだと思います。先々のことを考えると不安からつい「正しいか悪いか」という思考パターンになりがちです。でも、今、目の前の子どもにとってそれが本当に合っているのか、振り返る視点が大切です。体調不良は本人にしかわからないしんどさです。だからこそ、その本人の感覚・感情を自分も周りも大切に扱うことが、二極化から脱する糸口になりえるでしょう。親にできることは、子どものペースを尊重しながら普段の生活を支えることぐらいかもしれませんが、それで十分だと思います。子どもが自分から動けるようになるのと体調が良くなってくるのは同時進行になりやすいですし良くなったかと思えばまた悪くなるという行きつ戻りつを繰り返すこともしばしばです。今回は長文になり、失礼しました。思春期の体調不良についてはこれがすべてではありませんので医療機関でチェックしてもらうことがもちろん大前提ですのであしからず。文責:垣内宏樹
2019.09.02
昨日、愛知県あま市まで 発達支援コーチ全国研究大会へ 参加するために行ってきました。 形式としてはいわゆる学会のような 講演とワークショップでした。 非常に実りある時間を過ごせましたが そのなかでも一番の驚きは 眼鏡をカラーレンズにすることで 本を読んでも内容が入ってこなかった人が 読めるようになったという事例でした。 そんなことが本当にあるのか? と訝しく思う人もいるかと思いますが 事例の方は確かイエローのカラーレンズの 眼鏡をかけて本を読んだときに 涙を流して感動されていました。 「今まで文字は読めていても内容が入ってこなかった」 と。 なぜそうなるのか 私には到底説明することができませんが 利き手、利き目があるように 色の見え方や視覚刺激の受け方にも 左右で差があるそうです。 また、その人にあったカラーレンズをかけると 姿勢がよくなったりバランスがとりやすくなったり 片付けができるようになったり することもあるそうです。 視覚刺激は視覚情報としてだけでなく 脳の色々なところに影響を与え、 結果として見る以外の体の機能にも 影響が出てくるそうです。 それをカラーレンズで支援することが できるとのことでした。 さらなる研究が待ち遠しいです。 午後のワークショップでは 家でもすぐにできそうな色々な 遊びを教えてもらいました。️ 今後PRIMでもやっていこうと思います。 他にも、 なぜ水を飲むことがいいのか、 なぜ呼吸が浅いと疲れやすいのか、 などたくさんのことを学びました。 また少しずつご紹介したいと思います。 大会開催にあたって準備された皆様、 貴重な体験の場を提供いただき ありがとうございました。 文責:垣内宏樹
2019.08.26
まもなく夏休みが終わります。親後さんにとってはようやく普段の生活リズムに戻れることにありがたみを感じておられることでしょう。そのため、多くの方にとってはそんなに不安になることもないかと思います。ところが、学校に行きにくい子どもを持つ親にとっては学期の始まりは不安でしかありません。「また行きたくないと言ったらどうしよう」「今度はどうやったら行ってくれるんだろう」という具合に、学校が始まるということは学校に行けなくなる日も始まる可能性があるということなのです。子どもは子どもで親とは違う不安を感じることがあります。「またあの子と一緒にいなあかんのか」「教室に入りたくないなぁ」「みんなの視線が怖い」または「頭が痛い」「お腹が痛い」「体が重い」「だるくてしんどい」などの体調不良を訴えることもあります。子どもは自分の感じている不安をいつも言葉にできるとはかぎりません。親としては励ましているつもりでも子どもにとっては「精神的に追い詰められている」と感じることもあります。なので子どもの些細な変化やサインに気づいたら「どうしたの?」と、こころにゆとりを持って聞いてあげる姿勢で接することが大切です。進路、成績、順位、勝利・・・これらはもちろん大切ですし親だけでなく子どもも期待します。しかし、それらは子どもの命があってこそ得られるものであることを忘れないで欲しいと思います。そんなことを以下のサイトの記事を読んで思いました。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190819-00010000-bfj-soci文責:垣内宏樹
2019.08.19
このフレーズを聞いてピンとくる人は同じ世代の匂いがしますね~。いよいよ夏休みも残すところ2週間弱となりました。始まったときには長く感じられますがお盆に入ると「もうすぐ学校かぁ~・・・」と一気に短く感じられませんか。まぁ、親としては「はよ夏休み終わってくれ!」というのが本音でしょう(笑)しかしまぁ、夏の思い出といふものは祭り然り、花火然り、甲子園然り、高揚感と儚さが相まっていとおかしげなるものが多い気がします。中学3年生、高校3年生にとっては勉強漬けの夏かもしれませんがそれも数年後に振り返ってみると懐かしく感じたり、どこか切なくなったりすることもあるでしょう。「僕の夏休み」というゲームが数年前かそこらにヒットしましたが夏休み特有の高揚感と儚さを疑似体験できるというのがすでに大人になってしまった人のこころに響くのかもしれませんね。まぁ私はやったことありませんけど。しかし、子どもの頃に感じた「夏休み」と大人になってからの「夏休み」は本当に別物のようですね。あの頃に戻りたいとは全く思いませんが「もう二度と戻れない」と分かるだけでなんとなく切なくなったりはします。何かに打ち込むということはなかなか簡単にできることではありません。ただでさえ多様性に溢れる現代社会のなかで「自分はこれにする」と何かを選択することは他の選択肢を捨てるということになります。そこに賭けるのには不安や戸惑いもあるでしょうがやはり本人の「やりたい」という意欲が勝ってこそ選択ができるのだと思います。中には「これしかない」という選択肢すら与えてもらえない場合もあるでしょうがきっといつかは自分で選択しないといけない場面が出てくるでしょう。その自分で決めた何かに打ち込んでいるときが最も自分が輝いてる瞬間かもしれませんね。今回は本当にとりとめのない内容でオチもまったく考えずにつらつらと書いてしまいました。無理やりまとめるなら、大人になって切なくなるぐらい、子どもの間に精一杯遊んで勉強しようぜ!ってところですかね。文責:垣内 宏樹
2019.08.12
現代の子どもたちにとって遊びと言えばゲームや動画が主流ですね。もちろん野球やサッカーなどルールの中で体を動かす遊びや運動が好きな子もいるでしょう。他にも、昆虫採集、読書、絵などが好きな子もいるかと思います。都市部の子どもたちにとっては山、川、海での自然体験をするにはわざわざお金と時間を費やして現地まで行かなければなりません。「外で遊ぶ子が減った」「外で遊べる場所がない」そんなことはとっくに言われ尽くされてきたと思うのでここでは触れません。また、酷暑が続く中、あえて外で遊ばなくてもいいでしょう。そこで今回は、涼しい家の中で体を使って遊ぶことをお勧めしたいと思います。「りたりこLITRICO発達なび」というサイトに、感覚統合について詳しく書かれていますので一度そちらへのお立ち寄りをお勧めしますが要するに、体を使った遊びにはいいことがたくさんあるということなんですね。でも、それは強制であってはいけません。「○○やりたい!」という気持ちになっているときに子どもの発達が促進されるのです。我が家の子どもたちは寝る前に・えんぴつ転がし・布団くるみ投げ・背中迷路とお腹迷路を要求してきます。えんぴつ転がしとは、敷布団の上でえんぴつになって転がる遊びです。布団くるみ投げは、タオルケットにくるまった子をブランコのようにしてベッドへ投げます。