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米中開戦 躍進する日本 渡邉 哲也 (著)単行本 – 2017/1/26勝ち組にはいれば戦後はおわるそうな
2017.01.29
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~米国と云えば、黄金万能の国であるかの如く考えるものであるが、一度彼の地に至れば、国内諸所に立っている銅像の多くが、軍人であることに一驚を喫するであらう。これは果たして何を語るかといふに、米国が独立戦争によって立国の基礎を造り、南北戦争によって国内の統一を齎(もたら)し、米西戦争(スペインとの戦争)によって中南米及び極東(フィリピン)における勢力の発展を来たしたことなどの結果ではあるけれども、これによって米国民が、鮮血を国家に捧ぐる軍人の崇高なる犠牲的精神に対し、如何に多大な尊敬を表するかということがわかるのである。~~だから、戦後でもアイゼンハウワーやブッシュ(父)のように軍人が政治家としても立場を得て大統領にも上り詰めるわけですね。逆に、政治家もまた軍人になること非常に誇りとする。アメリカはそういう国だというのです。~~日本も戦前までは軍人の地位が高くて、軍事的功績をげた人は政治家や首相になりました。ところが、敗戦後の日本ではそういうことが行われなくなった。~~いまでもアメリカは徴兵制度ではありません。 ~湾岸戦争がおこると、若い大使館員たちがつぎつぎに志願してイラクの戦線に出て行った。必要最小の館員を除いて空っぽになってしまった、~まあ著者の西尾さんはアメリカ青年を褒められてらっしゃいますが、日本人とまんま比べることはできないと思います。ヨーロッパの海賊の末裔、大英帝国の野心の継承、海を渡ってお宝ぶんどってくれば英雄。みたいな民族の遺伝子はきっと有ると思いますね。一方日本は戦後、軍そのものが全否定されました。GHQが報復されないように、またさからわないように洗脳を始めたわけですが、結構 積極的に日本人が協力してるんですよ。一般人は米軍が乗り込んで来てからはあんまり酷いことをしないから、恨みを捨てて生活の立て直しにいそしんだという・・でーとりあえず今日の結論 アメリカはやっぱり怖い。しかし日本人的な心情は別として、ハムラビ法典に目には目とありますが、原爆と焼夷弾による大虐殺、歴史を断絶させた洗脳政策、これに対する報復権は未来永劫あると、日本人自身が思わなくても、人類の真の歴史のなかで拭い去ることはできないんじゃあないかなあ。もしも別国の影響かなにかで日本人が日本人でなくなったとき、思いっきり蒸し返すかもしれないなあ。まあ、かってな空想しておりますが100年後人類が無事かどうかもわかりませんが。今読んでる本 GHQ焚書図書開封6日米開戦前夜・西尾幹二
2017.01.22
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GHQ焚書図書開封6日米開戦前夜・西尾幹二、第一章を読んでみた。2~ところが南北戦争は1865年で終わり、その後国内は急激の発展をなし、すでに80年頃までの統計は、漸次工業国としての地位を示して来た。原料の輸出国から輸入国となり、製品の輸入国から輸出国となる傾向を現してきたので、ヨーロッパのやうな工場に等しいところで商業をする望みがなくなると同時に、東洋のやうな人口が多く、資源が豊富で、しかも工業が発達しないところに市場を求むる必要がおこった。~イギリスのスエズ運河→アジア、に対してパナマ運河開鑿→アジア、の必要となっただからキューバを取ってカリブ海を制する必要→スペインと戦争スペインからグアム、フィリピンも横取りこの本読んでて当然読む価値があるから読んでるんだけど、人に勧めてるかっていうと勧めてない。そこそこ難しいし、シリーズが長い。予備的な知識が必要だし、ある種の問題意識がないと変な誤解をする人がいるかもしれない、いないかもしれない。もともと問題意識が有ったかというと無かったかもしれない。例えば今アメリカがトランプの件で表面化した対立は、血を流す内戦になるとは思わないが、権力の構図を変える闘争があるとすれば、どうこっちに影響するのか。つまりペリー来航のころアメリカはアジアでの勢力拡大をはかっていた日本に圧力をかけてきていたその後南北戦争、さらにその後自国の発展に忙しく、内向き的な?