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こんばんは お久しぶりです。 最近息子の夜泣きが再開し、こんな時間に授乳しています。 前回の続きです! 母は大黒様をゴミ処理場から取ってこなくてはもうどうにもスッキリできない状態になっていました。 しかし、それは強迫行為のため、一度始まるとまた何かの強迫が襲ってくる負のループに入ってしまいますよね… 母は私が仕事から帰宅するなりいの一番に「やっぱり大黒様を持ってこなくちゃと思うけど、それはダメだよね?!大黒様持ってこなくても何もバチ当たらないよね?!」と、すごい形相で相談してきます。 もはやこの行為自体が確認行為です。 私は「大黒様は人が作ったただの置き物だから、神様じゃないよ。だから捨てたって問題なし!それに、もう焼却されてるからどうしようもないと思うよ」と説明します。 「そうだよね!」と1度は納得する母ですが、またすぐ強迫が襲ってきます。 その繰り返しは2日続き、ついに「やっぱり明日仕事休んでゴミ処理場に行こうと思う!」と。 もう燃やされてるし迷惑だから辞めなよと言いましたがもう母はパニック状態でした。 紙にこの出来事を書き出しました。 母は悪いことはしていないからバチは当たらないこと、一度探し出すと見つかるまでスッキリできない強迫行為に繋がること、仕事を休むと他人に迷惑がかかること… これをお守り代わりに持ち、強迫が襲って来たら読むように勧めました。 ↓クリックしていただけると励みになります! にほんブログ村
2021.07.01
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息子少し落ち着いたのでブログでも書こうっと。 今日は私の母について! 私の母は強迫性障害です。 父→双極性障害 母→強迫性障害 これは神様から何か使命を与えられているんでしょうか?(*´ω`*) 強迫性障害についてはそこまで詳しく勉強していないのですが、母は確認強迫と涜神恐怖が主な症状みたいです。 中学生くらいには発症していたようで、その頃は縄跳びを何万回とか決めて毎日跳ばないと気が済まないとか、お守りを捨てられないとか、色々あったみたいです。 一度、私が成人してから症状が強く出た事がありました。 そのエピソードが今思い返すと笑えるんですけど、当時は笑えない状態でした… 実家には大黒様の木の彫り物があったんですけど、大掃除でそれを処分しようという事になりました。 母の義母である私の祖母が「捨てようか」と言って処分に至ったようなんですが、母は涜神恐怖があるので捨てることに少し違和感があったみたいなんですよね。 結局捨てた日の夜、症状が爆発しました。 ずっと大黒様を捨てた事で何か悪いことが起きるんじゃないか…と不安が渦巻き、大黒様をまた自宅に持って帰ってこなければ!と、強迫行為をしたくてしたくて仕方なくなってしまいました。 長くなるので続きはまた今度にしますね。 ↓クリックしていただけると励みになります! にほんブログ村
2021.06.19
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こんばんは(^^) 息子が熱を出して今日で4日目です。 病院以外どこにも行っていないのでいい加減鬱々してきました。息子がごはんを全然食べないのも心配&ストレスになってます。 たまたま同じタイミングで娘ちゃんが発熱してたお友達が居るのでLINEしたら、娘ちゃんまだ40℃あるらしく…同じくごはん拒否だそう。毎日ママさんは大変だ〜 自分もママだけども。 ほんと、こんなんで職場復帰出来るのかな〜(>_
2021.06.18
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おはようございます! 今日は息子が熱を出したので病院に来ています。 昨日父から朝、息子の熱は下がったのか?と連絡があり、どうやら息子に会いたい様子で…昼間熱無かったのでちょこっと実家に連れていきました。 10分くらい息子と遊んだらフラーっと居なくなり、その後寝室からいびきが…まだ13:00なのに。 ついに日中も寝るようになりました(>_
2021.06.17
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こんにちは! 今日父は耳鼻咽喉科に再受診の日でした。 母が付き添いました。結論から言いますと、がんでもなんでもありませんでした… とりあえず、良かったです。 結局喉頭カンジダだけで、それももう良くなったから病院はもう来なくていいですよと言われたようです。 母はむしろがんだったらスッキリするような事を言っていました。(毎日むせてるし夜も寝ながらむせてるので) あとは、父がこのまま毎年躁と鬱を繰り返すのを見ているのも辛いし、本人も辛いだろうと… ただ、生活習慣とか見ると長生きは出来ない気がします。 父の様子はというと、躁鬱混合状態のように見えます。今回は躁が長いですね。もう2ヶ月以上躁です。 車に関しては母の仕事が休みの時に母の車を乗っていいよという事になりました。 まだ車に関しては諦めがつかないようです… にほんブログ村
2021.06.15
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こんばんは! タイトルのとおり、義父に父を遠回しに馬鹿にされました。 もうこれ4、5回目です。 義父に「お父さんは年金いくら貰ってる?」と聞かれました。うちの父は厚生年金に加入していた期間があまりないので基礎年金分に毛が生えたくらいしか貰っていません。しかも65歳になる前に受給し始めたので減額になっています。金額なんて説明しなくてもだいたいわかると思います。 だけどしつこく金額を聞いてくるので「○○円くらいかな〜国民年金だし減額されてるからそんなに貰ってませんよ〜」と答えました。 義父は40年くらい会社勤めで役職にもついていたので予想ではかなり貰えそうです。義父はそれを言って欲しいんですよね。マウントをとりたい。そういう人なんです。 そして、うちの父に対して「ちゃんとしてたら、また飲みに行きたいよ」と言ってました。 無神経過ぎてもはや呆れます。 そしてそれを何も言わずに聞いている夫。ふざけるなー! という事で翌日夫にはきちんと話をしました。ああいう時はうまく話題を逸らすなり義父を注意するようにお願いしました。 身内の人間が父をああだこうだ言うのとはわけが違います。あんな父でも父は父です。 本当は年金まだ貰わずに居たいけど、そうもいかないんですよね。いつ死ぬかわからないし、早めに貰おうという事になったのに、義父は65歳で満額受給が正しい!みたいな考えを遠回しに話します…。うちにはうちの事情があるのに(>_<) なんだか会う回数重ねる度に嫌いになりそうでこわいです。 ネガティブ話ですみませんでした!義父も悪気はないのでこちらが大人な対応で乗り切りたいと思います(^^) では、また(*´ω`*) にほんブログ村
2021.06.13
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こんにちは(^^) さっき実家に祖母と父の様子を見に行きました。 父は息子(父からしたら孫)を見てすごく普通の笑顔で、抱っこしたりしていました。 これが本当の父なんだよな~ また涙が出てしまいます。 来週は父の日ですね! 今までずっと父が寝込んでいても、躁でやられた色んな事を恨んでしまって何もしたことないんですが、 今年が最後の父の日になったら、とんでもなく後悔するだろうな。 いや、あと30年生きるかもしれないけど! 父にも普通に父の日の喜びを味わってもらいたいので、来週渡そうと思ってプレゼント買いました。 鬱になってたらプレゼント貰っても「無」だろうけど… どうか来週も普通の父で居ますように。 にほんブログ村
2021.06.11
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こんばんは。 今日、紹介先の総合病院に行ってきました。 赤ちゃん連れなので、送迎だけしようかなと思っていたのですが、やっぱり医師からの話がちゃんと正確に聞けるか微妙だったので、診察室までついて行くことにしました。 昨日の耳鼻科では「扁桃腺に膿が溜まってる」と言われたようなんですが、どうやら紹介状には「喉頭腫瘍」と書いてあったようです。(やっぱり…) しかし、腫瘍らしきものの他にたくさん白いブツブツがあるらしく、これが無くならないときちんとした診断が難しいと言われました。ブツブツはカビだそうです。おそらく喉頭カンジダという病気です。 腫瘍とは確定していないし、腫瘍だとしても良性ということもあるのでまだなんとも言えませんが…心配ですね。 今日は診察代と薬代で12000円でした。高い〜もちろん父は年金使い果たしたので私が払いました。(立て替えて母から貰います) 父はというと、かなりテンション下がってきた様子で、動きも緩慢になってきました。 そういう姿を見ると可哀想で情けなくて…今も涙が出ます。 もう少しで鬱になると思うので、たまには好きなものでもご馳走しようと思い、ラーメン屋でも行きたかったんですが、赤ちゃん連れだとラーメンは厳しいですね。 結局、マクドナルドでテイクアウトしました。父に「マック寄るけど何か食べる?」と聞くと、「マック大好き!てりやきバーガーとあの魚のやつ食べたい。あとコーラ」と、なんとバーガーを2つもリクエストしてきました。 ほんと、そういうとこなんですよね…お金の事何回怒っても意識が変わらないというか…まあ今日は私の奢りなのでいいですが。 結局フィレオフィッシュも食べて…コーラも飲んで満足したのかな…? 最近やっと父に優しく出来るようになったので、少しずつ親孝行、できる時にしたいです。 と言いながら昨日は怒鳴り散らしてしまいましたが… あんな父親でもたった1人の父ですからね! 好きで病気になったわけじゃないんだよな〜なんで神様は父を選んだんだろう。 ↓クリックしてくださると励みになります(*´ω`*) にほんブログ村
2021.06.08
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昨日(土曜日)、父が声が出なくなったと、何故か少し遠い大病院に行きたいと騒ぎ立てたようです。 緊急性が高い状態ではないので、近所の土曜日でも診療してくれるかかりつけ医にみてもらうよう母が促し、かかりつけ医に診療してくれるか電話確認をして父に1万円を渡したのに… 何故か大病院に行ってしまったようです。 結局耳鼻咽喉科の先生は居なくて、専門外の先生にちょっと喉を診てもらい、「腫れてますね」とのこと。 休日時間外の料金が5000円ほどかかるため、診察代と合わせて約10000円…先生はレントゲン撮りますか?と言っていたみたいですが、お金が足りないため断ったそうです。 薬も処方箋だけもらい、お金がなくて貰えなかったと… なんのために行ったんだかわかりません。 これは今に始まった事ではなく、躁になると毎回です(>_<)何故か病院にかかりたくなるようです。しかもだいたい夜中とか休日の緊急で…たいていは翌日には治ります。 これって皆さんそうなんでしょうか? 最近むせる事も多く、もしかして咽頭か喉頭のがん?なんて思って心配しています。なので、明日きちんと耳鼻咽喉科に連れていく事にしました。 父1人では色々と正常な判断が出来ないので付き添おうと思っています。 なんでも無ければいいのですが… ↓クリックしていただけると嬉しいです。 にほんブログ村
2021.06.06
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あれからしばらくモヤモヤしてました。 私、昔からなんですけど、自分だけが楽しい思いをするのとかがなんかダメで、学生時代なんかも思いっきり遊ぶっていうのが出来ませんでした。 これは遡ると祖父や祖母、母の苦労してるところをずっと見ていたせいかも知れません( ´・֊・` ) なんだか自分自身、父から車を取り上げている事にまだ完全には自信が持てなくて、 今日再度父から車が乗りたいと言われ、「私は自分だけ楽しい生活をして、父からは楽しみを奪っている」みたいな思考に陥ってしまいました。 ただ、父は先日もウォーキングのため公園に行きたいからと母に車を借りたのに、結局はパチンコ屋に行くという嘘もついていましたし、 今日も仕事が休みの母から公園に行くからと車を借りて、多分パチンコ屋に行ってました…あんな大雨で誰がウォーキングなんかしますかね( ̄▽ ̄) パチンコ屋に行くと年金なんてあっという間に無くなりますよね。それにこのコロナ禍。 本人の為にも車に乗らない方がお金をまだマシな事に使えると思います。 そんな事を考えながら自分を納得させていましたが、弟が帰ってきたので事情を話すと、 「いや、ダメでしょ!そんな毎日しつこく言ってくる時点で(躁状態なんだから)ダメだよ。」 と、ピシャリと言いました。 そういうところは弟は自分の考えを曲げないんですよね、冷静というか。私は罪悪感から逃れたい気持ちや、父が可哀想という理由で危うく車を許可しそうになっていましたが、弟がハッキリダメだって言ってくれてかなりスッキリしました。 そんなこんなで車はまだ許可しない事に。 可哀想だけど仕方ありません。 弟もこれまで散々迷惑かけられたので、頑なでしたね。 大人なんだから好き放題させたいけどそうも行かない。難しいです。 にほんブログ村 にほんブログ村
