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よくミスをおかす年齢になった。納品書に11月30日と書くべきところを、10月30日と書いて取引先に出してしまった!! 羽生善治の「決断力」を読む。われわれは「継続こそ力なり」とよく言われたり、言ったりもした。羽生は同書の中でもっと相手にわかりやすく、次のようにくだいて言っている。 「才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを持続することである」
November 30, 2005
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株のオンライン取引が盛んである。個人の参加を求めていた証券業界だったはずだが、オンライン取引の隆盛を嘆く業界人の発言が目立つ。 株は買った会社の成長を楽しみながら長期保有し、配当と値上がりで利益を享受するのが本来の姿なのに、ちょっと上がれば直ぐに売って利ざやを稼ぐだけだ、というのである。 この話だけを聞いていると、もっともな意見だと思いがちだが、おかしな話である。株取引の大衆化を願っていたのだから、喜ぶべきではないか。 オンラインというシステムができたのだから、それを利用して大衆が儲けようとするのは、ごく自然な成行きである。前記の意見は、旧システムから早く脱しえなかった大手証券会社が、顧客をオンライン専業の証券会社に取られた嘆きに聞こえる。 新しいシステムができるなら、それを破壊できないかぎり、その新しいシステムを早く使いこなして新たな利益を追求していくしかない。大手証券会社はそれを怠ったのである。 オンライン専業証券会社の取引システムと大手証券会社が採用しているオンライン・システムとは、利用者側の使い勝手とコストの両面で天地ほどの差がある。大手の完敗なのだ。
November 29, 2005
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もう一度ムッシュー小泉純一郎の「改革」の問題に戻ろう。 ぼくたちは何かをしようとするとき、例えばビジネスであれば、目標が明確でないと具体策を立てることができない。槍ヶ岳に登るのか、高尾山に登るのかで、登るまでの準備・行動がまるで違うのと同じである。 それは政治でも同じだ。着地点が見えないマニフェストだけでだれが信頼するだろう。 売上を10%伸ばそうとするなら、新製品を投入するとか、取扱店を増やすとか、セールスマンを増やすとか、などなど、売上が確実に伸びる具体的な仕組みを作り、その上で関係する人間が目標に向けて動き出す。その結果、売上を10%アップという目標が達成されていく。 ところがムッシュー小泉純一郎の場合、企業の「売上の10%アップ」と比べ、改革という言葉自体が抽象的である。抽象的な言葉は、万人がその内容を同じようには描いてはいない。 したがって、多くの人が同じような具体的結果を期待できる、あるいは描くことができる補足が、どうしても必要になる。つまり具体的な目標とそれに辿り着くための具体的な手段が明確でなければならない。 ムッシュー小泉純一郎は、改革の結果が具体的に引き出せるような手段を明確にしていない、あるいは、手段を明確にすることができない。企業活動におけるような具体的な目標設定もなければ実行計画もない。掛け声だけの「改革」しかないのである。したがって「改革」したはずの道路公団が、「改革」された後も同じように公団自体が談合を継続してかかわっていても、それは少しも不思議ではない。つまり改革無き「改革」を形式的に「断行」していたにすぎないからだ。 結果が見えていない人間に任せると、ロスはさらに大きくなる。 ムッシュー・カルロス・ゴーンが日産自動車の改革に成功したのは、末端の現場まで下りていって、何をしなければいけないか、何をしてはいけないか、それを自分の目で確かめるところからスタートしたからだ。
November 28, 2005
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姉歯設計の崩壊マンションの問題も、ムッシュー小泉純一郎の「改革」問題と同じである。格好が整っていれば、結果の実体がどうあろうと構わない、、、 主客転倒している。実体の方が重要なのに、形式で糊塗されてしまうのだ。 偽装マンションを買う庶民が悲惨な苦しみに突き落とされる「実体」があるからこそ、「検査」という「形式」が幾重にも制度上は作られている。 ところが検査は、規定通りに事実が進行するか、あるいは進行したか、を問題にするのではなく、「形式」が規定通りに「整っているか」のチェックで終わる。 不祥事や事故の多くの原因がここにある。不祥事や事故は企業レベルだけではなく、自治体レベルでも、国家レベルでも起き、取返しのつかない重大な事態を引き起こしかねない。 言葉を軽く扱ってくれては困るのだ。
November 27, 2005