背中とお腹の迷路は、足から指をてくてく歩かせて背面と腹面を移動する遊びです。他にも、「もぐり脱出」という遊びをすることがあります。これらは、子どもが勝手に思いついた遊びでネーミングもだいたい子どもです。布団くるみ投げは、2人でやったほうがやりやすいと思います。寝る前なのでテンションが上がって寝なくなると思われがちですが、満足すると寝てくれます。こちらも適度に疲れて一緒に寝落ちします(笑)我が家の遊びが感覚統合療法かどうかはわかりません。また、このような遊びをしたからといって「ここができるようになった!」とピンポイントで効果があるのかもわかりません。ただ、子どもがやりたがるということは脳が求めているということでしょうから脳を満足させる刺激を与えることは悪いことではないだろうと思ってやっています。私が創心館でやっているPRIMも感覚統合療法の考え方とかなり似ています。家の中で体を使って遊ぶことにはもちろん限界もありますし、必要です。しかし、子どもの想像力は無限大なので家の中でできる形に「変換」すればなんだってできます。暑い日は外出が減ると思いますので家の中でどんどん遊びましょう!文責:垣内 宏樹
2019.08.05
昨日は参議院選挙がありましたね。みなさんは選挙にいかれましたか?高校生でも18歳であれば選挙にいけるというのは私たち世代の感覚では不思議な感じがしますがそうなるまで遅すぎた気もします。欧米では大統領を選ぶときも高校生がお互い真剣に議論をしています。それぐらい結果が自分たちに影響があると感じているからでしょう。日本ではどうでしょうか?さて、大阪の選挙区からはたくさんの候補者が立候補していましたが当選するのは4人しかいません。どうやって調べているのかわかりませんが選挙で誰が当選するのかは投票前から大方の予想がついているそうです。創心館の生徒の中には選挙だけでなく政治・経済に関心のある中学生がいます。その子は大人顔負けなぐらい政治・経済に関する知識が豊富で最近の中学生にしては珍しいと呼べるかもしれません。そんな彼が大阪の投票結果についての予想を話してくれました。それが見事に一致していたのですからなんとも驚きです。一体彼は何者なんでしょうか(笑)彼のような選挙に関心を持つ若者が今後も増えてくれたらいいなと思いました。ちなみに、私は選挙が先週だと勘違いしていて「あ~~!投票行くの忘れてた!」と一人で焦ってました・・・。(もちろん昨日行きましたよ)文責:垣内 宏樹
2019.07.22
最近、高校受験を経て創心館を卒塾した生徒が顔を見せに来てくれました。詳しいことは個人情報になるため伏せますが彼は高校を卒業後、就職を考えています。高校卒業後に働くというイメージは大学や専門学校への進学を考えている人には想像しづらいかもしれません。中学を出たら高校、高校を出たら大学または専門学校、というコース選択が「普通」と思っている人が塾へ通う中学生、高校生には多いかと思います。実際、高校にも「普通科」という名称が用いられておりいわゆる進学を目指すことが前提となっています。さて、冒頭に述べた彼は高校入学時から就職のことを考えています。それが彼にとっては「普通」なことなのです。高度経済成長期を除けば、日本で高卒後に就職する子どもの数は進学する子どもに比べて低いようですが決してマイノリティではありません。また、言うまでもないことですが私は就職と進学のどちらが良いかについて議論するつもりはありません。私自身、高校を出てすぐに就職するというのがほとんど想像できませんので彼の話をとても興味深く聞けました。そして彼の話を聞きながら、いつのまにか自分の中で高校卒業後に進学することが「普通」になりかかっていたなぁと気づかされました。同じ環境に居続けるといつのまにか自分の中で「これが普通」という感覚ができあがります。慣れもありますのでそれはそれで悪いことではありませんが「普通」というものほどよくわからないものはありません。普通というときにはたいてい場合、「自分の中では」という修飾がつくことが多いような気がします。思春期の子どもたちだけでなく子育て真っただ中の親や職場内のコミュニケーションでも「普通はこうやろ」とつい口にすることは多いと思います。その「普通」が相手にとっても「普通」かどうか時々思いを巡らせてみてはどうでしょうか。文責:垣内宏樹
2019.07.08
っていうぐらい、雨が少ない気がしませんか?6月といえば雨がよく降るはずですが今年はそんなに降っている気がしません。夕方に一瞬豪雨のような日はありましたが。まぁ雨が降ると自転車通勤族は困るので降らないほうがいいんですけど農家の方々や、ダムが枯渇している地域は非常に困るでしょうね。さて、雨の日に気分が沈む、外に出るのがおっくうになるという経験がある人は、少なくないかと思います。実際、湿度が体調に影響を及ぼすことがありますので雨の日にいつもと気分が違ってくるのも不思議ではありません。でも、雨の日だからこそできることってないでしょうか?例えば、部屋の掃除。外出をしない分家にいる時間も多いので普段は面倒でやらないよう場所を掃除してみると意外な発見があるかもしれません。また、小さな子どもさんならカッパや長靴を身につけてあえて公園や植物のある場所に行ってみるのもいいかもしれません。普段は見られない虫を見つけたり水たまりで遊んでみたりすることができるかも。もちろん視界が悪いので車にはいつも以上に注意しないといけませんが。「雨の日○○はどうなってるんだろう」と考えてみると色々な好奇心が掻き立てられることがあります。ただし、増水した水路や川は非常に危険なので大雨の時に興味本位で見にいってはいけません。「自分は大丈夫」と思ってしまうのは子どもの性ですが悲しい事故が起きている現実を知ってもらい自らの行動を抑えることを学んでもらいたいものです。文責:垣内 宏樹
2019.06.24
昨日の早朝から世間を脅かせた吹田市の警察官から拳銃を奪った事件の容疑者がようやく逮捕されました。犯人確保に向けて捜査にあたった警察の方々、緊急対応に追われた吹田市および近隣市町村の職員の方々、登園・登校について協議された先生方、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。そして、子を持つ保護者の皆様にとっては不安から解放された「日常」が戻ってきたことでしょう。あとは、負傷された巡査の容態回復を願うばかりです。巡査のご家族のお気持ちを想像すると胸が張り裂けそうになります。我々の日常は、何がきっかけで「非日常」になるかそのすべてを予測することは不可能です。今回のような、拳銃を奪った犯人が逃走したとなるとその恐怖は計り知れません。自然災害時もそうですが、「日常」の有難みはいつのときも失ってみてようやく実感されます。でも愛する家族を失った方にとっては以前の「日常」が戻ってくることがないのです。その深い悲しみを背負い、乗り越え、少しずつ新しい「日常」が出来上がっていきます。「日常」というのは誰にとっても同じものではありません。何も変わらない、退屈な、ルーティンばかりと感じる人がいれば、今日生きている幸せ、ご飯を食べられる喜び、を感じている人もいます。それはどちらが良いとか悪いとかではなくその人の置かれた環境や体験したこと、価値観に大きく左右されると思います。なので、「日常」の大切さを噛み締めましょうなんていう価値観を押し付けるつもりは毛頭ありません。ただ、普段子どもと接していてイライラしているときにふと、「こういう日常って明日も保障されているのか?」と考えるだけで、少し気持ちが和らぐかもしれません。最後に、今回の事件で逮捕された容疑者のご家族の思いも想像してみて欲しいと思います。わが子が被害者になるのはもちろんですがわが子が加害者になってしまったときの思い、「自分の息子かもしれない」と勇気を持って警察に伝えようと決心した思い。本当のところはご家族にしか分かりません。ただ、すぐに「親の育て方が悪い」などとバッシングし、それに乗っかって思考停止してしまうのは誰にとっても得にならない気がしています。文責:垣内宏樹
