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2007年01月24日
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カテゴリ: 冬のソナタ
1月11日からの三日間。私は、TBSでのオンエアをきっかけに、「冬のソナタ」ノーカット・日本語字幕スーパー(全20回)を観た。


めいん


第一話、第二話。朝からパソコンで仕事をする私の傍らで、韓国の高校生ライフのドラマが展開していく。
そして、第三話。私は川越の得意先まで仕事に行かなければならぬ。
車中のテレビで、「冬のソナタ」の第三話をちらりと観た。だが、前日見た第二話の、交通事故に遭遇したペ・ヨンジュンの表情と話がつながっていかない…。
カーナビの荒れた画面では、湖畔での友人葬のようすが映し出されていたが、訳がわからない。ドラマとしての興趣を味わえるはずもなく、カーナビに切り替えた。
カミサンが録画しているから、それを観ればいいさ…。

カミサンはつねづね、「冬のソナタは韓国語版・ノーカットで観なければダメよ」。といい続けていた。
だが、「外国のテレビドラマを字幕スーパーを追いかけるようなまねは御免だ」と、私は心の中で思っていた。
四回目のオンエアを見るためには、三回目を観ておかなければならぬ。4時、5時起きで仕事をすることが珍しくない私は、まだ暗い朝。我が家のDVDレコーダーの中を探した。だが、ハードディスクのどこにも、「冬のソナタ」の第三話は見つからない。



☆

それが、私と「冬のソナタ」の出会いである。
カミサンは、「冬のソナタ」とともにペ・ヨンジュン氏のファンだ。埼玉アリーナのファンクラブの集いにも参加している。彼女の興味はペ・ヨンジュンに限らず、韓流ドラマ全般にわたっている。
そして、私がブログを書き始めた頃も、ライブドアPJに記事を書いていた頃も、つねにファンクラブのコミュニティーでも発言をしてきた。
そんな妻を持ちつつも、私の中では、韓流ドラマはなにがしかの違和感を持っていた。
出生の秘密。貧富の差。交通事故。白血病。...etc.
慎みのないストーリーメイキングを仄聞するに、見ることもせずに、低級なものであると判断していたのである。

だが、「冬のソナタ」(全20巻)を観て分かった。

これはスゴイ。

ある意味。この作品は「恋愛ドラマのバイブルである」と。

「冬のソナタ」に聖書を引き合いにだしたのには、さまざまな理由があるので、追々述べていくことにするが、問題は、この稀有な作品の読み込みについて、解題していくことが、テレビドラマの今後にとって価値があると思ったからである。



だが、もし観ていないとしても、私の言説から読み取るべきことはあると思っている。


2007.01.24 中村厚一郎(スポンタ)




☆

何故、「冬のソナタ」の解釈をするブログを書こうと思ったのか。理由は簡単である。

私は、武術家の甲野善紀氏のファンである。彼の対談本に「肉体を通して時代を読む」(バジリコ株式会社)というのがあり、私の書棚を飾っている。もうひとり、私淑している池田信夫先生がいる。この先生はブログを日々更新しているのだが、その中で、内田樹氏のブログのエントリーについて批評していた。

内田氏はヨンヨン学会の第一回講演者 だったようだ。

だが、エントリーの中で披露されているような、「全員が「ひとりひとりのペ・ヨンジュン経験からどのようにして最大の快楽を引き出しうるか」ということに知性的・情緒的リソースのありたけを投じているのである。」に、けっして同意できない。

「ひとりひとりのペ・ヨンジュン経験」などと、冬のソナタの感動を鑑賞者の人生と過度に結びつけていいはずはない。
ペ・ヨンジュンの家族にとって、「冬のソナタ」はまだまだ語りつくされていない。

ならば、「冬のソナタ」を語ろう。ともに考えよう。というのが、私が言説する理由である。

何故、「冬のソナタ」が語りつくされていないか、と感じるかといえば、私がカミサンに語った作品解釈につき、彼女が気づいていなかったからである。

その仔細は以下。

☆

第11話。



喫茶店で向かい合ったミニョンは、要件を聞く前に少しだけあなたのことを見つめていたい。と言う。このセリフを支えているのは、ミニョンのユジンに会えた喜びである。まず、この感情を感じ取れなければ、ペヨンジュンファンとはいえぬ。

だが、ユジンは、この言葉に決別するように、「ネックレスを渡すためにやってきたこと」との要件を伝える。
セリフのつながりは、
ミニョン:「要件を伝えないでください」
ユジン:「要件を伝えます」
という単純なもの。

だが、実は、ミニョンの真情に接し、私もあなたに会えたことが嬉しい、とユジンは感じ始める。
「ペンダントを返しにきました」というセリフの裏で、彼女の中の、あなたに会えてよかったという感情が盛り上ってくる。ふと見上げる彼女のアップはそれをすくい取ったカットだ。

だが、残酷にも、「あなたは今幸せですか?」というミニョンの言葉が、彼女の至福(エクスタシー)な時を現実に引き戻す。この至福な時の短さが、このドラマの残酷なところであり、リアリスティックなところでもある。

このドラマの切ないところは、ミニョンがユジンのエクスタシーに気がつかぬところである。

*

別れた彼女に、「いま幸せですか?」とたずねる。

恋愛ドラマの常套句とも言える、こんなありふれた、陳腐なセリフが使われていることに、賢い鑑賞者は気がつかなければならない。

松田聖子の「スウィート・メモリーズ」には、♪「幸せときかないで、嘘つくのは上手じゃない…」とある。

私など、青春をともにした初恋の女性に「いまは幸せですか?」などとたずねる勇気はない。
もし、彼女が「幸せよ」と言ったら、ウヌホレの強い私は彼女のやせ我慢だろうと捉えるし、「幸せじゃないの」と言われたら、今がゴロゴロと音を立てて崩れ出してしまう。

戯言ならまだしも、「いまは幸せですか?」などと、真剣に聞けるはずもない。

*

だが、この「冬のソナタ」のシーンは、マジである。

真剣に、ミニョンはユジンに、「いま幸福かどうか?」を尋ねている。
これは恋愛ドラマである。ここにおいて、照れや戯言でドラマを逃げてはいけない。

かといって、ユジンにとって、幸せでないのに幸せと言う嘘をつくことが許されてもいない。

嘘をつくことで、相手を傷つけてきた。そして、真実を語ることによっても相手を傷つけてきた。すでに、「冬のソナタ」というバーチャルな世界では、嘘も素直もほとんど等価になっている。
でも、できれば、嘘をつきたくない。それが、ユジンの誠実な心のありようだろう。

そこで、ユジンは、「いまは幸せです」とのセリフを吐く。
それは、サンヒョクとの日常のことではなく、いま、ミニョンと会っている。このときを指している。

ミニョンにとって、いまが幸福であることは間違いない。
それでいいのだし、それ以上を望んではならぬ。

それが日常であり、人生であるという、誠実でありながらも、美しいシーンである。

☆

どのようなシーンであっても、感情移入の対象となる登場人物が嘘をつくことは、褒められたものではない。それが自己都合のために発せられる場合は勿論、たとえ、それが他者のためのものであっても、嘘は人の魂のグレードを低下させる。
だが、このシーンのユジンとミニョンは、そのようなことからは無縁である。

数分間という短い時間の中に幸福を見つけ、慎ましやかに喜びを感じている。
こんな小さな幸せがあれば、辛い人生も生きていける。
それを望む魂たちは、限りなく尊いのである。


BYJ.gif






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Last updated  2007年01月25日 19時48分26秒


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