2021.05.28
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お久しぶりです。 更新がだいぶ空いてしまいましたが、父はというとまだ軽躁状態です。 ただ、大声は出さないし口調や表情からも落ち着いてきているのがわかります。日中昼寝するようになったのでもうそろそろ鬱に入る感じがします。 あれからずっと母に「車の鍵を返すよう話してくれ」としつこいようで…今日は私にも言ってきました。 運転… 出来ればさせたくないけど、さすがにこの田舎で車なしは可哀想な気もするし… どうしたら良いものか。 懸念している事としては 飲酒運転しないか 浪費に走らないか 事故を起こさないか 運転自体が刺激にならないか などなど。 悩みはつきません。 父の場合かなり判断能力、反射神経が落ちているため、どう考えても乗らせないのが1番安全です。 ですが、まだ60そこそこで運転出来ないというのもどうなのか…倫理的にも。 この辺は弟とも話す必要がありそう。 条件付きで許可もありかな〜とも思います。通帳を母に預けるとか。 皆さん、運転ってどうしていますか? 適性検査受けたりしていますか? にほんブログ村
2021.05.27
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こんにちは。ご無沙汰しております。息子の発熱は突発性発疹でした。すぐ解熱して発疹が出てきてケロッと元気になり良かったです!父の方はと言いますと、相変わらず軽躁状態が続いています。怒鳴ったりはしないですが、気分が良いのか、聞いていて恥ずかしくなるような事を毎日言っています。先日は弟の部屋に置手紙があったそうで、内容は車の鍵を返してほしいというものでした。(父の乗用車は前回の躁転時に弟が鍵を取り上げています。もう一台軽トラがあって、その鍵は私が持っています。)それにしても文章がおかしくて、「頼むから返してくれ。トラクターのバッテリーを交換して、どうしても畑をうないたい(耕すという意味です)んだよ。俺から車を取ったら何も残らない。」とか書いてありました。父はなぜか躁になると車や農業器具などを「修理」に出したがります。自分で修理するならいいのですが、バッテリーを交換したり大がかりな修理を業者に依頼するのです。今回もトラクターのバッテリーを交換したいと言い出し、私も母も「また始まった」という感じで呆れていました。そもそもうちはもう農家を辞めていて、ほとんどの畑を貸しています。自宅前にある畑だけ母が家庭菜園として使っていますが、今は畑の半分に色々と蒔いてあるので、トラクターを使って耕す必要性は皆無です。母は「耕す必要ないからやらないで!今育っている植物まで一緒に耕されても困るから!」と父に言ったのですが、なぜかどうしてもトラクターを修理して畑を耕したいらしいのです。前回の躁状態の時にも、私がせっかく植えたサツマイモの苗を気付かずに耕してしまったということがあり、私も母も本当に迷惑に思っていました。これから何か栽培するわけでもなく、ただ耕したいのです。意味が分かりません。そして相変わらずウォーキングへの執着が強く、昨日は朝3時に母を起こし、靴下を履かせてもらってから3㎞は離れている公園まで歩いて行ってしまいました。7時すぎには母に公園に迎えに来るよう電話をしてきて(スマホはさすがに弟が返したようです)母が迎えに行ったのですが、休憩してまた10時には公園に送っていったそうです。母もせっかくの休日なのに何回も公園まで往復して疲れていました。私が昼ごろ実家に行くと家の電話に父からまた迎えに来るよう電話がありました。母は「いい加減にしてよ!夕方って約束だったのになんでもう迎えに行かなくちゃいけないの!?全然休めない!」と怒って電話を切ってしまいました。母に聞いたら、父は「気が済んだから迎えに来てくれ」とか言っていたそうです。「気が済んだ」って一体何様なのでしょうか???それから、数日前の話になりますが、父の友人のお母さんが2年前に亡くなり、その時父は鬱だったため葬儀に参列できませんでした。なぜかそれを思い出したらしく、今更香典を持って行ったというのです。友人の方だって「なんで今更?」と思うでしょうし、お返しだって大変だし、祖父が昨年亡くなっているためうちにも香典を持ってくる羽目になってしまうんです。どう考えたって今更香典を持っていくなんておかしな話なのに、そういう常識外れなことを平気でやってしまうんですよね。。。躁状態で暴力や暴言があるのも大変ですが、こうやってわけがわからないことを色々思いつきてやるので本当に困ります。父はまだ60代前半ですが、おそらく薬の影響もありかなり認知機能が低下してきていると思います。普通の考えが出来ないことが最近増えています。ただ、エビリファイを増量されてもうしばらく経つので、もうそろそろ落ち着いて寝込んでしまうと思います。残り少ない軽躁状態、好きに過ごすのが本人のためなのか・・・複雑な心境です。↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.28
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こんばんは( ´ ` ) 昨日は息子が初めて高熱を出したので心配であまり眠れませんでした。さらに生理が来て体調はイマイチ。 産後の方が生理が重くなった気がします。しかも白髪見つけた…めっちゃショックです。だんだん老化しているんだなあ(´・ω・`) タイトルのモヤモヤですが、職場の人間関係です。あるスタッフが大嫌いで、考えるだけで憂鬱になります。 私は妊娠中に1度も休まずに、お腹が大きくなってもギリギリまで他のスタッフと同じ労働をしてきました。もちろん悪阻もありましたし、身体を使う仕事のため切迫早産も怖かったので本来なら少し労働量を下げてもらいたいくらいでした。 それでもなぜ頑張ったかというと、ある男性スタッフが同じ労働量を求めていて、それが出来ないと裏でクソみそに文句を言われたからです。 女性スタッフは私だけなのですが、その男性スタッフは私がたった1回他のスタッフに仕事を一部フォローして貰っただけで裏ですごい文句を言っていたのです。 私は明らかに自分の仕事量が他のスタッフと比べて多かったので、少ないスタッフに頼んだだけでした。それなのにそのスタッフは「自分の都合で仕事がキツイのに、○○さんは他人に迷惑を掛けている。甘えてる。上司に報告した方がいい。」と肩代わりしてくれたスタッフに忠告していました。(肩代わりしてくれたスタッフに聞いた) 確かに妊娠した事で迷惑をかけている部分もありますが、それはお互い様だと思うんですよね。 そのスタッフはお子さんが3人いて共働きで、親に頼る事が出来ないようで、土曜祝日は休みを独占していました。その事に疑問を感じながらも、お子さんが居るから仕方ないと諦め、協力してきました。それなのに、私が妊娠中は何の協力もありませんでした…それどころか悪口のターゲットにされていました(笑) そのスタッフはとにかく誰の事でも悪口を言うので気にしなければいいんですけど…私がモヤモヤしているのは私以外のスタッフがそのスタッフをいい人だと勘違いしているからです! 実は裏で皆の悪口を言っているのに、皆それを知りません。(私はたまたま私の悪口を話しているのを聞いてしまったのと、告げ口してきたスタッフが居たので事実を知っている) なので、皆は「○○さんいい人〜!カッコイイし!」とか言ってます。 いや、あなたも悪口言われてますよ?って喉まで来て出かかっていますが、言えません。 あー皆騙されてる。 モヤモヤします。 多分昨日の睡眠不足で余計にメンタルがやられていて、マイナス思考になっているんですよね。だんだん復帰も近づいてきているし。 なんか自分も躁鬱なんじゃとかたまに思う時あります。 多分違うけど… これくらいの上がり下がり誰でもあるよね?早くスッキリしたい。 うまくマインドコントロールするにはどうしたらいいのか。前向きに考えられるようになりたいなあ。 そして出来たらあのスタッフを許したい。 いつまでもこうやってネチネチしてるのは自分自身がダメになる。 優しい人間になりたい。 なんか今日病んでるなあ私m(_ _)m たまにはこういう時もありますよね!さあ寝よう。
2021.04.23
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一昨日実家で夫に話しかけまくっていた父ですが、私たちの新居にも行きたいと言っていました。その日は時間がなかったので、昨日行く約束をしていたのですが、私はずっと気が重く・・・まず、躁状態の父を家に上げるのもちょっと嫌でしたし、物理的に父とまだそんなに絡みたくないのもありました。あとは、ないとは思いますが家の場所を特定されると、ひどい躁の時にはうちに歩いて来てしまうんじゃないかなとかも心配でした。そんな事を考えているうちにお昼近くなっていたのですが、息子がちょうどお昼寝に入ってしまいました。父から電話があり、「あ~やっぱり来たか・・・」と思いました。私「なに?」父「今日は来ないのか?」私「今○○が昼寝してるから、起きたら行くよ」父「わかった、首長ーくしてまってるからね!」もう、首長くしてとか、そういう言い回しが躁です。ちょっと気が重かったですが、実の父に家を見せないなんてのも可哀想だなと思い、息子が起きてから実家に行きました。父は居間でテレビを見ていました。今日は散歩に行っていないのかと問うと、自転車で私の家の近所にある農業資材店に言ったとのこと。除草剤を買ったようです。自転車は、ちょっとお節介な父の従兄のおじさんが、父が可哀想だからと持ってきてくれたものです。そのおじさんは躁になるたびに飲みに行ったり、父にガラクタをあげたり、私からすると「余計なことしないでくださいよ・・・」と思うようなことばかりするのですが、従兄なので色々心配してくれているんですよね。ですが、私も父の妹も自転車には反対でした。父の妹が従兄のおじさんにはよく説明して、父が躁になるとどうなるか説明して、自転車なんてダメだよと言ったそうです。それに、交通事故にあうかもしれないし、自転車があれば隣町のショッピングモールにだって行けてしまいます。従兄のおじさんも、金属バットを振り回して母を殺そうとしたり、何百万も浪費したり、私を殴ったりしていた過去は知らなかったようで(おじさんは父から私や弟や母が悪者のように話をされているのです)、とても驚いていたみたいです。でも、父にちらっと自転車の話をしてしまったものですから、父はそれを忘れるはずもなく・・・しつこくおじさんに言って持ってきてもらったようでした。父に「迎えに来たよ。行こうよ」と言うと、「ちょっと待って」と応接間からビール1ケースを運んできました。「それどうしたの?」と聞くと、「○○くん(私の夫)に飲んでもらおうと思って。お祝いで」と。これには私も少し驚きました。少しは正気に近づいているのかな?と思いました。昨年息子を出産したときは一切お祝いもなにもなく、自分の浪費に走っていた父ですが、今回、少ない年金からお祝いを買ってくれたことには少しうれしい気持ちもありました。そんなこんなで私の家を見に行き、父は満足そうでした。「これはいいな!最高だ!」とか、躁の時独特の口調は変わりませんでしたが、少しずつ落ち着いてきているようでした。(エビリファイ増量から4日経過)長文になりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.20