その間、日本は明治維新、ロシアの脅威、富国強兵歴史的な繋がりがなんとなくうっすらと見えてくるようなこないようなだからアメリカの西進は→ハワイ→日本→朝鮮→ベトナム→アラブ、シリアが一つ目の終点で、今回のアメリカの分断騒ぎが収まって例の偉大なアメリカに戻ったら、あるいは戻る過程で、いや戻るかどうか、戻りたくて、2つ目の西進がはじまるんじゃないだろうかなんか昔アメリカに睨まれた日本と被る国があるよね。それから日本が叩いた真珠湾と被る場所もあるよね。いやいやいや日本人と被る人種はいないらしいし、クーソーはこの辺で。
2017.01.21
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GHQ焚書図書開封6日米開戦前夜・西尾幹二、第一章 を読んでみた。~清国が日清戦争に敗れると、列強はシナの分割に乗り出します。ところがアメリカはその分捕り合戦に乗り遅れてしまっため、国務長官ジョン・ヘイがシナ大陸に関して「門戸開放」「機会均等」「領土保全」という三原則(ジョン・ヘイの三原則)をヨーロッパに向かって示したのです。アメリカがイギリスやロシアに向かって分け前を寄越せ、といったのが「門戸開放」ということで、シナ大陸の市場に割り込むことが直接の目的だった~日清戦争1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月そこから遡ること百年~即ち 1784年 の二月に、まだアメリカの憲法もできない頃、エムプレス・オブ・チャイナといふ船がニューヨークから野生の人参を積んで広東に向かったことがあり、これが米支(清国)直接貿易の端緒を開いたのである。 ~何故にアメリカがシナに向かって貿易を求めたかといえば、それは7年間続いた独立戦争のために疲弊した国力を恢復せんためであった。~次第にシナ貿易が発達し~~ペリーが浦賀にやってきたころ、シナにおける貿易の半分はアメリカが握っていた~アメリカ独立戦争=1775年4月19日から1783年9月3日までの、イギリス本国とアメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争である。アメリカ独立宣言=1776年-安永5年 徳川家治(いえはる)(10代) アメリカ憲法制定=1787年-天明7年 徳川 家斉(とくがわ いえなり)11代将軍 天明の打ちこわしペリー来航=西暦1853年-嘉永6年 嘉永年間の江戸幕府の将軍は徳川家慶(いえよし)(12代)、徳川家定(いえさだ)(13代)。ペリー提督が率いる米国の東インド艦隊が浦賀沖に現れ、開国と通商を求めた。 にんじん!!当初、清国はアメリカと貿易しなくても事足りていた。ただ漢方薬?の原料で貴重な野生の人参がアメリカでたくさん採れたと。それを足掛かりとしてアメリカは結構対シナ貿易をするようになったと。しかし南北戦争とスエズ運河開通の影響でアメリカの対シ貿易は衰退したと。アメリカ南北戦争= American Civil War, 1861年 - 1865年、アメリカ合衆国とアメリカ連合国との間で行われた戦争である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。文久1年-慶応1年江戸幕府将軍は徳川家茂(14代)スエズ運河. 1869年に完成 地中海と紅海を結ぶ運河。フランス人レセップスがエジプト太守から開削権認められ開通させた。しかし運河会社は経営難に陥り、1875年にイギリスに売却され、それ以降はイギリスがインドなどアジア支配に利用した。西暦1869年-明治2年 西暦1875年-明治8年アメリカが太平洋を渡って西に向かってゆく性格は建国当時に始まっていて、アメリカ大陸西進完了よりも前だったといえるかもというかアメリカの欲望は初期から領土より経済が先行してたってことですかねアメリカ独立からペリー来航までが70年ペリー来航から8年後南北戦争 ペリー来航から15年後明治元年南北戦争終から30年後 日清戦争終 明治28年南北戦争・終と明治維新がほぼ同時期。その約30年後日清戦争。ここなんかポイントっぽい。
2017.01.20
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