2019.06.17
「夢」ということばを聞いて、どのようなイメージを持ちますか?「海○王に、俺はなる!」という夢もあれば「追いかけられる夢みて怖かった!」という夢もあります。ここでは前者を①、後者を②として進めていきたいと思います。①の夢は、「目標」という意味合いが強いですね。「将来こうなりたい」という夢を持つことがモチベーション向上につながるのはよくあることです。ただし、人に夢と書いて「儚い」という漢字があるように夢のままでは実現が難しいこともあります。プロ野球の松坂大輔選手はプロになる前から夢ということばは使わなかったそうです。小さな目標をひとつずつクリアしていくことで結果的に夢を実現したと言えるでしょう。夢を持つのは大切ですが夢をどれだけ具体化し小さな目標にしていくかがより重要なことだと思います。次に②の夢について。こちらは誰しも寝ているときに見ていると言われており起きてから覚えているかどうかは関係ないそうです。動物でさえ見ているという説もあります。②の夢については古くから「この夢にはどういう意味があるのか?」という研究が多くなされてきました。「○○の夢にはこういう意味やメタファー(比喩)がある」という夢の内容に関する事典や「この夢にはこの人にとってこういう意味があるのかも」という夢分析の書物が多く出版されています。「この夢にはどんな意味があるのかな」と思った人は、いろいろ調べてみると面白いですよ。ただし、「こうだからこうだ!」と早合点したり誰かの夢を勝手に決めつけてしまう危険性もあるので自分で味わうぐらいに留めておくか深刻な内容の場合は専門家に相談するほうがいいでしょう。ちなみに脳のしくみについて研究する神経科学の分野では夜夢を見ているときには、実際に体験しているのと同じような反応が脳内で起こっているそうです。また、脳は寝ている間に様々な記憶の整理をしていると言われており睡眠と記憶には密接な関係があります。では①と②がまざった夢は存在するのか?わたしは存在すると思います。②の夢で見た内容からインスピレーションを受けそれを実現しようと①の夢にする、もしくは①の夢に向かって頑張っている途中行き詰って②の夢の中で解決策が見つかるというパターンは実際あると思います。人の夢は確かに儚いかもしれませんがそれは夢を見た、持った当人がその夢をどう扱うかにかかっているのかもしれません。文責:垣内 宏樹
2019.06.10
「また電車止まってる!」「なんで言うことをきかないの!」「なんで冷蔵庫にビールがないねん!」この3つを同列に並べるのは若干違う気もしますが(笑)我々は些細なことから深刻なことまで日々ストレスから逃れられない生活をしています。しかし、ストレスに関する研究分野では「ストレス」というものがはじめから存在するのではなく※1出来事をどう捉えたかによってストレスに強弱が生じると考えられています。ストレスを与えるきっかけになったものは「ストレッサー」と呼ばれ、ストレッサーをどう「認知」したかによって腹が立つか、平気でいられるかが変わります。つまり極端に言えば、はじめから「ストレスを感じる出来事」があるわけではなく、出来事を「どうして○○なんだ!」、「△△なときもあるか」と自分で「色づけ」することによってストレスが上がったり下がったりするのです。にわかには信じ難いかもしれませんが人の感情は認知の仕方によって変化する、というのは多くの実績が証明していますのでストレスを溜めたくない方は自分の考え方のパターン(癖)を記録しそれとは違う考え方を書き出してみると※2いいかもしれません。おすすめは、「心が晴れるノート」をはじめとした色々な書籍を出しておられる大野裕先生の本が読みやすく実践しやすいかと思います。もちろんそんな簡単にはいかない場合もありますのでその時は専門家に相談してみるのがいいでしょう。※1 災害や戦争など、命の危険に関わる体験は出来事そのものがストレスとなりますのでこの限りではありません。※2 考え方の例「また電車止まってる!」→「よくあるし他の方法でいくか」「自分が悪いわけじゃないし」「なんで言うことをきかないの!」→「この子のペースもあるか」「自分でやって怒られるのも成長か」「冷蔵庫にビールがない!」→「今日は休肝日にできる♪」「我慢して明日飲んだら旨そう!」などなど、考え方は自由です。文責:垣内宏樹
2019.06.03
思春期はちょうど子どもから大人に変わる「過渡期」であり、第二次性徴という体の変化が現れ始めます。それに伴って心も変化していきますが、この体と心の変化は「いつ」くるのか分かりません。また、体と心の発達が同じ速度で進むとも限らず時にバランスが崩れることもあり、子どもは自分自身に対する違和感を抱きやすくなります。さらに、人によって第二次性徴が現れる時期や程度には個人差があり、思春期の子どもたちは、この「個人差」というものにとても敏感になります。「自分は周りの子に比べて遅いんじゃないか」あるいは「自分だけなぜこんなに早いんだ」と、内心思っていることがあります。思春期の子どもは自分自身への違和感のみならず、容赦なく周囲との差を突き付けられることになります。我々大人はつい、過去に思春期を通ってきた者として「そんなことぐらいで」と思いがちですが、子どもにとっては初めてのことですから不安が増大します。いくら知識として知ってはいても、実際に体験するのとではリアリティが全く異なるのです。しかし思春期というのは、「個人差」を埋めようと頑張れる時期でもあります。それは勉強だったり部活だったり習い事だったり趣味だったり、何でも構いません。自分という存在を確かなものにするため(と本人たちは意識していませんが)大人から見ると無駄と思われるようなことにも打ち込みます。そして受験や卒業といった経験を経て、やがて「個人差」が埋めようのない物であると気づき、埋められなくとも自分は自分でいいという感覚を持つことで、子どもは自立した大人に近づいていきます。思春期は同級生との関係だけでなく家庭内でも様々な「揺れ」を経験します。彼らが見せる姿は家の中と外では違っていて当たり前ですし、家の中でも甘えたり反発したりします。それはある意味、大人になろうと必死にもがいているかのようです。親としても色々な感情を掻き立てられる時期ではあると思いますが、子どもの「揺れ」に対して親は「受けとめる」姿勢でいることが有効な場合があります。それは無視するでもなくすぐ手助けするでもなく頭から否定するでもなく相手は自分と異なる考え方を持った一個人であるという思いを持って接することかもしれません。・・・・と偉そうなことを書いている自分自身が普段どれぐらい実践できているのか振り返らなければいけませんね。文責:垣内宏樹
2019.05.27
