図書陥戦争~一回勉強してみる近現代史方面の読書忘備録

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2017.01.20
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カテゴリ: アメリカ→○○
GHQ焚書図書開封6日米開戦前夜・西尾幹二、第一章 を読んでみた。

~清国が日清戦争に敗れると、列強はシナの分割に乗り出します。ところがアメリカはその分捕り合戦に乗り遅れてしまっため、国務長官ジョン・ヘイがシナ大陸に関して「門戸開放」「機会均等」「領土保全」という三原則(ジョン・ヘイの三原則)をヨーロッパに向かって示したのです。アメリカがイギリスやロシアに向かって分け前を寄越せ、といったのが「門戸開放」ということで、シナ大陸の市場に割り込むことが直接の目的だった~

日清戦争1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月

そこから遡ること百年

~即ち 1784年 の二月に、まだアメリカの憲法もできない頃、エムプレス・オブ・チャイナといふ船が ニューヨークから野生の人参 を積んで広東に向かったことがあり、これが米支(清国)直接貿易の端緒を開いたのである。 
~何故にアメリカがシナに向かって貿易を求めたかといえば、それは7年間続いた独立戦争のために疲弊した国力を恢復せんためであった。~次第にシナ貿易が発達し~
~ペリーが浦賀にやってきたころ、シナにおける貿易の半分はアメリカが握っていた~

アメリカ独立戦争=1775年4月19日から1783年9月3日までの、イギリス本国とアメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争である。


アメリカ憲法制定=1787年-天明7年 徳川 家斉(とくがわ いえなり)11代将軍 天明の打ちこわし

ペリー来航=西暦1853年-嘉永6年 嘉永年間の江戸幕府の将軍は徳川家慶(いえよし)(12代)、徳川家定(いえさだ)(13代)。ペリー提督が率いる米国の東インド艦隊が浦賀沖に現れ、開国と通商を求めた。

 にんじん!!当初、清国はアメリカと貿易しなくても事足りていた。ただ漢方薬?の原料で貴重な野生の人参がアメリカでたくさん採れたと。それを足掛かりとしてアメリカは結構対シナ貿易をするようになったと。
しかし南北戦争とスエズ運河開通の影響でアメリカの対シ貿易は衰退したと。

アメリカ南北戦争= American Civil War, 1861年 - 1865年、アメリカ合衆国とアメリカ連合国との間で行われた戦争である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。文久1年-慶応1年江戸幕府将軍は徳川家茂(14代)

スエズ運河. 1869年に完成 地中海と紅海を結ぶ運河。フランス人レセップスがエジプト太守から開削権認められ開通させた。しかし運河会社は経営難に陥り、1875年にイギリスに売却され、それ以降はイギリスがインドなどアジア支配に利用した。
西暦1869年-明治2年 
西暦1875年-明治8年

アメリカが太平洋を渡って西に向かってゆく性格は建国当時に始まっていて、アメリカ大陸西進完了よりも前だったといえるかも
というかアメリカの欲望は初期から領土より経済が先行してたってことですかね

アメリカ独立からペリー来航までが70年


ペリー来航から15年後明治元年
南北戦争終から30年後 日清戦争終 明治28年

南北戦争・終と明治維新がほぼ同時期。その約30年後日清戦争。ここなんかポイントっぽい。





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最終更新日  2017.01.20 17:42:22
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