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いま問題になっている有識者が押し進めようとしている天皇性の換骨奪胎的結論は、各方面で反対の声が上がっている。 そもそも政治家は何か新しいことに手をつける度に、「有識者」に意見をまとめさせているが、それ自体がおかしい。 有識者とは何か。単なる世間知らずではないか。(1950年~60年代には有識者ではなく、「進歩的文化人」だった) 彼らの意見を今度は政治家が自分のやりたいことをするときに、「有識者の意見でも云々でして」という具合に、自分の意見支持者として、時には有識者の意見をまげてまで利用する。 その後を今度は官僚その他が寄ってたかって、利用する。 そういう構図の中で庶民の真実の意見はいつも蚊帳の外になるのだ。 「改革」を旗印に登場したムッシュー小泉純一郎は、そういう構図に手をつけずに、道路公団を「改革」し、郵政省を「改革」し、それが篭脱けでも得意顔をしている! ここにおいて「改革」の2字は、言葉だけが存在し、実体がうやむやになってもお構いなしという、庶民としては誠に悲しい風潮を助長させることになった。 政治家どもよ、もうちょっと日本人らしくしゃんとしなさい!
November 26, 2005
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日本人は伝統という言葉が好きだと思う。 その日本人が皇室問題では「伝統」を「制度」に変えてしまった。男子直系できた皇室において、女を天皇にすることで王位継承者を沢山つくり、「これで継承者に困るようなことは無くなり、皇室は安泰だ」と「有識者」は自画自賛の体だが、もともと伝統などというものは、外部からとやかくいわれる筋合いのものではない。 つまり皇室が自分で勝手にきめればいいことである。 外部から何をいわれようと、しきたりを継承していくうちにうまれる、あるいは基本を変えないところから生まれる価値、それが伝統だ。 伝統は変えるべきではなく、変えなければならないのは制度だ。 政府は皇室のことなど放っておいて、早く官僚の天下りという制度を変えるべきだ。
November 25, 2005
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仲間たちがいることがぼくの支えだ。 みんながネット上で世界の街々に住む人たちとスペラの対戦をする日を夢見ている。 たとえ長い道のりであろうとも、歩いて歩いて歩きつづけて、ついには辿り着けるだろう。ぼくは運の強い男なのだ。
November 24, 2005
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ボード・ゲームがあちこちで愛好家を増やしているようである。 スペラもボード・ゲームの一つで、少しづつではあるがプレーヤーを増やしている。来る1月8日の第4回新春スペラ大会も、いくらか参加人数が増えそうだ。 来年8月には全国的な規模で大会を開きたいものである。
November 23, 2005
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パソコンとかITには、htmlだけでなくことばと同じような独特のロジックがあるにちがいない。しかし、それがぼくにはよく判っていない。だから、PC教室で何度教えてもらっても、すぐに忘れてしまう。この世界を学ぶのは、早ければ早いほどいいにちがいない。 毎日日記を書くと同じように、毎日PCのキーにふれること。 今日はPC教室でフリーページの編集を習う。
November 22, 2005
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一昨日の雑誌社からの取材は英語スペラではなく、日本語スペラの方だった。はやとちりで、頭から英語スペラだと思い込んでしまった。 日本語のスペラは難しいと思う。アルファベット26字に対し、平仮名は47字ある。多いということは、言葉を作るときの組み合わせがはるかに多様だということである。文字のつながりが多様なために、言葉のイメージが湧きにくい。 そこへゆくと、英語は子音と母音が先ずつながる。あるいは子音2つに母音が一つという組み合わせが、つながりやすいのである。 たとえば、「はやとちり」という5個のひらがなが「ちとはりや」と並んでいると、「土地」と「流行」という言葉は簡単に作れるが「はやとちり」という組み合わせを作るのは難しい。
November 21, 2005
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僕自身は英語より国語のほうがずっと大切だと思っている.高校までを通して英語をいかに効率よく身に付けてもらうか、そのプログラムを曖昧にしたまま、小学生に英語を、それも会話中心に教えるのは、他の教科が犠牲になるだけに、教育全体からいってマイナスが大きいと思う。 「地域の学び推進機構」に参加して小・中学生にスペラ・ゲームで英語に親しんでもらう活動を12月から始める。英語ゲームで遊びなが英語に親しむのはいいとして、子供たちに英語のどの面を中心に教えたものか、ちょっと悩んでいる。