最近話題になっているYouTuberをみなさんご存知でしょうか?齢10歳のYouTuberで、「学校には行きたいときに行く」と公言している、ゆたぽんさんのことです。私は彼の動画をまだ見たことがありませんし、彼のことについて詳しく知っているわけでもありません。また、彼に関する報道内容やネット情報についても網羅しているわけではありませんしたとえそれらを知ったとしてもゆたぽんさんのことすべて知ったことにはならないと思うので私が勝手に思うことを書いてみます。そもそも彼はなぜ学校に行かないのか?その理由については本人が語っていますがそれだけが理由とは思えません。というのも、学校に行けない理由は本人ですらわからないことがあるからです。彼のことばだけで判断すると学校へ行かないのは「自分の意志」という風に映ると思います。しかし、みんながそういうわけではありません。なので、彼の言っていることが学校へ行けない子どもすべてに当てはまるわけではないということをまずは知っておいて欲しいと思います。次に、「学校へ行かないことは良くない」という批判があることについて。これについては、理路整然と論じておられる人もおりとても納得しやすいと思います。でも、何事にもいろいろな側面があるように「学校へ行かないこと」の影響の中には彼にとって良いこともあるはずです。例えば、彼は学校へ行かないことで自分を守ることができているのかもしれません。それに対しても「いやだからといって許されるのか」という批判がすぐに飛んでくるでしょう。これは私の不登校に対する持論ですが学校へ行けない子どもに対して一般常識の範疇で議論をしても当の本人にとって有益になることは極めて少ないでしょう。そもそも学校へ行かない状態を「良いか悪いか」の二項対立のみで捉えきれるものでもないと思います。「悪い」と思ったものを外から批判するのはとてもラクなことなのでいつの世も無くなることはないでしょう。だからといって批判はいつも悪いこととは思いません。それによって相手がどう思うか想像しているのか、その批判が誰かの、あるいは何かの役に立つのか、批判と一緒に何らかの代案を出しているのか、これらを考慮した上でなされる批判は相手の耳に届かずとも、傷つけることは少ないかと思います。ゆたぽんさんの今後を気にしつつ今回は終わります。文責:垣内 宏樹
2019.05.13
今回の内容は、4月29日付のブログの続きですのでまずはそちらに目を通されてからのほうが読みやすいかと思います。さて、前回は「親も子も悪くない」というのがテーマでした。確か。今回のテーマはどこに行きつくのでしょうか。前回の流れからしてやっぱり知りたいのは「じゃあどうすればいいの?」ということだと思います。しかし、その問いに対する明確な答えを出せる人は中々いないのではないでしょうか。なぜなら、学校へ行けなくなる理由がみんな違うからです。ちなみにこの「どうすればいい?」には暗黙の内に「どうやったら子どもが学校へ行けるのか」という方法を知りたい気持ちが込められています。そこで、専門家なら具体的な方法をすぐに伝えないでしょう。なぜなら専門家だからこそ、わからないことに対してすぐに答えを出さずに事態の把握に努めるからです。私の感覚では、子どもが学校へ行けるような即効性のある方法はあったとしても効果が持続しないと思っています。だからもし私が、公の場でどうすればいい?と尋ねられたら「まずは学校、あるいは専門家と相談してみてください」と伝えることがほとんどです。もちろん相談の場面では色々と個人的な内容を聞きますので具体的な対処法をお伝えできることもあります。このように具体的な対処法を知れることは専門家へ相談に行く意義の一つです。しかしそれだけではありません。前回書いたように、世間の目は厳しいです。「子どもが学校へ行けないこと」について知人や親戚に思うがままに話せるでしょうか?ましてや、親自身の様々な思いを話すと「そんなことを思うなんで親失格」と言われることだってあります。こころの専門家には必ず守秘義務が課せられています。「誰にも知られず、自分の思ったことを安心して話せる」これも相談に行くことの大切な意義だと私は思います。自分の思ったことを話しているとこれまで気がついていなかったことに気がつくことがあります。そうすると、こころの持ちようが変化してきて関わり方が変化してきて行動が変化してきて……と、小さな変化が次の変化を生みます。ここであえて変化する主体を省いたのは専門家と話すことによる変化は親にも子にも起こりうるからです。だから、専門家のところには行きたくないと言っている人を無理に連れていくよりもまずは通える人が通うことが大切です。そろそろ閉めに入らないといけませんね。「どうすればいい?」と思ったらまずは専門家に相談しましょう。文責:垣内宏樹
2019.05.06
GW中の真っただ中に、真面目なことを書いてみます。今から書くことは私の個人的な見解ですので、批判や異論はあって当然ですし、是非、色々な考えを聞かせていただきたいです。また、私の考えを押し付けるつもりはありませんので「そうしないといけない」なんてことはありません。前置きはこのくらいにして、本題へいきましょうか。そもそもなぜ、子どもはある日突然学校へ行くことができなくなるのでしょうか。その原因はあの文部科学省ですら「何らかの・・・(略)・・・要因により」という表現を使わざるをえないほど、はっきり言えないということです。なので、子どもにしてみれば「なんでいけないの?なにが嫌なの?」と聞かれても答えに困るんですね。でも親にしてみれば学校へ行けないわが子を見て不安にならない・焦らない人はいない人はほとんどいないでしょうからなんとかしたいと思うのはごく自然なことです。だから、親としては行けない原因をなんとか解決したくて子どもに色々と聞きたくなるのです。でも子どもは答えられないから聞かれるとイライラするしそんな自分にもイライラしてきます。そしてだんだんと親子関係がぎくしゃくしてきます。さて、ここまでの経過で誰か悪い人はいましたでしょうか?少なくとも、子どもも親も悪くないと私は思っています。「いや、影の薄い父親が悪い」と言う声もあるかもしれませんが悪者認定をしたところで子どもが学校へ行けるようになるわけではありません。確かに、学校の先生の対応で傷ついて行けなくなることもあるにはありますが原因を一つにしぼってしまうと他の可能性がぼやけたり覆い隠されたりして目の前の子ども理解から遠ざかってしまう場合があります。ただ、人間の心情として何かの原因、悪者を特定しないと気持ちが収まらなくなるのはとても理解できます。特に、日本は「世間体」「世間の目」が非常に強い文化ですから「親の育て方が悪い」と思う人が多いのもやむをえないでしょう。だから多くの場合、親は自分自身を責めます。いくらそんなことはないと慰められても親はそう思わざるをえないのです。そして、子どもは親がそんな風に思っていることをなんとなく感じ取っていることがあります。さらに、子どものほうも「自分が学校に行かないせいで親を苦しめている」と考えてしまい、しんどくなることがあります。だから多少無理をしてでも「明日はいくから」と言いたくなるのかもしれません。ただ、子どもの気持ちも複雑で、本当に学校へ行きたい気持ちはあるのです。だから、「親のために無理しないでいい」ということばは、あまり響かないこともあります。また、「自分で決めたらいいよ」ということばも、「親に見放された」と思うことがあります。まぁ、それは言った文脈にもよるのですが。だいぶ長くなってしまったので今回はこの辺でいったん終わります。まずはいったん「悪者はいない」と思うことが親子ともに前に進むための私のおすすめです。
2019.04.29
さて、この図形。ご存知の方も多いでしょうが水平の直線はどちらの方が長いでしょう?上の絵でしょうか?下の絵でしょうか?正解は・・・・実はどちらも同じです。斜め線の向きが違っただけで水平線の長さが違って見えるなんて人間の脳はだまされやすいですね。これは、「ミュラーの錯視」と呼ばれる基礎心理学の知覚分野でよく用いられる例です。人間の脳は五官から入ってくる感覚刺激を通じて外界の物事を識別します。先ほどの水平線を見て「下の方が長い」と見えるのは斜め線の視覚刺激を脳が統合した結果なのです。先ほどの図形を見慣れてくると水平線の長さが同じに見えたり、違う長さに見えたり、自分で切り替えて見ることもできます。この実験から言えることは「自分が見たもの、聞いたことは、他の人といつも同じとは限らない」ということかもしれません。そんなこと言われなくても当たり前のように思えるかもしれませんが自分が「こうだ」と思っていることが他の人も「こうだ」と思っているとは限りません。「自分はこう思うけど、他の人はどう思ってるんだろう」そんな視点を常に持ち続けられるといいですね。でも心身に余裕の無いときは難しいものです。だから、自分自身のメンテナンスを大切にすることは周りの人にもいい影響を及ぼすのではないでしょうか。文責:垣内 宏樹