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お久しぶりです。父はあの日ちょっと落ち着いているように見えましたが、母が祖母(父の実母)にも意見を聞いたら「そうでもない」と言っていたようで結局翌日受診となりました。診察室に入るなり、先生に「もう、キレましたよ」と言って私たちに車の鍵やスマホをとられたことを話していたようです。やっぱり全然落ち着いてなんかいませんでした・・・先生も父の様子を見て入院かなと思ったようで、「どうしましょうね~」と母に言ってきたみたいです。多分そこで「入院させたい」と言えば入院も可能だったようなのですが、やっぱりお金のことを考えるとそう簡単には入院もさせられませんよね。幸い、車がないので行動範囲がかなり狭まっているため、大きな浪費はせずに済んでいるので、とりあえずエビリファイを増量して様子を見ましょうということになったみたいです。今日昼前に実家に行くと父は珍しく家に居たのですが(多分朝散歩して帰ってきていた)、昼ごはんを食べたら公園に送って行ってくれと母に言っていました。車の運転を許可していないので、それくらいはしょうがないという感じで母も「わかったよ」とすぐに送って行っていました。14:30くらいに父が帰ってきたので、どうやって帰ってきたのか聞いたら「歩いてきたんだよ」とのこと。だいたい家から3~4㎞の公園なので、1時間くらいかかったみたいです。まだエネルギー有り余ってるみたいなのでまだしばらくは躁かな。。。躁というか軽躁っぽいんですけど、私の夫にやたらと絡みに行き、「笑うっていいことだよね」とか、「人間、話さなくなったらおしまいだよね」とか、普通に考えて恥ずかしいようなことを喋りまくってました((+_+))やっぱりまだおかしいです。まだエビリファイ増量して数日なので、あと1週間くらいはかかるかな~とりあえず、前回みたいな大変な状況には至っていないので、しばらく在宅で耐えていくことになりそうです。では、最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.18
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こんばんは(^^) あれから父は昼過ぎに帰ってきて、しばらくして私や祖母が居る居間に入ってきました。いつもなら私は部屋を出るか、父に色々と注意したりしてしまうのですが、加藤先生の本を読んで少し対応に注意しようと思っていたので、何か言われても否定しないようにしよう…と考えていました。 正直なところ絶対に、車の鍵を返せとか、色々と暴言を吐かれるだろうと身構えていました。でも、父の顔を見るとなんとなく落ち着いていました。 だいたい目は見開いて血走っているのですが、割と普通でした。 そして、孫をあやして遊んだり、お菓子を食べてテレビを見たりして、特に文句は何も言ってきませんでした。 躁になると孫には見向きもしないのに、今日は1時間くらい遊んでいました。 これまで父は躁転したら1ヶ月半はずっと躁状態で、途中落ち着くなんて事は無かったので、驚きました。 途中、疲れてしまったのか横になったので座布団を枕代わりに渡しました。自分でも不思議ですが久しぶりに父に優しく出来ました。 その後は孫について話したり、少しだけ会話出来ました。 明日受診すると母が言っていたので、今日は落ち着いていたと母にLINEすると、母も昨夜から少し落ち着いていると感じていたようです。なので、夜母が様子を見て受診するか決める事になりました。 あまりこういう経験が無いのですが、今回みたいに途中少し落ち着いても、躁転したらすぐ病院受診して薬を処方して貰った方がいいのでしょうか…? ※父は躁転した時はだいたいいつもエビリファイを増量されます。 なんとなく、受診した方が間違いない気はしますが、今日みたいに落ち着いていると可哀想になってしまうんですよね…(>_
2021.04.14
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こんにちは(^^)躁転してから今日で6日目です。父は相変わらず毎日どこかに出かけています。車に関してはあきらめがついたのか、徒歩ですごい距離を歩き回っていますが、田舎でそんなに浪費する場所もないのでひとまずは安心しているところです。一昨日(躁転4日目)は自宅から3km程離れた場所で知らないおじさんと立ち話しているところを見かけました。夜は母が帰宅してから従姉宅に乗せていけと言ったようで、仕方なく従姉宅に送っていったようです。私や弟の悪口(車の鍵を奪われた、スマホを奪われたなど)を従姉のおじさんに訴えていたそうです・・・昨日(躁転5日目)は朝からウォーキングに出かけていましたが、昼頃自宅から2㎞程のコンビニで目撃情報(ふらふら歩いている父を見てなんで徒歩?と思った近所の人が心配してうちに電話してきた)がありました。近所の人には、車の運転が危ないから乗らせていないと説明しました。ご近所にも周知されるにはまだ時間がかかりそうなので、こういう連絡はたびたびあるかもしれません。その後家に寄り付かず、19:00頃そのコンビニから3㎞ほど離れたスーパーに迎えに来るよう母に電話があったそうです。本当にすごいエネルギーです。つい1週間前までは半年以上ほぼ寝たきりだったのに( ;∀;)今日は私も実家にいるのですが、さっき帰宅してきたようです。車のことしつこく言われるかなと心配していますが、今のところ私が居る部屋には来ていません。もし言われたらなんて言おう・・・明日は母が休みなので、受診させるようです。(母は友達と約束があったそうですが、断って行くと言ってました。大変だ・・・)病院まで運転だけでも一苦労な距離なので、付き合おうかなと考えてますが、私が行くと逆効果かしら・・・では、最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.14
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こんにちは(^^)/昨日は久しぶりに図書館に行き、加藤忠史先生のこの本を借りてきました。ブログを読み返して、やっぱり躁状態の父に対して私も暴言を吐いたりしてしまい、自己嫌悪に陥っていたので、改めてどんな対応をしたらいいか、最新の薬物療法など、色々と勉強し直してみたいなと思いました。結構さらっと読める割に詳しく薬のことなど書いてあったので入門書としてはお勧めですね。患者さんへの接し方のポイントとしては、・発言に対して否定も肯定もしない・次々にアイデアが浮かんでくるが、議論せずに別の話題に変える・暴言を吐くときは「病気が言わせている」と考えて深刻に考えないように・確実な服薬を促す・根気強く受診を促す・暴力行為などがあるのに入院を拒否するときは警察に相談とありました。私は恥ずかしながらどれも実行出来ていないですね( ;∀;)でも、少しは対応を変えられそうです。それから、公的な助成制度などについても簡単にですが書いてありました。うちはここしばらく自立支援医療(外来の医療費が1割負担になる)を使っていないのでいつも医療費が3割負担なのですが、また役所に行った方がよさそうです。また、父の状況についても書きますね(^^)/↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.14
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こんにちは。朝、母から連絡がありました。父は昨日の夜中、母が寝ているにも関わらず寝室で色々な人に電話をかけまくっていたようです。大声で話しているのを聞いた弟がキレて、父のスマホを取り上げたそうです。双極性障害って、本に必ず「電話をかけまくる」ようなこと書いてありますよね・・・大学のころ精神医学の授業があって、そのころはまだ父が双極性障害だなんて思ってもいなかったので、双極性障害の授業を他人事のように聞いていましたが、後から教科書を見返すと恐ろしいほど症状が一致しています。父は今日、朝から畑の草刈りをすると騒ぎ、結局徒歩で700mほど離れた畑まで草刈り機を担いで行ったみたいです。最近はよく転倒もするので(パーキンソニズムのため突進歩行になることがあります)、もし転倒しても誰にも連絡できません。なので母から、悪いけど様子を見に行ってくれる?と連絡がありました。幸い無事に草刈りからは帰ってきたようでしたが、昼に私が実家に様子を見に来たらすでに父は居なくなっていました。祖母によると、叔母(父の妹)に郵便局に乗せていけと言っていたようです。おそらく郵便局で年金をおろし、何かお金を使いたくてしょうがないのでしょう。もう、誰にも止められませんね。幸い車は乗ることが出来ないしスマホもないので、近所のスーパーやドラッグストアくらいしか行くところもないので、前回の躁ほどは心配していませんが、やっぱり気分が悪いですね。↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.12
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こんにちは。昨日は実家に行くと母が父に呆れ返って怒っていました。母「なんでそうやって人に迷惑ばかりかけるの!?いい加減にしてよ!恥ずかしい!」父「別に恥ずかしくないだろ!!!」母は父に車で公園に乗せていけと言われたらしく(父の車の鍵は私が預かっているので)、乗せていったそうなのですが、13:00にまた迎えにいくことになっていたのに、近所の民生委員の方(以下Sさん)がお昼前に車で家まで送ってきてくれたようで・・・Sさんは顔見知りなので、国道沿いをふらふら歩いている父を見て「大丈夫かな・・・」と思ったようで、うちに電話してくれたそうです。でも、母は父がただ歩いているだけなのにわざわざ連絡してくるSさんにちょっと腹が立ったようで(まるで父が頭がおかしいと言われていると感じた)、「大丈夫ですから!」と答えてしまったそうです。その後父から、「やっぱり歩いて帰るから大丈夫」と連絡があったので、母は迎えに行かなかったようです。それなのに結局Sさんが送り届けてくれました。それをなんの恥ずかしげもなく「Sさんに送ってきてもらったよ」と母に話す父に激怒する母。躁になると毎回毎回同じことをします。前回も何度も公園から誰かに送ってきてもらうということがあり、時には転倒して顔面から流血している父を見て救急車を呼んだ人もいました。そうやって他人に迷惑をかけているのに、悪びれる様子も恥ずかしいという気持ちも一切ありません。私が住む地域は田舎なので車がないと生活できないし、その辺の道を徒歩で移動するというのはほぼほぼあり得ない場所なんです。だからSさんも自宅から5kmほど離れた国道沿いに突っ立って居た父を見ておかしいと思ったんでしょうね。どうやら父は国道沿いの飲食店(躁になるといつも入りびたる)に行きたかったようなのですが、その飲食店は昨年閉店しており、疲れ果てて店の前で突っ立っていたようなのです。Sさんは病名までは知らないにしても、ここ10年ほど無職で、祖父の葬儀で喪主を出来なかったり、地区の行事に一切参加しない父が、何かしらの精神的な問題があるとは気づいているはずです。母はSさんに何かお礼をしなければ・・・とすぐに家を出て菓子折りを持ってお礼に行きました。母はSさんに父について、最近危ないので車を運転させないようにしている、ウォーキングに行っても帰ってこれないほど遠くまで歩いてしまうなど、簡単に説明したそうです。もう父の行動は誰にも止められません。その後、私に何度か声をかけてきましたが、どうせ車の鍵を返せと言われるのだろうと思い無視してしまいました。まともに話すとこっちも切れてしまうので、自分の気持ちが落ち着くまでは話をしない方がいいと思いました。その後も話かけてくるので、兄弟で相談してもう車の鍵は預かることにしたと言いました。服薬しているんだから本来なら免許センターで適正検査をしなくてはいけないんだ、そもそも昼間から飲酒しているような人に運転させられない!と強く言いました。その後父は徒歩で家を出てどこかに行ってしまいました。なぜ毎回毎回同じ行動パターンになるのか、不思議でなりません。ただ、今回は体力も以前より落ちていて暴力を振るわれてもこちらが本気を出せば勝てそうなので、母も私も絶対に屈しないようにしようと話しました。入院は、できればさせたいですが、「もう二度と入院しなからな!」とか言っているので難しいかもしれませんね。入院費もバカにならないし・・・いくら周りの人間が稼いでも一人で使ってしまうので困ったものですね。では、最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.12