November 20, 2005
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電話が鳴った。女性の声だがセールスっぽい。拒否反応丸出しの口調で対応しはじめたが、先方がしどろもどろ。これはセールスではないぞ!! あわてて真面目に対応し始めると、なんと英語スペラを、毎月1つゲームを紹介している欄で取り上げたいという雑誌社からの電話なのだ。まだ東京でたった1店でしか売られていない英語スペラが目にとまるとは! ぼくは依頼された120字以内の紹介文をさっそく書き上げた。 「英語教材ゲームとして創られたスペラだが、これが意外に奥の深い大人の英語ゲームになっている。勝負を決める要素は頭脳の柔軟性、運、英語力の3つがそれぞれ1/3。英語自慢の鼻を明かすにはもってこい。3~4人で遊びながら英語に強くなるゲーム」
November 19, 2005
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オーストラリア在住の知合いから次ぎのようなメールが入った。「校長先生(日本人学校)が仰るにはスペラは非常に良くできていて、奥が深い教材だということです。主人が補習校で使えないかと伺ったところ、クラスに常備しておいたらいいかもしれないということでした」 お使いになった方からは、いつも好評をいただくので、現在のネット通販だけを早く店頭販売まで広げたい。
November 18, 2005
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言葉が本来持っていた意味が希薄化したり、汚れたり、擦り切れたりしたらどうなるか。人を感動させたり、奮い立たせたりすることはできない。そうした言葉を詩人たちが使えるはずはない。一言でいえば、定型にたよらない詩人たちはコピーライターやソングライターにすでに20世紀末に自分たちの世界から追い出されてしまったのだ。おかげで外敵のいない俳句と和歌が異常発生している。それも嫌いなら、残る道はただ一つ:行動そして考えること。そこから再スタートするしかない。多分、言葉の鮮度がよみがえってくるだろう。
November 15, 2005
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あなたは「改革」という言葉が信じられますか?「二度とこのようなことが発生しないよう全力を尽くします」という経営者や組織のトップの言葉が信じられますか?いま世の中には大切な言葉でありながら、空疎にしか響かない言葉が氾濫しています。100年経ったら,いったいどうなるのでしょう?一番信用できるのは、お金になるんでしょうか? どこかの国のように。
November 14, 2005
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11/5/05 「スペラ」 きのう、おとといの2日間、日本頭脳スポーツ協会主催の「頭脳スポーツふれあい体験」イベントに参加。数十種類のゲームに混じってスペラもこのイベントに参加しているが、まだ知名度は低くく注目を浴びるまでに至っていない。 このイベントには地方都市で行われるときも参加しているが、多少地域差があって面白い。今回は横浜の大桟橋ホールが会場だったが、横浜の市民はあまり抵抗なく英語スペラで遊んでしまう。とくに3日の祝日は、1日じゅう英語スペラにも親子連れが集まってきた。 ところが地方に行くと、英語スペラは先ず敬遠されてしまう。結局日本語スペラだけに人が集まるのが実情である。これは英語が出来る出来ないの問題ではなく、「英語はどうも…」という拒否的な先入観が地方で強いということであろう。横浜の場合は英語を知らなくとも、英語スペラで遊んでしまうのである。
November 5, 2005
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日本語にカタカナが混じる傾向は、日毎に強まっている。残念だ。 そういう世の中で、今年とくに目立ったカタカナは「サプライズ」。マスコミばかりか、政府筋の人間さえ「サプライズ」を連発するのだから、国語が重要などといってみても、空々しく聞こえてならない。捏造記事でも「世評の高い」朝日新聞ならぬ日本経済新聞が、昨日内閣改造があったばかりの今朝の新聞で、今回の小泉改造人事に、「驚きの少ない実戦型」という見出しを使った。さわやかに感じたのは、私だけであろうか。
November 1, 2005
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