2019.04.15
進級・入学・就職されたみなさん、おめでとうございます。春は新しい生活の始まりですね。子どもの頃は桜に対して特に何とも思わず、特に綺麗だなと感じたこともありませんでした。「なんでこんな毛虫いっぱいおんねん」ぐらいにしか思ってませんでした。でも、この年になってようやく桜って綺麗だなぁと少し思うようになりました。桜は古来より多くの歌に謳われ「花」といえば自動的に桜を指すぐらい人々の生活と感情に密接に結び付いた花と言えるでしょう。それだけに、桜に対して嫌なイメージを持つ人も少なからずいることでしょう。だから、「桜なんてちっとも綺麗じゃない」という感想を抱く人がいても不思議ではありません。桜が好きな人からすれば、そんな感想を言われると嫌な気持ちになる人もいるでしょうし特になんとも思わない人だっていることでしょう。自分の考え・思いとは異なる考え・思いに対してみなさんはどんな反応をしますか?「みんなちがってみんないい」これを頭でわかっていても実際に体験したときに受け入れるのは案外難しいことがあります。自分が好きだと思っていることを相手から嫌悪されたときに「そっか、あなたは好きじゃないんだね」と、相手の考えを受け入れることができるでしょうか。まぁ、そんなことが簡単にできれば世の中に争いは生まれないでしょう(笑)ただ、自分の考えが他の人にはどんな風に映るのか、賛成する人がいれば反対する人もいるだろう、と何事も色々な可能性を想定しておくのは大切ではないかと思います。ちなみに私は断然、花より団子派ですけど。文責:垣内 宏樹
2019.04.08
今でもこのフレーズから始まるCMは やっているのでしょうか? 名前の知らない なんとも不思議な 見たこともない そんな木の歌でしたね。 この歌には 明るく期待に満ちた未来を彷彿とさせる ポジティブな印象がありました。 ところで心理学では、 木の成長と人の成長がイメージ的に 似ていると捉えることがあります。 種から芽が出て、根を生やし、 幹や枝を伸ばし、葉をつけて、 実をならし、いったん葉を枯らせて 再び葉をつけて少しずつ大きくなる。 肥料を与えたり枝を整えたりと 木の成長をある程度はコントロールできますが 幹の長さや太さを 急激に成長させることはできません。 でも今の世の中は なんだか忙しない気がします。 それは我々大人の社会に 余裕がなくなってきているから なのかもしれません。 大人側に余裕がなくなると 子どもに対してポジティブなことよりも 将来への不安からネガティブなことを 言いやすくなる気がします。 もしくは、 効率や合理性を重視するあまり 急かしたり遊びをなくしたり することがあるかもしれません。 私は効率や合理性が必要ない などとは全く思いません。 ただ、あまりにそればかりに縛られ過ぎると いつかバランスが崩れやしまいか と思ったりします。 子どものためにできることをしつつ 成長を楽しみに待つこともできる。 もちろん世の中はそんなに甘くはありませんが 大人の関わり方次第で ある程度は実現できる瞬間が あるような気がします。 文責:垣内宏樹
2019.03.26
中学3年生、高校3年生のみなさん卒業おめでとうございます。小学6年生の人はもうすぐですね。いよいよ4月から新しい生活が始まりますね。開放感、期待や不安、これまでの思い出など様々な思いがあるかと思います。さて、そんなみなさんは今、中学生ですか?高校生ですか?「そういわれれば今の自分って、何なんやろう?」そう思ったことはありませんか?確か、学校なんとか法的には3月31日まではみなさんそのままのはずです。でも、新しい生活が始まるまでのこの”間”って、なんだか不思議な感覚になりませんか?心配しなくてもいいです。そんな感覚になってもならなくても問題ありません。ただ言えることは、今までの自分から新しい自分へと変化する移行期間ということです。みなさんはこれからまだまだ成長していきます。その中で、今のようなタイミングが何度か訪れます。それを何度か繰り返すことで、成長していきます。これは私の考えですが、この移行期間というのは「自分とは何か」ということについて考えるいいきっかけなのではないかと思ったりします。何もそんな難しいことを考える必要はありません。「自分の好きなこと、興味のあること」「自分の嫌いなこと、やりたくないこと」「自分が感謝したこと、感謝されたこと」「自分が誰かに怒ったこと、誰かに怒られたこと」 ・ ・ ・といったことについて、ふと考えてみることができる期間ではないでしょうか。なぜ自分を知る必要があるのかについて簡単にまとめることはできませんがひとつ言えることは、将来どんな職業に就きたいのかを決める際に役に立つことがあるからです。卒業から入学までのこの”間”に哲学者ぶってちょっと物思いに耽って(ふけって)みるのはいかがでしょうか。文責:垣内宏樹臨床心理士・公認心理師へのご質問・ご相談はこちらまで
2019.03.19
今日の天気は雨→晴れ→雨→晴れ。まるで人間の感情のように移り変わりました。今日は中学生にとって、とても重要な日。多くの生徒が高校入試を迎えました。本当にみなさんお疲れ様でした。「頑張った者は報われる」「努力は必ず実る」本当はそうあって欲しいものです。しかし、年齢を重ねるにしたがって世の中にはさまざまなふるいがあります。さらに、社会人になると努力より「結果」が幅をきかせます。年を重ねた大人はその厳しい現実を知っているからこそ結果を出せない子どもに厳しく接することがあります。もちろんそれは大切なことですが忘れてはいけないことがあります。それは、子どもたちはまだ「不完全」で「不安定」な存在であり責任を求められる「大人」ではないということです。不完全だからこそ頑張っている姿は輝かしく、不安定だから気持ちが揺れ動きやすいのです。そんな彼らを、大人社会に優勢な「結果重視」の尺度のみで叱咤激励すると、時にマイナス効果を生じさせることがあります。その1つが、「どうせやってもできないんだからもうやらない」という思考パターンです。結果を出せないことを厳しく指摘しつづけられることで子どもの自己肯定感が低下し、自暴自棄になることがあります。そうなると、厳しく言ってきた大人はさらに厳しく当たり、さらに子どもはやる気を失くす、という悪循環のできあがりです。この堂々巡りに入ると、変えるには相当なエネルギーが要ります(大人側にも)。だから、そうならないために子どもたちには結果だけでなく、「頑張りも認める」(存在を認める)という大人の関りが大切だと思います。そして、結果については子どもの感想に応じて「よかったね」「くやしかったね」「そっか…」など、子どもが思ったことをまずは受けとめましょう。今日は受験を終えたご本人だけでなく親御様にとっても落ち着かない1日だったかと思います。どうぞゆっくりと休んでください。文責:垣内 宏樹臨床心理士・公認心理師へのご質問・ご相談はこちらまで
2019.03.11