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午前中、怒鳴りすぎてエネルギー使い果たしてしまいました。あれからすぐ自宅に帰ってきたのですが、息子と遊ぶことも出来ず・・・横になりながら、息子が頭打ったりしないか見守りだけしていました。やっぱり躁転すると私自身一気に鬱っぽくなります。怒鳴っている時、手足が震えてました。もうトラウマみたいになっているんだと思います。関わらなければいいじゃんと思われる方も多いと思います。自分でもなんでこんなに足を突っ込んでしまうのかなって思うんですけど・・・なんで関わるかというと、母のことが心配だからです。以前、母は父が躁状態の時に鬱になったことがあります。元々母は強迫性障害で、ただでさえ強いストレスにさらされると強迫の症状が出てしまうのに、さらに父の躁がきっかけになって、結局強迫→鬱になってしまい1か月ほど仕事も出来ず寝込んでいたことがあります。母が父のせいでおかしくなってしまうんじゃないかといつも心配しています。それに、私自身こんなストレスに一人で対応しながら働くなんて本当に無理なことだと思うんですよね。激躁の時だって母や弟がいたから何とか乗り越えられたようなものです。だから、自分が辛いからって父から逃げることはしたくないです。逃げたら対応するのは母一人ですからね。(あれから弟は父を拒絶しています)母だって一人では乗り越えられないかもしれないけど、私がいるって思えば踏ん張れるんじゃないかなって思います。もし、母が父と離婚していて祖母も無くなっていたらもう父とは絶縁していたかもしれませんが・・・祖母もまだ健在ですから、もし私が実家を見捨てて好き勝手生活していたら、老い先短い祖母まで苦労する羽目になりますしね。たださすがにどうやって距離をとればいいのか今日は考えてしまいました。父が死ぬまで毎年数か月はこれで苦しむのか・・・と。お金使ったり事故起こしたりしないなら放っておけるんですけどね。とりあえず車は乗れないと思うので、少しは行動を抑制できるとは思いますが、これが逆効果になったら嫌だなあ。それに鍵を奪うって人権侵害ですよね、自己嫌悪。まとまりませんがここに気持ちを打ってたら少しは前向きになれました。私は息子や夫を一番に考えてまずは自分の生活を優先しつつ、母を支えていきたいと思います。アドバイス等あればぜひコメントいただけると嬉しいです( ;∀;)最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.09
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お昼前に実家に行ったら、案の定誰かと電話してました… たまたまおばさん(父の妹)が来ていたので、祖母と3人で話していたらしばらくして居間に父が来て明らかに様子がおかしかったです。 目を見開いてるし、口調がまるで別人でしたね! 夜9:00くらいに布団に入り、2:00くらいには覚醒して車で公園に行っていたようです。1万歩歩いたとか言ってました。 完全に躁転…( ⚭_⚭) おそらく1週間もすればまた夏のようなひどい状態になると思います。 とにかく今のうちに車の鍵を預からなければと思い父に話すと「俺から車を取ったら何が残るんだ!」「毎日公園で歩くのが日課なんだよ!」といつもなら言わないような事を言い始め、私もつい切れてしまいました(>_
2021.04.09
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息子が寝ているのでちょっと書いてみます(^^ブログを始めたきっかけは、ずばり去年の父の躁状態の時にとてつもなく辛かったからです。当時産後1か月くらいで、初めての子育てでいっぱいいっぱいの中父が久しぶりに結構ひどい躁状態になったんですよね。多分仕事していればそんなに頭が父の躁でいっぱいにはならなかったと思うんですけど・・・ちょうど育休中で、しかも家を建てている最中でアパート代がもったいないし里帰り出産ってことで、家が建つまでの数か月間実家に住まわせてもらっていたんです。だから物理的にも離れることが難しかったんですね。私は友達の中でも結婚・出産ともに遅かったので、やっと赤ちゃんに会えた~という幸せな気持ちでいっぱいだったのが、急に父の暴言・浪費・わけのわからない行動に振り回されることになってしまい、多分産後のホルモンバランスの乱れもあって絶望感を感じていたんですね。そんなとき、双極性障害の家族で同じように奮起していた方のブログを拝見し、「私だけじゃないんだ、辛いのは」とちょっとだけ客観的に父を見ることが出来るようになりました。頭では双極性障害の方を支える家族というのは世界中にたくさんいるってわかっているんですけど、どうしても「なんで自分や家族がこんなにつらい思いをしなくちゃいけないんだろう」とか「どんなにみんなでお金を稼いでも父に使われてしまう」とか感じてしまっていたんです。だからそのブログは隅から隅まで読ませてもらって本当に助けになりました。で、自分も結構長い年数父の病気と付き合っているので、せっかく育児休暇中だしコロナでどこへも行けないから発信してみたいなと思いました。こうやって文章化することで自分の気持ちも整理できるし、単純に父の病気の記録にもなるかなと思っています。なので、双極性障害の患者さんにとっては余計に辛くなったり面白くない内容もたくさんあると思うんですけど、ご家族にとっては共感していただける内容が多いかなと思います。それから、うつ病と違ってまだまだマイナーな病気なので、少しでもこの病気が世間一般に広まって、差別的な感じで思われなくなればいいなあと考えています。(実際父は近所ではそういう風に思われてる部分もあると思います・・・)では、最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.09
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おはようございます。ついさっき父から携帯に電話がありました。「今日は(実家に)来るのか?」と。「○○(子供)が起きたら行こうかな、なんで?」と言うと「別に何でもないんだけど、わかった」と。怪しいです。口調も結構はっきりしていましたし、電話してくるのは躁状態の特徴ですよね~。。。(今だと軽躁なのか?)去年は躁状態でさんざん暴言吐いといて、悪いとか一つも思ってないんだろうか・・・なんとなく重い気分になりますね( ;∀;)本人は今が楽なのかなと思うけど、家族はやっぱり躁転を恐れて神経とがらせてしまいます。ほんと、難しい病気!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.09
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こんにちは。先日、母が父の状態を記録していた日記を見つけたというので読んでみました。とてもリアルであの頃の事を思い出して恐ろしくなるとともに、おかしなエピソードもたくさんあって母と大爆笑しました。あの頃はこんな風に笑える日が来るなんて思ってもいませんでした。というわけで、これまでの父の双極性障害遍歴を簡単に記載していきます。読みづらくてすみません( ;∀;)平成6年交通事故を起こす農業に従事していたがこのころから数か月寝込んでは起きるを繰り返すようになる平成9年運送会社に就職する平成10年会社に行けなくなり退職初めて精神科を受診し、鬱の診断を受ける抗うつ薬を服薬し、回復するその後も寝込んだり起きたりを繰り返す平成20年鬱で精神科受診し、抗うつ薬を処方される抗うつ薬を服用し続ける平成21年3月テンションが異様に高くなるが暴言暴力はなし平成22年1月:鬱が辛くて現在のかかりつけ医を受診する 鬱病の診断で抗うつ薬を処方される 5月~7月:普通 7~10月:鬱っぽい 10月~12月:普通平成23年1月:躁転 2月:暴言暴力ひどく警察沙汰 その後も暴力あり、母が頬骨と肋骨骨折する 私も何度か殴られる 3月:なんとか受診させるも、本人が入院拒否 病院側からは任意でないと入院出来ないと言われる 初めて「双極性障害Ⅰ型」と診断を受ける 「エビリファイ」を2週間分処方される 先生に、これで絶対に落ち着くからご家族もう少し辛抱してくださいと言われる 6月:だんだんテンション下がってくる 7月:完全に鬱に突入 死にたいほど辛い鬱だったようで、本人から「入院したい」と申し出あり入院 12月:退院平成24年4月:躁転 6月:躁で入院 9月:退院平成25年4月:鬱で入院 10月:退院するも、数日で躁転 ここから以前書いた激躁状態になった平成26年5月~7月:躁で入院平成27年1月~3月:躁で入院平成28年5月:躁転平成29年1月:躁転 11月:躁転平成30年12月:躁転令和1年5月:躁転令和2年8月~10月:躁転令和3年3月:今回の入院改めて驚いたのですが、初めての精神科受診で「うつ病」と診断されてから約13年後に「双極性障害Ⅰ型」の診断を受けたことがわかります。この間飲んでいた薬は抗うつ薬ですので、おそらく双極性障害の症状を悪化させていたと思われます。平成23年の激鬱をきっかけに入院が始まり、その後はほとんど躁で毎年入院となっていたことがわかりますね。また、平成23年と25年の「鬱から始まった入院」は入院期間が約半年と、かなり長期の入院になっています。逆に、「躁から始まった入院」では長くて3か月の入院期間となっています。ちなみに、躁転しただけで入院していない時もありますが、その時はだいたいすぐに受診してリチウムを増量してもらって2か月程度で鬱期に突入というのがルーティーンとなっています。そして、記録を見ていて共通しているのはやはり「イベント時」は鬱になっていることです。元々決まっている法事や結婚式などのイベントの直前に必ず鬱に突入しています。なので、私の結婚式にも弟の結婚式にも父は出ていません。なんだかなあ・・・と思いますが仕方ないですね。とっても複雑な書き方になってしまいましたが時間があるときにキレイに表にでも出来たらいいなあ☺では、最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村にほんブログ村
2021.04.08
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こんにちは。今日は父の入院中の生活について簡単に聴取しただけですが書いていきます。父は四人部屋に入院していました。普通の病院のような感じですが、玄関は電子キーで施錠されており、外から入る際はインターホンで看護師に解錠してもらい、中から出る時も看護師が解錠するというシステムです。今回父は作業療法など、精神のリハビリテーションの時間はなかったようです。以前は作業療法室で簡単な作業をしたこともあったようです。そのため、朝起きてから夜寝るまで本当に何もすることがないといった状態だったようです。食事は1食あたり600円で、限度額認定証を提出することで少し減免されました。部屋で食事をとり、他患者ともほとんど話をしなかったようです。おそらく完全に躁転しなかったので、あまりおしゃべりもしたくなかったのでしょう。躁状態では誰かれ構わず話しかけるので、躁で入院すると必ず友達を作って帰ってきます・・・洗濯は父が自分で行っていました。洗濯室に有料の洗濯機が置いてあるので、洗剤とハンガーやピンチを持っていき、自分で洗うことになっていました。看護師さんは入院時の様子を見て「できないかしら」と心配していましたが、自分でできたようです。業者に頼むことも出来ましたが高額なので辞めました。また、家族洗濯も可能でしたが病院まで1時間かかるのでそんなに頻繁に行ってもいられないなと思い、(正直なところ私も母もあまり会いに行きたくなかった)自分でやるよう話していました。面会については、現在コロナ感染防止のため1回あたり5分と決められており、面会時の飲食物の持ち込みも完全に禁止となっていました。入院時に保証金を5万円と「おこづかい」を3万円預けて、その3万円で売店で買い物ができたそうです。1か月の入院で1万7千円ほど使っていました。お茶は食事の時にコップに1杯しかでないので、ペットボトルの飲み物を結構な頻度で購入していたようです。このへんはケースで買って持ち込みできれば安く済むのですが、精神科のためこういうところも普通の病院への入院とはちょっと違うところですね。あとはお菓子を買っていたようです。売店には週に1回、数名で買い物に行くことになっていたみたいです。なので皆さん結構まとめ買いをするみたいですね。入浴は週2、3回だったかな?とまあ、特筆することもないのですがこんな感じだったみたいです。入院費は合計で12万円ほどかかりました。(限度額認定証で減免後の金額)そのうち5万円くらいは食事代です。結構食事代がかかるんですよね。ただ、家に居ても酒・たばこで結構かかるし、食事なんて起きれるときに適当に食べるような感じなので・・・入院時は170㎝で60㎏しかありませんでしたから、きちんと3食出してもらって規則正しい生活をするだけでも入院の価値があったと思います。入院費は結構かかるので、やっぱりひどい躁の時限定になりそうです。今後は、鬱期にお金を使わなかった分年金を貯めて、入院しなければならないときにそのお金を使うという感じになりそうです。最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村にほんブログ村
