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2009.01.04
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カテゴリ: 子供たち
力斗の命日でした。
4年経っちゃいました。

あれから4年ですが、まだお墓も作っていません。
もうそろそろ、本気で考えようと思っていますが、ずっとそのままになってます。
やっぱりなんか、そこにいるような気がするんですよね。

最近は、ナナコが「力ちゃんに会いたかった」とよく言うようになりました。
なんで会えなかったのーとか、なんで死んじゃったのーとか。
病気のことなんて、いつになったら理解できるようになるのでしょうか。
なんて説明したらいいのだろう。



高校に入っても理数系を選択しなければ習わないのか?
そんな現状では、いくら遺伝子疾患だっていっても、理解できない親が増えてしまう - ゆとり教育の弊害 - のでしょうか。
力斗のCHARGE症候群は突然変異的な遺伝子疾患だったわけですが、その意味が理解できないようであれば、
無用な誤解や背負わなくても良い悲しみを負い続け、また不本意にも与えてしまうことになってしまいます。

今年度あたりから「脱ゆとり」ということで、遺伝は復活するようですが、どうなんでしょう。
メンデルの法則も大切ですが、個人的には、遺伝子というものの儚さ、命のもろさ、そして生命の発生と成長というものが、いかにきわどいバランスの上に成り立っているものかを、きちんと教えて欲しいと思います。

我々が日々生活しているのは、なんでもないようなことですが、実はものすごい奇跡のような偶然の連続の上に成り立っているんだということ、そして命というものはものすごく儚く、あっという間に崩れてしまうものであるということ、それゆえに、命というものはものすごく大切なものなのだということを、きちんと語れるような人が教育者になってほしいと思います。


命のきわどいバランス 生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ


なんてことを、ふと考えてしまうあたり、力斗がいなくなったことは、もう当然の事実として受け入れてしまったということなんでしょうね。
亡くした直後の悲しみはもう過ぎ去り、力斗のいた日々はもう過去の出来事として記憶の中に封じ込めてしまったということなんでしょうか。

でも、今でも鮮やかに思い起こすことがあります。

そして涙し、後悔し、己の無力さに絶望し、自責の念に駆られ、許しを請うのです。

今のこの瞬間は、もう二度と戻ることはないのです。
精一杯生きるって、難しいことです。


ではごきげんよう。





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最終更新日  2009.01.06 06:16:08
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