私の父は双極性障害

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2021.03.31
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カテゴリ: 躁状態の記録
父の一番酷かった躁状態は確か7~8年ほど前でした。
はっきりいつだったか覚えていませんが、確か私が社会人2年目くらいだったのは覚えています。


その時も鬱状態から急に躁転し、ここ最近の躁転とは比べようにもないひどい躁でした。
顔は般若みたいで目がギラギラしていて、今みたいにパーキンソニズムも出ていなかったので、一見すると健常者でした。


躁転したばかりの数日は気分が良く大きな事を言ったり毎日大量の買い物をしてきていました。


うちは元々農家なのですが、余った農地にアパートを建てると言い出した時はぞっとしました。
父はあまり頭がキレる方ではないので、結局どうやってアパートを建てたらいいのかわからなかったようで、その話は早々に無くなりました。


大量の買い物で印象的だったのは、油性ペンのマッキーです。
ノック式の少し高いものを20本とかまとめて買ってきて、色々と書き物をしていました。





そのうちだんだんとイライラが始まり、ちょっと気に入らないことがあると怒鳴り散らすようになりました。私は働きもせずに大量の買い物をしてくるので父に「もう買ってこなくていいよ!お金が湧いてくると思ってるの?!いい加減にしろ馬鹿野郎!」など、親に対して使ってはいけないような言葉遣いで怒っていました。


父も「なんだその口の利き方は!!!誰が育ててやったと思ってんだ!言い方がきついんだよ!海外旅行ばかり行ってやがって自分だけ好き勝手やりやがって!この自己中女!」とののしられ、時には本気で殴り掛かってくることもありました。幸い大けがはしませんでしたが、何度殴られたかわかりません。


父は「海外旅行」についてはなぜか毎回言っていましたね。私は大学時代からお金が貯まると海外旅行に行っていたのですが、おそらく父はこれまで祖父の支配下に置かれていたため好きに海外旅行なんて行ける状況ではありませんでした。それを妬んでいるのかなんなのかわかりませんがなぜか毎回言ってくるので私もうんざりしていました。


そのうち、持っている現金が底を尽きたようで、母に預金通帳を出すようせがむことが増えてきました。母も最初のうちは強く断っていたのですが、あまりにも毎日毎日怒鳴られているうちに精神を病んできてしまいました。父はしまいには金属バットを家の中に持ち込み人の文句ばかり言って怒鳴っていました。



私はその時病院に勤務しており結構残業も多く仕事のことでも疲れていました。仕事中は患者さんと接するので父のことなんて考えていられません。幸い仕事中はあまり家庭のことは考えずに済みました。
仕事が終わりロッカールームに行くとすぐさま携帯をチェックします。何か起きていないか毎日恐る恐る携帯を開いていました。


日に日に父の暴力性は高まり、ほんの些細な事でも怒鳴り散らし、金をせびるという人間とは思えない様相に変わっていました。


ある夜、父は「○○はどこだ!!!!!」と母を探していました。金を出せと言ってくるのでしょう。私はお金が無くなるのだけは避けたかったので、母を部屋にかくまっていました。まだコタツがあったので冬だったのでしょう。


父の叫び声が聞こえ、母は怯えていました。私の部屋に近づく音がしたので、母にコタツの中に隠れるよう言いました。そして金属バットを持った父が部屋に入ってきて「○○はどこだ!どこ行ったんだ!?」と鬼の形相で言ってきました。


私は毅然とした態度で「知らないよ。実家に帰るとか言ってた。もう嫌になって実家に帰ったんじゃないの?!」と嘘をつきました。さすがに実家に帰ったともなれば父も目を覚ますと思ったのです。腑に落ちない様子でしたが父は部屋から出ていきました。


私は母に実家に帰るよう促しました。ここに居ては父に殺される・・・そう思ったのです。

というのも、過去の躁状態で入院させられたことを根に持っていて、「あんなところに俺をぶち込みやがって、ふざけんなよ!」といった風に過去の恨みを大声で怒鳴ったりしていました。


母の実家には母の姉夫婦が住んでおり、おそらく頼めば数日泊めてくれたと思います。でもきっと母は私たちのこともあるし(弟はまだ学生だった)出ていかなかったんでしょうね。


その後もそのような状態が続き、母もついには現金を渡してしまうようになり、さらに父の浪費はひどくなりました。

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最終更新日  2021.04.04 22:06:46
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