2021.04.08
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こんにちは。今日は父の入院中の生活について簡単に聴取しただけですが書いていきます。父は四人部屋に入院していました。普通の病院のような感じですが、玄関は電子キーで施錠されており、外から入る際はインターホンで看護師に解錠してもらい、外から出ると時も看護師が解錠するというシステムです。今回父は作業療法など、精神のリハビリテーションの時間はなかったようです。以前は作業療法室で簡単な作業をしたこともあったようです。そのため、朝起きてから夜寝るまで本当に何もすることがないといった状態だったようです。食事は1食あたり600円で、限度額認定証を提出することで少し減免されました。部屋で食事をとり、他患者ともほとんど話をしなかったようです。おそらく完全に躁転しなかったので、あまりおしゃべりもしたくなかったのでしょう。躁状態では誰かれ構わず話しかけるので、躁で入院すると必ず友達を作って帰ってきます・・・洗濯は父が自分で行っていました。洗濯室に有料の洗濯機が置いてあるので、洗剤とハンガーやピンチを持っていき、自分で洗うことになっていました。看護師さんは入院時の様子を見て「できないかしら」と心配していましたが、自分でできたようです。業者に頼むことも出来ましたが高額なので辞めました。また、家族洗濯も可能でしたが病院まで1時間かかるのでそんなに頻繁に行ってもいられないなと思い、(正直なところ私も母もあまり会いに行きたくなかった)自分でやるよう話していました。面会については、現在コロナ感染防止のため1回あたり5分と決められており、面会時の飲食物の持ち込みも完全に禁止となっていました。入院時に保証金を5万円と「おこづかい」を3万円預けて、その3万円で売店で買い物ができたそうです。1か月の入院で1万7千円ほど使っていました。お茶は食事の時にコップに1杯しかでないので、ペットボトルの飲み物を結構な頻度で購入していたようです。このへんはケースで買って持ち込みできれば安く済むのですが、精神科のためこういうところも普通の病院への入院とはちょっと違うところですね。あとはお菓子を買っていたようです。売店には週に1回、数名で買い物に行くことになっていたみたいです。なので皆さん結構まとめ買いをするみたいですね。入浴は週2、3回だったかな?とまあ、特筆することもないのですがこんな感じだったみたいです。入院費は合計で12万円ほどかかりました。(限度額認定証で減免後の金額)そのうち5万円くらいは食事代です。結構食事代がかかるんですよね。ただ、家に居ても酒・たばこで結構かかるし、食事なんて起きれるときに適当に食べるような感じなので・・・入院時は170㎝で60㎏しかありませんでしたから、きちんと3食出してもらって規則正しい生活をするだけでも入院の価値があったと思います。入院費は結構かかるので、やっぱりひどい躁の時限定になりそうです。今後は、鬱期にお金を使わなかった分年金を貯めて、入院しなければならないときにそのお金を使うという感じになりそうです。最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村にほんブログ村
2021.04.08
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昨日、母が休みなので実家に帰ったのですが、母がいないので、祖母にどうしたのか聞いたら病院に行ったよとのことでした。父が退院することになったというのです。父は入院してからずっと退院したいと言っていたようです。しばらくして2人が帰ってきたので父の様子を母に聞いたら、帰りの車中でも何も話さなかったとのことで、躁状態ではなさそうだと言っていました。父の表情は、すごく鬱という感じでもなく、やや目が見開いた感じに見えました。受け答えのスピードも割と速いし、歩き方もしっかりしています。なんていうか・・・「普通」の状態です。こういう父はすごく久しぶりに見ました。もしかしたら約1か月の入院で規則正しい生活と服薬、栄養のある食事を食べていたことでしっかりしたのかもしれません。(入院前はひどい生活でした・・・また後日書きますね)「やっぱり家がいいの?」と聞くと、「そりゃそうだよ・・・病院では拘束されて・・・」と言います。(身体拘束を受けていたわけではありません)「拘束って別に縛られてるわけじゃないし、自由に動けるんだからいいんじゃないの?ごはんだってきちんと出てくるし、売店で買い物だってできるんでしょ?」というと「そうだけどやっぱり入院は嫌だ」と言っていました。私は昨日子供を連れて実家に帰っていたのですが、父は子供を見てよく笑っていました。少しあやしたりもして、普通のおじいちゃんになっていました。鬱の時も躁の時も孫には一切見向きもしない父でしたが、やっぱりあれは病気のせいだったんだなと思いました。ただ、退院したことでまた飲酒が始まってしまったし、(一日にビール1本だけ許可している)薬だって母が居ない日中は飲んだり飲まなかったりになってしまいます。おそらく、この「普通」の状態は長くは続かないでしょう。そして前回の躁転から半年以上が経っていることを考えると、おそらくこの春に必ず躁転すると思います。この間は怪しい状態で入院したのでひどい躁にはなりませんでしたが、やはりきちんと服薬しないとコントロールは難しくなるのかなと思います。母と協力して異変があれば定期受診を待たずに受診させようと思います。では、次回は入院中の生活や入院費について書いていこうと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました!↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村にほんブログ村
2021.04.06
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父は夜中からどこかに行っていて、朝方帰ってきました。帰るなり私、母、弟が待ち構えているので、なんだ?という表情をしていました。母が「ちょっと、こっちへ来て」と父を椅子に座らせて、4人での話し合いが始まりました。まず、母が入院してほしい事を伝えました。もちろんそんな簡単に応じるはずもありません。「しつこいな!!!俺はもう病気じゃないの!入院なんてしない!」父は血走った目で怒り出しました。「もう皆限界なんだよ。どう見てもおかしいよ。入院してくれないなら私が出ていくよ。」母が言いました。「ああそうかい!じゃあ出ていけ!俺は絶対に入院しない!」全く聞く耳を持ちません。私も弟もどうなってもいいから入院してもらって、この苦しみから解放されたい一心でした。「お母さんだってうつ病みたいになってるんだよ!?私たちだって毎日毎日こんな風に当たり散らされてたら頭おかしくなるよ!仕事するのもやっとの精神状態だよ。家族全員が参ってるの、わかんないの!?」私もつい大声を出してしまいます。「そうやって俺を悪者にして、なんなんだよ!俺は病気じゃないの!治ったんだよ!」こんなやりとりを30分ほど続けていました。本当に何を言っても同じことの繰り返しでした。弟は至って冷静で、あまり発言はしませんでしたがあまりに父が支離滅裂な事を言っているのでついにキレました。「てめえが入院しないと全員おかしくなって破産すんだよ!いい加減にしろ!絶対に入院だよ!こんな状態で家に居られても困るんだよ!入院しないなんて決めるのはてめえじゃねえんだよ!家族全員が入院した方がいいって言ってんだからいい加減自分がおかしくなってるのに気づけよ!」胸ぐらをつかんで今にも殴り掛かりそうです。「こうやって子供たちにも言われてるのにわからないんだから、本当にどうしようもないね。もう入院してよ!そうじゃなきゃ自分だって辛いんだよ!?毎日毎日イライラして動き回って。」母も大声を出しています。「入院するって言えよ!もう無理なんだよ!」弟が怒り狂った表情で父に言いました。父は半分開き直ったような言い方で「わかったよ!俺が入院すればいいんだろ!?みんなで俺を悪者にして」と言いました。そしてそのまま父に車に乗るよう言いました。もう荷物は用意してあります。父は私が前にプレゼントしたらしいスニーカーを気に入って履いていました。(私はプレゼントしたことをなぜか覚えていません・・・)そのスニーカーを履こうとしましたが、紐の付いた靴は精神科では禁止されているのでマジックテープのスニーカーを履くよう言いました。そして母の運転で4人でかかりつけの病院に向かいました。私と弟は後部座席に乗りました。弟はうつむきながら泣いていました。↓クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村
2021.04.04
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警官が帰った後、父は少しは大人しくなっていました。パトカーが来て警官に色々聞かれている。その中で妻や娘が泣きながら何かを訴えている。そういう状況を見て何かを感じたのでしょうか・・・そうであってほしい。しかし、そのうちまた激躁状態に戻り、怒り出しました。「警察なんか呼びやがって!!!!! 俺を何だと思ってんだ!?」弟達2人の力には叶うはずもなく、羽交い絞めにされながら母と私に怒鳴っています。弟達もついにキレました。「出ていけ!おまえが生きていると家族全員がおかしくなるんだよ! 今すぐ出て行けよ!おまえなんか親でもなんでもねえよ!死んじまえ!」「言われなくても出ていくよ!みんなで俺を悪者にして、面白いか!?」父は夜中なのに家を出て行ってしまいました。その後、母と二人で話をしました。弟達が居ればなんとか力づくで父を止めることが出来るので、次に弟たちが休みの時に全員で父を説得して、任意入院させようということになりました。病院にさえ連れていければ本人が同意しなくても躁状態が明らかなので先生の判断で医療保護入院も可能かもしれない。どうにか病院に連れていくことが出来れば入院できる可能性はある。そう思いました。その後数日間、作戦決行までは父には自由にさせていました。結局父は家族に無断で中古車センターで100万円の車を契約してきてしまいました。もうキャンセルは出来ないし、家の通帳を持っているのでお金も払ってしまったようでした。車が届いて数日後、作戦決行の日が来ました。早朝、父は不在でしたが弟に協力してもらい母と私と3人で父の帰りを待ちました。そして父が帰ってきました。↓クリックしていただけると励みになりますにほんブログ村
2021.04.03