このフレーズを見てピンと来たあなたはおそらく平成生まれではないでしょう(笑)ちなみに私は「リンリンとランラン」を知らない昭和世代です。調べましたよ、えぇ。さて、唐突に降って湧いたこのフレーズには特に深い意味はないそうで、双生児とソーセージをかけたダジャレとのこと。歌詞にはこのような遊び要素が時々見られます。「意味は分からないがなんか面白い」それが、遊びの本質と言えるかもしれません。子どもが楽しく遊んでいるとき、何か大きな目標を見据えてそれに向かって遊ぶということはないでしょう。それは練習、トレーニング、といった類です。小さな子どもにとっての遊びは、大人にとっての仕事、学生にとっての勉強と同じくらい、大きな意味があります。子どもは遊びを通じて発達していきます。「どうすればもっと面白く遊べるか?」といったことを、自ら創造することができます。特に、楽しく体を使って遊んでいるときが、自分を無意識的に発達させているという考えもあります。ところで、大人になってもある程度の遊びは必要です。(もちろん法的に許容される遊びでないといけません)趣味がストレス解消になっている人もいると思いますが、遊ばないと脳は疲れ切ってしまい、パフォーマンスが落ちてきます。例えば、仕事の後に仕事のことを忘れてお風呂にゆっくりつかるとふと、思いがけないアイデアが出てくることがあります。何事もバランスが大事です。仕事と遊び、勉強と遊び。どちらも大切にしましょう。♪なんてことは 全~然彼女も言~ってない~文責:垣内 宏樹こころの悩み、不登校、子育てや発達に関するご質問・お問い合わせ・ご相談はこちらまで
2019.03.05
久しぶりのブログ投稿です。前回、いつ書いていたのか見返すとなんと2月でした(汗)。実に、半年以上ぶりです。その間色々なことがありましたが、私自身のことで言えば、ある試験に向けて準備をしていました。正直に言えば、準備ができているはずでした。それは、「公認心理師」という資格の試験です。臨床心理士は国家資格ではなく、文部科学省認可の民間資格です。公認心理師は日本初の、心理学に関する国家資格です。その公認心理師の試験が昨日ありました。「手ごたえは?」と問われれば、「微妙…」としか言いようのないなんともスッキリしない感想です。合格しているか否かは、五分五分といったところでしょうか。試験後、もっと勉強しておくべきだったという不甲斐なさと後悔の念を抑え込むように、「ビール飲みにいこう!」と知人を誘い、一杯だけ飲んで帰りました。もちろん美味しかったのですが、心なしかほろ苦かった気がしました。さて、大人になってからも様々な資格試験があります。高校入試や大学入試のように、合否によって直接進路に関わるものもあれば、自分自身のスキルアップにつながるものもあれば、その両方を兼ねるものもあります。いずれにせよ、試験は当日が勝負です。しかし、当日までに努力を積み重ねた者にしか良い結果は訪れてくれません。これから入試を控えている中学生や高校生の方々は私のような後悔をしないように時間のあるかぎり勉強してくださいね。ご質問・ご相談はcounselsmys@bd5.so-net.ne.jpまたは06-6115-8687(垣内)まで。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内 宏樹
2018.09.10
中学生はいよいよ私立入試が迫って来ました。自信・不安・期待・焦燥といった様々な感情があるかと思いますが今までやれてきた自分を誇りに思って本番に臨んでくださいね。さて、今回は学習・発達のトレーニングによる報告(考察?)をしたいと思います。私が創心館でトレーニングを開催してからしばらくした後、ある中学生(A)が参加しました。その子に「どうなりたい?」と私が尋ねるとAは、「今度のテストのどれかで100点取る!」と躊躇することなく答えました。するとその後の学校のテストで本当に100点を取っていました。これには私も驚いたとともにとても嬉しかったものでした。ここで、「トレーニングすれば100点が取れる!」と結論づけるのは早急に過ぎますし私がそこまでAに何かしたわけではありません。そこで、なぜAは100点を取ることができたのかを私なりに考えてみました。Aはトレーニングに参加した時点ですでに体と心がバランスよく発達しているように見えました。具体的には、・体の軸がしっかりしている→良い姿勢が保てる・力のコントロールができている→余計な負荷がかからない・体がどうなっているかを言語化できる→ボディイメージが持てている・自分の感覚を言語化できる→自分を客観視できる・目標が具体的→なりたい自分をイメージできている・感情を適切な形で伝えられる→友人関係を楽しめるといったように思えました。これらがベースにあるおかげで勉強時間に比例して内容が身についたのではないかと考えました。逆に、もしこれらのベースが十分でないといわば不安定な土台に積み木を乗せるようなイメージになるかもしれません。私としてはできるだけAのような土台を色んな子に持ってもらえるように今後も頑張りたいと思います。ご質問・ご相談はcounselsmys@bd5.so-net.ne.jpまたは06-6115-8687(垣内)まで。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内 宏樹
2018.02.03
またまた期間が空いてしまいましたが、前回の内容を覚えておられるでしょうか?なにやら怪しい(?)写真がありましたね。では、前回お伝えした謎の人物の正体を明かしましょう!あの後ろ姿はこの方でした!そうです、平野先生にご協力いただきました!ところで手に持っているこの棒はなんだと思いますか?じつはこの棒もトレーニングに使うものなのです。これは塾内で出た廃紙等を使って作っています。実にエコですね。決してお尻をシバいてはいけません。どんな風に使うのか、一例を。からの~♪平野「浮いてますねぇ」(嘘)他にも色々なエクササイズや運動感覚遊び、認知機能を高めるプリント学習をします。トレーニングによる変化の一例を。まずはbeforeまだ表情が硬いですね~そしてafterうん、いい表情になりました!引きつっているように見えるのはきっと気のせいです(笑)最後に、すべての写真をご覧になられて感じられたにちがいない違和感について皆様の代わりに述べたいと思います。「なんでスーツやねん」※この棒を使ったトレーニングは本来体幹、姿勢保持、ボディイメージ、力のコントロール、手の巧緻性などの向上を目的としています。また、実際のセッションには体を動かしやすい服装でご参加ください。ご質問・ご相談はこちらcounselsmys@bd5.so-net.ne.jpまたは06-6115-8687(垣内まで)創心館、カウンセリングルーム住吉垣内 宏樹
2018.01.27
