フリーページ
佐野真一氏が週刊ポスト紙上で、「化城の人」という連載を始めた。
その内容が実に馬鹿ばかしい。
デマゴーグの手先としか思えない、デマのオンパレードである。
大宅賞、講談社ノンフィクション賞の受賞者とはとても思えない。
池田大作氏のイメージを貶めることに腐心したとしか思えない
事実らしき記事とデマ記事ををうまく組み合わせて、おどろおどろしき
イメージを作り上げることに徹している。愚かな所業である。
人は自らの人間観で人を見るものだとすると、彼の下品な人間観、
あるいは男の嫉妬心が黒々と渦巻いているのに、吐き気がする。
人間はこれほどまでに、愚かになれるものかと驚きもする。
事実無根の中傷を指摘されたときには、どのように逃げを打つのだろう。
デマゴーグの手先となって、カネを稼ぐのはやめてもらいたい。
前置きは、これぐらいで少し内容に入ってみよう。
まずはリード部分に、「創価学会と池田大作がなぜ生まれたのかを、日蓮にまで遡り、「人間の物語」として解き明かす」ことが狙いと書いてある。
しかし、日蓮まで遡ってなど、全くしていない。また、「人間の物語」と実にかっこいいが、
この「人間観」が実に低俗に堕しているのである。
これから、事実無根、日蓮、人間の3つのキーワードで批判をしてみたい。
「池田大作重態説」であるが、これが、全くの事実無根である。事実を確かめず、過去のデータらしきものと、推測で塗り固められているのでである。
日々の聖教新聞での詩作やメッセージを精力的に出されている池田氏の健在は、学会中枢で奮闘する友人の話を見聞する限り、確たるものである。
学会に迷惑をかけ、学会にいられなくなった脱会者の言を、まことしやかに並べ立て、
学会員に動揺と不信感をもたらせようとするいつもの常套手段である。
今年が、政治決戦の時であることを考えれば、衆院選の前や総選挙の前に年中行事のように繰り返されるデマの類である。
このデマを使った政敵の攻撃こそが、古来最も反動的な政治家の証。
「日蓮」に遡ってというのは、佐野氏にとって日蓮主義のことらしい。
彼のいうところの日蓮主義とは、軍部と結託して国家主義を進めて、
宗教合同を画策していった誤った日蓮主義者であった。
創価学会初代会長の牧口常三郎も、二代戸田城聖も、この国家権力の
横暴と闘って、誤った日蓮主義と闘って投獄された。
牧口氏は獄死され、生きて牢獄を出た戸田氏が、壊滅的になった学会を
再建されたのである。
日蓮の御書に「日蓮を敬うとも悪しく敬わば国滅ぶべし」とある。この日蓮の諫言に
従い、「一宗が滅びることを嘆いているばあいではない。一国が滅びることを嘆くのである」当時の国家権力、軍部と真っ向から戦ったのが、牧口、戸田であり、創価学会であった。
この事実を書かずして、学会の真実を曲げて理解させるものである。
次に「人間観」についてである。佐野氏は、腐敗堕落しきった中山法華経寺の坊主たちの実態を描きながら、本能をむき出しにした欲望の塊が人間の本性と述べている。
そのすぐ後に、池田氏と出会いをもちだし、いかにも事実の装いをかもし出しながら、その人間観を持って、池田氏を語っていくのである。
この巧妙な仕掛けが何を狙っているか、明らかで、イメージダウンの常套手段。
実は、創価学会が平成3年に、日蓮正宗という宗門から破門されたことがある。なぜ破門されたのか。
実は、中山法華経寺ほどではないが、その腐敗堕落は目にあまるものがあり、それと闘って、追及したがゆえに破門となったのである。
キリスト教の宗教改革の歴史やトルストイの教会主義批判による破門の歴史を振り返るとき、平成3年の創価学会破門事件は
日本仏教界の歴史の中で、歴史的な事件であり、創価学会を世界宗教たらしめた一大エポックであった。
池田大作氏の世界の大学、国家などからの名誉称号のほとんどは、あの破門事件以降のことである。
ドグマ的、教条的、閉鎖的、そして佐野氏の言う<人間的>な僧侶主義の宗門の鉄鎖を打ち破ったがゆえに、創価学会は世界の192カ国に広まったのである。
PR
キーワードサーチ
コメント新着