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母も持っていた携帯で110番通報しようとしましたが、暴れる父が携帯を奪い、外に投げてしまいました。私は生まれて初めて110番通報しました。しかも実の父のことをです。狂気の沙汰です。警察「はい、○○交番です」私「すみません、今家族が暴れていて、どうにもならない状態です。」警察「ご家族はどなたですか?誰か怪我はされていますか?」私「いえ、でも誰かが怪我をするまで止まらなそうです。 父が双極性障害で暴れているので、措置入院をお願いしたいんです。」警察「では今から向かいますので、安全な場所に居てください。」措置入院(そちにゅういん)とは、精神保健福祉法29条に定める、精神障害者の入院形態の1つです。簡単に言うと、病状によって自傷や他害の恐れがあるが、それを自分で認識して医療に頼ることが難しい場合、入院させなければ自傷他害の恐れがある場合に都道府県知事の権限と責任で精神科病院に強制的に入院させることを言います。精神科病棟に入院するのは、「任意入院」が基本で、患者自身が入院に同意することが求められます。(これは人権や倫理的に仕方ないことだとは思います。)しかしながら、双極性障害や統合失調症など、明らかに他者から見て入院が必要な状態であっても本人がそれに同意しない、病院に行くことすらできないということは多々あるかと思います。措置入院は、一般人からの書面による申請、警察官の通報、検察官の通報、保護観察所長の通報、矯正施設長の通報、精神科病院管理者の届出、医療観察法の通院処遇者に関する通報で行われます。この時の場合、私はまず110番通報し、警察官が状況を見て判断し保健所に通達し、そこから県に連絡という流れになります。やっと解放される・・・私も母もそう思っていました。そしてほどなくして警察官が二人やってきました。警官「どうされました?大丈夫ですか?」母「双極性障害で大暴れしていて、殴ったり蹴ったりして殺されそうになりました。 もう私たちでは病院に連れていくことが出来ないので、通報しました。」警官「お父さん、どうですか?」父は警察官を見るなり「普通の人」のように振舞っていました。父「ちょっと喧嘩になっただけですよ、ご迷惑おかけしてすみません」私と母は唖然としました。警察に対しては普通の受け答えをしていますが、このチャンスを逃したらもう後はありません。私「今も弟二人でやっと抑えてもらったくらいで・・・ 怒り出すと止まらなくて金属バットを振り回したりそのうちだれか殺されてしまいます。 措置入院させてもらいたいんです。」警官「そうですか・・・ 今誰も怪我していないですし、お父さん普通にされていますからねえ・・・ ちょっと難しいと思います。」私「誰かが怪我しないと通報してもらえないんですか? もう誰も頼ることが出来ないからこうして警察を呼んだのに、 誰かが暴行されるまで待たなくてはいけないんですか!?」私は必死でした。警官「・・・一応問い合わせてみますが、おそらく難しいと思います。」警官はそう言ってどこかに電話しました。警官「措置入院となると、県内の医療機関どこに搬送されるかわかりません。 それでもいいですか?」措置入院には精神保健指定医2名の診察が必要で、必ずしも近くの病院に指定医がいるとは限らないのです。もしかしたら車で2時間半くらいかかる場所になるかもしれないとのことでした。しばらくして、電話し終えた警官が言いました。警官「やはり、措置入院となると今の状況では難しいですね。 お父さん私たちの話を冷静に聞いていますし、申し訳ないですけど・・・」もう父以外の家族全員が落胆していました。こんな状況になっても措置入院は出来ないんだ・・・じゃあどうやって入院させればいいの?病院に連れて行くなんて絶対に無理なのに・・・私は頭の中がぐるぐる回っているのを感じました。もう警察は何の頼りにもならないと思いました。結局は本人が暴れて錯乱状態になって誰かを怪我させたり自殺しようとしている状況を目の当たりにしないと警察は動けないんだと悟りました。行政や公的機関に頼っても助けてもらえないことに絶望感を感じました。そして警察は帰っていきました。↓クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村
2021.04.02
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私は親戚から車を買う約束を無しにしてもらい安堵していました。父にはすぐばれるだろうと思いましたが、今はとにかく一日でも浪費を先延ばしにして落ち着くのを待つしかありません。今思えばこの時はまだ躁と鬱のサイクルが掴めていなかったし、私たち家族も双極性障害についての知識が浅く、どう父に対応していいのか試行錯誤している状態でした。そして父に車を断ったことがばれました。「余計な事したな!!!俺に恥をかかせやがってクソアマ!!!」と部屋に怒鳴り込んできました。私はまた殴られるかな・・・と少し身構えながらも、「車なんて買うお金ないんだからいらないでしょ!私がどんな思いで知らない親戚に電話したと思ってんの!?いい加減にしてよ!」と反論しました。「いい車なんだから、いいんだよ!何買おうが俺の勝手だろう!!!邪魔ばかりしやがって!自分は好き勝手やってやがって、自己中女!!!」といつものように罵られ、本当にこの人は親なのか?人間なのか?頭の中で、何とも言えないはらわたが煮えくり返る感覚を感じました。「とにかくもう断ったから二度とあの家にいくんじゃねえ!!!家族に迷惑かけるなよクソが!」私もすごい口調だったと思います。でも本当に毎日毎日父のやっていることの尻ぬぐいをしたり、お金の心配をしたり、母の心配をしたり自分自身がおかしくなりそうでした。父はようやく諦めて部屋を出ていきました。その日の夜だったか、父は夕飯の時につらつらと祖父や親戚のおじさんの悪口を言い始めました。とても聞いていて気持ちの良い話ではなく、そこにいた全員が嫌な気分でした。そのうち祖父が何か言ったことに反応し、暴れ始めました。「クソじじい!てめえのせいで俺はやりたくもない仕事をやって、おかしくなったんだ!!!死んじまえクソ!!!」と祖父への恨みつらみを大声で怒鳴り、体の小さな祖父に殴り掛かろうとします。私たちも必死で止めますが、50そこそこの男に勝てるはずもなく、祖父は何度か殴られてしまいました。その音が聞こえたのか、二階から弟たちが降りてきて、父を羽交い絞めにして止めました。10代、20代の息子二人でやっとこさ止められるようなすごい力でした。もう私も母も限界でした。本当に誰かが大けがしてしまう。私と母は父を措置入院させられないか、以前から話していました。弟たちが父を羽交い絞めにしている間に、私は110番通報しました。↓クリックしていただけるとブログ作成の励みになります(^^にほんブログ村
2021.04.02
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父はいつものように日中はどこかに吹っ飛んでいましたが、たまに家に居ると思えば実家のビニールハウス内を大掃除しはじめて、中途半端な状態で終わりにしてしまいます。次から次へと色々なことが頭に浮かぶのでしょう。でもすべて中途半端で終わりです。ある日父は車が欲しいと言い出しました。これも躁状態の時にはお決まりの文句です。以前乗っていたワンボックスカーは古くなっていたしずっと鬱だったので廃車してしまったのです。だからどこか行くときは仕方なく軽トラを乗ったり、ほかに空いている車を使っていました。私たちはそのうちまた鬱になるんだから、税金やら車検やら何かとお金がかかる車は父には不要だと思っていました。躁・鬱を何度も何度も繰り返していたため、もう治るとは思っていませんでした。母は精神的に参っていたため父に強く口答えする気力もなくなっていました。私は大金を無職で金食い虫の父に使われるのだけは避けなければいけない!と躍起になっていました。車なんて絶対にダメだと何度も言いましたが、父は「お前にそんなこと言われる筋合いない!口出しするなくそアマ!!!」とすごい剣幕で怒鳴り散らし、聞く耳を持ちませんでした。ある日、遠い遠い会ったこともないような親戚の家に遊びに行き、車が欲しいことも話したようで、その親戚がもう使っていない車(おそらく処分に困っていたような車)があると話をしてきたらしく、なんとその車を100万円で譲りうけると口約束をして帰ってきました。遠い親戚とはいえ普段全く付き合いのない人からよくわかりもしない車を100万円で買うなんて馬鹿げていますよね?私はその話を聞いて激怒しました。そして母にその親戚の電話番号を聞き出し、父には内緒で電話をかけました。その親戚には、私は娘で、父は双極性障害という精神疾患にかかっていてついこの間まで入院していたこと、自分では正確な判断が出来ないこと、働くことが出来ないため収入がなく、うちにはお金の余裕がないことを話しました。すると、その親戚は怒った様子で「オタクの方から買いたいって話があったからこっちはそれに応じただけですけど。」と言ってきました。私はこの時、この親戚が普段本当にまったく付き合いがなくて、父のことをただの金を運んでくる人間としか思っていないことが良くわかりました。会ったこともない親戚に20代前半の小娘が電話越しで何度も何度も謝り、話を無かったことにしてくださいと懇願しているんです。普通の良心ある親戚ならただ事ではないことがすぐわかるはずです。この親戚の人は本当に嫌な人でした。しばらくずっと嫌味を言われて、私も今にもキレそうでした。ただ、迷惑をかけていることに変わりはないのでそのあとも何回も謝罪しました。そうしてその話は無しになったのです。クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村
2021.03.31
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父の一番酷かった躁状態は確か7~8年ほど前でした。はっきりいつだったか覚えていませんが、確か私が社会人2年目くらいだったのは覚えています。その時も鬱状態から急に躁転し、ここ最近の躁転とは比べようにもないひどい躁でした。顔は般若みたいで目がギラギラしていて、今みたいにパーキンソニズムも出ていなかったので、一見すると健常者でした。躁転したばかりの数日は気分が良く大きな事を言ったり毎日大量の買い物をしてきていました。うちは元々農家なのですが、余った農地にアパートを建てると言い出した時はぞっとしました。父はあまり頭がキレる方ではないので、結局どうやってアパートを建てたらいいのかわからなかったようで、その話は早々に無くなりました。大量の買い物で印象的だったのは、油性ペンのマッキーです。ノック式の少し高いものを20本とかまとめて買ってきて、色々と書き物をしていました。またある日は陶器のどんぶりとレンゲを大量に買ってきました。まだ暴力的ではなかったので、「何に使うんだ」と聞くと「みんなでラーメン食べたりするのに必要だろ?」と言っていました。そのうちだんだんとイライラが始まり、ちょっと気に入らないことがあると怒鳴り散らすようになりました。私は働きもせずに大量の買い物をしてくるので父に「もう買ってこなくていいよ!お金が湧いてくると思ってるの?!いい加減にしろ馬鹿野郎!」など、親に対して使ってはいけないような言葉遣いで怒っていました。父も「なんだその口の利き方は!!!誰が育ててやったと思ってんだ!言い方がきついんだよ!海外旅行ばかり行ってやがって自分だけ好き勝手やりやがって!この自己中女!」とののしられ、時には本気で殴り掛かってくることもありました。幸い大けがはしませんでしたが、何度殴られたかわかりません。父は「海外旅行」についてはなぜか毎回言っていましたね。私は大学時代からお金が貯まると海外旅行に行っていたのですが、おそらく父はこれまで祖父の支配下に置かれていたため好きに海外旅行なんて行ける状況ではありませんでした。それを妬んでいるのかなんなのかわかりませんがなぜか毎回言ってくるので私もうんざりしていました。そのうち、持っている現金が底を尽きたようで、母に預金通帳を出すようせがむことが増えてきました。母も最初のうちは強く断っていたのですが、あまりにも毎日毎日怒鳴られているうちに精神を病んできてしまいました。父はしまいには金属バットを家の中に持ち込み人の文句ばかり言って怒鳴っていました。私はその時病院に勤務しており結構残業も多く仕事のことでも疲れていました。仕事中は患者さんと接するので父のことなんて考えていられません。幸い仕事中はあまり家庭のことは考えずに済みました。仕事が終わりロッカールームに行くとすぐさま携帯をチェックします。何か起きていないか毎日恐る恐る携帯を開いていました。日に日に父の暴力性は高まり、ほんの些細な事でも怒鳴り散らし、金をせびるという人間とは思えない様相に変わっていました。ある夜、父は「○○はどこだ!!!!!」と母を探していました。金を出せと言ってくるのでしょう。私はお金が無くなるのだけは避けたかったので、母を部屋にかくまっていました。まだコタツがあったので冬だったのでしょう。父の叫び声が聞こえ、母は怯えていました。私の部屋に近づく音がしたので、母にコタツの中に隠れるよう言いました。そして金属バットを持った父が部屋に入ってきて「○○はどこだ!どこ行ったんだ!?」と鬼の形相で言ってきました。私は毅然とした態度で「知らないよ。実家に帰るとか言ってた。もう嫌になって実家に帰ったんじゃないの?!」と嘘をつきました。さすがに実家に帰ったともなれば父も目を覚ますと思ったのです。腑に落ちない様子でしたが父は部屋から出ていきました。私は母に実家に帰るよう促しました。ここに居ては父に殺される・・・そう思ったのです。父は私に暴力を振るうことはありましたが、怒りや憎しみの感情は母への方が酷かったようなのです。というのも、過去の躁状態で入院させられたことを根に持っていて、「あんなところに俺をぶち込みやがって、ふざけんなよ!」といった風に過去の恨みを大声で怒鳴ったりしていました。母の実家には母の姉夫婦が住んでおり、おそらく頼めば数日泊めてくれたと思います。でもきっと母は私たちのこともあるし(弟はまだ学生だった)出ていかなかったんでしょうね。その後もそのような状態が続き、母もついには現金を渡してしまうようになり、さらに父の浪費はひどくなりました。↓クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村