前回予告していた通り今回はなぜ、遊びが学習・発達のトレーニングになるのかについてのつぶやきです。人間は赤ちゃんの頃から自分の体を使って遊びます。指を吸ったり、寝返りを打ったり、手や足をバタバタさせたり、ゆらゆら揺れたり、くるくる回ったり、飛び跳ねたり、自分の股から向こう側を覗いたりと、どんどんできることが増えていきます。それらの行動に対して、周囲の大人はおのずとあたたかい眼差しで肯定的なことばをかけていきます。まるで赤ちゃんは、どうすれば自分が発達できるのかをあらかじめ知っているかのようです。赤ちゃんは無意識的に自分の体を使って自分の感覚を育て、外の世界を知り、筋肉だけでなく感情も発達させていきます。「楽しい!もっとやりたい!」という状態は脳が「もっと発達したい!」と望んでいる状態と言えるかもしれません。子どもは自分の体を通して上下、左右、軽重、大小、高低、奥行きなどの感覚を身につけていきます。これらの感覚はいくらことばで説明されても体験を伴わないとしっくりこないでしょう。もちろん、体験とことばが結びつく必要があるので周囲からのことばによる説明も不可欠です。子どもは遊びながら学習していると言っても過言ではありません。小学校からいわゆる「勉強」が始まります。椅子に座り、鉛筆を持ち、先生の指示を聞き、本を読み、ノートを書き、問題を解きます。これらを嫌がらずにこなしていくためにはそれ相応の筋力(姿勢保持)や感情コントロール、コミュニケーションスキル(意思表示など)、手先や眼球のコントロール等を身につけておく必要があると思います。そうでないと勉強が面白くないと感じてしまい段々と勉強が嫌いになっていくかもしれません。体を使った遊びは、自分の感覚を育てます。さらに、年齢が上がるにつれて「自分が今何をどう感じているか」といった目に見えないことをことばにするようになっていきます。この積み重ねこそが、勉強など抽象的な概念理解の土台の一部になっていると、私は考えています。ちなみに、遊びは何でもいいというわけでもありません。できるだけ自分の体を使って自分の感覚を感じられるもので、さらに、「今どんな感じ?次はどうしたい?」というあたたかい眼差しで問いかけをしてくれる人の存在も大切です。学習・発達のトレーニングの目的をざっくり要約すると、「自分を知り、自分をコントロールすること」と言えるかもしれません。まだまだ私の中でも十分練り上げられていないため、今回は本当にただつぶやいただけみたいな内容になってしまいました。次回は、「じゃあ具体的に何をするのか?」という内容にする予定です。ある方に登場してもらいますがあまり期待しないでください(笑)ご質問・ご相談はこちらcounselsmys@bd5.so-net.ne.jpまたは06-6115-8687(垣内まで)創心館、カウンセリングルーム住吉垣内宏樹
2018.01.18
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。久しぶりの更新ですみません。鼻を押すコピーロボットがあればなぁ・・・と何度思ったことでしょう。この元ネタが分かる方は、おそらく〇〇歳以上ですね(笑)さて、今回は私が創心館の2階で行っている学習・発達のトレーニングについて何回かに分けて紹介していきたいと思います。今回は、創心館の2階がどんな場所なのかをご紹介します。創心館の2階には、こんな部屋があります。ここはカウンセリングルーム住吉の相談部屋としても紹介していますのですでにご存知の方もいるかもしれません。次はこちら。なぜこのような構図なのかはさておき、こちらが学習・発達のトレーニング用にメインで使っている部屋です。カーテン側はこんな感じです。この部屋は8畳ほどしかなく、思い切り体を動かすには確かに広さとして不十分かもしれません。でも、他にもこんなおもちゃが置いてあります。 子どもの遊び(想像力・創造力)は、無限大です。部屋が狭いからといって、できないことはありません。こんな部屋でも野球やサッカーができます。他にも「やろうと思えば」なんだってできますし子どもは遊びの中では何にだってなれます。限界は環境や外部にあるのではなく、「無理だ」と思う内的な枠組み(思考)にあるのです。与えられた環境や状況で自分のやりたいことをどうやって実現させるか。子どもは大人の常識では考えられないことを想像力を働かせて簡単にやってのけます。そのとき、子どもの脳(特に前頭葉など)はとても活性化していることでしょう。なぜ遊びが、学習や発達のトレーニングになりうるのか?それについては私なんかよりも詳しい人がたくさんいますしググればたくさん出てくるでしょうが、次回は現在の私なりの考えを書きたいと思います。ご質問・ご相談はこちらcounselsmys@bd5.so-net.ne.jpまたは06-6115-8687(垣内まで)創心館、カウンセリングルーム住吉垣内宏樹
2018.01.11
遅くなりましたが、先月開催しました子育て講座の「中1ギャップを埋めるために」を振り返りたいと思います。まずはアンケート結果から抜粋。・現在中学生の子どもを思いながら勉強になった・具体的な場面を挙げての話だったので分かりやすかった・新しい環境に適応するのが難しい性格の子だからこそ、家での関わり方次第だと思った。講座の概要としては、中1ギャップとは突然始まるわけではなく、何らかの兆しがすでに見られることもある。中学校は頑張ることが評価されにくく第二次性徴による心身の変化も重なるため、他者との違いや今までのようにうまくいかない自分に気づくことで、自己肯定感が下がりやすい。思春期集団内では多くの子が自分の立ち位置に不安を感じやすくその不安を解消しようと様々な行動を示す。中学校生活で躓かないための1つの方法としては自分の気持ちを適切な形で伝えられるようになること、それを家庭内で今から取組むことが望ましい。という内容。以下、自分自身の反省点。・1時間の内容としては少し詰め込みすぎた感があった。・もともと持っている特性ゆえに躓く子どもについて触れられなかった。・中1ギャップについて見つめなおす機会になり、自分自身にとって勉強になった。お忙しい中参加していただいた皆様には厚く御礼申し上げます。今後も日々の子育てに役立つような講座を企画したいと思います。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内宏樹ご相談・講座に関するお問い合わせはcounselsmys※bd5.so-net.ne.jpまで。(※を@に変えて送信ください)
2017.11.09
今回は「体験で学ぶ!思春期の親子コミュニケーション講座」の第5回「もし、子どもが不登校やこころの病になったら・・・?」を振り返っていきます。とは言ったものの、この回は参加者不在のため開催を中止した回だった。なのでアンケート結果もなし。代わりに、この回の概要・反省と全5回の総括を試みる。まずは第5回の概要から。この回は不登校に関する文部科学省の見解を紹介し不登校になった子どもへの接し方に関する内容。加えて、思春期の子どもが示すこころの病を紹介し子どもの心境や症状の意味を考えることの必要性について。ロールプレイでは子どもを相談機関へつれていく際の有効と思われる声かけを体験してもらう意図だった。以下、反省点。・子どもが実際に不登校やこころの病になっていなければ、参加しようとは思わないだろう。・この回は参加者を当事者の保護者のみに絞ればよかったかも。・本講座が予防にもつながるという案内が足りなかったか。最後に、全講座の総括。・連続講座という初めての試みで、各講座ごとの特色を際立たせるのが難しかった。・改めて思春期について勉強するきっかけになったので、そこは自分にとっても良かった。・ロールプレイは準備や演じる側の負担も大きいが、反響は良かったと感じた。・できるだけ多くの人に来てもらおうと会場を公共施設にしたが、塾関係者を除いて講師の素性を 知らない人が参加する可能性は極めて低いということが分かった。・公共施設にしたため、参加費用が高くなってしまった。台風による中止もあり、時期についても 考え直す必要がある。・もっと分かりやすく面白く、人前で話すスキルを磨く必要性を感じた。まだまだ内容が乏しい講座にも関わらず参加してくださった方々には本当に厚く御礼申し上げます。今後はもっと満足していただけるよう、精進して参ります。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内 宏樹ご相談・講座に関するお問い合わせはcounselsmys※bd5.so-net.ne.jpまで。(※を@に変えて送信ください)
2017.10.27