2021.03.31
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父は鬱状態だけどちょっと調子が良くて友達や知り合いと話せるときには「おれ、躁うつ病なんだよ」と言ったりします。だけど躁状態の時の父には病気の自覚は1ミリもありません。躁の時に病院に連れて行こうとすると「もう治ったんだよ!!病気じゃない!」と言います。数年前に双極性障害の第一人者である加藤忠史先生の講演を母と聞きにいったことがあります。実際の患者さんも何人か講演されていました。すごーく不思議だったのが、その患者さん達は皆さん躁の時の自覚があったんですよね。(皆さんⅡ型でした)双極性障害って自覚がないものだとばかり思っていたので、母と驚きました。一部の人だけかもしれないけど・・・自覚があるから、きちんと受診したり服薬したり気を付けられているようでした。その他に共通していたのが「治りたい」という気持ちです。本当に不思議なんですが、父にはそういった気持ちは全然ないように感じます。というか、普通の時があまりない。ひどい鬱か躁か、みたいな感じです。鬱の時にどんな感じなのか聞いたら、「何かわからないけどずっと不安なんだ」と言っていたのが印象的でした。私や母が専門書を読んだりわざわざ他県まで先生の講演を聞きに行って双極性障害について勉強しているのに、病気の本人が「双極性障害」についてほとんど何も知らないんですよね。不思議じゃないですか?私は医療従事者ですが、「治りたい、良くなりたい」という気持ちがある患者さんとそうでない患者さんではその後の予後がかなり違ってくるなと経験上感じています。これって全部じゃないけど精神的な疾患でもいえることなのかなと思います。治りたいと思っている双極性障害の方とそうでない方ではその後の症状のコントロールには多少なりとも違いが出てくるんじゃないかと思うんですよね。(素人考えですけどね)あと、治りたいと思っている方の家族とそうでない方の家族では気持ちが全然ちがうんじゃないかなとも思うんです。双極性障害って家族がとても辛い思いをすることが多いと思うんですけど、「本人に自覚がない」っていうこともその辛さを助長する要因だなと感じています。なんていうか、やるせないんですよね。私たちは何のためにこんなに苦しんでいるのか?と、たまに暗いトンネルに入ってしまうことがあります。何冊か双極性障害についてのノンフィクションを読みましたが、それってだいたい著者は家族ですよね。本人が書いている本があれば読んでみたい。それこそ自覚がなければ書けませんもんね。加藤先生は、「双極性障害は薬でよくなる病気です」と言っていました。著書でもよく言われていますが、それって何割くらいなのかな・・・長くなりましたが、もしこういった研究があればここで紹介できるようにもう少し勉強してみようと思います!最後まで読んでいただきありがとうございました。
2021.03.24
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こんばんは。息子が寝たので少し書きます。私が小学校高学年くらいだった時の話です。私の実家は農業を営んでいて、祖父母と両親で主に仕事をしていました。経営的なところはすべて祖父が行っていたので、両親は一定金額を毎月もらう「お小遣い制」だったみたいです。「お給料」ではなく「お小遣い」です。つまり、家計は全て祖父が握っていました。これもおかしな話ですよね。まあ、その分私たち子供にかかるお金は全て家のお金から出すので、母が祖父に言ってお金を出してもらうみたいなやり方をしていたみたいです。父は月初めにお小遣い数万円をもらうと、その足でパチンコに行っていました。そして勝ったときはいいけど、負けた時は次の日から寝込んだりしていました。どんなに母や祖母が言っても絶対に起きられないんです。「調子が悪い」の一点張りで、布団に潜っていました。だいたい1週間くらいだったような気もするけど、長い時はもっと寝ていました。そのたびに皆に「怠け者」と言われていました。そしてしばらくすると普通に起きて仕事をする。多分、あれは軽い躁鬱だったんだと思います。特にテンションが上がるっていうことはなくて、鬱状態と普通の状態の繰り返しでした。あのころは今みたいにうつ病とかそういう精神的な病気があまり世の中で知られていなかったような気がします。なので、みんな父をただ仕事がしたくなくて怠けているんだと怒っていました。そんなことが何年も続いていました。あの頃病院に連れて行ったら、違っていたのかな?それから数年してやっと父は病院を受診することになります。
2021.03.24
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よくよく確認すると父は昨夜自ら入浴していたというのです。鬱の時はいくら母や私が風呂に入るよう言っても何週間も入らないのに、急に風呂に入るなんてやっぱりおかしいと思い、「躁転したの?」と聞くと「してないよ」と父。でも、父は躁の時に一切自覚がないので、本人がしてないよと言っても信用はできません。この日は木曜日だったのですが、次の母の平日休みは次の週の金曜日・・・ということは今日なんとかしないと来週の金曜日まで受診すらできません。1週間以上様子を見るなんて、私も母も無理だと思いました。もし1週間の間に前回のような躁状態になったらとてもじゃないけど入院は本人が拒否してできないし、何なら受診すらさせられないんです。もう今日しかない!と思いました。母が「躁転したんだよきっと。一回受診しよう。次は入院って約束してたよね?」と父に言うと、「してないよ。入院はしないよ」と答えました。約束していたのに入院しないと言うなんてやっぱりおかしいです。先生には次躁転したら入院OKと言われていたので、すぐにかかりつけの精神科に電話で問い合わせました。すると、コロナのせいでPCR検査が陰性にならないと入院できないので、早くても入院は週明け月曜になりますと言われました。こればっかりはしょうがないですよね。母は落胆した様子でした。PCR検査は正午までなら受け付けると言われたので、ギリギリ間に合いそうだということで父を説得して急遽病院に向かいました。病院までは車で1時間ほどかかるのですが、私は正午までに間に合うかのプレッシャーと、急に起きた躁転疑惑でかなり気が動転していました。母はとにかくPCRだけでも受けて、週明け入院できれば・・・という気持ちだったと思います。車内では誰も何も話しませんでした。11時40分くらいに無事に病院に着いて、母と父だけで外来に行きました。無事にPCR検査を終えて帰ることになりました。土曜には検査結果が出るので、陰性なら月曜日に入院しましょうと先生から話があったとのことでした。月曜は母が仕事を休めないので、私が入院に付き添うことにしました。土曜日になり、検査は陰性だと連絡がありました。そして【5年ぶりの入院】につながります。長い文章を読んでいただきありがとうございました!次は父がおかしくなり始めたころの記憶をブログに起こしていきたいと思っています。長くなりますが読んでいただけると嬉しいです。
2021.03.24
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父はずっと寝込んでいました。何事もなく3月になりました。その日母が仕事が休みだったので、私は子供を連れて実家に帰ろうかなと思っていました。いつもなら子供に離乳食を食べさせ終えてからなのでお昼前に向かうのですが、その日は朝からなぜか「早く行かなくちゃ」とソワソワしていました。(今思うと何かのお告げ?怖い)9時すぎには実家に付き、母と家庭菜園の手入れをしていました。すると、髭も髪もボサボサでまるで浮浪者のような見た目の父がふらりふらりと外まで歩いてきて、私に車を移動させるよう声をかけてきました。(私は軽トラックの後ろに縦列駐車していた)軽トラでどこ行くのと聞くと、「パチンコ行くんだよ」ともごもご話す父。目はまだ血走る様子もなく、歩き方もなんとなくのそのそしていて躁転したようには見えませんでした。「今はコロナだしお金もないのにパチンコなんてダメだからね。なんでパチンコ行くの?」と聞くと父は「気晴らしに行くんだよ」と答えました。確かに半年近く寝ていてたまには出かけたいよね・・・まあいいかと一瞬思ったんですが、やっぱりコロナも心配だしそもそも運転も心配(以前公園でポールにぶつけたので)なので、やっぱりダメだ!と我に返りました。「パチンコなんて絶対ダメだよ。気晴らししたいなら公園とかコンビニとか乗せていってあげるから」と言うと、「頼むよ。」としつこく言ってきます。「ダメだよ」「頼むよ」を5回くらい繰り返し、やっぱりおかしいなと思って少し離れたところにいた母にこのことを報告すると、母もパチンコも運転も絶対だめだと言いました。父に「なんでそんなにパチンコに行きたいの?負けるのが落ちでしょ!しかも今はコロナで不要不急の外出はみんな我慢してるんだよ」と言うと、「パチンコが趣味なの。」と言ってきました。その瞬間、私も母も「趣味」という言葉に反応し、躁転したかも!と考えていました。というのも、躁転すると独特の言葉の使いまわしをするんですよね。例えば「○○なの。」とか「幸せだな。」とか「○○好きなんだよ。」とか。なんていうか、バカみたいな、こっぱずかしくなるような言い方というか。うまく書けませんが、とにかく父の場合は趣味とかなのとか言う時点で何か変化が起きていると私たちは思いました。
2021.03.24
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こんにちは。双極性障害ってⅠ型とⅡ型があると思うのですが、双極性障害のⅠ型からⅡ型に診断が変わった方っていらっしゃいますか?(もちろんその逆も)というのも、父は5年くらい前は双極性障害Ⅰ型の診断だったのですが、今回入院診療計画書の疾患名は「双極性障害Ⅱ型」とあり、状態としては「躁うつ混合」とありました。ずっと父はⅠ型だと思っていたので、今回Ⅱ型の診断を受けて母と少し驚きました。でも考えてみれば急にⅠ型になったわけじゃなくて、ちょっと怪しい時期(今思えばⅡ型?)を経てⅠ型の暴力的な父が形成されたのかなと・・・とりあえず今は先生から見てもⅡ型のようなので、考えようによっては良くなっているってことなのか?まだまだ勉強が必要そうです。
2021.03.24
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おはようございます。昨日実家に帰って感じたんですけど、父が居ない=めちゃくちゃ気が楽でした。居ないって、嫌な意味じゃなく、きちんと病院にお世話になっていることですごく安心感があるんですよね。何かあっても父は医療に守ってもらえる。そして家族は父の鬱に引っ張られることも躁転の恐怖に怯えることも無く過ごせる。母はいつになく清々しい感じでしたね。鬱の時でも部屋にいる父を見るだけで可哀想、情けない、みじめ…色んな感情にまみれるんですよね。なんでこうなったのかなとか。○○ちゃんのお父さんは定年退職してこの間○○ちゃん夫婦と孫が旅行招待したとか言ってたな…なんでうちはとか。病院に居れば同じような状況の患者さんも居るし、父も少しは気が紛れるんじゃないかなとも思います。もちろんずっと病院は可哀想ですが…私も医療従事者なので、今回家族として入院に関わった事がすごくいい経験になりましたね。家族の心情を理解出来たので、復職したらこの経験は活かしたい。少しでも、父が病気になった事に意味を持たせたいです。なんか熱く語ってしまいましたが、とりあえず自分が鬱々してるのは無くなりました。しばらくは病院の皆さんにお世話になり、エネルギーチャージしたいと思います(^^)では、最後まで読んでいただきありがとうございました!
2021.03.19
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限度額認定証を持っていく用があったので久しぶりに母と病院に行きました。(限度額認定証を提出することで医療費の自己負担分が低くなります)面会はコロナの影響で5分とのこと。私は赤ちゃん連れなので病院には入らず、母が面会してきたところ、割と普通に元気な様子だったそう。父は4月上旬には退院したいと言っていたみたいだけど、普通に元気=本格的に躁転する可能性もあるということ。それは母にとっては毎日が恐怖になり得ます。なので、少し鬱っぽいくらいじゃないと正直なところ退院は受け入れられないんですよね。父には申し訳ないけど、そうじゃないと家族共倒れしちゃうから( ⚭_⚭)よく、双極性障害の薬の調整は低空飛行がいいとか言いますよね。ちょっと気分低いくらいでコントロールする。本人はどうなんだろ?やっぱり辛いのかな?患者主体の治療とはいえ、精神疾患に関しては家族の意向もかなりの割合占める要素かなと思います。あと、辛いのが躁だからって毎日ハッピーではないんですよね。躁の時は気が大きくなるしなんでも出来るみたいな思考に陥るけど、同時に過去の嫌な思い出もめちゃくちゃ頭に浮かぶようなんです。誰にこんな事を言われて気に入らないからぶっ飛ばしたいとか、あの会社は最低だとか…そんなの全然楽しくないですよね!要は、躁って楽しいばかりではなく、無性にイライラしたり過去をほじくり返してみたり、本人も辛いのかなと思います。これからどうなるのか。必ず躁は訪れる。春先要注意なので、退院に関してはきちんと状態見極めて先生と相談しながら決めたいとおもいます。ではおやすみなさい(^^)
2021.03.18
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予想どおり、10月上旬には完全に鬱期に突入しました。一日中、トイレに行くのとたまに食べるために起きる以外はずっと寝ています。本人は可哀想ですが、家族としてはやっと平穏な日々が訪れ、一安心していました。父の鬱期間はだいたい半年続くことが多く、次の躁転は計算だと3月下旬から4月中くらいです。鬱に入り初めての定期受診では先生から気分の落ち込みについて聞かれ、「落ち込んでいるが死にたい程ではない」と答えたようでした。そのため、炭酸リチウムの量は変わらず処方されました。(もっと辛くなると減量されます)薬の量が変わらない事は、母にとってはある種の安心材料になります。母からしたら、鬱期間の方が穏やかに過ごせるからです。母もこれまで数えきれない数の双極性障害の本を読み、父が少しでも良くなる方法を模索してきましたが、それは難しい事を悟っていました。(中には良くなる方ももちろん居ますが、父は服薬期間が長く、服薬をきっちりする事や断酒など、治療する上での約束を全く守れないので改善は難しいと思います。)とりあえずは平和な日々が続き、私は年末には家を別の土地に建てて夫と子供と引越しをしました。お正月も何事もなく過ぎ、父は相変わらず鬱で寝込んでいました。お風呂はおそらく10日は入っていないでしょう…すごい臭いがしました。不思議なもので、夏は殺してやりたいくらい(すみません。でもこれが正直な気持ちです。)憎かった父が、弱くなっていると可哀想になるんです。これが血縁というやつです。私はたまに実家に帰っては父が食べられそうな物を作ったり、好きな食べ物を買って行っていました。
2021.03.14
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朝起きられなくなると、鬱の始まりです。こうなると、やっと躁の時にやらかした事を思い出して不安になるようです。この時は車の修理代16万円、スマホ代6万円、バッテリー代1万5千円の請求がまずは父がどうにかしなくてはならない金額です。もちろん払えるわけがないので、母が立て替えて、年金から天引きすることにしました。元々父はかなりの小心者で心配性なので、鬱になるとこういった借金や気が大きくなった時にした口約束が心配の種になります。そして絶えず不安が襲ってくるようなのです。幸い今回は他に大きな借金は作っていなかったようで、母も私も安堵しました。私はSNS上で見ず知らずの方々(双極性障害の方もいらっしゃいました)に父の事を相談していたのですが、全員に入院させた方がいいと言われていました。母にこの事を打ち明け、たとえ暴力が無かったとしても、家族が精神的に疲弊してしまう時は入院させてもいいんじゃないかと伝えました。母も弟も同意見でした。なので、次に躁転したら入院させることを共通の認識として、事前に主治医に相談しておくことにしたのです。
2021.03.14
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バンパー交換が終わって車が帰ってきました。父は最後まで鍵を貸してくれとしつこかったですが、父にとっては唯一の?脅威である弟が鍵を持っていたため鍵が父の手に渡ることはありませんでした。そうして約1ヶ月半が経ち、徐々に日中家に居る時間が長くなってきました。まだ躁なので、宅急便の配達員さんや牛乳配達員さんにまでグイグイ絡んでいく父。本当に辞めてくれ…もう私も諦めて何も言わないことにしました。今思えば初めての出産、子育て…もっとキラキラ楽しいものだと思っていたけど、2ヶ月近くずっと父の事で悩んでいて赤ちゃんとの時間は覚えていないです。バカバカしいですが、家族の事なので仕方ないですね。そしてついに公園に行かなくなりました。やっと落ち着いてきた…私も母も安堵していました。9月になり、初彼岸となりました。コロナの影響もありあまり大々的には客人を迎えない事にしていましたが、田舎なので割と皆さんお線香をあげに来てくれました。父はまだ一応お客さんの相手は出来ました。多分皆不思議に思っているはずです。お盆は一切顔を出さなかったんですから。実は祖父の葬儀も鬱期間だったので、父は喪主も出来ませんでした。仕方なく、父の妹の旦那さん(祖父からすれば義理の息子)に喪主を頼みました。親戚の人もおかしいとは薄々感ずいているはずでした。話は逸れましたが、そんなこんなでどうやら初彼岸を終えました。すると、徐々に父は朝起きられなくなってきました。
2021.03.14
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入院に付き添ってからというもの、ずっと気分が晴れないんですよね。今までは母が入院手続きをしていましたから、直接自分が入院に関わるのは初めてだったんですが・・・多分、父が意外と躁になっていないまま入院させたことに罪悪感を感じているんだと思います。やっと起きることが出来てお風呂に入れるようになったくらいで、入院・・・それって、父の人権はどうなんだとか、父は今後一生鬱の状態か入院しかないのかなとかなんかずっとそんなことをぐるぐる考えているうちに、自分が鬱っぽくなっていることに気づきました。・食欲減退・笑えない・疲労感・何もやる気が起きない・テレビ見たくない・人に会いたくない・外出したくないなどなど。明らかに鬱の症状ですよね。これまで親族で何人か鬱になっているので、症状はよくわかります。仕事でもよくうつ病の人と関わるのでよくわかっているつもりです。まずいな~と思ったので、とにかく休むことにしました。と言っても今育児休暇中で毎日休みなんですが、家事も最低限にして赤ちゃんの世話だけしようかなと思って数日過ごしたら今朝あたりから少し気分が晴れてきました。幸い夫がすごく理解があるので、色々と協力してくれるので助かります。昼に伯母さんから電話があり、私のことを心配してくれているようでした。今回は私が入院に付き添って、結構落ち込んでいると母に聞いたようです。伯母さんも実父(私の祖父)のことでかなり苦労してきたので、私の心情を理解してくれているようでした。こういう時に親族が心配してくれるのって本当にありがたいです。だって、友達にはこんなことなかなか話せないですもんね。私は1人だけ話せる友達が居ますが、やっぱり双極性障害って実際に一緒に生活した人間にしかわからない辛さがあると思います。まとまりのない話になりましたが、とにかく無理をしないことが大切なのかなと再認識しました。そして、これまでこんなことを何回もしていた母に感謝です。(配偶者と娘だともしかしたら娘の方がこういう心理的ショックは大きいのかなとは思いますが)もし今上記のような症状がある方は、それ鬱の一歩手前なのでゆっくり休むようにしてくださいね。やりたくないことはやらない方がいいです。ではまた時間が出来たら書きます。
2021.03.11
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それからしばらくして、父は公園までの3㎞を往復することが出来なくなってきました。今思えばこのころから徐々にテンションは下がり始めていたのかもしれません。この頃は、朝母が仕事に行くときに父を車で公園に送って降ろしていました。私はなんでそんなことしてあげるんだろうと思っていましたが、母はまともに父とやりあうのがもう面倒だと言っていました。喧嘩するエネルギーもないくらい毎日疲弊していたので、もう朝公園に降ろしてそれで父が納得するならそれでよいといった感じでした。家族全員が早く父の躁が終わってほしいと考えていました。だいたい父の躁は長くて3か月、だいたい2か月もすれば鬱に入ることが多いです。ちょうど躁転してすぐに定期の病院受診があり、薬(炭酸リチウム)を増量してもらっていました。きちんと服薬すれば2週間ほどで効果が出始めますが、1か月しても躁状態のままでした。私は早く収まることだけ毎日考えて過ごしていました。
2021.03.11
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弟は父の部屋に乗り込み「鍵出せよ!」と怒鳴っていました。どんな状況かは見ていませんが、多分父のことを殴ったんだと思います。鍵を取り上げて弟は部屋から出ていきました。父は茫然としていて、額には殴られたようなあとがありました。本当に情けない姿でした。これでとりあえずは事故などで誰かに危害を加える心配は無くなり、私も家族も安堵しました。バンパー交換は依頼してしまったので、しょうがなく弟が車屋さんの対応をしていました。車屋さんも毎年毎年バッテリーを交換しているし、父の様子がおかしいことは薄々感じているはずです。移動手段を失った父ですが、まだ躁状態のため動き回りたくてしょうがない様子でした。初めのうちは自分で3kmくらい先の公園まで歩いて行っていました。8月なので日中は相当な暑さです。ゲリラ豪雨も多い時期だったので、時には雨で帰れなくなり親戚に電話をして迎えに来てもらうようなこともありました。ある日は顔面傷だらけで出血して帰ってきました。公園を散歩中に転倒したというのです。この頃にはパーキンソン症状が出現していて、突進歩行になることも多く、そうなると自分では止まれなくなるのです。公園を散歩していた他の人に助けられ、送ってきてもらったこともありました。こうやって他人に迷惑をかけることに何も感じなくなるのか、何度転んでも公園に行くことに執着していました。
2021.03.11
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車の傷のことを母に話すと、「バンパーを取り換えようかなとか言ってたよ。やんなっちゃう。」と返ってきました。こともあろうにまだお金を使う気なのかと私はあきれ返っていました。父は躁転するとだいたい車にお金を使います。以前かなりひどい躁転の時は、遠い親戚が所有するもう乗らない車を100万円で買うという口約束をしてきたこともありました。なんとかその話はなしにしましたが、そのときは結局無断で100万円以上する車を中古車センターで買ってきてしまいました。そんな感じで、とにかく金銭感覚が狂ってしまうのです。今回もバンパーを交換すれば安くても10万円はかかります。それだけは阻止しなければと父に絶対だめだと話をしました。「わかったよ」と言ったので安心していました。それなのに、後日バッテリーを交換してもらった車屋さんに父が電話をかけているのが聞こえました。「・・・はい。そうですか、じゃあ新品でお願いします。」こともあろうに、新品のバンパーに交換するよう依頼していたのです。あんな古い車のバンパーを新品に変えるなんて誰が見てもおかしいと思うと思います。電話を切った父にすぐ「何なの?!交換しないっていってたでしょう?!」と問いただすと、「あんな格好悪いんじゃ乗れないだろ! 中古のバンパーは探してもないんだってよ。だから新品を頼んだんだ!」。。。もう私は限界でした。その夜、弟に相談して、私は父の車の鍵を取り上げることにしました。
2021.03.10
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それから父は毎日早朝というか夜2時くらいに起きて電気を煌々とつけて母に靴下をはかせてもらい出かけていきました。母はフルタイムで働いているので、夜中に起こされて本当に可哀想でした。そのころ私は産後1か月くらいで、夜間の授乳もあり常に寝不足でした。なので、電気をつけられるとその光が私たちが寝ている部屋にも入ってきて(実家の和室に里帰りしていたため、そういう部屋の作りだった)眠りが浅いためかすぐに起きてしまい「またか・・・」と絶望感が襲ってきます。何度か父に怒鳴り込みましたが、全く理解する様子はありませんでした。言っても無駄とはまさにこのことです。そしてある日、父の車のバンパーに派手に傷がついていました。弟もそれを見てすぐに気づいたようで、私に話してきました。珍しく昼間家に居た父に「あの傷は何なの?」と聞くと、はぐらかすような返答でした。しつこく問いただすと、公園の駐車場でポールにぶつけたというのです。確かに父がいつも歩いている公園には白いポールがあります。あんなところでポールに車をこするなんて相当判断能力が鈍っているんだなと思いました。もしかしたら飲酒運転かもしれません。今後、誰かにけがをさせたり、誰かをひき殺してしまうかもしれません。そういう心配を四六時中しているので私は頭がおかしくなりそうで、ついには母乳もほとんど出なくなりました。
2021.03.10
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その後も毎日早朝からどこかへ出かけていました。真夏だったのでさすがに一日中動き回ることも出来ない様子でお昼くらいに帰ってくることもありました。ある日、見たことのないスニーカーを履いて帰ってきました。甥がそのスニーカーについてネットで調べたら、20000円もするスニーカーでした。みんなで唖然としました。すでに1週間くらいで10万円くらい使っていることになります。普通の金銭感覚じゃないですよね。たくさん稼いでる人ならともかく、無職で今まで何年も家族にお金を工面してもらってきたのに、何度やっても懲りるということはない病気です。後日、隣町のホームセンターから父あてに電話がありました。時計の修理を依頼されており、見積もりが出たと。幸い、修理代金は4000円ほどでしたが、私はいい加減にしてくれという気持ちでした。昨日のスニーカーといい、スマホやバッテリー、ウイスキーの瓶など、毎日毎日お金を使うので本当に怒りがこみ上げてきました。吹っ飛んで歩いている父に電話を入れ、どこにいるのか聞くと従姉のおじさんの家に居ました。今まで使ったであろう金額がすでに年金の範囲を超えている。いい加減にしろと話しました。するとすごい剣幕で「うるせえ!このくそアマ!」と怒鳴られました。電話は一方的に切られました。従姉のおじさんの前でああやって怒鳴っているというのはもう普通ではありません。従姉のおじさんは父の病気をなんとなく理解していますが、毎回毎回躁になると飲みに連れていったり酒を飲ませたりします。世話しているつもりなのか何なのかわかりませんがおそらく小さいころからの仲なので見捨てられないんでしょうね。ありがたいような、迷惑なような・・・躁のときに何を言っても無駄だし、変に刺激することで余計に症状を悪化させるのはわかっています。だけど、何も言わずにいられる人なんているんでしょうか?だんだんと、出口の見えないトンネルに入っているような辛くて苦しい気持ちになっていくのがわかりました。
2021.03.10
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