今回は「体験で学ぶ!思春期の親子コミュニケーション講座」の第4回「子どもの自己肯定感を育み、親も自信を持てる関わり方」を振り返っていきます。まずはご記入いただいたアンケートから抜粋。・なかなか難しいが、「ほどほどに」頑張ろうと思えた・自己肯定感について具体的に話してもらい役立った・わかっていても親の感情次第でできない時もあるが、 それでもいいんだということを知って楽になる・(これまでの)講座で教えてもらったことで、 心にゆとりを持って(子どもに)対応できた講座の概要としては、自己肯定感とはできる自分だけでなくできない自分も認める姿勢であり、親が子どもに「もっとこうであって欲しい」と思ってかけることばが時に子どもの自己肯定感を下げることがある。親の自己肯定感を上げるには子育て以外の親自身の生活にも目を向け「ほどほどに」やれている自分自身を受け入れること。ロールプレイでは、ありのままの子どもを肯定する声かけを体験してもらい、日常会話の中に組み込んでもらえることを意図した。以下、自分自身の反省点。・ロールプレイで、自己肯定感を下げるパターンのやりとりもあれば違いをより感じられたかも。・ロールプレイの親役の声かけパターンが、段々とマンネリ化してきたかも。・できることだけが「良いこと」であるというニュアンスにならないような構成にはできたと思う。この回の講座は、思春期の親子関係だけでなく様々な年代や環境(学校、職場等)の人間関係にも応用できるのではないかと思っている。私自身としても一番お気に入りの講座で自分自身の今後の仕事にも生かしていきたいと思う。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内 宏樹ご相談・講座に関するお問い合わせはcounselsmys※bd5.so-net.ne.jpまで。(※を@に変えて送信ください)
2017.10.26
今回は「体験で学ぶ!思春期の親子コミュニケーション講座」の第3回「子どもから(将来)尊敬される上手な嫌われ方」を振り返っていきます。まずはご記入いただいたアンケートより抜粋。・思春期の子どもに対する知識があることで心の準備ができた講座の概要としては、腫れ物に触るような態度ではなく、一方的に決めつける態度でもなく自由と不自由さのバランスを大事にしながら子どもを大人扱いした接し方やルールの決め方についての話。時には一生嫌われる覚悟で子どもにとって壁になる必要性をロールプレイを通して体験してもらうことを意図した。以下、自分自身の反省点。・テーマから内容を想像しづらく、保護者にとって抵抗感が強かったのでは。 そのため参加者が集まりにくかったと思われ、改善する必要がある。・思春期の子どもの特徴として、口にしたことばには色んな意味が含まれている (うざいと言いつつ1人では不安など)こともあるという内容を足してもよかった。開催が危ぶまれるほど参加者が集まりにくかったがこれまでの連続講座をすでに受けられた方が来てくださった。もし単発で開催していれば参加者が集まらなかったであろう。参加してくださった方にはこころから感謝するとともに、講座開催の難しさを噛み締めた回だった。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内 宏樹※ご相談・講座に関するお問い合わせはcounselsmys※bd5.so-net.ne.jpまで。(※を@にかえて送信ください)
2017.10.20
今回は「体験で学ぶ!思春期の親子コミュニケーション講座」の第2回「子どもの自立心・社会性はいかにして育つのか?」を振り返っていきます。まずはご記入いただいたアンケートより抜粋。・事前に知識があるとトラブルが起こったときに参考になると思う。・誰にでも通用するベストな答えはなく、両端の気持ちを味わったうえで 落ちるとこに行きつくしかないことが分かった。講座の概要としては、子どもの自立心・社会性は小さい頃からの遊びを通して育っていくもので決して親が悪いわけではないが、子どものためを思ってする親の言動が子どもの自立心・社会性の成長を時に停滞させることもある、というもの。ロールプレイでは、子どもの言動に対して自分で解決させるための声かけの一例を体験してもらい、「見守る」とはどういう言動を指すのかを具体的に味わってもらうことを意図した。以下、自分自身の反省点。・ロールプレイの台詞を予め用意していたので参加者の負担は少なかったのでは。・極端に子どもの自立心を奪うようなパターンのロールプレイも対比として有効かも。・子どもの自己理解の必要性とそれを促すための説明が不十分だったか。参加者は少なかったものの、堅苦しくない雰囲気で行えたのはひとえに参加者の方の積極的な姿勢のおかげだったと思われる。参加していただいた方には改めてお礼を申し上げます。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内宏樹ご相談・講座に関するお問い合わせはcounselsmys※bd5.so-net.ne.jpまで(※を@に変えて送信ください)
2017.10.19
8月末から5回に分けて開催してきました「体験で学ぶ!思春期の親子コミュニケーション講座」が昨日、無事にすべて終了いたしました。ご参加いただきました皆様には厚く御礼申し上げます。ご参加いただいた方のアンケートをもとに各回を振り返ることで自己研鑽を図り今後の講座内容に生かしたいと思います。5回分すべてを記載すると長すぎるため各回ごとに分割したいと思います。今回は第一回の「思春期の子ども理解に向けて」より。まずはアンケート結果から一部をご紹介。・今気になっていたテーマで、質問で個人的な悩みも少し聞いてもらえた。・親が子どもにどう接するかを考えさせてもらい、とても勉強になった。・社会性や人との関わり方の育て方も知りたい。講座の概要としては、思春期の子どもについて私がこれまでの相談の中から得られた特徴を上げ、ロールプレイを通して親子の会話を体験してもらうもの。狙いとしては、親役の「聞き方」の違いによって子ども役の心境の違いを感じてもらおうという意図。以下、自分自身の反省点。・「体験で学ぶ!」ことに重点を置いていたため、思春期に関する理論的説明が少なかった。・ロールプレイの台本が台詞ではなく設定のみだったため、演じることが難しかったのでは。・ロールプレイの導入についてもう少し説明が必要だった。・思春期といっても色々な子がいるため、タイプ別に特徴をあげてもよかったか。幸い、この講座に参加していただいたすべての方が「役にたったか?」の項目に「そう思う」と回答してくださったがそれに甘んじることなく改善していきたい。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内宏樹ご相談・講座に関するお問い合わせはcounselsmys※bd5.so-net.ne.jpまで(※を@に変えて送信ください)
2017.10.16
明日10月1日(日)、2会場で不登校支援に関する講座を開催します。午前は住之江会館で10:00~12:00、午後は阿倍野区民センターで14:00~16:00となっております。内容は、不登校支援のうち「家庭訪問」に焦点をあて本人、家族、学校に生じる変化や意義・留意点等について考えてみたいと思います。お申込みはcounselsmys※bd5.so-net.ne.jp(※を@に変えてください)までご連絡いただくか、06-6115-8687(垣内)までご連絡ください。創心館、カウンセリングルーム住吉垣内宏樹
2017.09.30
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